はじめに 「
わ ら い 」 を 表 す 古 語 は 大 き く「 わ ら ふ 」「 ゑ む 」「 ほ ほ ゑ む 」 に 分 け ら れ る 。 柳 田 國 男 は 「 わ ら ふ 」 は 嘲 笑 、「 ゑ む 」 「ほほゑむ」 は好意的な感情を表すと捉えているが
(注1)、『源 氏物語』にそれは当てはまるのだろうか。本稿では、 まず、 「 わ ら ふ 」「 ゑ む 」「 ほ ほ ゑ む 」 の そ れ ぞ れ の 語 意 を 考 え、 その上で『源氏物語』の「わらふ」 「ゑむ」 「ほほゑむ」の すべての用例を分析し、それぞれの性質、語意の差を明ら かにすることによって、 この問題について考察する。また、 『 源 氏 物 語 』 に 登 場 す る 人 物 の「 わ ら い 」 か ら 読 み 取 れ る 人物像を考えていきたい。 第一章 わらふ・ゑむ・ほほゑむの語意
まず、 「わらふ」 「ゑむ」 の違いに着目し、 『角川古語大辞典』 で「わらふ」と「ゑむ」の意味を引く。
ロ、あざける。嘲笑する。 を表出する。イ、 声を立てておもしろがる。哄笑する。 表し方が強く、口をあけて声を立てて喜びやおかしさ 「 わ ら ふ 」 … ① に こ に こ す る 意 の「 ゑ む 」 よ り も 感 情 の
「ゑむ」
…①にっこりする。ほほえむ。微笑する。 (中略) 口もとをほころばせる意で、声を出して喜ぶ意の「わ らふ(笑) 」とは、区別して用いられている。 『角川古語大辞典』 の語釈から読み取れる 「わらふ」 と 「ゑ む 」 の 明 ら か な 違 い は 声 の 有 無 で あ る。 『 時 代 別 国 語 大 辞 典 上 代 編 』 の「 わ ら ふ 」 の 解 説 に も、 「 ヱ ム が 顔 を ほ こ 新 井 美 紗 貴 『源氏物語』の「わらい」と人物造型
ろばせる表情の面をいうのに対し、ワラフは声をあげて哄 笑する意であろう。 」 とある。上代 ・ 中古において 「わらふ」 と「 ゑ む 」 の 動 作 の 違 い は、 「 声 の 有 無 」 と い う 点 で は っ きりしている。 「ゑむ」に声が伴う表現が存在するとして、 『 枕 草 子 』 に あ る「 ゑ み た る 声 」 が 挙 げ ら れ る が、 松 尾 聰 氏 は「 こ れ も、 「 た の し く な っ て に こ に こ( ア ル イ ハ に や に や カ ) し な が ら 出 す 声 」 と み る べ き で あ っ て、 「 ゑ む 」 ことが直接 「声」 になるわけではない。 」
(注2)と述べられて いる。
では、状況による使い分けはどうか。柳田國男は次のよ うに述べている。 ワ ラ フ は 恐 ら く は 割 る と い ふ 語 か ら 岐 れ て 出 た も の で、同じく口を開くにしても大きくあけ、やさしい気 持ちの伴はぬもの、結果がどうなるかを考へぬか、又 は寧ろ悪い結果を承知したものとも考へられる。従つ て笑はれる相手のある時には不快の感を与へるものと きまつて居る。ヱムには如何なる場合にもさういふこ とが無い。是が明かなる一つの差別であった。
(注3)柳田は「わらふ」を、相手を精神的に攻撃するマイナス な も の と 捉 え、 逆 に「 ゑ む 」 は、 優 し い 気 持 ち を 与 え る、 また、人生を平穏に送るための潤滑油として、プラスに捉 え て い る。 確 か に、 「 わ ら ふ 」 は 一 つ の 攻 撃 方 法
(注4)と 取 れ、陰鬱な側面を持っている。特に、ベネディクトによる と、 日 本 は「 恥 の 文 化 」 を 持 つ 国
(注5)と さ れ、 平 安 時 代 の貴族社会という狭い世界において「笑われる」ことは死 ぬよりも辛い屈辱であったようである。 「わらふ」は、
「笑う者」と「笑われる者」という、一種 の上下関係を作り出し、多くの場合「笑う者」だけが優越 や 快 楽 の 念 を 持 ち、 「 笑 わ れ る 者 」 は 貶 め ら れ て い る 場 合 が 多 い。 だ が、 少 な く と も「 笑 う 者 」 か ら す れ ば、 「 わ ら ふ」は快楽だ。この価値を理解した上で「笑われる」こと をよしとし、上位者の者に「わらってもらう」ことでもて なすという方法もある。神に捧げられてきた「狂言」など は、その最たる例であろう。
で は、 「 ゑ む 」 は ど う だ ろ う か。 本 当 に、 不 快 の 感 情 を 与えることは一切無いのか。 『万葉集』で「咲」 (ヱム)が 詠われる時は、恋の歌が多く、男女の親和状態を表すこと が多い。 道の辺の 草深百合の 花笑みに 笑みしがからに 妻と言ふべしや
(『新編日本古典文学全集 万葉集』巻七 一二五七) これは、百合の花が咲いたような女の笑みを、好意の表れ と 誤 解 し た 男 へ の 詠 だ が、 男 が 誤 解 し た の は、 「 ゑ む 」 が 相手への好意のサインと取られていたからと言える。
ものであった。しかし「ほほゑむ」になると、どうである 「 ゑ む 」 の 語 意 は、 好 意 の 表 れ、 親 和 状 態 を 相 手 に 示 す
か。 『角川古語大辞典』で「ほほゑむ」の意を見てみる。
「ほほゑむ」…①薄笑いを浮かべる。顔をほころばせる。
( 中 略 ) 好 意 的 で な く、 さ げ す み の 気 持 ち を 伴 っ て い る場合が多くある 。 傍 線 で 示 し た よ う に、 「 ほ ほ ゑ む 」 は「 ゑ む 」 と 違 い、 他 人を嘲るものが多いようである。 「 ふ り に け る 頭 の 雪 を 見 る 人 も お と ら ず ぬ ら す あ さ の 袖かな幼き者は形蔽れず」とうち誦じ給ひても、花の 色に出でて、いと寒しと見えつる御をもかげ、ふと思 い出でられて、 ほゝ笑まれたまふ 。 (「末摘花」 ) これは、 末摘花の容姿を源氏が「ほほゑむ」場面だが、 「ほ ほ ゑ む 」 と あ り な が ら、 明 ら か に 柳 田 の 定 義 す る「 ゑ む 」 ではなく、 声は無いものの、 むしろ「わらふ」の性格を持っ て い る。 「 ゑ む 」 で も「 ほ ほ ゑ む 」 で あ る 時 に は、 す べ て が好意的なものではなく、むしろ不快の念を与えることが 多い。
だが、全ての「ゑむ」が好意的な笑いに当てはまるわけ で は な く、 ま た、 「 ほ ほ ゑ む 」 も 全 て が 蔑 み を 表 し て い る わけではないことは押さえておきたい。 「さも御けしきたまはらまほしう侍しかど、 (中略)胸 に 手 を お き た る や う に 侍 」 と 申 た ま ふ 舌 ぶ り い と 物 さ はやかなり。 ゑみ給ぬべきを念じて 、 (「行幸」 ) この「ゑむ」は近江の君の言動に対する内大臣の嘲笑で あることで間違いなく、だからこそ、本人の前で笑うのを 控えたのだろう。 「
ほ ほ ゑ む 」 で も 例 外 と 取 れ る も の が あ る。 次 の『 う つ ほ物語』の例は、 「ほほゑむ」とあるが、 そこに蔑みはなく、 非常に和やかなものである。 綾の掻練の一重襲、二藍の織物の衣、脱ぎかけておは するを、おとど見たてまつりたまひ、君たちのおはす る に、 「 若 き ぬ し た ち、 習 ひ た ま へ。 子 持 ち は か く ぞ いたはりなすよ」とのたまふ。誰も誰も ほほ笑みて お はさうず。
(
『新編日本古典文学全集 うつほ物語』 )
こ の よ う に、 数 例 で は あ る が、 「 ゑ む 」 と「 ほ ほ ゑ む 」 の 意 味 が、 そ れ ぞ れ に 近 い 意 味 で 使 わ れ る 例 が 見 ら れ た。 このように互いに決定的な違いがないことを考えると、 「ゑ む」と「ほほゑむ」の本来の語義としては、本質的な差は なく、もともとは同じ語であったように思えてくる。これ に関して松尾氏が興味深い説を述べられている。 上代語の「ゑむ」は、中古語の「ほほゑむ」の意味を も 包 括 し て い た の か も 知 れ な い、 ( 中 略 ) つ ま り、 上 代では 「にこにこする」 も 「にやにやする」 も 「ゑむ」 であらわしたが、 中古になると 「にこにこする」 は 「ゑ む」 、「にやにやする」は「ほほゑむ」で言い分けたの ではなかろうか、ということである。
(注6)松 尾 氏 は 検 証 の 結 果、 「 ゑ む 」 が ほ ぼ 全 て「 に こ に こ 」 笑 い で あ る と さ れ、 そ の こ と か ら、 上 代 に も「 ほ ほ ゑ む 」 は 存 在 し た が、 文 献 上 に 残 さ れ な か っ た だ け と、 「 上 代 語 の「ゑむ」は、中古語の「ほほゑむ」の意味をも包括して いた」という説を撤回されている。しかし、これまで検証 し て き た よ う に、 「 ゑ む 」 で あ り な が ら「 ほ ほ ゑ む 」 の 意 に 近 く、 「 ほ ほ ゑ む 」 で あ り な が ら「 ゑ む 」 に 近 い 意 が 認 められる例がある。よって、松尾氏が最初に考えられてい た よ う に、 「 ゑ む 」 は「 ほ ほ ゑ む 」 の 意 を 包 括 し て い た 可 能性はあるのではないだろうか。上代に関しては、資料の 少 な さ か ら、 確 実 な こ と は 言 え な い。 だ が、 「 ほ ほ ゑ む 」 という語が存在していながら、その語が上代の文献上に全 く残っていないのは不自然に感じる。
第二章
『源氏物語』
における 「わらふ」 「ゑむ」 「ほ ほゑむ」
では、 『源氏物語』 において 「わらふ」 「ゑむ」 「ほほゑむ」 の語意の違いは意識されていたのか。
『源氏物語』では、
「わらふ」が会話をしている時に使わ れていることが多い。 「 上 も、 年 経 ぬ る ど ち う ち と け 過 ぎ、 は た む つ か り 給 は ん と や。 さ る ま じ き 心 と 見 ね ば、 あ や ふ し 」 な ど、 右近に語らひて、笑ひ給 。 (「玉鬘」 )
「ひとりゑみ」の用例は二例あるが、
「ひとりわらひ」の 用例は『源氏物語』中には一例もなく、周りに誰もいない 状 況 で「 わ ら ふ 」 が 使 わ れ て い る 用 例 は、 「 帚 木 」 の 左 門 頭の「人知れぬ思ひ出で笑ひもせられ」を除けば、無いと 言 っ て い い。 こ こ か ら、 『 源 氏 物 語 』 中 の「 わ ら ふ 」 と い う 行 為 は、 一 人 き り の 時 に す る も の で は な く、 目 の 前 に 相手がいて行われることが多いようで、これは、 「わらふ」 に声が伴うことに関係していると思われる。一人きりの時 に声を上げるというのは、あり得ないことでは無いとはい え、少し不自然な状況だろう。
また、嘲りを表すことも多い。 「 海 竜 は う の 后 に な る べ き い つ き む す め な な り。 心 高 さ苦しや」とて笑ふ。 (「若紫」 )
『源氏物語』
中の 「わらふ」 は、 第一章で示した 「わらふ」 の語意と違わず使われているようである。
で は、 「 ゑ む 」「 ほ ほ ゑ む 」 に つ い て だ が、 『 源 氏 物 語 』 以 前 の 作 品 で は、 「 わ ら ふ 」 に 用 例 が 集 中 し、 「 ゑ む 」「 ほ ほゑむ」 の使用例は少ない。まず、 『源氏物語』 の用例数は、 「わらふ」系…一五〇例、 「ゑむ」系…七二例、 「ほほゑむ」 系…六九例であるが、 それに対して他作品の 「ゑむ」 系、 「ほ ほゑむ」系の用例数がどうであるかは、次の表を参照して いただきたい。
多 く て『 落 窪 物 語 』 五 例、 『 う つ ほ 物 語 』 の 十 例 と い う 程度で、 「わらふ」の用例の十分の一にも満たない。また、 「 ほ ほ ゑ む 」 が 嘲 笑 で は な く、 に こ に こ 笑 い を 表 す 用 例 も あり、 「ゑむ」と「ほほゑむ」が混用されている。対して、 『源氏物語』は「ほほゑむ」系は六九例であり、 割合は「わ らふ」系の三分の一以上、 正編においては半分以上である。 他作品に比べ、これほど顕著に「ほほゑむ」が多用されて い る と い う こ と は、 『 源 氏 物 語 』 で は「 ほ ほ ゑ む 」 が 意 識 して使用されている可能性がある。 『源氏物語』で、 「ゑむ」 と「ほほゑむ」が使い分けられているかだが、 『源氏物語』 でも、にこにこ笑いを「ほほゑむ」で表現している場面は ある。だが、 吉村研一氏は、 『源氏物語』では「 「ほほゑむ」 が 頭 を 使 っ て 笑 う の に 対 し て、 「 ゑ む 」 は 反 射 的 に 出 る 笑 いなのである。頭を使わない生理的な笑い」という使い分 け が な さ れ て い る と 述 べ、 「 ほ ほ ゑ む 」 系 の 笑 い に は 何 ら かの意味が持たされているとされた。また、 「紫式部こそ、 我が国で初めて 「ほほゑむ」 という言葉を多用し、 かつ 「ゑ む 」 と 書 き 分 け た 作 家 な の で あ る 」
(注7)と も 述 べ、 「 ゑ む 」 と 同 じ よ う な「 ほ ほ ゑ む 」 で も、 「 ゑ む 」 と は 意 味 分 け が されているとされた。確かに、赤子が「ゑむ」場面はある が、 「ほほゑむ」場面は無い。
ま た、 『 源 氏 物 語 』 で「 ほ ほ ゑ む 」 人 物 は、 貴 族 に 限 ら れており、片岡照子氏は 一 般 に 、田 舎 人 、供 人 、侍 女 、下 衆 と 呼 ば れ る 人 た ち の「 ゑ む 」「 わ ら ふ 」 の 用 例 は 、 物 語 中 、 四 六 回 も 使 用 さ れ 、 そ の 他 、 特 に そ れ ぞ れ の 項 で 記 す よ う に 、 複 合 語 や 副 詞 が 附 加 さ れ て 、 貴 族 た ち よ り む し ろ 表 現 法 は 豊 富 で あ る に も か ゝ わ ら ず 、「 ほ ほ ゑ む 」 だ け が 、 全 く 使 用 さ れ て い な い と い う こ と は 、 こ れ ら の 身 分 の 人 び と が 実 際 に 「 ほ ゝ ゑ む 」 笑 い 方 を し な か っ た の か 、 あ る い は 、 客 観 的 に 、 つ ま り 作 者 が 、 そ の 人 た ち の 笑 い を 描 写 す る 場 合 、「 ほ ゝ ゑ む 」 と い う 表 現 方 法 を 与 え る の を ゆ る さ な か っ た の か の い ず れ か で あ ろ う 。
(注8)と述べている。貴族社会を描いた『源氏物語』では、下賎 の者たちの笑いはあくまで場面の効果として使われ、複雑 な心理を表す「ほほゑむ」動作をさせて、人物像を描き出 す必要はなかったのではないだろうか。例えば
他作品の「わらい」の用例数『竹取物語』『うつほ物語』『堤中納言』わらふ系…四例わらふ系…一三七例わらふ系…一〇例ゑむ系…〇例ゑむ系…一四例ゑむ系…三例ほほゑむ系…一例ほほゑむ系…九例ほほゑむ系…一例『伊勢物語』『落窪物語』『枕草子』わらふ系…三例わらふ系…六四例わらふ系…一〇五例ゑむ系…〇例ゑむ系…一三例ゑむ系…十五例ほほゑむ系…〇例ほほゑむ系…五例ほほゑむ系…三例「たが詣で給へるぞ」と問ふめれば、 「内大臣殿の御願 果たしに詣で給ふを、知らぬ人もありけり」とて、は かなき程の下種だに心ちよげにう ち
(わ)はら ふ。
(「澪標」
) この下種の「わらふ」は、下種さえ知っていた、源氏が願 はたしに来ているという事実を知らなかった明石君の惨め さを一層感じさせる笑いである。また、 まだほの暗けれど、雪の光にいとゞきよらに若う見え 給ふを、老い人ども笑みさかへて見たてまつる。 (「末摘花」 )
これは、老い人どもが「ゑみさかゆ」ことによって源氏 の美しさを引き立たせている。 身分の低い者たちの笑いは、 この使われ方が多い。他は、滑稽さの強調など、いずれも 場面を引き立たせる効果として使われている。
以上を踏まえた上で一見同じに見える、源氏が幼い紫上 に向ける「ゑむ」と「ほほゑむ」を見てみよう。
1、やうく起きゐて見給に、鈍色のこまやかなるがうち 萎えたるどもを着て、何心なくうち笑みなどしてゐ給 へ る が、 い と う つ く し き に、 わ れ も う ち 笑 ま れ て 見 給。 (「若紫」 )
2、 「いで君も書い給へ」とあれば、 「まだようは書かず」 とて見上げ給へるが何心なくうつくしげなれば、 うち ほゝ笑みて (「若紫」 )
3、 「 御 手 は い と お か し う の み な り ま さ る も の か な 」 と ひとりごちて、うつくしとほほ笑み給。 (「賢木」 ) 1 の 反 射 的 に 出 た 笑 み に 比 べ、 2、 3 に つ い て 吉 村 氏 は、 源氏は「単なる可愛らしさを感じたのではなく、それ以上 のもの、つまり、女としてのいとおしさ、恋心を感じたの である。 」
(注9)と述べている。だとしたら 「ゑむ」 と 「ほほ ゑむ」では意味合いが違うと言える。だが、1では感じな かったのに、何故2と3では女としてのいとおしさを感じ ているのか。その理由として私は、源氏は紫上の将来を想 像しているのではないかと考えた。2は、源氏が紫上に手 習 や 絵 な ど を 書 い て 見 せ、 教 育 を 始 め て い る 場 面 で あ る。 「 ま だ よ う は 書 か ず 」 と 言 っ て い る 少 女 が、 将 来 は ど の よ うに成長していくのか、また、どのように自分の手で成長 させていこうかと考え、ほほ笑んだのではないか。3はだ んだんと理想に近づく紫上に満足を覚え、ますます将来を 楽しみに感じている。また、2の場面の頃からの成長も感 じ て い る こ と と 思 う。 2、 3 の 笑 み は、 源 氏 が 紫 上 の 幼 い 可愛らしさを感じながらも、その中で、紫上の将来を想像 し、女性としての愛しさを感じての笑みであり、反射的に 出た1の笑みに比べて、複雑な笑みである。 以上から、 『源氏物語』において「ゑむ」と「ほほゑむ」 が 表 現 す る 状 況 は 異 な り、 「 ゑ む 」 は 反 射 的 な 笑 み、 裏 表 の 無 い 単 純 な 笑 み で あ り、 「 ほ ほ ゑ む 」 は 何 か 含 む と こ ろ が あ り、 「 ゑ む 」 よ り も 複 雑 な 心 理 が 隠 れ て い る 笑 み で あ
りそうである。
第三章
「わらい」による人物造型
第一節 光源氏 薫 匂宮源氏のどのような性質を表現しようとしているのか。 約五七%であった。 『源氏物語』 では 「ほほゑむ」 によって、 正編の「ほほゑむ」の用例の中で、源氏の「ほほゑむ」は 例 が 他 の 人 物 に 比 べ て 非 常 に 多 い こ と だ。 割 合 で 表 す と、 『 源 氏 物 語 』 で 特 徴 的 な の が、 源 氏 の「 ほ ほ ゑ む 」 の 用
源氏はどのような時にほほ笑んでいるのか。源氏の「ほ ほ ゑ む 」 三 七 例 を、 「 ほ ほ ゑ む 」 要 因 に よ っ て 分 類 し た。 相 手 に 対 す る 嘲 り の 気 持 ち が 強 い も の を「 嘲 笑 」、 相 手 を 馬鹿にしながらも、親しみが込められているものは「から かい・冗談」と分けた。また、恥ずかしさをごまかすため の 笑 み は「 照 れ 」、 相 手 に 対 し て 後 ろ め た い 事 実 を 隠 す た めや、自分の考えについて明言を避ける時の笑みを「ごま かしの笑み」と分けることにする。
①情愛を表す笑み 一三例
②嘲笑 八例
③からかい・冗談 五例
④苦笑 三例
⑤照れ 二例 ⑥意志の伝達 二例
⑦ごまかしの笑み 三例
⑧満足 一例 こ の 分 類 に 因 れ ば、 「 ① 情 愛 を 表 す 笑 み 」 が 最 も 多 い と わ かる。相手の容姿の美しさに対してではなく、男女間のや り取りのなかで、機転を利かす相手に対して感心をする場 合が多い。①の中でも、直接、または間接的に、紫上に向 けた笑みが最も多く、五例であった。一部を挙げる。
1、舟とむるをちかた人のなくはこそあす帰り来むせな と待ちみめ
いたう馴れてきこゆれば、いとにほひやかに ほゝ笑み て (「薄雲」 )
2、 「 君 こ そ は、 さ す が に 隈 な き に は あ ら ぬ も の か ら、 人により事に従ひ、いとよく二筋に心づかひはし給け れ。さらに、こゝら見れど、御ありさまに似たる人は なかりけり。いとけしきこそものし給へ」と ほゝ笑み て 聞こえ給。 (「若菜下」 ) こ れ ら の 例 は、 た だ 単 に 愛 し さ を 表 し て い る の で は な く、 紫 上 の 嫉 妬 す る 様 子 に 対 し て の 苦 笑、 自 分 の 心 を コ ン ト ロールする紫上に対して感心するなど、様々な感情が込め られた「ほほゑむ」である。六条院の他の妻へ向けた「ほ ほゑむ」と比べてみる。まず、花散里への「ほほゑむ」で あるが、
ふと見知りたまひにけりとおぼせど、 ほゝ笑みて 、な をあるを、よしともあしともかけ給はず。 (「蛍」 ) これは蛍兵部卿宮と帥の親王を比較し、蛍兵部卿宮の方が 優れていると評する花散里に対し、源氏がほほ笑む場面で あるが、情愛を示しているわけではなく、源氏が蛍兵部卿 宮と帥の親王どちらが優れていると考えているか、自身の 意見の明言を避けるためのほほ笑みである。
次に明石君に向けた「ほほゑむ」は、直接ではなく、彼 女がいない場所で、彼女の歌を詠んで源氏はほほ笑んでい る。 めづらしや花のねぐらに木づたひて谷のふる巣をと へる鶯声まち出たる。
なども、
咲ける岡べに家しあれば。 な ど、 ひ き 返 し 慰 め た る 筋 な ど 書 き ま ぜ つ ゝ あ る を、 取りて見給ひつゝほゝ笑み給へる 、はづかしげ也。 (「初音」 )
この時源氏は、 明石君の教養を感心しているであろうし、 娘の明石姫君からの返事を喜ぶ明石君の様子をほほ笑まし く思っているであろう。情愛は感じられるが、紫上のよう に、嫉妬する姿や、感情を抑える姿に愛しさを感じている わけではない。他の妻との関係性(嫉妬)に関連して、源 氏が笑みを向ける女君は紫上しかない。源氏の紫上への情 愛の深さが窺え、源氏の中で、多少嫉妬を疎ましく感じる ことはあるにしても、紫上は嫉妬しても良い立場、嫉妬を 許せる立場であったことが窺える。2の例で、 「君こそは」 「 御 あ り さ ま に 似 た る 人 は な か り け り 」 と 述 べ て い る こ と か ら も わ か る よ う に、 源 氏 に と っ て 紫 上 は 唯 一 の 存 在 で あったことが窺える。しかし、この賞賛に対して、紫上の 反応はない。中島尚氏は、 女三宮側に行く光源氏に紫上は何も言わない。このほ ほえみこそは、 心を開いてなごんだはずのものが、 まっ たくその意に反してほとんど暴力的な表情にかわって いることを示すものではないだろうか。はたせるかな 紫上はその直後、胸を病み、世間では茅死去の噂さえ 流 さ れ る に 到 る の で あ る。 ( 中 略 ) 最 大 の ほ め こ と ば に類するものが、そのまま同時にその人の人格をしば りつけ化石化してしまうように働いていることを読み とるべきなのではあるまいかと思う。
(注10)
と述べており、源氏の紫上に対する愛情と、紫上の源氏 に対する感情に、隔たりを感じられる場面でもある。女三 宮の降嫁が決まって以降の紫上の心情については、後に彼 女の「わらい」を考えていく中で触れることにする。
源氏の愛情は「ほほゑむ」で表され、その内に単なる愛 情 で は な く 女 君 た ち の 言 動 に 対 す る 想 い を 含 ま せ る こ と で、源氏は女君の容貌だけでなく、内面、器量を見て情愛
を感じていることを示しているのではないだろうか。
さて、続編では「ほほゑむ」の用例が減り、主要人物の 薫と匂宮が「ほほゑむ」用例も少なく、両者とも一例ずつ だ。しかもそのほほ笑みを向ける相手は、共通して浮舟で ある。けれど、薫が浮舟へ向ける「ほほゑむ」と、匂宮の 浮舟に向ける「ほほゑむ」は、意味合いが違うようだ。
まず、薫の「ほほゑむ」を見てみる。浮舟が匂宮と通じ ていると感づいた薫が浮舟に対して贈った歌に、うまくご まかして返事をよこした浮舟に感心する場面である。 所違へのやうに見え侍ればなむ、あやしくなやまし くて何ごとも。 と書き添へてたてまつれつ。見給て、さすがにいたく もしたるかな、かけて見をよばぬ心ばへよ、と ほゝ笑 まれたまふ も、にくしとはおぼしはてぬなめり。 (「浮舟」 ) 薫は大君の形代として、浮舟の外見しか見ておらず、浮舟 自 身 に 愛 情 を 示 す こ と は 無 か っ た。 こ の「 ほ ほ ゑ む 」 は、 浮舟に情を感じながらも、皮肉混じりの笑みで、親愛を示 す も の で は な い が、 浮 舟 の 才 覚 を 発 見 し、 感 心 し て い る。 薫は、匂宮と浮舟が関わる事で初めて、浮舟という人物を 見直すに至り、彼女の内面を見始めた。今井源衛氏は「浮 舟の心中の感懐が、語り手の地の分によって内側から具体 的 に 叙 述 さ れ る よ う に な る の は、 前 述 の ご と く、 浮 舟 巻、 と く に 匂 宮 と 通 じ て 以 後 で あ る。 」
(注り、それに伴って薫も浮舟という一個人を認識する。 人間としての浮舟にようやく焦点が当てられたことがわか 後 で あ り、 「 大 君 の 人 形 」 と し て の 浮 舟 で は な く、 一 人 の ように、浮舟の意志や感情が顕れてくるのは「浮舟巻」以
11)と 述 べ ら れ て い る
一方、匂宮の浮舟に向ける「ほほゑむ」はどうであった かというと、 心をば嘆かざらまし命のみさだめなき世と思はまし かば とあるを、変はらむをばうらめしう思ふべかりけりと 見 給 に も、 い と ら う た し。 「 い か な る 人 の 心 変 は り を 見ならひて」など ほゝ笑みて (「浮舟」 ) この「ほほゑむ」は、浮舟を幼いと感じながらも、その幼 い様子に愛情を感じていることを表している。前の薫の笑 みと比べ、浮舟との交流を楽しんでおり、恋人同士らしい 雰囲気を演出している。しかし、匂宮と浮舟の交流は、男 が女を幼いと感じている点など、源氏と夕顔の交流を連想 させ、源氏と夕顔の結末を思うと、どこか刹那的にも感じ る。 匂 宮 と 浮 舟、 源 氏 と 夕 顔 の 関 係 性 の 類 似 点 に つ い て、 今 井 源 衛 氏 は、 「 男 は 女 に 身 分 を 明 か せ と 求 め る が、 女 は や さ し く 甘 え た 応 対 を し な が ら そ れ に は 応 じ な い 」
(注ら で ゆ く 月 は 上 の 空 に て 影 や 絶 え な む 」( 「 夕 顔 」) と い う いう点を挙げられている。また、夕顔は「山の端の心も知 と
12)歌を、浮舟は「橘の小鳥の色は変わらじをこのうき舟ぞゆ くへ知られぬ」 (「浮舟」 )「降りみだれみぎはに氷る雪より も 中 空 に て ぞ 我 は 消 ぬ べ き 」( 「 浮 舟 」) と い う 二 首 の 歌 を 詠 ん で い る が、 両 者 の 歌 に 対 し 同 氏 は、 「 不 吉 な 前 途 を 予 感 す る も の 」
(注略 ) こ の 設 定 の 共 通 性 も す こ ぶ る 特 徴 的 と い え る 。」
(注の に 、 相 手 の 男 は 源 氏 ・ 匂 宮 共 に そ の 真 意 を 察 し 得 な い ( 中
13)と し 、「 女 が こ う し た 内 心 の 不 安 を 詠 ず る
されている。 と
14)両者の「ほほゑむ」を比べることで、薫と匂宮の浮舟と の 関 わ り 方 の 違 い が 見 え て く る。 薫 は 浮 舟 を 形 代 と し て 扱っていたため、浮舟自身を見ず、匂宮と浮舟が通じて初 めて、浮舟に執着らしい執着を見せ始める。匂宮は、浮舟 の身分は低く見ていたようだが、浮舟を魅力ある女性と感 じ、恋人らしく接している。しかし、その交流は刹那的で もある。
正編と続編の「ほほゑむ」の使用例の差を契機に、 源氏、 薫、 匂 宮 の「 ほ ほ ゑ む 」 の 検 証 を 行 っ た。 そ の 結 果、 「 ほ ほゑむ」の用例を分析することによって、 三人がそれぞれ、 どのように女性と関わっているかが見えてきた。
第二節 紫上 中君
女性は男性に比べると「わらい」の用例が少なく、ほと ん ど の 人 物 が 一、 二 例 程 度 の 使 用 例 し か な い。 し か し、 そ の女性の中で、 紫上は用例数が九例であり、 突出して多い。 紫上の「わらふ」系、 「ゑむ」系、 「ほほゑむ」系の用例を 以下に全て挙げる。また、先に述べた、女三宮の降嫁決定 後の、紫上の心情もここで述べていきたい。 1、やう〳〵起きゐて見給に、鈍色のこまやかなるがう ち萎えたるどもを着て、何心なく うち笑み などしてゐ 給へるが、いとうつくしきに (「若紫」 )
2、手づからこの赤鼻をかきつけ、 にほはして見給ふに、 かくよき顔だに、さてまじれらむは見ぐるしかるべか りけり。姫君見て、いみじく笑ひ給。 (「末摘花」 )
3、 「 思 は ず に の み と り な し 給 ふ 御 心 の 隔 て を、 せ め て 見知らずうらなくやは、とてこそ。いはけなからん御 心には、いとようかなひぬべくなん。いかにうつくし きほどに。 」とて、 すこしうち笑み給ひぬ 。
(「松風」
)
4、 「 い で や、 わ れ に て も、 ま た 忍 び が た う、 も の 思 は しきおりおりありし御心ざまの、思出でらるゝふしぶ しなくやは」と、 ほゝ笑みて 聞こえ給へば
(
「胡蝶」 )
5、御簾の吹き上げらるゝを、人々をさへて、いかにし たるにかあらむ、 うち笑ひたまへる 、いといみじく見 ゆ。 (「野分」 )
6、 「 あ な う た て、 め で た し と 見 た て ま つ る と も、 心 も て宮仕ひ思たらむこそいとさし過ぎたる心ならめ」と て、 笑ひたまふ 。 (「行幸」 )
7、 す こ し ほ ゝ 笑 み て 、「 身 づ か ら の 御 心 な が ら だ に え 定 め 給 ま じ か な る を、 い づ こ に と ま る べ き に か 」 と、 言ふかひなげにとりなし給へば (「若菜上」 )
8、 「 物 越 し に、 は つ か な り つ る 対 面 な ん、 残 り あ る 心 ちする。いかで人目とがめあるまじくもて隠して、い ま 一 た び も 」 と 語 ら ひ き こ え 給。 う ち 笑 ひ て 、「 い ま めかしくもなりかへる御ありさまかな。むかしをいま に 改 め 加 へ 給 ほ ど、 中 空 な る 身 の た め 苦 し く 」 と て、 さすがに涙ぐみ給へるまみの、いとらうたげに見ゆる に (「若菜上」 )
9、 「 ま ろ が は べ ら ざ ら む に、 お ぼ し 出 で な ん や 」 と 聞 こ え 給 へ ば、 「 い と 恋 し か り な む。 ま ろ は、 内 の 上 よ り も、 宮 よ り も、 ば ゞ を こ そ ま さ り て 思 き こ ゆ れ ば、 おはせずは心ちむつかしかりなむ」とて、目おしすり てまぎらはし給へるさま、おかしければ、 ほゝ笑みな がら 涙は落ちぬ。 (「御法」 ) 1と2は子どもの頃の屈託のない「わらい」で何の憂いも 感じられない。7の 「若菜上」 の用例までの1から6の 「わ らい」は、複雑な心理からではなく、自然に出た笑みであ ろう。ただ3は、源氏から明石姫君の養育を頼まれるとい う、紫上にとっては複雑な状況の場面である。自分の子が いない紫上としては思うところがあっただろう。だが、 「ほ ほゑむ」ではなく「ゑむ」が使われている事から、この笑 みは、まだ見ぬ姫君の世話をする事を想像して、純粋に楽 しみに思う気持ちから出た笑みではないだろうか。 しかし、 7 か ら 9 の 笑 み は、 明 ら か に 6 ま で の「 わ ら い 」 と 違 い、 憂いを帯びている。高野香織氏は、 第一部と第二部では紫の上の「わらひ」が違うことが わかる。この「わらひ」の変化から紫の上自身の変容 をみてとれるのである。
「 若 菜 上 」 巻 で 女 三 宮 が 源 氏 の も と へ 降 嫁 す る。 そ んなことは決してありえないだろうと安心しきってい た紫の上は、精神的に大きな打撃をうける。源氏への 信頼はゆらぎ、出家を願うようになる。そんな紫の上 から笑顔が消える。笑わなくなったのではない。笑え なくなったのだ。
(注15)
と述べられている。また、7の場面は女三宮のもとへ行く 源 氏 が、 紫 上 に 事 情 を 説 明 す る 場 面 で あ る。 中 島 尚 氏 は、 この場面に対し 光源氏はむしろ紫上が気の毒で、彼女にすまないと愛 情をこめているのである。それに対し紫上は、光源氏 自身の悩んで定めかねているものを私がどうして、と いう。共感しようにもしかねる、また他の女のもとに 行けとも言い切れぬ感覚が、このほほえみにこりかた まってあらわれる。明石君に対したばあい、玉かつら のばあいをへて、こちらは院の思わくさえ紫上の上へ
落ちかかる。われとわが身にもどうしようもないよう な、どこかが欠け落ちるような感情が「目に近く」の 歌 で 爆 発 す る。 ( 中 略 ) 長 い 時 間 の た っ た あ と、 紫 上 には何かが見えてきたかのようである。確実のように 思われていたものが失われたような感じになったので ある。
(注16)
と述べられている。紫上に対し弁明する源氏と、それをど こか諦観した態度で聞く紫上の間には溝を感じる。女三宮 の 降 嫁 が 決 ま る ま で の 紫 上 は、 嫉 妬 心 を 表 に 出 す こ と も あった。特に明石君に対しては、嫉妬心を露にする事が多 かった。それができたのは、今まで彼女が源氏の正妻格で あったからである。しかし、女三宮が源氏の正式な正妻と なってしまってからは、いくら源氏が紫上を女三宮より重 く扱おうと、女三宮との身分差は埋められない。源氏が女 三 宮 を 紫 上 よ り 重 く 扱 う こ と は、 身 分 的 に は 妥 当 で あ り、 むしろそうされるべきなのである。紫上より身分が低かっ た明石君の時とは違い、 源氏が女三宮のもとに行くことは、 非難できないことなのである。そして、紫上が頼みにでき る後ろだては源氏しかいない。今までは「正妻格」という 地位があったが、それはなくなり、紫上の立場は非常に不 安定になった。源氏に見放されては、紫上は生きてはいけ ず、源氏が望むような人物であらねばならなかった。源氏 が紫上に向ける賛辞は、中島尚氏の述べるように「その人 の人格をしばりつけ化石化してしまうように働いて」しま い、感情を表に出すことができなくなった紫上は、笑みの 中に感情を隠すようになり、精神的にも身体的にも疲弊し て い く。 「 若 菜 上 」 以 降 の「 わ ら い 」 は、 彼 女 の 苦 し い 心 情を表していると言えるだろう。 これに対して、 続編の女性の用例の中で、 最も「わらい」 の用例が多いのが中君であり、中君の「わらい」は全五例 である。そのうち「宿木」の例を挙げてみる。 我 御 袖 し て 涙 を の ご ひ 給 へ ば、 「 夜 の 間 の 心 変 は り こ そ、の給ふにつけて、をしはかられ侍ぬれ」とて、 す こしほゝ笑みぬ 。 (「宿木」 )
この場面で中君は、六君のもとへ通う匂宮に対して、悲 しい気持ちを隠し、気丈に振舞おうとしている。この状況 は女三宮降嫁後の紫上の状況と似ている。中島尚氏も「こ れがいわば、正編の世界での紫上の造型のはるかな水脈の あらわれであるといってよい」と述べている。しかし、紫 上は、彼女の確立された地位が、女三宮降嫁によって瓦解 するのに対し、中君は匂宮との間に男の子をもうけること で、危うかった自分の地位を安定させ、これ以降の三例の 「わらい」に憂いを感じることは無い。
1、女君の御前に出で来て、 いみじくめでたてまつれば、 ゐ中びたるとおぼして 笑い給 。 (「東屋」 )
2、 「 い で や、 そ の 本 尊、 願 い 満 て た ま ふ べ く は こ そ う
とからめ、時々心やましくは、中〳〵山水も濁りぬべ く」との給へば、 はて〳〵は、 「うたての御聖心や」と、 ほのかに 笑ひ給ふも 、おかしう聞こゆ。 (「東屋」 )
3、 「 い と さ 言 ふ ば か り の 幼 さ に は あ ら ざ め る を。 う し ろめたげにけしきばみたる御まかげこそわづらはしけ れ」とて 笑ひ給へるが (「東屋」 ) 1は田舎びた中将君への嘲笑、2は薫の懸想の言葉に対し て、皮肉を交えた返答をして笑う場面、3は浮舟をあまり にも子ども扱いする中将君に対しての笑いで、いずれも悲 しみの感情は感じられない。
紫上の 「わらい」 の用例は段々と憂いを帯びた 「わらい」 へと変化していったが、中君は「宿木」以降の用例に憂い は感じられず、 当然涙が伴う 「わらい」 も無くなる。 「わらい」 を中心にして見た時、紫上と中君が対比的に描かれている ように感じる。
第三節 弘徽殿女御(内大臣女)
内大臣女の弘徽殿女御であるが、彼女の「わらい」の用 例は「ほほゑむ」のみ用例が二例ある。この二例の「ほほ ゑむ」がとても対比的に使われている。まず、一例目であ るが、 「などか、いとさことのほかには侍らむ。 (中略)かく の給ひさはぐを、はしたなう思はるゝにも、かたへは かゝやかしきにや」と、いとはづかしげに聞こえさせ 給ふ。この御ありさまは、 (中略)残り多かりげに ほゝ 笑み給へるぞ 、人にことなりけると見たてまつり給ふ。 (「常夏」 ) 近江君を笑い者扱いする内大臣に対し、弘徽殿女御は近江 君 を 擁 護 し、 近 江 君 へ の 気 遣 い も 見 せ、 そ の「 ほ ほ ゑ む 」 も優しいものに感じる。だが、次の「ほほゑむ」はどうだ ろう。 大輔の君といふ、持てまいりて、ひき解きて御覧ぜさ す。女御、ほゝ笑みてうちをかせ給へるを、中納言の 君 と い ふ、 近 く い て、 そ ば 〳〵 見 け り。 「 い と い ま め かしき御文のけしきにもはべるかな」と、ゆかしげに 思 ひ た れ ば、 「 草 の 文 字 は え 見 知 ら ね ば に や あ ら む、 本末なくも見ゆるかな」とて給へり。 (「常夏」 ) この場面は、弘徽殿女御が近江君の、歌枕を乱用した珍妙 な歌「草若み常陸の浦のいかゞ崎いかであひ見ん田子の浦 波 」( 「 常 夏 」) を 受 け 取 る 場 面 で あ る。 前 の 例 で は、 近 江 君に思いやりのある態度を示し、優しいほほ笑みを浮かべ ていた弘徽殿女御が、この場面では一転して近江君を見下 す態度をとり、さらに珍妙な歌「常陸なる駿河の海の須磨 の 浦 に 波 立 ち 出 で よ 箱 崎 の 松 」( 「 常 夏 」) を 女 御 付 き の 女 房が返すことで、近江君を馬鹿にしている。ここでの「ほ ほゑむ」は、明らかに人を貶める笑いである。
弘徽殿女御という同じ人物の 「ほほゑむ」 でありながら、 前者と後者ではこうも性質が違っている。 弘徽殿女御の 「ほ ほゑむ」の例はこの二例のみであるが、 『源氏物語』では、 この二つの「ほほゑむ」の落差を使って、弘徽殿女御をど のように描いているのか。
近江君と関わる前の彼女は、品があり、思いやりのある 発言をし、優しいほほ笑みを浮かべていたのに、近江君が 歌を送ることで、 そのほほ笑みは侮蔑を表すものに変わり、 先で築き上げた女御像は一気に瓦解してしまった。近江君 によって、結局は彼女も、父の内大臣や兄弟たちと同じで あったことがわかってしまう。さらに、本来は教養が深い であろう女御が烏滸な歌まで詠まされてしまう(実際に詠 ん だ の は 女 御 付 き の 女 房 )。 最 初 の 印 象 が 素 晴 ら し い 人 物 であったがために、近江君の歌を嗤う彼女は、最初の印象 との落差が激しく、より滑稽に感じられてしまうかもしれ ない。
第四節 浮舟
続 編 で、 他 者 か ら 笑 み を 向 け ら れ る こ と が 多 い 女 性 が、 浮舟である。他者が浮舟に向ける笑みとはどのような意味 を持っていたのか。
気な笑み、また、幼い子どもの言動を見て、可愛い、愛し ゆ る し た ま ふ ほ ど に な り に け る 、と お ぼ す 。( 「若菜下」 ) 『 源 氏 物 語 』 の 中 で 笑 む 状 況 と し て、 幼 い 子 ど も の 無 邪 と の た ま へ ば 、 何 心 な く う ち 笑 み て 、 う れ し く 、 か く 1 、 こ の 御 琴 の 音 ば か り だ に 伝 へ る 人 お さ 〳 〵 あ ら じ 」 みる。 くし」と感じられるのだろう。対して、残りの二例を見て こ と か ら、 大 輔 の 命 婦 か ら 見 れ ば 源 氏 は ま だ 若 く、 「 う つ は、 元 服 も 済 ま せ た 成 人 だ が、 「 若 う 」 と 表 現 さ れ て い る 命婦が、自然と笑みをこぼす場面である。この場面の源氏 例 外 の 内 一 例 は、 「 末 摘 花 」 の 巻 の、 源 氏 を 見 た 大 輔 の 表す場合が多いと言える。では、例外の三例を見てみる。 用例、語意から考えて、 「うつくし」 「何心なし」は幼さを 幼 い 子 ど も が 関 わ ら な い 例 は、 三 例 し か 見 ら れ な か っ た。 心 な し 」 と「 ゑ む 」「 ほ ほ ゑ む 」 が 一 緒 に 使 わ れ て い て、 無 邪 気 で あ る、 と い う 意 味 で あ る。 こ の「 う つ く し 」「 何 いさま。 」であり、 「何心なし」は、 文字通り、 無心である、 ものに対する情趣的な意味を表す。かれんなさま。かわい な肉親的愛情を表す。いとしい②小さいもの、いたいけな 子に対する、夫の妻に対する、男の女に対する非常に親密 つくし」の意味は、 『角川古語大辞典』によると、 「①親の 共 に、 「 う つ く し 」「 何 心 な く 」 い ず れ か の 語 が あ る。 「 う 面は十二例あるが、内九例に「ゑむ」又は「ほほゑむ」と 笑む場面、幼い子どもの言動から、それを見た者が笑む場 いと感じる事から笑むことがしばしばある。幼い子どもが
2、隔てきこゆる心は侍らねど、あやしくて生き返ける 程に、よろづのこと夢の世にたどられて、あらぬ世に 生まれたらん人は、かゝる心ちやすらんとおぼえ侍れ ば、今は知べき人世にあらんとも思ひ出ず、ひたみち にこそむつましく思きこゆれ」との給さまも、げに 何 心なくうつくしく 、 うち笑みて ぞまもりゐ給へる (「手習」 ) 1の「若菜下」の例は、源氏に琴の上達を褒められた女三 の宮が無邪気にうち笑む場面、2の「手習」の例は、自分 を頼りにする浮舟を妹尼が可愛く思う場面である。源氏に 降嫁した女三宮はまだ十三歳ほどだが、当時からすると結 婚をするような歳であるから、幼いとは言えないかもしれ ない。しかし、女三宮は度々その精神面の幼さが強調され て い る。 こ こ で も、 本 来 子 ど も が す る は ず の「 何 心 な い 」 笑みを女三宮がすることで、 彼女の幼さが強調されている。 同じく浮舟も、 大人であるにも関わらず、 幼子のように「何 心 な く う つ く し 」 と 形 容 さ れ、 そ の 浮 舟 を 見 て、 妹 尼 は、 子どもを見守る大人のようにうち笑んでいる。やはりこれ も、浮舟の精神面の幼さの強調ではないだろうか。
浮舟が関係する「笑む」の例は「手習」の例の他に二例 ある。その内の匂宮の例を挙げる。 心をば嘆かざらまし命のみさだめなき世と思はまし かば とあるを、変はらむをばうらめしう思ふべかりけりと 見 給 に も、 い と ら う た し 。「 い か な る 人 の 心 変 は り を 見ならひて」などほゝ笑みて (「浮舟」 ) こ こ で 注 目 し た い の が「 ら う た し 」 と い う 語 だ。 「 ら う た し 」 の 意 味 は、 『 角 川 古 語 大 辞 典 』 で は「 ① 弱 々 し い も の に、なんとなく心引かれるさま。また、かばいたくなるさ ま。②かわいらしいさま。③いとしいと思うさま。④いじ らしいさま。また、かわいそうで気の毒なさま。 」とあり、 弱々しいさま、頼りないさまを表す語とされている。小学 館の『古語大辞典』では、 「①いたわしい。かわいそうだ。 ②弱々しく可憐だ。 いとしい。 かわいらしい。 」とある。 『枕 草子』では、 をかしげなるちごの、あからさまに抱きて遊ばしうつ くしむほどに、かいつきて寝たる、いと らうたし 。 (『新編日本古典文学全集 枕草子』 ) と、 赤 子 の 様 子 を「 ら う た し 」 と 述 べ て お り、 こ の 語 も、 まだ頼りない存在である幼さないものと結びつくことが多 い と 考 え ら れ る。 三 角 関 係 に 悩 ま さ れ た 女 三 宮 と 浮 舟 が、 「 幼 さ 」 と い う 共 通 点 を 持 っ て い る こ と は 興 味 深 い。 と こ ろで、大人である浮舟に、幼いイメージを与えているのに は、どのような意味があるのだろうか。 浮舟や女三宮と同じように「幼い」イメージを与えられ ている女性として、夕顔がいる。彼女は玉鬘という子ども
がいる母親であり、当たり前だが幼い子どもではない。し かし、度々その若々しさが強調されており、大人でありな が ら 子 ど も の よ う な 言 動 を す る 夕 顔 は、 守 っ て あ げ た い という気持ちを起こさせるほど、ひどく頼りない存在であ る。夕顔はこの後、物の怪に取り殺される儚い女性として 描かれている。大人でありながら「幼い」性質を持つこと は、 存 在 の 危 う さ に 繋 が っ て い く の で は な い か。 そ こ で、 浮舟に立ち返って考えて見ると、彼女もまた、薫と匂宮と の間で揺れ、自殺未遂というところまで追い詰められてお り、やはり、頼りなく、危うい存在であった。ここで注意 し て お き た い の が、 浮 舟 の「 幼 さ 」 を 表 現 す る 例 が、 「 手 習」の巻にあるということである。入水後の彼女は、自ら 出家することを望み、強い意志を持って薫に会おうとしな い。けれども、浮舟は本当に強い意志を持った女性として 生まれ変わっているのだろうか。入水前の「浮舟」の巻と 同じように、 入水後の「手習」の巻でも、 見る者に「幼さ」 を感じさせ、庇護の対象としてほほ笑まれている。長尾美 都 子 氏 も 入 水 後 の 浮 舟 に 対 し、 「 蘇 生 後 の 浮 舟 自 身 に は 内 面的に大きな変化はなく、 出家の意思を通したというのも、 人 間 的 に 強 く な っ た と い う よ り 逃 避 と も 考 え ら れ る。 」
(注17)
と、述べている。死の淵から蘇り、強く薫を拒否する浮舟 であるが、実はその存在はまだ頼りなく、危ういままなの かもしれない。 おわりに 『源氏物語』 の「わらい」 は、 柳田國男が定義する 「わらい」 と 完 全 に は 一 致 し な い。 「 わ ら ふ 」 と い う 語 に は 嘲 笑 の 意 味が多く含まれ、 柳田の定義する 「わらふ」 と差異はなかっ た が、 「 ゑ む 」 は 柳 田 の 定 義 に は 当 て は ま ら な い。 柳 田 は 「ゑむ」が不快の念を与えることは一切ないとしたが、 『源 氏物語』の用例を見ると、 嘲笑と取れるものが散見される。 さらに「ほほゑむ」になると、多くの場合が嘲笑を含んで お り、 『 源 氏 物 語 』 の「 わ ら い 」 は 明 ら か に 柳 田 の 定 義 し た「わらい」と異なることがわかる。 ま た、 『 源 氏 物 語 』 は 混 合 さ れ て 使 用 さ れ て い た と 思 わ れる「ゑむ」と「ほほゑむ」に、 「ゑむ」は反射的な笑み、 「 ほ ほ ゑ む 」 は よ り 複 雑 な 心 理 を 背 景 と し た 笑 み と い う よ うに使い分けているのが特徴と言える。そして、 「わらい」 を 場 の 効 果 と し て だ け で な く、 「 わ ら い 」 の 効 果 に よ っ て 人間の複雑な心理、置かれている状況を描き出し、奥深い 人物像を造りだしている。そうすることで、物語の登場人 物は、パターン化された存在ではなく、現実の人間と同じ ように愛情や苦悩を持つ人間であり、共感できる存在とし て、効果的に描かれている。
注注1 柳田國男「笑の本願 女の咲顔」『柳田國男全集 一五』 筑摩書房 一九八九年注2 松尾聰「わらふ・ゑむ・ほほゑむ」
『源氏物語を中心とした語意の紛れ易い中古語攷』笠間書院 一九八四年注3 注1に同じ注4 柳田國男「笑の本願 笑の文学の起源」
『柳田國男全集 一五』 筑摩書房 一九八九年注5 ベネディクト『菊と刀』 角田安正訳 光文社 二〇〇八年注6 松尾聰「「ゑむ」の語義吟味」
『源氏物語を中心とした語意の紛れ易い中古語攷』笠間書院 一九八四年注7 吉村研一「源氏物語において「ほほゑむ」の果たした役割 ――「ゑむ」と「ほほゑむ」の違い――」
『学習院大学国語国文学会誌』四七号 学習院大学文学部国語国文学会 二〇〇四年注8 片岡照子「源氏物語の笑いについて」『国文白百合』五号 白百合女子大学国語国文学会 一九七四年三月注9 注7に同じ注
て―」 10 中島尚「紫上のほほえみ―源氏物語の人物造型の方法につい
『国文学 言語と文芸』 東京教育大学国語国文学会 一九七五年六月注 11、
13、
14
今井源衛「浮舟の造型―夕顔・かぐや姫の面影をめぐって―」
『文学』五〇号
岩波書店 一九八二年七月 注
15 高野香織「源氏物語における笑い―笑えなくなる紫の上」
『物語文学論究』一〇号 国学院大学物語文学研究会 一九九二年三月注
16 注
10に同じ
注
17 長尾美都子「浮舟―薫・匂宮の愛情について―」
『平安文学研究』七三号 平安文学研究会 一九八五年六月※なお、本稿の『源氏物語』本文の引用は、『新日本古典文学大系 源氏物語』から引用した。