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『発掘された武器』展示パンフレット 岡山市埋蔵文化財センター平成24年度企画展|岡山市|学び・生涯学習|遺跡・埋蔵文化財

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岡山市埋蔵文化財センター

OKAYAMA CITY ARCHAEOLOGICAL RECERCH CENTER

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開催にあたって - 戦いのはじまり

 戦いのはじまりは、人類の起源にまでさかのぼると考えられます。

飢えをしのぐための戦いや、個人的な感情から発する戦いもあった

でしょう。ただし、そういった戦いは社会全体への影響はほとんど

なかったと考えられます。

 ところが、農耕がはじまり、蓄えることのできる収穫物が発生し

たことにより、それらを奪い合うような大規模な戦いがおこなわ

れるようになります。その一方で、生産効率や流通関係が発展して

社会が複雑化することにより、戦いの目的は、収穫物だけではなく、

人間、物、土地へと拡大し、社会全体のかたちに影響を与えるよう

な戦い、戦争になっていきました。

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 武器が出現するのは弥生時代だと考 えられています。弥生時代には石、木、 青銅、鉄など様々な材質の武器が現れ ます。とはいえ、弓矢や石の短剣 ( 石剣 ) などは日常で使う道具と区別できませ ん。しかし、弥生時代になると青銅や 鉄製の武器が現れるほか、石せきぞく鏃なども 次第に大型化するという研究もありま す。中には石鏃が刺さった盾たても出土し ており、実際の戦闘をうかがわせます。  武器の出現は、それを使う行為であ る戦争がはじまったことを示していま す。農耕の開始とともに、土地や水利、 蓄えられた収穫物をめぐってムラ同士 の利害が対立するようになるためと言 われています。戦争のはじまりは戦闘 を指揮し紛争を調停する人物を生み出 し、やがて集団を率いる権力者、同族 意識を共有する集団のまとまり、クニ へと発展していきます。

武器の出現と戦争のはじまり

縄文時代の石鏃(吉備津杉尾西遺跡)

弥生時代の石鏃(南方遺跡)

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木で作られた武器・武具

−南方遺跡が語る−

 弥生時代の武器といえば青銅製の剣などが思い浮かびますが、南方遺跡からは多くの木製 の武器・武具が見つかっています。通常木製品は非常に残りにくいため、残された石器や金 属器、土器などに描かれた絵画からその存在を想像するしかありません。南方遺跡では低湿 地に様々なゴミが捨てられ湿潤な状態のまま埋まっていたため、こうした木製品も良く残っ ていたようです。木製の武器・武具には武器の形を模した祭器のほか、剣や戈かの柄などの装具、 盾

たて

や甲冑などの武具類、棍こんぼう棒、弓など様々なものがあります。

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棍棒(南方遺跡)

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武器形木製品の「まつり」

 弥生時代の木製品には、本来青銅や鉄で作られた武器を模したものも見つかっています。 こうしたものは武器の形をかたどった「まつり」の道具と見られます。

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巨大な戈形木製品(南方遺跡)

剣形と剣把(南方遺跡) 文様のある剣形 ( 南方遺跡 ) 精巧な銅剣形 ( 南方遺跡 )

 南方遺跡から出土した武器形木製品 は種類や数も多く、また、もとの形を そのまま写したものから実物より大き く誇張したもの、かろうじて原型がわ かる程度のものまで様々です。

 このことは、「まつり」に使われる武 器形木製品といっても、崇拝や信仰の 対象のような祭器から、「まつり」の扮 装や一場面で使われる小道具など様々 なものがあったことを思わせます。た だ、争いの絶えない時代を反映してか、 「まつり」の中で武器が重要なアイテム

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弥生時代の木製甲

 甲かっちゅう冑といえば古墳時代の鉄製

の短たんこう甲、挂けいこう甲や戦国時代のきら びやかな鎧よろいが思い浮かびますが、 弥生時代には金属製の甲冑は見 つかっていません。ですが、甲 冑がなかったわけではないよう です。ごくわずかな例ですが木 製の甲冑とみられるものが見つ かっているのです。南方遺跡の 木製甲よろいもその一例です。

 国内出土の木製甲には、小こ ざ ね札 状の板を組み合わせたものと、 刳り抜き式のものがあります。 南方遺跡の木製甲は前者にあた ります。

 南方遺跡の木製甲は上下に板 同士を繋ぎあわせる小孔列があ り、革紐などで綴じられていた ようです。板の中程にもいくつ か小孔があり、威おどし紐ひもとみられ る痕跡が残されており、表面に は黒漆が塗られています。一見、 古墳時代の挂甲や秦始皇帝陵の 兵馬俑にみられる甲冑を思わせ ますが、板同士を繋いだ後に綴 り紐ごと漆で固めてしまってお り、非常に動きづらいものだっ たかもしれません。

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弥生時代の木製甲(南方遺跡)

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石の武器とその終焉

 石製の武器は出土量も多く、最も一般的な武器 だったといえます。石器の種類は大きく二つに分 けられます。一つは石を打ち欠いて作る打製石器、 もう一つは砥石で磨いて作られる磨製石器です。 石剣、石鏃にもこの両者があります。このうち打 製石器には、香川県や奈良県で採取されるサヌカ イト ( 安あんざんがん山岩の一種 ) が、瀬戸内海沿岸に住む縄 文人・弥生人たちに広く利用されました。その多 くは香川県産のサヌカイトで作られたものですが、 中にはこれに比べ色調がやや黒味が強く、加工も 細かい打剥と部分的な研磨を用いて作られている ものがあります。これは近畿地方の打製石剣に見 られる特徴です。このことから、近畿地方で作ら れた後、吉備へもたらされたものであると考えら れます。また、磨製石剣、磨製石鏃には頁けつがん岩など、 より加工しやすい石材が使われています。磨製石 剣のなかには、銅剣を精巧に模したものもありま す。

 弥生時代後期になると石器は減少し、代わりに 鉄製品が増加しはじめます。剣・鏃などの武器も 鉄製に代わっていき、戦いにおいても鉄は大きな 影響をもたらします。ムラ同士の戦いにおいて鉄 製武器の保有は勝敗を決める重要な要素となった ことでしょう。鉄の入手をめぐって、各地の首長 は協力や敵対しながら、徐々にクニの原型が形成 されていくこととなります。鉄器の普及は、石器 の時代を終わらせただけでなく、弥生時代の社会 を変化させる要因のひとつとなっていきます。

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墓の中の武器と集落の武器

 死者のたもとにそえられる副 葬品をみると、最初は九州地方 で青銅製の武器が墓に納められ るようになります。それは集団 を率いる有力者の登場を意味す ると考えられます。やがて武器 は、青銅製・石製といったもの から鉄製のものが主流となりま す。弥生時代の終わりの頃には、 鉄の刀・剣・槍を副葬した墓が 九州から関東まで広がり、次の 古墳時代には、武器が古墳に大 量に副葬される例がみられるよ うになります。副葬品としての 武器は、墓に葬られた人物の権 威を高めるものでありました。  ただ、墓から見つかる武器は それだけではないようです。石 剣、銅剣の切っ先だけが見つか るもの、なかには骨にその切っ 先が刺さっていた例もあり、戦 死した人物ではないかと推測さ れています。

 一方、集落遺跡からも鉄鏃や 鉄剣なども少数ですが出土しま す。鉄の道具は再利用すること が可能なため、量は多くありま せんが、集落に住んでいた人々 の手には、確かに武器は存在し ていたのです。

銅剣と銅鏃 ( 南方遺跡・南方釜田遺跡 )

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古墳時代の武器・武具

 中国の史書に記録された倭わ お う王 武ぶの上表文には「父祖の代から 王みずから甲冑に身を固め、山 や川をわたり歩いて、休息する ひまもなく戦いに明け暮れ、東

では蝦え み し夷の 55 か国を平らげ、西

では熊く ま そ襲の 66 か国をおさえ、さ

らに海をわたって朝鮮半島の 95 か国をしたがえた。」とあります。 誇張もあるでしょうが、古墳時 代が紛争、戦争の時代だったこ とをうかがわせます。

 それを反映してか、古墳の副 葬品や形象埴輪にも多くの武器・ 武具があります。鉄製の刀や剣、 槍、鏃をはじめ、盾、矢を入れ

る靫ゆき・胡こ ろ く籙、甲冑などその種類

も多彩です。甲冑は鉄の板を組 み合わせたもので、小札を組み 合わせた挂甲、胴丸のような短 甲がありました。盾は文様が描 かれたり巴形銅器と呼ばれる金 具で飾られていました。

 古墳時代後期になると、これ らに馬具が加わります。これら は馬の軍装であり、金銅製のき らびやかなものもあります。

副葬された鉄剣 ( 南坂 27 号墳 )

巴形銅器 ( 伝 ・ 千足古墳 )

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古代・中世の武器

 軍記物語や絵巻物は、激しい しい戦争があったことを伝えて くれます。また、戦場の跡、城 跡など今も各地に残っており、 強者共の夢の跡を現地で想像す ることができます。また、城跡 の発掘調査でも、急峻な山上に 築かれていたり、深い堀や石垣 を構えるなどの戦争に備える構 造や工夫がうかがわれます。  ところが発掘調査では、鉄素 材 と し て 再 利 用 さ れ た た め で しょうか、武器が出土すること はさほど多くありません。しか し、出土する武器は、絵巻物に 描かれた武器とも照合でき、当 時の激しい戦争を垣間見させて くれます。

鉄鏃 ( 熊谷城跡・三手向原遺跡 )

鳴鏑と根挟み ( 川入中撫川遺跡・津島江道遺跡 )

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近世の武器

 太平の世である江戸時代には、 華麗な刀装具の装飾が発達しま す。発掘調査では刀身が出土す ることはまれで、小こ づ か柄、笄こうがい、切せっ 羽ぱなどの刀装具が出土します。 墓からは小刀やそれを模したと 思われる木刀が出土することが あります。これらは武器ではな く、遺体に悪い霊が入ることを 防ぐ「枕刀」と考えられます。  また、中世末には鉄砲が伝来 し戦闘の様子が激変しました。 発掘調査でも鉄砲弾が出土する ことがあります。鉄砲弾は 2 ~ 6 匁もんめ( 約 7.5 ~ 22.5 g ) ほどの鉛 のものが大半ですが、まれに 20 匁 (75g) 以上の鉄製の弾が出土 します。 これは海戦や攻城戦で 用いられた大鉄砲 ( 抱え大筒 ) の 弾と考えられます。

鉄砲弾(岡山城三之外曲輪跡・中島遺跡)

副葬された木刀(伝岡山城城下町)

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平成 24 年度岡山市埋蔵文化財センター企画展「発掘された武器」 平成 24 年 10 月 1 日

参照

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