日本語とポルトガル語の先行性アスペクトをめぐる考察 太田 亨
1.はじめに
本研究は,ブラジル人日本語学習者によく見られる次のような述語動詞のシナカ ッタの使用(この場合は誤用
1))をきっかけに行われるものである。
⑴「もう(あなたは)昼ご飯を食べましたか?」
「いいえ,まだ食べませんでした。」
⑴の背後には,彼らの母語であるブラジル・ポルトガル語(以下,単にポルトガ ル語)で同状況に発せられる(であろう)文
⑵ Você já almoçou ? Não almocei ainda.
の存在があると考えられる。
日本語学習時における最近の中間言語研究からは,中間言語が形成される過程が 非常に複雑であることを示す結果が報告されているが(迫田 1998
2)),⑴が生まれ る背景に⑵の発想
..
が関与していることを完全に否定する材料はないし,むしろ大い にあると筆者は考える。
そこで本研究では,日本語とポルトガル語の対照言語学的な立場から,⑴と⑵を 詳細に比較検討して,いわゆる「現在完了的表現」(以下,先行性アスペクトanterior
aspect
3)と呼ぶ)をめぐる問題を整理することをその主目的とする。またその過程で,
両言語の異同をより普遍的にみるため,ポルトガル語と同じロマンス系言語のスペ
イン語やフランス語等との比較も適宜行い,最後にこの問題に関して日本語教育へ の提言を行う予定である。
2.問題の所在
⑴が誤用と言える理由は,上にも述べた通り,下線部の述語動詞にシナカッタを 用いた点にある。工藤( 1996 ), Palihawadana ( 1997 ),高橋( 1994 ),日高( 1995 ) 等からは,⑴の答え方には,シナイまたはシテイナイの使用が可能であると考えら れる。
一方,ポルトガル語例文⑵を見て分かるのは,完全過去形
4)を使っての疑問文に 対しては同じ完全過去形で答えるという,テンス・アスペクトの対応関係が一対一 対応の応答形式になっていることである。
本稿では,日本語のように疑問文のテンス・アスペクト形式と否定応答文のそれ とが異なる場合を「非整合的応答形式」,ポルトガル語のように疑問文と否定応答 文のテンス・アスペクト形式が同じ場合を「整合的応答形式」と呼ぶことにする。
では,状況レベルでは同じ現象がなぜ認知レベルでは異なった形式で表されるの だろうか。
5)また,整合的応答形式や非整合的応答形式を持つ言語は他にもないの だろうか。
これらの疑問に答えるためには,少なくとも次の3点について検討する必要があ ると考えられる。
1)各言語のテンス・アスペクト体系と先行性アスペクトとの関係 2)単純形式の〈多義性〉と〈疑問〉や〈否定〉が1)に与える影響 3)時間副詞「もう」/「まだ」と「 já 」/「 ainda 」が果たす役割
3.両言語における述語動詞のテンス・アスペクト体系
3.1.テンス・アスペクト体系
まず始めに断っておかねばならないのは,本研究で扱う動詞は,いわゆる「動作 動詞」に限定している点である。その理由は,主に日本語の場合だが,動詞の種類 によってテンス・アスペクトの振るまいが大きく異なるからである。
6)その上で両 言語のテンス・アスペクト体系を概観して言える特徴を列挙すると,おおよそ以下 の通りになる。
日本語
1) 述語動詞での基本的テンス・アスペクト体系が4種類であること
テンス アスペクト
完成相 継続相
非過去(現在・未来) スル シテイル
過 去 シタ シテイタ
(奥田 1977,鈴木 1979,工藤 1995 を基に作成)
2) 文法的アスペクト対立が動詞の語彙的(意味)アスペクトに大きく左右される こと。したがって、アスペクト問題を語るときには動詞分類が欠かせないこと
7)3) 先行性アスペクトは,認知レベルにおいて,完成相過去形のシタあるいは継続
相現在のシテイルによって表すことができること
ポルトガル語
1) 活用に〈叙法〉〈時制〉〈人称〉〈数〉が大きく関わること 2) 直説法の単純形式
8)が次の6種類であること
現在,完全過去,不完全過去,大過去
9),未来,過去未来
3) このうち先行性アスペクト一般を表す複合形式が,基本的に助動詞 ter の下線を
引いたテンス形式+本動詞の過去分詞形を用いた4種類であること
10)現在完了,過去完了,未来完了,過去未来完了
4) 以上のうち,先行性アスペクトを表すのが単純形式の完全過去に限られること 5) 複合形式の現在完了形が,発話時との関わりにおける「継続」あるいは不定回
数の「反復」用法に限定されていること
11)3.2.ポルトガル語とロマンス諸語の先行性アスペクトを表す形式をめ ぐって
テンス・アスペクト形式がそれぞれ2種類ずつしかない日本語の場合,先行性ア スペクトが過去テンスと非過去テンスの間(より具体的には,完成相過去のシタと 継続相現在のシテイル)で競合することは十分理解できるが,テンス形式が豊富で かつ複合形式まで備えているポルトガル語がなぜ完全過去のみを用いるのだろう か。
その大きな理由としては,前節のポルトガル語の特徴4)と5)でも述べたが,
ロマンス諸語の中でポルトガル語の完全過去の用法が非常に広く,逆に現在完了の 用法が「継続」と「反復」を表すのに限定されていることが挙げられる(彌永 1986, Cunha & Cintra 1985, Ryan 1994, Teyssier 1984, Vázquez Cuesta & Mendes da Luz 1987 )。
さらに Teyssier ( 1984 )におけるポルトガル語例文の仏訳や Rodrigues et al. ( 1992 ),
van de Wiel ( 1995 )に見られる英語の現在完了との対比から,ポルトガル語の完全過
去形と現在完了形がどのような対応関係にあるかをまとめると次のようになる。
12)他言語 ポルトガル語
完 全 過 去 現 在 完 了
フランス語
− 単純過去の全ての用法
13)Levantou-se e foi-se embora.
“Il se leva et partit.”
− 右に挙げた用法を除く複合過去 Perdeu o chapéu.
− 「継続」「反復」用法の複合過去 Este ano tem sido fértil em
acontecimen-tos.
“Cette année -celle-ci- dans laquelle nous
sommes encore a été fertile en
“Il a perdu son chapeau.” événements.”
他言語 ポルトガル語
完 全 過 去 現 在 完 了
英 語
− 過去の全ての用法
Estive doente na semana passada.
“I was sick last week.”
− 「完了」「結果」「経験」
14)用法 の現在完了
Fui ao cinema duas vezes esta semana.
“I’ve (already) been twice to the movies in this week.”
− 「継続」「反復」用法の現在完了 Não temos tido sorte ultimamente.
“We have been unlucky recently.”
先行性アスペクトや過去テンスをどの形式が担うか考えるのに,もう一つのロマ ンス系言語であるスペイン語の例も取り上げてみよう。
スペインのスペイン語(以下,〔イベリア〕半島スペイン語)とアメリカ大陸の スペイン語(以下,アメリカ・スペイン語)の間には,音声面を始めとして様々な 面で違いが見られるが
15),先行性アスペクトと過去をめぐる単純形式と複合形式と の役割分担の面からも両者は大きく異なる。
寺崎( 1998: 35~37 )の分類によると,スペイン語の現在完了の用法は5種類ある
という。
16)① 最近の完了
② 心理的現在
③ 経験
④ 継続
⑤ 仮定用法
このうち,①と②の用法については次のような特徴があるという。
アメリカ・スペイン語およびスペイン北西部地方(ガリシア・アストゥリアス)では単純過去に
よって表現されることが多い。(中略)特に,スペイン中央部の口語では①と②の用法が拡大し ており,現在完了が過去の時を示す付加語とともに用いられることもめずらしくはない。
Me he descubierto ayer una arruga nueva al mirarme al espejo.
きのう鏡を見ていたら,新しいしわを見つけました。
(
ibid.: 36~37,太線による強調は引用者によるもの)
つまり,アメリカ・スペイン語の単純過去は,⑤の用法は別として,ポルトガル 語の完全過去の用法に近く,他方,(北西部を除く)半島スペイン語の単純過去は フランス語の用法に近づくという,2極分化が起こっているのである。
またさらに,ロマンス諸語が形成される歴史の中でも,この2極分化現象は広く 見られるという(Iordan & Manoliu 1972: 324~325, Terasaki 1987: 73~74)。ここで,先 行性アスペクトを単純形式と複合形式のどちらで表すかによって,便宜的に「単純 形式優先型」と「複合形式優先型」,両方を用いるタイプを「両形式共存型」と名 付けるなら,代表的なロマンス諸語は以下のように分類できるだろう。
単純形式優先型 南部イタリア語,半島北西部スペイン語(=ガリシア語),ポルトガル語,アメ リカ・スペイン語
両形式共存型 北西部を除く半島スペイン語
複合形式優先型 フランス語(口語),ルーマニア語(口語),北部イタリア語,レト・ロマン語 の一部,カタルーニャ語
これらの事実は,先行性アスペクトをめぐってロマンス諸語の中でも単純形式優 先型と複合形式優先型が競合してきた,ということを物語るものであり,換言すれ ば,それだけ過去テンスと先行性アスペクトとは境界線の引きにくい,非常に接近 した文法範疇である,ということを意味するものと言えよう。
また,この「非常に接近した文法範疇である」という考え方は,日本語における
過去テンスと先行性アスペクトとを比べた場合にも言える。山口( 1997 )によれば,
日本語の完了辞と過去辞がシタへと統合していく過程で,①アスペクトとテンスの 境界線が消失し,②アスペクトとテンスの表示性が文脈依存的になったという。
もちろん,それぞれの言語の中で通時的・共時的に起こってきた(または,現在 起こりつつある)現象は異なるわけだが,それでも,日本語とロマンス諸語(特に ポルトガル語)との間には,少なくとも過去テンスと先行性アスペクトをめぐる分 化・統合の歴史の中で,非常に似たような現象が起こっていることは興味深い。そ れでは以下に,日本語とロマンス諸語そしてポルトガル語との共通点を列挙してみ よう。
1) 通時的に見ると,もともと先行性アスペクトの意味を持っていた用法に由来す る形式が,過去の意味を表すようになった。(日本語におけるシタリ→シタ,ロ マンス諸語における複合形式優先型言語の例)
2) 1)による体系の変化に伴って,単純形式と複合形式が共存するようになると,
テンス的に現在(または非過去)との親和性が高い複合形式
17)によって先行性ア スペクトを表せるようになる。(日本語のシテイル,ロマンス諸語の複合形式)
3) 1)と2)の流れからすると,ポルトガル語の単純形式は特異な存在ということ になるわけだが,それゆえ,単純形式によって先行性アスペクトが表せるよう になり,過去の用法とを併せ持った〈多義的〉な形式になる。通時的に辿った道 筋は異なるが,ポルトガル語と日本語の単純形式は共時的にはこのような多義 的な形式である。
このうち3)が,日本語とポルトガル語の単純形式における振る舞いの差が現れ る最も大きい理由であると考えられる。そこで次にその‘多義性’の問題と,否定 文や疑問文が先行性アスペクトに与える影響の問題に移ろう。
4.単純形式の〈多義性〉と〈否定〉・〈疑問〉の影響
4.1.単純形式の〈多義性〉
まずこの問題を考えるに当たって,ポルトガル語の単純形式・完全過去形が有す る〈多義性〉については,3.2.でロマンス諸語との比較も交えて通時的な考察 を行った。ここでもう一度簡単に要点を押さえておくと,ポルトガル語の先行性ア スペクト用法は,現在完了形の用法が狭まることにより完全過去形の意味・機能が 拡大し獲得されたものであり,すでに体系の整理は完了したと言える。
そこで,本節では日本語のシタの多義性の中身について詳しく見てみることにし よう。ここでは,シタが多義的であると捉える代表的例として工藤( 1995 )を挙げ
よう。
18)工藤( ibid.: 141 )の言うシタの意味・機能は次の3点に要約することができ
る。
① 〈完成相過去〉と〈パーフェクト相現在〉
19)の2つのテンス・アスペクトの意味・
機能を統一的に表す。
② 〈完成相過去〉の典型的機能は,現在と切り離して,複数の出来事間の時間関 係を表すことであり,〈パーフェクト相現在〉のそれは,他の出来事との関係 は無視して,現在との関係付けのなかで出来事を提示することである。
③ 〈完成相過去〉と〈パーフェクト相現在〉は,結果・効力の有無(強弱),出 来事成立時点の明示の有無,時間間隔の有無(遠近)の3点から連続的であ る。
①は多義的であること,②はそれぞれの典型的機能,そして③は二つの意味・機 能の連続性を語っているわけだが,このうち③の部分が,ポルトガル語の完全過去 形の場合の多義性と最も大きく異なる箇所である。つまり,日本語のシタは,同じ 多義と言ってもシテイル形式との競合関係の中での多義性であり,特に先行性アス ペクトをめぐっては,①完了辞と過去辞の統合過程でシタが複数の意味を統合的に 表すことになったという史的な理由があること(山口op. cit.),と,②現在でも体系 の整合化が進んでいる最中である可能性があること
20),が最大の特徴であると言え る。
と言うことは,日本語のシタの持つ先行性アスペクトは,「「シタリ」に連続す
る歴史的残存物としての用法を保持していることによる」(工藤 1996: 90 )ものであ り,シタの〈中心的意味〉である完成相過去の用法に対して,先行性アスペクトの 用法は〈周辺〉的・〈派生〉的な用法と捉えることも十分可能となる。
また,シタが通時的に獲得していった「文脈依存的」(山口 op. cit.: 218 )な表示性 は現代語のシタにもそのままの形で受け継がれていると考えられる。この点につい ては,少々長くなるが,例文の一部を含めて工藤( 1995: 130~131 )を以下に引用し よう。
実際,〈現在パーフェクト〉のシタ形式は,〈日常会話〉で,頻繁に使用されるものである。次の ように,波線部分で示した「これからのこと」を話し手が問題とする時,過去(発話時以前)に成 立した運動の結果・効力こそが問題となってくる。過去の運動の結果・効力が存続しているがゆ えに,それに基づいて,これからの行動が可能となるのである。発話主体は,現在との生きた繋 がりにおいて過去の出来事を把握している。話し手が,実践主体としてあるとすれば,未来につ ながる現在の状況に直接に関係付けられた過去の出来事こそが,最も重要であろう。
・「先生,邦枝さんから速達でお手紙が届きました。(ママ) これで最後なのですから,どうぞ読んで 差し上げて下さい」(地唄)
・「金がはいった。これから銀行へ金を受けとりに行こうと思うが,おまえも来ないか。いろいろと 買いたいものがあるだろうから」(輝ける碧き空の下で)
・「芸術づくのもいいけど,あんたお茶にしなさい。シュークリームを作ったわよ」(ピエロの歌)
引用中,1行目の「シタ形式」の部分が隠されていたら,これはシタについて述
べていることなのか,シテイルについて述べていることなのかが,よく分からなく
なってくる。事実,引用例文の下線が付された箇所は,そのほとんどがシテイル形
式へ交換が可能であると考えられる。
21)また,「未来につがながる現在の状況に直接
関係づけれた(過去の出来事)」(強調,引用者)とは,下線が施された例文から
くるのではなく,その前後の波線の部分,工藤氏の言葉を借りれば,〈コンテクス
ト〉によるものだと考えて差し支えない。
このように,同じ〈多義性〉と言っても,日本語のシタが持つ多義性は〈中心的〉
⇔〈派生〉・〈周辺〉的関係にある。一方,ポルトガル語の完全過去形の多義性の 場合は,先行性アスペクトが〈中心的〉意味・用法の中に拡大的に取り込まれた中 での〈多義性〉と言うことができる。
22)4.2.〈否定〉や〈疑問〉の性質ととテンス・アスペクト体系
次に,もう一つの問題である,〈否定〉や〈疑問〉と先行性アスペクトに関わる 問題に移ろう。本節で明らかにすべき問題は大きく分けると次の2点である。
1)テンス・アスペクトをめぐる〈肯定〉と〈否定〉の関係− 〈肯定的想定〉は必 要なのか?先行性アスペクトを持った疑問文に対して否定の答え方をする際,
なぜ応答形式の整合性が保たれなくなるのか?
2)〈疑問〉によって談話場
23)に提出・蓄積される会話情報の役割
4.2.1.〈否定〉の持つ性質とテンス・アスペクト体系
ここでは,工藤( 1996: 84 )で主張される,否定文のテンス・アスペクト体系が,
「〈ディスコース的観点〉からみて,(中略)〈コンテクスト〉のなかに様々なか たちで存在する〈肯定的想定=出来事のアクチュアル化の想定〉との関係のなかで,
〈間接的〉に, temporal reference (時間指示性)が与えられていくことを示している。
否定はコンテクスト依存的性格をもつ」(強調は引用者による)ということの意味 を問う。
工藤( ibid.: 87 )は続けて,「肯定の場合と否定の場合との使用のされ方は,対称
的であってよいだろう」と述べて,本稿で言うポルトガル語のような整合的応答形 式が基本的であることについて触れ,さらに「対称的でない場合も出てくる」(ibid.:
88 )と言い,日本語のような非整合的応答形式もあり得ることについて言及してい
る。そして,この日本語の非整合的応答形式が生まれる理由については次のような
説明を行っている。
これは,ひとえに,シテイル形式のみならずシタ形式が,「シタリ」に連続する歴史的残存物 としての〈現在パーフェクト(パーフェクト相現在)〉用法を保持していることによる。が,否 定形式では,シナカッタは現在パーフェクトの否定を表さず,体系の整合化(形式と意味との対 応関係の整理)が先行しているのである。
( ibid
.: 90)
もし日本語のみについての説明ならば,これでも一応納得できるが,本稿のよう にポルトガル語やロマンス諸語との対比まで射程に入れて考えるならば,むしろ体 系の整合性からの説明はポルトガル語のような整合的応答形式のために用いて,日 本語も含めた非整合的応答形式が生まれる理由は,以下に述べるように,〈否定〉
の持つ性質にその拠り所を求めたほうが,より広範な諸言語についての説明を可能 にしてくれるものと思う。
そこで本稿では,日本語のような非整合的応答形式が生じる理由を次のように考 えたい。
「肯否両出来事は内在的時間指示
24)において基本的同一性を示し,かつ否定と肯 定で相違が生じるのは,否定が述語の元々の出来事のいかんを問わず,述語に加わ ることで述語の出来事の種類を〈状態〉に変えてしまうからである」
Palihawadana( 1997: 74~76)より
Palihawadana ( ibid.: 48~50 )によれば,否定の出来事の性質は大きく4つあるとい
う。
1)均質性( subinterval property)
2)展開性( dinamicity )を持たない
3)局面構造があり得ない
4)ある時間帯において成り立つ持続的( persistent )なものである
さらに Palihawadana ( ibid.: 50 )は,日本語の動詞否定の場合は否定辞が形容詞型
活用をする点でも状態性の濃厚なものである,とも言う。
なるほど,今回扱っているのが動作動詞であることを考えると,たとえ動詞の動 詞性は残されても,動作動詞の命とも言える,上の2)や3)の性質が失われては,
テンス表示の必然性が肯定の場合に比べると格段に落ちてしまう理由はよく分か る。
つまり,冒頭に掲げた例文⑴を使って述べるならば,肯定の場合は「食べました か」に対して,動作の展開性等を積極的に表示する必要があり,答えも当然「食べ ました」となるのに対して,否定の場合はそのような積極的な理由がない。なぜな ら,起こらなかったという事実を述べるだけなのだから。むしろ問題にされるのは,
①答えが否定であること,と,②先行性アスペクトの意味を助ける時間副詞「もう」
に対する答え(ここでは「まだ」)を行うこと,の方であろう。
そこで,日本語において否定のもつ「状態性」に最も相応しい形式は,テンスま で積極的に明示してしまうシナカッタ形式が排除されて
25),シテイナイまたはシナ イ
26)になる,というわけである。
それでは,〈肯定的想定〉とは全く無意味な概念なのだろうか。筆者はそうは思 わない。〈肯定的想定〉は,むしろポルトガル語のような整合的応答形式を持つ言 語を説明するのに有効であると考えられるからである。本節で述べてきた〈否定〉
自体が生み出す状態性は,ポルトガル語の場合にも当然起こりえるはずだが
27),整
合的応答形式という現象から見るかぎり,全くその影響を受けていないように見え
る。そこで考えられるのが,否定応答文では〈肯定的想定〉によってテンス・アス
ペクト情報の表示が行われているのではないか,という考え方である。確かに,前
述の通り,ポルトガル語の先行性アスペクトは多義的な形で完全過去形が有してい
るわけで,先行性アスペクトと状態性を兼ね備えた表現形式はこれをおいて他には
あり得ない。
28)つまり,ポルトガル語の完全過去形では〈否定〉による状態性の影響
が抑制され,〈肯定的想定〉によるテンス・アスペクト形式表示の整合性の方が優
先されているのである。
4.2.2.〈疑問〉文が談話場に提出・蓄積する談話情報の役割
もう一つ重要な点は,例文⑴の疑問文によって発せれた,いろいろな会話情報が,
コンテクストとして談話場に残り,その情報を前提にして,相手が答えを発してい る,という点である。
29)会話の内容はもちろんのこと,ここでの議論にとって欠かせないのは,テンス・
アスペクト情報である。質問者が発した文によって,形式的には〈完成相過去〉で あること,また時間副詞「もう」が併用されていることから,この場合のシタは先 行性アスペクト的意味が込められていることが,すでに相手には伝わっているので ある。
すると,答える側が発信すべき情報としては,①出来事が成立したか,未成立か,
また,②時間副詞「もう」に呼応する副詞の使用を考えること(義務的ではないに しても),が最も重要になってくる。つまり,これらの情報は,前セクションの最 後に挙げた二つの要因を同工異曲の形で述べているわけである。
確かに,例文⑴と⑵の疑問文に対する応答は,以下のように動詞を使わずに,単 独または組み合わせる形で答えることも可能である。
30) 31)日本語
「もう昼ご飯を食べましたか。」
①「いいえ。」
②「まだです。」
③「いいえ,まだです。」
ポルトガル語 Você já almoçou?
① Não.
② Ainda não.
③ Não almocei ainda.
32)このように,以上2つのセクションで述べてきたことをまとめると,本節冒頭の
工藤( 1996 )の〈肯定的想定〉を用いて「整合的応答形式」の説明はできても,「非
整合的応答形式」の説明がうまくつかないこと,そして,その理由はむしろ〈否定〉
や〈疑問〉の中に内在していることを述べた。それでは本主張の傍証として,スペ イン語の例を挙げておこう。
4.2.3.スペイン語における先行性アスペクトの応答形式
スペイン語には大きく分けて,半島スペイン語とアメリカ・スペイン語があり,
両者がテンス・アスペクト体系を始めとして,いろいろな面で違いを見せることは,
すでに3.2.で述べた。
ここではその違いが,先行性アスペクトの応答形式において,どのような差とな って現れてくるかをまず見てみることにしよう。これに関しては, Gutiérrez Araus (1998: 294~295)に例文付きでの説明がある。そこで用いられている例文の動詞は
venir (来る)なので,テンス・アスペクトをそのままにし,動詞のみを本稿で使っ
ている comer (食べる)に交換した形で引用してみよう。
半島スペイン語
¿Has comido?
肯定: Sí, he comido.
否定: No, no he comido.
アメリカ・スペイン語
¿Ya comiste?
肯 定: Sí, comí.
否定 1 : No, no he comido.
(hasta ahora) 否定 2 : No, no comí.
(definitivamente)
3.2でも触れたが,半島スペイン語の応答形式は
疑問文 :現在完了形(複合形式)
応答文・肯定:現在完了形(複合形式)
応答文・否定:現在完了形(複合形式)
という,整合的応答形式をとるのに対して,アメリカ・スペイン語の方は,
疑問文 :単純過去(単純形式)
応答文・肯定 :単純過去(単純形式)
応答文・否定1:現在完了形(複合形式)
のように非整合的応答形式となる。しかも,応答文の否定形式2,つまり単純過去 形を用いると,先行性アスペクトの意味( hasta ahora )「今まで」が全く消えてしま い,逆に( definitivamente )「完全に,決定的に」といった,発話時からは隔絶した 意味しか表せなくなる,というのである。
33)この現象を見るにつけて,半島スペイン語の応答形式とポルトガル語,またアメ リカ・スペイン語の応答形式と日本語との対応関係を指摘したくなるのは,筆者の 思い込みが過ぎるのだろうか。いや,そうではなかろう。
我々は,この対応関係が偶然に発したものではなく,もっとより根源的な理由,
つまり各言語のテンス・アスペクト体系における先行性アスペクトの位置づけの差 や,〈否定〉や〈疑問〉の持つ汎言語的な性質によるものと考える。
34)確かに,工藤( 1996 )が主張する〈肯定的想定〉も汎言語的な現象ではあるが,
それはポルトガル語や半島スペイン語の応答形式のような整合的応答形式を説明す る場合には有効でも,日本語やアメリカ・スペイン語のような非整合的応答形式ま でを統一的に説明するには不十分である。ましてや,なぜ言語系統的に全く異なる 日本語とアメリカ・スペイン語に非整合的応答形式が現れるのか,また同じスペイ ン語の方言同士なのにどうして2種類の応答形式が存在するか,まで考え合わせた とき,日本語の通時的な理由からくる体系の整合性だけを持ち出すのでは,説明し きれないことは明らかである。
それでは最後に,この章を締めくくるに当たって,日本語/ポルトガル語/スペ
イン語の先行性アスペクトの違いがはっきりと現れる用例を一つ挙げておこう。
35)コーパスは三島由紀夫の『金閣寺』とそのポルトガル語訳版
36)およびスペイン語訳版
からのものである。
柏木はつづけて言った。
「俺の流儀は琴古流だよ。めずらしく月がいいから、できたら金閣で吹かせてもらおうと思って 来たんだ。君に教えかたがた⋯ ⋯ 」
「今ならいいと思う。老師がお留守だから、じいさんが怠けて、まだ掃除をすませていないんだ。
掃除がすんだあとで、金閣の戸締りをするんだから」
(『金閣寺』第6章,
p.147)
Kashiwagi prosseguiu:
«Aprendi no estilo Kinko ... Como a Lua esta noite está excepcionalmente bela, vim até aqui com a esperança de poder tocar no Templo Dourado; talvez mesmo dar-te uma aula ...
- Tiveste sorte, o Prior saiu; o contínuo não se importa. Ainda não acabou de varrer. Só fecham depois.»
(
O Templo Dourado, Cap. VI, p.119)Kashiwagi continuó:
-Yo he aprendido a tocar en el estilo Kinko… Como la luna, esta noche, es excepcionalmente bella, he venido con la esperanza de poder tocar en el Pabellón de Oro; y de darte también una lección, tal vez…
-No podías caer en mejor momento, el Prior ha salido; y el viejo factótum no es de cuidado. Todavía no ha terminado de barrer, y hasta después no se cierra.
(El Pabellón de Oro, Cap. VI, p. 132)
5.時間副詞としての「もう」/「já」,「まだ」/「ainda」
この最終章では,日本語とポルトガル語の副詞「もう」と「já」,「まだ」と「 ainda」
を比較・対照する。
まず,どちらも時間副詞としての働きを中心的意味として持ち,その場合の意
味・機能がかなりの程度似ていること,どちらも含意を持ち得ること
37),動詞によ
っては副詞との意味が矛盾してしまう場合があること
38),また本稿で対象としてい る先行性アスペクトを表す補強材 ..............
としての役割を持っていること,等が共通点であ る。それから相違点としては,テンスによっては派生的な意味に解釈されてしまっ たり,程度副詞としての派生的意味・用法の面で両言語がかなり異なっていること
39)
,であろう。
もちろん,本研究では,時間副詞としての中心的意味の部分の対照にとどめるわ けだが,その意味・機能を網羅的に記述することは筆者の力では到底できない。そ こで,本章では,先行研究と両言語の辞書の記述を整理する形で概観していくこと にしたい。
5.1.「もう」/「já」
時間副詞としての〈中心的〉意味
①最も基本的な意味は,どちらも「参照時点が述語動詞の事象変化移行後にある,
つまり動詞の出来事が実現事態である」
40)ことである。
②上の「事象変化」は,変化の臨界点を境にして,それ以前の状態との対比を含意
41)として持ち合わせることができる。
42)③事象変化以後の事象状態には〈一貫性〉や〈恒常性〉,〈反復性〉が見られる。
43)④日本語もポルトガル語も,単純形式により先行性アスペクトをも表せることから,
疑問文におけるこの時間副詞の存在がその先行性アスペクト性を補強する働きを する。
⑤ポルトガル語の já は時間副詞の用法として,日本語の「もう」に比べて,「今」
( agora mesmo ) , 「この瞬間に」 ( neste momento ) , 「すぐに」 ( logo, imediatamente ) 等の意味をも中核に持つところが相違点として挙げられる。( Ferreira 1986: 977 ) 例えば次のような例である。
já agora(ちょうど今)
Vou sair já.(すぐに出かけます)
(池上
他1996: 691)それでは,共通点の①から④までを次の2例を使って確認しよう。まず,説明の
ために, Reichenbach ( 1947 )からの用語を援用して,発話時( S ),出来事時( E ),
参照時( R )を設定し,かつ Palihawadana ( op. cit. )からは時間的先行・同時・後行を 表すために,「 A < B 」( A が B 時間的に先行する),「 A = B 」( A が B に時間的に重 なる),「 A > B 」( A が B に時間的に後続する),「 A ≧ B 」( A が B に時間的に後続 する,あるいは時間的に重なる)などの記号を借用する。
44)「見事なもんだな。どこで習ったの」
と私が訊いた。
「近所の生花の女師匠だよ。もうじき、彼女はここへやって来るだろう。附合いながら、俺は生 花を習っていて、こんな風に一人で活けられるようになったら、俺はもう飽きが来たんだ。まだ 若いきれいな師匠だよ。何でも、戦争中、軍人と出来ていて、子供は死産だったし、軍人は戦死 するし、その後は男道楽がやまないのだ。小金をもってる女で、生花は道楽に教えているらしい。
何だったら、今夜、君がどこかへ連れて行ってもいいよ。どこへでも彼女は行くだろう」
(『金閣寺』第 6 章,p.156)
Maria Lucia Siberis, 57 anos, não tem curso superior, mas é pós-graduada em assalto. Sua lanchonete, dentro da Escola de Comunicações e Arte, na USP, já foi assaltada 20 vezes – sete delas só em 1998.
(ISTOÉ On Line, Nº 1553 – 7 de julho de 1999)
①については「 E < R 」というふうに表すことができる。上の例の場合はさらにテ ンスが過去であるから,「 E < R < S 」という具合に発話時の追加が可能である。 E は それぞれ「[俺が彼女に]飽きが来る」と「[ela] ser assaltada 20 vezes」という出来事 だが,時間副詞の「もう」と「já」が E の実現以降に参照点 R をとることを表して いる。
②については,「(出来事が起こる以前は)飽きが来ていなかった」と「( Até então )
Não tinha/havia sido assaltada 」 という含意を持ちえる,ということである。しかしなが ら,これらの含意は文脈独立的推論(山梨 1992: 14~19 ,山梨 1995: 276~277 )による と考えられるため,読み取る必要がなければ容易に却下することができる。
45)③については,「飽きが来た」状態や「 ser assaltada 20 vezes 」である(結果)状態 がすでに生じたことであり,これらの状態は発話時 S を含めて持続していると言え る。
最後の④については,すでに述べたように,日本語のシタとポルトガル語の完全 過去形の多義性ゆえ,もし時間副詞が共起していない場合,先行性アスペクト性を 保証する手段は文脈によるということになる。しかしながら,上の例から「もう」
と「 já 」を取り去ると,筆者の語感ではどうもテンス・アスペクトの意味が落ち着か なくなるように思える。先行性アスペクトの意味を十全に表すには,やはり,これ らの時間副詞の助けが必要であろう。
46)5.2.「まだ」/「ainda」
時間副詞としての〈中心的〉意味
①最も基本的な意味は,どちらも「参照時点が述語動詞の事象変化移行前にある,
つまり動詞の出来事が未実現事態である」のを表すことである。
②上の「事象変化」は,変化の臨界点を境にして,それ以後の状態との対比を含意 として持ち合わせることができる。
③事象変化以前の事象状態に〈一貫性〉や〈恒常性〉や〈反復性〉が見られる。
④日本語もポルトガル語も,先行性アスペクトを表す否定文におけるこの時間副詞 の存在が,先行性アスペクト性を補強する働きをする。
⑤ポルトガル語の ainda は時間副詞の用法として,日本語の 「まだ」 には見られない,
未来の「いつの日にか」という用法を持つ。例えば次のような例である。
Ainda hei de ser rico.(いつの日にか私は金持ちになるぞ)
(池上
他1996: 48)Ainda lhe direi as razões da minha queixa, mas, por enquanto, prefiro calar.
(
Ferreira 1986: 70)前節と同じく,①から④までの共通点の特徴を以下の例を使って確認しよう。
もちろん金閣寺を訪れることは、私の永年の夢であったが、気丈に振舞っていても誰の目にも 重患の病人に見える父と、旅へ出るのは気が進まなかった。まだ見ぬ金閣にいよいよ接する時が 近づくにつれ、私の心には躊躇が生じた。どうあっても金閣は美しくなければならなかった。そ こですべては、金閣そのものの美しさよりも、金閣の美を想像しうる私の心の能力に賭けられ た。
(『金閣寺』第1 章,p.22)
47)「今ならいいと思う。老師がお留守だから、じいさんが怠けて、まだ掃除をすませていないんだ。
掃除がすんだあとで、金閣の戸締りをするんだから」
(『金閣寺』第6章,前掲例)
“Estou sempre com dores. Não aprendi a respirar profundamente ainda, mas já estou começando a soltar a musculatura”, diz satisfeita [Iolanda Dill]
(ISTOÉ On Line, Nº 1558 – 11 de agosto de 1999)
①については,今度は「 E ≧ R 」というふうに表すことができる。上の3つ例の場 合はさらにテンスが,日本語は現在(非過去),ポルトガル語は過去であるから,
それぞれ「 E ≧ R = S 」,「 E ≧ R > S 」という具合に発話時の追加が可能である。 E はそれぞれ「見ぬ(見ない)」,「掃除をすませていない」と「 [Eu] não aprender a respirar
profundamente」という未実現の出来事だが,時間副詞「まだ」はこれら Eが参照時 R
と同時(「見ぬ」)か,それよりも以前にある(「掃除をすませていない」)こと
を表している。
48)一方,ポルトガル語の時間副詞「 ainda 」は,未実現の出来事 E と参
照時 R の関係は日本語の場合と同じだが,隔たりの程度差はいろいろあっても, R が
発話時 S からは切り離されていることを表している。
ここで,日本語とポルトガル語の表示が異なるのは,本稿で述べてきた,両言語 における否定応答文でのテンス・アスペクト表示が整合的になるか,非整合的にな るか,を反映していると見ることができる。
次の②については,「(これから)見る」,「(これから)掃除をすます」と「 Estou aprendendo… 」,「 Vou aprender… 」ないしは「 Aprenderei… 」という含意を持ちえる,
ということである。しかしながら,これらの含意も文脈独立的推論によるものであ るため,そのように読む必要がなければこれもまた容易に却下できる。
③については,未実現の状態が持続しٛ ていることであり,これらの状態は発話 時 S を含めて継続している。ただし,すぐ上の②と関連するが,もしこれらの未実 現出来事が実現するならば,その時点までということになるが。
最後の④についても,すでに述べたように,日本語のシテイナイ(ここではシナ イも含む)はその状態性ゆえ,参照時 R が発話時 S ,すなわち現在(非過去)テン スと結びつく。一方,ポルトガル語の完全過去形の非定形は〈肯定的想定〉から,
参照時 R が発話時 S よりも前の過去テンスとして捉えられている。それゆえ,先行 性アスペクトを十全に表すには,5.1.の場合以上に,時間副詞との共起が必要 であると考えられる。
6.結 論
本稿での議論を通じて明らかにされた事柄は次の3点である。
1)日本語のシタとポルトガル語の完全過去は,ともに過去事象を表現するだけで なく,先行性アスペクトを表すことができる。ただし,両言語における先行 性アスペクトとしての意味・機能は,前者が周辺的・派生的用法と考えられ るのに対して,後者ではすでに中心的意味の一部となっている。
2)先行性アスペクト表現の否定応答の仕方は,肯定の場合とは異なる形式を用い
る「非整合的応答形式」と,同じ形式を用いる「整合的応答形式」がある。「非
整合的応答形式」型の言語では,〈否定〉による状態性の影響と先行する疑問
文が談話場に持ち出す各種の情報によって否定応答文のテンス・アスペクト 形式が疑問文のとは異なるのに対して,「整合的応答形式」型の言語では,そ れらの影響や談話情報の活用が抑止されて,〈肯定的想定〉により疑問文と同 じテンス・アスペクト形式が用いられる。日本語は前者タイプの言語であり,
ポルトガル語は後者タイプの言語である。
3)日本語のシタとポルトガル語の完全過去の肯定は,過去の事象を表現するのを 中心的意味として持つわけだが,先行性アスペクトを表すことを表明するた めには,しばしば時間副詞として,日本語では「もう」,ポルトガル語では「 já 」 がその意味補強のために併用される。一方,否定の応答形式における先行性 アスペクトの意味補強には,日本語では「まだ」,ポルトガル語では「 ainda 」 が併用される。特にポルトガル語では,完全過去形の持つテンス・アスペク ト的多義性ゆえ,「 já」や「ainda」の併用が半ば義務的になり,「 já / ainda+完 全過去」のようにセットになって先行性アスペクトが表される。
7.結 語− この問題について,日本語教育への提言
最後に日ごろ筆者が携わる日本語教育の立場から,この問題について一つの提言 を行って本稿を締めくくりたい。
本稿冒頭で,日本語文⑴の誤用が起こる過程にポルトガル語文⑵の発想が関与し ているのではないか,と述べたが,確かに日本語とポルトガル語の場合,体系の部 分的な対応(肯定疑問文における単純形式による先行性アスペクト表明)によって,
母語側の体系がそのまま目標言語側にまで持ち込まれる可能性があり,それはすで に体系そのものの中に潜んでいることをことを本稿では確認した。しかしながら,
誤用が起こる過程がそれほど単純ではないことは, Corder ( 1981 )や Selinker ( 1992 ) や上田(1994)からも,また迫田(1998)の緻密な研究からも分かる。特に迫田氏 は同書の中で,日本語教育における指示語の指導が現場指示用法に限られていて,
非現場指示用法がほとんど扱われていないこと,その上,中級段階で非現場指示用
法を指導する場合と指導しない場合とで,前者に肯定的な結果が現れることを明ら
かにした。
そこで,本稿で問題にしてきた先行性アスペクトと過去をめぐるシタの教育が日 本語教科書の中でどのように扱われているか,筆者の手元にある日本語教科書の中 から,ブラジル人向けにポルトガル語で書かれたもの,及び市販されている代表的 な初級教科書の一部
49)を調べてみたところ,過去のシタはどの教科書でも取り上げ ているが,先行性アスペクトを指導項
...
目として
....
挙げている教科書は一冊も確認でき なかったのである。
迫田氏の研究が示すように,少なくとも日本語教育の中で指導項目として取り上 げていかないかぎり,ポルトガル語を母語とする日本語学習者に,自らの力で日本 語のシタとポルトガル語の完全過去の用法の差に気づきなさい,というのは酷な話 であろう。少なくとも
.....
,指導項目に取り入れることで,シタの先行性アスペクト用
............
法に気づく機会を提供する
............
ことが必要ではないだろうか。
ちょうど逆の立場のことを考えてみていただきたい。我々日本人がポルトガル語 を学習する際に最も問題となるものの一つに,完全過去と不完全過去の用法の違い があるが,この情報について,ポルトガル語の教科書や授業の中でまったく知らさ れなかったとしたらどうなるだろうか。( van de Wiel 1995 )
このような提言を行って本稿を結びたいと思う。
*本稿は,
1999年
8月
26日,国立国語研究所で行われた「ブラジル人と日本人との接触場面」研究会に おける予稿集草稿に全面的な加筆・修正を加えたものである。本稿をなすに当たっては,同僚でもあ る畏友ルチラ・パリハワダナ氏を始め,大阪外国語大学の河野彰氏,京都外国語大学のエレン・ナカ ミズ氏,国立国語研究所の藤井聖子氏,東京学芸大学の日向茂男氏,東京外国語大学・上智大学・慶 應義塾大学の日向ノエミア氏に口頭によるコメントをいただいた。また,東京大学の上田博人氏には,
予稿集草稿の全文を読んでいただき貴重なコメントを頂戴した。この場を借りて各氏にお礼を申し上 げたい。しかしながら,本稿に由来する不備や誤りはすべて筆者の責によるものである。
[注]
1)
後述する先行性アスペクトの,さらに過去テンス文としてならば誤用ではなくなる。
「お島はけさから,まだ一度もこの主人のかおをみなかった。」
(高橋
1994: 195の引用例より)
2)
迫田( 1998 )は「指示詞コ・ソ・ア」の習得過程から中間言語について論じており,その点 で本研究とは対象が異なるが,中間言語という観点からは共通する点も多いと考えられ る。
3)
用語は研究者ごとに異なる,と言っても過言ではない。本研究では, Palihawadana ( 1997 ) の 用語によった。なお本研究で問題にするのは主に現在(非過去)テンスの場合なので,こ れ以降,特に必要があるとき以外は「現在」という言葉は付していない。もちろん先行性 アスペクトは過去テンスや未来テンスの場合もあるわけで,そのときはそれぞれ「過去」・
「未来」とテンスを明示して用いることにする。
4)
⑵で用いた動詞 almoçar をそのままの法・時制で用いると,完全過去形( pretérito perfeito simples )は almocei ,現在完了形( pretérito perfeito composto )は tenho almoçado である。なお,
ポルトガル語動詞の活用体系については伝統的な分類に対する異説があることは承知して いるが(例えば,彌永( 1991 )の「三段構え」説),本稿では池上 他 ( 1996 )の分類訳語 にそのまま従った。
5)
「状況レベル」と「認知レベル」は山梨( 1995 )定義からの借用術語である。
6)
ここで言う「動作動詞」とは,工藤( 1995 )分類の,「外的運動動詞」内の「主体動作動詞」
であり,かつ「非内的限界( atelic )」動詞に対応する。この問題については,さらに高橋
( 1994 )及び Palihawadana ( 1997 ) も参照。
7)
もちろんポルトガル語の場合も語彙的アスペクトは重要であるが(例えば,移動動詞の意味 素性分類を試みた Arrais ( 1994 ) 等参照),日本語の場合,様々な文法現象に関与するとい う意味で「欠かせない」という表現を用いた。例えば,「 atelic / telic 」性質が日本語の連 結数量詞の事象計算機能に関わるという指摘(三原 1999 )や, Vendler ( 1967 ) の言う「活 動( activity )動詞」,「達成( accomplishment )動詞」,「到達( achievement )動詞」の 違いがテイル受動文の結果相解釈に関与するという指摘(高垣 1999 )がある。
8)
注4で述べたこととも関連するが,完全過去形のような動詞語幹+活用語尾の1語にまと まった形式を単純形式( formas simples )と呼び,すぐ下で用いる現在完了形のように,助 動詞+別の要素(今回は過去分詞)の2語(以上に)わたる形式を複合形式( formas
compostas )と呼ぶ。なお,ポルトガル語で書かれた文法書には,完了の複合形式の助動
詞には(どの時制でも) haver が用いられることもあるという説明がなされる場合が多い
が,筆者は現在完了で haver が用いられた実例をいまだ見た(聞いた)ことがない。この 点に関しては,彌永( 1991 )も現在完了の助動詞だけ haver を省いているほか,大阪外国 語大学の河野彰氏も同様の見解を述べている。
9)
大過去はフォーマルな場面や書き言葉に多く用いられ,話し言葉には主に複合形式の過去 完了が用いられる。( Ryan 1994 )
10)
ポルトガル語の複合形式形成に関する通時的考察については Ribeiro ( 1993 ) を参照。
11)
Comrie ( 1976 ) は完了のタイプを「結果」「経験」「継続」「直前過去」の4つに分けている
( pp.56~61 )。同書に挙げられた例文を見ると,「反復」用法は「経験」と「継続」に跨
がったような形になっているが,ここでは Cunha & Cintra ( 1985 ) や Teyssier ( 1984 ) 等のポル トガル語文法の用語に従った。また,ポルトガル語の現在完了形の機能がロマンス諸語 の中にあって特異な位置にあり,かつその意味の成立も未だ謎に包まれている,という 考察については彌永( 1986 )を参照。
12)
フランス語と英語の用語はそれぞれの文法用語の慣例に従った。
13)
よく知られているように,フランス語の単純過去は主に書き言葉に使われ,それ以外のほ とんどの場合は複合過去が一般的な過去形式として用いられる。
14)
ここに挙げた例文は「経験」用法と考えられるが,ネイティブチェックによると,副詞句
esta semana と共起するこの文を,完全過去から現在完了に替えることはできないとい
う。
15)
その意味ではポルトガル語の場合も同様のことが言える。詳しくは Cunha & Cintra ( 1985 ) の 第2章や Vázquez & Mendes da Luz ( 1987 ) の第1分冊, Teyssier ( 1984 ) を参照。特に Teyssier ( 1984 ) はその表題が示す通り,ポルトガルとブラジルのポルトガル語の対比を念頭にお いて書かれたものである。
16)
Gutiérrez Araus ( 1995, 1998) の分類方法では,① pasado continuativo-resultativo (過去に起こっ た事象の継続− 結果),② antepresente (現在直前〈直前過去〉),③ pasado enfatizador
(単純過去での語りの文章の中で話者が最も強調したい出来事に用いられる) ,の3つで あるが,③を除いては,寺崎( 1998 )の分類との対応関係が確認できるので,本稿では寺 崎( 1998 )の分類に従った。
17)
ロマンス諸語の複合形式も日本語の補助動詞イルも,共に状態性との親和性があることも 見逃せない。この点が,後で見るように,日本語における否定応答形式の非整合性へと 繋がっていくのである。
18)
中には「完了の「た」は,その否定形の(中略)「ている」形の代用である」(荒籾 1999:
111 )という考え方をする研究者もいるようだが,もちろん本研究ではこのような代用説 は採らない。
19)
本稿で言う「先行性アスペクト」のこと。
20)
「パーフェクト性を,肯定否定にかかわらず統一的に担うのは,シテイル(シテイナイ)形 式の方である。」(工藤 1996: 90 )
21)
ただし,引用3例目の「ピエロの歌」では,「作った」を「作っている」に替えることに は抵抗があろう。シテイルの中心的意味である〈継続相非過去〉の用法という解釈が前面 に出てきてしまうからである。本稿筆者なら,この例文の置き換えには補助動詞アルを 使って「作ってある」にするだろう。
22)
文法範疇を含めた意味の拡張や分化については山梨( 1995 )を参照。
23)
この術語は太田亨( 1992 )において,スペイン語の人称代名詞使用を可能にする場として導 入されたものだが,ここではこの用語を拡大解釈して,会話情報を蓄積していく場とし て再定義し直して使用している。
24)
Palihawadana ( 1997: 108 )の定義によれば,「内在的時間指示」とは「述語動詞の語彙的な
意味範疇との関わりにおいて,動詞がある形態をとって表現する時間的な意味」 であり,
「外在的時間指示」とは「時間の副詞的表現や特殊なコンテクストなどによって与えられ る時間指示であり,基本的な内在的時間指示を補助し,明示するため,そして変更する ために用いられる」。
25)
換言すれば,テンス的に有標の形式ではなく,無標の形式のみが可能,ということであ る。
26)
シタに対してシナイで答える問題は,高橋( 1994:198 )でも,「 3.1-1 問題にする運動がな いこと」という節タイトルで論じられている。
27)
4.2.3のスペイン語の場合を見ていただきたい。〈否定〉が生み出す状態性は言語を 超えた現象であることが分かる。
28)
候補に挙がる可能性としては現在完了形と現在形が考えられるが,前者は前述の通り先行
性アスペクトを全く表し得ないし,現在形は次の5つの用法を持っており,状態性との
親和性はまだあるものの,肝腎の先行性アスペクト性が欠けていることが分かる。①
presente momentâneo ,② presente durativo ,③ presente habitual ou freqüentativo ,④ presente
histórico ou narrativo ,⑤ presente para marcar um fato futuro ( Cunha & Cintra 1985: 436~439 ) 。
またポルトガル語のこれらの現在形の用法は,日本語の完成相非過去形スルと共通する
点が見られることも指摘しておきたい。
29)
この点についてはルチラ・パリハワダナ氏より口頭での指摘を受けたほか,日常言語によ る伝達と外部世界に関わる無限の情報との関係を語る,山梨( 1995: 29~30 )とも相通じる ものがあると思われる。
「われわれの伝達は,文脈その他の背景的知識に支えられており,この種の情報を柔軟に利用す ることができる。したがって,伝達したいことの内容の一部がその背景から予測できるかぎり,
焦点化された重要な部分を表現するだけで十分に伝達の機能を果たすことができる。」
30)
ポルトガル語の Sim/Não
ٛ応答形式は, Sim/Não を言わず,質問された動詞の定形で答える スタイルを基本とする。つまり,この例文を肯定的に答える場合は次のようになる。肯 定: (Já) almocei. なお,このことに関しては,池上( 1987: 138~140 )と Teyssier ( 1984:
262~264 ) に記述があり,このような応答タイプの言語を echo language と呼ぶという。
31)
ここでは否定の答えの場合だけを挙げた。もちろん,肯定の答えの場合でも動詞を使わ
ないことは考えられるのだが,ポルトガル語の場合は「 Já. 」のみの答えが言える(池上
1987, Teyssier 1984 )のに,日本語では「
?/* もうです。」と言えない(少なくとも,言えそ
うもない)のはどうしてだろうか。
32)
ポルトガル語の応答文③は,副詞 ainda の位置を文末まで後置させる場合もあるが,③の ように前置させる方が一般的であるという。( Bomfim 1991: 155 )
33)
アメリカ・スペイン語の単純過去と現在完了についてのさらに詳しい考察は Kany ( 1970:
199~202 ) と Terasaki ( 1987 ) を参照。また,両形式の競合についての詳細な通時的考察
が鈴木( 1999 )で,メキシコ・スペイン語の考察が Moreno de Alba ( 1985: 56ff. ) でそれ ぞれ行われている。
34)
さらに付け加えるならば,先行性アスペクトとその応答形式に対する,我々人間の認識の 仕方には,言語の違いを超えた共通点がどこかにあるのかも知れない,ということであ る。
35)
全 10 章を通じてたった1例しかきちんとした対応例が見つからず,しかも,典型的な動作 動詞の例ではなかった。
36)
スペイン語版はスペインのものを使用し,ポルトガル語版は,引用作品欄に記したように,
所蔵のポルトガルのものを使用した。ポルトガルとブラジルでは正書法等が異なる点が
あるが( Teyssier 1984 の第2章「正書法」参照),本稿で扱っているテンス・アスペクト
体系を見るのに支障はない。
37)
英語の already と yet の場合もこのような含意があるという。太田朗( 1980: 289 )は,この含
意を「予想」と呼んでいる。
38)
例えば林( 1999: 240 )は,「 * 子どもはもう目が覚めていない。」は「目覚めていない状態 の継続を表現する述語と,状態に変化があったことを示唆する「もう」とが矛盾するため,
意図した解釈ができない」と述べている。
39)
日本語は「もう一足」(森田 1989 の分類の③),「まだまし」(同じく森田分類の④)
など「事柄が基準点に達したか,それとも超えているか」を表す用法,またポルトガル語 は「 Mais de 50% das adolescentes brasileiras sem escolarização, entre 15 e 19 anos, já têm pelo menos um filho. Essa estatística, embora impressionante, oculta uma faceta ainda mais perversa de problema: as desigualdades regionais do País. 」(さらに,もっと)の用法( Net Estado, 8 de
agosto de 1999 )と,「 ainda assim 」(それにもかかわらず,それでもなお)の用法(池上
他
1996 より),が派生的用法に当たると考えられる。
40)
この定義は Bomfim ( 1991 )と池田( 1999 )を基に,この問題に関する参考文献で行われて いる定義の共通部分を抽出する形で,本稿筆者がまとめたものである。なお,次節の定 義も同様である。
41)
山梨( 1992: 14~19 )及び山梨( 1995: 276~277 )は推論のプロセスとして,「意味的推論」,
「文脈独立的推論」,「語用論的推論」の3つを挙げている。ここで言う含意は,すぐ後 で述べるように,読み取る必要がなければキャンセルできるのであるから,このうちの
「文脈独立的推論」に相当すると言える。
42)
石神( 1978: 36~37 )は,このような性質ゆえ,「もう」や「まだ」を〈副成分〉としての
〈程度副詞〉と位置づけている。
43)
吉田( 1999: 66 )によれば,中国語を母語とする日本語学習者が発する「先生,私はもう大
学院に合格しました。」が奇異に感じられるのは,「ある学生がある試験に合格すること は教師にとって日常的な周期性を持つ事件ではないからである」という。この「周期性」
というのは,本稿のこの③の性質と相通じるものがあるだろう。しかし同氏によれば,
中国語の「已経」(「もう」に相当)では,この文に相当する文が問題なく言えるのだそ うであり,氏は日本語の「もう」に情意副詞としての性質があるのではないか,と結論づ けている。ちなみに,ポルトガル語は中国語タイプである。
44)
本稿のこの説明を視覚的に図式化する試みが石神( 1978: 35 )で行われている。
45)