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ドキュメント内 一ドミ冶劾 (ページ 41-45)

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西調査区の遺構

西 調 査 区 の 基 本 層 序 は耕 土・

西 に 向 って 傾 斜 して お り、 深 さ

SA68臥B IⅥm0

床 土・ 黄 褐 色 砂 質 土 の遺 構 面 とな る。 遺 構 面 は

lm以

上 の整地 土 で あ る。調査 区南端 で は東 か ら西 へ 向 って土 を流 し込 んで ほぼ平坦 面 を 作 って い る状 況 が よ く見 られ た。 検 出 した 主 な 遺 構 は、 南 北 塀SA680A・ B、 西 門

SB

685で あ る。

南北塀及び西門

 

発 掘 区 の ほ ぼ 中 央 を 南 北 に 掘 立 柱 の柱 穴 が 一 列 に並 ぶ。 これ が寺 域 西 限 の塀 とな り、 東 限 の塀 と は伽 藍 中軸 線 を 介 して 対 称 の 位 置 に あ る。 柱 掘 形 は 一 辺 1.5〜1.8mの ほ ぼ 方 形 で 、 深 さ は

2mに

達 す る。 径 30cmの 柱 根 が残 って い る もの 、 柱 根 に石 の礎 盤 を 置 く もの が あ る。 これ らか ら柱 間 寸 法 は2.25mと 知 られ る。 た だ し発 掘 区 南 端 か ら

3〜 5間

目は柱 間寸 法 が広 く、

3・

5間

目 は2.85m、

 4間

目 は3.25m、

 3

間 あ わ せ て

9mと

な る。 この

3間

分 は お そ ら くF目

(SB685)で

あ ろ う。 た だ 控 柱 の 柱 穴 は な い の で 、

3間

の棟 門 と考 え られ 、 こ れ が 西 門 とな る。

西 門 及 び西 門 よ り北 の掘 立 柱 塀 は原 則 と して 隣 あ う

2本

の 柱 を一 体 の抜取 り穴を掘 って抜 き取 っ て い る。 そ の後 抜 取 り穴 を

X168530

掘 形 と して再 度 柱 を立 て て い る。柱位置 はほとん ど変 っ て い な い。 こ う した建 て 替 A

B C

柱根 柱根 の圧 痕 礎 盤

1    

山田寺西調査区遺構配置図

え は南 門両 脇 の掘 立 柱 塀 で も行 わ れ て い る。

西 門 及 び西 限 の掘 立 柱 塀 の造 営 や 改 修 の 時 期 を示 す遺 物 は出土 して いな いが、

南 面 の塀・ 門 の建 立・ 改 修 等 と一 連 の工 事 と考 え よ う。 た だ南 門 両 脇 の塀 は最 終 的 に は築 地 に改 修 され て い るが、 今 回 の西 限 の塀 で は そ の有 無 を確 認 す る こ

と はで きな か った。

西 調 査 区 か らは僅 か な瓦・ 土 器 を 除 い て ほ とん ど遺 物 が 出上 しな か った。 東 調 査 区 か らは、 回 廊 基 壇 上 か ら多 量 の瓦 が 、 回 廊 東 雨 落 溝 か らは多 量 の瓦・ 少 数 の建 築 部 材・ 土 器 が 、 宝 蔵 の雨 落 溝 及 び基 壇 面 か らは大 量 の木 簡・ 木 製 品・

建 築 部 材・ 金 属 製 品 が 出上 した。 ま た 宝 蔵 北 方 の整 地 上 中 か ら も多 量 の 瓦 が 出 土 した。

瓦類

 

丸・ 平 瓦 を は じめ多 量 の瓦 類 が 出土 した。 そ の 内 訳 は軒 丸 瓦 145点 、 軒 平 瓦 292点 、 垂 木 先 瓦 116点 、 面 戸 瓦

8点

、 鶏 尾

5点

と丸・ 平 瓦 1600袋 以 上 な ど で あ る。 3月末 現 在 の整 理 に よ る種 別 出土 点 数 を次 表 に示 した。

軒 丸 瓦 は いず れ も単 弁

8弁

蓮 華 紋 の「 山 田寺 式 」 で 、

A〜

Fの

6種

に分 か れ る うち、 今 回 はA・ C・

Dが

出上 して い る。 軒 平 瓦 は す べ て 重 弧 紋 で 、 二 重 弧

5点

の ほか はす べ て 四重 弧 で あ る。 軒 丸 瓦Dと 四 重 弧 紋 軒 平 瓦

Aの

組 み 合 わ せ

(1)が

回 廊 用 と考 え られ て お り、 そ の次 に多 い軒 丸 瓦Cと 四 重 弧 紋 軒 平 瓦Fの 組 み合 わ せ

(2)が

、 出土 状 況 か らみ て も宝 蔵 所 用 と判 断 で き る。

今 ま で 山 田寺 に お い て 出上 した面 戸 瓦 は、 丸 瓦 を焼 成 後 に打 ち欠 い て作 った もの で あ った が、 宝 蔵 に伴 う面 戸 瓦 が成 形 段 階 か ら面 戸 用 に製 作 して あ る点 が 注 目 され る。

四 重 弧 紋 軒 平 瓦 の形 を と った長 大 な 瓦 が

1点

あ る (3)。 東 回 廊 北 部 の 基 壇 内 を通 る暗 渠 の蓋 に転 用 され て い た もの で、 長 さ101 5cm、 最 大 幅37cm、 端 部 か ら7 cmの 所 に高 さ4 cm、4 cmの堤 を設 け、 そ の 内側 に 直 径8 cmほ どの 円孔 を 穿 って あ る。 通 常 の軒 平 瓦 よ り、 彎 曲度 が 強 く、 しか も瓦 当 に向 か って 右 側 の 方 が 比 較 的 直 に近 く立 ち上 が る の で 、崚 羽 に 用 い た「 掛 け 瓦 」 と考 え る 向 き

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A 7

C D

 

 

A B F

不 明

三重弧 5 2

  292

A B

Cb 8 7

D

 

 

5

山田寺出土軒瓦拓影

(1:4)

山田寺出土瓦集計表

大瓦実測図

(118)

もあ るが、 その用途 につ いて はまだ検討 の余地 が あ る。掛 け瓦 と して製作 した もの の、 あ ま りに も重 す ぎるので実用 にな らなか った とす るの も一考であろ う。

上器

 

出土 土 器 に は土 師器・ 須 恵 器・ 黒色 土 器・ 瓦器 の他 に多 量 の施 釉 陶 器 が あ る。施釉 陶器 には二彩 の多 嘴壷、緑釉 の皿・ 盤、灰釉 の壺、白磁 の椀 がある。

土 器 は大半 が平安 時代 の もので あ る。宝蔵雨落溝 か らは

9〜

11世紀 前半 の上 器 が、基壇土 か らは

9世

紀後 半 の上 師器 が 出土 した。 また回廊 雨 落 溝 出土 土器 は 11世紀 前 半 の土 師器皿 が最 も新 し く、 瓦 器 は含 まれ な い。

木器・金属器

 

出土 した木 器 に は、 漆 塗及 び素 木 の経 軸、 漆 塗 函、 漆 塗 の脚 、 漆 塗 厨子 の扉、漆塗 の茄子形 仏具、漆塗 の宝相華葉形 仏具、八 角 台座 、漆塗 の華 瓶 形 仏 具 等 が あ る。 台 の足 に は奈 良 時代 の もの と平安 時代 の ものが あ る。

金 属器 には銅 板五 尊像・ 押 出仏・ 唐 草 文 透 彫 金 具 (木枠付)・ 六 弁 蓮 華 飾 金 具・ 厨 子 扉 の座 金 具 と蝶番・ 釘 等 が あ る。 鋼 板五 尊 像 は、 縦4.5cm、3.7cm、

厚 さ0.25cmで 、 唐 代 の作 品 と考 え られ る。 白鶴 美 術 館 に同型 品

3点

が あ るが本 品 の方 が仕 上 が りが よい。

建築 部材 と して は、 回廊 に関 わ るもの と して、地覆が

3本

、東雨落溝 に大斗・

肘 木・ 垂 木 各

1個

が あ った に過 ぎな い。 ただ し垂木 は明 らか に反 り増 しが あ っ て、 これが当初材 とす れ ば飛鳥 時代 の垂木 に反 り増 しが あ る ことにな り、取 り 替 え材 とす れ ば、 か な り大 が か りな修 理 が あ った こ とにな る。 宝蔵 か らは明 ら か な建築 部材 と して は茅負

5点

が 出土 して い る。 隅 の留 めに切 った部分 もあ り、

宝蔵 が入母屋造 か寄棟造 で あ った ことを示 して い る。茅負 に近 接 して軒 丸 瓦

C

と四重 弧紋軒平 瓦Bの 軒瓦 が散乱 してお り、 この組 み合 せ の軒 瓦 が葺 か れ て い た ことが知 られ る。 ただ茅負以外 の建築部材 が全 くと言 って い い程 見 あた らな いの は不審 で あ る。 宝蔵 はまず軒 か ら落下 し、軸部 はなお しば らく健在 で あ っ た た め に、 その部材 が持 ち去 られて他 に転用 され た こと も想 定 で きよ う。

木簡

 

宝 蔵基壇上面 か ら

1点

、 同雨 落溝 か ら

6点

の木簡 が 出土 した。 釈 文 は85 頁 に掲 げ る通 りで あ る。 ① は宝蔵基壇上 面 か ら出土 した経 峡 の題鍛 で、石川年 足 が天平11年 7月 に書写 させ、 「浄土寺」 に安 置 した大般若経六 百巻 に付 け ら れ て いた可能性 が高 い。① か ら④ は、宝蔵 で の経 典 の出納 に関 わ る木簡 と考 え

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