大高博美
1.はじめに
「子音」, 「母音」という言葉は音声学及び音韻論の研究の際によく使われ
l
る術語である。しかしよく観察してみると,これらは多分に暖味な定義の下 で使われていることが分かる。つまり,それらは調音音声学的に音声を分類 するための術語なのか,あるいは音節音韻論におけるonset (coda)やpeak の機能を表わすための術語なのかが明確に区別されて使われていないのであ る。
どの音声学の本をとってみても,一応まず母音は「肺からロや鼻を通って 外に出される息が途中何の妨害も受けずに発せられる言語音(音声)である」
などのように定義されているのが普通である。一方子音は,母音の場合とは 逆に, 「声道において途中どこかを狭めたり閉じたりする障害を伴う言語音 である」などのように定義されている(定義#1),このように子音と母音を 定義すると,それらは明らかに調音的観点から定義された調音音声学的術語 となり,同時にすべての音声を調音音声学的に分類しようとするための有用 な術語となる。
ところが実際に分類された現在の子音と母音を見てみると,これらの術語
は単に調音的観点のみから定義されたものではないことが分かる。例えばま
ず[j], [w]等の半母音(わたり音)と呼ばれる音声を見てみると,これ
らの音は一応「母音」とは呼ばれるものの実際の音声チャートの中では子音
として扱われている。先述の定義#1に従えば,これらは明らかに母音とし
て扱われてもよいはずの音声である。母音と同様の調音法をとることがそれ
らに母音共通の一素性[ー
consonanta日を与えているからである。そして これが形の上で「母音」と呼ばれている理由である。しかしなぜ結果として は子音と見倣されるのかといえば,それらは音節主音としての
peは 機 能 を 果たさぬためである。つまり現在の「母音」という言語学的術語には,イコー ル音節主音という意味も込められていることが分かる。中には母音の傾向と してではなく,始めから定義の一部としてこのことを明記している音声学書 もある。
次にもう一つ同様な例として,
[iJ,
[mJ等の無声母音と呼ばれる音声 を考査してみよう。この術語における「母音」は,先の半母音の「母音」と は異なる意味をもっていることが分かる。つまり半母音が機能的(音節構成 上の)には
onsetや
codaにしかなれない音であるにもかかわらず質的(音 響音声学的)には母音であるという意味で「母音」と呼ばれたのに対し,無 声母音はあたかも子音のごとく[
‑voicedJであるにもかかわらず音節主音 になれるという意味で「母音」と呼ばれるのである。前者の「母音」は質を,
そして後者の「母音」は機能を表わしているといえる。
このように現在使われている子音,母音という術語は,一方では調音音声 学的な定義を受け,又一方では音節構成上の機能で定義を受けるというよう に,二つの異なる次元で使われていることが分かる。以上の子音と母音の定 義についてまとめると下のようになる。
A:
(定義#
1)調音音声学的次元
母音=戸道において途中どこかを狭めたり閉じたりする障害を伴わな L
、 雪 量 立ロロロ日。
子音=母音以外の言語音。つまり戸道において途中どこかを狭めたり 閉じたりする障害を伴う言語音。
(定義
#2)音節構成上の機能の次元 母音
=peak(音節主音)
子 音 =
onset,
coda(非音節主音)
しかし,周知のように上記の定義
#2は必ずしも真ではない。ある種の子音
( 例
[nJ,
[lJ)は母音同様
peak機能を果たすことがあるし(成節子
音),母音が音節主音とならないこともある(わたり音,多重母音)。母音が
peak機能を果たし子音が
onset/coda機能を果たすというのは,あくまで自 然言語における全体としての傾向と考えるべきである。繰り返すが決して常 に「母音
=peak,子音
=onset/codaJとはならないからである。
よって子音,母音という術語を前出の定義#
1と
#2の混成で概念化してし まうのは,定義
#2は必ずしも真でないという理由で危険である。もし仮に,
定義
#2に従って「母音=音節主音」とすると当然「子音=非音節主音」と なるが,実際はすでに述べたように子音も音節主音となることから,結局「母 音=音節主音=子音」と L 、う奇妙な堂々めぐり的図式ができあがってしまう
dこれではすべての音声を二つのカテゴリーに分類するために創出された子 音,母音という術語の有用性は低下してしまうことになる。子音に対する母 音の関係は,数学における術語でいえば,例えば負数に対する正数,あるい は又有理数に対する無理数の関係のようなものであり,決して分数対実数,
あるいは四角形対台形等の関係ではない。両者はお互いに要素において補集 合をもたぬ関係の術語で、あるべきなのである。よって例えばある音声が子音 であれば,それは決して同時に母音ではないことを意味する。ところが,す でに述べたように定義
#2を子音と母音の概念化に導入すると,全音声を数 学における負数対正数のように明確に分類することができなくなってしま う。よって結論として,これを避けるためには子音と母音を純粋に音声学の みの術語としなければならないということになる。ある音声が
peakになる か
onsetや
codaになるかは音節という音韻論の分野における問題であり,
あくまで子音や母音の音声学的質自体とは次元を異にすべきものである。定 義
#2が必ずしも真でない理由がここにある。
では子音と母音の定義は,定義
#2を除けばそれで完全かといえばそうで もない。前出の定義#
1には補足が必要であろう。なぜなら例えば,
Aの定 義#
1のままでは摩擦音
[h]なども「狭めや閉鎖、の障害なしに発せられる 言語音」という意味では母音の部類に属してしまうことになるからである。
明らかにその定義のままでは不完全であるから,少くとも定義#1中の「言
語音」を「声帯の振動を伴う言語音」というような表現に換えて無戸音の可
能性を排除する必要がある。
本稿の目的は子音,母音という音声の本質を音戸学的に考査して,それら を再定義することにある。つまり子音と母音を音節の概念から切り離して音 声学的に定義を試みるものである。又後半においては,音韻論的になぜ母音 は
peak機能を,そして子音は
onset/coda機能を果たす傾向があるのかと いう問にも答える。これは子音と母音を音節の概念から切り離して定義すれ ば,当然湧いて出る音節との関わりに関する疑問である。従来音声研究の際 には質と機能を明確に区別できなかったが,これは質と機能との間の関わり が分からなかったからである。定義
#2が長い間子音と母音の本質の一部と 見倣されてきた理由がここにある。つまり換言すれば,それは音声学と音韻 論の区別が明確になされていなかったからだともいえる。
2.
子音と母音の音声学的本質
先に改訂された子音と母音の調音音声学的定義をもう一度ここで考査して みる。より正確な定義を導き出したいからである。
B:
母音=声道において途中どこかを狭めたり閉じたりする障害を伴わず に発される声帯振動言語音。
子音=母音以外の言語音。つまり声道において途中どこかを狭めたり 閉じたりする障害を伴うあらゆる言語音。
このような表現以外にも別な調音音声学的記述が可能かもしれないが,ここ
で一応問題として気づくのは, I 声道の途中で障害を伴う…」などという表
現は実はあまり客観的基準にはなりえないのではないかという点である。ど
の程度までの狭窄や閉鎖、の障害をもっ音声を母音から区別して子音と呼ぶの
であろうか。すべての音声は調音者と調音点による狭窄度つまり障害度にお
いて異なるのである。母音においても高舌化するほど狭窄度は増す,つまり
変化すると考えられる。よって例えば音声
[zJは高舌母音が更に高舌化し
た結果の音であると見倣すことができるから,母音と子音を区別する上で狭
窄度(障害度)は無視できない項目であることが分かる。つまり子音と母音
の分類には障害の有無ではなく,程度に基準を置く必要があるのである。よ って定義#1のような方法で子音と母音の間に明確な境界線を引くのは容易 なことではないといえる。例えば鼻音の
[nJなどは,真に他の子音と同様 の,あるいは同程度の障害を伴う音といえるだろうか。音響音声学的に
[nJは,フォルマントをもっという点でかなり母音に近い素性をもっているとい える。唯一の違いは,声帯の振動によって生じた音が口腔で響いたか鼻腔で 響いたかの差だけである。このように
[nJは音響音声学的にみれば, I 口 母音」に対して「鼻母音」とでも呼べるような音なのである。にもかかわら ず
[nJが従来子音として分類されてきたのは,半母音の場合同様それが最 近まで主な研究対象言語であったヨーロッパ言語において
onsetや
codaの 機能しか果たさないからである。しかしここでも再び,
I[ n]は音節主音に ならぬから子音である」というような定義法は明らかに適切ではないことが 分かる。日本語のように
[nJが
onset機能ばかりでなく援音
Nとして
peak機能をも果たす言語も存在するからである。
以上のことから分かるように,厳密には音声を調音音声学的に子音と母音 とに分類することは易しいことではない。だからこそ音声学者は,従来音声 を子音と母音に分類する際に,常に真とは限らない他次元の定義点
2から離 れることができなかったともいえる。
さて次に音声分類の別な方法として,音色の観点から子音と母音を考査し てみる。調音音声学的に定義する場合よりも,より客観的な基準で音声を子 音と母音に区別できる定義が得られるかもしれないからである。先に行なっ た調音方法上の違いによって音声を区別しようという試みは,実は音声を音 色の違いで区別しようとすることと同義である。調音方法が変わるというこ
とは,音戸の音色が変わることだからである。ただ音色というものは,高さ や強さが程度を表わす単位としてそれぞれサイクル(ヘルツ)やデシベルを もっているのに対し,それ自身何ももたない。よってそれを記述するには,
調音方法上の差異によって間接的に記述する以外に方法がないのである。音
色を表現するのには,よく「甘い音」とか「澄んだ音」のように色や味が使
用されるが,このような方法は勿論言語音の記述には有効とはいえない。客
観的記述ができないからである。ところで音色を客観的に記述するには調音 音声学的方法しかないのかといえば,そうではない。音の波形によっても可 能である。音色の変化は倍音の変化,つまり波形の変化とも同義だからである。
ではここで音の波形に着目して音響音戸学的に子音と母音を定義してみよ う。この方法だと意味するところは調音音声学的定義と同じでも,次元が変 わるため以下のとおり言葉上の表現が全く変わる。例えば,調音音声学的定 義の中にあった「障害」と
L
、ぅ言葉の意味するものが,ここでは「喋音」という言葉で言い換えられて表わされている。
C:母音=規則正しい波形をもっ音。つまり高さを変えることのできる楽 音 (periodicsound)
。
子音=規則正しい波形をもたぬ音。つまり高さを変えることのできな い喋音 (aperiodicsound)。
このように音声を音響音声学的に音程の有無によって分類すると,子音と母 音は一応明確に区別されることになるが, cの定義のままではまだ十分正確 とは
L
、えない。有声摩擦音 [zJのような,楽音性と喋音性の両方をもって 高さを変えることのできる音声も存在するからである。鼻音 [nJも真子音 と比べると楽音性が高いというだけで,喋音性が全くない音では決してない。音の出口としての鼻孔のスペースが狭いからである。よって, r母音=楽音,
子音=喋音」とする定義も厳密には欠陥をもっているということになる。し かし,では楽音性と喋音性の概念で母音と子音を定義するのは無意味なのか といえば,そうではない。 [zJは確かに前述のとおり楽音性と喋音性の両 方をもっているが,それはあくまで機械による判定であり,人間の耳には[zJ が母音同様の楽音だとは決して聞こえない。それは,耳には他の子音同様多 分に喋音味を帯びた音声として聞こえる。つまり喋音性が楽音性よりも強い か否かが,子音を母音から区別する上で重要な特性となっていることが分か る。以下
C
の定義をより正確なものにするために,音声のもつ楽音性と喋音 性というものを考査し,子音と母音の間で音響音声学的境界がどのように引 かれるかという点について考えてみる。この点が明らかにならないと,結局 子音と母音を定義するのは不可能といえる。3.
子音と母音の音響音声学的境界
先に Cで母音は楽音,そして子音は喋音というように一応定義し,摩擦音
[z]はそのどちらの特徴をももっと述べた。ところで母音とは全く喋音性 を帯びない音で,子音とは全く楽音性を帯びない音なのであろうか。又, ど うして
[z]のような音声的に子音と母音の中間に位置するような音声が存 在するのであろうか。まずこれらの点を考えてみる。
音は必ず楽音か喋音に二大別できるが,これはあくまで人間の耳が音を全 体の響きでそのどちらかに判断するという特徴をもっ結果である。楽音には 基音と倍音だけから成る純楽音も存在するが,非倍音を含むものも考えられ る。この場合その非倍音の振幅が倍音の振幅よりも小さいために,全体とし ては人間の耳には楽音として響くのである。これと同様のことが音声中の有 声音にもいえる。(因みに無声音は楽音性を全くもたぬため完全な喋音とい える。)なぜならすべての有声音は,声帯で作られる楽音性の音と声道途中 の摩擦で作られる非倍音性(喋音性)の音の両方をもっていると考えられる からである。このように考えると有声音中の子音と母音の境界は,理論的に結 局,その非倍音性摩擦喋音の相対的振幅によっていると考えることができる。
母音は楽音であるといっても,発音中はずっと流気が声道内を通り抜けて
いる訳だから多少の摩擦音としての喋音は楽音と並行して生じているはずで
ある。これは結局,人間における発声メカニズムが肺からの流気に依存して
いるからである。口腔を含む声道内の空間はギターやバイオリンの共鳴箱と
同様の機能を果たすが,両者の機能は全く同一なのではない。前者はその空
間内の形状を変えることによって音色変化を作り出すという点で,勿論弦楽
器の共鳴箱とは異なる機能をもつが,更に又,その作られた音が常に流気と
してある速度をもって口外へ出て行くために,厳密には必ず摩擦音を伴って
いるという点の違いも重要である。例えば,母音
[a]を発しているときは
喋音
[h]も同時に生じており,同様に母音[
i],
[w]を発しているとき
はそれぞれ喋音
[c],[φ] も同時に生じていると考えることができる。実
際
heed",
hard'¥ hoard",
hood'¥の
[h]を比べると,それぞれは異 った質をもっていることが分かる。これは
/h/に続く次の母音の共鳴の特 性がそれぞれ異なるからである。因みに口の前に薄い紙きれを垂らして
[a, ]
[h],
[i],
[c]等の音戸を発すると,どの音の場合も,強い弱 L 、の差こそ あれ,その紙きれは流気によって揺れる。そして有戸,無声にかかわらず,
口蓋と舌の隙闘が狭くなるほど,あるいは又両唇の隙間が狭くなるほどその 揺れは大きくなるのが分かる。これは肺からの流気のスピードが一定のとき 高舌化(あるいは狭唇化)するほど,その空間は狭くなり摩擦による喋音性 が増すからである。この場合,楽音性が弱まる分だけ喋音性が強まるという 意味で,母音はより子音に近づくともいえる。このように有声音はすべて楽 音性と喋音性の両方をもっており,高舌化するほど,そして又両唇の隙聞が 狭くなるほど楽音性が弱まってその分喋音性が強まると考えることができ る。又,だからこそ
[z]のような中間的音声が存在するのだともいえる。
ここで楽音性が減って喋音性が増すということは,きこえ
(sonority)の 低下をも意味している。母音は一般に高舌化するほどきこえが低下すること が知られているが,これは結局楽音性が弱まって喋音性が強まるからだと考 えることができる。
ところで確かに母音は高舌化するほど楽音性が減っていくが,ある一定の 舌の高さまでの有声音は全体として人間の耳に楽音として聞こえる。母音の もつ喋音性よりも楽音性の方がずっと大きいからである。つまり喋音性の音 の振幅が楽音性の音の振幅を越えないからである。しかし高舌母音[ i ]や
[u]
などの場合よりも更に高舌化するか狭(円)唇化すると,半母音[ j ] や
[w]などのように一層その喋音性が強まり,所謂子音のような母音とな る。そして更に又それ以上に高舌化や狭唇化がなされると,
[z]や
[B]などのように楽音性はほとんど失われ,つまり典型的な子音(真子音)と見
倣されることになる。換言すれば,声道内で生じる摩擦現象は子音や母音の
音色決定に一役かっているといえる。摩擦現象の様態が後者の母音に及ぼす
影響は,声道の最終端である唇の形状を変えることによっても母音の音色が
変化する事実から理解できる。
このように子音と母音間の境界は,理論的には楽音性と喋音性の振幅にお ける相対的比率によって決まるといえる。そして,すでに述べたように,こ れを判定するのは機械ではなく人間の耳である。先の
Bの調音音声学的定義 が正確さに欠けたのは,子音の障害の程度基準においてこの人間の耳による 知覚のことが明記されていなかったからである。つまり子音とは結局,人間 の耳が喋音と感ずるまでに高められた障害度をもっ言語音である。この点を 踏まえて,以下に結論としての音響音声学的定義を示す。
Cの定義を改良し たものである。
D:
母 音 = (喋音を含んでいても)全体として楽音と感ずる言語音。
子 音 = (楽音を含んでいても)全体として喋音と感ずる言語音。
これで音声は,理論的にはすべて子音と母音の二グループに大別されること になる。しかし実際には,感覚による分別には限界があるために(つまり感 覚には個人差があるために),半母音や流音のような中間的な音を分類する のは易しいことではない。そこでこの点を解決する手段として,障害度(狭 窄度)に恋意的な客観的基準を設けて子音と母音の間に境界線を引くことが 考えられる。
SPE(1968)
では以上の怒意的な客観的基準を何に求め,どのように子音 と母音が区別されたかを見てみよう。
SPEでは周知のとおり,二値的に規 定された弁別的素性
(distinctivefeature)が使われているのが特徴的である。
母音か子音かはまず[
+ consonantalJか[‑
consonanta日かで分けられる。
ここでの[:t
consonantalJはほぼ本稿における定義#
1に沿う,つまり調音 音声学的に定義された意味をもち,音節構成上の機能の意味は除外されてい る。音節主音か非音節主音かは[:t
syllabicJという別の概念で表わされる。
さて
SPEによれば,
[+consonantalJの音声とは「大きな障害」
radical o bstruction"を伴って発される音で, [‑
consonantalJの音声とはそのような
障害を伴わずに発される音であるというように規定され,
[wJや [j
Jは
母 音 同 様 [‑
consonantalJの音として分類されている。障害の程度が
radical"ではないからである。そして一方その
[wJや [j
Jは他の純母
音とどのように区別されるのかといえば,それには[: t
vocalicJという別
の素性が使われている。[
+vocalicJの音戸とは,高舌母音[
i]や
[uJにおける「最大の狭窄」
themost radical constriction"の程度を越えずに口 腔で発される音で,
[‑vocalicJの 音 声 と は [j ]や
[wJのようにその程 度を越えた狭窄を伴って発される音である。
[+vocalicJ [ ‑vocalicJ
[ ‑consonanta
l ]
[ + consonanta日
Vowels [ 1 ] [w,
j,
q,
h,フ]
I True Consonants上記のとおり母音は[
+vocalicJ&
[‑consonantal]の音として記述され,
真子音
TrueConsonants"の [
‑vocalicJ&
[+consonantal],及び半母音 等 の [
‑vocalicJ&
[‑consonantal]と区別される訳である。
確かに二値的素性方式を使った以上のような方法は,音を客観的に記述分 類できるという点で理論的に優れているといえる。しかし本稿で問題として L 、る音戸全般における障害の程度による境界設定においては,号室意的な基準 が設けられているのが分かる。例えば[
+vocalicJか [
‑vocalicJかは,前 述 の と お り [‑
consonantal]の音間で、高舌母音の狭窄度(障害度)を境に恋 意的な境界が定められて分けられている。なぜ境界がそこなのかに関しては 一切述べられていない。又[
+ consonantal]か[‑
consonantal]かに関して は,一応
radicalobstruction"があるかないかが分類上の基準となっている 訳だが,このような基準は多分に怒意的で依然客観的基準にはなりえていな いといえる。
radical"の意味するところが客観的基準を全く示してはいな L 、からである。
次の図は,これまでの子音と母音に関する論述をまとめる意味で仮説的に,
音声の変化を楽音性と喋音性の相対的比率変化で表わしたものである。縦軸 の変化は楽音性(斜線部分)と喋音性(白地部分)の強さの度合をアナログ的 に示しており,又横軸の変化は音色変化,つまり音声の変化を表わしている。
楽音性を赤の絵の具,喋音性を白の絵の具と考えれば理解しやすい。左方へ
行けば行くほど純楽音に近くなり,又右方へ行けば行くほど完全喋音に近く
なる。横軸上の音声の順番は,喋音性が増せばきこえは低下すると L 、ぅ仮定
E
(例) a a e ( U w l n m z v d
… に基づき,きこえの順に従っている。
以上の図から,
[j],
[w]等の扱いで子音性の音か母音性の音かの唆味 さが生じるのは当然であることが分かる。先にも言及しであるように,これ らは典型的母音と典型的子音の中間に位置する音声だからである。しかし英 語 の [
j]や
[w]には日本語のヤ
[ja]やワ
[wa]の
onset[j]や
[w]よりも鋭い摩擦的喋音の響きがあることを考えれば,やはりそれらは母音と してよりも従来どおり子音として分類される方がよいということになるだろう。
結論として,
Dの定義の下で実際に音声を子音と母音に分類するには以下の 二通りの方法が考えられる。現在採られているのは,勿論二番目の方法である。
1.あくまで人間の聴覚に子音か母音かの判定をまかせる。最悪の場合と して喋音性の音か楽音性の音かで聴者の意見が分かれることが考えら れるが,その解決法としては多数決の原理を利用することが考えられ る。この方法を採れば,勿論英語における現在の音声チャートは多少 変えられなければならなくなるであろう。
2.
舌の高さや狭(円)唇の度合に怒意的な基準を設け,音声を子音と母 音に二分する。例えば
SPEに お け る [ : : ! : : v o c a l i c J の基準のように,
高舌母音
[i],
[u]の高舌度を境にそれ以上のものを子音,そして それ以下のものは母音とするような方法である。この方法を採れば,
現在の英語音声チャートに変化はない。ただ境界となる基準だけを定 義の一部として明記すればよいことになる。
4
.音節構成における本音(
peak), 副 音 (
onset/ coda)と母 音,子音の関係
ここではまず音素と音節の本質に簡単に触れ,次に子音,母音と副音,本
音との関わりについて論ずる。ここでの副音,本音という術語は,それぞれ 音節構成上
onsetlcoda,
peakになる音という意味をもっ機能を表わす術語 である。それらはそれぞれ従来の子音と母音のイメージから離れるために造 語された音韻論のための術語である。
音素とは端的に言えば,音声を音色という次元で規定した点概念としての 抽象的単位ということになる。それが証拠に,ある音素をどんなに高く,大 きく,長く発音して音声に具現しても,ある
L、はどんなに低く,小さく,短 く具現しても,その音素のもつ音価に変わりはない。これは音素が音色の次 元のみで, しかも点の概念で規定された単位だということを示している。こ れは音楽における単位としての音階音の場合と全く同じである。ただ音階音 の場合,それは音色の次元ではなく高さの次元で規定された単位である。例 えばソという音は,それが
16分音符で具現されようが
2分音符で具現されよ うが,又,ピアノで具現されようがバイオリンで具現されようが,更に又,
フォルテで具現されようがピアニシモで具現されようが,ソという音価に変
̲ ̲.. ̲ 3
わりがない。ソは高さ次冗でドの一倍の振動数音という規定をうけているの
2である。これは音階音も音素の場合と同様,単位としては点の状態で存在す ることを意味している。繰り返すが,音素も音階音も時間の次元に関わらず 存在する単位だからである。[‑
continuantJの素性をもっ音が音素として単 位になれるのもここに理由があるといえる。
さて音楽の場合,更に
4分音符や
2分音符等の長さを表わす単位が存在す るのは周知である。この単位は単に時間次元で規定されたもので,普通音楽 で表現されるときは他の次元の単位と一緒になって具現される。現実界の音 はどれも高さ,強さ,音色,長さの四次元を同時に満たしているからである。
しかしこれは音を客観的に眺めた場合であって,音を作り出す側の意識では
常に四次元とは限らない,つまり音の四次元がすべて意識されているとは限
らないのである。例えばソルフェージュのレッスンをしている生徒の意識を
考えてみるとよい。生徒が先生の声の高さと同じ高さの音を出そうとすると
き,その生徒は単に音の高さ次元のみを意識しているといえる。しかし勿論
客観的にその生徒の作る音を眺めれば,それは四次元から成っている。この
点は音声学と音韻論を区別する上で重要である。
音節を考える場合,音楽の場合と比較すると理解しやすい。先に音楽に関 して述べたのはそのためである。さて音節とは,端的に言えば,長さの概念 を帯びた音素の集合体で、あるということができる。つまり換言すれば,音節
{注2)
とは長さ(時間)の次元と音色の次元の空間で作られる音のことである。
線が点の集合から成るように,音節は音素の集合から成っている訳である。
同様に,音楽における音節は長さの概念を帯びた高さの単位の集合体である といえる。つまりそれは,音符で表わされる時間次元と五線譜で表わされる 高さ次元が組み合わさってできた概念である。これはちょうど数学における 面積が縦と横の二次元から成る概念であり,又体積が縦,横,深さの三次元 から成る概念である場合と同様のものである。
音節には話し手側の音節(音韻論的音節)と聴者側の音節(音声学的音節) の二種類があると考えられる。音韻論的音節は音声学的音節とは違い,必ず
しも先述の四次元から成っているとは限らない。その次元数は各言語固有の ものである。これは,前出のソルフェージュ練習中の生徒の意識の場合と同 様のものである。
英語話者は高さ,強さ,音色,長さの四次元空間で音節を作ると考えられ るが,日本語話者は普通高さ,音色,長さの三次元空間で音節を作ると考え られる。日本語においては通常強さの概念は意識されずに話されるからであ る。同じ言語を母国語にもつ者同士がコミュニケートする際は,音節をお互 い同じ次元空間で処理するために問題は生じない。しかしそうでない場合は,
発音習得やヒアリングにおいて深刻な問題を生じさせるのは周知のとおりで ある。勿論これは両者の音節を処理する次元空間に違いがあるからである。
本稿ではしばしば
peak機能(本音),
onset/coda機能(副音)という言 葉が使われてきたが,これらは一体具体的にどんな機能なのであろうか。今,
「 さ
J([saJ)というー音節を長く引き伸ばして発音してみると,それは[
s Jと
[aJの 共 に [
+ continuantJの素性をもっ音素から成るにもかかわらず,
結果的には本音の
[aJのみが長く引き伸ばされるのが分かる。つまりこの
事実は,本音は長さの概念を帯びるが副音は帯びない,ということを示して
いる。副音はあくまで線中の点としてしか存在できないのである。これが音 節を作る本音と副音の機能である。音楽の音節においてもこの副音は装飾音
(grace notes)として存在し,言語における音節と比べると作用する次元が 一方は音色次元でもう一方は高さ次元という点で異なるものの,その機能は 全く同じである。
副音は音節内であくまで線を成すための部分集合としての一点として存在 するから,理論的にはいくつでも本音の両端に連なることができる。点は幅 のない概念だからである。
onsetや
coda中の子音の数において,言語によ ってかなりの差が見られるのはこの理由による。しかし副音の数が可能性に おいて無限大というのはあくまで話者の意識の中のみで成り立つ理論であっ て,現実の音戸レベルで点は存在しえない(つまり意識的には点であっても 物理的には幅のある線や面になっている)から,自ずと自然言語ではー音節 内の副音の数には限度が生じることになる。なぜなら副音がー音節内に多す ぎると,聴者にはそれが一音節として捉えられにくくなるからであり,又話 者には一拍で(つまりー音節で)発音しにくくなるからである。理論的に一 音節内の副音の数が少なければ少ないほど,それは聴者側にはー音節として 捉え易く,話者には一音節として発音し易いことは言うまでもないことであ る 。
音節は長さの概念を帯びるという理由で,本音には必ず[
+ continuantJの素性をもっ音素が選ばれる。このことは母音が本音に選ばれ易い理由の一 つであるし,又逆に[
+ continuantJの子音も成節化する可能性があるとい うことの理由でもある。ではなぜ母音が[
+ continuautJの素性をもっ子音 よりも圧倒的に本音として選ばれる傾向があるのであろうか。これは
peak機能を果たす音が長さだけでなく強さ,高さをも変えることのできるもので なければならないという理由からである。例えば日本語は二音音階システム ともいえる高さ次元のアクセント体系をもっているし,英語は強さ次元のア クセント体系をもっている。又ほとんどの言語はイントネーションをもって いるが,これは勿論高さ次元における変化現象である。このように本音は,
長さだけでなく高さや強さにおいても意識的に変化させることができる音で
なければならないという理由から母音が選ばれる訳である。特に高さを変え られるという点で,母音は子音よりも本音としてのより適格な資格が与えら れているといえる。高低のアクセント体系をもっ日本語において子音
[nJが本音になれる主な理由は,
[n Jが 単 に [
+ continuantJの素性をもつから というだけでなく,それが比較的楽音性の強い音,つまり母音同様の容易さ で高さを変えられる音だからであろう。
一方副音の場合は,
[+ continuantJの音で、も[‑
continuantJの音でも,
どちらでも可能である。とりわけ[‑
continuantJの音素は副音にしかなれ ない副音専用の子音といえる。繰り返すが,本音には[
+ continuantJの素 性をもっ音素しかなれないからである。又逆に[
+ continuantJの音素が副 音になれるのは,結局長は短を兼ねることができるからである。このように 見てくると,理論的にはあらゆる音素が副音になるための資格をもっという ことになるが,実際はすべての音素が副音になる訳ではない。つまり母音は 前述の理由で主に本音として使われるが,副音としてはあまり使われない。
これは,本音に楽音性の強い音素を選び,そして副音に喋音性の強い音素を 選んで音節を作ると,きこえという点で一つのまとまりができるからである。
楽音性の強い音と喋音性の強い音とは,すでに言及したように,それぞれき こえの大きい音と小さい音と同義である。因みに英語における
onset中の子 音の配列を見ると次のとおりである。
G:
仰
C3C2Cl↓ ↓ ↓
s t rk
pw
無声子音と有戸子音が同時に副音として現われるとき,有声子音は常に本音 に近い方に位置することが分かる。これは
codaの子音結合においても同様 である。つまり音節はきこえの観点から眺めると,ほぽ山状の形をなすとい える。勿論ピークは
Vの部分である。
もし楽音性の強い母音を副音として使うと,いかに話者の音韻構造の中で
は副音でありえても,楽音性の強い母音はきこえが大きいために聴者はそれ
を本音として捉える可能性が出てくることになる。つまり単音節が複音節と して認知される訳である。このような現象は母国語を異にする者同士の場合 直さら強く起こるであろう。先の音韻論的次元数の場合と同様にお互い共通 の音韻構造をもっていないからである。よって例えば,英語話者には日本語 の「企業
J[kiujo:Jと「金魚
J[kiNIJjoJが区別できないというような現象が 起こるのである。これは企業と金魚が同じ型のアクセントをもっところに主 な理由があるのではなく,英語が音節リズムをもたないという点と両言語聞 の音素
/n/の機能上の差異に起因しているのである。つまり日本語の音韻 システムでは,金魚
[kiNIJjoJ中の鼻音の一つは援音の
Nとして本音になっ ているが,英語で鼻音は決して本音機能を担わない音素であるために,英語 話者には
Nを本音として捉えられないのである。
一方,すべての母音が副音にならないかというと,そうではない。例えば 英語においては,
/d/,
/I/,
/U/等の母音音素が
codaの副音として音 節中に現われる。以下はよく知られている英語の多重母音の型である。
H:
二重母音
[‑aI ] [
‑eI ] [ ‑
JI ] [
‑auJ[ ‑ouJ[ ‑IdJ[‑εdJ[ーUdJ[ ‑JdJ
三重母音 [
‑aId]これらの副音には,理論どおり,いずれも母音の中では比較的に喋音性の強 いもの,つまり比較的子音に近い母音が選ばれているのが分かる。それらの 母音は,母音の中でもきこえが比較的小さいからである。
[dJは [
1 Jや [uJほど高舌ではないが,狭唇で発されるため比較的に喋音性の高い音といえる。
又すでに言及したように,日本語のヤ
[jaJやワ [waJの
onset[j Jと
[wJは 英 語 の [
j Jと
[wJと比べると喋音性がずっと小さく明らかに母音と呼 べるものであるが,これら日本語の[j ]と
[wJが副音になれるのも,結 局それらが高舌母音で比較的にきこえの小さい音素だからである。
以上, I 本音には楽音性の高い音(つまりきこえの大きい音)が選ばれ,
そして副音には喋音性の高い音(つまりきこえの小さい音)が選ばれる」と いう普偏的一大音韻規則が自然言語にはあることが分かった。とはいっても,
各言語はパラミターとして固有の下位規則をもっ点を見逃してはならない。
つまりどの音素を音節構成上どのように使うかには言語によって個性がある ということである。これは結局,各言語によって音声のもつ楽音性と喋音性 の捉え方に差があるからだといえる。換言すれば,このような個性が存在で きるのは子音と母音の間には明確な載然とした音声学的境界がなく,少なか らぬ移行的中間的存在の音が存在するからだといえる。
(注1)
これらの音声のきこえについては,
Peter Ladefoged,
A Course in Phonetics (982),
p.222を参照した。
(注2)
音節に関しては拙論「音節とは何か,モーラとは伺か」月刊「言語J (大修館)1
988 年3月号参照。
〔 参 照 文 献 〕
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Fry
, Dennis But1er. 1979. The Physics of Speech ; Cambridge University Press. Hawkins, Peter. 1984. Introducing Phonology ; Hutchinson.Ladefoged, Peter. 1982. A Course in Phonetics ; Harcourt Brace Jovanovich, Inc. 安 藤 由 典 (978) W
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芥 川 也 寸 志 0970 W
音楽の基礎』岩波新書
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(979) W日本語音声学』くろしお出版
大高博美
(987 )
r日本語の音節構造とリズム」月刊『言語』大修館
6月号
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