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﹃源氏物語﹄と﹁からころも﹂

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(1)

跡見 学園 女子大学文 学 部紀要 第四 十八 号 (二〇 一 三年三 月 十五 日 )

﹃源氏物語﹄と﹁からころも﹂

― ― 歌語史

か らみる末 摘花詠 歌

― ―

Genji Monogatari and “karakor omo ” (po etic wo rd c om pos ed by Suetsum uhana)

Fro m th e view p oint o f the histo ry of waka(31-syllable Japanese po em)

植田 恭代

U E T A Y a s u y o

要 旨

『源 氏物 語 』 で 末 摘 花 の和 歌 に 詠 み 込 ま れ る 「か らころ も 」 は 、 そ の滑 稽な 造型 を描 くキー ワ ー ド で あ るこ

とが 、繰 り返し 指 摘され 、 歌語 とし て は 『源氏物語』 以前 の印 象の強い 語で あ る ことが 明 らか にされ て きた 。

本稿 で は 、 こ れ ま で あ ま り 言及され て こ なかっ た 詠者の観 点か ら、 いま一 度 歌語 「からこ ろも」 を 検討し、 勅

和 歌 集 の み な ら ず 、 私 家 集 、 特 に 『 貫 之 集 』、 『 元 良 親 王 集 』 に 着 目 し て 和 歌 史 の な か で 生 成 さ れ る 「 か ら こ

ろも 」の イ メ ー ジ を明 らかにし、 『 源氏 物語』にこの 語 が とり こ まれる 意 味に つ い て 考 え る 。

(2)

はじ め に

﹃源 氏 物語 ﹄の 作中 詠歌 は 詠 み手 その 人 を表し ︑ 詠 み込 まれ る 歌 語 も

その 一端 を担 う︒ 物語に 零 落し た故 常 陸 宮の姫 宮 とし て描 かれ る末 摘花

の場合︑光源 氏と の 贈 答 に 詠まれる ﹁か らころも﹂は ︑ その滑稽 さを 印

象づ け る キ ー ワ ー ド とし て ある︒

歌 語 ﹁ からころも﹂ につ いては︑ ﹃万葉 集 ﹄ の 時 代 か ら 詠まれ︑ 平 安 時

代 に 入 り 定 着 し ︑﹃ 後 集 ﹄ を ひ と つ の 盛 り に ︑ 勅 和 歌 集 や 私 家 集 に 広

く詠 ま れ て い ること が 確認 さ れ ている

1

︒先 覚の指 摘 に 導 び か れつつ ︑ あ

らためて和 歌 の 詠 み手 とい う観点か らながめてみると ︑必 ずし も十 分な

言及はされて おらず︑ 検討の余地が ある ︒ 歌 語の イメ ージは︑ 一首の内

容と とも に︑そ の 作者 と も 密 接 に 関 わ っ て 生 成さ れてい く はず である︒

本 稿は︑ 和 歌 史 に お け る ﹁から こ ろも﹂詠歌 の 作者 に 着 目 し な が ら ︑

い ま 一 度 ︑末 摘花 の 詠 歌の ﹁ か らこ ろ も ﹂に つ い て考 察を試 み る も の で

ある︒

一、末摘花の和歌と「からころも」

ま ず︑ ﹃源氏物 語﹄ に お ける ﹁から こ ろも ﹂ の 用例を確認することから

始めた い ︒﹃源 氏 物語﹄ 中 ﹁か らころ も﹂ は 全 七例 あり︑ そ れ ら はすべ て

末摘花の和歌と そ れ に 応じる 光 源 氏 の和 歌 に 詠み 込まれて いる ︒ 陸 奥 国紙の厚肥 え た る に ︑ 匂ひばかりは深う染め た ま へり︒いと よ

う書き お ほ せ たり︒ 歌も︑

からころも 君が心のつ ら ければ たもと はかく ぞそ ぼ ちつつ の み

心得ずうちかたぶきた まへるに ︑つ つ み に 衣 箱の重 り か に 古 代 なる︑

う ち

置 き

て お

し 出

で た

り ︒

摘 花

九 八

〜 二

九 九

頁 御

に は

︑ い

と か

う ば

し き

陸 奥

国 紙

の す

し 年

経 ︑

厚 き

が 黄

ば み

るに ︑﹁ い で や ︑ 賜 へ る は ︑ な か な かに こ そ ︒

きて み れば うらみ ら れけり唐衣 か へ し や りてん 袖 をぬら し て﹂

玉 鬘 一

三 七

頁 御 小

袿 の

袂 に

︑ 例

の 同

じ 筋

の 歌

あ り

け り

わが身こ そ うら みら れけれ唐 衣 君がたもと に な れ ず と 思へば

行 幸

三 一

五 頁

﹁あ やし う︒人の 思ひよるまじ き御 心 ばへこそ︑ あら でもあり ぬべ

けれ﹂ と ︑憎 さ に 書 き たま う て︑

唐衣 ま た から ころも か らこ ろも かへす が へすもからころも なる

行幸 三一 五頁

全七 例の内 訳 は︑末 摘 花 巻 と︑光 源 氏の衣配りへの 返 歌が描 か れ る 玉

鬘巻 に 各 一例 ずつ︑行 幸巻 で珍妙 な 衣 裳 を贈る末 摘花 詠歌の一 例︑それ

に応じる光源 氏が﹁か らころも﹂で仕立 てた一首 に 詠 み 込 まれ る四例︒

(3)

この 語 は ︑末 摘花 巻 の 後 日 譚 的 な 蓬 生 巻に は み られ な い ︒

末 摘花 は故 常 陸宮 を 父 と する が 現 在 は 困 窮 し ︑ 趣味 は古 め か し く ︑背

が高く痩 せて鼻は普賢 菩薩の 乗 り物 すなわち象の ようだ と 描かれる ︒光

源氏 の庇 護 の もと二条東院に 迎 えられても︑その 造型 は一貫し ︑そのキ

ー ワ ード のよう に ﹁から こ ろも ﹂が繰 り返さ れる ︒

末 摘 花 の 好 む 歌 語 ﹁ か ら こ ろ も ﹂ に つ い て は ︑﹃ 後 集 ﹄ 時 代 の 歌 語 で

ある こと がは やく指摘 され

2

︑電 子 デ ータに よ る検索可 能 な時 代を迎 え ︑

歌語史 の 側からその詳細 な 使われ 方 が明らか に さ れ て い る

3

︒ ﹁

か ら

こ ろ

も﹂は装 束の 実態とい う観 点からも 着目 され てき た語 で︑高麗 系の 装束

という 指 摘が ある

4

︒ ま た ︑ ﹃ 貫 之 集 ﹄ 所 収 歌 の ﹁ か ら こ ろ も ﹂ が 美 し い 女

性を 表し 得る語であるとも言われる

5

一 方︑ ﹁からこ ろも ﹂ を 詠 み 込む 和 歌 の詠者 に ついて は ︑ よ み 人しらず

歌が多い こと ︑貫之 に 散見 すること などに 言 及 さ れてきたが

6

︑宮 廷 社 会

にお け る 和歌 の浸 透 を 考 え る 際 に︑詠 者 は さ ら に 重 要 な 観 点 に な り 得 よ

う︒和 歌 が受 けとめられる時 ︑ 作者 や周辺事情と 密接に 絡 み合 って人口

に 膾 炙 す る︒ こ こ で は ︑ 和 歌の 歴 史の な かで おの ず と 生 成 され て い く ﹁ か

らころ も﹂の イ メージ を︑広く作 者 に も 目 を向 けて検 討 し て いく︒

二、歌語「からころも」

和 歌 史 に お ける 歌 語 ﹁か ら こ ろ も ﹂ の 用 例 は︑ ﹃万 葉 集 ﹄ か らあ り︑ ﹁或

本曰 ﹂ と ある 異伝 歌一 例 も 含め て︑ 雑 歌 ︑ 寄物陳 思 ︑ 相 聞に 全 六 例 が 確 認で きる

7

︒いずれ も作者は 未詳 ︑表記は ﹁韓 衣﹂ ﹁辛 衣﹂ ﹁ 可 良許呂 毛 ﹂ ︵﹁可良己呂毛﹂ ︶と一様では ない︒これらの﹁からころ も﹂は実 態と し

て の 衣服に も と づ く語 であり︑そこから﹁着 る﹂の 音 に通じる ﹁き﹂や

﹁裁つ﹂に通 じる﹁たつ﹂ ︑ さら に は ﹁裾﹂が 呼び起こ さ れ る︒ ﹁から こ

ろも ﹂ は ︑ の ちの﹁ か ら ぎ ぬ﹂ ︵唐衣︶ とは 別の 装束で あ る︒

﹁ か ら こ ろ も ﹂ は ︑﹃ 和 漢 朗 詠 集 ﹄﹃ 新 万 葉 集 ﹄ な ど の 私 集 ︑ 私 家

集 の ﹃ 人 丸集 ﹄﹃ 家 持 集 ﹄﹃ 蝉 丸集 ﹄など に も あ り ︑ 平安 時代 に編ま れ た

勅 和 歌 集 に 入 集 し ︑ 定 着 の 様 相 を み せ る ︒ こ こ で ︑ あ ら た め て 八 代 集

の ﹁ か らころ も﹂の 用 例数 を確認 し てお く︒

古今集 十 首

後 集 二 十 一 首

拾 遺 集 十 首

拾 遺

五 首

後拾 遺 集 七 首

金葉集四 首 ︵ 二度本︑三 奏 本は三首 ︶

千載 集六 首

新古 今 集 七 首

三 代 集 で は ﹃ 古 今 集 ﹄ 十 首 ︑﹃ 後 集 ﹄ 二 十 一 首 ︑﹃ 拾 遺 集 ﹄ 十 首 と 続

き ︑﹃ 後 集 ﹄ に 集 中 し た 後 ︑ 減 少 す る ︒﹃ 源 氏 物 語 ﹄ を 考 え る う え で 関

連の強い 三代 集 の ﹁か らこ ろも﹂詠 歌を ︑今度は 作者に 注 目し ︑部 立 て

と歌 番号を 記して みると 次 のと おり である ︒

(4)

三代 集 に み る ﹁か ら こ ろ も ﹂詠 歌 の 作 者

﹃古 今 集 ﹄

よ み

し ら

四 首

離 別

歌 ・

三七五 ︑恋 歌 一 ・ 五一 五 ︑雑

歌上・ 八六五 ︑雑歌 下 ・ 九九五

つ ら ゆき 二首 恋歌 二 ・ 五七二 ︑恋歌 四 ・ 六九七

在原 業 平 朝臣 一首 羈 旅 歌 ・ 四一○

原 た

だ ふ

一 首

恋 歌

二 ・

五七六

か げのりのお ほ きみ 一 首 恋歌五・ 七八六

い な ば

一 首

歌 五

八○八

﹃ 後 集 ﹄

よ み 人

し ら

十 二

秋 中

・ 三一 三

︑ 秋

下 ・

三五 九 ・ 三八三 ︑

恋一 ・ 五一九 ・ 五三 九

︑ 恋

二 ・

六二二 ︑

恋三 ・ 七一 三

︑ 恋

四 ・

八四 八 ・ 八四 九 ︑

恋五 ・ 九四八

︑ 離

別 羈

旅 ・

一三 二 八 ・

一三二 九

つ ら ゆき 二首 秋下 ・ 三八六 ︑恋 二 ・ 六六○

桂 の みこ 一首 恋一 ・ 五二 九

閑院左大 臣 一首 恋三 ・ 七二 九

右近 一首 恋三 ・ 七四 六 源 巨 城 一首 恋四 ・ 八○ 四

雅 正 一首 雑一 ・ 一一一四

公 忠朝臣 一首 離別 羈 旅 ・ 一三 一六

女 一首 離別 羈 旅 ・ 一三 一七

﹃拾 遺 集 ﹄

よみ人し ら ず 五首 別・ 三二 一 ︑恋二・ 七○ 三 ・ 七○ 四 ︑

雑賀・ 一一八九 ︑雑 恋 ・ 一二二五

つ ら ゆき 三 首 秋 ・ 一四九 ・ 一八七 ︑別・ 三二七

三 条

皇 太

后 宮

一 首 別

三二 六

﹃ 古今 集 ﹄ では︑よ み人しらず歌がもっとも多く四 首︑固有名詞が明

記される 六首は︑つ ら ゆき ︵ 貫 之︶ 二首︑他は一 首ずつである︒ま た︑

十 首 中 六 首 が 恋 の 部 立 て の な か に 収 め ら れ る ︒﹃ 後 集 ﹄ で は ︑﹁ か ら こ

ろも﹂を 詠む全二十一 首 中 よみ人し らず 歌 十二首︑固有 名 詞が 明記 さ れ

る 歌 で は つ ら ゆき二 首 ︑ その 他 は一 首ずつ である︒ ﹃ 拾 遺 集 ﹄ は 全 十 首中

五 首 がよ み人 し ら ず歌 ︑固 有名 詞が 明記 される四 首の うち三 首 がつ らゆ

きであ る ︒

三 代 集 で は ︑ い ず れ も よ み 人 知 ら ず 歌 が も っ と も 多 く ︑﹃ 後 集 ﹄ で は

半数をこえる︒も ちろ ん︑よみ人し ら ず 歌が本来の作者不明歌であると

は 限 ら ず ︑ 勅 集 に 入 集 す る に あ た り ︑ な ん ら か の 都 合 上 あ え て 作 者 名

を伏せる 場合 もあるの は周知の とお りだが

8

︑一方で伝 承 性 の 強い歌 が 多

(5)

いこともまた否めない︒

いま︑ ﹃古 今 集 ﹄の よみ人 し ら ず 歌をあげてみる︒

し ら

唐衣 たつ 日はき か じあ さ つ ゆのおき てしゆ け ばけ ぬべき も の を

﹃古今 集 ﹄離別三 七 五

唐衣 ひもゆふぐれ に な る 時 は返す 返 す ぞ 人はこひしき

古 今

﹄ 恋 歌

一 五

一 五

うれしき をな に に つつ まむ唐衣 たも とゆた か に た てとい は まし を

﹃古今 集 ﹄雑 歌上八 六 五

たがみ そ ぎゆ ふつけ 鳥か唐 衣 た つ たの山 に をりはへてなく

﹃古今集 ﹄ 雑歌 下 九九五

本来は舶来 の衣装を表す﹁からころも﹂が衣の 美称 となり︑衣の 連想

から ﹁たつ︵裁つ︶ ﹂﹁ ひも ︵ 紐 ︶﹂ ﹁ た もと﹂などの語 が 導かれる︒ こ れ

らの 歌を みる かぎり︑ 誰 か の名 を伏 せた 事情 は読 み取 れ な い︒ 伝 承 性の

強い和 歌 の な か に ﹁ か らこ ろも﹂ が 詠ま れてい る ︒ 二、貫之と「からころも」

一方 ︑ 特定の人物 と 結びつき の 強 い﹁ からころも﹂ もある︒ ﹃ 古 今 集 ﹄

に入集す る業平の 和 歌 は︑ ﹃伊勢物語 ﹄ 東下り章段 の ﹁か き つ ばた﹂ の 折

句でも 有 名 な 一首で あ る︒

原 業

朝 臣

唐衣 きつつなれ に しつま し あ れ ば は るばるきぬるた び を し ぞ思ふ

﹃古今 集 ﹄ 羈 旅 歌 四 一 ○

この歌 は︑ 業 平 ならび に ﹃伊勢物語﹄ の知名 度 とと も に ︑広 く人 口 に

膾炙 し︑後 世 の琳派 に よる絵画 の題材ともな っていく︒こ の業平詠歌 の

ほ か

︑ ﹁ か

ら こ

ろ も

﹂ を

む 三

集 の

作 者

記 名

歌 で

は ︑ ﹁

つ ら

ゆ き

﹂ が

﹃ 古

今 集 ﹄ 二 首 ︑﹃ 後 集 ﹄ 二 首 ︑﹃ 拾 遺 集 ﹄ 三 首 で も っ と も 多 い ︒

紀つらゆき

君こ ふる涙 し な く は 唐 衣 むねのあた り は 色 も え なま し

﹃古今 集 ﹄恋歌 二 五 七 二

つら ゆき

し き しま ややま と に は あ らぬ 唐衣 ころも へ ず してあ ふ よ しも が な

﹃ 古

今 集

﹄ 恋

歌 四

六 九

(6)

︵つ ら ゆ き︶

から 衣

つ た

の 山

の も

み ぢ

ば は

は た

物 も

き 錦

な り

け り

﹃ 後

﹄ 秋

三 八

女の もと に ま かりたりける を︑た だ に て 返し侍りけれ ばいひい

れ侍り け る

つら ゆき

怨 み ても身こそ つ らけれ唐衣 きてい た づ ら に か へ す とお も へば

﹃ 後

集 ﹄ 恋

六 六

延喜御時月次 御屛風に つ ら ゆ き

た な ばたに ぬ ぎ て かし つる唐衣 いとど涙 に 袖 やぬるら ん

﹃拾 遺 集 ﹄ 秋一 四 九

延 喜

御 時

の 御

屛 風

ら ゆ

風 さ むみ わがか ら 衣 うつ 時ぞ 萩 の し た ばもいろま さ りける

﹃拾 遺 集 ﹄ 秋一 八 七

橘公 頼帥 に な りてまかりくだり ける時 ︑ とし さ だ が継 母 内 侍の

す け の︑むまのはな む けし侍りけ る に ︑ さ う ぞく に そ へて つか

はしける つ ら ゆき あま たに は ぬ ひ か さ ね ね ど 唐衣 思ふ心 は ち へ に ぞ あ り け る

﹃ 拾 遺 集 ﹄ 別 三二 七

﹃ 古今 集 ﹄ 五七二 番 歌は赤い色 を 表すた め の﹁からこ ろも ﹂ が渡来の

紅色 であ る ﹁ 韓 紅

からくれなゐ

﹂ を 思わ せ︑ 六 九 七番歌は ﹁やま と ﹂ と の対 比 で ﹁唐

衣﹂ が導かれる︒ その他 は ︑﹁ 衣 ﹂ の縁語 で ﹁きる﹂ ﹁たつ﹂ ﹁ うつ﹂ ﹁袖﹂

﹁ぬふ ﹂ など が 詠ま れ てい る︒ ﹃拾 遺 集 ﹄ の 二 首 は︑詞 書 に ﹁ 延喜御 時 ﹂

の﹁月 次御屛 風﹂ ﹁御 屛風﹂ と あり ︑延喜時 代 の 屛風歌である︒

一方︑ 複数の 私家 集 に も広 く﹁か らころ も﹂が 詠まれ ており ︑ 歌語 と

して の 定 着 が うか がえる︒ 三 代 集 周 辺 の私家集 に 目 を 向 け ると ︑﹃ 業 平 集 ﹄

一 首

︑ ﹃ 躬

恒 集

﹄ 二

首 ︑ ﹃

則 集

﹄ 二

首 ︑ ﹃

岑 集

﹄ 一

首 ︑ ﹃

喜 御

集 ﹄

首︑ ﹃兼 輔 集 ﹄ 一 首︑ ﹃ 伊 勢 集 ﹄ 四 首︑ ﹃宗于 集 ﹄ 二 首 ︑﹃敦 忠 集 ﹄ 二 首 ︑

﹃元 良親王集 ﹄ 十 一首 ︑﹃ 貫 之 集 ﹄ 十六首 ︑﹃ 公 忠集 ﹄ 三 首 ︑﹃ 清 正 集 ﹄ 二

首︑ ﹃朝 忠 集 ﹄ 一 首︑ ﹃ 元 真集﹄ 八 首︑ ﹃村 上 天 皇御 集﹄ 三 首 ︑﹃ 清 慎 集﹄

六 首

︑ ﹃ 実

頼 集

﹄ 五

首 ︑ ﹃

院 侍

従 集

﹄ 三

首 ︑ ﹃

条 摂

政 御

二 首

︑ ﹃ 伊

尹集 ﹄ 二 首と続く︒ こ こ に 同 じ歌は 数え て いないが︑ 用例 数 は ﹃貫 之集 ﹄

がもっと も多 く︑その なかに は先 に あげ た三代集入 集 歌と重複 する 歌も

含まれるが︑ 家集 の 側から あ らため て な が める と屛風歌 が さ ら に 散見する︒

みなづ きの はら へ

みそぎする川 の せ み れ ばから衣 ひもゆふぐれ に浪ぞ立ち け る

﹃貫之 集 ﹄一 一︑ ﹃新古今 集﹄ 夏 歌 二八 四

(7)

七月 七 日

た な ばたに ぬ ぎ て かし つるか ら 衣 いとど涙 に袖やく ちなむ

﹃貫 之 集 ﹄ 一二︑ ﹃拾 遺集﹄ 秋 一 四 九

これは﹁延 喜六年つ きなみ の 屛風 八帖がれうの うた四十五首︑せじ に

てこれを たてまつる廿 首﹂ とあるなか の 二首 ︒田中喜美春氏は ﹁延 喜六

年二月廿六日御記云︑ 於

襲芳 舎

御屛 風

﹂ ︵ 古

和 歌

目 録

・ 素

性 ︶

とある折の も の かと す る

9

︒醍醐 天 皇の命に よ っ て屛風 歌 四十五首 の な か

の二 十 首 を奉ったものである ︒

続く ﹁延喜十三年十月内侍 屛風 の うた︑ うちのおほ せ に て たてま つ る﹂

と記す な か に も一首 あ る︒

月夜に 衣うつ所

か ら 衣 うつこゑきけば 月清み ま だね ぬ人を空 に し るかな

﹃貫 之 集 ﹄ 二 五

また﹁ 延 喜十 七年 八 月 宣旨に よ り て ﹂に も一 首︒

八重葎おひ に し 宿 に か ら 衣 たがために か は う つ声の す る

﹃ 貫

之 集

﹄ 八

﹁延喜十七年の冬なかつ かさ の宮 の御 屛風の歌﹂ に は次の一 首が 見出

せる︒ 元日

から 衣 あたらしく立 つとし な れば 人はかくこそ ふりま さりけれ

﹃貫 之 集 ﹄ 九 ○

﹃ 拾遺 集 ﹄ 入 集 の一 首を含め︑ こ れ ら はみ な延喜時 代 の 屛風歌である ︒

さら に ︑﹁京極 の 権中納 言 の 屛 風のれ う の 歌 廿 首 ﹂に も 一 首ある ︒﹁京 極

言の 権中 納言 ﹂は紫式部の 曾祖父で ﹁堤中納言﹂ と呼 ばれた藤原 兼 輔︑

延長 五年︵ 九 二七 ︶正月 に 権 中 納言 に な る ︒

雁 鳴 きて吹く風 さ むし から 衣 君待 ち が て に うたぬよぞなき

﹃貫 之集﹄ 二 六 二 ︑﹃ 新古 今﹄ 秋 歌 下 四八 二

延喜 よ り 数年 くだる が︑醍 醐朝の 屛風歌である︒ちなみ に こ の﹁京 極

中納言 ﹂ すな わち堤 中 納言兼輔 に まつわ る ﹃貫之集 ﹄ の歌 が他 に も あ る ︒

七九一番 歌 の 詞書 に ﹁ 京極中納言う せ給 ひて後︑ あは た に すむ所有りけ

る︑そこ に ゆ きて 松と竹とあるをみ て ﹂ とあり︑続い て﹁おなじ中 納 言

うせたまひて後﹂とする七九二番歌である︒同じ 歌が重複して収め ら れ

ている ︒

かげ に と て 立 ち か くる ればか ら 衣 ぬれぬ雨ふる松のこゑかな

﹃貫之集﹄ 七 九 二︑ ﹃ 新古 今﹄ 雑 歌 中 一六 八三

(8)

おなじ中将 の み も と に い たりて︑かれ是松の も と に おりゐ て ︑

酒な どのむ つ い で に

かげ に と て 立 ち か くる ればか ら 衣 ぬれぬ雨ふ る 松の声かな

﹃ 貫

集 ﹄

四 五

これは亡き京極中納言を悼んでの 歌︒ 堤中 納 言 兼輔 は貫 之が 土佐 守在

任中の 承 平三年 ︵ 九三 三︶ に 五 十七歳で薨 去 ︒ 詞 書に 延喜の語は な いが ︑

醍醐朝を生き た人である︒ ここ に も ﹁か らころも﹂が あ り︑ 時 代 の 印 象

を強め る ︒

ま た ︑屛 風 歌 と は 記さ れ な い が ︑延 喜と 明記 さ れ る 賀 の歌 も 見 出 せ る︒

延喜十二年十 二月 春立つあしたに ︑さ だ かたの左衛門 督 の な い

しのか み に 賀 たてまつれる時のう た

こ と しおひの に ひ くは まゆの か ら 衣 千 世 をかけてぞいはひ初め ける

﹃貫之 集 ﹄六 九 九

定方 が賀 を 奉 っ た の は ︑ 同 母妹藤原 満子 ︒﹁ に ひ く は まゆ ﹂ は ﹁新桑 繭 ﹂

で︑繭の衣 に 寄せての賀歌である︒

﹃貫之 集 ﹄ の﹁からころ も﹂詠歌に は ︑延喜の 屛風 歌と明記 され る六

首 ︑﹁延喜﹂ と明記される賀 歌 一首︑ 京 極中納言 を 悼む歌二首 ︵ 重 複 を 含

む ︶ があ り ︑ こ の ほ か ﹁ 恋 ﹂ に五首 ︑﹁ 別﹂ に三首 で あ る

1 0

貫 之で あれ ば 延 喜︑ 醍醐 朝の印 象 が強いが︑とりわ け延喜 の 屛風 歌と 明記する 歌が 複数確認 でき ︑貫 之の 屛風 歌が歌語 ﹁か らころも ﹂ の 定 着

を促し ︑歌語の イ メージ をも 固 めていく様 相がう か がえ る︒ ﹁ 京極 中 納 言 ﹂

や﹁延喜﹂と 詞書 に う たう和歌も︑時 代の印象を強める一助と なろ う︒

延喜 の宮廷歌人である 貫之 に好まれたこと が ︑﹁ からころも ﹂ の歌 語 とし

て の 定 着 を促し︑同時 に 歌 語じたいの イ メージ 生成 に まで及 ん で い く

1 1

三、 『元良親王集』と「からころも」

業 平や貫之ほど 注目さ れ て は いないが︑歌 語﹁からこ ろ も ﹂ を 考 える

うえで︑ もうひ と つ見逃せないのは︑ 十 一例 が確認 さ れる ﹃ 元 良 親 王集﹄

であ る︒ 元良親王は陽 成天皇第一皇 子 ︑ 母 は 藤 原 遠長女 ︒﹃ 尊 卑 分 脈 ﹄ に

よれば 天 慶 六 年 ︵九四三︶ 七月二十 六日 薨 去 ︑ 五 十四歳︒ ﹃本 朝 皇 胤紹運

録 ﹄ に は ﹁三品兵部卿母主殿 頭藤 遠長 女﹂ とあり︑ ﹃日本紀略 ﹄ 天慶 六

年七 月廿六日条 に も ﹁兵部卿三品 元 良 親 王薨︒ ﹂ と 記 さ れ る ︒ そ の エピソ

ー ド

は ﹃

大 和

物 語

﹄ ﹃

今 昔

物 語

﹄ ﹃ 江

談 抄

﹄ な

に 伝

え ら

れ ︑

色 好

み で

ら れ る親王 で あ る ︒﹃ 元良 親 王 集 ﹄ は︑ 親王 に関わる女 性 た ち の 側 からほ

ぼ年代 順 に編ま れ て い る歌集 で あ り

1 2

︑﹁ からこ ろ も﹂ 詠歌も恋の 贈 答に

ある ︒

かく さだ め な く あくがれ た まけ れ

(ママ)

ど︑いとこころ あ りてをかし

うおはす るみやときき給ひ て︑ 大夫の宮 す 所 の御はらの女は︑

宮に あ は せ た てまつ り て あ し た に ︑ を と こ宮

(9)

ほ ど もなくかへるあし たの からころも こころまどひ に い かできつ

らん

﹃ 元良親 王 集 ﹄ 六 ○︑ ﹃秋 風 集 ﹄ 恋 歌中 八 一二

﹃新後拾遺集﹄恋三 一一 四四

返し

ときの ま に か へりゆく らんからころも こころふかくやいろのそまぬと

﹃ 元

良 親

王 集

﹄ 六

一 六

番 歌

の 詞

﹁ か

く さ

だ め

な く

あ く

が れ

ま け

(ママ)

ど﹂は︑ さま ざ ま

な女性 た ちの もとへ通 っ て い た こと ︒ 直 接的に は ︑こ の 歌 の 前 に 配 列 さ

れた 監の 命 婦 ︑一条 蔵 人︑たきき︑民 部 の卿・ い はや君・ 京極御 息 所・

閑 院の三 姉 妹 などをさ す ︒ 詞書は︑ あち らこち ら に通 い所の あ る宮 なが

ら︑情 趣 を 解 する 魅力 的 な 宮 と お聞 き に なっ て大 輔の 御息 所腹 の 女 八宮

すなわち 醍醐 天皇の第 八皇 女修子内 親 王 と結婚 さ せた ︑その翌 朝︑親 王

から︑という︒これは親王の 贈 歌と修 子 内親王 の 返歌である︒ 修 子 内親

王は︑ ﹃ 本朝皇 胤 紹運 録 ﹄ に ﹁ 無 品 母更 衣 満子女 王 ︒ 民 部大輔相 輔女﹂ ︑

﹃ 日 本 紀 略﹄ 承 平 三年 ︵ 九 三三 ︶ 二月 五 日 条 に は ﹁無 品 脩 子 内 親 王 薨 ︒

先亭第八皇女

とある︒ 修子 内親王は親王の四十賀 を催している こと から︑晩年の 正妻

とみなされる

1 3

︒六〇番歌 の ﹁あした のか らころも﹂は女性 と 出 会っ た 翌

朝の 唐衣 ︑﹁ き つ らん ﹂の ﹁ き ︵着︶ ﹂ を導 き︑ ﹁か らこ ろ も ﹂と ﹁着る ﹂

は縁語︒ 返 歌 は﹁から ころ も﹂が 色 深く 染まらないの 意︑愛情 が染 まら ない こ と を表 す︒

続く 六十二 番 歌は︑ 修 子 内 親 王 が親 王の 装束を 母 御 息 所 に 縫って もら

うよ う 頼 んだ 時に 母 御 息 所 が 詠 ん だ 歌で ある︒

はは宮 す 所の 心の御ぞの ほ ころびぬひに たてまつれ た まへりけ

れば︑宮 す所

かへし け るひとからころも と思ふ に はつね な らぬかぞしひ てめで た き

﹃ 元 良親 王 集 ﹄ 六 二

﹁ひとからころも﹂ は﹁人から ﹂ と ﹁ 唐 衣﹂を掛け︑上の句 は 返した

人ゆ えの意︒ 一 首 は︑ 親王ゆ え 常ならぬ 香が 漂 う すばら し さ を 賞讃す る ︒

掛詞 に も なる ﹁から ころ も ﹂が︑ 前 に 置 かれる 二 人の 贈答 と 響 き合 う ︒

しかし︑ ﹁よ み 人 し ら ず﹂ とありながら 修子内 親 王 の元良 親 王を 恨むよ

う な 一 首をは さみ︑ ﹁ か ら こ ろ も﹂ を 詠みこ む六四 番 歌は︑ 別 の 女 性 と の

恋を 伝える︒

⁝⁝ 略⁝⁝お な じ お ほ ん 中 に ま だ し く お は し け る と き ︑ こ の 宮 に

お は し は じ め て 又の日︑ 京 極 の みやす 所 のおもと に た て まつり

たまひ け る

いとど し く ぬ れこ そまされ からころも あふさ か のせきみ ちまど ひ

して

﹃ 元 良親 王 集 ﹄ 六 四

(10)

宮 す所の御 返し

ま こ

と に

や ぬ

れ け

り や

と く

か ら

こ ろ

も ここ に きたら ばとひて し ほ らむ

元 良

王 集

﹄ 六

詞書 に よれば︑修 子 内親 王と の仲がまだそれ ほ ど 親 しくなかった時︑

修子内親 王の もと に い らっ しゃ り始 め て またの 日 ︑京 極御息 所 に さ し あ

げた歌 ︑ とい う︒ 京極御息 所 は ︑ 藤 原 時 平 の娘 ︑ 褒 子︒ ﹃尊 卑分 脈 ﹄ に は

﹁号京極 御息 所宇多 天皇 后﹂とあり︑ 島田とよ 子 氏 に 詳 細 な 伝記 研究

があり

1 4

︑宇多 天 皇 の 晩年に 入 内 し ︑雅 明 ︑ 載 明 ︑行 明 の 三 親 王の 母 と な

った 女 性 であること が 知られる︒本 歌集三五番歌は 京 極御 息所がまだ亭

子院 に い た 時 の歌で︑ ﹃ 大 和 物 語﹄ 六一段はその後 河 原院に 移 っ た こと を

伝える︒ 親 王 の六四番 歌で は居場所 が明 らか に さ れ な いが︑上 の句 は逢

坂の関で道 に 迷い衣が ますます濡 れ る意︑一首 は 歌 枕 に 反 して逢 え な い

ことを 詠 む

1 5

六五番歌は京極御息所の 返 歌︒ ﹁ と くか らころ も﹂ は ﹁ とく﹂ が ﹁ とも ﹂

の誤写か とも さ れ るが

1 6

︑ここ に い ら し た ら濡れた衣 を 絞っ てあげま す の

に ︑ とい う大 意 は動 か ない ︒ 京 極 御 息 所 の と ころ へ来 られ ない の は ︑修

子内親王のもと に 行く から に他ならな い ︒京極御息所褒子は宇多天皇晩

年の后で ある から︑ 親 王との恋は密通に な る︒ 色好みの親王と 后 の 危 険

な 密 通が発 覚 す れ ば︑宮廷社会 の 噂 にのぼる のは必定であ る ︒ 続く六 六

番歌も京 極御息所の歌である︒恋が 露 見 してもなお︑京極御息 所 への恋

情 を 募 ら せ る 親 王 の 歌 は 勅 集 に 繰 り 返 し 入 集 し ︑﹃ 百 人 一 首 ﹄ で も よ く 知ら れる ︒ こといでき て のち ︑ 宮 す 所 に

わ び

ぬ れ

ば い

ま は

た お

な じ

な に

は な

る み

を つ

く し

てもあはんとぞ思ふ

﹃ 元 良 親 王 集 ﹄ 一 二 ○ ︑﹃ 後 集 ﹄ 恋 五 ・ 九 六 ○ ︑

﹃ 拾 遺 集 ﹄ 恋 二 ・ 七 六 六 ︑﹃ 拾 遺 抄 ﹄ 恋 下 ・ 三 一 七 ︑

﹃ 古

今 六

﹄ み

を つ

く し

・ 一

九 六

この詞 書は ﹁事いで きてのち に ﹂ と︑ 二人の恋 が発覚したこ とを伝え

る ︒﹃ 拾 遺集 ﹄﹃ 拾遺 抄 ﹄ では ﹁ 題 しら ず﹂ と あ り ︑﹃元良 親 王集 ﹄ の 詞 書

が ﹃ 後 集 ﹄ に よ っ て 増 補 さ れ た 可 能 性 も 高 い が ︑ そ う 記 さ れ る ほ ど 親

王の 恋 情 は人 口 に 膾 炙 し た と考 え 得 る︒

元 良

親 王

集 ﹄

の そ

の ほ

か の

﹁ か

こ ろ

も ﹂

詠 歌

は ︑

修 子

内 親

王 を

じめ複数の女性た ち と の贈答である︒

宮 い に しへ をおもひ に あ へぬからころも ぬるるほ どなくかわきこそす れ

﹃ 元

親 王

集 ﹄

七 一

六 九 番 歌から 修 子 内親王の亡くなった歌 が 続 き︑七一 番歌も生前の修

子内親 王 を思 い衣が 涙 で濡 れる意 を 詠む︒ ﹁ から ころも ﹂ は衣 を 表 す美 称

で︑そ れが濡れるという︒

(11)

な に に き み思ひ か けけんからころも ひとめ も みてはとはじも の ゆ ゑ

﹃ 元良親王 集 ﹄ 七六 ︑﹃ 後 撰 集 ﹄ 恋 四 ・ 八 四

八・よ み 人し らず 初 句﹁中中 に ﹂

みや たの まれぬこともこころの からころも なれ てよ る と や さ らば おもひし

元 良

王 集

﹄ 八

七六番 歌は 配列 か ら すれ ば ︑ 前の 七五 番 歌 と同 じ 女 の 歌かと 推 定 され

る歌で ︑ 七五 番 歌 は修子内親 王 に仕 える女性 かと される ところ︒ ﹁ 思 ひ か

け﹂ の ﹁ か け ﹂ と 衣の 糸 目 か ら ﹁ひ とめ ﹂ を 呼 び 出 し ︑ 修 辞の な か に ﹁ か

らころ も﹂が あ る︒

八六 番 歌は 直前 に あ る八 五番歌 と 同じ 女への 返歌と 推 定される歌 ︑﹁こ

ころの か ら﹂ ﹁ か らこ ろも ﹂ が かけられる︒ ﹁ 心 から﹂ と あ る べ きと ころ︑

﹁こころ からの﹂と語 調を整えた の かと 解 釈 され ︑﹁ 濡れ﹂ ﹁縒る﹂が 衣

の縁 語に な る ︒

とき こ えたりけれ ば ︑宮

く さ まく ら ち り は らひに は か ら 衣 た も とゆ たか に た つを まてかし

﹃元 良 親王 集 ﹄ 一 一 ○ 又︑ を んな

からころも たつをまつまのほ どこそはわがしきたへのちりもつもらめ

﹃ 元

良 親

王 集

﹄ 一 一

かね も ちの 宰相の む すめに

そむれどもこさもまさらぬからころも いろのかぎりをきてみつるかな

元 良

親 王

集 ﹄

五 四

一一○歌 の ﹁女﹂は ︑一 ○九番歌の詞書 に ﹁のぼ る の大納言のみ むす

め﹂とある大 納言源 昇 の 娘

1 7

︒これら は 三 首 は ﹃ 大 和物語 ﹄ 一四○ 段 で 知

られる 贈 答 で ある︒ ﹁ か らこ ろ も﹂の 袂 を 豊 か に 裁 つ と い う表 現 は ︑﹃ 古

今 集 ﹄ 雑 上 ・ 八 六 五番 の ︵ よ み 人し らず︶ ﹁ からこ ろ も﹂ 詠歌 に よ り ︑ 女

の方は︑ ﹁からころも﹂ を 裁つまで 待て︑ と 言う けれど︑ と 切り返す ︒ 一

五四番 歌 は藤原 兼 茂 の 娘 に 贈っ た 歌 ︒﹁ か らころ も﹂ の 染 まる 色合いの 濃

さが愛 情の 濃 さを表 す ︒

﹃元 良 親王 集 ﹄ の歌語﹁から こ ろ も ﹂ は︑ 恋 の 贈 答 に 繰 り 返 し詠ま れ

る︒正妻 と 考 え ら れる 内親 王のみな らず ︑宇多天皇妃 との 許されざる恋

となれば ︑人の噂に の ぼ り ︑それを伝え る 詠 歌が 宮廷社会で人 口 に 膾炙

したこと は︑ 想像 に 難 くない︒それ は︑ 私家集 で ある からこそ 伝え られ

る一側面と言 うべき か もし れない︒ ﹁かきつばた﹂ の 折句 や延喜の屛風 歌

で広 まり 定 着 しつつ あ っ た 歌語 は︑ 色好 みの親 王 の 恋 の 贈 答に 頻出 する

こと に よ って︑ 時 に 危 険 さえ孕む 華 麗な恋の イメージ を 帯 び て くる︒

(12)

こうした ﹁ からころも﹂ の歌 語 史 のうえ に ︑﹃ 源氏物語﹄ の ﹁ か らこ ろ

も﹂ も ある︒

四、末摘 花へ

翻っ て ﹃源 氏物語﹄ をみ る︒末摘 花の 詠む最初の ﹁ からころ も﹂ は︑

光源氏 の 元日用装束 に 添え て贈ら れ た歌 に あ り︑実際の装束 に 合わ せて

い る ︒﹁ きみ ﹂ の ﹁ き ﹂ に かけ︑ ﹁ た も と ﹂ は 縁 語 ︒﹁ きる 着 る ︶﹂ の ﹁ き ﹂

に かける 用法 はこれまであげてきた歌 に も確認される とおり︑ 歌 語 ﹁か

らころ も﹂ の 常 套的 な詠みくちで あるが ︑﹁きみ﹂ の ﹁き﹂ に かけるの は

無理がある︒ 一首 の五句﹁そ ぼ ちつつの み﹂は 袖 を涙で濡らすばかり︑

の意︒そ れは玉鬘巻 の ﹁か らころも﹂詠歌でも踏 襲 さ れ︑顧み ら れ ぬ女

の恋を表す ︒ 歌 語 ﹁か らころも﹂ と して考えれば︑ ﹃ 源 氏 物語﹄ 以 前の印

象が強い 歌語 ﹁からこ ろも﹂を 末摘 花が好 む のは ︑古 風な 姫宮 の造 型 に

見合う︒ さら に ︑ 色 好 みの宮との恋 に 頻 出し たことに 着目 すると︑ ﹁ か ら

ころも﹂ は華麗な恋の イメ ージ をも 想起 させる歌語で あり︑物語で は︑

それ を覆 すよ う に 用い る こ と に よっ て︑ まるで対 極 に あるよ う な 姫 宮の

造型︑ひ いて は光源氏の恋 その もの の 滑 稽 さ が強 調される︒ち なみに ︑

﹁からころも﹂ の 袖が 濡れる と いうのは定番の 詠 み方で あ るが︑ ﹃ 元 良 集 ﹄

の京極御息所 と の 贈 答 六四 ・六五番 歌や修 子内親 王を悼む七一番歌とも

通じてくる ︒ そ の 語 を ︑ 末 摘花が好み 光 源氏 に 詠 み贈る の であ る ︒

﹁か ら ころ も﹂は﹃ 源 氏 物語﹄に 先駆 ける 長 編 物語 の ﹃ うつ ほ 物 語﹄ に も 五例あ り ︑ そ れらは い ずれも ︑ 衣の縁 語 を と もな う歌語であ る

1 8

︒ ﹁

の使﹂の 兼雅 詠歌 に は ﹁い く度か 夜 に 返 すらむ唐衣 かへす が へ す もうら

み ら るる は﹂ とあり︑ 行 幸 巻の光 源 氏の なげ やり な﹁ かへ すが へ す も﹂

と 類 似し ︑﹃ 源 氏物語 ﹄ は ﹃ う つほ 物 語﹄ を 意識し て いる ことが う かが え

る︒しかし︑ ﹃ う つほ 物語﹄ では五例の 詠 み手がすべて 異なり︑ ﹃ 源氏 物

語﹄ はひと り の女性 の キー ワードに 据え る︒ ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ は 歌 語 ﹁ か ら こ

ろも﹂の 歴史 から生成 さ れ るイメージを掬い上げ ︑さ ら に 反転 させるこ

と に よっ て︑ 個性的 な 女性 をめぐる 光源 氏の 物語 を紡 ぎ出し て いる ので

ある︒

(

1

)

後藤祥子 ﹁源 氏物 語の和歌︱そ の史的位相︱﹂ ﹃ 源氏物 語 と和歌研究と資

料 Ⅱ ︱古代文 学論叢第八 輯 ﹄︵ 武蔵野 書 院一九八二 年︶ ︒伊井 春 樹﹁ うたこ

と ば ﹁か らころ も ﹂ 考 ︱ ﹃ 源氏物 語 ﹄ 末 摘 花 詠歌の史的背景︱﹂ ﹃ 源氏物 語 論

とそ の研究世界﹄ ︵ 風 間 書 房二○○二 年︶ な ど ︒

(

2

)

(

1 後藤氏論 文︒

) (

3

)

(

1 伊井 氏論 文︒

) (

4

)

片岡智子 ﹁﹁ か ら ころ も ︵ 韓衣 ・ 唐 衣︶ ﹂ 考 歌語の実態と消長 ﹂﹃国際日本

文学 研 究 集会会議録︵ 第

15

回︶ ﹄︵ 国文 学研究資料館一九九二 年 三月︒ ︶

(

5

)

田中 喜 美 春 ﹁ 貫之 が 脱い だ唐 衣 ﹂﹃ 国語 と国 文 学 ﹄一九九 五年 一月︒ ﹁ か ら

ころ も﹂を脱ぐという表現が 妻 との 関係解消を意 味すると 述 べ られる︒

(

6

)

(

1 伊井 氏論 文︒

)

(13)

(

7 ﹃万葉集 ﹄の 用例は次の と お り で あ る︒ なお ︑本稿に お け る 和 歌の引用 は ︑

)

すべて新編国歌大観 ︵ 角川書 店 ︶ に よ る︒

韓 衣

からころも

服楢

き な

﹃万葉集﹄巻六雑歌九五七

らのさとのつままつにたまをしつけむよきひともがも

乃里 之 嶋 待尓 玉乎師 付牟 好 人欲 得

雁鳴乃

かりがねの

来鳴之共

きなきしなへに

からころも

裁田之山 者

たつたのやまは

始 有

もみちそめたり

﹃万葉集﹄巻 十秋雑歌二一九八

朝 影尓

あさかげに

吾身者成

あがみはなりぬ

からころも

襴之不相而

すそのあはずて

成 者

ひさしくなれば

﹃万葉集﹄巻 十一寄物 陳 思二六二六

からころも

君尓内 著

きみにうちきせ

みまくほり

恋 其 晩 師之

こひぞくらしし

雨零 日 乎

あめのふるひを

﹃万葉集﹄巻 十一寄物 陳 思二六九○

柿 本 朝 臣 人 麿 歌 集 中 出 ︑

可良 許呂毛

からころも

須 蘇

乃 宇

知 可

すそのうちかへ

安 波祢杼 毛

あはねども

家 思吉己 許 呂乎

けしきこころを

安 我 毛 波 奈 久 尓

あがもはなくに

﹃万葉集﹄巻 十 四 相聞三 五 ○一

可 良 己 呂 毛

からころも

素 乃

宇 知

可 比

すそのうちかひ

安 波 奈 敝婆

あはなへば

祢 奈敝乃可 良 尓

ねなへのからに

許 等多 可利 都 母

ことたかりつも

︵或本歌曰︶﹃万葉集﹄巻 十 四 相聞三 五 ○二

(

8

)

拙稿 ﹁ ﹃ 源 氏 物語 ﹄ と 時 を 表 す こ と ば ︱ ふ た つ の 舞 楽 場 面 か ら ︱ ﹂﹃ む ら さ

き﹄武蔵野 書 院二○ 一○ 年︶ でふれて いるので ︑ あ わせて ご 参照いただけ

れば 幸いで あ る︒

(

9 和

)

歌 文 学 大 系

19

﹃貫之集躬恒集友則集忠岑 集 ﹄︵ 明治書院一九九

七年 ︶︒ ﹃貫之集 ﹄は 田中 喜美 春氏 が担当︒

(

10 ﹃貫之集﹄第五﹁恋 ﹂ の五首をあげる︒

)

君こふる涙 し なくは か ら衣 むね のあたりは 色 も え なまし

﹃貫之集﹄ 五 七八︑ ﹃古 今 ﹄ 恋二 ・ 五七二

敷島のやまと に は あらぬ か ら衣 ころ もへずし てあふ よ し も が な ﹃貫之集﹄ 五 八五 ︑﹃ 古 今 ﹄ 恋 四 ・ 六九七

君 に よりぬれてぞ わ た る か ら衣 袖は 涙の つまに ざ り け る

﹃貫之集﹄六二二

か ら衣 袂をあらふ 涙 こ そ 今は年ふる か ひ な かりけれ

﹃貫之集﹄六五八

人めゆく涙 を せけ ば か ら衣 袂はぬれぬね こそ な か るれ

﹃貫之集﹄六八九

﹃貫之集﹄第 七 ﹁別﹂の 三首は次の と おりで ある︒

みちの国 へくだる人ををしめる

から 衣 するなに お へ る富士の山こえん人こ そかねてをし けれ

﹃ 貫 之 集

﹄ 七 二 七

た ち ば な の き む よ り の そ ち の つ く し へ く だ る 時 ︑ 其 こ の あ は の か み と し

さ だ の あ そ ん ︑ ま ま は は の な い し の す け に お く る も の ど も に く は へ た る 歌

さうぞく

あまた に はぬひかさねねどか ら 衣 おも ふ心 は ち へ に ざ り け る

﹃貫之集﹄七 四 三 ﹃拾遺集﹄別・ 三二七

そ の 人のとが におぼ ゆ る か ら衣 忘らるな とてぬげるな りけり

﹃貫之集﹄七五六

橘公 頼は承 平五年︵九三 五 ︶大宰帥 に 任 官︑翌 年 十一月下向︒七 五 六番歌は︑

七五五 番 歌の ﹁尾 張の 守藤 原の お き かた がめの く だるに ︑ ぬ さ さう ぞく やる とて

くはへたる﹂ に 続 く歌︒興 方の妻は︑か つて貫之の妻と考証 さ れる︒

(

11

)

詞書に ﹁お な じ 御時 ︵延 喜御 時︶ ﹂﹁延 喜 御と き﹂と記 さ れ る ﹃ 公忠集﹄ 三

一・ 三五番の ﹁からころ も ﹂詠歌もあり ︑周 辺家集 と も呼応とし て イメ ージ

生成が促されたと推 測 される︒

(

12 片

)

桐 洋 一

﹃ 元

良 親 王 集 全 注 釈

﹄ ︵ 新 典 社 二

〇 六 年

︶ 解 説

(

13 注

)

(

12 当該 歌の 注釈︒

)

(

(

上 已 記 也

(14)

(

14

)

島田とよ子 ﹁ 京極御 息 所褒子 に ついて︱ ﹃大和物 語﹄ 六十 一段を起点 に ︱ ﹂

﹃園 田国文﹄一九九六年 三月︒

(

15 ﹁ か ら こ ろ も ﹂ を 用 い る 同 様 の 趣 向 の 歌 が ︑﹃ 後 集 ﹄ 恋 二 六 二 二 番 の よ み

)

人しらず歌 に ある︒

(

16 注

)

(

12 文献 参 照 ︒

) (

17

)

大 納 言 源昇 の娘 につ いて は︑ ﹃本朝皇 胤 紹 運録 ﹄ の 記 述 に宇多 天 皇 第 七皇女

依 子 内親 王母 と醍 醐天 皇第四 皇 子重 明 親 王母 の 両方を ﹁源 昇 女 ﹂ と するこ と

から ︑どちらで あ るの か︑二 人 が姉妹で あるの か ︑それ以外の 女性で あ るの

か ︑ 見 解 の分かれ ると こ ろ であ る︒ ﹃ 元 良親王 集 ﹄ か らは不 明と言わ ざ る を 得

ない︒

(

18 ﹃うつほ 物 語 ﹄の用例は次のとおりで あ る︒

)

唐衣 解 き 縫 ふ 人も なきも の を涙 のみ こそ すす ぎ着せ け れ

︵実忠︶﹃うつほ 物 語﹄藤原の君

今はとてたつとし 見れば 唐 衣 袖の う ち まで 潮 の 満 つ かな

︵種松妻 ︶﹃うつほ 物 語 ﹄吹上 上

いく度か 夜に返すらむ唐衣 かへすがへすもうらみらるるは

︵兼 雅 ︶ ﹃うつほ 物 語﹄祭の使

か ら ご ろ も

たち馴らし て し百 敷の 袖凍りつる今宵なにな り

︵ 仲 忠︶﹃うつほ 物 語﹄蔵開中

恨みけむ ほど は知 られ で か ら ご ろ も 袖濡れ わ たる年ぞ経に ける

︵女三宮︶﹃うつほ 物 語 ﹄蔵開中

*本稿に お ける﹃源氏物 語﹄ならび に 物 語 作品の本文引用は ︑すべて新編日

本古典 文 学全 集 ︵ 小学館︶ に よ る︒

参照