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漢文-古ベトナム語対訳資料における虚詞 chưng の用法の拡張

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漢文-古ベトナム語対訳資料における虚詞 chưng の用法の拡張

14世紀の『禅宗課虚語録』を中心に 鷲 澤 拓 也

Extension of the Grammatical Word “chưng”

in Chinese-Old Vietnamese Bilingual Texts

Focusing on the Thiền tông khóa hư ngữ lục Written in the 14th Century

WASHIZAWA, Takuya

This paper discusses the usage of a grammatical word chưng in Old Vietnamese, especially in the translated text of Thiền tông khóa hư ngữ lục, a Classical-Chinese- and-Old-Vietnamese bilingual document written in the 14th century.

Unlike in Japan, where Classical Chinese texts are “read” in a fixed style of paraphrasing into Japanese (kundoku), it is widely accepted that there was no such custom in Vietnam. However, some of the texts were translated into a special style of Vietnamese, which were written in the Chữ Nôm script and inserted as notes. This style was called “giải âm” or “giải nghĩa.”

The style and the vocabulary of the “giải âm” texts, especially the usages of the grammatical words, are different from those of colloquial Vietnamese of that age. Among the grammatical words, the word chưng is known to be unique in its function. In non- giải âm texts, chưng is used as a preposition to indicate place, time, etc., but in giải âm texts, it is also used as the word that corresponds to Chinese grammatical words 之 (zhī, chi) and 夫 (fú, phù) (Chinese character, Romanization in modern Mandarin Chinese, and Romanization in Vietnamese, respectively). The function of the word chưng has already been analyzed by several scholars, but the process of how its usage was extended has not been made clear.

In this study, I review passages containing chưng in the Thiền tông khóa hư ngữ lục, where the method of translation is not so fixed as in later giải âm texts.

Through the analysis, I attempt to identify the original functions of chưng and how they expanded to include those used only in the giải âm texts. I show that Keywords: Old Vietnamese, translation, giải âm, Thiền tông khóa hư ngữ lục,

grammatical word

キーワード : 古ベトナム語,翻訳,解音,禅宗課虚語録,虚詞

* 本研究は,東京大学の「次世代人文社会学育成プログラム」の助成金(2012年度),ならびに日本学 生支援機構「海外留学支援制度(長期派遣)」(2014年度)および同「海外留学支援制度(大学院学 位取得型)」(2015,2016年度)の支援により可能となりました。また清水政明先生,Nguyễn Tuấn

Cường先生,小林正人先生をはじめ,多くの方々にご指導・助言をいただきました。ご協力くださっ

た皆様に感謝申し上げます。

(2)

1. 序論

日本では,漢文,すなわち古典中国語を受容する際,「訓読」という方法を採用し,口語と は大きく異なる形式で「読む」こととなった。その結果として,前近代の日本語では和文体と 漢文訓読体という2つの文体が並行して存在するようになった。

ベトナムも漢字文化圏に属するが,ベトナムでは日本の漢文訓読に相当する慣習はなかった と一般的に言われている。ただし,19世紀までのベトナムにおいて,「解音(giải âm)」や「解

義(giải nghĩa)」などと呼ばれる,漢文から翻訳されたベトナム語が,漢文に割註等の形で付

されることがあった。このベトナム語は,漢字を転用したり,変形したりして作られたチュノ ム(字喃)という固有文字によって表記された。

解音は漢文からの直訳体のものが多い。そのため,これらの解音を広い意味で「訓読」の一 種と捉える考えもある(グエン・ティ・オワイン2013)。また,用いられる文体や語彙,特に 虚詞すなわち文法機能語の用法が,当時のベトナム語の話し言葉と比較して特殊であったこと が先行研究において指摘されている。虚詞の中でも,chưngという虚詞が非常に特殊な働き をすることで知られている。

本稿では,このような解音という特殊な文体がどのような過程で生まれ,どのような位置づ けにあったのかを調べる一環として,14世紀に書かれた初期の解音の文書である『禅宗課虚 語録』を主な対象として虚詞chưngの用法を考察する。chưngは,解音でない文書では,場 所や対象などを表す前置詞として用いられるが,解音ではその用法に加え,漢文で前後の2つ

the usage corresponding to 夫 was the result of extension from the usage as a preposition at the beginning of a sentence, and the correspondence between 之 and chưng started from the usage between a subject and an object, or a topic and a comment. After that, I show how the use of chưng extended more widely in giải âm texts after the Thiền tông khóa hư ngữ lục, and also that these extensions were only seen in giải âm texts.

1. 序論

2. チュノムとその読み方 3. 時代区分および背景 4. 文献情報

5. 虚詞chưngの概要

 5.1. 現代ベトナム語の辞典における説明  5.2. 古語辞典における説明

 5.3. 過去の辞書における記述 6. 『禅宗課虚語録』における訳し方  6.1. 全体の傾向

 6.2. 訳文でのchưngの用法  6.3. 「近接する場合」

7. 「之」「夫」の訳語としてのchưngの説明

 7.1. 対象の前置詞から発語へ

 7.2.  主語と述語,主題と題述の間に置く 用法から,「A之B」との対応関係へ  7.3.  文頭の chưng B A のchưngの用

法へ

 7.4.  文頭以外での chưng B A のchưng の用法へ

 7.5.  倒置の助詞や一部の代名詞の「之」

の訳語の用法へ

8. 後の解音におけるchưngの用法の拡大

 8.1. 解音資料との比較  8.2. 解音以外の資料との比較 9. 結論

(3)

の要素を結ぶ助詞「之」の訳語や,発語などの用法を持つ「夫」の訳語として用いられている。

ベトナム語に本来あった前置詞の用法が,解音において原文の漢文と対応させるために拡大し て使われるようになったと考えられる。一部の作品を取り上げ,その中のchưngの用法や「之」

などの漢文の対応する虚詞からの訳し方を分析した研究は過去にもある。鷲澤(2016)でも,

『新編傳奇漫録』でのchưngを用いた訳し方について分析した。しかし,なぜ解音以外の文書

のchưngの用法と全く意味の違う「之」の訳語として用いられるようになったのかは,明確

に説明できていなかった。

本稿では,解音が固定的な訳し方となる前の段階の文書である『禅宗課虚語録』における,

訳し方の揺れや例外的な訳し方に注目して分析することで,chưngが本来どのような用法を 持った語であり,それがどのように「之」などの訳語として用いられるようになったかを検証 する。そして,助詞「夫」の訳語としての用法は,chưngの「〜に対して」といった用法が 発語の語気詞の用法に転じたこと,助詞「之」の訳語としての用法は,主語と述語,主題と題 述の間に置く用法から対応関係が生まれ,そこからより広い「之」の用法に対して訳語として 固定したことを示す。『禅宗課虚語録』の後,このようなchưngの解音での用法がさらに拡大 して用いられるようになった過程も,他の資料との比較により概観する。

まず2節から4節までにおいて,議論の前提となる諸情報を提示し,5節ではchưngの辞 書における記述等を示す。6節では『禅宗課虚語録』における訳し方を,先行研究にも触れつ つ示す。7節ではそれを踏まえて『禅宗課虚語録』におけるchưngの用法に関する説明を試 みる。8節では他の資料と比較することにより,chưngの用法は解音の文書に限って拡大して いったことを示し,9節で結論を述べる。

2. チュノムとその読み方

チュノムは元来の中国における漢字と同様に表語文字1)で,音や意味が近似する漢字を転用 したものと,音や意味の近似する漢字や漢字の一部を組み合わせて創作したものがある。

各チュノムの読み方については,これまでの研究者がそれぞれどの語と対応するかを推定し た上で,現代ベトナム語での語を対応させている。現代音に基づいたローマ字正書法(クォッ ク・グー)2)で記しているため,当時の発音を忠実に表してはいない。また読み方が不明な文 字や,読み方が議論の対象となっている字がある。(Nguyễn Q. Hồng32008: 217-221)

本稿中のチュノム資料におけるベトナム語のローマ字表記は,それぞれ後述の先行研究にて 翻字されているものを採用した。

1) 1文字が1語(または形態素)を表す文字。チュノムの場合この単位が音節の単位とも合致する。

2) 母音:a /a/; ă /ă/; â /ə̆/; e /ɛ/; ê /e/; i, y /i/; o /ɔ/; ô /o/; ơ /ə/; u /u/; ư /ɯ/

子音:b /b/; c, k, q(u) /k/; ch /c/([tɕ]); d, gi /z/ [z]; đ /d/; g, gh /ɣ/; h /h/; kh /x/; l /l/; m /m/;

n /n/; ng, ngh /ŋ/; nh /ɲ/; p /p/; ph /f/; r /z/([z]~[ʐ]); s /s/ ([s]~[ʂ]); t /t/; th /th/; tr /c/ ([tɕ]~[tʂ]);

v /v/; x /s/ ([s])

声調(調値):a 44; à 21; á 35; ả 312; ã 325(喉頭化を伴う);ạ 31(喉頭化を伴う)(川本2011:

1906-1913)

3) ベトナム語の学術論文ではベトナム人の名は名字でなく名前の最後の1音節で表す慣例があるた め,本稿では名字と最後の音節,および他の音節の頭文字を記す。

(4)

3. 時代区分および背景

本稿で取り上げる『禅宗課虚語録』はVũ Đ. Nghiệu(2011: 230-270)による時代区分では

「古ベトナム語」(13-16世紀)に属する。「先古ベトナム語」(10-12世紀)と「中世ベトナム語」

(17世紀〜19世紀前半)の間に位置する。「古ベトナム語」を最も特徴づけるのはチュノムの 成立であり,「中世ベトナム語」の特徴となるローマ字表記の出現の前までの時代となる。

「古ベトナム語」の段階においては,漢文からの翻訳やベトナム語による創作が盛んになっ た。漢語から多くの語を借用したり,漢語に相当する固有語を創作したりすることにより,文 学作品創作に必要な語彙を発展させた。

音韻史的には,この時代の初めの頃には,弱い母音からなる第一音節を持つ二音節語,すな

わちCvCVC(C:子音,V:母音)の構造を持つ語があったことがチュノムの資料からわかる。

しかし時代が経るに従って減って行ったと考えられている。またCCVCの構造を持つ語が多 く存在し,子音クラスターが豊かであったと推定されている。

「古ベトナム語」の時代の社会的背景には,中国王朝からの独立と長期安定政権の成立があ る。当時の文書の多くは漢文によるものであった一方で,民族意識の高まりにより,ベトナム 語(チュノム)による文書が徐々に書かれるようになっていった。ベトナム語(チュノム)で 書かれたものは,民間文化,宗教書,科学書及び教育書,文学・文芸,そして少数の政治関係 文書であった。ただし,民間文化,文学・文芸,そして科学書は,大部分が韻文であった。散 文で用いられたチュノムも多くが漢文に付された解音であり,儒・仏・道教の文書,漢文の教 科書などで使われた。最も口語に近いと思われる純粋な散文は多くがキリスト教文書であった。

(Nguyễn Q. Hồng 2008: 395-434)

4. 文献情報

『禅宗課虚語録(Thiền tông khóa hư ngữ lục)』は,13世紀後半に陳朝初代皇帝の陳太宗(Trần Thái Tông, 1218-1277)によって漢文で書かれた仏教書『課虚録(Khóa hư lục)』に,慧静(Tuệ Tĩnh)が解音を付したもの。成立年代は,17世紀とする説と,14世紀とする説がある。密教 の儀式の規則である儀軌を記している。1631年(Trần T. Dương 2012: 31)の刊本を17〜19 世紀(Trần T. Dương 2009: 27)に書き写した写本が保存されている。Trần T. Dương(2009) にそのコピーが載せてあり,ローマ字翻字がなされている。Trần T. Dương(2012)は解音で の訳し方等を分析している4)

成立年代について,Trần T. Dương(2012: 23, 34)は用いられているチュノムの分析から,

14世紀とみる説を支持している。本稿でもこれに従い,14世紀の成立とする。解音部分の字

数は12,244字(Trần T. Dương 2012: 27)。1万字以上の最初のチュノム文書であり,初期の

解音文書である。解音の方式が固定化する前の段階で,かつ先行研究も豊富なため,chưng 等の解音での特殊な用法が成り立つ過程を調べるのに適切な資料と考えられる。Thích T. Từ 4) Trần T. Dương(2012: 150-153)は,『課虚録』に19世紀にチュノムベトナム語訳を付した『課虚 國音』との比較で,当資料には翻訳者が「解音」をしたとし,『禅宗課虚語録』には翻訳者が「解 義」をしたとあるため,「解音」と「解義」を区分すべきと述べている。しかし本稿では,他の文 書の訳し方との比較や,他の研究者の用語法も踏まえたうえで,漢文に対して付されたチュノムに よるベトナム語訳を一括して「解音」と呼ぶこととする。なお,他にこのような形式の訳文を「演 音」や「演歌」(特に韻文の場合)という場合もある。

(5)

(1996)に『課虚録』の現代ベトナム語訳と解説があるが,『禅宗課虚語録』の解音に基づい ているわけではなく,解釈が異なる部分もある。本稿の例文のローマ字翻字と内容解釈は,原

則としてTrần T. Dương(2009)の翻字と註釈をもとにした。ただし一部Thích T. Từ(1996)

も参考にしている。

5. 虚詞chưngの概要

5.1. 現代ベトナム語の辞典における説明

現代ベトナム語の辞典(Hoàng T. T. Linh 2011)には,chưngの単独での虚詞の用法は載っ ていない。現代で残っているのは,理由や原因を表す熟語vì chưngおよびbởi chưngの一部 としての用法である。

5.2. 古語辞典における説明

古語辞典Vương Lộc(2002: 37)には,以下のような記述がある。([ ]内は本稿筆者による。)

結詞5)

①(「之」の古音6))前に言われた事物や出来事の場所,存在または発生を表す語。ở, tại [「〜で」

など同様の意味を表す現代語。]

②前に言われた出来事の発生する時間の範囲を表す語。đương, trong

③(常にbởi, nhân, vìといった語と結合して)原因を表す語。

④(形容詞の後,名詞の前の位置にて)比較を表す語。“hơn” [「〜より」]

⑤直後に置かれる言葉が,向かう対象であることを表す語。“cho”, “với” [「〜に」]

⑥(代名詞の前に用いて)直後の言葉が,前に言われた事柄と直接関係のある対象であること を表す語。“đối với” [「〜に対して」]

15世紀に書かれた『國音詩集』7)の中での用例を中心とする,15世紀のより詳細な古ベトナ ム語辞典であるTrần T. Dương(2014: 69-70)では,Vương Lộc(2002: 37)にあるものに加え,

次のような意味・用法が書かれている。

①「之」の訳,修飾−被修飾構造の中の助詞。

②無意味の虚詞,動詞と目的語の間に入る。

[…]

⑤無意味の挿入語

5) ベトナム語学で,前置詞と接続詞を合わせて結詞(kết từ)という。(Vũ Đ. Nghiệu 2010a: 307) 6) 古漢越音。漢字音が体系化される以前からベトナム語に取り入れられた漢語起源の語が,ベトナム

語には多数存在し,これらを「古漢越語」,「古漢越音」という。「之」の古漢越音がchưngである という説はPhan Anh Dũng(2012: 279, 281)にある。上古音はȶi̭əgであるとし,-gと-ŋが対応 する組み合わせを8つ挙げている。しかし,実際にVương Lộc(2002: 37)で挙げられている意味 と漢語の「之」の意味は異なっており,Trần T. Dương(2014: 69)も,chưngを「之」の上古音 と見る説は疑わしいとしている。

7) 阮廌(Nguyễn Trãi)によって書かれた,現存する最初のベトナム語による詩集(Nguyễn Q.

Hồng 2008: 426)。Dương(2014)に全文のローマ字翻字が掲載されている。1868年版の「抑齋集」

刊本の一部である。字数は12,500字。(Trần T. Dương 2012: 27)

(6)

⑤については,「極めて」を意味する副詞cựcと「美味しい」を意味する形容詞ngonの間

にchưngが入る例文が挙げられており8),もう1つの例はVương Lộc(2002: 37)では⑥の例

として挙げられている。

『禅宗課虚語録』では,Trần T. Dương(2014: 69-70)の①を中心として,Vương Lộc(2002:

37)に書かれていない用法のchưngが多く用いられる。これらは一般的な文書にはほぼ見ら れず,解音のみに見られたものである。本稿ではこれらの用法に焦点を当てる。

5.3. 過去の辞書における記述

最初のベトナム語辞典といわれるA. de Rhodes(1651: 122)のベトナム語−ポルトガル語

−ラテン語辞典には,虚詞chưngについて以下のように記述されている。(斜体は当時のポル トガル語。[ ]部分は本稿筆者訳。ベトナム語ローマ字は一部現代式に変えている。)

chưng thì quan: debaixo do governo: sub potestate [権力(政権)の下で]

chưng thì vua nọ: sub potestate illius regis [その王の権力の下で]

est etiam particula expletiva [また虚辞でもある]. làm chưng cội rễ mọi sự: he rais de todas as cosas: est prima radix omnium rerum. [すべてのことの根源である]

thìは「時」の意で,quanは「官吏」や「国や公のもの」(Vương Lộc 2002: 136)という 意味がある。後ろに人名を置いて「〜の執政下で」という用法となる9)。初めの2つからは

chưngの前置詞としての用法が見て取れる。3つ目の用法はTrần T. Dương(2014: 69-70)の

①に相当するといえる。làmは「する」,cội rễは「根源」,mọiは「すべての」,sựは「こと」

を意味する。

その次に刊行された辞書であるTaberd(1838: 78)のベトナム語−ラテン語辞典では,虚

詞chưngについて,次のように書かれている。

chưng, pariticula auxiliaris [助詞]

vì —, quia, enim [なぜなら]

— tay10), in manibus [手の中で]

現代ベトナム語にもつながる,理由を表すvì chưngが書かれており,それに加えて単独の 前置詞の用法も書かれている。

6. 『禅宗課虚語録』における訳し方

6.1. 全体の傾向

漢文とベトナム語は,孤立語であること,音節の単位と語または形態素の単位がほぼ等しい こと,基本語順がSVOであることを共通点としていて,逐語的な訳が比較的容易である。そ の特徴のため,解音の多くは原文の漢文のそれぞれの語と訳文の語との対応関係が明確に分

8) Bùi T. Hùng(1987: 45)ではこの用例は,「程度を表す」用法としている。

9) 8.2. で述べる『天主聖教啓蒙』でこの用法がある。

10) tay は「手」の意。

(7)

かる,逐語的な性格を持ったものが多い。ただし,修飾関係に関しては,漢文は前置修飾を,

ベトナム語は後置修飾を基本語順とする点で異なっているため,その点で2つの言語に語順 の違いが出ることとなる。鷲澤(2016)では,16世紀の解音資料『新編傳奇漫録(Tân biên

Truyền kỳ mạn lục)』(または『傳奇漫録』解音)11)における訳し方について述べ,極めて規則

的な逐語訳であり,例外的な訳し方の中にも一定の傾向があることを説明できることを示した。

『禅宗課虚語録』の訳は,『新編傳奇漫録』ほど固定的でなく,意訳している部分が多くある。

例として,以下の(1)が挙げられる。

(1)(漢) 由空起妄 妄成色 [空(くう)より妄を起こし,妄色と成る] <5b:3>12)

(喃) 罢𡛔空{罒/大}自性曳染妄情 妄情卞化𢧚色相

(ロ) Bởi cái không ra13) tự tính dấy nhiễm vọng tình, 〜から 名詞化14) 空(くう) 出る 自性 染まる15) 妄情 vọng tình bèn hóa nên sắc tướng.

妄情 すぐに 化す 成る 色相

「空から雑念を起こし,雑念が形あるものとなる。/

空から自性が出て雑念に染まり,雑念はすぐに形あるものに変わる。」

翻訳文中の ra tự tính にあたる部分は,原文の漢文にはなく,またcái,bènといった虚

詞やnhiễmが追加され,vọng tình(妄情)やsắc tướng(色相)は熟語となっている。このよ

うに原文の漢文にない要素を付け加えているところが多い。Dương(2012: 160-165)は『禅 宗課虚語録』と他の解音の文書における,漢文の原文とベトナム語訳文の字数比を比較してい る16)。『禅宗課虚語録』は漢文8,234字に対してチュノム文12,244字であり,チュノム文が漢

文の約1.487倍となる。『新編傳奇漫録』では,全巻の漢文の字数は数えられていないが,初

めの2話を見ると,漢文が合計3,795字,チュノム文が4,805字であるため,約1.266倍のみ である。他の解音文書と比較しても,『禅宗課虚語録』の訳文の字数の比率は大きいものとなっ ている。

11)『傳奇漫録』は,16世紀に阮嶼(Nguyễn Dữ)によって書かれた,ベトナムの伝奇(奇譚の短編小説) 集。『新編傳奇漫録』はそれに16世紀末に阮世儀(Nguyễn Thế Nghi)が解音を付したものとさ れる。5話で1巻を成し,全4巻からなる。一言一句原作に忠実に訳されていることが特徴であ るといわれている(Nguyễn Q. Hồng 2008: 429)。字数は全巻で44,638字(Trần T. Dương 2012:

48)。Hoàng T. H. Cẩm(1999)およびNguyễn Q. Hồng(2008)が,原本のコピーと翻字を掲載 している。前者は1737年版,後者は1774年版の刊本を掲載している。

12)上から順に,漢文およびその日本語訓読,チュノム(字喃),ローマ字翻字,グロス,和訳である。

「< >」は引用元の頁と行であり,aは表,bは裏をあらわす。チュノム文において,{ }に囲まれ たものは1字とし,「/」は上下,「+」はその他の位置関係を示すこととする。訓読は主に『漢辞海』

(佐藤ほか2011)に基づいて筆者がなしたもので,漢文の読解を容易にすることを意図している。

漢文の原文とベトナム語訳の意味が大きく異なっている場合,和訳の中で「/」の前に漢文,後に ベトナム語の文の和訳をそれぞれ記した。

13) Dương(2009: 96)はlàと翻字しているが,文脈や周囲の同じチュノムの用字法から,raである と考えられる。

14)形容詞に前置して意味を抽象概念化する語。

15) dấyは「起こす」,nhiễmは「染みる,(病気や悪習が)うつる,感染する」の意。

16) Dương(2012: 160-165)では,各文書の原文の漢文の初めの1000字に対して,訳文で何文字に なっているかを比較している。これによると,『禅宗課虚語録』では1800字,『新編傳奇漫録』で は1306字である。本稿では正確さを帰するため,より範囲を広くした。

(8)

『禅宗課虚語録』も『新編傳奇漫録』も,訳文が原文より長くなっているが,これはXtankevich

(1986)の考察する転移現象が大きく関係している。原文からの影響を受けて,訳文において 本来その言語にない要素が現れる現象で,Xtankevich(1986)では『課虚録』に19世紀に解 音を付した文書『課虚國音』を取り上げて,語順や虚詞についての転移現象を考察している。

そのうち虚詞については,もともとベトナム語では漢文に比べて虚詞が少ないのだが,①もと もとベトナム語にあった虚詞の用法を拡大する,②ベトナム語の実詞(内容語)を虚詞にする,

③漢文の虚詞を直接借用する,という3つの方法によって,ベトナム語の訳文で漢文に対応す る虚詞を用いていると述べている。この現象は,『禅宗課虚語録』や『新編傳奇漫録』にも見 られる。本来のベトナム語では必要のない虚詞が追加されていることが,これらの文書の解音 部分の字数を多くしている要因の1つと言える。

6.2. 訳文でのchưngの用法

訳文でのchưngに対応する原文の漢文の語をまとめると,表1のようになる。なお,「chưng

以外」は,他の語で訳す場合と,何の語も用いずに訳す場合を合わせたものである。

「於」から「chưng以外」に訳される中に,ở chưngに訳される場合が5回あるため,chưng の出現回数は全部で239回である17)

6.2.1Vương Lộcの古語辞典と共通する用法 6.2.1.1. 「於」「于」からchưngへの訳

漢文の2つの虚詞「於」と「于」の用法はほぼ同じで,動作行為と関係のある対象,(受け 身にて)動作主,比較の対象,動作発生のもととなった事物,動作の場所,動作の時間,意見 の持ち主(「〜によると」),範囲,原因を表す(李1994: 597-609)。古語辞典Vương Lộc(2002:

37)にあるchưngの用法と重なるところが多く,解音以外の文書でも多く用いられた用法で

あるため,訳語として用いるのは自然と考えられる。

・動作の場所

(2)(漢) 三者既得生於中國 [三は既に中國に生を得(う)るなり] <19a:5>

(喃) 次𠀧意时㐌特生𠓨蒸𥪝國

(ロ) Thứ ba ấy thì đà được sinh vào chưng trong quốc.

第 三 〜は18) すなわち19) すでに 得る 生 入る CHUNG20) 中 国(字音)

「三つ目は,すでに都で生を得ている人だ。」

1 『禅宗課虚語録』における漢文の諸虚詞からchưngへの訳の回数

之(助詞)之(代名詞) 於 于 夫 厥 原語なし 合計

chưng 101 0 18 10 2 1 102 234

chưng以外 6 5 12 5 1 1 ― 30

合計 107 5 30 15 3 2 102 264

17) Dương(2012: 231)では226回とあるが,その出現箇所の一覧を実際に数えると224回で,そ のうち15a:3は誤りであり,7a:2, 7a:2, 7b:1, 7b:2, 13a:4, 17a:2, 17a:5, 20b:3, 34a:5, 34a:5, 48b:6, 55b:4, 56b:3, 61a:2, 68b:2, 68b:2の16回が数えられていない。

18)ấyは通常は中称の指示詞とされるが,話題提示の用法も認められ,解音においては「者」の訳と して頻繁に用いられる。

(9)

・動作の方向・場所

(3)(漢) 夕陽欲墮于西山 [夕陽(せきよう)西山(せいざん)に堕(お)ちんと欲す] <9a:3>

(喃) 面末𡗶㐌候各衛蒸𡶀兑

(ロ) Mặt trời đà hầu gác về chưng núi đoài.

太陽 すでに まさに〜しようとする しまいこむ 帰る CHUNG 山 西

「夕日は西の山にまさに沈もうとしている。」

(4)(漢) 不知不覺 時時没溺于迷津 [知らず覺(さと)らず 時時迷津に没(しづ)み溺る] <6a:3>

(喃) 庄別𠇮庄谷性徐徐恒沈㴷蒸尼𣷷最

(ロ) Chẳng biết mệnh, chẳng cóc tính, 否定 知る 命 否定 悟る 性

giờ giờ hằng chìm đắm chưng nơi bến tối.

いつも 常に 沈む 溺れる CHUNG 場所 岸 暗い

「わからず,悟らず,いつも世の中(此岸)に溺れる。」

・動作の対象

(5)(漢) 眼耳随于名色 鼻舌逐於香味 [眼耳は名色に随(したが)ひ,鼻舌は香味を逐(お)ふ] 

<33b:2>

(喃) 昆眜魯𦖻羣唐声色 魯𪖫頭𥚇恒対尋蒸事味香

(ロ) Con mắt, lỗ tai còn theo đòi đường thanh sắc;

類別詞 目 穴 耳 なお 追求する 道 風流の遊び

lỗ mũi, đầu lưỡi hằng đuổi tìm chưng sự mùi hương.

穴 鼻 頭/先 舌 常に 追う 探す CHUNG 事 味 香り

「目と耳は風流の遊びを追求し,鼻と舌は香りと味を追い求める。」

例文(5)では,「於」はchưngに訳されているが,「于」は訳されていない。

・理由・原因

(6)(漢) 不覺不知 由於鼻業 [鼻業に由(よ)り覺(さと)らず,知らず] <49a:2>

(喃) 庄谷吏庄別台罢蒸業魯𪖫

(ロ) Chẳng cóc lại, chẳng biết hay, bởi chưng nghiệp lỗ mũi.

否定 悟る また 否定 知る 知る 〜によって CHUNG 業 穴 鼻

「鼻の業(ごう)のゆえに,悟らず,わからないのである。」

19)順接や,主題の後に置くなどの用法がある。解音においては,原文の「則」の訳語として多く用い られる。グロスでは一律に「すなわち」とする。

20) chưngは単独で意味を記すことが難しいため,グロスでは一律にCHUNGとした。

(10)

ここでは「由」にbởiが,「於」にchưngが対応し,結果的に古語辞典Vương Lộc(2002:

37)の③にある, bởi chưng のまとまりで原因の意味を表す用法となっている。

これらの用法は,Bùi T. Hùng(1987: 45)の言うように,解音でない『國音詩集』にも多 数用いられている。

また,受け身の動作主の前に付けられる「于」の用例も1例ある。ここでもchưngが用い られているが,意訳されていると思われる。Vương Lộc(2002: 37)に書いていないことから わかるように,chưngには本来,受け身の動作主に付ける用法はなかったためと考えられる。

(7)(漢) 裴公奪簡于石霜 [裴公,石霜に簡を奪わる] <23b:6>

(喃) 𤽗裴公机道丐簡蒸𢬣柴石霜

(ロ) Ngươi Bùi Công cơ đạo cái giản chưng tay thầy Thạch Sương.

21) 裴公 (不明) 類別詞 笏 CHUNG 手 先生 石霜 「裴公は石霜に笏を奪われた。」22

6.2.1.2.「原語なし」から,Vương Lộc2002: 37)の用法のchưngへの訳

原文に対応する語がないが,chưngが用いられているという例の中でも,6.2.1.1. と同様,

古語辞典Vương Lộc(2002: 37)にある前置詞の用法で用いられているものが多い。

(8)(漢) 或臨市肆 或入庖厨 [或いは市肆(しし)に臨み,或いは庖厨に入る] <48b:2>

(喃) 或旦蒸準半𦧘或𠓨蒸准茹𤇮

(ロ) Hoặc đến chưng chốn bán thịt hoặc vào chưng chốn nhà bếp.

或いは 至る CHUNG 場所 売る 肉 或いは 入る CHUNG 場所 台所

「ある人は商店まで行き,ある人は台所に入る。」

(9)(漢) 到底難逃生死 [到底生死を逃れ難し] <7b:6>

(喃) 空23)到時供坤遁特蒸事生死

(ロ) Rốt ráo thì cũng khôn trốn được chưng sự sinh tử 結局 すなわち 〜も 難しい 逃れる 得る CHUNG 事 生死

「結局は生死から逃れるのは難しい。」

21)「人」を意味する名詞người(チュノムでは「㝵」)とは異なる語。同等から目下の人に対して使う 人称代名詞かつ呼称であり,二人称で用いると「汝」のような意味になる。日本語には的確な訳は ないが,グロスでは便宜的に「人」とした。

22)「石霜」は唐代の高僧で名は李楚圓,号は慈明禅師。Thích T. Từ(1996: 67)によると,「裴公」は 唐代の相国裴休。裴公は石霜の質問に答えられず,笏を取り上げられた。Trần T. Dương(2009:

134)の注438では,cáiのところをcướp(「奪う」の意)としている。cơ đạoについては,対句となっ ている次の文でmến đạo(「道を愛する」の意)が訳の部分で追加されているため,それとの対比や,

故事の内容から類推するに,「道を知らない」「道を軽んじる」等の意味と考えられる。

23)おそらく「卒」または「突」の誤記。

(11)

(10)(漢) 堕三途苦由六根非 [六根の非なるに由(よ)り三途の苦に堕(お)つ] <41a:5>

(喃) 沙𠓨𥪞准三途罢蒸六根庄沛

(ロ) Sa vào trong chốn tam đồ, bởi chưng lục căn chẳng phải.

落ちる 入る 中 場所 三途 〜によって CHUNG 六根 否定 正しい 「六根24が正しくないから,三途25の苦に落ちたのである。」

注目すべきは頻度である。原語がない場合は,「之」の訳として用いられる場合とほぼ同数 となっている。『新編傳奇漫録』では「之」の訳でchưngが用いられるのが779回もある一方,

対応する原語がないのは21回に過ぎない(鷲澤2016: 288)のと対照的である。『禅宗課虚語録』

の訳が柔軟に行われていることの表れといえる。

「原語なし」からの訳で,Vương Lộc(2002: 37)に書かれた用法と一致しないものについて は,6.2.2.6. で扱う。

6.2.1.3. 「於」からở chưngへの訳

「於」がở chưng26)に訳されるのは,次のような例である。

(11)(漢) 泛慈舟於苦海 [慈舟を苦海に泛(うか)ぶ] <33a:2>

(喃) 浽船冷於蒸𣷷庫

(ロ) Nổi thuyền lành ở chưng biển khó.

浮かぶ 船 善良な 〜に CHUNG 海 苦しい

「苦しみの海に慈しみの舟を浮かべる。」

chưngに訳される場合とở chưngに訳される場合の違いに規則は見出せなかった。『新編傳

奇漫録』では「於」がở chưngに訳されるのは2回だけであることと比べると,これも『禅 宗課虚語録』の訳の柔軟性と見ることができる。

6.2.2Vương Lộcの古語辞典にない用法 6.2.2.1. 助詞「之」からchưngへの訳

古語辞典Vương Lộc(2002: 37)の用法にないchưngの用法,すなわち解音以外の通常の文

書ではほぼ用いられない用法として最も多いのは,漢文の「之」と対応する場合である。「之」

の訳語としてchưngが用いられる場合の多くは,「A 之 B」という,2つの要素の間に置かれ る助詞として用いられる場合である。李(1994: 660-669)では,この助詞「之」の用法について,

以下のように書かれている。

①連体修飾語と中心となる語との間に置き,所属,修飾,限定,範囲などの関係を表す。

②主語と述語の間に用いて,文の独立性を失わせ,文の成分とさせる。

③倒置して目的語を動詞の前に出すのを助ける。

24) 6つの罪悪の根源。眼,耳,鼻,舌,身,意。

25)火途(地獄道),血途(畜生道),刀途(餓鬼道)の3つの道。

26)ởは「住む」,「(ある場所に)いる/ある」という動詞,または場所などを表す前置詞(「〜で/に」) であり,「居」「在」(動詞・前置詞ともに)の訳として主に用いられる。

(12)

このような,助詞「之」を用いた「A之B」という構造は,chưng B A または A chưng B と訳される。

chưng B A の例

(12)(漢) 以求無上菩提之道 [以て無上菩提の道を求む] <20b:3>

(喃) 黙尋蒸道無上覚性

(ロ) Mặc tìm chưng đạo Vô thượng giác tính.

〜するために27) 探す CHUNG 道 無上覚性28)

「それによって無上菩提の道を探求する。」

ここではAは「無上菩提」,Bは「道」である。

(13)(漢) 活遭湯火之災 [活(い)くるも湯火の災ひに遭ふ] <23a:4>

(喃) 群𤯩吏及蒸災渃燶共焒催

(ロ) Còn sống lại gặp chưng tai nước nóng cùng lửa thui.

なお 生きる また 会う CHUNG 災い 水 熱い と 火 焼く

「生き返っても湯と火の災いに遭う。」

ここではAは「湯火」,Bは「災」である。

(14)(漢) 忠孝之言掩腮抵拒 [忠孝の言,腮(あご)29)を掩(おほ)ひて抵し拒む] <42a:1>

(喃) 蒸仍𠳒𣦍討時𩂏𦖻迻共創𠳒𢶢吏

(ロ) Chưng những lời ngay thảo thì che tai đi, CHUNG 複数 言葉 誠実な 孝行の すなわち 覆う 耳 行く cùng xẵng lời chống lại

そして ぶっきらぼうにする 言葉 抵抗する

「忠孝の言葉は耳をふさいで押しのけ,拒む。」

ここではAは「忠孝」,Bは「言」である。

(15)(漢) 適嚴霜始降之晨 [適(たまたま)嚴霜(げんさう)始めて降るの晨(あした)なり] 

<10b:5>

(喃) 侈及蒸𣈜這霜買沙{宀/竜+下}

(ロ) Xảy gặp chưng ngày giá sương mới sa xuống.

不意に 会う CHUNG 日 氷 霜 新しく 落ちる 下りる

「不意に,草木を枯らすような冷たい霜が初めて降りる朝になる。」

27)例文(33)参照。

28)迷いを断ち切り完全に道理を悟ること。

29)文脈や訳語から判断するに,「耳」をおおうとするのが正しいと思われる。チュノムから影響を受 けた誤記の可能性がある。

(13)

ここではAは「嚴霜始降」,Bは「晨」である。

(12)〜(15)はすべて,上述の李(1994: 660-669)における「之」の用法の①にあたる。(15) では修飾要素のAは動詞句になっている。

A chưng B の例

(16)(漢) 體質高標長頼慈雲之䕃疵 <60b:6>

[體質(たいしつ)高標(かうへう)にて長(つね)に慈雲の䕃疵(いんぴ)に頼る]

(喃) 𠇮糹卜髙欣恒如𩄲冷蒸撫𩂏㐌饒刧

(ロ) Mình vóc cao hơn hằng nhờ mây lành chưng phủ che đà nhiều kiếp.

体 身長 高い 優れる 常に 頼る 雲 善良な CHUNG 覆う 覆う すでに 多い 劫

「気質が気高く,常に仏の恵みのかばい助けに頼ってきた。」

Aは「慈雲」,Bは「䕃疵」である。ここでの「之」は李(1994: 660-669)の②の用法である。

『禅宗課虚語録』では,③に該当する用例はない。

6.2.2.2. 代名詞「之」の訳し方

代名詞の「之」は,動詞や前置詞の目的語または補語となり,あるいは指示や所属を表す連 体修飾語となる(李1994: 651-660)。『禅宗課虚語録』では5回用いられるが,すべて目的語 の用法である。そのうち3回はベトナム語の中称の代名詞đấyに訳され,2回は訳出されてい ない。以下に例を示す。

訳出される例

(17)(漢) 如斯等罪 無量無邉 種若塵沙 筭之難尽 <42a:3>

[斯等のごとき罪,無量無邉にて種塵沙のごとし。之を筭(かぞ)ふるに尽くし難し]

(喃) 孚罪庄沛平羕氐30)庄量特庄固辺芇 平種蓓蓓葛淋 酉點帝氐共㐱坤歇

(ロ) Phô tội chẳng phải bằng dường ấy, chẳng lường được, chẳng có biên nào;

多くの 罪 否定 正しい そのような 否定 量る 得る 否定 ある 辺境 どの bằng giống bụi bụi cát lầm;

〜のような 類別詞 塵 塵 砂 濁った dẫu đếm đấy, ấy cũng chỉn khôn hết.

もし 数える それ それ 〜も 実に難しい 尽くす

「これらのような罪は量れないほど多く,限りなく,

塵や砂粒のようで,(これを)数え尽くすことができない。」

訳出されない例

30)おそらく「𧘇」の誤記。(18),(26)も同様。

(14)

(18)(漢) 是香也 […] 伐従惠苑 削之必以觧脱之刀 <31b:6>

[是(こ)の香や,…惠苑より伐(き)り,之を削るに必ず觧脱(げだつ)の刀を

以てす]

(喃) 氐香氐丕 [...] 油固㓠特饒尼棱惠 悲徐沛𥙩蒸刀觧脱麻割𥙩

(ロ) Ấy hương ấy vậy, [...] dầu có chém được nhiều nơi rừng huệ, その 香 その 語気詞31) たとえ〜でも32) ある 切る 得る 多い 場所 森 恵み bây33)chừ phải lấy34) chưng dao giải thoát mà35) cắt lấy.

今 〜しなければならない 〜で CHUNG 刀 解脱 しかして 切る 取る

「この香は,… 恵みの苑から(材料の)木を切って,必ず解脱の刀で削らなければ

ならない。

/この香は …。恵みの森の木を伐採できるとしても,解脱の刀で切り取らなけれ

ばならない。」

『新編傳奇漫録』では,二重目的語の片方として用いられる場合や,否定詞の後に動詞と目 的語「之」が倒置される場合にchưngに訳されるが(鷲澤2016: 292-295),『禅宗課虚語録』

ではそのような環境での「之」の用例がない。

また『新編傳奇漫録』では,「之」が名詞に前置する指示詞(「この」)の用法で1度だけ用 いられているが(鷲澤2016: 294),『禅宗課虚語録』ではその用例はない。

6.2.2.3.「之」からchưngへの訳に関する先行研究

『禅宗課虚語録』での「之」からchưngへの訳について論じている先行研究がいくつかある。

Bùi T. Hùng(1987)は,『新編傳奇漫録』の第1話,『禅宗課虚語録』,および『國音詩集』36

における虚詞chưngの用法を分析している。2つの解音で「A 之 B」から訳された chưng B A という構文は,修飾や限定の構文と捉えている。ここでAは修飾語であり,名詞句,動詞句,

節などの場合がある。B は名詞または名詞化した動詞・形容詞であり,名詞句の中心となると している。 chưng B A が動詞の後に置かれて目的語となる時,chưngは前置詞のように働 くとし,また chưng B A が文頭に置かれる時,chưngは強調の働きを持つ発語のようにな ると述べている。

A chưng B の構文については,原文の漢文においても「A 之 B」は修飾・被修飾の構文

であり,Aは名詞,Bは名詞または名詞化した動詞・形容詞であると見なし,ベトナム語の訳 文では,Bは再び動詞・形容詞となって,Aを修飾する語となるとしている。そのため,「語 順は元のまま維持され,構成要素同士の構造が変わることとなる。しかし,全体の情報内容は 保持される」と述べている。

「之」が代名詞として用いられる場合はđấyで訳されると述べている。なお,『國音詩集』で

31)解音では「也」「矣」「耳」など多くの語気詞に対応する。

32)『禅宗課虚語録』の翻訳者(慧静)は,前置詞「従」を接続詞「縦」と読み違えたと思われる。本 稿ではThích T. Từ(1996: 135)に基づいて解釈する。

33) Trần T. Dương(2009: 141)にはbấy chừとあるが,用いられているチュノムや,周囲の翻字との 比較により,bây chừが正しいと考えられる。(27),(28)も同様。

34)本来は「取る」の意の動詞。解音では前置詞「以」の訳語として文法化している。

35)逆接や目的などを表す。解音では「而」の訳語として多く用いられる。グロスでは一律に「しかし て」とした。

36)脚注7および8.2. 参照。

(15)

のchưngの用法も,2つの解音での用法と関係づけて述べているが,そこでは「之」や「夫」

の訳語における用法と一致するものはない。

Xtankevich(1986)および Stankevich(2006)(綴りは違うが同一作者)も,『禅宗課虚語録』

を直接分析してはいないが,解音における「之」の訳し方について論じている。6.1. でも述べ たように,Xtankevich(1986)では『課虚國音』の訳文における転移現象について論じている。

助詞「之」の訳し方については,当時のベトナム語で不要なchưngという語を使っているの が転移現象だとしている。chưng B A という訳し方では,虚詞の挿入という面で転移が起こっ ており,被修飾成分に標識が付くという,エザーフェ37)のような特殊な現象が起こっているが,

被修飾語が先に来る語順はベトナム語のものとなっていると述べる。ここでは原文と訳文が一 語一語対応する形になっていると述べているが,Bùi T. Hùng(1987)のようにchưng独自の 用法に関する考察はない。A chưng B に関しては,語順も漢文の影響を受けた転移現象となっ ているとしている。ただし内容面で意味が変わっているところがあり,動詞や形容詞であるB は名詞化されていないとしている。その点に関してはBùi T. Hùng(1987)と同様の意見とい える。

Stankevich(2006)では,『新編傳奇漫録』の第1巻で用いられる虚詞のうち主要なものの

訳し方と用法をまとめている。まず漢文の「之」が少なくとも4つの用法を持っていると述 べる:(i)目的語となる三人称代名詞;(ii)修飾・被修飾関係を表すために用いられる;(iii) 文中の1節の主語と述語の間に置かれる;(iv)疑問代名詞が修飾する目的語を倒置して動詞 の前に置くために用いられる。 chưng B A と訳す場合は,(ii)で「之」が用いられる場合 であるとし,ここでのchưngが被修飾語の前に置かれるというところから,「翻訳者はchưng を,修飾語と被修飾語を結びつける虚詞と捉えていたのではなく,修飾・被修飾構造中の被修 飾語の前に置かれる虚詞として捉えていた」という仮説を立てている。 A chưng B となる のは,主述関係,すなわち(iii)の場合であると述べている。これに関しては特別な考察はな い。「之」が代名詞で使われる場合は,đấyまたはấy38)で訳されるとしている。

Trần T. Duong(2012: 153-157)は『禅宗課虚語録』における「A之B」の訳し方を分析

している。 chưng B A となる訳し方については,Xtankevich(1986)を踏まえ,語順がベ トナム語と同じで虚詞chưngを挿入している転移現象だと述べている。 A chưng B となる 場合についてすべての用例を分析してはいないが,分類方法において独特の解釈をしている。

例えば以下のような構文において,全体を「A之B」と捉え,Aを主題または話題(theme/

topic),Bを題述または解説(rheme/comment)であるとしている。

(19)(漢) 家家之蠟燭揺光 [家家の蠟燭(ろうそく)光を揺(ゆ)する] <55a:2>

(喃) 茹茹蒸𤓢挿皮𤐝朗

(ロ) Nhà nhà chưng nến sáp vừa soi rạng 家 家 CHUNG ろうそく 〜したばかり 照らす 明るい 「家々のろうそくは光を揺する。」

この例文は「家家之蠟燭」が主語,「揺光」が述語と捉えられる。「家家之蠟燭」は「家家」

も「蠟燭」も名詞で,修飾の用法だが,訳文では chưng B A ではなく A chưng B となっ 37)ここでは Xtankevich(1986)にならい,主要部に標識が付けられる連体修飾一般の意味で用いる。

38)『新編傳奇漫録』の全巻中で,「之」がấyと訳されるのは1回のみである。

(16)

ている。Bùi T. Hùng(1987: 44)の分析方法に従うと,語順がそのままであるため,修飾・

被修飾関係がベトナム語では逆転するが,伝える意味は維持されると捉えることとなる。「家々 のろうそくは…」が「ろうそくの(ある)家々は…」と訳されたということになる。しかし

Trần T. Duong(2012: 154)の解釈では,「家家」が主題,「蠟燭揺光」が題述であり,原文も

訳文も「家々はろうそくが…」となる。漢文では原則として主題と題述の間に「之」が入るこ とはないが,翻訳者がそのように捉えて,語順を変えずに訳した可能性は考えられる39)。これ に関しては7.2. にて述べる。

6.2.2.4. 「夫」からchưngへの訳

李(1994: 127-129)によると,虚詞としての漢語「夫」には次のような用法がある。

一,代名詞

①三人称代名詞として主語となる。

②人または事物を指示する連体修飾語となる。近称,遠称とも。

二,語気詞

①文頭 … 話題・議論の提示,前文の総括の働きをする。

②文中 … 語気を緩める。一音節追加する。

③文末 … 感嘆,推量,疑問を表す。

『禅宗課虚語録』ではこのうち,二の①の用法で用いられる「夫」がchưngに訳される場合 が2回ある。

(20)(漢) 原夫四大本無 [原(もと)より夫(そ)れ四大(しだい)本(もと)より無し] <5b:3>

(喃) 原蒸本空庄固四大 四大羅地水火風

(ロ) Nguyên chưng vốn không chẳng có tứ đại, もともと CHUNG もともと 空虚 否定 ある 四大 tứ đại là địa, thủy, hỏa, phong.

四大 コピュラ 地 水 火 風

「もともと,そもそも四大40)はなかった。/

もともとは空虚で,四大はなかった。四大とは地,水,火,風である。」

(21)(漢) 詳夫百年光影全在刹那 <21a:5>

[夫(そ)れ百年光影全く刹那に在るを詳(つまび)らかにす]

(喃) 別蒸𤾓𣈜𣎃調㐱於尼𡮨丿

(ロ) Biết chưng trăm ngày tháng đều chỉn ở nơi mảy phút.

知る CHUNG 百 日 月 皆 ただ 〜にある 場所 刹那

「そもそも百年の月日はすべて刹那にあるということをはっきりと知る。」

39)李(1994: 663)にも「A之B」を単独で用いる用法が書かれているが,「単文の主語と述語の間に

置いて,強調を表す」とあり,主題と題述の間に置く用法は書かれていない。太田(1964: 119) によると,主題と題述の間に「之」を置く例はあるが,単独で文になる用法ではない。

40)万物を構成する4つの要素。

(17)

どちらも,厳密には「夫」は文頭にはないが,(20)では文頭副詞の直後に,(21)では節 の初めに「夫」が置かれ,発語の働きをしている。

6.2.2.5.「厥」からchưngへの訳

(22)(漢) 以貽厥後 [以て厥(そ)の後に貽(のこ)す] <6b:3>

(喃) 黙麻衣41)買蒸𠁀娄

(ロ) Mặc mà để mãi chưng đời sau.

〜するために42) 置く いつまでも CHUNG 世 後

「それによって後代に残す。」

「厥」は連体指示詞だが,「後」の前に置くと「以降」のような意味になるとされる。Trần T.

Dương(2009: 99)は,①無意味の虚詞,②「〜のために」という与格の前置詞で,直接目的

語がないために追加している,という2つの可能性があると述べている。なお,「厥」は他に 1度用いられており,ここでは「其」の訳でも用いられるthửa43)で訳している。

(23)(漢) 喪厥真常之性 [厥(そ)の真常の性を喪(うしな)ふ] <10a:4>

(喃) 末所蒸本性真常

(ロ) Mất thửa chưng bản tính chân thường 失う その CHUNG 本性 真常 「その真常の性を失う。」

6.2.2.6. 「原語なし」から,Vương Lộc2002: 37)にない用法のchưngへの訳

原文の漢文に対応する語がないが,訳文でchưngが用いられる場合のうちで,古語辞典

Vương Lộc(2002: 37)の用法と異なるものは,21例44)ある。7. でこれらのうち数例を取り上

げて説明する。

6.3. 「近接する場合」

鷲澤(2016: 297-298)では,『新編傳奇漫録』において,語気詞「夫」に始まる節にある名

詞句,指示代名詞「夫」の後に来る名詞句,そして前置詞「於」「于」の後に来る名詞句の中 に助詞「之」がある場合(「近接する場合」),どちらか1つの虚詞がchưng以外で訳されるこ とを示した。『禅宗課虚語録』でもそれは見られ,「近接する場合」はすべてどちらかの虚詞が

chưng以外で訳されている。『新編傳奇漫録』より前の『禅宗課虚語録』の段階から,この訳

の規則があったことがわかる。表1の「chưng以外」の中で,「之」の6回のうち1回,「於」

の12回からở chưngとなる5回を除いた7回のうちの2回,「于」の5回のうち1回,「夫」

の2回両方が,「近接する場合」となる。合計で20回中6回(30.0%)となる。この割合は『新 編傳奇漫録』における72.9%(鷲澤2016: 298)よりも低いため,『禅宗課虚語録』では近接 性のみで説明できない非固定的な訳も多くあることがわかる。以下に「近接する場合」の例を

41)おそらく「氐」の誤記。

42) mặcとほぼ同じ。例文(33)参照。

43)例文(39)および脚注67参照。

44)意味を明確に判断することが難しい例もあったため,異なる数え方をされる可能性もある。

(18)

数例挙げる。

(24)(漢) 托形骸於父母之精 [父母の精に形骸を托(たく)す] <7a:2>

(喃) 曼糹卜形於蒸精氣血吒媄

(ロ) Mượn vóc hình ở chưng tinh khí huyết cha mẹ 借りる 身長 形 〜に CHUNG 精気 血 父 母

「父母の精気から体を受け取った。」

(25)(漢) 毎區區於名利之塲 [毎(つね)に名利の塲に區區(くく)す] <19b:5>

(喃) 恒到到尋唐名利

(ロ) Hằng đáu đáu tìm đường danh lợi 常に 落ち 着きがない 探す 道 名声と富

「常に名誉と利益の場という小さいことにこだわる。/

常に落ち着きなく名声と富の道を探求する。」

(26)(漢) 夫世之貴者唯金玉尓 [夫(そ)れ世の貴き者,唯(ただ)金玉のみ] <18a:2>

(喃) 几中世間蒸窒欣氐盃固蔑鐄玉氐

(ロ) kẻ trong thế gian chưng rất hơn ấy45) bui có một vàng ngọc ấy 者 中 世の中 CHUNG とても 優れた 〜は ただ ある ただ〜だけ 金 玉 その

「世の中の貴重なものは,ただ金玉だけだ。」

(24)では「於」がở に,「之」がchưngに訳されている。(25)では「於」も「之」も訳さ れていない。(26)では「夫」が訳されておらず,「之」がchưngに訳されている。

7. 「之」「夫」の訳語としてのchưngの説明

古語辞典Vương Lộc(2002: 37)に書かれておらず,解音でしか用いられない,「之」や「夫」

の訳語としてのchưngの用法がどのように生まれたのか,ここで検証する。それにあたり,

6.2.2.6. で触れた,原語がない例のうち数例を参照する。

まず前提として,『禅宗課虚語録』でのチュノム訳には柔軟性・流動性がある。例文(5)で は,似た構造においても「於」は訳され,「于」は訳されないということがあった。(27),(28) のように,全く同じ構造の文に対しても,chưngが用いられる場合と用いられない場合もある。

(27)(漢) 謹想斯時以為初夜之禮 <56a:1>

[謹んで斯(こ)の時を想ひ,以て初夜の禮と為す]

(喃) 謹汝課悲除𥙩爫蒸礼初夜朝孛

(ロ) Ghín nhớ khuở bây chừ, lấy làm chưng lễ sơ dạ chầu Bụt 謹んで 記憶する 時 今 〜と思う46) CHUNG 礼 初夜 見(まみ)える 仏

「謹んでこの時を考え,初夜の礼と考える。」

45)解音では助詞「者」に対応してấyが用いられることが多い。脚注18参照。

46) lấyは「以」と(脚注34参照),làm(する)は「為」と対応している。

(19)

(28)(漢) 謹想斯時以為日没之礼 <47b:2>

[謹んで斯(こ)の時を想ひ,以て日没の礼と為す]

(喃) 謹汝課悲除卞爫礼班歆朝孛

(ロ) Ghín nhớ khuở bây chừ, bèn làm lễ ban hôm chầu Bụt 謹んで 記憶する 時 今 すぐに する 礼 夕方 見(まみ)える 仏

「謹んでこの時を考え,日没の礼と考える。」

そのため,この節で述べることも,「このような場合にはchưngが使われる」といった厳格 な規則ではなく,あくまでchưngが用いられる場合に見られる傾向である。訳語の対応関係も,

このような柔軟な訳の中の傾向から固定化されてきたと考えられる。

原文の漢文に対応する語がなく,chưngが挿入されている場合で,「之」や「夫」と似た用 法で用いられている例を挙げる。

・発語の語気詞

(29)(漢) 瞋怒罪者貪根為本嗔火自生 <72b:2>

[瞋怒(しんど)の罪は貪根本と為(な)り,嗔火自ら生ず]

(喃) 蒸罪眼與𥙩蒸㭲貪爫本陣焒𠇮𢪀濃𠇮

(ロ) Chưng tội nhãn dữ, lấy chưng gốc tham làm vốn,.

CHUNG 罪 目に現れる怒り 取る CHUNG 根 貪る する もと giận lửa, mình nghỉ nung mình

怒る 火 自分 自ら 焼く 自分

「目を見開いて怒る罪は,貪欲の根がもととなり,怒りの火は自ら起こる。」

・主部と述部の間に置いて, A chưng B (A:主部,B:述部)で節を作る用法

(30)(漢) 身如氷見晛 [身は氷の晛(けん)を見るがごとし。] <37b:6>

(喃) 𠇮平這蒸体𤓢

(ロ) mình bằng giá chưng thấy nắng

体 〜のようだ 氷 CHUNG 見る47) 日差しが強い

「体は氷が日差しを受けるようだ。」

・主題と題述の間に置く用法(6.2.2.3. 例文(19)参照)

(31)(漢) 千家萬室門未開 [千家萬室 門未だ開かず] <70b:1>

(喃) 𠦳茹閍逢蒸𨴦渚𨷑

(ロ) Nghìn nhà muôn buồng chưng cửa chưa mở.

千 家 万 部屋 CHUNG 戸 まだ〜ない 開く

「千の家と万の部屋は門がまだ開いていない。」

47)本来は動詞の「見る」だが,解音では受け身の助動詞「見」の訳語にもあてられる。(例文(37))

(20)

・ chưng B A (A:修飾要素,B:被修飾要素)で名詞句を作る用法

(32)(漢) 不被仁風 [仁風を被らず] <19a:4>

(喃) 拯沛蒸退仁義

(ロ) Chẳng phải chưng thói nhân nghĩa 否定 被る CHUNG 風習 仁義

「仁徳による教化を被らない/仁義の風習を受容していない。」

これらの例に基づき,chưngの用法の拡大について検証する。

7.1. 対象の前置詞から発語へ

(29)では,話題を提示する「者」が用いられている。(2),(26)のように,解音において は通常,話題を提示する「者」はấyという語で訳される。しかし(29)ではấyがなくchưng のみで訳されている。前置詞として「怒る罪については」という用法でchưngが用いられて いると捉えることができるが,同時に話題の提示,発語としての働きも見出せる。

このような例を見ると,発語の用法はchưngの対象を表す用法から,「〜については」といっ た話題提示の用法に広がり,そこから発語の語気詞としての用法に発展したと考えられる。

この用法の拡大に関しては,他の文献にもその根拠がある。『居塵樂道 (Cư trần lạc đạo)』

(居塵)48)と『詩経解音(Thi Kinh giải âm)』49)である。『居塵』では,chưngは一度のみ用いら れている。「第八會」という段の最初にchưng ấyとあるのである。chưng ấyは解音で「於是」

の訳などとして用いられ,合わせて「ここで」といった意味を持つ。話題の提示,発語の意味 と通じるところがある。『詩経解音』では,次のような用例がある。

(33)(漢) 于以采蘩 [以(いづく)に于(お)いて蘩(はん)を采(と)る] <15a:8>(13.1)50)

(喃) 蒸黙挴蔞蘩

(ロ) Chưng mặc hái rau phiền.

CHUNG 〜するために 摘み取る 野菜 蘩

「どこで蘩(よもぎの一種)を摘み取るのか。」

「于以」の部分の解釈は意見が分かれている。日本の訓読では「ここに」と読むことが多く,

同様に書かれた註釈書も多いが,周囲の文構造や語順等を考えて,疑問を表しているとする見

48) 13世紀に陳朝皇帝の陳仁宗(Trần Nhân Tông)(1257-1293)がチュノムのみで書いた賦。つま り解音ではない。総字数は1,602字。韻を踏んでいるが,散文体。10の「會」からなる。

49)中国の五経の1つである『詩経』に,ベトナム語の解音を付したものである。成立年代は不詳だが,

『新編傳奇漫録』と同時期の16〜17世紀と考えられている(Nguyễn T. Cường 2012: 26-27)。い くつか版があるが最も早いものは1714年版の刊本である。『詩経』本文の各句の後に解音が付され,

その後に朱熹の『詩経集傳』での註釈が書かれている(Nguyễn T. Cường 2012: 14)。Nguyễn T.

Cường(2012)には,最初の「國風」の「周南」と「召南」の部分の26篇の刊本のコピーとロー

マ字翻字が載せられている。成立年代は『新編傳奇漫録』と同時期と考えられるが,『詩経』はベ トナムでも古くから読まれ,訳されていたことが諸史料からわかる(Nguyễn T. Cường 2012: 24- 26)ため,古い時代からの読み方や訳され方が影響している可能性がある。

50)『詩経』に関する他の資料との照合を容易にするため,篇と句の番号も付す。

参照

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