• 検索結果がありません。

私の歩みと教職大学院

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "私の歩みと教職大学院"

Copied!
7
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

 みなさん、こんにちは!私は 1 期生の久保明彦です。今回、教職大学院連絡会総会 の修了生報告として、修了してからかなり時間がたっていますが、現在の思いをあり のままを発表させていただきます。この春より、市内の第十小学校で副校長に昇任い たしました。なりたてほやほやの副校長です。正直自分が副校長になるとは思っても みませんでした。実際になってみて、担任ではない寂しさを感じつつ、今も心の中で 葛藤しながら仕事をしています。このようなタイミングで、お話しする機会をいただ いたので、私自身の人生を自ら振り返りながら、これから副校長として、教職大学院 の修了生としての決意をお話しできればと思っております。また、これからの教職大 学院について、みなさんで考えていただけるきかっけになれば、と思っております。

私の人生なんか興味はないと思いますので、私が話している間も、ご自分のことも想 像しながら、気楽に聞いていただけるとよいと思います。よろしくお願いいたします。

 私の小さい頃の夢はパイロットです。小学生の頃はよく漫画を読んでいました。そ のせいで目が悪くなりました。裸眼で視力 0 .7 ないとパイロットになれないことを 知り、断念しました。その中で何度も何度も読み返していたのが、漫画「牧口先生」

です。ご存知の方いらっしゃいますか?ここ創価大学の正門の石碑「創価大学」はご 存知の通り、牧口常三郎先生が記された文字が使われています。この漫画は、幼少期 の苦難を乗り越え、努力と人とのつながりで、大教育者へと成長していく物語です。

 私は、教育という仕事に小学生のこの頃から興味をもち始めました。「勉強を教え るということ」「勉強以外の人として大切なことを教えるということ」など、毎日身 近な学校の先生の様子を観察し、ドラマの「熱中時代」や「金八先生」も見ながら、

いろいろなことを考えていました。好きになれる先生もいれば、そうでない先生もい ました。

 その中で、運命の先生に出会いました。それが 4 年生の時の教育実習生の柳本太三 先生です。先生はとにかく一緒に遊んでくれ、一生懸命勉強を教えてくれました。「こ んな先生になりたい」と、身近に存在するあこがれの人となりました。 5 年生になっ て無性に会いたくなり、誰かが立てた計画に乗り、 4 ,5 人で先生からの手紙の住所 を頼りに電車に乗って、柳本先生の家に遊びに行きました。会えた時の嬉しさを未だ に覚えています。結局学校に知られることになり、厳しくしかられ、柳本先生にも迷 平成30年度創価大学教職大学院連絡会総会修了生報告

私の歩みと教職大学院

創価大学教職大学院第 1 期

久 保 明 彦

(2)

惑をかけてしまいました。それ以来、手紙のやり取りを禁止されました。その教えを 守っているわけではありませんが、39年間一度も会っていません。神戸市で校長を歴 任された後、退職され、今年から、認定幼稚園で園長先生をされています。本当に不 思議な世の中です。少しネットで調べれば、昔の人と会えなくてもつながることがで きます。ホームページにその柳本先生の言葉が載っていました。「 4 月に着任してか ら今まで、子どもたちの様子を見ていて、たくさんのがんばりをみました。その一つ に、朝の門のところで交わす気持ちのよいあいさつがあります。笑顔であいさつ、握 手であいさつ、元気な声であいさつなどとてもさわやかなあいさつがたくさんありま す。気持ちのよいあいさつは、相手の心もあたたかくなり、自分の心もさわやかにな ります。『あいさつは、心と心をつなぐかけはし』『あいさつは、心のとびらを開くか ぎ』という言葉もあります。これからも、笑顔であいさつ、握手であいさつを子ども たちと行い、すてきなあいさつがいっぱいの「○○幼稚園」にしたいと思います。園 長 柳本太三」と。いつか帰省した時に、勇気を出して柳本先生に会って来ようと思っ ています。

 教師という仕事に深く興味をもち、教育に使命を感じたのは、中学 3 年の時です。

本学の創立者池田先生が、新聞紙上で「教育の目指すべき道~私の所感~」(教育所 感)を発表されました。その際、その提言を切り抜き、何度も何度も読み返し、線を 引っ張りました。この時に、「創価教育って何だろう」「どういう教育をしているんだ ろう」と創価教育について、すごく興味をもちました。家庭的に私立に行ける状態で は、ありませんでしたが、「関西創価高校に進学して、自らが創価教育を体感する」「絶 対立派な教師になる」と決意しました。無事合格し、奨学金をもらいながら、神戸市 という近県ではありましたが、金星寮にも入れていただきました。正直、 3 年間人間 関係で悩むことも多かったですが、「寮生活は社会の縮図です。石にかじりついてで も 3 年間我慢しなさい」とのメッセージを胸に寮生活をやり切りました。この時逃げ なかったことが、この後の教員生活で苦労や悩みがあっても逃げない自分を作り上げ てくれていたのだと思います。

 当時の学園は、いわゆる内部進学の創価大学ではなく、外部の他大学に行き、その 中で自己を磨き、社会に貢献する指導者になることが求められていました。よって何 の迷いもなく、受験クラスで勉強していました。高校 2 年生の冬、創立者より学園生 に対して「創価大学のことも真剣に考えなさい」とのご伝言がありました。その日よ り、様々なご指導を読み返し、自分の人生について深く考えるようになりました。

 新しい年を迎え、受験勉強は継続し、魅力的な教師になるためにも、今やるべきこ とや今しかできないことをやると決意しました。まずは、学級委員になり、クラスの 中にいる創大推薦を希望する 7 名だけですべての掃除をすることにしました。少しで も勉強時間を増やし、受験に専念してもらうために行いました。あと、 1 つ上の先輩 方が応援団を作ると聞きつけ、草創の応援団に入り、毎日正門であいさつ運動を行い

(3)

ました。

 創価大学では、 2 年間滝山寮でお世話になりました。高校時代も含めこの 5 年間の 寮生活で自分の基礎を作っていただいたと思っています。創立者は寮についてこう 語ってくださったことがあります。「わがままがきかない環境で苦労することが、ど れほど尊いか。人との調和、強い意志、一生の友情。寮では、それらを学び、身につ け、自分の宝とすることができる」「自分で目的を決め、挑戦し、『自分はやりきった』

と自分で満足していく。そこに、勝利の人生がある。金星寮はそうした屹立した人格 をつくりあげる舞台である」と。

 クラブは創価教育学研究会に入りました。この教職大学院の研究科長であられた木 全先生も顧問をされていました。当時10年目で、まさに歴史と伝統をこれから作り上 げていくクラブでした。創教研では、多くの先輩方が夏合宿等で現役の学生のために 話に来てくださいました。その時の先輩方の学校現場での苦労や体験が、これから教 師を目指す我々にとってすべてが力になりました。このOBの方々を中心に結成され た創価教育実践研究会という組織がありました。私が教員になったころには、発展的 解消されていて、一度も参加することがありませんでした。メンバーの中には、吉川 研究科長や寺林先生がいらっしゃいました。その時の活動の仕方はすごかったと聞い ています。

 教員 3 年目に「学生時代に創価教育を学んだ仲間で、現場の実践を通して、もう一 度学びたい」と思い、創教研OBの中で、教育現場に出ているメンバーで『創価教育 ネットワーク』を立ち上げました。当初は、18期~22期の十数名でした。東京のメン バーを中心に、毎月学園や創価大学をお借りして勉強会を行っていました。毎年夏合 宿を行い、 1 年目は、新潟の柏崎市に行き、牧口先生ゆかりの荒浜小学校を見学させ ていただきました。 2 年目は、北海道 の小樽に行きました。その地域で教員となっ ている後輩に、移動教室の先生役のように、宿をとってもらったり、訪問先を決めて もらったりしました。それ以降、大阪、長野、茨城等、創価教育にゆかりのある土地 に行き、様々なことを肌で感じながら、全国から集まったメンバーで合宿を行いまし た。東京で行った時には、牧口先生が校長として務められた港区の白金小学校を訪問 させていただきました。その時にもたまたま後輩が勤めていました。他にもアメリカ 創価大学でも行い、羽吹学長との懇談会、SGI理事長との面談、現地メンバーとの 交流会等もさせていただきました。今は18期から43期までの有志で集いあっていま す。この中にも、 4 期の佐生さん、 7 期の相川さんも学生時代からつながっているメ ンバーです。みんな年をとり、身動きも取りにくくなったので、数年前より全国に行 く夏合宿はやめ、『SEN研修』として、毎年 8 月母校創価大学で半日研修を行って います。『創価教育ネットワーク』は名前の通り、ネットワークつまり「つながり」

を重視しています。一人だけが中心者というよりも、それぞれも中心者であるという 発想です。研修では、自ら実践したことを報告し、それを基にみんなでディスカッショ

(4)

ンしていく形式をとっています。以前は、牧口先生に直接薫陶を受けた蝦名友明先生、

東京創価小学校の水畑利章先生に必ず懇談会をもっていただきました。数年前には木 全先生にも「創価教育」についてご講義をいただきました。やはりこういう研修会は、

核となる講義、希望者が自分の実践をまとめ発表し、それを受けて自らの実践をから めながらのディスカッション。今の悩みや課題、自分の成果を全員が述べる近況報告。

今は 1 年に 1 回しか集わなくなりましたが、自分の原点である母校創価大学に同窓の 友と集い、ここを出発点として、決意する。こういう活動を24年間続けてきました。

 この 3 月まで市内の第三小学校にいました。三小 7 年目、教員生活17年目の時に教 職大学院の話がありました。数年前からそういう制度ができることを聞いていました が、まさか母校創価大学で学べるとは思ってもみませんでした。もう一度、創立者の 下で創大生として学べる。大学院の先生方の講義が受けられる。現場での実践を一休 みして、自分の実践を振り返られる。これからの実践のために充電できる。そう思え るだけでわくわくしていました。実際に入学して授業を受けていく中で、学生や先生 方とディスカッションしていく楽しさを感じました。当然意見がぶつかり合うことも ありましたが、互いの意見を尊重しつつ語り合うことは、自分の理解を進め、本質に 迫る手立てになるということが分かりました。この三小に同窓のメンバーも多いとき は 8 人ほどいました。一度研修会を開き、教職大学院の近藤先生に来ていただいて懇 談していただいたこともあります。 2 期の大宝院さん、今教職大学院生として活躍し ている11期の吉川さんも同じ職場でした。そして現在の職場にも 5 期の橋本さん、 9 期の前田さんがいます。その外にも関西校出身者が二人、創大出身者が二人、計 7 名 の仲間がいます。みんな力のあるいい方で、とても心強いです。

 その前田さんが教職大学院時代に教育課題実地研究で中国を専攻していたこともあ り、「首都師範大学」「南開大学」の学生さん、北京教育学院の先生方、総勢28名が、

創価大学に研修に来た際に、本校を視察してくださいました。「中国と日本の文化交 流」ということで、 4 年生の児童との交流会を開きました。中国の京劇のお面の紹介 を院生の方がしてくださった後、一緒に京劇のお面の色塗りをしていました。お互い 言葉が通じない中、ジェスチャーや簡単な英語で会話している姿もありました。児童 4 ,5 人に一人の院生がついての交流です。落ち着いて静かにかかわりながら、徐々 に打ち解けていくグループが多い中、子供たちの心をつかむ女性がいました。その方 は、とにかく英語で積極的に話しかけていました。子供たちの色塗りの出来栄えに オーバーに応えたり、事前に準備していたしおりを使ってクイズをしたり、子供たち もとても楽しそうでした。本当に小学校の先生に向いている方だなと思いました。子 供たちの中にも、中国の方と交流するということで、事前に中国語のあいさつをいく つか調べてきてい子、会話本の文章をそのまま読んで、通じるかを試している子がい ました。みんな同じ環境であっても、意欲的な学生や子供は、その環境をいかに価値 的なものにしていくかを自然のうちに考え、行動に移せるのだと思いました。やはり

(5)

つながろうとする気持ち、かかわろうとする工夫や準備が大事であることを教えられ ました。また、終わった後に、別の子が私に近づいてきて「副校長先生、私、中国語 が分かったような気がする。楽しかったぁ」と感想を言いに来てくれました。何かし ら気持ちが通じた体験をしていたようで、興奮して一生懸命話す姿に、こちらも嬉し く思いました。

 交流会以外にも、全クラスの授業を自由に参観していただきました。中国の体育の 先生は、プールの授業を興味深く参観されていました。施設や指導方法についてたく さんの質問をされていました。それぞれ、いろいろな教科の授業を見ながら、スマホ で施設の写真を撮ったり、スマホにメモをしたり、意欲的な姿勢に感心しました。そ のあと、給食を食べていただき、懇談会を行いました。主に、教員研修について細か く質問を受けました。初任者研修、 2 年次研修、 3 年次研修、中堅研修等について説 明をしました。

 私自身も実地研究で中国を訪問しています。 1 期の頃は学生 2 人に先生が 3 人でし た。董先生と長島先生と私で、3 人部屋でずっと一緒に過ごしたのも思い出です。今、

この授業で中国を専攻した歴代のメンバーでライングループがあります。現在52名が つながっています。時々入るコメントに勇気づけられます。

 創価大学の教職大学院連絡会は名前の通り、もっと連絡・連携していくべき使命を 感じます。設立10周年を終え、修了生の数も増え、新たなステージに入った今、ここ に集う我々修了生、現役生で、さらに強くつながっていく必要性を感じています。す べての人がつながっています。これは創立者が築いてくださったつながりです。縁(え ん)です。縁(えにし)です。この関係を無駄にしたくないと思っています。お互い が日常的に存在を感じながら切磋琢磨しつつ、この連絡会が自分が弱っていたり、悩 んでいたりしても 1 年に 1 回集い会える場、心を充電できる場になればいいなと思っ ています。

 最後に、これから副校長としての具体的な指針にしていきたい創価教育の父・牧口 先生の行動をご紹介します。

 「牧口は、校長室にいることが珍しく、いつも各教室をまわっては子供たちの表情 や授業の様子を見た。」

 「新しい学校で父母が期待する教育成果を上げるためには、才能とやる気のある人 材を集めることだと、牧口は考えた。あらゆるつてを頼り、全国から教員を募集した。

北は樺太から南は台湾まで、定員26名に150人を超える応募があった。」

 「牧口の採用基準は、『真面目であること』『大きな希望をもっていること』『何かひ とつ特技を持っていること』」

 「選んだ教師たちと自由に話し合いながら、学校の年間目標を立て授業研究の計画 を立てていった。大正小に集まった教師たちの誰もが牧口のもとで理想の教育を実践 しようと息吹にあふれていた。」

(6)

 「学校にこない子供も多く、子供たちの家を一軒一軒訪ねては、家庭の様子を聞き、

教育の大切さを訴えて歩いた。何より親の理解が大切だと考えてのことだ。」

 「牧口の人脈は驚くほど広く、教育界や地理学者の仲間だけでなく官界や政界にも 知人がかなりいた。こと自分の人事についてはそうした友人を頼ろうとはしなかっ た。」

 「牧口は、教育の質は、ひとえに教師の質にかかっていると考えていた。」

 「子供にとって、わかりやすく興味をもたせる授業ができるように、教師は常に自 らの教育技術をみがいていかなければならない、というのが持論だった。」

 「教師は広くものを学び、また自分の授業を反省する姿勢をわすれてはならないと、

いつも口にした。」

 「牧口は、毎週月曜日の放課後の時間を、教師自身が自らをみがく場としてあてる ことにした。この時間に教師たちは、みんなで教育書を読みあったり、それぞれのテー マで研究発表したりした。時には、学者や専門家を呼び、講義を受けることもあった。

牧口自身、内外の教育書や哲学書などを精力的に読み、さらには英語の勉強も続けて いた。」

 「彼の姿は、言葉を超えて、白金小の教師たちに啓発を与えた。牧口は独自に考案 した新しい教授法も教師たちと共有し、実際に教室で試していった。決して校長命令 というような押しつけではなく、教師たちにその教授法の内容とねらいを説明し、何 回もの議論を重ねて理解を得てのことだった。例えば、文型応用主義の作文指導だ。

それを実践したクラスでは、確かに子供たちの作文の上達が早くなった。手本の字の 輪郭や鉛筆で写して、字の形を覚えさせる習字の教授法である『かご書き』や、字の 骨格を写しそれをなぞって書く『骨書き』、デッサンを強調した図画の教授法も、教 師たちとの議論の中で、さらに完成度が高まっていった。」

 「牧口は常々、子供たちに、「魚が自ら出たら死ぬように、人間も社会を離れて生活 できない。」と語っていた。彼は社会性、つまり共同生活や社会生活を大切にする心 を身につけさせることも教育の大きな柱だと考えていた。」

 「子供たちと接するときの牧口は、いつでもニコニコと優しいまなざしをたたえて いた。」

 「教師は子供たちの庇(ひさし)でなければならない。それが牧口の信念であった。

あふれるような愛情で、どの子も等しくかわいがっていた。少し、前かがみに歩く牧 口は、常に何かを思索しているようだった。だが、登校する子供に会うと、途端に表 情を崩し、気さくに声をかけた」

 「校庭で石投げをしていて、誤って教室のガラスの窓を割った子供がいた。真っ青 になって母親と校長室に謝りに行くと、牧口は静かにこんな話をした。『石を投げて 遊んでいるときは、まさか窓ガラスを割るとは思わなかったのでしょう。石は重いが けず、遠くに飛ぶことがあるんです。それがよくわかったでしょう。これから気をつ

(7)

けるんですよ。』」

 「牧口は、どの子に対しても、いつも丁寧な言葉遣いをした。『〇〇さん』と必ず『さ ん』づけで呼んだ。子供を一人の人格として認めていた。」

 今回、このような場やテーマを与えていただいたことで、自分の人生を振り返り、

教職大学院へのかかわりを感じながら、また創価大学のルーツである牧口先生の行動 を通して、副校長としての決意をすることができました。本当に感謝申し上げます。

「創価同窓の連帯こそ世界をつなぐ金の橋である。」との創立者のお言葉を胸に今後も 頑張って参ります。ご静聴ありがとうございました。

引用

 ・牧口常三郎─創価教育の源流 2001年11月18日 潮出版社

参照

関連したドキュメント

それでは資料 2 ご覧いただきまして、1 の要旨でございます。前回皆様にお集まりいただ きました、昨年 11

幕末維新期に北区を訪れ、さまざまな記録を残した欧米人は、管見でも 20 人以上を数える。いっ

えて リア 会を設 したのです そして、 リア で 会を開 して、そこに 者を 込 ような仕 けをしました そして 会を必 開 して、オブザーバーにも必 の けをし ます

されていない「裏マンガ」なるものがやり玉にあげられました。それ以来、同人誌などへ

大阪府では、これまで大切にしてきた、子ども一人ひとりが違いを認め合いそれぞれの力

関西学院大学手話言語研究センターの研究員をしております松岡と申します。よろ

○齋藤部会長 ありがとうございました。..

学側からより、たくさんの情報 提供してほしいなあと感じて います。講議 まま に関して、うるさ すぎる学生、講議 まま