積,k0は電波の波数ベクトル,S(k) = S(kx,ky)は波浪の波 数スペクトル,ωB(= )はブラッグ角周波数,m1, m2はωの値域に依存する符号(±1),積分変数pとqは それぞれレーダーのビーム軸方向およびそれと直交する 座 標 で , 散 乱 に 関 与 す る 波 の 波 数 ベ ク ト ルk1,k2と k1=(p–k0,q),k2=(–p–k0,–q)で結ばれる変数である.すなわ ち,k1+k2=–2k0の関係がある.また,Γは結合係数と呼 ばれ,2つの波数成分k1とk2の波浪成分が,2次の散乱断 面積に寄与する程度を表す.結合係数Γは,一般に,電 磁気学的な2次散乱による部分ΓEと流体力学的な2次散 乱による部分ΓHの和(Γ=ΓE+ΓH)で表される.図-1に2 次散乱に寄与する2組の波浪成分の等ドップラー周波数 曲線を示す.図中の等値線の数値がドップラースペクト ルの無次元周波数ω~ =ω/ωBを表しており,ドップラース ペクトルのエネルギー分布に寄与する2組の波浪成分の 構成を理解する上で有用である.
海洋短波レーダーにおける方向スペクトル推定法の開 発は,Wyatt(1990)の推定法が最初である.Wyattは,
方向スペクトルに関する非線形な積分方程式(1)を近 似的に線形化した次式に基づいて方向スペクトルを推定 した.
………(2)
式(2)は,式(1)の2つの方向スペクトルの積の内,
波長の短い方向スペクトルS(k',θ')が局所的な場の風によ って規定される風波の方向スペクトルであると仮定す る.すなわち,ドップラースペクトルの2次散乱成分か ら近似的に推定される有義波高,平均周期および風速を パラメータとするPierson-Moskowitzスペクトルおよびド ップラースペクトルの1次散乱成分から推定される風向 θPを用いて,方向関数Acos4(θ–θP)を仮定することにより,
海洋短波レーダーにおける方向スペクトル推定法の 現地観測データへの適用性に関する検討
Verification of a Modified Bayesian Method for Directional Spectrum Estimation with HF Radar
橋本典明
1・Lukijanto
2・山城 賢
3Noriaki HASHIMOTO, LUKIJANTO and Masaru YAMASHIRO
A Modified Bayesian method (MBM) for estimating directional spectra from the Doppler spectra obtained with HF radar is examined using data acquired during the SCAWVEX project. Applicability, validity and accuracy of the MBM are confirmed compared with the directional spectrum observed with a directional buoy. Some assessment studies of a boundary condition are examined to be given at the lowest frequency of directional spectrum so that a suitable directional spectrum can be estimated. The results clearly demonstrate that the directional spectra can properly be estimated without losing its applicability and practicality for estimating directional spectra from field data.
1. はじめに
海洋短波レーダーで計測されたドップラースペクトル から方向スペクトルを推定する方法として,これまでに 幾つかの方法が提案されている.我が国では,橋本・徳 田(1998)がベイズ法(BM)を開発したが,計算時間 の観点から必ずしも実用的推定法ではなかった.そこで,
BMの欠点を解消し,計算負荷の小さい改良ベイズ法
(MBM)を開発し,数値シミュレーションによりその妥 当性を検証した(橋本ら,2008).本研究ではMBMを,
以前にBMの適用性を検討(橋本ら,2000)するために 用いた,高精度な方向スペクトルの推定例が報告されて いるWyattら(1997)によるEC MAST SCAWVEX project
(Surface Current And Wave Variability Experiments)の現地 観測データに適用し,MBMの実用上の問題点を検討す るとともに改良し,現地観測データへの適用性を向上さ せることにより,今後の海洋短波レーダーによる沿岸海 象調査技術の向上に資することを目的にしている.
2. ドップラースペクトルと方向スペクトルの関係 海洋短波レーダーにより得られるドップラースペクト ルの2次散乱成分σ(2)(ω)から方向スペクトルを推定する ための基礎式は次式で表される(Barrick, 1972).
………(1)
ここに,σ(2)(ω)は角周波数ωにおける2次の後方散乱断面 1 フェロー 博(工) 九州大学大学院教授
2 博(工) BPPT, Indonesia
3 正会員 博(工) 九州大学大学院助教
方向スペクトルS(k',θ')を仮定する.この方向スペクトル を用いれば式(1)は近似的に線形化され,式(2)が導 かれる.ここに,k= (ω~ ,θ)であり,波長の短い波浪の方 向スペクトルS(k',θ')は式(2)の関数K(ω~ ,θ)に含まれている.
一方,橋本・徳田(1998)は,方向スペクトルの関数 形として次式を仮定し,式(1)の非線形積分方程式か ら直接方向スペクトルを推定するBMを開発した.
………(3)
ここに,xi,j= ln S(fi,θj),Mは周波数分割数,Nは方向分 割数で,
…(4)
である.式(3)で方向スペクトルを推定する場合,M×N 個の未知パラメーターxi,jを推定する問題に帰着する.た だしこの場合,一般に解くべき方程式の数に比べて未知 パラメーター数が多い非適切な逆問題となるため,xi,jが,
周波数と方向角に関して滑らかな連続関数であるという
期待を先験条件として付加して最適解を求めている.
BMの欠点を解消する目的で開発したMBMでは,方向
スペクトルを周波数に関しては離散的に扱い,方向角に 関してはその指数部がFourier級数で表される次式の指数 関数を仮定した.
……(5)
ここに,ak(fi),bk(fi)は求めるべき未知パラメーターであ る.今,周波数分割数をM,級数の次数をKとすると,
未知パラメーターの数はM×(2K+1)になり,BMに比べ て未知パラメーター数の数は大幅に削減される.しかし この場合にも非適切逆問題となるため,係数ak(fi),bk(fi) が周波数に関して滑らかな連続関数であるという期待を 先験条件として付加して最適解を求めている.
BMやMBMの式(3)や(5)の関数形では,方向角に
ついては境界が無いことから問題ないが,周波数について は高・低周波数の両端のパラメーターが隣接する周波数の パラメーターと滑らかに連続する条件を仮定しているが,
それらの値を具体的に規定する条件が与えられないことか ら,ある種の自由パラメーターとして扱っている.
3. SCAWVEXの現地観測データと方向スペクト ル解析
本研究で使用したSCAWVEXの観測データの詳細につ いては橋本ら(2000)に述べてあるので,ここでは本研 究の説明に必要な事項のみについて述べる.図-2は英国
のHoldernessで実施されたHFレーダーの観測領域を示し
たものである.図中のMasterとSlaveの2カ所にOSCRの
HFレーダー(周波数24.5MHz)を設置して観測が行われ
た.OSCRのHFレーダーはパルスレーダー方式を採用し ており,距離の特定にFMCW方式を用いている我が国の HFレーダーとは異なるタイプのものである.図-2中の◎
1412 土木学会論文集 B2(海岸工学),Vol. 66,No.1,2010
図-1 2次散乱に寄与する2組の波浪成分の等ドップラー周波
数曲線
図-2 海洋短波レーダーの観測領域
はブイによる波浪観測地点である.図中のA〜Iの9地点 は,BMの現地観測データへの適用性を検討する際に使 用したドップラースペクトルの観測地点であり,BMに よって妥当と見なし得る方向スペクトルが推定された地 点である.
図-3はA〜I地点のドップラースペクトルの例である.
図-3にはMasterとSlaveの2地点で同時計測されたドップ ラースペクトルを同一図上に示している.図-3に見られ るように,MasterとSlaveからの距離が遠い観測地点ほど,
2次散乱成分に背景ノイズの影響が強く現れ,2次散乱成 分のエネルギーレベルが全体的に増大するとともに,エ ネルギー分布が平坦な形状になっている.また,遠い観 測地点ほどMasterとSlaveから送受される2つの電波の交 差角が小さくなるためか,両地点で受信された2つのド ップラースペクトルは互いに似た分布形状になっている.
図-4はブイによりA地点近傍で観測された方向スペクト ルと周波数スペクトルを示したものである.また,図-5 は,図-3のドップラースペクトルを用いてMBMで方向 スペクトルを推定した結果である.図-4と図-5を比べる と,図-5中のMBMで推定されたA地点の方向スペクト
ルには0.1Hz付近に卓越したエネルギーが検出されてお
り,0.2Hz付近にも僅かながらエネルギーが検出されて おり,図-4に類似したエネルギー分布を示している.し かし,AとF地点以外は異常な方向スペクトルが推定さ れており,エネルギー分布が低周波数側に引っ張られた 形状を示している.特にGとH地点では,エネルギーが 卓越しているはずの0.1Hz付近ではなく,0.01Hz付近で エネルギーが卓越した異常な分布を示している.なお,I 地点については計算が発散したため方向スペクトルを推
定できなかった.
図-5に見られるMBMの問題点は,繰り返し計算でパ ラメーターak(fi),bk(fi)を推定する際に,これらの値が最 低周波数で任意となっており,それよりも高周波数側の ak(fi),bk(fi)の値から単純に外挿された値が最適値として 算出されることが原因であると考えられる.
4. 方向スペクトル推定におけるMBMの安定性
の向上
MBMの低周波数側のパラメーター計算の安定化を図る ため,次の3つの方法の適用性と有効性を検討した.① ドップラースペクトルにある種のプリホワイトニング操 作を施す修正を加えてMBMを適用する方法,②方向ス ペクトルの低周波数側の定義域を計算の安定性が保たれ る範囲まで狭めて推定する方法,③方向スペクトルの低 周波数側に緩い境界条件を設定する方法,の3つである.
①は,式(5)が0を表現できないことから生じる計算 図-3 ドップラースペクトルの観測例(図-2のA〜I地点)
図-4 ブイで観測されたA地点付近の方向スペクトルと周波数 スペクトル(橋本ら,2000)
の不安定性を防ぐための便法である.すなわち,あらか じめ性質の分かっているドップラースペクトルをドップ ラースペクトルの観測値に重ね合わせてMBMを適用す るものである.あらかじめ性質が分かっているドップラ ースペクトルとしては,全周波数・全方向に一様で微小 なエネルギー分布を有する方向スペクトルを仮定し,こ れを式(1)に代入して算出したドップラースペクトル を用いる.これは,式(1)が近似的に式(2)のように 線形化できることから,ドップラースペクトルの線形重 ね合わせの有効性を期待して考案したものである.②は,
エネルギーがほとんど無いと考えられる周波数範囲をあ らかじめ計算領域から除外する便宜的な方法である.③ は,最低周波数のパラメーターak(fi),bk(fi)に具体的な数 値を与えるのではなく,小さい値(例えば10-5に近い値)
をとるなどの期待を先験条件として付加する方法である.
図-6はこれらの改良法をMBMに適用して推定した結 果を示したものである.(a)〜(c)は方向スペクトル推
定値が異常であったB地点の周波数スペクトルであり,
(a)は改良前,(b)は方法②による推定値,(c)は方法
③による推定値である.方法①は多くの例で計算が発散 したため,不適格と判断し,ここには示していない.(a)
と(b)を比べると,(b)は(a)の0.07Hz以上の周波数 帯を図示した形状を示しているが,0.07Hz以下を無視し て推定した影響で,(a)に見られる2つのピーク値は(b)
ではやや大きく推定されている.(c)では,(a)に見ら れた低周波数側のエネルギーが極めて小さい値に抑えら れ,図-4に近いエネルギー分布を示している.(d)はブ イ設置点に近く,方向スペクトル推定値がほぼ正常であ
ったA地点の周波数スペクトルを示したものである.改
良前のMBMと方法③を適用したMBMによる推定値を示 している.(d)と図-4を比べると,改良前の推定値には 図-4に見られる0.02〜0.06Hzの範囲のエネルギーが過大 に推定されているが,方法③では極めて小さい値に抑え られている.しかし,ピーク周波数近傍の推定値はほぼ 1414 土木学会論文集 B2(海岸工学),Vol. 66,No.1,2010
図-5 MBMによる方向スペクトル推定例(改良前)
図-6 MBMによる周波数スペクトルの推定例((a)〜(c):B地点の周波数スペクトル,(d):A地点の周波数スペクトル)
妥当であることが分かる.
図-7は,改良法③により図-5と同じケースを推定した 例である.I地点を除くA〜H地点で低周波数側の発散が 抑えられ,ほぼ妥当と考えられる方向スペクトルが推定 されている.以上の検討例から,①〜③の改良法の内,
①は計算が不安定になることから不適格,②と③では,
③の方法がより合理的で実用的な改良法であることが分 かる.なお,図-5や図-7で推定不可能であったI地点の 方向スペクトルについては,BMではほぼ妥当と思われ る推定値が得られており(橋本ら,2000),BMがMBM に比べてノイズの影響を受けにくいロバストな推定法で あることが確認された.また,BMで図-3のドップラー スペクトルから方向スペクトル推定する際には,最低周 波数でのパラメーターの境界条件を設定していないが,
本研究で検討した改良法③と同様な条件をBMに課すこ とにより,BMの安定性をさらに向上させ得るものと期 待される.
図-1に示した2次散乱に寄与する2組の波浪成分の等ド ップラー周波数曲線に基づいて考察すると,海洋短波レ ーダーで方向スペクトルの低周波数成分を精度よく推定 するためには,ドップラースペクトルの分解能を上げる とともに,1次散乱成分と2次散乱成分の高精度な分離が 必要であることが分かる.すなわち,k1 + k2 =–2k0を満 たし,波数が小さい成分波の2次散乱成分への影響は,
図-1から分かるようにドップラースペクトルの1次散乱 成分が現れる±k0の近傍に現れるためである.本研究の 計算例では,2次散乱成分に1次散乱成分の影響が混入す るのを防ぐため,ドップラースペクトルの0.85<|ω~ |<1.15 の周波数帯を除去して方向スペクトル解析を実施してお
り,低周波数側のエネルギーが観測値に比べて過小に推 定されたのはこの影響によるとものと推察される.しか し,図-3に示すSCAWVEXのドップラースペクトルの場 合には,この処理は妥当かつ適切であったと思われる.
5. おわりに
国際共同研究プロジェクトSCAWVEXで得られたドッ プラースペクトルを用いて方向スペクトル解析し,改良 ベイズ法(MBM)に境界条件を設定することで,より 安定性の高い方向スペクトル推定が可能であることを示 した.今後,多様な海象条件を対象として,我が国の海 洋短波レーダーで観測された種々のドップラースペクト ルに本方法を適用し,更なる推定精度向上と計算の安定 性向上を図り,本方法の実用化を進める予定である.
参 考 文 献
橋本典明・徳田正幸(1998):海洋短波レーダーによる方向ス ペクトルの推定,海岸工学論文集,第45巻,土木学会,
pp.1271-1275.
橋本典明・児島正一郎・L. R. Wyatt(2000):海洋短波レーダ ーにおける方向スペクトルの推定法に関する検討,海岸 工学論文集,第47巻,pp.1331-1335.
橋本典明・Lukijanto・山城 賢(2008):海洋短波レーダーに おける実用的な方向スペクトル推定法の開発,海岸工学 論文集,第55巻,pp.1451-1455.
Barrick, D. E. (1972) : Remote sensing of sea state by radar, Remote sensing of the Troposphere, V. E. Derr, Editor, U. S. Govt.
Printing Office, Washington, D. C., 12.
Wyatt, L. R. (1990): A relaxation method for integral inversion applied to HF radar measurement of the ocean wave directional spectra, Int. Jour. Remote Sensing, Vol.11 pp.1481-1494.
Wyatt, L. R. (1997): The ocean wave directional spectrum, Oceanography, Vol.10, No.2, pp.85-89.
図-7 改良したMBMによる方向スペクトル推定例(方法③による改良)