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身体部位を含む述部の再帰的解釈について

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身体部位を含む述部の再帰的解釈について

武 田 和 恵

Reflexivity of Predicates Involving Body-parts TAKEDA, Kazue 要旨:日本語において、身体部位を含む述部が示す再帰性につい て、単独の動詞が示す再帰性と照らし合わせ、単独の動詞に関して 提案されたKishida(2011)の意味的基準に基づく区分が、身体部 位を含む述部の再帰性に関する区分に対しても適用できることを示 す。また、同一節内に複数の身体部位が生ずる述部の例から、内在 的に再帰的解釈を必要とする身体部位については、個々の要素に関 して再帰的解釈に関する語彙的な指定が必要であることを示す。 キーワード:身体部位、内在的に再帰的な述部、照応表現、       「自分」、「自分自身」、視点・共感 1.はじめに 日本語における再帰的照応表現については、(1)に示したような、「自 分」・「自分自身」等の表現の分布を、英語をはじめとする他の言語の再帰 的表現(英語himself、オランダ語zichzelf、中国語ziji等)と対比するこ とを通して、個々の言語を越えた共通の特性と、日本語における固有の特 性についての研究が重ねられてきた。

(1)a. 太郎1は 自分1/自分自身1を 批判した

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近年の研究においては、再帰的表現の種類とその解釈上の指示を決定す る先行詞の間に課される局所性や再帰的表現とともに生ずる述部の種類に ついての詳細な検討が行われ、新たな提案がなされている(Abe 1997, Aikawa 1993,廣瀬1997,Iida 1996等)。

その中で、Tsujimura and Aikawa (1996) [以下T&Aと略す]は、(2) のような自-/自己-を接頭辞として含む動詞および(3)のような身体 部位を伴う動詞を、Reinhart and Reuland (1993) [以下R&Rと略す]の 分析における内在的に再帰的な動詞であると分類している。一方、 Kishida (2011)は、前者のみを内在的に再帰的な動詞であるとし、後者 は分析の対象外としている。   (2)a.花子が 自殺した 注1 b.花子が 自己批判した (3)a.花子が (自分の)腰を かがめた b.花子が (自分の)足を ひっこめた 本論考では、身体部位を伴う動詞表現について(3)の類例を検討し、 名詞句内に生じた再帰的表現「自分」についての特性を併せて観察し、 「身体部位+動詞」の述部をどのような特性をもつ表現として捉えるべき か、検討する。その際、Kishida (2011)が、Bergeton (2004)を参照し て行った動詞の分類が、身体部位を伴う動詞表現の再帰性に関する分類に おいて適用しうる可能性を示す。 より具体的には、述部が再帰的な意味を持つ場合、述語表現として言語 化される際、動詞のみにその特性が形態的に記載される可能性、照応詞が 生ずることにより述部が再帰的であることが統語的に標示される可能性に 加え、「身体部位+動詞」という具現形を取りうる可能性を示唆する。そ の場合、内在的に再帰的な表現として [(self) N] +Vの形式を取ること になる。この表現形式は、R&RやLidz(2001)の扱う同じ動詞が項とし

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て取る要素(coargument)の位置に照応詞が生じていないため、統語構 造を見る限りにおいては、彼らの分析およびKishidaの分析対象の範囲外 の表現となる。 しかし、再帰性に関して、動詞の特性を下位区分することが可能である のと並行的に、身体部位や全体-部分表現が、動詞とともに内在的に再帰 的意味を表す場合、内在的に非再帰的意味を表す場合、どちらの解釈も許 容する場合に下位区分が可能である。つまり、動詞が単独で述部を為す場 合と同様、(4)で示すように単純に3つの場合が想定できる。   (4)a.[ (自分の) 身体部 ] V   内在的に再帰的解釈を必要とする述部 b.[(Nの)身体部位 ]V  内在的に再帰的解釈が成立しない述部 c.[ (自分の/ Nの) 身体部位] V どちらの解釈も許容する述部   「自分」そのものが先行詞と共通の動詞の項の位置に生じない場合、 Kishidaは、「自分」を視点・共感の用法(empathic use)、あるいは伝達 源・話者指示的な用法(logophoric use)の何れかに区分している。この 考え方をそのまま当てはめると、(4a)では、述部は、意味解釈上は、内 在的に再帰的であっても、身体部位の前にある音形を伴わない代用表現 (pro)もしくは「自分の」は、動詞の項の位置に生じていないがゆえ、再 帰的表現ではなく、視点・共感用法と区分される。 以下では、(4a)のような述部においては、動詞の項として、照応表現 が生ずるかという形式上の基準と、述部が再帰的解釈が可能な行為を表し ているかという意味的な基準に、ズレが生じていることを確認し、身体部 位を伴う述部のある下位区分は、単独の動詞に要求される内在的に再帰的 であるための意味的基準を満たしていることを示す。また、身体部位が述 部に複数含まれる場合、どの部分が、内在的に再帰的解釈を要求する部分 であるか、語彙的に指定されていることも併せて示す。 本論考の構成は以下のとおりである。第2節では、身体部位を含む表現

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の再帰的解釈を扱っているTsujimura and Aikawa (1997)およびKishida (2011)の分析を検討する。第3節では、Kishida (2011)における、再帰 性に関する動詞の分類を確認する。第4節では、3節の分類方法に基づい て、身体部位を含む述部の分類を内在的な再帰性という観点から試みる。 第5節では、2つの身体部位を含む述部の例を検討し、再帰的な解釈に関 する語彙的な指定が、生じている身体部位ごとになされねばならないこと を指摘する。第6節で、総括と今後の展望を述べる。 2.身体部位を含む表現の再帰的解釈に関する先行研究(Tsujimura & Aikawa (1996)、Kishida (2011)) 「自分」は、英語の再帰的表現(himself)と異なり、(5)でみられる ように、同一節内の主語のみならず、上位の節である主節の主語を先行詞 とすることができる。ところが、(6)では、(5)の埋め込み節の動詞 「批判する」とは異なり、埋め込み節の述部「腰をかがめる」「足をひっこ める」に生じている身体部位に関しては、「自分の」が上位の節の主語を 指示する解釈は得られないことを、T&Aは観察している。 (5) 太郎1が [花子2が 自分1/2を批判した]と 言った (6)a.太郎1が [花子2が(自分*1/2の)腰をかがめた]と 言った b.太郎1が [花子2が(自分*1/2の)足をひっこめた]と 言った

(Tsujimura and Aikawa 1996:271) 埋め込み節に、上位の節と異なる人称の主語が介在するなど、文中の視 点が強く制約を受ける例では、埋め込み節に生じた再帰的表現「自分」が、 上位の節の主語を先行詞にとりえないことを、Kuno and Kaburaki (1977) が指摘している。T&Aでは、Aikawa (1993)で指摘されている敬意表現 を用いて、同一指示の阻止について、検討している。

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(7) a.まさお1が みんなに [みちこ2が 自分1/2の子どもを叱った] こ とを 話した b.まさお1が みんなに [田中先生2が 自分*1/2の子どもをお叱りに なった]ことを 話した (Aikawa 1993:181) 上位の節の主語との同一指示が阻止される要因として、埋め込み節の主語 の社会的な位置づけが高く、述部に敬意表現を必要とする(7)のような 例においては、文中の視点に関する同様の制約が働いていることを説明し た上で、(6)では、埋め込み文の主語位置に上部の節の主語と異なる人 称の要素が生じているわけでも、敬意を要する表現が介在しているという 要因が関与しているわけでもない、それにもかかわらず、「自分」の先行 詞が主節の主語になりえない。これらの観察から、T&Aは、(6)の例で、 主節の主語が先行詞になり得ないことについて、埋め込み文の述部が内在 的に再帰的な表現として指定されているという特性に起因していると説明 している。 さらに、T&A(1997)は、R&R (1993)が示した2つの、内在的に再 帰的な動詞の判定方法を、身体部位を含む動詞表現に適用した結果を示し ている。その2つの判定方法とは、[1]当該表現を含む述部を名詞化し た上で、再帰的解釈のみが許されるかどうか、[2]再帰的に解釈する部 分を、全く異なる指示対象を表す表現で置き換えうるか、確認するという ものである。 (8)a.腰をかがめるのは、良くない b. (そんな時)足をひっこめるのは 当然だ (9)a.太郎は、自分の/ *花子の腰を かがめた b.太郎は、自分の/ *花子の足を ひっこめた注2

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(8)では、名詞化された述部に含まれる身体部位については、再帰的解 釈のみが許され、また(9)においては、主語位置の行為者以外の他者を 身体部位の所有者の位置に置いた場合、非文法的となっている。 一方、Kishida (2011)は、身体部位を含む再帰的表現として、廣瀬 (1997)の示した(10)(12)をあげている。注3   (10)a.ジョンは 体を のばした b.ジョンは 精神を 集中させた (11)a.*ジョンは 自分を のばした b.*ジョンは 自分を 集中させた(廣瀬1997:75-76) (12)a.John stretched himself.

b.John concentrated himself.   Kishidaは、英語においては、(12)のように、再帰代名詞が対応する動 詞の項として生じうるのに対し、日本語のこれらの動詞は、「自分」を項 の位置に取ることができないことから、分析の対象とはしないという立場 を取っている。また、(10)のような身体部位に関連した再帰的表現も、 再帰的表現そのものが、述部の項の位置に生じていないという理由から、 内在的に再帰的な動詞の範疇から外している。この立場をそのまま受け入 れると、身体部位の所有者の位置に生ずる照応表現は普通名詞の場合と同 じ扱いになることが想定される。Kishidaは、身体部位ではない普通名詞 の所有格の位置に生じる、名詞句に含まれる「自分」(例:「自分の本」) については、視点・共感の用法と位置付けている(Kishida 2011:19)。 このような捉え方が問題となることは、5節で取り上げる。 確かに、(3)のような例で、表層において、身体部位の所有者である 「自分」と、先行詞である主語とが、1つの動詞(「かがむ」「ひっこめる」) がとる同一節内の項(coargument)でないことは、T&Aも認識しており、 R&Rが規定している、内在的に再帰的な述語であるための同一性の要件

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(13)を、そのままでは満たし得ないと述べている。 (13)内在的に再帰的な述語であるための同一性の要件 V (x, y) ⇒ x=y [+reflexive] (3)では、主語位置に生じた行為の主体は、「花子」であるのに対して、 目的語の位置の名詞は「(花子の)腰」「(花子の)足」であり、「花子」そ のものではないためである。 しかし、ここでT&Aは、身体部位を選択している述部の主語とその身 体部位の間に、全体―部分の関係もしくは所有者―被所有物の関係があり、 譲渡不可能な関係が存在していることから、(13)の同一性の要件を補う 関係性・繋がりが、先行詞の主語と目的語のなかに含まれる再帰的表現の 間に成立していると論じている。 身体部位とともに生じる動詞表現が、常に再帰的表現と解釈されるかと 言えば、そうではない。T&Aも、その点を踏まえ、身体部位をとる動詞 を2つに分類している。一つは、(3)のような内在的に再帰的な表現で あり、もう一つは、(14)(15)に示すような、再帰的解釈もそうでない解 釈も両方を許すタイプの動詞である。 (14)a.太郎が 髭を剃った b.花子が 髪を染めた (15)a.太郎が 自分の/次郎の髭を剃った b.花子が 自分の/ひろ子の髪を染めた  (T&A 1996;280) (15)では、身体部位の所有者の位置に、「自分」が生じ、再帰的な解釈も 可能であるが、主語名詞句と同一指示ではない名詞句が身体部位の所有者 となる解釈も、自然に成立する。

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身体部位を含む述部が以上の2つで全てかと言えば、T&Aは考察の対 象としていないタイプのものがさらに2つある。再帰的でない解釈のみが 成立する表現、および、「自分」が所有者位置に生じた場合、再帰的解釈 がえられないが、「自分自身」が生ずると再帰的解釈を許すようなタイプ である。   (16)a.太郎は、*自分の/花子の心中を察した b.太郎は、*自分の/花子の骨を 拾うつもりだ c.太郎は、*自分の/次郎の首根っこを掴んだ (17)a.太郎は、*自分の/自分自身の/次郎の足を引っ張った b.花子は、*自分の/自分自身の/次郎の目を見た これらの例を観察すると、身体部位を取る述部全体が、単独の動詞と同 様に、内在的に再帰的な解釈を必要とする場合と、再帰的な解釈を取り得 ない場合と、再帰的解釈もそうでない解釈も許す場合とに区分できる可能 性があることが、見えてくる。 次節では、Kishida (2011)が、単独の動詞に関して再帰的解釈が成立 するかどうかについて行った区分を概観し、内在的な再帰的解釈について 単独の動詞が幾つかの区分に分かれるのと並行的に、同様の基準をもとに 身体部位をとる述部の区分しうるか否かを検討する。   3.再帰的解釈に関する述部の分類 Kishida (2011)は、Bergeton (2004)がオランダ語の動詞に関して行っ た、意味的な基準に基づく分類を、日本語の対応する表現に適用し、動詞 を(18)に示したように4種類に分類している。Bergetonの分類は、先 行詞と照応詞の間の同一性が予測されるか否かという意味的な特性を基準 としており、R&Rが採用した、照応詞の形態的な違い(単純照応詞vs.複 雑照応詞)との共起関係に基づく分類とは異なっている。

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(18)日本語の述部の分類(Kishida 2011: 243、日本語訳は筆者による) (19)については、主語位置の名詞句が、行為者でありかつ行為の対象 となる意味が成立しており、すでに第2節の(8)に関連して説明したよ うに、名詞化した際には、再帰的な解釈しか持たない。 (19)(=(2)) a.花子が自殺した b.花子が自己批判した a’.自殺するのはよくない b’.自己批判するのは容易だ 中立的な動詞では、(20)で確認できるように、主語位置の名詞句以外を 目的語の指示対象とすることも可能であるし、主語と同一指示の解釈も問 題なく許容する。この際、「自分」および強調的でない「自分自身」の両 方が生じうる。 (20)ジョンは自分/自分自身/メアリーを責めた 種類 特性 共起する照応表現 例 再帰的 (reflexive) 同一節内の項が同一対象を指示することが前提とされている 自-/自己- (19) 反再帰的 (anti-reflexive) とされている。同一対象を指示しないことが前提 慣用表現として解釈される 自分 (22) 中立的 (neutral) 同一節内の項が同一対象を指示することは前提とされていない 再帰的な解釈も非再帰的解釈も 成立する 自分 自分自身 (20) 中立的であることが 潜在的 (hidden neutral) 自分自身 *自分 (21)

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ここで、注意を要するのが潜在的に中立的であると分類される動詞であ る。(21)では、通常の「自分」が目的語位置に生じた場合は、文法性が 低 く、「 自 分 に 似 せ た 彫 像 等 」 に 動 作 を 行 う 近 似 的 再 帰 表 現(Near Reflexives)としての解釈のみ可能であるとKishidaは指摘している。また、 「自分」ではなく、強調表現である「自分自身」が生じた場合、「予想と異 なり、他の人ではなく、自分が」という意味が発生し、文法的な表現とな ることを、併せて、Kishidaは指摘している。この観察に基づいて、通常、 他者に対するはたらきかけを前提とするが、特別な状況では、再帰的な解 釈も可能である動詞として、(20)の中立的な動詞とは別途区分している。 (21)ジョンは*自分を/自分自身を蹴った 最後は、「自分」に対するはたらきかけが、原則不可能で、他者への働 きかけが前提とされているタイプの動詞である。「自分」が目的語位置に 生じた場合は、(21)と異なり、慣用表現としての意味が発生する。「自分 を殺す」「自分を見つめ直す」は、それぞれ文字通りの身体に対するはた らきかけではなく、「自分の意志を抑えて、我慢すること」「自分の特性や ありさまについて捉えなおす」ことを意味している。 (22)ジョンは自分を殺して一生懸命働いた ジョンは自分を見つめ直した 以上が、Kishidaが再帰性に関して日本語の動詞を分類した意味的な基 準及びその例である。次節では、Kishidaが対象としなかった身体部位を 含む述部に関して、上記の基準を準用した区分が有用であることを示す。 4.身体部位を含む述部の分類 本節では、T&Aが提案したように、日本語において身体部位を含む述

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部が内在的に再帰的解釈を持ちうることを、再度確認する一方で、T&A の区分では捉えきれていない述部のパターンがあることを指摘する。その 際、3節で示した、意味的側面に基づいて、再帰性に関して動詞を4種類 に分類するKishidaが提示した方法が、身体部位を含む述部の分類におい ても有効であることをみていく。 (23) 日本語の述部の分類 まず、T&Aが挙げた(3)の例が、内在的に再帰的解釈を必要とする 述部として区分される。1節で確認した通り、述部を名詞化すると、再帰 的な解釈のみが許され、また主語と異なる対象が身体部位の所有者である 読みは(24)で示したように許されない。 (24)(=(9)) a. 太郎は、(自分の)/ *花子の腰をかがめた b. 太郎は、(自分の)/ *花子の足をひっこめた ここで、(24)の例を述部の省略を伴う比較構文の形に変えてみると、(25) の例が得られるが、この際、省略されている述部に含まれる身体部位の所 種類 特性 共起する照応表現 例 再帰的 (reflexive) 同一節内の項が同一対象を指示することが前提とされている 自分+身体部位pro+身体部位 (24) 反再帰的 (anti-reflexive) とされている。同一対象を指示しないことが前提 pro+身体部位他者+身体部位 (26) 中立的 (neutral) 同一節内の項が同一対象を指示することは前提とされていない 再帰的な解釈も非再帰的解釈も 成立する pro+身体部位 自分+身体部位 自分自身+身体部位 (27) 中立的であることが 潜在的 (hidden neutral) 自分自身 *自分 (29)

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有者は、「緩やかな同一性」(sloppy identity)に基づく解釈のみを許し、 「厳密な同一性」(strict identity)に基づく解釈は得られない。つまり、 花子は、花子自身の腰をかがめたのであって、太郎の腰をかがめるという 解釈は成立しえず、また、花子自身の足をひっこめたのであって、太郎の 足をひっこめるという解釈はできない。 (25)a.太郎は、花子よりも深く(自分の)腰をかがめた b.太郎は、花子よりも素早く(自分の)足をひっこめた 述部の省略を伴う比較構文において、緩やかな同一性および厳密な同一性 の解釈が得られるかどうかは、Lidz(2001)が、照応詞が先行詞そのもの との同一性を要求する純然たる再帰表現(pure reflexive)であるか、彫 像等との同一指示を許す近似的再帰表現(near reflexive)であるかを識 別する方法として提案しているものである。(25)の表現が、緩やかな同 一性の解釈のみを許すということは、身体部位の所有者の位置の「自分」 ないし音声を伴わない代名詞(empty pronoun)が、純然たる再帰表現と 同等の機能を持つことを示している。Kishidaは「自分」を、近似的な再 帰表現として分類をしており、厳密な同一性の解釈を許す特性を持ってい ることが予測される。にもかかわらず、(25)の例において、厳密な同一 性の解釈が得られないのは、述部が内在的に再帰的な解釈を要求する表現 であるという理由に行き着く。 次に、内在的に再帰的解釈を得られない述部として、(26)を検討して みよう。これらの例では、いずれも「自分」を身体部位の所有者の位置に 置くことはできず、主語位置の名詞句と同一指示ではない表現のみ、身体 部位の所有者の位置に生じうる。 (26)a.太郎は、*自分の/ *自分自身の/花子の心中を察した b.太郎は、*自分の/ *自分自身の/次郎の首根っこを押さえた

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c. 太郎は、*自分の/ *自分自身の/花子の骨を拾った d. 太郎は、*自分の/ *自分自身の/花子の亡骸を運んだ また、強調表現の「自分自身」を使用しても、文法性は改善せず、前節で 確認した反再帰的分類の表現「自分を殺す」と異なり、慣用的な意味も生 じない。なぜ、このような違いが生ずるかについては、まだ検討が及ばず、 今後の課題である。 中立的な述部は、第1節でT&Aが二重に関係づけられた述部として分 析を行っていたものであり、動詞単独の場合と同様、再帰的解釈もそうで ない解釈も許すタイプの述部である。 (27)(=(15)) a.太郎が 自分の/次郎の髭を剃った b.花子が 自分の/ひろ子の髪を染めた  (T&A 1996; 280) 興味深いのは、ここで(27)を述部の省略を伴う比較構文に書き換えた際 に得られる解釈である。 (28)a.太郎が 次郎よりきれいに 自分の髭を剃った b.花子が ひろ子より手早く 自分の髪を染めた (28)では、省略された比較の基準の述部に含まれる「自分の髭」「自分の 髪」に関して、緩やかの同一性の解釈とともに厳密な同一性の解釈も得ら れ、「次郎が太郎の髭を剃るよりきれいに」「ひろ子が花子の髪を染めるよ り手早く」という解釈が可能である。(28)で厳密な同一性の解釈が得ら れることは、(25)でその解釈が欠落していることと対照的であり、再帰 性に関する述部の特性の違いが存在する証拠と考えられる。 最後は、中立的であることが潜在的な述部である。単独の動詞の場合と

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並行的に、(29)では、「自分」を身体部位の所有者の位置に置いただけで は、表現として違和感があるが、強調表現である「自分自身」を配置した 場合、「他の誰でもなく、自分を」という意味が発生し、文法性があがる。   (29)a.太郎は *自分の/自分自身の/花子の背中を押した b.太郎は、*自分の/自分自身の/次郎の足を引っ張った c.花子は、*自分の/自分自身の/次郎の目を見た 以上、身体部位を含む述部においても、再帰性に関して4種類のタイプへ の分類が有効であることを示した。特に、内在的に再帰的解釈が必要とさ れる述部については、その特性が語彙的なものとして指定されており、 「自分」「自分自身」を介した再帰的表現とは異なるメカニズムが働いてい る可能性がある。 次節では、上記のように考えることを支持するデータについて検討する。 5.身体部位表現を2つ含む述部のふるまい 身体部位を項として取るような述部であっても、その身体部位が誰に所 属するものかは、一義的には決定されないことは、第4節で確認したよう に、述部によって内在的に再帰的であることを要求するタイプの述部と、 そうとは限らないタイプの述部が存在することから明らかである。 ここで、一つの述部が複数の身体部位を伴う際に、どのような解釈が可 能になるかを考えてみよう。 (30)a.花子1は[太郎2が自分1/2の頬をpro2指でつついたので]     驚いた b.花子1は[太郎2が自分1/2の肩にpro2手を置いたのと同時に]    立ち上がった

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(30a)では、動詞で表された動作が具体的に、体のどの部分を接触点とし て、あるいは作用点として働くかを、「~で」句が表現している。この 「~で」句を項と捉えるべきか、付加詞として捉えるべきか、あるいは述 部に組み込まれるある種の二次的述部と捉えるべきかは、さらに検討が必 要であるが、ここで注目したいのは、述部内に「指で」という内在的に同 一節の主語と同一指示的解釈を要求する体の部分が存在するにもかかわら ず、これらの述部の内項の一部として生じている照応表現の「自分」は、 埋め込み節の主部を先行詞とする必要はなく、一つ上位の節の主語を先行 詞とする解釈が成立している点である。(30a)を、さらに(31)のように、 「自分」を「つつく」がとる直接の項とした場合でも、上位の節の主語と 同一指示の解釈は、自然に成立する。 (31) 花子1は[太郎2が自分1をpro2指でつついたので] 驚いた また、(30b)では、「置く」は対象と場所の2つの要素を内項にとる動詞 であり、「肩」「手」ともに動詞の項である。その一方は、埋め込み節の主 語が所有者として解釈され、「自分の肩」については、上位の節の主語と 同一指示的に解釈されることを許している。 (30)の例で「頬」「肩」の所有者については、同一節の主語と同一指示 の解釈も、上位の節の主語と同一指示の解釈も許すが、「指」「手」に関し ては、所有者は同一節の主語以外はあり得ない。つまり、身体部位が一つ の述部に関連して複数個存在するような場合は、個々の身体部位が、内在 的に再帰的解釈を必要とするのか(あるいは、同一節の主語要素と同一指 示的解釈を必要とするのか)、個別に指定される必要があることを示して いる。 さらに(30)において、2つの身体部位の片方が上位節の主語を同一指 示的で、もう一方が同一節の主語と同一指示的である解釈が得られるのは、 Iida (1996)が示している複数の「自分」が同一節の中に生じている(32)

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の例と対照的である。 (32)太郎は[花子が自分の部屋で自分の仕事をしていたと] 言った a.太郎の部屋で、太郎のしごと b.花子の部屋で花子のしごと c.*花子の部屋で、太郎のしごと d.*太郎の部屋で、花子のしごと

(Iida 1996:80, Howard and Niyekawa-Howard 1976) (32)では、埋め込み節に2つの照応表現「自分」が「部屋」「仕事」の所 有者として生じており、論理的には4通りの解釈が考えられる。しかし、 実際には、2つの「自分」が両方とも上位節の主語と同一指示である解釈 (32a)か、埋め込み節の主語と同一指示である解釈(32b)の何れかしか 許容されない。2つの「自分」の指示対象が、異なる節にある解釈(32c) (32d)は、許されない。 これらの解釈が得られないことについては、(32)に生じている2つの 「自分」が「視点・共感」用法の表現であると捉えるIidaの分析を採用す ると、説明が可能であることを、Aikawa(1999)が指摘している。2つ の「自分」が異なる要素と同一指示の解釈を受けるためには、それぞれ先 行詞となる要素が、文中で視点・共感の対象とならねばならず、1つの文 に2つの視点・共感の対象を必要とすることになる。これが、視点・共感 の対象に関する衝突を引き起こし、2つの異なる先行詞と同一指示的な解 釈は成立しないのである。 (30)において、2つの身体部位を含む表現の一方の所有者と他方の所 有者が、異なる節の主語と同一指示の解釈が得られるのは、一つの身体部 位については、同一節内の主語と同一指示的・再帰的であることが、内在 的に指定されているのに対して、もう一方の「自分」を伴う身体部位につ いては、「視点・共感」の用法として解釈されたためだと考えられる。つ

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まり、一方は内在的・語彙的な指定による再帰的解釈であり、一方は「自 分」が「視点・共感」の対象と同一指示となる解釈であるため、異なるメ カニズムが関与していることになり、(32)で生じた視点・共感の衝突が 発生しないのである。注4   以上、第5節では、複数の身体部位表現が、同一の述部に含まれる例に おいて、同一節の主語との同一指示・再帰的解釈が、それぞれの項目に個 別に指定された結果として生ずることを確認した。また、内在的な再帰的 解釈のメカニズムが、上位の節の主語を先行詞とする「自分」の視点・共 感の用法において解釈を得るプロセスと相互に衝突を引き起こさないこと も指摘した。このことは、身体部位を含む述部が、内在的に再帰的であり うることを示唆するものであり、第4節で示した区分の妥当性を支持する ものである。 6.終わりに 本論考では、身体部位が述部に含まれる表現が持つ内在的な再帰性につ いて検討し、単独の動詞の再帰性について区分したKishida (2001)の意 味的基準に基づいて、対応する4種類の表現に下位区分しうることを示し た。「身体部位+動詞」からなるある種の述部に対して、内在的に再帰的 であることを述部語彙の特性として指定するメカニズムを想定することに より、同一節内に照応詞「自分」が生じた場合の解釈について、一定の説 明を提示しうることを確認した。 「身体部位+動詞」の特性について、今まで俎上に乗らなかったタイプ の表現を検討し、単独の動詞にみられる内在的な再帰性に関する特性との 並行性を確認できた点は新たな知見を加えたことになるが、「身体部位+ 動詞」が、再帰性を発生させるメカニズムについて、深く掘り下げるまで には至っていない。 また、述部の持つ再帰的な意味を言語表現として具現する際に、形態的

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な接辞付加、照応詞に加え、「身体部位+動詞」の表現形式をとることが、 汎言語的観点から、どのように位置づけられるかという点に関しては、今 後の検討課題としたい。 (注) 1 本文(2) の例では、述部に目的語は生じていないが、T&Aは(i)(ii)を例とし て挙げており、これらでは、「自分」を含む名詞句が目的語位置に生じている。こ れらの例において、「自分」と主語名詞句との同一性は、確かなものだが、この 「自分」が再帰的解釈であるかは、議論の余地がある。また、本論文では、自-/ 自己-を接頭辞として含む動詞は、検討の対象とはしないため、(i)(ii)のような 例の扱いについては、現段階では、保留とする。   (i) 花子が 自分の犯行を自供した.   (ii)花子が 自分の息子を 自慢した. 2 査読者の1人より、(9b)が全く非文法的ではなく、太郎が自分の子どもである花 子の足を、通行の邪魔にならないよう引っ込めさせるような状況では多少不自然で はあるが許容される可能性があるとの指摘を受けた。この場合、自分の子どもの足 をあたかも自分自身の身体の延長であるかのようにとらえている可能性と、自分の 子どもの足を独立した意識を持たない物体であるかのように扱っている可能性があ るように思われる。査読者の指摘のように、意識がなく横たわっている花子の足が、 布団からはみ出ているような状況でも、「花子の足をひっこめた」の容認度はあが るように思われる。「独立した意識を持つ他者」に対して「自己のコントロール可 能な領域」をどのように設定するかは、興味深い問題であるが、より詳細な検討は 別の機会に譲りたい。 3 廣瀬(1997)は、日本語と英語の「自分」と-self形の違いとして、「自分」が「言 語による思考の主体としての私的自己を表す用法が本務」であるのに対して、-self 形は再帰的用法が本務であるとしている。日本語では、「人がその主体の宿る身体 に働きかけるときは、はたらきかけられる身体部位を表す名詞を目的語として用い なければならない」とし、この理由を日本語に、「主体と一体となった自己を表す 一般的ことばがないため」とし、一方、英語では、同様の状況で、「身体が客体的 側面であるという点を捉えて、… -self形で表現」しうると説明している。 4 T&Aは、身体部位が項の位置に含まれ、「自分」が付加詞に含まれている(30)と 類似の構造を持つ例を示し、「自分」が上位節の主語と同一指示が可能であること を指摘している。   (i) 太郎1が、[花子2が自分1/2の椅子を支えに腰をかがめたと] 言った

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  T&Aは、付加詞位置の「自分」は、述部の要求する再帰的解釈の影響をうけない ことを示すために、(i)を挙げているが、「自分」が項の内部に生じていても上位 節の主語との同一指示が成立することから、述部内に生ずるそれぞれの要素に関し て、同一節内の主語と同一指示が必須であるかどうかの指定がなされると考えるの が妥当である。 参考文献

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参照

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