脚
本
翻
訳
論
争
︿ 一 ﹀ 脚本翻訳論争とは森鴎外がその第三木竹二と共訳した西 欧脚本に対して、誤訳多数とする論者と両人との聞に争わ れた論争である。この中で両人は脚本翻訳法を説くことが あったが、計らずもこれは脚本翻訳論の初めとなった。こ の論争について語学的検討も含め、その意畿を明らかにし た い 。 ︵ ニ ﹀ その発端となった翻訳脚本は﹃献鮮志からみ草紙﹄に連 載された︿戯曲折奮棟一名﹁エミリャ、ガロツチl
﹂ ﹀ と題するもので、原作名を明らかにしているようにレッシ ングの脚本である。この翻訳脚本は明治二十二年十月二十 五日発行の同誌創刊第一号から、十二月二十五日、二十三 年一月二十五日、二月二十五日、ニ十四年一月二十五日、 十二月二十五日、二十五年五月二十五日発行、第三・四・ 五・一六・ニ七・三二号を経て、六月二十五日発行の第三 三号に至るまで断続的に連載され、遂に八回に及んで完結橿
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したものである。署名は、﹁週緋愉攻問釈﹂である。そ の第一回目の翻訳を見て﹁恋川綾町﹂︵巌谷漣山人︶が﹃ 小文学﹄︵二十二年十一月二十一日発行、第一号﹀に、﹁ 今一ト意気正本らしうの感あるが、此処がその簡朴主積た る所以乎。﹂とひやかして鴎外を激怒させたが、同外の俊 秀ぶりにはとかく反発する膚もあアたようで、今回も﹁戯 曲 折 蓄 積 に 誤 訳 無 数 な り ﹂ と 表 題 か ・ り し て セ ン セ l シ 自 ナ ルである。掲載紙は﹃園会﹄第九一号、鴎外の翻訳の五回 目︵二十四年一月二十五日発行、第一六号﹀が掲載された 約一ヵ月半後の二十四年三月十四日付の﹁寄書﹂欄に載っ た。つまり投書である。署名は﹁鎮西の一山人﹂とある。 ︵ 三 ︶ これについて述べる前に、誤訳といわれた個所を中心に この脚本について簡単に説明しておこう。その個所は金五 幕の内の﹁第二蜘︵場面は大佐宅の座敷﹀﹂とある婦面で 前述の速載五回目にある。ガロッティ大佐の娘エミリアを 見染めたグァスタルラの若殿︵ヘットl
レ、ゴンツアl
ガ ︶は、エミリアが今日アピアニ伯爵と結婚式を上げることを 知って、慌ててエミリアがいつもお参りに行く寺院へかけ つけて、礼拝中の彼女を一方的に口説く。驚いたエミリア が懸命に我が家へ逃げ帰って来るという場面で、鴎外・竹 二は次のように訳している。 令 嬢 ︵ 慌 て h かけ込みながら︶ア、うれしゃ、
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、 もうこ、まで来ればおちついた、しかしひょっとあと から、つけてきはせぬかト︵かつぎをあげて母親を見︶ おつか様、居りはいたしませぬか|層りませなんだ、 ァ、天道様、添うござります。 夫人おまへはマアどうおしのだ 令嬢なんでもござりませぬ 夫人それにどうして、あたりを見まはして、そして手も 足もふるへておいでだへ 令嬢マア私が、なにを聞かせられねば、ならなんだと恩 召します、それに場所もあらうに、 夫人おまへはお寺に、おいでだったと恩ふのに 令嬢おっしゃる通りでござります、しかし無法な人には、 寺も社もなんでも御座りませぬァ、おつか様︵と母を 抱 く ︶ 夫人マア話してお聞せ、聞くまでは安心がなりませぬ| お有難いお寺の中で、なにも悪い事の、出来ゃう筈は な L が 令嬢けふはいつもより、心を纏めてお析を、致す気で居 りましたに、いつもにない自にあひました なおこの後、若殿の侍従マリネルリの放った刺客がエミ リアの結婚の行列を襲撃して彼女を若殿のもとへ連去りア ピアニ伯爵を殺害する。後を尋ねて来た彼女の父ガロッテ ィ大佐かり許婚者の死と若殴の野心を知らされたエミリア は操を守って死ぬことを父に強く望み、父大佐は涙をのん で娘の胸を刺す、というのがこの一篇の悲劇の粗筋である。 この終幕にエミリアが髪にさしであったパラの花をむしり つつ父の覚悟をせまり、遂に刺された時のエミリアの 何の、おと﹄様。風の散らさぬそのうちに、花をお折 なされたばかり。 というセリフから、﹁折替機﹂の題名が生まれた。 ドイツ近代悲劇の先駆をなす作品といわれ、演劇史よの 近代をこれから迎えようとするわが国のこの時期に紹介さ れるに相応しい脚本であったといえよう。 ︿ 四 ︶ さて﹁鎮西の一山人﹂の誤訳説は次のようなものである。 若し森林太郎君の如く勘齢者たる忍月君を直訳者︵祖 述とは他の文句を其侭そッくり訳することにあらず︶を 以て遇し、一字一句も厳正に周密に過酷に責むるを得るとせば、予は彼の戯曲折萄破の訳者には猶一一層厳正周密 の責を負はしめんと欲す、何となれば訳者は祖述者より も、原著者に対する責任大なれば忽り、今試みに志がら み州紙十六号を採り鴎外漁史が三木竹二君と共に釈し玉 ひ し 折 奮 畠 慨 を 見 る に 僅 々 二 十 行 中 に ︵ 一 ペ ー ジ の 半 分 ︶ 左の如き誤あり、原文にま回
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n F Z F m M H とあるを、訳者は﹁モウこ﹄まで来ればおちついた﹂と 訳せり、然れどもE
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仲 間 mZ は軍国の墳に あり、反書すれば危難の境を免れたりとの意なるが故に ﹁モウこ﹄まで来れば大丈夫﹂と釈するを穏当とす、 ﹁おちついた﹂とは﹁翠聞の境﹂に夜ることの後に漸く生 ずるもので、この時のエミリアは恐怖周章して落着くどこ ろではなく、且つ﹁おちつく﹂では原文の語法と違う。 大佐夫人が令嬢エミリヤに問ふ言葉に﹁それにどうし て、あたりを見まはして云々﹂の中に、訳者はZE
と 云ふ語を看過したり、此中には此一字は必要の語にして 強 き 意 味 あ る も の な り 、 かの忍月君が丘国官官昆という語を釈さなかったと叱 責 す る 人 が 、 こ の −ZE
を見過ごすのは不都合と言うべき で あ る 。 次にエミリヤ掘が﹁マア私は、なにを聞かせられねば ならなんだと思召します、何処でそれを聞かせられねば ならなんだと思召します﹂と言ふべき下半を訳者は﹁そ れに場所もあらうに﹂と変改せり、是原著者が曾って知 らざる所にして、文原著者の意に非ず、姫の此聞に次ぎ て夫人が﹁お前はお寺においでだったと思ふのに﹂の返 辞をなせしも、ツマリ姫が﹁マア私は︵中略﹀何処でそ れを聞かせられねばならなんだと思召します﹂の曹を言 ひ 掛 し に よ る 、S
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は ﹁ そ れに場所もあらうに﹂と訳すべき者にあらず﹄また訳者は
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同︿経机﹀を﹁社﹂と訳せり、尤も訳者は﹁寺も 社も﹂と前に﹁寺﹂の字あるが故に文章の勢の為めに﹁ 社﹂と言ひしならんなれども経机を社とは訳者百慮の一 失ならん、次行に大佐夫人の言葉に﹁なむも惑い事の云 々﹂も﹁左様なる悪い事の云々﹂とせざれば原文の意と 多 少 の 差 あ り 、 以上は僅か半ぺ l ジ、原文では十五行の誤訳を上げただ け で あ る 。 若し十六号一回分を皆な摘発すれば本稿を一週間続く る も 猶 不 足 な る べ し 。 以上が﹁鎮西の一山人﹂の誤訳説である。 これに対して﹁週耕怖攻問稿﹂として反駁したのが﹁ 戯曲の翻訳法を説いて或る批評家に示す﹂である。二十四 年三月十八・十九・二十・二十一日付﹃国民新聞﹄第三七六・七七・七八・七九号の四日聞に亙って連載されたもの で、例によって相手の寸言に万言を以て答えた長文である。 凡そ戯曲の訳は、つとめて其意を失はざらむとするも のなれば、字を逐ひて原文を写出ださむとするときは、 我が国の人の解し得ざる怪僻の語となるべし。されば古 より欧州諸国の民の互いに相訳述して、異邦文学の趣味 をおのれが郷に還したる蹟をたづぬるに、一として遂字 の 訳 あ る こ と な し 。 これは誰でも知っている道理であるが、実例を示せばス ペインのカルデロンの﹁ザラメヤ村長﹂をグリ l スが独訳 した場合にも、シェイクスピアの﹁ハムレット﹂をシュレ !ゲルが独訳した場合にも、一うした例はあるのである。 これ等は皆多少の自由宮崎丘町色。にて、これを慎謬 なりとはいふべからず。これ等の多少は自由の戯曲の翻 訳に必要なるものなり。 これが留学書であったら、その作者特有の用語例があっ て一字といえども動かし難く、そのためにその文が或いは 難解となるのも仕方がないのであるが、 戯曲はこれを践み、これを聞きて、その幻象直に読者 聴者の目前にあらはれざるべからざればなり。故にいは く、戯曲の翻訳は、これを哲学書などの翻訳に比すれば 頗る自由なるものなりと。︿以上、一回目︶ 鎮西の一山人がわたくしたちの翻訳法を非難した本意は、 石橋忍月君がハルトマンの審美奮を誤解し誤訳したのを弁 護するにあると見える。山人の上げた点を見ると多くは山 人のドイツ語に通じないことから生まれた誤りで、歯牙に かけるに足りない。石橋君の訳は難解なところは自由に二 三行を省き、銀釈し甚しいときは原文と反対の意味にした と こ ろ も 多 い 。 其一、﹁おちついた
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山人の言うところは大いに違う。 先づ丘町宮市同は織なること、また安全なることの意味 なるを意固といふ訳、こ﹄には当らず。次に﹁ジツヘル﹂ を軍固なりと、仮に一歩を譲りて考ふるも、軍国の墳に ありといふことは、独逸語にてS
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首 といふ。是れ折奮織の本文の意と殊なり。本文を世のい はゆる直訳といふものにていは Y 、﹁もはや我は安全な ることに於いてあり﹂、といふべきならむ。安全は即ち おちつきなり。されば﹁もうこ﹄まで来ればおちついた﹂ と訳したるに、そもJ1
何の誤かあるべき。山人は修正 案を出していはく。﹁もうこ﹄まで来れば大丈夫﹂とす べしと。これは意味に於いては、差支なきとこにて、げ に大丈夫は安全なるべし。しかはあれど判剖引引は令嬢 なり。おちついたりといふ語と大じゃうぶといふ鰭と硬軟奈何。若し﹁こ、まで来りゃあ大丈夫﹂といは Y 、 盗 人の託げ来たりていふ言葉のやうならむ。こ、ごりの是非 は芝居こ、ろなき鎮西の回夫野人などが知ることならず。 ︵ 以 上 、 二 回 目 ︶ 其二、﹁あたりをみはして﹂ 母親の娘を見て巴邑
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と い ひしを余等は﹁それにどうして、あたりをみまはして﹂ と訳せしを、山人はZE
の字を脱したりといへり。実 に然り。然れども比の一字はこれを省くを尤も妥なりと す。あたりを荒く見廻してともいはれず、あたりを暴に 見廻してともいはれず、あたりをぎよろ/t
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見廻して にては、いよ/\大佐夫人の品位を掻ず。 この部分については、 流石の山人どのも修正案には差支られしと見ゆ。 これを忍月君の誤訳と比べるなど、山人の事理にくら いことは驚くべきことだ。 其三、﹁場所もあらうにω
エミリヤ嬢が寺にて若殿にくどかれしことを、母に告 ぐるところの原文は、 唱 曲 師 ﹃ 曲 v. 山
F A N E F o o − − 巾 回 目 匡 巾 問 問 。 回 一 巴 ロ 乱 唱 。 ・ 唱 。 F E U− 山
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−とあり。余等が訳にいはく。﹁まあ 私が何を聞かせられねばならなんだと覚し召します。そ れに場所もあらうにじ レツシングは寺の神聖なる場所なることを示さむとて、 き即ち何処でといふ字を二度重ねて用ゐたり。されば所 調直訳といふものにていは Y ﹁そして、何処で、何処で わたくしがそれを聞かねばならむだったと覚召します﹂ とすべし。何処での重複すでに耳立ちであしかるべきに、 前の句との重複いよ/\うるさかb
む。且つ邦人のこ、 ろにては、寺にて女をくどくなどを、欧州人の礼拝堂に て礼拝中に道ならぬ恋をしかくるほど、恐ろしくはおも はざるべければ、何処でといふ字の重複ぐらゐにては大 いにレツシングが文を傷くべし。 それなのに山人の 何処でを一度にしたる訳しかたは、既にはなはだ粗な るに、原文を引けるとき、故にき︵何処で︶の字を一 度にしたるはレツシングを謹ゆることの甚しきものなり。E
っその前句との重複の厭はしさよ。余等が﹁場所もあ らうに﹂の一語はレツシングを九原に起して、これを読 ませても、恥づかしからずと自信す。︵以上、三回目︶ 其回、﹁寺も社も U エミリヤ爆が若殿の場所がらを恩はざりしことを責せ るこ、ろにていへる原文、 唱 曲 間 同 目H
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とあり。余等が釈にいはく。﹁しかし無法な人には、寺 も社も何でもござりませぬ﹂原文に
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と 云 ひ 、 ﹀何時と云へるは、皆寺といふこ﹄ろなり。 何故同じ語を重ねたかといえば語勢の上でそうしたの で、﹁キルへ﹂の寺であることは辞書でも判るが、 ﹁アルタル﹂のおなじく寺なることは或は弁解を要すべ し。﹁アルタル﹂は原来寺の卓にて、貸卓などいふ訳を もっくべきものなれど、独逸にて某は何嬢を妾りしとい ふことを、某は何嬢を﹁アルタル﹂につれ行きぬといふ ことあり、これは寺につれて行きしことなり己 山人の ﹁アルタル﹂を経机といふ訳は、一字に取りても既に おだやかならぬに、﹁アルタル﹂といふ字に別に用法あ ることを知らず、またレツシングが此字を下すとき寺 といふ字とおなじ意味の字をたづねて、これを得たるこ とを暁らず、却りて余等が一倍の社字を探来たりて、レ 叶判刈列が心を獲たるを笑り。彼原文を寺も寺の机もと は、対訳辞書と首引きする童の釈としても、少し受取り にくかるべし。次に余等が寺も社もといひしを、文章の 勢のために余等がしかせしならむといふ。これ山人が我 邦の俗文を見る限ありて、独逸文を見る眼なき証なり。 奈何といふにこ﹄の重語は、レツシングが文勢にて生 じたるには心げかずして、山人はこれを訳者が上に帰し た れ ば な り 。 其五、﹁なにも U 母 が エ ミ リ ヤ 嬢 に 、 −﹃担問宵白== ι 同吋色血血ロ﹃市山︷同日 F 開叩同ω
神 白 m A f H 冊 目 白 白 n F ] 戸 同 園 田 1 0 白町市問。開口市仲間市山︷口叶 といへる原文の趣を、余等は﹁お有難いお寺の中で、な にも悪いことの出来ゃう筈はないが U と訳せしに、山人 は﹁なにも﹂を﹁左様な﹂とすべしといひしが、なにも といふ字は唱患の字に当れるを知らぬなるべし。勿論 原文にきといふ字あれば、﹁なにもそのような﹂と云 ひても善けれど、前の句にてその意味は聞えたるゆゑ、 由 。 を ぱ 省 き し な り 。 戯曲の翻訳法についてはなおわたしたちも研究したいと 思っているので、公明な批評にはことさらに反対したりは し な い 。 唯山人が如き翻訳の自由と、これより生ずる大利益と を、すこしも知らざるものは、余等が目中の批評家にあ らざることをいはむとて、此文をば草せしなり。 以上が四日間に亙ヲて連載された鴎外、竹ニの反駁文で 註 ︵ 二 あ る G 論争の各論点について検封しよう。第 一 に ﹁ お ち つ い た 。 ﹂ の 件 。
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立を最近の﹃独和大辞典﹄︵国松孝二ほか編、 昭和六十年一月十八日、小学館刊︶で引くと、第一義とし て﹁安全、無事、無難﹂第二義として﹁確かさ、確実さ、 確実性、確信、信頼度︿性﹀、無謬︵凶 M W ︶ 性 ﹂ と あ る 。 山人のいう﹁輩固﹂︵ 1 強固﹀はこの第二義とニュアンス は異なるもののそこからでた解釈といえよう。これに対し て鴎外は第一義と第二義の意味を正しくいい当てて﹁確な ること、また安全なること﹂としている。この点で鴎外は 一歩を抜きんでているが、山人も苫訟のF
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は﹁危難の墳を免れたり﹂の意とし、﹁モウこ︾まで来れ e e e ば大丈夫﹂と訳すべきだとしているのであるから、結果とし て両者の訳にほとんど相違はなかったといえる。すなわち − a・
﹁おちついた、﹂も﹁大丈夫﹂もどちらも、意味の上では 正しい。残るはエミリア嬢のセリフとしてどちらが適当か という問題となる。しかしこれは鴎外のいうように﹁硬軟 奈何﹂という穏の問題ではないと思う。同外の翻訳全体が ややわが歌舞伎台本口調であるため、鴎外は﹁おちついた﹂ としたのであろうが、これを﹁大丈夫﹂としても、特に硬 くなるとは恩われない。しかし山人の誤訳呼ばわりが不当 なことは明らかであろう。 第二に﹁あたりをみまはして﹂の件。ZE
を省いて訳したのは鴎外自身も認めるところで、確 かに訳しにくい一語であろう。﹁荒く﹂とも﹁暴に﹂とも ﹁ぎよろ/t
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﹂とも訳し得ないことは鴎外のいう通りで あろう。しかし一寸した工夫、それこそ鴎外のいう﹁自由﹂ 訳でその意を含ませることは可能であったのではなかろう 註 ︵ 二 ︶ か。例えば後年の関口存夫氏訳﹁でもそんな伯ろしい限附 をして!﹂は参考となろう。もっともごれはE
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が よく訳されていない。一長一短というべきであろうか。 第 三 に ﹁ 場 所 も あ ら う に 。 ﹂ の 件 。 確かに原文に忠実に訳せば山人のいうような訳となるで あろう。もっともきが重ねられているのに、山人の訳で は重ねられていないのは鴎外も指摘する遜りである。これ に対してこのきと志百回目安話回︵宮司自国園5
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︶ の 重 複を避け、かつ神聖なるべき寺で女性が口説かれたことを 示すために﹁それに場所もあらうに d となったという鴎外 の翻訳は、確かに一見識であり優れた意訳であると思う。 これを山人のように誤訳というのは当たらないであろう。 しかしここに実は今回の脚本翻訳論争の重要な鍵が潜んで いる。つまりこれを意訳として認めるか否かということで ある。これを認めず、原文がきも志吉田園.宮田冊目も重複 して使って居り、それにはそれだけの理由が原著者にある のであろうから、あくまで原文に忠実に重複も厭わず訳すべきであるという立場も有り得るであろう。確かにこのき の重複は鶴外が解説しているように﹁寺の神聖なる場所な ることを示さむとて﹂行ったのであろうし、それならばそ のまま﹁何処で﹂を重ねて訳しても、おそらくそれ程重複 の煩わしさはなかったとも考えられる。殊にもしこれが舞 台にかかったとすれば、この重複の語を同じ調子で棒読み する俳優はおそらく有り得ず、俳優の表現によっていくら でも工夫の余地は残されたであろう。 これを要するに、鴎外釈は優れた意訳であり、山人のい うように誤訳とは言えない。しかし山人のいう遂語訳も、 この場合鴎外のいう穫には﹁重複﹂の﹁耳立ち﹂はないと 思う。結局遂語訳か意訳かということは、ケースバイケー スとしかいいようがない問題ということになろうか。しか し何れの場合も限度というものがあり、この鴎外の意釈は 意釈の方の限界を示しているように思う。とにかく、この 条は鴎外のいう﹁自由﹂の訳の具体的な好見本として提示 され、かっその限界を示しているところに意離があろう。 第四に﹁寺も社も己の件。 これは山人の完敗で鴎外の説明が全く正しい。山人を﹁ 対訳辞書と首引きする童﹂という鴎外の得意顔が見えるよ うである@しかし山人の鎮りにも同情すべき点があるのは 今日の前掲﹃独和大辞典﹄でさえ、この
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刊の訳に﹁︵ 教会・寺院・神殿などの︶祭壇﹂﹁祭壇座﹂とのみあって、 ﹁寺﹂という釈は載っていない。ただしその用例として、 国 同 神 宮 ・5
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を﹁i
と 結婚する﹂の意味に使うことが示されており、結局﹁祭壇﹂ すなわち﹁︿寺院の︶祭壇﹂であり、EZ
同は﹁寺院﹂を も意味することは、鴎外の説明の通りであろう。 第 五 に ﹁ な に も 。 ﹂ の 件 。 これも鴎外のいうように山人が宮聞の訳をきの訳と見 誤ったために起った論難で、確かにg
の釈を省いたこの 釈でも十分意味が通じる。前の句でその意味は聞えた放と いっているのは、おそらく第四で訳されている通り、 ﹁しかし無法な人には、寺も社も何でもござりませぬ u というエミリアのセリフがあるからで、これも妥当な理由 と い え よ う 。 以上、山人の論難は﹁誤訳無数﹂というセンセーショナ ルな標題の割合には、逆に彼自身の語学カの不足を露呈し た場合もあって迫力を欠く結果となった。しかし第て第 二の点については双方の主張にそれぞれ一理ある。第三の 点については計らずも我が演劇理念史上、初の脚本翻訳論 争ともいうべきやりとりとなったのは意議が大きい。す なわち遂語訳か意釈かという問題を具体例によって初めて 提示したということである。鴎外はわが国語にそのまま釈した場合、解し得ない奇怪の語となるといい、翻訳の自由 の必要を主張する。これは原則的に正しいであろう。遂語 訳で一貫出来るものでないことは、特に脚本の場合、わが 国の話し言葉として自然にという要請を考えただけで判る というものである。しかし意訳にも自ずと限度があること は先にも述べた通りで、先の例の場合、きと
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を敢えて二度重ねた原文のニュアンスを生かすために は、鴎外の翻訳が優れた意訳であることを認めたよで、な お他にもう少しこの重ねた語を生かした遂語訳的な翻訳は なかったかという疑問は残る。この辺りの意訳の許容度と いうことになると、訳者、論者の個人差がかなり出て来る 筈で、そこにこの種の問題の難しさがある。事実、当時既 に鴎外の翻訳を総じて意訳と直訳の中庸を得て原文の華実 を発表したものと賞揚する論者もあった。これも山人と閉 じく鴎外の翻訳の五回目が発表された後の二十四年二月十 五日付の閉じ﹃国会﹄第六七号の短評欄に﹁戯曲折奮糠﹂ と題して掲載されたものである。 このレッシングの傑作の翻訳によって、幸いにドイツ戯 曲の一般を知ることが出来る。 思ふに反訳の難きは著作の難きより難し、意訳に失せ んか、原作の意を誤りて、放同蝉薬﹁実﹂を得る能はず、 直訳に失せんか、有味も無味となし、玉も瓦となし、終 に其﹁華﹂を消失せしむ。然るに此訳者は意訳直訳の中 庸を得て能く原文の筆実を発表す、其の苦心想ふベし例 註 ︵ = 一 ︶ 之 は U25 昌 司 H m H m U 曲 目 宵 ﹄ の 如 き 、 凡 手 を 以 っ て せ ば ﹁神よ私が感謝す﹂など、するならんに、訳者は之を﹁ ァ、天道様恭うムいます﹂となせり、以て其他の手腕を 知 る に 足 れ り 。 この論者は﹁虫も殺さぬ男投ず﹂とあるが、これは石橋 忍月その人である。︿﹃近代人物号筆名辞典﹄一九七九年 十月二十一日柏書房︵株︶刊﹀直訳と意訳の中庸の得難 註 ︵ 四 ︶ きをいうこの言は、流石忍月と思わせられるものがある。 全体の論旨も穏健で、このような論者が鴎外釈を賞揚した のは、その優秀さを証明するものといえよう。 またこの論説は先の山人の誤訳無数説の一ヵ月前に発表 されて居り、この論争とは直接関係はないが、計らずもこ の論争の争点となった直訳か意訳かの問題について、その 中庸説を既に表明している点、また鴎外が﹁自由﹂なる﹁ 翻訳﹂としていることを﹁意訳﹂として今日と閉じ用語を 既につかっている点が注目される。 ︵ 五 ︶ では最後にこの脚本翻訳論争の意義をまとめておきたい。 第一の意畿は脚本の翻訳のあり方について、わが演劇理 念史上初めて論ぜられたということである。第二の意畿はこれと相関連するが、そこには直訳か意訳 かの問題が具体的な例を上げて論ぜられ、優れた見方が含 まれていることである。 第三の意義はこの論争の第三者から対意訳直釈中庸論が 唱えられたこと、そしてそれはこの問題について世人の関 設 ︵ 五 ︶ 心を深めたと見られることである。 註︵一﹀大山功氏著﹃近代田本戯曲史﹄第一巻
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明 治 篇︿昭和四十三年十月二十二日、近代日本戯曲史 刊行会刊﹀はこの記録の引用に当って﹁︵明治 二四・三﹁国民新聞﹂所載﹁戯曲の翻訳法を説い て或る批評家に示す﹂︶﹂としているが、後に刊 行された鴎外の評論集﹃月くさ﹄からの引用であ ることは鴎外の改訂文が現れることによって知ら れる。また引用文をわざわざ新仮名遣いに直して いるのはいかなる意図であろうか。 しかも鴎外の反論の元となった鎮西の一山人の 文はみていないらしく題名、発表紙、内容など一 切言及がない。それにも拘わらず、結論だけはは っきりしていて、鴎外は 全体としてその翻訳態度は正しいといわなけ れ ば な ら な い 。 とのべている。しかし具体的にどこが﹁正しい﹂ のかを実証している訳でも、語学的な検討の結果 それを述べている訳でもない。 また小堀桂一郎氏著﹃森鴎外文業解題﹄翻訳 篇︵一九八二年三月三十日、岩波書店刊︶には、 先の﹁鎮西の一山人﹂の文を﹁国会新聞﹂に載っ たと記すのみで、その年月日、表題共明らかにし ていない。﹁国会新聞﹂は﹃国会﹄が正しいこと はいうまでもないが、論争の具体的検討は二例の み、ぞれも原文を上げての語学的検討は一例に過 ぎ な い 。 なお、鴎外は忍月の誤訳を指摘したことがあっ たところから、これは意趣返しで、鎮西の一山人 は﹁もしかすると忍月その人であるかもしれない U としている。しかし後述するように、忍月は鴎外 の翻訳を褒める文を発表しており、この想像説は 当たらないと断言出来る。 註︵二︶﹃世界戯曲全集﹄第十二巻独填篇ω
独 逸古典劇集。︵昭和三年四月十三目、世界戯曲全 集 刊 行 会 刊 ﹀ 註全一 V こ のm
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は 宮 山 が 正 し い @ ︵ .4 山 固 い 四 回 同 田 町 田 ] 戸 。 仲 件 同 . 同 ︾ 園 口 、 H−
M 苛 問 聞 の FP 回 し ﹃ EZ ・ω J
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﹃ の ﹄ F 同 吋 ・ ] 戸 由 ∞ 由 ・ ︶註 ︿ 四 ︶ 註 ︵ 五 ︶ もっとも前註のような誤りを見逃しているとこ ろを見るとその実力を疑わせるが、ここでは単な る 誤 植 と し て お く 。 その一例として次の史料を上げておきたい。す なわち脚本︵文学︶の翻訳法について、この後次 のような西欧文人の言が紹介されている。二十四 年十二月二十一日付﹃読売新聞﹄第五二 O 二 号 所 載、︿坪内遁諸氏の﹁マクペス﹂評釈を読む﹀が それで、署名は﹁三松山人﹂とある。標題から知 られる通り、﹃早稲田文学﹄に連載された遁遁の マクペス評釈を批評したものでこれを絶賛してい るが、その中で次のような言及がある。 ドライデン嘗て翻訳家の資格を論じて白く外 国語を翻訳せんと企つるものは先づ自国の語に 於て完全なる学者となるを要す充分に原著者の 国語を了解し