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『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について

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『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について

  『後撰和歌集』巻第五秋上部の二二六番歌~二四七番歌は「七夕歌群」と理解されよう。この歌群の前後を確認すると、

          女のもとより、ふん月ばかりにいひおこせて侍りける        よみ人しらず     二二三   秋はぎを色どる風の吹きぬればひとの心もうたがはれけり           返し        在原業平朝臣     二二四   あき萩を色どる風は吹きぬとも心はかれじ草ばならねば           源昇朝臣時時まかりかよひける時に、ふん月の四五日ばかり、なぬ           かの日のれうにさうぞくてうじてといひつかはして侍りければ    閑院     二二五   あふことはたなばたつめにひとしくてたちぬふわざはあへずぞありける           題しらず        よみびとも     二二六   天河渡らむそらもおもほえずたえぬ別と思ふものから           ふん月の七日に、ゆふがたまでこむといひて侍りけるに、あめふり           侍りければまでこで         源中正

『 後 撰 和 歌 集 』 秋 上 部 「 七 夕 歌 群 」 と 二 二 六 番 歌 ・ 二 四 六 番 歌 の 解 釈 に つ い て   

山   崎   正   伸

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『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について二

    二二七   雨ふりて水まさりけり天河こよひはよそにこひむとやみし           返し        よみ人しらず     二二八   水まさり浅きせしらずなりぬともあまのと渡る舟もなしやは

と七夕以前の暦日を追った歌が並び、その前に位置する秋上部巻頭は、

          これさだのみこの家の歌合に         よみ人しらず     二一七   にはかにも風のすずしくなりぬるか秋立つ日とはむべもいひけり           題しらず             二一八   打ちつけに物ぞ悲しきこのはちる秋の始をけふぞとおもへば           物思ひ侍りけるころ、秋立つ日人につかはしける              二一九   たのめこし君はつれなし秋風はけふよりふきぬわが身かなしも

          おもふこと侍りけるころ          二二〇   いとどしく物思ふやどの荻の葉に秋とつげつる風のわびしさ           題しらず             二二一   秋風のうちふきそむるゆふぐれはそらに心ぞわびしかりける

        大江千里

    二二二   露わけしたもとほすまもなきものをなど秋風のまだきふくらん と あ っ て、 冒 頭 は 立 秋 詠 三 首( 二 一 七・ 八・ 九 ) で、 二 一 九 番 歌 は、 立 秋 の 風、 秋 風 を 詠 む。 秋 風 詠 は、 二 二 二 番 歌 ま で 秋 風 を 歌 材 に し て 詠 む 歌 が 続 く。 二 二 三・ 四 番 歌 も、 「 秋 萩 を 色 ど る 風 」 す な わ ち 秋 風 歌 群 と し て 一 括 り に で き よ う。 秋 萩 は、 歌 群 と し て は 秋 中 部 に、 開 花 か ら 下 葉 の 移 ろ い ま で あ っ て、 こ こ は「 秋 は ぎ を 色 ど る 風 」 秋 風 が 吹 く と、 色 移 り で は な い が

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『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について三

心 変 わ り が 疑 わ れ る と い う の で あ っ て、 秋 萩 の 黄 葉 が 主 題 で は な い。 立 秋 か ら 秋 風 へ と 展 開 し た 配 列 が、 七 月 四・ 五 日、 そ して七月七日七夕と暦日展開する。これはもう妄想に違いないかもしれないが、 二二三・四・五番歌の三首の配列には、 『大 和物語』の歌語りが関連しているように思われる。それは、一五九段と一六〇段が、

  染 殿 の 内 侍 と い ふ、 い ま す か り け り。 そ れ を 能 有 の 大 臣 と 申 け る な む、 と き ど き す み た ま ひ け る。 も の を よ く し た ま ひ け れ ば、 御 衣 ど も を な む あ づ け さ せ た ま ひ け る に、 綾 ど も を お ほ く つ か は し た り け れ ば、 「 雲 鳥 の 紋 の 綾 を や 染 む べ き 」 と 聞 え た り し を、 と も か く も の た ま は せ ね ば、 「 え な む 仕 う ま つ ら ぬ。 さ だ め う け た ま は ら む 」 と 申 た て ま つ り け れば、大臣の御返しに、

      雲鳥のあやの色をもおもほえず   人をあひ見で年の経ぬれば    となむのたまへりける。

    おなじ内侍に、在中将すみける時、中将のもとによみてやりける。

      秋萩を色どる風の吹きぬれば人のこころもうたがはれけり    とありければ、

      秋の野を色どる風は吹きぬともこころはかれじ草葉ならねば と な む い へ り け る。 か く て す ま ず な り て の ち、 中 将 の も と よ り 衣 を な む、 し に を こ せ た り け る。 そ れ に「 あ ら は ひ な ど

す る 人 な く て、 い と わ び し く な む あ る。 な を か な ら ず し て た ま ヘ 」 と な む あ り け れ ば、 内 侍、 「 御 心 も て あ る こ と に こ そはあなれ。

      大幣になりぬる人の悲しきはよるせともなくしかぞなくなる」

   となむいひやりける。中将、

      ながるともなにとか見えむ手にとりてひきけむ人ぞ幣と知るらむ

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『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について四

   となむいひける

。 と あ っ て、 関 係 が 希 薄 に な っ た も の の、 何 事 に も 器 用 で 上 手 な 染 殿 内 侍 に、 仕 立 物 を 頼 む 能 有 に 続 け て、 同 じ 染 殿 内 侍 と 在 原 業 平 の 遣 り 取 り で あ る。 こ こ で は、 「 お な じ 内 侍 に、 在 中 将 す み け る 時 」 と あ っ て、 七 月 と は 明 言 さ れ な い。 そ れ が『 後 撰 集 』 で は、 「 ふ ん 月 ば か り に い ひ お こ せ て 侍 り け る 」 と、 七 月 の こ と と 指 定 し て、 こ こ に 位 置 づ け る。 そ し て、 「 あ ふ こ と は た な ば た つ め に ひ と し 」 い 状 態 の 閑 院 に 七 日 の 乞 巧 奠 の 衣 装 を 依 頼 す る 源 昇 で あ る。 『 大 和 物 語 』 で は「 す ま ず な り て の ち 」 の 業 平 が 染 殿 内 侍 に「 あ ら は ひ 」 を 依 頼 す る。 撰 者 達 は、 そ ん な 歌 語 り の 展 開 を 楽 し ん だ の で は な い か と い う よ な 幻 想 を 抱 い て し ま う よ う な 配 列 と な っ て い る。 脇 道 に 逸 れ た が、 こ の よ う な 不 確 定 な こ と で は な く、 秋 上 部 巻 頭 の 天 の 紀 の

立 秋 か ら、 秋 風 を 経 由 し て、 七 月 四 五 日 ば か り と 明 示 す る 暦 日、 人 の 紀 で 七 日、 八 日 と い う 展 開 と 理 解 で き よ う。 し か し、 二 二 六 番 歌「 天 河 渡 ら む そ ら も お も ほ え ず た え ぬ 別 と 思 ふ も の か ら 」 の 解 釈 に つ い て は、 問 題 が 残 る。 北 村 季 吟 の『 八 代 集 抄』は、

   七夕別の心也。今別ても、又来年は逢へば、絶ぬ別ながら、先只今の名残に天河をわたらん心ちもせずと也

。 と、牽牛の後朝詠とする。中山美石の『後撰集新抄』は、

   七夕の後朝の意と聞ゆ今かく別ても。なほ年々逢ふべき。絶ぬ契にて。いつもの別ぞとは思へども。さしあたりて。

   天 川 を 渡 て 帰 ら ん 方 を。 そ こ と し も 覚 え ず 悲 し と な る べ し。 渡 ら ん そ ら は。 渡 る べ き 方 を 其 処 と し も 覚 え ぬ 意 と 聞 ゆ

。 とやはり後朝詠とする。現代の注釈でも、木船重昭氏は、

   帰って行く天の川の渡る空も、どのあたりやら、悲しさのあまり、うわの空で分からない。来年はまた逢う、仲の絶    えない別れ、と思うものの。天空の意に、漠然とした空間の意を重ねる。さらに、 〈空も思ほえず〉は、うわの空で    分からない意を表わす。

   【補説】七月七日の夜逢って、翌暁方、別れて天の川を渡って帰って行く牽牛の後朝の嘆きを詠んだ歌。あるいは、

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『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について五

   作者が自分を牽牛に仮託して、後朝の嘆きを詠んだ歌であろう

。 と「後朝の嘆きを詠んだ歌」とされる。片桐洋一氏は、    帰りに天の河を渡る場所もまるでわからない。来年もあるのでこれでそのまま絶え絶えになることもない一時の別れ    だと思いはするものの。○「題しらず」だが、八日の朝に帰って行く牽牛の立場で詠んだ歌である

。 と、 「八日の朝に帰って行く牽牛の立場で詠んだ歌」と後朝詠とされる。工藤重矩氏も、

   ▽天の河は渡ろうという心もおこらず、渡る場所も分からない。永遠に絶えることのない二人の仲の、来年までのし    ばらくの別れと思うものの。※七夕の後朝の別れ。 「絶えぬ別」という矛盾した表現が興趣

。 と後朝詠とされ、井川健司氏は、 [ 訳 ] 別 れ に 臨 む と、 天 の 河 を 渡 っ て 帰 る べ き 道 が 分 か ら な く な る ほ ど に、 心 が 乱 れ て し ま う。 も う こ れ き り と 思 う 別 れではないのに。 [ 評 ] ○ 七 夕 の 後 朝 の 心 を 詠 ん だ も の で、 年 に 一 度 の 逢 瀬 を 約 束 し な が ら も、 別 れ に 臨 む と そ の 悲 し み で、 帰 路 を も 見 失ってしまうほど動搖してしまうという心理的な状況を詠っている

。 と 、 明 確 に 帰 路 を 詠 む と し 、 後 朝 詠 と 認 定 さ れ る 。 こ の 解 釈 が 正 し い と す る な ら ば 、 七 月 四 ・ 五 日 か ら 八 日 ま で 七 夕 を 中 心

に 暦 日 に よ る 構 成 で は な く な る 、 二 二 五 「 あ ふ こ と は 」、 二 二 六 「 天 河 」、 二 二 七 「 雨 ふ り て 」 の 並 び に つ い て は 、 岸 上 慎 二 氏・ 杉 谷 寿 郎 氏 の「 諸 本 歌 序 対 照 表 」 に よ る と、 汎 清 輔 系 統 本 も、 古 本 系 統 本 も、 承 保 三 年 本 も、 定 家 本 系 統 本 も、 そ の 歌 序 に 異 同 は な い

。 ま た、 杉 谷 寿 郎 氏 は、 秋 上 の 七 夕 歌 群 を、 「 歌 数

25

天 福 本 歌 番 号(

225

249

)」 と 歌 題 を 包 括 的 に 捉 え ら れ

(1

、 その詳細については、 歌 題 内 の 展 開 の 例 を「 七 夕 」 に よ っ て み る と、 「 七 夕 」 歌 群 は、 ま ず

方 」

225

「 七 月 の 四 五 日 許 」 に 始 ま り、 七 夕 当 日 の「 夕

227

「 よ そ に 」、

228

「 渡 る 舟 も な し 」・

229

「 わ た る せ も な し 」 か ら、 次 の「 あ ふ よ 」 と い う 不 審 の 一 首

231

を お い て、

23(

(6)

『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について六

「ゆふぐれ」 ・

233

「はやく見む」 ・

235

「あへるこよひ」の明けない願い、 七夕に似た逢い難き嘆き

236

239

から、

心、 さらに進んで

241

「まつ」

24(

「たゞわたりなん」 、

243

「たゞわたりきぬ」 、 諸本の位置不安定な

244

の「こふる日のおほき」 、

ぬ る 」 の 逢 瀬、 逢 う を 七 日 ば か り と 定 め ず に 逢 う 日 の

245

「渡

246

「 み だ れ な ん 」 心 か ら、 逢 う て の 後 の

へ、 さ ら に

247

「 別 を ― 思 ふ 」 の 嘆 き

248

「 七 月 八 日 」 の「 帰 朝 」、

今 集 』 の「 七 夕 」 が、 「 待 つ 七 夕 」「 会 う 七 夕 」「 別 れ る 七 夕 」 の「 時 間 的 経 過 を 軸 と し、 初・ 中・ 後 の 三 段 階 に 組 織 」 の 別 へ と 展 開 し て い て、 中 に は 不 審 な 箇 所 も ま ま あ る が、 ほ ぼ 時 間 の 経 過、 段 階 を 生 っ て 排 列 さ れ て あ る。 こ れ は『 古 き 夕 暮、 「 は や く 」 と 望 む 宵、 逢 う 直 前 の 待 つ 心 か ら 逢 瀬 へ、 逢 え ば 七 夕 の は か な い 定 め を 除 こ う と 努 め る、 八 日 後 朝

249

「 あ か ぬ 別 」 へ と 展 開 し て い る。 以 上 の よ う に、 七 夕 を 待 つ 心 か ら、 渡 り 難

〈 注・ 松 田 武 夫 氏『 古 今 集 の 構 造 に 関 す る 研 究 』〉 さ れ て い る の と 同 様 の 組 織 で も っ て 構 成 さ れ て お り、 意 図 さ れ た も の ということができる

((

。 と、 「 中 に は 不 審 な 箇 所 も ま ま あ る が、 ほ ぼ 時 間 の 経 過、 段 階 を 追 っ て 排 列 さ れ て あ る 」 と さ れ、 一 括 し て 七 夕 歌 群 と さ れ ている。佐藤高明氏は、 こ の 三 首〈 注・ 一 三・ 一 四・ 一 五 番 歌 〉 は、 も と も と 何 の 関 係 も な い、 作 者 も 異 な る 歌 で あ る が、 詞 書 を 中 心 に、 主 人 公 を 同 一 人( 男、 女 ) に 統 一 し て 文 意 を 辿 る と、 一 応、 筋 の 通 っ た 短 い 物 語 と な る よ う な 配 列 法 が と ら れ て い る。 ( 中

略 ) 以 上 は、 春 歌 で あ る が、 夏 歌 に も、 ま た 秋 歌 に も、 こ の よ う な 構 成 を も っ て 撰 集 さ れ て い る 部 分 が あ る。 い ま、 秋 歌 に つ い て 述 べ る と、 二 二 七 か ら 二 三 一 の 五 首 一 歌 群 が そ れ で あ る。 「 七 月 七 日 に、 夕 方 ま で こ む と い ひ て 侍 け る に あ め ふ り 侍 け れ ば ま で こ で 」「 雨 ふ り て ……」 ( 二 二 七 ) の 歌 を 詠 む と、 女 の 方 か ら は「 水 ま さ り 浅 き 瀬 し ら ず な り ぬ と も 天 の と わ た る 舟 も な し や は 」( 二 二 八 ) と い う 男 へ の 恨 み の「 返 し 」 が 届 く。 そ こ で 男 は、 「 七 日、 女 の も と に つ か は し け る 」( 二 二 九 ) と い う の で あ る が、 や は り 女 の 怒 り が 気 に な り、 「 七 日 の 夜、 ま で き た れ ば、 女 の よ み て 侍 け る 」 (二三〇)という風に、一応、筋の通った物語となっている

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『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について七

と、 物 語 と な る よ う な 配 列 と さ れ る が、 問 題 の 二 二 六 番 歌 に は 触 れ ら れ て い な い。 こ の こ と に つ い て、 具 体 的 に 触 れ ら れ た の は、 今 野 厚 子 氏 で あ る。 今 野 氏 は、 佐 藤 氏 の 前 掲 論 文 と、 木 船 重 昭 氏 が、 補 説 で 多 く 指 摘 さ れ て い る が、 一 連 の 恋 の 歌 物 語として享受できる

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とされる延長上に、 七 夕 の 後 朝 の 歌 と す る の が 通 説 で あ る。 長 濱 民 子 氏 は 後 撰 集 が「 個 々 の 主 題 を 殆 ど 重 要 視 せ ず、 何 よ り も 時 節 の 推 移 を 重 ん じ 」 た と 述 べ ら れ、 ま た 寺 内 由 起 子 氏 は「 『 よ ま れ た 時 節 』 に 注 意 し て 実 際 の 自 然 の 推 移 順 に 歌 を 排 列 し よ う と し た 」 と さ れ、 杉 谷 寿 郎 氏 も「 『 後 撰 集 』 は 現 実 の 時 間 と 行 事 と に 従 っ て お り、 実 生 活 そ の も の を 排 列 構 成 の 基 盤 に お い て い る も の と み ら れ る 」 と の 卓 見 を 述 べ ら れ て い る。 ( 今 野 氏 注

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) で は、 こ の よ う に 時 の 推 移 に 最 大 の 関 心 を 払 う 後 撰 集 で あ れ ば、 日 時 に 逆 行 す る こ の 現 象 は 一 体 何 を 意 味 す る の で あ ろ う か。 単 な る 錯 誤、 杜 撰 さ の 結 果 と の 見 方 も 不 可 能ではないが、 寧ろこの矛盾の中にこそ、 撰者の編纂意識を探る上で極めて重要な手がかりが潜んでいると考える。 (中 略 ) 二 二 六 で「 天 の 河 を 渡 る こ と が で き な い 」 と 提 示 し、 続 く 二 二 七 で「 そ れ は 雨 が 降 り 水 嵩 が 増 し て し ま っ た 」 か ら だ と 原 因 を 述 べ、 二 二 八 で は「 た と え 徒 歩 で は 渡 れ な く て も 舟 で は 渡 れ る で し ょ う 」 と 応 酬 す る。 二 二 六 を 七 夕 の 当 夜 の 状 況 と 見 倣 す こ と で、 題 不 知 歌 の 歌 意 を 巧 み に 利 用 し つ つ、 恰 も 一 連 の 贈 答 歌 の 如 き 展 開 を 志 向 す る か の よ う な 痕 跡 が 認 め ら れ る の で あ る。 詠 歌 日 時 の 矛 盾 を お か し て ま で こ の 箇 所 に 挿 入 し た の は、 後 続 の 贈 答 歌 を 意 識 し た 上 で の こ と であり、連環的配列を意図する撰者の創意工夫の結果と考えるのが妥当ではないかと考える

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。 と、 配 列 の た め に 二 六 二 番 歌 を、 「 二 二 六 を 七 夕 の 当 夜 の 状 況 と 見 倣 す 」、 と か「 詠 歌 日 時 の 矛 盾 を お か し て ま で こ の 箇 所 に 挿 入 し た 」 と い う の は、 今 野 氏 も、 二 二 六 番 歌 は 七 夕 後 朝 と 解 釈 し て い る と 理 解 さ れ る。 や は り 問 題 の 二 二 六 番 歌 の 解 釈 に より、暦日構成ということに問題が生じるか、二二六番歌を後朝詠と解釈していることに問題があることになる。

  二二六番歌の別伝資料としては、 『家持集』一九七番歌がある。二二六番歌と並記すると、

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『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について八

   天河渡らむそらもおもほえずたえぬ別と思ふものから(後撰集二二六)

   あまのがはかへらんそらもおもほえずたえぬわかれとおもふものから(家持集一九七) 第 二 句 に 異 同 が あ る。 家 持 歌 で は、 明 ら か に 牽 牛 後 朝 詠 で あ る。 『 家 持 集 』 で は、 一 九 五 番 歌 か ら 二 一 八 番 歌 ま で 七 夕 歌 が 並ぶが、

   一九五   たなばたのふなのりすらしあまのがはきよき月よにくもたちわたる       来る牽牛    一九六   ひこぼしのわかれてのちはあまの河をしむなみだにみづまさるらん       帰る牽牛    一九七   あまのがはかへらんそらもおもほえずたえぬわかれとおもふものから      帰る牽牛    一九八   としかさねわがふねうくるあまのがはかぜはふくともなみたつなゆめ      来る牽牛    一九九   こひわたるとしのわたりをたなばたのかたときもあかずわかれぬるかな     帰る牽牛    二〇〇   きみがくるこよひはまれにあまのがはとし月のみぞわたるべらなる       来る牽牛 とあって、 『後撰集』のような時系列での配列ではない。該歌を後撰集撰者が後朝詠と認識するならば、

         七月八日のあした         兼輔朝臣    二四八   たなばたの帰る朝の天河舟もかよはぬ浪もたたなん          おなじ心を        つらゆき    二四九   あさとあけてながめやすらんたなばたはあかぬ別のそらをこひつつ の 前 後 に 配 置 し た で あ ろ う。 そ れ を 第 二 句「 渡 ら ん そ ら も 」 と あ っ て、 詞 書 に「 ふ ん 月 の 四 五 日 ば か り 」 と あ る 二 二 五 番 歌 と、 「 ふ ん 月 の 七 日 に 」 と あ る 二 二 七 番 歌 の 間 に 位 置 づ け る と い う の は、 五・ 六・ 七 日 の 詠 歌 と し て 配 置 し た と は 考 え ら れ ないだろうか。配列上で該歌を解釈できないだろうか。 「渡らん」というのは、 『古今和歌集』巻第五・秋下の、

          亭子院の御屏風のゑに、河わたらむとする人のもみぢのちる木のも

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『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について九

          とにむまをひかへてたてるをよませたまひければ、つかうまつりけ           る        (みつね)

    三〇五   立ちとまり見てをわたらむもみぢばは雨とふるとも水はまさらじ や、 『古今集』巻第一九・雑体・誹諧歌           七月六日たなばたの心をよみける        藤原かねすけの朝臣   一〇一四   いつしかとまたく心をはぎにあげてあまのかはらをけふやわたらむ 『貫之集』の「七夕」と詞書する

   四四二   夕づくよ久しからぬを天河はやく七夕こぎわたらなん や、 『大和物語』一〇段でも、

    監 の 命 婦、 堤 に あ り け る 家 を 人 に 売 り て の ち、 粟 田 と い ふ 所 に い き け る に、 そ の 家 の 前 を わ た り け れ ば、 よ み た り け る、

       ふるさとをかはと見つつもわたるかな淵瀬ありとはむべもいひけり

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の よ う に、 対 岸 に 渡 る と い う 行 為 で あ っ て も、 そ れ は 往 路 と 理 解 で き る の で は な い だ ろ う か。 牽 牛 の 七 夕 間 近 の 迷 い、 「 天

の 河 は 渡 ろ う 場 所 も 分 か ら な い。 絶 え る こ と の な い 別 れ と 思 う も の の。 」 逢 瀬 の 期 待 と と も に、 永 遠 に 続 く 年 に 一 度 の 逢 瀬、 逢 瀬 後 に は 再 び 一 年 の 隔 絶 が あ る。 年 に 一 度 の 逢 瀬 を 前 に し て 迷 い 思 う 牽 牛 を 詠 ず る も の で あ っ て、 後 朝 の 詠 歌 で は な か ろ う。 立 秋 か ら 秋 風、 秋 風 か ら 七 夕 前、 そ し て 七 夕 へ と い う 配 列 と 理 解 で き る の で は な い だ ろ う か。 そ れ は、 『 古 今 集 』 の 秋 上巻頭が、

   一六九   あききぬとめにはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる

   一七〇   河風のすずしくもあるかうちよする浪とともにや秋は立つらむ

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『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について一〇

   一七一   わがせこが衣のすそを吹返しうらめづらしき秋のはつ風    一七二   きのふこそさなへとりしかいつのまにいなばそよぎて秋風の吹く    一七三   秋風の吹きにし日より久方のあまのかはらにたたぬ日はなし    一七四   久方のあまのかはらのわたしもり君わたりなばかぢかくしてよ 立 秋 二 首、 秋 風 二 首、 そ し て、 七 夕 数 日 前 の 織 女、 そ れ か ら 七 夕 へ 配 列 す る の と 同 じ で あ る。 七 夕 数 日 前 の 織 女 の 期 待 す る 思 い の 詠 歌 で あ る 一 七 三 番 歌 に つ い て、 田 坂 憲 二 氏 が、 「 暦 月 上 の 秋 の 到 来 で あ る、 七 月 一 日 以 来、 と 考 え て 然 る べ き で あ ろ う

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。」 と さ れ る よ う に、 六 月 立 秋 と か、 七 月 七 日 以 後 の 立 秋 と か、 個 々 の 年 の 立 秋 に 関 わ る も の で は な く、 暦 月 上 の 秋 の 到 来、 七 月 の 節 気 立 秋 か ら、 秋 風、 七 夕 と 理 解 し て の 配 列 で あ ろ う。 『 後 撰 集 』 の 場 合 も、 前 掲 の 二 一 七 か ら 二 一 九 は 立 秋 の詠歌であって、 詞書で特定年の立秋ではなく、 「秋立つ日」 (二一七)という日、 「秋の初めの今日」 (二一八) 、 詞書の「秋 立つ日」歌の「秋風は今日より吹」いた日で、七月の節気立秋から、秋風という配列である。

  そ し て、 七 夕 へ の 展 開 で あ る が、 こ れ も、 時 系 列 に 沿 っ て、 七 夕 数 日 前 の 牽 牛 の 迷 い の 詠 歌 と し て、 「 天 河 を こ れ か ら 渡 ろう場所も思われないよ。途絶えない別れとは思うのだけれども。 」と、 ここに配置することで、 一夜の契りでの一年の別れ、 二 三 四 番 歌 の「 玉 鬘 た え ぬ も の か ら あ ら た ま の 年 の 渡 は た だ ひ と よ の み 」 と い う 特 殊 な 逢 瀬 に 対 す る 七 夕 間 近 の 牽 牛 の 思 い の二二六番歌と解釈できるのではあるまいか。

  こ う し て 時 間 配 列 と い う こ と で 理 解 で き る と し た 七 夕 歌 群 の 中 で、 解 釈 に 気 に な る も の が も う 一 首 あ る。 そ れ は 二 四 六 番 歌の

   織女の年とはいはじ天河雲たちわたりいざみだれなん で あ る。 北 村 季 吟 の『 八 代 集 抄 』 で は、 「 七 夕 の 中 を 年 の 渡 り と は い は じ、 七 日 斗 と 定 め ず と も、 乱 て 渡 ら ん と 也。 忍 ひ 兼

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『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について一一

た る 心 な る べ し

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。」 と 年 に 一 度 の 七 夕 だ け と 定 め ず、 乱 れ て 渡 ろ う と 堪 え が た い 気 持 を 詠 む と す る。 よ り 具 体 的 な の が、 木 船 氏 の『 後 撰 和 歌 集 全 釈 』 の 通 釈 で、 「 七 夕 の 年 に い ち ど の 逢 う 瀬、 と は 言 い ま す ま い。 天 の 川 に 雲 が 一 面 に 立 つ の を 幸 い、 これにまぎれて渡って行き、さあ、思うぞんぶん、愛し合いましょう。 」と天空七夕で訳す一方、補説では、 天 の 川 に 雲 が 立 ち 渡 っ た の を 幸 い、 そ れ に ま ぎ れ て、 天 帝 の 目 を か す め て 渡 っ て 行 き …、 そ の よ う に 人 目 の す き を ね ら っ て 会 い に 行 き … と い う 恋 の 歌 か も 知 れ な い。 自 由 奔 放、 大 胆 痛 快。 二 四 二 番、 庭 前 の 白 露 を 見 て 織 女 に 思 い を は せ る 歌 を 序 曲 と し、 二 四 三 番 以 下、 天 界 の 牽 牛 織 女 の 唱 和 の 一 連 と し て も、 享 受 可 能 な 歌 排 列。 二 四 三 番 が 牽 牛 織 女、 二 四 四 番 が 織 女、 二 四 五 番 が 後 朝 の 牽 牛 の 歌。 そ し て、 二 四 六 番 牽 牛 の 歌 を、 終 曲 と す る 構 成。 こ の 一 連 は ま た、

二 四 二 番 が 女 の つ ぶ や き。 そ れ に 触 発 さ れ た 男 の 歌 が 二 四 三 番。 そ れ に 唱 和 す る、 二 四 四 番 女 の 歌。 二 四 五 番 が 後 朝 の 男 の 歌。 重 ね て 二 四 六 番 男 の 歌 を 終 曲 と す る。 牽 牛 織 女 に 仮 託 し た 一 組 の 男 女 の 歌 と し て も ま た、 享 受 で き る。 二 四 二 ~ 二 四 六 番 五 首 の 七 夕 読 人 不 知 歌 は、 個 個 の 七 夕 歌 と し て で は な く、 む し ろ、 か く 構 成 さ れ た 一 連 と 享 受 す べ き で あ ろ う

(8

。 と、 地 上 男 女 の 恋 愛 と 理 解 す べ き と さ れ る。 片 桐 氏『 新 日 本 古 典 大 系 』 は、 「 牽 牛・ 織 女 の よ う に 年 に 一 度 だ け の 逢 瀬 だ な ど と 言 わ な い で お き ま し ょ う。 天 の 河 に 雲 が 乱 れ 広 が っ て き ま し た が、 私 た ち も、 さ あ 乱 れ ま し ょ う よ

(9

。」 と 地 上 男 女 の 恋

愛とされる。工藤氏『和泉古典叢書』も「織女のように一年に一度とは言うまい。あなたの許に行って、 さあ乱れよう

21

。」と、 「 七 夕 に 寄 せ て の 恋 」 と 解 釈 さ れ て い る。 二 四 六 番 歌 は、 岸 上 氏・ 杉 谷 氏 の「 諸 本 歌 序 対 照 表 」 に 拠 る と、 汎 清 輔 本 系 統 の 二 荒 山 本、 片 仮 名 本、 承 安 三 年 本 に は 無 く、 そ の 他 の 諸 本 に は、 こ の 位 置 に 在 る

2(

。 こ の 位 置 で、 改 め て『 後 撰 集 』 の 七 夕 歌 群を提示すると、

    二二五   あふことはたなばたつめにひとしくてたちぬふわざはあへずぞありける  

7/4

 

/5

地・女

    二二六   天河渡らむそらもおもほえずたえぬ別と思ふものから          

7/5

 

/6

天・牽牛

(12)

『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について一二

   二二七   雨ふりて水まさりけり天河こよひはよそにこひむとやみし         

7/7

  地・男・贈歌・予定訪問中止

   二二八   水まさり浅きせしらずなりぬともあまのと渡る舟もなしやは           地・女・答歌・予定中止揶揄

   二二九   織女もあふよありけり天河この渡にはわたるせもなし        地・男・七夕逢瀬希求

   二三〇   ひこぼしのまれにあふよのとこ夏は打ちはらへどもつゆけかりけり        地・女・七夕逢瀬怨嘆

   二三一   こひこひてあはむと思ふゆふぐれはたなばたつめもかくぞあるらし        地・女・贈歌・逢瀬希求

   二三二   たぐひなき物とは我ぞなりぬべきたなばたつめは人めやはもる          地・男・答歌・祕匿逢瀬怨嗟

   二三三   あまの河流れてこひばうくもぞあるあはれと思ふせにはやく見む         地・男   逢瀬希求

   二三四   玉鬘たえぬものからあらたまの年の渡はただひとよのみ         天・牽牛織女・一夜逢瀬

   二三五   秋の夜の心もしるくたなばたのあへるこよひはあけずもあらなん         天・牽牛織女・七夕逢瀬

   二三六   契りけん事のは今は返してむ年のわたりによりぬるものを        地・女   逢瀬未遂・男不来訪

   二三七   逢ふ事の今夜過ぎなば織女におとりやしなんこひはまさりて           地・男   逢瀬未遂・女不受諾

   二三八   織女のあまのとわたるこよひさへをち方人のつれなかるらむ           地・男   逢瀬未遂・女不受諾

   二三九   天河とほき渡はなけれども君がふなでは年にこそまて        天・織女   一年期待

   二四〇   あまの河いはこす浪のたちゐつつ秋のなぬかのけふをしぞまつ          天・織女   今宵期待

   二四一   けふよりはあまの河原はあせななんそこひともなくただわたりなん        天・牽牛   訪問希求

   二四二   天河流れてこふるたなばたの涙なるらし秋のしらつゆ        天・織女   来訪希求

   二四三   あまの河せぜの白浪たかけれどただわたりきぬまつにくるしみ          天・牽牛   来訪

   二四四   秋くれば河霧わたる天河かはかみ見つつこふる日のおほき        天・織女   来訪希求

   二四五   天河こひしきせにぞ渡りぬるたぎつ涙に袖はぬれつつ        天・牽牛   来訪

(13)

『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について一三

   二四六   織女の年とはいはじ天河雲たちわたりいざみだれなん        天・牽牛   逢瀬 (地 ・ 男   逢瀬)

   二四七   秋の夜のあかぬ別をたなばたはたてぬきにこそ思ふべらなれ           天・織女   後朝哀情    二四八   たなばたの帰る朝の天河舟もかよはぬ浪もたたなん        

7/8

    天・織女 後朝哀情    二四九   あさとあけてながめやすらんたなばたはあかぬ別のそらをこひつつ     

た ぎ つ 涙 に 袖 は ぬ れ つ つ 」 と、 夜 を 待 ち き れ な い で 恋 し い 逢 瀬 の た め に 渡 る 牽 牛 は、 先 に 引 い た『 古 今 集 』 一 〇 一 四 番 歌 の 待 つ 両 星 か ら 逢 瀬 ま で を、 繰 り 返 す こ と で 重 層 化 を 図 り、 七 夕 後 朝 で 終 了 す る。 二 四 五 番 歌「 天 河 こ ひ し き せ に ぞ 渡 り ぬ る と、 七 月 四 日 か ら 七 月 八 日 ま で の 暦 日 の 枠 内 で、 七 夕 に 擬 え て の 地 上 の 男 女 の 恋 愛 と、 牽 牛 織 女 の 逢 瀬 を 配 置 す る。 七 夕 を

7/8

    天・織女 後朝哀情

体 で あ る。 そ し て、 二 四 七 番 歌 は、 逢 瀬 の 後 の 織 女 の 心 情 を 推 量 す る。 二 四 五 番 歌 の 急 い て 渡 る 牽 牛 と、 二 四 七 番 歌 の 飽 か ぬ別れを惜しむ織女の間に配置された二四六番歌は、 牽牛の来訪と逢瀬という位置付けではあるまいか。 「天河雲たちわた」 るというのは、 『万葉集』の、

          柿本朝臣人麿死時妻依羅娘子作歌二首             二二五   直

タダ

ニア

ハバ

  相

アヒ

モカ

ネテム

   石

川尓   雲

立渡礼   見

乍将偲     二二五   ただにあはば   あひかつましじ   いしかはに   くもたちわたれ   みつつしのはむ    二二二八   此

夜等者   沙

夜深去良之   鴈

鳴乃   所

聞空従   月

ツキタチワタル

立度      二二二四   このよらは   さよふけぬらし   かりがねの   きこゆるそらゆ   つきたちわたる が、雲や月の移動を「立ち渡る」と表現する。牽牛の出立は、 『万葉集』巻第八に、

   一五三一   牽

牛之   迎

ツマムカヘブネ

嬬船    己

芸出良之   天

漢原尓   霧

之立波

   一五二七   ひこほしの   つまむかへぶね   こぎづらし   あまのかはらに   きりのたてるは 霧が立つのを、牽牛の船出の推量根拠とする。また、 「立ち渡る」も、

(14)

『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について一四

   一七六九   天

アマノ

ガハ

   霧

キリ

タチ

ワタリ

   且

今日且今日   吾

待君之   船

出為等霜    一七六五   あまのがは   きりたちわたる   けふけふと   わがまつきみし   ふなですらしも           右件歌或云、中衛大将藤原北卿宅作也            二〇七二   天

アマ

ノハラ

   振

放見者   天

アマノ

ガハ

   霧

キリ

タチ

ワタル

   公

者来良志    二〇六八   あまのはら   ふりさけみれば   あまのがは   きりたちわたる   きみはきぬらし と、同様に牽牛の船出の推量根拠となっている。また、 『万葉集』巻第一七に、

         十年七月七日之夜独仰

天漢

聊述

懐一首           三九二二   多

  船

乗須良之   麻

蘇鏡   吉

欲伎月夜尓   雲

起和多流    三九〇〇   たなばたし   ふなのりすらし   まそかがみ   きよきつくよに   くもたちわたる           右一首大伴宿祢家持作 と あ り、 天 平 十 年( 七 三 八 ) の 月 の 運 行 は   分 か ら な い が、 平 成 二 六 年( 二 〇 一 四 ) の 八 月 二 日、 旧 暦 七 月 七 日 の 奈 良 で の 月 の 出 は、 一 〇 時 三 七 分、 南 中 は 一 六 時 二 七 分、 月 の 入 り は、 二 二 時 一 一 分 で、 京 都 で の 月 の 出 は、 一 〇 時 三 八 分、 南 中 は 一 六 時 二 七 分 で、 月 の 入 り は、 二 二 時 一 一 分 と な る。 も と よ り 地 平 線 で の 計 算 で あ る か ら、 西 の 山 に 隠 れ る の は、 そ れ よ り も 早 い 時 間 と な ろ う。 清 き 月 夜 に 雲 の 行 く の を、 織 女 に 向 か う 牽 牛 の 出 航 と 解 釈 す る こ と が 可 能 で あ る。 そ し て、 『 拾 遺 和

歌集』巻第一六・雑春に、

         題しらず        つらゆき

  一〇四二   をち方の花も見るべく白浪のともにや我もたちわたらまし と、 白 浪 が「 一 面 に 立 つ 」 の と、 我 も「 川 を 渡 る 」 と い う 移 動 を 表 現 す る。 該 歌 の「 天 河 雲 た ち わ た り い ざ み だ れ な ん 」 と は、 牽 牛 が 天 の 河 を 渡 り、 逢 瀬 を 希 求 す る と い う の で は な い だ ろ う か。 で は、 初 二 句「 織 女 の 年 と は い は じ 」 は、 ど う い う

(15)

『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について一五

こ と で あ ろ う か。 諸 注 は、 北 村 季 吟 の「 七 日 斗 と 定 め ず と も、 乱 て 渡 ら ん と 也 」 を 受 け て、 年 に 一 度 と は 言 わ な い で、 さ あ 乱れようと、地上の恋愛歌とする。 「年」を「疾し」との解釈はできないだろうか、 『古今和歌集』巻第一七・雑上の、

        (題しらず)        (よみ人しらず)

    八九八   とどめあへずむべもとしとはいはれけりしかもつれなくすぐるよはひか や、 『拾遺和歌集』巻第一八・雑賀の、

        春日使にまかりて、かへりてすなはち女のもとにつかはしける          一条摂政    一一九七   くればとく行きてかたらむあふ事のとをちのさとのすみうかりしも の よ う に、 「 疾 し 」 と 解 釈 で き れ ば、 「 織 女 の 疾 し と は い は じ 」、 「 織 女 が 夜 の 逢 瀬 に 早 過 ぎ る と は 言 う ま い 」 と、 前 歌 の「 天 河 こ ひ し き せ に ぞ 渡 り ぬ る 」 牽 牛 の は や る 心 に 対 応 し て の 織 女 と は 解 せ な い だ ろ う か。 牽 牛 織 女 の 逢 瀬 を 詠 む 歌 は 少 な い が、 『栄花物語』巻第三十二「歌合」の倫子の七十の賀の屏風歌に、赤染衛門が、

   天の河はやく渡りね彦星の夜さへふけなば寝るほどもあらじ

22

や、 『和泉式部集』の「秋」と詞書する

   三二二   七夕の今夜あふせはあまのがはわたりてぬる(濡る・寝る)とおもふなりけり のように、天の河を渡って寝ると牽牛の逢瀬を詠み、 『後拾遺和歌集』巻第四・秋上に、

          七月七日よめる        小左近

   二四〇   たなばたはあさひくいとのみだれつつとくとやけふのくれをまつらん と、 織 女 は、 は や く と 今 日 の 日 暮 れ を 待 っ て い る こ と だ ろ う か と、 一 年 に 一 度 の 逢 瀬 だ か ら こ そ、 そ の 刹 那 を 強 く 希 求 す る

(16)

『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について一六

織 女 を 詠 む。 「 織 女 は 疾 し と は い は じ 」「 ( 牽 牛 ) 天 河 雲 た ち わ た り、 い ざ み だ れ な ん 」 と 牽 牛 の 逢 瀬 希 求 と し て 理 解 し た 歌 と解すべきではないだろうか。

  な お、 杉 谷 氏 が、 不 審 の 一 首 と さ れ る 二 三 〇 番 歌 と、 諸 本 の 位 置 不 安 定 と さ れ る 二 四 四 番 歌 に つ い て も、 少 し 触 れ て お こ う。 二 二 九・ 二 三 〇 番 歌 の 前 後 は 贈 答 歌 と な っ て い る。 両 歌 は、 地 上 の 恋 愛 を 詠 む。 二 二 九 番 歌 は 藤 原 兼 三 の 女 に 対 し て の 織 女 だ っ て 年 に 一 度 は 逢 う の だ か ら と、 七 夕 逢 瀬 を 希 求 す る 歌 で あ り、 二 三 〇 番 歌 は、 夜 離 れ し た 男 が、 七 夕 に 来 訪 し た こ と で、 共 寝 の 床 の 塵 を 払 っ て も、 涙 で 湿 っ ぽ か っ た と、 年 に 一 度 の 逢 瀬 の 七 夕 逢 瀬 を 怨 み 嘆 く も の で、 対 と し て 詠 む こ と が 可 能 で は な い だ ろ う か。 七 月 七 日 と い う 特 別 な 日 の 男 女 の 語 ら い に 関 わ る や り と り の 歌 を 並 べ た も の で、 不 審 と す る に は 当

た ら な い で あ ろ う。 二 四 四 番 歌 は、 二 荒 山 本 と 片 仮 名 本 が、 巻 五 秋 上 の 巻 末 に 据 え る。 秋 の 情 景 の 連 続 す る 歌 の 排 列 に は そ ぐ わ な い も の で、 巻 末 に 付 加 さ れ た も の で、 定 家 本 系 統 の 本 文 で 理 解 し て 良 い も の で あ ろ う。 二 四 四 番 歌 は、 「 秋 く れ ば 河 霧 わ た る 天 河 」 秋 に な る と 川 霧 が 立 ち 渡 る。 霧 が 立 つ 現 象 は、 前 に 引 用 し た『 万 葉 集 』 一 五 三 一・ 一 七 六 九 番 歌 が 霧 が 立 つ の を 牽 牛 の 船 出 に、 二 〇 七 二 番 歌 の 霧 が 立 ち 渡 る 現 象 を 牽 牛 の 到 着 と 推 量 す る こ と か ら も、 「 か は か み 見 つ つ こ ふ る 日 の お ほ き 」 が、 織 女 の 牽 牛 来 訪 を 希 求 す る 歌 で、 二 四 五 の「 天 河 こ ひ し き せ に ぞ 渡 り ぬ る 」 と、 牽 牛 の 来 訪 と に 対 応 す る。 来 訪 を 希 求 す る 織 女 と 来 訪 す る 牽 牛 が 繰 り 返 さ れ て、 二 四 六 の 共 寝 に と 展 開 す る。 蛇 足 な が ら、 こ の よ う 展 開 上 で の 後 撰 集 撰 者 の 工 夫 と し て、 前 述 し た 二 二 六 番 歌 が 帰 路 表 現 の「 か へ ら ん そ ら 」( 家 持 集 一 九 七 ) で は な く、 往 路 表 現 の「 渡 ら む そ ら 」

で あ る よ う に、 二 三 四 番 歌 の「 玉 鬘 た え ぬ も の か ら あ ら た ま の 年 の 渡 は た だ ひ と よ の み 」 と、 七 夕 の 逢 瀬 を 象 徴 す る よ う な 歌 と な っ て い る。 第 三 句 の「 あ ら た ま の 」 と、 「 年 の 渡 」 を 導 く 枕 詞 と な っ て い る が、 該 歌 は『 万 葉 集 』 巻 第 十 秋 雜 歌 七 夕 の 二 〇 八 二 番 歌「 玉

タマ

カヅラ

   不

絶 物 可 良   佐

宿 者   年

之 度 尓   直

一 夜 耳 」 の 異 伝 歌 で、 第 三 句 は、 「 さ 寝 ら く は 」 で あ り、 『 古 今 六 帖 』「 七 日 の 夜 」 の 一 三 八 番 歌 で も「 さ 寝 る 夜 は 」 で、 直 接 的 に 共 寝 を 表 現 す る。 『 後 撰 集 』 で は、 逢 瀬 を 表 現 す る の み で、共寝を表現するのは、 「いざみだれなん」と詠む二四六番歌である。そして後朝の歌で七夕歌群は終るのである。

(17)

『後撰和歌集』秋上部「七夕歌群」と二二六番歌・二四六番歌の解釈について一七 (注)(

1)和歌本文は、特に注記したもの以外は、すべて『新編国歌大観』に拠った。

·2)高橋正治校注訳『新編日本古典文学全集』

12、小学館、一九九四・一二。

3)山岸徳平編八代集全註『八代集抄』有精堂、昭和四五年二月二〇日、二三一頁。

4)中川恭次郎編『後撰集新抄』歌書刊行会、大正元年一一月一四日、二〇五頁。

5)木船重昭著『後撰和歌集全釈』笠間注釈叢刊

13、笠間書院、昭和六三・一一、一五八頁。

6)片桐洋一校注『後撰和歌集』新日本古典文学大系

6、岩波書店、一九九〇・四・二〇、七一頁。

7)工藤重矩校注『後撰和歌集』和泉古典叢書

3、和泉書院、一九九二・九・三〇、五〇頁。

8)『後撰和歌集』注釈―巻五秋上(

1)―明星大学研究紀要七号一九九九・三・二五、二三頁。

9)『後撰和歌集』笠間叢書

12笠間書院、昭和六三年五月、三七五頁。

10)『後撰和歌集研究』笠間叢書

239笠間書院、平成三年三月、二九五頁。

11)『後撰和歌集研究』笠間叢書

239笠間書院、平成三年三月、三〇六頁(「後撰集秋部の排列」『学叢』

9号、昭和

41

12)。

12)『後撰和歌集の研究』日本学術振興会、昭和四五年二月、六〇九頁・六一〇頁。

13)(

5)に同じ。二〇頁・五五頁・九五頁・一二〇頁・一三七頁・一六六頁・一六八頁など多く指摘される。

14)『佐賀大国文』

23号「後撰集秋上の配列と特質―暦月意識と題不知歌をめぐって―」平成七年二月、一三二頁・一三三頁。今野論文注

13  長濱民子氏注

( 昭和四三年一月)。杉谷寿郎氏『後撰和歌集研究』(笠間書院、平成三年三月)。 掲論文(「後撰集についての一考察」『国文』第四号、昭和三〇年七月) 寺内由起子氏「後撰集の日常歌的性格―分類排列意識の特色―(『国文』第二八号、 215)高橋正治校注・訳『新編日本古典文学全集』

12、小学館、一九九四・一二、二六一頁。

16)田坂憲二氏「織女は立秋から牽牛を待つのか―『古今和歌集』七夕歌暼見」『香椎潟』四六平成十二年一二月、二二頁。

17)山岸徳平編八代集全註『八代集抄』有精堂、昭和四五年二月二〇日、二三三頁。

18)木船重昭著『後撰和歌集全釈』笠間注釈叢刊

13、笠間書院、昭和六三・一一、一六五・一六六頁。

19)片桐洋一校注『後撰和歌集』新日本古典文学大系

6、岩波書店、一九九〇・四・二〇、七六頁。

20)工藤重矩校注『後撰和歌集』和泉古典叢書

3、和泉書院、一九九二・九・三〇、五三頁。

21)岸上慎二氏・杉谷寿郎校注『後撰和歌集』笠間叢書

12、笠間書院、昭和六三・五、三七五頁。

22)山中裕氏他校注・訳『新編日本古典文学全集』

33、小学館、一九九八・三、二三一頁。

(18)

参照

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