印度學佛敎學硏究第六十六巻第二号 平成三〇年三月 一一〇
国際日本文化研究センター図書館蔵の
﹁五臓六腑図﹂
について
進
藤
浩
司
一
はじめに
﹁解 剖 図﹂ ﹁内 景 図﹂ ﹁五 臓 六 腑 図﹂ な ど と 仮 称 さ れ る 一 群 の史料がある。十六世紀初頭にはあったと思われるが、成立 の経緯もよく分かっていな い 1 。それらの史料も、それぞれの 特徴によって分類が可能と思われるが、本研究でとりあげる 史料をはじめ一群の史料の特徴は、医学的知見と宗教的知見 の 融 合 が 濃 厚 で あ る こ と で あ る。 そ の 基 本 的 構 成 は、 阿 字 ︵五 色 阿 字︶ と 五 輪 塔、 人 体 ︵仏 像 上 半 身︶ 、 五 臓 図、 各 臓 器、 脊髄、人体の構成要素をその関係性に従って線で結んだもの である。 本研究では、類似の史料から、国際日本文化センター図書 館所蔵の﹁五臓六腑図﹂と呼称される一軸の史 料 2 を取り上げ たい。製作年代や製作地に関しては不明であるが、紙質は新 しいように見受けられる。伝写されたものかもしれない。同 史料をもちいる理由は、その詞書の多さと内容にある。付さ れている詞書の多くが、真言立川流の思想的影響を受けてい るといわれる﹃三賢一致書﹄の一節と一致することを見出し た。 詞 書 は、 ﹃三 賢 一 致 書﹄ か ら の 引 用 で 成 り 立 っ て い る 部 分と、それ以外の部分︱おそらくは本史料の全体を作成した 作 成 者 が 付 け 加 え た ︱ と に 分 か た れ る よ う で あ る。 ﹃三 賢 一 致書﹄との一致は、同種の史料の成立や、作成者の立場、医 療と宗教の関係について、一定の示唆を含む。二
﹁五臓六腑図﹂
の構成と内容
﹁五 臓 六 腑 図﹂ は 図 と 詞 書 で 構 成 さ れ る。 順 を 追 っ て、 本 図の内容を確認したい。便宜上、番号を付した。①最初に五 臓 六 腑 の 名 称 を あ げ る。 総 説 に あ た る。 ② 次 に、 ﹁脉 次 第﹂ として、梶原性全﹃頓医抄﹄を引き、左右の手の図と文を用 いて、脉の位置、取り方を示す。ここには﹁私云﹂として男 女 の 脉 の 相 違 に つ い て 考 察 を 挟 む が 本 図 の 作 成 者 の 詞 で あ ろ一一一 国際日本文化研究センター図書館蔵の﹁五臓六腑図﹂について︵進 藤︶ う か 。 ③ そ の 次 に は 、 ﹁ 赤 白 之 二 ツ 相 堅 ク 、五 色 之 阿 字 成 テ 、 月 水 留 テ 其 形 水 ノ 如 シ ﹂ と し、 こ れ よ り 胎 内 に お け る 十 ヶ 月 の 様 子 が 述 べ ら れ る 。 こ こ は、 後 に 検 討 す る よ う に ﹃ 三 賢 一 致 書 ﹄ の 文 を 簡 略 化 し て い る 3 。 ④ 次 に 、 大 易 ・ 大 初・ 大 始・ 大 素・ 大 極 の 五 運 に つ い て 説 明 す る 。 ま た ﹁ 仏 法 ニ ハ 本 覚 ノ 真 如﹂ と い い、 ﹁神 道 ニ ハ 国 常 立 尊 ト 号 ス ﹂ と い う 。 こ れ も 、﹃ 三 賢 一 致 書 ﹄ か ら の 引 用 で あ る が 、 本 史 料 の 後 の 段 ︵ ⑪ ︶ に も 同 文 が 引 か れ る。 ⑤ こ の 後、 阿 字 が 描 か れ る。 阿 字 は、 五 色 阿 字 と 呼 ば れ る も の で あ り、阿字を五画に分け、五色に彩色されている。阿字の五色 は、五輪塔の各所とそれぞれ線で結ばれる。また、さらにそ の 横 の 仏 頭 図 の 顔 面 に お け る 目 や 鼻 、 口 へ と 線 が 結 ば れ る 。 仏 頭 図 下 の 詞 書 も 、﹃ 三 賢 一 致 書 ﹄ の 一 節 と ほ ぼ 一 致 し て お り 、 こ こ で は 、 た と え ば﹁須 弥 山 ニ 九 山 八 海 有 リ 。 自 分 ニ 全 躰 ニ 具 ル 也﹂などと述べ、人体と須弥山世界の一致が説かれる。⑥次 に、一つ目の五臓図が示される。この五臓図は、杏雨書屋所 蔵の﹁解剖図﹂所載の図とよく類似す る 4 。ここの詞書も﹃三 賢 一 致 書﹄ か ら 引 用 さ れ た も の か。 ⑦ 次 に 脊 髄 の 図 が 示 さ れ、内臓からの線が結ばれている。⑧そして、鼻や舌、目な ど肉体の構成要素が脊髄から伸びた線と繋がれる。線で繋が れ る 各 要 素 は こ こ で 終 わ る 。 ⑨ そ の 次 に 、﹁ 凡 ソ 案 ス ル 五 臓 血 脉 如 形 図 之 。 嗚 呼 医 王 之 本 誓、 成 徒 事 悲、 志 於 ヲ 奉 仕 天 運 ニ 、 十 二 神 将 之 哀 病 悩 之 上 位 下 賎 之 族、 施 焉 而 已﹂ と、 作 成 者 ら し き 人 物 の 志 が 述 べ ら れ る 。 本 史 料 の 作 者 は 、 医 王 ︵ 薬 師 如 来 ︶ へ の 信 仰 と と も に 、 五 臓 六 腑 の 形 態 な ど 医 事 的 知 識 を 役 立 て よ う と す る 志 を 持 つ 。 ⑩ 次 に、 後 に 付 さ れ た も の で あ ろ う か、背面からみたと思われる五臓図が描かれ、図に対して注 記 さ れ る。 こ こ に は﹃五 臓 論﹄ ︵ 者 不 詳︶ が 引 か れ る。 ⑪ 最 後 に は 長 い 詞 書 が 付 さ れ る 。 五 臓 と 六 腑 の 対 応関 係 を も う 一 度 ま と め た 後 、 そ の 後 は ほ ぼ﹃三 賢 一 致 書﹄ か ら の 転 載 で 成 り 立 つ。 こ の 部 分 は、 ﹃三 賢 一 致 書﹄ の 主 題 と も な る 部 分 で 国際日本文化研究センター図書館蔵「五臓六腑図」(部分)
一一二 国際日本文化研究センター図書館蔵の﹁五臓六腑図﹂について︵進 藤︶ あ る。 ま ず、 天 地 が 分 か れ る 以 前 は、 無 形 無 名 無 始 無 終 で あ っ た と い い 、 空 々 寂 々 、 法 性 常 住 で あ っ た な ど と 述 べ る 。 次に、天地は現れていない段階を大易というとし、五運には 大 易 ・ 大 初 ・ 大 始 ・ 大 素 ・ 大 極 が あ る と い い 、 そ の 定 義 を す る 。 そ し て 、 易 の 一 易 と 神 道 の 国 常 立 尊、 仏 教 の 空 王 古 仏 と は 内 容 を 同 じ に す る も の で あ る と 示 さ れ る。 そ れ は 天 台 で は、 本 覚 真 如 と い い、 華 厳 法 相 で は 昆 流 沙 覇 ︵誤 写 か。 ﹃三 賢 一 致 書﹄ で は 毘 盧 遮 那︶ と い い、 真 言 で は 無 相 本 有 の 大 日 と い う と し、 浄 土 で は 一 発 句 ︵﹃ 三 賢 一 致 書 ﹄ で は 一 法 句 ︶ と し 、 弥 陀 実 知 で あ る と い い、 ま た、 禅 律 に お い て は 聖 指 第 一 義 ︵﹃ 三 賢 一 致書 ﹄ で は 聖 諦第 一 義 ︶ な ど と 名 付 け る と い う 。 そ し て 、 こ れ を夫婦の縁にかたどり、まずは明星を例に取り、日は陽で あ り 父、 月 は 陰 で あ り 母 で あ る と し、 易 で は 日 は 陽 で あ り 男、月は陰であり女であって、それが儒道であるといい、神 道では女は月、男は日、合して明神というといい、愛染明王 の 愛 は 日 で あ り、 染 は 月 で あ り、 男 女 な の だ と す る。 ま た、 陽神は伊弉冉尊、陰神は伊弉冉尊とする。次に、八卦の定義 を行い、また阿弥陀の三字を生・長・死に宛て、最後にもう 一度、懐胎十月のうちの出産部分を記して終わる。以上が詞 書を中心とした ﹁五臓六腑図﹂ の概要である。
三
﹃三賢一致書﹄
からの引用・一致について
前 節 で﹁五 臓 六 腑 図﹂ に ﹃三 賢 一 致 書﹄ か ら 多 く の 引 用 が な さ れ て い る こ と を 述 べ た。 ﹃三 賢 一 致 書﹄ は、 書 物 自 体 の 伝 え る と こ ろ に よ る と、 文 保 元 年 ︵一 三 一 七︶ に 臨 済 宗 大 徳 寺 の 僧 大 龍 が ま と め た と す る 5 。 し か し 慶 安 二 年 ︵一 六 四 九︶ の 刊 本をはじめ、出版年の分かるものとしては数種の刊本が伝え られるが、成立や流伝に関してはよく分かっていない。同書 は 禅 の 思 想 と と も に、 密 教 的 懐 胎 説 を 述 べ、 ﹁五 臓 六 腑 図﹂ における懐胎説とも関連が深いと考えられる。 ﹁五臓六腑図﹂ で は、 前 節 の ③ に 触 れ た よ う に、 懐 胎 十 月 の 説 が 述 べ ら れ る。 赤白之二 ツ 相堅 ク 、五色之阿字成 テ 、月水留 テ 其形水月 ノ 如シ。二月 ニ ハ 米 ノ 糊 ノ 如 シ。 三 月 ニ ハ 、 耳 頭 出 来 ル。 左 右 ノ 肩 ハ 大 日 也。 四 月 ニ ハ 頭 ト 形 ト 足 出 来 タ ル。 五 月 ニ ハ 、 六 根 委 ク 具 ハ ル。 是 ヨ リ 六 道 初 ル。 六 月 母 胎 而 五 輪 五 躰、 母 胎 内 ニ テ 、 七 月 ニ ハ 四 肢 弥 具 ハ ル。 八 月 ニ ハ 円 満 ノ 月 ノ 如 シ。 小 児 ノ 四 法、 明 月 ノ 如 シ。 是 レ ヲ 明 ト 云 也。 九 月 ニ ハ 胎 内 ニ テ 五 躰 薄 日 羅 ト 云 テ 、 両 手 ニ 印 浩 ︵カ︶ 、 口 ニ ハ 阿 呼 ノ 二 字 ヲ 含 ミ 生 身 仏 躰 ナ リ。 十 月 ニ ハ 胎 内 ヨ リ 直 下 サ マ ニ 生 レ 下 ル 所 ハ 八 万 四 千 ノ 地 獄 ノ 最 初 也。是 レヲ 牛頭没、馬頭カヘルト云フ。牛頭 ハ 父也、馬頭 ハ 母也。 省 略 さ れ て い る 箇 所 も 多 い が、 ﹃三 賢 一 致 書﹄ の も と の 形 は、 た と え ば 一 月 で は、 ﹁ 又 い わ く、 ち ゝ は ゝ の 赤 白 の 二 の一一三 国際日本文化研究センター図書館蔵の﹁五臓六腑図﹂について︵進 藤︶ した ゝ り、相かたまりて五色の阿字とな つ て、月水と ゞ まり て 、 一 七 日 め に お い て、 そ の か た ち 水 月 の 如 し ﹂ ︵五 二 四 頁。 傍 線 部 は﹁五 臓 六 腑 図﹂ と の 一 致 箇 所︶ で あ り、 三 月 で は﹁ 三 月 め に は 、 そ の か た ち 母 胎 に あ っ て、 三 古 の か た ち の ご と し。 両 の み ヽ と 頭 と 出 来 な り 。 ︵中 略︶ 三 月 め よ り は 、 母 胎 に し て、 左右のかたたかく、両部の大日のかたちを、おこしあら は す な り ﹂ ︵五 二 六 頁︶ 、 五 月 で は﹁ 五 月 め に は、 六 根 こ と 〳 〵 くそなわる。これより六道はじまるなり 。五七日めに、地 蔵を本尊としとてもちゆることは、地とは大地なり、蔵とは 天 な り﹂ ︵五 二 八 頁︶ 、 七 月 で は﹁ 七 月 め に は 、 母 の 胎 内 に て 泰山の樹さかゆるがごとく、 四肢いよいよそなわる 。母胎を 浄 瑠 璃 世 界 と い ふ な り﹂ ︵五 二 九 頁︶ 、 十 月 で は﹁ 十 月 め に、 母胎よりまつ さ かさまにうまれおつるところは、八萬四千の 地 獄 の さ い し ょ な り。 こ れ を 牛 頭 没 し、 馬 頭 回 る と い ふ な り。 牛 頭 と い ふ は 父 な り。 馬 頭 と い ふ は 母 な り ﹂ ︵五 三 一 頁︶ となっている。十月のようにほぼ一致する月もあれば、二月 ︵提 示 せ ず︶ の よ う に 若 干 省 略 が 大 き く、 異 本 の 可 能 性 を 疑 わ せる月もあるが、全体としては明確に﹃三賢一致書﹄からの 引用関係が認められ、もともとの文では胎内十月における人 体を仏具に喩えたり、該当の仏を定義する記述であったこと が分かる。詞書は省略的であるために不明瞭であるが、仏教 色の濃い懐胎説である。前節⑩引用の﹃五臓論﹄にも十月懐 胎説は説かれるが、仏教的要素の強い﹃三賢一致書﹄からの 引用を行っている。 こ の 引 用 は、 ﹁五 色 之 阿 字﹂ を 人 体 の 最 初 と し て 展 開 す る が、 ﹁五 臓 六 腑 図﹂ の 図 が 五 色 の 阿 字 を 基 盤 と し て 人 体 の 構 成を描くことと合致した内容となっている。両方とも同一の 思想的背景を持つ可能性があるのである。五色阿字について は、 真 言 立 川 流 に 用 い ら れ る も の と い う が 6 、﹃三 賢 一 致 書﹄ は立川流の影響を受けたとは思われるものの、作者の大龍は 臨済宗の僧であり、懐胎説においても、すぐさま立川流の影 響をのみ断定することは難しい。しかし、五色阿字に立脚す る医事的知見の使用から、立川流の影響を含む広い範囲の密 教信仰を持ちつつ、医療行為を行う僧がいた可能性を示すで あろうと思われる。本史料の詞書作成者も、薬師如来への信 仰を持って医療を行う自覚を述べる。
四
おわりに
図 に 関 し て は、 阿 字 は 五 色 阿 字 と 呼 ば れ る も の で あ る こ と、また詞書の多くの部分が﹃三賢一致書﹄からの引用で成 り立っていることが判明した。五色阿字の説明として、その 特殊な阿字を思想的に支える懐胎説を引いていることも明ら かとなった。五色阿字は、真言立川流で用いられたといわれ るが、史料の思想的背景を限定的に定めることは現時点では一一四 国際日本文化研究センター図書館蔵の﹁五臓六腑図﹂について︵進 藤︶ できない。しかし、五臓図を支えた思想の一斑として、真言 宗の影響を受け、医療を行う宗教者の存在を想定できるであ ろう。 1 長 野︵二 〇 〇 一︶ 、 一 四 八 ︱ 一 四 九 頁 に は、 杏 雨 書 屋 な ど、 一 五 五 七 年 著 述 と さ れ る 五 臓 図 史 料︵ ﹃医 家 秘 方﹄ 解 剖 図︶ な ど が 紹 介 さ れ、 ﹁五 臓 六 腑 図﹂ と 同 じ く、 五 色 阿 字 が 描 か れ る。 ほ ぼ 同 じ 構 成 を 持 つ 史 料 で あ る。 関 連 す る 史 料 を 概 観 し た 論 文 には遠藤・中村︵二〇〇六︶ がある ︵一五〇︱一五一頁︶ 。 2 宗 田 文 庫。 画 像 は、 同 セ ン タ ー 公 開 デ ー タ ベ ー ス で 閲 覧 で き る 。 http :// sky .nic hib un.ac .jp /nbk_out/ sodList.do?param=detail&formI d =1&seq=1 ︵最終閲覧日二〇一八年二月一〇日︶ 。 3 本 稿 に お け る ﹃ 三 賢 一 致 書 ﹄ テ キ ス ト は 、 鷲 尾 編 ︵ 一 九 六 九 ︶ よ り の 引 用。 ﹁五 臓 六 腑 図﹂ 詞 書 と 一 致 す る﹃三 賢 一 致 書﹄ の 該 当 頁 を 示 す と、 以 下 の 通 り。 ③ 五 二 四 ︱ 五 三 一 頁。 ④ 五 〇 五 頁。 ⑤ 五 三 三 頁。 ⑥ 五 三 五 頁。 ⑪ 五 〇 五 ︱ 五 〇 七、 五 二 一 ︱ 五 二 三 頁、 五 三 一 頁。 ﹃三 賢 一 致 書﹄ の 成 立 に 関 し て は、 中 村 ︵一九九〇︶ 、三〇頁他を参照。 4 注 1に同じ。 5 これも確定はしない。山下︵一九九四︶ 、一〇一頁を参照。 6 水原︵一九二三︶ 、六六︱七八頁等を参照。 7 鷲尾編︵ 一九九六︶ 、五一一︱五一二頁他。 ︵参考文献︶ ︿一次文献﹀ ﹁五 臓 六 腑 図﹂ 国 際 日 本 文 化 研 究 セ ン タ ー 図 書 館 蔵・ 宗 田 文 庫、 登録番号〇〇二四八四一四五 鷲尾順敬編﹃日本闘諍史料﹄第五巻、名著刊行会、一九九六 ︿二次文献﹀ 遠 藤 次 郎・ 中 村 輝 子﹁ 五 輪 砕 の 検 討﹂ ﹃日 本 医 史 学 雑 誌﹄ 第 五二巻第一号、二〇〇六 長野仁﹁杏雨書屋の鍼書﹂ ﹃杏雨﹄第四号、二〇〇一 中 村 一 基﹁ 胎 内 十 月 の 図 の 思 想 史 的 展 開﹂ ﹃岩 手 大 学 教 育 学 部 研究年報﹄第五〇巻第一号、一九九〇 水原堯榮﹃邪教立川流の研究﹄全正舎書籍部、一九二三 山 下 巳﹁大 阪 府 立 中 之 島 図 書 館 石 崎 文 庫 蔵 写 本三 賢 一 致 之 書 に つ い て 附 翻 刻﹂ ﹃東 京 成 徳 短 期 大 学 紀 要﹄ 第 二 七 号、 一九九四 ︿キーワード﹀ ﹃三賢一致書﹄ 、真言立川流、仏教医学、僧医 ︵愛知学院大学非常勤講師・博士 ︵学術︶ ︶