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18 世紀後半―19 世紀初頭のザクセン地域における理想とされたフルート像の二分化 ―初期多鍵式フルートの製作者の言説を中心に―

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(1)

18 世紀後半―19 世紀初頭のザクセン地域における

理想とされたフルート像の二分化

――初期多鍵式フルートの製作者の言説を中心に――

1)

児 玉 瑞 穂

1.問題の所在

 18 世紀半ば頃から製作されはじめた多鍵式フルートは、これまでのフルート研究において、バ ロック・フルート(1 鍵式フルート)と 19 世紀前半に登場して現代の標準型楽器となったベーム・

フルートとの間を埋める、過渡期的な楽器として捉えられることが多かった。しかし、地域や製作 者によって様々に工夫が凝らされた多鍵式フルートには、各々の地域の音楽的特徴が表れている と考えられる。そこで、特に 19 世紀初頭までに製作され、基本的に 2 ∼ 8 鍵から成るフルートを

「初期多鍵式フルート」2)と定義し、この楽器を取り巻いて豊かな音楽文化が形成されていたことを、

筆者の博士論文において明らかにした3)。本論では、この多鍵式フルートに Dis 鍵と Es 鍵という 2 つの鍵が用いられるか否かという違いから、また、ザクセン地域における初期多鍵式フルート製作 者の言説を通して、同地域では理想とされるフルート像に二分化が生じていたことを明らかにする。

 そもそも 1 鍵式のバロック・フルートでは、派生音を演奏するためにクロス・フィンガリング4)

という特殊な指使いが不可欠であった。このクロス・フィンガリングによる音は、通常の運指によ る音よりも弱く、曇ったような音色であったため、1 鍵式フルートでは音によって音量や音色にば

1)本論は、筆者の令和元年度博士論文『ドレスデン及びライプツィヒを中心とする初期多鍵式フルート――18 世紀後半から 19 世紀初頭までのフルート文化の拡がり――』の第 5 章を中心に取り上げ、加筆したものである。

2)なお、本論文では「フルート」という用語を「横型フルート」の意味で用いること、並びに「初期多鍵式フルート」を「多 鍵式フルート」と簡略化して表記することをお断りしておく。

3)このことは、同地域における当時のフルートに関する言説やフルート作品に対する批評の多さからも裏付けられる。本論 で取り上げる言説の他にも、当時のザクセン地域ではフルートに関する数々の文章が確認されている。また、ライプツィヒ で刊行された『一般音楽新聞 Allgemeine musikalische Zeitung』では、フルート製作に関する投稿論文が度々取り上げられて いるだけでなく、非常に多くのフルート作品の楽譜に関する広告や、フルート作品に関する批評が掲載された。筆者の調査 では、作品批評においても、広告においても、ピアノやクラヴサンなどの鍵盤楽器作品や声楽作品、ヴァイオリン作品に次 いで、フルート作品は数多く紹介されており、管楽器の中では最も多いと言える。

4)出したい音より上側(頭部管に近い方)の音孔を開き、下側の音孔をいくつか閉じて音高を調節する指使い。1鍵式フルー ト誕生以降、当時のフルートの基調は D-dur に設定された。つまり、楽器を構えた状態で右の薬指から順番に指を上げてい くと D-dur の音階が演奏できるように製作されていた。従って、この調の派生音となる音を演奏する場合、奏者はこの方法 で対応しなければならなかった。

(2)

らつきが生じた。そこで、このばらつきを解消し、音量や音色を均一にするため、クロス・フィン ガリングに代わる派生音の演奏手段としてフルートへのさらなる鍵の付加が行われた。こうして誕 生した多鍵式フルートは、その後 20 世紀に至るまで製作され続けた。

 しかし、一口に多鍵式フルートと言っても非常に多種多様なため、当時多く製作されたタイプや、

ベーム・フルートへと影響を与えたもの以外は、実験的な楽器という以上の価値を見出されていな い。特に本論で着目する Dis 鍵と Es 鍵の有無は、多鍵式フルート製作の当初の目的であった「ク ロス・フィンガリングの解消」とは異なる意味を持っている。現在では「異名同音」と見なされて いる Dis 音と Es 音といった半音は、当時、異なる音として捉えられていた。これらの半音に対して、

ザクセン地域の楽器製作者の間では、異なる鍵を付加する動きと、反対に付加しない動きに二分化 していく。彼らにとってこの 2 つの鍵にはどのような意味があったのか。一方で、何故その他の人々 はこれらの鍵を必要としなかったのか。

 本論では、このような多鍵式フルートの誕生に深く関わっているベルリンのヨハン・ヨアヒム・

クヴァンツ Johann Joachim Quantz(1697–1773)による言説を取り上げ、続いて、Dis 鍵と Es 鍵を 用いた多鍵式フルートを考案したライプツィヒのヨハン・ゲオルゲ・トロムリッツ Johann George Tromlitz(1725–1805)、そして彼と関係の深かったユストゥス・ヨハネス・ハインリヒ・リボック Justus Johannes Heinrich Ribock5)(1743–1785)の言説を順に追う。その上で、これらの鍵を必要と しなかった人々の見解との比較を行う。これら当時の言説から見えてきた理想とするフルート像の 二分化は、ザクセン地域の人々が音楽において何を大切にしていたのかという問題へと繋がってゆ く。

2.クヴァンツによる言説

 クヴァンツは、1 鍵式フルートが主流であった時代に 2 鍵式フルート【図1】を考案した6)。こ れは一般に「クヴァンツ・フルート」と呼ばれ、後に多鍵式フルートが製作される時代において、

ザクセン地域のフルート製作者に影響を与える。バロック・フルート誕生以来、18 世紀前半に至 るまで一般的なフルートには、Dis 音または Es 音を出すための鍵が 1 つだけ設けられていた。し かし、この新しく考案されたフルートでは、Dis 音と Es 音に対してそれぞれ孔が開けられ、1 つず つ鍵が設置された。

5)リボックの綴りに関しては、時折、Riebock や Riboc という表記も用いられていたが、本論では事典等の記述に従い、

Ribock という表記を用いる。

6)クヴァンツは自叙伝の中で、1726 年 8 月 15 日にパリへ到着し、翌年の 3 月 10 日まで滞在したことを明らかにしており、

「パリで私ははじめて、フラウト・トラヴェルソに第二の鍵を加えることになった」と述べたことが指摘されている(東川 2003: 63–66)。また、自身のフルート教則本においても第 2 の鍵を自らの考案で足部管に設けたことを明らかにしている(ク ヴァンツ 2017: 23–24)。

(3)

【図1:クヴァンツ・フルート】(クヴァンツ 2017: x)7)

 クヴァンツは、この 2 鍵式フルートについて、1752 年の自身による『フルート奏法試論 Versuch einer Anweisung die Flöte traversiere zu spielen』8)(以下、『試論』と記述)で詳しく説明している。まず、

新たに設けられた第 2 の鍵の必要性について、彼は同書の第 1 章、第 8 項で次のように述べている。

 今日でもフルートには 1 つしかキー9)がついていない。しかし私はこの楽器の特性を学 べば学ぶほど、いくつかの音の音程が正しくないことに気がついた。これを除去するには、

2 つめのキーを付加するより他に手はない。(クヴァンツ 2017: 23–24、荒川訳)

 ここでは、全ての音程を正しく演奏するために第 2 の鍵が必要であったことが示されている。ク ヴァンツの言う「正しくない」音程とは、大半音と小半音の間の相違に関するものである。この考 えについては、同書の第 3 章で更に詳しく述べている。

 これら7つの幹音[C, D, E, F, G, A, H]に含まれる全音の合間に、さらに5つの異なった音[派 生音]が置かれる。それらは幹音の間の空間を、各部分で等分ではないものの、2 つに分け るので、その上または下に置かれた幹音との間に、大きな、または小さな半音が生じる。ま さしくこの不均等性のためにこれらの音には 2 通りの名称がつけられている。書き方も 2 通 りで、正しい調律に従って 2 通りの音が出されるのである。(Quantz 1752: 33、筆者訳)10)

7)D. ディドロ . J. L. R. ダランベール編『百科全書 Encyclopédie ou Dictionnaire raisonné des Sciences....』(1751–1772)補遺(1777)

中、カスティヨン Castillon 執筆の項「クヴァンツのフルート」の挿絵。鍵の名前の挿入は筆者による。

8)同書の日本語訳は 1976 年に吉田雅夫、ハンス・レズニチェック監修、石原利矩、井本晌二の共訳によるもの(クヴァンツ 1976a)と、同年、荒川恒子訳によるもの(クヴァンツ 1976b)、2017 年に荒川恒子による改訂版(クヴァンツ 2017)が出 版されており、本論においても参考にしている。なお、本論における『試論』からの引用は、基本的に 2017 年の荒川訳を 用いる。

9)本論における「鍵」と同義である。

10)この引用文のみ、意味を捉えやすくするため筆者訳とした。角括弧内は筆者による補いである。原文は次の通り。

Zwischen den ganzen Tönen dieser sieben Haupttöne, liegen noch fünf andere Töne, welche den Raum zwischen diesen Haupttönen in zwo, obgleich an einigen Orten ungerabe Hälften theilen; und deswegen, im Verhalt gegen den darunter oder darüber liegenden Hauptton, große oder kleine halbe Töne ausmachen. Eben wegen dieser Ungleichheit werden sie auf zweyerley Art benennet, auf zweyerley Art im Schreiben angedeutet, und auf zweyerley Art, nach der reinen Stimmung, angegeben. (Quantz 1752: 33)

(4)

ここでクヴァンツは、次の考えを示している。すなわち、半音にはそれぞれ小さな半音(小半音)

と大きな半音(大半音)が存在するということ、そしてこの違いのために 2 通りの書き方があり、

実際に演奏される音も 2 通り存在するというものである。では、この大半音と小半音はどのように 異なる音なのか。彼の説明を見てみよう。

 大きな半音の幅は 5 コンマータであり、小半音は 4 コンマータである。そこから Es は Dis より 1 コンマータ高いことになる。フルートにキーが 1 つしかつけられていないとき、

鍵盤において同じ鍵盤が用いられるように Es と Dis は純正でなく11)調律され、下の音から 数えて 5 度としての Es から B、上の音から数えて長 3 度をなす Dis から H が正しく調律さ れない。この相違を認め各音に正しい音程を与えるためには、フルートにもう 1 つキーを付 加する必要がある。そうすれば幹音とフラットのつけられた音の間の半音と、シャープのつ けられた音の間の半音には別の指使いが用いられる。(クヴァンツ 2017: 42、荒川訳)

 以上の引用文が示す通りクヴァンツは、大半音と小半音の間には 1 コンマの差があり、フラット 系の半音はシャープ系の半音よりも 1 コンマ高いという鍵盤楽器とは異なる音律を唱えている12)。 当時、このような考え方はフルートに限ったものではなく、ヴァイオリンの教則本などでも示され ていた13)。つまり、鍵盤楽器では同じ鍵を与えられる、Dis 音と Es 音のような半音は、彼らにとっ ては異なる音であった。さらにクヴァンツは、この区別を行うために異なる鍵を必要とした。これ が Es 鍵と Dis 鍵である。

 しかし、『試論』のわずか 6 年後にはドイツのオルガニストで作曲家、音楽理論家のゲオルク・

アンドレアス・ゾルゲ Georg Andreas Sorge(1703–1778)によって異なる見解が示された。ゾルゲ

11)この語のみ訳し直した。「純正でなく」と訳した原語は schwebend。

12)クヴァンツは、音律についてはこれ以上具体的な言及をしていない。彼が示した音律については、東川によって 55 分割 法を用いて説明されている。ここでは東川 2001 による解説を用いてその音律を簡潔に示す。1 オクターヴ(c-c )を 55 分 割すると、例えば c から d、d から e は、全音で 9 コンマ、つまり 1 オクターヴの 9/55 に相当する。この全音は長 2 度である。

一方、e から f と h から c の半音は 5 コンマ、つまり 1 オクターヴの 5/55 に相当する。この半音は、「全音階的半音」であり、

短 2 度である。ここで重要となるのは、全音が 9 コンマで、「全音階的半音」が 5 コンマであるなら、その差に当たる「半 音階的半音」、つまり増 1 度が 4 コンマとなる。ここで、半音にも、5 コンマから成る大半音と、4 コンマから成る小半音の 違いが生まれ、それによって平均律では「異名同音」と言われる Dis と Es の間に 1 コンマの違いが発生する、というもの である。

13)ヨハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト Johann Georg Leopold Mozart(1719–1787)は『ヴァイオリン奏法 Versuch einer gründlichen Violinschule』(1756)においてクヴァンツと同様の見解を示している(モーツァルト 2017: 80–81)。L. モー ツァルトは、「初心者がすべての音程を正しく理解してうまく演奏できる」ために、ひとつはフラットで、もうひとつはシャー プで構成された練習用の 2 つの音階を挙げ、その注で次のように述べている。「鍵盤(クラヴィーア)上では、Gis 音と As 音、Des 音と Cis 音などは同じ音である。これは 音 律 のおかげである(訳注:異名同音的な加減調律法のこと)。正し い[音程の]比率によれば、[つまり純正な音律では、]♭によって下げられた音は、♯によって上げられた音より、1 コン マ分高くなる(訳注 : コンマとは微小音程のことで、ここでは全音の 9 分の 1 の差)。例えば、Des 音は Cis 音より高く、As 音は Gis 音より、Ges 音は Fis 音よりも高くなる。生徒にはモノコルド[1 弦の音程測定器]で教えればよいだろう」(モーツァ ルト 2017: 81、久保田訳)丸括弧内の訳注も久保田による。角括弧内は筆者による。

(5)

は自身の論文「横型フルートにおけるクヴァンツの Dis 鍵と Es 鍵に関する所見 Anmerkungen zu Quantzens Dis- und Es-Klappe auf der Querflöte」(Sorge 1758)で、フルートにも鍵盤楽器と同じ音 律を用いることを推奨し、シャープとフラットの違いは必要無いと述べた14)。彼らの言説からは、

18 世紀半ばの時点で既に音程や音律に対する考え方に違いがあったことが示されている。すなわ ち、ゾルゲのように、これらの半音を異なる音であると認めながらも、鍵盤楽器と同様にフルート にも同じ鍵を使用することを推奨し、シャープとフラットの区別を求めないというものと、クヴァ ンツのように、異なる音であるからには異なる鍵を使用し、これらを明確に区別するというもので ある。

 また、クヴァンツ・フルートについては、これまでに次の 2 点が指摘されてきた。ひとつは、こ のフルートがベルリンのフリードリヒ 2 世 Friedrich Ⅱ(1712–1786、在位 1740–1786)とその周辺 以外ではほとんど採用されず一般には広まらなかったこと、もうひとつは、このような半音を区別 するための鍵はやがて時代遅れとなり、音程をより均等にするという目的のために鍵が付加される ようになってくるというものである(前田 2006: 239)。このような指摘からも、大半音と小半音は 異なる音であり、区別するために異なる鍵を使用するという考えは、クヴァンツの時代にも、そし てその後の時代にも一般的とは言えなかったことが見えてくる。しかし、トロムリッツやリボック は、多鍵式フルート製作の時代において、クヴァンツによる第 2 の鍵を自身のフルートへ採用する。

3.トロムリッツによる言説

 トロムリッツは、ライプツィヒで活躍したフルート奏者、作曲家、教師、著述家、及びフルート 製作者である。従来の研究では、彼による楽器の中でも「トロムリッツ・フルート」と呼ばれる 彼独自の 8 鍵式フルートの構造に関するものや、2 鍵式フルートのために書かれた教則本『フルー ト奏法のための詳細にして基本的な授業 Ausführlicher und gründlicher Unterricht die Flöte zu spielen』

(Tromlitz 1791)(以下、『授業』と記述)が特に取り上げられていた15)。しかし、彼は他にも数多

14)ゾルゲは同書において、クヴァンツが示した大半音と小半音の違いがどのような音律に基づいているかについて言及し た上で、最後に次のように述べている。「以上は、異名同音的な調性と調律されたピアノの比較についての私の所見であ る。しかしこれに関する私の本音を打ち明けるなら、それは次の通りである。各オクターヴにただ 12 の等しい部分を定め、

それに従って歌い、演奏するので、Cis と Des、Dis と Es などの違いは必要無いのである。その結果、これが美しく正確 な和音を得る最も良い方法であろう」(筆者訳)原文は次の通り。Dieses wären meine Anmerkungen über die Vergleichung des enharmonischen Tongeschlechts mit dem temperirten Clavier. Soll ich aber meine wahre Meynung davon entdecken, so ist es diese: Man statuire nur 12 gleiche Intermedia in jeder Octav, und singe, und spiele darnach, so braucht man den Unterschied zwischen ♯C und ♭D,

♯ D und ♭ E, und so weiter, nicht. Das wird alsdenn das beste Mittel seyn, schöne reine Harmonie zu erhalten. (Sorge 1758: 17)「♯」は、

原文中では二重のバツ印で示されている。

15)トロムリッツ・フルートの構造に関する研究として Powell 1996a が挙げられる。また、トロムリッツの 2 冊の教則本『授 業』と『多鍵式フルートについて;その使用と利益 Über die Flöten mit mehrern Klappen; deren Anwendung und Nutzen』(Tromlitz 1800b)(以下、『多鍵式フルートについて』と記述)は、それぞれパウエルによって英訳されている。さらに、『授業』の内 容に関しては、2 本の国内論文が挙げられる(那須田 1992, 江戸 2011)。筆者の修士論文(児玉 2013)では、『授業』に加え、

『多鍵式フルートについて』の内容についても検討した。

(6)

くの著書を執筆しており、当時のフルートに関して積極的に自身の見解を述べている16)

3.1.トロムリッツによるフルート

 トロムリッツは、フルート奏者でありながら、フルート製作にも意欲的に取り組み、様々なフルー トを製作した17)。中でも「トロムリッツ・フルート」【図2】は、当時の一般的な 8 鍵式フルート【図 3】とは鍵の配列が異なっている。付加された鍵は、右手小指で操作する Dis 鍵と Es 鍵、2 重の F 鍵、

Gis 鍵、2 重の B 鍵、C ' 鍵である。一般的な 8 鍵式フルート(図 3)は、C 鍵、Cis 鍵、Es 鍵(ま たは Dis 鍵)、短い F 鍵、長い F 鍵、Gis 鍵、B 鍵、C 鍵を伴うが、トロムリッツは、自身の 8 鍵 式フルートには基本的に C 足部管18)を採用せず、Dis 鍵と Es 鍵を伴う足部管と 2 つ目の B 鍵を取 り入れた。

【図2:トロムリッツによる 8 鍵式フルート】19)(Powell 1996b: 103)

【図3:一般的な 8 鍵式フルート】20)(武蔵野音楽大学楽器博物館所蔵:管理番号 A3270)

16)デンムラーのトロムリッツに関する博士論文(Demmler 1985)では、トロムリッツの著作物として、告知文、宣伝用パ ンフレット、書簡を合わせて 5 つ、さらに、教則本を含めた教授法に関するものが 5 つ挙げられている(Demmler 1985:

29–30)。本論では、ここに含まれていない「フルートのより良い調整のための新しく発明された利点 Neuerfundene Vortheile zur bessern Einrichtung der Flöte」(Tromlitz 1785)(以下、「新しく発明された利点」と記述)も、トロムリッツによる著作と して取り扱う。

17)1751 年からフルートの設計、製作に着手し、1778 年には 1 個から 6 個の鍵を伴ったフルートを、1790 年には 1 個から 7 個の鍵を伴ったフルートを販売した(Ahrens 2006: 1077)。

18)1 鍵式のバロック・フルートでは D' であった最低音を C' に拡大するために用いられた長い足部管。Dis(または Es)鍵、

Cis' 鍵、C' 鍵を備えている。図3に示したフルートは 4 分割されており、その一番右側の部分が C 足部管である。クヴァン ツは、これを「正しい調律」や「フルートの音」にも害になると言って退けており(クヴァンツ 2017: 27)、また、開発当 時には一般的とはならなかったが、多鍵式フルートの開発により再びフルートへ採用されるに至った。

19)パウエルによるスケッチ(Powell 1996b: 103)。鍵の名前、及び丸印の挿入は筆者による。

20)I. W. Weisse (ca. 1830, Berlin) 替管 2 本付き。2019 年 6 月 12 日筆者撮影。

(7)

 初期の多鍵式フルートでは、従来の 1 鍵式フルートに用いられてきた Es 鍵(または Dis 鍵)に加え、

D dur の派生音である B、Gis、F に対応する孔を新しく穿ち、それぞれ左手親指、左手小指、右手 薬指で操作できる鍵を設けた。これは一般に 4 鍵式フルートと呼ばれる。3 つの鍵を付加したこと により、クロス・フィンガリングでも比較的音を出しやすいとされていた C を除き、フルート上 に 12 音全てに対応する孔が開けられた。さらに、最低音を D から C へと拡大するため、Cis と C のための 2 つの鍵を付加したものが 6 鍵式フルートである。6 鍵式フルートの標準的な F 鍵は短く、

右手薬指で操作されたが、音の並びによっては使用できないことがあったため、左手小指でも操作 できる長い F 鍵が設けられた。ここへさらに C 鍵が加えられ、8 鍵式フルートが誕生した。この 8 鍵式フルートはドイツで開発されたと考えられ21)、ザクセン地域においてもヨハン・ハインリヒ・

ヴィルヘルム・グレンザー Johann Heinrich Wilhelm Grenser(1764–1813)22)によって製作されてい たことが確認されている。

 以上のような多鍵式フルート製作の流れの中で、トロムリッツは、クロス・フィンガリングの解 消を目的に製作されていた多鍵式フルートに全く異なる目的を持つ鍵を取り入れた。これが、クヴァ ンツによって発明された第 2 の鍵である。つまり、トロムリッツもまた、Dis 音と Es 音のような 半音を異なる音として捉え、演奏し分ける必要性を感じていたのである。トロムリッツの足部管は、

クヴァンツによるものと同様に、奥に Dis 鍵、手前に Es 鍵という配列になってはいるが、クヴァ ンツがその使用を拒絶したレジスター(図 2、丸で囲った部分)も採用しているという点で異なる23)。 すなわちトロムリッツは、クヴァンツの考えを単に踏襲したのではなく、多鍵式フルート製作の潮 流に乗りつつも、それぞれの時代の「発明」を自身の理想とするフルートを目指して取捨選択した と言える。

 次に、フルートへの鍵の付加や、Dis 鍵と Es 鍵に対する見解を詳しく見ていく。トロムリッツ の言葉には、彼が既存の多鍵式フルートに満足していなかったことや、Dis 鍵と Es 鍵を伴う鍵配 列の効果に大きな自信を持っていたことを読み取ることができる。

21)今日の研究では、8 鍵式フルートに用いられた長い F 鍵は、1783 年にドイツ人フルート奏者フリードリヒ・ルートヴィヒ・

デュロン Friedrich Ludwig Dulon (1769-1826) の父によって考案されたものであることが指摘されているため(Powell 2002:

120)、8 鍵式フルートはドイツで誕生したと考えられる。

22)ドレスデンで活動した木管楽器製作者、発明家。「宮廷楽器製作者 Hofinstrumentenmacher」の称号を受け、ドイツだけで なくヨーロッパでも高いシェアを獲得していた。

23)当時のフルートには、様々なピッチに対応するために替え管が用いられていたが、管を替えると楽器全体のバランスが崩 れてしまうことが問題視された。その付加管長(替え管によって付加されたフルート全体の長さ、及び音を出す時に用いら れている実際の管の長さ)を補正するための対策の 1 つとして、足部管の末端に短管を付加する方法が取られた。この装置 が「レジスター」と呼ばれる。クヴァンツは『試論』において、これを非難する文章を書いている。彼は、フルート全体と しての調律が悪くなることなどを理由に、この発明をフルートにとって「非常に有害で不利なものとして非難されるべきで ある」と述べ、「この発明を利用しようとするならば、聴覚を非常に損ねる危険があり、その発明者は音の関係を理解して いないだけでなく、よい音楽的聴覚をもっていないことを暴露している」として、発明者に対しても強い態度を示した(ク ヴァンツ 2017: 26)。

(8)

3.2.鍵の付加に関する見解

 トロムリッツは、多鍵式フルートの製作に積極的であった。1785 年の「新しく発明された利点」

では、先に出版された 2 つの著書24)の中で示した見解を繰り返し、フルートへ鍵を付加すること の有用性を強調した。その発言を見てみよう。

 これらの鍵によって生み出された最低オクターヴにおける音の均一さは、普段はフルート には期待されない、特に、通常のフルートのうつろで曇った音では全く不可能である持続的 で強く、または弱くなる音の場合、素晴らしくそして全く並外れた効果を作り出す。これは、

もはやフルートのようには聞こえない。特に f、gis、as、b、ais、そして c= が主要な音であ る調においては、つまり : es dur、es moll、e dur、f dur、f moll、g moll、a dur、a moll、as dur、

b dur、b moll、c dur、c moll など[の調において]。(Tromlitz 1785: 105、筆者訳)25)

 「持続的で強く、または弱くなる音」は、持続的な強弱を持つ音、またはメッサ・ディ・ヴォーチェ による音を指すと考えられる。トロムリッツは、この「素晴らしく」「並外れた効果」がどのよう なものであるかについては具体的に述べていない。しかし、フルートはオクターヴを息の強弱によっ て吹き分けるため、強く息を吹き込むことのできない第 1 オクターヴにおいては、クロス・フィン ガリングによる音の不安定さは顕著である。そのため、特に息の強弱によって音を強くしたり弱く したりする際、付加鍵の効果が発揮されることを強調したと考えられる。さらに、D dur の派生音 が主要な音となる調の中でも、特にフラット系の調を多く挙げていることからも、従来の 1 鍵式フ ルートでは演奏が困難であったこれらの調を均一な音で演奏することを目指していたことが示され ている。それと同時に、「F、Gis、As、B、Ais、C が主要な音となる調」と述べていることからも、

彼が Gis と As や Ais と B などを異なる音として完全に区別していたことは明らかである。

 この、D dur から遠い調も「均一な音」で演奏するという目的と、大半音と小半音を異なる音と して演奏し分けるという目的は、トロムリッツの多鍵式フルート製作における重要な二本柱となる。

24)「トロムリッツのフルートに関する告知」(1781, 1783)は、まず 1781 年にエアフルトで出版された『Miscellaneen artistischen Innhalts』に掲載された。デンムラーによるリスト(Demmler 1985: 29)では、1783 年にハンブルクにて出版され た『音楽雑誌 Magazin der Musik』に掲載されたものが挙げられているが、同内容のものが2年後に再び掲載されたと考え られる。なお、タイトルは 1781 年が Nachricht von Tromlitz Flöten. 1783 年が Nachricht von Tromlitzischen Flöten. となっており、

微妙に異なっている。また、『MGG』のトロムリッツの項目では、同書のページ数が 115-117 と記載されているが(Ahrens 2006: 1078)、115–121 の誤りである。実際には 121 ページまであり、記述は全 7 ページにわたっている。自身のフルート作 品のリストと価格、及び自身によるフルートの価格表を提示し、それらを宣伝している。

25)角括弧内は筆者による補い。原文は次の通り。Die durch diese Klappen hervorgebrachte Gleichheit der Töne in der untersten Oktave macht eine vortrefliche und ganz ungewöhnliche Wirkung, die sonst von einer Flöte nicht erwartet wird, zumal bey haltenden und wachsenden, oder abnehmenden Tönen, welche auf den stumpfen und matten Tönen einer gewöhnlichen Flöte gar nicht möglich sind. Es klinget fast nicht mehr als Flöte, besonders in denen Tonarten, wo f, gis, as, b, ais und c= wesentliche Töne sind, als: es dur, es moll, e dur, f dur, f moll, g moll, a dur, amoll, as dur, b dur, b moll, c dur, c moll u. s. w. (Tromlitz 1785: 105)

(9)

これらの半音を演奏し分けることに関しては後で詳しく述べることとし、トロムリッツの付加鍵に 関する見解をもう少し追っていく。さらに 1800 年には、『多鍵式フルートについて』で、付加鍵が トリルにも有用であることが示された。トロムリッツは、同書の第 6 章「8 鍵式フルートのトリル について」において、「美しく正確」なトリルの要求と、それに対する付加鍵の有効性について述 べている26)。しかしその一方で、「そして私の考案した、es、dis、f、f、gis、b、b、c= 鍵を伴ったフルー トによってのみ、ヴィルトゥオーゾが出来なければならないように、美しく、耳障りな音無しに行 うことができるようになる」27)(Tromlitz 1800a: 319)との見解も示しており、既存の多鍵式フルー トには満足していなかったと言える。ここで示された自身の考案による 8 鍵式フルートについては、

同年の『皇帝特権による帝国新聞 Kaiserlich privilegirter Reichs-Anzeiger』でも有用性を主張している。

彼はここで、付加健という発明が悪いものでも有害なものでもないと述べた上で(Tromlitz 1800c:

1271)、さらに次のように続けている。

 それは私の発明と配列による多鍵の、特に 8 つの鍵を伴ったフルートの場合であり、これ によって、f、gis、b、そして c といった第 1 オクターヴの不正確でうつろな音が完全に高め られるだけでなく、正しく均一な進行が得られる ; そしてさらに最も素晴らしいことは、ど こであっても最も美しく最も正確なトリルをこのフルートによって生み出すことができる ということである ; これは、この配列でないフルート、少なくとも 1 つの鍵しか持たないフ ルートでは不可能である。従って、これらのフルートは無限に、そう私は言いたいのだが、

あらゆるものを獲得し、そして役に立たず使えないもの以外は何も失わなかったのである。

(Tromlitz 1800c: 1271–1272、筆者訳)28)

 トロムリッツはここで、次の点を強調している。すなわち、彼独自の鍵配列によるフルートであ れば、クロス・フィンガリングによって生じた、特に第 1 オクターヴにおける不正確でうつろな音

26)ここでは次のように述べられている。「最初の2オクターヴのためにここで示されたトリルの殆どが美しく正確である。

そして 8 鍵よりも少ない鍵のフルートでは全て[美しくは]演奏できないであろうし、1鍵式フルートではほとんどの部分 で使えないことがわかるであろう。――私は、あなたが今、この楽器が私の現在の設計によって高い完成度に至ったことを 理解することを願っている」(Tromlitz 1800b: 126、筆者訳)角括弧内は筆者による補い。原文は次の通り。Die meisten von denen in den zwey ersten Octaven hier gelehrten Trillern sind schön und gut; und man wird finden, daß sie auf einer Flöte mit wenigr als acht Klappen nicht alle gemachet werden können, und auf einer Flöte mit einer Klappe, größtentheils unbrauchbar sind. ―― Ich hoffe, man wird nun einsehen, daß dieses Instrument nach meiner jetzigen Einrichtung zu einer großen Vollkommenheit gebracht ist; (Tromlitz 1800b: 126)

27)筆者による訳。原文は次の通り。Und dass nur auf einer Flöte mit es, dis, f, f, gis, b, b, undc c= Klappe, nach meiner Einrichtung, alles schön und auch ohne Geklappere gemacht werden könne, welches ein Virtuos können muss. (Tromlitz 1800a: 319)

28)原文は以下の通り。Dieß ist der Fall mit einer Flöte mit mehrern, und vorzüglich mit acht Klappen nach meiner Erfindung und Einrichtung, wodurch nicht allein die fehlerhaften und stumpfen Töne der eingestrichenen Octave, als f, gis, b und c, vollkommen gehoben werden, sondern wodurch auch eine richtige und gleiche Fortschreitung erhalten wird; und wobey noch das Vorzüglichste ist, daß man nun überall die schönsten und richtigsten Triller durch sie hervorbringen kann; welches auf einer Flöte ohne diese Einrichtung nicht möglich ist, am allerwenigsten auf einer Flöte mit einer Klappe. (Tromlitz 1800c: 1271-1272)

(10)

が完全に高められるだけでなく、正しく均一に演奏することができること。そして、どの音に対し ても「最も美しく最も正確なトリル」が可能となることである。以上のように、彼は、クロス・フィ ンガリングによる音の弱さやくもったような音色を、鍵の付加によって解消することには積極的で あった。しかし、それも「私の発明と配列による」多鍵式フルートであればという条件を付けてい た。トロムリッツ・フルートには備わっており、一般的な多鍵式フルートには備わっていなかった ものと言えば、2 つ目の B 鍵と、Dis 鍵と Es 鍵の両方を備えた足部管である。

 特に Dis 鍵と Es 鍵の両方を備えたフルートは、一部の模倣作29)を除き、トロムリッツの他には リボックによるものが確認されているのみである。何故、トロムリッツはこの 2 つの鍵を必要とし たのか。これらの鍵に対する見解を詳しく見ていこう。

3.3.Dis 鍵と Es 鍵について

 Dis 鍵と Es 鍵について、トロムリッツは自身の著作において繰り返しその必要性を主張した。

まず 1791 年の教則本では次のように述べている。

 長い間、また依然として一般的な習慣であるとして、フルートは、Es と Dis に使用され なければならないたった 1 つの鍵しか持っていなかった。しかし、正しい調子で演奏する ためにはこれは満足のいくものではなかった。何故なら、Es と Dis は別の音であり、丁度、

Fis と Ges、Gis と As、B と Ais、Cis と Des、などと同じように異なるからである。加えて、

今挙げられた他の音と同様に、Es と Dis は息の強弱や運指によっては変えられない。(Tromlitz 1791: 14、筆者訳)30)

 この記述は、クヴァンツが第 2 の鍵を設けた理由と一致する(クヴァンツ 2017: 42)。また、

1791 年当時においても、一般的なフルートには Es 音と Dis 音に対して 1 つの鍵しか設けられてい なかったことが示されている。続けて、「これ無しでは純正に演奏することは不可能なので、プロ のフルート奏者の間でさえ、これが一般に受け入れられそうもないということは驚くべきことであ

29)ポツダムのフルート製作者フリードリヒ・ガブリエル・アウグスト・キルストFriedrich Gabriel August Kirst(1750–1806)によっ て、「クヴァンツ・フルート」と「トロムリッツ・フルート」が製作されている。しかしながらそれらは模倣の域を出ておらず、

キルストのフルート製作の目的は、これらのフルートが持つあらゆる大半音と小半音を運指によって演奏し分けるという意 識とは別のところにあったと考えられる。なお、キルストによって製作されたトロムリッツモデルのフルートは、唯一確認 されている他の製作者によって作られた「トロムリッツ・フルート」である(Powell 1996b: 28)。

30) 原 文 は 次 の 通 り。Da die Flöte eine lange Zeit nur eine einzige Klappe hatte, wie auch jetzt noch bey den meisten üblich ist, welche zu es und dis gebrauchet werden mußte, zur reinen Stimmung aber, und zum Keinspielen nicht hinlänglich ist, weil es und dis zweyerley Töne, und eben so verschieden sind, als fis und ges; gis und as; b und ais; cis und des u. auch dieses es und dis weder durch das Verstärken oder Vermindern des Windes, auch durch die Fingerordnung, wie bey den übrigen jetzt gemeldeten Tönen möglich ist:

(Tromlitz 1791: 14)

(11)

る」31)(Tromlitz 1791: 14)と述べ、この 2 つの鍵が職業フルート奏者にさえ受け入れられていない 現状への驚きを表している。これらの記述からは、次のことを読み取ることができる。すなわちト ロムリッツが、Dis 音と Es 音のような半音はピッチの異なる別の音であり、演奏し分ける必要が あるという考えを強く持っていたこと。そして、そのためにはこれら 2 つの鍵が必要であると確信 していたこと。さらに、職業フルート奏者であるならなお、これらの区別と、そのための鍵が必要 であると考えていたことである。このような、大半音と小半音は異なる音であるという彼の考えは、

1791 年の教則本において第 1 章、第 3 章、第 15 章で繰り返し述べられている。また、1796 年にも 彼は同様の発言をしており、Es と Dis のための 2 つの鍵によって、フルートはより純正な調子で 演奏できると結論づけている(Tromlitz 1796: 3–4)32)

 前述した通り、クヴァンツ・フルートは、当時既に時代遅れのものと見なされていたことが指摘 されていた(前田 2006: 239)。しかしトロムリッツの Es 鍵と Dis 鍵に対する発言には、彼が職業 音楽家として「純正な調子」で演奏するということを強く追求し、18 世紀末においてもなおこの 区別にこだわっていたことが示されている。また、トロムリッツの製作したフルートをドレスデ ンの宮廷楽団のフルート奏者たちが使用していたことが指摘されていることから(ハウプト 2013:

21–22)33)、トロムリッツ・フルートは同地で需要のある楽器であったと考えられる。ドレスデン には当時、大きなシェアを誇っていたグレンザー一族が工房を構えていた34)。それにも関わらず、

ドレスデンの宮廷楽団のフルート奏者たちがライプツィヒのトロムリッツのフルートを使用してい たという指摘からは、大半音と小半音の区別や、そのための異なる鍵の使用は、トロムリッツの個 人的な趣味ではなく、ザクセン地域の職業音楽家にとっても重要視されていた可能性があると考え

31)筆者訳。原文は次の通り。Es ist zu verwundern, daß sie nicht allgemein werden will; so gar bey Flötenspielern von Profession, da doch ohne dieselbe nicht rein gespielet werden kann. (Tromlitz 1791: 14)

32)トロムリッツは次のように述べている。「es と dis の 2 つの別々の鍵は、両方の音のために使われなければならないたっ たひとつの鍵よりも良いと私は考えていたし、そして依然としてそう考えている。前者の配置によって、フルートはより純 正に調律され、そしてその結果ひとつだけの鍵よりもより純正な調子で演奏される」(Tromlitz 1796: 3–4、筆者訳)原文は 次の通り。es und dis, als zwey besondere Klappen, hielt, und halte ich noch für besser,als nur eine Klappe, bei zu beyden angewendet werden soll. Mit der ersten Einrichtung kann man eine Flöte reiner stimmen, und folglich auch reiner darauf spielen, als mit einer Klappe allein. (Tromlitz 1796: 3–4)

33)ドレスデンの宮廷楽団のフルート奏者であったフランツ・ヨーゼフ・ゲッツェル Franz Joseph Götzel(在籍:1741–

ca.1777)、ヨハン・アダム・シュミット Johann Adam Schmidt(在籍:ca.1764–ca.1782)、アントニー・フランソワ・ドゥ ルラブレ Antoine François Delerablé(在籍:1764–1784)、ヨハン・アンドレアス・アダム Johann Andreas Adam(在籍:

ca.1777–1785)が、ライプツィヒのトロムリッツ・タイプの楽器を用いていたことが指摘されている(ハウプト 2013: 21)。

また、後のフルート奏者フリードリヒ・ゲッツェル Friedrich Götzel(在籍:ca.1783–1822)や、ヨハン・ゴットホルト・ザ ロモン Johann Gotthold Salomon(在籍:ca.1787–ca.1796)、ヨハン・フリードリヒ・プリンツ Johann Friedrich Prinz(在籍:

ca.1790–1819)、カール・クリスティアン・ヘーネ Carl Christian Hähne(在籍:ca.1798–ca.1813)は、さらに発展したトロムリッ ツ・タイプのフルートを所有していたとされている(ハウプト 2013: 22)。

34)ドレスデンに自身の工房を設立(1744)していた木管楽器製作者の A. グレンザー(父)は、1753 年に「ザクセン選帝侯 宮廷楽器製作者 Kurfürstliche-Sächsischer Hofinstrumentenmacher」の称号を受けた(Huene, Grove Music Online)。この称号を 受けたことにより、宮廷楽団へ楽器を納品し、修理を請け負うだけでなく、楽器製作者としての宣伝効果をも得た。後に工 房を引き継いだ H. グレンザーも「宮廷楽器製作者」の称号を受け、工房をさらに発展させた(Huene, Grove Music Online)。

(12)

られる35)。これは、トロムリッツ自身もまたライプツィヒで活躍する職業フルート奏者であった ことからも裏付けられる。

 フルートは当時、多くの愛好家を抱える非常に人気の高い楽器であった。そのため、グレンザー 一族のような木管楽器製作者はフルートを数多く製作していたが、現在確認されている彼らのフ ルートには、Dis 鍵と Es 鍵を両方備えた楽器は確認されていない36)。また、H. グレンザーは 1800 年の投稿論文(Grenser 1800)でトロムリッツのフルート製作を批判していたが、大半音と小半音 の区別については言及していなかった。以上のことから、多くのフルート愛好家や彼らを顧客とす る製作者にとって、大半音と小半音の区別はそれほど重要ではなかったと考えられる。しかし既に 述べた通り、ザクセン地域の職業フルート奏者にとってはトロムリッツの理念が共通認識として存 在した可能性が指摘できる。

 続いて、トロムリッツと同様に Dis 鍵と Es 鍵を自身のフルートへ採用したリボックの著書を取 り上げる。リボックは、トロムリッツからフルートを購入し、書簡のやり取りをするなどトロムリッ ツとも関係の深かった人物である。彼の著書には、フルートに対する基本的な考え方においても両 者に共通点が多かったことが示されている37)

4.リボックによる言説――Dis 鍵と Es 鍵用いた鍵配列について

 リボックは、ドイツの医師、及び音楽愛好家である。彼に関する専門的な研究は、まだそれほど 多くない38)。しかし、著書『覚え書き』の中ではトロムリッツをはじめとしたザクセン地域のフルー ト製作者について多くの見解を述べており、この地域のフルートを取り巻く状況を知る上で重要な

35)ハウプト 2013 では、彼らが具体的にどのタイプのフルートを用いていたのかという指摘はされていない。トロムリッツ によるフルートに関しては、1796 年の著書『音楽愛好家へ An das musikalische Publikum』に添付された自身の製作する楽器 の種類と価格の一覧表に示されている。Dis 鍵と Es 鍵の両方を伴ったフルートの種類は最も多いが、これらを伴わない(Es 鍵のみの)フルートや、付属品という扱いではあるが C 足部管も製作していた。そのため、ドレスデンの宮廷楽団のフルー ト奏者がトロムリッツの目的(大半音と小半音の区別)にどの程度賛同していたのか、同じ見解を持っていたのかという点 に関しては、今後、彼らの使用していたフルートについてより詳しく調査をして明らかにしたい。

36)筆者による調査では、これまで少なくとも、A. グレンザー(父)によるフルートは 33 本、H. グレンザーによるフルート は 47 本、カール・アウグスティン・グレンザー(子)Carl Augustin Grenser (1756–1814) によるフルートは 1 本が確認され ているが、それらの中で Dis 鍵と Es 鍵とを両方付加しているものは確認されていない。

37)リボックとトロムリッツの関係は、1777 年にフルートの製作や演奏に関する手紙のやり取りによって始まっており、同年、

リボックはトロムリッツから最初のフルートを購入した(Ventzke 1976: 66, 68)。リボックがトロムリッツの弟子であったと いう指摘もあったが(Demmler 1961: 42)、彼が独学でフルートの演奏や製作を学んだとする説が現在では最も有力である

(Ventzke 1980: Ⅱ , Gerhold 2009: 672)。

38)リボックに関する唯一の研究として Ventzke 1976 が挙げられる。また、同著者はリボックによる『フルートのより良い調 整と取り扱いに関する覚え書き Bemerkungen über die Flöte zur bessern Einrichtung und Behandlung derselben』(以下、『覚え書き』

と記述)を再出版する際に前書きを付している。これ以外では、トロムリッツの教則本(Tromlitz 1791)、デュロンの自伝

(Dulon 1807/1808)で言及されている他、トロムリッツに関する博士論文(Demmler 1961)や、フルート史を扱った文献(Powell 2002)などで部分的に言及されているのみである。フェンツケによる論文(Ventzke 1976)では、リボックの生涯を年表で 紹介している他、トロムリッツとの関係についても触れられている。しかし、彼の著作の内容にまで深く踏み込んだ研究は まだ少なく、当時のフルートを巡る状況を知る上で、さらに詳しく追究するべきである。

(13)

人物であると言える。

 彼は、『覚え書き』においてフルートの様々な点に言及していた。特に、Dis 鍵と Es 鍵については、

自身の考案した 5 鍵式フルートにも用いており、その価値を認めていたことは明らかである。同書 に掲載された 5 鍵式フルートのための運指表(表1)を見てみよう。

【表1:リボックによる運指表】(Ribock 1782: Tab. Ⅱ)

※ Es 鍵、Dis 鍵を示す部分、及び鍵盤楽器では同音となる音を異なる音として記述し、運指によって区別 している部分を四角で示した。

 本文中にこの 5 鍵式フルートのスケッチなどは見られないが、設けられた鍵が Dis 鍵、Es 鍵、F 鍵、

Gis 鍵、B 鍵であることが運指表に示されている。このフルートは、通常の 4 鍵式フルート(Es 鍵、

F 鍵、Gis 鍵、B 鍵)に、さらに Dis 鍵を付加したものである。

 この運指表では、E から Cis までが記載されており、第 1 オクターヴと第 2 オクターヴは基本 的に同じ運指で表されている。また、Des など記述されていない音もあるが、ほとんどの半音が シャープ系とフラット系で別の運指を割り当てられている。この運指表からは、1782 年当時、大 半音と小半音を演奏し分けることや、さらにそれを周知することが必要であると感じる者がトロム リッツ以外にも存在したことが示されている。

 しかしながら、これらの半音を異なる音として捉えるという考えは、クヴァンツの時代と同様 に批判もあった。ドイツの医師、音楽愛好家であったハインリヒ・ヴィルヘルム・テオドール・

ポットギーサー Heinrich Wilhelm Theodor Pottgiesser (1766–1829) は、1803 年の著作「今日のフルー ト、特に多鍵式フルートの欠点に関して、より良い調整のための提案とともに Über die Fehler der

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bisherigen Flöten, besonders der Klappenflöten, nebst einem Vorschlage zur besseren Einrichtung derselben」

において、フルートにも鍵盤楽器と同様の調律を用いることを求めた。ここでポットギーサーは、

大半音と小半音を徹底的に区別するというトロムリッツらの考えに対し、そのような区別を行な うためには Dis 鍵と Es 鍵だけでは不十分であることを指摘し、むしろ鍵盤楽器と同様の調律を用 いるというより柔軟な対応を求めた39)。彼は、大半音と小半音を異なる音であると認めながらも、

この区別に固執するよりも鍵盤楽器のように同じ鍵を用いることを推奨した。また、その理由とし て「鍵盤楽器の調律された調子に非常に満足している」ことを挙げている(Pottgiesser 1803: 676)。

18 世紀後半以降、市民の生活向上によって家庭での音楽が流行すると、特にフルートと鍵盤楽器 の編成は人気となり、数多くの作品が出版された40)。つまり、多くのフルート愛好家にとっては、

鍵盤楽器が主なアンサンブルの相手であった。職業フルート奏者と愛好家の響きに対する感覚の違 いは、このような演奏環境の違いにも起因していたと考えられる。

 以上のように、18 世紀後半から 19 世紀初頭のザクセン地域には、1 コンマの違いという細やか な音程感を求める人々と、もはやこの区別を必要としない人々が存在したことが明らかとなった。

このような違いから、同地で理想とされたフルート像は二分化していったのである。さらに、この 二分化から、ザクセン地域の人々が音楽において大切にしていたものが浮かび上がってくる。

5.結び

 18 世紀後半から 19 世紀初頭におけるザクセン地域では、フルートを巡る活発な議論がなされ、

フルートに対する関心が非常に高かったと言える。中でも、トロムリッツとリボックによる言説か ら見えてきた彼らの理想とするフルートは、当時の一般的な多鍵式フルートとは異なるものであっ た。

 クヴァンツは『試論』において、半音には大半音と小半音が存在し、これらは異なる音であり異 なる運指、すなわち異なる鍵によって演奏し分けることを求めた。この考えは同時代から批判もあ り、また、一般的なものとはならなかったという指摘もあったが、多鍵式フルートが製作される時 代においてトロムリッツやリボックへと受け継がれた。特にトロムリッツが繰り返し必要性を主張

39)ポットギーサーは同書において次のように述べている。「我々は鍵盤楽器の調律された調子に非常に満足している。ここ で[フルートにおいて]何故それが駄目になるのか?[中略]そして、単に理論におけるのではなく、実践においても小半 音と大半音を聞き分けることを望む者なら誰でも、さらに多くの特別な運指と鍵が必要になるであろう。何故なら、特定の 関連におけるそれぞれの音は、Es 鍵と Dis 鍵だけの手段ではもたらすことのできない、時にやや低い、時にやや高いピッ チを要求するからである」(筆者訳)原文は次の通り。Wir sind ja mit der temperirten Stimmung des Klaviers zufrieden; warum nicht hier? .... und wer immer den kleinen und grossen halben Ton nicht bloss in der Theorie, sondern auch in der Praxis unterscheiden will, der hat noch eine Menge besonderer Griffe und Klappen nöthig, weil jeder andere Ton in gewissen Verhältnissen bald etwas mehr, bald etwas weniger Höhe erfordert, die mittelst der es- und dis-Klappe allein nicht bewirkt werden kann.(Pottgiesser 1803: 676)

40)筆者の調査では、『一般音楽新聞』の第 1 巻から第 22 巻(1798–1820)まで、フルートと鍵盤楽器ための作品に関する広告、

及び批評は 300 項目確認されている。

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したこの区別が示すものは、「純正な響き」であった。自身もライプツィヒで職業フルート奏者と して活動していたトロムリッツや、彼のフルートを使用していたドレスデンの宮廷楽団のフルート 奏者たちにとって、アンサンブルにおける「純正な響き」、すなわちより美しく響く和音は大切な 要素であったと考えられる。

 その一方で、H. グレンザーをはじめ、他の地域と同様に標準的な多鍵式フルートを製作してい た者も当然存在した。このようなフルートには Dis 鍵と Es 鍵は用いられておらず、大半音と小半 音の違いを異なる鍵によって演奏し分けることを前提としていなかったことは明らかである。この ようなフルートを望む人々の中には、大半音と小半音の違いを認める者も存在したが、もはやこの ような区別にはこだわらず、クロス・フィンガリングの解消のみに主眼が置かれていたと言える。

当時多くの愛好家を抱えていたフルートにとって、アンサンブルにおける細やかな響きよりも、様々 な調をより容易に、均一な音色や音量で演奏できる楽器がより強く求められたことは必然的である。

 以上のように、当時のザクセン地域では、均一な音色や音量を持ち、様々な調をより容易に演奏 できるフルートを理想とする人々と、これに加え、大半音と小半音の間にある 1 コンマの違いを明 確に区別することのできるフルートを理想とする人々が存在したことが明らかとなった。筆者はこ れを、同地域におけるフルート像の二分化と捉えた。さらにこの二分化から、次のことを指摘する ことができる。すなわち、古典派からロマン派へと移り変わる時代におけるザクセン地域の音楽が、

それまでフルートには難しいとされてきた調性をも含む新しい音楽へ向かう人々のみならず、楽譜 には表すことのできない非常に繊細な音程の感覚を持ち、「純正な響き」を大切にする人々によっ ても形作られていたということである。また、この時代のザクセン地域の初期多鍵式フルートが示 した「純正な響き」を大切にするという側面は、一部の人々の個人的な趣味ではなく、彼らと共に 働いていた楽団員や、その周辺にも影響を与えたに違いない。従って、同地で起こったフルート像 の二分化は、フルートのみならず、固定されたピッチを持たない全ての楽器においても見出すこと のできる可能性を持つ。

 フルートのどのような側面を大切にし、その実現のためにどのような工夫をし、何を犠牲にする のかという問題に対する答えとして、この時代には他にも様々なフルートが生み出された。やがて ベーム・フルートの誕生によってフルートに大きな改革が起こるが、その後も、それぞれの理念を 反映した多鍵式フルートが製作され続けた。このようなフルートの歴史において、トロムリッツ やリボックが示したフルートは、当時のザクセン地域の音楽文化の多様性の一端を示すものである と言える。そして多鍵式フルートは、単にベーム・フルートへと向かう進化の過程としてではなく、

都市ごとに多様な音楽文化を育んでいた当時のヨーロッパの実態の一端をも明らかにするものであ る。

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■参考文献

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(18)

Die Zweiteilung des Idealbilds der Flöte in Sachsen von der Mitte des 18. bis Anfang des 19. Jahrhunderts:

Eine Untersuchung von Schriften von Flötenbauern früher Flöten mit mehreren Klappen

Mizuho KODAMA 

 Die mehrklappigen Flöten, die ab der Mitte des 18. Jahrhunderts gefertigt wurden, haben in der bisherigen Forschung oft nur als Musikinstrumente der Übergangsperiode zwischen der Barockflöte (einklappig) und der Böhmflöte, also der modernen Standard-Flöte, gegolten. Jedoch spiegeln sich die musikalischen Merkmale unterschiedlicher Regionen in den mehrklappigen Flöten wider, entweder durch örtliche Eigentümlichkeiten oder durch spezielle Ideen der jeweiligen Flötenbauer. In dieser Arbeit definiere ich die Flöten mit zwei bis acht Klappen als »frühe Flöten mit mehreren Klappen« und untersuche anhand von Veröffentlichungen und dem Schriftverkehr von Flötenbauern, wie sich zwei Auffassungen zum Idealbild der Flöte, insbesondere bezüglich des Klangs bildeten: A) die Auffassung, dass die Flöte eine Dis- und eine Es-Klappe haben sollte, oder B) eine Unterscheidung sei nicht notwendig. Die mehrklappige Flöte wurde ursprünglich entwickelt, um den Gabelgriff zu vermeiden. Demgegenüber wurden diese zwei Klappen hinzugefügt, um Halbtöne wie Dis und Es, welche in der Gegenwart als enharmonische Töne angesehen werden, als zwei unterschiedliche Töne spielen zu können.

 Eine wichtige Rolle bei der Entstehung der Flöten mit diesen Klappen spielte Johann Joachim Quantz (1697–1773) in Berlin. Er hat die zweiklappige Flöte mit jeweils einer Dis- und einer Es-Klappe erfunden, als die einklappige Flöte noch Standard war. Quantz hat die Unterscheidung der Halbtöne Dis und Es als Grund für das Hinzufügen der Klappe genannt. Er diskutiert, dass es einen großen Halbton mit einer Erniedrigung um fünf Komma und einen kleinen Halbton mit einer Erhöhung von vier Komma gibt und aus diesem Grund z.B. Dis und Es zu unterscheiden sind1). Nach dem bisherigen Forschungstand wurde jedoch die Quantz'sche Flöte nur am preußischen Hof Friedrichs des Ⅱ. und in dessen Umgebung verwendet und galt bald als veraltet, weshalb daraufhin Klappen nur noch für das Vermeiden von Gabelgriffen hinzugefügt wurden.

 Jedoch haben Johann George Tromlitz (1725–1805) in Leipzig und Justus Johannes Heinrich Ribock (1743–1785), die miteinander in Kontakt standen, ihren Flöten die Quantz sche Klappe hinzugefügt. Ziel war es, die durch den Gabelgriff entstehenden Ungleichmäßigkeiten in Lautstärke und Klang zu beseitigen, sowie

1)Laut Tokawa wird eine Oktave in der von Quantz verwendeten Temperatur in 55 Komma unterteilt (Tokawa 2001). Ein Komma ist somit ein Mikroton und das von Quantz verwendete Komma beträgt 1/9 eines Ganztons. Diese Aufteilung wurde ebenfalls von u. a.

Johann Georg Leopold Mozart (1719–1787) verwendet.

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den großen und den kleinen Halbton als unterschiedliche Töne erzeugen zu können.

 Tromlitz, hauptberuflich Flötist, versuchte durch die Unterscheidung des großen und kleinen Halbtons einen »reinen Klang« zu erzeugen. Vermutlich war im Ensemble die schönere Harmonie ein sehr wichtiges Element. Im Gegensatz zu Tromlitz' Gedanken gab es Flötenbauer, die der Flöte Klappen hinzufügten, um den üblichen Gabelgriff zu vermeiden. Da es zu dieser Zeit viele Flötenliebhaber gab, war die Spielbarkeit unterschiedlicher Tonleitern wohl der Hauptgrund für das Hinzufügen von Klappen.

 Diese Zweiteilung des Idealbilds der Flöte zeigt auf, dass die damalige Musikwelt Sachsens aus zwei Interessengruppen bestand: Spieler, die Wert auf einen sehr feinen, nicht mit Noten ausdrückbaren Klang legten, sowie Spieler, die neue Musik auch in Tongeschlechtern, welche bis dahin als schwierig für einklappige Flöten galten, spielen wollten.

参照

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