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ドキュメント内 一ドミ冶劾 (ページ 48-51)

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.堤 報

られ る。 ③ か ら山田寺 の三綱 の名 前 の知 られ る こと、② か ら出納 の管 理 に「倉 人」 が あ た って いた こ とが知 られ る こ と、 ④ は貸 借状 況 の チ ェ ックが行 わ れ た 記録 で あ る ら しい こと等 、 奈 良 時 代 後 半 か ら平 安 時代 初期 の山 田寺 の組 織 や活 動 の一 端 が窺 え る貴重 な史 料 で あ る。

まとめ

回 廊 につ い て は北 端 に扉 回 の 付 く こ と・ 垂 木 に反 り増 しの あ る こ と、 が 新 た な知 見 と して加 わ った。 回 廊 の 建 物 に つ い て は従 来 、 地 覆 石 を

9世

紀 前 半 か ら 中 頃 に抜 き と って、 不 同 沈 下 を 防 ぐた め に瓦・ 礫 等 を詰 め込 ん で お り、 地 覆 石 の抜 き取 りは腰 壁 の改修 に伴 う もの か とされ て きた。 しか し腰 壁 を改 修 す るた め に わ ざ わ ざ地 覆 石 を抜 き取 る必 要 は必 ず し もな く、 そ の こ とに よ って 建 物 の 足 元 が 弱 くな るの は明 白 で あ るか ら、 甚 だ不 審 な仕 事 と言 わ ね ば な らな い。 こ の よ うな足 元 の大 改 修 が あ った な らば、 建 物 も解 体 され な い ま まで い た か ど う か 疑 間 が 生 じて くる。 建 築 部 材 の再 検 討 も含 め て今 後 の課 題 で あ る。

宝 蔵 の発 見 も、 初 め て 山 田寺 の僧 侶 の生 活 に関 係 す る施 設 を 見 出 した 点 で 重 要 な もの で あ った。『 多 武 峰 略 記 』 に は経 蔵 跡 の記 載 が あ る が 、 今 回 検 出 した 建 物 が そ の経 蔵 に あ た るか 否 か は解 らな い。 しか しそ の 内容 物・ 出 納 の 実 態 な どが 知 られ た点 は貴 重 で あ る。 宝 蔵 は そ の所 用 瓦 か ら

7世

紀 後 半 の創 建 で 、 回 廊 等 と同様10世紀 末 に は廃 絶 して い た と考 え られ る。

西 限 の塀 の検 出 に よ り、 伽 藍 を 囲 う区 画 が ほ ぼ確 定 した と言 って よ い 。 そ の 規 模 は東 西 118m、 南 北 187m、 とな る。 西 門 は

3間

の規 模 で は あ るが 棟 門 程 度 の簡 略 な もの で あ った。 な お東 限 の塀 の東 に は な お寺 の関係 施 設 の存 在 が 想 定 さ れ て お り、 今 回 は調 査 が 及 ん で い な いが 西 限 塀 の西 に も寺 関 連 の 施 設 が な い と は い え な い。 そ の意 味 で 寺 域 の 広 が りにつ い て は なお不 明 とせ ざ るを え な い。

その他の調査概要

石 神 遺 跡

1990‑1次

調 査

(1991年 1〜2月)

この調 査 は農 小 屋 新 築 に伴 う事 前 調 査 と して、 明 日香 村 飛 鳥 で行 った もの で あ る。 調 査 地 は、 石 神 遺 跡 第

2次

調 査 区 (概

13)に

北 接 す る水 田 で あ る。 調 査 区 は、 最 終 的 に南 北6.5m・ 東 西

9mに

な っ た 。 層 序 は、 上 か ら耕 土・ 床 土 で、 南 半 で は そ の下 が す ぐ黄 褐 色 砂 質 上 の地 山 、 北 半 で は約 10cmの 暗 褐 色 上 が あ い だ に挟 ま る。 遺 構 の検 出 は黄 褐 色 砂 質 上 の上 面 で 行 った。

7世紀中頃の遺構

 

掘 立 柱 塀 と溝 が あ る。

SA1460は、 東 西 に伸 び る掘 立 柱 塀 で、

3間

(80m)を

検 出 した 。 柱 間 寸 法 は約2.67mで ぁ る。 柱 掘 形 は一 辺1.0〜

1.5mで

方 形 を 呈 し、 深 さ は 現 状 で 約0.7 m、 柱 は どれ も抜 き さ られ て い た。 な お

2つ

の柱 穴 に対 して、 そ の真 中 か ら2 方 向 に伸 び る抜 取 り穴 を掘 って 柱 を抜 い て い る。

SA1465も、 東 西 に延 び る掘 立 柱 塀 で あ る。

4間

分 (8.4m)を検 出 した。 直 径 25cm前後 の柱 痕 跡 が み つ か って お り、 柱 間 寸 法 は

2.lmで

ぁ る。 柱 掘 形 は一 辺 0.8〜1.3mで、 東 西 に長 い長 方 形 を呈 す 。 深 さ は、 現 状 で約0.6mで ぁ る。

SD1461は、 幅 約2.4m、 深 さ約0.5mの素 掘 りの東 西 溝 で あ る。 一 部 が 中 世 の 溝 と重 な って い る。 埋 土 は、 暗 茶 褐 色 土 、 山 土 混 茶 灰 褐 色 粘 質 上 で 、 水 の流 れ た形 跡 は な い。 な お 重 複 関 係 か ら、 塀

SA1460抜

取 り→ 溝SD1461の 順 に つ く ら れ て い る。

7世紀後半の遺構

 SK1467は

南 北

8.5m

以 上 。東 西 約2.5m・ 深 さ

0.3mの

土 坑 で あ る。 埋 土 か ら遠 江産 の平 瓶 の ほか、

飛 鳥 Ⅳ 期 の土 器 が 出 土 した。

この ほか に、 古 墳 時 代 の小 穴 、 中世 の塀SA1466・ 溝SD1462・ 1463な どを検 出 した。

1   0      1  5m

石神遺跡1990‑1次調査遺構配 置図

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ドキュメント内 一ドミ冶劾 (ページ 48-51)

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