論文の内容の要旨
本研究の問題意識は、鉄道交通において通勤旅客が移動に伴って被る負荷(通勤ストレ ス)を車両の混雑度という車両で一つの指標で表すのでは、これからの鉄道整備やサービ スの改善のための施策決定には不十分であり、利用者個々が混雑から受ける影響の違いを 定量的に評価できる方法が必要であるということにある。方法を開発することにより、負 荷の可視化によって利用者の合理的な経路選択が実現するとともに、利用者への負荷低減 に向けた施策の有効性検証が効果的に実施できるのではないか、ということである。
本研究は、電車による通勤によって利用者が被るストレスを定量的に計測・指標化する 方法を開発し、実証研究を通じてその有効性を検証するのみならず、開発した指標を活用 した応用し通勤鉄道で発生しているストレッサーによる通勤ストレス値を明らかにしてい る。
本論文は以下の6章で構成されている。
第1章:序、第2章:首都圏の通勤交通とストレス、第3章:分析手法の開発 -心電波形 の解析によるストレス定量化指標-、第4章:実証研究-ストレス定量化指標の有効性検 証と応用-、第5章:ストレス分析手法の応用、第6章:結論-次世代鉄道システムの実 現に向けて-。以下、各章ごとに概要について説明する。
第1章は研究を行うに至った背景、目的、論文の構成等が述べられている。第2章は首 都圏の交通システムの特徴と移動のストレスに関する諸問題について既存研究を基に整理 し、本研究で提案する心拍変動解析によるストレス研究の方法について述べている。第3 章では移動に伴って利用者が被るストレスについて、ストレスの大きさを示す指標として
①心拍変動データに基づくRRI(M)、ならびに②同データを周波数解析することにより得ら
れるHF/LFという2つの指標を、また、移動時間/区間に亘って利用者が累積的に被るス
トレスの指標として③安静時 RRI(M)との乖離幅を時間積分することにより得られる TSV という指標をそれぞれ定義している。第4章では、3章で設定した複数のストレス指標につ いて、首都圏の通勤鉄道で混雑が激しい東急田園都市線の二子玉川・渋谷間を対象とした 実証研究により有効性を検証している。第5章では、4章で選定したストレス指標を応用す るともに、①電車の運行形態や電車の駆動方式の相違に起因した騒音の違いによる生体へ の影響、②女性が女性専用車を利用することによるストレス低減効果、及びノイズ・リダ クション・ヘッドホンの装着によるストレス軽減効果について検証している。
第6章では、第3章~第5章までに示した研究成果をもとに、通勤ストレスの大きさを 示す各種指標の特性を整理するとともに、これらの指標を用いて移動に伴って発生する通 勤ストレス値を示している。また本研究で提案した方法のデータ計測方法及び計測時の留 意点をまとめている。最後に、今後の我が国の経済・社会の変化を踏まえて次世代の鉄道 サービスの方向性について著者の見解が述べられ、本研究が鉄道分野に留まらず、幅広い 交通機関分野においてサービスの質的向上に貢献し得ると結論している。
論文審査の結果の要旨
本研究は、交通機関の混雑という現象を利用者から評価するための1つの方法を提案し、
その方法の有効性、妥当性を複数の事例研究を基に実証したものである。以下、第2章か ら第6章において述べられている主な結果とその審査結果について述べる。
第2章で述べられている、体表面心電波形を解析する手法をベースとすること、ならび に第3章で提案している、電車移動によるストレスの定量化手法として①ストレスの強度 を示すRRI(M)及びHF/LFの2つの指標、および②ストレスの総量を定量的に示す指標と
して ISO(国際標準化機構)が規定した乗り物酔いの評価指標である MSDV(Motion
Sickness Dose Value)の考え方を応用する方法も、ストレス分析の臨床等においても用い られている手法の応用であり、それぞれ妥当である。
第4章では、3章で定義した複数のストレス指標について、事例研究により有効性を検証 している。急行と各停乗車の場合のストレス発現形態の特徴として、区間毎のRRI(M)では 3%程度の大きさの違いが生じること、また、測定対象路線では急行乗車の方が各停乗車の 場合より乗車時間が4分(各停より約20%)短いことから、乗車区間全体のストレス総量 を示すTSVでは、RRI(B)を900 と仮定した場合、急行乗車のTSVの方が約5%程度小さ い値となることなどを確認している。また、乗車時間とTSVの関係について近似曲線を求 めてシミュレーションを実施し、乗車区間の半分程度に当たる区間における 20~50%程度 の混雑率の違いが、利用者の被るストレスを時間当たり概ね 15%程度増大させる可能性等 を指摘している。第5章の事例研究では、①電車の運行形態や電車の駆動方式の相違に起 因した騒音の違いによる生体への影響について、騒音の大きい界磁方式の車両に乗車した 方がVVVF方式の車両に乗車した場合よりも強いストレスの作用を受けることを明らかに し、日中の混雑が解消された車内環境では駆動方式に関わらずストレスの強度は弱まるな ど、「混雑」と「騒音」にそれぞれ起因するストレッサーによる相乗効果が存在する可能性 があること、「騒音」がストレッサーとして作用し続けることで混雑の低下に伴うストレス の解消が阻害される可能性等を見出している。また、②女性の女性専用車への乗車、及び ノイズ・リダクション・ヘッドホンの装着によるストレス軽減効果についての事例研究で は、RRI(M)及びTSVの2つの指標に RRI(M)のローレンツプロットを加えた分析を行い、
能動的・受動的ストレス軽減策の有効性に関する検証している。
第 6 章では、本研究で提案した各種指標の特性や提案された指標で示されたストレスの 値が複数の事例分析結果を基に整理されている。また提案した方法の、データ計測及びデ ータ処理の方法とその際の留意点や課題について適切にまとめられている。
以上述べてきたように、本論文で提案された移動負荷の定量化方法とそれを用いて明ら かにされた知見の多くはこれまで明らかにされていない知見であり、また工学上も有益な ものである。これより本論文は博士(工学)の学位請求論文としての水準を満たしている と判断する。