湛
容
﹃
古
題
加
愚
﹄
の成仏義│翻刻と読解│
﹁
龍
女
成
仏
﹂
はじめに 湛容︿一二七一ー一三四六)は、金沢称名寺(現・神奈川県鎌倉市)の第三代住持であり、﹁称名寺華厳教学﹂を大成したと評される人物で ある①。﹃本朝高僧伝﹄や﹃律苑僧宝伝﹄には、 少 ョ H 随 ラ 凝 然 一 -従 二 事 1 潟 磨 一 -。 遊 コ 雑 華 ノ 海 ↓ 、 沖 ニ 融 z 円 理 寸 。 後 -嗣 コ 禅 爾 芯 。 とあるように、早くから戒壇院の凝然(一二四Ol
二ニニ一)に師事し、その高弟である久米多寺の禅爾(一二五一l
一三二五)を嗣ぐ人物 と見なされていた宮 湛容は多くの書物を著しており、納富士九八二]によると華厳関係では﹃華厳五教章纂釈﹄や﹃華厳演義紗纂釈﹄など五十四部、戒 律関係で﹃四分律行事妙見聞集﹄や﹃律宗要義抄﹄など十三部の他、真言関係や浄土関係など、様々な書物に対しての注釈書や教学研究 を行っている。 これらの書物の内、﹃古題加愚抄﹄について現在確認できているものは、金沢文庫と東大寺図書館に合計八部十五冊である。このうち 重複しているものもあるが、約四十題の論題を取り上げ、問答体によって華厳の立場に基づいて見解を加えている。その名の通り、いず れの論題も経論や喜海(二七八│一二五一)﹃五教章略文義﹄、宗性(一二O
ニー一二七八)﹃華厳宗香蕪抄﹄などの﹁古題﹂を引用し、疑 難を加えた上で、湛容自身の見解が﹁愚案﹂として記されている。論題﹁非情成仏﹂では、既に拙稿[二O
一五]で指摘した通り、それ までの華厳人師には見られない湛容独自の説が展開されている。そのため湛容がどのように華厳思想を構築していたか知る上で、本書の 解明は重要なものであるといえる。 本稿では、﹃古題加愚抄﹄の約四十題のテl
マのうち、明確に湛容による奥書が示される、東大寺図書館所蔵﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂ (-ピ函包∞号、以下、函・号は省略し、モ示す)を取り上げたい。﹃古題加愚抄﹄の各論題の著述年代は不詳であるが、﹁龍女成仏﹂には正 龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年湛容﹃古題加愚﹄﹁飽女成仏﹂の成仏義(高田) 和四年(一三一五)の奥書、金沢文庫所蔵﹃古題加愚抄﹄﹁遺教大小/文殊不二﹂︿回全
5
﹀には康永三(一三四四)年の奥書がともに確認さ れるので、長期間にわたり少しずつ著述されてきたものであると推測される宮この二つの著作は著述年代が明らかであるため、湛容のそ の他の著述と比較することで、思想的展開を明らかにできると考えている。﹃法華経﹄﹁提婆達多品﹂に説かれる龍女の成仏は、天台宗・ 真言宗においては﹁即身成仏﹂や﹁女人往生﹂を論ずる際の根拠の一つとされた。一方、華厳宗においては智餓(六O
二 │ 六 六 八 ﹀ 以 来 、 法蔵(六四三l
七二一)や李通玄(六三五l
七 三O
頃)によって﹁三生成仏﹂﹁信満成仏﹂﹁同別二教﹂といった視点から議論する際に用いら れ た 。 よって本稿においては、まず東大寺図書館所蔵﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の書誌情報を整理した後、﹃法華経﹄﹁龍女成仏﹂を確認し、 翻刻・読解研究を行いたい。また、別稿において湛容の龍女成仏義における特色の詳細を明らかにする予定である。﹃古題加愚﹄における﹁龍女成仏﹂
-20ー 現在確認できる﹃古題加愚抄﹄は前述の通り、東大寺図書館所蔵と金沢文庫所蔵の八部十五冊である。書き込み、文字の出入りなどか ら判断すると、金沢文庫所蔵﹃古題加愚抄﹄は湛容の草稿本であると考えられる。また、論題﹁龍女成仏﹂に記されている湛容の奥書に 占 & 、 古 抄 / 中 ュ 有 コ 此 等 J 問 答 ・ 料 簡 ¥ 今 更 ニ 加 ﹀ 文 義 寸 、 倍 致 コ 潤 色 -或 ィ ハ 捌 シ 或 4 ハ 補 ヒ 以 け 折 , 香 川 之7
2
とあるので、湛容は古くから議論されてきた論題(古題)に対して学問研鍛するために疑難を立て、詳細に議論していったと考えられる のである。この﹁古題﹂部分は各論題の前半部分に置かれ、喜海﹃五教章略文義﹄、宗性﹃華厳宗香燕抄﹄、﹃華厳肝要抄﹄、﹃枝葉抄﹄、﹁宗 │僧正御作﹂、﹁顕玄得業之御草﹂などの論題が挙げられる。その後、﹁難じて云はく﹂、﹁答へて云はく﹂と問答が続く。そして﹁尋ねて 云はく﹂や﹁私かに云はく﹂、﹁愚推して云はく﹂などが個々の論題に則して立てられており、一定の書式で著述されてはいないことが知 ら れ る 。また、論題﹁龍女成仏﹂は東大寺図書館のみに所蔵され、金沢文庫所蔵﹃古題加愚抄﹄には見られない。書名は﹃古題加愚﹄と記され ており、一巻一冊、内表紙を含め十五丁である。表紙の題策に﹁古題加愚︿穂女成仏﹀﹂、内表紙右下に﹁戒壇院長尊﹂、左下に﹁霊満 之﹂、中央に﹁古題加愚︿能女成仏﹀﹂とある。大奥書には、 子時正和四年︿乙卯﹀二月八日、於ヨ泉州久米多寺ノ方丈 4 記日之ヲ。貧道小比丘湛容︿通夏世/俗年五九﹀⑥ とあり、正和四(一三一五)年、湛容が三十二歳の時の著述であることがわかる。また、書写奥書に 至徳三年正月十八日於コ東大寺戒壇院ノ長老坊 4 書 二 写 ス ル 之 寸 也 。 為 一 一 同 廿 六 日 次 論 義 用 意 イ 俄 ュ 所 レ 写 z 也/小比丘霊満︿通四夏/俗口七﹀⑦ とあるから、戒壇院長老坊において霊満が至徳三(一三八六)年に華厳論義の用意のために書写したことがわかる。しかし湛容自身が論 義のために著したと記している箇所はない。そのため湛容がいかなる理由で本書を著述したかは不明であるが、古題に対して﹁難じて云 はく﹂﹁尋ねて云はく﹂など、あらゆる角度から疑問を挙げていることから、当時共通の認識であった龍女成仏義に対して、湛容自身の 意見を述べるために著述したことが推測される。 また、前述の通り﹃古題加愚抄﹄の前半部分には、﹁古題﹂として経論や喜海﹃五教章略文義﹄、宗性﹃華厳宗香薫抄﹄などが挙げられ る。本稿で取り扱う東大寺図書館所蔵﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂には﹃五教章略文義﹄﹁龍女成仏﹂が記される。これは金沢文庫所蔵の文 保二(一三一八)年の玄通書写本である﹃五教章略文義﹄﹁龍女成仏﹂ ( N S ) 、建武元(一三三四)年の英禅書写本である﹃五教章略文義﹄ ﹁ 飽 女 成 仏 ﹂ (N き)に照らし合わせると、部分的に一致するものの、完全には同一ではない。その他にも東大寺図書館本は未確認である ため、今後確認していきたい。 周知のように、龍女成仏は﹃法華経﹄﹁提婆達多品﹂(﹃大正﹄九・三五上
1
三五下)に説かれる逸話である。その中で、﹁八歳の龍女は、 智懇利根であり諸仏所説の甚深の秘蔵を受持し、︿利那の頃﹀に菩提心を起こして不退転を得る﹂と、文殊師利により論説される。その 後、智積菩薩が﹁釈迦如来は無量劫の難行苦行を経て功徳を積んだ後、菩提道を成ずることができたのだから、年少であり女身の龍女が ︿須奥の頃﹀に正覚を成じるとは信じられない﹂と返答する。その時、龍女が三千大千世界もの価値を有する一宝珠をもって現れ仏に献 上したところ、仏は速やかに宝珠を納受した。龍女が智積菩薩と舎利仏に、﹁私は仏に宝珠を献上した。世尊が納受した。このことは速 疾であったか、そうでなかったか﹂と問うと、﹁とても速疾であった﹂と答えた。それをもって龍女は﹁あなたがたの神通力により、私 隠谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田) が成仏するのを観よ﹂とし、﹁忽然の間﹂に男身に変成し、菩薩の行を具え、南方無垢世界に往き等正覚を成じ、三十二相八十種好を示 現し、一切衆生のために妙法を演説したことが、﹃法華経﹄に説かれている。この龍女成仏をめぐって湛容がどのような疑難を加え、論 題﹁龍女成仏﹂を理解していたのかを明らかにするため、以下に﹃古題加愚﹄の項目を設定した上で、翻刻・読解することにしたい。な お、翻刻にあたっての﹁凡例﹂は以下のとおりである。 ︻ 凡 例 ︼ 一、本翻刻は東大寺図書館所蔵﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂(一巻一冊、
- M
S g
)
の 全 文 で あ る 。 一、上段に影印、下段に翻刻文を表記した。 一、本文中に使用されている旧字・異体字・合字に関しては、内容に抵触しない限り常用漢字に改めた。 一、﹁/﹂﹁寸﹂などの片仮名の略字については﹁シテ﹂﹁コト﹂など開いて表記した。 一、割注に関しては︿﹀で括った。また紙数を()内に表記した。 一、虫損等により判読不能の文字については、ロにより字数分の空格を示した。 一、内容の把握の便のために、私に小見出しを付した。 q L q L﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂翻刻読解
(
1
)
表 紙-
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司 、 J t e t r a s -E a T , a e t ‘ t ' e 、i・
龍 谷 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第 二 十 二 号 平 成 三 十 年 u~ 古題加愚︿龍女成仏﹀湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田)
(
2
)
内表紙
︻ 解 説 ︼ 本書の表紙には、 満﹂と記される。 tや デー、
‘
古題加愚︿龍女成仏﹀ 題簸に﹃古題加愚︿龍女成仏﹀﹄ これらの人物がどのような人物か、 とある。内表紙にも同様に題名が書かれ、 詳細は不明である。 戒壇院 長尊 霊満之 右下には ﹁ 戒 壇 院 q L 長尊﹂、左下には﹁霊ω
﹃
五
教
章
略
文
義
﹄
﹁
龍
女
成
仏
﹂
の
提
示
龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年 ( 一 右 ) '問妙経所説龍女成道為説別教成道為当同教 成 道 哉 答 云 々 両 方 若 云 別 教 成 道 者 正 披 経 文見ニ成覚儀式サ或云ニ変成男子具菩薩行↓或説 即 往 南 方 無 垢 世 界 ↓ 此 等 ノ 説 相 符 ニ 順 ス 三 乗 ノ 権 門 一 -全不中当別教成道之義上処也若依之一同教成 道云者四勝身成道者是別教一乗大益也 戸 龍 女 既 z 為 ニ 留 惑 勝 身 ↓ 宣 ニ 是 同 教 成 道 耶 -答龍女成道是別教成道也ト云事何始可論之一耶 ﹁ 既 依 妙 経 甚 深 之 法 力 一 -留 正 覚 寸 要 不 可 下 一余教同一也其旨如四勝身成仏中ニ釈一但於変湛容﹃古題加愚﹄﹁飽女成仏﹂の成仏義(高田)
(
一
左
)
成男子等経文者彼経大意本対権教三根 4 誘引 彼等ザ為令成一乗信種寸故利那際中転女身一速 唱無垢界之成道寸見此難忠之事-始発大菩提心イ 趣真如見 4 悟一乗円頓之法↓是猶符順シテ彼権門一-示速疾頓成之相一故=二和合説為同教門之義一 錐然一剥那際印三世性↓古今性不改一忽称本法 4 是為謹境界-故為別教門之義↓也是以香象大師 1・一解行発心因位窮満者於第三生即得彼究寛自 狩在円融果↓述テ此知龍女及普荘厳重子等ト判7
千龍女成道是別教門之得益也ト云事分明也文李︿合論第一﹀ 三長者能女一利那際印三世性一文従凡夫即聖 戸不移事分此乃与善財童子解行入道法 1 4 門略同普財一生成仏者不離剥那際 ー ( 二 右 ) 圃謹三世性古今総斉還与龍女一一利那際転身 内具行成仏一時惣畢皆称本法々知是故文 '解釈源有其謂故尤可依用一者也 巴上五教章略文義也但少致加減抄之作 。
内 4︻ 解 説 ︼ ここでは﹁古題﹂として﹃五教章略文義﹄の﹁龍女成仏﹂を挙げる。まず、﹃法華経﹄﹁提婆達多品﹂で説かれる龍女の成道は、華厳別 教の所説とするのか、同教の説とするのか、と問う。その後、どちらの答えであっても智倣・法蔵などの説との矛盾が生じるという両様 の難が立てられ、それに対して会通して答えが示される。 仮に別教義であるとするならば、﹃法華経﹄の文に﹁成覚の儀式を行い、男子に変成して菩薩行を具え、南方無垢世界に往く﹂(﹃大正﹄ 九・三五下)と示されていることから、三乗権門の教説であるため別教成道の道理ではないとする。反対に同教義であるとするならば、普 財童子や兜率天子、普荘厳重子、龍女などの四勝身の成道は、﹃華厳経﹄の大益である。このように龍女は留惑の勝身であるため、同教 義ではないという。このような矛盾に対し、会通して、龍女の成道は別教成道であると明確に答えを出している。答文においては、﹃法 華経﹄は権教の三根に対して一乗の信種を生じさせるために説いたものであり、李通玄﹃新華厳経論﹄に出る﹁利那際に三世にわたる本 性を現し、凡夫から聖者まで少しも変わることはない。飽女の利那成仏と善財童子の一生成仏とは同一のものである。﹂(﹃大正﹄三六・七 二七中)という文を引用し、龍女成道が﹃華厳経﹄の本法にかなうという点から、別教門の義であるとする。 以上の﹃五教章略文義﹄の問答に対して、以下湛容独自の問答を展開している。 能谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年
湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田)
(
4
)
第
一
間
窓
口
︻
難
︼
難云説教権実f
以摂益 J 浅深↓可知之一得益 J 偏 円 ヲ ハ 約 シ テ 其 教 正 意 一 -可 判 之 一 然 法 花 経 ρ 会三乗之権↓帰 共 一 乗 之 実 一 -是O
大意既=二合説故同教也云事列祖一 同之定判也教既同教也何判摂益↓為別教成似 乎︿是一﹀次宗家釈別教名義云此別教一乗別於 一 彼 三 乗 文 見 彼 龍 女 成 仏 之 儀 式 イ 或 云 変 成 男 子 一或云即往南方↓是則嫌テ女身-成男子↓捨裟婆寸 一求他土,此等 J 文相一向符順三乗-故正是同教 一義也何為別教↓乎故李長者合論︿第一﹀云如法花経 一 ( ニ 左 ) 龍女於利那之際即転女身具菩薩行南方成仏知 花厳経即不然但使自無情見大智途明即万法 鉢真無転変相文善財知識中外道尼女等不 移事相↓自具仏法寸文説裟婆即花蔵故不 往他方一皆是称性之直談不同妙経所説之龍女 -28ー成道也︿為言﹀尤有其謂也︿是ニ﹀但利那際印三世性イ 速疾成仏故是別教成道也ト云事不可然一凡ソ 多籾之間修行純熟
Z
因位窮満故忽蒙教 益頓成正覚者雄何教何機不可為難↓是以横 妙経説龍女因行一云智慧利根普知衆生諸根行 業 得 陀 羅 尼 文 或 云 深 入 禅 定 了 達 諸 法 文 知 是 説 巳 テ 具 菩 薩 行 即 往 南 方 等 云 々 蛍 非 多 胡 修 行 ν テ 因位窮満故今蒙教益成@頓成正覚耶引 ( 三 右 ) 知大品経仏初在鹿野園転四諦法輪無量一生 補処菩薩一時成仏云々此等文勢何為別教不共 之成覚乎︿是三﹀が者難思 ︻ 解 説 ︼ この第一問答第一難においては、教の権実は﹃法華経﹄の信受で得られる功徳によって決まるとし、﹃法華経﹄は同教であるから、龍 女成仏も同教ではないのか、なぜ別教義なのかを問う。次に、第二難においては、法蔵が﹁華厳別教は三乗とは各別している﹂(﹃大正﹄ 四五・四七七上)と述べる部分を挙げ、﹃法華経﹄で龍女成仏の際、﹁儀式を見せ、男子に変成し、南方に往く﹂(﹃大正﹄九・三五下)とある 点が、裟婆世界即蓮華蔵世界という別教義ではないとする。別に他土を求めるという点が三乗と同等となるものであるから、龍女成仏は 同教の義であると難じている。また第三難においては、李通玄﹃新華厳経論﹄に﹁龍女の一一利那の際に三世の本性を示す﹂とあることが 龍 谷 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第 二 十 二 号 平 成 三 十 年湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田) 速疾成仏を示すため龍女成仏は別教成道である、 ば正覚を成ずることはできないのではないか、 と述べることが妥当ではないとし、﹃法華経﹄の文にあるように、多胡修行を経なけれ 多胡修行を経るならば別教義とすることはできないのではないかと難じている。
(
5
)
第一問答︻答︼
答実難妙経大都述会三帰一之旨寸故正覚同 教所摂7
兼 合 別 教 義 何 必 為 難 乎 是 以 検 彼 経始末イ替輸品云七宝大車其数無量文宗 家指此文一云此顕一乗無尽教義文又云此約別教 一乗以明異耳↓今提婆品所説龍女成道例亦 可 同 乎 次 於 変 成 男 子 等 文 者 妙 経 大 都 是 同 教故此龍女成道亦兼テ示会権帰実之相↓誘引 情見未尽之機寸則当同教意一-然今別教成道 者剥那際ニ印三世性寸不移事分三速疾ニ 成等正覚寸全同円経︿晋経第三十七性起品﹀云信楽此経少作方便 必 -30ー( 三 左 ) 決定得無上菩提↓故探玄記︿第十六﹀釈此文云少作方便者 以依普門互相摂故一得一切得故知善財一生補 龍 女 速 疾 文 次 前 重 所 引 李 長 者 合 論 全 同 普財龍女一徹全同一一宗家意↓者也次於多籾修 行純熟故頓成正覚寸等之難づ者此案存外 之難勢也
E
智積菩薩対文殊↓引釈尊無量 規難行苦行等事寸寛テ次下云不信此女於須 奥頃使成正覚斗舎利弗尊者臨龍女 4 云汝謂 不久得無上道是事難信所以者何O
仏道懸2
噺 ナ P 遥無量劫一勤苦積行一具修諸度 4然後乃成文 如 是 蒙 疑 問 寸 之 時 龍 女 以 一 ・ 宝 珠 寸 奉 上 仏 一 -々 即受之此時龍女謂智積身子一云我献宝珠 龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年湛容﹃古題加愚﹄﹁飽女成仏﹂の成仏義(高田) ( 四 右 ) 世尊納受是事疾不答言甚疾女言以汝神力 観二我成仏一復速於此文若多胡修行シテ因位窮 満之時忽蒙教益寸頓成正覚↓者智積身子 自本一為此旨↓故不可致疑難↓今既挙多 籾成仏之事イ難⑨那成覚之義イ何知能女依テ ・別教一乗普法力寸頓ュ満ニ利大願↓利那ュ成正 覚故智積等以三乗教多籾成仏之権執疑難 之-也案此難答之文勢↓龍女成道是別教一乗 之大益也ト云事分明者乎況又四勝身ハ者直 是普賢機也龍女既随一也⑧所摂也量不開別 教一乗大意一可令居在同教門乎但於大品経 文者彼以多胡修行純熟故今補処円満 時成仏是共般若之所説ュシテ全非今例↓也 -32-︻ 解 説 ︼ 第一聞の答えでは、﹃法華経﹄は会三帰一の旨を述べ、龍女の正覚は同教におさめられるものであるが、別教の義をも兼合するため、 別教義であるという。これは﹃法華経﹄﹁響鳴品﹂に﹁七宝大車の数は無量である﹂(﹃大正﹄九・一二下)ということや、この経文を解釈 した法蔵﹃五教章﹄に﹁一乗無尽の教義を顕す﹂(﹃大正﹄四五・四七七下)や﹁別教一乗の立場から同教との異なりを明らかにする﹂(向上) とあることを証左としている。 次に第二問の答えでは、﹃法華経﹄の大部分は同教を示し、龍女成道も会権帰実を説くが、﹃華厳経﹄に﹁﹃華厳経﹄を信受すれば、少 方便があったとしても、必ず菩提を得る﹂(﹃大正﹄九・二七八上)とあり、法蔵が﹁少方便﹂を﹁﹃華厳経﹄に説かれる普賢門によって互い
に事相を摂取することで一得一切得であるから、善財童子が一生補処菩薩であるように、龍女もまた速疾に成仏する﹂(﹃大正﹄三五・四一 七上)と解説する。このことから、龍女成仏は別教義であるとしている。 また、第三問の答えでは、李通玄の﹁龍女成仏も速疾成仏を説く﹂とする説と法蔵の説とは同一なものであると述べ、﹁多胡修行しな くては正覚を成ずることはできない﹂という難に対して、﹃法華経﹄自体に龍女の成仏が速疾であるといっていることを引用し、論難を 破斥するのである。そもそも龍女は智餓﹃孔目章﹄に説かれるように、﹃華厳経﹄所摂の機根(四勝身)で、普賢の機根であると主張する。
(
6
)
第二問答︻難︼
龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年 ( 四 左 ) 難云同別二教者上中二機讃入花厳法界法門一 之入門不同也然諭其 J 所入↓則同是レ別教一乗 普賢法界也故探玄記釈十行品長行偶頒不 同云前約同教授彼中根今顕別教被斯上達 以 同 別 無 擬 為 一 円 教 文 花 厳 問 答 云 舎 利 弗 等法花会至方一乗入所入一乗即是花厳別 教文直顕此旨一也然今云龍女成道是別教之 大益一者為約所入一-為約能入門 4 若 約 所 入 一 F 者三 因 J 声聞倶廻入花厳別教一何必龍女乎若約 能入門一者既転女身成男子一捨此界一往南方-雄利那際印三世性↓速疾ニ成正覚所示 現一之儀式正符順三乗教之所説 4 故縦雄 所入是別教一於入門-者室口同教乎︿是一﹀湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田) ( 五 右 ) 況所唱-者直八相之化儀未成十身之満果一所修一者 終ニ即三十二相尚不具八万四千相好一況十蓮花 蔵塵数相好乎何指此等仏一為別教之正覚乎︿是二﹀ 次於須奥頃便成正覚等文云解讃龍女云於剃那 頂発菩提心得不退転文文云志意和雅能至菩提文 准此経文一龍女至初発心住一信位不退暫現八相 之成覚故法花玄義第五云亦是龍女於利那 頃発心成等正覚
O
此諸大乗経悉明円教初発 住位也文妙楽弘決第六云此言超者以円望別故得 超名故知彼経唯有頓覚玄文第五判為所住龍女 亦爾並名頓覚言無垢者E
約六即以明無垢文経 宗人師知是釈云本符合経文一若配自宗五教一 正是終教意也何為別教成道乎︿是三﹀次雄 a 喧 q J( 五 左 ) 四勝身之随一所摂↓;既ュ云留惑勝身↓全岡三乗 云故留煩悩助願受生一又息苦生等五生中是 当随類生 4 然孔目章︿第四﹀如是五生既三乗云々此 留惑勝身既同彼三乗量非同教乎︿是四﹀如何 ︻ 解 説 ︼ 次に第二問答である。このうち第一難ではまず、機根が証人する法門について問う。﹃探玄記﹄﹁夜摩天宮品﹂において、長行と偶頒と の差異を述べ、﹁長行は同教の立場で中根を摂取しているが、偶頒は中根が上達して別教に入ることを明かす﹂(﹃大正﹄三五・ニコ二上)と あり、﹃華厳経問答﹄に﹁法華会座において一乗に帰入させる。帰入した法門は華厳別教一乗である﹂(﹃大正﹄四五・六二下)とあるのを 挙 げ る 。 これを踏まえ龍女の成道が別教の大益であるとすれば、証人する法門は所入門であるのか、能入円であるのかを問う。もし所入円であ るとすれば、﹁三因声聞﹂はいずれも華厳別教に廻入するが、龍女は廻入することなく頓成するのか、という。またもし能入門であると すれば、﹃法華経﹄に示された龍女の﹁変成男子﹂、﹁頓成正覚﹂は三乗教の所説であるため、同教義ではないのか、と矛盾を示している。 さらに第二難では、龍女が成道の際に示した仏身について問う。﹃法華経﹄で示された仏身は、八相の化儀であり、別教義でいう十身 の満果ではない。また﹃法華経﹄の仏身は三十二相を示すのみで、八万四千の相好を具えず、別教で示すような十蓮華蔵尽数の相好をも 具えていない。このため、龍女の正覚は別教義ではないのではないのか、と問う。 次に第三難では、﹃法華経﹄の﹁須奥の頃において便ち正覚を成じる﹂(﹃大正﹄九・一ニ五中)という文を、﹃法華玄義﹄﹃止観輔行伝弘決﹄ (﹃大正﹄コヲ了七三問中、四六・三三四中)では﹁龍女が初発心住において八相の成覚を示現する﹂と解釈していることを挙げ、この説が華 厳五教判でいうと、終教位になるのではないかと問い、なぜ別教義の成道であるかと論難する。 第四難では、第一問答の第四答で示された﹁飽女は四勝身の随一所摂である﹂という説に対し、龍女は﹃孔目章﹄でも﹃五教章﹄でも 龍谷大学僻教学研究室年報第二十二号平成三十年
湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田) ﹁留惑勝身﹂と捉えられており、三乗教所摂の機根と同等であるとする。また﹃孔目章﹄で﹁菩薩の五生も三乗義である﹂(﹃大正﹄四五・ 五八三中)とされるため、龍女成仏も同教義であるのではないかと問う。
(
7
)
第二問答︻答︼
答同別二教如次上中両機之入門論其所入, 謹是別教一乗也ト云事其案勿論也但望妙経文 見彼三因声開成道与此龍女正覚之儀式イ 雲泥不同也謂彼三因者或云順長劫之修行或 云以本願力故説三乗法一直是三乗常途之 説相全不見別教一乗之義門故終約所入之 一 乗 4 釈即其花厳別教↓之許也然見此 砲女之成覚↓頻 2 -述頓成正覚之旨一殊 破ス三乗権門北破⑪之執正成時此別教一-36-飽谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年 ( 六 右 ) 乗別於彼三乗之定判一全同善財一生具五 位法之大益故列祖之解釈多々之廃立直 ・斉テ善財等 4 比論之-更無分勝劣イ之釈其旨 如前重存申一但於変成男子等文一者会通此 F 難目可有ニ義也一義云円教必有同別二門若 闘一門則実非同教故以信位既同別無凝以 法成人一之時龍女成道之儀式亦示現同別 無磯之相寸有何難乎謂以普法相収之 力一故利那成党是別教門也変成男子 ロ是同教門︿為言﹀探玄記︿六﹀云同別無擬為一円教 演義抄云円教有一二同教二別教文直此意也 一義云男身女身相即自在故随テ有縁 J 機 一 -全 ( 六 左 ) 見之一例如賢首品以男子身入正受以女身讃定出 A 等又演義抄云惣由徳相本自具足即是徳相 令物見之一即為業用文故法花文句第八云南方 縁熟宜以八相成道此土縁薄包以龍女教化此是 権教巧之身得一身一切身普現色身三昧也准此等
湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田) 釈若由徳相門則男身女身本来相即自在 若由業用門則南方此方各見一身今且依業用 門説変成男子等何為同教義叶乎次於八相之 化儀及相好等難者探玄記︿第十五﹀釈仏就機出現之 E 義づ云一分相分門謂化身化地前現染土等報身 為化地上現於浄土此約三乗差別機説二無磁門 謂報化不分即権恒実如樹下現十仏身丈六 遍於十方八相該於法界諸根毛孔各無限量 為化地上現於浄土此約三乗差別機説二無擬門 謂報化不分即権恒実知樹下現十仏身丈六 遍於十方八相該於法界諸根毛孔各無限量 -38ー ( 七 右 ) 亦不擬限是則限無礎@無限無磁此約一乗門機 説文大疏︿十下﹀亦同之一准此龍女八相亦遍於十方該 於法界則何非一乗円機之得益乎次於発菩提 心等文一者探玄記云一得一切得故如善財一生龍 女速疾等文故知縦雄初住発心一便成正覚有何 難乎党行品云初発心時便成正覚文可思准之-文嘉祥法花義疏第九云於利那頃発菩提心得成仏 者伽耶山頂経明有四種発心一初発心謂入初地二行 発心二地至七地三不退発心調八九地四一生補処発心
飽谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年 謂第十地龍女発心成仏是第四義也文准此龍女利那 那頃至十地離垢定前即成正覚全同地獄天 子現身ュ設第十地不離天処イ見仏法身等何 口得初住発心一暫現八相之成道一也耶若是初 ( 七 左 ) 許暫現之八相正覚者何故智積挙釈尊之妙党 成道五悶誰之一身子円以長劫修得之極果サ可被疑 満行口故於是龍女以一宝珠寸上献世尊↓仏 即速ュ口受之一天台文句︿第八﹀釈云献珠-表得円解一円 珠表其修得円因寸奉仏一是将因一刻果一-仏受 疾者獲果速也此即一念坐道場一成仏不虚也文 縦雌天台会?初住 J 外果↓而自宗意准智積身 子之疑難一思宝珠奉仏之表口一口口唱究寛妙覚 之成道云事尤明鏡也次於留惑勝身及随類 生等云難者若如此難一者円経中地獄天子不直 以悪趣身 7 得頓円之益一而従地獄出子生兜率 天一得今難身↓成普賢解行法一亦是猶難処 求善処故符順三乗教之取捨分別可云同
湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田) ( 八 右 ) 教義一乎此既別教機者龍女変成男子例亦可 か-乎但於孔目章如是五生是三乗釈者且得五生-時雄是三乗而彼章次下文云若依十意受五生 身即是一乗文何不見一段始末↓労被疑難乎 ︻ 解 説 ︼ 第二問答の第一答では、まず﹁上根と中根とが入る法門が別教一乗である﹂という疑難の主張に対し、それは﹁勿論﹂であるとしなが らも、﹃法華経﹄の文をみると﹁三因声聞﹂と龍女成仏とには雲泥の差があると主張する。 そもそもここでいう﹁三因声聞﹂とは、①長劫の修行をなす者、②本願力によって三乗の法を説く者とされる。三者目は不明であるが、 三因声聞の成仏は三乗の説相であって、別教一乗義において見られるものではないとする。よって所入した一乗法門がいかなるものかと いう視点で解釈すれば、龍女所入の法門は華厳別教に一致する、としている。これに随えば、龍女の成覚は﹁頓成正覚﹂について述べ、 三乗権門の執着を破斥している。よって、別教一乗は三乗教の定判とは各別したものである。これは﹃華厳経﹄において善財童子の一生 に五位の大益を具えているのというのと同様である。よって中国華厳諸師の解釈には多々の意見があるものの、前述の通り龍女の成仏は 善財童子等に等しいものである、と答えている。 ただし第一問第一難において﹃法華経﹄﹁変成男子﹂の文章に対して三乗の教説ではないのか、という疑難が出されたが、湛容は二通 りの会過を示す。①﹃探玄記﹄や﹃演義紗﹄に﹁同教・別教が無凝であることをもって門教とする﹂(﹃大正﹄三五・二一三上、三六・五二七 上)とあることにより、信位において既に同教・別教は無磯である。よって龍女が成道の際に示した儀式も同別無磁の相を示すことにな る。②男身と女身とは相即自在であるから、機根に応じて見え方が異なる。これは﹃華厳経﹄﹁賢首品﹂に﹁男身をもって禅定し、女身 をもって出世する﹂(﹃大正﹄九・四三八下)とあることによる。﹃演義紗﹄に﹁徳相門では元々功徳を具えていることを示す。業用門で は機根によって異なる功徳を施設する﹂(﹃大正﹄三六・七七上)とある。﹃法華文句﹄にも同様に、南方にも此方にも各々一身を見ることが -40ー
示される(﹃大正﹄三四・一一七上)。今業用門によって﹁変成男子﹂について説かれているので、龍女身と見えるが、これを同教義とする ことはできず別教義であると会通する。 次に第二難に対する答えでは、龍女が成仏した際に示した八相は、十方に遍満して法界を該摂している。このことは龍女が示す仏身が ﹃探玄記﹄﹁仏不思議法品﹂や﹃華厳経疏﹄で示すように、仏身が報土と化土とを区別せず、釈尊成道の際、菩提樹下にて十仏を示現し たのと同様であると述べ、﹁無擬門﹂であることを顕している。このことから、龍女成仏は一乗円機が得る利益であるということができ る と す る 。 次に第三難では、龍女の発心について疑難が立てられていた。それに対する答えでは、﹃華厳経﹄﹁党行品﹂に﹁初発心時において正覚 を成じる﹂(﹃大正﹄九・四四九下)とあり、法蔵が﹃探玄記﹄において﹁一乗の法門では、一を得ることによって一切を得る。よって善財 童子が一生を得て示したのと同様に、龍女もまた速疾に成仏する﹂(﹃大正﹄三五・四一七上)という点から、初住位において正覚を成じる ことを示す。これは吉蔵﹃法華義疏﹄に明かされる四種類の発心のうち、第四の一生補処菩薩の発心である(﹃大正﹄三四・五九二中)。こ の龍女成仏は﹃華厳経﹄に説かれるように、三生成仏のうち第二生である解行位において、兜率天子が現身に十地を証得し、児率天を離 れないまま仏の法身等を見るのと同様であるとしている。 このため、問いにあるように﹃法華玄義﹄や﹃止観輔行伝弘決﹄で﹁初発心住においてにおいて八相成道を示現する﹂とあるのに対し、 ﹃法華経﹄の文を挙げ、智積菩薩は龍女の成仏を疑い、釈迦の成道のように長劫修行によって極果を得るべきであると主張する。しかし、 智鎖﹃法華文句﹄に﹁龍女が仏に宝珠を献上することは、龍女が円解を得たことを表す。飽女が持つ円珠は円因を修得したことを表す。 仏が飽女から宝珠を速疾に受け取ったということは、果を速やかに受け取ったということである。これはつまり龍女が一念にして成仏す ることは虚ではないということである﹂(﹃大正﹄三四・一一七上)と述べている点を挙げ、智顕が龍女の得益を﹁初住の外果﹂と会通する としても、華厳宗では、智積菩薩の疑難に准じて龍女の八相成道を釈尊の妙覚成道と同一であると捉えることを明かす。 次に第困難では、龍女が﹁留惑勝身﹂﹁随類生﹂とされ、三乗教所摂の機根ではないのかと論難された。それに対し、地獄の兜率天子 が悪趣身のままで兜率天に生じ、頓円の利益を得て、普賢の解行法を成じたことを例に挙げる。このように、難処において善処を求める ことが、三乗教の所摂であれば同教義とすべきであるとしながらも、問文で挙げられた﹃孔目章﹄の下に﹁十意によって五生を受ける身 は、一乗義である﹂(﹃大正﹄四五・五八三中)とあることから、龍女も別教にかなうものであるとしている。 龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年
湛容﹁古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田)
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第三問答︻難︼
難云龍女八相亦該遍十方法界云事不可然今円 経中縦説分相而経自顕可云権一互ェ具余教之旨 即如微細八相一者是文述通虚空法界 4 之 義 一 故 尤如探玄所釈-然妙経中提婆品不得此旨一余品不 此説此義故知妙経之即往南方無垢世界時宝蓮 a A 花成等正覚三十二相八十種好↓者正覚分相門蓋約 三乗差別於機之所見一-談也全非無擬門之所談乎 ︿是一﹀文若云下以上述速疾頓成義而其下談三十二相等↓故 口上一所述円極集@実成之正覚思其所具之相好-42-( 八 左 ) 口同是一乗円機之頓益故龍女八相亦可該遍 十方法界 t 者宗家如此義門名法相交参一乗十判 同教一乗↓不許別教↓也︿是二﹀文縦錐速疾頓成 之正覚口為破舎利弗等権執故所示現之成仏 也何為円満教果海内讃之人乎是以花厳問 答云若随縁成仏即同三乗教所説也約一乗 教普法念々毎成仏等文随女 ρ 既ニ為破権執之疑 執寸随転情見未尽之縁全ニ留南方無垢之 正覚是即三乗教之分域ニシテ更非一乗宗之実 徳唱若因中諭之一可云同教一争判別教乎︿是三﹀如何 ︻ 解 説 ︼ 第二問答を受け、第三問答の難が立てられる。 まず、第二問答第一難において、龍女が成道の際に示す八相が十方世界に遍満するという義に対して論難する。まず、﹃探玄記﹄中の 別教一乗を明かす段において、相対としての別教一乗として﹁分相門﹂を説き、﹃華厳経﹄にも権となる義を顕していることを明かす。 また﹁同教・別教が互いに余教の旨を具えるならば、微細の八相の如し﹂とは、仏身が虚空法界に遍満しているという義を述べる。よっ て龍女の示す仏身は﹃探玄記﹄の﹁分相門﹂で示す通り、相対的にみた別教一乗であるとする。しかし﹃法華経﹄﹁提婆達多品﹂では、 この旨を明かしておらず、他の品においてこの義を説いている。よって﹃法華経﹄の﹁龍女は南方無垢世界に往き、宝蓮花に座し、等正 覚を成じ、三十二相八十種好を成じた﹂(﹃大正﹄九・三五下)とは、別教の相対的な面である﹁分相門﹂を指していると指摘する。つまり、 龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年
湛容﹃古題加愚﹄﹁飽女成仏﹂の成仏義(高田) 一乗と三乗との差別は、仏身という機根の所見によると談じている。よって第二問答の答えに述べるように、龍女成仏が無擬門の義であ る、という説に対して疑義を呈している。 次に第二難において、﹃法華経﹄では速疾頓成の義を述べながらも、その後に﹁三十二相等﹂を説いているため、龍女が円極実成の正 覚を成じていると述べる。能女が示す相好は、一乗円機が頓益を得た時のものと同一であるため、臨女が示した八相も十方法界に該遍し ていると述べる。これは法蔵が﹃五教章﹄で同教を明かす中において、三乗と一乗の法相が互いに交わり、=二合説の一乗の﹁法相交参 一乗﹂(﹃大正﹄四五・四七八下)であるとし、同教一乗と判じて、別教とは認めていないと論難する。 また第三難においては、﹃華厳問答﹄を引用し、たとえ穂女が速疾頓成の正覚を成じるとしても、飽女の成仏は舎利弗等の権執を破斥 させる為に示現した成仏であるため、龍女を円満教果海内讃の人とすることができないのではないかという。よって、同教というべきで あり、どうして別教と判じるのかと問う。
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第三問答︻答︼
-44-答既唱速疾頓成之正覚-出旦非円極秘密之 .仏体乎爾者所具三十二相所示之八相化儀不 可同三乗差別之所説也但於口此義門名法相( 九 右 ) 交相参一乗之難一者彼但名言同其義理当別也 云々今則不爾一何為難一乎次自本一躍女成道具 合同別二門故望下破権執イ誘引情見未尽 機一義遍上即同三乗之分但利那際印三世性寸 正機本法寸於須奥頃便成正覚其旨経文明鏡也 故ニ指此経観文?為別教成道一然何難一乎 ︻ 解 説 ︼ 第三間の答えでは、龍女は速疾頓成の正覚を唱えているため、円極秘密の仏体であるとする。よって龍女の三十二相や八相の化儀は、 三乗差別の説と異なるものであるとする。ただし=二合説の一乗を﹁法相交参一乗と名づける﹂という難に対しては、﹁名言は同じであ るが義理は異なる﹂とし、同教一乗は当てはまらないと答える。 第三難の答えでは、元々龍女の成道が同教・別教の二門を含めているとし、舎利弗の権執を破斥し、情見未尽の機根を誘引するという 義をみると、三乗の一分と同一であるとすることができるとする。しかし﹃華厳経論﹄に﹁利那際に三世性を印する﹂(﹃大正﹄三六・七二 七中)と述べる点が正しく﹃華厳経﹄の義にかなうとし、﹃法華経﹄﹁須奥の頃、便ち正覚を成ず﹂の文は、﹃華厳経﹄とも合致するもので あると述べる。そのため別教の成道とするのである。 龍 谷 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第 二 十 二 号 平 成 三 十 年
湛容﹃古題加愚﹄﹁砲女成仏﹂の成仏義(高田)
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第四問答︻難︼
︻ 解 説 ︼ 次に第四問答では、第三問答の答えに対して更に難が加えられる。 まず、龍女成仏の義に速疾頓成の面があるといっても、龍女が成道する際、 乗に一分が同一となるものであるため、別教一乗の実徳ではないと論難する。 難云縦蛾速疾頓成之義遍寸ト既以此成覚随転 機縁三小現之一即岡三乗之分一何為別教一乗之 .一実徳乎若随縁現成仏即同三乗所現之問 答ロ釈正述此旨一也彼六千比丘錐経正説十 限十耳等普門円極之大益↓而表廻小乗サ可入 等-之旨寸故当判花厳経中同教斗今亦例可 ロ-乎是以合論︿第一﹀云如法花経穏女於利那之際即 ( 九 左 ) 転女身具菩薩行南方成仏如花厳経即不然但使 自無情見大智遜明即万法体真無転変相文 意云難剃那際留正覚重転女身一往南方等之 義遍還同三乗差別所説故非知花厳別教之 実徳法門也︿為言﹀如何 -46-その成道の様子を集まった人々に示している。この点はまた第二難においては、﹃華厳経﹄﹁入法界品﹂に﹁舎利弗及び図陀羅慧等の六千の比丘は、文殊師利の教化の下、廻心して十六法門及 び十眼十耳等の一乗の法門を得た﹂(﹃大正﹄九・六八六下)とあるように、龍女も小乗を廻入し大乗に入るはずであると聞い、大乗に漸入 するならば同教とすべきではないのか、と論難している。また、李通玄﹃華厳経合論﹄において、﹁﹃法華経﹄に﹁龍女が利那の際、たち まちに女身を転じ男身となり、菩薩行を具え南方にて成仏する﹂という説と﹃華厳経﹄の説とは異なるものである﹂(﹃大正﹂三六・七二六 上)とする説を挙げ、三乗の所説と同一であるため、華厳別教の実徳法門ではないとする。 、 ‘ ‘ , , , t -a ・ ・ ・ ・ ・ ' ' a ・ ‘ 、
第四問答︻答︼
龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年 答正見妙経寸龍女成 覚ェ有内謹外用ニ門一其内鐙者於利那頃 4 発 菩提心寸得不退転寸信ュ以一得一切得故便成究寛 妙覚之正覚一正是別教成道也愛蒙智積問一 故文殊宣説此旨一之時智積疑云不信此女於須 奥頃便成正覚↓身子 ρ 難云汝調不久得無上道是 事難信↓然龍女破此等疑難寸方於外用 門 J -忽然之悶変成男子即往南方成子正覚一如 是義適正覚同教門也但今合論者龍女内謹湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田) .~ ~
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J
司 吋 ( 十 右 ) 之実成道及外用門之成道一分也謂内謹外用 具有不一不異之二義若約不異義則無垢界 之業用亦同内設実徳所摂故也爾者速疾 頓成之正覚与随縁顕現之成仏具可有所遍-何不分別↓可致銀難一乎次於六千比丘者彼表 廻小乗可入大之義-尤可同教-今此龍女本是普薩 種性人由余宿業故受飽高身由口鉢一乗普 根故開法悟廻更非比例一也故探玄記︿第十一﹀云若 人堪任問者謂有菩薩種姓曾種一乗善根者 堪聞此法能正信受故雄生在大海龍世界長 寿亦得聞此経O
問若堪聞此何故生彼答由 余宿業故如龍女聞法等一文以龍宮有経故文 准此可知次於合論釈者彼立十別一中第七龍 -48ー ( 十 左 ﹀ 女転身成仏別釈也但今論於利那之際者妙 一経文云当時衆会皆見龍女忽然之間変成男子 等-此経文云忽然之問↓即経云於利那之際一也非 於利那頃発菩提心之利那で也思之︻ 解 説 ︼ 次に第四問答の答文では、以下のように返答する。 まず﹁﹃法華経﹄の中に飽女の成覚には内謹門と外用門の二門がある﹂とし、﹃法華経﹄の﹁利那の頃に菩提心を発して不退転を得る﹂ とは、まさしく一得一切得であるから、この位に究寛妙覚の正覚を成じるとする。これを内謹門とし、別教義であるとする。その後に﹃法 華経﹄に示される﹁忽然の聞に男子に変じ、即ち南方に往き、正覚を成し示す﹂とあるのを外用門とし、これを同教義とする。これらは 別々の二円であるが、不一不異の関係であるとする。不一義は難者が述べている。不異義の立場から述べたとしても、南方無垢世界の仏 の業用も内設の実徳の所摂と同じである。よって、速疾頓成での正覚は真如随縁である顕現の成仏と同一であるとする。 また第二難の答えでは、﹃華厳経﹄の﹁六千比丘﹂のように小乗に廻入して大乗に入るのは同教義であるとする。しかし、龍女は元々 菩薩種性の人であり一乗の善根であるため、他の三乗と異なるものであるから、別教義であると述べている。よって李通玄﹃華厳経合論﹄ にもあるように、﹁剃那際﹂に菩提心を起こすことができるのであるとしている。
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第五問答︻難︼
難云能女成道有内謹外用二門之事不可然正見 経文云即往南方無垢世界坐宝蓮花成等正覚 文是即往南方無垢世界方始成正覚一明知己 前未成正覚云事年者妙経所説無垢界之成 覚既是外用門之随縁現成仏也内設門之実成 飽谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田) 道者何処成之サ文何経所説乎何況至相大師︿孔目第四﹀ 述依法花経龍女之身南方成仏義当留惑之身 疾得成仏↓圭山禅師︿円覚紗ニ下﹀釈亦如女身不得成仏 何妨龍女忽然之間変成男子而作仏耶問提 ( 十 一 右 ﹀ 成仏亦復知是↓加之李長者合論︿第一﹀云如法花経龍 女於利那之際即転女身具菩薩行南方成仏文 金陵義疏︿第九﹀釈男子女身相対成仏不同寸作四句中 云三亦男亦女則龍女是也本是女変為男文自他 宗諸祖釈龍女成仏一之時ハ直以無垢界之正覚一為 実成仏此外更不出彼成覚之相今有二門之 成道云事尤難思如何 -50
一
︻ 解 説 ︼ 第五問答の疑難では、第四問答の答文において﹁龍女成道に内設・外用の二門がある﹂とあったことに対し否定する。 まず﹃法華経﹄に﹁即ち南方無垢世界に往き、宝蓮花に坐し、等正覚を成ず﹂とある点は、始めに正覚を成すのであり、それ以前には 正覚を成じてはいないことを理解すべきだとしている。﹃法華経﹄に説かれる南方無垢世界での成覚は、外用門の随縁した現成仏である。 よって、内謹門の実成道という記述はみられず、どのような経典に説かれるのか、と詰難する。また、智餓﹃孔目章﹄﹁龍女の南方成仏 は、留惑勝身の疾得成仏である﹂(﹃大正﹄四五・五八五下)、宗密﹃円覚紗﹄﹁女身は成仏できない。龍女も忽然の聞に男身に変成しても、 作仏することはない。一間提と同じである﹂(﹃統蔵﹄九・五O
五下)、李通玄﹃華厳経合論﹄﹁﹃法華経﹄にもあるように、龍女は剃那の聞 に女身を転じ菩薩行を具え南方無垢世界に向かい、成仏する﹂(﹃大正﹄三六・七二六下)などを挙げる。これにより自宗・他宗ともに諸祖は、龍女成仏を解釈する時、南方の無垢界での正覚をもって実成仏としており、この他に成覚を示す相はないとしている。このように館 女成道に内謹門と外用門の二門の成道があるという人師はいないことを指摘している。
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第五問答︻答︼
龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年 答有人云龍女在龍宮-聞 説@文殊宣説妙法一之時於剃那頃一-発菩提心一能至 菩提ュ是即内謹実成仏也故南方無垢之成覚 t h 即外用門成仏也其故 ρ 智積問文殊一云此経甚深 微妙諸教中宝世所希有頗有衆生勤加精進 修行此経速得仏不↓之時文殊善云有裟婆掲羅 龍王女年始八歳智慧利根O
深入禅定了遥諸法 ( 十 一 左 ) 於剃那頃発菩提心得不退転O
志意和雅能至菩提文 愛智樹身子共疑云不信此女於須奥頃便成正覚 言論未詑時龍王女忽現於前等文明知此文説龍女 在能宮時唱内鐙実成道イ之旨也更為破智 積所疑執↓故即往南方亦示現疾得成仏 之儀式一是外用門之随縁化現成仏也︿己上有人義也﹀湛容﹃古題加愚﹄﹁飽女成仏﹂の成仏義(高田) ︻ 解 説 ︼ 第五問答の答えでは、﹁有人﹂の説を挙げ、答えを出している。﹁有人﹂は、龍女が龍宮において文殊の説法を聞き、﹁利那の頃﹂に菩 提心を起こし普提に至ったのを内讃門の実成仏、その後、南方無垢世界に趣いて正覚を成じたのを外用門の成仏とする。﹃法華経﹄文の うち、龍女が龍宮にいる時は内謹門の実成道であったとする。更に智積菩薩が穏女の成道に対して疑執したことを破斥する為に、龍女は 南方に往き疾得成仏の儀式を示現し、外用門の随縁化現の成仏であるとしている。 現在この﹁有人﹂が一体誰なのか調査中であるが、﹃法華経﹄に書かれる龍女の発菩提心と成等正覚との差異を議論する際、詳細な論 義が行われていたことが窺われる。
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湛容による愚案
愚案云龍女内謹外用之成道其在霊山会上 4 調以一宝珠↓以奉上仏者表将円因-魁満果 4 之義 仏納受速疾者表得果速疾之義一是即内謹実 成仏也然彼更往南方亦示現疾得成仏之儀式-是外用門之成道也故天台文句釈云献珠表得円解 円珠表其修得円因奉仏是将因一魁果 4 仏受 q L P 3( 十 二 右 ) 疾者獲果速也此即一念坐道場成仏不虚也文 次下引菩薩処胎経文云魔党釈女皆不捨身不受身一悉 於現身得成仏故文是即内鐙実成仏也次下又釈 実成仏也次下文釈南方無垢之成覚-云南方縁熟 宣以八相成道此上約縁薄只以龍女教化此是権巧 之力文是則外用門之成仏也妙楽︿疏記八﹀双釈此二門-云今龍女文従権問説以悟円経成仏速疾若実行 不疾権行徒引是則権実義等理不徒然文解釈 明鏡也更不可異求也若爾者上云能至菩提等者直指 当転之果非調龍宮己成正覚一也但於自他宗諸 祖之解釈者従愈顕之文相一-且指外用門之成仏 有何相違-乎 ︻ 解 説 ︼ ここでは湛容による﹁愚案﹂が示される。本﹁愚案﹂は、第五問答にて問答された龍女成道の内謹門・外用門についてのもので、いか なる段階で正覚を得たというのか問うものである。 まず、﹃法華経﹄﹁龍女は霊山会上にて宝珠を仏に奉上する﹂というのは、龍女が円因を持ち満果を超越していることを表す。続けて﹁龍 龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年
湛容﹃古題加愚﹄﹁砲女成仏﹂の成仏義(高田) 女が献上した宝珠を仏が納受したのは速疾であった﹂というのは、仏果を得たのが速疾であるという義を表している。これが内護実成仏 であるとする。また﹁南方に往き、疾得成仏の儀式を示現する﹂とは、外用門の成道であるとする。一方、智顕﹃法華文句﹄に﹁龍女が 仏に宝珠を献上したのは、龍女が円解を得たのを表す。円珠は龍女の行を表す。仏に奉上したのは、因をもって果を超越していることを 示す。仏が宝珠を受けるのが速疾であったとは、果を獲得することが速疾であったことを示す。﹂(﹃大正﹄三四・二七上)、﹃菩薩処胎経﹄ ﹁魔王、党天、帝釈天、女身は、その身を捨てず、その身を受けないまま、現身に成仏することができる﹂(﹃大正﹂二了一
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三 五 上 ) と ある点が、内讃実成仏であるとする。また﹁南方無垢世界での成覚﹂について﹁南方無垢世界の縁が熟せば、八相を示し成道する。此土 の縁が薄ければ龍女によって教化する。これは権巧の力であり、一身一切身、普現色身三昧を得ることができる﹂(﹃大正﹄三四・二七上) と解釈している点は、外用門の成仏であるとする。 これらの証文により湛然﹃法華文句記﹄では砲女の成仏について﹁権に則って速疾成仏を証す。実行が速疾でないならば、権行も速疾 ではない。権実は等しいものである﹂(﹃大正﹄三四・=二四中)と解釈する。ただし華厳宗でも他宗でも諸祖の解釈では、段顕の文相に従 って龍女の成仏を外用門のものとしている。よって、内謹門と外用門とに区別すべきではないとしている。 局 U Z E 1 u(
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愚 案 に 対 す る 疑 難 難云砲女若当別教不共之成 道者見聞当機衆既信受之-故同可得此円頓大益一何故経龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年 ( 十 二 左 ) 但云住不退地↓或云発菩提心而得受記寸乎是即三乗教 常途之得益全非別教一乗円頓之大益一-准当機之得 益 J -思 飽 女 成 道 寸 例 示 可 爾 也 次 円 教 意 不 分 生 死勉細之相寸惣就過患以為一際至信満後頓翻彼一 際云々然孔目龍女留惑同生人云々何不頓翻之全 如三乗教留惑同生乎以知依示留惑之現成仏之 相 一 直 皆 化 現 也 何 為 別 教 之 実 成 乎 答 有 人 会 云 龍女自本一乗純熟之機故云受文殊教化サ得 初住不退之時以一得一切得故唱究寛妙覚之成道 今三千 J 衆生及身子等"始蒙法花之摂益寸故所 得之益相符順常途ノ之教一説此是同教一乗故也 但不妨其所入一乗即花厳別教一也次於留惑同 生之釈者戒壇院然大徳云以当趣之劣報而現 身成仏為顕一乗之因縁也未必岡三乗教之助 ( 十 三 右 ) 、願受生寸例知 F 彼他方極住菩薩現舎利弗等声聞身-示聾盲顕中法深勝 t 然亦不遮助願救生也云々 但探玄記云由余宿業故如龍女聞法等文不可例舎 利弗等而現声聞身也思之
湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田) ︻ 解 説 ︼ 以下、さらに疑難が立てられる。 まず、龍女の成道がもし別教不共の成道であるとするならば、見聞位の機根は﹃法華経﹄を信受しているはずである。そのため他の見 聞位の衆生も同じくこの円頓の大益を得るはずである。どうして﹃法華経﹄に﹁不退地に住す﹂、﹁菩提心を起こし、受記を得る﹂と三乗 教の得益について挙げるのか、別教一乗円頓の大益ではないのではないのか、と問う。 次に龍女が示す身について問う。﹃五教章﹄において﹁円教では生死麗細の相を区別せず、分段身の一際に翻転して仏身を顕現する﹂(﹃大 正﹄四五・四九二上)という。しかし﹃孔目章﹄では﹁龍女は惑を留め、衆生と同生する人である﹂(﹃大正﹄四五・五八五下)という。三乗 教に説かれる留惑の現成仏の相を示すことで、直ちに化現したのである。よってどうして別教の実成仏の義とすることができるのか、と し て い る 。 これらの疑難に対して次のように答えている。﹁龍女の受益は三乗教の得益であり、別教の大益ではないのではないか﹂という問題点 に関して、元々飽女は一乗純熟の機根であるため、﹃法華経﹄にも﹁龍女が文殊菩薩の教化を受け、初住に不退を得る時、一得一切得を 以て究寛妙覚の成道を唱える﹂とあるのである。 また、施女が成仏した後の説法を聞いた﹁三千の衆生や智積菩麓﹂等は﹃法華経﹄の利益を摂受するため、所得の益相が他の教説と合 致するのである。これは同教一乗にあたるが、所入の一乗は華厳別教を妨げるものではない、と答えを出している。 次に第二疑難に対し、﹁﹃五教章﹄と﹃孔目章﹄における龍女に関する解釈の相違﹂について、以下のように答える。戒壇院凝然の説を 出し﹁留惑同生﹂について答える。凝然は、﹁飽女は現世が劣報土であるため現身成仏して一乗の因縁を顕している。必ずしも三乗教に 説かれるように助願して分段身を受け、衆生を摂化するものと同一のものではない﹂とする。例えるならば、他方浄土にいる極住菩薩が 声聞の身体を借りて、﹃華厳経﹄が殊勝であることを明かそうとしたものである。よって、﹁助願救生を遮らない﹂ということができ、﹃五 教章﹄と﹃孔目章﹄との会通することができるのである。ただし、﹃探玄記﹄に﹁他の宿業に依拠するため、龍女が聞法するようなもの である﹂(﹃大正﹄三五・二九四下)とあるのので、舎利弗等が声聞身を化現しているのを喰えているのではない、としている。 -56ー
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談義︻一︼
尋云孔目五教更 直以龍女為三生究寛人而正見妙経文云於利那頃発 菩提心乃至能至菩提等叶都至三生之相如何答有人 会云普財等四勝身為三生究寛人云事両師一同也然此 四人皆初心究寛且寄岡三乗信解行等一-施設三生一 其中善財等三人顕示三生之相飽女一人顕説速 疾成仏之相↓雄然一互存両辺↓故同挙四人也 ︻ 解 説 ︼ ﹁愚案﹂に対して疑難が立てられた後、また異なる視点より二つの談義が展開される。 まず第一の談義においては、﹃孔目章﹄・﹃五教章﹄では、飽女を三生の究寛人としている。しかし、﹃法華経﹄の文を見てみると、 那の頃、菩提心を起こし菩提に至る﹂と記されており三生の相は示されていない、と聞いを立てる。 それに対して、再び﹁ある人﹂の説を出して答えている。﹁善財童子、兜率天子、普荘厳重子、龍女の四勝身は三生の究寛人である﹂ ということは、智織も法蔵も同様のことを述べているとする。この四勝身は皆初心に究寛しているものの、三乗教に寄せて三生成仏の道 理を立てているのである。その中でも普財童子、兜率天子、普荘厳童子の三人は、成仏する際、三生成仏の相を顕示している。龍女一人 だけが速疾成仏の相を説いている。しかし四人とも三生成仏と速疾成仏の両辺を内包しているため、いずれも三生究寛の人であるとして い る 。 龍 谷 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第 二 十 二 号 平 成 三 十 年湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田)
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談義︻二︼
尋云同許三生究党人而亦施設三生云々其義如何答 孔目第三云若闘も一乗義十信地見聞終心成解行十信 終心勝進向十解得究覚証文探玄記第四云於此信満人 普賢住具有二義若約果則下文賢首仏利等此 ( 十 三 左 ) 中約因故之菩薩文岡十五釈寿命品十重仏利云三 約別教裟婆是見聞解行処中間諸土唯解行処 末後仏他土通解行満及証入故是故信満位処 亦名賢首故文意云十信終心即究寛設 故第十仏利名賢首仏利説十信成満之徳一名 賢 首 品 ↓ 即 是 意 也 ︿ 為 言 ﹀ -58ー ︻ 解 説 ︼ 次に第二談義では、第一談義の答えにおいて﹁四勝身は皆初心に究覚して仏果を得ているものの、三乗教に寄せて三生成仏の道理を立 てている﹂ということに対し、説明を求めている。 これに対し、﹃孔目章﹄﹁一乗義では、十信・見聞位の終心に解行位を成す。十信の終心から勝進して十地に向かい、究寛証を得る﹂(﹃大 正﹄四五・五六八下)、﹃探玄記﹄の中、﹁賢首菩薩品﹂の品名を解釈する段において、﹁信満位において、普賢位に入るには二義がある。(﹃大 正﹄三五・一八六中)①果から説く立場。これは﹃華厳経﹄﹁寿命品﹂にいう﹁賢首の仏利﹂(勝れた仏土﹀を意味する。②因から説く立場。 菩薩は勝れたものであるから﹁賢首﹂とする。﹂といい、さらに﹁別教の立場で解釈する。裟婆は見聞位と解行位の処である。中間の諸々の土は解行位のみの処である。末後の仏土は解行位の満位と鐙入位とに通じるため、因位の満位においても、﹁賢首﹂というのである。﹂ という文を引用する。 これにより、十信の終心が究寛証であるため、 いて﹃探玄記﹄の解釈を用い結論づける。 砲 谷 大 学 僻 教 学 研 究 室 年 報 第 二 十 二 号 平 成 三 十 年 第十の仏土を賢首仏刺と名づけ、十信成満の功徳を説く、 と﹁初発心時便成正覚﹂につ
湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田)
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奥 書 本云 己上古抄中有此等問答料簡-今更加文義-倍致潤色一或 剛或補以折写了子時正和四年︿乙卯﹀二月八日於泉州久 米多寺方丈記之-貧道小比丘湛容︿通夏世/俗年五九﹀ 文尋云道選云此人昔時於前三教久己修学権門純熟 今値釈迦聞円頓極教則破無明乃至入第十地等文 U 伝教秀句云能化龍女無歴幼行所化衆生前無歴劫 ー行妙法経力即身成仏文 ( 十 四 右 ) 至徳三年正月十八日於東大寺戒坦院長老坊 書写之了為同廿六日月次論義用意一俄所 写 也 小 比 丘 霊 満 ︿ 通 四 夏 / 俗 口 七 ﹀ -60-• • ••
‘ , 、 •︻ 解 説 ︼ 最後に奥書が記されている。ここから湛容が﹁古題﹂の中の問答・料簡にさらに文義を加え、潤色や文字の削除・補足したことがわか る。正和四(一三一五)年二月八日、泉州久米多寺(現・大阪府岸和田市)の方丈において記されたもので、湛容が五十九歳の時のもので ある。それを至徳三(一三八六﹀年正月十八日に東大寺戒壇院長老房において、論義用意の為に霊満が書写したものである。 四
むすぴ
以上、簡略ではあるが﹃古題加愚抄﹄の書誌概略と綱刻・解説を述べてきた。 ﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂においては湛容と比較的同時代の喜海﹃五教章略文義﹄が﹁古題﹂として挙げられていた。それに対して五 つの問答がなされた後、﹁愚案﹂が加えられる。拙稿[二O
一五]においては、愚案の前の問答から湛容の独自解釈が述べられていると したが、今後、他の論題も確認し、どの部分から湛容の﹁愚案﹂か、さらなる見極めが必要である。 また、本書の前半部分では、龍女成仏を軸として李通玄﹃新華厳経論﹄ように﹁岡別二教﹂を論じることに終始している。これは﹁古 題﹂として引用されている﹃五教章略文義﹄においても同様で、﹁龍女成仏﹂ H ﹁同別二教﹂という傾向が見られた。ところが、﹁愚案﹂ 以降、﹁同別二教﹂のみに留まらず、法蔵所説の﹁三生成仏﹂の問題にも解釈が及び、その広がりを見せていることが、今回の翻刻を通 じて明瞭になった。前述したとおり、本書は僧階を上がるための公式な論義の場で使用するために撰述されたものではない。いわゆる談 義という、公式の論義法会以外の場での論義の実態が明らかでない現段階においては、ある論題の中で問題点が変わっていくという点は 特色であると考えられる。 湛容は、﹃華厳五教章纂釈﹄において﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂と同じように龍女成仏についての問答を行っている。その答えの中で、 ﹁略文義を見るべし@﹂とし、喜海﹃五教章略文義﹄を参照するよう、促している。続けて、 龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田) 凡 y 此 J 論義之落居ょ者、可日成ニ立 x 別教成道之旨↓也。但 F 其 / 難 勢 丹 者 、 彼 J 経 ュ 説 コ 龍 女 成 道 之 儀 式 ↓ 、 或 ィ ハ 云 コ ヵ 変 成 男 子 ↓ 故 -、 全 P 事 コ 法 性実徳法爾
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如 川 是 J 之宗義づ或ィハ云ヲ即往南方叶故ュ、指 ω 方 , 立 げf
相 , 権 施 ニ シ テ 不 了 也 。 或 4 二五そ八相成道↓者、為日化三凡夫二乗サ所 U 示 現 づ 之 儀 式 ナ リ 。 宣 ニ 是 レ 別 教 一 乗 十 身 無 擬 之 成 道 ナ ル ヵ 哉 。 ⑫ とする。つまり、龍女成仏義の帰着点は別教成道であるが、それを批判する人は﹃法華経﹄所説の龍女成道の儀式や変成男子が華厳宗の 教義とは異なるものであるという、とする。また﹃法華経﹄に﹁即往南方﹂とあるのは、方角を指し仏の相を立てるのは、権に立てるも のであり不了義であるという。﹃法華経﹄﹁八相成道﹂は凡夫・二乗を教化するために示した儀式である、という。これらのことから、﹁龍 女成仏﹂は別教義とは言えないのではないかと論難があったことがわかる。これに対しての湛容の答えは﹃五教章纂釈﹄には見られない が、﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂において問題の解決を図ろうとしたことが推察される。 ﹃五教章纂釈﹄で示される﹁此知能女事﹂という項目には、﹃古題加愚﹄には引用されていない観復﹃折薪記﹄、師会﹃復古記﹄、希迫 ﹃集成記﹄などの宋代の華厳教学書が引かれる。宋代華厳教学において﹁同別二教﹂が重要な議論のテl
マだったことは既に吉田︹一九 九六]において指摘されている。これらの文献が湛容の手に入った時、より詳細に﹁同別二教﹂について議論する必要があったと考えら れる。それと同時に、高山寺華厳においても重要な論題とされた﹁三生成仏﹂について、湛容の回答を示す必要があったのではなかろう AU 拙稿︹ニO
一五]で指摘したように、湛容﹃古題加愚抄﹄﹁非情成仏﹂においては非情の発心修行を認める柔軟な態度を見せていた。 龍女成仏義においても湛容がなぜこのような詳細な議論を行っていたのか、今後解明していきたい。 ︻付記︼本稿執筆にあたり、貴重な資料を閲覧・翻刻の許可をくださった東大寺図書館・神奈川県立金沢文庫のご厚意に対し衷心より感 謝申し上げます。 q L EU-野 呂 ・ 吉 田 ︻ 主 要 参 考 文 献 ︼ ・大久保良峻[二