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「ドイツ帝国」改革構想 「ドイツ帝国」改革構想 –

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Academic year: 2021

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GAIDAI BIBLIOTHECA

マキァヴェッリへの共感を以て著された『ドイ ツ国制論』には、前世紀の初頭以来繰返し、権力 国家論との批判が加えられてきた。例えば、H・

へラー『ヘーゲルとドイツに於ける国民的権力国 家の思想』及びF・マイネッケ『近世史に於ける 国家理性の理念』で展開された批判は、後世への 影響と云う点でも、代表的なものである。今、斯 様な批判の妥当性の評価は措くとしても、権力概 念が『ドイツ国制論』の主要問題のひとつである 事は確かである。併し、此処で少なくとも言える 事は、ヘーゲルに於て権力概念が自由概念との結 び付きを離れて論じられる事は無い、と云う事実 である。彼に在って、権力の問題は、常に、其が 自由を基礎として如何に成り立ち得るかと云う問 い掛けの中で現れて来る。この意味では、彼はフ ランス革命の根本理念に忠実であり続けた、と看 做し得る。只、ドイツ人として彼は、同時に、革 命戦争が露呈せしめ突き付けたドイツ固有の政治 的課題をも、引き受けざるを得なかった。詰まり、

自由と云う革命の根本理念は、革命戦争の介在の 故に、自由と権力の統一の問題として現象したの である。この問題に対するひとつの具体的解答、

即ち、再編された帝国議会と強力な君主とから構 成される一種の立憲君主政国家の構想に就ては、

既にその概略を示した。

併し、第二次対仏同盟戦争の帰結は、ヘーゲル の構想の現実的基盤を蚕食して行く。とは云え、

ライン左岸のフランス割譲を認めた、1801年2月9 日締結のリュネヴィル講和条約の段階では、彼は 猶希望を捨てない。寧ろ、そうした事態を受けて、

現実との乖離が次第に拡大しつつあるにも拘ら ず、改めて以前にも増して本格的に取り組んで行 く。今日残存する草稿の大部分は、この時期に執 筆された。危機意識が彼を支えていた事は明白で ある。だが、1803年2月25日、レーゲンスブルク

の帝国代表者会議に於ける主要決議によってドイ ツの国制に根本的変更の加えられる事が明らかに なるに及び、ヘーゲルも遂に自らの構想の基盤が 失われた事実を認めざるを得なくなる。彼にとっ て最大の意味を持つのは、帝国都市の殆どが陪臣 化された事実である。実は、彼の帝国改革構想に 於て、帝国都市は、帝国国民が国政に協力する体 制を確立する上で最も重要な役割を期待されてい た。其処には、シェイエスの理念をドイツの国制 に活かそうとする意図が込められていた。謂わば、

帝国都市は、フランス革命とドイツ帝国の改革の 間に在る結節点としての意味を担うものであっ た。然るに、如上の主要決議は、帝国都市の斯様 な役割を根本的に否定する。帝国に自由の原理を 確立する途は失われたのである。果たして、彼の 主要決議を受け、『ドイツ国制論』の執筆は中断 に至る。この1803年は、ヘーゲルの思想的発展に 於て別の意味でも転換点を成す重要な年である が、その点に就ては触れない。

此以後ヘーゲルが所謂統一国家ドイツの可能性 に就て直接に言及する事は無い。神聖ローマ帝国 の崩壊から1871年1月18日のドイツ帝国成立に至 る迄ドイツの置かれた政治情況に鑑みるならば、

其は当然の事でもあろう。その間、国家の現実を 問題にするとしても、例えばヴュルテンベルク王 国の国制を取り上げる他なかった。併し、其事は、

ヘーゲルの裡から、国家としてのドイツと云う概 念が完全に消失した事を意味するのであろうか。

例えば、プロイセン王国の首都ベルリンで著され た『法哲学』(1820)で展開された国家論はプロ イセン国家の理念を追究したものに過ぎないので あろうか。1974年に公刊された、K・H・イルテ ィング編集の講義聴講ノートの一節は、別の解釈 可能性を示唆する。「小さな諸国家を一つの大き な国家へ統合することは可能である。それらで形 成される、より大きな国家がうまく組織されれば、

それらは本質的に利益を得るのであって、失うも のは何もない」。彼は密かに統一的ドイツ国家の 理念的可能性を問い続けていたのではないか。

はやせ あきら(助教授・ドイツ哲学)

「ドイツ帝国」改革構想 

「ドイツ帝国」改革構想 

–対仏同盟戦争の敗北がドイツに齎したもの–

早瀬 明 

ヘーゲルの 

(4) 

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