• 検索結果がありません。

中國古典文學の

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "中國古典文學の"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

はじめに

東京の、赤坂への

に紀國坂という坂

それに添って高い 坂の一方の側には昔からの深い極わめて廣い濠があって、 ほり 呼ばれているのか、それは私の知らない事である。この (1) 紀伊の國の坂という意である。何故それが紀伊の國の坂と がある―これは ている、― の堤が高く立ち、その上が庭地になっ の他の側には皇居の長い宏大な

いている。街燈、人力車の時代以 が長くつづ 夜暗くなると非常に寂しかった。ためにおそく にあっては、その邊は

る徒 は、日後に、ひとりでこの紀國坂を登るよりは、むしろ幾哩 マイルも廻り

これは皆、その邊をよく をしたものである。

いた貉のためである。 むじな 貉を見た最後の人は、

三十年 とった に死んだ京橋方面の年 この る、 人であった。當人の語った話というのはこうであ 人がある

おそく紀國坂を

ただひとり濠の ほり いで登って行くと、

身を投げるのではないかと心配して、 に踞んで、ひどく泣いている女を見た。 ふちかが

自分の力に 人は足をとどめ、

た。女は ぶだけの助力、もしくは慰藉を與えようとし 奢な上品な人らしく、

それから髮は良家の 裝も綺麗であったし、 みなり

(中略) い娘のそれのように結ばれていた。

人はその手を輕く女の

の上に置いて

た「お女中!お女中!お女中!私の言 き立て

お女中!』……するとそのお女中なるものは向きかえった。 聽きなさい。ただちょっとでいいから!……お女中! をお

「のっぺらぼう」考(上)

中國古典文學の

點から

子和男

(2)

そしてその袖を下に

と目も し、手で自分の顏を撫でた見る も口もないきゃッと聲をあげて

人は した……。 (2) げ出 右は、小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーン(LafcadioHearn)の『怪談』に收

題する話の一 された「貉(原文ではMujina)」と この後、件の である。

人が這々の體で

げ なった」というところで物語が なものだったか?」と言って顏をなでると「顏は卵のように で事を語ると、蕎麥賣りが「へえ!その見せたものはこん んだ蕎麥賣りの屋臺

の古く語られたと言う表記で統一する)「のっぺらぼう」 う」とも。本稿では、、「ぬっぺりほ(ぼ)、「ぬっぺっぽう」う」 、「ぬっぺらぼむっぺぽう」「(或いはのっぺらぼうしかし、 のイメージの源泉と言って良いであろう。 りに有名な話は、我々現代人の多くが知る「のっぺらぼう」 わるのであるが、このあま

と、この話を

うの じて我々が共有する、右のようなのっぺらぼ

とはかなり

後世、のっぺらぼうの來源や なる。

話について示された解

論考は實に多いのだが、この點について配慮したものは必ず や しも多くなく、八雲の

たのっぺらぼうの何れか一方について いたのっぺらぼうと古くから語られ

いたものや、兩

混同して を

の整理を試み、 べたものなどが目につく。本稿では、そのあたり いで八雲

イメージの來源を考えることとしたい。 くところの「のっぺらぼう」の

本論に入る

先ず整理しておきたい。この作業が、後に に、小泉八雲「貉」の元となった話について、

べる八雲

、『骨董』をはじめとする幾つかの八雲の『怪談』 ** かりとなると思われるからである。 ころの「のっぺらぼう像」の來源を考えるための大きな手が くと められた物語は、八雲オリジナルではなく、 作に收

存の話を彼の

が 點も交えて再話したものであり、その原話が何であったか

『怪談』 き止められているものも少なくないとされる。

大學附屬圖書 收の「貉」もまた、その例に漏れず、現在富山 に

されている八雲

の書

るん文庫」と名付けられた一群の書 の中、「へ

中の一冊として收

れる町田宗七 さ

『百物語』(東京町田宗七、明治二十七年〔一八 (3) 中國詩文論叢第二十五集

196

(3)

九四〕中の、第三十三席[話

ところが奇妙なことに、この町田宗七 。えられている (4) の話に基づくと考は御山苔松])

『百物語』

由來などについて詳しく觸れた論考は、 立の 謂八雲

の論考には たち

八雲 くと言って良いほど見當たらない。

以外の論考や

見つからず、管見では、 作にこれを求めても、なかなか 集 た にして幻想文學の方面に優れ 作を數多く持つ、東夫氏の『百物語の百怪』に詳しく 書 べられているものを唯一とする。東氏は富山大學附屬圖 (5)

で扶桑堂刊『百物語』を實見したらしく、「表紙は滿

すすきの穗をあしらい、各篇に

繪を配した風な

と 本である」 (6)

べ、本書

立の由來を山本笑

明治二十五年がかりとして、十一(一八九二) 『明治世相百話』を手 (7)

、淺 その會の ことはほぼ確實であろうと指摘する。 (8) 亭・奧山閣で開催された百物語の會で語られたものに基づく の料

催 は條野

(畫家・鏑木

方の父。戲作

新聞記 、

、やまと新聞

。長)

な出席

を げると、

興の 語中

・初代三

亭圓 の他、歌

伎界からは、五代目尾上 五

、六代目尾上

幸、

語家では四代目桂文治、初代三 亭圓 、圓

にも多大な影

を與えたと言われる

談界の 大立

・松林伯圓、小家の南新二、東京日日新聞記

田 ・西

!坡(後に同

に入 してきた岡本綺堂を指

ても、この會が決して生 など、錚々たる顏ぶれであり、これをもってしも知られる) "した人物として やや長くなるが、本稿を とが良く分かる。 (9) #な趣味人の集まりではなかったこ を引用しておきたい(傍線部は $める手がかりとして、この物語

。場合は同じ) %子。以下、特に斷り書きのない

第三十三席御山苔松拙

の宅に年久しく仕へまする佐太

が御坐りますが、この男が といふ實直な老僕

&い時に 御坐いますが、或日のこと赤坂から四谷へ參る '(した話しださうで

ましたが、生 )用が出來

*雨は

らゾットいたしません +ますし殊に夜中の事で御坐いますか ふり ,第で御坐いますが、

)用ゆゑ -方なくスタ いたしかた

.とやッて參り紀の國坂の中

た頃には雨は車軸を流すが如くに /へ差掛ッ 提燈蹴ント何やら附たものがありますから、ハット思ッて 飛ポ出しますと、駈くに如ぶがらうとく指す方へま早もゐ むはりまして物でんからなんせ方も御坐りまきこと言は凄 +加に俄り風さへゐてま にわかふつ

「のっぺらぼう」考(

%子)

197

(4)

を差し附 て見ると、コハ如何 いかに高島田にフサ

けた形 と金紗をか

みなりも賤しからざる一人の女が俯向 うつむけに屈 かがんで居りますから、

持病の癪が しやく きながらも貴女どうなさいましたト聞と俯向たまゝ きくうつむい

ムゝ幸ひ持合せの りましてといふからヲゝ夫ハ嘸かしお困り、 それさぞ

はつかがありますから差上 さしあげませう、サゝお手をお出しなさいと言ふと、ハイ

の長さが二尺もあらうといふ う御坐いますと禮をべながら、ぬッと上た顏を見ると顏 あげ に御親切樣にありがた

物、アッと言て

なんのと 出したの 麥うわウイーチンリン 中になッて三四町もまゐると、向ふの方から蕎

れト申しますと蕎菱屋も したから、ヤレ嬉しやと駈寄て、そゝ蕎菱屋さん助けてく かけよつ と一人の夜鷹蕎麥屋がまゐりま

きまして、貴

あなたトど如 なさいました。イヤもうどうのかうのと言て話しにはならない 物に此先で このさき

ひました。イヤ夫は それ

シテどんな

どうかミ、水を一杯下さいト言ふとお易い御用と 御坐いました。イヤモどんなと言て眞似も出來ませんドゝ いつ 物で を汲でくれながら、モシその 碗へ水 言た儘氣を失ッてしまひまして、時 ませんかト言ッた蕎菱屋の顏がまた貳尺、今度はあッと 物の顏ハこんなでハ御坐い

助けてもらひましたが、後に聞ますると、それハ御堀に栖 きき りかゝッた人に む獺の かわうそ

行だらうといふ

で御坐いましたが、この

はなし

は決して獺 うその皮ではないさうで御坐います

小泉八雲「貉」に示された「のっぺらぼう」以

石燕『畫圖百鬼夜行(一七一二~一七八八) イメージを代表するものとして良く知られているのは、鳥山 の、その

』(

(圖1)に載せるのっぺらぼう圖であろう。 「風」の卷) 中國詩文論叢第二十五集

198

圖1

(5)

ここに示された「ぬっぺっぽう」は、眉目口

く、胴體と顏の だけではな て 別すらなく、肉塊に手足をつけたものとし 多田克己「ぬっぺっぽう」解 かれている。

元々顏に目 では、「のっぺらぼう」は りがなく、 のない妖怪ではなく、ぬっぺり(顏の作りにしま が 作 けている=ばかげて見える)妖怪であったとし、

未詳『け物づくし』(『物盡』。元祿年

七〇四〕以 〔一六八八~一 の 立?)や佐脇嵩之『百怪圖卷』(一七三七年刊、

岡市 物 う」のより古い形を殘しているものであろうと推測する を手がかりとして、これらを「のっぺらぼ)

もし、この推測 。

りだとすると、室町時代に活

光信筆と傳えられる京 した土佐 大 寺眞珠庵

見え、後世「のっぺらぼう」と 『百鬼夜行繪卷』に 明される赤い色のけ物

(圖2)もその先驅けと見ることも出來るし、更に中國學を考究する

としては、どうしても、『

子』(

篇「應

第七)に見える、渾沌(混沌)の話にまで想像の 王」

くなる。 を擴げた

之 爲 、北 之

爲忽、中央之

爲渾沌。

相與 與忽時

於渾沌之地。渾沌待之甚善。

與忽謀報渾沌之

。 曰、人皆有七竅以

聽 一竅、七日而渾沌死。 息。此獨無有。嘗試鑿之。日鑿

しかし、これについては、本稿の

ることとして、江期の怪 篇で改めて檢討を加え 示したような「のっぺらぼう」ではなく、目 !譚を更に詳しく見ると、圖1に

口の無い人の

される。 "をしたけ物に對して、その名が用いられている例が見出

「のっぺらぼう」考(

#子)

199

圖2

(6)

例えば、作

未詳で

『曾呂利物語 文三年開板とされる(一六六三)

そのの、の先驅けとも見なしうる 』には、「のっぺらぼう」と明記こそされぬも

け物が登場する。(圖3)

白きもの

たる坊 、丈七尺ばかりなるが、目、

の二「御池町の なきが、臼を踏み、後に三人の方へ顏を向けける(卷四 からうす 、口も 。け物の事」)

また、目口

耳を缺くと言う

では 元和年 かれていないものの、

の初めに、淺

寺 堂に出現したと傳えられる

け物の、十六、七ばかりの小

、後門より

は そのかたち色々に現ず。或ひは面長くなり短くなり、或い おもて 陣に入る。又(中略)

その 赤くなり白くなり、そのすがた高うして天井も低く、 かお

ばせ廣うして堂

も狹し(「武州淺 せば

と」〔 にばけものあるこ 田安靜 『宿直

とのいぐさ』〕)

と言う

は、その一變形と思われ、この

け物に

八雲の「貉」(當然のことながら、八雲の基づいた扶桑堂刊『百物 いた人が、 語』でも)と

く同じパターンで、再度

に かされていること 目すべきものと思われる

また、後に『畫圖百鬼夜行』( 。

「陽」の卷)に

ている、 こととなる「手の目」のヒントともなったと目され(圖4) かれる 未詳『

國百物語

』の、

手のうちに一つありて、 かりなるが、顏は夕顏の如くすすけ、眼は(やつれた樣子) の比、八十ばかりなる老人、白髮を頂だきその丈八尺ば ころしらがたけ

齒二つを、くひ出し、この男を 中國詩文論叢第二十五集

200

圖3

(7)

目がけて

ひかくる(「ばけ物に骨をぬかれし人の事」)

という

け物の

、或いはまた、津の國の

しようどう(唱

民衆 師の略。

の爲に法をして

く ある國の分限 )の體驗談として語られる、

の、

頸より上は、常の頭の大きさにして、夕顏瓢 ひさご(ひょうたん)の如くに、目

うごく(「人の面に目 わずかに見えたり。頭上に口あり、蟹の口に似ていざいざ 口無し、耳は兩方に少しかたちありて、穴 なくして、口頂の上にありて、ものを いただき

ふ事」〔

不詳『奇

雜談集』〕) いぞうたんしゆう

という

我々がイメージする「のっぺらぼう」の は、圖1に示した「のっぺらぼう」よりも、後世、

により

こうした眉目口 ** い。

を缺いた人の

をとる

寶 管見では、のものは、 ぶようになった早期 の名で呼う」(ぼ) 「ぬっぺりほ、ぽう」 、「ぬっぺっぺらぼう」 、「ぬっ(「むっぺぽう」 「のっぺらぼう」 け物に對して、

怪繪卷 なると言う『蕪村妖 いた與謝蕪村の手に 當時畫業に專念して 四年(一七五四)、 京 』に見える、

坊 とされる「のっぺり 帷子が辻に出た かたびら

記 」の(圖7參照)

であろう。

「のっぺらぼう」考(

子)

201

圖4

圖7

(8)

めはな(目

こといなづまのごとし。 もなく、一ツの眼、尻の穴に有りて、光る)

圖7のように、尻に目があることからすれば、これを「のっぺらぼう」の仲

に入れて良いかどうか

斷に はあるが、顏そのものに目、 うところで

、口などが

とからすれば、これも、「のっぺらぼう」の仲 かれていないこ も可能である と見ること 幡宗左衞門 また、これより少し後の明和四年高古堂・小(一七六七) 。

出たと言う「ぬつぺりほう」について、 『新百物語』に見える話の中で、四條河原に

うす

夜に乞 ありながら、顏とおぼしき んにてそばに立ちよりとくと見ければ、人のかたちにては とも見えずうごめくものあり。さけのきげ

に目口

耳もなく、

ひける。ぬつぺりほうといふ るが、夜あけて友だちなどにかたるに、それは或る人のい そのときはじめて、ぞつとこはげたち、あしはやに歸りけ おほきさなるかしらにて、ものをもいはずはいまはりける。 の

物のよし

口 代表される「のっぺらぼう」と『曾呂利物語』に見られる目 かれており、これなどは、ちょうど『畫圖百鬼夜行』に

を缺いた坊

との中

な だが、ここに示したさまざまな「もの」の と言って良い。

た肉塊の如き圖1の は、混沌とし 記した「 語』で御山苔松が語り、それに基づいて小泉八雲が「貉」で でないばかりでなく、扶桑堂本『百物 裝のきれいな女」(形 みなり

みなりの賤しからざる一人の女)とは、およそほど

三「齒 これに對して、『繪本百物語―桃山人夜話―』卷三第二十 い男性ばかりである。

べったり」では、

齒ぐろべつたりをうる里女とも、又東國にてハ、のつぺら坊とも云。多くハ、狐狸の

水 そこなひしなり。新燈開語に、

のほこらの

にて女にあふ。

く ふ。答へずして行。袖をひけバ、振むきて笑へり。目もな の名をしりつゝ女に問 る 笑ふに、其口の大きさ箕の如し、と有。もろこしにもかゝ もなく、耳もなく眉もなし。只口のミあきてげらゝと

物ハ有にや

とあり、眉・目・

は無く、ただお齒

を塗った口だけを持っ 中國詩文論叢第二十五集

202

(9)

た女の け物を、のっぺらぼうの仲

として紹介する

この「齒 。(圖5)

べったり」は、眞珠庵

える「お齒 『百鬼夜行繪卷』に見

を塗る醜女の

け物」と解

や、本稿 されるもの(圖6)

24に示した大首の

きであろうが、目のないこの け物のいわば變種と考えるべ しかし、その 見ることも可能である。 稱するのであれば、扶桑堂刊『百物語』に言うそれの先蹤と け物を「のっぺらぼう」と

は確かに女性ではあっても、お齒

た を塗っ

婚 雲「貉」に のそれであり、扶桑堂刊『百物語』、そして小泉八 かれた「身なりの良い兩家の娘」という

とこ れとが

の ある。そうした良家 くかかどうか疑問で 座に結びつ い子女の

なる には、やはり、さら 像ができあがるため た「のっぺらぼう」 をし 機が モーメント

。(以下、續く) ればならぬであろう 用していると見なけ く作

(1)紀國坂の名の由來は、紀州 】

川家の屋

(2) したとされることは、先學の多く指摘するところである。 とによる。小泉八雲がそれを知らぬはずはなく、敢えてぼか くの坂であるこ 川明三譯。『小泉八雲

集』第八卷家庭版(第一書

一九三七年) 、 收。

(3)分 り引用。 空文庫http://www.aozora.gr.jp/よ 番號[

2285]。ここに言う町田宗七とは、

岩 八六二~一九二〇)の探偵小 香(一 を多く出版した扶桑堂の

「のっぺらぼう」考(

子)

203

圖5

圖6

(10)

名であり、本書も言うまでもなく、扶桑堂の刊である。(4)しかし、同書は複寫が禁じられており、マイクロフィルム もされておらず、原典に當たるには、富山大學まで赴いて 覽する以外に方法がない。これまでの

究 接足を は同大學に直 ぶか、同大學の關係

に依 かく言う論 したものを元に論ずると言う方法をとらざるを得なかった。 するかして本文を筆寫 もその例外ではなく、基本

には後

とることになったが、同書の査を依 の方法を した同大學關係

ル添付で 複寫の代わりにデジタルカメラの撮影の許可を得てそれをメー が、

かったことが ってくれたことにより、從來の論考で指摘されな 本稿 かび上がることとなった(これについては、

で詳しく

なお、ここに言う富山大學關係 べることとしたい)。

學部で中國古典文學を とは、現在同大學の人文 氏は、多 じておられる大野圭介氏である。同 を極める中、論

の依 を快

(5)同朋 てくださった。ここに記して、謝意を表したい。 同書のデジタルカメラ撮影ばかりでなく、貴重な助言をもし され、許可を得て 實物の畫像と相補關係にある有 の協力を得て扶桑堂刊『百物語』の畫像を得た後に讀んだが、 發行、角川書店發賣、二〇〇一年刊。本書は大野氏

な參考

「大(7) (6)同書第五十一話「八雲が愛した百物語本」。 料である。

一書 、百物語の會」。同書は、昭和十一年(一九三六)第 刊。今、中公文庫(中央公論

、一九八三年)に收め られ、改訂版もある(中央公論新

山本笑 、二〇〇五年)。因みに、

は大正デモクラシーを推

した論客として

話』の後に」を寄せた長谷川如是閑自身の記 谷川如是閑の實兄である由(同書に、後書き「『明治世相百 名な長

(8)『百物語の百怪』第五十四話「圓 による)。 幽靈畫

(9)『明治世相百話』によれば、この時の出席 聞」。 は るが、扶桑堂『百物語』には三十六人の話が收 十人とあ この點については、東氏も山本笑 されている。

の單なる記憶

なお、後世の八雲 百物語の會の話を合わせたものかは定かでないとしている。 いか後の 究 の中には、話

「おやまのたいしょう」のもじりであって、 「御山苔松」が らないと否定 容も實にくだ 物語の傳統の中には、怪談という側面の他に、滑稽話という 口吻でく向きもあるようだが、そもそも百 た原文を讀む限りでは、その指摘もあながち 勿論、後に引くように、實名を伏す御山苔松なる人物の語っ !素があるという事を知らぬ人の發言と言わざるを得ない。

ないが、語り口と言い、最後の 外れともいえ

"ちと言い、江

( かろうか。 傳統を忠實になぞった話と理解すればそれで十分なのでは無 #の百物語の 10)原文は總ルビ。本稿では、出來る限り原文の

している點は變更に仕業の貉八雲は泉 して、小對とするのに仕業の獺いた。なお、この原話では用 りの語を句

記した大野圭介氏の協力と助言によって、これに關する從先 $目すべきであろう。 中國詩文論叢第二十五集

204

(11)

來の に疑義乃至は補足の必

性が生じた。詳しくは

( 觸れることとしたい。 で 11)高田衞監修・稻田篤信・田中直日

( 書刊行會影印、一九九二年)。 『畫圖百鬼夜行』(國 12)京極

文・多田克己

・解 二〇〇〇年) 『妖怪圖卷』(國書刊行會、

收。同解

足の別がつかず、しまりがなく では、その語源を「顏(頭)と手

が ら外れている)に見える妖怪」と けて、莫迦(常識か

なお、多田克己解 明していて參考となる。

・京極

らぼう」では佐脇嵩之自らが、狩野 繪『百鬼解讀』の「のっぺ

(一四七六~一五五九年) である狩野元信 卷』を くところと傳えられる『妖怪繪 寫したと記しているとする(

談 年〔元版は 文庫、二〇〇六 談 は現存せず、『妖怪繪卷』その言 ノベルス、一九九九年〕)。しかし、この

否かを確 り、狩野元信の眞筆か

( する手だてはない。

13)『日本繪卷集

25』(中央公論

、一九七九年)

に付せられた小松 收の同畫 美氏の解

や、田中貴子『圖

繪卷を讀む』(河出書 百鬼夜行 新 、一九九九年)の解

由來を考えた時、これをもその仲 ぺらぼう」とする。しかしながら、のっぺらぼうと言う名の では「のっ

に加えるのは

仲ばれるものの呼ぺらぼうと まっの、「後世たは」きもの如のっぺらぼうの、「ろしむえまい。 切とは言 るのだが、どうであろうか。專門家の示 」とするのが相應しいと思われ

を待ちたい。 なお、『圖

行する別系統の 百鬼夜行繪卷を讀む』に載せる眞珠庵本に先

本(東京國立

物 )にも

く同じ

の「のっぺらぼう」と呼ばれる 圖 け物が

ことから、その名はともかく、この かれている。この こに ていた事が分かるのだが、田中貴子氏の指摘するように、こ け物が早くから知られ 期の かれる室町時代の百鬼夜行のイメージと、安時代末 話集に

かれるそれとの

には明らかな斷

考えるべきであり、これをもって、安時代にもこの !があると

( が知られていたと考えることは出來ぬであろう。 け物 實際の曾呂利の雜談の記 14)書名は、豐臣秀吉に仕えた曾呂利新左衞門に假託するが、

"ではない。なお、

立を (一六六〇)頃とする #治三年 もある(高田衞

・校

$『江 中〔岩波文庫、一九八九年〕卷末『曾呂利物語』解 %怪談集』

( を參照)。 15)

&寶五年〔一六七七〕開板。高田衞

・校

$『江 上(岩波文庫、一九八九年) %怪談集』

( 收。

16)これについては、後

( 'したい。

17)開板は、

&寶五年(一六七七年)。高田衞

・校

$『江

%

怪談集』下(岩波文庫、一九八九年)

( 收。

18)

$17と同じテキストによる。なお、頭に口のある

しては、鳥取、四國地方や群馬縣など日本各地に傳わる「 け物と (

わず女

」の話が知られているが、これは葛

〇~一八四九)とほぼ同時代に活 )北齋(一七六

*したとされる竹原春泉

くところの「二口女」の名でも良く知られている(多田克己

「のっぺらぼう」考(

+子)

205

(12)

一九九七年〕)。或いは、二口女の來源は、『奇 『繪本百物語―桃山人夜話―』卷二第十七〔國書刊行會刊、

この話かとも考えられる。但し、『繪本百物語』の 雜談集』の も、古き醫書にも出たり。されども、病の 二口女を「頭腦唇ト人面疔ハ、業病のごとくにいひなせど ちよう 明では、

多くハけんどん こりをきくに、

見無慙放

も云べきか。」とする(吉田幸一 の輩にあり。しからバ、業病と 『怪談百物語』〔古典文庫 627冊、一九九九年〕

( のを言う(『廣辭』第五版を參照)。 などに生じた腫物で表面がくずれて人の顏のように見えるも なお、人面疔とは、人面疽。人面瘡としても知られ、膝頭 收)。待考。

19)湯本豪一

『妖怪百物語繪卷』(國書刊行會、二〇〇三年)

( 收。

20)『妖怪百物語繪卷』(本稿

19)の湯本豪一氏解

( 參照。

21)白瓜に對する、京

( 賀方面での呼び方。

22)卷一之第三話「丸屋何某

物に逢ふ事」(太刀川

『新 百物語』〔『續百物語怪談集

』〕

收、高田衞・原

任 生責

集『叢書江

文庫』

しる人なかりける。」とあるのは ほかふとき毛十筋ばかりありけり。なにの毛といふことを見 この話の最後に、お、「我がきるものの裾を見れば、ことの 26、國書刊行會、一九九三年)。な

は後 目すべきである(詳しく

( )。

23)本文は、吉田幸一

『怪談百物語』

收の『繪本百物語』、 圖4は多田克己

『繪本百物語』による(本稿

( 18參照)。

凡物の大なるもの皆おそるべし。いはんや雨夜の星明りに鐵 24)鳥山石燕『今昔畫圖百鬼』の「大首」の條を見ると、「大 漿 くろぐろとつけたる女の首にお齒

し。なんともおろか也。」として、 をつけた女の首おそろ

大な首だけの

け物が かれている(高田衞監修・稻田篤信・田中直日

鬼夜行』 『畫圖百 收。本稿

の解 11參照)。高田監修の『畫圖百鬼夜行』

によれば、この大首は面女とも呼ばれ、お齒 つらおんな

けた をつ

婚の女性と

明されているが、これと「齒

との關 べったり」

を思わせぬでもないが、こちらは、むしろ、『宿直 なお、アダム・カバット氏は、この大首・面女の 』系の話の一種と見て良いであろう。

頭」と稱し、「大頭は を「大 物の常

大頭は年齡や性別にいっさいこだわらない。たまには だが、形はさまざまである。

い小 りな

て現れることもある。」として、 として出てくることもあり、またセクシーな美人とし

「大頭」を紹介する(「圖 雙紙に登場する樣々な 細見・大頭登場」〔同氏

『大江 物細見』

收、小學

、二〇〇〇年〕)。 中國詩文論叢第二十五集

206

参照

関連したドキュメント

 音楽は古くから親しまれ,私たちの生活に密着したも

○金本圭一朗氏

体長は大きくなっても 1cm くらいで、ワラジム シに似た形で上下にやや平たくなっている。足 は 5

彼らの九十パーセントが日本で生まれ育った二世三世であるということである︒このように長期間にわたって外国に

きも活発になってきております。そういう意味では、このカーボン・プライシングとい

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

【フリーア】 CIPFA の役割の一つは、地方自治体が従うべきガイダンスをつくるというもの になっております。それもあって、我々、

真竹は約 120 年ごとに一斉に花を咲かせ、枯れてしまう そうです。昭和 40 年代にこの開花があり、必要な量の竹