﹁魔の山Lは︑一九一二年に起稿され︑一九二四年に発表された︒
従って︑この作品は︑わが大正元年から十三年に亙る前後十二年間
の制作年月を踏まえることになる︒この期間中のマンをめぐる外部
的率件のピイクは︑何と言っても︑鰯一次世界大戦である︒第一次
大戦は︑一九一四年六月二十八日︑サラエヴオ事件に端を発し︑四
年存命に璽る蹴月を戦われた後︑一九一八年十一月十一日の休職協
定をもって繋結した︒火に枇界容大賎大小三十余隅をその動乱の渦
中に巻き込み︑当時その脱摸に於て米竹有であったと側塒に︑その
災柵においても︑また︑米牌禰であったところの戦争︒この激助と
この災中的悲劇とが︑マンの上に︑どのようにのぞみ︑マンがどの
ようにそれに対処したか︑そして︑おそらくは︑ドイツ人マンに取
っての運命的な悲劇︑ドイツ帝国の剛壊によって︑ドイツ人一般の上
に投げられた職争の傷痕から︑彼がどのように起ちあがって行った
かI要するに第一次大峨におけるドイツの八戦後問題Vの基底
を︑広く人間恢拠の問題として︑彼がどのように受けとめ︑そして︑
そのことによって︑彼の作家的立場がどのような進展を見せたか︑ トーマス・マンの﹁魔の山﹂につ
lヒューマニズムへの峡洲I
︑︑︑︑︑ 小論はいわば司魔の山L時代を検討することによって︑以上の没問
に︑いささかなりとも︑照明を投げることを企図するものである︒
ところで︑ここに云う﹁﹁魔の山し時代Llそれは︑単純に︑
この作品の起稿から脱稲出版に到る十二年間という執蛎期間への記
号であると同時に︑この鋭敏なドイツの一プロヴィンジャリストが︑
自らの地平を翼にヨーロッパ的規投と次元とにまで引きあげる為
に︑聰争によって引き起されたところの︑肺かなるものの一切の勁
捌︑あらゆる文化的雅盤の随偲に対して︑自己の本来の芸術宗的営
為を中絶に委ねつつも︑彼のいわゆる十九世紀人特有の良心と克明
さとをもって︑あくまでも自己に即しつつ時代の現実の中に自己の
正しい糖神的位相を探求しなければならなかったあの一人の聖杯
探求者の遊程とそれを包む気気への記号でもなければならない︒彼
のこういう努力は︑必然的に︑﹁芸術家の作品であって芸術作品で
フユイュトンはない﹂雑録的トーンをもった幾つかの諭脱的散文作品を芸術作品
司魔の山Lの背後にのこして行く︒かくて吾われは︑ここで︑﹁脆
の山L成立の過程に︑作品とパラレルに飛び石の如く布置されなが
V。
橘 て
好
一
〆
6 〕
﹄﹄
ら︒成長しつつある一つの芸術作品にとってその作品の志向そのも のの指標となっているような彼の冶文作品の系列を︑執采縄過に沿 ってあとづけることからはじめることが出来るのである︒
マンは︑一九一二年︑五月と六月の三週間を︑カァチャ犬人の肺
炎カタルを見舞いつつ︑スイスの国際縦餐所︑ダヴォスプラシシの
サナトリウムで過す︒この艘養所での見聞が︑マンの制作愈慾を刺
戦した邪附は︑彼の司略低L信盲昌呂言協に杏かれている通りだ︒
この大災鯏の主要人物であって︑その潤める肉体ゆえに︑肉体の肉
体性を妖しくきわだたせている災しきマダム.シ副−シャの原倣は
勿耐ここで手に入れられたものだ︒ところで︑このとき︑マンの内
部に孕まれた創作的愈閣は︑﹁ヴ雪一スの死﹂の反対物︑あの死と
陶酔の悲劇を︑このたびは︑フモール作家の立塒から︑一つの茶恭劇
に仕立てる︑という試みだった︒というのは︑これより先︑マンは︑司大
公殿下﹂︵一九○九年︶完成後︑引統きマノレスク寧冒一三筋目︶の
回想録に取材したところの︑例によって何時完成するとも知れない
︑詐欺師フェーリクス・クルルの告白Lを︑一九二年春︑リド燭
に清遊するまでの間書きついで来ていたのである︒ゲェテの自己形
成的Ⅱ自伝的なもの︑貴族的卿告白的ものを犯罪的なものに見たて
ようとする︒ハロディーいわば︑告白の作家の自足的な厳粛性の仮
面を︑一切の感傷性から洗い清めて︑ィ2−イの二歳光芒を通して
みたフモールの爽かさの中に救いとろうと云う意図とでも言うか︑
そういう作品である﹁クルルLの中の一挿話として︑﹁魔の山Lの
位肚は予定されていたからである︒こういう意図のもとに招致さ
れた司腿の山Lの主人公は︑↑もともと単純で健康な生れつきの人
一
間Lで︑工科大学出身の造船技師として︑これから市民社会にあっ
て平凡且済潔に市民的義務を果して行くべき背年ハンス・カストル
︑︑プであり︑そういう彼の市民的蕊務が超俗的な冒険と断突するとい
う投定が︑ダヴォスプラシシのマンに依って諦想された訳だ︒勿淌︑
ここでは︑こういう発端だけがあって︑紺末への見通しはついてい
ない︒ところが一九一四年︑第一次大戦が勃発し︑ドイツ帝国は︑
破崎に向って進皿をⅢ飴する︒創作活助は不可能となり︑ドイツ人一
般の愛聞的拠溌︑いわば︑ドイツ輔神の逆命陶酔惑呼三島堂の3巨溜屋
は︑いや応なしに︑マンをもその潤内に呑みこんでしまう︒ドイツ
糀神とドイツ文化に対する攻繋I側舸の帝燭主溌鞭袖に︑かかる内
而的Ⅱ通徳的戦争を兄たマンは︑まづ︑﹁フリードリヒと大同盟し
二九一四年︶を発褒し︑ドイツ擁渡の為に超上る︒かくて︑ここ
に︑個人Ⅱ心理主鏡的・非政治的マンが︑否応なしに政治の斗校期
に引き降される端雑がひらける訳だ︒﹁フリィドリヒⅡエッセイし
は︑どうやら︑戦争勃発が頂接の動機となっている作品ではないの
だけれども︑それは︑開峨第一ヶ月日︵八月︶に完成し︑そしてそ
れはマン自身によって︑﹁﹁必ずしもこの出来事︵戦争︶とは無雑
︵T・︶
のものではない﹂ことが認められているものである︒あらためて正
面切って︑戦争遂行への微のような形で書かれたのは︑﹁戦時随感﹂
︵の&冒胃昌冒犀一農︒︶であって︑どうやら︑彼は︑ここでは︑﹁荘
厳なる悶民戦争L爲骨﹃胃胃再言壽垂冨農︶を︑﹁呪われた興爾のな
かでL︑支持したらしいのである︒開戦二週間にして︑これは︑庇
に︑﹁ノイエ・ルントジャウ﹂捲上に掲栽された︒これにつづい
て︑﹃非政治的人間の省察Lが一九一五年から開始され︑一九一
ジ
〜
◆
61
七年末に及ぶ︒そしてここには︑鐸舌Ⅱ面慢︾︾︑︲胃冒g言冒噌邑・巨駅
冒冒言い号目︲曽昌三goとして知られているところの︑生粋の西欧
主溌針兄ハインリヒとの兄弟吹嘩︑政治的世界観的諭争が絡む︒や
がて︑一九一八年の大破局が釣れ︑マンの創作意慾は逐次回復す
る︒この年の作品に数えられるのが︑湛小醜的中猟﹁主人と犬﹂及
ヘグサー.AF
六脚捌蹄﹁おさなどの峡Lだ︒かくて︑再び﹁鹿の山・︾は袴きつづ
けられて行く逆びとなるが︑このロマーンが生蛙しつつあるのと同
じf躯から︑二大エッセイ﹁ゲーテとトルストィL︵一九二二︶﹁ド
イツ典棚旧についてし︵一九二三︶が収捜されるのだ︒前荷は︑マ
ンにおける決定的なゲエテ接近の︑いわば碓伽切ってゲェテを扱っ
た雌初の発徽であり︑後朽は︑文字通り︑新しい共同体と未来とへ
の傭仰拷白である︒そして︑これらは前朽の可ヒューマニズムの問
題のために﹂というエピグラフが示すごとく︑ともに﹁生﹄に捧げ
られつつ︑理念的に︑﹁魔の山Lを勝導する地位に立つであろう︒
なお︑一九二三年には︑﹁心慾の体験も雰巨言厚ざ冒雷︒が吉かれる︒
○再曼冨アルペルト・フラィヘル・フォン・シュレンクⅡノッチ
ング博士︑この神経症専門医にして性病鯉学者の動向には︑マン
ははやく戦前から﹁関心︐﹄を持って居たらしいが︑鞭後マンは彼に ︑︑︑ よって実際に心霊界の現実性を体験した・この論評は︑その時の﹁ノ
ッチングⅡ体験﹄とでも言うべきものの報告である︒いづれ︑この
問題は︑マンのフロイト研究の口火あるいはその一環として考えら
れるべきものであろうが︑ここでは︑このいわば可うさん臭いL体
験が︑司腿の山Lへの一寄与となっていることを指摘して慨けば足り
る︒司蠅の山Lの発表は︑﹁共和国Lの翌年︑一九二四年である︒
〜
以上は︑極めて簡単な﹁塊の山﹂時代のマンの文莱行動のエスキ
イスであるが︑次にこのエスキイスに沿って︑マンの発展を︑それ ︑︑︑ も迎統的発展という視角のもとに心すこし孫しく考えてみたい︒勿
論この考察の背後には粥に﹁魔の山Lの持つ鮒側而が考胆に入れら
れていなければならない︒
ところで︑司灘の山Lの形式にとって︑﹁非玖治灼人冊の術緊Lという
大変厄介な︑極もないような縦をきり拓いて進むに似た知的作業が︑
どのような拳柵な寄与をなしたものであったか︑この聯は︑彼の可略
伍Lに紙られている通りであり︑また﹁私の時代︐︾目︒旨︒博一戸で︑こ
れを︑﹁魔の山しへのぐ︒目吾昌いわばウォーミングアップとして
位慨づけているのも知られる通りである︒
うたがいもなく︑司劣察Lが︑マンの生涯を特徴づける意義は︑
偶人Ⅱ心理主義的で︑非政治的な審美潔マンの朕史がここで終ると
詠う点に求められる︒ここに登場するマンは︑明かにドイツの︑そ
して必然的にヨーロッ・ハの﹁内的政治Lに参加するマンである︒戦
争は︑いや応なしにこの姿勢をマンに強いた︒先づ最初に︑国民と
︑︑しての︑真正直で本能的な感情の立ち上りがある︒﹁今や峨争を招
来したとたん︑詩人たちの心は︑いかに鍵え上ったことか!﹄・戦
の狂気床﹃屑岩の胃ご鷺は︑ドイツの大詩人たちの上にも避けがた
く一般化した︒たとえば︑五十才の義男兵リッヒャルト・デーメ
ルは︑可ドイツの騎馬兵に斑歌し﹂︑世間に背を向けがちなあの リルケさえが︑﹁五つの歌Lで︑司戦の神L犀層識も具にまこ
とごころを捧げる︒ヘルマン・ジュテーャは︑・可佃れむべき太平の
栄えLをさげすみ︑﹁聖なる戦いしを誤歌して︑﹁ヨーロッパの主唱
一
〆
62
一J
たるべきドイツの未来を頬える︒聖歌詩人毎噸昌日邑目︶エルンスト ・リサウェルは︑可イギリス糊悪の歌﹂によってかんばしからぬ意 味で︑大衆の中の人となる︒ゲルハルト・ハウプトマンは︑倖に今 は忘れられた彼のクー言テルフェルス宍昌言昌恩圃で﹁英雄の死L を棚え︑ロマン・ロランとの往紅需翰によって︑ベルギー優犯とル ーヴァン市破壊についての弁遡を行う⁝・・︑以上は︑カントローヴィ
︽勺甸︺
ツチュの指捕するところによって見たものだが︑﹁戦争は︑職争だ﹂
という気分は︑まさしくいつわりのない国民的眠悩の鞭火としてこ
こにある︒
しかし︑﹁省察﹂全細は︑すでに︑ドイツ魂のための進軍の譜として︑
ここにあるのではない︒それは︑一つの可退却作職L冒①冨債農⑮毎c言 ︑屯︑ であり︑後向きの書だった︒まぎれもなく戦争のなかで書かれてい
るが故に︑そして︑強大な﹁文明Lのイデオローグ兄ハインリヒを
敵手とするポレーミクであるがゆえに︑たしかに︑ぎらぎらした憎
悪の荷いまわし︑たけり立つ自己弁遡と自己主搬の口吻は︑まさし
く避け難くここにある︒しかしこれは︑ただの激梢が激附によって
物を芯っているていの織述ではない︒肝終なのは︑この激悩を洗い
離したところに現れて来る︑いわば︑この飾述の実体︑典爽のテー
マでなくてはならない︒
前面作戦lこれが︑戦争という耶件の場でとられねばならな
かったこの論文司衙察Lの一つの方法であろう︒﹁文明Lに依る
ドイツ﹁文化﹂への攻撃︑それもドイツの伝統の一切を根こそぎ
アソクーソトにしようという徹底的な攻梁だ︒外的は協商国として四週から迫
り︑内敵としての敵は可文明文士﹂ハインリヒ・マン・おまけ
一
に︑このハイン〃上的文明文士が︑外ならぬトーマス・マンの輔
神の内部にも居るという班冊によって︑はては︑自らの論鋒を
︑︑自己にさえ向けられざるを押ないこの両面作峨は複雑をきわめる︒
しかし︑このタクティクは︑あくまでも︑職争と曾う邪件によって︑ ︑︑︑ マンの忠孝をうながすべく逆命的に外から投定された︑いわば大変
〆分具ズム
都合のよい一つの槻榊であった︒ここに︑この槻柵にのっかつて
操作される岐大のテーマは︑恐らく﹁良心Lのそれである︒︲自己を
作らないと同時に︑他肴のlいや︑多くを言う必要はない︒平和
︑︑主義的文明の側の︑つまりアンターント側の鍛大の不正︑いわば︑進
歩主餐的平和主義者︑平和主溌的智識人の最後の錯誤︑それこそ︑彼
らの良心のまやかしが︑つまり︑平和主義者の良心への裏切りがあつ
かわれた一章が﹁省察Lの中にはあるのである︒︑硬争Lを巨言目目冒 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ ︵最後の手段︶と兄倣すことによる平和主義者の平和への裏切り︒
︑︑最終職争という側安のもとに行われる職争の行定︑それは︑ドイツ
の亡減が淵す平和によって賊はれるべき流血の沸定であり︑流血の
愉定に立つ平和への兜甑であり︑ギロチンを人間愛の道具とする ︑︑︑ 人間愛である︒マンの良心は︑かかる矛臓と雌偽をかぎ出すのであ
る︒しかし︑これは︑爪なる一例である︒そして︑このようなもの
は︑間迦それ自体としては︵税代の状況においても︑なお︶斌大さ
を礎はないが︑ここでは︑これは要するに良心をテーマとするマン
の副次的な収捜であるに止るだろう︒
では︑﹁良心Lという︑との本の根源的成立起源は︑いかなるも
のを捉えたか︒
﹁仔瓢に吟味すれば世界の転換期こそ︑各人にとって︑自己のな
ジ
乱
かに分け入り︑とつくりわが良心と談合し︑自己の基盤の鍵検討
ヨg二︒且!海亀国@房を試みるべき︑まことにうってつけの時期ではな
つの︒︾
いだろうか﹂﹁発展に関し︑述命的進歩に関して︑一切を決定する
飛点は︑人が何者であるか︵若しくは︑人から何が出来上るか︑そ
して何か作られるか︶という問題に存し︑何を慾し︑何を意図する
︵a尋亘
か︑と占う間幽には〃しないことし︒﹁進歩と筒うものを不可避な
もの・逆命的なものと考えるのはよろしい︑ただし︑それは︑aっ
てみれば︑進歩がただの少しも必要としないものを︑わいのわいの
とけしかけながら︑その小へ追い込むなんてことには絶対に同激し
︵︑⑫︾
がたい︑という条件でL・﹁そして︑私は︑ドイツの可進歩﹄を推
進する無然を︑私自身の保守的内心にも抱いているのであろうか?︑
ザfゲ
私の火在とそして︑lこれも間魎になり褐る限りではl私の
ヴィルケソ
作川だって︑私の思惟及腫図とちっとも正硴に符合せずまた私自
身が紙の本質の一部をもってこの木の中で可デモクラジィLという
全く此嘘的な塩称で呼ばれているもの︵そして晋通逆挙棚とは淡面
的にしか閃係しないもの︶に向って︑ドイツの地歩を促がすように
定められていた︑そして今も定められている︑そうであろうか
?もし︑そうとすれば︑いったい如何なる部分でであろう?ひょっと ︒︑︑︑ すれば︑文学的部分で?なぜなら︑文学はl知っていることはま
た隠さずに鵠ろう111文学は根底からデモクラティックであり文
プ域プレマーテイク明的であるからだ︒﹂﹁これは︑一つの問題鉾地くどくどし
い産物であり︑一個人内部の分裂と葛藤の描写であるL・以上の引用
は︑それぞれ可内省陰︵国鳥︒豆司文朋文士Le胃圏甦冨昏旨画言@員︶
及﹁序言L︵くc目呂c︶から︑かなり注意深く選ばれたものだ︒これ
I
‐
は︑自己省察の書であり︑告白的な糖神史的自叙伝であり︑意識変革 ︑︑︑︑ の書︑架橋の香なのである︒吾われが︑ここで注意しなければならな
いのは︑作家的出発以来のマンの本質的方法が少しも変っていない
と言うことだ︒寸豪の狂いもない自己認識と自己批評︑反語的なメ
ランコリー︑いや︑方法としてのイロニイそのもの︑そして︑そこに
兄られる自己脱却への意図︑それはすこしも変っていやしない︒﹁ド
イツとは何か﹂lそれは確かに問われている︒しかし︑それは︑
ドイツが︑彼の血液と彼に肉化した穀溌とを介して︑彼の自我の延
艮として問廻になるという限りでの問いだった︑と荷ってもいいだ
ろう︒﹁ドイツとは何かLは︑かくしてのみ彼の全而的な関心とな
る︒そして︑この腫大な問いは︑マンに極めて服雛な︑的てのドイ
ツ人が︑かかる全面的な規模においては︑おそらく維一人として狐
い御なかったような拠迦を拠したのである︒これは︑鷺くべき深さ
と砿がりをもったドイツ猫であるとすわなければならぬ︒そして︑
更におどろくべきことは︑あの戦争の時代に表面的形式において
戦いの激悩のリズムと調子を合せながら︑かくも深くかくも狂いの
ない自己宥察︑ドイツ批判が可能であったことだ︒両伽作戦11自
己および敵の曇所矩所を含めて︑それを徹底的に郡解することで︑
この作戦は終る︒この沿秘の本質には︑如何なる意味においても
アグレグシイフ
進攻的なものはない︒ありようは︑一人の生来の平和主調者が︑
出来てしまった戦争によって︑自己の本来の企図を出し抜かれた苦
汁をかみしめている姿︑そういう孤独な一知性人の表択がのこると
云うことではないか︒これは︑かなり亜大なことである︒
さて︑結論として︑何が出て来るか︒絶対の自由の名におけるロI
一
一
ご
J
1
マシ主義と個人主義の︑孤独と教養と形而上学とそして芸術との無 限の深みに降り嘘砿の断みに飛翔するこの有能な民族は︑同時に︑
錐務と使命︑法則と均衡のための自己限定をも行い御る︑という両極
性の発兄としてこれを提出すれば︑余りに公式的であろう︒しかし︑
ここに︑マン自身によって拠出された一つの群えがある︒﹁脚分は
どうかと訂うに︑私は受剛し︑学び︑協洲を求め︑自分を修正する
ことは出来るIが︑私の本質と私の戦肯を変えることは出来ない︑
私の根を引き抜いて︑他の場所へ理めるととは出来ない︑と悟られ
︵やり︶
ぱならないのであるL・こ涙脾け︑礁メヅ紙屑イッの癖厨奉かつ
さげて︑平和的ヨーロッパの有能な一旦として迎えられねばならぬ
と言う一つの要請と諦観とがはっきりと出ているのではなかろう
か︒要するに可省察﹂には︑はげしい識争を通じてなお︑自己と
ドイツの伝統と文化とへの正当な距解を相手方に要請し︑同時に︑
自らを批判しつつ︑ヒューマニスティックな愛と相互理解の場で相
︲手方と手を握ろうというマンのはげしい撤図が見て取られるのであ ︑︑︑ る︒かくて︑﹃省察しは︑正に忠苫しいほどに良心的な︑合蝿主溌
的西欧との接御であった︒
︑肯察しが一本となって︑あらためて出版されたのは一九一八年
だった︒このドイツの保守主凝弁明の脊の川現が︑帝圃肌壊とポ命勃
発の年に当ったのは︑たしかにたち巡れの感があった︒ところで︑敗
峨下の八戦後Vについて薄え当る一般的小冊というものは︑次のよ
うなものである︒すなわち︑それが︑職勝国のイデオロギィや政治体
制の優位性を前にした漠然たる劣等感に由来する卑屈と阿訣と盲目
追随的でなければ︑虚脱の気分的ニヒリズムから来る無撰択な享聚
詞
=
クワ公プシヤイン
主装︑そして︑シュトリヒの所洲︑可侭嬢と仮象Lであり︑いわば ︑︑︑︑︑ 多彩な病的な内而主挽的激傭の淵踏である︒梱巾及噸後ドイツの柵
神的摸索を示す文学的状況を一括した潴称で呼べば︑それは可変現主
捜しということになる︒そして︑それは︑文学通勤としては︑それ自体
のなかに細りを持たず︑却って︑それ自体のなかに分裂を刻印してい
る苛妙な生態を承している︒そこには先づ︑一切の瞳承を拒絶し︑新
しい始原︑自然の与えるままの惟界秩序に蝿り行こうとする志向が
ある︒ラディヵールな平和主義︑ラデイカールな反資本主義︑反磯
械化主幾︑反官僚主義︑文明佃悪と自然獺芙︒それは︑世界変革の
ための即物的而に対する行効の場では︑一秘のつぐス的社会主義と
アクーケイヴイスムス
でも嵩うべき面貌を維持し︵行動主義︶︑一方︑過度に文明化し︑
高度なメカニズムによってすりへらされた人間性を救出する為の目
標として︑ニグロや南洋土人の習俗生活芸術の諸形態が関心となり
讃美となり︑シナ人︑インド人︑ペルシャ人の智懇があらためて称
提される︵ブリミティグィスムュ︶︒更にはまた︑ヨーロッパの過
去の一時期に一足とびに雑ぴつこうとする感傷的な志向をもそれは
含んでいる︒時代の苫雌と絶削は︑﹁ゴーティクLの受難のキリス
ト倣に︑また︑バロックLの絶鼎のヱクスタジィに総びつくのだ・マー
ルホルッは︑これらを︑﹁ゴーティク的表現主餐﹄﹃バロック的炎
現主調﹂と呼んでいる︒大体︑以上が︑ドイツの八職後V・に顕耕とな
った文学的状況のあらましであり︑ここでは︑こうした錯雑した餓
向の所在が示されるだけで足りるだろう︒こうして︑表現主餐は︑
八祇後Vの混乱そのものの象徴であった︑と言えはしまいか︒ここ ︑︑︑︑ には︑はっきりと一時代の知性の分裂︑とり分け現実逃避の一傾向
一
65
が明瞭に現れていることは確かだ︒
ー一九一八年以後のかかる状況のなかにあって︑マンは︑冶文姫可
街察しを纏めて世に送ることによって︑もういちど︑ドイツの運命
と未来とを占う立場に廻るであろう︒いかなる民族も︑そして︑如
何なる人間も︑自らの朧史を無視して︑新しい歴史を生むことが不 ︑︑︑ 可能である以上︑ここにドイツ人及ドイツ文化の現実的な人間勘
的根底を橘ることは︑なお︑一つの時務の要求であり︑時代の虚
脱を埋めるべき必裁の作業でなければならぬ︒﹁宿察﹂は︑かか
る服地を正確に果し︑その内部にはらむ冑︽︶員8昌昌によって
︑︑︑︑︑ 枇界の現実のなかに立つドイツの位擬を︑明示し︑新しい出発点の
所征を正当に確認させようとする・これが︑可退却作職Lである﹁満
察﹂の派すただ一つの稜極性である︒ともあれ︑ヴィルヘルムの帝国
主鋭的プロイセンは大破局を招来した︒この時︑ドイツの廃雌に向っ
て要抽されているものが︑まさしくデモクラジィであったとしても︑
それに到る通は︑蝿迩の飛踊的転換︑新しい政治的イデォロギィヘの
アクロ・ハット的乗換えという︑いわば非連続の道でしかなかったの
であろうか︒可市民を求めて﹂も昌号﹃習c言昌晏号昌冒﹃驚﹃・・の
ルカーチは︑可彼?ン︶は︑それ︵デモクラジィ︶を︑兄も知らな
かった内容のものとして︑市民に押しつけ度くはなかった︒逆にそ
れを楜汀独凹の︑いやはてに発兄された生の内容として︑彼に分ら
︵分⑤︶︲せようとしたのであるLと芯っている︒たしかに︑師態槻的な祝党 ︑︑︑︑︑ のもとでは︑呼ら作職ドイツへの擁迩としかうつらないであろうと
ころの﹁箭察Lを︑ルカーチは勁態観的に眺め︑マンの徹庇的な自己
恢入から巾米したところの錯綜した壱3里g昌昌を注意深くかみ分
一
けつつ︑ここに古きドイツと古き自己とを真に超克した展望的ンマ
の姿勢を見た︒それは︑必然的にデモクラシィに身を寄せて行くべ
きマンであり︑ここに狸得された彼の立場と責任は︑また︑必然的
に内面政治家つまり教育者としての資格を許されるマンを位撒づけ
ることを可能にするが︑ここに登場するところの教育者マンは︑ブ
ラトン的なアナムネーシスの意味における教育者であって︑既成の
蝿満を筵しやかに押しつけるていのそれではない︒﹁省察﹂の末足
には︑﹁人間の問題は︑政治的には解決出来るものではなく︑唯心
霊的通徳的にのみ解決されるLという確信が述べられて雁り︑可改
革は政治形態や憩法にまって始まるのでなく︑佃々の人間において
はじまるのだ﹂というヴィーラントの↓・副業を援川してこれを裏づけ
ている︒政治現象としての社会革命と︑人Ⅲ革命の結果としての社会
改革とlモラリメトとしてのマンは︑明らかに後者に関心の比砿
をかけているのである︒かくて︑﹁杓祭Lは予想される社会の変
革が人間の内面的変革によって支えられればならないと商う点を
打出したモラリメトの政治論であるとも芯えるだろう︒そして︑
人間の内川的変革の爽側は︑いづれ作品﹁腿の山Lにおいて示され
ることとなるのである︒要するに︑彼に参ずる打たちは︑彼の攪仲
によって︑自らの現実の内部に新しき当為を発兇し︑みづからこれ
に生命を与えることを学ばなければならないのであった︒マンの期
待はここにかかっているのであり︑そういう職味においてのみ︑彼
は共有群たるの位樅を氷栂するであろう︒
一九一九年八凡のワイマル体制は︑敗戦肛後のドイツの激動を押
え︑爽而折しい川発が約束されたごとくに兇えた︒しかし︑どうや
〆
妬らマンには︑これが︑ドイツの其の深い内部からの要諦の結果では ︑︑︑︑ なく︑聯ら外からのデモクラシイとして映ったに過ぎなかったよう
である︒彼は︑不幸な未来を符負って短命に終るべきヴィマル・デ
モクラシィの誕生を︑しばらくいわば検目でやりすごしながら︑自
らの髄みに忙しかった︒この孤独ないとなみの一成果は︑一九二二
年の勘秘司グエテとトルストイ﹂である︒︵削年一九二一年には︑
◆世の要拙に応えて︑同じテーマの織演を行っている︒︶
ところで︑ここで︑﹁ゲーテ﹂がテーマにとられたことについて
は︑さまざまな感慨が握錦が︑さしあたり︑ここに私兄の一淵をつ
け加えてみようと思う︒われわれはここで先づ鯏一に︑可ゲエテ﹂
が︑何よりも先に︑可ドイツのゲエテ﹂であることからはじまっ
てる猟に注Ⅱしよう︒これは︑ゲーテという典馴がドイツ人にとつ
︑︑
て︑まぎれもなく︑彼らの所有であり︑彼らの締りであり︑ま
さしく彼らの典範であると櫛う邪火のことである︒こういう前提
に立ってみるるとき︑鞭後人肌仔在の糀神的根底がゆらぎ︑いわ
ば︑人心の行方さだかでない時にあたり︑人びとの関心の中心に
ゲエテを占位せしめることは︑つねに生のイデエと実践の規範をこ ︑︑︑ こに求めて来たドイツにとって︑時局的にも砿大な滋義を持つもの
であったことは容易に想像出来るところだ︒また︑もう一つこうい
うことも商えると思う︒それは︑いってみれば︑﹁省察﹂における
マンのドイツ批判の片手落ちということである︒マンは︑そこで︑
市民文化の特質を検討するにあたって︑それを余りと商っていいく
らいに︑ショー︑ヘンハウァー︑ニイチェ︑ワグナァの照明下に綴き ︑︑︑︑︑︑ すぎた姫いがあった︒ロ冒厨号盲目の本質のなかから生い立って来
、
ゆ
1■
一
︑︑
るべきデモクラシイを望見する者にとって︑ドイツ市民文化の中心
に立つ最も巨大な人閲像ゲエテの検討を見送って了ることはすぐな モアリス卜 くとも人性探求者Ⅱヒニーマニメトとしての良心の怠慢を意味しな
ければならない︒とすれば︑ここにこそ︑マンによって︑本格的に
ゲエテが省みらるべき必然性が考えられるのである︒そして︑ここ
で︑このグエテ接近を︑単純にマンの可生への転換Lに慨きかえて
意筏づけることには︑疑問の余地がないとして︑今迄輔神Ⅱ批辞
的な立場により多く自己の文学を位慨づけて来たマンが新に︑自然
I辿型的なものの可極性の仔細な枕肘に向うことは︑彼の人間観的
Ⅱ文化観的視野に決定的な拡がりを踊すことに外ならなかった︒マ
ンはグエテとトルストィとを﹁自然﹂の側に位慨づけ︑その対極に
シラーとドメトィェフスキィとを立たせてこれを司糀神Lとして規
定し︑この両考の異質的対立の上に辞細な人性織的検肘を加えた︒
ここで肝心なのは︑彼が︑狭き自然・民族的なものが︑普通へと止掛
辞化されて行く過軽にゲーテ像を位慨づけ︑ドイツの伸大な人文主
義の伝統と可能性とに強い照明を与えつつ︑逆行的可ローマン主莪的
靭風﹂ドイツファシズムの拾頭に一矢を酬いている点である︒そし
て︑股後の章︵箇旨旨冨8句目噴月昌息︶には︑次のような曾葉が見出
される︒司感暢畑な趣憾鯉父其在︵何奴なわ︑台われの兄るところで
︑︑は︑ひとり輔神のみが感傷的でないのだから︶︑つまり輔神の息子
たちの自然への努力や︑自然の子たちの輔神への努力は︑人類の目
標としてのより高い統一を指し示すものであり︑この目標はこうい
う努力の交互性に対して︾それが事実においてあらゆる努力の最尚
の担い手であるが故に︑その固有の名称︑すなねちフマニタスと言
〆
‐
釘
至。
−9−
う名称を課している︒L輔神と自然との祁互謬透︑ヒューマニズムの
理想はここに見出されたのである︒
ついで一九二二年は︑ゲルハルト・ハウプトマンの礎辰邦六十回
目の祝劉の年に当った︒このとき︑マンは︑﹁ドイツ共和国につい
てLをひっさげて︑再び︑民衆の前に議場する︒そして︑この淑波
には︑マンを一個の変節者号罵腎として遇しようとする一部聴
衆の反感が︑荊演の曾脇的進行そのものの巾にも︑まざまざと反映
しているのである︒こういう非難の歯ぎしり︵足づり︶に抗して︑
マンは︑ドイツ浪漫派のチャムピオン︑ノプーリスを取りあげなが
ら︑可デモクラシイが︑このドイツ浪汲主袋の水靴を維持し柵るこ
︵抑︶
と︑ただこのことのみを誠明する為に地上に血つたし巾を述べ論胃
を進めて行く︒﹁新しい必然的な混和が齋らされるために︑そし
て︑折しく且つより純粋なクリスタリザッィオーンーが緋発される
ために︑あるとき︑一切が流助の渦中に投じられるのは︑たぶん巳
むを縄ないことかも知れぬ︒さはさりながら︑同時に︑この危機を
柔らげ︑一切のものがもとも子もなく流失するのを妨いで︑親株︑
つまり一つの核を残し︑これに新しい尖硬がとりついて︑この核を
中心にして︑新しく美しい形式が形成されるようにすることも︑ま
た︑忽せにされるべきではない︒だから︑硴乎たるものは︑益々欽
鋪して︑余鮒な熱索をさますことが瓠ましいのだ︒将燃の炊化をふ
せぎ︑かけがえのない繊束の淵喪を妨ぐためにはいかなる手段も借
︵肌一
まれてはならないLこういうノブーリスの美しい言葉をひきなが
ら︑マンはノプーリスを︑﹁草の葉﹄の詩人ホイットマンに対慨し︑
両者の本質的相似を多様な側面から説くことによって︑いわば︑ド
−
イッとアメリカとの結合の可能性を︑冒崖冒彦冨昌とデモクラジィ
との共存融合の必然性を説いている︒たしかに︑﹁彼はデモクラシ
イを︑兄も知らなかったものとして︑市民に押しつけ度くはなか
った﹄のである︒デモクラシィは︑ドイツ輔神の伝統︑浪曼主
義の範鴎のなかで開花を兄たドイツ輔神の擬能的卓越性を盛るに
ふさわしい器でなければならぬ︒おそらく︑ここにとりあげられ
るロマンティクは︑隅氏的な要泰と普退的世界主溌的な要索とが
不勁の総合を兇せているという︑そういう﹁相﹂を持つロマンテ
ィクに外ならない︒もはや︑これを︑泄界市民的デモクラシィと
呼んでもいいであろうか︒それはたしかに均分と平均を標傍する
政治主筏的なまた織機鋤的な社会主撞デモクラシィとは異なった
ものである︒それは彼の市民靴会のよき伍統である司教課しとう文化.﹄
に支えられた那想主義的ヒューョーズムが必然的に求めた政論形
態だった︒そして︑これが可来るべきテモクラシの勝利についてL
や可自由の間逆Lや可ヨーロッ・ハヘの審併Lなどに見られるところの︑
マンの肚界市氏輔神の出発点である︒﹁ドイツ的天性の極端な個人主
義と貴族主換とにもかかねらず︑自己を市践的テモクラジィという
共同体のなかに純入れ︑万人を結合する法則と尺度とを承認するこ
と︑全一考垂夛昌たらんとすることへの極度の慾求にもかかわらず
力を尽して限定された戦費を完遂すること︑その天性が極端な天才
性と非合理主義とにおいてあるにもかからず︑その仕事を完全且燃
睡︶
能に仕上げること﹄これが︑ドイツ的天性爵岸胃のもう一つの極︑
カテゴーリグシヤー・イムペゲチイーブつまり︑ドイツ的エートス国言の定言的命令であ
ることを.シュトリヒは﹁文学と文明Lにおさめられた﹁マン論﹄の
巳一一
錦
、
火
は︑M一の間を形作るであろう︒ 一つの政治職桃と︑同じ地平に立ち︑文化尿旨冒司と岡家些眉壷と ジイの中に生きる︒ここに︑ドイツの伝統の栄光と新しい自由とは なかで述べている︒ドイツ糀神の両織性は︑かくしていまデモクラ
敗戦は︑ドイツ人の人川的条件を変えた︒ドイツ人の内伽の支柱と
︑︑カイザー・ワイヒ
枠であり︑外邦に向って一つの柵戚であったもの﹁帝燭﹂は消滅し
た︒つまり︑敗戦は︑ドイツ人の条件を変えたのである︒これは︑収
︑︑稲というものの冷厳なる観的群総果である︒この結果︑つまり︑八変
えられた拝観的条件Vを前にして何をなすべきか︒作家にとっての ︑︑中 課題は︑この現実を直視し︑この現実に表現を与えるということ以
外にはない︒現文に表現を与えるとは︑この現実の中に慨かれた自
己の叩能性を探求するということだ︒﹁ライヒ︲一の刷壊というドイ
ツ人の蛙大の悲劇をつぶさに経験し︑八戦後Vの混乱にのぞんだ作
宝マンに取っての課題は正しくこれ以外になかった笹である︒そし ︑℃︑ て︑可共和国﹂は︑まさにかかる課題に対する︑マンの政治的解答
に外ならなかった︒﹁戦後におけるトーマス・マンのデモクラジィ
ヘの回心は︑大規模な国民的危機の蔵物である︒それは︑いかにも
甚だしい方向娠換であり︑彼の発展における一つの分岐点であるこ
とは瀞めないが︑彼の今までの行路における内的デイアソクティッ
クからこれを兇れば︑皮相の槻察老のおどろきを余所に︑やっぱり︑
今卿一
全然雌靴州の結果ではないのであるLとルカーチも街っている︒ま
︑︑︑︑さしく︑この嘘向は︑珊禰の面的延災が突然水船となってあるごと
き脚然さをもっているのだ︒瀞われは︑就中︑司打案︲一に秘められ
た壱目目員宮昌目を注意深くかみ分けることによって︑綴淡唯が
一
ら︑ここに行きつくべきマンを涌定することが出来るであろう︒つ
いでながら︑後年のマン自身も︑﹁私の時代︵畔︶Iそれは変転に
充ちたものだった︒しかし︑そこにおける秘の生活は︑一つの統一
︵川︺
体︵国昌塁︶だったLとしみじみとした潤子で洩らしている︑たし
かに︑マンにとっては︑司人から何が生い立つか︑そして人から何が作
られるかLが大切なのであって︑﹁人が何をのぞむか︑何を通図する
か﹄が瓶点ではなかった︒デモクラジイは︑彼にとって︑既成の政治則
耐としてではなく︑深い内而的必然性に支えられたところのヒュー
マニズムの政治的形態としての実感をもってのみ永錫を受けたので
ある︒そして趣点は規定脇︑ヒューマニズムの方にあるのである︒か
くて︑マンにおける司椛力に擁謹された内耐性L︺冒︒言唱鰄e盲目目
旨冒︒﹃胃房昌の時期は︑この敗戦を櫻機として完全に幾止符を打た
れ︑人間の根源的自由を自己の稀威と責任において正当に生きる真
の自由人マンがたち現れる︒﹁魔の山﹂が発展小説として完成される
根拠は︑以上に見たような経過にあるのだ︒ともあれマンの内面の
琳件として見られた可戦争Lは以上のように要約されるのである︒
要するに︑ここには︑徹底的な批判の目を深く自己の過去へと投射
し︑同時に挑処に投影して来る当為的未来の影像を検謝し︑輔細な
自己批判によって︑自己の視野の欠落を補いつつ人間観的立場を硴
立しつつあった一人間の影像がまざまざと浮んで来るのであり︑か
かるマンの︑いわば飛肘的自己拡大と自己革正への努力の過秘を側
式化すれば︑特殊的裟術束としての自己の実存の認齢と分析︵偶人
Ⅱ心剛主鏡︶l地域的人間・ドイツ人の可能性と限界の探求︵地域
的緋殊的文化の械肘︶1人Ⅲ蝋型学的探求による係週的人間性への
−
69
関心と方向づけlとなり︑総吋文化の典の担い手としての︑あら
言︑︑
ゆる自然的・所与的佃向を解脱した将退的人間像が求められ︑かた
がた断る努力は一方に巨大な知識の錐積を緒果する︒かくて︑こう
いう︲一つ︲の進腱がおのずから︑これと進腱のテムポを同じくして
出来あがって行った作品に投影していることを予想出来れば足りる
のだ︒そして︑﹁共和潤しの末尼には︑可死の体験は︑紬局は生の
︑︑体験であり︑それは人川へと導くものだ︑ということを教えるのは︑
騒探小鋭の主題となり得るだろうLという柑菜がある︒これも粘吋
﹁魔の山﹂を予想して杏かれたものと兇なすことが川来るだろう︒
さて︑ここらで︑汗われは視点を小説の甥に脾して︑水油として
の﹁斑の山Lの検肘に趣入らなければならない︒
ところで︑艮鯆小説の﹁魔の山Lは︑上下二巻千頁を超える観念
の大建築であり︑一九五六年にG・B・フイッシャーから出た学生
版によってこれを見ても︑B5版型の大瓶でこまかい活字をぎっし
りつめて組まれながら︑罰二誘○胃﹃話にいたるまで︑六百五十八頁
の大部にわたって全頁を埋めている大作なのである︒一朝一夕にこ
れを論じ去ることの不可能は言うまでもない︒これほどの大冊が︑
峨後ドイツの邑碧︾︒﹃と三言ざご下に出版されて︑四年を出ないうち
に第百版に達したというおどろくべきエピソード︑いや事実があ
る︒これは︑いったい何を意味するのか︒事は小説というものにか
かわる限り︑要するにそれは︑面白かったのである︒求められたの
である︒人は︑小説を蕊みながら︑心の片すみの何処かで︑いつも
﹁人のふり見て藩がふり液せ﹂という他言の戦訓を噛みしめている
〜
ものであるが︑こういう態度こそ﹁魔の山Lを暁む態度として真に
すすめられなければならないものであろう︒何故ならば︑このロマ
ーンに到って︑トーマス・マンの﹁アナムネーシスの戦師﹂として
︑勺の態腿が現代の政治的文化的人柵的状況を刻明に分研して見せて
呉れるという意味で峻初の碩点に遮している︑と忠われるからで
い﹀・タヱ
ある︒しかし︑そうは商っても︑この災捕は︑そこいらの物硲を鮠
むような︑安祓なプリミティヴな態皮で取りかかれるしろものでは
ない︒そのようなブリミティヴな興味にこたえるには︑この作品は︑
その叙蛎辨的完絲性を︑観念的W砿的なものの腫大な鵬砧によって
破られすぎているのである︒根は同じ間然主溌的手法の上に立って
いるにしても︑これは︑︑ブッデンフロオクメしの自然拡浅的述成とは
すこしちがうようだ︒たしかに︑ここでは作求における感性と剛性
のバランスが破れ︑知性のむき出しの軌条︑つまり観念が︑形蚊を
圧倒し追い越しているという弧の稀汀な小鋭的実例が提出されてい
るのだ︒しかし︑このようなみみつちい言い方が︑作品﹁魔の山L
の価値と意義とについては何も謡らないに均しいことは︑戒に反省
されねばならない︒さきほどの﹁面白いLという群譜の内容として︑
ここには︑およそ二十世紀の文化的鮒神的内容のあらゆる面が包含
されている︑と言うことで足りよう︒つまり︑仮りに有史以来の︑人知
による探求の総和︑それを可人文﹄︵この言葉の使朋法は注意を要す
るが︑ここでは便宜上これを使って疵く︶という包括的概念で表す
とすれば︑この﹁人文Lを交える有力な賎能として︑記述的糖仲と
︑︑いうものが考えられるであろう︒記述は言うまでもなく︑言語と文 沁︑︑︑ 字とを素材とする人類固有の知性的はたらきだが︑勿論これは文芸
一
扣
詐現実的日常性の世界から見られるとき非現実的とも映る世界1人 る︒この一髄の非現実的な世界︑現実的ではあるが︑人生の正当な 象徴的世界︑いわば人生の﹁影の世界L呼冨胃冒至骨に設定され ﹁休暇Lを与えられて︑そこへ出かけて行く一秘の日常性遊離の 高地︑人が﹁平地Lでの具体的に限定された現実的日常生活から ているのではないということ︒﹁腿の山Lの世界は︑標高数千米の 定し形象相互の勤的な相を詳観的風俗として拙き出すことを急図し 当賎時代の社会における魂実的な人川形象の存在と欄命との上に設 ザックの可人附秘刷﹂のように︑一時代の矛府や苦悶や翻釧やを︑ 眠想が乏ぷのである︒マンは︑この作品によって︑たとえば︑パル たかつたのではないか︒つまり︑司腿の山Lを前にして︑こういう のなかにⅢ題の一切を投げこんで凡て︑さてどうなるか︒それを兄 で避型的にあつかって兄るということだった︑のではないか︒小税 て来た間腿を︑自己の成及の軌跡として︑こんどは純粋に文学の場 マンに取って斌要だったのは︑今迄︑政治的凱愉的工場であつかっ ︑︑︑︑︑︑ 十惟紀ヨーロッ・ハの文化的淵間随である︒よかれあしかれ︑ここで おける背蕪以来の問題の一切であり︑可梢寮L以来あつかわれた二 把述的輔神が執勧につかんで総さない対象は︑ここでもまたマンに から突き動かしているように感じられるのだ︒そして︑このマンの の紀述的糀神という巨大な人文的情熱が︑マンその人を激しく内側 ある訳だが︑作品﹁魔の山Lにかかわっているマンを見るとき︑こ ︑︑︑︑︑︑︑ のはたらきの総和的絡果が︑とりも臆さず教餐というものの表現で ︑︑︑︑ この芸術的造型意志のもう一つ手前にあるものである︒そして︑こ における言語による造型という意味とはちょっとちがう︑いわば︑
一
間の現実的行為関連や心理の葛藤といったような︑動的劇的要索が
言わば副次的要素に下げられ︑形而上学的論争︑論述︑意見表明と
首つたようなもので色濃く彩られてもかまわない世界︑緋神的観念
的要素の方が︑主題的地位に上る方がふさわしいような可実生活中
止Lの世界︑それが﹁腿の山Lの舞台スイスの結核漆饗所をめぐる一僻
の﹁商地Lである︒こういう設定の中へ招致されるマンの批評的記述
の姫も服要な対象は︑セテムプリーニⅡナフタ・アンチテーゼ︑すな ︑︑︑︑ ねち︑西欧的な合理的進歩主侭粁︑﹁脊渋Lに現れる文明文士にして
熟州的なヒューマニスト︑イタリイ人ロドヴィコ・ゼッテムプリーニ
と︑絶対命令鉄の如き束縛強制服従テロルとして︑プロジャのプリィ
ドリヒ大王とス・へインのイグオチュース・ロョラの拠典を摸倣し敬
皮で血を恐れないまで厳格な戦育原蝿の担い手︑ズ・へインⅡアジヤ
的な狂儒的ラディカリストで宗段的共施主拙粁のユダヤ人ジェス ︑︑︑︑︑︑︑ イット︑レオ・ナフタとの鐺争︑つまりこの二人の対立と抗争の ︑︑︑︑︑ 観念による展開である︒ついでながらほかに主要人物としてあげら
れるのは︑美的生活と耽溺への読惑肴であると同時に︑自らデカダン
である美的虚無主餐者としての︑なげやりでそして妖しくも美しい
ロシヤ美人マダムクラウディア・ジョーシャ︑︵彼女は︑もちろん母
性的夜と死と美と音楽というエレメント︑マンの背稗の問題性を象
徴する人物である︒︶次で初期の短篇︑トリスタンLの邪莱家クレーテ
ルヤーン氏の一段と誇張されグロテスク化された形姿︑本能主義の
相化であって生命に酔える人間バアンの近代的な存在形式とでも言
うべきミーンヘール・・ヘーパァコルン︒客観的科学の信奉者であっ
て科学主義による人間的受益性の代弁者とでも言うべき医師ペーレ
古
−
71
もI
ソス顧問官︒その助手であって輔神分析学満︑催眠術と心霊研究に
凝っているドクタァ・クロコフスキイc妓後に日附的侭務遂行の消
潔さに燐住する手問い俗人主捜満で兵士のヨーァヒム・チームセ
ン︒ここで︑主人公ハンス・カストルプのことを一徹して慨かなけ
ればならない︒彼は発展小説の主人公であり︑従って彼は上に述べ
た諸人物から︑あらゆる点で糀神的影騨を受け︑彼らへの陥入と砿 ︑︑︑︑︑ 退を経て︑彼自身の一つの輔神の高みに到達する︒このハンメ・カ
ストルプの到達する司高みLは︑言うまでもなく︑司魔の山﹂のな
かで通も歳要な部分なのであり︑これを描くことこそ︑この作品の
真正なモティーフであったと察せられるのであるが︑ここに到る前
に︑もうすこし︑小説論的考察に足を止めたい︒
さて︑次に当面する問題は︑マンが︑今迄に見て来たような可舞
台Lと﹁人物Lとを搬術して︑いかなることを告げようとしたか︑
︑︑・そして︑その慰剛を果す為に︑マンは如何なる小説的操作によって︑
これにのぞんだかである︒
ところで︑われわれは︑小摘の前段を主としてマンの内耐の別諭
的発股の概略をあとづけることに没し︑マンがヒューマニズムの政
治的形態としてのデモクヲジイを承認するところまでを辿った︒ロ
マーン﹁魔の山Lは︑外ならずこの期間に書かれているが故に︑こ
のマンの内面の進展を正確に踏まえていることだけは確かである︒
ところで︑このような進展を︑﹁魔の山Lの進展に照応させて︑こ
れる全而的に解明することはさしづめ控えなければならない︒それ
は︑一に作家マンの私生活の記録が詳細に与えられていないことに
依るのであって︑たとえば︑しかじかの事件があり︑作家のしかじ かの社会行的助があったとき︑作家はこの作品のしかじかの軍を沓 き進めていたなどと曾うことが畔細に分れば︑諭拝は僻くとももう ︑︑︑ すこし災狂的な安吐のもとに掛かれると思う︒それがいまは川来な いのである︒だからここでは︑離干の手がかりを求めて︑論じて行 くより仕方がないのだ︒
さて︑﹁省察Lの苦莱が︑﹁厳の山Lの形式にとって一つの価合
せになった点は既に指摘しておいた通りだが︑そして︑ここでぼく
は臆測を逆しうするんだが︑戦前のあわただしさの巾で執筆を開始
された﹁庇の山はL︑その綾も斌要な部分︵予め荷って置けば︑
それは﹁雪Lの章︑︑人間の夢の詩Lが出て来るところだ︶に到る
までにまだまだ提い間があり︑作品としては︑海のものとも山のも
のとも分らないままに職争となり︑それがそのまま︑八戦後Vの中
に持ち込まれたと言うことだ︒八峨後Vのなかに投げ出されたマン
は︑レブレゼンタティーフなドイツの文化人として︑何らかの漁来
91画■■■■
で自己の立塒を決定しなければならない︒そうして爽際決定した︒
それは︑作家の対政治的態度の淡明として一九二三年冬の﹁共和隅し
の飢諭形式に現われる︒ところで︑マンは︑この可共和園﹄に先立
って︑同年琴にスペイン旅行を行っているのである︒そして︑エー
レッナァによれば︑この時に︑司魔の山﹂のために一つの収種がも
︵鴫﹀
たらされるのだ︒それは︑彼の主要人物レオ・ナフタの形姿原型
を手に入れたと言う点である︒ナフタは︑宗教栽判の盾にかくれた
悪徳の君主スペインのフィリップニ世のパロディ化された似姿とい
う一面を持っているのである︒これと関聯して考へられなければな
ないのは︑﹁トーマス・マン︑生活と作品Lの箸者F・リオンの指
=
一
L︐
トーマス・マンはミュンヘン雌鍍金罵意Ⅱ冨冒舎目における彼ら 彼らはドイツ掴内に於てもまたこの革命を支持するアヂを行った︒ 勝り︑﹃小火多くのユダヤ人がロシヤ革命︵一九一七︶に参加した︒ ンの内部におけるナフタの篭場を一九一八年から二四年のⅢと見て 72 摘である︒リオンは︑﹁腿の山﹂の主要藍場人物を解説しつつ︑マ
︿塒︶
の活動を目蛾することが出米たのである.|という瓜にマンのナフタ
体験を説明している︒この二つの術摘を綜合すると︑レオ・ナフタ
という鮒神的混血の人物︑アジア的Ⅱス︑へイン的独奴者の象徴的相
蕊が廷んで来る訳だ︒
ところで︑レオ・ナフタが︑小説中に登場するのは︑第六章第二
節vzo号苛目自﹄人にはじまる︒従って︑マンのスペイン旅行以前
には︑この章は︑まだ書かれていなかったものと推定される︒ここ
までに篭場する政要人物は︑主人公の外︑ゼテムプリイニ.︑マダ
ムジョージャ︑チームセンおよび・ヘーレンメ灰姉たちであって︑こ
れだけならば︑司臓の山Lのデイアレクティックは︑あれほど剛勅
するものにならなかったであろう︒ナフタの殻場は作品に史に生
彩を与えた︒洲はば︑そのイデオロギイ的Ⅱ世界観的側耐におい
て︑それは翼に枇界的規模に逆したのである︒つまり︑マダム・シ
ョーシャによって代表されるローマン主餐的ドイツの一偏向及柑神
神秘主凝的Ⅱ虚無主義的非合理主義の東洋︑ゼテムプリーニによっ
て代表される近代的合理主義の文明的西欧︑ナブタによって代表さ
れるところの理想主義的ラディカリズムおよび独裁専制主義の願
理︑更には︑︒ヘーバァコルンによって代表されるところの︑いわば
無輔神的な生の絶対主義lこれらのものの間を︑主人公ハンス︒
I
一
ぷ
︑︑︑ カストルプの反譜的姿勢が動いて行って動き切る︒かくて︑魔の山L
は︑思忠小税としてのまことに碗かな小脱的次元を極押した︒小鋭に
依る姻念操作Iこをいう小脱の二十肚紀的性楴を︑それは︑股も
ラディヵールに極押したのである叩可私の壮年の脱潴作砧局罰二営言︒升
叩●魔の山r︾は同時に一個の思巧作業ご目胃胃宍でもあった︒この作
少迅A紙Iリック品のユーモリスト的象徴没現は︑︑生の厄介息子隣つまり人間を
中心として廻転し︑又人間の立場と地位の問題を主題としていたの
である︒それは人間の書冒扇︒喜︒嚴言島たろうとした︒︵中略︶
この作品の外面的舞台は︑スイス山谷の国際的盛り場という極めて
狭いものであるが︑その内的舞台は極めて広い︒それは第二次世界
ジニンテーゼ大戦に先立つ十四年間の︑つまり人間的線合を求めて︑今日な
お戦斗的に続行せられているところの西炊の政治的剛道徳的ディア
ハ﹄
レクティックを全面的に抱括しているのであるLとマンは﹁私の時
代Lのなかで述べている︒これが︑いわば︑マンの司臓の山Lにお
ける心側である︒そしてこの淑側によって︑作舳は二f世紀における
思想の兄取側となった︒そこには︑柵々の思想が︑主要人物たちをと
らへ︑その肉体に喰い入り︑肉体が思想そのものとなって生きること
によって︑葛藻となり蛎件となり迎命そのもとのなるとなるという︑
︑b一つの実人生的経過の劇的もつれ︑人間行勤の力学的展開と言っ
た叙蛎詩的純一性︑つまり小説的造型意志の純潔性においていくら
︑︑
か峡ける点︑むしろ思想絵巻としての印象は消しがくあるけれども︑
もともと︑それは︑いわば八小説に依る分材と思考Vであり︑ここに
手段的位織において存分に駆使された形象と象徴の幅と深さとは︑
否応なく吾われを引き込む力を持っているのも否めないのである︒
︑〆
ウ
73
雫
吾われの識歎は︑二十世紀全休を包括するごとき︑このような巨
大な思忠の榊図を︑国深サナトリウムというまぎれもない浮世の一
角へ閉ぢこめることで︑その展開の一切をまぎれもない写実的進行
のなかに投げこんでいるというそのフィクション行使の見事さにあ
る︒マンの腫大な教秀に包含される智識と緒観念とは︑この可写実﹄
の枠の中で動きのある端形象と棚触れ︑たしかな生彩と魏得性とを
猶押しているのだ︒要するにこの作品は二十世紀における欺州の内
︑︑実の大規摸な文学的脾峨なのであって︑観念小説としてのマンの文
学の︑作家的溜険を賭けて捜神された舷大の遊成が︑ここに兄られ
る︑と獄うべきだろうか︒﹁斑の山Lが︑さしあたり広くヨーロッ
パ的枇界の押倣人大衆の熱狂的な関心を引いたのは︑獄うまでもな
く︑死に股も撰近した綱将たちの放縦な生態の柵がなどをいう自然
アソヂノ凸画イ
主投的興味からではなくマンが目らの内部の二柿杼反に沿って︑典
に川湖化した雌代そのもの内部を︑その妓も深いところまで兇とど
けた︑と荷う功紬に州せられるのである︒そして︑総吋司魔の山L
は︑庇深い相対主鏡の悩脳︑現代のレァリスト的知性の何処かに押
へ難くひそんで勝るところの相対主凝の怖感に深く包まれている︒
マンはユートピヤを猫らない︒米米の珊想社会の柵図︑ドストイエ
フスキィ的用川縦を借りれば﹁水砧宙Lの夢などは揺り度くもない
のだ︒彼の心性の雅期は︑逆脱めくが︑むしろ根輪際ユートピヤを諮
らない皿想主義満たる点にある︒﹁未来Lを見る為に︑術に足もと
を見る︑これがマンの韮本的な対人生態没である︒可未米Lは︑い
わば無限の彼方を遡見する可未来Lであると同時に︑﹁現在Lの正硫な
延艮の上に︑いわば刻々戦いとられて行くべき﹁未来Lである︒か
一くて彼は自由と冒険的探求の中に︑無限発展の約束を確保しようと
するヒューマニメトとして自らを確認する︒﹁近代淵神史における
フロイトの位置﹂のなかには︑フロイトにことよせて彼のかかる櫛
りが聞かれる一節がある︒﹁革命的原理︑これは︑とりも直さず未
来への意志であって︑未来とは︑ノブーリスのいわゆる司莫正の意
味におけるより善き世界Lの淵である︒それは︑意識化と蝿識の︑
より高い段階に導く腺理である︒無意識なるものを意識化すること
によって︑充分に究明せられもしないものの上に築きあげられた不
安定且つ通徳的に益のない︑あやまれる︑兄せかけの生の安全さ
や︑見せかけの調和を破班し︑可心珊学Lという分析の方法に俟っ
て︑文化統一という槻点からはアナーキーと側されるかも知れない
ところの︑さればと宙って︑そこには停滞もなければ州路もなく︑
可役古Lもなければ︑これという硫災な足場の恢鯉も何一つないと
ころの朋壊分祈の局耐の数々をのり越えて︑典佃の︑慰識によって
硴保された自曲な生の統一︑充全な自己迩倣にまで発腱した人間の
文化へと途しようとする闘助と慮志の州である︒かかるもののみが
革命の猪で呼ばれるのである︒球命と揃う急醗稔︑窟襯化と分析を 紐て行く未来への意志にのみ州腿するのだ︒L
寸豪の狂いもなく︑この文莱はマンの文学の雅底にある輔神l科
学淵神と殆ど同じ平而に砿なった彼の作求椚神を錨っていないであ
ろうか︒人間の神秘︑その深さ︑広さに対する腿敬と作家的間興︑
人間の未来への信緬︑そをいうものは︑たしかにここからも間えて
来るのだ︒もはや︑正面切った可生の愉定﹂と見るほかない立場か
かる立場が実は︑デモクラシイヘの信仰告白と殆ど時を同じくして
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