富山大学 教養 部 紀 要 く人文.社 会 科 判 削, 1 8川こ1 ‑2 0, 1 9 8 5,
知
覚
と統
覚 細岡 村 信 孝
S7 r漁れJ と L ての時 間
r耽れJ くF luBJ としての時 間につ いて, カントは主 題 的に論 じていないo しかし, 少 な くとも, そ れにつ いて触れ て はい る. これ を我々は, 次の 二つのグル ー プ に 分けて考 える
こと が できる であろう.
くい 先 ずカントは, 現 実 存 在の 一 つ の特 殊 な有 り 方として,
r流れJを認 め るo 特に内 的 に直 観さ れ る我々 自 身の現 実 存 在につ いて, r流 れJを 語る. r内 的知 覚に於て, 我々は我々
の状 態の諸 規 定に関 して自分自 身 を 意 識 する が, こ の自 己 意 識は単に経 験 的であり, 絶 え
■ ■
ず変 遷 し, 内 的 現 象の こ の流 れに於て は, 立 ち止 まる自 己は与えら れ え ない, こ の自 己 意 識は通 常 内 感 ないし経 験 的統 覚と呼ば れ る.Jくり
あるいは次のようにも言 う. r......という
のは, 空 間のみ が持続 的に規 定さ れ, そ れ に対 して時 間は, そ れ 改 また内感に於てある凡
書 ■ ■ 暮 ■ ■
てのものは, 絶 え ず 流 れるoJ く21
こ の場 合, r流 れJ は r立ちと どまることJ くStehe n ode r B leibe nJく31, あるいは rと どま り持 続 するものJ くB leibe nde s un d B eha r rliche slく4Iと対比され,
r消 滅JくVe r s ch wi nde nJく51 あるいは r過 ぎ去ることJ くV e rgeb e nIく61 として 理解さ れ るo
更に カントは, 上の理解に対 応 して, 時 間にr流れ去るJくV e rflieB e nJ という 性格 を 認め, 次のよ うに言 う. r現 在の時 間 点 を私は, 過 ぎ去っ た時 間との関 連で, た だ制約さ れ たもの と看 徹 しうるのみ で, 後 者の制 約と看 徹 すこと は でき ないであろうo というのは, こ の瞬
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間は た だ漁れ去っ た時 間 を 通 してのみくある いは むしろ, 先 行 する時 間が流れ 去 ることを 通 してのみI 始め て 発源 する か ら であるoJm
こ のよ うに, カン トは時 間 を,
r流 れ去るJくVe rflieBe nI という 基本 性 格に於て捉 え, こ
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れに基づ いて, r流れ去っ た時 間J くv e 7Po s s e n e ZeitJ, r過 ぎ去っ た時 間Jくu e rga nge n e Zeit,
u e rk2 ujTe n e Zeit, abgekz ujTe n e ZeitJ につ いて語るo
く8 1
更に, これ と は反 対に,
r来るべき 時 間J くk缶nftige ZeitI につ いても語るoく9 1
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く21 他 方で カントは, 連 続 量 をr流れ る量JLf7ieh mde Gr8BeJ として捉え るa
rこれ らの
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量 を 流 れる量と呼ぶ こともできるo というの は, そ れら を産 出 する ときに行わ れ るく生産 的
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構 想 力のン綜 合は時 間に於る進 行であり, しか る に時 間の連 続 性は特に, 流れ るく流れ 去 るI という 表 現によっ て表わ きれるのを 常とする か ら であるoJく 川
r流れ る量J tflieBe nde G r86el と は, こ のように r連 続 量J くko ntin uie rliche Gr6L3e,
qu a ntu m c o ntin u u mlく川 の別 名であり, これをカントは,
r衆 合JくAg gr egatl との対比で,
単に rj u Qu a nt um ト 蛸 ぶ ことも あるo
く1 2
鳩続 量に対立するの は r分離乳 くqu a ntu m
dis c r etu mJく川 であり, 従っ て r流 れ mieBe nd 旭 r分軌 tabge s o nd e rt,d is c r etu my14l あるいほ r途軌くu nte rbr o che n, inte r c ep t um1り5七 対 置されるo くもっ とも, 鳩 軌 に対 し
て r分軌 を, 憤 れ に対 して r途軌 を 対 置 する方が, よ り 適切 で はあろうが. J
こ のよ うに, 時 間の流 れと連 続 量の生 成と が, 上で は対 応 して考 え られ ているo その際 カントは, 時 間の r流 れ くFlieBe n1 を r ‑ 去 ることJ くV e rn ieB e nl と言い換 えているo
こ の こと から, 時 間の流れ と は, カントに於て r ‑ 去ることJ を専 ら 意 味 しているよう に見 えるo しかし, 他 方で カントは, 上の引用文で, 時 間 をr進 行JくF o rt ga ngl としても 理解 してい るo 鴫 こ の言 葉のもと に,
r ‑ 去 るJという 形での進 行のみを 考 えること は可能であるo しかし, 上で カントは, 連 続 量 が 虚礼くEr z e ugu ngJ につ い ても語っ てい る.
こ の産 出 を, 専 らr 軌 去ることJ に定位 して把 握 すること は, 依 然として可能である.
時 間は過 去へ と流 れ 去っ ていくo しかもこ こに我々は 鳩 え ぎる 軌 fst Andige r FluBJ を 認め るo 即 ち, 我々 の所有する過 去は, こ の ‑ の中で, 絶 え ず 拡 大 していく. こ こに我々
は連 続 量の生 成と拡 大とを 認め る であろうo こ の限 りで は, 確か に時 間の流れ は r 軌 去 ることJ として理 解され うる であろうo しかし, 他 方で, 連 続 量に専 ら定 位 する限 り, そ
こに我々は r 軌 去るJ という 規 定と は独立 に, 否 そ れと は むしろ逆の方 向に, 連 続 量の
絶 え ざる生 成と拡 大とを, そ してこ の限 りで6, r進 行J を 認め る であろう.. こ こに は明 らか に,
r 軌 去ることJと は別の意味で, 即 ち連 続 的 生 成 ないし産 出という 意 味で, 時 間の流
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れが据 え ら れているo にの流 れ を, ,Str o m くあるいは,Str8m u ng くというドイツ 凱 ,
よ く示しているoj
量につ いてのみな ら ず, カン トほ更に変 化につ いても 連 続性 を 認め る が, その際 彼は変 化の連 続 性 をやはりr流れJ として把 ‑ ているo rところ で, 連 続 性の形而上 学 的 法 則は 以 下の通 りであるo
一 切の変 化は連 続 的である, 即 ちそ れ は ‑ る..十.J
く拘 こ こで言 うrWL
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れJ m u e r e 畑 , 上 述の意 味での連 続 的 生 成 を 意 味 してい る.
,
以 上二点から 明 らかな ように, 時 間の rWLれJ くFluB ,Flie6e nJ は, カン トに於て次の 二 様の意 味で 理解され てい るo 先 ず それ はr ‑ 去ることJ として, 次に そ れ は僅 あるいは 変 化のJ連 続 的 生 成として理 解 され ている.
ところ で, こ のう ち連 続 性は, さしあた り後 者につ いてのみ 明 示的に語 られ ている が,
前 者につ い ても, 我々は や はり 連 続 性 を 認め る必 要があるo 上に, rlWL れ去るこ とJ
くV e rn ieB e nJを, 鳩滅 することJくV e r s ch winde n ほ いしr過 ぎ去ることJくV e rgehe nJ とし て理 解 したo しかし, こ のう ち 特に前 者につ いて は, それ だけで は そ れ がそのま ま r 軌 去ることJ を 意 味 する と は言 え か ‑o 確か にそ れは r立 ち と どまるこ とJ くStehe n u nd Bleibe nH 珊 立してい るo しかしそこで は単に存在から 非 存 在‑ の r交軌 ないし 犠 軌 rw e chs elIく1 7佃 示 されてい る にす ぎないo しか る に, こalr交軌 ないし 唱 軌 は ま が 流
2
知 覚 と 統 覚 軸 3
■ t t
れJくFlie8 e nI で はないo
r流 れJ である た め に は, そ れは絶 え ずくste幼 生 起 し な ければな ら ない.
こ のように,
r流れ去ることJくVe rflieBe nJが成立する た め に は, 単 なる存 在から 非 存 在
への r転軌 くW e chs elJ, 従っ て r消 軌くV e r s chwinde nJ のみ で は不 充分 であっ て ‑ これ だけで は r流 れ 去ることJくV e rflieBe nJ に含 ま れるr去るJくV e rl の契機が捉 えら れ ている
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だけである ‑ 更にこ のr転軌 の連 続 性くSteiigkeit, K o ntin uihi tI が不 可 欠の条 件であるo
まさ にこ の故に, カントは時 間につ いて,
r諸 規 定の交 軌 くW e cbs el de r Be stim m u nge nl
t 暮 ■
のほ か に,
r連 続 的 流 れJ くko ntin uie rliche r F lu即1 8Iを 認め るのである.
なお, 上の 二つ の場 合のほ か に, C3J カン トは, 時 間との連 関 を 触れ て 一 般 的に, r流 れJ
につ い て語っ ている. その際, 彼は専 ら 動 詞 形 くflie6 e n, ab flieB e n,he rflie8e n, a u sflieBe n,
z u s a m m e nflie8e nJ を優っ て いるo これらのr流 れJ に我々は次の三つを 区別 すること が で きる であ ろうo
くal 先ず 第 一 に, 論 理 的 な 意味で, 即 ち一 定の前 提 . 根 拠から一 定の帰 結が出て来る と
いう 意 味で, r耽れ げ 語 られ るoその際, カントは動 詞としてンflieB e n く及 びンabflieB e nく
を優っ ているoく1 91
くbl 更に, 一 般 的に, 何か が何か から r生 ずるJ くe ntstehe nl, あるいは r発 源 するJ
くe ntspringe nI という意味で, カントは r流れJ につ い て語っ ている. 具体 的に は, 学とし ての形 而上 学の可能性に対 する間が, ア . プリ オ リな 綜 合 的 判 断の可 能性という 一 般 的 課 贋から生 ずる という 意 味で,t2 0J 純 粋 直観 ないし純 粋悟 性 概 念から7 . プ リ オ リな 綜 合 的 認 識が発 源 する という 意 味で,く2 11 更にイ デアの根 源が r最 高の理 性J にある というプラ トン
の考 えに関連 して, r流れJ 働 詞として はンflie8 e nく, ンhe rflieBe nく及 びンa u sflieBe n くI が語 ら れているo
く2 2I
くcl 最 後にr流入J ないしr合 流J という 意 味で,
r流 れJ が語 られ ている. 働 詞として はンein flieBe n く及 びンz u s a m m e nflieB e n くが使われてい る. y2 31
以上 まと め る と, 川 から く3J の三つ の場 合に, カン トはr流れJくFluB, FlieBe nl につ い て語っ てい るo こ のうち前二者は, 時 間につ いて, ない しはそれ との密 接 な 連 関に於て,
それ に対 して最 後の C31 に於て は, 時 間との連 関 を 離れ て,
r流れJが語 ら れている. こ の 三者が どのよ う な 関係にある か, 更に言 えば, それら を 通 して, 時間の流れ が どのよう な 形で統 一 的に捉 え ら れうる か, これ らの点につ いで, カントは主 題 的に は何 も 語っ ていな
いo しかし, 少 なくとも次の こと だけは 明らかであろうo 即ち, カン トは r流れJ という 現 象 を 様々な 形で捉 え, しかも それを特に時 間との密 接 な連 関に於て取り上 げている.
く2 41
こ の連 関 を 主 題 化 すること, これがこ の節での我々 の探 求のテー マであるo そのた めに,
以 下に於て, 先 ず 我々 の経 験の中から r流れJ の経 験の具 体 例 をいくつか取り上 げ, そ れ を分析 して みよ う.