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オオイタデジタルブック「老舗の風景」

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Academic year: 2021

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「ヒョウタンの民芸品をもっと生活の中に普及させたい」と溝口栄治さん = 宇佐市南宇佐

  「 チ ュ イ ー ン 」。 木 造 の 工 場 内 に 、 ヒ ョ ウ タ ン で で き た 花 器 の 底 を 機 械 で 平 ら に 磨 く 音 が 響 き わ た る 。 三 代 目 の 溝 口 栄 治 さ ん ( 62 が 台 に 向 か い 、 黙 々 と 作 業 を 続 け る 。

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  溝 口 ひ ょ う た ん 本 舗 」 は 、 宇 佐 市 内 で 栽 培 し た ヒ ョ ウ タ ン を 使 い 、 と っ く り や は し 置 き な ど の 民 芸 品 を 製 造 し て い る 。 工 場 は 宇 佐 神 宮 が 十 年 に 一 度 開 く 「 勅 祭 」 で 、 天 皇 の 勅 使 が 通 る 「 勅 使 街 道 」 沿 い に あ る 。 軒 に 下 が っ た ヒ ョ ウ タ ン 飾 り が 、 同 神 宮 の 呉 橋 に 続 く 町 並 み に 似 合 う 。   民 芸 品 作 り は 溝 口 さ ん の 祖 父 ・ 与 四 郎 さ ん の 代 か ら で 、 約 九 十 年 に な る 。 ヒ ョ ウ タ ン を 取 り 入 れ た の は 一 九 五 四 年 。与 四 郎 さ ん が 地 元 の 農 家 と「 宇 佐 町 兵 丹( ひ ょ う た ん ) 軒に下がるヒョウタンの飾り

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組 合 」 を つ く っ て か ら だ 。   「 宇 佐 神 宮 三 之 御 殿 の 祭 神 ・ 神 功 皇 后 が 授 乳 の 器 に ヒ ョ ウ タ ン を 使 っ た と い う 伝 説 に 着 目 し 、 祖 父 が 参 拝 客 の 土 産 品 と し て 考 え た 」 と 溝 口 さ ん 。   六 七 年 に 岡 山 大 学 を 卒 業 し 、 家 業 を 継 い だ 。 ヒ ョ ウ タ ン が も と も と 水 や 酒 入 れ に 使 わ れ て い た 点 に 注 目 。「 飾 り 品 だ け で は 魅 力 が な い 。 生 活 用 品 を 作 ろ う 」 と 研 究 を 始 め た 。 独 学 で 七 味 入 れ や 、 茶 道 で 使 う 花 入 れ 、 酒 を 入 れ る と っ く り 、 神 社 で 願 い 事 を す る 絵 馬 な ど を 考 案 し た 。   溝 口 さ ん は 「 ヒ ョ ウ タ ン を 使 っ た 民 芸 品 作 り は 、 全 国 的 に も ま だ 珍 し い 。 祖 父 の 代 か ら 技 術 は 進 み 、 品 数 も 増 え て い る 」 と 話 す 。   与 四 郎 さ ん の 代 か ら 変 わ ら な い こ と は 、 地 元 ・ 宇 佐 で 栽 培 し た ヒ ョ ウ タ ン を 使 う こ と 。「 宇 佐 神 宮 の 伝 説 か ら 生 ま れ た の だ か ら 、 宇 佐 産 で な け れ ば 意 味 が な い 」 と 溝 口 さ ん 。 作 る 民 芸 品 に 合 わ せ 、 ヒ ョ ウ タ ン の 大 き さ も 約 三 セ ン チ か ら 約 一 ・ 五 メ ー ト ル ま で さ ま ざ ま 。 現 在 は 十 戸 と 契 約 し て い る 。   ヒ ョ ウ タ ン の 栽 培 農 家 が 減 っ て き た こ と や 、 こ の ま ま で は 後 継 者 が い な い こ と な ど 、 悩 み も あ る 。 溝 口 さ ん は 「 ア イ デ ア は た く さ ん あ る し 、〝 い い 物 を 作 り た い 〟 と い う 思 い は 、 祖 父 の 代 か ら 持 ち 続 け て い る 。 課 題 は 多 い が 、 自 分 が 生 き て い る 間 に ヒ ョ ウ タ ン を も っ と 日 常 生 活 の 中 に 浸 透 さ せ た い 」 と 力 を 込 め た 。 宇 佐 支 局 ・ 渡 辺 大 祐 ( 二 〇 〇 五 年 六 月 二 十 二 日 掲 載 )

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  「 最 近 、 み ん な 過 食 気 味 だ と 思 う 。 で も 、 そ の 割 に は 野 菜 を 残 す 人 が 多 い ん で す よ 」。 三 代 目 店 主 ・ 阿 部 寿 克 さ ん 62 の 妻 貴 美 子 さ ん ( 58 が こ う 話 し た 。   県 の 県 民 栄 養 摂 取 状 況 調 査 に よ る と 、 52 5 % の 人 が 家庭的な雰囲気のなか、お客さんの健康を第一に考えて調理する阿部寿克さん(右)と貴美子 さん(左)ら

食 事 で エ ネ ル ギ ー を 取 り 過 ぎ ( 二 〇 〇 〇 年 )。 緑 黄 色 野 菜 を 毎 日 食 べ る と い う 人 は 全 体 の 38% ( 〇 四 年 ) に す ぎ な い 。 三 十 六 年 間 、 お 客 さ ん に 接 し て い る と 、 人 々 の 食 生 活 の 変 化 が 実 感 と し て 伝 わ っ て く る 。   そ の 一 方 で 、 量 よ り も 質 を 求 め る 客 が 増 え て き た 、 と も 感 じ て い る 。 店 で は 、 輸 入 物 の 食 材 は 使 わ な い 。 野 菜 は で き る だ け 有 機 栽 培 の 品 を 選 び 、よ く 洗 う 。

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お 冷 や の 水 は 必 ず 浄 水 器 を 通 す 。 家 族 が 店 の 〝 実 験 台 〟 で あ り 、 コ ス ト は 掛 か っ て も 、 安 全 ・ 安 心 に こ だ わ ら な け れ ば な ら な い 時 代 に な っ た と 痛 感 す る 。   「 だ っ て 、 食 べ 物 が 体 を つ く り 、 そ の 人 の 心 も つ く る の よ 」 と 貴 美 子 さ ん 。 太 っ た な と 感 じ る 常 連 に は 、 ご 飯 を 少 な め に し な い か と 勧 め 、 野 菜 不 足 の 人 に は 多 め に 盛 る と い う 。   ビ ル に 囲 ま れ た 県 都 ・ 大 分 市 の 中 心 街 に あ り 、 創 業 は 一 九 二 〇 ( 大 正 九 ) 年 。 戦 争 で 焼 け 野 原 と な り 、 初 代 店 主 の 故 ・ 亀 雄 さ ん が 四 八 年 、同 じ 場 所 に 建 て 直 し た 。当 時 、 店 の 隣 に は 〝 闇 市 〟 が あ っ た と い う 。 高 度 経 済 成 長 期 に な る と 、 周 辺 の 商 店 街 は 向 こ う が 見 え な い ほ ど の 人 込 み 。 夜 に は 屋 台 が 並 び 、 活 気 に 満 ち て い た 。 店 で は 、 郡 部 出 身 の 高 校 生 約 十 人 が 住 み 込 み で ア ル バ イ ト 。 人 の い い 二 代 目 の 故 ・ 一 郎 さ ん が 先 生 に 頼 ま れ て 、 面 倒 を 見 て い た の だ と い う 。   県 内 で 最 初 に カ レ ー ラ イ ス が 登 場 し た 店 と い わ れ 、 カ ツ 丼 や オ ム レ ツ が 定 番 メ ニ ュ ー 。 客 の 半 数 近 く は 常 連 だ 。 「 ど う し て も カ ツ 丼 を 食 べ た い 」 と せ が む 客 の た め 、 電 車 に 乗 っ て 別 府 市 ま で 配 達 し た ― と い う エ ピ ソ ー ド も 残 っ て い る 。   い ま 、 寿 克 さ ん は 「 中 心 街 が 寂 し く な っ て し ま っ た 」 と 感 じ ず に は い ら れ な い 。 周 辺 の 商 店 街 で は 、 空 き 店 舗 の 数 が 十 を 超 え た 。 経 営 不 振 で 撤 退 し た 老 舗 店 舗 も 少 な く な い 。「 店 に 住 ま な い 店 主 が 多 く な っ た 。 開 店 が 遅 く な

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り 、 閉 店 が 早 く な っ た こ と が 響 い て い る 」 と 寿 克 さ ん は 考 え る 。   「 大 分 の ど 真 ん 中 が 頑 張 ら な け れ ば … 」。 屋 号 の 「 、」 は 働 い て 流 す 汗 を 意 味 す る 。 食 を 通 じ 、 人 々 の 健 康 と 中 心 街 の 活 性 化 に か か わ っ て い き た い ― と 額 の 汗 を ぬ ぐ っ た 。 社 会 部 ・ 小 田 圭 之 介 ( 二 〇 〇 五 年 六 月 二 十 九 日 掲 載 ) 1950 年代前半ごろ、店(左奥の建物)の隣にできた闇市で買い物をする阿部寿克さん(左から 3 番目の子ども)ら

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  二 百 六 十 余 年 に わ た り お 茶 一 筋 に ― 。 創 業 者 の 命 日 を 菩 提 ( ぼ だ い ) 寺 の 過 去 帳 で さ か の ぼ る と 元 文 五 年 。 西 暦 で は 一 七 四 〇 年 に 当 た る 。 屋 号 の 「 と ま や 」 の 由 来 は 、 鎌 倉 前 期 の 歌 人 ・ 藤 原 定 家 の 和 歌 に あ る 「 浦 の 苫 屋 ( と ま や ) の 秋 の 夕 暮 れ 」 と い う 。 一 八 七 五 ( 明 治 八 ) 年 築 の く ぎ を 一 本 も 使 っ て い な い 純 木 造 り の 店 舗 と 相 ま っ て 名 実 と も に 老 舗 の 歴 史 が 感 じ ら れ る 。   看 板 を 守 る の は 今 村 信 一 さ ん ( 61)・ 孝 子 さ ん 夫 婦 。 店 で は 茶 や 茶 菓 子 を 販 売 し 、 喫 茶 も 楽 し め る 。

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白 壁 に 瓦 ぶ き の 京 造 り の 店 構 え は 城 下 町 杵 築 の 町 並 み に よ く マ ッ チ す る 。 店 先 で は 、「 昔 の 茶 屋 に は ど こ で も 見 ら れ た 」 と い う 床 几 ( し ょ う ぎ ) が 客 を 出 迎 え る 。   歴 史 漂 う 建 物 を 守 る に は 苦 労 も 伴 っ た 。 車 社 会 に 対 応 し て 地 方 の 道 路 網 が 次 々 と 整 備 さ れ て い た 一 九 八 七 年 、 店 の 目 の 前 の 道 路 が 拡 幅 さ れ る こ と に な っ た 。 店 を 壊 し 、 新 築 す る 選 択 肢 も あ っ た が 、「 と ま や 」 は 店 舗 を そ の ま ま の 状 態 で 約 三 ・ 五 メ ー ト ル 引 き 下 げ 、 保 存 す る 道 を 選 ん だ 。 工 事 に は 四 カ 月 も 費 や し た 。   孝 子 さ ん は 「 古 い 物 を 捨 て る こ と が で き な い 家 風 な ん で す よ 」 と 笑 い 、 店 内 に 並 ぶ 茶 つ ぼ や 、 茶 臼 な ど 現 役 を 引 退 し た 古 道 具 を 眺 め る が 、「 城 下 町 ら し さ が 残 る 茶 屋 」 を 目 当 て に 訪 れ る 観 光 客 も 少 な く な い 。   J A 杵 築 市 に よ る と 、 昨 年 度 の 市 内 の 茶 生 産 量 は 約 三 百 ㌧ で 県 内 ト ッ プ だ 。 そ の 起 源 を 杵 築 市 誌 は 「 寛 文 年 間 ( 一 六 六 一 ― 七 二 年 )、 杵 築 藩 主 が 宇 治 か ら 茶 の 種 子 を 購 入 さ せ 、茶 園 を 開 い た 」( 追 遠 拾 遺 か ら ) と す る 。 た だ 、 生 産 量 は 多 く な く 、 創 業 時 の 「 と ま や 」 は 京 都 の 宇 治 茶 を 取 り 扱 っ て い た ら し い 。   杵 築 で 本 格 的 に 茶 栽 培 が ス タ ー ト し た の は 戦 後 。 現 在 、 と ま や は 国 東 半 島 を 中 心 に 六 カ 所 の 契 約 茶 園 か ら 茶 葉 を 仕 入 れ て い る 。   信 一 さ ん は 「 地 元 産 の 茶 を 扱 い 、 特 色 を 出 す こ と が 専 門 店 の 生 き 残 り 策 」 と い う 。   茶 の 仕 入 れ 先 は 、 時 代 の 変 遷 に 合 わ せ て 転 換 し た 。 他

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方 、 昔 な が ら の た た ず ま い の 店 舗 は か た く な に 守 っ た 。 変 わ る こ と と 、 受 け 継 ぐ こ と 。 そ れ を 選 ぶ こ と が 求 め ら れ る 老 舗 。「 代 々 の 店 主 が 今 の 形 を 残 し て く れ た 。 お ろ そ か に は で き な い 」。 十 代 目 の 信 一 さ ん が 語 っ た 。 杵 築 支 局 ・ 乙 咩 啓 太 郎 ( 二 〇 〇 五 年 七 月 六 日 掲 載 )

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■オオイタデジタルブックとは  オオイタデジタルブックは、大分合同新聞社と 学校法人別府大学が、大分の文化振興の一助とな ることを願って立ち上げたインターネット活用プ ロジェクト「NAN-NAN(なんなん)」の一環です。  NAN-NAN では、大分の文化と歴史を伝承して いくうえで重要な、さまざまな文書や資料をデジ タル化して公開します。そして、読者からの指摘・ 追加情報を受けながら逐次、改訂して充実発展を 図っていきたいと願っています。情報があれば、 ぜひ NAN-NAN 事務局にお寄せください。  NAN-NAN では、この「田舎暮らし」以外にも デジタルブック等をホームページで公開していま す。インターネットに接続のうえ下のボタンをク リックすると、ホームページが立ち上がります。 まずは、クリック!!! 別 府 大 学 大分合同新聞社 デジタル版「老舗の風景」 第四回 編集     大分合同新聞社 初出掲載媒体 大分合同新聞(2005 年4月 6 日~ 2007 年 3 月 28 日) 《デジタル版》 2009 年 12 月 11 日初版発行 編集 大分合同新聞社 制作 別府大学メディア教育・研究センター 地域連携部/川村研究室 発行 NAN-NAN 事務局    (〒 870-8605 大分市府内町 3-9-15 大分合同新聞社 企画調査部内) ●デジタル版「老舗の風景」について  「老舗の風景」は、大分合同新聞社が 2005 年 4 月から翌 2007 年 3 月まで、同紙夕刊に掲載した連 載記事。今回、デジタルブックとして再構成し、公 開する。登場人物の年齢をはじめ文中の記述内容は、 新聞連載時のもの。 2009 年 11 月 20 日      NAN-NAN 事務局

参照

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