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文書偽造罪における「偽造」の概念について : 作 成行為帰属主体説の提唱

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(1)

文書偽造罪における「偽造」の概念について : 作 成行為帰属主体説の提唱

その他のタイトル Zum Falschungs begriff bei der Urkundenfalschung

著者 山中 敬一

雑誌名 關西大學法學論集

巻 50

号 5

ページ 905‑976

発行年 2000‑12‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00023586

(2)

有形偽造とは︑﹁名義人と作成者との人格に関する欺岡﹂をいう︒名義人とは︑文書から窺われる当該文書の作成 主体をいい︑作成者とは︑文書の﹁現実の作成者﹂をいう︒しかし︑﹁現実の作成者﹂とは何を意味するのかについ ては︑学説が対立している︒名義人概念が文書から窺うことのできる作成者であるとすると︑名義人概念もこの﹁作

‑.はじめに

二.偽造概念に関する学説

三.観念説の問題点

四作成行為帰属王体説︵修正事実説︶の展開

ー作成行為帰属主体説の提唱

I

文書偽造罪における

﹁ 偽

造 ﹂

山中

の概念について

︵ 九

0

五 ︶

(3)

るわけでないことを示している︒ 念説による偽造概念の説明が︑必ずしも統一的に︑一貫して矛盾なく︑すべての問題となった事案の解決にあてはま . 

(g e1 st 1g es  

(a) 

第五0

成者概念﹂に依存することになる︒わが国では︑従来︑名義人とは︑文書の﹁内容としての意思または観念を表示し

(2 ) 

た主体﹂と解されてきたが︑そうすると︑﹁意識内容の現実の主体﹂が作成者ということになる︒しかし︑﹁意識内

容﹂概念自体が︑明確でないことは︑いわゆる﹁二個の個別主体﹂

(D op pe li nd iv id ua li si er un g)

つまり︑本人と代理人の両者の署名がある文書においてどちらが﹁意識内容の主体﹂なのかが明らかでないことから

も明白である︒そこで︑まず︑﹁作成者﹂とは何人なのかが明らかにされなければならない︒

作成者の概念

作成者の概念に関しては︑従来から︑ドイツ刑法学の影響を受けて︑事実説と観念説が対立している︒事実説

(K or pe li ch ke it st he or ie  1

1物体化説

11

行為説︶は︑実際に文書の記載行為︵S

ip tu ra kt )

を行った者を作成者とする︒

(G ei st ig ke it st he or ie 11

11

He rr ii hr en )

した者を作成者とする︒このことは︑﹁文書の記載をさせた意思の主体﹂を作成者とするとも表現され

( 3)  

ている︒最近では︑観念説が圧倒的な通説であり︑事実説は︑秘書が社長の命令で文書を記載し︑印刷業者の印刷工

が客の依頼に応じて文書を作成するといった場合に︑秘書や印刷工が作成者となり︑偽造文書となって不合理である

( 4)  

として︑排斥されている︒他方で︑観念説についても︑最近︑わが国では︑法効果帰属主体説︑規範的意思説︑事実

的意思説︑責任主体説︵裁可名義説︶等に分類され︑その内部における相違が明らかにされている︒そのことは︑観 関法

は︑文書が︑﹁観念的に由来﹂

(4)

(5 ) 

観念説は︑文書の偽造とは﹁作成権限を有しない者が︑他人の名義を冒用して文書を作成することである﹂とも定

義し︑作成権限のある者が作成した文書は︑真正文書であるとする︒この偽造ないし真正文書の定義は︑すでに観念

説にもとづくものであり︑﹁作成権限﹂が与えられた作成者が作成した文書であれば︑作成権限付与者︵ないし承諾

者︶と現実に文書の上から窺われる名義人とが一致しなくても真正文書であるという観念説の帰結を表している︒な

ぜなら︑事実説によるとするならば︑﹁作成権限﹂と関係なく︑事実上︑文書を﹁記載﹂した者が作成者だからであ

る︒作成権限のある者が作成した文書は真正文書であるとすることによって︑文書から窺われる﹁名義人の承諾﹂の

ある文書の作成者は︑名義人自身︑すなわち承諾者となり︑記載行為を行った現実の作成者は︑﹁作成者﹂ではない

ことになる︒かくして︑観念説によれば︑せっかく偽造とは︑﹁名義人と作成者との人格の欺岡﹂と定義しながら︑

﹁作成者﹂の概念は︑もともとの出発点である﹁記載行為者﹂とはまった<乖離した者となり︑﹁権限﹂ないし﹁承

諾﹂のあるかぎり︑そのような権限を与えられた者ではなく︑権限の授与者が﹁名義人﹂であるばかりか︑﹁現実の

(6 ) 

作成者﹂ともなるのである︒また︑要請者Aが︑被要請者Bに対して被要請者の名義で文書を作成することを要請し

た場合︑文書から窺われる名義人はBであるが︑﹁現実の作成者﹂は︑観念説によれば︑その文書が精神的に由来す

Aであるから︑偽造文書となるのであろうか︒それともこの場合には︑Bも真の意味で﹁現実の作成者﹂であるか

ら︑両者ともに﹁現実の作成者﹂なのだろうか︒観念説は︑﹁作成行為﹂と離れた﹁意思﹂の源泉を﹁作成﹂概念の

中心においたことによって原則と例外とを転倒させ︑﹁作成者﹂概念に混乱をもたらし︑そこから導かれる具体的帰

結と理論とが整合性を失う結果となっているように思われる︒

しかも︑観念説は︑前述のように︑文書の意思ないし思想内容が観念的に由来する者を作成者とするので︑権利・

︵ 九

0七 ︶

(5)

︵ 九

0八 ︶

0

(7 ) 

義務に関する文書については︑権利・義務の帰属主体が︑その文書の意思・思想内容の観念的な起因者であるとみな

すことにつながる︒他方︑事実証明に関する文書については︑承諾者にもともと作成権限があるとすること自体が問

題であるが︑観念説からはその﹁承諾﹂を﹁法的に許されない﹂からという理由で﹁無効﹂にすることによって︑承

諾者が作成者であるという結論を回避しようとする︒事実証明に関する文書においては︑その文害の性質上︑事実証

明に対する責任を有する者が︑その文書の観念的な起因者であるべきだとするのであれば︑観念説に立って両文書に

共通な﹁作成者﹂の概念要素とは何かを明らかにすることが必要であるが︑従来︑観念説に立脚する学説が︑とくに

事実証明に関する文書における﹁作成者﹂の概念については︑必ずしも説得力のある説明を与えてきたとはいえない︒

それは︑むしろ︑観念説から出発するというそもそものはじまりに誤りがあったのではないのか︒

名義人の概念

(9 ) 

他方︑﹁名義人﹂の概念についても︑名義人とは︑文書から表意者であるとされる者であるという点を除いて︑統

一的な理解があるわけではない︒本人の名前と代理人の名前がともに表れている文書の﹁名義人﹂は︑﹁本人﹂か

﹁代理人﹂かについて︑周知のように︑通説は︑本人を名義人とする︒しかし︑少数説ながら代理人が名義人である

とする学説もある︒ここで︑代理人が名義人であるとする学説も︑わが国では多くは︑代理人名義の冒用の事例につ

いて︑処罰を認めようとする︒本人の代理人であることを明示した︑いわゆる顕名主義

(O ff en ku nd ig ke it sp ri nz ip )

にもとづく﹁文書﹂と同じように︑所属や肩書が付された文書の名義人は︑所属や肩書を含めた氏名の保有者なのか︑

それとも︑重要なのは︑﹁所属や肩書﹂の方なのか︑または︑氏名の保有者のみなのかについては︑明確な考え方は

(2) 

(6)

ない︒公文書の作成権限のない者が︑肩書を付し本名で公文書を作成した場合と︑公務員が肩書は正しく書いたが︑

別人の名義の公文書を作成した場合とでは︑名義人を名前か肩書かそれぞれいずれだと考えれぱよいのだろうか︒ま

た︑文書上窺われる名義人は︑作成人の﹁特定識別機能﹂をどの範囲でもつのかをどのように説明すべきなのであろ

うか︒このように︑所属や肩書が意味をもつ場合ともたない場合とはどのような基準で分類できるのかについても︑

明確な基準が展開されているわけではない︒さらに︑﹁偽名﹂を用いた場合につき︑その偽名が指し示す者が︑作成

者と一致するのはどのような条件がある場合なのかについても︑明確にされているわけではない︒ここでも観念説の

問題点が露呈しているように思われる︒﹁偽造﹂概念の根本に立ち返って名義人の概念を明らかにすることが必要で

本稿の目的

そこで︑本稿の目的は︑従来の観念説の問題点を明らかにし︑結論を先取りすれば︑むしろ︑﹁作成者﹂ないし

( 10 )  

﹁名義人﹂概念の根本の考察を基礎に︑﹁事実説﹂を出発点としながら︑それに修正を加え︑その内容を明らかにす

ることによって︑﹁偽造﹂の意義を明らかにすることにある︒本来︑内外の文献・判例を渉猟して論証すべきではあ

るが︑本研究は︑文書﹁偽造﹂の問題についての従来の見解の問題点を指摘し︑新たな視座からその解決法を呈示す

( 11 )  

ることによってそれに関する新構想のアウトラインを俯廠するものにすぎない︒

(3) 

(1

)

(1

)

︵ 九

0九 ︶

(7)

関法

0

(6

)

法学協会雑誌︱︱二巻二号六七頁以下︑一︱二巻六号七一五頁以下︑一︱四巻七号八一六頁以下︑一︱六巻六号九四

八頁以下︑七号一︱ニニ頁以下︑八号ニ︱九六頁以下︑成瀬幸典﹁文書偽造罪の史的考察﹂(1)│

0巻一号︱二三頁以下︑六0巻二号九五頁以下︑六0

10

(2

)

大塚仁﹁刑法概説各論﹂︵第三版・一九九六年︶四一二六頁︑団藤重光﹁刑法綱要各論﹂︵第三版・一九九0年︶二七二頁参

照 ︒

(3)大塚•前掲書四四一頁。

(4

)

この概念︵法効果帰属主体名義人説︶を用いるものとして︑川崎一夫﹁偽造概念と文書の意義﹂刑法基本講座︵第六巻・

(5)大塚•前掲書四四五頁。

(6

)

わが国における観念説の理解の中には︑観念説は︑﹁文書の作成名義人と文書の作成者を同一の者と解し︑それはいずれ

も文書における意識の表示主体である﹂︵川端博﹁文書偽造の理論﹂︵新版・一九九九年︶五二頁︶と定義するものまである︒

ドイツにおいては︑作成者と名義人はいずれも

Au ss te ll er

という言葉で表されているが︑名義人を意味するときは︑

sc he in ba re r  A us st el le

rないし

An sc he in au ss te ll er

とされ︑作成者を意味するときは︑

wa hr er A us s t el l e r,   wi rk li ch er   Au

s  , 

s te l l er

Ur he be

rが使われる︒しかし︑ドイツの観念説において名義人と作成者がつねに同一の者と解されているわ

(7

)

ドイツでは︑これを﹁処分文書﹂

(D is po si ti vu rk

de )

といい︑事実証明に関する文書を﹁証明文書﹂

(N eu gn is ur ku nd e)  

という。わが国では、この処分文書を「陳述的文書」と訳すものがある(今井•前掲法学協会雑誌――四巻七号八五一頁)

が︑原意を伝えない︒この区別により︑匿名代理の場合の取扱を異にするという基準を唱えるものとして︑

Re na te Rh ei ne ck ,  Falschungsbegriff

n  u d  G e is t g ke i t st h e or i e , 

19 79 , 

S . 

138 

f f  

( 8 )

﹁名義人の承諾﹂という問題状況を表す概念自体が︑観念説的発想を前提としているとさえ言いうる︒

(9

) 

Vg l.   Sa ms on

,  JA 

19 79 , 

S . 

659; 

St ei nm et z,   a .  a .  

0 . ,  

S .  

25 . 

( 1 0 )

最近の印刷物の氾濫︑印刷・コピーの容易性︑機械的に複製された文書の大量性等に鑑みて︑一般に︑﹁事実説はその適用の事実的基盤を失った」(伊東研祐『刑法理論の現代的展開(各論)』(芝原・堀内•町野・西田編)(一九九六年)三一七

︵ 九

0)

(8)

(11)今井•前掲連載論文·法学協会雑誌――二巻二号六七頁以下は、責任追及説に立って、従来の判例・学説を詳細かつ包括

稿

わが国では︑作成者の概念につき︑ドイツ法にならって事実説と観念説の対立について説かれ︑観念説が通説であ

るとされる︒この観念説は︑規範的意思説と事実的意思説に分類できるとし︑事実的意思説を採用することを明らか

にしたのが︑林幹人教授であった︒林教授は︑ドイツの学説において︑意思説︵観念説︶が﹁精神的な作成の心理的

︵←事実的意思説︶と﹁表示の代理の許容性という規範性﹂に着目するもの

思説︶に分類し︑後者の代理についての民法の基本原則を承認する﹁実質的・民法関係説﹂

( m a t

e r i e

l l ' z

i v i l

r e c h

t s b e

(2 ) 

zo

ge

ne

h   T

eo

ri

e)

を正当とするシュレーダーの分析を基礎に︑わが国の学説を分類される︒その際︑林教授は︑この

﹁実質的・民法関係説﹂を︑それが法律的・規範的なものに着目するのであるから︑規範的意思説と呼ぶのが妥当で

(3 ) 

林教授の規範的意思説は︑これによれば︑﹁有形偽造とは︑法律的な効カ・効果の帰属する主体の同一性を偽るこ

とである︒つまり︑文書の上ではAにその文書の内容通りの法律的な効カ・効果が帰属することになっているにもか な事実性﹂に着目するもの

)

(9)

第五0

(4 ) 

かわらず︑現実にはAはそのような責任を負わないときに︑有形偽造が成立するとする﹂見解であるとされる︒した

がって︑規範的意思説とは︑たんに意思の法的な有効・無効のみではなく︑﹁効果﹂が誰に帰属するかをも考慮する

(5 ) 

見解であると捉えられている︒このような規範的意思説は︑﹁法効果帰属主体名義説﹂とも名づけられ︑現実にこの

(6 )

7

) 

ような論拠を用いる判例・学説が現在でもわが国において有力である︒

林教授の事実的意思説によれば︑﹁文書を作成してよい﹂という承諾を与えることが︑代理権の有無や受諾者が代

理意思をもつかどうかにかかわらず︑文書の作成意思が承諾者に由来するということを意味する︒有形偽造とは︑少

なくとも名義人の表示意思に基づいて作成されたこと︑このことに対する社会の信用を保護しようとするものである︒

これが︑事実的意思説の考え方であるとする︒ここでは︑文書の作成の主体としての責任を問い得るかが問題とされ

るべきである︒この事実的意思説の当否は︑後に検討しよう︒いずれにせよ︑事実的意思説は︑観念説を︑文書の

﹁作成意思﹂に純化しようとするものであり︑観念説の純粋形であるということができる︒

しかし︑ドイツにおける通説である法的帰属説は︑法効果帰属主体説とは一線を画するものである︒また︑林教授

の事実的意思説とドイツの法的帰属説も大きく異なっている︒以下において︑まず︑ドイツの学説を検討し︑林教授

ドイツの学説

(8 ) 

林教授のいわゆる規範的意思説が︑ドイツにおいて︑﹁法的帰属説﹂

(r ec ht li ch eZ ur ec hn un g)

と名づけられ︑プッ

ペによって﹁修正された事実説﹂

(m od if iz ie rt eK or pe rl ic hk ei ts th eo ri e)

の見解と比較検討を加えておこう︒ 関法

︵誤解を招くような形で︶名付けられてい

(10)

としていること︑③代理が許されるものであることである︒

一致して︑三つの条件のもとに︑文書上の名義人を作

(9 ) 

る見解と異なるのは︑ドイツの法的帰属説は︑代理人が本人の名前とともに自らの名前をも文書上に表示する顕名代

( 10 )  

理の場合︑代理人を作成者とする点にある︒そして︑これは︑ドイツにおける通説である︒ここでは︑このような法

的帰属とは︑法によって存在することになる帰属関係︑つまり︑﹁意思表示によって作りだされた実質的な法的効果

( 11 )

1 2

)  

の発生する人格﹂とは区別されなければならないとする︒もちろん︑これに反対し︑本人が名義人であるとする見解

もあるが少数説である︒この見解は︑自ら﹁規範的帰属説﹂

( n o r m a t i v e Z u r e c h n u n g )

と名づけているが︑これは︑

法的帰属説と紛らわしいので︑これをここで仮に﹁法的効果帰属説﹂と名付けることにする︒これに対して︑代理人

が直接本人の名前を書く匿名代理の場合には︑法的帰属説は︑

成者とする︒その条件とは︑①作成者が︑名義人を代理しようとしていること︑②名義人が︑作成者に代理させよう

以上によれば︑林教授が︑規範的意思説とされるのは︑ドイツの﹁法的効果帰属説﹂を意味し︑事実的意思説と名

( 13 )  

付けられるのは︑﹁法的帰属説﹂に対応するかに︑

( 14 )  

ドイツでは︑さらに︑法的帰属説とは異なる﹁修正された事実説﹂︵修正事実説︶が少数説ながら唱えられている︒

それは︑基本的に︑文書を自らの意思によって作成した者を作成者とし︑秘書のようなたんなる代筆の場合を除き︑

( 15 )  

判断に一定の判断の余地がある者が作成者であるとする︒この見解は︑顕名代理の場合には︑代理人が名義人である

ことはいうまでもないとする︒なぜなら︑その文書は︑代理人がその判断によって作成した文書だからである︒匿名

代理の場合には︑名義人と作成者の人格は一致しないから不真正文書である︒しかし︑ここで︑代理権がある場合に

( 16 )  

は︑作成者に欺岡の意図がないから︑偽造罪にはならないとする︒このように︑ドイツでは︑現在︑通説である法的

(11)

第五0

独日の学説の分類と対応

以上の学説の状況を踏まえて︑ここでは︑わが国における規範的意思説と事実的意思説の対比が︑ドイツの法的効

果帰属説と法的帰属説との対立と必ずしもパラレルではないことを︑まず︑明らかにしておきたい︒それは︑林教授

( 17 )  

の事実的意思説では︑顕名代理の場合︑名義人は︑本人であるが︑ドイツの法的帰属説では︑代理人であるという点

に顕著に表れる︒ドイツの法的帰属説は︑法的効果が本人に帰属するか︑代理人に帰属するかではなく︑その文書の

作成意思が誰に帰属するかを基準とする︒それによると︑代理人の名前が文書上に明示されている文書の作成者は明

らかに代理人であることを示している︒代理人名義の冒用は︑これによると︑文書偽造ではない︒なぜなら︑顕名代

理の場合には︑当事者は︑代理人であり︑本人への法的関係は︑たんに代理人への関係によって間接的に生じるにす

ぎないからである︒これに対して︑林教授は︑顕名代理か匿名代理かを区別することなく︑本人が文書に自己の意思

を表示しようとする意思︵表示意思︶をもち︑代理人Bは︑事実上そのAの表示意思に基づいて文書を作成したから︑

( 18 )  

真正文書であるとし︑本人に﹁文書の作成の主体としての責任﹂を問いうるからであるとする︒ここには︑両説の相

違が如実に表れている︒事実的意思説では︑法的に許されているかどうかとは無関係に︑事実的意思の発生源が作成

人であると考えるから︑事実証明に関する文書についてもこの原則的発想法を貫こうとするのである︒したがって︑

名義人の承諾を得た交通事故原票の供述欄への署名は︑名義人の﹁承諾﹂という事実的意思にもとづくものであり真

( 19 )  

正文書である︒そこでは︑﹁文書の作成主体の同一性については偽りはなく︑ただ違反者の同一性という﹃内容﹄に

(3)  帰属説と修正された事実説が対立している︒ 関法

10

 

(12)

文書偽造罪における﹁偽造﹂の概念について

しかし︑事実証明に関する文書の﹁名義人﹂は︑事実を証明するための自らの特殊な﹁知見表示﹂をなしうる者で

( 20 )  

なければならないのは︑暗黙の前提ではないだろうか︒最近のわが国の判例は︑これを﹁作成者本人が名義人本人で あることを前提として作成される文書﹂であることを要するものとする︒承諾の有効・無効が問題ではない︒そもそ

も﹁承諾﹂は事実的意思の表示であるから︑承諾者が作成人であるという出発点こそが問題であるように思われる︒

(1)林幹人﹁有形偽造の考察﹂上智法学論集二六巻四号一頁以下︒

(2)F

ch Ch ri st ia n  Schroeder,

i  D e  Herbeifiihrung

  ei n e r  U n te r s ch r i ft   du rc h  Tiiuschung, 

GA 

19 74 , 

S .  

227 

f f . ,   2 30 . 

実質的起因者説

( ma t e ri e l le Ur he be rt he or ie )

(3)林幹人・前掲論文ニニ頁以下︒﹁現時点では︑事実的意思説に従っておく﹂とするものに︑伊東研祐﹁現代社会と刑法各論」(第三分冊)(二000年)三五一頁、同•前掲『刑法理論の現代的展開(各論)』三二0頁。(4)林•前掲論文二四頁。判例もこの見解に立つ。判例は、大判大正一―年一0月二0日(刑集一巻五五八頁)で、銀行の支

配人名義の小切手を発行した事案につき︑当該文書は直接本人に対してその効力を発生させるから私法上有効であるとして︑有形偽造を否定した︒しかし︑後に紹介するように︑漁業組合の参事が専務理事の承認を得ずに融通手形を発行した事案に0(5)川崎一夫•前掲基本講座(六巻)二三一頁。(6)最決昭和四五年九月四日刑集二四巻一0

(7)従来の通説的な見解である︵小野清一郎﹁新訂刑法講義各論﹂︵第三版・一九五0

(

(8 )0 g 

Pr ob le me   de r  Urkundenfiilschung

n     i de r  neueren

e  R ch ts pr ec hu ng n  u d  Lehre,

  Ju S 

19 87 , 

S .  

76 4.  

(9)ドイツでは必ずしもこの呼称が一般化しているわけではないが︑統一することによって分かりやすくするため︑以下では︑ ついての偽り﹂があったとされる︒

(13)

( 1 0 )

 

BGH 

NS tZ   19 9 3 ,  4 91

  " 

wi st ra   19 9 3 ,  2 6 6.  

( 1 1 )

  Pu pp e,   Ju ra   19 8 6 ,  2 2;  d i e s . , o  N mo

s  , K

om me nt ar   um  St GB ,  § 26 7  R dn r.   61 .   (1 2) N  i el i n sk i ,  U rk un de nf al sc hu ng u  d rc h  d en   vo ll ma ch tl os en   St e l lv e r tr e

t er   ?

, 

wi st ra   19 9 4 ,  4 9 1.  

( 1 3 )

  Vg l. B  er nd   Steinmetz,

e  D r  Echtheitsbegriff 

i m  

Ta tb es ta nd   de r  U rk un de nf al sc hu ng   (§ 26 7  S tG B) ,  1 9 91 , .     S 24

8  Fn 

8 1.  

(14)S

im me , a .   a .  

0 . ,  

S .  2 52   : Hoye

r,   SK

§2 67 d R nr .  4 9 . 

( 1 5 )  

Ho ye r,   SK

§2 67 d R nr .  5 0 . 

( 1 6 )

  Ho ye r,   SK

§2 67 d R nr .  5 1 .  (1 7) (18)林•前掲論文五0頁。(19)林•前掲論文五八頁以下。

( 2 0 )

0年一九月二九日判時一六二八号一四二(‑四四︶頁︒

(l ) 

観念説は︑﹁作成者とは文書が由来する者である﹂とする︒すなわち︑作成者とは﹁精神的起因﹂

He rr ii hr en )

者である︒作成者というのが︑形式的・事実的に作成した者を想像させるので︑ドイツでは︑作成者の

かわりに︑﹁意思表示者﹂

(E rk la re nd e, Er kl ar er ) 

説﹂とか﹁実質的民法関係説﹂とも呼ばれる︒事実説からは︑﹁作成者﹂とは︑﹁作成する者﹂であるが︑観念説では︑ ①観念説の意義と問題点

関法

三.観念説の問題点 0

(g es ti ge s 

とも呼ばれる︒この見解は︑先に述べたように︑﹁実質的起因者

(14)

⑦無形偽造説の検討

﹁作成させる者﹂であるといってもよい︒このようにして︑観念説は︑文書作成に対する﹁観念﹂や﹁意思﹂がもと

もと誰に発するかを問う︒この考え方は︑様々な問題局面において︑必ずしも正当でない帰結をもたらしているよう

顕名代理におけると名義人と作成者 に思われる︒それぞれの問題領域における問題点を検討しよう︒

観念説からは︑個人が︑個人の代理人であることを明示して文書を作成する場合︑観念説が意思表示の背後に立つ

者が作成者であるとするという基本的原則に従うと︑代理人ではなく本人が作成者であるということになる︒事実︑

(2 ) 

わが国においては︑代理人名義の冒用については︑無形偽造説と有形偽造説があり︑後者が圧倒的な通説である︒以

下︑ここでは︑まず︑無形偽造説をも簡単に紹介し︑とくに︑有形偽造説の学説を検討する︒

無形偽造説のなかにも異なった根拠づけが見られる︒

それには︑①無形偽造であるが︑有形偽造に関する一五五条三項︵無印公文書偽造罪︶ないし一五九条三項︵無印

私文書偽造罪︶の適用があるとする説︑ならびに︑②自己名義の文書の無形偽造を処罰する規定でもある一五九条︱︱︱

項を適用するが︑その適用は︑有形偽造に準じて考えられる無形偽造︑すなわち︑代理・代表資格を冒用して自己名

(4 ) 

義の文書を作成する場合に限られるとする説がある︒さらに︑③個人の代理名義の冒用の場合と法人の代表名義の冒

用の場合とに分け︑前者の場合には︑代理人自身が名義人であるから無形偽造であり︑したがって不可罰であるとし︑

後者の場合には︑代表者がその権限に属する事項について行った行為は法人自身の行為となるが︑その職務に関係が

(6 ) 

ないときには︑﹁法人名義の文書﹂を偽造したものと解する説もある︒さらに︑古く︑無罪説もあった︒

(15)

第五0

無形偽造の場合を有形偽造の処罰規定に適用しようとする見解は︑有形偽造と無形偽造の区別を無意味なものとし︑

しかも罪刑法定主義に反し︑不当であることはいうまでもない︒法人の場合については法人自身の行為であるが︑個

人の場合には代理人が名義人であるとする見解は︑ドイツの通説・判例によるものと思われる︒この見解については︑

有形偽造説の検討 なお︑後に検討の余地がある︒また︑無罪説も︑検討に値する︒

有形偽造説にも︑まず︑①本人名義を肩書とした行為者名義が一体として名義人であるとし︑虚無人である﹁甲代

(7 ) 

理人乙﹂の名義を冒用する有形偽造であるとする見解がある︒この見解は︑文書の﹁実質的価値は﹃甲代理人﹂とい

う代理資格にあり︑社会的信用は本人たる甲の代理人であるという点にあるのであって︑代理人乙の氏名はどうでも

よいものであるとする︒代理人資格を冒用して文書を作成した場合については︑作成名義の一部たる本人名義の冒用

(8 ) 

がある﹂とする︒これと同様の考え方に属するが︑若干異なるものに︑②一般人の信頼は︑﹁公務員ないし代表取締

役﹂によせられるのであって︑行為者個人にではないとするが︑名義人は︑﹁正当な権限を有する甲代理人乙﹂であ

(9 ) 

( 10 )  

これに対して︑通説は︑代理名義の文書の名義人は本人であるとし︑代理人は︑本人の名義を偽るものであるから︑

有形偽造であるとする︒その際︑文書の意思表示の効果が本人に帰属することが︑本人名義文書とする根拠である︒

﹁法律効果が代理・代表される本人に帰属する形式の文書であるから︑文書の信用に重きを置く文書偽造の関係では︑

( 11 )  

かような文書については本人が名義人と考えるのが正しい﹂と根拠づけられる︒判例も︑﹁他人の代理者たる資格を

以て文書を作成する場合に於ては︑その代理者は自己の為めに之を作成するものにあらずして︑本人即ち被代理者の

参照

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