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剣呑さを生きる小説:小田実「河」における歴史・ 土地・人間・言葉

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剣呑さを生きる小説:小田実「河」における歴史・

土地・人間・言葉

著者 大橋 毅彦

雑誌名 日本文藝研究 

巻 72

号 1

ページ 93‑134

発行年 2020‑10‑30

URL http://hdl.handle.net/10236/00029145

(2)

剣 呑 さ を 生 き る 小 説

│ 小田 実

﹁ 河﹂ に お ける 歴 史

・土 地

・ 人間

・ 言 葉│

大 橋 毅 彦

はじ め に

│作 品 と の出 会 い こ れか ら小 田実 最後 の長 編小 説﹁ 河﹂ を読 む醍 醐味 を考 えて いく にあ たっ て︑ 自分 のこ の作 品と の出 会い のい きさ つを 振り 返っ てお きた い︒ 二

〇〇 七年 七月 の作 者の 病没 によ り︑ 完結 する には 至ら なか った が︑ 雑誌

﹁す ばる

﹂に 一九 九九 年三 月号 から 二〇

〇七 年五 月号 まで 連載 され

︑全 九十 章︑ 四百 字詰 原稿 用紙 に換 算し て六 千枚 を数 える この 小説 は︑ 関東 大震 災か ら一 九 二七 年 ま で の足 掛 け 五年 に 及 ぶ時 代 の 中 で︑ 朝鮮 人 の 父親 と 日 本 人の 母 親 との 間 に 生れ た 少 年 木村 重 夫

︵ 朝 鮮 名

玄 重 夫

︶ が東 京か ら出 発し て︑ 神戸

︑上 海︑ 京城

︑平 壌︑ 広州

︑香 港︑ 武漢 を移 動︑ その 土 地 で生 じ る 数々 の 人 間ド ラマ の前 に我 が身 を曝 しつ つ︑ 歴史 の目 撃者 から それ に参 加す る者 へと 変貌 を遂 げて いく 過程 を語 り上 げた もの であ る︒ そ うい った 小説 の主 要舞 台と もな って いる 神戸 と上 海に

︑日 本の 近現 代文 学は どの よう に関 わり

︑己 を肥 やす どん 剣 呑 さ を 生 き る 小 説

九 三

(3)

な滋 養を 吸収 して きた のか とい う問 いか けの もと に︑ 自分 自身 は一 九九

〇年 代後 半に 初め て上 海を 訪れ

︑ま た二

〇〇 四年 にか つて の神 戸モ ダニ ズム の形 成に 与っ た学 校に 勤め る機 縁に 恵ま れて 以降

︑こ のテ ーマ につ なが る具 体的 な課 題と 向き 合っ てき たこ とが

︑私 が﹁ 河﹂ を手 に取 るそ もそ もの きっ かけ であ った

︒ も っと も自 分の 興味 関心 をそ そる 対象 は︑ こと 上海 に限 って みる だけ でも それ まで に陸 続と 現れ てき てい たの であ って

︑言 い訳 がま しい がこ の小 説を 集英 社か ら刊 行さ れた 全三 巻の 単行 本︵ 二

〇 八

・ 六

〜 八

︶ で読 み出 し た のは

︑昭 和文 学の 上海 体験 とい う括 りで 自分 のそ れま での 仕事 に中 仕切 りを 設け る上 での 拙著 出版 を思 い立 ち︑ その 終章 を書 き下 ろす まで の段 階の どこ か︑ たぶ ん二

〇一 五年 か一 六年 のこ とで はな かっ たか と思 う︒ それ ほど まで にも 私が 小田 実の 文学 と接 して きた 期間 は短 い︒ だ が︑ その 折し も兵 庫県 芦屋 市潮 見町 の高 齢者 総合 福祉 施設

﹁あ しや 喜楽 苑﹂ で︑ 阪神

・淡 路大 震災 直後 に市 民救 援基 金を 立ち 上げ るべ く奔 走し た小 田を 偲ん で︑ 彼の

﹁人 生の 同行 者﹂ 玄順 惠が デザ イン した 石碑

││ そこ には 小田 がよ く口 にし た﹁ 古今 東西

人 間み なチ ョボ チョ ボや

﹂と いう 言葉 が刻 まれ た│

│の 除 幕 式︵ 二

〇 一 六 年 六 月 五 日

︶ に 参加 し︑ この 時点 で発 足以 来第 八期 を迎 えて いた

﹁小 田実 を読 む会

﹂の 存在 を知 った こと が︑ 私を 急速 に小 田の 作品 世 界に 近 づ け てい く こ とに な っ た︒ すな わ ち

︑同 会 の第 109回 読 書 会﹁ 玄さ ん が 語 る﹃ 河﹄ と東 ア ジ ア の 近 代

〇 一 八 年 四 月

︑︶ 121第 回目 にあ たる

﹁小 田実

遺 した もの

〇 一 九 年 三 月

︑ 発 題 者 は 第 109 回 と 同 じ く 玄 順 惠

︶ にお い て 自由 闊達 な意 見交 換の 輪の 中に 加わ った り︑ 会の 機関 誌﹁ りい ど みい

〇 一 九 年 六 月 発 行 の 第 九 期

・ 一

〇 期 併 合 号 ま で 通 巻 9 号

︶ に 掲載 され てい る評 論や エッ セイ に接 する 機会 も増 え て いっ た の だが

︑そ ん な 流 れの 中

︑小 田 実の 十 三 回忌

を目 前に 控え た二

〇一 九年 七月 末に 開か れた

︑第 二次 の活 動に 移行 した

﹁読 む会

﹂で

︑件 の小 説を めぐ って 発題 する チャ ンス を与 えら れた のだ った

剣 呑 さ を 生 き る 小 説

九 四

(4)

い まか ら︑ そこ で話 した こと をベ ース にし て﹁ 河﹂ を読 む醍 醐味 が奈 辺に ある か反 芻し てい こう と思 う︒ その ため に当 日用 意し てい った 幾つ かの 切り 口を ほぼ その まま 用い てい くこ とに する が︑ ただ ここ で一 言強 調し てお きた いの は︑ 報告 が済 んで から 現在 に至 るま で︑ 小田 の執 筆し た他 の作 品を 新た に読 み︑ そう して それ との つな がり をは から ず も発 見 し た こと に よ って

︑﹁ 河

﹂と い う 作 品 が ま さ に 小 田 実 の 文 学 の 集 大 成 に ふ さ わ し く

︑彼 の 人 生 の 全 重 量 が 滔々 と流 れ込 んで 出来 上が って いる のだ とい う感 触を 得︑ その 大河 がつ くり 出す 渦に 圧倒 され

︑そ の中 に捲 き込 まれ てい く愉 しみ を再 三味 わえ たと いう こと

︑そ して その 経験 に裏 打ち され た叙 述も この 拙論 中に は織 り込 むつ もり でい ると いう こと だ︒ た と え ば︑ 開 高健

︑柴 田 翔︑ 高 橋和 己

︑真 継 伸彦 と と も に一 九 七

〇年 に 創 刊 し た 季 刊 誌

﹁人 間 と し て

﹂の 創 刊 号

︵ 一 九 七

・ 三

︑ 筑 摩 書 房

︶ に 小田 が 寄 せた

﹁私 が い て︑ こと ば が あ って

﹂と 題 す るエ ッ セ イ︒ 見開 き 二 頁 で 収 ま る 短 い文 章な のだ が︑ 実は そこ で問 題に され てい たこ とが

︑そ れか ら三

〇年 近く が経 過し て書 き出 され た﹁ 河﹂ の中 に流 れ込 んで 来て いる

︒具 体的 に何 が問 題に され てい たか とい うと

││ いや

︑そ れは

︑乞 うご 期待 あれ

︑こ の先 の随 分後 の方 で触 れる 事に なろ う︒ その 前に も︑ この 小説 を読 むに あた って の幾 つか のハ イラ イト シー ンを 扱っ てお かね ばな らぬ

︒で は︑ 作品 世界 の方 へ進 み入 って いこ う︒ 一 文 字 資料 に 現 れる 歴 史 と登 場 人 物が 体 現 する 歴 史 と 一 九八 三年

︑そ の前 年に 結婚 した 済州 島出 身の 両親 を持 つ玄 順惠 と訪 れた 中国 の広 州で

︑か つて 孫文 が革 命の 策源 地に 定め

︑北 伐の 出発 点と もな った この 都市 で︑

﹁ 反革 命﹂ に 転 じた 蒋 介 石の 権 力 に抗 し て 中 国共 産 党 が武 装 蜂 起を 決行

︑広 東ソ ビエ ト政 府を 樹立 した もの の短 期間 で壊 滅さ せら れた 時に

︑こ の運 動に 参加 した 朝鮮 独立 を目 指す 二百 剣 呑 さ を 生 き る 小 説

九 五

(5)

余名 の朝 鮮人 のほ とん ども 斃さ れた 事実 を順 惠に 告げ

︑そ れを 聞い て涙 ぐん だ彼 女を 前に して この 小説 を﹁ 書く べし と決 めた

﹂│

│と

︑こ のよ うに

﹁河

﹂執 筆の 契機 につ いて

︑小 田実 は玄 順 惠 と の共 著

﹃わ れ

わ れの 旅 N Y・ ベル リン

・神 戸・ 済州 島﹄ 一 九 九 六

・ 一

︑ 岩 波 書 店

︶ の 中で 語っ てい る︒ こ の一 九二 七年 一二 月の

︑実 際に は小 田の 死の ため に書 かれ ずし て已 んだ いわ ゆる 広州 コミ ュー ンの 誕生 直前 に至 る まで

︑小 田 は 主 人公 の 重 夫少 年 を 日本

・中 国

・朝 鮮 の﹁ 三 国の 絡 み 合い の 歴 史﹂

の 中 に投 げ 込 んで い く

︒そ れ は 小説 の冒 頭に 出て くる

︑関 東大 震災 直後 に重 夫母 子の 目の 前で 父の 玄文 羅が 自警 団に 連行 され てい く場 面を はじ めと して

︑一 九二 五年 春の 上海 で勃 発し た︑ 労働 運動 と反 帝国 主義 の政 治運 動・ 民族 運動 とが 結び つい た叛 乱︑ 国民 革命 軍の 進行 途上 の漢 口で 一九 二七 年一 月に 生じ た国 権回 収を 叫ぶ 中国 人民 衆に よる 英国 租界 の占 領と いっ た︑ 数多 の出 来 事の

﹁現 場

﹂に 彼 を 立ち 会 わ せて い る こと で 確 か めら れ る

︒ む ろん

︑﹁ 小 田 実を 読 む 会﹂ 報 告要 旨 で 玄順 惠 が 述 べて いる よう に︑ この 小説 は﹁ 歴史 を描 いた 訳で はな く歴 史と 対 話 する 人 間 を 描い た も の﹂ であ ろ う

︒ つ まり

︑重 夫の 父が 自警 団に 引っ 立て られ てい く場 面で も︑ あの 折そ のよ うに 捕ま れ︑ その 挙句 無体 な死 を強 要さ れて いっ た多 くの 朝鮮 人が いた とい う事 実だ けが 重要 な の で はな く

︑﹁ わ たし は 朝 鮮人 だ が︑ 日 本 人だ

︒そ の ど こが わ る い︒ 何が わる い﹂ 第 一 章

│ 三

︶ と 低い

︑太 い声 で叫 びつ づけ る父 の言 葉が 訴え かけ てく るも の の 意 味を 考 え るこ と と︑ そ の夫 で あ り 父 の 言 葉 を 耳 に 入 れ な が ら も﹁ こ の 子 も わ た し も 日 本 人 で す

︒朝 鮮 人 と ち が い ま す︒ ま ち が わ な い で 下 さ い﹂

︑﹁ ぼ くは 朝鮮 人じ ゃな い︒ 日本 人で す﹂

︶ と いっ た言 葉を 発し たこ とが

︑木 村美 智子 と重 夫の 心に どの よ うな し!!! と なっ て残 され てい くか を重 く受 け止 めて いく こと とが

︑小 説を 読み 進め てい く上 では さら に大 事だ と思 う︒ こ のよ うに

﹁三 国の 絡み 合﹂ う︑ ある いは

﹁三 国﹂ に絡!!!!!

︿歴 史﹀ は︑ 各登 場人 物の 生の 襞に 浸透 し︑ 刻印 され るか たち で私 たち 読者 の前 に立 ち現 れて くる ので あり

︑そ の最 たる 人物 を問 われ ても

︑広 州で 貿易 業を 営む

︑か

剣 呑 さ を 生 き る 小 説

九 六

(6)

つ て は

﹁特 務

﹂機 関 で 働 い て い た 伯 父

︵ 美 智 子 の 長 兄

︶ や︑ 神 戸 で 重 夫 が 出 会 っ た︑ 父 が ア イ ル ラ ン ド 人 の キ ャ シ ー・ オブ ライ アン

︑ド イツ 人の 商人 シュ ナイ ダー

︑朝 鮮人 の岡 田青 年と いう よう に枚 挙に いと まが なく

︑そ の一 端に つい ては この 後取 り上 げる つも りだ が︑ ただ その 一方 で︑ 主人 公の 少年 を歴 史の 目撃 者た らし め︑ それ と対 話さ せる ため には

︑当 然現 在か らほ ぼ一 世紀 隔た った 一九 二〇 年代 東ア ジア の政 治・ 社会

・文 化状 況と

︑そ の中 で生 きた 人間 の姿 につ いて の巨 視と 微視 との あい まっ た知 識も

︑書 く側 とし ては 持つ 必要 のあ るこ とに 留意 しな けれ ばな らな いだ ろう

︒こ の小 説を 仕上 げる にあ たっ て作 家が 読ん だと 思わ れる 資料 を数 えた ら﹁ 二二 六冊

﹂が 書棚 にあ った とは 玄順 惠の 言葉

だが

︑こ とほ ど左 様に 作家 はこ れぞ と思 った 対象 をブ ルド ーザ ー の よう に 掘 削 し︑ コン ク リ ート ミ キ サー のよ うに 撹拌 し︑ 自身 が創 造す る小 説世 界の 中に 流し 込ん でい く︒ いま

︑そ の一 例と して ニム

・ウ ェー ルズ の﹃ アリ ラン の歌

﹄の 場合 を見 てお くこ とに する

﹃中 国の 赤い 星﹄ の著 者エ ドガ ー・ スノ ーの 妻 で ある ヘ レ ン・ フォ ス タ ー・ スノ ー 夫 人 が﹁ ウェ ー ル ズ人 の 血 をひ く﹂ とい う意 味の ペン ネー ムで もっ て執 筆︑ 一九 四一 年に 刊行 した

﹃ア リラ ンの 歌﹄ は︑ 中国 革命 の取 材の ため

︑一

九三 七年 の延 安に 赴い たジ ャー ナリ スト の彼 女が

︑そ の 地 で出 会 っ た﹁ 金山

﹂と 名 のる 朝 鮮 人 革命 家︵ 本 名

張 志 楽

︶ の三

・一 運動 以降 広州 コミ ュー ンへ の参 加も 経て

︑自 民族 解放 闘争 に身 を賭 して きた ライ フス トー リー を︑ 彼か らの 聞き 書き をも とに して 記録 した もの であ る︒ 私が ここ で用 いる テク ス トは 松 平 いを 子 訳 の岩 波 文 庫 版︵ 一 九 八 七

・ 七

︶ だが

︑そ の﹁ 第2 章 伏し て待 つ者 たち

﹂で は︑ 一九 二〇 年に 上海 にや って 来て

﹁あ らゆ る種 類の 人々 に出 会い

︑政 治的 信念 と討 論と がぶ つか り合 う渦 中に 投げ こま れ﹂ た十 六歳 の﹁ 私﹂

金 山

︶ が

︑む しろ そう した 政治 談議 の 輪か ら逸 れて

︑日 本人 に対 して の直 接行 動に 向か って い く 若 いテ ロ リ スト の グ ルー プ

﹁義 烈 団﹂ の 団員 た ち の生 き 方 に︑ ある 特別 な感 銘を 覚え てい った こと が次 のよ うに 回想 され てい る︒ 剣 呑 さ を 生 き る 小 説

九 七

(7)

﹁ 彼 ら の 生 活 は 陽 気 さ と 真 剣 さ と の 奇 妙 な 結 合 だ っ た

︒ 死 が 常 に 目 前 に あ る か ら こ そ

︑ 生 を そ の あ る 限 り 精 い っ ぱ い に 生 き た

︒ ど き っ と す る く ら い あ っ ぱ れ な 奴 ら だ っ た

︒ 義 烈 団 員 は い つ も 外 国 風 の ス ポ ー テ ィ な 服 装 を 着 こ な し

︑ 頭 髪 を 整 え

︑ よ そ お い に と て も 気 を つ か っ て 清 潔 で ピ カ ピ カ し て い た

︒ 写 真 を と る こ と

│ い つ も そ れ が 最 後 の だ と 思 い な が ら

│ が 好 き で

︑ フ ラ ン ス 公 園 を 散 歩 す る の も 好 き だ っ た

︒ 朝 鮮 の 娘 は み ん な 義 烈 団 に あ こ が れ

︑ 恋 愛 問 題 も 多 か っ た

︒﹂ そ して

︑そ れと ほぼ 同じ 感懐 を﹁ 河﹂ の中 にあ って 口に する のが

︑上 海に 向か う船 の中 で重 夫が 出会 い︑ そう して 上海 で 暮 ら し始 め た いま

︑彼 と そ の伯 父

︵ 美 智 子 の 三 兄

︶ と 連 れ 立っ て 上 海の 租 界 でい ち ば ん 美し い と 言わ れ る 公園

フ ラン ス公 園に やっ て 来 た 中川 で あ る︒ すな わ ち︑ こ の﹁

﹁ト ク ム﹂ と も﹁ ス パイ

﹂と も

﹁イ ヌ﹂ と もつ か ぬ 白髪 の男

﹂│

│中 川も また

︑必 死を 覚悟 する 義烈 団員 がこ の世 に自 身の 形見 を残 そう とし て︑ よ く ここ へ 来 て写 真 を 撮り たが るこ とを 二人 に向 かっ て告 げな がら

︑折 しも 池の ほと りで 写真 を撮 り合 って いる 上質 の上 衣を 着こ なし た二 人の 青年 を目 ざと く見 つけ て︑

﹁ 確証 はあ りま せん が︑ わた しに は ま ちが い な くあ の お 二人 は 義 烈 団の テ ロ リス ト に 見え ます な︒ 連中

︑と にか くハ ンサ ムだ し︑ から だを 鍛え てお かん とい かん とい うこ とで スポ ーツ に精 を出 して いる もん だか ら︑ 朝鮮 の若 い女 によ くも てる

︒し かし

︑あ のお 二人 も

︑明 日 にな れ ば︵ 後 略

﹂︶ 第 十 一 章

│ 八

︶ と

︑こ う 言 うの であ る︒ 一 例を 示し ただ けだ が︑ こう した 資料 の活 かし 方が

︑読 者を して

︑そ の時 その 場に 引き 連れ てい く︒ 小説 の後 半の

﹁ 第七 十章

│一

﹂︑

﹁ 第七 十章

│八

﹂は

︑一 九二 七年 四月 十二 日 の 上海 で 起 きた 蒋 介 石に よ る 反 共ク ー デ ター の 動 きが 始ま った 様子 を重 夫が 友人 の中 西と とも に目 撃し た り︑

﹁ 超 一流 の 支 那通 記 者﹂ を 任じ て い る 東が 事 件 の二 日 後 に重 夫に 向か って 彼の つか んだ 情報 を伝 えた りす ると ころ であ るが

︑そ こで は腕 章に

﹁工

﹂の 一文 字を 記し て労 働者 側の 便衣 隊を 装う ゴロ ツキ 集団 と︑ 蒋介 石側 に付 いて いる

﹁国 民革 命軍

﹂士 官の 奸計 には めら れて

︑総 工会 本部 が武 装解

剣 呑 さ を 生 き る 小 説

九 八

(8)

除さ せら れた 後に 一斉 に襲 撃さ れた 経緯 が実 に詳 しく 語ら れて いる

︒管 見で は上 海の 日刊 新聞

﹁申 報﹂ に掲 載さ れた 記事 が︑

﹁ 労働 者側 の工 人糾 察隊 の隊 長が 隊員 二人 と医 者と 書 記 を連 れ て 調査 に 出 かけ た と こ ろに 国 民 革命 軍 の 士官 が現 われ

﹂の よう なデ ィテ ール も含 めて

︑こ こで の叙 述を 裏打 ちす る もの と し て挙 げ ら れ る

の だ が︑ 小田 は 何 を参 照し たの だろ う? 一 方︑ すで に私 は小 説﹁ 河﹂ のテ クス トに おい て は︑

︿ 歴 史﹀ がそ こ に 登場 す る 人間 の 生 に 刻印 さ れ るか た ち で物 語ら れて いる と指 摘し てお いた

︒そ のこ とを 広州 の伯 父の 場合 に徴 して 確か めて おき たい

︒舞 台は 香港

︑そ こに ある イギ リス 系学 校に 入っ て寄 宿舎 生活 を始 めて いる 重夫 を訪 ねて 来た

︑現 在は 貿易 商と して

﹁自 由﹂ な﹁ 人間 活動

﹂の 守ら れて いる

﹁商 売﹂ の世 界で 生き てい る彼 が語 り出 した 自ら の過 去に つい ての 話は

︑﹁ 大 きく 歴史 にひ ろが るよ う﹂

︵ 第 三 十 六 章

│ 三

︶ な 感銘 を重 夫の 心に もた らす

︒す なわ ち︑ 商人 と な る前 の 伯 父の 半 生 の 歩み と は︑ 軍 人た る 自 分が 樽井 藤吉 の﹃ 大東 合邦 論﹄ 一 八 九 三

︶ に 触 発 され て 抱 いた 日 韓 両 国の 対 等 合邦 を 礎 とし た ア ジ ア主 義 の 理想 や 夢 が︑ その 翌年 に起 きた 日清 戦争 を端 緒と する それ をぶ ちこ わす よう な事 態や 事件 に出 会っ て揺 らい だ時

︑そ れに 立ち 向か えな いで ある こと をい ろい ろな 口実

︑理 由︑ 大義 名分 をつ けて 納得 して いく あい だに

︑﹁ 自 分自 身が 変わ って しま う﹂

︵ 第 三 十 六 章

│ 二

︶ と い うも の で あ った

︒そ し て︑ こ の変 わ り よう

︑人 間 性 の 荒 廃 と は

︑﹁ 軍

﹂が そ う や っ て 統 制

︑秩 序を はか るよ うに

﹁い いと きは いい が︑ 具合 がわ るく なる と︑ 責任 だけ を負 わせ て相 手を 切っ て 棄 て る﹂ 第 六 十 二 章

│ 三

︶ とい った かた ちで 現れ るも ので ある とも 告げ る伯 父は

︑自 らの そう し た 行為 の 犠 牲 とな っ て︑ い まは 香 港 の精 神病 院に 入っ てい るあ る日 本人 女性 に対 して

︑彼 女が それ を受 け取 ると きに だけ 彼の 人間 性を 認め る︑ まだ 温か さが 残っ てい る﹁ ボル シチ

﹂を 我が 手で 贈り 届け てい る︵ 第 四 十 一 章

│ 五

︒︶ 中 国革 命︑ 朝鮮 独立 を目 指す 運動 が︑ 同じ 陣営

︑同 志の 間に あっ ても 見解 の衝 突︑ 路線 の対 立を 生じ させ

︑あ るい 剣 呑 さ を 生 き る 小 説

九 九

(9)

は また 当 面 の 目的 を 達 成す る た めに 時 に は 敵と 結 び つか ね ば な らな い 事 態を 惹 起 させ た り し なが ら 幾 度も 繰 り 返さ れ︑ 反復 され

︑進 行し てい く︑

││ そう した こと も︿ 歴史

﹀が 表わ す真 理の 一つ であ るこ とを

︑﹁ 河

﹂と いう 小説 は︑ 孫 文と

﹁軍 閥

﹂﹁ 青 幇﹂ と の結 び つ き︵ 第 九 章

│ 四

︑︶

﹁ 民 族﹂ の ため の 闘 争か

︑﹁ 階 級﹂ の ため の 闘 争 かを め ぐ る 朝 鮮 独立 を目 指す 者同 士の 意見 の衝 突︵ 第 十 四 章

│ 三

︶︑ 農 民の 勢力 に根 ざし た土 地革 命 の是 非 を め ぐる 中 国 共産 党 内 の路 線 対立

︵ 第 七 十 二 章

│ 四

︑︶ 革命 の 火 種 を絶 や さ ぬた め に 玄文 羅 が 南 京 政 府 と の 繋 が り を 選 択 す る こ と︵ 第 七 十 九 章

│ 二

︶ など

︑そ の局 面局 面に 応じ て伝 えて いる

︒む ろん

︑運 動の 全体 は直 線と して は進 行 し てい か な い︒ 螺旋 の よ うに 内へ の深 化と 外へ の拡 大を 伴い つつ

︑そ して その 階梯 にお いて は時 には 挫折 や失 敗も 現出 させ なが ら進 むも ので あろ う︒ そし て︑ この 後者 の﹁ 革命 とい う大 きな 理想 が 崩 壊 する と き﹂ の 紛れ も な い事 実 と し て︑

﹁人 間 の 醜さ が い くら でも 姿を 現わ して 来る

﹂こ とを 重夫 に告 げる のが 父文 羅で ある

︵ 第 八 十 二 章

│ 一

︶ の だが

︑父 のこ の言 葉を 敷衍 する な らば

︑個 とし ての 歴史

︑人 生を 通し て︑ それ とま さに 相通 じる 体験 をし てき たの が︑ 自ら の夢 の崩 壊に よっ て︑ 彼を 愛し てい た女 性の そ の﹁ 愛を 弄

﹂び

︑軍 の 特 務と し て の﹁ 仕事 に 利 用﹂ し︑

﹁あ げ く の はて

﹂︑

﹁ 彼 女を 捨

﹂て て 狂わ せた

︵ 第 四 十 一 章

│ 五

︶ 伯 父な のだ

︒こ うし た自 身の 醜さ と直 面し た人 間と して

︑人 生の 負債 を抱 えな がら 生き てい か ねば なら ない 姿を 重夫 に伝 えて いく 意味 にお いて も︑ 広州 の伯 父の 存在 は重 たい

︒ 二

﹁ 河

﹂ にお け る

︿ア イ ル ラン ド

﹀ と一 九 二

〇年 代 の 神戸 時 間的 に見 て広 州の 伯父 より も早 い時 点︵ 第 三 章

︶ で 重 夫 が出 会 う キャ シ ー・ オ ブラ イ ア ン とい う 英 語の 家 庭 教師 も︑ 若い なが らも すで にそ の背 にず っし り と し た歴 史 を 担っ て き た存 在 で あ る︒ 彼女 と 重 夫の 関 係 は﹁ 姉﹂ と﹁ 弟﹂ に見 立て られ てい るが

︑そ れは ただ 単に 二人 の親 しさ のみ に向 けら れる 形容 では なく

︑重 夫が 朝鮮 人の 父と 日本 人の

剣 呑 さ を 生 き る 小 説

(10)

母を 持つ よう に︑ キャ シー もア イル ラン ド人 の父 とイ ギリ ス人 の母 を持 って いて

︑さ らに は二 人の 父親 の国 が二 人の 母親 の国 の植 民地

﹁コ ロニ イ﹂ であ る点 でも 共通 して い る とい っ た︑ 二 人の 民 族 的な ら び に 政治 的 出 自の 相 同 性を も指 して いる もの であ る︒ そし て︑ 震災 時の 体験 を契 機に 中国 に渡 り︑ 日本 打倒 のた めに たた かっ てい る朝 鮮人 とと もに 行動 する こと を決 意し た重 夫の 父の

︑こ の先 歩ん でい く危 険な 道程 を前 もっ て告 げる かの よう に︑ キャ シー の父

親は 一九 一六 年四 月二 十四 日に ダブ リン で起 きた 復活 祭蜂 起に 参加

︑た たか いが 敗北 に終 った あと

︑イ ギリ スの 軍法 会議 にか けら れ銃 殺刑 に処 され てい る︵ 第 六 章

│ 四

︶︒ そ れで もた たか いは 続け られ てい かね ば なら な い こと を キ ャシ ーは 苦し さの 裡に 自覚 して いる し︑

﹁ 河﹂ のそ の後 のス ト ー リー の 展 開も

︑彼 女 の そう し た 思 いに 呼 応 する か の よう に︑ 重夫 の父 をは じめ とす る﹁ 志あ る朝 鮮人

﹂を 無事 に朝 鮮に 送り 込ん でく れる アイ ルラ ンド 人の ショ ウを 登場 させ たり

︵ 第 十 章

│ 六

︑︶ 北伐 軍に 同行 した 重夫 がそ こで 知り 合っ た国 民政 府外 相陳 友仁 の娘 の シル ビ ア︑ イ オラ ン タ 姉妹 をし てア イル ラン ドの 民謡 を歌 わせ る場 面︵ 第 五 十 五 章

│ 八

︶ を用 意し てい く︒ が

︑こ こで もう 一つ 気に 留め てお きた いの は︑ 重夫 が﹁ 自分 はイ ギリ ス人 では ない

︑ア イル ラン ド人 だ

第 三 章

│ 一

︶ と言 い切 るキ ャシ ーと 出会 った 場所 が︑ 震災 翌年 の日 本の 神戸 とい う街 に設 定さ れ て いる こ と の意 味 で ある

︒移 動の 小説 と呼 びた くな るこ の小 説を 読ん でい く際

︑主 人公 の重 夫が その 都度 足を 留め てい く土 地や 場所 が小 説の モチ ーフ と繋 がる もの とし てど のよ うな 射程 で捉 えら れて いる か︑ そし てま た︑ そう した 企て と土 地や 場所 の現 実態 との 関係 はど うな って いる かと いっ た点 に対 する 興味 関心 が増 して くる から であ る︒ ここ では その 一例 とし て︑ 小説 が開 幕を 告げ て間 もな く︑ 重夫 がし ばし 滞在 する 神戸 を取 り上 げ︑ 先ず はそ こを

︿ア イル ラン ド﹀ が流 れ込 む場 所と して 捉え ると ころ から 考察 を広 げて いこ う︒ す ると

︑作 品そ のも のの 発表 され た時 が﹁ 河﹂ にお いて 神戸 が扱 われ てい る 時代

︵ 重 夫 の 神 戸 時 代 は 一 九 二 四 年 初 め

︶ 剣 呑 さ を 生 き る 小 説

〇 一

(11)

とほ ぼ一 致し

︑そ こに 現れ てく る神 戸の 街の 郊外 のた たず まい が﹁ アイ ルラ ンド

﹂と 関わ って くる 短編 小説 が浮 上し て来 る︒ 稲垣 足穂 が書 いた

﹁煌 ける 城﹂

︵﹁ 新 潮

﹂ 一 九 二 五

・ 一

︶ で ある

︒一 九二 三 年 に 刊行 し た﹃ 一 千一 秒 物 語﹄ に対 し て﹁ 童話 の 天 文 学者

﹂﹁ セ ル ロイ ド の 美学 者

﹂と い っ た賛 辞

が寄 せ ら れた よ う に︑ 初 発期 の 足 穂の 作 風 はシ ュ ー ルで 幻想 的な 風合 いを 特徴 とす るが

︑﹁ 煌 ける 城﹂ もま た︑ 夏 の 休暇 を 使 って 自 分 たち が 過 ご すに 相 応 しい 家 探 しに 出か けた

﹁私

﹂と

﹁石 野﹂ の二 少年 が︑ 神戸 の街 の 郊 外︑ 青 谷や 布 引 をま じ か に控 え た 丘 や林 中 で︑

﹁ おも ち ゃ みた いな 赤屋 根の 西洋 館﹂ や﹁ おも しろ い恰 好の お城

﹂を 見つ け︑ その 不思 議な 魅力 に惹 きつ けら れて いく 顚末 を語 った もの であ る︒ 次に 引く のは

︑そ の建 物の 造作 をめ ぐっ て二 人が 言葉 を交 わす 場面 であ る︒

﹁ あ の 窓

︑ 別 世 界 み た い だ ろ う

﹂ と 石 野 が 云 っ た

/ で

︑ も う い っ ぺ ん ガ ラ ス の カ ケ を の ぞ い た が

︑ す る と 何 か 仕 掛 の あ る 暗 箱 を 通 し た か の よ う に

︑ ど う 考 え て も 日 本 で な い

︒︵ 中 略

︶ じ い っ と 見 て い る と

︑ 斜 め に な っ た 日 射 を 受 け た 芝 地 の 黒 い 杉 林 の 中 か ら

︑ 桃 色 や 青 や 金 の よ そ お い を し た 王 様 の 一 隊 が

︑ 繰 り 出 さ れ て き そ う だ

︒︵ 中 略

︶﹁ あ の 窓 お か し い ね

︒ ア イ ル ラ ン ド へ 行 っ た と い う 人 と 関 係 が あ る の だ ろ う か

﹂︵

﹁ 煌 け る 城

﹂︶ 妖 精や 精霊 が踊 る土 地と して の愛 蘭

アイ ルラ ンド への 憧れ は足 穂 の作 品 に しば し ば 現 れる

も ので あ り︑ 彼 が中 学部 まで は在 学し てい た関 西学 院が 学院 の内 外に 作っ てい た文 化圏 にお いて もた しか な広 がり を見 せて いた と思 われ る︒ そし て︑ その 表現 や作 家の 意図 を比 較し ただ け で は 隔た り を 感じ さ せ る︑ 都市 型 蜂 起 の生 じ た︿ ア イル ラ ン ド﹀ イメ ージ と牧 歌的 な幻 想を 育む

︿ア イル ラン ド﹀ イメ ージ では あっ ても

︑本 家本 元の 地で イエ ーツ

︑シ ング

︑ダ ンセ イニ らの 文学 者が 実践 して いっ たア イル ラン ドの 伝説 や昔 話を 掘り 起こ して いく 文芸 復興 運動 が︑ イギ リス の文 化的 支配 から の脱 却を 図る ため の意 識的 努力 とし て︑ 現実 とは 異な る世 界を 志向 する 性質 のも ので あっ たこ とを ふま える

剣 呑 さ を 生 き る 小 説

〇 二

(12)

なら ば︑ それ によ って 生み 出さ れる 妖精 たち が遊 ぶ幻 想性 の濃 い文 学と

︑自 治・ 独立 とい う目 標を 掲げ て現 実的 に展 開さ れた 同時 代の 政治 的活 動と は︑ 根底 では 結び つい てい たと 言え よう

︒ 一 方︑ 小田 の抱 懐す る︿ アイ ルラ ンド

﹀イ メー ジな るも のに 目を 向け れば

︑す でに その 文学 的始 発点 にあ って

︑彼 はこ の両 方の イ メ ージ に 愛 着を 持 っ て いる こ と を明 言 し てい た

︒そ れ は﹃ 何 でも 見 て やろ う

﹄︵ 一 九 六 一

・ 二 河 出 書 房 新 社

︶ に 収め られ た﹁ あい るら んど のよ うな 田 舎へ 行 こ う│

│ズ ー ズー 弁 英 語 の国

││

﹂で あ る︒ 自 分と 同 じ 大阪 出 身の 詩 人 丸 山薫 の 詩﹁ 汽 車に の つ て﹂

︵ 詩 集

﹃ 帆

・ ラ ン プ

・ 鷗

﹄︹ 一 九 三 二

・ 一 二

︑ 第 一 書 房

︺ 所 収

︑ 初 出 は

﹁ 椎 の 木

﹂︹ 一 九 二 七

・ 六

︺︶ が

﹁ひ とび とが 祭の 日傘 をく るく るま わし

/日 が照 りな がら 雨の ふる

/あ いる ら んど の よ うな 田 舎 へゆ こう

﹂と 歌っ てい るの を引 き合 いに 出し て︑

﹁ まっ たく そん なふ うな アイ ルラ ンド 民謡 が大 好き であ

﹂り

︑﹁ アイ ルラ ンド とい う土 地に

︑ひ そや かな る憧 れを 抱い てい

﹂た 小田 は︑ それ とと もに

﹁流 血に つぐ 流血

﹂に よっ て独 立を かち 得た アイ ルラ ンド の近 代史 にひ きつ けら れて もい る︒ さ らに

︑こ うし た元 から の好 感に 加え

︑実 際に アイ ルラ ンド 人と の交 流を 通し て彼 がも う一 つ強 い感 銘を 受け たの が︑ 彼ら の用 いる

﹁ア イリ ッシ ュ・ イン グリ ッ シ ュ﹂

︑ この 一 文 の副 題 の 表現 を 借 り れば

﹁ズ ー ズ ー弁 英 語﹂ で あっ た︒ こ の公 式 の 英 語と は 違 って

﹁田 舎 の 匂い

﹂の す る

﹁ズ ー ズー 弁 英 語﹂ の も た ら す な つ か し さ

︶ が持 つ ポ テン シ ャ ル エネ ル ギ ー につ い て の考 察 が 進め ら れ て いく 過 程 で書 か れ た もの が

︑再 度 その タ イ トル の み を 思い 出 し てお け ば

﹁ 私が いて

︑こ とば があ って

﹁ 人 間 と し て

﹂ 創 刊 号

︹ 一 九 七

・ 三

︺︶ であ り︑ そし てそ れが

﹁河

﹂の 登場 人物 の 造 形に

体現 化さ れる のが

︑香 港で 重夫 の友 人と なっ たヤ コブ

・リ ーバ ーマ ン・ 河の 母親 が口 にす る﹁ 大阪 弁英 語﹂ なの であ る︒ 小田 がこ うし た言 葉へ の愛 着を 持ち

︑そ れを 小説 の登 場人 物に 使わ せて いく こと に何 を読 み取 るべ きか

︑少 しは その 解が 見え てき てい るよ うに も思 うが

︑こ れに つい ての 考察 は章 を改 めて 拙論 の後 半で 行う こと にし たい

︒ 剣 呑 さ を 生 き る 小 説

〇 三

(13)

﹁ 商 人 の革 命

﹂ ヴィ ジ ョ ンで つ な がる 広 州 と神 戸 神 戸の 話題 に戻 る︒ ケル ト神 話や アイ ルラ ンド 独立 運動 に対 する 関心 が育 つ文 化的 環境 が一 九二

〇年 代の 神戸 にあ った れば こそ

︑キ ャシ ー先 生の 存在 が﹁ 河﹂ に登 場す るこ とに も一 定の リア リテ ィが 担保 され てい るわ けだ が︑ もし 日本 の外 にあ る︑ その 国や 土地 での 民族 の独 立や 革 命 に 向か う ど よも し が 波濤 を 越 え︑

︿ アイ ル ラ ンド

﹀以 上 に 同時 期の 神戸 に現 実態 とな って 押し 寄せ てき てい たの は何 だっ たの かと 問わ れれ ば︑ それ はや はり 広州 を策 源地 とし てそ の勢 力を 伸ば し出 して いた 中国 国民 党の 動き であ った だろ う︒ 広州 起義 に失 敗し た孫 文が 神戸 に亡 命し てき たの は一 八九 五年 だっ たが

︑辛 亥革 命か ら十 年後 の一 九二 一年 には 中国 国民 党神 戸支 部が 発足

︑そ して 一九 二四 年一 一月 に死 を三 ヶ月 後に 控え た孫 文の 最期 の来 神︑

﹁ 大亜 細亜 問題

﹂と 題す る講 演が 行わ れた こと はよ く知 られ てい る︒ ひ るが えっ て﹁ 河﹂ に登 場す る神 戸の 住人 の方 に目 を向 ける と︑ こう した 広州 と深 く繋 がっ てい るの が︑ 市内 で老 舗の 中国 料理 店を 営む 華僑 の李 一家 であ る︒ 重夫 は転 校先 の小 学校 で李 家の 三男 李雷 山と 同級 とな って 親し く付 き合 い 始め

︑そ の 年 子 の妹 梅 華 にも

︑あ る 意 味で は 雷 山 に対 す る 以上 の 親 し みや 好 意 を覚 え て い く の だ が

︑李 の

﹁支 那 風﹂ の屋 敷に 遊び に行 った 重夫 が客 間で 初め て目 にし

︑雷 山の 説明 を聞 きな がら 印象 に留 めた もの とし て︑

﹁ 大元 帥﹂ こと 孫文 の写 真の ほか にも う一 つ︑ 広州 黄花 崗七 十二 烈 士 陵 墓と そ の 一部 を 成 して い る﹁ 中 国 国民 党 神 戸支 部 献 石﹂ の写 真が あっ た︵ 第 二 章

│ 五

︒︶ そ して それ は︑ 香港 の寄 宿舎 から 母と 伯父 のい る広 州に 戻っ てい た重 夫の 前に 前触 れも なく 梅華 が現 れ︑ この 一組 の行 動力 に溢 れた 少年 少女 の黄 埔軍 官学 校見 学が 済ん だ直 後︑ この 街の

﹁面 白い 見世 物﹂ とは 違う 姿を 彼に 知っ ても らお うと する 伯父 に連 れら れて 出か けた 時に

︑実 際 に 重夫 が 目 に する も の とな る︵ 第 二 十 八 章

│ 四

︒︶ い や

︑そ れ ばか

剣 呑 さ を 生 き る 小 説

〇 四

(14)

りで はな い︒ 廖仲 凱が 暗殺 され たこ とを 重夫 に告 げる 場面

︵ 第 三 十 一 章

│ 二

︶ で も︑ 未完 とな った この 小説 の最 終章 最 終節

︵ 第 九 十 章

│ 二

︶ に おい ても

︑こ の黄 花崗 の七 十二 烈士 の 墓の こ と は︑

﹁中 国 国 民 党神 戸 支 部献 石

﹂を 含 めた

﹁世 界各 地の

﹁国 民党 支部

﹂か らの 献石

﹂の 存在 も思 慮に 入れ た伯 父に よっ て反 復さ れて いく

︒そ して この 記念 石が 伝え てく るも のと は︑

﹁ 共産 党と 国民 党﹃ 左﹄ 派の 革 命 方針 の ち がい

﹂と い う よう な

︿政 治﹀ の 絡 んだ イ デ オロ ギ ー 闘争 によ るも のと は異 なり

︑た だひ と え に﹁ ま とも

︑ま っ と うな 中 国 をつ く り 出 した い

﹂と い う﹁ 華僑

﹂の 叫 び︑ 希 み︑ 願い によ って もた らさ れる 革命 のイ メー ジで ある こと を伯 父は 強調 する

﹁ま とも

︑ま っと うな

﹂と はど うい うこ とで あろ うか

︒一 国 が 他国 か ら の支 配 や 侵略 を 受 け るこ と な く独 立 し た状 態を 保っ てい るこ と︑ それ が国 とし ての

﹁ま とも

︑ま っと うな

﹂あ りか たで あろ う︒ では 個々 の人 間に とっ ては

?そ れ は自 分 個 人 の自 由 が 何物

︵ 者

︶ に も 阻ま れ て いな い こ と︑ 自 由 な 人 間 活 動 を 行 使 で き る 状 態 を 指 す も の で は な い か︒ そし て︑ 社会 の中 でこ うし た営 みや 状態 を原 理的 に最 もよ く表 して いる のが 経済 活動 だと いう 立場 に立 てば

︑そ の担 い手 とな る商 人︵

華 僑

︶ の心 の裡 にあ って

︑国 の 独 立 と自 分 の 行う 商 業 活動 の 自 由 とは 一 つ に繋 が り︑ そ こか

ら商 人の 革命 とい う新 たな ヴィ ジョ ンが 立ち 上が る こ と を広 州 の 伯父 は 重 夫に 向 か っ て語 り 続 ける

︒﹁ 河

﹂に お ける

神戸 は︑ 李と いう 神戸 華僑 を発 条と して

︑こ の商 人の 革命 とい う隊 列に 加わ る人 々が 生き てい る土 地と して も印 象に 残っ てい く︒ 政 治で はな く商 人の 力に よる 社会 の変 革︑ 人間 の自 由の 獲得 が小 田に とっ て熱 い思 いと なっ てい たこ とが

︑神 戸と は違 う土 地で 生き る人 間の 姿を 通し て伝 わっ て くる

﹁河

﹂以 前 の 小 説と し て︑

﹁ 大阪 シ ン フォ ニ ー﹂

﹁ 中 央 公 論 文 芸 特 集

﹂ 一 九 九 四 年 夏 季 号

〜 一 九 九 五 年 秋 季 号

︑﹁ 第 七 楽 章

﹂ か ら

﹁ 第 九 楽 章

﹂ は 書 き 下 ろ し て

︑ 一 九 九 七 年 三 月 に 中 央 公 論 社 よ り 単 行 本 と し て 刊 行

︶ のあ る こ と も 付 言 し て お き た い︒ す な わ ち︑

﹁ シ ン フ ォ ニ ー﹂ と い う

﹁ま る ご と 突 き 出 し 衝 動 の 音 剣 呑 さ を 生 き る 小 説

〇 五

(15)

楽﹂

の イメ ージ を 題名 に 用 いて い る よ うに

︑戦 後 す ぐの 時 代 の 大阪 を 舞 台と す る この 小 説 に 登場 す る 語り 手 で ある 少 年の

﹁私

﹂も

︑﹁ 私

﹂が ひ そ かに

﹁マ ル コ・ ポ ー ロ﹂ と 呼 ん で い た 一 歳 年 上 の 少 年

︵ ち な み に 彼 の 姓 は 重 夫 同 様

﹁ 木

﹂ で あ る

︶ も

︑両 者と もに アモ ルフ でど しが たい 精神 を宿 しな がら

︑﹁ 私﹂ の場 合 は自 ら を﹁ 商人

﹂と 称 し て﹁ イク ダマ 神社 つづ き﹂ の﹁ 高台 の焼 跡﹂ に﹁ 真正

﹂の

﹁闇 市

﹂を 出 現さ せ よ う と行 動 を 起こ す の であ り

︵﹁ 第 六 楽 章 あ の 世 と こ の 世

﹂︶

︑﹁ マ ル コ・ ポ ーロ

﹂の 方 は さら に

﹁私

﹂の 先 を 行く か た ちで

﹁八 月 十 四日 の 大 空 襲で 破 壊 しつ く さ れ﹂ た﹁ 砲兵 工廠 の跡 地﹂ にも っと 大構 想の 闇市

││

﹁わ いら が勝 手に 自由 に生 き て 行け

﹂る

﹁わ い ら の土 地

﹂を 作 ると いう 夢想 を膨 らま せ︑ それ を実 行に 移そ うと した のだ った

︵﹁ 第 九 楽 章 風 の 音 の た わ む れ

﹂︶

︒ 四 も う 一つ の

﹁ アヘ ン 戦 争﹂ に 巻 き込 ま れ る人 々

│ 発源 地 と して の 神 戸 と ころ で︑ ここ で重 夫の 友人 李雷 山・ 梅華 兄妹 の一 番上 の兄 の存 在に 目を 向け ると

︑神 戸が これ まで 見て きた のと はま た違 った 都市 の相 貌を 表わ して くる こと を予 想せ ざる を得 なく なる

︒す なわ ち︑ 当初 は父 の仕 事を 手伝 って いて 老舗 の中 国料 理店 を継 ぐこ とを 期待 され てい た李 家の 長兄 が︑ 重夫 と上 海で 再会 した 時︑ その 姿は 神戸 から 到着 して すぐ に入 り込 んだ らし い阿 片窟 の寝 台の 上で

﹁顔 はだ らけ てい て︑ 唇の 横﹂ に﹁ ヨダ レ﹂ を光 らせ てい ると いう もの だっ た︵ 第 十 一 章

│ 三

︒︶ や がて 彼は 阿片 の密 売と 取引 の世 界に その 身を 投じ て︑ つ いに は 利 害 の対 立 し た者 た ち の手 にか かっ て無 惨な 死を 遂げ る︒ その なり ゆき は︑ 人間 の中 に宿 って いる 深い 欲望 がそ の者 をこ れま でと は違 った 存在 に変 えて いっ てし まう とい った 洞察 を端 的に 示 し て いる と も 言え る が︑ そ れと と も に 注視 し た いの は

︑こ の︿ 阿 片﹀ の取 引の 旨味 に吸 い寄 せら れて 神戸 から 来る 人間 は︑ 李の 他に もま だい たと いう こと であ る︒ つ まり

︑重 夫が 阿片 窟に 行っ たの は︑ フラ ンス 租界 の一 郭で 母と 暮ら して いる 家に 通っ てく る︑ 上海 の裏 側の 事情

剣 呑 さ を 生 き る 小 説

〇 六

(16)

にも 通暁 して いそ うな 中国 人家 政婦 ベテ ィに 頼み 込ん での もの だっ たが

︑件 の阿 片窟 から 出て 歩き 出し た重 夫を 呼び 止め た︑ その 時は もう 正気 の状 態を 取り 戻し てい た李 が︑ 重夫 をか らか うよ うに 見な がら 口に した のは

﹁シ ュナ イダ ーに もぼ くは さっ きの 場所 で会 った こと があ るよ

第 十 一 章

│ 四

︶ と い う 言葉 だ っ た︒ シ ュナ イ ダ ー! 父の 行 方 を捜 しあ ぐね た重 夫母 子が 引き 移っ てき た神 戸で 知り 合っ た︑ この 白髪 のド イツ 人紳 士は

︑重 夫を 単独 で︑ ある いは 母親 も含 めて 自邸 に招 いて

︑﹁ バ ウム クー ヘン

﹂と ベー トー ベ ン の交 響 曲 で饗 応 す る︑ 愉し く 晴 れ やか な 場 を演 出 す る一 方︑ 自分 が家 具の 他に

﹁武 器﹂ を扱 う貿 易商 だと 告げ て重 夫の 心に 一抹 の翳 を落 すの だが

︑そ んな 彼が

﹁大 砲﹂ ばか りか

﹁阿 片﹂ によ って も大 儲け を企 んで いる こと を李 の科 白は 告げ てい るわ けだ

︒ さ らに

︑李 やシ ュナ イダ ーは 神戸 から 上海 に来 てそ こを 拠点 に活 動す るの だけ れど も︑ もと もと 上海 で貿 易商 を営 む立 場に あっ て︑ ある いは また

︑上 海で はな く神 戸に 居な がら にし て︑ 阿片 の絡 んだ 商売 に手 を染 めて いく 人物 もい る︒ 広州 の伯 父を 除い た重 夫に とっ ての あと 二人 の伯 父︑ すな わち

﹁上 海の 伯父

﹂と

﹁神 戸の 伯父

﹂が それ だ︒ そし

てこ のこ とを

︑重 夫と 連れ 立っ て朝 鮮を 移動 中の

︑彼 の両 親と は旧 知の 間柄 の高 博士 が告 げる 時︑ そこ には 阿片

︑モ ルヒ ネ︑ ヘロ イン とい った 麻薬 の売 買を めぐ る帝 国 主 義 の欲 望 が 跳梁 跋 扈 する 場 所 と して

︑︿ 神 戸﹀ が はっ き り と名 指さ れて いる

︒ 上 海 の き み の 伯 父 さ ん は ほ ん と う に よ く な い こ と

︑ 許 し て は な ら な い こ と を や ろ う と し て い る の だ よ

│ と 高 は こ と ば を 選 び と る よ う に ゆ っ く り 言 っ た

︒﹁ い や

︑ や ろ う と し て い る の で は な い ね

︑ も う や り 始 め て い る

︒﹂

︵ 中 略

︶﹁ 阿 片 を ど こ か の 外 国 か ら 中 国 に 持 ち 込 ん で 売 ろ う と し て い る ん で す か

﹂ と 重 夫 は 訊 ね て か ら

︑﹁ 売 っ て い る ん で す か

﹂ と 言 い な お し た

︒︵ 中 略

﹁ ど こ か の 外 国 か ら じ ゃ な い

︒ 日 本 か ら だ よ

︒ そ れ か ら こ の 朝 鮮

︒﹂

︵ 第 十 九 章

│ 三

︶ 剣 呑 さ を 生 き る 小 説

〇 七

(17)

い や︑ 阿片 ばか りで はな い︒ 阿片 から つく るモ ルヒ ネ︑ ヘロ イン とい った 麻薬 の密 売も 前者 を凌 ぐ勢 いを 見せ 始め てい ると いう 言葉 を挟 んで

︑高 はさ らに こう 続け る︒ こ の 二 つ の 薬 品 は も と も と は ド イ ツ か ら 日 本 に 輸 入 し て い た も の だ が

︑ こ の ま え の 大 戦 で 輸 入 で き な く な っ た

︒ そ れ で 日 本 は 自 国 で 生 産 を 始 め た の だ が

︑ こ れ は よ ほ ど 利 益 を 生 み 出 す 事 業 に な っ た に ち が い な い

︒︵ 中 略

︶ 売 り 込 む 先 は

︑ も ち ろ ん

︑ 中 国

︒ 山 東 省 の 青 島

︑ 済 南

︑ あ る い は

︑ 天 津

︒ そ し て

︑ も ち ろ ん

︑ 上 海

︒ 高 は 事 務 机 の 抽 出 し か ら 中 国 の 地 図 を 取 り 出 し て ひ ろ げ て

︑ 指 で い く つ か の 都 市 を 指 し た

︒ そ し て

︑ 中 国 の 都 市 を 指 し た あ と は

︑ 日 本 に む か っ て 高 の 指 は 動 い た

︒ で は

︑ 日 本 か ら モ ル ヒ ネ

︑ ヘ ロ イ ン を 中 国 へ む か っ て 積 み 出 す 港 は ど こ か

︒ 高 は そ う 言 っ て

︑ 指 を 一 点 に 置 い た

︒﹁ こ こ だ よ

︒﹂ 高 は ま た 静 か に 言 っ て

︑ 重 夫 を 意 味 あ り げ に 見 た

︒ 重 夫 は 指 の 下 の 地 名 を 声 に 出 し て 読 ん だ

︒﹁ 神 戸

︒﹂

︵ 同 上

︶ か つて

﹁中 国の 地図

﹂は

︑キ ャシ ー先 生と 重夫 との 間に も持 ち出 され てい た︵ 第 六 章

│ 四

︒︶ そし て 地 図上 の あ ちこ ちに つい てい る︑ 大英 帝国 の支 配が 全土 に及 んで いる こと を示 す黒 い点 のこ とを

︑中 国を 蝕む 病気

︑そ のか らだ につ いた

﹁し み﹂ にキ ャシ ーは 譬え てい たが

︑今 度は 上海 をは じめ とす る中 国の あち こち がそ こに 持ち 込ま れる 麻薬 によ って

﹁し み﹂ にな って しま って いて

︑そ の﹁ しみ

﹂を もた らす 病原 体の 在り 処が 同じ 地図 の上 にあ る神 戸で ある と説 明し 直さ れて いる わけ だ︒ こ の黒 い﹁ しみ

﹂の 広が りよ うは

︑二

〇世 紀以 降の 日本 が 展 開 した 領 土 拡張 政 策 の歴 史 的 推 移に 照 ら して 見 れ ば︑ むろ ん神 戸と 中国 との 関係 に収 めら れる べき 性質 のも ので はな く︑ この あと 高が 続け るよ うに

︑麻 薬の 原料 とな るケ シが 朝鮮 で大 量に 栽培 され てい たこ と︑ ある いは 一九 一五 年以 降︑ 台湾 総督 府か ら粗 製モ ルヒ ネの 独占 払い 下げ をう けた 星製 薬株 式会 社が それ を精 製し て中 国へ の密 輸出 を始 め た

と い うよ う に︑ 朝 鮮︑ 台 湾と

︑東 ア ジ アの 多 く の地

剣 呑 さ を 生 き る 小 説

〇 八

(18)

域を 巻き 込ん だも のと して 大き な問 題と なる こと は間 違い ない

︒ が

︑そ れに つい ての 全的 かつ 史的 考察 を加 える 事は 今の 私の 力の 及ぶ とこ ろで はな いし

︑ま た﹁ 河﹂ を読 む醍 醐味 を伝 える とい う本 稿の 目的 とも そぐ わな くな るの では ない か︒ した がっ て︑ あと 一点

︑前 出の 言葉 の後 に高 がさ らに 続け る﹁ きみ の神 戸の 伯父 さん もど うや らこ の阿 片戦 争に 入 ろう と し て いる

﹂︵ 第 十 九 章

│ 三

︶ とい う 言 葉の 中 に 出て くる

﹁阿 片戦 争﹂ とい う譬 えが

︑こ れも やは り︑ 当時 の新 聞紙 上に 散見 され る︑ 神戸 に巣 くっ てい た大 小さ まざ まな 民間 のシ ンジ ケー トに よる 阿片 の密 貿易 に絡 む事 件報 道

と は性 質を 自ず か ら 異に し た︑ す な わち 中 国 大陸 に 進 出し た日 本軍 と阿 片商 人と が結 託し て︑ それ が禁 制品 であ って もそ の扱 いを 合法 的に 白昼 堂々 と行 う│

│そ れゆ えこ ちら の方 は新 聞種 にな るこ とも ない ので はな いか

││ 事業 とし て の 阿 片取 引 を 意味 し て いる こ と を 指摘 す る にと ど め て︑ 次の 問題 に移 りた い︒ 五 神 戸 の中 の

︿ 朝鮮

﹀│

│ 呉林 俊 の 発言 を 再 度問 う キ ャシ ー︑ 李雷 山・ 梅華 兄妹

︑シ ュナ イダ ーの 他 に あ と一 人

︑重 夫 が神 戸 で 出会 い

︑以 降 の 物語 の 展 開の 中 で 彼︑ 彼女 ら以 上に 直接 言葉 を交 わし 合う 機会 を多 く持 って いく 者と して

︑日 本人 の父 親と 朝鮮 人の 母親 を持 つ岡 田の 存在 が挙 げら れる

︒両 親に 捨て られ た幼 い彼 を拾 って 育て てく れた 朝鮮 人の 老婆 から 聞か され た︑ 彼女 の生 まれ 育っ た山 のな かに ある

︑さ かさ づり に寝 ころ がっ たミ ロク 仏の 幻像 に対 する 愛着 を持 ち続 け︑ 神戸 の大 きな 造船 所の 職工 とし て働 いて いた 彼は

︑大 戦後 の不 況を 背景 に生 じた 争議

に参 加し て馘 首 さ れて 以 降︑ 朝 鮮 の独 立

︑被 圧 迫民 族 の 解放 を求 める たた かい に参 加︑ 蒋介 石の

﹁反 共ク ーデ タ﹂ が起 こっ た上 海で 死地 に身 を曝 し︑ 南昌 での 蜂起 も失 敗に 終わ った 後︑ なお 革命 の展 望を 開く ため に広 州に 向か うと いっ た動 きを とっ てい くの だが

︑そ れは もう 岡田 の物 語の 域に 剣 呑 さ を 生 き る 小 説

〇 九

(19)

踏み 込む こと にな る︒ ここ では

︑職 工を クビ にな った 急場 をし のぐ ため 拳法 の道 場の 師範 代に 雇わ れて いた 岡田 に頼 み込 んで

︑彼 が暮 らし てい る︑ 神戸 の中 にあ る﹁ 朝鮮 人の 町﹂ を重 夫が 訪問 する 場面 を中 心に して

︑そ こで 語ら れて いく もの が︑ 一九 二〇 年代 の神 戸で 暮ら す朝 鮮人 の生 の実 像の 一端 を照 らし てい るこ とを まず は確 認し てい く︒ た とえ ば﹁ 暗い

︑陰 気な なか

﹂に

﹁臭 い﹂ と﹁ 朝鮮 語﹂ の充 満し てい る商 店街 を通 り過 ぎた とこ ろに ある

︑岡 田も そこ に住 んで いる 下宿 屋︒

﹁ 金の ない 朝鮮 人相 手﹂ のそ の下 宿屋 は︑

﹁住 んど るの は三 十人 を越 えと るや ろ﹂ が﹁ 部屋 は全 部で 六畳 二つ と八 畳ひ と間 しか ない よっ て︑ ひと りあ たり 畳一 枚 分 はな い

﹂︵ 第 四 章

│ 二

︶ 造 り だ︒ それ は 当 時の 地元 紙が 彼ら の生 活の 実情 を伝 え て︑

彼 等 は 殆 ど 全 部 独 身 生 活 者 で 鮮 人 の 家 に 同 居 合 宿 し て ゐ る が

︑︶ そ の 合宿 振 り は極 めて 惨な もの で十 畳の 部屋 に十 四五 人も 居る こと が決 して 珍し く ない

﹂と 報 じ てい る

こ とと

︑か な り の部 分 で 対応 し て い る

︒そ し て

︑そ の

﹁惨

﹂の 極 ま り と し て

﹁日 給 一 銭 の 仕 事 の と り あ い﹂ が﹁ 殺 す︑ 殺 さ ん の 話 に な る﹂

︶ こと を︑ 岡田 は重 夫に 知ら せて いる

︒ そ れで も︑ そこ に住 まう こと は︑ 同宿 人の 一人 とし て労 働 者 意 識に 目 覚 めて い る 岡田 も 含 ま れて い る 事か ら し て︑ まだ しも 救わ れる 余地 があ ると 言え るか もし れな い︒ 一九 二四 年の 第五 回神 戸メ ーデ ーに は︑ 神戸 市上 筒井 町ダ ンロ ップ ゴム 会社 の朝 鮮人 職工 が全 員参 加し

︑一 一月 には 関西 朝鮮 人三

・一 青年 会主 催の 植民 地解 放大 演説 会が 神戸 市内 下山 手青 年会 館で 開催 され たと の記 録も ある

︒ だ が︑ 下宿 屋の 次に 岡田 が重 夫を 連れ て行 った 先│

│ド ブ川 沿い の道 がど ん詰 まり にな り︑ そこ で折 れて

︑そ ばの 道を 少し 歩い たと ころ

││ にあ る﹁ 鮮人 部落

﹂は

︑そ うい った 時代 の跫 音か らは 見放 され てい る︒ そし て︑ その 中の 一軒 の掘 立小 屋で 暮ら す︑ 岡田 のイ トコ と称 する 白い アゴ ヒゲ の男 は︑ 初対 面の 重夫 を呼 ぶに 際し て﹁ 日本 人﹂ の代

りに

﹁倭 奴﹂ とい う︑ ちょ うど 日本 人が 朝鮮 人を

﹁鮮 人﹂ と呼 ぶの と同 様の 意味 合い をも つ言 葉を 口に する のだ った

剣 呑 さ を 生 き る 小 説

一 一

(20)

︵ 第 四 章

│ 三

︒︶ い くら マッ コリ をし たた かに 飲ん で酔 っ払 って いて も︑ この 言葉 を重 夫に 向か って 投げ つけ る際 の眼 は﹁ 十分 に正 気﹂ のそ れに 見え るこ とか らも わか る︑ 彼の 裡に こび りつ いて 離れ なく なっ てい る日 本人 に対 する 侮蔑 と憎 悪は

︑彼 がこ の﹁ 鮮人 部落

﹂に やっ て来 る前 の地 震直 後の 横浜 で︑ 九死 に一 生を 得た 彼の 代り に兵 営に 連行 され

︑そ こで 日本 人の 手に よっ て殺 され た朝 鮮人 が抱 いた もの でも ある し︑ この 先の スト ーリ ーを 追え ば︑ 重夫 が京 城で 知り 合っ て街 歩き をと もに する 高敬 信少 年と

︑何 の縁 故も ない 高少 年の 家で 息を 引き 取る 直前 に︑ その 家に 高と 連れ 立っ てき た重 夫 の素 性 を 知 って

︑こ の 少 年が 家 か ら出 て 行 か ない な ら 彼を

﹁殺 せ

﹂と 高 に 頼み 込 ん だ﹁ 土幕 民

の 老 人 の裡 に も 渦巻 いて いる もの であ る︒ そ うし たこ とに 加え て︑

﹁ 河﹂ の外 部に ある テク スト か ら も︑ 彼等 の 心 情に 応 ず る声 が 聞 こ えて く る こと に つ いて も考 えて みた い︒ いや

︑時 間の 順序 に従 う な ら︑ そ の声 の 存 在を 知 り︑ そ れを 反 響 さ せよ う と 思っ て

︑﹁ 河﹂ の 作者 は白 いア ゴヒ ゲの 男や

︑高 少年 や︑ 土幕 民の 老人 を造 形し てい った とい う方 がよ り適 切な のか もし れな い︒ こ こで 呉林 俊と いう 人物 に登 場し ても らお う︒ 一九 二六 年朝 鮮慶 尚南 道生 れ︑ 三〇 年に 両親 に連 れら れ渡 日︑ 幼少 時代 を神 戸で 過ご し︑ 十八 歳の 折徴 兵さ れて 東部 ソ満 国境 地帯 で軍 隊生 活を 経験

︑解 放後 は在 日朝 鮮人 学校 講師 を勤 めた 詩人

︑画 家︑ 評論 家で ある

︒こ の人 物が 後に 回想 する

︑物 心つ いた 頃の 自分 の周 りで 起き た出 来事 で︑ そこ には 日本 人と 朝鮮 人の 関係 が端 的に 表れ てい たも のと して

︑朝 鮮人 の集 落の 近く で行 き倒 れに なっ た日 本人 が︑ その 中の 一軒 に運 び込 まれ てそ こで 出さ れた 食事 を喜 んで ご ち そ うに な っ たけ れ ど︑ そ の後 で 自 分 が耳 に し たの は

︑﹁ な んや ねん

︑チ ョー セン に︑ めし もろ うて くう

︑な んち ゅう こっ ちゃ

︑あ れは 日本 人の 恥や で﹂

﹁ そう あ︑ なん ぼな んで も︑ チョ ーセ ンに 頭を さげ てや な︑ ニン ニク を噛 んだ りし たん やで え⁝

⁝﹂ とい う他 の日 本人 同士 の会 話で あっ た︑ とい 剣 呑 さ を 生 き る 小 説

一 一 一

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