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談義︻二︼

尋云同許三生究党人而亦施設三生云々其義如何答

孔目第三云若闘も一乗義十信地見聞終心成解行十信

終心勝進向十解得究覚証文探玄記第四云於此信満人

普賢住具有二義若約果則下文賢首仏利等此

(十

三左

)

中約因故之菩薩文岡十五釈寿命品十重仏利云三

約別教裟婆是見聞解行処中間諸土唯解行処

末後仏他土通解行満及証入故是故信満位処

亦名賢首故文意云十信終心即究寛設

故第十仏利名賢首仏利説十信成満之徳一名

賢首

品↓

即是

意也

︿為

言﹀

‑58

︻解

説︼

次に第二談義では︑第一談義の答えにおいて﹁四勝身は皆初心に究覚して仏果を得ているものの︑三乗教に寄せて三生成仏の道理を立

てている﹂ということに対し︑説明を求めている︒

これに対し︑﹃孔目章﹄﹁一乗義では︑十信・見聞位の終心に解行位を成す︒十信の終心から勝進して十地に向かい︑究寛証を得る﹂(﹃大

正﹄四五・五六八下)︑﹃探玄記﹄の中︑﹁賢首菩薩品﹂の品名を解釈する段において︑﹁信満位において︑普賢位に入るには二義がある︒(﹃大

正﹄三五・一八六中)①果から説く立場︒これは﹃華厳経﹄﹁寿命品﹂にいう﹁賢首の仏利﹂(勝れた仏土﹀を意味する︒②因から説く立場︒

菩薩は勝れたものであるから﹁賢首﹂とする︒﹂といい︑さらに﹁別教の立場で解釈する︒裟婆は見聞位と解行位の処である︒中間の諸

々の土は解行位のみの処である︒末後の仏土は解行位の満位と鐙入位とに通じるため︑因位の満位においても︑﹁賢首﹂というのである︒﹂

という文を引用する︒

これにより︑十信の終心が究寛証であるため︑

いて﹃探玄記﹄の解釈を用い結論づける︒

砲 谷 大 学 僻 教 学 研 究 室 年 報 第 二 十 二 号 平 成 三 十 年

第十の仏土を賢首仏刺と名づけ︑十信成満の功徳を説く︑と﹁初発心時便成正覚﹂につ

湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田)

8 )

奥 書

本云己上古抄中有此等問答料簡‑今更加文義‑倍致潤色一或

剛或補以折写了子時正和四年︿乙卯﹀二月八日於泉州久

米多寺方丈記之‑

貧道小比丘湛容︿通夏世/俗年五九﹀

文尋云道選云此人昔時於前三教久己修学権門純熟 今値釈迦聞円頓極教則破無明乃至入第十地等文

U

伝教秀句云能化龍女無歴幼行所化衆生前無歴劫

ー行妙法経力即身成仏文

(十四右)

至徳三年正月十八日於東大寺戒坦院長老坊 書写之了為同廿六日月次論義用意一俄所 写 也 小 比 丘 霊 満

︿ 通 四 夏 / 俗 口 七

‑60‑

• •

 

︻解

説︼

最後に奥書が記されている︒ここから湛容が﹁古題﹂の中の問答・料簡にさらに文義を加え︑潤色や文字の削除・補足したことがわか

る︒正和四(一三一五)年二月八日︑泉州久米多寺(現・大阪府岸和田市)の方丈において記されたもので︑湛容が五十九歳の時のもので

ある︒それを至徳三(一三八六﹀年正月十八日に東大寺戒壇院長老房において︑論義用意の為に霊満が書写したものである︒

むすぴ

以上︑簡略ではあるが﹃古題加愚抄﹄の書誌概略と綱刻・解説を述べてきた︒

﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂においては湛容と比較的同時代の喜海﹃五教章略文義﹄が﹁古題﹂として挙げられていた︒それに対して五

つの問答がなされた後︑﹁愚案﹂が加えられる︒拙稿[二

O

一五]においては︑愚案の前の問答から湛容の独自解釈が述べられていると

したが︑今後︑他の論題も確認し︑どの部分から湛容の﹁愚案﹂か︑さらなる見極めが必要である︒

また︑本書の前半部分では︑龍女成仏を軸として李通玄﹃新華厳経論﹄ように﹁岡別二教﹂を論じることに終始している︒これは﹁古

題﹂として引用されている﹃五教章略文義﹄においても同様で︑﹁龍女成仏﹂H﹁同別二教﹂という傾向が見られた︒ところが︑﹁愚案﹂

以降︑﹁同別二教﹂のみに留まらず︑法蔵所説の﹁三生成仏﹂の問題にも解釈が及び︑その広がりを見せていることが︑今回の翻刻を通

じて明瞭になった︒前述したとおり︑本書は僧階を上がるための公式な論義の場で使用するために撰述されたものではない︒いわゆる談

義という︑公式の論義法会以外の場での論義の実態が明らかでない現段階においては︑ある論題の中で問題点が変わっていくという点は

特色であると考えられる︒

湛容は︑﹃華厳五教章纂釈﹄において﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂と同じように龍女成仏についての問答を行っている︒その答えの中で︑

﹁略文義を見るべし@﹂とし︑喜海﹃五教章略文義﹄を参照するよう︑促している︒続けて︑

龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年

湛容﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂の成仏義(高田)

yJ論義之落居ょ者︑可日成ニ立x別教成道之旨↓也︒但F

其/

難勢

丹者

︑彼

J

ュ説

コ龍

女成

道之

儀式

↓︑

或ィ

ハ云

コヵ

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↓故

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︑全

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コ法

性実徳法爾

2

如川

J之宗義づ或ィハ云ヲ即往南方叶故ュ︑指ω

方︐

立げ

f

︐権

施ニ

シテ

不了

也︒

4二五そ八相成道↓者︑為日化三凡夫二乗サ所U

示現

づ之

儀式

ナリ

︒宣

ニ是

レ別

教一

乗十

身無

擬之

成道

ナル

ヵ哉

︒⑫

とする︒つまり︑龍女成仏義の帰着点は別教成道であるが︑それを批判する人は﹃法華経﹄所説の龍女成道の儀式や変成男子が華厳宗の

教義とは異なるものであるという︑とする︒また﹃法華経﹄に﹁即往南方﹂とあるのは︑方角を指し仏の相を立てるのは︑権に立てるも

のであり不了義であるという︒﹃法華経﹄﹁八相成道﹂は凡夫・二乗を教化するために示した儀式である︑という︒これらのことから︑﹁龍

女成仏﹂は別教義とは言えないのではないかと論難があったことがわかる︒これに対しての湛容の答えは﹃五教章纂釈﹄には見られない

が︑﹃古題加愚﹄﹁龍女成仏﹂において問題の解決を図ろうとしたことが推察される︒

﹃五教章纂釈﹄で示される﹁此知能女事﹂という項目には︑﹃古題加愚﹄には引用されていない観復﹃折薪記﹄︑師会﹃復古記﹄︑希迫

﹃集成記﹄などの宋代の華厳教学書が引かれる︒宋代華厳教学において﹁同別二教﹂が重要な議論のテ

l

マだったことは既に吉田︹一九

九六]において指摘されている︒これらの文献が湛容の手に入った時︑より詳細に﹁同別二教﹂について議論する必要があったと考えら

れる︒それと同時に︑高山寺華厳においても重要な論題とされた﹁三生成仏﹂について︑湛容の回答を示す必要があったのではなかろう

AU 

拙稿︹ニ

O

一五]で指摘したように︑湛容﹃古題加愚抄﹄﹁非情成仏﹂においては非情の発心修行を認める柔軟な態度を見せていた︒

龍女成仏義においても湛容がなぜこのような詳細な議論を行っていたのか︑今後解明していきたい︒

︻付記︼本稿執筆にあたり︑貴重な資料を閲覧・翻刻の許可をくださった東大寺図書館・神奈川県立金沢文庫のご厚意に対し衷心より感

謝申し上げます︒

qL  

EU 

‑野 呂

・吉

︻主

要参

考文

献︼

・大久保良峻[二

OO

六]日﹁天台教学における龍女成仏﹂﹃日本仏教綜合研究﹄四

・ 金 天 鶴 [ ニ

OO

八]日﹁平安時代の華厳私記類における成仏論﹂﹃印度学仏教学研究﹄五六(二)

[ ニ

O

二己一﹁龍女成仏についてい天台宗と華厳宗の解釈比較﹂﹃法華文化研究﹄三八

・鈴木雄太[二

O

一七]日﹁聖憲における華厳の成仏諭υ三生成仏に対する解釈を中心に﹂﹃智山学報﹄六六

・ 高 田 悠

︹ 二

O

一五]日﹁日本華厳における﹁非情成仏﹂の展開﹂﹃龍谷大学大学院文学研究科紀要﹄三七

[ 二

O

一八]日﹁湛容の非情成仏の基礎的研究﹂﹃岐阜聖徳学園大学仏教文化研究所紀要﹄一八

・納富常天[一九八二]日﹃金沢文庫資料の研究﹄法蔵館

[一九六四]日﹃鎌倉の教学│金沢文庫資料を中心とした華厳教学│﹄鎌倉市教育委員会鎌倉国宝館

[一九八五]日﹁湛容の事績﹂﹃駒湾大学悌教学部論集﹄一六

靖[二

OO

六日﹁日本華厳における三生成仏説に関する諸師の見解﹂﹃龍谷大学大学院文学研究科紀要﹄二八

剛[一九九六]日﹁一乗義をめぐる師会と観復の論争について﹂﹃印度学仏教学研究﹄四四(二)

①納富︹一九八二]

②日仏全一

O

ニ・二五四下

③現在では凝然に師事していたという点に疑義が呈される︒凝然門下の華厳教義︑特に三生成仏の解釈の継承については︑野呂[二

OO

六]

七]

を参

照︒

④﹃古題加愚抄﹄の諸本の概要については︑拙稿[二

O

一八

︺を

参照

⑤東大寺図書館所蔵﹃古題加愚抄﹄﹁龍女成仏﹂十三丁右

⑥東大寺図書館所蔵﹃古題加愚抄﹄﹁第九識体﹂(ロ

5 5 )

四丁

左︑

﹁龍

女成

仏﹂

( ‑

M 5

3 )

十四丁左

⑦東大寺図書館所蔵﹃古題加愚抄﹄﹁第九識体﹂

( ‑ N S

‑ S

四丁左︑﹁飽女成仏﹂(ロ

5

凶寸

)十

四丁

左 龍谷大学悌教学研究室年報第二十二号平成三十年

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