論 説
まちとシステムとわたし
「アナーキーなまちづくり」の理念構築に向けて
“Community, System, and Me
Towards the creation of an idea of "anarchic community
development"
早川公
*Ko HAYAKAWA
AbstractAs Haruki Murakami argued in his "Wall and Egg" speech, awareness of the problem demands answers to how to engage with the "system" today. In order to think about it, this paper will consider it from the perspective of the human activity of "community development". Specifically, we will briefly trace the process of
community/city development in postwar Japan, and organize the trends of community development today. Then, using the discussion between D. Graver and J. Scott as a springboard, we will attempt to build an idea for "anarchic community development" which is currently under consideration.
Key Words: community development, cultural anthropology, anarchism, conviviality キーワード:まちづくり/地域づくり、文化人類学、アナーキズム、共生 1 はじめに 2009 年 2 月 15 日、作家の村上春樹はイスラエルでおこなわれたエルサレム賞の受賞ス ピーチで次のように述べた。 「高くそびえる堅固な壁と、それにぶつかって壊れる卵があったとしたら、わたしは 常に卵の側に立つ」 (中略) わたしたちはみな多かれ少なかれ、卵なのです。(中略)一人ひとりが、程度の差はあ れ、高く堅い壁に直面しているのです。この壁には名前があります。「システム」で す。「システム」はわたしたちを守ってくれるはずのものですが、ときに暴走し、冷徹 に、効率的に、かつ組織的に、わたしたちを殺したり、他の人々を殺すよう仕向けた 2020 年 4 月 20 日受付 2020 年 4 月 20 日受理
りし始めるのです1。 この村上春樹のエモーショナルなスピーチは、その意図をめぐって内外から多くの意 見が寄せられた。なかでも評論家の宇野常寛は、村上春樹の作品をとりあげながら、「春 樹がかつて抵抗してきたのは、壁と卵を明確に切り分け、自分たちこそが卵の側だと無邪 気に信じてしまう想像力の欠如ではなかったか」[宇野 2011:13]と指摘し、かつて外側に 悪を置き、内側に正義を置く立場から撤退(デタッチメント)した村上春樹がコミットメ ントへと「転向」する試みを否定的に評している。 人と社会、あるいはそれを構成する諸システムの関係を考えるとき、わたしたちはそ こで生じる問題を超越的(外的)に理解することはできない。村上春樹のスピーチにもあ るとおり、システムがわたしたちを創ったのではなくわたしたちがシステムを創ったので ある。またそれは明確に線を引いて分けられるものではない。それでも村上春樹がコミッ トメントの立場を示さなければならないのは、わたしたちがいま生きている世界が、シス テムとの関わりについての「回答」を求められているからに他ならない。 このシステムとの関わりの仕方について、本稿はまちづくりという人間の営みの観点 から検討してみることにしたい。具体的には、戦後日本のまちづくり/地域づくりの過程 を簡潔に辿りながら、現代におけるまちづくりの潮流を整理する2。そのうえで、主にグ レーバーとスコットの議論を足がかりとして、目下の検討課題とされる「アナーキーなま ちづくり」に向けた理念構築を試みる。 2 まちとシステム 1) 「まちづくり」の誕生 「まちづくり」は日本における地域開発の諸形態を広く指す用語であり、その中身も市 計画から福祉政策、地方自治、中心市街地(商店街)活性化、コミュニティ(共同体)の 見直し等の市民活動といった広範な領域を含んでいる。また、それに類する用語として は、地域づくり、村づくり(村おこし)、地域活性化、地域再生が挙げられ、さらに近年 は地方創生(または地域創生)といった用語も登場している。 都市計画研究者の内海麻利によれば、その用語は 1952 年(昭和 27 年)の雑誌『都市 問題』に都市自治実現のための「新しい町つくり」として初めて登場したといわれる[内 海 2008:256]。当時の社会的状況といえば、朝鮮戦争に伴う特需を背景に、太平洋ベルト 地帯における重化学工業を中心とした社会資本の整備を推進して、高度経済成長期を迎え た頃である。しかし同時に、急激な経済成長は大都市への急激な人口集中を引き起こし、 それに伴う社会問題を噴出させた。その問題の解決(または対応)を目的として、国土開 発計画「全国総合開発計画」(全総)が 1962 年(昭和 37 年)に「所得倍増計画」を掲げ る池田政権下で策定された。地域開発としての「まちづくり」を理解しようとする場合、
多くの論者がこの全総をその文脈に設定している(たとえば岡田[2005]など)。 一方で、現代的概念である「まちづくり」には、都市としての「まち」ではなく、特定 の地理的領域としての「まち」を強調する意味も含まれる。後者の意味を強く帯びる「ま ちづくり」は、上述した近代化に伴う諸問題への対応として 1970 年代より活発になっ た。こうした国家主導の地域開発の限界が明らかになる中で、自治体や地域住民が主導と なる取組みが各地でみられるようになる。代表的な例が、大分県の「一村一品運動」であ ろう。これは、1960 年代に大分県大山町で NPC(New Plum and Chestnut:梅栗植えてハ ワイに行こう)運動として始まったものが県内全市町村に波及したものである。他方、都 市圏においても住宅、土地、公害などの都市問題の解決を求める住民運動の隆盛から、野 党や労働組合に支持基盤を置く首長が福祉優先の政策を掲げて誕生した。これらの自治体 は革新自治体と呼ばれ、地域政策プランナーの田村明は、この登場が「まちづくり」の始 まりであると述べる[田村 1999:32]。1977 年(昭和 52 年)の長洲一二神奈川県知事(当 時)による「地方の時代」宣言は、国家ではなく自治体レベルが主導となってこれからの 社会のあり様を表現するものであり、「システムと卵」の比喩でいえば、「新たなシステ ム」の提案であったともいえる。このように、「まちづくり」とは国家主導の地域開発に 対抗する実践であり、そこでいう「まち/地域」とはその抵抗の拠点として想像されたも のであるといえる。 2) 「新たなシステム」がみようとした世界 この地域の動きは、国家の地域開発計画にも影響を与えた。一全総と新全総の全面的見 直しとして 1977 年に策定されたのが、「第三次全国総合開発計画」(三全総)である。三全 総の基本的な考え方は、地域特性を生かしつつ、歴史的、伝統的文化に根ざし、人間と自 然との調和のとれた安定感のある健康で文化的な人間居住の総合的環境を計画的に整備す ることとある。その計画には、かつて対抗的な意味合いをもっていた「まちづくり」が地 域開発に反省的に取り込まれ、地域特性や歴史的・伝統的文化というコミュニティの意味 合いが強調されている。その未来像は現在からもみても遜色のないものであり、いわば、 「新たなシステム」への変容の可能性が垣間見えていた。 しかし三全総は、国際情勢などの環境変化によって想定どおりには進まなかった。その ため、1987 年(昭和 62 年)に中曽根内閣によって、「第四次全国総合開発計画」(四全総) が策定された。四全総は基本的課題を「定住と交流による地域の活性化」とし、その開発 方式を「交流ネットワーク構想」と定める。これは、東京など大都市への人口や諸機能の 過度の集中を抑制し、多極分散型国土形成のために「地域主導の地域づくり」を推進する というものである。地域主導という語に表されるように、政府もまた地域の自立性を重視 し、それを推進する立場を文言上は認めている。そして、こうした考えを引き継ぐように、 その後に策定された「21 世紀の国土のグランドデザイン」(GD)は、地域の選択と責任に
基づく地域づくりを重視した。そして GD では、全総のキーワードでもあった「国土の均衡 ある発展」は後退している。 各全総の経緯を辿ると、地域開発によって達成する地域の未来像は、「国土の均衡ある発 展」から「地域の個性ある発展」へとシフトしていったことがうかがえる。そしてそれは、 自然と人間の調和のとれた環境を達成する「定住」と、一極集中ではなく多極分散として それぞれの地域が「交流」することを軸としている。また、地域開発の担い手が、中央集 権型から地域(自治体)主導へ、さらにその傾向は、GD の時代にはさらに顕著になり、そ こには企業や地域住民、現在の NPO のような団体の参加の重要性も前景化している。 戦後の地域開発計画において、地域の「自立」はこのように盛り込まれた。それに対応 するかのように、一部の法制度の整備も進められた。1999 年に成立した地方分権推進一括 法は、国と地方公共団体と対等な協力関係とし、自治体の裁量に任せる自治事務の領域を 拡張した。こうして、地域の未来像は自治体を中心としたアクターが創造するものだとい う文脈が形成されていく。この流れは、国家が進める地域政策が全総から種々の法制度へ と置き換えられていったかのような流れを示す[高山 2009:283]。 3) 変わりそうで変わらない「システム」 一方で、四全総~GD と重なる平成期は「失われた 20 年」と称される経済の停滞期でも あった。産業構造の変化や少子高齢化の加速に対応するための政策用語として使われ始め たのが「地域再生」であり、具体的には 2005 年(平成 17 年)小泉政権時の地域再生法が 挙げられる。ここでいう「地域再生」とは、困難な状況に直面する地域が、「自助と自立 の精神」と「知恵と工夫の競争による活性化」を前提に、地域経済の活性化と雇用を創出 し、持続可能な地域再生を実現することを意味していた。こうした政府の方針と並行し て、「地域再生」をとりあげる言説が増加してゆく(図 1)。それはさながら、現代におけ る「地方創生」や、さらには「SDGs」という用語の「活況」を想起させる。 図 1 地域関係用語の図書タイトルとしての出現件数(年平均)[小田切 2013:3]
1990 年代以降、まちづくりは「日常の風景」[田中・大谷 1995:12]といえるほど社会 に浸透してきた。そこでは、現状に問題意識をもち、なんとかしてこの状況に抗おうとす る人びとの姿があった。しかしこの 15 年間が示すのは、「地域再生」の高まりとは裏腹 に、さらに荒廃するまちの増加であった。国家は地域開発を「自立」と「再生」というお 触れを出して地域に預けてきたが、三全総期以降の「新たなシステム」への転換がうまく いかなかったように、「システム」は内部の既存の論理を根本では温存したまま「改革」 が進められてきた。すなわち、「システム」の側の変容が試みられないまま来るべき社会 が論じられ続けていたともいえる。 一方、「卵」の側も、かつて 1970 年代にあったような対抗的というよりは、「システ ム」に順応的あるいは過剰に適合的ともいえる変化が生じている。その生じた価値観の一 つが社会的不平等や不公正の是正を「自己責任」として切り捨てる態度であろう。とりわ け、Pew Research Center が 2007 年に実施した調査結果は、日本の社会意識の表れとし てしばしば参照される(図 2)。この調査によれば、「国は貧しい人びとを助けるべき か?」に対して、日本における回答は諸外国に比べて際立って低い結果を示している。ま た、NHK が人と人のつながりが希薄化した社会を「無縁社会」として特集したのが 2010 年であり、一方でインターネットを介した人のつながりである SNS が人びとに爆発的に浸 透していったのもこの時期である(図 3)。 こうした環境の変化のなかで、「システム」への抵抗の拠点として「まち/地域/コミ ュニティ」を再び構想するためのまちづくりの理念をどのようにして考えればいいのであ ろうか。以下では、それを文化人類学とアナーキズムから考えてみることにしたい。 図 2「国は貧しい人びとを助けるべきか?」に対する回答の国際比較3
図 3 2009~2012 年における日本の Twitter と Facebook の利用者推移4 3 システムとわたし 1) 文化人類学は何の役に立つのか 人びとが「システム」と不均衡な関係性のなかでいかに向き合い、日々の難局に対処し てきたのか、それを知るための方法の一つは文化人類学であろう。文化人類学は、西欧諸 国の植民地拡大政策に並んで発展してきたという意味において「システム」と共犯の学問 であるが、その学問的意義はフィールドワークという方法によって自ら慣れ親しんだ地を 離れて他者と共に身を置き、その「肩越し」に他者の思考方法を理解することにある。そ してその成果は、民 族 誌 エスノグラフィ を通じて今日の我々に「いま・ここ」とは異なる生の仕方を示 してくれる。では、それは何の役に立つのか。池澤夏樹の短編集『マリコ/マリキータ』 には、そのことを巡って、少女と文化人類学者が次のような問答をする風景が描かれる。 学者「何の役に立つかな。ええとね、世界にはいろいろな人がいるってことがわか る。いろいろな習慣を守って、さまざまなものを食べて、みんな違うものの考え方を しているということがわかる」 少女「それで?」 学者「いろんな人がいるってことがわかれば、少しは仲よくやれるようになる。相手 がアッカンベーをしても、それがその人たちの挨拶のしかただと知っていたら、喧嘩 にならないだろ」 少女「じゃ、結構いい仕事なんだ」 文化人類学の方法は自己(わたし)と他者の関係性を解き、編み直していく「いい仕 事」である、と上記の作中の文化人類学者は説明する。「共生」をマジョリティが自らを 変えることなくマイノリティを包摂することではなく、自らが変容しながら差異を消し去
ることなく部分的につながっていく状態として想像するのであれば、その仕事は「共生」 を検討するうえで「役に立つ」ものであるといえよう。そしてさらに踏み込んで、これを 「システム」に抗う理念として再編集を企てているのが、文化人類学者でありアナーキス トのデヴィッド・グレーバーである。 2) アナーキズムという「企画」 グレーバーは、広範な民族誌的・考古学的成果の検討を通じて、自立的かつ相互協調的 に社会生活を織りなす人びとの姿をすくいとり、そこからアナーキズムの理念を見いだ す。彼は、それを次のように説明する。 アナーキズムは、それ自体、大変古いものであるとはいえ、結局は「理念(idea)」な のである。それは同時に、「古い社会の殻の内側で」新しい社会の諸制度を創造しはじ めるという「 企 画 プロジェクト 」である [グレーバー 2006a:42]。 グレーバーの関心の基点には、彼自身のマダガスカルにおけるフィールドワークの経験 が下敷きにある。彼がフィールドワークに訪れた 1980 年代のマダガスカルは、国家財政 が破綻し、地方政府は実質的に機能停止している状態であった。そこでグレーバーは、国 家という「システム」が機能不全を起こしているなかで、市井の人びとが制度的な裏付け なしに共同体の合意を形成する作法を観察する。そしてアメリカに帰国した後、1999 年 にシアトルで起こった反グローバリゼーションの「直接行動」に、マダガスカルのそれと 同型の作法を発見するのである[グレーバー 2006a:17-20]。松村圭一郎は、グレーバーの 理論の検討を通じて、そこにある人間の潜在性に注目する。 国家や警察がなくなれば、ほとんどの人は殺戮がはじまると考えている。それほど国 家という枠組みは、人間の生存の条件として、われわれの想像力を支配するようにな った。しかし、国家なき社会の無数の事例を示してきた人類学は、それが自明ではな いと証明している。彼の主張の根底には、国家というシステムにたよらずに社会の秩 序を維持してきた人間の潜在的な力への信頼がある[松村 2012:229]。 文化人類学の泰斗クリフォード・ギアツは、文化とは意味の網の目の体系 シ ス テ ム であり、人間 は自分が紡いできた意味の網の目に囚われた動物であると文化と人間の関係を説明した [Geertz 1973:5]。「システム」とは我々を絡めとる意味の網の目でもあり、人間の生存の 条件として「国家」や「市場」があるという想像力が、それに対抗するための「企画」の 創造を阻害している。その意味において、「壁と卵」の比喩は、両者がそもそも分離した ものという前提を強調し、共犯的関係であることを見えにくくさせるゆえに「システム」
との関わり方を考えるには適していない。 我々が生きる世界は、国家や市場といった「システム」の存在を前提としている。し かしそれは「いま・ここ」を離れれば必ずしも自明のものとは限らない。そのように「シ ステム」に頼らずに秩序を維持する人びとを依り代として、我々は枠組みを問い直す可能 性を想像できるようになる。グレーバーはそのための人類学をインタビュー記事で次のよ うにも説明する。 人類学の利点の一つは、それがわれわれに「政治というもの」のより大きな幅広い可 能性を示すことです。たとえば人々はすでに様々なやり方で、国家権力を無効にする ことを試してきたのです。(中略)私がここで言いたいのは、結局、抵抗の形式は、わ れわれが通常想像するよりはるかに豊かなのだ、ということです[グレーバー 2006b:99]。 一から全てを創造しなくても、過去に、あるいは別の場所で、「システム」に対抗する 想像力は具現化されてきた。わたしたちはそれらに触れることによって、「システム」に 対処する方法を再度編み出すことが可能になる。そしてその抵抗の形式は、(国家財政の 破綻や国家規模の社会運動のような)例外的な状況の下で「システム」に頼らずに生きる 人びとだけでなく、日々の生活にも見出すことができる。その意義を積極的に引き出した 代表的な論者が、政治学者であり人類学者のジェームズ・スコットである。 スコットは、ゾミアという東南アジア 5 か国と中国に跨る地域で国家という「システ ム」の「外部」に生きる人びとを題材に、脱国家の思想と方法を描き出した[スコット 2013]。そこでは、狩猟採集から農耕社会、そして工業社会へ発展していくという単線的 な人類史の「常識」の誤りを示しながら、彼/女らが文明から取り残された野蛮人ではな く(原題のとおり)「統治されない技術」をもつ人間であることが提示される。 スコットの問題意識は「私たちはリヴァイアサン〔国家〕から逃れることができな い。課題はそれを飼いならすことだ」[スコット 2017:ⅹⅳ]という点にある。そしてその ための方法は、「政治というもの」の範疇に通常は含まない、「底流政治」 (infrapolitics)に着目することである。底流政治という言葉で彼が念頭に置く実践 は、「だらだら仕事、密漁、こそ泥、空とぼけ、サボり、逃避、常習欠勤、不法占拠、逃 散といった行為」[スコット 2017:ⅹⅷ]なのである。これらの実践のリストは、「常識」 的にみれば不穏当なものに映るかもしれない。しかし、スコットはそれ以外の実践の方 法、たとえば規則を正しく守ることによる抵抗も以下のように提示する。 労働者は、規則の不適切な点につけ込んで、物事が実際にはいかに運用されているの かを解き明かし、自らに有利なように活用してきた。たとえば、パリのタクシー運転
手は、(中略)熱心に規則を守る遵法ストライキ(grève dezèle)と呼ばれる手段に訴 えてきた。(中略)そうすることで、彼らが職場でずっと前から工夫してきたより迅速 で手際の良い実践を続けるよりも、会社の貴重な時間と品質が損なわれると分かって いたのである[スコット 2017: 56-57]。 この遵法ストライキ(遵法闘争)は、かつて日本でも国鉄などで用いられていた抵抗の 実践でもある。これが有効であるのは、「実際の作業は、そうした規則の外部にある非公 式の知恵と即興的な対応が効率的だからこそ、やり遂げられている」[ibid: 57]からに他 ならない。この規則の外側にある即興的な対応は、グレーバーの用語を借りれば「基盤的 コミュニズム」に基づく。その原理とは「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に 応じて」[グレーバー 2016:142]であり、彼はこの基盤的コミュニズムに目を向けること で、それが「システム」に対抗するための拠点になると説明する[ibid:144]。このグレー バーの議論は、松村が言うように、アナーキズムを理念として「いまとは違う世界を再創 造するためのひとつの足場」[松村 2012:230]となりうるのである。 4 おわりに:「アナーキーなまちづくり」の実践に向けて 村上春樹のスピーチにおける「卵=わたし」は、「壊れやすい殻に包まれた、世界でただ ひとつのかけがえのない魂」である。それが「壁=システム」に対抗するための方法は、 殻をより固く、分厚くしていくことではなく、基盤的コミュニズムを足掛かりに「卵」ど うしが共生5するための場を設えていくことである。それは、かけがえのない魂は保持した まま、他の「卵」やさらには「システム」と部分的につながっていられるような場を創造 する試みであるともいえる。 最後に本稿では、この試み、すなわち相互性と自立性を基盤として管理や標準化に抵抗 しながら生活空間を改編する 企 画プロジェクトを「アナーキーなまちづくり」と呼ぶことにしたい。そ れは、真新しいことではなく、これまでも各地、各歴史において展開されていたものであ るが、その 像イメージにより異なる部分を強調する。それは、もしかしたらスコットのいう「不法 占拠」や「逃避」、あるいは「思いつき」や「悪ふざけ」に端を発しているのかもしれない。 思い起こせば、筆者の関わったまちづくりも、これらの実践の作法が、国や自治体の制度 の隙間に織り合わされながら模様をなしていたように思う。紙幅の都合上、それらの考察 は別稿に譲るが、不確実さの増大する今日において、「まちづくり」はこれまで以上に即興 や協働が当然の前提となるであろう。「アナーキーなまちづくり」はそのための理念であり、 今後は具体的な実践とその像を書き留めるエ ス ノ グ ラ フ ィ す ることが求められる。本稿がそうした企画を起こ すための「ひとつの足場」になれば幸いである。
参考文献 グレーバー、D. (2006a)『アナーキスト人類学のための断章』高祖岩三郎訳、以文社。 ―― (2006b)「新しいアナーキズムの政治」聞き手=高祖岩三郎、『VOL』01:90-107。 ―― (2016)『負債論』酒井隆史監訳、高祖岩三郎・佐々木夏子訳、以文社。 ―― (2017)『官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』 酒井隆史訳、以文社。
Geertz, C. (1973) “The Interpretation of Cultures” London: Hutchinson.
早川公(2018)『まちづくりのエスノグラフィ:《つくば》を織り合わせる人類学的実践』春 風社。 松 村 圭 一 郎 (2012)「 負 債 と モ ラ リ テ ィ デ ヴ ィ ッ ド ・ グ レ ー バ ー の 負 債 論 」『 現 代 思 想 』 40(2):218-231。 小田切徳美(2013)「農山村再生とは何か―その意味づけと戦略」『JC 総研』25:2-13。 岡田知弘(2005)『地域づくりの経済学入門 地域内再投資力論』自治体研究社。 スコット、J. (2013)『ゾミア――脱国家の世界史』佐藤仁監修、池田一人ら訳、みすず書 房。 ―― (2017)『実践 日々のアナキズム ――世界に抗う土着の秩序の作り方』清水展・ 日下渉・中溝和弥訳、岩波書店。 高山正樹(2009)「均衡発展政策から地域再生の地域政策への課題」『経済地理学年報』55、 283-299。 田村明(1999)『まちづくりの実践』岩波書店。 田中望・大谷晋也(1995)『まちおこしの風景 信州小諸―手作りミュージカルを通して』櫟。 宇野常寛(2011)『リトル・ピープルの時代』幻冬舎。 内海麻利(2008)「まちづくり制度に見る住民参加の新しいかたち」大森彌ら編『実践まち づくり読本―自立の心・協働の仕掛け』pp.255-306、公職研。 1 受賞スピーチの全文および日本語訳については、『クーリエ・ジャパン」2019 年 4 月号 18 ページに掲載されたものを参照した。 2 この部分における論説は、早川[2018]に基づいて記述した。
3 Pew Research Center「World Publics Welcome Global Trade — But Not Immigration
47-Nation Pew Global Attitudes Survey」より
https://www.pewresearch.org/global/2007/10/04/chapter-1-views-of-global-change/ (2020 年3月 30 日参照) 4 総務省「平成 24 年度情報通信白書」より https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h24/html/nc123220.html (2020 年3月 30 日参照) 5 グレーバーの訳者の酒井隆史は、conviviality に「共生」という訳語を当てている [cf. グレーバー2017]。