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Vol.66 , No.2(2018)019進藤 浩司「国際日本文化研究センター図書館蔵の「五臓六腑図」について」

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Academic year: 2021

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印度學佛敎學硏究第六十六巻第二号   平成三〇年三月 一一〇

国際日本文化研究センター図書館蔵の

﹁五臓六腑図﹂

について

はじめに

﹁解 剖 図﹂ ﹁内 景 図﹂ ﹁五 臓 六 腑 図﹂ な ど と 仮 称 さ れ る 一 群 の史料がある。十六世紀初頭にはあったと思われるが、成立 の経緯もよく分かっていな い 1 。それらの史料も、それぞれの 特徴によって分類が可能と思われるが、本研究でとりあげる 史料をはじめ一群の史料の特徴は、医学的知見と宗教的知見 の 融 合 が 濃 厚 で あ る こ と で あ る。 そ の 基 本 的 構 成 は、 阿 字 ︵五 色 阿 字︶ と 五 輪 塔、 人 体 ︵仏 像 上 半 身︶ 、 五 臓 図、 各 臓 器、 脊髄、人体の構成要素をその関係性に従って線で結んだもの である。 本研究では、類似の史料から、国際日本文化センター図書 館所蔵の﹁五臓六腑図﹂と呼称される一軸の史 料 2 を取り上げ たい。製作年代や製作地に関しては不明であるが、紙質は新 しいように見受けられる。伝写されたものかもしれない。同 史料をもちいる理由は、その詞書の多さと内容にある。付さ れている詞書の多くが、真言立川流の思想的影響を受けてい るといわれる﹃三賢一致書﹄の一節と一致することを見出し た。 詞 書 は、 ﹃三 賢 一 致 書﹄ か ら の 引 用 で 成 り 立 っ て い る 部 分と、それ以外の部分︱おそらくは本史料の全体を作成した 作 成 者 が 付 け 加 え た ︱ と に 分 か た れ る よ う で あ る。 ﹃三 賢 一 致書﹄との一致は、同種の史料の成立や、作成者の立場、医 療と宗教の関係について、一定の示唆を含む。

  ﹁五臓六腑図﹂

の構成と内容

﹁五 臓 六 腑 図﹂ は 図 と 詞 書 で 構 成 さ れ る。 順 を 追 っ て、 本 図の内容を確認したい。便宜上、番号を付した。①最初に五 臓 六 腑 の 名 称 を あ げ る。 総 説 に あ た る。 ② 次 に、 ﹁脉 次 第﹂ として、梶原性全﹃頓医抄﹄を引き、左右の手の図と文を用 いて、脉の位置、取り方を示す。ここには﹁私云﹂として男 女 の 脉 の 相 違 に つ い て 考 察 を 挟 む が 本 図 の 作 成 者 の 詞 で あ ろ

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一一一 国際日本文化研究センター図書館蔵の﹁五臓六腑図﹂について︵進   藤︶ う か 。 ③ そ の 次 に は 、 ﹁ 赤 白 之 二 ツ 相 堅 ク 、五 色 之 阿 字 成 テ 、 月 水 留 テ 其 形 水 ノ 如 シ ﹂ と し、 こ れ よ り 胎 内 に お け る 十 ヶ 月 の 様 子 が 述 べ ら れ る 。 こ こ は、 後 に 検 討 す る よ う に ﹃ 三 賢 一 致 書 ﹄ の 文 を 簡 略 化 し て い る 3 。 ④ 次 に 、 大 易 ・ 大 初・ 大 始・ 大 素・ 大 極 の 五 運 に つ い て 説 明 す る 。 ま た ﹁ 仏 法 ニ ハ 本 覚 ノ 真 如﹂ と い い、 ﹁神 道 ニ ハ 国 常 立 尊 ト 号 ス ﹂ と い う 。 こ れ も 、﹃ 三 賢 一 致 書 ﹄ か ら の 引 用 で あ る が 、 本 史 料 の 後 の 段 ︵ ⑪ ︶ に も 同 文 が 引 か れ る。 ⑤ こ の 後、 阿 字 が 描 か れ る。 阿 字 は、 五 色 阿 字 と 呼 ば れ る も の で あ り、阿字を五画に分け、五色に彩色されている。阿字の五色 は、五輪塔の各所とそれぞれ線で結ばれる。また、さらにそ の 横 の 仏 頭 図 の 顔 面 に お け る 目 や 鼻 、 口 へ と 線 が 結 ば れ る 。 仏 頭 図 下 の 詞 書 も 、﹃ 三 賢 一 致 書 ﹄ の 一 節 と ほ ぼ 一 致 し て お り 、 こ こ で は 、 た と え ば﹁須 弥 山 ニ 九 山 八 海 有 リ 。 自 分 ニ 全 躰 ニ 具 ル 也﹂などと述べ、人体と須弥山世界の一致が説かれる。⑥次 に、一つ目の五臓図が示される。この五臓図は、杏雨書屋所 蔵の﹁解剖図﹂所載の図とよく類似す る 4 。ここの詞書も﹃三 賢 一 致 書﹄ か ら 引 用 さ れ た も の か。 ⑦ 次 に 脊 髄 の 図 が 示 さ れ、内臓からの線が結ばれている。⑧そして、鼻や舌、目な ど肉体の構成要素が脊髄から伸びた線と繋がれる。線で繋が れ る 各 要 素 は こ こ で 終 わ る 。 ⑨ そ の 次 に 、﹁ 凡 ソ 案 ス ル 五 臓 血 脉 如 形 図 之 。 嗚 呼 医 王 之 本 誓、 成 徒 事 悲、 志 於 ヲ 奉 仕 天 運 ニ 、 十 二 神 将 之 哀 病 悩 之 上 位 下 賎 之 族、 施 焉 而 已﹂ と、 作 成 者 ら し き 人 物 の 志 が 述 べ ら れ る 。 本 史 料 の 作 者 は 、 医 王 ︵ 薬 師 如 来 ︶ へ の 信 仰 と と も に 、 五 臓 六 腑 の 形 態 な ど 医 事 的 知 識 を 役 立 て よ う と す る 志 を 持 つ 。 ⑩ 次 に、 後 に 付 さ れ た も の で あ ろ う か、背面からみたと思われる五臓図が描かれ、図に対して注 記 さ れ る。 こ こ に は﹃五 臓 論﹄ ︵ 者 不 詳︶ が 引 か れ る。 ⑪ 最 後 に は 長 い 詞 書 が 付 さ れ る 。 五 臓 と 六 腑 の 対 応関 係 を も う 一 度 ま と め た 後 、 そ の 後 は ほ ぼ﹃三 賢 一 致 書﹄ か ら の 転 載 で 成 り 立 つ。 こ の 部 分 は、 ﹃三 賢 一 致 書﹄ の 主 題 と も な る 部 分 で 国際日本文化研究センター図書館蔵「五臓六腑図」(部分)

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一一二 国際日本文化研究センター図書館蔵の﹁五臓六腑図﹂について︵進   藤︶ あ る。 ま ず、 天 地 が 分 か れ る 以 前 は、 無 形 無 名 無 始 無 終 で あ っ た と い い 、 空 々 寂 々 、 法 性 常 住 で あ っ た な ど と 述 べ る 。 次に、天地は現れていない段階を大易というとし、五運には 大 易 ・ 大 初 ・ 大 始 ・ 大 素 ・ 大 極 が あ る と い い 、 そ の 定 義 を す る 。 そ し て 、 易 の 一 易 と 神 道 の 国 常 立 尊、 仏 教 の 空 王 古 仏 と は 内 容 を 同 じ に す る も の で あ る と 示 さ れ る。 そ れ は 天 台 で は、 本 覚 真 如 と い い、 華 厳 法 相 で は 昆 流 沙 覇 ︵誤 写 か。 ﹃三 賢 一 致 書﹄ で は 毘 盧 遮 那︶ と い い、 真 言 で は 無 相 本 有 の 大 日 と い う と し、 浄 土 で は 一 発 句 ︵﹃ 三 賢 一 致 書 ﹄ で は 一 法 句 ︶ と し 、 弥 陀 実 知 で あ る と い い、 ま た、 禅 律 に お い て は 聖 指 第 一 義 ︵﹃ 三 賢 一 致書 ﹄ で は 聖 諦第 一 義 ︶ な ど と 名 付 け る と い う 。 そ し て 、 こ れ を夫婦の縁にかたどり、まずは明星を例に取り、日は陽で あ り 父、 月 は 陰 で あ り 母 で あ る と し、 易 で は 日 は 陽 で あ り 男、月は陰であり女であって、それが儒道であるといい、神 道では女は月、男は日、合して明神というといい、愛染明王 の 愛 は 日 で あ り、 染 は 月 で あ り、 男 女 な の だ と す る。 ま た、 陽神は伊弉冉尊、陰神は伊弉冉尊とする。次に、八卦の定義 を行い、また阿弥陀の三字を生・長・死に宛て、最後にもう 一度、懐胎十月のうちの出産部分を記して終わる。以上が詞 書を中心とした ﹁五臓六腑図﹂ の概要である。

  ﹃三賢一致書﹄

からの引用・一致について

前 節 で﹁五 臓 六 腑 図﹂ に ﹃三 賢 一 致 書﹄ か ら 多 く の 引 用 が な さ れ て い る こ と を 述 べ た。 ﹃三 賢 一 致 書﹄ は、 書 物 自 体 の 伝 え る と こ ろ に よ る と、 文 保 元 年 ︵一 三 一 七︶ に 臨 済 宗 大 徳 寺 の 僧 大 龍 が ま と め た と す る 5 。 し か し 慶 安 二 年 ︵一 六 四 九︶ の 刊 本をはじめ、出版年の分かるものとしては数種の刊本が伝え られるが、成立や流伝に関してはよく分かっていない。同書 は 禅 の 思 想 と と も に、 密 教 的 懐 胎 説 を 述 べ、 ﹁五 臓 六 腑 図﹂ における懐胎説とも関連が深いと考えられる。 ﹁五臓六腑図﹂ で は、 前 節 の ③ に 触 れ た よ う に、 懐 胎 十 月 の 説 が 述 べ ら れ る。 赤白之二 ツ 相堅 ク 、五色之阿字成 テ 、月水留 テ 其形水月 ノ 如シ。二月 ニ ハ 米 ノ 糊 ノ 如 シ。 三 月 ニ ハ 、 耳 頭 出 来 ル。 左 右 ノ 肩 ハ 大 日 也。 四 月 ニ ハ 頭 ト 形 ト 足 出 来 タ ル。 五 月 ニ ハ 、 六 根 委 ク 具 ハ ル。 是 ヨ リ 六 道 初 ル。 六 月 母 胎 而 五 輪 五 躰、 母 胎 内 ニ テ 、 七 月 ニ ハ 四 肢 弥 具 ハ ル。 八 月 ニ ハ 円 満 ノ 月 ノ 如 シ。 小 児 ノ 四 法、 明 月 ノ 如 シ。 是 レ ヲ 明 ト 云 也。 九 月 ニ ハ 胎 内 ニ テ 五 躰 薄 日 羅 ト 云 テ 、 両 手 ニ 印 浩 ︵カ︶ 、 口 ニ ハ 阿 呼 ノ 二 字 ヲ 含 ミ 生 身 仏 躰 ナ リ。 十 月 ニ ハ 胎 内 ヨ リ 直 下 サ マ ニ 生 レ 下 ル 所 ハ 八 万 四 千 ノ 地 獄 ノ 最 初 也。是 レヲ 牛頭没、馬頭カヘルト云フ。牛頭 ハ 父也、馬頭 ハ 母也。 省 略 さ れ て い る 箇 所 も 多 い が、 ﹃三 賢 一 致 書﹄ の も と の 形 は、 た と え ば 一 月 で は、 ﹁ 又 い わ く、 ち ゝ は ゝ の 赤 白 の 二 の

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一一三 国際日本文化研究センター図書館蔵の﹁五臓六腑図﹂について︵進   藤︶ した ゝ り、相かたまりて五色の阿字とな つ て、月水と ゞ まり て 、 一 七 日 め に お い て、 そ の か た ち 水 月 の 如 し ﹂ ︵五 二 四 頁。 傍 線 部 は﹁五 臓 六 腑 図﹂ と の 一 致 箇 所︶ で あ り、 三 月 で は﹁ 三 月 め に は 、 そ の か た ち 母 胎 に あ っ て、 三 古 の か た ち の ご と し。 両 の み ヽ と 頭 と 出 来 な り 。 ︵中 略︶ 三 月 め よ り は 、 母 胎 に し て、 左右のかたたかく、両部の大日のかたちを、おこしあら は す な り ﹂ ︵五 二 六 頁︶ 、 五 月 で は﹁ 五 月 め に は、 六 根 こ と 〳 〵 くそなわる。これより六道はじまるなり 。五七日めに、地 蔵を本尊としとてもちゆることは、地とは大地なり、蔵とは 天 な り﹂ ︵五 二 八 頁︶ 、 七 月 で は﹁ 七 月 め に は 、 母 の 胎 内 に て 泰山の樹さかゆるがごとく、 四肢いよいよそなわる 。母胎を 浄 瑠 璃 世 界 と い ふ な り﹂ ︵五 二 九 頁︶ 、 十 月 で は﹁ 十 月 め に、 母胎よりまつ さ かさまにうまれおつるところは、八萬四千の 地 獄 の さ い し ょ な り。 こ れ を 牛 頭 没 し、 馬 頭 回 る と い ふ な り。 牛 頭 と い ふ は 父 な り。 馬 頭 と い ふ は 母 な り ﹂ ︵五 三 一 頁︶ となっている。十月のようにほぼ一致する月もあれば、二月 ︵提 示 せ ず︶ の よ う に 若 干 省 略 が 大 き く、 異 本 の 可 能 性 を 疑 わ せる月もあるが、全体としては明確に﹃三賢一致書﹄からの 引用関係が認められ、もともとの文では胎内十月における人 体を仏具に喩えたり、該当の仏を定義する記述であったこと が分かる。詞書は省略的であるために不明瞭であるが、仏教 色の濃い懐胎説である。前節⑩引用の﹃五臓論﹄にも十月懐 胎説は説かれるが、仏教的要素の強い﹃三賢一致書﹄からの 引用を行っている。 こ の 引 用 は、 ﹁五 色 之 阿 字﹂ を 人 体 の 最 初 と し て 展 開 す る が、 ﹁五 臓 六 腑 図﹂ の 図 が 五 色 の 阿 字 を 基 盤 と し て 人 体 の 構 成を描くことと合致した内容となっている。両方とも同一の 思想的背景を持つ可能性があるのである。五色阿字について は、 真 言 立 川 流 に 用 い ら れ る も の と い う が 6 、﹃三 賢 一 致 書﹄ は立川流の影響を受けたとは思われるものの、作者の大龍は 臨済宗の僧であり、懐胎説においても、すぐさま立川流の影 響をのみ断定することは難しい。しかし、五色阿字に立脚す る医事的知見の使用から、立川流の影響を含む広い範囲の密 教信仰を持ちつつ、医療行為を行う僧がいた可能性を示すで あろうと思われる。本史料の詞書作成者も、薬師如来への信 仰を持って医療を行う自覚を述べる。

おわりに

図 に 関 し て は、 阿 字 は 五 色 阿 字 と 呼 ば れ る も の で あ る こ と、また詞書の多くの部分が﹃三賢一致書﹄からの引用で成 り立っていることが判明した。五色阿字の説明として、その 特殊な阿字を思想的に支える懐胎説を引いていることも明ら かとなった。五色阿字は、真言立川流で用いられたといわれ るが、史料の思想的背景を限定的に定めることは現時点では

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一一四 国際日本文化研究センター図書館蔵の﹁五臓六腑図﹂について︵進   藤︶ できない。しかし、五臓図を支えた思想の一斑として、真言 宗の影響を受け、医療を行う宗教者の存在を想定できるであ ろう。 1   長 野︵二 〇 〇 一︶ 、 一 四 八 ︱ 一 四 九 頁 に は、 杏 雨 書 屋 な ど、 一 五 五 七 年 著 述 と さ れ る 五 臓 図 史 料︵ ﹃医 家 秘 方﹄ 解 剖 図︶ な ど が 紹 介 さ れ、 ﹁五 臓 六 腑 図﹂ と 同 じ く、 五 色 阿 字 が 描 か れ る。 ほ ぼ 同 じ 構 成 を 持 つ 史 料 で あ る。 関 連 す る 史 料 を 概 観 し た 論 文 には遠藤・中村︵二〇〇六︶ がある ︵一五〇︱一五一頁︶ 。 2   宗 田 文 庫。 画 像 は、 同 セ ン タ ー 公 開 デ ー タ ベ ー ス で 閲 覧 で き る 。 http :// sky .nic hib un.ac .jp /nbk_out/ sodList.do?param=detail&formI d =1&seq=1 ︵最終閲覧日二〇一八年二月一〇日︶ 。 3   本 稿 に お け る ﹃ 三 賢 一 致 書 ﹄ テ キ ス ト は 、 鷲 尾 編 ︵ 一 九 六 九 ︶ よ り の 引 用。 ﹁五 臓 六 腑 図﹂ 詞 書 と 一 致 す る﹃三 賢 一 致 書﹄ の 該 当 頁 を 示 す と、 以 下 の 通 り。 ③ 五 二 四 ︱ 五 三 一 頁。 ④ 五 〇 五 頁。 ⑤ 五 三 三 頁。 ⑥ 五 三 五 頁。 ⑪ 五 〇 五 ︱ 五 〇 七、 五 二 一 ︱ 五 二 三 頁、 五 三 一 頁。 ﹃三 賢 一 致 書﹄ の 成 立 に 関 し て は、 中 村 ︵一九九〇︶ 、三〇頁他を参照。 4   注 1に同じ。 5   これも確定はしない。山下︵一九九四︶ 、一〇一頁を参照。 6   水原︵一九二三︶ 、六六︱七八頁等を参照。 7   鷲尾編︵ 一九九六︶ 、五一一︱五一二頁他。 ︵参考文献︶ ︿一次文献﹀ ﹁五 臓 六 腑 図﹂ 国 際 日 本 文 化 研 究 セ ン タ ー 図 書 館 蔵・ 宗 田 文 庫、 登録番号〇〇二四八四一四五 鷲尾順敬編﹃日本闘諍史料﹄第五巻、名著刊行会、一九九六 ︿二次文献﹀ 遠 藤 次 郎・ 中 村 輝 子﹁ 五 輪 砕 の 検 討﹂ ﹃日 本 医 史 学 雑 誌﹄ 第 五二巻第一号、二〇〇六 長野仁﹁杏雨書屋の鍼書﹂ ﹃杏雨﹄第四号、二〇〇一 中 村 一 基﹁ 胎 内 十 月 の 図 の 思 想 史 的 展 開﹂ ﹃岩 手 大 学 教 育 学 部 研究年報﹄第五〇巻第一号、一九九〇 水原堯榮﹃邪教立川流の研究﹄全正舎書籍部、一九二三 山 下 巳﹁大 阪 府 立 中 之 島 図 書 館 石 崎 文 庫 蔵 写 本三 賢 一 致 之 書 に つ い て   附 翻 刻﹂ ﹃東 京 成 徳 短 期 大 学 紀 要﹄ 第 二 七 号、 一九九四 ︿キーワード﹀ ﹃三賢一致書﹄ 、真言立川流、仏教医学、僧医 ︵愛知学院大学非常勤講師・博士 ︵学術︶ ︶

図 に 関 し て は、 阿 字 は 五 色 阿 字 と 呼 ば れ る も の で あ る こと、また詞書の多くの部分が﹃三賢一致書﹄からの引用で成り立っていることが判明した。五色阿字の説明として、その特殊な阿字を思想的に支える懐胎説を引いていることも明らかとなった。五色阿字は、真言立川流で用いられたといわれるが、史料の思想的背景を限定的に定めることは現時点では

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