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.はじめに生成文法(
Generative Grammar
)においては束縛理論(Binding Theory
)の3つの条件の中のひとつで ある条件A
が再帰代名詞の同一指示解釈の適格性を判断する.この理論は歴史的に多くの研究者が様々 な提案を行い,今なお変化し続けているが,一方で独自の枠組の中でかなり広範にわたる説明を成し遂 げている長谷川(2003)のような研究もある.いずれにせよ,再帰代名詞の適格性の対象となる基本的 なデータに一定の説明を与えるだけでもかなり複雑な仕組みが必要とされており,簡潔な説明による広 範な説明という望ましい原理の解明にはいまだたどり着けていないという印象がある.特に困難を極め ている要因として,純粋にシンタクスで扱えるのか否かの線引きが難しく,時に統語的,そして,時に 意味的な考察のどちらに重点を置くべきかの見極めが一筋縄ではいかない.そこで,本論文では頻繁に 着目されることのある認識の概念からそれがどのようにシンタクスと関わり一定範囲の説明が可能にな るのか,その一例を示してみたいと思う.1
.再帰代名詞1.1.
基本特性生成文法初期の頃から再帰代名詞(
reflexive pronoun
)に関する振る舞いに統一的な説明を与えよう とする試みはその枠組内において長年の中心課題となってきた.(1)
a. John saw himself in the mirror.
b. *Himself saw John in the mirror.
再帰代名詞の適格性における典型的な特徴は,(1
a
)にあるように目的語位置に生じた場合,その主語(
John
)を先行詞として選び,義務的に同一指示解釈するというものである.しかし,その一方で,(2b
) にあるように主語位置に生じた再帰代名詞がその目的語(John
)を先行詞として同一指示解釈すること は不可能である.ここから直ちにその線形順序(linear order
)が再帰代名詞の適格性における決め手に なると思われるが,しかし,束縛理論(Binding Theory
)(Chomsky
1981,
1986)が提唱する説明方法は そうではなく純粋にシンタクスの構造にのみ依存するC
統御(C-command
)によるものである.そこで,A
がB
をC
統御するという時,概略,「統語構造においてA
とB
が互いに支配関係になく,かつA
を最 初に支配する節点(node
)X
がB
をも支配している」場合をいう.再帰代名詞は先行詞によりC
統御さDokkyo University ©2018 by Kawahara H.
再帰代名詞における同一指示解釈の可能性
河 原 宏 之
Kawahara Hiryoyuki
れる必要があるというのが束縛理論を構成する3つの原理の中のひとつである束縛条件
A
の主旨であり,(1)のような単一文における主語は常に目的語を
C
統御するが,逆に目的語が主語をC
統御することは ない(目的語を支配する最初の節点はVP
であり主語はVP
に支配されていない)のだから,束縛条件A
は正しく(1a
)を適格とし,一方で(1b
)を不適格として排除する.しかし,当然のことながら再帰代名詞の振る舞いは上記のように単純なケースだけではない.
(2)
a. John believes himself to be honest.
b. *John believes
[that himself is honest
].(2
a
)における再帰代名詞は適格であるが,一方,(2b
)の再帰代名詞は不適格である.(2)における両 者の意味は個々の状況における使用の適切性(communicative value
)においては違いがあるものの,知的意味(
cognitive meaning
)という点では大方同じであるにも関わらずその文法上の適格性にはっきりとした差がある.そこで,
Chomsky
(1981)では,(2)のような文における再帰代名詞を代名詞に置き 換えた場合の格形態((2a
)ならhim
,(2b
)ならhe
)に着目して,(2a
)の再帰代名詞はbelieve
によって統率(
government
)され,一方,(2b
)の再帰代名詞は補文内にある主格を決定する要素AGR
によって統率されるとした.そして,再帰代名詞とその統率子(
governor
)の両方を含む最小の節(S
)を統率範疇(
governing category
)とし,その中でC
統御が成立した場合のみを適格とした.このやり方に従うと,(2
a
)のhimself
とその統率子believe
を含む最小のS
は主文となり文全体が統率範疇となる.この中で
John
はhimself
をC
統御するので正しく適格と予測される.一方,(2b
)では,himself
の統率子AGR
が補文内にあるのでhimself
とその統率子AGR
を含む最小のS
は補文となりそれが統率範疇となる が,John
はこの中に含まれていないため統率範疇の外ににあるJohn
からは例えhimself
に対するC
統御 が成立していても不適格として排除される.(Chomsky
はここから更に統率範疇の決定には統率子と再 帰代名詞以外に主語も関与するという旨で理論を修正するが,ここでの議論に支障はないため立ち入ら ない.)ここで注意すべきは,
Chomsky
はbelieve
のような動詞が非時制文であるような補文をとる場合,補文 の主語に対し直接格を与えるような構造関係(Exceptional Case Marking
)を想定しており,決して補文 主語を主文に繰り上げるような移動を前提とはしてはいないことである.つまり,この議論のポイント はもとの構造を維持したまま主文の動詞と不定詞補文の再帰代名詞を何らかの方法によって関係づける ことで主文の主語と再帰代名詞をひとつの動詞を介した主語と目的語のように関係づけるということで あろう.一般的に,基本的な用法として再帰代名詞は先行詞と同節要素(
clause mate
)であり,かつ先行詞は 再帰代名詞よりも前に置かれなければならない.(3)
a. John talked to Mary about himself / herself.
b. John talked to himself / *herself about Mary.
(4)
a. I showed John to himself.
b. *I showed himself to John.
そして,かつその関係は移動などによる構造変化があっても変わることはない.
(5)
a. Mary believed
[that George was proud of himself / *herself
].b. How proud of himself / *herself did Mary believe
[that George was _
]?
さらに,上記のような先行詞と再帰代名詞の関係は
NP
内にも同様に観察される.(6)
a. Mary believes
[John’s description of himself / *herself
].b. Mary believes
[any description of herself
].ただし,(6
b
)にあるように,そもそもNP
内に再帰代名詞の先行詞がない場合はひとつ繰り上がる形で 上の節にその先行詞を求めることが可能である.ここから,概略,
NP
とS
を循環節点(cyclic node
)とし,先行詞と再帰代名詞の両方が存在するよう な最小の循環範疇(cyclic category
)の中で先行詞が再帰代名詞よりも前にあるような場合は義務的に 同一指示解釈が成立するということが可能である.ただし,これに付随する規則として,(2b
)のよう な不適格な文を排除するために,概略,2つの循環範疇にまたがる先行詞と再帰代名詞のどちらかが属 する補文が時制文である場合は不適格としてこれを排除する時制文制約(Tensed S Condition
)も必要と なるであろう.1.2.
長距離照応前節では再帰代名詞の基本的な振る舞いを概観したが,より複雑な例として長距離照応(
long distance anaphora
)と呼ばれる現象がある.(7)
a. George believes
[that Nancy bought
[pictures of herself / *himself
]].b.
[How many pictures of herself / himself
]does George believe
[that Nancy bought _
]?
(7
a
)では補文主語Nancy
が再帰代名詞の先行詞として義務的に選ばれているが,これは前節で見たよ うに,先行詞と再帰代名詞の両方が存在する最小の循環範疇が補文であり,かつNancy
は再帰代名詞の 前にあるからである.しかし,一方,(7b
)ではこのような説明は成り立たない.そもそも,(7b
)では 再帰代名詞がWh
句移動によりGeorge
やNancy
よりも前に置かれているが,それにもかかわらずGeorge
と
Nancy
のどちらも先行詞として適格である.このような現象に対し,生成文法(
Chomsky
1995 等)での一般的な扱いは,関連事項に限って述べ ると,S
(CP
)単位でのWh
句の連続循環移動(successive cyclic movement
)でそれぞれの着地点に音形 をもたないWh
句のコピーを残す(最終着地点のものだけは音声をもつ)といったやり方があるが,そ の主旨は移動の際に留まる各位置において再帰代名詞に対し先行詞による最短距離のC
統御を成立さ せることが目的のようである.例えば,(7b
)において,移動の始発地点では再帰代名詞に対しGeorge
よりも近いNancy
によるC
統御が成立し,一方,補文の先頭位置に着地した際にはNancy
を超えてより高い位置に
Wh
句があるがGeorge
によるC
統御が成立する.ただし,そうすると今度は(5b
)のよう な文において不都合が生じる.Wh
句移動の始発地点において再帰代名詞の先行詞を義務的に補文主語George
に決定しておかなければ,補文先頭にWh
句が着地した際に誤って主文主語のMary
も先行詞として可能となってしまう.(この点を改善する試みとして
Huang
(1993)はproud
のような述語の前にそ の主語の役割を果たすトレースがあるとして,そのトレースからの再帰代名詞に対するC
統御が常に確 保されている状態がその義務的な先行詞の決定を可能にするという主旨の議論をしているが,一方で長 谷川(2003)によるそのような分析に対する批判もある.)上記のような再帰代名詞に関する一連の複雑な統語現象に対し,長谷川(2003)は
Chomsky
の枠組 を中心とした通説とは異なる独自の理論を提案しているのが興味深い.まず,再帰代名詞の先行詞が あいまいになる長距離照応現象であるが,これに対しては,長距離照応形規則(Long Distance Anaphor Rule
)と呼ばれるルールが適用される.このルールはきわめて簡潔なもので,その内容は「再帰代名詞 はS
単位で循環的に,かつ随意的に先行詞が決定される」としているが,それだけだと制限がゆるすぎ て(7a
)では誤って主文主語のGeorge
も可能な先行詞として選ばれてしまう.そこで潜在的に可能な 候補があいまいな場合に機能する一般局所原理として一般A-over-A
原則(Generalized A-over-A
)を提案 している.(7a
)では補文の時点では再帰代名詞の相手として可能な候補はNancy
のみであいまい性は 生じないが,次の循環節点である主文においてはGeorge
と競合するためあいまい性が生じる.そこで,一般
A-over-A
原則の概略を述べると,「X
に対しA
とB
が潜在的に可能な候補である場合,A
がB
をC
統御し,かつ
B
がX
をC
統御するならばB
とX
が結びつき,一方,A
がB
をC
統御し,かつB
がX
をC
統 御していないならばA
とX
が結びつく」,というものである.(厳密に言えば,長谷川の提案するC
統御 は通説のC
統御とは異なり,A
とB
が互いに支配関係にあったとしても成立する.よってA
がB
を含む(支 配する)関係にあった場合でもA
はB
をC
統御することになるが,ここでの議論には通説のC
統御で事 足りるので立ち入らない.)そこで(7
a
)では,George
(A
)はNancy
(B
)をC
統御しており,かつNancy
(B
)は再帰代名詞(X
) をC
統御しているので正しくherself
のみが可能と判断される.つまり,補文の段階を見ても主文の段階 を見ても,どちらの場合もNancy
のみが再帰代名詞の先行詞として選ばれるのである.次に(7b
)であ るが,まず長谷川の枠組ではWh
句移動は連続循環移動ではなく,もとの位置からそのままどこにも立 ち寄ることなく最終的な着地点におりる.従って,Wh
句移動の前なら(7a
)と同様にNancy
が再帰代 名詞の先行詞に選ばれ,一方,Wh
句が文の先頭に移動した場合は,George
(A
)はNancy
(B
)をC
統 御しているが,一方,Nancy
(B
)は再帰代名詞(X
)をC
統御していないので,George
(A
)が再帰代 名詞(X
)と結び付けられ,この時George
もまた可能な先行詞として選ばれる.つまり,正しくhimself
と
herself
の両方が可能と判断される.1.3.
基本的照応規則長谷川(2003)は再帰代名詞の照応関係が移動に連携する形で変化する長距離照応現象の他に移動が 絡んでもその照応関係が全く変化しない場合にも着目している.
(8)
a. George believes
[that Nancy bought
[pictures of herself / *himself
]].(=7a
)b.
[How many pictures of herself / himself
]does George believe
[that Nancy bought _
]?
(=7b
)(9)
a. Mary believed
[that George was proud of himself / *herself
].(=5a
)b. How proud of himself / *herself did Mary believe
[that George was _
]?
(=5b
)上記(8)では再帰代名詞が
NP
に支配されている(cf.
[NPpictures of herself / himself
]).そしてそのよう な場合,移動によって照応関係が変化する.しかし,一方,(9)では再帰代名詞はNP
に支配されてお らず,そのような場合,移動があっても照応関係が変化することはない.長谷川はこの点に着目し,再 帰代名詞がNP
に支配されているか否かが照応関係変化の可否に対する決め手であると論じている.そこで,まず,この照応関係変化の可否に対応するため,長谷川は基本的照応規則(
Basic Anaphora Rule
)という長距離照応形規則とは独立した別のルールを提案している.基本的照応規則は上で述べたNP
に支配された再帰代名詞のようなケース以外で義務的に照応関係が決まるNP
間の同一指示解釈や非 同一指示解釈を扱う規則であり,このルール自体はきわめて簡潔なものである.その主旨は「互いに支 配関係にない 2 つのNP
のうち,後ろにあるものが照応形(再帰代名詞,相互代名詞)であるならばそ の 2 つのNP
は同一指示解釈とし,一方,それ以外の場合,2 つのNP
は全て非同一指示解釈とする」と いうものであり,このルールは循環的に適用され,時制文制約に従う.以下を見よう.(10)
a. John saw himself.
(John
=himself
)b. John saw him.
(John
≠him
)c. He saw John.
(he
≠John
)d. John saw John.
(John
≠John
:別人)e. *Himself saw John.
(10)において,それぞれ 2 つの
NP
が含まれているが,この中で(10a
)と(10e
)が再帰代名詞を含 んでいる.このうち,(10a
)はJohn
より後ろに再帰代名詞があるので同一指示解釈が可能であると判 断される.しかし,一方で(10e
)は再帰代名詞がJohn
の前にあるため同一指示解釈は不可能と判断さ れ不適格となる.(再帰代名詞は文の中で適切な先行詞が決まらないと非文法的となる.)次に(10b
),(10
c
),(10d
)はそれぞれが含む2つのNP
がいずれも再帰代名詞ではないため,2つのNP
は全て非同一 指示解釈と判断される.基本的照応規則は随意的ではなく義務的に適用されるので,後の変形によって 位置関係が変化したとしてもその指示解釈は変化しない.このため,(9)においては,(9a
)の補文(最 初の循環範疇)の段階でGeorge
と再帰代名詞の間に義務的に適用された基本的照応規則が(9b
)にお けるMary
と再帰代名詞の同一指示解釈を阻止する.((1),(3),(4),も参照.なお,(6a
)については,NP
を循環範疇とするなら,そのままJohn
=himself
が義務的に決まり,一方,循環範疇をS
のみに限定 するなら一般A-over-A
原則によりMary
=herself
が阻止されるだろう.)(11)
a. John believes himself to be honest.
(=2a
)b. *John believes
[that himself is honest
].(=2b
)(11)のような場合も再帰代名詞が
NP
に支配されていないので基本的照応規則の対象になると思われ る.長谷川は不定詞補文をともなうbelieve
型の動詞(Rosenbaum
1967, Postal
1974)は明確に主語から 目的語への繰り上げ(raising to object
)により派生されると主張している.(この点,主語から目的語へ の繰り上げを採用しないChomsky
とは明確に立場が異なる.)(12)
a. We figure it out
[_ to be obvious that they would adopt our proposal
].(我々は,当然,彼らが我々の提案を採用するだろうと考えた.)
b. We proclaimed John to the public
[_ to be a hero
].(Bowers
1993)(我々は公衆に向かってジョンが英雄であると宣言した.)
(12
a
)において,figure out
は単一の意味をなす複合動詞であり,(12b
)においてはto the public
がproclaim
の補部である.このような場合,out
やto
は補文の中の一部と考えるのは困難なので,逆に補文の主語が主文に繰り上がることで
it
やJohn
が主文動詞の目的語に昇格したと考えるのである.そこで,(11
a
)は,繰り上げによって主文の目的語に昇格した再帰代名詞が基本的照応規則により主 文の主語と同一指示解釈が可能と見なされる.(しかし,主文の目的語への繰り上げがなかったとして も補文の中には再帰代名詞の相手となる先行詞がないのでどのみち基本的照応規則は主文で適用される ことになり同様の結果が得られる.)次に(11
b
)だが,長谷川によれば基本的照応規則は時制文制約に従うとされているのでこれにより(11
b
)の再帰代名詞は同一指示解釈を阻止され不適格となる.2
.再帰代名詞の照応現象に関する再考2.1.
先行詞からの再帰代名詞に対する認識再帰代名詞に関する研究は歴史的に見ても多岐にわたり,前節で見たように,その基本的な現象に説 明を与えるだけでも比較的込み入った仕組みが必要になるのがわかる.そこでこの節では,前節で提案 されているような理論とは異なるアプローチで再帰代名詞の照応現象を考えてみたい.
(13)
a.
[The picture of himself
]annoyed George.
b.
[These pictures of himself
]helped George write his autobiography.
c.
[Pictures of himself
]were shown to George.
d. *
[That story about himself
]depicts John as a saint.
(13)は,(13
a
),(13b
),(13c
)は適格だが,一方,(13d
)のみ不適格である.特に(13a
)のような文の
annoy
は心理動詞(psych-verb
)呼ばれ再帰代名詞の逆行照応現象にあらわれる動詞として様々な研究の対象とされてきた.(
Belletti and Rizzi
1988, Cambell and Martin
1989, Kuno and Takami
1993, Pesetsky
1995)心理動詞の特徴は目的語NP
が何らかの認識活動を行っているものと見なされることである.そ してこのような場合,主語NP
に含まれる再帰代名詞は心理動詞の目的語NP
と同一指示解釈が可能とされる.(13
b
)や(13c
)は心理動詞の例ではないが,再帰代名詞が主語NP
に含まれるという点と目的 語NP
が何らかの認識活動を行っているという点で,おおよそ心理動詞に準じるものと考えてよいだろ う.しかし,一方で,(13d
)は目的語のJohn
がdepict
の対象としてしか機能しておらず,いわばモノの 扱いを受けているので認識活動をしているとは見なされず,その結果,不適格とされている.(14)
a. Pictures of himself give Bill a headache.
b. Pictures of himself make John’s head hurt.
c. These rumors about himself caught John’s attention.
d. The jokes about herself got Mary’s goat.
e. Photos of himself made John’s face turn red.
(14)の例は,(13
a
),(13b
),(13c
)のようにVP
内の人を表現するNP
が動詞から直接的に心理的影響 を被っているような意味関係にはない.しかし,VP
全体がいわばイディオム的に働きその中に含まれ る人を表現するNP
がその意味内容から有縁的に何らかの心理的影響を被っている様子が導き出される 解釈があることは間違いない.このように,再帰代名詞を含むNP
がVP
内の人を表現するNP
に対し何 らかの心理的影響を与えることでその再帰代名詞が適格とされる現象は心理動詞という観点のみから説 明できるほど形式的に厳密なものではないということを(14)のような文は物語っていると思われる.上記のような観察からは,再帰代名詞に関する文法性を左右しているのは純粋に統語構造上の制約に よるものは言い難く感じられる.しかし,もちろんこれまで見てきた再帰代名詞の適格性の多くがシン タクスによる条件で説明されてきたこともまた事実である.そこでは,特に移動前と移動後を見るとい う,いわば派生を段階的に見ることが重要なポイントとなっているが,その中でも派生に従って先行詞 が変化する長距離照応の現象もあれば,一方,基本的照応規則で処理されるようなどのように派生が進 んでも先行詞に変化がない現象もある.そこで,このように多少なりとも複雑に感じられるシンタクス の説明を文の表層面から意味を考慮することによって説明することは可能であるか試験的に考察してみ たい.
(15)
a. George believes
[that Nancy bought
[pictures of herself / *himself
]].(=7a
)b.
[How many pictures of herself / himself
]does George believe
[that Nancy bought _
]?
(=7b
)まず,(15
a
)を考えてみよう.主文主語George
は再帰代名詞の先行詞にはなれず,一方,補文主語Nancy
が再帰代名詞の先行詞である.この文ではGeorge
もNancy
も共に再帰代名詞を認識しているが,その認識度の優位性には違いがあると思われる.主文主語
George
は補文全体を認識対象にしているの で,当然,それを介することなく補文の中の再帰代名詞を直接認識することは不可能である.しかし,一方,
Nancy
は主文主語George
とは異なり,補文の中での存在なのでより直接的に再帰代名詞を認識することが可能である.つまり,(17
a
)のような文において,補文主語は再帰代名詞に対する認識という 点で主文主語よりも相対的により近いと言ってもよい.このとき,主文主語よりも補文主語の方が再帰 代名詞に対し認識上の優位性があると見なされ,補文主語が再帰代名詞の先行詞として選ばれると考えるのである.
では,(15
b
)のような文はどう考えるべきなのであろうか.(15b
)は補文の中にWh
句移動の残し た空所があるということがヒントになると思われる.ミニマリスト・プログラム(Minimalist Program
) の枠組の中でChomsky
が提唱する移動のコピー理論(copy theory of movement
)では,Wh
句移動があっ た場合,もとの位置に音形をもたないWh
句のコピーが残るとされている.それをテクニカルにどう論 ずるべきはひとまず脇に置くとして,それと類似した仕組みを今は想定してみよう.すると,(15b
)は 2つのWh
句をもつことになる.ひとつは文の先頭にある音形をもつWh
句であり,もうひとつは文の末 尾にある音形をもたないWh
句である.(ここでは長谷川の主張に沿う形で連続循環移動は考えないの で補文先頭にある中間コピーは無いものと考える.)すると,(15b
)のような文では再帰代名詞と先行 詞の組み合わせがちょうど 2 組あり,それぞれが 1 対 1 の対応することが可能となる.このように考え ることで再帰代名詞の先行詞が主文主語でも補文主語でもどちらでもよいことに説明がつく.(この現 象に対し,もう少し付言するなら,移動により補文の外に出たWh
句は主文の領域に入ることで補文と の関係が薄れ,そのため文の先頭にある方の音形をもつWh
句は主文領域で主文主語と適切な関係をも つことが可能になると言えるのかも知れないが,テクニカルにはなお検討を要する問題である.)ここで,先述した移動のコピー理論と本論文の考える仕組みの相違点を考えてみよう.
(16)
a. John believes himself to be honest.
b. John wants
[PRO to be honest
].(17)
a. *John believes
[PRO to be honest
].b. *John wants himself to be honest.
(16)と(17)のコントラストは生成文法研究の歴史の中でよく言及される観察であるが,
believe
型の 動詞とwant
型の動詞は不定詞補文をとる場合,再帰代名詞とPRO
の生起に関して全く逆の振る舞いを 示す.これはなぜなのだろうか.一般に語られる説明としては,統率束縛理論(Government and Biding
Theory
)の時代になされた補文カテゴリーによるCP
とIP
の違いにその差を帰するという説明がある.その内容は,概略,
believe
は統率を妨げないIP
を補文としてとるので補文主語はbelieve
から統率を受 け格付与されるため音形をもつNP
が生起する.一方,want
は統率の障壁となるCP
をとるので補文主 語はwant
からの統率が妨げられ結果的に統率を受けてはならないPRO
のみが生起する,というもので ある.この説明の問題点は,あくまでそのように上手く習得がなされればという前提に立つので,そこ から一歩進んで,ではなぜ逆の習得が起こらないのかということに対して何の説明も与えていないとい うことである.そこで,本論文では
CP
やIP
といったカテゴリーの選択が(16)と(17)のコントラストの決め手に なるのではなく,believe
とwant
の意味の差がその違いの要因となるといった考えをとることにする.まず,
believe
は補文の命題に対しその真偽が問われることが前提となる.そうでなければ,「信じる」という意味概念はそもそも発生しない.このことと再帰代名詞が生起することとどのような関係がある のだろうか.例えば,
John saw himself.
という文はよく考えてみると,写真や鏡に写っている自分を見 るといった事象を表しているが,その「自分」とは自我をもたない客体化された存在である.つまり,あたかも分身であるかのごとく本人と同じ存在をもう一人認識してはいるが,それは決して自我という 点では同一の個体ではない.逆を言えば,姿形はコピーのように自己から外在化し対象化することがで きるが,一方,自我は決して外在化させることは不可能なのである.そしてこの自我には言語の音形を 与えることは決してできない.音形を与えるということは外在化させるということであり,音形を与 えられた概念は自我の外にある認識対象となるということである.ソシュール(
Ferdinand de Saussure
) 的な発想でのシニフィエとシニフィアンの相互依存性が成立しないのが自我なのである.John touched
himself.
という文は,一見,写真や鏡に写った自身(分身)を見ているのとは異なり,現実的に個体として外在化させてはいない自分自身が認識対象ではあるが,それでも本来の意味は自身の腕や脚といっ た体の一部に触れるという意味であり,かつ,やはりそれは自我をもたない自身の体ということだから 概念上は自我から切り離され外在化させた存在なのである.そこで,
believe
は真偽の余地ある命題をと るのだから,その中に自我を有する(騙すことが不可能な)NP
があってはならない.そこで必然的に 自己を客体化するNP
として再帰代名詞が選ばれることになるのである.一方,
want
に対するPRO
はどうだろうか.John wants to study music.
という文は主文主語の願望を表 現しており,かつ願望とはストレートに自我から発するものなのだから,すなわち補文の内容は主文主 語が客体化されていてはならないということになる.前述したように,音形をもつということは自我が 含まれないということになるので空範疇での表現以外に方法はなく,音形をもたない代名詞PRO
が選 ばれるということになるのである.(そもそもPRO
を「単語」として認めるか否か議論自体があまりな されないようである.この問題には立ち入らないがLandau
(2013)はこの問題を扱っている.)ちなみに,want
でも補文の動詞によってはJohn wants to win.
に対し,John wants very much for himself to win.
のよう に再帰代名詞が可能な場合がある.)以上のような理由から,本論文ではWh
句移動によるもと位置の 空範疇は客体化された(外在化された)ものではないという意味でのコピーとして扱うことにする.(18)
Which woman did George think
[_ took a picture of herself / *himself
]?
(18)は長谷川の理論では説明できない.補文の段階では長距離照応規則により
herself
が可能だが,一方,主文の段階では文の先頭にある
which woman
がGeorge
をC
統御しており,かつGeorge
が再帰代名詞をC
統御しているので,一般A-over-A
原則はhimself
も可能であることを予測する.しかし,本論文のやり 方なら,そもそも再帰代名詞を含んだNP
の移動ではなくコピーによって再帰代名詞を 2 つにすること ができないから,which woman
かGeorge
のどちらかしか先行詞に選ばれない.そこで,補文の中の動詞took
の主語は(空所ではあるものの)which woman
であり,主文主語George
よりも認識上の優位性があ るので,正しくherself
のみが可能と予測される.(19)[
That story about himself / *herself
]convinced George
[that Susan was a CIA agent
].(20)
a. George thought
[that
[the story about himself / herself
]disturbed Susan
].b. George thought
[that
[the picture of himself / *herself
]fell on Susan
].(19)は
George
が再帰代名詞を認識しているのでhimself
が可能だが,一方,Susan
は全く再帰代名詞を全く認識していないため,当然,
George
のみが可能な先行詞として選ばれる.ここで(20)だが,(20
a
)はひとつの再帰代名詞に対して2つの先行詞が可能な例であり,これまで のやり方では上手く説明できない.しかし,(20b
)を見ればわかる通り,基本的には再帰代名詞を認識 しているNP
こそが可能な先行詞であるべきという考えは捨て難い.そこで,(20a
)において認識上の 優位性がなぜ有効に働かないのかを考えてみよう.主文のGeorge
と補文のSusan
はどちらも再帰代名詞 を認識していると思われるが,その認識の仕方に対しては相違があるように思われる.主文のGeorge
はその認識が能動的なものであるが,一方,補文のSusan
はその認識が受動的なものである.このよう に認識の仕方が異なるNP
は互いに干渉することがないと考えるべきかも知れない.(21)[
That Mary didn’t like the picture of herself / *himself
]surprised John.
しかし,(20
a
)と(21)を比較してわかる通り,主文と補文とでその認識の仕方がそれぞれのNP
で逆 になるように配置するとその文法性に変化が現れる.(21)では受動的認識のNP
が主文のJohn
であり,一方,能動的認識の
NP
が補文のMary
となっており,herself
のみが可能なのである.ここから推測され るのは,認識の仕方が異なるNP
は互いに干渉しないというよりもその力関係のバランスが取れている 場合にのみ認識上の優位性は解消されると考えた方が良さそうである.つまり,基本的には同じような 認識の仕方,例えば,主文NP
と補文NP
とで,どちらも能動的認識のNP
ならば補文のNP
の方が優位 になるが,一方,主文が能動的認識に対して補文が受動的認識になる(20a
)のような場合は受動認識 の方が認識の力が弱くなるため主文の能動的認識のNP
にも十分にチャンスが回ってくると考えて良さ そうである.つまり,その力関係は「能動的認識>受動的認識」のように表せると言える.(22)
a. John told Mary
[that
[a picture of himself / herself
]had been stolen
].b. John believes Mary to like
[the picture of herself/ *himself
].c. John told Mary to sell
[the picture of herself/ *himself
].(22
a
)は長谷川の理論によれば,一般A-over-A
原則が適用されるとMary
しか先行詞になれないので,有標のケースであるとして
John
とMary
の構造上の高さがVP
節点にのみ依存する場合は一般A-over-A
原則が発動しないと規定している.しかし,(22b
)のような場合もJohn
とMary
の高さはVP
節点にの み依存している.(前述した通り,長谷川の理論ではbelieve
型の動詞は補文主語から主文目的語への繰 り上げを許す.)この場合,tell
のようなpersuade
型の動詞では一般A-over-A
原則は発動しないが,一方,believe
型の動詞では一般A-over-A
原則が発動するなどとアドホックな措置をとらなければならない.さらに,(22
c
)のように同じtell
でもJohn
とMary
がVP
節点の高さにのみ依存しているからといって一般A-over-A
原則を適用しないわけにはいかないケースもある.そして,もうひとつ望ましくないのは,長谷川の時制文制約は
NP
に含まれた再帰代名詞には適用されないというあまりエレガントとは言えない ような付帯条件が付いていることである.(23)
*John believes
[that himself is honest
].(=2b
)長谷川の枠組では,(23)を説明するにはどうしても時制文制約が必要であるため,やむを得ず上記の ようなアドホックな措置をとらざるを得ないのである.((23)のような例は,時制文制約ではなく,む しろ再帰代名詞の生起条件で説明するべきである.
Chomsky
(1980)における主格島条件(Nominative
Island Condition
)の考えがこれに近いと言えるかもしれないが,再帰代名詞は目的格の位置にしか生じることができず,先行詞の存在を抜きに主格位置や所有格位置(
NP-Spec
)に生じること自体が不可能 であると述べるのが良いと思われる.なぜなら,英語には主格位置や所有格位置に生じた再帰代名詞(
cf. *himself’s book
)をOK
にする例自体がないからである.)しかし,本論文のやり方なら,(22
a
)ではJohn
もMary
も共に再帰代名詞を能動的に認識しており,かつどちらも主文に属する
NP
なので補文の中の再帰代名詞に対し条件はほぼ互角であるからhimself
もherself
もどちらも可能とだけ言えばよい.しかし,一方,(22b
)ではJohn
もMary
も再帰代名詞に対しては能動的に認識しているものの,補文の中の繰り上げのもと位置に
Mary
のコピーがあるためそれがJohn
よりも認識的に優位になりherself
のみを適格とする.(繰り上げを認めない場合はMary
がもと位置 にとどまり補文の中にあるためやはりMary
に対する認識上の優位性が成り立つ.)(22c
)の場合は,補 文主語にMary
からコントロールされたPRO
があるため,やはり主文のJohn
よりMary
の方が認識上優 位である.(24)
a. John thought
[that Mary would faint
[when
[a picture of herself / *himself
]was published
]].b. John thought
[that Mary would faint
][when
[a picture of himself / *herself
]was published
].c. John thought
[that
[when
[a picture of herself / himself
]was published
]Mary would faint _
].(24
a
)は副詞節のwhen
節がfaint
のVP
付加部として生じている例であるから補文の中にある.この場 合,再帰代名詞はMary
の能動的認識の対象であるからであるから主文主語John
よりも認識的優位性があり
herself
のみが可能である.(24b
)ではwhen
節が主文S
の付加部である.このときMary
は再帰代名詞を認識しておらず,主文の
John
のみが再帰代名詞を認識しているのでhimself
のみが可能である.(24c
) では,VP
付加部のwhen
節が移動によって補文のS
に付加したものと考えられる.この場合,when
節は 一種の話題化を受けていると思われるので,それは主文のJohn
による補文に対しての情報の重要度に よる位置変更であると思われるが,一応,文の末尾にはVP
内に残されたwhen
節の空所があるのでその 中にも,当然,再帰代名詞のコピーが含まれている.そこで前置により付加されたwhen
節の再帰代名 詞にはJohn
が対応し,一方,もと位置のコピーの中にある再帰代名詞にはMary
が対応するのでhimself
も
herself
も共に可能となるのであろう.2.2.
再帰代名詞の義務的照応これまで見てきたように,再帰代名詞の義務的照応は再帰代名詞が
NP
の中に含まれていない場合で あった.(25)
John saw himself in the mirror.
(=2a
)まず,(25)からわかるのは,ひとつの動詞
saw
に対して 2 つの項,主語John
と目的語himself
があり,その主語と目的語は意味的に動詞を中心とした意味役割の関係を担っているということである.そこで は主語
John
は客体化された自分,すなわち自我をもたず外在化された自分を見ているという関係が成 り立っている.これを換言すれば,純粋な意味でJohn
と再帰代名詞himself
は全くの同一指示というわ けではなく,自我の存在する側と存在しない側とで姿形が同じ(あるいは,自分から見て自分の中の一 部)という理由からその点をもって同一指示解釈としているにすぎないということになる.ここから本 来的には,主語と目的語は全く同じではあり得ないのだから,明言すれば別のものということになる.これは基本的には,ここでは
see
のような動作動詞の場合に限るが,2 つの項(主語と目的語)がひと つの動詞をもとにつながりをもつと場所や時間を共に一にするといった時空上の制約が付随的に発生す るからである.(26)
a. John saw him.
(John
≠him
)b. He saw John.
(he
≠John
)c. John saw John.
(John
≠John
:別人)上記のような説明からは,(26)のような例も自然に理解されると思われる.(26)のそれぞれの文の中 の主語と目的語が互いに別人の解釈でなければならないのは,
see
というひとつの動詞によってつなが りをもった存在であるからで,場所や時間を共に一にするといった時空上の制約がある中で存在するに は,どうしても互いが別々の個体でなければならないからである.シンタクスが説明を試みている同節 要素のNP
間の一連の(非)同一指示解釈現象はまさにこの点に集約されるものと思われる.(27)
John believes
[that he is smart
].(John
=he, John
≠he
両方可能)(27)には2つの動詞(
believe
とbe
)があり,それぞれが主文と補文に属している.(27)の意味すると ころは,John
の認識の中で信じているある命題があり,それはhe
がsmart
である,ということだから,主文の
NP
と補文のNP
は時空上の連続体でなくともよい.故にhe
は男性・単数なら誰でも指せるが,語用論的に
John
とhe
がたまたま同一人物になることもあり得る.そしてそれが可能なのは,believe
とbe
という2つの動詞がそれぞれ別の命題を受け持つからである.このような基本をもとに以下を考えて みよう.(28)
a. John talked to Mary about himself / herself.
(=3a
)b. John talked to himself / *herself about Mary.
(=3b
)(29)
a. I showed John to himself.
(=4a
)b. *I showed himself to John.
(=4b
)再帰代名詞は
NP
の中に含まれず動詞と直接かかわるとき,その動詞がとる別の項を先行詞として必ず とらなければならない.それは2つ以上の項をとる動詞の表す意味が単一の概念であるが故に必然的に項は互いにその動詞を介して意味役割上の結び付きをもたねばならないからである.(28)の場合でい うと,
John
がMary
に話しかけるということが起こり,その時,逆にMary
がJohn
から話しかけられると いうことが同時に起こっている.(29)もそれに準ずると考えてよい.しかし,このような文の中で問 題となるのは再帰代名詞の生起位置が必ず先行詞よりも後ろにあるということであろう.このような場 合,先に先行詞として決めたNP
がある場合,その後ろのNP
は先行詞として受け付けることができな いが,前に先行詞が複数ある場合はその中から自由に選べるということなのだろう.ただこの場合でもNP
間の語順には能動的認識>受動的認識のような優位性が関係しているかもしれないということであ る.例えば,(28a
)は前から順に能動的認識John
,受動的認識Mary
,認識者とは見なされない再帰代 名詞,という順序で並んでいる.このとき,再帰代名詞はJohn
とMary
どちらも指せるが,基本的にはJohn
を指す方が好ましいということである.他の可能性としては,語順の問題を
C
統御で統一的に扱う試みがなされているが,なお検討を要する.参考文献
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長谷川欣佑.2003.『生成文法の方法―英語統語論のしくみ』東京:研究社
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河原 宏之(Kawahara Hiroyuki)
所属:獨協大学外国語学部英語学科非常勤講師 専門:統語論