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ト ス カ ナ 辺 境 女 伯 マ テ ィ ル デ

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(1)

ト ス カ ナ 辺 境 女 伯 マ テ ィ ル デ

│ ド イツ 王 権︵ 皇帝 権

︶と ロ ー マ 法王 権 の 間│

井 上 雅 夫

八 一一

〇四 年十 二月 に父 のハ イン リヒ 四世 から 突然 離反 した 息子 のハ イン リ ヒ 五 世は

︑ま も な く法 王 パ スカ リ ス に 使 者を 送 り

︑法 王 座へ の 服 従を 約 束 し︑ 破門 か ら の 赦免 を 求 めた

︒こ れ に 対し 法 王 は 彼に 赦 免 を与 え た の であ

︒ そ の後 一一

〇六 年八 月に 父が 亡く なっ て単 独の 王と なっ たハ イン リヒ 五世 は︑ 同年 十月 にポ ー川 近く のグ アス タッ ラ で 教会 会議 を開 いた パス カリ スに 対し 再び 使者 を送 り︑ 法王 座と の最 終的 な 和 解 に向 け て の交 渉 を 行っ

︒ド ニ ゾ ー によ ると

︑こ れに 対し 法王 は歓 迎し

︑こ の交 渉に 同席 して いた マテ ィル デも

︑王 の使 者の

﹁敬 虔な る懇 請の 言葉 を 称 讃﹂ した とい う

︒ この 交渉 の正 確な 内容 は明 らか では ない が︑ 懸案 の叙 任権 等 を 含 む教 会 へ の王 の 権 利に つ い て 協 議さ れた と見 られ てい る

︒ しか しこ の交 渉は うま くい かな かっ た

︒ 右の 叙任 権の 問題 はな お未 解決 のま まで あっ たが

︑一 一一

〇年 にハ イン リヒ 五世 は皇 帝冠 を手 に入 れる ため に︑ ま ず 使者 をロ ーマ に派 遣し た︒ これ に対 し法 王側 は皇 帝位 への 戴冠 に同 意 を 与 えた

︑ド ニ ゾー は

︑マ テ ィル デ が こ

― 541 ―

(2)

の 王の 使者 が﹁ 行き 帰り する あい だ︑ 彼ら を歓 迎し

︑厚 くも てな した

﹂と 語っ てい る

︒ こ うし て ハ イン リ ヒ 五世 は

︑ド イ ツ の状 況 が 安定 し た あ と︑ 同年 十 一 月に 皇 帝 戴冠 の た め にイ タ リ ア に や っ て き た

︒既 に右 の使 者を 通し てマ ティ ルデ に接 近し てい たハ イン リヒ は︑ 彼女 と父 の 時 か らの こ れ まで の 敵 対関 係 の 終 了 のた めの 交渉 をし

︒交 渉 は王 の 側 か ら使 者 を 送っ て 始 まっ た が

︑ド ニ ゾー は

︑マ テ ィル デ は 王と の

﹁和 平 に 努 め

﹂︑ 王 も﹁ それ を 望 んだ

﹂の で

︑和 平 が 締結 さ れ︑

﹁ ペテ ロ に 抗う こ と の ない む ね 互 い に 約 束 し た﹂ と 語 っ て い る

︒ド ニゾ ーは

︑こ の和 平の 内容 をこ れ以 上語 って いな いが

︑マ ティ ルデ は王 の ロ ー マ行 に 際 し中 立 を 守る こ と を 約 束し たと 一般 に推 測さ れて いる

︒彼 女が

︑王 と法 王と の交 渉に おい て中 立 を 守 るこ と は︑ 王 にと っ て は利 益 で あ っ た

︒ 今や 王に とっ て︑ ロー マ行 への 安全 な道 が開 かれ たの であ る

︒ ハイ ンリ ヒは

︑ロ ーマ で叙 任権 につ いて の法 王と の交 渉が 失敗 する と︑ 法王 を捕 えて 皇帝 戴冠 を強 要す ると いう 異 例 の展 開で ロー マ行 の目 的を 一応 は達 成し たあ と

︑ ロー マか らド イツ への 帰 途 に︑ 一 一一 一 年 五月 に 初 めて マ テ ィ ル デと 直接 に会 談す るこ と に なっ

︒マ テ ィ ルデ は

︑ロ ー マで の 右 の法 王 へ の 異例 の 事 情に も 拘 らず

︑ド ニ ゾ ー に よる と︑ 王を ビア ンネ ロ城 に華 やか に出 迎え

︑王 は彼 女の 客と して

︑こ こ に 三 日間 留 ま るこ と に なっ

︒両 者 の 会 談は

︑双 方に 非常 に心 のこ もっ たも ので

︑彼 女は 王を 迎え た時

︑回 復さ れた 平 和 と 長い シ ス マの 終 了 を賞 揚 す る 気 持の 中に あっ たと も見 られ てい る!

︒ これ が彼 女の 本心 なら

︑上 記の ハイ ンリ ヒ の ロ ーマ で の 強引 な 行 動を 考 え る と

︑彼 女の 法王 への 立場 とい うも のも

︑一 般に 言わ れて いる ほど には

"

︑ま たド ニ ゾ ー の記 述 か ら感 じ ら れる ほ ど に は#

︑終 始一 貫し て法 王に 忠実 なも ので はな かっ たと 言え よう

︒ギ ーゼ ブレ ヒ ト は︑ マ ティ ル デ の法 王 庁 への 恭 順 さ は 変わ らな かっ たが

︑彼 女は 年老 いて 戦う 気持 は崩 れて おり

︑ハ イン リヒ 四世 に対 して 行っ た戦 いを 息子 のハ イン リ ヒ 五世 と再 開す る気 はな かっ たと 述べ てい る$

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 542 ―

(3)

いづ れに せよ ドニ ゾー は︑ 王と マテ ィル デの

﹁二 人は とも にド イツ 語で 会話 した ので

︑通 訳は 彼ら には まっ たく 不 要 だっ た﹂ と伝 え!

︑ こ の時 に 王 は マテ ィ ル デに 対 し︑

﹁ 曇り な い 言葉 で

︑彼 女 を 母の 名 で 呼ん だ

﹂と 語 っ てい

"

︒ 同 時に ドニ ゾー は︑ 王が

﹁リ グリ ア国 の 統治 を

︑国 王 の代 理 人 とし て 彼 女 に委 ね た﹂ と 述べ

︑﹁ 盟 約 を固 め た

﹂と 伝 え てい る︒ 彼ら はこ うし て盟 約︵ 協定

︑条 約︶ を結 び︑ 正式 に和 解し たの であ る#

︒ E・ ゲー ツは

︑こ の﹁ リグ リア 国﹂ は一 般的 にミ ラノ 大司 教区 やピ エモ ンテ

︑ロ ンバ ルデ ィア やリ グリ アの 諸司 教 区 等を 含む 地域 を指 すも のと し︑ ここ はし かし トス カナ 家が 過去 に一 度も 特別 な力 をも って いな かっ た所 とし

︑こ れ は 単に 名誉 的な もの で︑ 権力 や権 限の 増加 のな い地 位の 昇格 に留 まっ たと 見 て い る$

︒ いず れ に せよ ド ニ ゾー の み が こ の 盟 約に 言 及 して い る が︑ そ の内 容 に つい て は 語っ て い な いた め

︑そ の 内容 を め ぐっ て さ ま ざま に 議 論 さ れ て き た%

︒し か し その 内 容 は一 般 に︑ 王 は 父王 の な した 一

〇 八一 年 の マ ティ ル デ への 帝 国 追 放 令 と 財 産 没 収 を 撤 回 し&

︑ 彼 女は 以前 の諸 権利 を取 り戻 し︑ 王が 再び 彼女 の主 君と なり

'

︑こ れに 対し マ テ ィ ルデ は

︑王 を 自ら の 相 続人 に し た も のと 推測 され てい る(

︒ 上述 の王 のマ ティ ルデ への

﹁母

﹂と いう 呼び かけ も︑ 王が 養子 であ るか のよ うに

︑彼 女の 自由 所有 地の 相続 をす る こ とを 示し てい ると も解 釈さ れて いる

)

︒オ ーバ ーマ ンは

︑こ の盟 約は 純然 と 私 的 なも の で︑ 公 的な 立 場 での 王 や 国 に 対し てで はな く︑ 親戚 のハ イン リヒ 個人 に彼 女は 自分 の自 由所 有地 を譲 渡し たと し︑ 彼女 が王 を相 続人 にす る気 に な った のは

︑王 が親 戚で あっ たか らと いう 考え も影 響し た可 能性 を見 てい るの であ る︒ オー バー マン は︑ ハイ ンリ ヒ は マテ ィル デが 亡く なっ た後

︑し ばし ば相 続法 的な 要求 を引 き合 いに 出し たが

︑当 時の 史料 はす べて 王と 彼女 の親 戚 関 係を 強調 し︑ 王の 権利 要求 をこ れに のみ 基づ かせ てい たと 述べ てい る*

︒ ギー ゼブ レヒ トも

︑ハ イン リヒ はマ ティ ルデ を親 戚関 係か ら彼 に近 い 諸 侯 とし て 扱 った と 述 べて い る+

︒E

・ゲ ー

― 543 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(4)

ツ は︑ 王が 彼女 との 親戚 関係 に目 立つ よう に言 及し たこ とは

︑独 自な もの を語 って いる とし

︑近 い親 戚と して 王は 遺 産 を要 求し うる ため に遺 言書 や契 約書 を必 要と しな かっ たと さえ 見て い る の であ

!

︒グ ロ スも

︑ハ イ ン リヒ 自 身 が 一 一一 五年 十二 月の ポリ ロー ネ修 道院 への マテ ィル デの 寄進 行為 の確 認文 書で

︑こ の親 戚関 係に はっ きり と言 及し て い ると 述べ てい る"

︒ シェ ーニ ング も︑ 熱心 なグ レゴ リウ ス派

︵ 改革 派︶ であ っ た ド ニゾ ー も︑ ハ イン リ ヒ 四世 や ハ イ ン リヒ 五世 とい った 彼に とっ ての 敵に 対し ても

︑マ ティ ルデ との 親戚 関係 のゆ えに 我々 を驚 かす よう な讃 美の 形容 詞 を つけ るこ とが あり

︑ハ イン リヒ 五世 はマ ティ ルデ と和 を結 んだ 時︑ ハイ ンリ ヒは ドニ ゾー によ って 非常 にほ めら れ る こと にな った と述 べて いる

#

︒ ハイ ンリ ヒ五 世に 対し て見 られ たマ ティ ルデ のこ の親 戚的 な感 情は

︑既 述の よう にハ イン リヒ 四世 やコ ンラ ート に 対 して も見 られ たも ので

︑彼 女の 立場 を考 える 時︑ 見逃 せな い重 要な も の で ある

$

︒一 般 に 反ド イ ツ 的︑ 反ハ イ ン リ ヒ 四世 的な ドニ ゾー でさ えも

%

︑マ ティ ルデ をハ イン リヒ 四 世 の いと こ

︑親 戚︵

consobrina

︶と 表 現 して い た&

︒こ の ド ニゾ ーの 立場 はさ てお き︑ 注目 すべ きこ とは マテ ィル デ自 身は

︑必 ずし もハ イン リヒ 四世 に対 して もい つも 反感 や 敵 意を もっ てい たと は言 えな いこ とな ので ある

︒E

・ゲ ーツ は︑ ハイ ンリ ヒ四 世が 亡く なっ たこ とを ドニ ゾー は喜 ん だ が︑ マテ ィル デが 同じ 気持 であ った のか は疑 問と して いる ので ある

'

シ ュ ト ル ーヴ ェ も︑ 彼 女の 上 述 のハ イ ン リ ヒ 五世 への 態度 が︑ 彼女 がハ イン リヒ 四世 を含 めた サリ ー家 に対 して 根本 的に 敵意 をも って いな かっ たこ とを 証明 し て いる と見 てい るの であ る(

︒ こう して 今 や 彼 女に と っ ては

︑少 し の 平和 な 時 が 訪れ た の であ る

︒ハ イ ンリ ヒ 五 世 は彼 女 に その 機 会 を 与え

)

︒ E

・ゲ ーツ は︑ 王は 同時 に彼 女の 臣下 の承 認を 手に 入れ たが

︑こ の臣 下か らの 支援 は︑ 王が いつ かカ ノッ サ家 の所 領 を 相続 しよ うと する 時に は欠 くべ から ざる もの だっ たと 見て いる

*

こ の 王 の 計算 は

︑後 述 のよ う に︑ 予 想通 り に な

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 544 ―

(5)

っ たの であ る!

︒ 王は 一一 一五 年五 月に マテ ィル デに とっ て重 要な ポリ ロー ネ修 道 院 に 保護 と 確 認の 文 書 を出 し て い た が︑ これ は彼 女が 亡く なる 前の

︑彼 女と の協 力の 最後 のは っき りし た証 拠 で あ ると 見 ら れる よ う に"

︑ 両者 の 関 係 は 最後 まで 友好 的な もの で︑ シメ オー ニも

︑最 も厚 い誠 意に 満ち たも ので あっ たと 評価 して いる

#

︒ ドニ ゾー が︑ ハイ ンリ ヒ五 世が カノ ッサ 城の 栄光 を続 けて くれ るで あろ うと いう 希望 の中 で︑ この 王へ の讃 美を も っ て彼 の作 品を 終え てい る所 も︑ 王と マテ ィル デの 友好 的な 関係 をよ く 反 映 して い る ので あ る$

︒ ド ニゾ ー は

︑王 が カ ノ ッ サ城 を

﹁尊 び

︑栄 誉 を 施 し

﹂︑ カ ノ ッ サ 城 は

﹁至 上 の 誉 れ を 手 に す る だ ろ う﹂ と 語 っ て い る%

︒ ド ニ ゾ ー は

︑ 一 面で はマ ティ ルデ が亡 くな ると とも に全 てが 終わ った かの よう な悲 観的 な 見 方 もし て い たの で あ るが

&

︑右 の よ う に ハイ ンリ ヒ王 自身 がカ ノッ サ城 に栄 光を 与え てく れる であ ろう と︑ 彼の 作品 を全 く暗 い未 来へ の眺 望で 終わ らせ な か った ので ある

'

こ れ は や はり お そ らく マ テ ィル デ 自 身 の気 持 を ドニ ゾ ー が反 映 し て いる と 見 るべ き も の であ り

︑ こ こに もマ ティ ルデ の本 心が 窺え るの であ る︒ E・ ゲー ツは

︑ド ニゾ ーは その 最後 の詩 句で

︑ハ イン リヒ 五世 がイ ギリ ス王 女の マテ ィル デと いう 当の マテ ィル デ と 同名 の女 性と 結婚 した こと を特 に好 都合 な徴 と感 じ︑ 王と この 同名 のマ ティ ルデ とい う王 妃が

︑最 後に この 国に 望 ま れて いた 平和 をも たら すと 見て いた と論 じて いる

(

︒実 際ド ニゾ ーは

︑王 の カ ノ ッサ 城 へ の到 着 を 歓迎 し

︑王 妃 の 名 がマ ティ ルデ と同 一で ある こと を幸 運の 前兆 とし て讃 え︑ カノ ッサ 城に 対し て︑ この ハイ ンリ ヒと いう 新し い城 主 の こと を喜 び︑ この 城が

﹁常 に彼

︵ ハイ ンリ ヒ王

︶の もの であ れ﹂ と呼 びか けた ので ある

)

︒ ドニ ゾー のこ の王 への 好意

︑期 待が 彼だ けの 特別 なも ので はな かっ たこ と は*

︑マ テ ィル デ が 一一 一 五 年七 月 に 亡 く なる と︑ 翌年 の一 一一 六年 に彼 女の 相続 財産 を手 に入 れる ため に︑ 王が イタ リア へや って きた 時︑ 彼女 の臣 下か ら も 積極 的に 出迎 えら れた こと から も分 かる ので ある

+

︒W

・ゲ ーツ は︑ この 事実 は こ れ まで 気 づ かれ な い まま だ っ た

― 545 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(6)

と 指摘 し︑ 彼女 の臣 下が 明ら かに 今や 好ん で王 に臣 従し たこ とは 重要 な事 実 と 主 張し て い るの で あ る!

︒ 王は こ う し て 彼女 の相 続財 産を 手に 入れ たが

︑こ のこ とは 誰か らも 攻撃 され ず︑ 法王 から も異 議が 出さ れず

︑王 はマ ティ ルデ の 後 継者

︑相 続者 とし て︑ 内外 とも に認 めら れた ので ある

"

︒ 注

⑴ こ の 反 乱 の 原 因 に つ い て は は っ き り し て い な い が

︑ ハ イ ン リ ヒ 五 世 は

︑ 公 的 に は 父 王 が 破 門 さ れ て い る こ と を 理 由 に 挙 げ

︑ 父 の 破 門 を 反 乱 の 口 実 と し て い る が

︑ 反 乱 の 背 景 に は 父 へ の 諸 侯 の 不 満 が 高 ま っ て い た こ と や

︑ ハ イ ン リ ヒ 五 世 が こ の 諸 侯 ら と の 連 携 に 自 ら の 王 位 の 継 承 を 確 実 に し た い 思 惑 が あ っ た と 見 ら れ て い る

E.Boshof,S.263.J.Laudage,Salier.S.94.

S.Weinfurter,HerrschaftundReichderSalier.(1991)S.139,144.

A.Haverkamp,AufbruchundGestaltung.Deutschland1056-1273.(1984)S.117.

W.v.Giesebrecht,S.616-619.M.v.K.V.S.203,205.

E.Boshof,S.264.W.v.Giesebrecht.S.619-620.M.v.K.V.S.215,218.

E.Boshof,S.270.W.v.Giesebrecht,IV.S.5,10.

M.v.K.VI.S.29-30.DO.

一 八 八

〜 一 八 九 ペ ー ジ

DO.

一 八 八

〜 一 八 九 ペ ー ジ

︒M.v.K.VI.S.26.

M.v.K.VI.S.29.E.Boshof,S.273.A.Haverkamp,S.119.

E.Boshof,S.273.A.Haverkamp,S.120.

W.Giesebrecht,IV.S.23-24.DO.

一 九

〜 一 九 一 ペ ー ジ

DO.

一 九

〜 一 九 一 ペ ー ジ

︒W.v.Giesebrecht,IV.S.24.

M.v.K.VI.S.133.B.Pfer.S.172.E.G.S.176.

B.Pfer.S.172.M.v.K.VI.S.132.

⑾ E

・ ゲ ー ツ は

︑ マ テ ィ ル デ は 王 の 到 着 に む し ろ 不 安 を も っ て い た た め

︑ 王 が 使 者 を 送 っ て 和 解 の 気 持 を 強 調 し

︑ 彼 女 の 不 安

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 546 ―

(7)

を 取 り 除 い た と 見 て い る

︒ グ ロ ス は

︑ マ テ ィ ル デ の 周 辺 の 証 言 か ら は 王 が ま ず 和 を 求 め た と 見 ら れ る が

︑ エ ッ ケ ハ ル ト が マ テ ィ ル デ が 使 者 を 送 っ た と 述 べ て い る こ と か ら

︑ 平 和 へ の 意 志 は 王 と 彼 女 の 双 方 に あ っ た と 見 て い る

︒ グ ロ ス は ま た

︑ マ テ ィ ル デ は 年 の せ い も あ り

︑ 戦 い の 継 続 を 望 ん で い な か っ た と も 推 測 し て い る

E.G.S.176-177.T.Groß,S.26.M.v.K.VI.S.132.

Ekkehardichronica.S.300-301.

⑿ グ リ マ ル デ ィ は

︑ こ の 約 束 を マ テ ィ ル デ が ロ ー マ 教 会 と の 同 盟 に 礼 を 失 し な い 条 件 で 求 め た と 見 て い る

DO.

一 九 二

〜 一 九 三 ペ ー ジ

︒N.Grimaldi,p.327.

⒀ ボ ス ホ ー フ は 一 種 の 中 立 協 定 が 結 ば れ た と 見

︑ E

・ ゲ ー ツ は 少 な く と も 彼 女 の 領 内 で の 安 全 通 行 が 約 束 さ れ た と 見 て い る

︒ シ ュ ル ツ ェ は 王 に

﹁ 好 意 的 な 中 立

﹂ と 見 る が

︑ グ リ マ ル デ ィ は 前 注

⑿ の 条 件 を 考 え て い る

︒ な お エ ッ ケ ハ ル ト は

︑ 彼 女 は 王 に

﹁ 服 従

﹂ の 意 志 を 表 明 し た と 語 っ て い る

E.G.S.177.A.O.S.184.M.v.K.VI.S.132-133,334.

E.Boshof,S.276.H.K.Schulze,HegemonialesKaisertum.OttonenundSalier.(1991)S.461.N.Grimaldi,p.327.

A.Haverkamp,S.121.Ekkehardichronica.S.300-301.

⒁ E

・ ゲ ー ツ は

︑ マ テ ィ ル デ が 中 立 を 約 束 し た こ と に は

︑ 王 と 法 王 が 叙 任 権 問 題 を 解 決 す る で あ ろ う と い う 希 望 が 当 時 一 般 に あ っ た か ら と 推 測 し て い る

E.G.S.177.M.v.K.VI.S.133,334.

⒂ こ の 約 束 が な け れ ば マ テ ィ ル デ は

︑ 彼 女 の も つ 諸 城 の 位 置 に よ っ て 王 の ロ ー マ 行 を 危 険 に さ ら し う る も の で あ っ た

A.Waas,HeinrichV.(1967)S.47.T.Groß.S.26.

E.G.S.178.E.Boshof,S.278-279.S.Weinfurter,Herrschaft.S.148.J.Laudage,Salier.S.103.H.K.Schulze,S.463-464.

H.Keller,ZwischenregionalerBegrenzungunduniversalemHorizont.1024-1250.(PropyläenGeschichteDeutschlands.Bd.II.1986)

S.192-193.

A.O.S.184.B.Pfer.S.172.

M.v.K.VI.S.179.V.F.S.78.

― 547 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(8)

⒅ E

・ ゲ ー ツ は

︑ こ の 間 マ テ ィ ル デ は 驚 く べ き こ と に

︑ 法 王 の 解 放 の た め に 何 も し な か っ た

︑ 先 の 中 立 の 協 定 に 手 足 を 縛 ら れ て い た と も 見

︑ ま た こ の 異 例 の 事 情 は こ の 時 点 で は 彼 女 に は 重 要 性 が な か っ た ら し い と も 見 て い る

︒ チ ー リ ン ス キ は

︑ 彼 女 は 法 王 に 対 し む し ろ 冷 た い 関 係 で あ っ た と し

︑ ハ ー フ ァ ー カ ン プ は

︑ 法 王 は 彼 女 に よ っ て 見 捨 て ら れ た と 表 現 し て い る

E.G.S.178.E.G.Ca.S.127.E.G.HV.S.228.

H.Zielinski,(NDB.Bd.16.1990)S.379.A.Haverkamp,S.122.

DO.

一 九 六

〜 一 九 七 ペ ー ジ

︒E.G.S.178.A.O.S.44.

⒇ ド ニ ゾ ー は

︑ 王 が マ テ ィ ル デ を 他 に 比 類 の な い 女 性 と 語 っ た と 伝 え て い る が

︑ E

・ ゲ ー ツ は こ う し て 王 は お 世 辞 で も っ て 彼 女 の 好 意 を 急 速 に 獲 得 し た と 見 て い る

︒ ク ノ ー ナ ウ も

︑ 最 も 丁 寧 な 挨 拶 の 交 換 は 親 密 さ さ え 見 せ は じ め た と 述 べ て い る

DO.

一 九 六

〜 一 九 七 ペ ー ジ

︒E.G.S.179.

M.v.K.VI.S.334.A.Waas,S.64.

!L.Simeoni,p.369.

"

例 え ば

︑ シ ュ ト ル ー ヴ ェ は マ テ ィ ル デ の 法 王 庁 へ の 揺 る ぎ な い 忠 実 さ と か 支 持 へ の 決 然 た る 意 志 と 述 べ

︑ E

・ ゲ ー ツ は 法 王 へ の 無 条 件 の 党 派 性 と か

︑ こ の ハ イ ン リ ヒ 五 世 を 自 ら の 相 続 人 に し た こ と も

︑ 彼 女 が 法 王 庁 か ら 決 定 的 に 離 れ る こ と が 前 提 と は な っ て い な い と し

︑ 彼 女 は 最 後 ま で

﹁ ペ テ ロ の 特 別 な 娘

﹂ で あ っ た と 主 張 し て い る

T.Struve,S.82.E.G.Ca.S.127.

#DO.

一 二 六

〜 一 二 七

︑ 一 七 六

〜 一 七 七 ペ ー ジ

$W.Giesebrecht,IV.S.28.

% E

・ ゲ ー ツ は

︑ こ こ で ド ニ ゾ ー は マ テ ィ ル デ の 語 学 の 才 能 を 強 調 し て い る と 見 て い る

DO.

一 九 六

〜 一 九 七 ペ ー ジ

︒E.G.S.179.

M.v.K.VI.S.176.P.G.S.293.

&

ゴ リ ネ ッ リ は

︑ こ の

﹁ 母

﹂ と い う 表 現 は

︑ マ テ ィ ル デ が 親 戚 で あ る こ と を 高 く 評 価 し た も の と 見 て い る が

︑ E

・ ゲ ー ツ は

︑ こ の 栄 誉 の 称 号 は ど ん な に 魅 惑 的 で あ っ て も

︑ そ の 内 容 は 非 常 に 曖 昧 で あ る と 述 べ て い る

︒ し か し E

・ ゲ ー ツ も

︑ こ の 表 現 は 後 述 の 相 続 人 の 立 場 と 関 連 す る と 推 測 し て い る

DO.

一 九 六

〜 一 九 七 ペ ー ジ

︒P.G.S.296.

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 548 ―

(9)

E.G.S.179-180.M.v.K.VI.S.179.

! 日 本 語 訳 で は

﹁ 盟 約 を 固 め た

﹂ と 訳 さ れ て い る が

︑ こ れ は

﹁ 固 い 盟 約 を 結 ん だ

﹂ と 訳 す 方 が よ い で あ ろ う

︒ こ の ラ テ ン 語 原 文 のfoedus

は 盟 約 の 他 に 協 定

︑ 協 約

︑ 同 盟 と も 訳 し う る

DO.

一 九 六

〜 一 九 九 ペ ー ジ

︒V.F.S.78.A.Waas,S.64.

A.O.S.184.M.v.K.VI.S.179.N.Grimaldi,p.329.

T.Groß,S.27.L.Tondelli,p.133-134.

"

・ ゲ ー ツ は

︑ こ の

﹁ 代 理 人

﹂ を

﹁ 副 王

﹂ と 訳 し

︑ マ テ ィ ル デ は こ れ を 使 っ て い な い し

︑ こ れ を 受 け 取 っ て も い な い と し

︑ 王 は 彼 女 に イ タ リ ア で の は っ き り し た 機 能 を 与 え な い ま ま に マ テ ィ ル デ を た だ 儀 礼 的 に 再 び 帝 国 諸 侯 の 一 人 と し て 認 め た だ け で

︑﹁ 副 王

﹂ と い う の は ド ニ ゾ ー の 希 望 的 な 思 い に 発 す る も の で あ る と 推 測 し て い る

︒ E

・ ゲ ー ツ は 彼 女 自 身 の 最 も 最 近 の 研 究 で も

︑ こ れ を 実 際 の 権 力 を 伴 わ な い 北 伊 へ の 代 官 職 と 見 て い る

︒ な お ゴ リ ネ ッ リ は

︑ こ の

﹁ リ グ リ ア 国

﹂ を ロ ン バ ル デ ィ ア ま た は イ タ リ ア 王 国 と 同 義 で は な く

︑ そ の 一 部 を 指 す も の と 見 て い る

E.G.S.179-180.E.G.HV.S.228.P.G.S.294.

m.mathildischenErbschaft(EdeuropaanderWendevom11.zurgesnachlinelli,DieLageItalienradeP.mInvestiturstreit;DieFGo #S.180.G.E.

12.Jahrhundert.hg.v.K.Herbers.2001)S.60.

$E.G.S.180.A.O.S.44,184.M.v.K.VI.S.179.

B.Pfer.S.172.V.F.S.78.P.G.S.296.

W.G.Ma.S.194-195.

% プ フ ェ ル シ ー

マ レ ツ ェ ッ ク は

︑ 既 述 の

﹁ 代 理 人

﹂ と も 関 連 し て

︑ マ テ ィ ル デ は 彼 女 の 所 領 で 王 の 代 理 と し て 行 動 す る 全 権 を 与 え ら れ た と 解 釈 し て い る

B.Pfer.S.172.

&

ト ン デ リ は

︑ 彼 女 が こ の 相 続 権 を 譲 っ た こ と を 疑 し い も の と し

︑ ア ル ト ホ フ は

︑ 彼 女 は こ の 相 続 財 産 を 以 前 に ロ ー マ 教 会 に 与 え て い た の に

︑ こ れ は

﹁ 全 く 驚 く べ き こ と

﹂ と 評 し て い る

︒ E

・ ゲ ー ツ は

︑ こ の 盟 約 に は 王 の 法 王 庁 へ の 政 策 に 関 し て

︑ 王 を 支 援 す る た め の 休 戦 協 定 が 含 ま れ て い る 可 能 性 が あ る と し

︑ マ テ ィ ル デ は 長 い 間 の 闘 争 に 疲 れ て い た と も 見 て い る

― 549 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(10)

E.G.S.180.B.Pfer.S.172.V.F.S.78.

P.G.p.296.T.Groß,S.29.A.O.S.43-44,184.

M.v.K.VI.S.179.J.Laudage,Salier.S.103.

L.Tondelli,p.136.G.Althoff,HeinrichV.(DiedeutschenHerrscherdesMittelalters.op.cit.)S.195.

"

前 注

︑! で ア ル ト ホ フ も ふ れ て い る こ の 自 由 所 有 地 の 相 続 の 問 題 は 後 の 第 九 章 で あ ら た め て 扱 う が

︑ E

・ ゲ ー ツ は

︑ 王 が マ テ ィ ル デ を

﹁ 母

﹂ と 呼 ん だ こ と が

︑ 彼 女 が 自 分 の 自 由 所 有 地 を 新 た に 処 置 し た こ と を 示 し て い る と 見 て い る の に 対 し

︑ W

・ ゲ ー ツ は

︑ 王 は 彼 女 に

﹁ 第 二 の 母

﹂ と 語 り か け て

︑ 彼 女 の 家 領 の 世 襲 権 を 自 ら に 与 え る よ う に 籠 絡 し た と

︑ ハ イ ン リ ヒ 五 世 の

﹁ 冷 酷 な 政 治 家 の 狡 猾 さ

﹂ を 強 調 し て い る

E.G.S.180.W.G.S.200.A.Haverkamp,S.122.

P.G.S.295.N.Grimaldi,p.330.S.Weinfurter,Herrschaft.S.153.

# も っ と も ト ン デ リ は

︑ ハ イ ン リ ヒ は 単 に 親 戚 だ っ た か ら 相 続 人 に な っ た の で は な く

︑ ビ ア ン ネ ロ で の 会 談 で な さ れ た 彼 女 へ の 譲 歩 に よ っ て で あ っ た と 見 て い る

A.O.S.45.G.Nencioni,p.219.G.Tabacco,p.88.L.Tondelli,p.134.

A.Haverkamp,MathildischeGüter.(HandwörterbuchzurdeutschenRechtsgeschichte.hg.v.A.Erler.1984.III.)Sp.383-384.

$W.Giesebrecht,IV.S.31.

%E.G.S.180.

&

王 は

︑﹁ 私 の 親 戚 の マ テ ィ ル デ 女 伯 の 記 念 の た め に

﹂ と 述 べ て い る

T.Groß,S.32.OriginesGuelficae.I.(1750)S.547-548.A.O.S.45.

'J.Schöning,S.5.

( 前 掲 拙 著

︵ カ ノ ッ サ

︶︑ 二 一 一

︑ 二 一 四 ペ ー ジ

︒ 本 論

︑ 第 六 章

︒T.Struve,S.43.

) グ リ マ ル デ ィ は

︑ ド ニ ゾ ー の 詩 全 体 が ド イ ツ や 皇 帝 派 へ の 反 感 を 表 わ し て い る が

︑ ハ イ ン リ ヒ 五 世 に 対 し て の み 反 感 が や わ ら げ ら れ た と 見 て い る

N.Grimaldi,p.333.connotaI.

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 550 ―

(11)

"

DO.

一 三 二

〜 一 三 三 ペ ー ジ

#E.G.S.176.

$T.Struve,S.82.

% ラ ウ ダ ー ゲ も

︑ こ の 盟 約 の 本 来 の 対 象 が 何 で あ っ た か は 分 か ら な い が

︑ た だ 確 認 で き る の は

︑ マ テ ィ ル デ が 人 生 の 最 後 の 頃 に 殆 ど も う 敵 を も っ て い な か っ た こ と だ と し て い る

P.G.S.295.J.Laudage,Macht.S.122.

&

E.G.S.181.

'E.G.S.181.

後 注

︑/

︑ 参 照

︒ (X.,S.259.1960)1883,(1865-.rtshundehrJaI.XIundI.XsE.,G.S.182.K.F.StumpfDdeieKaiserurkundenn.3061.

) シ メ オ ー ニ は ま た

︑ マ テ ィ ル デ は ハ イ ン リ ヒ と の 会 見 後

︑ 王 へ の 反 逆 行 為 に 決 し て 参 加 し な か っ た と 見 て い る

L.Simeoni,p.369.

* も っ と も

︑ こ の よ う な ゴ リ ネ ッ リ の ド ニ ゾ ー へ の 見 方 に 対 し

︑ グ リ マ ル デ ィ は 上 記 の よ う に

︵ 前 注

︑!

︶︑ ド ニ ゾ ー の 詩 は 反 サ リ ー 的 な 面 が 強 く

︑ こ の 文 は カ ノ ッ サ の 修 道 士 た ち の 指 示 で 書 か れ た も の で

︑ カ ノ ッ サ 城 に ハ イ ン リ ヒ の 同 情 を 手 に 入 れ

︑ 迫 り 来 る 危 機 か ら カ ノ ッ サ 城 を 守 ろ う と す る も の と 見 て い る し

︑ ネ ン チ オ ー ニ も ド ニ ゾ ー の 王 へ の 讃 辞 を 大 げ さ な も の と 批 判 し て い る

P.G.S.297.N.Grimaldi,p.333-334.connotaI.

G.Nencioni,p.220.

+DO.

二 一 二

〜 二 一 三 ペ ー ジ

︒ , ド ニ ゾ ー は

︑ マ テ ィ ル デ が 亡 く な っ て

︑﹁ イ タ リ ア の あ ら ゆ る 名 誉 と 栄 光 は 失 墜 し た

﹂︑

﹁ 醇 朴 美 風 は 失 わ れ た

﹂ と 嘆 い て い た

DO.

〇 六

〜 二

〇 七 ペ ー ジ

︒ -E.G.S.197.

.

﹃ マ テ ィ ル ダ 伝

﹄ の 注 釈 も 同 様 の 論 を 出 し て い る

E.G.S.197.DO.

二 一 二

〜 二 一 三

︑ 二 五 八 ペ ー ジ

― 551 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(12)

! こ の

﹁ 常 に 彼 の も の で あ れ

﹂︵sissuasemper)

の 詩 句 を

﹃ マ テ ィ ル ダ 伝

﹄ で は

﹁ つ ね に こ れ を 持 ち つ づ け よ う

﹂ と 訳 さ れ て い る が

︑ こ れ は 明 ら か に 誤 訳 で あ ろ う

︒ グ ロ ス は こ の 言 葉 で も っ て ド ニ ゾ ー は 王 の 相 続 へ の 権 利 要 求 を 認 め た と 見

︑ ゴ リ ネ ッ リ は

︑ ド ニ ゾ ー は カ ノ ッ サ 城

︵ の 人 々

︶ に 王 を 受 け 入 れ る よ う に 勧 告 し て い る と 見 て い る

︒ も っ と も ト ン デ リ は

︑ ド ニ ゾ ー は カ ノ ッ サ 城 の 王 へ の 譲 渡 を 示 し て い な い と 解 釈 し て い る

DO.

二 一 二

〜 二 一 三 ペ ー ジ

W.G.Ma.S.196.G.Nencioni,p.220.

N.Grimaldi,p.333.T.Groß,S.30.

P.Golinelli,DieLage.S.60.L.Tondelli,p.135-136.

"

・ ゲ ー ツ は

︑ ド ニ ゾ ー が ハ イ ン リ ヒ を 新 し い 城 主 と し て 暖 か い 言 葉 で も っ て 歓 迎 し て い る こ と を

﹁ 驚 く べ き こ と に

﹂ と 表 現 し て い る

E.G.HV.S.229.

#W.G.Ma.S.195.

$ E

・ ゲ ー ツ も

︑ 王 は マ テ ィ ル デ の 臣 下 か ら 新 し い 支 配 者 と さ れ た と し

︑ 王 の 計 算 が う ま く い っ た と 評 し て い る

W.G.Ma.S.195.E.G.S.181.

% ゴ リ ネ ッ リ は

︑ カ ノ ッ サ 家 の 権 力 と 富 は 今 や 大 部 分 が 帝 国︵ ド イ ツ

︶の も の に な っ た と 述 べ

︑ オ ー バ ー マ ン は

︑ 王 が マ テ ィ ル デ の 持 っ て い た 全 て の 権 利 を 引 き 継 い だ と 見 て い る

B.Pfer.S.173.P.G.S.297.A.O.S.44.

G.Nencioni,p.219-220.Sch-B.S.95.

A.Haverkamp,Aufbruch.S.123-124.H.K.Schulze,S.469.

九 マテ

ィル デの もっ てい た所 領︑ 財産

︑諸 権利 と︑ これ らの 特に ロー マ教 会︑ 法王

︵ 庁︶ への 寄進 や相 続の 問題 につ い

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 552 ―

(13)

て は︑ これ まで の研 究で は完 全に 一致 した 決定 的で 明確 な見 解は 出さ れて い な い

︒ ま ず事 実 と 思わ れ る もの だ け を 挙 げる と︑ 一〇 八〇 年頃 にマ ティ ルデ は︑ ドニ ゾー に よ ると

︑彼 女 の﹁ 全 財産

﹂を 法 王︵ 庁

︶に 寄 進 して い る

︒そ の 後 一一

〇二 年に マテ ィル デは もう 一度

︑こ の最 初の 寄進 をく り返 し︑ これ を 文 書 では っ き りと 確 認 して い る

︒こ の 文 書の 中で

︑マ ティ ルデ は︑ 右の 最初 の寄 進の 時の 文書 がも はや 存在 しな いた めに

︑こ の最 初の 寄進 のこ とが 疑わ れ な いた めに 再び ここ で寄 進す る旨 のこ とを 述べ てい る

︒ この 二度 目の 寄 進

︑確 認 行為 に つ いて は

︑ド ニ ゾー 自 身 は 言 及し てい ない が︑ ドニ ゾー は最 初の 寄進 後も

︑年 月︑ 時期 は明 示し てい ない もの の︑ 何度 もマ ティ ルデ の法 王︵ 庁

︶ へ の寄 進に つい て語 って いる

︒ しか しマ ティ ルデ はこ のよ うな 寄進 にも 拘ら ず︑ 一一 一一 年に ハイ ンリ ヒ五 世と のか の盟 約で

︑こ の王 を自 らの 相 続 人に して

︑全 てを 与え る約 束を した ので ある

︒そ の上 また 彼女 はこ れ以 前に 既 に 一

〇九 九 年 にグ ィ ド ーを 養 子 に し て︑ 彼に 相続 者 の 資 格を 与 え てい

︒さ ら にグ イ ド ー の前 に も 一〇 八 九 年の ヴ ェ ル フ五 世 と の結 婚 に 際 して も

︑ ヴ ェル フ家 側は マテ ィル デの 財産

︑諸 権利 の相 続を 考え てい たの であ る

︒ 右の 三件 の相 続問 題は

︑上 記の 法王

︵ 庁︶ への 二回 の寄 進と どう 折り 合っ てい たの かと いう 問題 をは らん でい る︒ そ れ にマ ティ ルデ は︑ 法王

︵ 庁︶ への 最初 の寄 進以 後も

︑財 産︑ 諸権 利︑ 収入 をロ ーマ 教会 以外 の教 会︑ 修道 院に も︑ 特 に ポリ ロー ネ修 道院 に沢 山寄 進し てい る

︒ これ らの 一見 矛盾 した 行動 につ いて

︑例 えば フマ ガ ッリ は

︑マ テ ィル デ が ハイ ン リ ヒ 五世 を 相 続人 に し た こと は

︑ 以 前の 法王

︵ 庁︶ にな した 寄進 を撤 回す るも のと 見て いる し

︑ E・ ゲー ツも

︑こ の 王 を 相続 人 に した こ と を理 解 し が た い驚 かす よう な決 定を した とし

︑彼 女は 九年 前に 法王 庁に 寄進 を更 新し たの を忘 れて いた のか と一 旦は 疑問 を出 し て いる ほど であ る

︒ W・ ゲー ツも

︑こ の王 の件 に関 し彼 女の 行動 を理 解し が た い とし

︑彼 女 の 年齢 や 健 康の 悪 さ が

― 553 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(14)

一 つの 役割 を果 して いる とさ え見

︑彼 女は 自ら の行 動に あら ゆる 見通 し を 失 った の か と疑 っ て いる

︒W

・ゲ ー ツ は ま た︑ 前章 で引 用し たド ニゾ ーが カノ ッサ 城に

﹁常 に彼

︵ 王︶ のも ので あれ

﹂と 呼び かけ てい る箇 所ほ ど︑ はっ きり と 彼 女の 法王

︵ 庁︶ への 二度 の寄 進か ら遠 ざか って いる こと を示 すも のは ない であ ろう と見 てい るの であ る

︒ いず れに せよ マテ ィル デが 一一 一五 年に 亡く なっ た時

︑法 王庁 では なく

︑ハ イン リヒ 五世 が彼 女の 全て の遺 産を 手 に 入れ たの であ る

︒ しか も既 述の よう に︑ この 相続 に対 し当 の法 王庁 をも 含め て 誰 か らも 異 議 が出 さ れ なか っ た こ と は︑ 彼女 がこ の王 を相 続者 にし てい たこ とを

︑内 外と もに 認め てい たこ とを 示し てい る

︒ 実際 マテ ィル デの 遺産 を巡 りド イツ 王と 法王 庁の 間で 争い が起 こる のは

︑ハ イン リヒ 五世 の没 後︑ 即ち サリ ー家 の 断 絶後 のこ とで あり

︑こ の争 いは その 後百 年ほ ど続 くの であ る

︒ 逆に 言 え ば︑ ハ イン リ ヒ 五世 の 時 まで は

︑こ の 件 に 関し て問 題は なか った ので ある

︒法 王庁 は︑ マテ ィル デの 寄進 を根 拠に

︑自 ら を そ の遺 産 の 本来 の 最 終的 な 相 続 者 また は正 式な 所有 者と 見て いた とし ても

︑ハ イン リヒ 五世 個人 につ い て の みは

︑マ テ ィ ルデ の 相 続者 と し て︑ 彼 女 と同 等の 立場 を認 めて いた と見 るべ きも ので あろ う

︒ とす ると

︑法 王庁 から 異議 が出 され なか った マテ ィル デの 生前 での 法王

︵ 庁︶ 以外 への 上記 の一 見矛 盾し たよ うに 見 え る寄 進や 相続 の問 題は どう 考え るべ きな のだ ろう か︒ 理論 的に はそ もそ もマ ティ ルデ が自 由に 勝手 に処 分で きる 寄 進 や相 続の 対象 は︑ 封建 関係 から は完 全に 自由 な所 有地

︑即 ち純 然た る私 有 財 産 全て と 考 えら れ る が

︑ 彼女 は こ の 全 私有 財産 をそ の用 益権

︵利 用権

︑処 分権

︶を 自ら に留 保す る中 で法 王︵ 庁

︶に 寄進 した と見 るの が一 般的 であ り︑ こ れ がま た最 も妥 当な 解釈 であ ろう

!

︒ま た実 際︑ 用益 権を 留保 せず に文 字通 り 全 財 産を 寄 進 した と い うの な ら

︑マ テ ィ ルデ 自身 はそ の後 の生 活も 地位 も権 力も 維持 でき なか った こと にな ろう

︒ハ イン リヒ 五世 を彼 女が 相続 人と して 認 め たこ とも

︑こ の用 益権 の相 続で あり

︑最 終的 な本 来の 所有 権の 所持 は︑ 法王 庁に 依然 とし て認 めて いた と見 るべ き

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 554 ―

(15)

も ので あろ う!

︒ 従っ て一

〇八

〇年 頃の 最初 の寄 進は

︑マ ティ ルデ が用 益権 を自 ら に 確 保す る 中 での 最 終 的な 所 有 権 の み に 関す る も ので あ り"

︑ そ の 後の 寄 進︑ 相 続は

︑こ の 所 有 権 の な い 用 益 権 に 係 わ る も の と 見 る べ き も の で あ ろ う#

︒特 にハ イン リヒ 五世 に関 して は︑ マテ ィル デの 親戚 とし て︑ 法王 庁は こ の 王 に彼 女 と 同等 の 存 在を 認 め

︑同 じ 権 利を 認め てい たと 考え られ るの であ る$

︒ ただ 理論 的に は以 上の よう に解 釈し て︑ マテ ィル デの 一連 の寄 進行 為へ の説 明は 一応 は可 能な ので ある が︑ しか し 当 のマ ティ ルデ がど の程 度ま でこ のよ うな こと を意 識し て行 動し てい たの かは はっ きり しな いの であ る︒ 一一

〇二 年 の 寄進 文書 もこ の点 をは っき り示 さず

︑ド ニゾ ーも 彼女 が﹁ 自分 の財 産を 寄贈 した

﹂︑

﹁ 自領 のす べて

⁝を 委ね た﹂ な ど と語 って いる だけ で%

︑ 所有 権と 用益 権の 区別 は明 瞭 で はな く

︑こ の﹁ 自 分の 財 産﹂

︑﹁ 自 領

﹂と い う表 現 で も︑ 自 由 所有 地と 封土 との 区別 がは っき りし ない ので ある

︒グ ロス は︑ そも そも 彼女 の所 有地 は︑ 自由 所有 地と 封土 が交 ざ り 合い 解き ほぐ し難 いも ので

︑両 者の 区別 は不 可能 と見 てい るの で あ る&

︒ そ の自 由 所 有地 に つ いて も

︑E

・ゲ ー ツ な どは

︑マ ティ ルデ が自 分の 寄進 の有 効範 囲を そも そも 査定 しえ てい たの か疑 われ ると 見て いる ので ある

'

︒ ただ 用益 権の 問題 につ いて は︑ マテ ィル デが かの 寄進 後も その 土地 を現 実に 利用 して いる こと から も︑ また ポリ ロ ー ネ修 道院 への 寄進 事例 の中 には

︑所 有権 と用 益権 の区 別が され てい る所 も あ り(

︑ 彼 女に は あ る程 度 は この 区 別 は 意 識さ れて いた と言 えよ う︒ しか しそ れで も右 の修 道院 への 他の 寄進 事例 では 必ず しも 区別 は明 瞭で はな く︑ 法王 庁 へ の寄 進と 矛盾 して いる 面も 見ら れ︑ E・ ゲー ツな ど︑ この 修道 院へ の寄 進を 無頓 着で 無思 慮な 行為 と断 じて いる の で ある

)

︒ この よう な矛 盾や 誤解 を与 える マテ ィル デの 行動 から

︑ラ ウダ ーゲ のよ うに

︑既 述の 解決 法│ 所有 権と 用益 権の 区 別

│に 疑問 を出 し*

︑ これ を一 気に 解決 する 新た な見 方と して

︑マ ティ ル デ の法 王︵ 庁

︶へ の 最 初 の寄 進 そ のも の が 存

― 555 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(16)

在 せず

︑一 一〇 二年 の寄 進︵ 確 認︶ の文 書も 法王 庁側 の偽 造と する 大胆 で極 端 な 説 も出 て く るの で あ る!

︒ 確か に こ れ ま での 一般 的な 説に は︑ まだ いろ いろ と未 解決 な問 題が ある にせ よ︑ この ラウ ダー ゲの 主張 につ いて はし かし

︑仮 に 一 一〇 二年 の文 書を 偽造 と 見 なし え て も"

︑ 最 初の 寄 進 行為 ま で も否 定 す る こと

#

︑ド ニ ゾー や モ ンテ

・カ シ ー ノ の 年代 記の 記述 から も$

︑ さら にそ の 後 の百 年 に 及 ぶド イ ツ 王と 法 王 庁の 争 い%

︑そ れ もシ ュ タ ウヘ ン 朝 時代 に お け る 皇帝 権と 法王 権の 間の 最も 重要 な争 点の 一つ にな った 事実 の重 みか ら見 ても

︑無 理な 解釈 と言 えよ う︒ 注

E.G.Kl.S.114.

⑵ ド ニ ゾ ー は

︑ マ テ ィ ル デ は

﹁ 自 分 の 全 財 産 を

⁝ ペ テ ロ に 委 ね た

﹂ と

︑ 一

〇 七 七 年 の 後 半 の 記 述 に 述 べ て い る

︒ こ の 寄 進 の 時 期 に つ い て は

︑ ド ニ ゾ ー の 記 述 か ら す る と 一

〇 七 七 年 と な る が

︑ 一 般 に は 一

〇 七 九 年 か ら 一

〇 八

〇 年 と 見 る 説 が 最 も 有 力 で

︑ ま た 妥 当 で あ ろ う

DO.

一 三 八

〜 一 三 九 ペ ー ジ

A.O.S.143-144.LM.Bd.VI(1994)Sp.394.L.Tondelli,p.84.

T.Groß,S.23-24.A.Haverkamp,Ma.Güter.Sp.383.

本 論

︑!

︑ 六 一 三 ペ ー ジ

UK.Nr.73.S.216-217.T.Groß,S.20,24.G.Nencioni,p.118.

Sch-B.S.97.

⑷ E

・ ゲ ー ツ は

︑ こ の 最 初 の 寄 進 文 書 は な ぞ の 中 で 失 わ れ た と 見 て い る

E.G.S.165.

⑸ ド ニ ゾ ー は 例 え ば

︑﹁ 彼 女 は

⁝ 法 王 に た い そ う ふ ん だ ん に 寄 進 を 献 ず る の を 常 と し

﹂ と か

︑﹁ 彼 女 が す べ て を 託 し た

⁝ ペ テ ロ

﹂︑

﹁ 彼 女 は 自 領 の す べ て の 定 め︵ 運 命

︶を あ な た︵ ペ テ ロ

︶に 委 ね た

﹂ と 語 っ て い る

DO.

一 四 四

〜 一 四 五

︑ 二

〇 四

〜 二

〇 五

︑ 二 一

〜 二 一 一 ペ ー ジ

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 556 ―

(17)

⑹ 前 章 参 照

E.Boshof,S.279.L.Tondelli,p.87.

⑺ 第 七 章 参 照

L.Tondelli,p.87.

⑻ 第 四 章 参 照

L.Tondelli,p.87-88.

⑼ E

・ ゲ ー ツ は

︑ マ テ ィ ル デ の 諸 修 道 院 へ の 寄 進 は

︑ 一 一

〇 四 年 以 来 増 加 し

︑ そ の 際 ポ リ ロ ー ネ 修 道 院 が 前 面 に 出 て 来

︑ こ れ が 全 部 で 十 一︵ 筆 者 の 計 算 で は 十 二

︶回 の

︑ 一 部 は 異 例 の 規 模 で の 寄 進 や い く つ か の 広 大 な 所 領 の 確 認 な ど を 受 け て い る と 述 べ て い る

︒ こ の 修 道 院 は

︑ マ テ ィ ル デ の 先 祖 テ ー ダ ル ト が 一

〇 三 年 に 建 て た 私 有 修 道 院 で

︑ E

・ ゲ ー ツ は

︑ 法 王 庁 へ の マ テ ィ ル デ の 関 係 は ウ ル バ ヌ ス 二 世 の 後

︑ 親 密 度 は 減 少 し

︑ 彼 女 の 心 は す べ て ポ リ ロ ー ネ に 向 け ら れ た と 見 て い る

UK.Nr.79,83,92,111,112,120,126,127,129,133,135,137.

DO.

〇 四

〜 二

〇 五

︑ 二

〇 八

〜 二

〇 九 ペ ー ジ

E.G.Kl.S.113-114.E.G.S.187-188.W.G.S.200.

⑽ ハ ー フ ァ ー カ ン プ も 同 様 に

︑ マ テ ィ ル デ は こ れ で も っ て 以 前 の 法 王︵ 庁

︶へ の 寄 進 を 修 正 し た と 見 て い る

V.F.S.78.A.Haverkamp,Aufbruch.S.122.

⑾ も っ と も マ テ ィ ル デ は

︑ 一 一 一 二 年 と 一 一 一 四 年 の 文 書 に お い て

︑ こ の 二 度 目 の 寄 進︵ の 確 認

︶に つ い て 言 及 し て い る

︒ な お

︑ E

・ ゲ ー ツ は ま た グ イ ド ー の 養 子 に 関 し て も

︑ 法 王 庁 に と っ て マ テ ィ ル デ の 最 初 の 寄 進 の 文 書 が 失 わ れ た こ と が 痛 く 感 じ ら れ た の は

︑ グ イ ド ー の 養 子 の 噂 が ロ ー マ に 伝 わ っ た 時 と 見 て い る の で あ る か ら

︑ こ の 見 方 か ら す れ ば

︑ グ イ ド ー の 養 子 も 法 王 庁 の 立 場 を 脅 か す 相 続 人 と 見 ら れ て い た こ と に な ろ う

E.G.S.165,176,180.

UK.Nr.126,S.328,Nr.133,S.341.

⑿ ボ ス ホ ー フ も

︑ 一 一 一 一 年 の 王 と の 盟 約 の 個 々 の 内 容 に つ い て 知 ら れ て い な い の で

︑ こ の 盟 約 が 以 前 の 法 王 庁 へ の 寄 進 と ど の よ う に 一 致 す る の か は っ き り 説 明 し え な い と 見 て い る

W.G.S.200.E.Boshof,S.279.

DO.

二 一 二

〜 二 一 三 ペ ー ジ

︒W.G.Ma.S.196.

A.O.S.43-44.T.Groß,S.31-32.A.Haverkamp,Aufbruch.S.123-124.

⒂ 前 章 参 照

E.G.S.181.A.Waas,S.83.T.Groß,S.32,34.

― 557 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(18)

N.Grimaldi,p.331.L.Tondelli,p.134.G.Nencioni,p.219.

Sch-B.S.95.

⒃ シ ュ タ ウ ヘ ン 家 の コ ン ラ ー ト 三 世 が

︑ サ リ ー 家 の 後 継 者 と し て

︑ ま だ 王 で は な い 時 期 の 一 一 二 八 年 か 一 一 三

〇 年 に こ の 遺 領 を 自 ら に 引 き 寄 せ よ う と し た 時 に は じ め て 法 王 庁 か ら の 抵 抗 を 呼 び お こ し た

︒ そ の 後 十 三 世 紀 半 ば ま で ド イ ツ 王 と 法 王 庁 の 対 立 が く り 返 さ れ

︑ フ リ ー ド リ ヒ 二 世 に よ っ て 不 十 分 な が ら も 一 応 解 決 さ れ た

B.Pfer,S.155,173.W.G.S.200.V.F.S.78.

L.Tondelli,p.135.G.Nencioni,p.219.LM.Bd.VI.Sp.394.

A.Haverkamp,Ma.Güter.Sp.385-386.P.Golinelli,DieLage.S.62,65.

⒄ ボ ス ホ ー フ は

︑ ハ イ ン リ ヒ 五 世 へ の か の 盟 約 が そ の 後 の 長 期 に わ た る 争 い の き っ か け に な っ た と 見 て い る が

︑ こ の 王 に 対 し て は 争 い は な か っ た の で あ る

︒ た だ ピ ア チ ェ ン ツ ァ の サ ン

・ シ ス ト 修 道 院 に つ い て は

︑ ラ ウ ダ ー ゲ は

︑ 法 王 の カ リ ク ト ゥ ス 二 世 は ハ イ ン リ ヒ 五 世 を 唯 一 の 相 続 者 と し て 認 め な か っ た と 述 べ て い る

E.Boshof,S.279.288.J.Laudage,Macht.S.128.

W.Giesebrecht,IV.S.88.

⒅ 後 注

︑!

︑ 参 照

⒆ ト ン デ リ は

︑ か の 盟 約 の 時

︑ マ テ ィ ル デ は 相 続 権 を ハ イ ン リ ヒ 個 人 に

︑ そ し て 親 戚 と し て の ハ イ ン リ ヒ に 与 え た の で あ っ て

︑ 王 権 や 王 と し て の ハ イ ン リ ヒ に 与 え た の で は な い と 見 て い る

︒ グ ロ ス も

︑ ハ イ ン リ ヒ が 亡 く な る と

︑ マ テ ィ ル デ の 所 領 を 法 王 庁 は 自 ら に 復 帰 さ れ る レ ー エ ン︵ 封 土

︵ 後 注

︑!

︑ 参 照

︶と 見 て 今 や 交 渉 し

︑ シ ュ タ ウ ヘ ン 家 の 継 承 権 を 認 め な か っ た と 見 て お り

︑ と も か く か の 盟 約 の 時 に

︑ こ の よ う な 継 承 権 が 協 定 さ れ た の か ど う か は 知 ら れ て い な い と 述 べ て い る

L.Tondelli,p.135.T.Groß,S.43.

A.Haverkamp,Ma.Güter.Sp.384.Sch-B.S.96.

A.O.S.43-44.Sch-B.S.92.E.G.S.165,180.

W.Giesebrecht,IV.S.87-88.E.Boshof,S.279.

! オ ー バ ー マ ン や シ ェ ッ フ ァ ー

ボ イ コ ル ス ト は

︑ 法 王 庁 の 所 有 権 を 観 念 上 の 上 級 高 権 と か 上 級 所 有 権 と し

︑ こ の 所 有 権 の 下 に マ テ ィ ル デ が 全 て を 所 有 し た と 表 現 し て い る

︒ グ ロ ス は マ テ ィ ル デ の 寄 進 し た 所 領 が 彼 女 に あ ら た め て 法 王 庁 の レ ー エ ン

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 558 ―

(19)

︵ 封 土

︶と し て 法 王 庁 か ら 返 さ れ た と 見 て い る が

︑ こ の 点 に つ い て は ハ ー フ ァ ー カ ン プ は レ ー エ ン と は 証 明 さ れ な い と し

︑ シ ェ ッ フ ァ ー

ボ イ コ ル ス ト も レ ー エ ン で は な く

︑ 最 も 自 由 な 処 分 権 が 彼 女 に 返 さ れ た と 見 て い る

︒ そ も そ も こ の 問 題 に つ い て は グ ロ ス も 主 張 す る よ う に

︑ 一

〇 八

〇 年 頃 の 最 初 の 寄 進 は

︑ 所 領 を 法 王 庁 に 譲 渡 す る た め と い う よ り も

︑ 予 想 さ れ る ハ イ ン リ ヒ 四 世 か ら の 帝 国 追 放 令 に 先 手 を 打 つ た め に マ テ ィ ル デ は 譲 渡 ど こ ろ か

︑ ま さ に 逆 に 自 分 の 所 領 を 守 る た め に 寄 進 を し た こ と に 注 意 す る 必 要 が あ る の で あ る

︒ な お レ ー エ ン の 件 に つ い て は

︑ 既 述 の 一 一 一 二 年 の 公 文 書

︵ 前 注

︶ に レ ー エ ン 関 係 と 見 ら れ る 言 及 が あ る

W.G.Ma.S.185,189.A.O.S.44.Sch-B.S.89-92,94.T.Groß,S.24-25.

A.Haverkamp,Ma.Güter.Sp.383.W.Giesebrecht,IV.S.88.

N.Grimaldi,p.330.G.Tabacco,p.86.

L.Tondelli,p.86,134-135.LM.Bd.VI.Sp.384.

NDB.16(1990)S.379.LThk.7.(1986)Sp.168.

本 論

︑!

︑ 六 一 二 ペ ー ジ 参 照

!Sch-B.S.96.

"

シ ェ ッ フ ァ ー

ボ イ コ ル ス ト は

︑ こ の 状 況 を 法 王 庁 は 所 有 権 の 保 持 者 で あ っ て

︑ 現 実 の 所 有 者 で は な い と 表 現 し て い る

G.Tabacco,p.86.Sch-B.S.94,97.

# 但 し 後 述 の よ う に 寄 進 行 為 そ の も の の 事 実 を 否 定 し て い る ラ ウ ダ ー ゲ は

︑ こ の 用 益 権 と い う 見 方 を 強 引 な 解 釈 と し て い る

J.Laudage,Macht.S.125.

$Sch-B.S.95-96.

参 照

︒ 但 し シ ェ ッ フ ァ ー

ボ イ コ ル ス ト は

︑ こ の 王 の 権 利 を 親 戚 関 係 よ り も

︑ か の 一 一 一 一 年 の 盟 約 に 基 づ く と 見 て い る

%DO.

〇 八

〜 二

〇 九

︑ 二 一

〜 二 一 一 ペ ー ジ

&

T.Groß,S.4,10.

'E.G.S.167.

( シ ェ ッ フ ァ ー

ボ イ コ ル ス ト は

︑ こ の 修 道 院 へ の 寄 進 例 の 中 で 法 王 庁 の 上 級 所 有 権 を 認 め て い る 文 書 を 二 つ 挙 げ て い る

︒ さ ら に 他 の 場 所 へ の 寄 進 で も 同 様 の 例 を 示 し て い る

― 559 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

(20)

Sch-B.S.89-91,101-102.UK.Nr.126.S.328,Nr.133.S.340.Nr.46.S.102.

! E

・ ゲ ー ツ は こ の た め 法 王 庁 へ の 寄 進 は

︑ 私 有 教 会 と 教 会 諸 組 織 へ の カ ノ ッ サ 家 の 全 て の 権 利 の み に 係 わ る も の と マ テ ィ ル デ は 考 え て い た ら し い と 推 測 し

︑ 自 由 所 有 地 の 完 全 な 譲 渡 は 考 え て い な か っ た よ う だ と 解 釈 し て い る

︒ E

・ ゲ ー ツ は ま た

︑ マ テ ィ ル デ は ポ リ ロ ー ネ 修 道 院 を 彼 女 自 身 の 相 続 人 と 決 め て い た と 見 て い る

E.G.S.167,184.

"

J.Laudage,Macht.S.125.

#ibid,S.123,127-128,134.

$ibid,S.124-127,132-133.

% 確 か に 既 に ゴ リ ネ ッ リ も

︑ 一 一

〇 二 年 の 文 書 を 疑 わ し い も の と し て い る が

︑ し か し 彼 は 最 初 の 寄 進 は 事 実 と 見 て い る

︒ ラ ウ ダ ー ゲ は

︑ 最 初 の 寄 進 の 話 は 十 二 世 紀 後 半 か ら 広 め ら れ た も の と 見 て い る

P.Golinelli,DieLage.S.61-62.J.Laudage,Macht.S.129.

&

ラ ウ ダ ー ゲ が ド ニ ゾ ー の 寄 進 の 記 述 を カ ノ ッ サ の 修 道 院 に 法 王 の 私 有 修 道 院 の 地 位 を 与 え る た め に 書 い た と 過 小 評 価 し て い る の は 問 題 で あ り

︑ モ ン テ

・ カ ッ シ ー ノ の 年 代 記 に つ い て も 史 料 的 価 値 を 否 定 し て い る

︒ シ ェ ッ フ ァ ー

ボ イ コ ル ス ト は

︑ こ の 二 つ の 記 述 は 公 文 書 の 内 容 と も 一 致 し て い る と 論 じ て い る

ibid,S.129-130,129.Anm.120.Sch-B.S.98.

DO.

一 三 八

〜 一 三 九 ペ ー ジ

ChronicamonasteriiCasinensis.(MGH.SS.34.1980)S.427-428.

'er.32,S.30,oß,GrT.p.381.SütA.Ga.Mp,amrkveHa44.

お わ り に E・

ゲー ツは

︑マ ティ ルデ やそ の母 のベ アト リッ クス

︑さ らに 同じ 頃の トリ ノ女 伯ア ーデ ルハ イト らを

︑新 しい 自

トスカナ辺境女伯マティルデ ― 560 ―

(21)

己 意識 をも って 登場 して きた 女の 諸侯

︑君 主と 評価 し︑ 彼女 らは 完全 に独 立し て法 行為 を行 い︑ 支配 権を 自ら 行使 し た と述 べて いる

︒さ らに E・ ゲー ツは

︑彼 女ら 同じ 頃の 女性 が活 発な 政治 的形 成 意 志 によ っ て 家門 の 歴 史の 形 成 者 と なっ たと 評価 し︑ それ に文 化︑ 芸術 への 奨励 や保 護︑ 家の 祖先 祭祀 での 重要 な役 割等 から も新 しい 型の 女の 統治 者 と 評価 して いる

︒ しか しE

・ゲ ーツ は︑ 特に マテ ィル デが 右の 女性 たち より も独 自な 権力 を行 使し た女 性と し︑ 例え ば︑

﹁ 神の 恵み

﹂ に よる 支配 権の 神聖 化の 称号 は︑ 彼女 にお いて 右の 二人 と違 って 通常 のも のと なっ たこ とや

︑彼 女が 同時 代の 他の 女 性 に は 見ら れ な いほ ど の 数 の一 三 九 通も の 公 文 書 を 残 し て い る こ と に 注 目 し て い る

︒ W・ ゲ ー ツ も︑ マ テ ィ ル デ は

︑絵 画表 現に おい ても 男の 王の よう な地 位で 描か れて おり

︑こ れを 彼女 自身 がこ のよ うに 見ら れる こと を欲 して い た こと を明 らか に反 映し てい ると 見て いる ので ある

︒シ ュト ルー ヴェ も︑ マテ ィ ル デ はハ イ ン リヒ 四 世 との 対 立 の 中 で活 動的 な役 割を 与え られ たが

︑そ れは 中世 の普 通の 女の 地位 をは るか に超 える もの であ った と主 張し てい る

︒ この よう に評 価さ れる マテ ィル デは

︑カ ノッ サ事 件前 後の 活動 や︑ その 後の 活動 から 見て

︑一 面で は行 動的 で活 発 な

︑し かも 芯の 強い 女性 のよ うに も見 える

︒彼 女 の特 に 後 年に お い ての 戦 う 態 度は

︑敵 味 方 から ア マ ゾ ン︵ 女人 国

︶ の 女王 ペン テシ レイ アに た と えら れ た

︒こ の よう な 彼 女の 戦 争 での 名 声 は︑ 中 世の 末 に は非 常 に 大き か っ た

︒ 彼 女 の 像 は︑ 時が 経 つ につ れ て 男 のよ う に 雄々 し い 勇敢 な 女 戦 士と し て 強く 男 性 的な 人 物 像 に変 わ っ てい っ た の で あ る

︒右 のア マゾ ンの 女王 も︑ 明ら かに 男性 的な 女性 であ った

︒ マテ ィル デの 伝記 を書 いた ドニ ゾー は︑ 彼自 身が 語る よう に︑ この 伝記 を 彼 女 への 讃 美 のた め に 書い た が

︑彼 は カ ノッ サ家 が継 続的 な発 展の あと

︑マ ティ ルデ の支 配と とも に︑ その 頂点 に 達 し たこ と を 示そ う と した

︒ド ニ ゾ ー は

︑マ テ ィ ルデ を 男 の王 と 同 等 に男 の 王 のよ う な 華や か さ の 中 で 描 い た が

︑彼 に よ っ て 作 ら れ た こ の 歴 史 の 伝 統

― 561 ― トスカナ辺境女伯マティルデ

参照

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