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生 活 世 界 と 類 型 性

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Academic year: 2022

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(1)自然的態度の構成現象学の理念. はじめに. ‑. 生活世界と類型性. ‑. 現象学的哲学の一つの洞察は'孤立した経験というものは存在せ ず、経験はそれと同時に様々な程度で空虚な開かれた地平を伴って いるということである。志向性という概念は、意識がそれに相関的 な特定の対象を直観的に充実する傾向として位置づけられるだけで はなく、この顕在的な志向性に加えて、経験において与えられる対. 飯. 田. 早. 概念に照準して検討し、科学と同様に哲学もまたそこに根ざすべき. 生活世界の本質構造を解明することにある。対象の持つ輪郭の多元. 性が、一方でアノミーを帰結しないのは'また他方で普遍の構成を. 可能にするのは'レリヴァンスという諸関心のシステムが'類型と. 志向的体験と意味. いう枠組みにおいて対象存在の諸秩序を構成しているからである。. 2. 関的なある特定の対象に関わるという傾きであり'よ‑具体的に述. 位置づけられる。志向性とは'形式的に述べれば、意識がそれに相. 象と捉えられる。志向的体験は、一方でノエシス・ノエマの相関関. 象は体験の志向的対象として、ノエマ的に思念された統一的意味現. へ'他方で未来へと伸びる把持の連関からなる体験連関である。対. 意識とは志向的体験であ‑、それは瞬間的現在から、一方で過去. べれば、自我が意味を介して対象に関わる、自我と対象の差異にお. 係において対象を前述定的に把揺すると同時に、他方で過去把持的. 象の地平をも潜在的な仕方で志向し得る地平志向的な傾向としても. ける相関関係である。. 変様においてそれ自体が体験され、自己を非主題的な仕方で統一す. る(GSV:162‑3[47‑8];ASWII:144[66])c この統1的自己は、経験. 本稿の目的は、自然的態度において、意識が同時に多元的な関心 を持ち得ること、それに相関して志向的対象も同時に多元的な輪郭. 的水準において自我と他我の区別に先立つ匿名的自我であ‑、この. 一二五. を持ち得ること、これらの事態を、A・シユツツの意味概念と類型 生活世界と類型性.

(2) 眼差しとは、能動的な意味規定を通じた体験の主題化に他ならない。. 味に構成する」(ASWII⁚173[197])のである。この限‑で反省的な. 区別されるものとして際立たせる反省的眼差しが、この体験を有意. に対向しながら、これを持続における他のあらゆる体験から明確に. 意味が顕現化し経験的自我が確立する。「経過し生起したある体験. 1連の志向的体験からある体験が取り纏められる反省作用を通じて、. 在諸性格、他方で確実存在、可能的、蓋然的といった存在諸性格. 着する所与性様式 ‑ すなわち一方で知覚'想像'想起といった存. る。ノエマは、ノエマ的意味という規定層の契機、並びにそれに付. エマ的意味に関わるノエシス・ノエマの平行関係において分析され. マ的ないかにあるかというあ‑方における対象のこと」 であ‑'ノ. 象」 (GSV⁚303[261]) の二つに区別される。そして意味は、「ノエ. と、「その諸規定性のいかにあるかという、そのあり方における対. ハ. この反省作用は、自我の注意変様に応じて任意に行われるため'い. ‑ という契機の複合においてある。. ノエマ的意味は、形式的にみれば、その中心的統1点であるⅩ、. わゆる主観的意味は、反省を行う当の主観以外のものには原理的に (‑). 閉ざされるという事態が生じる (Ibid.:222[138])‑. シエツツは意味自体に関して立入った説明をしていないため、次に. められたものと考えられる。では、この意味とは何であろうか。. 対象を前述定的に意味を介して把撞する水準を視野に収めるべ‑求. されるべきなら、それに加え反省以前の非主題的なあり方において、. とに、意識生の能動的主題化による意味付与作用ということが理解. 行われ、従って意味概念の拡大とは'第一の根源的な意味概念のも. 同一核を志向的に固定する再認の綜合」 (Ibid.⁚191[114])を通じて. 性が開かれることになる。この組込みは、次節で説明する「体験の. で意味概念を拡大し、ここにおいて反省以前にある意味位相の可能. 全体連関へ組込むことである」 (Ibid/.184[107])と再定義すること. 分析に批判的であ‑ながらも、その理論的背景において重視したと. だがここでは、シエッソが'フッサールの広範なノエシス・ノエマ. いて、様々な臆兄的諸様相が主観に相対的に与えられるのである。. て、ノエマの側から見れば、ノエマ的意味と存在性格との統一にお. が付着した全きノエマと信念諸性格というノエシスとの相関におい. 象が具体的に現出する。つまりノエマ的意味核に先述の存在諸性格. それが様々な程度で直観的充実に与えられることによ‑'初めて対. 「Sはpである」というノエマ的意味核は'空虚な抽象形式であ‑、. 定を支える対象の同一性を保障するものである。このⅩに担われる. 定可能なⅩ」(Ibid.:302[259])であり、変動する可変的な意味の諸規. pとからなる。この中心的統一点Ⅹは、「あらゆる述語を捨象した規. 及びそのⅩによって担われる規定可能な主語Sとその可能的諸述語. フッサールのノエマ論を触媒に、意味それ自体の構造を考察する。. 考えられるノエマ的核、すなわちノエマ的意味に限定して意味構造. 更にシエッソは、「ある体験の意味とは、この体験を所与の経験の. フッサール現象学において、対象概念は、「ノエマ的な対象自体」.

(3) の眼差しの放射線は、多数の放射線に分かれながらも、綜合的に統. とも合致する構造を持つ。か‑して「作用遂行において'純粋自我. の諸ノエマを担う諸Ⅹは相互に合致し、それを取‑まとめる総体Ⅹ. 担うXの分化を通じて、豊潤な意味規定がなされ得るのである。こ. 含み得る(Ibid.:303[262])cある同l対象は、ノエマ的意味とそれを. ノエマ的意味における同一性の中心点Ⅹはそのうちに複数のⅩを. シエツツは、「現実とは、すべて意味の統一である」という見識を. シエツツのレリヴァンス論、あるいは多元的現実論の射程にある。. おいてノエマ的意味は、同一のⅩに収赦する。これは、すでに. る場合、我々は同1の個体に関わっているのである.同lの個体に. る。つまり同一の時間・空間位置においてノエマ的意味が与えられ. あるまいか。だが、個体というものは時間・空間位置において決ま. 「Sはqである」という意味内容を持つ対象は、別々の個体なのでは. である。とはいえ'「Sはpである」という意味内容を持つ対象と、. 一される諸々のⅩに向かい、名辞化という変貌が生じた場合には、. フッサールと共有しながらも、それをより分節化し境界づけること. を考察する。. 綜合的な総体的現象は変様し、顕在性の一本の放射線が'最上位の. いずれにせよ'ノエマ的構造は、解明行為を通じて対象の地平を. 課題としたのである。. で'矛盾をもそのうちに含み得るような現実の紘一的秩序の分析を. である」というノエマ的構造において統1的. 綜合的Ⅹに向かう」(Ibid.:304[262])ことになる.ある対象は、「S はp、ft ft. に把捉され'またそれとは異なる別の対象は'「Sはq、ql、ql、. 探求のレベルに応じて規定されると言い得る。更に我々は、このよ. 分節化した経験を遡示する習慣的沈殿物に相応する。無論、分節化. しかし事態はl層複雑である。ノエマ的意味を担う中心的統一点. うなノエマを介して対象に関わる際、その意味内容という諸規定に. ‑‑私である」というノエマ的構造において統一的に把撞され得る. Ⅹは、ノエマ的意味内容が関わる対象の同一性、すなわち客観を指. ょって対象を把撞するだけではな‑'その規定の地平をも志向して. を通じて規定された解明項を基体とし、更に解明を続けて行‑こと. 示する。さすれば、Ⅹに担われるノエマ的意味は、「Sはpt a'恥、. いる。「対象の諸規定性のいかにあるかというあ‑方ばか‑ではな. し、また「Sはpである」、あるいは「Sはqである」というように. ‑‑pnである」というように、そこにおいて核となるpの同一地平. ‑、更にその都度いつも未解決のままであ‑続ける未規定性のこと. も可能である。それゆえあるノエマ的構造は、差し当たりかつての. 上において、単に意味規定が調和的な仕方で分節化され得るだけで. も同時に考慮されており、この末規定性はその都度いつも未解決の. 単放射線においても把撞され得るのである。. はない。次節で述べるように、ある同一対象Sはpでもあり'また. まま残‑続けるという様態で'同時に志向されている」 (Ibid∴uOu. 二一七. qでもあり、またrでもあるという多元的な意味規定があ‑得るの 生活世界と類型性.

(4) 二一八. あるいは対照性という点で選択の問題が含まれている。この綜合は、. ての類型的予期を可能にする。ここで対象の意味は'帰納的な統覚. のであるo この点は'類型論において明瞭化すべき論点だろ. か‑して、いかなる志向的体験も、ノエマにおいてある意味を持. 的転移において、それに類似したものとの連想を喚起し'それらに. 経験の沈殿である習慣性から成立ち、未来志向的な対象枠取‑とし. ち、その意味を介して対象に関わるのであるが、それでは、このよ. 共通の意味が類型として経験的に生じることになる。すなわち、現. 1つ0. うなノエマ的意味と類型はいかなる仕方で関係づけられるのだろう. 在体験されている「pとしてのざ」(「ぎはIpである」)は、p性が類. 喚起した結果として構成されるということである。志向的体験にお. 似している限‑で、過去の体験「㌢は〝pである」 の想起を受動的に. か。. 3 意味概念と類型概念. いて、Sをpとして把撞する可能性は'受動的綜合においてpとい. し、過去把持されるという仕方で意味を伴って現出する。対象志向. て現出し、他方で未来志向に枠取られ'それが原印象において充実. 意味現象である。志向的対象は、一方で内的地平と外的地平を伴っ. つは前述定的領域の永準であ‑、ここでは原理的に、後述の「対化」. か。これについては、二つの水準を区別して考える必要がある。一. ある」を'それぞれの類似性において想起する場合はあるのだろう. それでは'現在の体験が、かつての体験「Sはa a ‑‑pnで. う類型が生じるか否かに依るのである。. 性とともに'予拝と把持が地平志向性として、幅を持った現在を構. 原理によってその都度可能な諸規定すべてが想起され得る。要する. 対象とは、体験の志向的対象としてノエマ的に思念された統一的. 成するのである。. を連想させる「再認の受動的綜合」が作動している。再認の受動的. 域の水準であ‑、ここでは開かれた諸可能性を前提に、そこからあ. それぞれの規定はすべて自明に付されているo今1つは、述走的領. に「Sはa a ‑pnでもある開かれた諸可能性」においてあり'. 綜合とは、現在の体験が過去の体験を、あるいは過去の体験が現在. る特定の規定の選択を迫られる「問題的可能性」が生じる。. この一連の過程において、類似性に基づき、あるものがあるもの. の体験を、類似に基づ‑融合を通じて、あるいは ‑ 別の観点から. いて示そうとしたことは二つある。当面の目的に応じて、対象のい. シエツツが、「レリヴァンスと類型化のシステム」という概念を用. 合形式である(hua:i30[1901;eu:74‑9[61‑4])cこの綜合は前述定的. かなる特定の位相が類型化されるかということと、同1対象がいか. 言えば ‑ 他の体験との対照に基づ‑際立ちを通じて、連想する綜. 領域において生じる解釈的事態であ‑'ここにはすでに、類似性、.

(5) ある。. もし‑はその対象についての多元的気づきを通して'統撞するので. 対象を'その対象についての二刀的気づきの多元的諸位相を通して'. 定位した規定を選択するよ‑大きな問題である。我々はある特定の. 類型規定の問題であり、後者は複数の関心の文脈から一つの関心に. 化を区別する必要がある。前者はある特定の関心の文脈に定位した. 概念についてもまた、狭義の類型化と'広義の優れた意味での類型. なる類型化のもとに現出するかということである。それゆえ類型化. 裏面は前面との類比的続覚において間接呈示される。この見えない. て統覚される対象の前面は、根源呈示において与えられるが'その. 地平と内的地平に開かれた構造を持つ。知覚的な直観的充実におい. ンス地平をも指示し得る。更にこのレリヴアンス地平がまた'外的. ではな‑'これらの地平とは水準を異にする可能な諸々のレリヴァ. ヴアンスに基づいて構成される内的地平と外的地平を指示するだけ. とにあるわけである。したがってある同一対象は'ある特定のレリ. はrlt hN'‑・・・㌦である」というように'可能な諸規定の統一のも. として体験されるのである。ここで重要なのは'間接呈不される対. のではなく、体験に直接与えられていない他の対象を指示するもの. る綜合形式もある。つまり対象は'そのもの自体として体験される. で'対象の地平に関わる「対化」という間接呈示指示関係が作動す. 様々な水準で「今'ここ」 へと間接呈示において算入する機制が'. 示関係」 (Ibid.:331[167]) である.「今'ここ」を超越するものが'. ている。これこそが、まさし‑「一次高次の秩序にある間接呈示指. に'しかし類比的統覚とは別の水準で'対象は開かれた地平を持っ. という仕方で対象の持つ地平として同時に志向される。それと同時. 裏面は、改めて解明されるまでもな‑'自我の習性を背景に、予拝. 象Ⅹと最初に対をなしていた間接呈示するAが'間接呈不される対. 意識の本質構造であると同時に生活世界の本質構造なのである。. ところで受動的綜合には、先述の類似に基づ‑融合とは別の水準. 象Yと'また時には第三の対象Z等と新たな対化に入る「転義的転. のは「受動的関心」 である。シエツツは、フッサールに由来する受. さて、受動的綜合において連想する 疋の与件が ‑ 世界を地と. である'も. 移の原理」(CPI:305[135])である.「Sはpである」という意味で. ‑弘である」. して ‑ 自我を触発Lt それに自我が対向する際'その背景をなす a3. 把撞されていた対象の現前が、同時に保持されたまま、あるいは忘 却されることによって'「SはJ. ‑. 二一九. う論述や、意識の受動性と能動性に関する一連の諸問題に関して、. 我が志向的対象に向かうことに他ならない」 (Ibid.⁚278[102]) とい. このことは、「フッサールに従えば、受動的注意と受動的関心は'自. しくは「Sはrlt hN'‑ 蝣 iSである」という意味を喚起するという動的関心という概念について、その位置づけを巡‑難儀しているO (2). ことである。 それゆえ厳密に言えば、前述走的領域において「Sはpl、. pnである」し、また「Sはa'8、‑‑dlである」し、更に「S 生活世界と類型性.

(6) 「類型的に類似しているのは何であろうか。実際に知覚された対象. ていないのは、類型化が個々のレリヴアンス諸構造に応じて生じる. だがシユツツが述べるように、「フッサールが公刊著作で説明し. 二二〇. の印象的な相である。では何がこの相を印象的にするのか。広義あ. ということである。‑‑私がどの類型的構造を選択するのかを決め. 類の文脈が、少な‑とも日常的思考において前述定的な判断領圏に. るいは狭義の現勢的な関心である」(CPIII:112[179])という論述に. 受動的関心は第一に'経験連関において、対象のパースペクティ. 現れる」(CPIII:125[196])c レリヴァンス概念は'所与の対象の受. るのは'この対象が私にとって持つ主題的レリヴアンスである。同. ブ的現出が形成する可能な経験的地平を更に解明して行こうとする. 動的な先構成に関与するという点で'フッサールの関心概念より広. 表れている。. 自我の努力傾向を表し、この志向的構造の延長線上に能動的な主題. 範な射程を持つ。受動的綜合によって構成される類型性は、ある体. 連想される意味によって可能になるが'連想の前提をなす当初の個. (3). 的関心が生じるという位置づけにある (EU:86‑8[70‑1])‑それは第. 験の意味と別の体験の意味から1直接的であれ間接的であれ. め与えられている対象にI能動的に注意を向けることな‑. 別的意味を規定しているのは'諸々のレリヴァンスなのである。意. ー. 二に'一方で自我を対象に向かわせるという点で、他方で自我が予. 動的に対向することによ‑喚起されるという点で(Ibid.)'議論の余. 味はすでにレリヴァンスによって複雑に構造化されている。しかも. 受. 地のある両義性を持っている。しかし我々は'この受動的関心が'. その体験の意味は二刀的意味ではな‑'境界づけのない多元的な意. ‑. ﹃イデーンⅡ﹄における関心の分析を踏まえて'「習慣的関心」(GSV. 性を持つ自我を前提に'関心の多元的同時性の方向を指示するもの. ケーする」 (Ibid.:139[243])と論じられるように、この概念は、習. を現実化して業務遂行している場合、他の生活関心についてはエポ. 活」(Ibid.:148[260])であり'「我々が自分の持つ習慣的関心のlつ. かされながら、主題化されていない普遍的地平において営まれる生. また理論的関心であれ実践的関心であれ、それらの関心によって動. すなわち「自然的生活とは'学以前の関心であれ学的関心であれ、. において、この主題と地平は明確に境界づけられることなく、いわ. ヴアンスを地平として周緑化することである。しかし前述走的領域. ンスのもとに対象を把握することは、それとは異なる諸々のレリ. 置づけられるのである。確かに主題化に際し、ある特定のレリヴア. れていない限‑で、能動性の最低位相に意識の受容的性格として位. とが受動的関心の特色であ‑、それぞれの関心が明確に境界づけら. ある。ある特定の関心ではな‑'可能な諸々の関心であるというこ. される対象は'先述の様々な水準の地平を伴っているということで. VIII⁚139[243])と呼ばれる概念のもとに具現化されていると考える. 味地平を伴っている。要するに非主題的なあり方で受動的に先構成. である。.

(7) 諸対象のうちのそうした目的にイレリヴアントな個々の相違を等閑. 目的にレリヴアントな特性を同等視すること、および類型化される. テムなのである。類型化とは、「類型がそのために形成される当面の. 更に言えば、主題的・解釈的・動機的レリヴアンスの相互循環シス. 面の目的と探求のレベルを共規定する動機的レリヴアンスであ‑、. するに優れた意味での「類型化」を規定するものこそ、行為者の当. なっている対象の規定を定めたり'再規定した‑するものこそ'要. 場合によっては新たな関心の文脈を構成し‑更にそこで主題と. この開かれた諸可能性を前提に、一つの関心の文脈を選択し‑. る。このような重層的なあり方で、意識は常に主題と地平に構造化 o されているのである。. は、かつての探求のレベルに応じた主題・地平構造が保持されてい. ば中立化されている。無論、個々のレリヴアンス領圏内部において. ければならない。. で'類型は'ノエマ的意味の縮減形式、あるいは拡張形式と考えな. つの規定が選択される、あるいは新たな規定が生じ得るという限り. 味を中立化し得る。更に述定的領域において、可能な諸規定から一. 「よ‑以上の思念」を可能にするし、転義的転移を背景にノエマ的意. 応じて、類型は、まさし‑その類型性において、与えられた対象の. としての同一性がノエマ的に確立されるだろう。しかし「対化」に. わけではない。確かに前述走的水準において、類型性のもとに意味. 得るが、だからといってそれは、必ずしも類型と等しい内包を持つ. してノエマ的意味は、本来的に解明行為を通じて構成されると言い. 性に基づき、改めて再認の受動的綜合が作動することになる。かく. 習慣的獲得物となることで、自我の習性を形成する。そしてこの習. のもとに類型化された規定「Sはt。である」は、過去地平に沈殿し. 視すること」(CPII:234[315])である.例えば'「Sはplta:I‑・ フ・ ッ・サールにおいて、そもそもノエマ的意味は、経験的事実に関. かという主題化が生じ、解明行為において当面の目的にレリヴァン. が充実しない場合tsはpnであるのか、鮎であるのか、r。であるの. である」という予想の1投的不特定性の枠内において、類型的予期. 意味の同一性に対し、意味の開かれた可能的経験の地平を強調した. てその都度生じる個別化された意味である。この限りで類型とは、. したノエマ的意味の発生に照準した概念として、具体的経験を通じ. 作用を通じて具体性を得るものであった。それに対し類型は'そう. わ‑な‑存在するイデア的統一体として、その存在諸性格における. トなpnがSの特性とされるのである。当面の目的にとって所与の諸. 概念と考えても良い。そうであるとすれば、シユツツが意味概念を. G. 規定が不十分であれば、更なる解明行為を通じて、Sは再分節化さ. 規定するに際し、現象学的に還元された領域に定位した着想も理解. pnである」、「Sはol‑私である」、「Sはrl、CM'‑LI. れることになるだろう。. し得る。すなわち'超越論的領域において意味の発生を問うことは'. 二二一. 解明行為による新たな規定「Sはpnである」、あるいは新たな関心 生活世界と類型性.

(8) 持するという論点(TL⁚141)、また「社会科学におけるフッサールの. 式の理論﹄ における'記憶が「評価作用」 のもとに体験の意味を煤. として'注意変様に相関した実在と論じられている。だが﹃生活形. レリヴアンス概念について触れられながらも'専ら意味は時間問題. を開示するのである。確かに﹃社会的世界の意味構成﹄において、. 観性が内世界の類型という大枠によって制約されているということ. 一方で主観的意味の確保を可能にすると同時に、他方でそうした主. 独立し'あらゆる経験的特殊を経験することに対する規則を設定し. 「類的判断」 (Ibid.)として'事実的に所与の対象が持つ偶然性から. わち一般者を示す判断がある。これは生産的自発性を前提とした. おいて、pが次々に把撞される二つ以上のSに共通の類的核、すな. 「slはpである」'「mはpである」、「coはpである」という述語化に. ころで同一のpが、それぞれの基体に対し述語化され得る。つまり. いて受動的に構成された種の普遍的かつ同一的統一として'至ると. 味が見出せ得る。それに対し、a.ft '<Sの類似性という一致にお. 二二二. 重要性」 における 「実践的、理論的、価値論的関心から生じる注意. 得る一般性の純粋概念'すなわち「形相的普遍」を構成する。. えないだろう。それゆえシエッソにとって、前述定的水準において. 意味概念とは'始めから広義の類型概念であったと考えても差し支. れるのである。だが'シユツツによれば問題はこの自由変更にある。. イデアチオンを経て'経験的事実性が、純粋な可能性に置き換えら. この判断は、自由変更の過程を含む本質直観によって行われる。. Q. 変様」 (CPI⁚146[232])という言い方を鑑みるならば、シュッツの. 意味を介して対象に関わるとは'再認の受動的綜合のもとに狭義の. 自由変更の任意性は、「自然的態度において対象を経験する際に用. Ill:115[182])という問題である。この類型枠を規定するのは、かつ. いる類型の枠組みによって限界づけられているのではないか」 (cp. 類型を介して対象に関わるということなのである。. 4 むすび ‑ 生活世界と形相. ての行為を遡示するレリヴアンスである。ある特定の意味には、そ. であった。これは経験的かつ仮定的な一般性という普遍を構成する. 化される「個別的判断」(EU:38‑90[311‑12])によ‑構成されるもの. 機pにおいて'基体Sとその個別的契機が受動的綜合において同一. 本質はレリヴァンスに依存する。p性のもとにpの本質は問われ得. かで初めて意味の中核'あるいは本質が問われ得る限‑で'対象の. はできない。対象の意味はレリヴアンスによって画定され'そのな. の存在諸性格は捨象し得ても、このレリヴアンスを削ぎ落とすこと. れを規定するレリヴアンスが含まれており、自由変更において意味. が、しかしそこには事実的経験における事実的対象の偶然性やその. るのであって、r性のもとにpの本質は問われ得ないのである。レ. これまで論じてきた類型は、基本的に、個別的対象Sの個別的契. 経験的地平が伴うという点で'よ‑高次の一般性にとって不純な意.

(9) リヴアンスは、社会関係を形成することを通じて主観に内在化され、 更にそうした行為の動機が、生活世界のうちでのみ生じる「根本的 (6). IS. おいて諸学に可能な主題を手渡す役割を果たし得るのである。 注. (1) 「我々関係」における主観的意味の位置づけ'またその把握のあ‑方につ. いては、M・ブ‑バーの「対象化」概念を触媒にして論じたことがある。. 不安」 に究極的に基礎を持つという限‑で、生活世界に根ざす。 従ってよ‑精確に言えば'生活世界の本質構造は、類型構造という. 拙稿(飯田⁚二〇〇五)を参照されたい。. された判断の沈殿から成る前述走的領域という意味合いで'「前述走的な. がある。前後の文脈を考慮しても、ここは述定的判断ではなく、かつてな. 版でも、「述語的判断の領域」という訳語があてられているが'検討の余地. (3) この引用部分にある[vorpradikativeUrteilspiare]は、英訳版でも邦訳. 間でも、また諸事実の把握と諸可能性との間でも生じ得る。. (2) 対化という受動的綜合は、知覚対象と想起対象、もし‑は空想対象との. よりも、むしろレリヴァンス構造によって析出されるのである。 さすれば、何が意味の中核'すなわち指導類型になるのかは'と りわけ社会化を通じ'そこにおいて現勢的なレリヴアンスを内在化 するチャンスがある言語共同体によって様々となろう。しかし形相 的認識が目指すのは'ある特定のレリヴアンスという枠組みのもと. 判断領圏」という訳語をあてるべきだろう。. (4) このレリヴアンス領圏それ自体は、後述するように社会的なものである. に開示され得る個別的対象の本質に留まらない。構成現象学の課題 は、そうした水準の本質を超えて、自然的態度における「精神の不. が、諸々のレリヴアンス領圏の編成のあり方'及び特定のレリヴアンス領. (6) レリヴアンスの社会化については、拙稿(飯田⁚二〇〇四)を参照され. 論において開示される。. 行為者ごとに多様である「一致における不一致」という構造が'相互行為. (5) この論点から、主蓮は共有されているが、その諸規定については個々の. て相対的であり得る。. 国に定位した主題の規定の程度は、個々の行為者の生活史的状況に依存し. 変で固有かつ本質的な諸構造」を'志向性を彩るレリヴァンス原理 のもとに開示し、意識の志向的相関者である諸対象の本質を記述す ることである。個々のレリヴアンスごとに「社会的世界の組織化の あり方は仝‑異なるが'それぞれの社会的世界が共に組織化されて いるという事実には変わりがない」(CPU⁚72[108])し、その上「そ. たい。. (7) この普遍構造と、「社会科学における概念構築のための諸公準」との関係. れぞれの社会的世界がいずれも行為者を中心に置いている」 (Ibid.)c この現出と現出者の差異における相関関係という現象こそが、レリ. について、あるいは社会学との関係については、拙稿(飯田⁚二〇〇五). 二二三. Husserl,E,1966,HusserlianaXI,AnalysenzurpassivenSynthesis,MartinusNijhoff.. 引用・指示文献. を参照されたい。. ヴアンス原理のもとに生活世界の本質構造として析出されるのであ る。自然的態度の構成現象学は、対象が様々なフリンジを伴って現 出するそのこと自体に眼差しを向けることのうちに'我々に見られ てはいるが気づかれていない生活世界の普遍構造を開示し、そこに 生活世界と類型性.

(10) (山口1郎・田村京子訳'一九九七㌧﹃受動的綜合の分析﹄国文社 [HUA. ‑,1985,ErfahrungundUrteil,FelixMeiner.(長谷川宏訳'一九七五、﹃経. と略記]. 験と判断﹄河出書房新社。[EU1 1992,GesammeltSchriften V,IdeenzueinerreinenPhdnomenologieund phdnomenologischenPhilosophie,FelixMeiner.渡辺二郎訳'1九七九/八四、 ﹃イデーン1‑1‑Iーl¥1‑I‑1=1﹄みすず書房') [GSV] 1,1992,GesammeltSchriftenVIII,DieKrisisdereuropaischenWissenschaften unddietranszendentalePhanomenolosie,FelixMeiner.(細谷恒夫・木田元訳' 一九九五㌧﹃ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学﹄中央公論社。) [GS. mill. 展開」﹃社会学年誌﹄45:83‑98.. 飯田卓'二〇〇四'「多元的現実論の再構成‑行為論的パースペクティブからの. ‑ 、二〇〇六、「A・シエツツの思惟における我々の領域と社会科学IM・ ブ‑バーの我‑汝関係概念を媒介として」﹃社会学評論﹄掲載予定 Schutz,A,1962,CollectedPapersI:TheProblemofSocialReality,MartinusNiihoff. (渡部光・那須寿・西原和久訳'一九八l二/八五、﹃社会的現実の構成Ⅰ/ Ⅱ﹄ マルジユ社。) [CPU ‑ , 1 9 6 4 , C o l l e c t e d P a p e r s I I : S t u d i e s i n S o c i a l T h e o r y , M a r t i n u s N i i h o f f . ( 渡 部 光・那須寿・西原和久訳、1九九一、T社会理論の研究﹄マルジユ社')[CP 三 ‑,1966,CollectedPapersIII:StudiesinPhenomenologicalPhilosophy,Martinus Niihoff.(渡部光・那須蕎・西原和久訳、l九九八'﹃現象学的哲学の研究﹄ マルジユ社。) [CPIII]. ‑,2004,AlfredSchtttzWerkausgabeII.DersinnhafteAufbaudersozialenWelt,. Schutz,A,1981,TheoriederLebensformen,Suhrkamp.[TL]. コ]. UVK.(佐藤嘉1訳'一九八二'﹃社会的世界の意味構成﹄木鐸社') [ASW. 函.

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