⑤ 疋 ⑥
4 山 田寺第 8次 調査
(1990年 8月 〜12月)
当調 査 部 で は昭 和 51年 以 来
7次
に わ た って 山 田寺 の塔・ 金 堂・ 回 廊・ 講 堂 。 南 門 等 伽 藍 主 要 部 の調 査 を行 って きた。 そ の結 果 金 堂 が特 異 な柱 配 置 を もつ 建 物 で あ る こ と、 回 廊 が倒 壊 した状 態 で 検 出 され、 飛 鳥 時 代 の建 築 様 式 を知 る貴 重 な資 料 を提 供 した こ と等 、 多 大 な成 果 を あ げ て きた。 今 回 は これ まで 未 確 認 の寺 域 西 限 と回廊 の東 北 隅 の2ケ
所 に調 査 区 を設 け、 寺 域 西 限 の施 設 。西 門 の´ハ \、 1
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一
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山田寺調査位置図
有無・ 東 回廊 と北 回廊 取 り付 き部 の状況・ 回廊東 側 の区画 そ の他 の施設 の状 況 を解 明す るため に調査 を行 った。
東 調 査 区 は第
4次
調 査 区 の北 に続 く平 坦 な 旧水 田で、 東 西 25m・ 南 北21mの
調 査 区 を設 定 し、 面 積 は522だ、西調 査 区 は金 堂 の ほ ぼ真 西 で一 筆 毎 に急 激 に 西 に向 って低 くな る地 形 の所 に東 西
8me南
北32mの
調 査 区 を設 定 し、面 積 は 278だで あ る。東調査区の遺構
東調 査 区 の基 本 層 序 は耕 土・ 木 土・ 灰 褐 色 砂 質土・ 灰褐色粗砂・ 黒灰色粘土
(地山直上では暗黒灰色、東半部では青白色粘土)・ 地 山 (白色粘土
)で
あ る。検 出 した主 な遺構 は、東回廊SC060。 東 回廊 扉 口SX666、 回廊 東 雨落 溝SD552、 暗渠SX670、宝蔵SB660、 宝蔵雨落溝SD661〜664、 南北塀SA500、 基壇 状高 ま り
SX535等
が あ る。東回廊
SC060
東 回廊 の基 壇 面 上 に は灰褐 色 粗 砂・ 灰 色 細 砂 が30〜40cm積 り、 特 に灰 褐色粗砂 中 に は瓦 が大量 に含 まれて いた。 回廊廃絶後、 回廊 の東南方 向か ら東側柱 の北 か ら3間
目を抜 けて基 壇 上 を北 方 へ流 れ る流 路SD667が
あ り、 こ れ に よ って大量 の砂 が もた らされ、 またそのために東 回廊北端部 で は建築 部材 の残 りが よ くなか った と考 え られ る。 砂層 の下 の基壇土 直上 に暗褐色土 が薄 く かぶ り (最大10cm)こ の面 の上 に も瓦 が敷 かれ た よ うな状態 で貼 り付 いて いた。あ る時期基壇面 の化粧 に瓦 を敷 いたので あ ろ うか。
基壇
東 回廊 につ いて は第4・ 5・
6次
調 査 で平 面・ 基壇 の構 造・ 建 物 の構 造 な どが判 明 して い る。今 回 は東調査 区 の西半 で東 回廊 の北端部5間
分 を検 出 し た。東 回廊 は発掘 区北端 で曲 って北 回廊 に繋 が る。 回廊 の基壇・ 建物 の規模・構造 は これ まで の調査 の成果 と特 に異 る点 はない。 回廊 は単 廊 で、柱 間寸法 は 桁 行・ 梁行 共
3.8m(高
麗尺で10.5尺)、 外側 (東側)の
柱 筋 の み壁・ 連 子 で 閉 じて い る。礎石 は花 向岩 製 で、 円形 の造 り出 しが あ る。東 回廊 南半部 で顕者 に見 ら れ た蓮華座 はわず か2、3個
の礎石 に認 め られ たのみで、遺存状態 は悪 い。外 側 の礎 石 に は地 覆座 を作 り出 し、礎石 間 は榛 原 石 の地 覆 石 (幅25clll、 長さ40〜 50cm)で つ な ぐ。 ただ し北 か ら
4間
分 の地 覆 分 は抜 き取 られ て い る。 な お木 製 地 覆 は北 か ら2・ 4・5間
目に残 って お り、5間
目の遺存 状況 が最 も良 い。―‑ 73 ‑一
回 廊 基 壇 は幅6.4mで、 柱 心 か らの基 壇 の 出 は
1.3m弱
で あ る。 た だ し今 回 の 調 査 区 で は西 の側 石 は一 部 で 東 側 の面 を確 認 した に留 ま り完 全 に は西 の基 壇 縁 まで は検 出 して い な い。 基 壇 縁 に は長 さ40〜70om、 高 さ30cm程度 の 花 南 岩 ま た は安 山岩 の 自然 石 を一 段 並 べ て縁 石 と して い る。 縁 石 の裏 側 の幅 25cmに 縁 石 据 え付 け の た め の裏 込 土 を入 れ て い るが 、 この 中 に は瓦 が か な り混 って お り、 縁 石 は あ る時 期 据 え変 え られ て い る可 能 性 が あ る。 な お東 側 北 端 間 と北 側 の側 石は崩 壊 して倒 れ て い る もの が 多 い。
基 壇 築 成 は、 地 山 を削 り出 した上 に30cm弱の高 さ に砂 質土 を互層 に積 み上 げ、
そ の段 階 で礎 石 据 え付 け掘 形 を掘 り、 根 石 を用 いず礎 石 を据 え た後 再 び基 壇 を 積 み上 げ て い る。
東 回 廊・ 北 回 廊 に は、 側 柱 列 及 び棟 通 りの柱 間 の ほ ぼ 中央 に柱 掘 形 が あ る こ
山田寺東調査区遺構配置図
︲5295 A500
古屋 員
9 19m
◎
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とが 従 前 の調 査 で 知 られ て い る (SX062・ 064・ 066)。 今 回 の調 査 で は こ の 掘 形 は 検 出 で きな か っ た が 、 北 端 の 間 で
2ケ
所 (棟通 りの隅Aと 北回廊の東か ら一間 目の柱 筋の棟通 りB)河ヽさ い礎 石 を検 出 した。 位 置 的 に は上 記 の 掘 形 と対 応 す る と思 わ れ る。 礎 石 はAが
榛 原 石 の切 石 、Bが安 山岩 で あ る。 前 者 は地 覆 石 と 同 じ寸 法 で あ るか ら地 覆 石 と して 用 意 した石 を転 用 した か 、 一 旦 据 え付 けた地 覆 石 を抜 き取 って転 用 した か い ず れ か の可 能 性 が あ る。 ま た入 隅 の礎 石 の西 に接 してA
と同 様 の切 石Cが礎 石 を つ な ぐよ うに置 か れ て 居 る。 これ は北 回 廊 の 東 か ら5 間 目で も検 出 さ れ て お り、 回 廊 内側 の地 覆 石 に な る もの で あ る。 これ らA・ B・
Cの
3個
の礎 石 はす 連 の もの と考 え られ る。 北 回 廊 の 内側 柱 に部 分 的 に せ よ地 覆 石 の並 ん で い る こ と、 棟 通 りに も礎 石 の あ る(A)こ
とか ら考 え る と、 少 な く と も北 回 廊 は 内 側 も壁 な どで 閉 じ られ て い て、 東 回 廊 で は床 が張 られ て い た 時 期 が あ った と も考 え られ る。 そ して東 回 廊 側 柱 列 及 び北 回 廊 の側 柱 列 と棟 通 りの柱 間 の 中央 に あ る柱 穴 も、 位 置 関 係 か らす れ ば これ(A)と
一 連 で 床 を張 るた め の根 太 受 け の礎 石 と見 る こ とが で き る。 た だ し従 来 の 調 査 の 所 見 で はS X062・0640066は
基 壇 築 成 後 で 外 側 の柱 列 の地 覆 石 を 抜 き取 る以 前 に 掘 られ た と され て い る。 地 覆 石 の あ る状 態 で そ の下 に穴 を掘 る こ と はで きな い か ら、 地 覆 石 を据 え る前 に この 穴 が 掘 られ た こ と とな り、 そ の場 合 床 張 りの 時 期 が 古 く な りす ぎて しま う。 柱 穴 と今 回検 出 の小 礎 石 と は時 期 が 異 な る の で あ ろ うか 。 扉口SX666
北 回 廊 の東 端 間 に は通 常 よ り大 き い (幅40clll、 長 さlm)地
覆 石3個
を並 べ て お り (但し1個 は後世の流路に当ってお り、抜かれている)、 そ の 内 の 東 端 の もの に は扉 の軸 摺 穴 (径9 cm、 深さ4 cm以上
)が
穿 た れ て お り、 回廊 の背 面 側 に向 っ て 出入 口 が 開 く こ と に な る。 扉 は内 開 きで あ る。 軸 摺 穴 に は鉄 板 が 置 か れ て い た が 錆 び付 い て 取 り出 す 事 はで きな か った。 西 側 の軸 摺 穴 の位 置 は当 該 地 覆 石 が抜 き取 られ て い る た め正 確 に はお さえ られ な い が 、 柱 との位 置 関 係 が 東 側 と 同 じ と仮 定 す れ ば東 西 の軸 摺 穴 間 心 心 が2.2mと な り、 東 回 廊 の北 か ら12間 目 で 確 認 され て い る扉 口 と比 較 す る と、 約20cm広い こ と に な る。 また 12間 目 の 扉 回 の地 覆 石 の地 覆 座 は礎 石 際 は礎 石 地 覆 座 と同 じ幅 と して 方 立 部 分 か ら幅 を広 げ て い るが 、 今 回 検 出 の扉 口で は地 覆 石 は礎 石 際 か ら直 ち に 幅 を 広 げ て お り、一‑ 75 ‑―
構 造 が や や異 る。 扉 口を 出 た北 側 は基壇化粧 の崩 壊 が著 しいが、 階段 が設 け ら れ て いた形跡 はな い。
雨落溝
SD552
東 回廊 の基 壇 縁 か ら50cmの 幅 を あ け て 南 北 溝SD552が
あ る。 幅 1 m、 深 さ25cmの素 掘 で、 ほぼ東 回廊 全 長 に沿 って設 け られて い る。但 し北 端 から
2間
日で浅 くな って東肩 が不 明瞭 にな り、東北 方 向へ の流路 とな って溢 水 して い る。因みに従前 の調査 の所見通 り北回廊 には北雨落溝 はない (第3次調査、概報1の。 溝 の埋 土 は2層
に分 かれ、下 層 は青灰色粗砂、上 層 は黒灰 色 粘 質土 であ る。暗渠
SX760
東 回廊 の北 か ら2間
目に榛 原 石 の板 石 に瓦 を混 じえ て組 んだ暗渠 が あ る。 この暗渠 は北 回廊 の南雨落溝 の延長部 にあた り、 東方 へ の排 水 の施 設 と 考 え られ る。 基 壇 築 成 後 、 幅0,7〜lmの
掘 方 を掘 り、 底 に幅30cm、 長 さ50cm前 後 、厚 さ6 cm程度 の板 石 を敷 き、 そ の上 に高 さ約20cm、 長 さ40cm、 厚 さ6 cmの 側 石 を立 て、 底 石 と ほぼ 同寸 法 なが らやや不整形 の蓋石 をのせ て、石 の隙間等 に瓦片 を置 いて暗渠 を構 成 して い る。 暗渠 の内径 は幅18cm、 深 さ20omと な る。西 端 の蓋 石 だ け は巨大 な軒 平 瓦 を用 いてお り、 その西端 部 の瓦 当が東回廊 の西 側 石裏 側 に接 して いた。 回廊造 営 当初 に作 られた もの と思 われ る。
今 回 の調 査 区 で は倒 壊 した回廊 の部材 は ご く少 く、基 壇上 に地覆 が
3本
、東 雨 落 溝 に大斗・ 肘 木・ 垂 木 各1個
が あ った に過 ぎな い。宝蔵
SB660
東 回廊 の東 に約6mの
間 を置 いて方三 間 に礎 石 が並 ぶ。 後述 の よ う に これ は宝蔵 の礎石 と考 え られ る。柱 間 は東西 1.7m(5.5尺)、 南 北2m(6.5尺
)の等 間で、 しか も総 柱 で あ る。従 って南北棟 の高末 の蔵 と見 られ る。礎 石 は 自 然 石 で多 くは上 端 を平 坦 に して使 って い る。 この 内
4個
の礎 石 上面 には柱 の あ た りが あ り、柱径 は30cmと 知 られ る。 四周 に雨落溝 が め ぐって基壇状 を呈 す る が、 実 際 に は周 囲 の地盤 面 と基壇面 の高 さの差 はほ とん どな く、礎 石上面 で約 25cm高 い にす ぎな い。礎 石 の据 え付 け方 は、 白色粘上 の地 山面 上 に乳 白色 粘 質 土 を積 みなが ら礎石 を据 え付 け掘形 を掘 らず に据 え る。 この際、乳 白色 粘質土 は礎石 の回 りのみ円形 の 丘状 に積 んで盛 り上 げ る。 さ らにそ の上 に暗青灰 色砂 質 土 を積 ん で基壇 を形 成 す るので あ る。 ただ基壇 を断 ち割 った状況 か ら見 ると、乳 白色 粘質土 を積 む前 に地 山面 を掘 りこんで深 さ20cm以 上 の穴 が掘 られてお り、
そ の 中 に は 瓦 も混 じ って い る。 こ の 穴 は古 い 礎 石 据 付 け 穴 で 、 あ る 時 期 に 礎 石 を 地 上 げ して い る可 能 性 が あ る。 暗 青 灰 色 砂 質 上 に 含 ま れ る 土 器 か ら そ の 時 期 は
9世
紀 末 か ら10世 紀 初 頭 と考 え られ る 。 蔵 の 地 上 げ は 唐 招 提 寺 で も知 られ る。雨落溝SD661〜
664
礎 石 心 か ら約80cmあ け て 四 周 に 雨 落 溝 が め ぐ る。 幅 は1〜
1.5m、 深 さ20cmで、 護 岸 施 設 は な い 。 柱 心 か ら溝 心 ま で 、 桁 行・ 梁 行 共 約
15mで
ぁ る。 西 北 隅 で は北 に 向 っ て 溝 が 流 れ 出 し、 東 回 廊 東 雨 落 溝 か ら東 北 方 向 へ 流 れ る流 路 と合 流 して い る。 こ の 雨 落 溝 は 埋 上 が 上 下 三 層 に 分 か れ 、 上 層 は 黒 灰 色 粘 質 土 、 下 層 は 黒 灰 色 砂 質 上 で 、 上 層 は 溝 の 周 辺 ま で 広 く広 が って い る。 上 層 の 埋 土 中 に は 大 量 の 木 簡 ・ 木 製 品・ 建 築 部 材 、 少 数 の 金 属 製 品 が 含 ま れ て お り、 基 壇 面 に も若 干 の 木 簡・ 木 製 品 。金 属 製 品 が 落 ち て い た 。 建 物 廃 絶 時 に建 物 や そ の 内 蔵 物 が 周 辺 に 散 乱 し て 埋 も れ た と 見 られ る。 これ らの 遺 物 に は経 軸・ 仏 具 。経 峡 の 題 蚤 が あ り、 そ れ ら が こ の 建 物 の 収 納 物 と考 え られ る と こ ろ か ら、 こ の 建 物 は経 典・ 仏 具 な ど を 収 納 す る宝 蔵 と考 え られ る。東限の築地 。塀
SA500
回 廊 基 壇 か ら約14mぁ
け て 南 北 に基 壇 状 の 高 ま りが 続 く。これ は第
4次
の調 査 区 で も検 出 され て お り、 基 底 部 幅 は約5m、
上 部 で 約2m
あ り、 上 面 に築 地 基 底 部 と思 わ れ る
lm間
隔 で 並 ぶ 瓦 列 が あ る。 この基 壇 の西 側 に は瓦 敷 きの整 地 面 が あ り、 西 へ 向 って や や 傾 斜 しなが ら回廊近 くまで 至 る。発 掘 区 北 半 部 で は特 に瓦 敷 きが 顕 著 で あ る。
この基 壇 状 の高 ま りは平 安 時 代 後 期 に築 か れ て い るが、 そ れ まで に も何 度 か に亙 って 整 地 され徐 々 に高 くな って い った もの ら し く、 部 分 的 に石 や 瓦 の並 ぶ 層 が あ る。
この整 地 を取 る と掘 立 柱 の南 北 塀SA500が検 出 され る。 これ も第
4次
調 査 で 検 出 され た もの の北 の延 長 に あ た り、 今 回 は一 間 分 の み を検 出 して い る。 柱 間 寸 法 は4次
調 査 検 出分 も含 め て 約2.3mと み な す こ とが で き、 柱 掘 形 は 一 辺1.2m程
度 で あ る。 湧 水 が著 し く明 確 に は解 らな い もの の、後 述 の西 限 の塀 と同様 、2個
分 の柱 を一 体 に した抜 取 り穴 が あ り、 改 修 され て い る可 能 性 が あ る。―‑ 77 ‑―