ある文章︑ことに古い時代の文章を正確に読もうとすれば︑なに
よりもまず正確な本文に依拠しなければならない︒そのために系統
の異なる版本間の文字の異同を照合し︑関係資料を参考にして正確
な本文を得る作業︑すなわち校勘が不可欠となる︒校勘は単なる異
文の列挙にとどまらず︑いかなる理由で何を是とするか︑という校
訂者の判断も示されるべきである︒版本間の校勘では︑より古い版
本を尊重するという原則めいた基準があるけれども︑最終的な判断
はやはり校訂者の見識に委ねられる︒こうした場合︑校訂者はおお
むね文義が通ずるか否かを判断の基準にし︑よりよく解釈できる本
文を是とするようだ︒この方法は十分に正しい︒文義の通じない文
章は誤りを含む可能性が大きいからである︒しかし校勘という作業
は︑文義が通ずれば事足れりというものではあるまい︒さらに一歩︑
その文章の表現にまで踏み込んだ考察が必要ではないか︒小論では
﹃晴書﹄経籍志︵以下﹁晴志﹂という︶の文章を例にとり︑校勘の過程
で︑誰しもその重要性を認識しながら︑ともすれば看過されてしま
いがちな問題を考えてみたい︒
小論で取り上げるのは﹁晴志﹂の冒頭︑経籍の由来を述べた箇所
である︒説明の必要上︑前後の文章を併せて掲げる︒
階書経籍志桁字考︵矢淵孝良︶ 陪書経籍志術字考
︵前略︶遭時制宜︑質交迭用︑應之以通鍵︑邇鍵之以中庸︑中庸則
可久︑邇鍵則可大︑其教有適其用無窮︑實仁義之陶鉤︑誠道徳
たが之臺篭也︑︵時に遭いて宜しきを制し︑質文迭いに用う︒之に応ずるに通変
を以てし︑之を通変するに中庸を以てす︒中庸なれば則ち久しかる可く︑通変
かななれば則ち大いなる可し︒其の教えは適う有り︑其の用は窮まり無し︒実に仁
義の陶鈎︑誠に道徳の臺篭なり︶
このうち問題になるのは︑﹁應之以通鍵︑邇鍵之以中庸﹂の二句であ
︵1︶る︒﹃階書﹄の校点本を見ると︑この部分に関する校注はない︒つま
︵2︶り異文がない︒また﹁階志﹂序は既に詳細な訳注が試みられており︑
問題の二句も︑﹁事物の変化に自在に対処し︑変化に対処するには中
庸による﹂と訳出されている︒このように異文がなく︑文義も通ず
るのであれば︑もはや議論の余地はないと考えるのが常識であろう︒
しかし︑虚心に右の文章を読んでみて︑﹁應之以通鍵︑通鍵之以中庸﹂
という表現は︑やはり奇異な印象を免れがたい︒
経籍志にかぎらず︑﹃晴書﹄の﹁志﹂の冒頭には︑各﹁志﹂の取り
扱う事柄の由来等を記す総序がある︒この総序の文章は︑厳密な餅
文ではないが︑餅文的色彩の濃い文体である︒餅文は対句の頻用を
︵3︶最大の特色とする︒右の文章も例外でなく︑
矢淵孝良
①︑蠅融刈蠅棚庸②n腓鵡川呵畑
③同鰔柵鯆糊剛同順枇織故鯏鯏
というように︑四組の対句を積み重ねた構成になっている︒ところ
が︑右のごとく表記すれば明白であろうが︑対句①の結構は対偶表
現として不完全である︒ここで対句の条件に即して詳しく論ずる余
︑ン︑グメト0.Mリー︲裕はないが︑対句は基本的に対称の美を重視する表現形式である︒
したがって対句を構成する各句の字数︵音節数︶の等しいことが︑そ
の条件の一つに数えられる︒対句②③側は正しくその条件を満たし
ている︒しかるに対句佃は上下句の字数が異なる︒対句①を承ける
対句②が字数の等しい対句形式であるだけに︑対句①の不自然な対
偶表現がなおさら目を引く︒完全な対句であれば︑
︲①︑細繩泣川蠅餓あるいは︑眺鯲泣川蠅繊
もしくは
〃①n噸泣川蠅繊
となるはずである︒そして対句③﹁中庸則可久︑通饗則可大﹂と併
せて考えれば︑﹁通愛﹂と﹁中庸﹂の使用回数に不均衡を生ずる対句
〃①は︑対句を積み重ねて均斉美を強調するこの文脈の中では不適切
な表現であり︑対句〃佃こそがここに相応しい表現であると理解され
よう︒つまり︑原文﹁通鍵之以中庸﹂は本来﹁○之以中庸﹂である
べきだ︑というのが私の暫定的な結論である︒ 晴書経籍志術字考︵矢淵孝良︶
そもそも﹃階耆﹄のごとき古い時代の書物は︑写本として転写さ
れる過程およびそれが版本化される段階で誤謬を生じ易い︒こうし
た誤謬は版本間の校勘では発見できず︑後世の関係資料や研究等に
よって確認されるにすぎない︒﹁晴志﹂も例外たりえぬことを︑校点
本の校勘記に拠って指摘しておきたい︒
①︵場帝︶又聚魏已來古跡名薑︑於︵東都観文︶殿後起二臺︑東日妙
偕臺︑藏古跡︑西日寶蹟臺︑藏古薑︑︵又た魏已来の古跡名画を聚め︑
︾て︑つ殿の後に於て二台を起て︑東を妙偕台と日い︑古跡を蔵し︑西を宝蹟台と日い︑
古画を蔵す︶
︵4︶校勘記によると︑原文は﹁寶蹟臺﹂を﹁寶臺﹂に作るが︑張彦遠﹃歴
代名画記﹄巻一の記事に拠り︑﹁蹟﹂の字を補うという︒校勘記がも
とづく﹃歴代名画記﹄・﹁画の興廃を叙ぶ﹂の条には︑﹁晴帝於東京観
文殿後︑起二臺︑東日妙偕臺︑藏自古法書︑西日寶蹟臺︑收自古名
書﹂とある︒張彦遠は﹁階志﹂に拠ると明記しないが︑﹃歴代名画記﹄
︵5︶には﹁階志﹂にもとづくと推察される記事が少なくないようだから︑
これも﹁階志﹂を下敷にしているのかもしれない︒もしそうであれ
ば︑張彦遠の見た﹁階志﹂は正しく﹁寶蹟臺﹂に作っていたことに
なる︒このように固有名詞においてさえ︑脱字のごとき誤りがある
ことは注目に値しよう︒ともかく︑﹃晴書﹄の版本間には文字の異同
がないにもかかわらず︑校点本が﹁寶臺﹂を﹁寶蹟臺﹂に改めるの
は︑それが固有名詞だからであると同時に︑そう改めれば︑
︑脈申鯏剛一軍鮒抽訓
のごとく︑並行する句の字数が等しい対偶表現となる点も考盧した
■■■■■■■■
一
からである︑フ︒
②而︵劉向︶又得⁝⁝王史氏記二十一篇:⁝.︑︵而して又た⁝⁝王史氏
記二十一篇⁝⁝を得︶
︵6︶校勘記によると︑原文は﹁王史氏記﹂を﹁王氏史氏記﹂に作るが︑
﹃廿二史考異﹄の説に従い︑前の﹁氏﹂を桁字として剛るという︒
これは後に﹁氏﹂の字があることに起因する誤りかもしれない︒
③道安與慧遠之襄陽︑後至長安︑符堅甚敬之︑︵道安は慧遠と襄陽に
ゆ之く︒後ち長安に至り︑符堅は甚だ之を敬う︶
︵7︶校勘記によると︑原文は﹁符堅甚敬之﹂を﹁與待堅甚敬之﹂に作る
が︑﹃文献通考﹄巻二二六に拠り︑﹁與﹂を桁字として剛るという︒
これは前に﹁道安與慧遠﹂とある﹁與﹂の字に引かれた誤りかもし
れない︒
以上︑①は脱字︑②と③は術字に関する校勘記である︒既に見た
とおり︑①は文字を補うことによって字数の等しい対句が完成する
例であり︑②と③は近接する文中にある文字が桁字となった例であ
る︒これらの例から推察されるのは︑﹁階志﹂においても対偶表現は
字数の一致を第一の条件にしていること︑術字は近接する文中に同
じ文字がある場合に発生しやすいこと︑の二点である︒この推察を
ふまえて﹁應之以通鍵︑通鍵之以中庸﹂を見れば︑下句の﹁通鍾﹂
は上句に同じ語があるために生じた誤りであり︑本来は﹁應之以通
鍵︑○之以中庸﹂という完全な対句であったと考えるのが妥当では
なかろ︑7か︒
さて︑﹁階志﹂の文章が本来は﹁應之以通鍵︑○之以中庸﹂であっ
たとすれば︑何が﹁○﹂に入るべき語である︑フか︒異文がなく︑絶
階書経籍志桁字考︵矢淵孝良︶ 対的に正しい本文を得られる可能性が乏しいから︑いたずらに推測を重ねることは慎しみ︑﹁邇鍵︑疑有誤﹂ほどの校注にとどめておくのも一つの見識である︒しかし私住わずかでも可能性があれば︑その可能性の当否を検討してみたい︒
既に述べたごとく︑術字は近接する文中に同じ語がある場合に発
生しやすい︒﹁應之以通鍵︑通鍵之以中庸﹂はその典型である︒ただ
下句を﹁○之以中庸﹂に改めたうえで考えると︑﹁○﹂が誤って﹁通
鍾﹂にかわる可能性が大きいのは︑﹁○﹂がもともと﹁通﹂もしくは
﹁鍵﹂であった場合ではないだろうか︒つまり﹁通鍾之以中庸﹂は
もともと﹁通之以中庸﹂もしくは﹁鍵之以中庸﹂であったがゆえに︑
直前の﹁通鍵﹂と紛れやすく︑﹁鍵﹂もしくは﹁通﹂が桁字となる危
険性も高かったと推察されるのである︒ひとまずこのように想定し
たうえで︑それを﹁階志﹂の文脈の中に置いたとき︑全体として自
然な文章になるならば︑それが本来の文である可能性が大きいと言
えよう︒少なくとも︑やみくもに﹁○﹂の字を推測するよりも有効
な方法である︑7︒
それでは︑﹁通之以中庸﹂と﹁鍵之以中庸﹂のどちらがより適切で
あろうか︒直前の句と対にして示せば︑
︑蠅泣川棚繊口餓泣川棚鮒
となり︑一見︑どちらも不自然な感じはない︒﹁中庸﹂は一方に偏ら
ず︑過不足のない︑程好さを具えていること︒﹁通﹂は解釈しにくい
が︑万物に通ずる︑普遍性をもつの意に解せよう︒﹁鍵﹂は変化する︒
仮りの訳を示せば︑﹁通之以中庸﹂は〃偏りのない程好さで普遍性を
一一一
もたせる〃︑﹁鍵之以中庸﹂は〃偏りのない程好さで変化させる″と
なる︒訳文の拙さはともかく︑どちらも解釈は可能であり︑文義の
︵8︶うえから両者の是非は決定できそ︑フもない︒こうした場合︑何を基
準にして是非を判断したらよいのだろうか︒
初めに述べたように︑このような場合には︑対象とする文章の表
現の適否にまで踏み込んだ考察が必要になると思う︒先の暫定的な
結論も︑対偶表現としての不自然さを解消しよ︑フとするところから
必然的に導き出されたものである︒対偶表現に着目したのは︑畢寛︑
﹁階志﹂序の文章が餅文的色彩の濃い文体だからである︒﹁通之以中
庸﹂と﹁鍵之以中庸﹂の是非を判断するに際しても︑この﹁階志﹂
序の文体上の特色が有力な手懸りを与えてくれそうである︒
餅文の文体上の特色は︑対句の頻用に最も顕著であるが︑そのほ
か︑古典の語句や故事を援用すること︑すなわち典故の多用も特色
の一つに数えられる︵注3参照︶︒﹁晴志﹂序もこの特色を具えており︑
﹁訳注﹂に指摘されるとおり︑冒頭部分の文章は﹃易﹄をふまえた
表現が多い︒そして︑﹁應之以通鍵︑○之以中庸︑中庸則可久︑通鍵
則可大﹂という二組の対句からなる四句について︑﹁訳注﹂は︑﹁通
鍵﹂﹁可久﹂﹁可大﹂が﹃易﹄繋辞伝に見える語であることを指摘す
る︒つまり﹁○之以中庸﹂を除く三句が﹃易﹄にもとづく表現なの
である︒さらにこの四句の構成を見ると︑
n噸肱川蠅繊V八糾鱸川舸畑U
というように︑二組の対句の一方が互いに密接に呼応している︒対
句はなによりも均斉美を重んずる表現形式である︒密接に呼応する 階書経籍志桁字考︵矢淵孝良︶
四句のうちの三句が﹃易﹄にもとづく表現であれば︑残る一句も﹃易﹄
と無関係であるとは考えられない︒しかし︑﹁通鍵﹂に対応する﹁中
庸﹂は﹃易﹄に見えない語である︒このことは︑﹁通鍵﹂﹁可久﹂﹁可
大﹂が﹃易﹄の語をそのまま用いたものであるだけに︑なおさら﹁○
之以中庸﹂が﹃易﹄と無関係であるとの印象を強くさせる︒
しかし典故というのは︑必ずしも古典の語句をそのまま引用する
わけではない︒類似の表現に置き換える場合も少なくない︒この点
に留意して﹃易﹄を通覧すると︑注目すべき語が頻出していること
に気づく︒﹁中正﹂である︒﹁中正﹂はもともと易の六父の組み合せ
︵9︶に関する用語であるが︑抽象化概念化された表現の中では︑ほぼ﹁中
︵皿︶庸﹂と同義である︒﹁惰志﹂序が﹁中正﹂でなく﹁中庸﹂を用いるの
は︑﹁通饗﹂と対偶表現になったときの韻律関係に注意したからかも
︵︑︶しれない︒また﹁中正﹂は六朝時代︑各地の官吏候補者の評価を決
定する官の名称でもあり︑概念的な文章の中で用いるには不適切だ
と判断されたからかもしれない︒
もし﹁中庸﹂を﹁中正﹂に置き換え︑﹁○之以中庸﹂を﹁○之以中
正﹂と読みかえることが許されるなら︑﹃易﹄節の家伝に︑0.︒◎説以行瞼︑當位以節︑中正以邇︑︵説びて以て険に行き︑位に当りて以て
節し︑中正にして以て通ず︶
とある一節が想起される︒本田済氏の日本語訳を拝借すれば︑
﹁中正﹂︵外卦の中︑陽交陽位︶の徳によって万民の志を通じてや
︵吃︶ることができる︵﹃折中﹄︶︒
﹁中正﹂は基本的に六菱の組み合せに関する術語の域を出ないが︑
﹁徳﹂という語を補って訳されているように︑はなはだ抽象化され
四
た意味あいを帯びている︒それはほぼ﹁中庸﹂と同義であると言っ
てよい︒もし﹁○之以中庸﹂が前後の句と同様に﹃易﹄をふまえた
表現であるならば︑その典拠は右に掲げた﹁中正以通﹂ではないか︒
この推測が正しければ︑﹁○﹂は﹁通﹂︑一句は﹁通之以中庸﹂であ
ると判断してほぼ間違いあるまい︒﹁中正以邇﹂と﹁通之以中庸﹂は
正反対の表現のように見えるが︑ともに﹁中正︵中庸︶﹂を﹁以﹂て
﹁通﹂ずるの意であり︑文義は等しい︒
また次句﹁中庸則可久﹂との関連に着目すれば︑﹁○之以中庸﹂を
﹁通之以中庸﹂と推定することの妥当性はいっそう明確になる︒﹁訳
注﹂は︑﹁中庸則可久︑通鍵則可大﹂に注し︑﹃易﹄繋辞上伝の﹁有
しん親則可久︑有功則可大︑可久則賢人之徳︑可大則賢人之業﹂︵親有れば
則ち久しかる可く︑功有れば則ち大いなる可し︒久しかる可きは則ち賢人の徳︑
大いなる可きは則ち賢人の業︶を典拠として引く︒﹁可久﹂﹁可大﹂の注と
しては適切であろうが︑ここで本文を﹁通之以中庸︑中庸則可久﹂
と改めたうえで︑両句の関連に着目して考えれば︑﹁訳注﹂が﹁邇鍵﹂
の注に引く﹃易﹄繋辞下伝︑︒◎○易窮則鍵︑饗則通︑通則久︑︵易は窮まれば則ち変じ︑変ずれば則ち通じ︑
通ずれば則ち久し︶
こそがここに相応しい典拠となるのではないか︒つまり﹁惰志﹂の
﹁通之以中庸﹂←﹁中庸則可久﹂は︑﹃易﹄の﹁中正以通﹂←﹁通則
久﹂をふまえた論理構成になっているのである︒むろん﹃易﹄が直
接に﹁中正以通﹂と﹁通則久﹂とを結び付けているわけではない︒
しかし﹁晴志﹂の撰者は︑この隔って存在する二つの文を組み合せ︑
﹃易﹄が﹁中正﹂←﹁通﹂←﹁久﹂と展開した論理を︑﹁中庸﹂←﹁通﹂︑
晴書経籍志桁字考︵矢淵孝良︶ ﹁中庸﹂←﹁可久﹂と構成しなおしたのである︒この論理構成が成立するためには︑﹁○之以中庸﹂はやはり﹁通之以中庸﹂でなければなるまい︒
このように問題の句の前後を含めて考えた場合︑﹁應之以通鍵︑通
之以中庸︑中庸則可久︑通鍵則可大﹂であれば︑餅文体に相応しく
均衡のとれた対偶表現が完成し︑しかも四句がみな﹃易﹄をふまえ
︵過︶た表現となる︒したがって︑原文﹁通愛之以中庸﹂は﹁鍵﹂が桁字
で︑本来﹁通之以中庸﹂であるべきだ︑というのが私の最終的な結
論である︒
以上︑﹁階志﹂全体から見れば︑取るに足りない結論を導くために
冗長な文章を連ねてきたのは︑校勘という作業の中で︑文章表現と
しての適否に関する配慮がいかに重要であるかを明らかにしたかっ
たからである︒小論は︑﹁階志﹂序の文章が基本的に餅文体であるこ
とに着目し︑餅文の表現上の特色に即して論を進めてきた︒それは︑
〃対偶表現である以上︑字数が等しいはずだ〃とか︑〃前後が﹃易﹄
を典故とする以上︑問題の句も﹃易﹄にもとづく表現であるはずだ〃
とか︑きわめて思い込みの強い仮定の上に成り立っている︒が︑餅
文体の文章に関するかぎり︑この仮定はほぼ無条件で承認されるで
あろう︒ともかく﹁階志﹂の文章を読めば︑この文章の書き手が﹁應
之以通鍵︑通鍵之以中庸﹂のごとく均衡を失した対句を作るだろう
か︑とい︑フ素朴な疑問が生ずるのを禁じえない︒この素朴な疑問が
小論の出発点である︒
術字に関して付言すれば︑﹁應之以通鍵通鍵之以中庸﹂のうち︑前
の﹁通﹂を術字として︑﹁應之以饗通︑鍵之以中庸﹂と読むことも可
五
能だが︑これに呼応する対句が﹁中庸則可久︑通鍵則可大﹂である
0︒以上︑可能性は乏しい︒この﹁通鍵﹂を﹁鍵通﹂の誤倒だとするの
は武断に過ぎるであろう︒あるいは私の結論も武断との批判を免れ
ないかもしれない・それは校語の形で示せば︑﹁通鍵之以中庸︑疑當
是通之以中庸﹂にすぎない結論であるけれども︒
︵7︶巻三十五・校勘記︹五四︺
︵8︶後述するように︑私は﹁通之以中庸﹂を是とするのだが︑一見したところ︑
〃中庸を得た変化〃という解釈のほうがおもしろい︒それがこの句を﹁通
饗之以中庸﹂と誤らせる原因の一つであったように思われる︒
︵9︶本田済﹃易﹄上︵朝日新聞社文庫版三四頁︶の解説を掲げる︒
﹁中﹂⁝⁝六父の卦を内卦︵下卦︶と外卦︵上卦︶に分ける︒内卦の真中
は二である︒外卦の真中は五である︒このこと五の位が︑中を得ているか
ら︑三や上よりもよいとされる︒物事の中庸をたっとぶ中国的智慧であ ︵5︶岡村繁﹁歴代名画記序篇校注﹂︵﹃文学研究﹄六九︶︵6︶巻三十二・校勘記︹二○︺ ︵4︶巻三十二・校勘記︹一︺ ︽汪
︵1︶一九七三年︑北京︑中華書局出版︒
︵2︶興膳宏・川合康三﹁惰書経籍志序訳注﹂︵﹃中国文学報﹄第二十五冊ほか︶︒
小論ではそのHを参照︒以下﹁訳注﹂とい︑7︒
︵3︶岡村繁﹁駄文﹂︵大修館書店中国文化叢書4﹃文学概論﹄所収︶では︑
餅文の条件として︑次の五項目が挙げられている︒①対句表現が文章の
主体的な要素になっていること︒②文章を構成する一句一句がリズミカ
ルな音節数に整頓されていること︒③字句の韻律に変化があること︒④用
語が文学的に洗練されていること︒⑤典故を多く用いること︒
る ら
◎ 、
﹁正﹂⁝⁝奇数は陽に︑偶数は陰に属する︒そこで︑奇数の位︵陽位︶︑ 婿書経籍志桁字考︵矢淵孝良︶
すなわち初︑三︑五には陽交が︑偶数の位︵陰位︶︑つまり二︑四︑上に
は陰交が︑おるべきだとされる︒そのような場合を︑正を得るとか︑位当
たるとかいい︑反対の場合︑すなわち奇数位︵陽位︶に陰交︑偶数位︵陰
位︶に陽交がおる場合は︑不正とか位当たらずという︒
︵蛆︶ちなみに﹃漢語大詞典﹄1︵上海辞書出版一九八六︶は︑〃不掎不偏″
〃不偏不掎″を﹁中正﹂と﹁中庸﹂の第一義に挙げている︒
︵Ⅱ︶﹁鍵﹂は灰声だから︑これに対応する語としては平声が望ましい︒﹁庸﹂は
平声︑﹁正﹂は灰声︒
︵皿︶文庫版﹃易﹄下二二一頁︒
︵過︶﹁通之以中庸﹂←﹁中庸則可久﹂が﹃易﹄にもとづく論理構成だとすれば︑
これに対応する﹁應之以通鍵﹂←﹁通饗則可大﹂も﹃易﹄にもとづく論理
構成であることが望ましい︒が︑﹁中正以邇﹂←﹁通則久﹂ほど明確な典
拠は見出せない︒わずかに﹁邇鍵之謂事﹂︵繋辞上伝︶と﹁有事而後可大﹂
︵序卦伝︶が︑﹁事﹂を媒介として﹁邇鍵﹂と﹁可大﹂を結び付けている︒ 一ハ