ヘ ス タ ー と プ シ ケ ー
『緋文字』に潜む女性的心理発達のプロセスーー
高 島 ま り 子
前干高七、『緋文字Jを男性的自我デイムズデイルの独立への元型的発達プロセスとして読むことの可能 性を論じたが,それでは独立に至った「英雄 自我」としての彼の特質はどのよう訟ものであるが,ま たそのような特質を備えた「英雄Jの物語とLての『緋文字』の意味はイ可かという疑問が残うた。本稿 ではこれらの点について検討しでみたい。
まず一見して顕著なデイムズデイルのλ物像の特色はその受動性,消極性であろう。彼は第1章の
「市場」において最初から「子ども」のように内気な若者として;登場し,何らかの強い必然性に促され でもしない限りはできるだけ隅っこに一人で目立た拘ようにl隠れていたいというような傾向を示す。一一
「どこかに隠遁してのみ安心で、きるというような一一心配そうな,びくびく Lた,なかばおびえたよう な表情があった。従って,自分の職務の許す限り,彼は薄暗い間道を歩き,自分を素朴なこどもらしく していたJ2)ーたとえそのような傾向が秘かに才目された罪の結果であるとLでも,本来彼が自発性よ りはピユ~1)タン神という権威への依存性の強い受動的な性質の持主であることは,第9章でも次のよ うに述べられている。「どんな社会状態の中でも,彼はいわゆる自由思想の二人物で、はな/かっーたで、あ、ろう。
信仰の重圧がその鉄の枠の中に彼を閉じこめながらも,彼を支えてくれているのを感じるととが, 1'皮の 平和にとっては常に肝要で、あったであろうからであ4Uこのように消極的な「子ども」のようJな若者
が前稿で論じたように「英雄j としての苛酷な心理的闘争を戦い抜き,ついに勝利を一一彼自身の死と いう代償を伴なうものであれーー獲得したということは,驚くべきことではなかろうか。彼の7年間比 ベレロポンやベルセウス等のギリシア神話の勇敢な「英雄Jの戦いとは全くかけ離れた悲惨な様相を呈 している。「英雄j という呼称で呼ぶのがためらわれるほどに。にも拘らず、彼が最終的にヘスターの誘 いをはねつけ,告白を為しとげて,いわば本来の自己のアイデンティティ←を獲得し得たのはなぜか。
即ち「英雄jの条件である象徴的「父殺しJと「母殺しj を為し遂げ,自我の独立を果たし得たのはな ぜか。その要因の一つには彼のいわゆる「動物的な特質j)が挙げられるかもじれないοぞれが精神的に は大橋健三郎氏の言う「タフdとなって,深刻な苦悩に満ちた7年間を生きぬぐことを可能にしたの かもしれないのであるから。しかLその「タフさ」は,激しい内省と良心の苛責Iこ耐λるカとはなって も,彼の姦通から葛藤り7年間を経て告白に至るプロセスを方向ヴける推進力とばなり得ない。その方 向づけとなった事柄,即ち物語の発端であるところの姦通主その発覚,そして岩自への転機となったか に見えるヘスターとの森での再会をとりあ印てみると,いず、れも彼女の積極的な関わりあい抜きでは成 立しないことに気付く。姦通については前稿で考察したようにデイムズテザイルに対する彼女の f太母J
性の優位が考えられるし,罪の発覚も彼女の妊娠と出産が直接のきっかけで、あったと思われる。勺また森 での再会は彼女の意志で計画,実行されたも、ので、あった。従って『緋文字jがテ1ムズテイルによって
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示される如く,西洋における男性的自我発達のプロセスを枠組みとして最終的にはピューリタン神への 新たなる帰依という優れて男性的な価値のM世界の勝利を描いた作品であるにも拘らず,そのプロセスの 要所はヘスターの体現する女性的な力あるいは価値によって押さえられており,同時にその女性的力こ そが原作のプロットを推し進める力じなっているのであるi
以上のようなことが言えるとすれば,既に述べたデイムズデイルの特色たる受動性,消極性はヘスター の能動性,積極性と不可分の関係にあり,受動的な彼の「英雄J‑"Xの成長は能動的な彼女によってもた らされたと言えるのではなかろうか。逆じ言えば,彼の受動性は彼女の能動性を保証しているのである。
即ち作者ホーソーンが描いたものは,男性的な力のみによってではなく,女性的な力の決定的介入によっ て男性的価値が獲得されるプロセスであり,また自ら勇敢に独立を獲得する能動的[英雄←自我Jで、は
なく,女性的な力に押しやられ促されて独立を果たす受動的「英雄一自我jの姿なのである。この点こ そが「英雄Jとしてのデイムズデイルの特殊性であみう。こう Lてみると〆彼は白Hら主体的に敵に立ち 向かうギリシア神話の F英雄」よりも,エリツヒ・ノイマンの解釈による『アモールとプシケーJの物
語に登場するエロース,即ち恋人たる女性の行為によって受身的ながら[太母Jアフロテゃイーテーの
「息子:愛人」から一人前の男性へと自立するに至る若い神エロースのイメージに近いように思われる。
そしてそのような視点からヘスタ}を見ると,いくつかの重要な点で彼女の役割がエロースの恋人プシ ケーのそれと重なり合うことに気付くのである。従って,本稿では視点をデイムズデイルからヘスター に移し,ノイマン著『アモールとプシケーJとも比較検討しながら,ヘスターめ側からプロットの展開 を追ってみたい。彼女の女性的力がどのようなものであり,またデイムズデイルの辿った精神的発達プ ロセスといかにからみあってプロットを動かす原動力として機能したかを解明することが,受動的「英 雄一自我Jの物語としての原作の意味を問うために有効だからである。
既に挙げた原作のプロットの流れを決定する2つの事件について,順次見ていくことにする。まず姦 通の罪からその発覚にかけてのヘスターの関わり方は,どのようなものか。罪が彼女とデ、イムズデイル を結ぶ「鉄の粋Jであると作者は述べる。ならば,この罪に対する二人の認識は一致しているのであろ うか。注目すべきことは,姦通がデイムズデイルにもたらした「原両親の分離」が自ら望んで獲得じた
「ウロボロス j的楽園(ヘスターとの恋愛以前の「共同体J)からの解放ではなく,否応なく押しつけら れた追放であるということである。彼の心に浮かぶ「顔をそむけた母」と「聖人のようにしかめ商をし た父」の姿は,失なわれた楽園への彼の郷愁を示している。なぜなら対立していない一組の両親として 捉えられているのは分離される以前の「原両親J.即ちヘスダ」との恋愛以前の「共同体jのイメージ であり,その愛する父母が共に現在の彼を非難じていることは.彼を暖かく包含ιでいた以前の「共同
体」との一体感が既に失なわれてしまったことを暗示じているからであるよ彼の「原両親の分離」が不 本意なものであったがゆえに,彼は分離じた後の F原父J=r共同体」とも「原母J=ヘスターとも完全
には一致し得ない「息子一自我Jとして両者から切り離された存在となっIでいながら,両者の引力から 完全に自由になってはいない。実際は破ってしまったピューリタエズムの原理を依然として信奉せんと
し
, r共同体Jの後継者たる優秀な牧師の地位に留まdっている乙とは, r原父」との終に彼がいまだにし がみつニうとしていることを示す。同時に,彼女が処刑台でさらしものにされる「市場」の場面におけ るおどおどした彼の「子ども」のような姿や, r恋する太母」から逃げ回る f息子工愛人」としての未
熟な反抗を意味するマゾヒスティックな苦行,その心理段階の本質的特徴である「自分自身を意識化し 始めた自我と意識…uが自らを鏡に映そうとする傾向」を示す ナルキツソえのよろな一一鏡に向か つての徹夜,そして世間の疑惑を招くような立場でないにも拘らず不可解なまでに彼女との接触を避け 続けた7年間等が, I原母J=I太母j としてのヘスターとの粋を彼がいまだにひきずっていることを暗 示している。元来,姦通そのものが彼にとっては「情熱の罪であって,主義の罪でもなければ目的のた めの罪でさえも」なく,チリングワスにとっては遺伝性主思われた「強烈な動物的性質Jによってひき 起こされたもの,即ち「太母Jの支配力に翻弄された結果であるとすればこのような「原父J,I原母j の支配力の持続も当然であろう。
それではヘスタ」にとっても同様に,姦通は性的情熱のゆえに我を忘れて犯Lた罪であり,その結果 は不本意な楽閤追放であったのだろうか。あるいは彼女はデイムズテγ ルの妄想に現われ~通りに「少 年自我j を性的魅力で破滅させようとする食欲な「太母」であり, I共同体」の定義通りの「緋色の女J,
「パピロンの女jであったのだろうか。実際は,そのいずれでもないように思われる。彼女が女性であ るがゆえに妊娠と出産を経たため,罪の発覚を免れず罰せられたことを除いても,罪の受けとめ方につ いてデイムズデイルと彼女の出発点がかなり異なっていることは事実であろう。不本意な r涼両殺の分 離」の後,被は「原母」の支配力に抗Lて「息子ヱ愛人jへの退行の危険と戦い, I炎の舌;1)を授けら
れた天使の如き有徳、の牧師という虚偽のベルソナを「原父J=I共同体」から押Iじっけられてその重圧に 瑞ぎつつ,前稿で考察したように「太母」の手先としての「地父J元型の性格を持つ復讐者チ1)ングワ スの精神的拷問に耐えることに精一杯である。へス夕一べの思Uいλ}ミやり
える日々の中で彼女がごくまれに「苦悩のなMカか、ばを分かちとづてくれる;1うな針ネ視見線ををP感じるという間
接的な表現現弘に日暗音示される彼の同情心と,彼女カが宝パ一ルの養育権を巡つて知事達とと(対立した際に, 彼 が (彼女に請われてではあるが)見事に彼女を弁護して母子がヲ│き離されるのを阻止したニと〈らいで、あっ て,ヘスターの引き受けた苛酷な運命を考えれば,あまりに微々たぷものであるといラ印象品ぬぐえな い。彼の意識は自分自身の内部にのみ集中していると言、えよう。ヘスター母子の存在を公衆の面前で受 入れ,彼なりの愛を示すことができるのは, I竜との戦いj を終えようとする告白の場面で、あって,既 に死が目前に迫っている。それにひきかえヘスターは,第3章で処刑台の上で恥辱に打ちのめされそう になりながらも姦通の相手を告白することを断聞として拒否し, Iその入の苦Lみも私のと同じように 耐え忍びたいものと願っています」と罪を一身に背負って一歩もiJlかない。しかもその後の孤独な7年 間に恥辱を背負って忍耐の日々を送りながら,女手一つで彼との聞に生まれた不義の子バールの養育に 全力を傾ける。その間,第5章で彼の微かな視線にさえなぐさめを感じ死後の世界で、罪の粋によって 彼と結ぼれるという最少限の望みすら罪悪感で抑圧しようと努める彼女の姿lえ い じ らdしいほどである。
また第12章で夜の処刑台で、救いを求める彼の衰弱した姿を見るなり,愛情と責f壬感からチリングワスに かけあって彼の解放を頼みこむ彼女の姿が,第14章に見られる。また自分は彼の命を救ったのだと豪語 するチリングワスに反発し,デイムズデイJレが解放される見込みがないと解ると直ちに彼の正体を知ら せようと決意し,実行に移す。第17章の森での再会の場面に描かれるように,彼女にとって干共同体」
の冷酷さはおろか神の怒りで、さえも,デヰムズデイルの怒りほどには耐え難いものではなかったσ彼女 には,一貫して彼への変わらぬ強い愛情と献身がある。このような過酷な試練にも耐え得る愛と献身を
196 l鹿児島女子短期大学紀要i 第四号(1994)
考えれば,μ彼女にιって姦通が忘我の内lニ犯した肉欲の罪に過ぎないと断定する々ことは持できまい0' じか も彼女にlは井久' 原作のヅ白ツ?ι ト以夕外トにも行動の i選童択肢は「い R ワかあ d たは Lすすすずミ、ででで、~'ああるるふ。原作4にニ二Aも ρ[共同?本」
の課した罰なとど守無視して出身地ヨ}ロツパに戻るか,二l叶荒野tにご逃げ込ん唱マでインムテヂ王汗dプンシ,と同化寸す1る等の可d
能な選択を針f拒巨否じた彼女の心心、理をあれこれ分祈じだ箇所附カが宝ああ4るMる劫カが宝〈ぐAミ:!1
た後につい守てで、ある。そうれ以前の様々な行為の可能性を考えれば,彼女の選択の幅ば更に広がっ:たほず である。例えば:, r共同体」の冷酷な糾弾を避けるためも ι妊娠を知られぬ闘に逃げ出す7こ:どもできれば"
実際に「パピロシの女Jのタイプ。ならば,いったん他所で出産ιた、後,我が子lを手離しで何くJわぬ顔で、
恋人の所に戻ってぐることも,そして罪を重ねることもで、きたで、あろ今戸にも拘ら勺ずず、¥,彼彼J女
でそそのまま 「共同イ体本jに踏み留まつたととfいうことJと土lはι.当然:なながら吋罪の発覚の結果〆ととじてとと?のよ}ううな厳罰を 課されてもι,一そーれを受け入れ耐え忍ぶ覚悟があらたことを示ιてωるその罰が死刑で、あづた7可能性Jも
な自我確立の元型的プロセスの中心たる要素であろうー。一そしでふスタ←どアシケ4を比較じた場合よ前 i
者の姦通が,無意識の暗簡の世界に意識という光をもた〆らじた後者の、英雄的行為ーゥ÷フ。シヶーが禁を犯も して暗聞に横たわる夫エロースの姿をラシプで照臼じ出じて見告という行為デ戸、に匹敵す :s のでは'~い 1 かと考えられる。これについて論じる前にプシケ日の自我発達';fqセ ス をyイマンの解釈に従qて要約
してみよう。
ノイマンによれば,それまでのプシケーは娘時代の母娘一体化Lだ「白;己保存上り時期かち T:怪物J
実は自に見えぬ神エロースーーとの f死の結婚lvこ始まる[父権的ウロボロスjーの時期に入づてい た。前者はラマメーテjレとコレーの神話に見られるように乙女が下京母jと一体化らと母性的無意識の状マ 態にある平和な時期だが,後者の時期にはそのよ今に無邪気な乙女が新たに強方な無意識的肉容 V~征撒 され,それを圧倒的な男性性として自己放棄によつで受け天れる崇め,完全区受身的な女性とτLの自
己認識を獲得する。これば神話で、はハデスによるコレーの略奪やJぞウスとJダナJエーの場合のようiな柑:
の処女に対する一方的な関係{こ描かれてきた。プシゲーは,姿の見えーな何い夫によ引でもた与された臨聞い3げ
の楽園に身を委ね,最初は満足しセ川た。 Lかし姉達にそそのかされ.夫の実際の姿が果たじで怪物で あ る か 否 か 自 分 の 自 で 確 か め , も し 怪 物 な ら ば 殺 害 し よ う & 決 意 夫 禁 じ ら れ で い た に も 拘 ら ず 眠 った夫の枕元にランプ。をかざしT彼の姿を見てしまう。互の時'A""ぞれまでりH音閣のλ楽園;去りも父権的 ウロボロス」とじての姿の見えない夫ヨニロ」スどしぜだf;太母j の支配下にありながち彼に身を委ねて一
いたプシケー自身とが一体となっていた無意識の世界は分離解体され,プシケーはその「原両親Jの真 中に自我意識として誕生したと言えよう。そして「見ず知らず]の関係のままに白分を委ねていた夫エ ロ←スの姿を確認し,初めて圧倒的な力としでの彼に屈服するのではなく,個別の存在として彼を意識 的,主体的に愛し始めるのである。
さてヘスターの場合もプシケーと同様の心理的プロセスを歩んできたことが,第1章の処刑台の場面 での彼女の回想、から推測される。罪の発覚以前のいわば『緋文字』前史とも呼ぶべき時期について考察 してみよう。イングランドの両親のもとで過ごした乙女の美に輝く幸福な少女時代li,愛する両親の姿 として捉えられる「ウロボロスJ=i原両親Jの段階で、あり,とりわけ「母の顔…その注意深い気づかわ しそうな愛情の表現は,いつも彼女の思い出の中にあって,母が死んで、からも,娘の歩いてゆく道すじ に立ちふさがって優しく叱責することがしばじばあったのである j と愛に満ちた母親の姿が強調されて いるのは,次の段階である母娘一体化した「自己保存」の時期に相当すると思われる。(図 [I}の (A) 参照)そして,年長の学者チリングワスの妻としてアムスチルダムで過ごした日々は, i父権的ウ ロボロスJ段階一一まだ「太母jの支配下にあσて一大前の女性とじ?で成熟じていない乙女が,圧倒的 な男性的支配力を自己放棄によって受入れる「死の結婚Jと,それに続ぐ無意識的な楽園状況一一ーに当 たるのではなかろうか。チリングワスが,日中は書斎に象徴される学問という俗世間から隔絶された権j 威の世界に閉じこもり,夕暮れ時になると彼女と共に時を過ご、すために姿を現わしていたのも,エロー スが日中は天上の神々の世界で過ごし 夜だけプシケーと共に過こぎしていたのと通じるものがある。即 ち,チリングワスもエロース同様に昼間の個人としての意識的存在を妻と分かち合おうとはしないじ,
昼間の個人としての妻の存在は,彼女自身にとっても彼にとっても無に等しいのである。即ち,彼の実 際の姿(アイデンティティー)はヘスターには見えず,彼女の真の姿もまた彼には見えていない。いや,
彼は見ょうともしなかった。彼にとって彼女は, i長い時聞をc‑A淋しく書物の中に過ごしたために生 じた冷たさを学者の胸から取り去るためには,その微笑を浴びることが必要J主いう存在でしかなか ったのである。つまり,二人の結びつきは,エロースとプシケ」の場合と同様に, i見ず知らずJの関 係に過ぎなかったのである。「彼のなまぬるい手に握りしめられることに耐え,またそれを握り返しJ,
「彼女の唇や自に浮かぶ微笑を彼のそれとからませ.溶け合わせJていたチリングワスとの結婚生活が 彼自身「まず悪いことをしたのはわしだ。おまえの菅の若さをだまじてわしの衰えと偽りの不自然な関 係を結ばせたのだからね」と述懐するようにアンバランスなもので、あったにも拘らず.iかつて一度も 幸福以外のものと思われたことはなかった」ほど,ヘスターは彼の存在に圧倒された無意識の状態にあ ったと言えようo 当時の無邪気な彼女にとって,彼が年令のよでも知性や教養においてもそれほど巨大 な存在であったのは当然で、あろう。彼は「生まれた時からできそこないの体だ、ったわしは,若い娘の気 持ちでは知的な才能があれば肉体の不具も隠されるだろうなどという考えに,サどうして自分をあざむく
ことができたのだろうかJと過去の自分の認識の甘さを自己批判するが.実ば彼の「知的な才能」が
「肉体の不具」を隠すことは可能であったのであり,確かに知力による彼の絶対的支配が実現Lでいた のである。姦通による彼女の「自我)意識Jの獲得が無ければiその状態はず。と持続していたに違い ない。しかしノイマンが述ぺる如く,そのような無意識的な楽閤状況は「隷属的で盲目の状態Jであり,
ぞのような存在は「非存在,または暗闇における存在,即ち怪物に飲みこまれたものJ.rいけにえJな
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のである。(図[1 Jの(到参照)罪の発覚から7年を経たヘスターにとって,その頃の i幸福」が
「彼女の最も醜い思い出j5)へと変わり果て, i彼女の心に分別の無かった時に,自分ノの制にF居るのが幸 福だと考えるように彼女を説きつけたことJの故じチリングワスを憎まずにいられないのは,彼女が当 時の「父権的ウロボロス」の無意識の段階からその隷属状態を認識し得る意識的段階へ左前進したこと を示している己いや,最初の処刑台の場面の直後,監獄で彼と再会じた彼女がI少しも愛は感じません でしたし,そんなふりもしませんでじた」と言つでいるこιからも,姦通を経て既にその段階伝達して いたことは明白である。もっとも心理発達に沿って考えれば,彼女が r愛」を感じなかったというのは 真実の愛を知った後の感想、であって,当時は「愛を知らなかったJと言った方が妥当であったろう。真
心愛し得る主体とLての「自我 意識」がいまだ誕生じていなかったのであるから。
ではチリングワスの君臨する楽園から上記の意識的段階に至るまでの彼女の意識発達プロセスを,プ シケーの場合と比較しつつより詳細に見ていくことにする。まず、フ。ジゲιーの場合,暗閣の楽園の主主彼 女がランプで照らし出して見た愛の対象は同じ夫としてのエロケースであ。だが,,~スターの場合はこ入 の男性が関わっているという相異点があるー最終的な愛の対象は宍手ムズデイルで、あるが, i父権的ウ ロボロス jの支配する楽園内主はチリングワスからデイムズデイへとξ途中で、交替Lたか白である。厳 密に言えば,彼女の場合,暗閣の楽園自体が一つではなくJヨーロッパ在住の時期のチリングワスとの 結婚生活と波米後の「共同体」での生活とに三分きれると言えよう。前者は地土的ダ知的な性質一一 れについてて町は前稿で,チ1リjングワスの医者とじ1てての知性の地土的特質を考考η察じた
的,霊的な性質を持うている。これらの性質は男性的文化価値のこ三つの面を表hじているのであろうが,
いずれも「自我一意識Jと1じて誕生する以前のへスタ←を支配する,巨大で圧倒的な世界である点に変 わりはない。 しかも彼女を「共同体Jへと送り出{♂したのはチリシグワス自身で、あり,合彼もまた敬虞なピ ューリタンとして「共同体」に加わったわけであるから,彼女にとうτこっの世界は最初は重なり合 っていたわけである。ヂリングワスの支配下から突然無防備なまま→大で「共同体」に放り込まれた彼 女が,夫の君臨する世界とは性質が微妙に異なってはいても,同様に圧倒的な支配力を振う男性的価値 の世界を,ただひたすら受入れ服従するしかなかったとしても無理はない。夫と離lれで六人になっても,
「いけにえ」としての状態に変化はなかったであろう。〈図 [rJの (e)参照〕そんな?皮女にと1って
「共同体iを代表する絶対的権威としで現われたのが,優れた聖戦者とじての天ピ分と宗教的情熱に恵ま れた彼女の教区牧師デイムズデイルであったに違いない。いわば彼は, i共同体jという暗闇〉の楽園の 主として彼女を支配L始める。一人ぼっちの彼女は,今や夫に捧げていた盲目的な崇拝の念と自己放棄 の姿勢を彼に向けることになったであろう。そのような女性の姿を我々は20章収見出す。森でヘス
と再会し,逃むの約束をしたデ、イムズ、デイルが家路を急ぐ途中で出会う,教会員の内で一番若い女性の 信者である。彼女は「楽園に咲く百合の花のように美七く,清らかjで.,、「汚れない清浄無垢な心の中 にJ彼を祭り, i信仰に愛の暖かさを授け,愛に信仰の清らカミd)をP与えでいた。いまだ f太母jり支 配下にあって生身の男性と個入的に出会うことのできない処女が,彼の宗教的偉大さに征服され9支配
されている様子が読みとれる。この乙女じ対して彼の持つ支配力は絶大なものであり, 1牧師
悪な顔つきをしさえすれlばま,その無垢の心の花園すべてを枯らせそるこ主もでき,たった一言であらゆるl 悪を彼女の心に広げることもできると思われた」ほどである。実際彼が気めっかぬふりをして通りすぎ
ただけで,彼女は無視された自分自身を一晩中責めたてずにいられない。それほど彼に支配されている 彼女こそ, I怪物」である彼に Fいけにえ」として飲みこまれた「非存在」の状態にあるのではなかろ うか。彼女の良心が「まるで彼女のポケットや裁縫箱のように無邪気なちっぽけなものに満ち満ちてい る」と述べられているように,彼女はエロースを「高貴な夫」とみなす「何も知らない子供っぽいほど 無邪気な少女Jであった頃のプシケー同様, r父権的ウロボロス」の完全な支配下にあり,ヘスターと の逃亡の約束によって「内面のJ王国において王朝と道徳律がすっかり変わったJその時の邪悪なデイム ズデイルのことさえ, r神」の如く崇拝することしかできない。既にチリングワスと結婚していたにせ よ,一人で渡米したばかりのペスターが,夫に対して従来この乙女と同様の「隷属的な盲目の状態」に あったとすれば,その隷属の対象が夫からデ、イムズデイルへと変わった後は,まさにこの乙女にも比す べき彼への「いけにえ」となったに違いない。彼女を飲み込んで、いた「怪物」はここで夫からデイムズ デイルへと交替したのである。こうして依然として「父権的ウロボ、ロスJ段階に留まっていた彼女を,
禁を破って姦通に至らしめた動機は何か。この段階に封じ込められたままの無意識の状態であれば,彼 女は圧倒的な知的存在であった夫や,神の如く聖なるデイムズデイルへの崇拝と自己放棄の姿勢から一 歩も踏み出すことはなかったであろう。そのような状態のまま年老いた婦人の例が,第20章で先ほど例 に挙げた乙女と出会う直前に,やはりデイムズデイルが出会った信心深い模範的な教会員である老婦人 に見られる。彼女は,彼への絶大な崇拝の念のゆえに, r人間の霊魂の不滅に反対するような」言葉を 彼に犠かれでも,彼の言葉が混乱していたためか, I天の都の輝きにも似た神々しい感謝と悦惚の表情」
を浮かべている。彼女には,彼の実像を見きわめる力は無い0,彼女に対する彼の支配力は,そのよう な不信心な言葉を彼女の心に注入すれば, r激しい毒物を注入する、効築と同様, ζ の老女はたぶんたち まち倒れ死んだことであろう」と述べられているほどである。ヘスターも「父権的ウロボロス」段階に 留まったまま年老いたとすれば,この老婦人のようになったであろう。また罪の発覚後の「共同体jが 非難する如し彼女の動機が動物的,本能的な肉欲のみであれば既に述べたように行為の結果の受け 取め方が,かくも意識的かつ積極的なものとなり得たはずはない。〆従ってその動機は, r父権的ウロボ ロス」段階の無意識の状態から意識の世界へ一歩踏み出そうとする彼女自身の心理発達への衝動ではな かろうか。
プシケーの場合この衝動は,姉達の介入という形をとって現われる。姉達は女性が男性性に屈服する ことを許さず,男性への敵意を顕わにする母性的傾向を体現している"とノイマンは述べる。姉達は,
彼女の夫が恐ろしい大蛇に違いないのだから飲み込まれない内に殺してしまうようにと彼女を説得する のだが,ノイマンはこの姉達をプシケー自身に内在する母性的傾向を示す「影」であると解釈寸る。こ の「影」は, I父権的ウロボロスj段階の前段階である「自己保存」段階の母性的傾向を示しており,
f父権的ウロボロス」による男性的支配に抵抗しようとしで,両者の葛藤をひきおこすというのである。
心理発達における新しい段階への移行は,常に前段階の抵抗を伴ない,両者の葛藤をもたらすものだが,
「父権的ウロボロス」段階への移行は f自己保存j段階を支配する「太母Jの抵抗を呼ばずにはいない のである。こうしてプシケーは,姿を見せることを徹底的に拒否する夫を前に,暗闇の楽園に安住し,
今まで通り優しい夫に服従しようとする気持ちと,決して彼女と向かい合おうとしない彼への疑念や不 満との葛藤に苦しんだあげく,姉達の忠告に従おうと決意する。しかし,ノイマンが説くようにこれは
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「太母jの支配下への退行で、はなく,女性の心理発達全体を展望すると,最終段階への前進の一歩とし て作用しているのである。なぜなら 姉達の介入によってプシケーは初めて暗闇の楽園を「とでも心地 よい牢獄j と感じ,怪物の「いけにえ」にも等しい自分の「隷属的で盲目の状態Jを意識し始め.r光 と知識を求めようとする衝動は耐えがたいもの」となるからである。そして姿を見せない夫の顔を見た いと願って彼に「私の生命の光」と呼びかけて慕いながらもb彼女の切望に耳を貸そうともしない夫べ の反逆という思いきった行動に訴えたのであるから。その結果,彼女は無意識から意識への扉を聞き,
H音聞の楽園は解体したのであるから。ノイマンが姉達の「反男性的な,またきわめて残忍な扇動」を
「プシケーの状態と態度とに対抗する女性の真の抵抗 より高い女性としての意識の始まりを具体的に 表現しているものである」と説明する通り,ここに「影」の作用の建設的な側面が明白に表われている。
即ちプシケ}は, i影j の介入によってまず「自我一意識Jの目覚めと個人としての愛のJ芽生えをもた らされ,その両者から生まれた「夫の真の姿を見たい」という切実な望みを拒否されて f太母」性と
「父権的ウロボロスJの葛藤に悩んだ末,前者に押される形で「原両親の分離j という新じい段階へと 前進し.i自我一意識j の誕生と意識的な愛の獲得に到達したのである。結局,意識性への欲求に根ざ
した「太母」的反逆は, i太母」への退行にはつながらず,意識段階への前向きの反逆となったのであ る。
ヘスタ}の場合,暗闇の楽園である「共同体j を「牢獄Jと感じさせ,彼女の状態を「怪物に飲みこ まれたものJと意識させるような「太母J的な「影」は,ヒピンズ女史に象徴される魔女であろう。ヒ ピンズ女史は,森での悪魔との契約を通して動物的b本能的な生きl方へと人々を誘惑し,第8章にも森 での悪魔との宴に誘おうとへスタ}に声をかける場面がある0'彼女の崇辞と服従の対象は悪魔であるが,
彼女の動物的,本能的価値観は自然界を支配する[大母J性に通じるものであり,彼女はいわば「太母j の否定面を体現していると言えよう。「太母」の否定面を表わす彼女が, i父権的ウロボロス」である
「共同体」の霊的支配という男性的価値観に抵抗するのは当然であり,そのような立場の宗教的表現が,
悪魔と契約して神に反逆する魔女という存在なのである。従って,彼女は神に反逆じ,神の意志を地上 に実現せんとする「共同体」を「牢獄j と感じ,自分を捕われの身と意識する。同時に, i共同体」を 代表する牧師達を,自分を支配し欽みこもうとする「怪物」と感じて反発するのも当然である。ただし,
現に「共同体Jが自然な人間性の抑圧や厳格すぎる戒律,そして冷酷きわまりない懲罰等の過度の支配 力を振うようになると,ヒピンズ女史のような魔女の視点は,確かにー」面の真実を含むことになる。そ れは,プシケーの「いけにえ」の状態を言い当てた姉達の忠告が一面の真理を含んで、いたことに等しい。
こうして彼女の存在が, i共同体jのピューリタン神権体制の欠点m あるいはその体制による過度の男 性的支配力を告発する「太母J的な[影」の声として,ヘスターに自分の「いけにえ」の状態を意識さ せる役割を果たしたことは充分に考えられlるのである。このような f影」の介入が,ヘスターに「自我一 意識Jの目覚めをもたらし,神の如く近寄り難いデイムズデイルへの接近を求める願望,即ち彼が姿の 見えないエロースの如く手の届かない絶対的な崇拝の対象から,人間としで対等に自分と向かい合う個 人へと変わって欲しいという願望を生み出したのであろう。これは人間的な愛の蔚芽であると同時に,
対等の個人として彼と向かい合うことによっで,彼女自身が F怪物Jに飲みこまれた「非存在jの状態 から脱出せんとする意識性への欲求でもあるのだ。そのような切実な願いが拒否された場合,彼女の内
部にもプシケー同様の葛藤が生じるニとは明らかである。即ち神の如く{高貴なデイムズデイルをひたす ら崇拝し,自分を委ねて「非存在J~こ満足じようとする気持ちと,その状態を「怪物 J にl捕われた「隷 属的で盲目の状態j と感じて反発する「影」の意志との葛藤である。プシケーが「同じーっの(エロ}
スの)体の中で獣を憎み,夫を愛したJのと同様に,ヘスターもまた,デイムズデイルという一人の男 性の中の自分を飲み込んでいる「獣Jを憎み, I神jの如く高貴な叶男性像を愛したのである。(図[I]
の (D)参照)このような葛藤の中で,プシケー同様にヘスターにおいても「自己保存」段階の母性的 な力,即ち「影Jの意志が優位を占め,プシケーが怪物退治に乗り出した如く,ヘスターは「父権的ウ ロボ、ロス」の「牢獄」をはねのけ「非存在」から脱出するため一気にデイムズデイ1レに生身の女性とし て向かい合った,それが彼女の姦通の実体で、あったのではなかろうか。即ち彼女にとって姦通の直接の 動機は, I父権的ウロボロス j段階の男性支配への反逆なのであり,具体的にはデイムズデイルの態度 への不満と疑惑であり,彼の背後で彼を規定rじている「共同体j のピュー,リタン神権体制一一彼女を
「共同体j に送った信徒としてのチリシグワスも含めたーーペの抵抗なのであ ~.Ò .(図[I ]の (E)参 照)従って,この時点で既に彼女が一入前の女性としての成熟七た愛を持ち,その愛と情熱のゆえに姦 通に走ったという理解はあまりに表面的すぎる。姦通以前の彼女ば.I父権的ウロボロスj 段階を打破 し得るほどの決定的行為を為し遂げてはおらず,それゆえ真の愛を体験L得る主体たる自我はいまだ完 全に誕生してはいないからである。にも拘らずヘスターの。反逆が,一見すると愛と情熱の結果であるとJ
か,自然な生命力や情念の発露,更には肉欲に負けたための誘惑行為であるというよラに誤解されがち であるのは,それがプシケーの場合のように武装した上で、の1怪物退治とJいった男性的様相を呈している のでなし姦通という性的行為だからであろう。両者のこの相違の理由は,プシケーの場合は; r父権
的ウロボロス」たる愛の神エロースが「太母」たる女神アヅロデイ テーの「息子=愛人Jであり,そ れゆえ彼の君臨する暗閣の楽園が「太母」的性質を持つ非常じ性的な悦惚の世界であったのに反し,ヘ スターを閉じ込めた「共同体」は.I太母Jの世界とはまっこうから対立する精神的,霊的な世界だか らである。従って,プシケーの意図した反逆が,短剣で武装じて性泊守世界を破壊しようとする男性的な 殺害行為であったのとは逆に,ヘスターの反逆は,霊に対する肉の挑戦という 美しい肉体と激しい 情念といった女性的な武器を用いた一一一性的な形をとらさるを得ないのである。そのために彼女は,
「共同体」から「パピロンの女J.I緋色の女j とみなされ,堕落した情欲の化身として扱われるのであ る。しかし,プシケーの反逆がより高い意識性への渇望から生まれたものであるがゆえに,ダ、ナイデス による男性の去勢と殺害に見られるような「太母」の支配下への退仔につながらなかったのと同様に,
ヘスターの反逆の根底にも意識性への欲求. l'lDち「非存在j を脱却して「光ゆと知識を求めようとする衝 動」が息Jづいていたからこそ,姦通という f太母j的反逆が退行ではなく意識段階九の前進lこつながっ ていったのではなかろうムか。
以上のことを裏付けるべく,姦通の結果を考察してみよう。まず言えることは,彼女の反逆の根底に 意識性べの渇撃が無ければ, I共同体1の神権体制とその優秀な後継者たるデイムズ、デイルへの「太母j 的反逆である姦通は, I太母jの支配下への彼女の退行に終わったであろうということである。そうな れば,前者への反逆は F共同体jの体制を根底から覆えそうとするヒピンズ女史のような魔女としての 行為へと発展L,後者への反逆は誘惑としでの性質をあらわにし,姦通の相手とLてデイムズデイ, )1/の
202 鹿児島女子短期大学紀要 第29号(1994)
名を暴露して彼を神聖な地位からひきずりおろじ,罪の仲間としての刻印を分かち合うか,あるいは自 ら魔女となり,彼を「強烈な動物的性質j を持った神への裏切り者として仲間に引きλれ,精神的に破 滅させることになったであろう。ところが実際にはそうはならなかった。既に述べたように,彼女は自 ら魔女として「共同体」を脅かすどころか,デイムズデイルの名を告白することもなく,彼に対するい じらしいほどの愛情を貫いたのである。逆に姦通が彼女の意識段階への前進につながったことは,既に 見たチリングワスとの結婚生活の実体の認識と彼への気持ちの変化,そして意識的に「共同体jに留まっ て与えられた懲罰に服したことにも明きらかに見てとれるが,それを示すもう一つの重要な裏付けは,
懲罰を受け入れた時の彼女の態度である。第2章で処刑台の上で、さらしものになるために監獄から姿を 現わす場面で,彼女は自分を連れ出そうとする看守の手を払いのけで「自分の自由意思によるかのよう に,戸外へ足を踏み出した」と述べられている。即ち,彼女は確かに「共同体jの懲罰に忠実に服して はいるが,それは決して以前のような「隷属的で盲目の状態j を意味しているのではないのだ。あの無 邪気な乙女のような信者としてではなく,自立した主体的な個人として意識的に罪を認め. I共同体J
に従うことを選択したことが,この→節からも読みとれる。このような意識段階への到達は,どのよう にして獲得されたのであろうか。
プシケーの場合,ランプで暗閣の楽園を照らし出すという行為は,ノイマンによれば「自我一意識」
としての彼女の誕生を意味し,その意識の売のもとで彼女はエロースと個人的な出会いを果たす。その 時,彼女は思わずエロースの矢で自分を傷つけるが,それは自発的な「第二の処女凌辱j を意味し,そ れによって彼女は「もはや一人の犠牲者ではなく,積極的に愛し得.J.j女性となるJという。換言すれば,
彼女はエロースを「獣j とみなす f男性をいみ嫌うようlな母性的な面」を超越すると共に,彼を「高貴 な夫」とみなす「何も知らない子供っぽいほど無邪気な少女Jとしての面からも脱却し, I自らの内に 統合し得た一人の力ある存在j として f高貴なものと低俗なものを持ち. lかも両者を結合させている エトス了)を認め,彼を愛するようになるというので、あるoノイマンは,この体験を「今こそ,真に 愛する時がきたのだJ(傍点は著者)と要約する。ヘスターの場合も,罪が発覚Lた後の彼女の態度に よって同様のプロセスがあったことが推測されるのではないだ、ろうか。既に見てきたように,彼女は妊 娠という結果を命がけで意識的に引き受け,どのような形の逃亡も企てることなく,デイムズデイルと の出会いのもたらしたものをひたすら背負って堂々と生きぬくのである。しかもその根底には,すべて に優先する彼への確固とした愛があった。確かに彼女は「真に愛する」女性へと成長しているのである。
従って既に述べた葛藤を経てデイムズデイルへの反逆で、ある姦通に至つiた時,彼女が経験したものは,
プシケーの場合と同じくその葛藤を解決し,彼女を反逆からあれほど過酷な試練にも耐える「真の愛」
に到達させた心理的な変容 あるいは新しい視点の獲得であったと言えるのではなかろうか。彼女は,
もはや圧倒的な「父権的ウロボロス」に屈服し,彼を神の如<崇拝するあの無邪気な乙女のような盲目 的な子供っぽい信者ではない。既に彼女は, I強烈な動物的性質」等の低俗な面を含む生身の男性とし ての彼を知ったのであるから。また同時に彼女は..男性への敵意に満ちた「太母」性に支配されて, 1皮, を女性を飲みこむ「怪物」としてヒピンズ女史のように反発することもない。なぜなら,彼の神に対す る純粋な信仰心と自己放棄という,支配欲とは無縁の謙虚で高貴な面をも深く知ったであろうから。
「父権的ウロボロス」に盲目的に屈服してデイムズデイルを「神j とJみなす視点も,逆に「太母Jに支
配されて[慢物」をみなす視点も,共に現実の彼を歪曲する一方的な見方に過ぎない。現実の彼は,エ ロース同様, r高貴なものと低俗なものを持ち,しかも両者を結合させ七いる」存在である。ヘスター は,まさに「父権的ウロボロス」と「太母Jの支配する「自己保存」の段階を共に超越し,両者の視点 を統合して新たな視点を獲得し,両者のひきおこした葛藤を新たな視点によって解決することができた と言えよう。彼女がデイムズデイルの正体を見きわめることによって無意識的なこつの段階を超越し,
新しい視点を獲得したとすれば,その新しい視点とは意識的な段階であり,彼女はその意識の光の中で 彼との個人的な出会いを果たし,意識的,主体的な愛を獲得したと考えられる。じかし,既に述べたよ うに,彼女にとっで暗闇の楽園はもう一つあった。チリングワスとの結婚生活である。彼女が新じい視 点を獲得し,意識的段階に到達した時,その意識の光は,チリングワスとの楽園をも同時に照らJし出し たはずである。その光の中で彼女が出会った,もう→人の楽園の主たる彼の正体は, t~のようなもので、
あっただろうか。第14章で,彼が昔の自分を「他人には思いやり深く,自分には求めるところの少ない 一一ー親切な,誠実な,公平な,たとえ暖かくないにしても実直な,愛情を持った男jと回想し,ヘスター が,それ以上であったと応じる場面がある。 Lかし,その反面,彼は,自分の知識欲が飽くまで利己的
市0)
なものであって「人類の幸福の増進のため」という目的はつけたじに過ぎないとも言っているし,自分 が彼女に「冷たいJと映っていたことも知つFている。即ち,彼は,表面的には平凡な良識人であうたが,
実は利己的で冷酷な本性を隠していたことを自らもらしているのだ。それは,第3寧で彼が処刑台に立 つヘスターに気づいた時の利己的で冷静な反応や,第4章で二人きりで再会Lた時の冷静さ,そして彼 のたくらんだ 復讐行為の残忍な方法に明確に表われ,ついには彼を「悪魔」の域にまで、おとしめていく のである。意識の光の中で,ヘスターがそのような彼の本性の~端を見ぬいたであろうことは,再会の 場面で「少しも愛ほ感じませんで、したし,そんなふりもLませんでした」と述べることからも想像され る。また「彼女の心に分別の無かった時に自分の側じ居るのが幸福だと考えるようJに彼女を説きつけた こと」のゆえに,彼への憎悪を吐露する場面からは 彼の利己的な支配への憎悪がにじみ出ている。従っ て,良識人としてのベルソナとは裏はらに,過去の結婚生活という楽園の主とじで彼女を飲みこんでい た知力の「神Jであり, r怪物」でもあった彼は,今や単なる利己的、で冷酷な知識λという等身大の姿 を,彼女の意識の光の中に現わしたのである。等身大のデ千ムズテγルの中に天上的なものを慕う「高 貴なものj と動物的特質といった「低俗なもの」を統合させている姿を見出した彼女であったが,チリ
ングワスの中には,地上的で利己的な本性という「低俗なものj じか見出せなかったに違いない。 D.H.
ロレンスが述べている如く, r彼はキリスト教徒ではなく,おのれを空しうして高きを慕う心も備えて いない。第一,高きを慕うなどという柄ではない。…チリングワスは知的な伝統を保ち続けている。デイ ムズデイルのような崇高な高みを慕う新しい人聞を黒くいびつな敵意に駆られて憎むのだ。J(傍点は著 者)彼らはこのように対照的であり,いわばチリングワスはデイムズデイルのf影」であると言えよう。
彼女は意識の光を灯し,二つの暗閣の楽園とその主達を同時に!照らし出l,その結果,愛によってテミイ ムズデイルを受入れ,その「影Jとも言えるチリングワスを憎悪によって拒絶するので、ある。暗聞の楽 園の正体を見るということは,その暗闇に捕われていた自分自身を解放するということ,即ち無意識の 混沌の中から「自我一意識j として誕生することである。換言すれば,ぞれは無意識の混沌の世界を
「原父J= r父権的ウロボロス」と「原母J= r太母Jとに解体lム両者から我が身を切離す f原両親の