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真宗研究48号 013堤 正史「道徳教育と宗教――浄土真宗の立場から――」

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道徳教育と宗教

ー!浄土真宗の立場から||

高田派

道徳教育の重要性とか、強化ということが声高に言われてすでに久しいものがある。このことは、例えば、文部 科学省の﹁学習指導要領﹄作成の過程などに端的に現れている。すなわち、平成元年ご九八九︶版では、道徳教 育は教育改革の柱の一つに位置づけられていたし、平成十年︵一九九八︶に改訂された現行のものでも、 それは ﹁心の教育﹂の中心におかれている。 こうした道徳教育重視の背景として、 一つには中曽根首相の肝いりで昭和五九年︵一九八四︶に設置された臨教 審︵臨時教育審議会︶以来の文教政策ということもあるわけだが、直接には、何よりも、青少年における危機的な 道徳的状況ということがあげられるだろう。現在の指導要領に直結する平成十年六月の中教審︵文部科学大臣の諮 問機関である中央教育審議会︶答申が出されたのは、あの﹁神戸市須磨区連続児童殺傷事件︵酒鬼蓄被聖斗事件︶﹂ の翌年であったし、﹁十七歳の凶行﹂といわれた平成十二年︵二

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︶の一連の事件の後もマスコミなどで盛ん

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に道徳教育が論じられた。確かに、これらの事件は、多くの事件の内の一 つというのではなく、道徳とか倫理とい った事柄自体を揺るがすものだと言ってよいであろう。 このような中で、道徳教育の側からの、﹁宗教﹂に対する期待は、決して小さいものではないように忠われる。 その理由はいくつか考えられるが、 なかんずく、道徳において第一に尊重されるべき﹁生命﹂の大切さを、深く説 いてきたのは何よりも宗教だからであろう。先のいずれの指導要領においても、﹁生命に対する畏敬の念﹂を﹁生 活の中に生かし﹂ていくことが道徳教育の﹁目標﹂に掲げられているが、それは少なからず﹁宗教﹂を意識しての ︵l ︶ ことであった。宗教の意義を認めた道徳教育こそ、生命軽視の風潮に歯止めをかけることができると期待されたの で あ る 。 私も、広い意味での道徳教育における宗教の重要性を認めるものの一人である。しかし、 だからこそ、道徳と宗 教、そして教育との安易で無批判な結合には注意しなければならない、 と敢えて言いたいと思う。 われわれ浄土真 宗にも、例えばその生命観を説くことがそのまま道徳教育であるといった具合に、宗教と道徳と教育とを安直に結 びつける風潮が無いとは言えない。 宗教と道徳と教育との関係を考える際、 さしあたり次の二つのことが重要だと思う。 一 つ は 、 宗 教 と 道 徳 、 とりわけその信仰︵信心︶ にいたるプロセスにおいて、﹁無慨無懐﹂といった言葉で表現 される自己の道徳性の徹底的否定の自覚を不可欠とする宗教である浄土真宗と道徳との根本的関係を明確にするこ と で あ ろ う 。 いわば還相的に、宗教︵真宗︶が倫理を支えることがあるとしても、 その理路は複雑だが、こうした 還相的関係もいったんは宗教による世俗の倫理の否定を介したものであることが見過ごされてはならない。 二つは、明治以来ながく続いた政治と教育とを一体視するいわゆる﹁教学主義﹂をどう見るかである。少なくと も第二次世界大戦が終わるまで、為政者はかなり露骨な仕方でその政治的目的︵例えば富国強兵や軍国主義的植民 道徳教育と宗教 七 九

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道徳教育と宗教 /¥ 0 地 政 策 ︶ のために道徳教育︵修身︶を利用してきた。戦前における﹁宗教的情操﹂の強調もこうした文脈の中でと らえることができる。もちろん戦後、社会や政治の体制は大きく変わった。しかし、教学主義的志向が払拭された かといえば、必ずしもそうではない。 むしろ、臨教審以来今日まで、 そうした志向は強くなっているように見える。 もしそうであるなら、道徳教育と結合した宗教教育の、公的教育への導入にはよほど慎重であるべきだ。 いま示した二つの点について少し詳しく述べた上で、あるべき宗教・道徳教育について考 ︵ 2 ︶ えたいと思う。﹁道徳を教えるためには宗教を教えなくちゃならない﹂︵梅原猛︶といった有力な見解もあるが、結 以 下 に お い て 、 私 は 、 論を先取りしていえば、公教育における道徳教育への宗教教育の導入には、 や は り 、 なお議論の余地があると思う。 こ う し た 結 論 は 、 むしろわれわれ宗教者の責任を重いものにするであろう。広い意味での道徳教育に資する宗教 教育の不振の原因は、時代の世俗化ということもあるだろうが、何よりもわれわれ宗教者の怠慢にあるのではない か。特に、自己批判になるが、寺院という檀家制度にのった宗教的伝統的コミュニティーをあずかつてきた﹁僧 侶﹂の責任は大きいと思う。最後に、この点についても触れたい。 浄土真宗と倫理との根本関係を明らかにするためには、 ︵ 1 ︶ だ ろ う 。 いわゆる真俗二諦という事柄を押さえておく必要がある ﹁信心為本・念仏為先﹂と言われるように、真諦とは﹁仏と衆生という縦の関係における宗教的真理﹂、 すなわ ち 信 仰 ︵ 信 心 ︶ の立場であり、﹁王法為本・仁義為先﹂とされるように、俗諦とは﹁人間と人間という横の関係に おける生活原理﹂、すなわち倫理・道徳あるいは人倫の立場だと言えるだろう。両者の関係について、ある論者は

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次のように述べている。 ﹁真諦は、現実それ自体が無明︵根源的な絶対的真理に昧いこと︶ に根ざして縁起したものであり、 それは ﹁そらごとたはごとまことあることなき﹂ものであるという絶対批判を下すものではあっても、分別知の領域 内のことについては直接にはあずからないものである﹂﹁王法は守られるべきであり、仁義は行われるべきで あるというような判断は、あくまでも人間の理性の領域のなかにおける判断であって、 ︵ 5 ︶ 無とはかかわりあいのないことである﹂ それは、何ら信仰の有 こ の よ ﹀ フ に 、 まずもって、両者は明確に区別されなければならないだろう。しかし、問題は、信仰と倫理が別の 生活領域のことであるとしても、両方を生きるのは同一の自己だと言うことである。 つ ま り 、 真 俗 の 二 諦 は 、 ﹁ 私 ﹂ という﹁一人格﹂において、何らかの仕方で関係せざるを得ないと言うことである。そして、この関係に関して、 ︵ 6 ︶ 真宗の際だった点は、﹁道徳はその実行の難しいことを示すことによって真諦に案内するものである﹂と清津満之 が看破したように、宗教的真理が、 いわゆる﹁倫理的実存﹂ の挫折を媒介にしているという点にある。言いかえれ ば、先に﹁自己の道徳性の徹底的否定の自覚﹂と言った﹁絶対悪﹂﹁無明性﹂の自覚を媒介にしているという点で あ る 。 こ の 自 覚 は 、 理性に照射された自愛の自覚としてとらえられるだろう。 自愛は即白的には善悪無記だが、道徳的︵理性的︶ であろうとするとき否定されるべき悪として意識に上ってく る。しかし、道徳による自愛の否定はどこまでも相対的否定にとどまる。なぜなら、 理性的とされるその自己の存 在の根に自愛があり、純粋な善は人間理性によっては達成不可能だからである。こうした自愛と理性の関係そのも のが理性によって自覚されてくるのである。遊亀教授は、この自覚を的確に捉えて、﹁自愛は神︿仏筆者|﹀に そむく方向として理性との否定的限定にありながらも、 しかもそれなくして理性は成立しないという自覚﹂﹁理性 道徳教育と宗教 }\

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道徳教育と宗教 }\ ︵ 7 ︶ 的自己の底に、永遠に神︿仏﹀にそむく方向が伏在し、根本悪の根が断ち切れないことの自覚﹂としている。 しかし、周知のように、理性もまた自愛に根付いているというこの絶対悪の自覚︵機の深信︶が、真宗において は、同時に﹁疑いなく慮りなく、彼の願力に乗じて定んで往生を得と信、ず﹂︵善導﹃観経疏﹄︶ と表現される﹁他力 廻 向 ﹂ でもある。すなわち、自己の中には何ら自らを救いうる能力が内在しないとして、絶望的 ︵ 自 ︶ に自己を放棄する中でこそ、﹁全く超越的な未来の彼方から、現実の今に、働きかけてくるもの﹂として仏が信受 の 信 ︵ 法 の 深 信 ︶ さ れ る の で あ る 。 そして、ここにおいて、すなわち﹁機の深信﹂が即﹁法の深信﹂でもあるところにおいて、 し3 つ たんは絶対悪の自覚からそこに住むに値しないとして退けられた倫理の世界︵俗諦︶が蘇りうる可能性もまた求め られると言えるだろう。少し具体的に言えば、優れた宗教的人格において認められるように、﹁小慈小悲もなき身﹂ という自覚を徹底しつつ、仏の﹁大慈大悲﹂に打たれることで、無我的に、結果として、世俗の慈悲を実践すると いうことは十分ありうることである。還相的に宗教が倫理を支えるとは、こうした俗諦の否定を媒介とした真諦が、 翻って俗諦を蘇らせるという事態をさすと言っていいと思う。 が、ここで注意しなければならないのは、くどいようだが、真諦は、あくまでも否定を介してしか、俗諦と連続 することがないということである。宗教が還相的に倫理を支えると言っても、実際のところ歴史的状況の下で、相 対性を免れがたい具体的な倫理的規範を無批判に受容することではない。 ﹁ 王 法 に 背 く こ と が 、 ︵ 9 ︶ じつはほんとうの正しい生き方であるという場合さえありうる﹂といった指摘の通り、 ﹁信心﹂が﹁王法﹂に背くこともあり得る。ここにこそ、宗教の現実世界︵世間︶ へのきびしい批判的態度、頂門 の一針たり得る資格があるとすら言えるかもしれない。 また同時に、ここに反社会性といった宗教の危険性がある とも言えるだろう。だが、敢えて誤解を恐れずに言えば、 そうした反社会性すら、必ずしも、宗教的真理を反故に し、これに反することにはならない場合もあると思う。

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もちろん、宗教が社会に受容されていく過程で、宗教は何らかの仕方で、時にそれが妥協、 すなわち無理にでも 王法に自らをあわせようとすることであっても、これを受け入れなければならないこともあろう。教同という組織 として社会に受容されるためには、 そうした志向をとることは免れがたいのかもしれない。しかし、これによって、 宗教が保守化し、既存の制度や倫理を唯々諾々と墨守する体制の側に組み込まれていくこともあり得る。そして、 それによって宗教的真理が裏切られることだって考えられないことはないだろう。 重視されてくるのは、 いわゆる﹁欧化派﹂に対する﹁復古派﹂の有力な論客であった元田永字 らの影響下で成立した﹁改正教育令﹂明治十三一年︵一八八

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︶あたりからである。 明治政府は実学重視ということで、当初、必ずしも道徳︵修身︶教育に積極的であった訳ではない。道徳教育が じこう 天 皇 の 侍 講 で あ り 、 すなわち教育の目的を何よりも、﹁修身 ︵ 日 ︶ ︵天理を明らかにするために人欲を払う︶﹂によって人を﹁天下国家を担う具﹂とすることと見る立場である。欧 ﹁改正教育令﹂を支えた重要な考え方は、儒教︵朱子学︶的教育観、 化派と言われた人たち のために教育を利用すると いう点では、この教育目的を共有していた。そして、これを直裁に押し出すならば、個人の自由とか権利よりも、 ︵その中心が伊藤博文︶も、国家、あるいは国家の政策︵国是︶ 仁義忠孝といった封建的道徳の方がさしあたり適当であったことは、誰の眼にも明らかだった。欧化派に、復古派 の教育観を拒む理由は本質的になかったのである。これが政教︵政治と教育︶ 一体の﹁教学主義﹂といわれる立場 で あ る 。 い り ん こうした教学主義が典型的に現れたのが﹁葬倫の実学﹂︵養倫とは人が守るべき普遍の道・法︶ という、修身科 道徳教育と宗教 /¥

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道徳教育と宗教 /¥ 四 を筆頭教科におく庶民教育における指導過程論であろう。そこでは、﹁治国平天下﹂ の人づくり、言い換えれば ﹁ 忠 良 な 臣 民 ﹂ の育成を目的とする規範的教科である修身科に、他のすべての教科は従属し、 それら固有の役割を 十分認められていない。 宗教教育もこうした教学主義のコンテクストのなかで捉えられなければならない。 日本の公立学校での道徳教育への宗教教育の導入は、古くは昭和十年︵一九三五︶に出された文部省次官通牒一 六

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号、﹁宗教的情操ノ函養ニ関スル留意事項﹂にまで遡る。そこでは、明治三二年︵一八九九︶の文部省訓令第 十二号︵一応、政治と宗教との分離の立場がとられた︶ の読み替えという形で、特定の宗派・教派の教育は禁じら れ る が 、 こ れ は 、 いわゆる﹁通宗教的宗教教育﹂としての﹁宗教的情操教育﹂を禁止するものではなく、 むしろそ うした宗教的情操教育は形式化しがちな修身教育を補強するものとして大いに奨励されるべきであるとされた。し かし、もとより、ここでの宗教的情操教育の目的は、﹁人格ノ陶冶ニ資スル﹂とは言われるものの、決して道徳的 主体としての子供の人格形成にあったのではなく、 いろいろな意味で揺らぎつつあった全体主義的天皇制国家体制 を守る点にあったことは明らかであろう。 さて、戦後、﹁民主化﹂のスローガンのもと、体制がドラスティックに変わる。だから、戦後の道徳教育を、単 純に戦前と連続的に捉えることは控えるべきである。しかし、はじめにも言ったように、道徳教育を重視する教学 主義的志向が、戦後において払拭されたかと言えば、必ずしもそうとは思われない。 たとえば、今なお議論の分かれるところだが、 かなり強引になされた昭和三三年︵一九五八︶ の ﹁ 道 徳 の 時 間 ﹂ の 設 置 の 背 景 に も 、 そうした志向が認められよう。が、ここで私が特に注目したいのは、臨教審である。臨教審は、 現 在 の 教 育 体 制 、 たとえば具体的には学校教育のガイドラインである指導要領なども規定しているわけだが、﹁教 育学的な教育﹂ではなく﹁国策づくりとしての教育﹂という意識が臨教審の委員たちに際だっていたという報告か

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カ 〉 カま わ れ る よ つ( そこには教学主義的な志向がきわめて顕著に認められると思うからである。 非常に粗雑な言い方であることを承知の上で、臨教審の基礎にある立場を一言で表せば、新自由主義と新保守主 義ということになるだろう。新自由主義は、市場原理至上主義とも言われるように何よりも自由競争による淘汰を 重んじる立場である。これに対して、新保守主義は、共同体︵国家︶ において受け継がれてきた伝統を重んじ、 そ うした伝統がよしとしてきたこと、すなわち﹁善の構想﹂を共有することで、社会の結合をはかろうとする立場で ︵ U ︶ ある。そこでは、特に保守的な道徳が重んじられる。そして、新自由主義は、自らがもたらさざるを得ない人々の 社会的・空間的分断化を抑制するために、新保守主義と結びつくわけである。 こんにち日本の教育において、教育への競争原理の導入が言われる一方で、保守的道徳が重視されるのはこうし た文脈においてである。宗教教育も、 そうした流れの中にある。 道徳的人格の完成のために宗教的情操教育が大切だという主張は、 顕 の ﹁ 期 待 さ れ る 人 間 像 ﹂ ︶ 、 たびたび戦後もなされたが ︵ た と え ば 高 坂 正 一応そうした主張を受けた形で、﹁生命に対する畏敬の念﹂という文言が指導要領に 登場するのは、平成元年からである。しかし、平成元年の指導要領は何よりも臨教審の産物だった。 四 以上述べてきたところから、公教育における道徳教育の一環としての宗教教育は難しいし、 そ の 導 入 に は 、 や は り、慎重であるべきだと一言わざるを得ないだろう。 そうした宗教教育の難しさは、何よりも、第二節で述べた倫理︵俗諦︶ と 宗 教 ︵ 真 諦 ︶ との根本関係に起因する。 倫理が宗教を支えると言っても、少なくとも真宗という立場からすれば、倫理と宗教は直接つながらない。そこに 道徳教育と宗教 一 八 五

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道徳教育と宗教 一 八 六 は﹁否定﹂が介在する。また、歴史的・地理的制約を免れがたい共同体︵それが国家であっても︶ において実践を 求められる道徳に、宗教が、自らの真理のために、反対することだってありうる。この﹁否定﹂とか﹁反対﹂とい った要素を、道徳教育としての宗教教育において、 ど の よ う に 扱 う か 、 きわめて難しい問題である。 さらに、誰が宗教について語り教えるのか、 ということも問題だろう。私が述べたような倫理と宗教との関係以 外の見解をもっ人もあるだろうし、 よしんばこの関係に一般性があるとしても、 そうしたことに十分理解のある者 は限られざるを得ない。 むろん、今述べたことに対して、﹁特定の立場に立つ宗教教育は無理だ、 しかし、通宗教的宗教教育としての宗 教的情操教育については問題ない﹂といった反論がなされるだろう。確かに、﹁生命に対する畏敬の念﹂といった 感情は、真諦によって蘇った俗諦における感情、 いうならば究極的宗教的道徳的感情に通じるところがあると思う。 この感情に至る過程は単純でないとしても、 そのベ!スとして、早い時期から前者の感情︵生命への畏敬の念︶を 育んでおくことは大切だろう。 し か し 、 それにしても第三節で述べた、 日本の公教育における道徳・宗教教育をめぐる一連の流れを無視するこ とはできないと思う。政治が教育をリードする教学主義の流れである。政治上の目的に

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こ の 目 的 の 内 容 や 、 そ の背景にある理念の是非は別に l |、道徳・宗教教育が従属するということは、結局、真諦が俗諦に従属する、さ らに言えば俗諦が真諦を利用することになりかねないと思う。真諦と俗諦との関係からすれば、これは本末転倒と 言わざるを得ないのではないだろうか。私が、宗教教育の導入について、慎重でなければならない、 と再三言うの はこの意味においてである。 このような結論はあまりにも消極的と言われるかもしれない。だが、最初に言ったように、これはむしろわれわ れ宗教者の責任を重いものにすると思う。公的教育の場では、本来あるべき形では十分なしえない道徳・宗教教育

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を担うのは、 まずもって、 われわれだと思うからである。 その責任を果たすには、宗教者として真俗二諦といった事柄を主体的に受け止めることが不可欠だろうし、政治 と宗教や教育との関係についても鈍感であってはならないと思う。 では、何をなすべきか。これに一義的に答えることは不可能であろう。ただ、様々な﹁縁﹂を内包した寺院や教 同といったネットワークに多くの可能性が苧まれていることだけは確かだと思う。ただ、この可能性を発見し、 ど う結実させるか、ここにこそ本当の難しさがあるのだろうが。 註 ︵ 1 ︶正確に言えば、この文言は平成元年版では指導要領﹁第三章道徳第一目標﹂に、平成十年版では指導要領 ﹁第一章総則第一教育課程編成の一般方針﹂に記載されている。この変更は﹁生命に対する畏敬の念﹂を強調 するためであって、決してこれが道徳教育の目標から除外されたと言うことではない。 ︵ 2 ︶梅原猛、﹁梅原猛の授業仏教﹄、平成十四年︵二

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二 ︶ 、 朝 日 新 聞 社 、 十 二 頁 。 ︵ 3 ︶ここでは一応、真諦日宗教的真理、俗諦 H 道徳・倫理・人倫とするが、むろん真俗二諦について種々の立場があ ることは、周知の通りである。 早島鏡正は、﹁五種の二諦学説﹂として、近代における諸説を次のように整理している。 ︵二真俗一諦説真諦と俗諦は、本質的には一諦二つの真実︶である︵俗諦一諦説の前田慧雲、真諦一諦説の七 里 恒 順 ︶ 。 ︵二︶真俗並行説真諦と俗諦は無関係で並行している。︵野々村直太郎︶。 ︵三︶真俗関連説真諦俗諦は別々だが、相互に深く関連している︵蔵丘宗興︶。 ︵四︶真諦影響説真諦が一方的に俗諦に影響する︵流出説の赤松運城、薫発説の東陽円月︶。 ︵五︶俗諦方便説︵大谷派教学︶俗諦が一方的に真諦に影響する︵肯定的方便説の吉谷覚寿、否定的方便説の清津満 之 ︶ 。 ︵﹁親驚聖人の己証に聞く||真俗二諦論の克服||﹄伝道新書十九、平成十年︵一九九八︶、 頁 ︵ ︶ 二 十 頁 ︶ 。 早島自身は、﹁いわゆる﹁真俗二諦﹂という言葉にかかわずらうということは、 教 育 新 潮 社 、 十 九 むしろ真宗教学の本流ではない。 道 徳 教 育 と 宗 教 )¥ 七

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道徳教育と宗教 !\ }\ 宗祖のお心ではない﹂︵七十頁︶とした上で、これについて次のように述べている。 ﹁ 言 葉 で は い え な い こ と を 言 葉 で 表 す と 、 そ れ が こ の 第 一 義 諦 、 真 諦 で あ る 。 ﹂ ︵ 一 二 八 頁 ︶ 0 ﹁世俗諦というのは言葉による仏教の真実をいうのです。ところが、言葉による仏教の真実というものは、 それでは言葉で終わってしまうかというと、そうではなくて、言葉の究極、言葉ではいい尽くせないことを言 葉でいっているのですから、そこまでいったところを指して第一義諦というのです。﹂︵三九頁

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頁 ︶ 。 ﹁世俗諦というのは、世俗というわれわれの邪偽の世界の中に真実が働いて、そして真実化たらしめていく から、そうした場が世間・世俗である。だから、世俗の中にこそ真実が働いているとして、それを指して世俗 諦と呼ぶ。真諦は言葉であるけれど言葉では言えません。言えない真諦が世間、世俗の中に入ってきて、言葉 として働きを表す、それを指して世俗諦という。﹂︵一一二頁︶。 ﹁真実そのものの世界﹂︵第一義、浬般末、仏性、仏智︶は言葉を超絶しているが、この﹁言葉で言えないこと﹂ を表した﹁言葉﹂が﹁真諦﹂であり、さらにこの﹁言葉﹂が﹁世間﹂で﹁働く﹂ときの﹁働き﹂が俗諦である。こ のように早島は言う。これだけでは必ずしも明確とは言いがたいが︵この著作の性格か、りしてやむを得ないであろ うが︶、要は、真俗二諦を二元的にとらえるのは誤りであり、真諦といい、俗諦といい、いずれも﹁真実そのもの の世界﹂の表れであって、その限りにおいては一つだ、﹁真﹂も﹁俗﹂も﹁諦﹂において一つである、とヨ一口うので あろう︵これと真俗二諦説との異同は今は問わない︶ 0 確かに、究極的にはその通りであろう。しかし、﹁世俗のなかにこそ真実が働いている﹂とか﹁言えない真諦が 世間、世俗の中に入ってきて、言葉として働きを表す﹂とか言われるが、問題はその﹁働き﹂方にあるのではない だろうか。真諦と俗諦が究極のところで一つだと言うためには、この働きの理路が明確にされなければならないと 思う。これらの点については別の機会に主題的に論じたい。 ︵4 ︶堤玄立、﹁信と証﹂︵第六章第四節﹁﹁浄土真宗と倫理﹂についての管見い︶、昭和五五年 四四頁以下参照。本節はこの論文によるところが大きい。 ︵5 ︶同書、二四八頁。 ︵ 6 ︶暁烏敏、西村見暁編、﹃清津満之全集﹄六、昭和二九年︵一九五四︶、法蔵館、 ︵7 ︶遊亀教授、ソ親鷺と倫理﹄、昭和二四年ご九円九︶、白華苑、六

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六 一 頁 。 ︵ 8 ︶堤玄立、前掲書、二五一頁。 二 二

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頁 。 ︵ 一 九 八

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︶ 、 法 蔵 館 、

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同 書 、 二 四 八 頁 。 以ドについては、次の拙論を参照。 堤正史、﹁日本の道徳教育ーーその現在・過去・未来||亡、徳永・堤ほか編寸道徳教育論||対話による対話へ の教育 1 | ﹄ 、 平 成 十 五 年 ︵ 二

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一 二 ︶ 、 ナ カ ニ シ ヤ 出 版 、 一 一 一 八 頁

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頁 。 堤正史、﹁﹁倫理﹂教育、何が問題か?||新自由主義教育改革の中で||﹂、平成十四年︵二

OO

一 二 、 同 志 社 官 学年報第二五号、五二頁

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六 六 頁 。 堤正史、﹁公立学校における道徳教育と宗教教育 1 1 1 コ l ル パ l グの道徳・宗教教育論を子引きとして 1 1 ﹂ 、 佐 野・吉田編﹃コ l ル パ l グ理論の基底﹄、平成五年︵一九九三︶、世界忠想社、二七二頁

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二 九 七 頁 。 ︵日︶中内敏夫、﹁近代日本教育思想史﹂、昭和四八年︵一九七三︶、国土社、二三頁。 ︵ロ︶同書、一八

O

頁 。 ︵日︶ぎょうせい編、﹃臨教審と教育改革﹄第五巻、昭和六二年︵一九八七︶、ぎょうせい、十一頁。 ︵ 叫 ︶ 斎 藤 純 一 、 ﹃ 公 共 性 ﹄ 、 平 成 十 三 年 ︵ 二

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︶ 、 岩 波 書 店 、 六 四 頁 以 下 参 照 。 ︵日︶高坂は﹃期待される人間像﹄によって、﹁どんな違った哲学上の立場をとる﹂にしても、﹁人間として当然期待さ れる性格﹂、﹁多くの人がそれを承認するような人間像﹂の提示をねらったが︵高坂正顕﹃﹁期待される人間像﹂と 哲学﹄、国立教育会館編吋教養講座シリーズ︵ I ︺﹄所収、帝国地方行政学会、一九六六、五頁

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八 頁 ︶ 、 そ の 中 で 、 個人が身につけるべき徳との関連から宗教的情操を取り上げている。しかも、この徳、﹁生命の根源すなわち聖な るものに対する畏敬の念﹂は、他の諸徳︵﹁自由であること﹂、﹁個性を伸ばすこと﹂、﹁自己を大切にすること﹂、 ﹁強い意志をもつこと﹂︶を支える徳として格別重視されている。 10 9 道 徳 教 育 と 宗 教

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