• 検索結果がありません。

「登校拒否」問題と寄宿舎教育

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「登校拒否」問題と寄宿舎教育"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

「登校拒否」問題と寄宿舎教育

中 山 一 樹

1

 不登校・「登校拒否」問題は,こんにち,教育実践的 課題として取り組まれつつあるが,理論的な検討が充分 になされているとはいいがたい1).その背後には,それ らが,少数の例外者の問題として考えられてきた経過が ある.さらに,教育実践の提起する課題を理論的に解明 するにあたって,「登校拒否」問題が内臓する理論的抽 象性を,その断面において総体的に把握することは困難 であるという事情が存在する.

 以上のような研究状況を前提とした上で,「登校拒否」

問題の教育学的解明のために,筆者の研究上の立場を明 らかにしておきたい.「登校拒否」問題は,非行・「い じめ」問題等と結びついた一連の事態として,現代の小 学校高学年生・中学生・高校生を中心に顕著にみられる 問題である2).それらを考えるためには,一方で,市民 社会の社会構造(貧困問題等の階級・階層問題)・学校 制度(現実の機能と理念)・家族の状態(構成と機能)・

個人の社会化過程(対他関係の即自在と対自在の諸相)

を総体として捉える視座を確保すると同時に,他方で は,事実としての教育実践の多様な質を介在させながら 解読する作業を行うことが必要である.前者は,市民社 会の,自明とされる存立構造の下で何が解体し,如何な る矛盾形態が露呈しているかを確認することに他ならな い.その際,一方に,理念・制度・規範という意味の秩 序を置き,他方に露呈した矛盾の現象形態を,社会・学 校・家族・個人に固有の意味世界一空間・時間の持続 が成立させてきたところの一の解体と破綻を設定した い.従って後者は,直接的には,学校・家族・子ども が,抽象化・形式化した理念・制度・規範の下でさまよ い,葛藤し,固有の意味世界を求めている諸相に,実践 者が再創造の伴走者としてどのように関与しているかを 確認することである.

 本稿では,とりあえず上記の理論的課題のうち後者に 相当する,教育実践(教育的関与)の多様な質を検討す

る.

 ところで,「登校拒否児」に対する教育の質を問うこ とと,教育実践の視点から「登校拒否」問題を検討する こととは同一の事柄ではない.教育実践において実践者 は,自らの実践に対して義務と責任を社会的に付与され ていると意識するが,それは実践の「現場」においては 個々に具体的な形をとってあらわれる.それらは例え ば・教師論(lnstructorとEducatorのモメント),教師 組織論,生活指導論,教育・医療・家族との連携のとり 方等である.実践現場が有する指導上の自覚的形態もし くは自己限定をここでは,「空間」と呼ぶことにしたい.

学校教育には学校空間が,医療においては治療空間が,

寄宿舎には寄宿舎空間が存在する.そしてそれぞれの実 践者は自らの空間に「登校拒否児」を受け入れることに

よって,その現場において可能な実践を行うのである.

このことは,「登校拒否児教育一般」なるものが存在す ることを意味しない.「登校拒否児」への教育の質を問 うことは,ある学校空間(現実態)を介在させることに よって可能なのである.学校空間を介在させずに「登校 拒否児教育」を論じると,実践現場の空間の差異を無視

した非生産的論議に陥る.とはいえ,多様な実践経験の 交流は必要なのであって,その際必要なのは他の実践空 間との差異性を確認することである.また,他の実践空 間から指導上の共約性・相違を引き出す時,それは一つ の実践現場から「登校拒否」問題を論じることとは理論 上オーダーを異にするものであることを了解する必要が

ある.

 以上のことを示したのが図13)である.Xという「登        図1

     、、㌔__一 ボランティア等

(2)

校拒否児」をかかえた家族は,相対的に独立した空間を 有した円環と出会うことになるが,円環自体は主意的に 決定されるわけではない.制度の必然が存在する.同時 に制度はそれが機能する時,実践空間としての意味を産 出する.だから,「登校拒否児」をかかえる家族Xが,

この制度に参入する時,実践者からみたXについての意 味了解が成立し,他方Xにとっての当該の制度に対する 意味了解が成立する.現在「登校拒否」問題に関する多 くの著書(ルポルタージュ,手記,治療実践記録教育 実践記録4))や報道は, この点についての確認が充分な されていない.そのために,過敏な被害者意識から勢い 制度批判に至ったり5),相変わらず「登校拒否」を「逸 脱」と分類したりすることになる.

 現在「登校拒否児」に対し何らかの関与をしている実 践として次のものをあげることができる.

 (1)児童精神科(外来,デイ・ケアのみ)

   このような施設の場合には,通院による治療が施   されているが,不登校が続く期間の学習権の保障の   ために「訪問学級」が行われる.

 ② 児童精神科(病棟はあるが院内学級は付設されて   いない)

   「訪問学級」が行われる.

 (3)児童精神科(病棟,院内学級が付設6))

   国立国府台病院,三重県立あすなろ学園,都立梅   ケ丘病院などがある

 (4)情緒障害児短期治療施設(教育施設を併設7))

   児童福祉法に基く施設で,12歳未満の子どもを受   け容れる.

 (5)家庭児童相談室・児童相談所8)

   前者は社会福祉事業法,後者は児童福祉法に基    く.

 ⑥  「情緒障害学級」(「相談指導学級」9))

   横浜市が「登校拒否児のための学校」として開設   している.

 (7}教育センター(都道府県,政令指定都市に設置)

 (8}夜間中学校1°)

   全国で34校あり,3,000名弱の生徒が在籍.東京   都内8校では,479名在籍(1983年).荒川九中の場   合,61名(1984年,試験登校,手続中を含む)

  中,27名(54%)が元「登校拒否」生徒である.

 (9)病弱虚弱児養護学校(寄宿舎教育)11)

   病虚弱養護学校寄宿舎における「登校拒否児」に   対する教育的関与については第H章でのべるが,寄   宿舎は,結核予後,喘息,肥満等のその時代に特有   な就学困難な子どもたちの通学保障,生活保障を支

       えてきた.それが今日では,「登校拒否児」への関        与という機能を果すに至っている.

      ⑳ 普通学級における生活指導12)

      生活指導といっても通常行われがちな登校を是と        した指導(担任やクラス仲間による登校刺激)とは        区別される.当人家族の状況把握,個人的な接近の        ための空間の設定を柔軟に行うことを可能にするよ        うな取り組みが試みられている.また心理相談,医        療機関との連携においても教師がそれらに一方的に        依存するのではなく,子どもの生活指導という独自        の領域を確認するようになってきている(Educator        としての指導の質の転換の契機.)

      ⑳ ボランティア等の公的制度以外における取り組み        a)里親制度 子どもと親の自発的な意思で,過疎       地域の自治体13),個人が行っている里親のもとに       寄宿し,地元の学校に登校する.

       b)塾14)不登校による学力の遅れを取り戻すため       に学校外に学習する場を設けようという運動が,

      親やヴォランティアによって進められている,

       C)個人主宰の相談所15)合宿体験を含め私的に        「登校拒否児」に関わるケース.

(a)

図2

甲く

 1本人

 LX.i.一

家族X1

病棟1院内学級

ボランティア等

(b)

(c)

甲←一態看罫

      司法機関 Lxi

X3

病棟1院内学級 情・短施設(12歳まで)

(3)

(d)

小児保健センター等 のデイ・ケア医療施設

病棟1院内学級

(e)

原籍校

養護学校寄宿舎

デイ・ケア施設

 Las−

X5

①甲−固

 以上の諸施設・実践現場には,制度的・非制度的にか かわらず,指導の方向性があり,個々具体的な意味的空 間を成立させている.そして実践的空間は,全く多様な

「登校拒否児」についてのレポートを発表することにな る.例えば,「登校拒否」の「古典的」タイプと呼ばれ る神経症的な子ども像とか,身辺自立が不充分な幼稚な タイプ等々に分類される.しかし一つの実践空間にたど

り着くまで(x)という「登校拒否児」をかかえる家族(X)

は様々なルートを経ているのであって,ある病院,ある 学校の子どもの類型把握が「登校拒否」の一般的特徴を 示していると一概に断定することはできない。

 そこで次に「登校拒否児」をかかえる家族Xが治療・

教育等の実践空間に至るまでのルートをモデル化した い.(以下,図2を参照)

 (a)は,X・またはx・が,児童精神科,夜間中学校,

ボランティア施設に直接出向く場合である.これらの施 設については,ミニコミ・マスコミによって知られるこ とが多く,例えぱ都内の夜間中学校の場合,知人・家族 の紹介が46.5%,TV・ラジオ・新聞が14.1%となって

いる16).最近ではボランティアのネット・ワーク17)があ り親の会や書籍,講演会などを通じこのルートが広がっ ていると思われる.このxユについて推察できることは,

 「登校拒否」状態が重篤な段階を経過し比較的安定した ケースか,または「登校拒否」に対して積極的な対応を とれる経済的,精神的余裕のあるケースがこのようなル ートをたどるであろうということである.原籍校への不 登校が続いているため,x・については,院内学級,夜 間中学校が連絡をとることになる.

 (b)は,中間に教育センターがあり,心理判定等の結 果,院内学級,夜間中学校に入るルートである18),

 (c)は,不登校中に学校管轄外の機関を経由して院内学 級,情緒障害児短期治療施設に入所するルートである.

経済的に就学困難である場合や非行がらみの「登校拒 否」のケースがそれである.このケースの場合,身辺自 立が不充分であるなど,前青春期に至っても「幼稚さ」

を残しているという特徴がみられる.現代の貧困という 観点からすれば,不登校ではあっても「登校拒否」なの か怠学であるのか判然としにくい面がある.

 (d)は,原籍校から医療機関を経由して院内学級や養護 学級に至るルートである.養護学校寄宿舎の場合には,

非行傾向のある「登校拒否児」は入舎できない.この点

が(c)と異なる.

 (e)は,基本的には原籍校の生活指導を中心として,心 理判定等についてはデイ・ケアを受けるケースである.

原籍校の担任,養護教諭等の計画的,組織的対応が可能 なケースである.

 (f)は,不登校が長期化し学校との連絡が途絶えがちに なり,中学卒業資格のために短期間登校するといった消 極的な関わりしかもたないケースである2°)。

 以上のように,家族Xは多様なルートを経て実践空間 に至る.では先に示した実践空間は,これらのXをどの ように受けとめるであろうか.

 図3は,実践者が「登校拒否児」をかかえたXおよび xのどこに着目するかを,大胆に示したものである.児

個入の  図3

パーソナリティ 家族 学校教育

臨床

社会福祉

教育

×

印一 一鯛 一崩顧關一一一 一 ___ __

「世間の

瘁v ×

(4)

童精神科医にとっては治療すべき対象としてxのパーソ ナリティーをみる.xが医師を訪ねる以上,医師はxの 来院自体を不自然なこととは思わないであろう.そこで 次にその背後にある家族Xや不登校になっている当の学 校に対し医師は検討せざるをえなくなる21).「登校拒否」

症に対する現代の臨床心理学・医学の考察視点は,対他 者関係(家族内ダイナミックス,交友関係),学校状況 を視野におさめながらも,基本的にはxの治療を端緒と する.先に示した,「登校拒否児」に対する実践現場(1}

〜㈲がこれに相当する.つまりXxは臨床的知見の下 で基本的には「治療」を受けることになる.こうした現 場では,実践をリードするのはドクターでありがちであ

り,院内学級の「教育」との調整が必要となる22).

 実践現場(4×5×9)⑳にみられる特徴は,いうならぽ社会 福祉的観点からXxを把えている点であろう.これら は家族の経済的困窮,「崩壊」,本人の非行等の非学校的 生活を関与の端緒とする.先に示したルート(c)のように

児童相談所を経由したケースなどに顕著にみられること は,「登校拒否」というよりも,登校するための生活習 慣の欠如による不登校が多いということである.この点 を押えないと,ルートによって既に子どもの選択が行わ れている事実を見逃すことになる.いわゆる「身辺自立 ができていない」タイプと呼ぼれる「登校拒否」は,臨 床的には「登校拒否」の一類型とはいえても,教育的に は不登校問題としての位置付けを与えなければならな い.また社会福祉的には家族の安定をはかるための諸策 を講じることが当然のこととされるが,学校・教師は自 らそうすることを必ずしも当然とは考えるわけではな い.この問題は,両者の連携の問題として論議されはじ めたところである.

 では教育現場は「登校拒否」(Xx)をどのように位置 付けるのであろうか.学級担任,教育相談係,養護教諭 が当人との直接的な接触をもつことになる.その後の対 処は,先に示した(b)(d)(e)というルートをとることにな

る.(b)(d)の場合は,院内学級,養護学校に入った時点で 学籍も移ることになる.(e)の場合には担任,教育相談 係,養護教諭等を窓口として指導チーム23)が作られる.

最近のように不登校「登校拒否」が常態化すると,生活指 導の一環として取り組まれることが多くなってきた24).

しかし「登校拒否」についての理解は決して充分ではな く,再登校という行為自体が目標になりやすく,当人が 負っている家族の力動や学校空間に対する批判的検討が 行われているとはいい難い.この点は,「学校化過剰」25)

となっている「世間の眼」と重なって家族や当人,時に は親類にまで過剰な負担を与えることになる.

 これまで「登校拒否」に関わる実践現場の意味空間,

そして「登校拒否児」をかかえる家族Xxがこれらの現 場に至るまでのルートを素描した.Xxと示したものも 実際には,家族(父・母・祖父母・更に2,3代遡る

ような家系,家風を含む,)Xと当人xとの間には葛藤 があり,x自身の前思春期,思春期前期に至るまでの対 他老関係をめぐる発達上の問題がある.家族にしろ,当 人にしろ,それまでに形成してきた所与の意味空間を有 しており,「登校拒否」という具体的行為によって,突 然日頃自明視されている意味空間が緊張し,もしくは崩 壊してしまう26).そこに,「外的な」意味空間が関与し,

家族,当人の意味秩序の再建を促すことになるのであろ

う。

 次章では,本章でのべたことがらを実践現場を介在さ せながら論じることにする.

H

 本章では,筆者が調査した大阪市立貝塚養護学校寄宿 舎の寄宿舎教育実践をもとに,「登校拒否児」に対する 教育を考察したい.

 (1)

 まず,この寄宿舎を前章で示したフレームの中に定位 させておきたい.病弱虚弱養護学校である本校には,

「虚弱,情緒障害,肥満,喘息,腎ネフローゼ」(r学校 案内』)の子どもたちが入舎している,医療機関は付置さ れていない.また寄宿舎は学部(学校)と同一敷地内に あり,教職員,子どもの往来は頻繁であるが,機能とし ては独自な空間を有している.以上のことから,医療空 間とも,学校空間とも異なる寄宿舎空間というべきもの を呈している.それは,本校が戦後(1948年)大阪市立 少年保養所附属貝塚学園として,結核児の学習権保障施 設として設立されたことと無縁ではない.1957年に養護 学校となるが,1967年には喘息児を入舎させていた助松 養護学校と統合される.1973年からは,肥満児を受けい れている.これらと並行して,「登校拒否児」を1961年 9月から入舎させている.1971年には,正式に「登校拒 否児」の受けいれを決定している27).その累積数は200 名に達している.こうした沿革からもわかるとおり,病 弱児の学習権の保障,とりわけ寄宿舎については,生活 指導実践が歴史的に学校空間を形成してきた.従って,

寄宿舎教育の実践者(寮母・舎監)にとっては,子ども xの生活態度,行動そして家族Xへの着目が主要なもの となる.ただし,教室場面だけで子どもと接する教師

(学校空間)と寮母(寄宿舎空間)とでは,子どもの態 度,行動への着目には明らかに相違があると考えられ

(5)

る.その差異は単純に,子どもと接する時間の量に還元 できるものではなく,寄宿舎教育の独自性もしくは歴史 性に由来する.具体的には,寮母集団の形成と関わるの だが,それについては後述する.

 次に,入舎ルートについてだが,大阪市立小児保健セ ンターと連携しているので,児童相談所,教育研究所,

一般学校のいずれの場合もセンターを経て入舎する.従 って先のルートの(d)に相当する.学校側の対応は,まず

「入学(舎)相談」を行い.親子共々入寮体験を経るこ とが可能である.その上で,「入学指導委員会」が決定 する.その際に,精神疾患と非行,怠学傾向について確 認がなされる.これらのルートを経て入舎した「登校拒 否児」について,貝塚養護学校では次のような特徴付け

を行っている28).

 第1期(1961〜1965年)・対象者5名

 まだ,教職員に「登校拒否」についての認識がなく,

指導方針も充分ではなかったが,子どもたちは,生活 力,活動意欲にあふれていた.入舎後,1〜2か月で身 体症状も除かれ短期間で地元校に復帰した.

 第2期(1966〜1973年)・対象者40名

 自律神経失調症,喘息,自家中毒,かん黙症と重複し た「登校拒否児」が入舎.過保護過干渉,支配的親がみ られる.しかし入舎後は,親との距離がとれて健康状態 になる.いわゆる「優等性の息切れ型」と考えられるケ ースがあった.

 第3期(1974〜1978年)・対象者26名

 1973年からの肥満児の受けいれに伴い,肥満と「登校 拒否」の重複するケースが増加.身辺処理の困難な子,

自己判断に自信の持てない子,自己規制の弱い子が増 え,大人への依存度が高くなってくる.親の方は,溺 愛,過保護,過干渉が強くなってくる.

 第4期(1979年〜現在)・対象者100余名

 肥満,「登校拒否」,家庭内暴力の重複した子が増加.

身辺自立が不充分で,対人関係に非常に敏感であり,決 断を迫られると身体症状を呈す,親,特に母親が子ども に対して弱腰なのがめだつ.

 以上の特徴付けは,寄宿舎空間における実践的・経験 的区分である.

 (2)

 では,このような状態像を描きながら子どもたちに対 応してきた寄宿舎空間の固有性を考えてみよう.筆者が 調査に入った,いわゆる第4期においても,際だって印 象に残るのは寮母集団(10名)の指導における機動性と 柔軟性である.その背景には,寄宿舎教育一般としては 寮母権闘争の歴史がある.1964年に三交替制勤務が開始

されるが,貝塚の場合それに加えて「全国寮母大会」に 参加するなかで,「母親がわりに世話する」寮母から,

生活指導実践者へと自己規定の転換が行われる.次い で,1969年には舎生の減少で寮母への転勤勧告が行わ れ,寄宿舎存続運動が行われた.同時期に,舎生3人の 水死事故があり,あらためて生活指導実践が,寄宿舎の 存続をかけたものとして行われるようになる29).つま り,この時点から寄宿舎は寮母集団を主体として寄宿舎 空間を形成しはじめたのである.

 (3)

 寄宿舎の生活について説明しておきたい3°).基本的な 生活空間は,7〜8人つつに分かれた部屋空間である.

部屋割は,基本的には小・中学生の別によって行われて いるが,子どもの状態によって随時入れ替えの措置がと られる.心理的不安定やアクティング・アウトが見られ る時には,中学3年生など安定性・指導性のある子ども のいる部屋に組み入れられるし,一人の子どもの影響が 大きすぎる場合にはリーダー数人と共に新たに部屋を構

成する.

 舎内の自治活動は,寮自治会(「あゆみの会」),係活 動(起床等の合図の音楽を流す放送係,遊び係等),委 員会活動(「クリーンズ」「清潔ライフ」「給食部」「園芸 指導部」)そして各部屋の会議がある.

 学校と寄宿舎は中庭をはさんで隣接しており,休み時 間などには往き来ができる.週2日間は制服を着用する が他は自由である.寮母室への出入りは自由だが,男子 のいる3階の廊下を女子が,女子のいる2階の廊下を男 子が通る時だけ若干「不自由」そうにみえる.下校後 は,洗濯機はフル回転しており,部屋には常に洗濯物が 干してある.これは,持ち込んだ衣料品だけでは,運動 量の激しい寄宿舎生活に追いつかない事情が控えている からだ.貴重品の持ち込みは禁止だが,ラジカセを聞く 子どももいる.寄宿舎のきまりには次の一項が入ってい るからだ.「但し,小6年以上の者で,rあゆみの会』の 許可がある者はラジカセ,時計を持つことができる.」

(「寄宿舎のきまり」).

 舎生の生活リズムは,朝6時40分起床(ベルが鳴るわ けではなく,放送部のレコードが流れる.),訓練(各人 が決めた目標に沿った持久走),朝食,朝会(5分間ほ

ど,点呼をかねて.寮母が,寄宿舎空間と学校空間の切 れ目を示す儀式であろうか),登校.昼食は帰舎して食 堂で食べる.下校後は,自由時間,夕食,訓練(「男女 交際」のマナー一学習を兼ねたフォークダンス等),学習,

自治活動と続く.消灯は8時だが,多数の子は延長学習 兼自由時間に参加する.実際に就寝するのは,個々まち

(6)

まちである.

 フリーハンドでここにのべてきた事柄は,図4にみら れる指導方針にもとずいている.

自我の成長 図4

自我の成長

  \\

アクティングアウト

出所:貝塚養護学校登校拒否研究会r家庭内暴力登校拒否の   子どもの実態と地元校復帰への取組み』

 入舎直後の分離不安状態(具体的には未帰舎)に際し ては,親には,金銭・物品を与えないように指示し,本 人には,訴えは充分に聞くが,守るべきことを要求し,

対人関係の問題は部屋会議などの全体の場でとりあげ る.家庭内暴力が行われている時には,葛藤の端緒をつ かむため寮でもその事実を話せるようにしてゆく.

 安定した時点からは,図4にみられる「限界設定」を 個人に応じて与える.例えば,先にのべた,持久走や自 治活動の任務がそれにあたる.

 地元校復帰およびそのための試験通学もこの「限界設 定」の一環として位置づけられている,試験通学は,① 寄宿舎から本校まで担任,寮母が付添い通学・見学,② 自宅から一人で通学,③自宅から長期にわたり通学,と いうステップを踏む.寮母が記した個人についての記録 をみると,この間の指導が,「登校拒否児」に対する寄 宿舎教育の最重要期であることがわかる.学校と生活の 双方から構成されている寄宿舎空間から,家族空間と地 元の学校空間という差異のある空間へ,という飛躍の時 期にあたるからである.

 このような寄宿舎生活を,平均約1.6年経験して子ど もたちは退舎してゆく.追跡調査31)によれば,(調査時 点,1984年10〜11月,調査対象者78名))72%が退舎後 も「良好」状態にあるという.また,中学校・高校そし て20歳前後まで順調な者は,その後の経過もよく,高 校,専門学校,定時制高校という学校現場では問題があ

っても,就職を機に順調に社会生活を送っているとい う.20%余の者は,高校,専門学校,定時制高校で中退 している.そのうち再び不登校になるのは,転学・卒業 後1年以内の時期であるという.

 子どもへの指導と並行して家族との接触も進められ る.「寮生を育てる会」の活動(スポーッ会,寄宿舎見 学会等)やr貝塚通信』を通じて全般的な交流をはかる

保護者の意識の変化 図5

      \入舎間もない頃

(出所:図4と同じ)

と共に,個人連絡ノートが親と寮母の間でやりとりされ る.図5にみられるとおり,入舎直後,未帰舎時,試験 通学時,復帰時が,本人ぽかりでなく親にとっても緊張 する時期であるし,家族Xと当人xの意味世界の中で寄 宿舎空間の意味が作用する時期である.

 (4)

 寄宿舎教育は,寮母10名 (男子1名を含む),養護教 諭,舎監(学校の男性教諭)によって運営されるが,そ の中心は寮母集団であり,出入りの激しい寮母室は,生 活指導センターもしくは寄宿舎のステージ・マネジメン ト機能を果している.その内容は,「限界設定」によっ て自我の発達をはかるという図式でのべられているが,

それ程単純ではない.身辺の世話をする母親代りの「寮 母」から生活指導者へと,自己規定(意識)において

も,実践においても転換をとげた寮母集団ではあるが,

子どもの身辺にあって,長期間にわたり受容と指導を行 う過程一子どもを支配する家庭空間・学校空間との間 に異る空間を経験させる過程一から,おそらく実践者 自身も充分には自覚していなかったであろう,寄宿舎空 間を創り出したと考えられる.

 創出のプロセスを垣間見ることができるのは,部屋担 任形態の変遷である.寮母にとって,指導上最終的に戻 る地点は,「子どもにとって」「子どもがよろこぶよう に」という発想である.このことは今でも変わりがな い.ただし,その形態を変えてきた.①は「部屋担任王 国」制とべきいうもので,寮母は担任というより各々の 部屋の母代りである.②は複数担任になるが,1・3号 室は2・4号室に比べ手厚くなる.③④は担任をなくし た形態であるが,これでは部屋指導の責任がなくなる.

⑤は,担任意外のものが子どもと接触しにくくなる.⑥ はフリーの2人が副担という形で指導に入る.⑦は,G が寄宿舎全体の指導(特に不安定な子どもへの個人的接 近や新たな寄宿舎活動のとり入れを行う.)にあたる.

 この変遷は何を物語るのであろうか.毎年4月には,

部屋担任決定をめぐって激論が交されるという.誰もが 担任をもちたいのである.しかし他方では,校務や寮全 体の指導方針を把握するフリーのポストが必要である.

(7)

部屋担任形態

図6

  

蟹w

}C 以奴Bmf.

13A

②制(r霧1(㌔]

f

4

/3

}…

伽F

掌 

E

槻「I」

校−II」

4 2 3

1

D B C

A

男脚壬制

部のq9

         (指導グループ)   (研究グループ)

⑤釧1臨][EF]

⑥各室担任制  他はフリー  (1979年)

⑦現在

 (1985年)

[1 2}3

Blc

111 ElF

1]

蹄琿

いわば,寮母の「母代り的」指導(受容の側面)と「限 界設定」を具体化する指導が部屋担任とフリーの立場の 相異として現象する.両者の緊張は,週一回開かれる全 員出席の「引き継ぎ」の中で語られることになる.一人 の舎生の洗濯,投薬,身のまわり一切について多方面か ら語られる.担任の子どもに対する主観的思い入れ的指 導が指摘されると,担任は,担任とその子どもとの間に だけ存在していた事情を明らかにし,その指導の是非を めぐって白熱した議論が展開するとのことである.一方 は,寮全体の指導を貫こうとし,他方は,子どもを「弁 護」しようとする.このような経過を経て初めて,寄宿 舎空間の機動性,柔軟性がつくられ,寮母は教師とは異 った視点から子どもに関与するEducatorとして機能す る.その実践は,舎生一人一人について毎目記される

「教育参考資料」として蓄積され彪大な量にのぼる.

 この空間は,学校空間・医療空間そした家庭空間に対 し独自の主張をもち,「登校拒否児」の内的意味世界の 変容を迫りかつ受容する機能を果している.

 本章では,寄宿舎空間が「登校拒否児」に及ぼす意味 作用についてのべたい.

 「登校拒否児」xは,確かに同時代の大人や,同世代 の子どもとは異質な側面をもっている.エネルギーの低 い子」「弱さ」と呼ばれるものがそれである.彼らは,

学校空間のアナーキー,家族Xがかかえるカオスに耐え ることができない32).家族のかかえるカオスは,学校場 面以上に不分明な力動に埋もれており.x以外の家族構 成員にとっても栓桔となるものである.この地点から,

子どもは葛藤をかかえて寄宿舎にやってくる.

 寄宿舎空間には,明示されてはいないが,子どもにとっ ての活動上の階層性が存在する.第一に,身辺の世話を

してくれる「母代り」的存在としての寮母である.一つ の部屋を拠点とした「家族的」雰囲気が形成される.この 受容過程では,時には「幼児がえり」的指導33)を伴う.こ れは分離不安による未帰舎に対する対応という意味ばか

りではなく,新たな意味世界の巣作りの段階ともいえよ う.古巣となる部屋の同寮たちの問には,「部屋新聞」を 作るところもでてくる34).とはいえ部屋活動は私的空間 のそれであって他の部屋とは区別される安堵感が漂う.

 第二は,係・委員会活動の意味世界である.生活指導 センターである寮母集団は,子どもたち全員が「管理 者」になりたがっているところに着目して,子どもが人 前に立つ場所としてこの活動を位置付けている。園芸指 導部は,単に農作業の下請け仕事をするのではなく,他 の舎生に,鍬の持ち方から収穫の手順まで指導する役割 をもつ.しかも,畑では公的には,一部屋一畝である が,指導部員には別途私的tlC 一一畝が与えられる。「クリ ーンズ」は各部屋の所持品の整理整頓をチェックする係 だが,彼らは作業をするわけではなく,グループごとに 点検表に数字で評価を記入するだけである.しかも男子 は女子の部屋を,女子は男子の部屋を点検する.(これは 正式に異性の部屋に入る稀な機会である.)点検は入念だ が,管理主義のそれだけではなく,採点表は殆どが満点 である.中学3年生ともなると,その辺の事情を知って おり.「やってもやらなくても同じなんや.」と言いなが ら微笑をうかべながら部屋をまわって歩く.放送係のレ コード当番も,時刻は大体あっているが,放送機器のま わりで,懸命に仕事をしたがっているように見える.彼ら

(8)

は,これらの活動と通じて緩やかな規則のあるゲームを 楽しんでいる.公的活動と私的活動が融合している.し かも,その融合した形で,寮母は活動を遂行させようと 真剣に指導する.子どもたちは,口喧しい寮母の指導に 反発しつつ,活動を真剣に遂行しながら楽しんでいる.

つまり,ここでは,掃除の仕方,鍬の持ち方それ自体が 目的なのではない.しかしそれらに熟達することは重要 なのである.問題なのは,諸活動を通して,彼らが自己 に固有な意味世界の創り方を学習(了解)することなの

である.

 「登校拒否児」たのち「エネルギーの低さ」とは,彼 らが支配する活動空間が常に所与性に埋もれていること を示している.こうした子どもに内発的な活動空間を了 解させてゆくには外的な働きかけでは不可能である.彼 らの意味世界からすれぽ,外的働きかけは所与性にもう 一つの加重を加えることに他ならないからである.そこ で,上にのべたような半ぽ公的,半ぽ私的な空間,フィ

クショナルな(擬制的)空間が必要なのである.国府台 病院院内学級における横湯実践にも,「ばか騒ぎ」とい われる教師が仕組んだ半ぽ公的半ば私的空間が登場する が,貝塚実践では,それが日常の次元で行われていると いってもよい.

 第三には,「あゆみの会」(自治会)活動である.筆者 が参加した晩には,夜食をとることについて議論してい たが,事は現実的であり,肥満の子や小学生と中学生と の調整問題があって緊張した面持ちであった.部屋討議 の結果も上級生の利益を押し切った形であり,小学生 や,道義的立場をとろうとする子どもの発言は迫力に欠 けた.夜食といっても夕食の残飯や食パンのことである が,寮母の仲裁にも説得力がない.結局,肥満の訓練生 と小学生を除いた中学生だけが夜食をとることになっ た.夜食有資格者組は,別室で寮母と詳しいルールを作 った.この決定は,現実的力を持ち彼らの生活を動か す.公認されたのである.だから,討論は緊張し,決定 に対しては,有資格者も単純には喜べない.自治会活動 は,公的世界に属するのである.ここで,議論をリード したのは道義心から,訓練生への配慮を示しながら,条 件つきで夜食を食べることに賛成した中学3年女子たち であった.これに対し,中学男子は自分たちの要求だけ をのべただけである.女子たちの迂回策の中に彼女たち の本音を読みとりながらも,結局同意せざるをえない.

二番目に示した,フィクショナルな世界とは異り,他者 に説得力をもつ論理を提起しないと議論できないことを 承知している.自治会の場はリアルな世界なのである.

しかしその時,彼らは「登校拒否児」「エネルギーの低

  1986年7月

い子」としてではなく議論しはじめている、

 このように寄宿舎自治の意味には,大きく分けて三つ の階層があると考えられる.とりわけ重要ののは,フィ クショナルな世界の果す機能であろう.この段階で子ど もたちは,劇場空間における異化効果にも似た体験をす る.演劇においては,異化効果によって観劇者が偶像・

虚概念の正体を学習するわけであるが,寄宿舎空間で は,自分自身が役割を演じながら,主体として異化効果 を追体験することになる.指導者として行為する私と行 為する私を寄宿舎空間の中に位置付ける私という両側面 を体験する.それは役割距離の主体的発見といってもよ

い.

 ブイクショナルな世界の意味について考えてみよう.

第一に,丘ctionは「現実の」世界に対する対語である.

非現実的世界と同義語である.「登校拒否」の子どもた ちは,不登校状態にある場合,登校行為を強迫的なまで に「せねぽならない」ことと思い,多数が従っている行 為を自分は果すことができないと,現実の地平で考え,

葛藤する.そのような意味で,自分の行為を非現実的行 為としか受けとれない.だから「目的合理性の世界」

・「本当の世界」・「現実」に戻らなくてはならないと考 える.そのように考えれぽ考えるほど「自己評価」が低 くならざるをえない.そこで有効に働いたと思えるの が,係活動のフィクショナルな世界である.A・ボアー ルは次のようにのべている.

 「人間がひとつの選択をする場合,彼は現実の生きた  状況において,彼自身の生活のなかで選択する.劇中  人物が選択をするときには(従ってそういう選択をす  るように人間を誘い込むときには),彼は,生活とい  うものがもっている諸事実の,ニュアンスの,複雑さ  の密度をまったく欠いた虚構上の,非現実の状況で選  択をおこなう.つまり(現実の)人間が非現実の状況  と判断基準に従って選択をおこなっているという結果  になるのだ.

  二つの世界(現実のものと虚構上のもの)の並存は  さらに侵略的な効果を惹き起こす.観客は虚構をふく  らませ,その諸要素と合体するのだ.現実の生きた人

間である観客が,芸術作品のなかで芸術のものとして

     も の

示された世界を,おのれの現実,おのれの生活として  自分のものにしてしまうのだ.美学的滲透である.」35)

 また,N・エヴレイノブは,次のようにのべている.

 「もし演劇性というものによらなかったら,自信に乏  しく,自分の能力を常に疑い,目立つこともなく,ま たあきらかに目立とうともしない極度に控え目な人々 は,きまって敗北者になるという事実をどうして説明

(9)

できましょうか?」36)

 先にのべたフィクショナルな世界とは,言い換えれば

シアトリヵル

演劇的な空間であろう.それは公的に保障された係活動 を,私的に行うことが可能であるような空間である.し かも,丘ctionの第二の理解として,仮構を実体と見な すことはフィクショナルなはずであるのに,係活動に取 り組む子どもたちは,半ば私的に楽しみながら行動して いる.また,そのように仕組まれていたのだ.彼らの行 動は,全くの仮構としてばかりではなく,寄宿舎空間の 公的現実的行為として有効性を持ち得た.

 このように考えるならば,「登校拒否児」は,この活 動空間において,現実的空間に参加できない(不登校)

という自己評価(疎外態としての自己という表象)か ら,新たに,自己と活動空間についての意味の創出を同 時に行う存在へと自己の表象の転換をはかる37).

    リアル

 では,現実の世界は,彼らの変化に伴ってどのように 意味上の変化をとげているのであろうか.フィクショナ ルなものの介在を排除するかに見える現実の世界とは,

因果律と目的合理性に対し無反省で,かついかに機能的 に所与性に同一化するかにac−一義性を認める世界であ る.この世界が,学校生活空間そして家族(典型的には,

男一女,母一子の関係に対し,父一子関係の意味を希薄 化させた核家族が想定される.)にまで浸透する.家族 の場合,さらに構成員にとっては不可視な,累代に及ぶ ダイナミックスによって支配されている.入舎当初の受 容期は,このダイナミックスに支配された子どもに,家 族から距離をとらせる時期である.そして,フィクショ ナルな世界の経験を経て,やがて自己に固有の意味世界 を産出しはじめる.最終的には,「試験通学」期を迎え,

学校空間・家庭空間の意味世界と共存し得るまでに鍛え られてゆく,「登校拒否児」たちは,古巣を去るに際して,

「オレはオレなんだ.」と語るという.未だ,未来に向け て一歩確実に踏み出す手前で,彼らがそのように語るの は,彼らの意味世界の了解として,その言葉が発せられ たということであろう38).

 「登校拒否児」の教育的関与において,耐性(tolerance)

を育て,地元校に復帰させることが目的のように語られ る.これは,教師の説明の論理に沿った表現であって,

実践の一斑をのべたにすぎない.だから,そのように説 明された実践に対して,学校の抑圧機能を喧伝すること は,事柄の一斑に対する批判でしかない.寮母集団が経 験的に獲i得し,経験を積んだ教師たちがのべる,関与す にあたっての「センス」なるものは,最終的に「オレは オレなんだ.」と語るに至る,子ども自身の了解した意 味世界の形成を促す実践空間のことであろう.

〔本稿をまとめるにあたって,大阪市立貝塚養護学校教 職員の皆様に感謝申し上げます.〕

      <註>

1) 「登校拒否」問題の教育(学)的研究としては,

  日本教育学会・現代社会における発達と教育研究委  員会r研究報告集』第3集(1985年)がある.

2) 「登校拒否」問題と現代の中学生・高校生問題と  の関連については,竹内常一「中・高校生問題の本  質」,(『教育学研究』52巻3号,1985年)

3) 図1中,「治療と教育」としたのは,「治療的教  育」では一体論的発想になり,院内学級等における  両者の固有性が失われるという,十亀史郎(あすな  ろ学園)の指摘を考慮したためである.(『全国児童  精神科医療施設研究会報告集』No.9,1980年所収)

4) 「登校拒否」問題の文献については,前掲1)を  参照されたい.

5) 渡辺位編著r登校拒否一一学校に行かないで生き  る』(太郎次郎社,1983年).こうした批判の仕方に  対する批判として小浜逸郎『学校の現象学のため  に』(大和書房,1985年)p.39を参照のこと.

6) 横湯園子『登校拒否』(あゆみ出版,1981年)を  参照.

7) 竹中哲夫『自己形成過程の子どもたち』(ミネル  ヴァ書房,1979年)を参照.

8) 全国情緒障害教育研究会編『登校拒否児』(日本  文化科学社,1975年)を参照.

9) 毎日新聞社編『登校拒否の子』(毎日新聞社,1984  年)pp.197〜201

10) 前掲1)および,東京都夜間中学校研究会r東京  都夜間中学校生徒通学実態調査』1983年.

11) 温井康子他r障害児の寄宿舎教育入門』(青木書  店,1985年)pp.198〜213

12) 前掲1)所収の斉藤大仙の実践,野崎忍「多賀美  が自立する過程」(上)(下)(E生活指導』1985年9,

 10月)

13) 例えぽ,長野県下伊那郡平谷村が,里親制度を実  施している.筆i者は,1985年現地調査したが,収容  人数等の点で充分に機能しているとはいいがたい.

14)わかる子をふやす会・八杉晴実編rさよなら学校  信仰』(一光社,1985年)に紹介されている.

15) 高橋良臣r子どもたちの復活』(あすなろ書房,

 1983年)を参照.

16) 出所は,前掲10).

17) 『朝日新聞』1985年4月24日付.また「登校拒否

(10)

 を考える親の会」(東京)などが月例会,合宿等で  親同士の交流をすすめている.

18) 神保信一等の調査によると,学校が外部機関と連  携をとる際,最も多いのが教育相談所(セソター)

  となっている.(「中学・高校における登校拒否生徒  の指導に関する調査」,r明治学院論叢』327号,1982  年)。また,文部省によって,このルートの連携が  指導されている.(『生徒の健全育成をめぐる諸問題  一登校拒否問題を中心に』1983年)

19)学校(養護教諭,担任)とデイ・ケアの連携につ  いては,日本生活指導学会,第3回研究大会(1985  年)課題研究「個人の健康課題と学校生活」におい  て報告されている.

20) 時期的に古いデータであるが,小野修による調査   (1967年,香川県全県を対象としたものである.)

 によれば,「登校拒否児」95名中,「家庭と学校の周  辺で処理しようとしているもの」が47例(49.5%)

 であったという.(『児童精神医学とその近接領域』

 第13巻4号,1972年)

21) この点について,児童精神医たちの意見は一致し  ていない.例えぽ,清水将之(当時,阪大)は,

  「かれらが拒否しているものは2つあって,ひとつ  はinstitutionとしての学校ということで,もうひ  とつは,同年齢集団への参加という形での学校,と  いうことになる……」とのべている.小沢勲(京都  府立洛南病院)は,「…実はinstitutionalizedされた  同年齢者しかないわけですよ.そこへ参加しなけれ  ばならない,という構造があるわけです.それ以外  の集団はもはやほとんどなくなりかけている.そう  いった不遇の時代の中でどうしていったら良いの  か,ということが問われなくてはならない.どこか  でひどく一般化してみたり,どこかでひどく個別化  してしまったりしているようで,問題点の整理をど   うしていったらいいのかと考えちゃったわけです.」

 (r児童精神医学とその近i接領域』第19巻4号,1978  年)PP.47−48

22) 院内学級の教師をしていた横湯園子が教師として   「登校拒否児」に関わる中で,「治療者のセンス」

 (『登校拒否一新たな旅立ち』新日本出版社,1985  年,p.15)を強調するのは,病棟と学級(教育)の  調整という経験に支えられてのことと考えられる.

23) 前掲18)の文部省手引書にも,「教師間の連携・

 協力を図ること」という一項が入っている.

24) 全国生活指導研究協議会「不登校・登校拒否問題   ・教師のつどい」(1985年10月)には,こうした取

  り組みのレポートが寄せられた.

25) 前掲1)竹内論文を参照.

26)筆者が出席した親の会での経験によれぽ,子ども  の「登校拒否」という解読不明な事態に直面した親  同士が新たな意味付け(「学校にゆかなくてもよい  のだ」という)を共同して行っているといった趣き  であった.

27) 清水隆一他「登校拒否児の施設収容治療の実態に  関する調査」(東大阪市教育研究所『子どもの成長  発達と教育実践』1984年3月)

28) 貝塚養護学校登校拒否研究会r家庭内暴力・登校  拒否の子どもの実態と地元校復帰への取組み』

29) 日本福祉大学1部3年1980年度大泉ゼミナール   r障害児の生活と教育一戦後寄宿舎教育実践の歴  史的検討から一』を参照した.

30) 1985年11月時点での人数については表1を参照の  こと.参考のために片浜養護学校寄宿舎についても  掲げる.

表1 大阪市立貝塚養護学校寄宿舎

小学生

中学生

「登校拒否」と 肥満等との複合   ③(人)

?l/2

質1}25

全舎生⑮

 (人)

?1}・2 暇1}3・

@/⑮

(%)

17

83

27

42164

(1985年11月5日現在)

表2 東京都立片浜養護学校寄宿舎

小学生

中学生

「登校拒否」と 肥滅等との複合   ③(人)

T8}・

質1}3・

全舎生⑮

 (人)

?8/8

?ll}44

@/⑮

(%)

0

68

一嘗ロ 30

52158

      (1985年9月17日現在)

(全生研「不登校・登校拒否問題・教師のつどい」に提出された,同寄宿舎寮母,森キミ氏のレポートから作製.)

31) 貝塚養護学校『かいつかのきょういく』第13集,

 (1985年)

32) 受験を控えた中学3年生に,受験に対する不安  と,退舎の不安とではどちらが大きいかを尋ねてみ  ると,後者の不安の方が大きいという子どもの方が

(11)

 多かった.

33) 寄宿舎定着が悪い,中学1年男子に対し,寮母が   1対1の赤ちゃん返り指導を行った.前掲31)所  収.

34) 他の部屋の力量を考慮し,寮母と部屋内だけの私  的性格をもつ新聞である.

35) アウグスト・ボアールr被抑圧者の演劇』里見実  他訳,(晶文社,1984年)pp.310−311

36) N・エヴレイノブ『生の劇場一演劇的本能の戯  れ』清水博之訳,(新曜社,1983年)p.57

  エヴレイノブは,演劇性(theatricality)を自然  性(naturalness)の変容過程の中に見いだす.すな  わち,「外的世界が提供する材料から,一つ新しい   リアリティを創りだす,この独自の,個性的な,ま       シアトリカル

 ったく気ままな創造性は,『演劇的』としか形容し  ようのない創造エネルギーの形態です.」(p.36)と  のべている.

37) ここで用いる「自己」概念については,さしあた

  り次の様に了解したい.「……過去的契機と(対)

 他者的契機は等根源的であり,それがr存在』の内  容を成すということ,そしてまた一方で,そのr存  在』がr非一在』としてのr自我一能作』によって  不断に乗り越えられていくプロセスの総体が自己と  いうアイデンティティだということである.」(傍点  は原著者.)小林敏明「自己の解体と役割行為」,

 (『思想』1985年10月)

38) 見城慶和(荒川区立第九中学校)は,夜間中学校  に通った元「登校拒否児」の次のような作文を紹介  している.

  「……でも三学期間の夜間中学の生活で僕はがんば  ればやれると思うようになった.これまで僕は物事  を悪い方へ悪い方へと考え,暗く低い方へ低い方へ  と落ちこんでいた.がんぽれぽ少しずついい方へ行  くんだと考えることができるようになった.」(r機関  紙と宣伝』1985年4月)

参照

関連したドキュメント

確かな学力と自立を育む教育の充実 豊かな心と健やかな体を育む教育の充実 学びのセーフティーネットの構築 学校のガバナンスと

状態を指しているが、本来の意味を知り、それを重ね合わせる事に依って痛さの質が具体的に実感として理解できるのである。また、他動詞との使い方の区別を一応明確にした上で、その意味「悪事や欠点などを

状態を指しているが、本来の意味を知り、それを重ね合わせる事に依って痛さの質が具体的に実感として理解できるのである。また、他動詞との使い方の区別を一応明確にした上で、その意味「悪事や欠点などを

専攻の枠を越えて自由な教育と研究を行える よう,教官は自然科学研究科棟に居住して学

C. 

学生は、関連する様々な課題に対してグローバルな視点から考え、実行可能な対策を立案・実践できる専門力と総合

さらに体育・スポーツ政策の研究と実践に寄与 することを目的として、研究者を中心に運営され る日本体育・ スポーツ政策学会は、2007 年 12 月

信号を時々無視するとしている。宗教別では,仏教徒がたいてい信号を守 ると答える傾向にあった