弘前大学教育学部紀要 第68号 :47‑57 (1992年10月) Bull.Fac.Educ.HirosakiUniヽ,.68:47‑57 (Oct.1992)
ル ソーの 自然思 想 と
18世紀 オペ ラ
Rousseau'sIdeaofNature andthe18thCenturyOpera
今
井 民 子*
TamikoIMAI
47
論 文 要 旨
18
世紀 オペ ラには,ル ソーの自然思想 を反映 して,宮廷 の虚飾 を批判 し,素朴 な田園生活 を 讃 えるものが少 な くない。本稿 は, ル ソーの 自然思想が1
8世紀 オペ ラに与 えた影響 を検証 した
ものであ る。 まず,彼 の 自然思想 の本質 を主著 の 「 人間不平等起源論」 と 「エ ミール」 に探 り, 和声 を排 し旋律 を重視 す るそのユニー クな音楽論が,彼 の 自然思想 の音楽的適用である ことを 確認 し, その思想 を具体化 したオペ ラ ( 村 の占師) を検討 した。次 に,彼 の田園讃美 のオペ ラ が, フアヴ ァ‑ル を中心 とす るオペ ラ ・コ ミックを経 て, ドイツの ジングシュピールに波及 す
る経緯 を明 らか に した。
Ⅰ. ル ソーの 自然観
ル ソーの 自然への憧慢 とその讃美 には,神へ の信仰 に も近 い熱烈 さがある。「 私 はいつ も水 が 情熱的 に好 きだった。 そ して水 を見 る と, しば しばはっ きりとした対 象 はないのに,快 い夢想 におちい るのである。天気 の よい ときには,起 きる とかな らず高台へか けて行 って,朝 の健康 で新鮮 な空気 を吸 い, あの美 しい湖 の水平線 に眼 をさまよわせ るのであったが, その岸 と周囲 の山々 は,私 の眼 を魅 了す るのであった。 神 に対 す る もっ ともふ さわ しい敬意 は,神 の仕事 を眺 める ことか ら起 こる無言 の讃美以外 にはな く, それ は手 の込 んだや り方で は表現 され ない もの である。壁 と街路 と犯罪 しか眼 に しない都市 の住民 たちが,どうしてほ とん ど信仰 を もたないの か,私 にはわか る。しか し,田舎 の人 たち,とりわ け孤独 な人 たちが, どうして信仰 を持 たず にい られ るのか,私 には理解 で きない。 彼 らの魂 は, その心 を打 つ驚異 の創造者 に対 して,一 日に百 回 も,悦惚 として高揚せず にい られ るであ ろうか
。」 (「 告 白」, ル ソー全集,第
2巻,
P.273)。彼 の浩翰 な思想 の重要 な基盤 となっている自然思想 は,政治,社会思想 として 「 人 間不平等 起源論」 に, また教育思想 として 「エ ミール」 に展開 された。 この代表的 な著書 か ら,彼 の 自 然思想 を探 ってみ よう。
1.
人間不平等起源論
ル ソー は,原初的な未開の 自然社会 を,自由平等 の理想社会 とした。これ は,「もはや存在 せ ず,おそ ら く存在 しなか った し,多分今後 も存在 す る ことはけっしてない」( ル ソー全集,第 9 香,P.
191)ユー トピア として描 かれ る。未開人 は, 「器用で もな く,言葉 もな く,住居 もな く, 戦争 もな く,関係 も結 ばず,同胞 に危害 を加 えることを少 しも望 まないの と同 じように,同胞
*
弘前大学教育学部音楽科教室
DepartmentofMusic,FacultyofEducation,HirosakiUniversity
を必要 とせず に,森 の中をさまよい歩 き」 ( ル ソー全集,第
4巻
,P.228),感情,知識,道徳 も 持 ちあわせ なか った。 この 自然状態 は無知 で野蛮 であるが, 自分 の 自己保存が他人 の 自己保存
を損わない平和 な状態であ る。
やがて,文明の誕生 とともに, この理想社会 は社会的,人為的不平等 の生 じた社会状態へ移 行 す る。第
2部 冒頭 に, 「ある土地 に囲い を して 『これ はおれの ものだ』と最初 に思 いつ き, そ れ を信 じて しまうほ ど単純 な人 々を見つ けた人 こそ,政治社会 の真 の創立者 であった
。」 ( ル ソ ー全集,第
4巻,P.
232)とあるように, この不平等 は土地 の所有 に起 因す る。
しか し,道具 を発見 し,家族単位 の社会が成立 す る初期 の段 階 は,人為 的な道徳 の導入 によ り,本来 の善性 や憐 れみの情 も変質す るが,人間の最 も幸福 な時期 で もあった。そ して冶金 ( ‑ 秩) と農業 (‑小麦) の発明が,富 と権力 の社会悪 を もた らし,人々 は他人 の才智 と敬意 を得 るために,見せか けの 自分 を示す必要が生 じ,「いかめ しい豪華 さ と人 を斯 く策略 と,それ に と もな うあ らゆる悪徳がでて きたのであった
。」( ル ソー全集,第
4巻
,P.243)。ル ソー は1
8世紀 の 当障 を,不平等 の最終段 階 として,特定 の為政者 に人民が隷属 す る専制政治 の時代 と位置づ ける。
ル ソー は 「 不平等起源論」の最後 で, 「 未開人 は自分 自身 のなか に生 きてい るのに,社会人 は いつ も自分 の外 にあ り,他人 の意見 のなかで しか生 きることがで きず」 ( ル ソー全集,第
4巻,
P.262),つ ま り,社会 的不平等 によ り,人 間 は本源的真実 を失 い,「 名誉 も友情 も美徳 も,そ し て しば しば悪徳 まで もが, ついにそれ を自慢 にす る秘訣が見出 され, いっさいが人為的で演技 的 に」 ( ル ソー全集,第
4巻,P.
262)とな るのだ と結 んでい る。
2.
エ ミール
「 不平等起源論」 は, いわ ゆる人類 の系統発生 を扱 い, 「エ ミール」 は個人 の個体発生 を扱 っ た ものである といわれ る。 なぜ な ら 「エ ミール」 は,生 まれなが らの 自然人 であ る子 どもを対 象 とした膨大 な教育 の指針 だか らである。ル ソー は,子 どもの天性 に自然人 の善性 を兄 い出 し て 「 子 どもを愛 しな さい。子 どもの遊 び を,喜 び を, その愛すべ き本能 を助 けなさい。 くちび るにはつね に笑 いが あ り,魂 がつね に平安 であるあの年 ごろに対 して, ときに哀惜 の念 をいだ かない ものがあ ろうか。」と言 う ( ル ソー全集,第
6巻,P.
78)。また 「エ ミール」は,理想 の社 会 を担 うよ き市民 の育成 とい う点で は,「 社会契約論」 に もつなが る。
ル ソー は,当時 の社会 的不平等社会 の教育 は,子 どもか ら内なる自然 を奪 う人為教育 であ る として,消極教育 とい う逆説的表現 を とる。「 初期 の教育 は,だか ら純粋 に消極 的であるべ きで ある。 それ は,徳 や真理 を教 える ことにあ るので はな く,心 を悪徳か ら,精神 を誤謬か ら保護 す ることにあ る
。あなたが たが, なにひ とつせず, なにひ とつ させ ないです ませ るな ら, あな たが たの生徒 を,右手 と左手 とを区別 す ることもで きない まま,十二歳 まで健康 で丈夫 に導 い てゆけるな ら, あなたが たの授業 の一時間めか ら,彼 の悟性 の眼 は理性 に向か ってひ らかれ る であ ろう
。」( ル ソー全集,第
6巻,P.
102)。例 えば幼児 の病気 は,頑健 な肉体 をつ くるための 自 然 の試練 として,「自然 を観察せ よ, そ して, 自然が あなたが たの描 いて くれ る道 に従 え。」 と とかれ る ( ル ソー全集,第
6巻,P.
32)。 ル ソーによって,子 どもは短小化 した大人 とは異 なる 独 自の存在 として とらえ られた ことにな る。
ル ソーの教育 は
3つに分類 され る。即 ち,( 1 ) 自然人 としての人 間が もつ能力,器官 の内部 的
発達 を促 す 自然 による教育 ,( 2) 外部 の事物 の経験 を通 して,人間の感覚 を陶冶す る事実 による
教育 ,( 3) 人間 による知育,道徳 の教育 であ る。 これ らは矛盾す ることな く行 われ るべ きだが,
ル ソーの 自然思想 と18世紀 オペ ラ 49
この うち人間の力が及ぶの は
(2),(3)のみで
,(2)はほんのわずかに限 られ,全 く人間が支配す る ( 3) も行 き過 ぎた干渉 を戒 めている 。( 2) の事物 の教育 は,言葉 によらない実物教育 を強調 した と
ころに特色がある。
「 人生 のそれぞれの時期,それぞれの状態 には,それ に適合 した完成があ り,それに成熟があ る
。」 ( ル ソー全集,第 6巻,P. 2 04)とす るル ソーの教育 プランは,嬰児期 か ら青年 に至 る人間 の発達段 階 を
5つに分 けて体 系的に構成 され るが,更 に次 の
3つに整理 され る。即 ち,( 1 ) 快, 不快 だけを区別す る純粋 に感覚的段階 ,( 2) 有用性 を基準 にして生活への適否 を判断す る感覚的 理性 ( ‑子 どもの理性)の段階 と,最後 の ( 3) 辛,不幸や善悪 を識別 す る知的理性 (‑大人 の理 性)の段階である。 これ らは,先 のル ソーの掲 げる
3つの種類 の教育 と対応 され,純粋 の感覚
は自然か ら,感覚的理性 は事物か ら,知的理性 は人間か ら各々得 られ るのである。
ル ソーに特有 の情念 の教育 の源 となる自己愛 と自尊心 は,知的理性 によって よい方向に導か れ る。 これ らは更 に,他人 と苦 しみを共 にす る憐れみの情 を育成 し,やがて市民社会 を成立 さ せ る人間愛 と美徳 につなが ってい く。「 私 たちが私 たち と同 じ人間に愛着 をもつのは,彼 らの楽 しみにひかれ るか らで はな く,彼 らの苦 しみにひかれ るか らなのだ。苦 しみの うちに,私 たち はいっそうよ く私 たち人間の同一性 を, そ して私 たちに対 す る彼 らの愛着 の保証 を見 るか らで ある
。」( ル ソー全集,第 6巻,P. 29 9) 。身分 にかかわ りな く,あ らゆる人間に課せ られた死 の苦 しみ は,人間の平等 の認識 となる。青年が異性 に懐 く感情 は, この ような人間愛 と同質の友情 に近 い ものであ り,決 して放縦 な恋愛感情 で はない。( ル ソーの田園オペ ラの恋人 たちには,彼 の理想 とす る恋愛観が反映 されている) 。 そして究極的 に この人間愛 は,全人類 の幸福 を願 い, 正義 を愛す る徳へ と昇化 され, 自然児エ ミール はよき市民 として完成す るのである。
ⅠⅠ
村の占師
(Ledevinduvillage) 1.テーマ
ル ソーの自然思想 を具現 したのが, まさに彼 のオペ ラ ( 村 の占師)であった
。1752年, フォ ンテ ンブローの離宮で初演 された このささやかな幕間劇 は,国王 はじめ宮廷 の絶大 な人気 を得 て,翌年パ リのオペ ラ座 で も上演 された。作 曲家 としてのル ソーの名 を高めることになった こ の作品 は, フランスのオペ ラ ・コ ミックの重要な先駆 け となった。
物語 は,愛 し合 う村 の羊飼 いの娘 コレッ トと若者 コランの間 に生 じた小 さないさかいを,村 の占師が うま くおさめるとい う単純 な ものだが,ル ソーの自然讃美の思想が強 く反映 されてい る。彼が 自ら書 いた リブレッ トの中で,田園の素朴 な生活 と真実の愛 を高 らかに歌 ったコラン のロマ ンス ( 第
8場) は, その典型 といえよう。
ぼ くの薄暗 いあば ら屋 には いつ も新 しい気苦労がある。
風, 日光, あるい は寒気, いつ も苦労や仕事がつづ く。
コレッ ト,ぼ くの羊飼 い娘 よ,
もしきみが住 んで くれ るな ら,
コランは自分の嚢ぶ き屋で,
なにひ とつ悔 む ことはない。
野良や牧場 か ら
毎夕立 ち戻 って くる と,
い としさは毎晩募 るばか りだ ろう, きみの姿 を もういち ど見 るたびに。
野原 の中で,
日が沈 んでい く前 に,
ぼ くは自分 の苦労 を慰 めることだ ろう, ぼ くたちの愛 をたたえて歌 いなが ら
。( ル ソー全集,第
11 巻,
P.206‑ 7)また, このオペ ラには宮廷人 は全 く登場 しないが,都市 や宮廷 の欺 隔性,富 や権力 の虚 しさ への言及 も同時 に認 め られ る。 ここに, コレッ トのア リア ( 第
2場) を挙 げてお こう
。町の粋 な紳士がたの 話 を私 が聞いてた ら,
ああ . /たやすか ったで しょうに, ほかの恋人 たちを作 るのが . /
立派 な姫君 とな り,
毎 日人 目を若 いて るで しょう。
リボンや レースで
身 を飾 って る ことで しょう。 ( 後略) ( ル ソー全集,第
11 巻,
P.290)2.
構成
全 曲を構成 す るものの中で, イタ リア序 曲以外 の,終 曲の合唱,舞 曲, ヴォ‑ ドヴ イル ・フ ィナー レ といわれ る,各登場人物 が順 に歌 う有節 のエール は, フランスオペ ラの伝統 とい える。
海老沢氏 は, 田園劇 の趣 向 もフランスの牧歌劇 「 パ ス トラル」 の流れ を くむ ものだ としてい る が,庶民的 なル ソーの田園オペ ラは,貴族趣味 のパ ス トラル とはや は り異質 な ものがある。
ル ソー独 自のアイデアが窺 えるのは,終 曲のデ ィヴェルテ イスマ ンである。 これ は, い くつ かの短 い舞 曲 を伴 って,従来 のバ レエで はな く,オペ ラのテーマ (ここで は,邪悪 な廷 臣が村 の恋人達 の仲 をさこうとす るが,
2人 はこれ に見事打 ち勝 つ) を暗示す る黙劇 が演ぜ られ る も のである。 この手法 はその後,「メロ ドラマ」とい う台詞 と演技 と器楽伴奏 によるオペ ラの特異 な形式 に発展 し, ル ソーの晩年 のオペ ラ くどグマ リオ ン) に結実す る。
3.
音楽
(1)
ル ソーの音楽論
オペ ラ く 村 の占師) は, ル ソーのユニー クな音楽思想 を提起 した実験作 ともい えるが,彼 の
音楽論 とは どの ような ものであ ろうか。 この作品が, ブフォ ン論争 の さなかに書かれた ことは
よ く知 られてい る
。ブフォ ン論争 とは
,1752年, イタ リアの巡業劇 団がパ リで初 めてオペ ラ ・
/レソーの 自然思想 と18世紀 オペ ラ 51
ブ ッフアを上演 したのを契機 に起 った, フランスオペ ラ とイタ リアオペ ラの優劣 をめ ぐる論争 である。 リュ リー以来の, フランス伝統 の貴族的で荘重な悲歌劇 (トラジェデ ィ ・リリック) を擁護する一派 と,庶民的で軽快 なイタ リアオペ ラを支持す る一派が鋭 く対立 し,ル ソー は百 科全書派 の人々 とともにイタ リア派 の旗手 と目された。彼 は 「フランス音楽 に関す る手紙」 を 著 し,双方のオペ ラの本質的な相違 を理論的 に解明 し,フランス派の筆頭者,ラモーを批判 した。
彼 は音楽 の構成要素 を,旋律 また は歌,和声 また は伴奏, テンポ または指節 とし, この うち 音楽の魂 である旋律 を最 も重視 した。旋律 の良 し悪 Lを決定す るの は言語で, フランス音楽が 美 し くないの は, フランス語が母音 に輝 きがな く,子音がかた く頻繁 にあ らわれ る非音楽的な 言語であるためであ り,一方, イタ リア語 は,響 き豊かな母音が多 く,語調が あ り, アクセ ン トが明確で最 も旋律 にふ さわ しい。 そのため,旋律が優美で力強 いイタ リア音楽 は,単純 な和 声 の支 えで十分 だが, フランス音楽 は,旋律 の欠如 を人工的,作為的な和声で補わ ざるを得な い とす る。
旋律 と和声 との関係 は,ル ソーの「 旋律 の純一性」とい う概念で明確 にされ る。「ある曲が人々 の関心 をよび起 こす もの となるには, その曲が,魂 にひ き起 こしたい と望む感情 をそれに もた らす には,全部 の声部が主題 の表現 を強化すべ く協力す ることが必要です。和声が主題 を もっ と力づ よい ものにす るのにだけ役立 つ ことが必要です。伴奏が主題 をおおいか くす ことも,変 形 して しまうこともな しに, それ を美 し くす ることが必要です。‑‑要す るに,全体 のア ンサ ンブルが,同時 には,耳 には一つだけの旋律 を,精神 には一つだけの想念 を もた らす ことが必 要なのです
。」 ( ル ソー全集,第
12巻,
P.377‑78)。
この旋律 を唯一絶対 の もの とす る考 えは,バ ロック初期 の,言葉 の情緒表現 を目的 とす るモ ノデ ィーの成立事情 と重 な り合 う
。実際ル ソー は模倣 を否定 し,異 なる歌詞 を同時 に歌 うア ン サ ンブルには消極的で,短 い交互唱形式 の二重唱 だけに限定 している。和声 は,付随的想念 の 表現 も可能であ り,全 く無視 はで きないが, その使用 は選択眼 と識別力 によ り抑制すべ きだ と す る。ル ソー は,完全 5度 の和音 を 2つの 3度 の積重ねで表現す るのは, 5度固有 の効果が弱 まるとい う理 由で和音 の省略 を唱 えるのだが, ここで はツアル リーノ以来,和声理論 の中心で あった
5度 の
3和音 の重要性 は全 く無視 されている。
次 に 「 言語起源論」で は,旋律 と和声 の発生論的相違が考察 され る。即 ち,言語 には人間の 情熱か ら発 し,想像力 を喚起 し,感情 を伝達す る詩的音楽的言語 と,単 なる観念の伝達 の必要
か ら生 じた道具的言語 の
2つがあ り,旋律 は前者 に,和声 は後者 に対応 され る
。「 旋律 は声の調子 を写 しだす ことで,嘆 きとか,苦 しみや喜びの叫び とか,脅 しとか,うめ き とか を表現 している。声 にあ らわれて くる情念 の しるLが,旋律 の領分 なのである。旋律 は, 諸言語 の抑制 を写 し,魂 の動 きに応 じたそれぞれの独 自な言い まわ しを写 しだす。 いやたんに 写すので はな く, それ 自身が語 るのであ り,分節 されていないが, い きい さとして激 しく,情 熱的なその言語 は,話 し言葉 よ りも百倍 も力 に満 ちている
。人 の心 に訴 える音楽的写生 の力 は,
そ こか ら生 まれ,感 じやすい心 を とらえる歌 の魅力 は, そ こか ら生 まれて くる
。」 ( ル ソー全集, 第
11 巻,
P.367)一方,「 和声の美 しさは,慣習的に受 けつがれている もので しかな く,訓練 を受 けていない耳
には, まった くといっていいほ ど快 く響 かない。和声 を感 じた り,味わ った りす るためには,
長 いあいだの慣れが必要 なのだ。私 たちの協和音 も,粗野 な耳 には雑音 としか聞 こえない。 自
然の均整が くずれた ところに, 自然の快 さが存在 しな くて も驚 くにあた らないだろう
。」 ( ル ソ
‑全集,第
11 巻,P.
366)旋律 は自然 に根 ざす原初的な もの,和声 は慣習 に基づ く人為的な もの と定義 され る。 ル ソー は音楽 の歴史 を,旋律がかつての生命力 を失 うにつれてポ リフォニーが発生 し,ついには和声 が旋律 を征服 す る過程 である と解釈す る。旋律が平等な自然状態の,和声が不平等な文明の産 物 であるな らば,彼 の旋律重視 は自然への回帰 に他 な らない。近代和声学 の金字塔 ともなった ラモーの和声論 は,倍音現象 とい う自然科学 の原理 に基づ くものであったに もかかわ らず,ル ソー はこれ を街学的な知識 として大胆 に批判 した。 自然思想 を適用 した彼 の音楽論 は,論理 の 稚拙 さは否 めない として も極 めてユニー クな もので,独学で音楽 を学 んだ彼 だけに可能 な もの であった といえよう。
( 2) 村 の占師
次 に ( 村 の占師)の楽 曲の特徴 について検討 してみ よう。 ここで は意外 に も, あれ ほ どル ソ ーを魅了 したイタ リアオペ ラの特徴 である,流麗で技巧的なア リア と華やかなアンサ ンブル は 陰 をひそめ,創作 の重点 はレシタティー フ と素朴 なエールにおかれている。
例 えば第
6場 のコレッ トとコランが再開す る場面 の楽器伴奏付 きレシタティー フには,頻繁 な拍子 の変化があ らわれ, フランス語 の抑揚 を生か した旋律 の工夫が窺 える( 楽譜 1) 。 この詩 と音楽への特別 な配慮 は
,17世紀以来 のフランスオペ ラの伝統で もあ り, フランス語 とフラン スオペ ラをあれ ほ ど酷評 しなが らも,ル ソーが フランスの伝統 を何 らかの創作 の基盤 にしてい た ことを物語 っている。
楽譜 1
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ル ソーの 自然思想 と18世紀 オペ ラ 53
一方, エール は単純,素朴 な民謡風 の ものが多 い。第 1場 の冒頭,恋人 の心変 りを気遣 うコ レッ トのエール はその代表 であ ろう ( 楽譜
2) 。 因みに黙劇 の はじめの村娘入場 の器楽 曲 は ( 莱 譜
3),その後,変奏 曲の主題 や讃美歌 となって欧米 に広 く流布 し,日本 で も,明治期 の唱歌(見 わたせ ば) に取 り入れ られ,今 日の (むすんでひ らいて) となった。 ( 海老沢,ル ソー と音楽,
『むすんでひ らいて』論) 。彼 の音楽が これ ほ ど多 くの人 に歌 い継 がれ たの も,彼 の旋律 の もつ 普遍的 な親 しみやす さであ り, それ は彼 の理想 で もあった とい えるだろう。
楽譜
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世紀 オペ ラへの波及
1. オペ ラ ・コ ミックへの影響
18
世紀 のオペ ラ・コ ミックの母体 は,中世以来行われて きた定期市 の見せ物芸 で
,Theatrede laFoireと呼 ばれ る
。その拠点 は,
ST.Germanと
St.Laurantの
2つで,本来 はヴォ‑ ドヴ
イル と会話,踊 りな どを混 えた粗野 な笑劇 であったが,次第 に形 を整 えて
,1715年以来
,Opさra‑Comigue
の名 を掲 げるようになった。 当初 は,劇作家
A.R.LeSage (1668‑1747)らによる 正歌劇 のパ ロデ ィを主 な漬 し物 としたが, その人気 は正統 派 の
ComEdie‑Franeaiseを脅 か し て, 当局 よ りしば しば厳 しい上演制限 を受 けるほ どだった。 その際の上演方法 は,台詞 と歌 は 一切禁止 され, ポスターや プラカー ドを使 った黙劇
(Comediesparecritaux)だけが許 され る
とい うものだった。
1752
年, イタ リアの巡行劇 団が ( 奥様女 中
(Servapadorona))をはじめ とす るオペ ラ ・ブ
ッフアをパ リで上演 したのを きっか けに, ブフォン論争が 白熱化 し,同年上演 されたル ソーの
( 村 の占師) を皮切 りに, オペ ラ ・コ ミックは本格 的 な確立,完成 の時期 を迎 えた。劇作家 に
Favart
夫妻,J
.H.Sedaine,L Anseaume, 作 曲家 に
E.Dun主,P.A.Monsigny,F.A.Philidor,
A.‑E.‑M.Gretryらが輩 出 し,オペ ラ・コ ミックの代表作 が多数生 まれ たが, この中 には,既成 のヴォ‑ ドヴ イルやア リアを集 めた, いわゆるパ ステ イツチ ョも含 まれ る。
とりわ けフアヴ ァ‑ル夫妻 の もの は,一世 を風廃 し, フアヴ ァ‑ル夫人 は,作家 として活躍 しただ けでな く,純真 な ヒロイ ンを自ら演 じて人 々 を魅了 した といわれ る
。夫妻 の作品 は, フ ランス国外 の ヨー ロ ッパ各 国で愛好 され,多 くの翻案上演 が行 われ た.表 1は,彼 らの
3つの 代衷作,( 仙女 ウル ジェル
(FeeUrgele))(宮廷 のニネ ッ ト
(Ninettealacour))(アネ ッ ト
とルパ ン
(AnnetteetLubin))( 前
2作 はフアヴ ァ‑ル氏,最後 の はフアヴ ァ‑ル夫人 の作) の各国の翻案作品 を示 した ものである。
く 表
1) ファヴ ァール作 品の ヨー ロッパ各国‑の波及
作 品
国名
Fee Ninette】 ̀ l
Annetteイ ギ リ ス
・TheChristmasTale ・TheCapriciousI
〔呂ibGd:nrr
ic 墓台本 〕
Love( R
.rLlsoyd台本)
London,1733 London,1764
ド イ ツ
・DieFeeUrgele,oder ・DerVerliebte ・LukasundHannchen WasdenDamen Eigensinn, 〔 誌Eschenburg〕
gefallt oderNannelbey
】 Berlin,1789
I ( C
Gr.Laz.Re,17ul67ing訳) マ リオネ ッ ト劇 ・ L a FeeUr g
ele ・DiHofeBauee rinnbey・他 に
DasBaueMadcStDiBaueの作 曲の ものに
17ut7ege4tが ある
A,Sacgarrheiadenn,Prnam Hoft,1rln‑tec7hi71aguenie, ,
・LaciVenc(P.AnfneiViontzliita,1aadios7nas7i5
音楽)
・LaViVeL2.ne.BBlzlllanelPa,1arndj7hnlar8
三喜歪 〕
3apitaル ソーの自然思想 と18世 紀 オペ ラ 55
1750,60
年代 のオペ ラ ・コ ミックには,ル ソーの自然思想 を基調 とした ものが少 な くない。
中で もフアヴァ‑ルの く宮廷 のこネ ッ ト
)(V.Ciampiの原作 に基づ くパ ロディ)には,宮廷 の 虚飾 と欺隔性‑の批判 と田園讃美の思想が特 に詳細 に言及 されている。
結婚式 を翌 日に控 えた幸福 な村娘 を,領主が言葉巧 みに城 に連れ帰 るが,勇敢 な若者 は無事 娘 を取 りもどす とい う筋立 ての中で,村娘 の城での様々な体験 を通 して,宮廷 の欺隔性が暴か れてい く。娘 は待女達 に宮廷風 の身支度 を整 えて もらうが, その窮屈 な衣装 と美 しい装飾品や 化粧 は,彼女 を幻滅 させ るだけであった し,廷 臣は彼女 に,宮廷風 の立居振舞 いか ら処生術 に 至 るまで細 か く指南 し,扇 は人 に気づかれず に他人 を窺 う格好 の道具であ り, またはっ きりし た物言 いは避 けるように ととくのである。そ して結局娘 は,憧れの宮廷 のあ らゆるものは
"1'art"とい う擬物 で,田園の本質である
"nature"こそ貴 いのだ と認識す る。
例 えば,人工 は自然 を模倣す ることがで きると確信す る待女 に,娘 は,宮廷 を支配す るすべ ての もの は人工 で,絵画の ような美 しさや勾 わない花 は偽物 だ と反論す る (
2幕
1場) 。
Ninette
Maisj'appercoisdesfleurs.ellesnesententrien.
Dorine
L'artscaitimiterlaNature Ninette
Dejajem'appereoI● ヽSaVOuSparlersansfard
,
Qu'icil'onnedoitrienqu'al'artLaBeauten'estqu'unepelnture Jusqu'auxfleurs.toutestimposture
また最後 には自身の敗北 を認 め,恋人達 を祝福 す る領主 は,宮廷人 として誇 りを保 ち,田園 の素朴 な愛 も素敵 だが, 自然 を損 うことな く,人工 によって培われた愛 こそ自分 にはふ さわ し いのだ と,許婚 の伯爵令嬢 を伴侶 とす る (
2幕
16場)。
LePrince
Ilestdouxd'etreaimed'uncoeurdansl'innocence Ouinedoitsesattraitsqu'alasimplicite
Maisauseindesgrandeursuncoeursansimposture Quel'artacultivesansnuirea1anature
Estd'unprixbienpluscherpourmafelicite
そ して,村娘が糸紡 ぎに とりかか ろうと, 冒頭 で歌 う田園讃歌 のア リアに,ル ソーの理想 は 集約 されている ( 1 幕 1場)。
Ninette
Travaillonsdeboncourage LafraicheurDecetombrage
Ladouceardeceramage Nousdonnecoearal'ouvrage Presdel'objetqulm'attendrit Jefileamerveille
Quandlafatiguem'assouprit L'Amourmereveille
2.
ジングシュピールへの影響
ジンブシュピールの創始者である
J.A.ヒラーの作品の多 くは,ル ソーの自然讃美 をテーマ と す るオペ ラ・コ ミック と強い関連 を もち,特 に(宮廷 のロッテェン
(Lottchenam Hofe))(1767)は ( 宮廷 のニネ ッ ト) を,(田舎 の恋
(DieLiebeaufdem Lande))(1768)は (アネ ッ トとル パ ン)及 び
(鈴
(LaClochette))( アンソーム作) を各々直接 の下敷 きとして書かれてい る。
Ch
r
.F.Weiβeの戯 曲が,オペ ラ ・コ ミックの韻文 に対 し散文 で書かれ,幕や場が筋 の展開 に従 って細 か く区分 され,分 り易い構成 になっている点 を除 くと,登場人物,筋 の運 び は原作 とほ とん ど同 じである。特 に (ロッテェン) と (ニネ ッ ト)で は,台詞や歌詞 は相互 に類似す るものが少 な くな く, とりわ け作品のテーマの宮廷の
"Kunst(
‑1'art)Mと田園の
"Natur(‑
nature)"
に関する,やや抽象的 な内容 の箇所 で は, ヴ ァイセ は原作 をほぼ忠実 に模倣 してい る。例 えば領主が女性 の化粧 について,「 人工が凱歌 を上 げる玉座」であ り,人 は 「自然 のライ バルである化粧 ブラシの心地 よい欺 Lで」青春の華や ぎを取 りもどすのだ と語 る台詞の部分 を 比較 してみ よう (
2作 とも
1幕
4場) 。
(ロツチェン)
AstolphEinKostbarerSchatz,derdeinem Geschlechtevonjedem Alterdieglanzendendsten Vortheileverschafft.EsisteinThron,wodiekunsttriumphieret,einAlter,womanden Grazienopfert:einMittel,dasdieverfloβnenZeitenwiederzuruckbringt.Durchdas glucklicheWundereinerSchwinkedecktmandieFurchenderJahrezu,unddurcheinen angenehmenBetrugweisderPinsel,einNebenbuhlerderNatur,dieBltiteeinesjugentli‑ chenGesichtswiederhervorzubringen.
(ニネ ッ ト)
AstolpheUntresorprecieux
,
Dontlesexedanstousles畠ges
,
Tiredebrillonsavantages:Descouleursduplaisironranimesontein
,
Etlepinceaurivaldelanature,
Faiteclorelafleurd'unvisageenfantin.
ヴァイセの表現 は, フアヴ ァ‑ルに比べて,やや説明的で冗長である といえよう。ル ソーの
ル ソーの 自然思想 と18世紀 オペ ラ 57
素 朴 な 田 園 オペ ラ は, プ アヴ ァ‑ ル らに よ るオペ ラ ・コ ミックに受 け継 が れ て見 事 に開花 し, ドイ ツの ジ ンブ シ ュ ピー ル に も多大 の影 響 を与 えた の で あ る
。参考文献
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