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南アジア研究 第23号 007書評・広瀬 崇子「近藤則夫(編)『インド民主主義体制のゆくえ―挑戦と変容―』」

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近藤則夫(編)

『インド民主主義体制のゆくえ

─挑戦と変容─』

千葉:日本貿易機構(ジェトロ)アジア経済研究所、2009年、410頁、5000円+税、 ISBN: 978-4-258-04580-8

広瀬崇子

書 評 本書はさまざまな局面からインド民主主義体制の問題点およびそれ らを克服していく状況を分析した研究書である。編者は、「まえがき」に おいて「インドの民主主義は逆風にさらされながらさまざまな面で軋み をあげて、いわば『無理』をして存続してきた体制」であるとみなし、 「軋みをあげてもなお適応進化してきたインド民主主義の現状」の分析 を目的として本書をまとめたとしている。そして、インドの民主主義が、 最終的に「個々の局面での場当たり的な対応であるかもしれないがその 累積的効果はおそらく無視できない」ものであり、「問題を抱えつつも民 主主義体制はより深化していくであろう」との見通しを示している。以 下各章の概要を紹介し、若干のコメントを加えたい。 編者による序章「民主主義体制のゆくえ─挑戦と変容─」は、「試練 に敏感に反応して体制に適用能力を与える」のは政党であるとして、政 党制の変容を追っている。まず、インド政治は独立当初のエリート政治 から「より『大衆』に近い人々が政治の表舞台に進出」してきた点を強 調し、それを「土着化」と呼ぶ。そして、こうしたより多くの階層や集 団の政治的要求に対応すべく、インドの民主主義体制は単に選挙と議会 の活動に限定されることなく、様々な局面での変容を通して包括性を拡 大してきたとし、本書に集められた諸局面における試練とそれへの対応 を氏独自の見方で紹介している。さらに、今後の問題として、多数派、 特に新中間層の反発としてのヒンドゥー・ナショナリズムの顕在化と、依 然として疎外されている層の存在、特にナクサライトの問題の二つが深 刻であるとする。この序章はインドの民主主義体制の進化と深化を包括 的に理解する枠組みを提示したものである。 第1章の佐藤宏「インドの民主主義と連邦下院議会」は、近年のイン ド民主政治の研究が過度に選挙分析に偏っている点を批判し、民主政治

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にとって重要なもう一つの側面、すなわち議会の機能に焦点をあてて分 析している。第7次(1980

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84)から第12次(1998

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98)の連邦下院事 務局報告書をもとに、会期の日数や討論に費やされる時間を計算して、 以前と比べると日数も時間も大幅に減少しており、しかも議会は立法、予 算、質問の3大議事を中核とする討論の場から、一変して対決と空転の 様相を強め、討論の場としての議会の機能は大幅に低下したと結論して いる。氏ならではの緻密な計算と解析は評価できるが、議論の内容には ほとんど触れておらず、果たして民主主義という問題を討論に費やされ た時間を基準にして評価してよいものかという疑問は残る。 労組の問題を扱った太田仁志「組織化趨勢でみる労働組合の代表性 と労働運動の動態─インド労働組合の政治経済論─」は、2008年に公 表された中央労働組合組織(CTUO)の調査結果を利用して、労働組 合の組織規模、代表性、影響力の動態を分析している。それによれば、 インドの労働組合の組織化自体は拡大しているものの、国民会議派の退 潮に伴い、伝統的な会議派およびその影響下にあるインド国民労働組合 会議(INTUC)の影響力が低下し、組合の細分化、複数化が進んで いる。また経済自由化の進展に伴い国家の労使関係への関与が減少して いる。こうした状況の中、主要政党の系列で全国レベルにまとめ上げた 各ナショナルセンターは、農業部門を含む非組織部門での組織化に活路 を見出そうとしているという。また労働に関連する領域そのものも拡大 し、個々の声を拾って制度的経路に乗せようとする傾向が生まれてい る。さらに、政労使以外の主体の相対的プレゼンスも拡大しつつあり、 「労使に関連する領域でのインドの多元主義における基本構図の再編の 進行をみることができる」と結論している。近年の政治・経済の変化に よって労働組合の組織化の動向が変化しつつある姿が浮き彫りにされ ていて興味深い。しかし、主眼はあくまで労働の組織化にあり、労働争 議の内容などには言及していない。労働組合と政党や政治そのものとの 関係が薄れる中で、細分化、複雑化する労働組合がインド民主主義に とってどのような意味を持つことになるのか、労組がインド社会の問題 を解決するためにどのような役割を果たすのか、著者の見解をより鮮明 に示してほしかった。 浅野宣之「公益訴訟の展開と憲法解釈からみるインド司法の現在─そ の他後進階級にかかわるタークル判決をもとに─」は司法の側から、民

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主主義の問題に正面から取り組んでいて、論旨は明快である。その他の 後進諸階級(OBC)に対する教育機関への入学枠の留保を私立の教育 機関でも可能とする第93次憲法改正および「2006年中央教育機関(入 学における留保)法」の合憲性をめぐる「タークル判決」を吟味してい る。著者はまず公益訴訟の歴史を振り返り、1970年代後半に始まった公 益訴訟は、当初は弱者の権利を保護するために使われたが、近年、環境 問題や政治家の汚職問題などの社会全体の利益追求にも利用されるよ うに対象とする事項が拡大してきている点を指摘する。その上で、本訴 訟に関して、憲法修正が議会の憲法修正権限が及ばない「憲法の基本 構造」、すなわち「法の前の平等」原則を侵害しているか否かをめぐる 議論を紹介している。さらに政府の政策決定や議会の立法に対する司法 の介入、それへの政府の対応といった過程にまで踏み込んでいる。社会 の変化に伴う公益訴訟そのものの持つ意味の変化、政治と司法の関係な ど、示唆するところが多い論文である。 続く森日出樹「インドにおける草の根民主主義と開発政治─カルナー タカ州と西ベンガル州でのパンチャーヤトにおける住民参加の事例か ら─」は、著者が行った現地調査に基づく両州の比較研究である。パン チャーヤト政治が比較的早くから発達している両州の実態が紹介され るが、特にパンチャーヤト制度がよりよく機能しているとされる西ベン ガル州で住民が直接的に意思決定へ参加する村民会議の内容は興味深 い。村落会議の主な議題は、突き詰めれば、政府が出す「貧困削減プロ グラム」の事業リスト化、およびそこでの優先順位の決定になっている という著者の観察は、今後の草の根民主主義の課題を浮き彫りにしてい ると言えるだろう。ただ、著者は開発の成果と民主主義には正の関係が あると述べているが、この仮説自体は実証されてはおらず、印象論の域 を出ていない。 第5章、三輪博樹「インドにおける政党政治と地域主義─テランガー ナ州創設運動を事例として─」は、インドの政党システムの変化と新た な州創設要求(サブ・リージョナリズム)の動きの関係を明らかにする ことを目的としている。ここでの焦点はアーンドラ・プラデーシュ(A P)州のテランガーナ運動である。1960年代後半に高まった運動は、そ の後運動の担い手であったテランガーナ人民会議(TPS)が会議派と 合併することになり、新州創設運動に参加した人々を裏切る結果になっ

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た。これに対し2000年以降に再び盛り上がった運動は現在まで継続し ているが、著者は、その差はAP州における政党制の変化が最大の要因 としている。州政治が会議派の1党優位体制から2大政党制に変化した ことにより、第3党としてのテランガーナ民族会議(TRS)の重要度 が増し、同政党の存続が可能となったという説明である。全国および州 の政党システムの変化とサブ・リージョナリズム運動の関係性という論 点は明快であるが、議論がやや政党間の駆け引きの問題に終始してし まっている。新州創設がインド社会において何を意味するのか、さらに はそれと民主主義の発達とはどのような関係があるのか、といった問題 の説明がほしかった。 井上恭子「憲法第6付則を通してみるインド北東地方─多民族地域に おける差別的保護政策の問題─」は、インド北東地方における指定部族 への保護政策の問題を、憲法第6付則に焦点を当てて検討している。同 憲法規定は、地域および対象となる少数民族を特定し、そこに一定の自 治権を付与するというもので、差別的保護措置を是とする前提に立って いる。当然のことながら、同付則の適用外地域や保護の対象外民族など から不満が噴出し、紛争の火種になっている。その中で、同論文は2003 年に同付則に追加されたボドランド領域県の事例を分析し、同付則が差 別的であること、さらに経済開発や地方自治への参加などの分野ではパ ンチャーヤト制度のもとで住民が享受する特権にはるかに劣るといった 問題点をあげ、憲法第6付則に内在する不平等の問題を指摘している。 少数民族の生活向上や政治参加をどのように達成するかは、今後のイン ド政治にとって非常に重要な課題である。その問題に対する国家の取り 組みの根本問題を議論した本論文は、インド民主主義を考察する上で、 きわめて重要な問題を提起していると言えよう。 編者である近藤則夫「インドにおけるヒンドゥー・ナショナリズムの 展開─州政治とコミュナル運動─」はヒンドゥー・ナショナリズムの研 究である。ヒンドゥー・ナショナリズムの高まりとコミュナル暴動の間 に密接な正の関係があるとみなした著者は、マハーラーシュトラ、グジャ ラート、ウッタル・プラデーシュの3州を中心に、コミュナル暴動が起 こる政治的要因を比較分析している。結論的には、政党の関与がコミュ ナル暴動の大きな要因となり、その際各州の政党制のあり方、政権党の 種類によって「暴動」の有無や規模は大きく変わるとしている。同論文

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の持つ意味は、この結論そのものよりも、おそらく社会構造が複雑なイ ンドの民主主義の発展にとって、多数派であるヒンドゥーによるナショ ナリズムの強制や他者の排除が最大の問題となるととらえている筆者 の問題意識にあると考える方がよいだろう。しかし、性質はやや異なる が、2008年のムンバイ・テロのあと、ヒンドゥー・ムスリムの対立や社 会の亀裂をきらった選挙民がヒンドゥー・ナショナリスト政党を敬遠す る傾向が強まった事実に鑑みるならば、インド国民のバランス感覚をも う少し信じてもいいのではないかと考える。 伊豆山真理「インドのテロ対策法制─個人の権利、コミュニティ間の 政治、国家安全保障─」は、9

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11同時多発テロ後にインドで導入された テロ防止法(POTA)をめぐる「個人の権利」対「国家安全保障」と いう問題を論じたものである。インドのテロ対策法の歴史を紹介したあ と、著者はPOTAの成立、同法をめぐる議論、運用上の問題点、そし て廃止に至る経緯を、主要政党の見解を紹介しながら分析している。結 論として、インドの場合には個人よりコミュニティの利益が重要となり、 POTAに関してはヒンドゥー・ムスリムの両コミュニティ間の対立、問 題解決のための法執行機関への依存という状況下で、少数派であるムス リムの利益が「限りなく国家安全保障に従属することになっていく」と している。さらにPOTAによる自由権侵害が、「法に内在する欠陥では なく、法執行機関の濫用に起因すると解されていること」がインドの特 徴であるとし、まさに政治の問題であると結論している。今や多くの国 に共有されているテロ問題が、インドにおいてはコミュナル問題として とらえられ、ムスリムの不信感の緩和、中立な法執行機関の育成が今後 重要になるとしている。個人の権利と国家の安全保障という普遍的な問 題がインドでどのような形で現れるかを強調した論文で、興味深い。 最終章の中溝和弥「暴力革命と議会政治─インドにおけるナクサライ ト運動の展開─」は、「民主主義は、社会経済的解放を実現できるだろ うか」という問いかけから始まり、その可能性を否定し暴力革命による 実現をめざすナクサライト運動の経緯を追っている。著者は、40年にお よぶナクサライト運動の存続はインド民主制の機能不全を映す鏡と言 えるが、実際にはその間に運動の変化が起こっており、「なかでも重要 な変化は、(ナクサライト・グループの中から武力闘争を放棄し─評者) 議会制に参加する一大勢力が出現したことである」と述べている。そし

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てナクサライトが議会制に参加した条件を検証し、「暴力革命路線から 議会闘争路線への転換を促す政策的処方箋を書く」ことが本論文の目的 としている。ナクサライトの流れをくむ諸グループの中で、1980年代か ら「解放派」が議会闘争路線に転じたビハール州の例と、暴力革命路線 を一貫して固守し2004年に「毛派」を結成するアーンドラ・プラデー シュ(AP)州を比較しているが、著者によれば、両者の違いは、州内 の「民主化」、すなわち「後進カーストによる下剋上」が起こったか否 かにあるという。それが起こったのがビハール州で、社会の底辺の人間 の政治参加の道が開けたことによって、武力闘争を放棄するに至った。 他方、AP州では、会議派の一党優位体制が崩壊し二大政党制へと移行 したものの、その政治変動は上位カースト・地主支配の崩壊をともなわ ず、「民主化」は起こらなかった。そのため民主制に対する信頼が低い まま、暴力革命路線が持続したという。ナクサライト運動内部に光を当 てた研究として新味は感じられるが、やや乱暴な議論であるとの感は否 めない。著者のいう「民主化」とは単に下剋上を意味するのか。議員の 出身カーストによってのみ「民主化」「民主制」の度合いを測れるのか。 下位カースト出身者が議員になったから、ビハールの貧困問題、すなわ ちナクサライトが提起した根本問題は解決したのか。しないならば、民 主政治は何のためにあるのか、といった様々な疑問が起きてくる。本論 文は確かに一つの視点を提供しているし、著者の意気込みも伝わってく る。その点は大いに評価できる。しかし、本書全体のテーマでもある民 主主義そのものをどうとらえるかを根本から問う必要があろう。 以上、各章の紹介をしてきた。最後に本書全体が語るところを考察し てみたい。冒頭でも述べたように、本書は民主主義の問題を単に選挙、 議会、政党といった政治の表舞台のみを扱ったのではなく、地方自治や 少数民族問題といういわば下からの問題提起を加え、さらには司法、労 働といった側面からのアプローチもなされている。また、テロといった 普遍的に共有されている問題をインドの民主主義にからめて論じたも のもある。インド民主主義をこれほど幅広く論じた著作はこれまでにな かったし、また9人のインド研究者が集まってこそそれが可能になった と考える。その意味で、研究会を組織し、本書を一つの枠組みでまとめ た編者の労力と能力には惜しみない拍手を送りたい。 その上で、若干のコメントと今後の課題を提起したい。コーリー(

Atul

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Kohli

)の議論を待つまでもなく、インドの民主主義の制度的確立と独立 以来60年余りにわたる民主政治の存続については内外で高い評価があ る。またその間に民主政治の担い手が上位カーストを中心としたエリー トから農民や下位カーストなどへと徐々に移ってきたことは本書の多く の論者が指摘している点でもある。それは、より幅広い国民の代表とい う意味で明らかに民主主義の発展につながる。本書もほぼこの枠内で書 かれている。つまり、本書は民主主義の枠組みの研究が主流を占めてい ると言ってよいだろう。しかし、問題はこのインドの民主主義が何をも たらしたかである。インドが誇る民主政治はインド国民に何をもたらし たか。民主政治にもかかわらず、依然として貧困問題が解消せず、格差 も是正されず、弱者の社会経済的状況が厳しいのはなぜか、という疑問 が起こる。本書でもいくつかの論文はインド政治にとって経済開発の遅 れが重大な課題であることを指摘している。それを会議派の衰退の原因 とみるもの、地方自治での住民参加がその問題を解く大きなカギになる とみなすものなど、随所に言及はある。しかし、正面からこの問題に向 き合った論文はない。 インドの民主政治と経済発展が直接的に結びつかず、かつ研究として もその問題を正面から扱ったものがあまりないことの一つの原因は、イ ンドの民主主義がこの社会の根本問題を回避する形で展開されてきた ことにあるのではないだろうか。インド政治そのものが、アイデンティ ティ政治という形で選挙民の注意を別の方向に向けたり、留保問題とし てコミュニティ単位での権利の問題として扱ったりしてきた。その結果、 低カーストや弱者とみなされていた層の政界進出はある程度実現して いるが、それが他方で、コミュニティ内部の格差を広げてきたことも否 定できない。そして研究者もこれまではほぼこの政治動向に沿って研究 を進めてきている。インド政治の現状を肯定そして称賛することを大前 提とした研究は、パラダイム転換を困難にする。 現在インド経済は目覚ましい成長を遂げつつある。しかし、この大変 化とみられる動きは、必ずしも政治的要因によって導かれたものではな い。むしろ、政治がインド経済の足を引っ張ってきたとさえ言える。グ ローバリゼーションの時代に、インド政治のしがらみから解放された、イ ンド外に経済活動の本拠を置く経済勢力がインドの経済発展を支えて いる。在外インド人の活動がインドの経済発展に大きく寄与しているわ

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けである。グローバリゼーションが進行する中で、守旧性の強いインド 政治が逆に体質変換を迫られていると言っても過言ではない。昨今の汚 職問題はその一例であるし、また州の権限の強化も経済自由化やグロー バリゼーションと無関係ではない。今後インドの政治体制が、インド外 の動きの渦の中で、民主政治の中身をどう変えていくかのきめ細かい分 析が必要とされよう。 ひろせ たかこ ●専修大学法学部教授

参照

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