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一ドミ冶劾

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(1)

一ドミ 冶劾

Ⅲ   飛鳥地域 の調査

石神遺跡周辺調査位置図 (1:4000)

(2)

山田道第

2・

3次 調査

(1990年 1月4月1990年10月11月)

は じめに

この調査 は、県道 「橿原神宮東 口停車場飛鳥線」 の拡 幅工事 に伴 う事前調査 と して、 高市郡 明 日香村 奥 山 にお いて昭和63年度 か ら行 って い る もので、 同 年 度 の第

1次

調 査 につ いて は『概 報20』 ですで に報告 した ところで あ る。

調 査 地 は雷丘 か ら東 方 桜 井方 面 へ 向か う現県 道 の北 側 の水 田で、 ほぼ中央 を 大 官大 寺 か ら水 落 遺 跡 にい た る里道 と吉 野 川 分水 が通 り、 また西 端 を百 貫 川 が 北 流 す る。 現県 道 は「 山 田道」 を踏襲 して い ると考 え られて お り、 また第

2次

調 査 区 内東 部 に藤原 京東 京極 大 路 お よびそ の前 身 の中 ツ道 が想 定 で き る。 この 一 連 の調査 で は、「 山 田道」 に関連 す る遺構 の検 出 と当地 域 の古 代 にお け る土 地 利用状況 の把握 を主 た る目的 と したのだが、第

1次

調 査 で は「 山 田道」 に直 接 関連 す る遺構 は見 つ か らず、替 わ りに

6世

紀 末 か ら

8世

紀 にわ た る遺 構 が少 なか らず存在 した。特 に

7世

紀代 の掘 立 柱 建物 の い くつ か は「 山 田道 」推 定 位 置 に まで及 ん で お り、「 山 田道」 の位 置 な らび に時期 につ い て 問 題 を提 起 す る こと とな ったので あ る。 第

2次

・ 第

3次

調 査 は前 回 の成 果 を踏 まえ、

7世

紀 代 を中心 とす る遺構群 の広 が りと「 山田道」 お よび「 中 ツ道」 関連遺構 の解 明 を

目的 と して、 そ れ ぞ れ平 成 元年 度 お よび

2年

度 に実施 した。

2次

調 査 は第

1次

調 査 区 の西 で長 さ

145mを

対 象 と した が 、 里 道・ 分 水 を は さん で東 区 (106m)と 西 区

(315m)に

分 けて行 った。 第

3次

調 査 は さ らに西 の延長66.5mと 第

1次

調 査 区 の東 で9.4mの

2ケ

所 で行 った。いず れ も幅

7〜

8.5 m、 一 部拡張 した ところが あ るので、発掘面積 は第

2次

が973∬、第

3次

が820 だ とな った。

 

以 下 で は、二次分 の調査結果 を ま とめて報告 す る ことに したい。

 

調 査 対 象 地 が総 延 長

200mを

超 え、 しか も東 か ら西 へ下 が る緩 斜 面 に あ た る た め、東 と西 で は層序 がか な り異 な る。 第

2次

東 区東 部 で は耕 土・ 床 土 の下 に 暗茶 褐 色 砂質 土 が あ り、 中央部 東 半 で は床上 の下 が黄 褐 色 粘 質 土 、 中央 部 西半

‑ 40 ‑―

(3)

で は暗 褐 色 粘 土・ 黄 褐 色 粘 土 、 西 部 で は灰 色 粘 土・ 暗 灰 色 茶 砂 質 土・ 暗 灰 色 粘 土・ 青 灰 色 砂 混 じ り暗 灰 色 粘 土・ 黒 褐 色 粘 土 が あ る。 西 区 は、 耕 土・ 床 土・ 暗 灰 褐 色 粘 質 土・ 青 灰 色 砂 質 土 。青 灰 色 砂 混 じ り暗 灰 色 粘 土 。黒 褐 色 粘 土 の順 で あ る。 遺 構 検 出 は東 区 東 半 で は床 土 直 下 の 暗 茶 褐 色 砂 質 土 や 黄 褐 色 粘 質 上 の上 面 で 行 い、 東 区 中 央 部 西 半 で は黄 褐 色 粘 土 の上 面 、 西 部 で は青 灰 色 砂 質 土 や青 灰 色 砂 混 じ り暗 灰 色 粘 上 の上 面 で行 った が 、 東 端 で は暗 茶 褐 色 砂 質 上 の 下 層 、 西 部 で は黒 褐 色 粘 上 の下 層 で も遺 構 を検 出 した。

3次

調 査 区 東 部 で は床 土 直 下 が 青 灰 色 砂 質 上 の整 地 層 で あ る。 中央 部 で は 間 に暗 灰 色 砂 混 粘 質 土 が 入 るが 、 遺 構 検 出面 は東 部 と同 じで あ る。 西 部 で は床 上 の下 に黄 褐 色 粘 質 土 が 介 在 し、 そ の下 の黄 灰 褐 色 粘 質 土 の地 山面 で遺 構 を検 出 した。 南 半 部 で は そ の上 を礫 敷SX2633が覆 って い る。

検 出 した遺 構 に は掘 立 柱 建 物14棟以 上・ 同塀

6条

以 上 、 竪 穴 住 居 跡

4棟

、 河 川 跡 1、 素 掘 り溝 、 杭 列 、 土 坑 な ど と、 塊 石 を詰 め た 暗 渠

3条

を伴 う大 規 模 な 整 地 層 が あ る。 これ らの遺 構 は弥 生 時 代・ 古 墳 時 代・

7〜 8世

紀 代 お よ び 中 世 に わ た る。

弥生時代の遺構

 

2次

東 区 東 端 の

7世

紀 代 の整 地 上 下 層 で 検 出 したSD2510が あ る。 南 で東 に彎 曲 す る弧 状 の南 北 溝 で 、 幅

2m、

深 さ1.2m、 断 面 形 は

V字

形 。 東 南 延 長 部 が 第

1次

調 査 Ⅳ 区 西 南 隅 で 確 認 され て い る。 弥 生 時 代 中 期 末 の土 器 が 出土 した。 集 落 の西 を 画 す環 濠 の可 能 性 が 強 い。 溝 か ら西 で は弥 生 時 代 の遺 構・ 遺 物 が 希 薄 で あ っ た。

古墳時代の遺構

 

2次

東 区 中央 の河 川 跡SD2570を は さん で そ の両 岸 で、 竪 穴 住 居 跡 SB2544・ 2556・ 2558・ 2560と 掘 立 柱 建 物 SB2541・ 2575な ど を 検 出 した 。

SD

2570は 北 々西 に流 れ る小 河 川 の跡 。 幅2.6〜4.5m、 深 さ

lmぁ

る。 堆 積 層 か ら 多 量 の布 留 式 土 器 の ほか 、 少 量 の朝 鮮 半 島系 土 器 、 木 製 鞘 な どが 出上 した。

SB2544は 一 辺 推 定 約

4.5mの

、SB2556は一 辺4.3m・ 深 さ15 cm、 SB25601ま 一 辺

5,7m e深

5 cmの い ず れ も方 形 竪 穴 住 居 跡 。SB2556は東 辺 に一 段 高 い 部 分 が あ り、 ま たSB2560は南 辺 ほ ぼ 中 央 に ピ ッ トを 伴 う。 SB25581ま 規 模 不 明 だ が

SB

2560と重 複 し これ よ り古 い。 掘 立 柱 建 物SB2541は 柱 間1.85〜

1.9mの 2間

×

2間

(4)

以 上 、SB25751ま梁 行1.3m・ 桁 行2.Om。 竪 穴 住 居 跡 と同 じ く、SD2570に 平 行 す る方 位 を と る。

5世

紀 後 半 の もの。

3次

調 査 区 の西 部 で 検 出 した 南 北 溝SD2634も ほ ぼ 同 時 期 で 、 振 れ も同 じ で あ る。

7世紀代の遺構

 

掘 立 柱 建 物・ 塀 は第

2次

東 区 の東 端 と中央 東 部 に分 布 す る。 ほ ぼ方 眼 方 位 に の る もの と北 で や や 大 き く東 に振 れ る もの が あ る。

北 で わ ず か に東 に振 れ る建 物・ 塀 は、 SB2501・ 2502・ 2506、 SA2507・ 2508で あ る。

SB2501は 、 柱 間

3.Om(10尺 )等

間 。 南 北 棟 の北 妻 か 。 柱 掘 形 に 山 土 が 少 量 混 じる。SB2502は 、 東 西 棟 か 南 北 棟 か 不 明 。 東 西 方 向 の 柱 掘 形 長 辺1.1〜1.2m、

柱 間2.25m(7.5尺

)等

間 。 柱 抜 き取 り穴 に黄 色 の 山 土 が 詰 ま る。 整 地 土 と の 関 係 でSB2501よ り古 い。SB2506は、 南 北 棟 の南 妻 を検 出。 柱 間

1.5m(5尺 )等

間 。 東 の柱 穴 に柱 根 が残 る。SA2507と2508は 、

1.8m(6尺 )を

隔 て て 平 行 す る塀 。

あ る い は両 者 が 一 体 で 建 物 とな るか も しれ な い。 柱 間

2.5m等

間 。 柱 抜 き取 り 穴 に黄 色 の 山土 が詰 ま る。

北 で や や大 き く東 に振 れ る建 物・ 塀 に は、SB2518 0 2520 0 2521・ 2549・ 2550・

2551・ 2552・ 2555・ 2559、 SA2515・ 2517・ 2526・ 2534が あ る。

SB2518は 、 建 物 の 方 向 は不 明 だ が 、 東 西 方 向 の東

2間

は柱 間

3.3m(11尺 )等

間 、 西 端 と南 北 方 向 の 柱 間

1.8m(6尺

)。 総 柱 で 西 に庇 が 取 り付 くか 。 SB2520・

2521も これ ら と重 複 す る南 北 棟 建 物 で あ る。 柱 間

1.8m(6尺

)。

3棟

の建 物 は柱 穴 の重 複 関 係 か ら、SB2518→ SB2521→ SB2520の順 で あ る。SB2549〜2552・ 2555・

2559はSD2539の西 、 古 墳 時 代 の竪 穴 住 居 跡 と重 複 して検 出 した 掘 立 柱 南 北 棟 建 物 。SB2549〜2551・ 2552は 、 と も に梁 行

1.5m(5尺

)。 桁 行 は 、SB2550が

2.lm

(7尺)、 SB2551が

1.5m(5尺

)、 SB2552が

1.8m(6尺 )で

あ る。SB2551は総 柱建 物 。 SB2555も 梁 行

1.5m(5尺 )の

総 柱 建 物 だ ろ う。

SB2552は、 梁 行1.65m(5.5尺)、 桁 行

1.8m(6尺 )の

南 北 棟 。SB2559は、 梁 行 1.95m(6.5尺)、 桁 行

1.8m(6尺 )の

南 北 棟 。 SB2552・ 2555・ 2559は 柱 穴 が重複 し、

SB2559が他 の

2棟

よ り古 い。 掘 立 柱 南 北 塀SA2526は 柱 間

2.lm(7尺

)、

SA2534

―‑ 42 ‑―

(5)

SD2530 SD2525 SA2515 1SB2田

SD2578 SB2575

SB2551イ SB2558 SB2518      sA2507

SA2526      SB2520       sA2508

▲ 二 員

山田道第2・ 3次 調査遺構配置図

(6)

は柱 間約

2m。

これ らの掘立柱建物 を区画 す るよ うに、

2ケ

所 の掘 立 柱 建 物・ 塀 の間 に北 で 東 に振 れ る南 北 溝

4条

が あ る。SD2524は 最 大 幅1.Om、 深 さ0.3m o sD2525は 幅

1〜

1.3m、 深 さ0,3m。 埋 土 は と もに砂 や小石 を含 ん だ暗灰 色 粘 土 で、

SD2525

は底 に粗 砂 が溜 る。 SD2530は 幅1.5m、 深 さ0.2m、 埋 土 は暗灰 色 砂 質 土 。

SD

2539は幅1.7m、 深 さ0.25m、 埋 土 は暗灰色粘土。 これ らの南北溝 は掘立柱建物・

塀 と方位 を同 じ く し、 同時期 と思 わ れ るが、重 複 す る もの が あ る。 SD2525は

S

A2526・ SB2518よ り〒子く、

 SD2524は

SB2518よ り新 しい。

3次

調 査 区 で検 出 した建 物 は

1棟

のみで あ る。掘立柱建 物SB2631は 東西4(柱2.4m、 8尺等間

南北

2間

以上 (柱2.lm、 7尺

)の

規 模 で、大 部 分 の柱 穴 は地 山面 で検 出 したが、東端 の

2個

のみ は整地土 か ら掘 り込 んで いた。 しか も南北溝SD2625に 切 られて い るので、

 7世

紀 後 半 に位 置 づ け られ る。 掘 形 は 一 辺

lm内

外 の隅丸 方形 だ が、 浅 く柱痕 跡 も残 って いな い。 北 で若 干 西 に振 れ

る。

これ らの遺構 は、 出土遺物 や第

1次

調 査 の成果 か らみて、

7世

紀 中 頃 か ら後 半 にあ た る。

石組暗渠を伴う大規模な整地

 

現在 の地 形 で もわ か るよ うに、 調 査 地 は全 体 に西 に 緩 く傾 斜 し、 雷丘 との間 が谷 状 の地 形 とな って い る。 第

2次

調 査 東 区 の東 西 両 端 で は高 低 差 が約 1.5mぁ る。 東 区 中央 部 以 西 の遺 構 検 出面 で あ る青 灰 色 砂 質 土 と青灰色砂混 じり暗灰色粘土 そ して その下 層 の黒褐色粘土 は、 この谷状 の地 形 を埋 め立 て た大 規 模 な整 地 土 層 で あ る。 整地 土 層 は西方 へ も広 が り、第

3次

調 査 区 の西 部 まで続 き、東 西 幅 は

110mに

も達 す る。 谷 状 地 形 の西 端 部 は ほぼ 方 眼方 位 に則 って直 に立 ち上 が って お り (SX2630)、 落 込 み に沿 って堆 積 した 黒褐 色 土 か ら

6世

紀 末 に位 置 づ け られ る「飛鳥寺下層」式 の土器類 が一括 して 出土 した。 整地 は植 物繊 維 を多 量 に含 ん だ堆積 層 の上 に施 され て い るが、大 き くは

2層

に分 かれ、粘質 の上 を下層 に積 み、上層 には青灰色 の砂 を置 く。 整地 土 は厚 さ0.6mほ どぁ り、 旧地形 に沿 って北 で厚 くな る。 この整 地 土 中 に は、

7世

紀 前半 の上器 と、 小量 の瓦 を含 む。 また、青 灰 色 の砂 層 に は

6世

紀代 の 円

―‑ 43 ‑―

(7)

筒 埴 輪 の破 片 も含 まれ て い た。

整 地 土下 に は

3条

の石詰 め暗渠 が あ る。

3条

と も浅 い据 え付 けの溝 を掘 った 中 に作 られ、 整地 土 で埋 め立 て られ て い るので、 整地 作 業 と一 連 の工 程 に よ る

もので あ る。

東 西 方 向 の石詰 め暗渠SX2601は 幅0.8〜

lm、

東 で わ ず か に北 に振 れ る。 石 は、拳大 か ら一 抱 え もあ る大 きさまで あ って一定 しない。 石 の積 み方 はか な り 粗 雑 で あ る。 底 石 や側 石 はな く、 一 定 の幅 に石 を積 み上 げただ けで、 石 に隙 間 を作 る ことによ って水 の通 り道 と した よ うで あ る。検 出 した東西方 向 の長 さは 約

80mで

ぁ る。 東 で は南北方 向 の石組石詰 め暗渠SX2600に 接続 し、西 で は南北 暗渠 SX2622に つ なが る。 SX2600は 、 長 さ0,4〜0,6mほ どの大 型 の石 を た て て側 石 と し、清 の中 に人 頭 大 の石 を詰 め る。 幅約0.5m、 深 さ0.7m、 北 で わ ず か に

山田道第 2次 調査東区

 

暗渠SX2600・ SX2601実 測図 (1:50)

0      2m

Y,6425

(8)

西 に振 れ る。南北約

44分

を検 出 した。南端で は小 日に側石 を立 てて いな い。石 の上面 には粘土 を厚 さ10〜15cm、 幅約1.6mほ どかぶせて密封 す るが、SX2601と の 接続部分 で はこの粘土 を剥 し、SX2600の 西側石 に榛原石 の大型 板 石 をかぶ せ て い る。SX2622は 北へゆ くほど幅を増 している。

2条

の南北方 向暗渠SX2600と2622は、 傾斜変換線 に作 られたSX2601が 受 けた水 を北へ排水す るもので あろ う。

7世紀末〜8世紀の遺構

 SD2540は

調 査 区 の北 壁 に そ って検 出 した東 西 方 向 の素 掘 り溝 で あ る。 東 端 は調 査 区 北 外 に そ れ る。 第

2次

西 区 で 確 認 した溝 幅 は約 2.5m、 深 さ は

0.3m〜

o.6m。 先 に述 べ た整地 上 層 を切 り込 ん で掘 削 され て お り、

また調査 区東端 の掘立 柱建物 や南北溝 な どよ り新 しい。

7世

紀 末 〜

8世

紀前 半 の上器 を含 む。東 区西部 や西 区 で は このSD2540の 南 に は少 数 の溝 や土 坑 が あ るだ けで顕著 な遺構 が なか った。 この部 分 が道 路SF2607で 、 SD2540は そ の北 側 溝 で あ った可 能 性 が高 い。SD2540は 第

3次

調 査 区へ と延 び、

40m西

で 南 北 方 向 のSD2625と 合 流 す る ことを調 査 区 の壁 面 で確認 した。

3次

調 査 区 中央 部 に

3条

の南北溝SD2623・ 2624・ 2625が等 間隔 で並 ぶ 。 い ず れ も素 掘 りの浅 い

U字

溝 で、北 流 す る。 堆 積 土 は粗 砂 で 多 量 の上 器 類 の他 、 金 銅製鈴 、帯金 具、和 同開弥 が 出土 した。 これ らの土器 の年代 、 お よび青灰色 整地 土面 で検 出 した こと、 ま たSD2625に は調 査 区北 端 の東 西 溝SD2540が 合 流

して い るので、 これ らは

7世

紀 末 〜

8世

紀 前 半 の もの と考 え られ る。

石敷 SX2638は 西 部 南 半 に広 が る礫 層 で 、 人 工 的 に敷 い た可 能 性 が 強 い。 北 端 は中世 の溝SD2686で 切 られ て い るが、 東 西 溝 SD2627を 北 側 溝 とす る路 面 敷

きの可能 性 もあ り、東 のSF2607に 対 応 す るか も しれ ない。

 

木簡

 

3次

調 査 にお いて

4点

出土 した。 うち

1点

は削屑 で あ る。

(1)・ □ロ マ

 

ロ ロ ロ ロ

亀甘 マ

 

伊 文 □

    

□ □ □

 (SD2623出

) (動

 

僧 □ □

     (SD2625出

)

瓦埠類

 

2・

3次

調 査 で 出上 した瓦簿 類 は、 丸 瓦・ 平 瓦・ 軒 丸 瓦・ 軒 平 瓦・

―‑ 45 ‑一

(9)

瓦製 土 管 な どで あ る。軒 瓦 は第

3次

調 査 区 か ら軒 丸 瓦

6点

、 軒平 瓦

6点

の計12 点 が 出土 した。 藤 原宮 式 軒 丸 瓦

1点

(6274型式Ab種

)を

除 いて、 す べ て 奈 良 時 代 の軒瓦 で あ る。 その内訳 は、以下 の通 りで あ る。

軒 丸 瓦 :平 城 宮6285型式

A種 2点

、 同6296型

A種 1点

、 難 波 宮6014型1 点 、 奈 良 時代 型式 不 明

1点

軒 平 瓦 :平 城 宮6691型式

F種 3点

、 同6721型

D種 1点

6574型式 新 種

1点

、 難 波 宮6664型

B種 1点

(1)は二重 圏 の重 圏紋軒丸 瓦。外側 の第二 圏 と外縁 との間が狭 く、外縁 は直立 気 味 の傾 斜 縁。 難 波 宮6014と 胎 土 。焼 成 も酷 似 し、 同抱 とみて 間違 いな い。(2)

は平城宮6296と 同抱。

難 波 宮

6664BOは 3回

反転 均 整唐 草紋 軒 平 瓦。 花 頭形 中心 飾 り基 部 は

2本

線 、 先 端 が わず か に開 く。 難 波 宮 出土 品 と胎 土 や製 作 技 法 が一 致 す る。6691F(5)は

(10)

四回反 転 均 整唐 草紋。花頭形 中心飾 り基部 は一本線 で、先端 が開 か ない。第 1 次調 査 で も

1点

出上 した。 は)は重 郭紋軒平 瓦。一重 の方郭 内 に弧線 を一条入 れ

る。平城宮・ 難波宮 の6574のいず れ と も別抱。 この他、第

1次

調 査 で平 城 宮63 20型式

A種 (a.b不

)が

出土 して い る。

丸・ 平 瓦 は、 整地 土 か ら少 量 の飛 鳥 時代 の瓦 が 出土 したが、 第

3次

調 査 の瓦 は平瓦 が圧 倒 的 に多 く、 ほ とん どが縦位縄 叩 き一枚作 りの奈良 時代 の もの。 側 面 と端面 に縄 叩 きを行 うものが あ る。歌姫西 瓦窯 の製 品か。

以上 の奈良 時代 の軒瓦 の うち、平城宮 の もの は6285Aを 除 いて第 Ⅲ

‑102

期 の型 式 で あ る。 6691Fは 平 城 宮 よ り も平 城 京 で の 出土 が 日立 つ。 6691Aは 平 城 宮 で は、 6320Abあ るい は6296Aと 組 み 合 って お り、 今 回 出土 した6691Fも これ らと組 み合 って いた可能性 が あ る。 また、6285Aは 軒平瓦6667Aと 組 み、6285B―

6691A(法

隆寺東院 。東大寺仏鉤屋下層

)の

祖 形 とな った もので あ る。

難 波 宮 の所 用 瓦 の 出土 も注 目 され る。 調 査地 近 辺 で は、 中心 に「 右」 の逆字 を いれ た重 圏紋軒丸 瓦 (6015A)が 藤原宮 西北 隅 (第36次

)か

ら出土 して い る こと が知 られ るだ けで あ った。今 回 出土 した難波宮 同籠瓦 は、小 治 田宮 との関連 か

らも今後 の調査検討 を必要 と しよ う。

上器類

 

時 期 の上 で は弥 生 時代 中期 、 後 期 、古 墳 時代 前 期 末 、

 6世

紀 末 、

 7世

紀 前半 、

7世

紀 末 か ら

8世

紀 前半 の土 器 が比 較 的多 量 にあ り、 飛 鳥地 域 の遺跡 の変遷 をた どる上 で重要 で あ る。 いずれ も整理途上 にあ り、 ここで は、飛鳥地 域 の開発 を示 す、

2つ

の時期 の土器群 につ いて、簡単 に紹介 す る。

古 墳 時代 の河 川 跡 SD2570か ら出土 した土 器 群 は、 上 。中・ 下 の

3層

に大 別 され る。下層 は土 師器 ばか りで あ るが、上・ 中層 には多量 の土師器 に混 じって、

硬 質・ 軟 質 の朝 鮮 半 島系 の上 器 が少 量 含 まれ て い る。 しか し陶 邑窯産 の初 期須 恵 器 とみ られ る もの は含 まれて いない。 ここで は、朝鮮半 島系 の上器 の大半 と、

それ に伴 う上層 出土 の土 師器 を抽 出 して図示 した。

朝鮮 半 島系土 器 の器 種 は、硬 質 の もの に有 蓋高 杯 (2・ 5・ 6)、(1)、 縄 席 文 叩 き壺 (3)、 甕 、 小 型 壺 (4)、 把 手

(7)な

どが あ り、 軟 質 の もの に は、

無 蓋 高 杯 (8・ 9・ 10)、(13・ 14)、 平底 鉢 形 土 器 (11・ 12)、 甕 、 壺 (17)、(16)、

‑ 47 ‑―

(11)

塾 守 亨

1

6

冊          m

0       20cm

:硬, 8〜 17:軟,16・ 17は ,他は拒 )

SD2570出 土土器① (1〜7

(12)

i:::::i:【

そ こ多

'テ I

SD2570出 土土器② (18〜35:土師器,27・ 28は下層、他は上層)

一‑ 49 ‑―

(13)

台 付 鉢 (15)な どが あ る。 い ず れ も各 器 種

1〜

数 点 と少 量 で あ る うえ に、胎 土・

色 調・ 調 整 手 法 を も加 味 す る と、 そ れ ぞ れ で 異 な る特 徴 が あ る。

硬 質 の有 蓋 高 杯

(2)と

(1)は

、 砂 粒 の多 い胎 土 で、 白色 の灰 が厚 くか ぶ っ た灰 色 を呈 す る点 で 互 い に酷 似 して い る。 壺 口縁 (4)、 有 蓋 高 杯 (5)、 高 杯 脚

(6)も

硬 質 で 、 精 良 な胎 土 と灰 緑 色 の光 沢 の あ る色 調 が 共 通 して い る。 縄 蒲 文 叩 き の壺

(3)は

細 か な砂 粒 の多 い胎 土 で 青 灰 色 。 把 手

(7)は

鉢 あ る い は 壷 の把 手 とみ られ、 上 部 に形 骸 化 した鍵 形 の飾 りが あ る。 暗 赤 色 。

軟 質 の無 蓋 高 杯 (8〜 10)は、 と もに須 恵 器 に 通 ず る器 形 で あ る が 、

(8)は

全 面 黒 色 で表 面 は磨 い て い る よ うで あ る。 (10)は 明 る い黄 褐 色 を 呈 し、 杯 部 底 を ロ ク ロ肖1り で 仕 上 げて お り、 「 赤 焼 土 器 」 に似 て い る。 二 重 回縁 の壺 (17) は、 土 師 器 壺 に類 似 した器 形 で あ るが 、 粗 雑 な な で と軽 い箆 削 りに よ る調 整 と 白灰 色 の色 調 は半 島系 土 器 で あ る こ とを示 して い る。

軟 質 の平 底 鉢 形 土 器 の外 面 調 整 手 法 に は 、 格 子 叩 き (12)、 平 行 叩 き、 縄 蒲 文 叩 き (11)の別 が あ り、 底 に は方 形 の圧 痕 が あ る。 な お(12)の 底 に は 中 央 に 絞 り上 げ た よ うな 円錐 形 の盛 り上 が りが あ り、 成 形 法 と関 わ る点 で 興 味 深 い 。 茶 褐 色 の 台 付 鉢 (15)は あ ま り類 例 が 無 い が 、 金 海 地 域 の 陶 質 土 器 に類 似 した 器 形 が み られ る。 杯 (13・ 14)も 希 有 な 資 料 で あ り、 中 で も (14)は無 蓋 高 杯

(8)と

同 じ く、 漆 黒 色 で 内 外 面 を磨 い て い る。 甑 (16)は 円 筒 形 平 底 の 体 部 中 程 に棒 状 の把 手 を つ け、 底 に小 円孔 を 穿 つ 。 体 部 は細 か な格 子 叩 き。 把 手 の 高 さ に浅 く幅 広 い沈 線 が部 分 的 に巡 る。 他 に「 く」 字 形 に外 反 す る短 い 口縁 を も つ 細 か い平 行 叩 きの甕 が あ り、 や や広 い面 を なす 端 部 に沈線 を刻 む。

これ ら と伴 出す る土 師器 に は、 甕・ 壺 。小 型 丸 底 土 器 。高 杯 な どが あ る。 飛 鳥 地 域 の古 式 土 師器 の細 分 を した木 下・ 安 達 論 文 の型 式 分類 に従 うと、甕 で は、

日縁 部 が 内側 に面 を な して肥 厚 す る甕

Abが

そ の大 半 を 占 め 、 甕

Acが

そ れ に 次 ぐ もの の、 甕

Aaは

見 られ な い。 ま た、 安 達 分 類 の ⅢB〜Ⅳ

A類

S字

状 口縁 台 付 甕 (26)が少 量 含 まれ る。 高 杯 は、 大 き く外 反 す る杯 部 で 、 脚 部 と の 境 を 箆 削 りす る高 杯Ab・

Acが

主 体 を 占 め、 杯 部 が 椀 形 の もの は全 くな い。 上 層 に は、

わ ず か に数 個 体 、 杯 部 内外 面 と脚 部 裾 内 面 を刷 毛 目調 整 す る もの (20)が含 ま

(14)

れ る。 脚 の透 か し孔 は、

1個

(19)、 あ る い は

3個

(20)の も の が あ る が 、 大 半 は、 透 か し孔 を 穿 って い な い。 この点 で は上 。中 層 と下 層 と に お い て の差 はみ られ な い。 月ヽ型 丸 底 土 器 で は、 外 面 を刷 毛 目調 整 す る

D・ E類

が主 体 で 、 中・

下 層 に外 面 を 削 る個 体 が 含 まれ る。 な お 、 少 量 の ミニ チ ュ ア 土 器 (27〜

29)が

上 。下 層 か ら出 土 して い る。

こ う した 内 容 は、 遺 構 の東

750mに

位 置 す る「 上 ノ井 手 遺 跡 」 の井 戸SE031上 層・ 下層 に類 似 し、 須 恵 器 出現 期 直 前 の様 相 を示 す 一 括 資 料 と して 極 め て良 好 で あ る。 土 器 群 の上 。中層 に限 って、 朝 鮮 半 島系 の上 器 が伴 出 す る こ と は、 飛 鳥 地 域 に これ らが 流 入 した 時 期 の土 師 器 を 限 定 で き る点 で も貴 重 で 、 そ れ ら朝 鮮 半 島系 土 器 が 渡 来 人 の什 器 で あ る とす る な らば、 飛 鳥 地 域 に配 置 され、 そ の 開 発 の一 翼 を 担 った渡 来 人 の 出 自 。構 成 な どを さ ぐる手 が か りに な ろ う。

い ま一 つ の飛 鳥 の 開発 とか か わ る土 器 群 は、

3次

調 査 西 端 の 整 形 した地 山 に 沿 って堆 積 した 土 層 で あ る黒 褐 色 土 に含 ま れ る土 器 群 で あ る。 黒 褐 色 土 は、7 世 紀 に継 続 的 に営 ま れ る飛 鳥 地 域 の本 格 的 な 開 発 の 開 始 と深 く関 わ る と考 え ら れ、 含 ま れ る土 器 群 は、 飛 鳥 寺 造 営 直 前 の時 期 を示 す 。須恵 器・ 土 師器 が あ り、

須 恵 器 杯 は大 き くは

TK43型

式 に属 す。 土 師 器 は杯 類 が 、 暗 文 を もた な い杯Gと 底 部 の外 面 を箆 削 りす る杯

Hで

構 成 され、 甕・ 壺 類 も小 墾 田宮 推 定 地

SD50下

層 資 料 と酷 似 して い る。 量 的 に恵 まれ な い が、 須 恵 器 は従 来 、

6世

紀 末 の年 代 基 準 と され て き た飛 鳥 寺 下 層 の土 器 よ り良 好 で あ る。 黒 褐 色 土 層 の上 層 に あ た る

「 整 地 土 」 の上 器 が 、 飛 鳥 地 域 土 器 編 年 の

I段

階 に あ り、 これ 以 後 の 年 代 的 推 移 は主 に土 師 器 の型 式 変 遷 が 手 が か り とな って い る こ とか らす れ ば、 土 師器 杯 G・

Hを

連 続 的 に検 討 す る こ との で き る点 で も貴 重 な資 料 で あ る。

金属製品その他

 

金 属 製 品 に は第

3次

調 査 の

2条

の南 北 溝 (SD2624・

2625)か

ら 出土 した金 銅 製 鈴 、 鉄 製 鎖 状 金 具 、 黒 漆 塗 帯 金 具 て お よ び隷 開 の和 同 開 弥 が あ り、 遺 構 の存 続 時 期 。性 格 を示 唆 す る。 遺 構 を覆 う包 含 層 か らは隆 平 永 賓 が 出 土 して お り、 「 小 治 田宮 」 の記 録 との関連 は興 味 深 い。

上 製 品 で は、 先 述 の南 北 溝 に上 馬 が あ り、 「 万 □

J(須

恵器杯

B底

部外面)、

「 日置 」 (須恵器蓋天丼部外面

)の

墨 書 土 器 が あ る。 そ の他 、 包 含 層 か ら は、 円 面

‑51‑

(15)

硯 、 製 塩 土 器 、 漆 付 着 の土 器 、 埴 輪 等 が 出土 して い る。

石 製 品 に は砥 石 の他 、 弥 生 時 代 の石 匙 、 縄 文 時 代 の石 棒 等 が あ る。

木 製 品 で は、 古 墳 時 代 の河 川 跡SD2570出土 の木 製 鞘 が 貴 重 な 資 料 で あ る。

 

 

1次

調 査 以 来 、 推 定 「 山 田道 」 の北 側 を平 均 幅

8m、

総 延 長

420mに

わ た っ て調 査 して きた。 これ は い わ ば飛 鳥 地 域 の 中 央 部 を貫 通 す る東 西 方 向 の トレ ン チ を入 れ た こ と に な り、 古 代 にお け る この地 の利 用 状 況 の一 端 を窺 う こ とが で きた の は大 きな収 穫 で あ る。

遺 構 と して は未 確 認 で あ るが、 石 棒 な ど の遺 物 が 出 土 して お り、 縄 文 晩 期 に は人 々 が生 活 し始 め て い た可 能 性 が 強 い。 間 が途 切 れ る が 、 弥 生 中 期 末 に な る と、 比 較 的 多 くの 遺 構 が 主 と して 東 半 部 の微 高 地 に営 ま れ る よ うに な った。 こ の うち、 第

2次

調 査 区 東 端 のSD2510は 集 落 を 囲 む 環 濠 の 西 の 一 部 で あ る可 能 性 が 強 く、 古 墳 時 代 に な る と、 重 複 した竪 穴 住 居 や 多 量 の 土 器 を含 む溝 な どの 存 在 に よ って 、 継 続 的 な土 地 利 用 が 想 定 で き る。

古 代 に関 わ る最 大 の成 果 は、 第

2次

調 査 東 区 西 部 か ら第

3次

調 査 区 の東

3分

2に

わ た る東 西 幅

110mを

超 え る沼 状 地 形 の存 在 で あ る。

 

こ の 沼 状 地 形 は、

塊 石 を詰 め た 暗 渠 を伴 う大 規 模 な整 地 に よ って埋 め立 て られ て お り、 さ らに北 方 へ と大 き く広 が って い る と思 わ れ る。 整 地 土 は現 状 で も厚 さ60cmあ って 、 し か も北 へ ゆ くほ ど厚 くな るの で 、 きわ め て大 規 模 な土 木 工 事 で あ った と思 わ れ る。 飛 鳥 盆 地 北 部 の大 官 大 寺 周 辺 で も黄 褐 色 の 山土 を 含 む も う一 つ 別 の整 地 上 の広 が りが確認 され て お り、

7世

紀 前半 にお け る飛 鳥 地 域 の大 開 発 を物 語 る もの で あ る。

3次

調 査 区 の 西 方 一 帯 に「 雷 丘 東 方 遺 跡 」 が 広 が る。「 小 治 田 宮 」 墨 書 土 器 の 出土 に よ って 奈 良 時 代 の小 治 田宮 が この地 域 に存 在 した可 能 性 が 強 ま った の で あ るが 、 第

3次

調 査 区 西 部 か ら11点 もの奈 良 時 代 軒 瓦 とそ れ に伴 う丸・ 平 瓦 が か な りの量 出 土 した こ と に よ って、 そ の蓋 然 性 は ま す ま す 高 ま った。 特 に 難 波 宮 と同 抱 の軒 瓦 の 出 上 が 注 目 され、 今 後 行 う周 辺 の調 査 に ます ます 期 待 が か か るの で あ る。

(16)

2  石神遺跡第 9次 調査

(1990年 7月1991年 4月)

1981年 か らは じま った石 神 遺 跡 の調 査 は今 回 で

9回

目 とな った。 これ ま で 、 旧飛 鳥 小 学 校 東 側 の南 北 里 道 に沿 って 調 査 区 を北 へ 進 め て きて お り、 今 回 も第

8次

調 査 区 の北 に接 す る水 田 を対 象 と した。 調 査 面 積 は約 1200だ で、 第

1次

調 査 か らの調 査 総 面 積 は約 10450だ に達 す る。

 

調 査 区 の基 本 的 な層 序 は、 耕 土 、 床 土 、 灰 褐 色 上 、 茶 褐 色 土 、 暗 褐 色 土 で 、 そ の下 が 黒 褐 色 上 の整 地 上 面 とな る。 遺 構 は この整 地 土 上 面 で検 出 した が 、 西

10mほ

ど は後 世 、 整 地 上 面 が 失 わ れ て い る部 分 が 多 く、 地 山 の青 灰 色 微 砂 上 面 が 検 出面 とな った。 また、 東 南 部 分 は灰 褐 色 上 下 が す ぐ黒褐色整地上 面 とな る。

全 体 の 自然 地 形 は西 北 へ 傾 斜 す る。 南 半 部 分 は東 西 の地 山面 の比 高 差 は ほ とん どな い が 、 北 端 で は約55cm、 南 北 の比 高 差 は東 端 で 約40cm、 西 端 で は約

lmと

な る。 検 出 した主 な遺 構 は、

7世

紀 中 頃 か ら

8世

紀 に わ た る もの で 、 これ ら は 大 き く

A期

(7世紀中頃:斉明朝)、

B期

(7世紀後半:天武朝)、

C期

(7世紀末〜8世 紀初頭:藤原宮期)、

D期

(8世紀前半:奈良時代

)に

わ け られ る。

A〜 C期

に つ ヽヽて

は第

8次

調 査 の報 告 (概報19)の 時 期 区 分 と同 様 で あ る が 、 今 回 は奈 良 時 代 に 属 す る遺 構 を検 出 した の で 、 これ を

D期

と した。

<A期 >飛

鳥 寺・ 水 落 遺 跡 の北 に東 西 大 垣SA600が で き、 石 神 遺 跡 の 形 成 さ れ た 時 期 で あ る。 従 来 、 第

4次

調 査 で 検 出 した井 戸SE800か ら発 す る石 組 溝 と 建 物 の変 遷 か ら

3小

期 に細 分 され て お り、 今 回 も これ を踏 襲 す る。

(A‑1期 ) 

石 組 溝SD1210・ 1345、 掘 立 柱 建 物SB1550、 掘 立 柱 塀SA1524・

1525が あ る。 調 査 区 中央 を走 る南 北 石 組 溝SD1210は、 第

7次

調 査 で 初 め て 検 出 した もの で あ る。 最 下 段 の側 石 しか 残 って な い が 、40cm大の石 をつ か う。 内 法 幅20cmで、 砂 が い っぱ い に堆 積 して い た。 北 に さ ら に の び る。 南 北 石 組 溝

SD

1345は 第

8次

調 査 で 検 出 した もの で 、 後 述 の

A‑2期

の 南 北 石 組 溝

SD900の

す ぐ東 に あ る。調 査 区 北 端 近 くで 、

2.5m分

を確 認 した。内 法 幅

1.5mで

、側 石 は 東

―‑ 53 ‑―

(17)

は20〜25cm大 の

1段

分、 西 は10〜20cm大 の石 が

2〜 3段

残 って い た。 溝 中 は砂 が堆積 す る。 第

8次

調 査 で は幅

lmで

ぁ った が、 今 回 は調査 区北半部 で幅 が広 が る。 溝 幅 か らみて開渠 で あ ろ う。 この溝 も井戸SE800か ら発 す る もの か。

SB

1550は調 査 区西 壁 面 に東 側 柱 列

5間

分 を 検 出 した もの で あ る。

A‑3期

SB

1545の 柱 掘形 と重 複 し、 これ よ り も古 い。 柱 掘 形 は一 辺約 1.2mと 大 きい。 柱 間 寸 法 は

2m。

南北 塀 SA1524は

4間

分 を検 出 。 柱 間 寸 法2.2m。 これ と逆

L字

状 に接続 す る東 西塀SA1525は

2間

で あ る。 柱 間寸 法2.2m。 西 側 の柱 掘 形 は

A―

2期

のSB1540と 重複 し、 これよ りも古 い。SB1550の 南側 柱 はSA1525と ほぼ揃 う。

(A‑2期 ) 

石組 溝SD900 0 1520、 掘 立 柱 建 物SB1485。 1325・ 1530・ 1540が あ る。 井戸 SE800か ら発 す る南 北 石 組 溝SD9001ま調 査 区 の さ らに北 へ の び て お り、総 延長 は

120mを

こえ る。溝 掘形 の 幅 約

2m、

石 組 の 内法 幅65〜85cmで 、 側 石 は ほ とん ど最 下 段 しか残 って い な い。50〜60cm大 の石 を横長 にお き、 下 端 のす き間 に小 石 をつ め る。底石 はな い。 石 組 内 に は砂 質土 が堆積 して い た。 内 法 幅 は これ まで50〜60om前 後 で あ るが、 今 回 はや や広 くな ってお り、 北 で東 に や や振 れ て きて い る。 この溝 は暗渠 と考 えて きて い るが、第

8次

調 査 の東 西 棟 建 物 SB1320の 北 側 か ら開渠 とな って いた可能 性 が あ る。SD900の 東 側 約

4.5mに

南 北 棟 建 物 SB1485と SB1325と が東 側 柱 筋 を揃 えて南北 に並 ぶ。SB1485は 桁 行 9 間・ 梁 行

8間

で、柱 間寸 法 は桁 行

2〜

2.lm・ 梁 行

1.4mで

あ る。 東 側 柱 か ら約 60cm東 の位 置 に、東側 に面 を揃 え た南北 石列 SX1486が ご く一部 で あ るが残 って お り、 この建 物 の基壇縁石 と考 え られ る。 内側 に もう

1石

を並 べ て い る。建 物 基 壇 に は黄褐色 山土 が入 って い るが、 柱 を たて た後 に基壇土を入れているため、

上 面 で は柱掘形 はみえず、柱抜取 穴 が不 整 円形 にみえ るだ けで あ る。柱掘 形 は 一 辺

1.2m前

後 の大 きさで、深 さ約 80cmだ が、 梁行 の中 の間 の柱 は一 辺70cm前 後

と小 さ く、深 さ も他 の柱 よ り20〜30cm浅 い。 SB1325は 第

8次

調査 で南 北 柱 列 を

2間

分 検 出 して いたが、今 回、 北 側 柱列 を検 出 した結果 、桁行

4間

・ 梁行

2間

の南北 棟建物 とな った。柱 間寸 法 は桁 行

2me梁

2.3mと

な る。 柱 掘 形 は

SB

1485と 同様 、 側柱 列 は大 きいが、 妻 柱 は小 さい。 この建 物部分 に も基 壇 上 の黄 褐 色 山土 が の って お り、SB1485と 一 連 の作業 工程 が うかがえ る。両 者 の間隔 は

(18)

@

お 富 グ

〇 〇

中鴫

=

?@⌒

  ⑥ 心 ぽ◎°   ⑧

石神遺跡第 9次 調査遺構配置図

―‑ 55 ‑―

(19)

2mし

か な く、 極 め て近 接 した状 況 で あ る。 この

2棟

の南 北 棟 は第

8次

調 査 区 の東 西 棟 建 物SB1320と 東 側 柱 列 を揃 え 、 逆

L字

状 に並 ぶ 。 方 位 は北 で や や東 に 振 れ る。 石 組 溝SD900の 西 約13.5mに は、 建 物SB1530と SB1540と が 東 側 柱 列 を ほぼ揃 え 、 約7.5mの 間 隔 を も って南 北 に並 ぶ 。 両 者 と も東 西

3間

。南 北

3間

の総 柱 建 物 で あ る。SB15301ま 柱 間 寸 法 が

1.4m等

間 で 正 方 形 で あ る。SB1540は 東 西

1,9m.南

北1.4mの東 西 棟 建 物 で あ る。 柱 掘 形 は両 者 と も一 辺90cm前後 で 、 各 々

1本

ず つ 柱 根 が残 る。 南 北 石 組 溝SD1520は 内 法 幅 約30cmで、20cm大の 側 石

1段

残 る。 底 に

5〜

10cm大 の 礫 を し く。 SB1530・ SB1540の東 側 柱 列 か ら約 1.5mで、 両 建 物 の雨 落 溝 と考 え られ る。

(A‑3期 ) 

南 北 石 組 溝SD900は存 続 す るが 、 他 の建 物 は す べ て こ わ さ れ る。 掘 立 柱 建 物 SB1480。 1500・ 1510・ 1535。 1545が あ る。 石 組 溝SD900の 東 区 画 に は特 異 な平 面 形 態 のSB1480が建 つ 。 西 側 部 分 の み で 東 側 は調 査 区 外 とな るた め、 全 体 の規 模・ 形 状 は明 らか で はな いが、 現 状 で は、

2間

×

2間

の空 間 が 四 方 に突 出 した十 字 形 の建 物 の可 能 性 が あ る。 建 物 内 部 に は柱 が な い。 柱 間 は

2.5m等

間 で 、 建 物 の南 北 長 は

15mで

ぁ る。 柱 掘 形 は一 辺

1〜

1.5mと 大 き く、

西 側 柱 列 の掘 形 に は

A‑2期

SB1485の 基 壇 縁 石 に使 わ れ て い た とみ られ る礫 が 入 る。 柱 掘 形 の深 さ は約80cmであ るが 、 西 側 柱 列 の妻 柱 は約35cmと浅 い。 また、

この時 期 に特 徴 的 な黄 色 粘 土 を つ め込 ん だ柱 抜 取 穴 はみ られ な い。 建 物 方 位 が 北 で東 にや や 振 れ る。 石 組 溝 の西 方 に は総 柱 建 物 を 中心 と した 建 物 群 が あ る。

SD900の 西 約1.5mに SB1500と SB1510が西 側 柱 列 を ほぼ揃 え、 約

20mの

間 隔 で 並 ぶ。SB1500は

3間

×

3間

の総 柱 建 物 で、 柱 間 寸 法 は東 西1.6m・ 南 北

2.lmで

あ る。 柱 抜 取 穴 に黄 色 粘 上 が入 る もの が あ る。 方 位 が北 で東 に振 れ る。SB1510は 梁 行

2間

の南 北 棟 建 物 と思 わ れ る。 桁 行 は

1間

分 の み の検 出 で調 査 区 外 へ の び

る 。 柱 間 寸 法 は 桁 行1.5m・ 梁 行

2mで

ぁ る 。

 

こ れ ら の 建 物 の 西

115〜

12.5mに は

A‑2期

の総 柱 建 物 を こわ し、 やや北西 にず らして総柱建物 SB1535。

1545をつ くる。 両 者 の間 隔 は約8.5mで 南 北 に並 ぶ 。SB1535は 南 北

3間

、 東 西 は

2間

分 検 出 した が 、 調 査 区外 に

1間

の び て

3間

に な る と思 わ れ る。 柱 間寸 法 は 東 西 1.8m・ 南 北2.2m、 柱 掘 形 は一 辺

1〜

1.5mと 大 き く、 北 側 か らの 柱 抜 取 穴

(20)

が あ る。抜取 の埋 土 に は焼土 が混 じる。 SB1545は 東西

3間

、 南 北 は

2間

分 だ が 調 査 区外 にの びて

3間

にな る と思 わ れ る。 柱 間寸 法 は東 西 1.5m・ 南 北2.lm、

柱掘 形 は一 辺0.7〜

lmで

、 焼 土・ 礫 の入 った柱 抜 取 穴 が あ る。

<B期 > A期

の遺構 がすべ て こわ され、 新 た に整地 して前代 とは全 く遺 構 の配 置 が異 な る時期 で あ る。調 査 区西 側 に掘立 柱建物SB1515・ 1505、 そ の東 に 南北 塀SA1490、 調 査 区 東 端 に南 北 塀

SA1475が

あ る。 SB1515は 桁 行12間以 上・

梁行

3間

の長大 な南北棟建物 で あ る。 柱 間寸 法 は桁 行2.3〜2.4m・ 梁 行2.lm、

南北 長 は

28.2m(12間

)以

上 にな る。 柱 掘形 は一 辺

1〜

1,2mで ぁ る。北 で西 に や や 振 れ る方 位 を もつ。 この建 物 の東 約

2mに

は布 掘 りの柱 掘 形 を もつ

SB

1505があ る。桁行

4間

・ 梁行

3間

の総 柱 建 物 で あ る。 布掘 りは幅約

lm、

長 さ

5。

7mの

東 西 方 向 の溝 状 で、 全体 を一 段 掘 り下 げ た後 、 柱 位 置 だ け さ らに約50 cm深 く掘 る。 柱 間寸法 は東西

1.5m o南

1.9mで

、 北 側 柱・ 南 側 柱 列 は

SB1515

の柱位 置 とほぼ揃 う。SB1505の 東約

3m、 A期

の石組 溝SD900の す ぐ東 に は南 北 塀 SA1490が あ る。調査 区内11間分 検 出。 柱 間 寸 法 は2.3〜 2.4m。 柱 掘 形 は一 辺 約

0.9mで

、 黄 色 粘 質 土 が多 く入 り、 東 か らの柱 抜 取 穴 が あ る。 柱 位 置 は

SB

1515の柱 間 の ほぼ中央 にな る。 調 査 区東 端 に あ る南北 塀 SA1475は10間分 検 出 し た。 柱 間寸 法 は2.lm。 北 で西 にや や振 れ る。 SA1490と の間約 15.5mは 遺構 な し。

<C期 > B期

の遺構 はす べ て こわ され る。 南 北 溝

2条

が あ る。

SD1347は

石 組 溝 SD900の す ぐ東 の南北 溝 で、 南 か ら続 く南 北 道 路 の西 側 溝

SD640が

8 次調 査 区 で折 れ 曲 り、 約

14mほ

ど西 に流 路 を変 え た もの で あ る。 当初 は幅2.5

mの

素 掘 り溝 で あ るが (SD1347A)、 後 に西 側 に50om大 の石 を雑 に並 べ て護 岸 す る (SD1347B)。 溝 内堆 積上 の砂 層 中 か らは多 量 の土 器 類 が 出土 。 調 査 区 東 端近 くにあ る南北 素 掘 り溝SD1476は 幅0。7〜1.2mで 、 西 半 が

1段

深 くな る。 深

さ約30〜40cm。 方 位 が北 で西 にや や振 れ る。

<D期 > 

掘 立 柱建物SB1478・ 1491、 井 戸 SE1481が あ る。SB1478は 桁行

4間

・ 梁 行

2間

の南北棟建物 で あ る。 柱 間寸 法 は桁 行

1.9m.梁

2.lm、 柱 掘 形 は一 辺40〜70omで あ る。方位 が北 で西 にや や振 れ る。SB1491は 南側柱

3間

を検 出 し た。 柱 間寸法 は1.8m。 南北 溝SD1476と 重 複 し、 これ よ り新 しい井 戸SE14811ま、

―‑ 57 ‑―

(21)

径 約

2mの

円形 掘 形 の 中 央 南 寄 りに石 組 の井 戸 枠 が あ る。 石 組 は最 下 段 が残 る の み で あ る。 最 下 段 は20〜30cm大の石 を 内 法 一 辺 約 70cmの 方 形 に据 え て い る。

上 部 石 積 は序 々 に 円形 とな るの で あ ろ う。 底 面 は小 礫 を敷 く。 検 出面 か らの深 さ は1.05mで あ る。 廃 絶 時 の埋 土 か ら墨 書 土 器 出土 。

出土遺物

多 量 の上 器 類 の他 、 瓦 、 金 属 製 品 、 木 製 品 、 石 製 品 な どが あ る。土器 類 で は、

南 北 溝 SD1347、 土 坑 、 整 地 上 な ど か ら

7世

紀 前 半 か ら

8世

紀 前 半 の 土 師 器・

須 恵 器 が 出土 した。 他 に縄 文 土 器・ 弥 生 土 器・ 瓦 器 な どが 少 量 あ る。 上 製 品 に は、 土 馬・ 硯・ フ イ ゴ羽 口 な どが あ る。 墨 書 土 器 はSE1481か ら

2点

出 土 した 。

1点

は土 師 器 皿 口縁 部 外 面 に「上 」、 も う

1点

は土 師 器 甕 体 部 外 面 に 「 来 田 □ 司 」 と記 す 。 瓦 の 出土 量 は ご くわ ず か で あ る。 金 属 製 品 で は鉄 製 の釘・ 鏃・ 刀 子・ 斧・ 紡 錘 車・ 鎌・ カ ス ガ イ な どが あ るが 、 これ ま で の調 査 区 と比 べ る と全 体 の量 は少 な い。 木 製 品 で は

A‑2期

の整 地 以 前 の、 木 屑 を多 く含 む砂 質 土 中 か ら斎 串 が 出土 。 石 製 品 に は砥 石 の他 、 管 玉・ 勾 玉・ 石 鏃・ 石 刀・ 石 包 丁 な ど が あ り、 縄 文 時 代 か ら古 墳 時代 に か けて の もの が多 い。

まとめ

前 回 の調 査 で は、 各 時 期 の主 要 遺 構 が ま と ま りを み せ た。特 に

A‑3期

で は、

長 大 な建 物 で形 成 す る狭 長 な東 区 画 と長 廊 状 建 物 で 囲 む西 区画 の両者 につ いて、

そ の北 を 画 す る建 物 を検 出 した。 こ う した状 況 か ら、 今 回 の遺 構 の あ り方 が注 目 さ れ た。 そ の結 果 、 石 神 遺 跡 の北 を 限 る施 設 は検 出 され ず 、 各 時 期 と もに遺 構 が さ らに北 に続 く こ とが 明 らか とな った。 以 下 、 今 回 の調 査 成 果 を これ ま で の調 査 結 果 と総 合 して簡 単 に ま とめ て お く。

<A‑1・ 2期

飛 鳥 寺・ 水 落 遺 跡 との 間 を 区 画 す る東 西 大 垣 の北 は約 40

mの

空 閑 地 を も って、 石 敷 を伴 う井 戸 とそ の周 囲 に建 物 群 が つ く られ 、 井 戸 か ら発 す る石 組 溝 が 北 へ の び る。 今 回 の調 査 で は、

A‑1・ 2期

の建 物・ 塀 を検 出 し、 特 に

A‑2期

につ い て、 北 方 に ま と ま った建 物 群 が あ る こ とが 明 らか と な った。 第

8次

調 査 で検 出 した東 西 棟SB1320と 逆

L字

状 に

2棟

の南 北 棟 建 物 が 東 側 柱 列 を 揃 え て 建 ち、 西 南 に は東 西 棟SB1340が あ る。 西 北 方 に は総 柱 建 物 2

(22)

o        50m

(23)

棟 が南北 に東 側 柱列 を揃 えて並 ぶ。 総 柱建 物 は、 そ の規模 か らみて倉庫 と思 わ れ る。井 戸周辺 の建物群 は東西棟 中心 だが、西北 の位 置 に今 回 と同規模 の総柱 建 物 が あ り、 両 者 と も同様 の建 物 群 構 成 とみ られ る。

<A‑3期 > 

最 も遺構 が整 い、 大 き く東 西

2区

画 に分 れ る時期 で あ る。 前 回 の調 査 区 で東 西 区画 と もそ の北辺 の建 物 を検 出 した。 これ に よ り、 東 区画 は 井 戸 の北 に長大 な建 物 で囲 む外 周 東 西 24.7m・ 南 北

49.4mの

狭 長 な空 間 が つ く られ る。 西 区画 は長廊状建物 で囲 まれ た状況 が明 らか とな った。 今 回、東 区画 の北方 で は約

30mの

間 をお いて、特異 な平面形 をなす建物 の存在 が明 らか とな っ た。残念 なが ら全体 の規模・ 形状 は明 らかで はな いが、石神遺跡 の特殊 な建物 配 置 を もつ空 間 が さ らに北 へ の びて い る ことが想 定 され る。 一 方 、 西 区画 の北 方 に は総 柱 建 物 を 中心 と した建 物 が並 ん で お り、 倉庫群 があ った ことが判 った。

A‑2期

に もこの一 画 は倉庫 が建 って い るが、

A‑3期

に は東 西両 区画 の倉庫 群 が この位 置 にあ った ことにな る。

<B期 > 

南面 大 垣 はや や南 にず ら して建 て か え られ るが、

A期

の建物群 は す べ て取 りこわ され、 南北 塀 に よ って 区切 られ る空 間 に総 柱 建 物・ 南北 棟 建 物 が配 置 され る。

A期

とは全 く異 な った遺構 の状況 で あ り、遺跡 の性格 が変 わ っ た ことが うかが われ る。今 回 も南北塀 と南北棟建物 を検 出 し、 これ まで と同様 の状況 が さ らに北 に続 くこととな った。 ただ、今 回検 出 した南北棟建物 は桁行 12間以 上 とい う大型建物 で あ り、 この時期 の中心 的 な建物 の一 つ と思 われ る。

<C期 > B期

の遺構 はすべて こわ され る。東側 に南北道路 が通 り、 その西 の掘立 柱塀 で囲 む大 きな区画 の中 に建物・ 井戸 な どが点在 す る。前 回調査 区 か ら遺構 は希薄 とな って きてお り、今 回 も西側 に は遺構 は検 出 され なか った。

<D期 > 

今 回 の調 査 で は、 新 た に奈 良 時代 初 期 の遺 構 を検 出 した。 石組 の 井 戸 SE1481と そ の周 辺 に小規 模 な建 物 が あ る。井 戸 か らは墨書 土 器 も出土 して お り、奈良 時代 の遺構 が このあた りか ら北方 に存在 す る こ とを うか が わ せ る。

以上 の よ うに南面大垣 か ら北 へ約

160mま

で調 査 が進 ん で きたが、 各 時 期 と も遺 構 が さ らに北 へ延 び る こととな った。 こう した ことか ら、遺跡 の性格・ 機 能 の解 明 にむ けて、 今 後 の調 査 の進 展 が大 い に期 待 され る。

(24)

3  坂田寺第 6次 調査

(1990年5月8月)

はじめに

この調査 は奈良県 の史跡整備 に伴 う広場 。園路工事 のための事前調査 として、

高 市 郡 明 日香村 大 字 阪 田字古 宮 で行 った もので あ る。

当調 査部 は、 坂 田寺 周 辺 にお いて、1972年以 降

5回

の調査 を行 って きた。 今 の と ころ、文献 に記 された

6世

紀 代 に遡 るよ うな遺構 は見 つ か って いな い。 マ ラ石 周辺 で行 った第

1次

(1972年)・ 第

2次

(1974年

)調

査 で は

7〜

11世紀 の遺 構 が発 見 され た。

7世

紀 前半 代 に は池 、

7世

紀 後 半代 には溝・ 土坑 な どがあ り、

鞍 作 止 利 が寺 を整 備 した頃 の ものの可 能 性 が あ る。

7世

紀 代 を通 じて、 マ ラ石 周辺 に は寺 の主 要 伽 藍 は存在 しな い。

8世

紀代 に入 ると、井戸・ 石組溝・ 石敷・

掘立 柱 塀 な どが作 られ、

9世

紀 にな る と、 井 戸 が作 り替 え られ る。8・

9世

紀 に はマ ラ石周辺 には、寺 の主要伽藍 か らはずれ た厨 の よ うな附属施設 が あ った 可能 性 が高 い。 マ ラ石 の南側 で は、

8世

紀 に大規 模 な整 地 土盛 を して東 西方 向 に続 く段 を設 け、 そ こに石垣 (高さ約

2.5m)を

築 いて お り、 伽 藍 の中枢 部 に近 い ことが想定 され た。「 坂 田寺 金 剛寺跡 」の石碑 の南側 で行 った第

3次

調 査 (1980

)で

は、

8世

紀 後 半 に造 営 され た西面 す る仏 堂 (SB150)が 発 見 され た。 この 建 物 は伽 藍 の中心 建 物 の一 つ とみ られ、 基 壇 中央 に須弥壇 が築 かれ、鎮壇具 が 埋 納 されて いた。第

4次

調 査 (1982年

)で

は、 SB150の 東 北 方 でSB150と 同 じ方 位 の石 組 溝 が発 見 され、 玉石 積 基壇 の一 部 と想定 され た。 第

5次

調 査 (1985年)

で は、 第

4次

調 査 区 の東 方 で基 壇土 の一 部 と鎮壇 具 を埋納 した土坑 が見つか り、

SB150と 相前後 して造営 され た基壇建物 の存在 が明か とな って い る。

今 回 の調 査地 は第

3次

調 査 を行 った水 田の南 側 で 、 仏 堂 SB150の 西 南 隅 部 に あ た り、調査 区南半 に は回廊等 の存在が想定 された。調査 の結果、仏堂 の規模・

構 造 が確 定 した ほか、 そ の廃絶 時 の状 況 につ いて新 知 見 が得 られ た。 回廊 も想 定通 り検 出で き、仏堂 に取 り付 くことが判 明 した。 また、仏堂 の建築部材・ 壁、

回廊 の建築 部材 が比 較 的良好 な状態 で残 って いた。

‑61‑

(25)

調 査 地 の層 序 は、 調 査 区 の南 四 分 の三 と北 四 分 の一 で 異 な る。 南 四 分 の三 で は現 地 表 下

2mで

花 南 岩 岩 盤 の平 坦 面 に達 す る。 この平 坦 面 は、 寺 院 造 営 以 前 に存 在 した南 東 か ら北 西 に延 び る尾 根 を削 って作 られ て お り、 そ れ を掘 り込 ん だ り上 に築 土 を積 ん だ り して 、 奈 良 時 代 の 回 廊SC170 0 180(後 述

)が

営 ま れ て い る。 そ の上 に下 か ら順 に、 灰 褐 色 砂 質 土 (10〜15cm)、 檜 皮 や 有 機 質 を 多 量 に 含 ん だ 黒 色 砂 質 土 (5〜10cm)、 暗 灰 色 系 砂 質 土 (40〜50cm)、 褐 色 系 砂 質 土 (70〜

80cm)、 床 土 (35〜45cm)、 耕 土 (30cm)が 堆 積 す る。 灰 褐 色 砂 質 土 はSC170・ 180が

存 続 して い た 時 期 に回 廊 の南 西 側 の 山手 か ら流 れ込 ん だ土 、 黒 色 砂 質 土 は回 廊 倒 壊 時 の堆 積 物 、 暗 灰 色 系 砂 質 土 。褐 色 系 砂 質 土 もや は り山 手 か ら流 れ込 ん だ 上 で あ る。 調 査 区 の北 四 分 の一 で は、 仏 堂

SB150(後

)南

面 基 壇 の東 端 付 近 か ら地 山 が東 北 に 向 か って下 が り、 寺 院 造 営 以 前 に は東 南 か ら西 北 に流 れ る谷 が 形 成 され て い た。 谷 の 自然 堆 積 層 に は

7世

紀 前 半 の瓦 が 含 ま れ 、 そ の上 面 は調

舞事1セ

5夜調 査 2次調

坂田寺調査位置図 (1:1500)

(26)

査 区東壁 で現地 表 下

3.4mで

あ る。 SB150は 、谷 部 で は 自然堆 積層 上 に厚 く基 壇 土 を積 み、尾 根 部 で は平 坦面 を削 り出 しその上 に薄 く基 壇 上 を積 んで作 られて い る。SB150が 存続 して いた時期 に、南西側 か ら多量 の礫・ 瓦 を含 ん だ土 砂 が 押 し寄 せ、 雨 落 溝 を埋 め尽 く し、 壁 の破 れ 目か ら堂 内 に流 れ込 む に至 った。 土 砂 の上 面 は調 査 区東 端 で現 地 表下1.3m、 西 端 で は

2.lmで

ぁ る。 その後SB150が 倒壊 し、 そ の上 を厚 く砂 層 が覆 った。

検 出 した主 要 な遺 構 は仏 堂SB150、 回廊SC170・ 180な どで あ る。

仏堂

SB150 

長 軸 方 向 が北 で西 に約15° 振 れ る南 北 棟 で、 西 を正 面 とす る。 桁 行

5間

・ 梁行

2間

の身 舎 の四面 に庇 がつ く礎 石建 ちの基 壇 建 物 で あ る。 今調 査 で は、基壇 、建物東 南 隅部 の礎 石

4個

・ 柱・ 地覆・ 壁 土 、 南 雨 落 溝SD176A・ B、

東 雨 落溝SD177、 基 壇 上 の閑伽棚 の礎石SX179を 検 出 した。

基 壇 の築成 は、 旧地 形 の尾根部分 に基壇 の南縁 と西縁 を区画す る溝 (幅3.5m・

深さ

lm)を

穿 ち、 基 壇 本 体 を尾 根 か ら切 り離 し、 そ の上 面 を一 段 削 り下 げ平 坦 面 を作 ってか ら、 基壇 に含 まれ る尾根部分 で はその上 に薄 く版築 し、谷 部 で は 自然堆積層 の上 に厚 く版築 す る ことによ って な され た と考 え られ る。 基壇上 面 は基壇 南側 の尾 根 部 分 よ り約40cm低 くな って い る。 版 築 土 は厚 い と ころで は

8層

積 まれ、

7世

紀 後 半 の瓦 が 出上 した。

基 壇 は二 重 基 壇 で 、 下 成 基 壇 の規 模 が

29.5m(loo尺 )× 17.9m(61尺

)、 高 さ 0,6m、 礎 石心 か らの基 壇 の 出が

2.4m(8尺

)、 生 成基 壇 が

28.3m(95尺 )×

16.7m

(56尺)、 高 さ0.4m、 基 壇 の出が

1.8m(6尺 )で

あ る。基 壇 総 高 は

lmで

ぁ るが、

これ は雨落溝 の底 か らの高 さで あ り、基壇 の上面 と基 壇 の南 外・ 西外 との高 さ の差 はほ とん ど無 い。 基 壇化粧 は上成・ 下成 と もに方 形 の花 向岩 自然 石 (一

50cm前

)を

一 段並 べ るのを基本 と し、 東 面 の下 成 の み方 形 の石 の上 に小 さ い 石 を積 ん で二 段 とす る。 下 成 基 壇 の上 面 に は拳 大 か ら人 頭 大 の石 を敷 き詰 めて い る。生成基壇 上面 は黄 褐色 の粘質土 で堅 く固 め られ て お り上 間床 で あ った ら

しい。基壇縁石 は厚 さ10cmほ どの裏込 め土 に貼 り付 け るよ うに据え られている。

南面 で は上 成 基 壇 縁 石 が二 重 にな った と ころが一 部 あ り、 改 修 を受 けて い る と 思 わ れ る。二重基 壇 の例 に は飛鳥寺東・ 西金堂 、法 隆寺金堂・ 塔、檜 前 寺金堂

―‑ 63 ‑―

(27)

な ど

7世

紀 代 の例 が あ り、 いず れ も下成 基 壇 が低 く生 成基 壇 が高 い点 が共通 す るの に対 し、SB150の 基 壇 は下成 基壇 が高 い点 で珍 しい。

建 物 の柱 間寸 法 は身 舎 が

3.86m(13尺 )等

間、 庇 の出 が

2.68m(9尺 )で

あ り、

桁 行 総 長

24.7m(83尺

)、 梁 行 全 長 13.lm(44尺

)と

な る。 礎 石 は径

2m前

後 、 深 さ

0.7m前

後 の据 え付 け掘 形 の中 に置 か れ 、 礎 石 と穴 の 隙 間 に は多 量 の礫 が詰 め込 まれて い る。礎 石 は花 南岩 を加工 し円形柱座 を造 り出 した もので、柱座 径 は62〜68cmで あ る。礎 石

3個

の上 に は腐触 した柱 の根元 部 分 が残 り、 柱 の径 は 約 55cmで あ る。 基 壇 上 に堆 積 した砂層 中か ら倒 れ た柱 の可能 性 が あ る腐蝕 した 材 を

5点

検 出 した。 調 査 区西 壁 で南妻 の地 覆 の上 方 に は、倒 れ た柱 の腐蝕 した 端部 が見 え て い る。 側 柱・ 妻 柱 の礎 石 間 に は、検 出 したすべ て の柱 間 につ いて 壁 受 けの地覆材 と壁 の根 元 部分 が残 って いた。地覆材 は、礎 石 据 え付 け掘形 を 埋 め戻 した後 に礎石 と礎 石 をつ な ぐよ うに掘 られ た据 え付 け掘 形 (幅30cm・ 深さ 30cm)の 中 に、 自然石 (幅20〜30cm。 長さ25〜60cm)や 方形 埠 (一30〜40cm)。 平 瓦 を並 べ た上 に置 かれ て い る。地 覆材 は現状 で は上 に乗 る壁 の重 さでつぶれ て い るが、一辺20cm前 後 の角材 と復原 で きる。壁 は厚 さ15cmで 木 製 の木舞 を壁 下 地 と し、 それ に黄 灰色 の壁 土 をつ けて、表面 に は白土 の仕上 げを施 して いる。東 壁 の南 か ら

2間

目に は柱 間 を二 等 分 す るよ うに配 され た腰 壁 束 の痕 跡 が残 って い た。 東 は一辺16cmの 角 材 で あ る。基 壇上 お よび周 辺 か ら

8世

紀 後 半 代 の軒 瓦 が ま った く出土 しな い こ とか ら、檜皮葺 の可能性 が大 きい。 な お、南妻東 か ら

1間

目の壁 の外 側 に関 伽 棚 の礎 石 SX179が あ る。 これ は長 さ40cmの 石

2個

を壁 か ら75cm離 して

1.8m間

隔 に並 べ た もので あ る。

今 回 の調 査 でSB150の 周 囲 の状況 が判 明 した。 当初 、 8B150の 南 面 に は幅3.5

m・

深 さ

lmの

素 掘 り雨 落 溝

SD176Aが

設 け られ回廊 はなか った。 この溝 は、 S B150基 壇 の築成 時 に基 壇 本体 を尾根 か ら切 り離 す ため に設 け られた溝 が その ま ま雨落溝 に転用 され た もので あ る。後 に回廊SC170の 建 設 に際 し溝 の南 岸 が 石 で護岸 され た (SD176B)。 護 岸 を行 う以 前 に

SD176Aの

底 に は厚 さ30cmほ ど砂 が 堆積 して お り、 護 岸 は この砂層 の上 に径20〜60cmの 自然 石 を一 段並 べ 裏 込 め土 で固定 す ることによ って行 われている。現状で は石 の並 び方 は雑 で面 は揃 って い

(28)

⑤ 疋 ⑥

(29)

な い。 護 岸 石 列 か らSB150下成 基 壇 ま で の 距 離 は

2mで

あ る。SB150の東 面 に は雨 落 溝SD177が あ る。 東 岸 の護 岸 石 列 を長 さ1.7mに わ た って 検 出 した 。 石 列 は長 さ30〜50cmの 自然 石 を西 に面 を揃 え て 立 て 並 べ た 物 で 、SB150下 成 基 壇 ま で の距 離 がSD176Bと 同 じ

2mで

ぁ るた め、 石 列 は

SD176Bに

対 応 す る時 期 の 物

と考 え られ るが 、

SD176Aに

対 応 す る溝 の存 否 は調 査 区 外 の た め 不 明 で あ る。

この石 列 と第

4次

調 査 区 の石 敷 遺 構SX153と の 関係 につ いて触 れ て お く。 石 列 を ま っす ぐ北 方 へ 延 長 す る と、 そ の西 面 はSX153中 段 石 列 の約

lm西

に く る。

ま たSD177東 岸 石 列 とSX153下段 石 敷 と は上 面 の標 高 が ほ ぼ一 致 す る。 したが っ てSX153が

3段

の石 積 基 壇 とす れ ば、 そ の下 段 に

SD177東

岸 石 列 が つ な が る可 能 性 が あ る。

SB150の廃 絶 時 の状 況 につ い て は、 第

3次

調 査 で は焼 失 した もの と考 え られ た が 、 今 回 新 た な知 見 を得 た。 す な わ ち10世紀 後 半 以 前 に建 物 の東 南 方 か ら押 し寄 せ た土 砂 で壁 の根 元 まで 埋 ま り、 次 第 に立 ち腐 れ の状 況 に な り、 建 物 内部 に も壁 際 に は土 砂 が流 れ込 ん で い た。 そ の後 壁 が倒 れ た。 壁 は東 側 柱 筋 で はお もに東 へ 倒 れ、 南 妻 柱 筋 で は お もに北 へ 倒 れ た とみ られ るが必 ず し も一 定 して い な い。 そ の直後 、 基 壇・ 倒 れ た壁・ 流 れ込 ん だ土 砂 の上 面 で仏 像・ 部 材 な ど を焼 却 し焼 土 層 が 形 成 され た。 第

3次

調 査 で 検 出 され た基 壇・ 須 弥 壇 直 上 の焼 土 層 は これ に あ た る。 焼 土 に含 ま れ る土 師 器 か らみ て 、 廃 材 焼 却 は10世紀 後 半 に行 わ れ た とみ られ る。 そ の後 、 焼 土 層 上 に は瓦 を多 く含 む粘 土 層 が薄 く堆 積

し、 そ の上 を瓦・ 礫 を多 く含 ん だ砂 層 が厚 く覆 った。

回廊SC170・

180 

礎 石 建 ち の基 壇 建 物 で 、SB150と 主 軸 方 向 を揃 え た 南 北 回 廊

SC

170と 雨 落 溝SD171・ 172、 そ れ と直 交 す る東 西 回 廊SC180と 雨 落 溝SD182を 検 出 した。 SC170・ 180は と もに梁 行

1間

の単 廊 で あ る。

す で に述 べ た よ うに回 廊 の建 設 はSB150よ り遅 れ る。 回 廊 基 壇 の築 成 は、

SB

150の南 側 に一 段 高 く残 って い た尾 根 上 に、 南 北 回 廊 の 東 雨 落 溝 と東 西 回 廊 の 南 雨 落 溝 の予 定 位 置 で 溝 を掘 り、 溝 の北 西 側 を一 段 削 り下 げ平 坦 面 を作 って か ら回 廊 内側 の雨 落 溝 を掘 り、 基 壇 上 に

5〜

10cmの 厚 さで基 壇 土 を積 ん で 行 わ れ た と考 え られ る。 基 壇 上 面 は8B150基壇 よ り約

5〜

20cm高 く、 基 壇 東 側 の 尾 根

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