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Bartlebyにおける「生」と「死」

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Academic year: 2021

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(1)Title. Bartlebyにおける「生」と「死」. Author(s). 池田, 志郎. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 40(1): 25-36. Issue Date. 1989-10. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4195. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部A) 第40 巻 第1号 ion I A) Vol ion (Sect i i ido Un ty ofEducat ve rs .1 Journalof Hokka .40 ,No. 平成元年10月 october ,1989. ”Bart leb r に お け る 「生」 と 「死」. 池. 由. 志. 郎. ’は Herman Me ’ ”Bar l i l l l t eの短編の中でも様々 な解釈を生み出し, 多方面から論じられて v eby 1 853年 11 月号と z勿8( ”の〃S M鯛 放か Mα gd い る も の の ひ と つ で あ る. こ の 作 品 は, 最 初 雑 誌 P”≠ ” が, 1856 年 に 短 さ 表 れた ぜ と して 発 l ls f W A S t i toryo l ree a t 12月 号) に Bar eby ; ,thescrvener “ l t ebr とだけ記された. 当時の 編集 Z跨e P毎2拙 劣扇BS に収録されたときには, その題名は Bar. Me l i l l eは, それまでの海洋冒険物の 作品から脱皮 し新しい文学世界を切り開こう として, 掴o毎‐ v Z 1 852 ) を世に送り出していたが, その評判は落胆させるものがほとん どで ) やP Dたた ( 1851 B γ 〆 e( ” l t あった. その時期に Bar ebr が概ね一般 に受け入れ られたのは, 作品が精巧に作り 上げられた, 極めて完成度の高いもの だからだと考えられる. 作品の梗概自体はかなり単純なもの と言っ て良いであろう, 法律事務所 を開いて金持ち相手の証 書作成な どを中心とした楽な仕事を している弁護 士である語り手のところに, 青白い顔をした青年 l t eby は, 初めは熱心に仕 事をするが, だ Bar l t eby が筆耕書記募集の 広告に応じてやっ て来る. Bar なる 何もしなく し んだんと仕事をすることを拒否 , ついには . 同情を感 じながらも手に余った語り l t 手は事務所を移転す るが, Bar eby は同じ所に居続けたので刑務所に入れられて しまう. 語り手は l t l eby が刑務所で死んだ後語り手の r t 刑務所に面会に行く が,Bar eby は話をしよう とはしない.Ba f i terof ce) で 働 い て い た l t と こ ろ に, 以 前 Bar eby は ワ シ ン ト ンの 配 達 不 能 郵 便 処 理 局 (DeadLet. らしいという噂 が伝わ って来る, このように変化の ない筋にも関わらず, この作品が多くの問題を学んでいるのは, その語りの技 法によるところ が大きい. この作品はす べて語り手の目と意識を通して語られている が, それがこ l t r eby という人物を理解しよう とし の作品 を複雑にしてい るようである. 作品中では語り手 が Ba l t eby という人物を語り手 が繰り返し読み(これがつまり r て, 何度も解釈を繰り返す, つまり, Ba l t 作品としての”Bar ebザ なのであるが) , それをわれわれ読者 がさらに読むことになる. そして, l eby に フ ィ ー ド バ ッ ク さ れ, そ れ を l t eby は再 び作品中の人物である Bart 読者が解読 したこの Bar ’ ’ それを読者が再 び解読するの l t r eby 語り手が読み(つまり, 新しい意味を持つ 作品としての “Ba で ある.. l t ebr に関して, これまでに このウロ ボロスのような構造をその 基本的枠組みとして 持つ”Bar l t r eby を中心とするものか ら作品の語り手との 関係 種々の解釈 が試みられてきた, 歴史的には, Ba i l l l l e自身の分 v t eby を精神分裂病と したり, あるいは Me で捉えるものへと変化してきている.Bar l t r eby と語り手である雇主 身とするもの, キリストと見なすものなどが中心であった解釈から, Ba の弁護 士との関係がこの作品の 焦点であるという ものになり, 現在はこの考え方が一般的なようで l t l eby の役割につい t あるの, そこで, 本稿では Bar eby と弁護士である語り手の関係を中心に, Bar て再考してみたい,. 25.

(3) . 池 田 志 郎 l ”Bart l l ebr は 弁 護 士 を 語 り 手 と して, Bar t eby の 他 に は, Turkey , Nippers , Ginger Nut な ど. の使用人が登場する物語 である. 作品の前半は, 語り手とその周囲の出来事が中心に描写されてい て導入部をなし, 後半は語 り手と Bar l t ebyのふたりの関係を中心と してクライ マ ックス に達する という 構成になっ ている. だが, その語り手にしても他の登場人物 にしても固有名詞は紹介されて いない. 語り手は終始一貫して 「私」 と書かれ, 他の人物が呼ぶときでさえその名前は呼ばれずに , 2 ) Turkey Nippers Gin er Nut と い う 呼 び 方 は コ ンテ ク ス トか ら 判 断 で き る よ う に な っ て い る{ g , . , ,. 「実のところ 三人がお互いを呼び合う 通称 (n i ) であり, それぞれの人物や性格を表して ckname s , 3 { }と 語 り 手 は 考 え て い る Turke は 七 面 鳥 の よ う に 顔 が 赤 く な る し Ni い る よ う だ」 (61) y ppers は , , 机をきしら せ, Ginger Nut は 「ジ ン ジ ャ ー・ナ ッ ト」 と い う 菓 子 を よ く 買 い に 行 か さ れ る し, そ れ. を食べても いる. これらの名は確 かに特徴をうまく つかんだ呼び方である また この語り手の法 . , 律事務所のあるウォ ール街の地番でさ え, 明確にされていない ”No -- Wa l IStreet“ (60, 92, . . 93 ) という特定 化できない場所に, 特定化できない人々 が住ん でいて しかもその中の一人の弁護 , 士 が Bar l t eby の 話 を す る 設 定 と な っ て い る. で は Bar l t eby と い う 名 前 は どう で あ ろう か.. 語り手は“ltwasBartleby.” (66). という 形 で提示. するのみであり, 詳しくは語らな い. いや, 語れないと言う方が正確であろう Ba l t eby は自分自 , r 身の事についてはほとんど何も話をしないの だから この Ba l b の提示の仕方は t 肌o砂‐Dたた の r e y , “ を連想させる そうすると 書記募集の広 語り手の最初 の言葉 “Ca l lmelshmael 告に応える形で , , , 登場した Bart l ’ ’と答えた 可能性は充分 eby が, 名前に関する問いかけに対して “Ca l lmeBar l t eby . 4 ) それは本名かも知 れないし 自称かも知れな い また 他の使用人た ち にあるのではなかろうか{ . , . , の場合と同じように,Bar l t eby という呼び方がその人物や性格を表 す通称である可能性も否定でき ない. ともかく最小 限言えることは, 語り手がこの使用人を Bar l t eby と呼んでいるということであ ろ う. そ れ は, Bar l t eby と い う 人 物 を ひ と つ の 人 間 存 在 と し て 認 識 し て い る と い う こ と に な る の で は な か ろ う か.. 名前だけ登場するものの中で重要だと思われるのは 語り手が自分の評判について説明するとき , に言及するJohnJacobAs 5 } この人物は「詩 t 1763-1848年)した大毛皮商人である{ rという実在( o . に対する熱狂」 はない, すなわち全くもっ て実利的な思考を持つ 人間であり 語り手は 「その名前 , が円く球形の音を持ち, 金 ( bu l l i ) のような音をたてるので, 何度も繰り返 すのが好きだ」 ( on 60 ) と言う. 実際に三度連続して言及さ れるこの名前は 語り手の中ではすでに伝説と化していると考 , えられよう. 当時のアメ リカ で最も裕福であっ た As t orは, この作品の出版される5年ほ ど前に死 んでおり, 世間ではその話題はまだ冷めやらぬ頃 であったろうが 実業家として の規模が余りにも , 大きかったので伝説 化 したものであ ろう この実利家 でさえも語り手 である弁護士の ” rudencざ p . と ”me ho定 を讃えて いるという点で,それは語り手の特色を暗示しているのではなかろうか 語り t . 手の 「私」 は大実業家にも讃えられるほ どの実務家であるということが 必然的に明らかになっ て , くるからである.. この作品は語 り手の自己紹介” lam 26. “ 59 lder ly man a rather e ) . (. で始まる. 作品全体が過去の.

(4) . ’に お ける 「生」 と 「死」 “Bar l t eby. l t eby がいた 出来事について語る体裁を取っ ているので語り手の年齢ははっ きりとはしないが,Bar ” ixty ( )) だ っ た し, 衡 平 法 裁 判 所 61 60歳に手 が届くく ら い」 (”somewherenotfarfroms 時に 「 主事の仕事が数年後には無くなったことにも言及があるので,現在は60数歳ということになるであ ろう, 「この30年間, 私の知る限りこれまで書かれたことのない, 興味深くそ して幾分奇妙な人た 59 )語 i t avoca on 柄, 出会っ てきた」 ( ち -- 法律代書人すなわち書記のことだが -- に仕事 ( ” うと切り出す l f ざ l b i について語ろ B の ない書記 t ar e y り手が, これまで見たことも聞いたことも l i fご という言葉 が重要な意味を持っ てこの作品の底 を流れているように思われ のである が, この ” l i fざ をも意味しており, おそ l i fざ だけを指すのではなく, 語り手の “ l t る. それは単に Bar eby の“ らくそれこそがこの作品の眼目であろう, 語 り 手 は 弁 護 士 で あ り, “prudencざ と ”methoず の 評 価 を 金 持 ち か ら 得 て い る こ と は す で に 述 べ. l たが, Ba t r eby についての具体 的な話に入る前に,「これから提示する主要人物を正しく理解する」 ) ために必要不可 )( 59 i t r es en ed efcharacterabouttobep (an adequate understanding ofthech 欠である とした上で, 自分とその周りの状況についての説明 が始められる, ion fl l thaprofoundconvi ct i ed wi imi lmpr rom h syouthupwards s :lam a man who ,hasbeen i ,f i f i ly b long to a pro ess on prover al fei i t sthe bes thatthe easiest way ofl , Hence ,thoughlbe f fered fthatsorthaveleversu hi i bl icand nervous energet ,yetnot ng o ,att mes ,eventotur u ence h ddressesaiu l bii ry toinvade my peace ,orin . l am one ofthose unam tous awyers w o nevera d t t l l l i f i r a snug r e e a i h t n u o b t a s t l l i g yo cappause any way draws down pub ; ut , , n e coo ranqu ’ 1who know me,consider il“deeds tgages i inessamongr bus sbonds ch men , AI ,andtte ,and mor me an eminently s啄β man .. (59‐60). 「気楽が最善」という生活信条を持つこの弁護士は, 実際に法廷で弁護をするということも なく, 一 般人の気に入られようなどとは考えもしない弁護士の部類に入る. そして,johnjacob Astor の よ うな金持ちの評価は気にし,金持ちたちの証書作りに精 を出して不自由の ない仕事をしているので, 「極めて安全な男」 だと思われている. で は “prudencざ”metho定“s 〆 などの語り手の特質 を表すと思われる言葉 が意味するものは ,. 何であろうか. このそれぞれの 言葉について考えてみると, どれも両義的な意味を持っ ているよう “ t hod’は 「理路整然」 というよ で あ る. ”prudence” は 「分別」 と同時に 「抜け目のなさ」 を, me りも 「法の網の目 をうまくすり抜けて, 客である金持ちに都合の良いようにする方法」 を, また特 に強調さ れている 、咳〆も同じように, 「金持ちにとって安全, つ まりポロが出ない」 ということを も表しているの ではないだろうか, すると, 弁護士である語り手 が違法とまでは言えないに しても, 6 ) さらに 語り手の言葉自体それを証明 不誠実なことを している可能性があるということになろう( , . 「 しているように思われるところ がある. 例えば, 世の不正や理不尽な横暴に向かって我を忘れて危 l t 60 ) という部分や, 物語後半で Ba r eby に対 して何ら 険な義憤 をぶちまけることな どまずない」 ( 「 )とし, 86 かの対策を取 らなけれ ばならない段になっても, 警察を呼び入れるのはいやな考えだ」 ( f f l )てもいる, その他, 物事を金で解決しようとして, )( 93 また新聞種になるこ とを「恐れ」 ( ea r u l t 賄賂を贈るという ような事もする.Ba r eby に給金以外の余分 な金を与えて事務所から出て行く よ l t うに申し渡したり,Ba r eby が刑務所に収監されたときにはそ この賄い係にいくらかの 銀貨を与え て, よい食事を提供 するよう取り計らったりするのはその例であろう. その一方 では権威によりか かった生活をしており, 例え ば, キケロの胸像を事務所の自分の背後に飾ること, あるいは Turkey 27.

(5) . 池 田 志 郎. に与えた自分のコー トの特徴な どにそれは明らかであろう 前者は権威そのものであると言えるし . , 後者 の場合も, ”a highlyrespectable‐ looki f ngcoatofmyown - - apaddedgraycoat a t o mo s , ” (64) と 描 写 tabl comfor e warmth toneds t chbut raightupf rom the kneetotheneck. ,and whi. されており, 権威を象徴するひとつの記号であると言えるのではなかろうか( 7 ) しかもそ れは 語り . , 手にとっては 「とても心地よ い温かさ」 を持つものなのである 衡平法裁判所の主事の地位にある . こと, 弁護士という仕事が人気稼業であることな ど, 外見を気にしなければならない要因はあると しても, 批評家の Di l l i ngham の言うように, 語り手は誠実な人間 ではないという可能 性は充分にあ ると思われる. もうひとつこの語り手の特徴を表すと思わ れることは ”commo〆 と いう言葉の使用 である こ , . の言葉は全体で1 1回使われているが,その内の1 0回は語り手によるものであり,1回は Tu rkey に よるものである. Bar l t eby との関わりの中でのみ使われているこの語は, 語り手の 目からみた場合 l の Bar t eby がいかに普通でないかを強調 する働きをするよう に語り手が使っ ているのは当然では あろう. しかしそれだけにと どまらず, この弁護士自身が”commoが ではないということを暗黙の 内に読者に悟らせる機能を持つのではないだろうか “comt noげ という言葉が繰り返されることに . よっ て, それが読者の予想していたものと正反対の 意味を獲得してくるように思わ れるのである . 例えば, 語り手の言う ”common usageandcommons 70 ) は, 小説の展開と共に語り手自 ensざ ( 身にしか通用 しないという皮肉な意味を持つようになり, 語り手の 「常識」 は Bar l t eby にとっ ては 常 識 では な い と いう こ と が 明 らか にさ れる こ と に なる ,. “Bart l ebr に 関 し て 注 意 し な け れ ば な ら な い こ と の ひ と つ に, そ の 空 間 の モ チ ー フ が あ る “A ,. Storyof Wal ls t r eerという副題に示さ れているように, この作品の舞台 は壁に囲まれている. .語 り手である弁護士の事務所, およ びそ の中で Bar l t eby に与えられる空間は, 極めて限定された四角 い 空 間をなす. アメリカ経済社会の中心をなすウォ ール街 (壁の街) の何番地かにある ビルの二 , 階に語り手の事務 所がある. 事務所の片端は 「地階まで吹き抜けている広い明り取りの内側の白い 壁」 に面しており, 風景画家の言う 「生命感」 ( l i f )( ) に欠けている, もう一方はこれと「対照」 60 e (cont ) を な し, そ の 窓 か ら は 10 フィ ート足らずのところに 「古さと完全な 日陰のために黒く rast なっ た高い煉瓦壁」 が見える. しかも周り は高い ビルばかりなので この壁と事務所の壁に挟まれ , た空間は 「巨大な四角い水槽」 ( ) のようになっ ている. この” 61 l i fざがない場所で生活して いるの が 語 り 手 で あ り, そ こ へ 「生 活」 ( l i f l e) を 求 め て 来 る の が Bar t eby な の で あ る.. 語り手の目の前に登場したとき の Bar l t eby は次のように描 写されている. ln answer to my advertisement a motionless young man one morning stood upon m of i ce , y f h h l d h d b i f t res o ,t e oor e ng open, ori t wassummer igurenow----pal l idlyneat . lcanseethef , i iablyrespectabl t lorn! l l e t was Bar t p 66 ) eby ,incurablyfor . ( “l ” l t was Bart l eby t eby と い う 名 前 を 提 示 し て い る こ と . と い う 文 で 弁 護 士 で あ る 語 り 手 が Bar. は前にも述べた. この人物の過去についてはひとつの不確かな噂を除いては なにひとつ分からな , い. しかしながら, この風変わりな人間について誰も何も書かないことは 「文学にとって取り返し 28.

(6) . ”Bar l t ebゾ’にお ける 「生」 と 「死」. l t i ) に な る と い う の で, Bar eby の 話 を こ terature) (59 の つ か な い損 失」 (ani rreparabl elosstol. の弁護 士が書き留めたのであった,「顔は蒼白で端正, 哀れなほどに品 がよく, 癒しがたいほどに孤 l 独な一Ba t r eby は, 他の書記たちによい影響 を与えるだろうという望みか ら採用されることになる, t hr l d )を越えてやっ て来ることにも l t e sho ま た, こ の 出 現 の 場 面 で Bar eby は外部の世界か ら境界( 注意が必要であろう. l t 事務所の中では, Ba r eby に与えられる空 間はさらに小さく区分されていく, 事務所の内部は, 語り手の気分次第で開け閉め出来る 「すりガラスの折戸」 ( groundglassfolding‐doors) (67) で さ らにふたつの部分に分けられていて, 語り手である弁護 士と他の使用人たちはそれぞれ別の空 間に l t いる. Bar eby は折戸のそ ばの語り手の側の 空間で仕事をすることになり, 机は小さな横窓のすぐ そばに据えられるが, その窓からは僅かな光 しか射さず, 3 フ ィ ー ト も な い と こ ろ に 煉 瓦 壁 が 迫 っ l t ている. また, Ba r ebyの姿は見えずに, しかも自分の声だけは相手に聞 こえるようにと, 語り手 ) で仕切ることにする. 語り )( 67 r c een は 「高い緑色の折り畳み式衝立」 ( a high green foldings 「 iety were con ined) ( 67) d jo i s o c ( が結び付いた 手にとっ ては, これは 独居と同居 」 prvacy an l t ものという ことになり, 折戸と同様に自分の気分次第 で Bar eby との空間を利用 できる はずで l t あった. Bar ebyは, 語り手及 びその使用 人たちからさらにもうひとつ小さな世界に住むことを余 l t 儀なくされるかに見える.実際,Ba eby はその空間を自分の居住空間として生活しているこ とが, r l t eby にとってかえっ て都 作品の後半部分で明らかにされる, ところが, この小さな空間世界は Bar l i ) は Bart eby の も の と r vacy 合の良いものになるの である, 衝立によっ て 「個人の自由な生活」 ( p 「 i ) を求めねばならない結果になる. そして, 他の t l なり, 語り手は Ba t soc e r eby に 付き合い」 ( y ことになる. もちろんこのことは, 語り手の方が影響を受ける 与えると言うよりも 書記に影響を , l Ba t eby が語り手の側の空間に位置された時点である程度想像されたことでもあづた. r l Bar t eby は最初は驚くほど熱心に, まるで飢えていたかのように仕事をする, ing ingforsometh flongfami i ing i t tyofwr sh l Atf i t t raordi naryquant ebydidanext rs , Asi ,Bar f i igest fon my documents on tocopy heseemedto gorge himsel . He . There wasno pause ord. , te l l ight l ightand by cand ine ightl e ‐ ‐ ran a day and n . lshould have been qui ,copying bysun. ly l i l lyindustrious. Buthe wrote on s ent i ion i de l ighted wi th h sappl cat , ,had he beencheerfu ly l cal e pal y . , mechani. ( 67). l t しかし, この熱心さに対 して語り手は, Bar eby が陽気でなく「物静かで, 活気がなく, 機械的な」 ” と いう 形 での 仕 l t こ と を 気 に か けて い る. 弁護士の心配は後に Ba r ebyの wouldprefernotto. l t r eby は拒否する人物として, 雇われてか 事拒否の伏線になっ ていることはもちろんであろう, Ba ら 3 日目の文書の読み合わせをすることの拒否から始まって, 文書を筆写すること, 事務所を出て 行くこと, 弁護士の提示する各種の仕事を受け入れる こと, 食べること, ついには生きること, こ 8 ) れらをこと ごとく拒否していくのである( . Ba l t r ebyの拒否に対する語り手の反応は, 判断を保留する という形で現れる. 最初の読み合わせ l ) がなく, また仕事が )( 68 拒否の時は, 「普通の人間らしいところ」 ( anythingordinari yhuman sure) (69) 急を要することでもあり, この件について考えることは 「先の楽しみ」 (myfuturelei 「 B l b 奇妙な具合いに te y には, として取って置かれることになる. 二度目の読み合わせ拒否では, ar ) ものがあるだけでなく, 不思議な力で心を動か し冷静さを失わ d i こちらをたじろ がせる ( sa rmed 69-70 ) ので説得 しようとしたが, 仕事を急い ) 何かがあった」 ( せる ( i t touched and d r ed s conce 29.

(7) . 池. 田 志 郎. で い る こ と も あ っ て, 前 回 と 同 じ よ う に”futurel i e surざ に す る. こ の や り 取 り の 中 で 注 目 す べ き こ とは, 語り手の“賜物 do you refuse?” と い う 問 い に 対 して Bart l l woul dprefernottop eby が ”. ( 69 ) と言っ ていることであろう. これは問いに対す る答えなのであろうか これはかならずしも . ”Bea ” l d prefernott causel wou o , を意味して いるとは限らないよう に思われる, つまり, 語り手 の問いに答えた のではなく, ただ単に前言を繰り返 したに過ぎなかっ たのではないか それにも関 , わらず, 語り手の方 はそれを答えと受け止め てしまっ たのではなかろうか . 次に三度 目の拒否 であるが, これは今ま でとは多少趣 を異に する なぜなら 語り手にとっ て , , Bar l t eby の拒否は快楽の域へと向かっ ているよう に見えるからである. 「新たな対立関係 の中で彼 に立ち向かいた いという奇妙な衝動に 駆られ -- 私自身の怒りに 見合う だけの怒りの火花を彼か ら引き出そう」 ( )として, Bar 72 l t ebyの拒否を期待 しながら問いを発する. それが予想通りである. と, 「新 た な 刺 激」 (add i i lincent ives t )に 誘 わ れ「も う 一 度 反 抗 さ れ た い と 熱 望 す る」 ( ona lburned to ber l l i b d i )( e e e aga nstaga 73 ) のである そこで今度は歩いて 3分の所にある郵便局 への用 n ,. .. を 言 い つ け る. 期 待 通 り Bar l t eby は“l wouldprefernottopと 答 え る が, 語 り 手力鄭You wZ z znot ?“. ” 73 と念を押すと, ” IP〆啄の no t ) という返事が返っ て来る. さらに, 「盲目的な執念深さ」 ( 7 3 ) . ( か ら Bar l t eby に 用 を 言 い つ け よ う と 彼 の 名 を 呼 ぶ. 三 度 目 に して や っ と Bart l eby は 姿 を 現 す が,. 用件は当然拒 否さ れる. 結局, 語り手はこの場はそのままにして 夕食の時間が近づいていたので , 家路につく ことにする. またしても, Ba l t r eby に対する処遇は未決定のままにされる訳である. こ のように, 語り手が Ba l t r ebyの拒否を一種の快楽と捉えるようになっ たとすれば, それは明らかに Bar l b t の存在が語り手の心の中で大きな ey 部分を占めるようになっ てきている 、ことを示して いる の で は な い だ ろ う か. こ こ で 語 り 手 は, 単 な る 現 状 認 識 に 過 ぎ な い と して も Bar l t eby は 「ど ん な , 小さな用件」 ( i i l the mos tt d f rva erran o anysort ) (74 ) でも す ぐに拒 否 す る だろう と いう 結 論 に 達する. と こ ろ で, この第三の場面にお ける. ?””IP would prefer nottop“You wZ” not. ” 2γ not . と. いう三つの発話は重要な問題を含んでいるように思われる 語の意味のレヴェ ルでは“p f r e e とい . う動詞自体は二者択一の選択をする動詞 であり,そこには当然意志が働くことは明白であろう( 9 }こ . の内の最初の返答は嫡曲的で丁寧な言い方であるが, 語り手がはっきりとその意志を確認しようと l すると, Ba t r eby は最初の時よりも直接的な幾分強い形で返事をする. しかしそれは, ”No l l ,lwi. notぞ と い う よ う な, 問 い に 対 す る 直 接 の 返 答 と は な っ て い な い. あ く ま で も“IP惚秀γnot力 と し か. l Bar t eby は答えないのである. にもかかわらず, 語り手はその答えに満足しているのはなぜであろ うか.ここで二度目の拒否の時に,“Whydo yourefuse?“ と い う 問 い に 対 し て Bart l eby は ”lwould ttop と し か 答 え な か っ た こ と を 思 い 出 す 一 貫 し て ”pref preferno ernoゼ の 返 答 を し て い る の で .. ある. このふた つの例に共通することは, 語り手の問いに対して直接で明白な返 答はなされていな いということであろう. その問いと答えとの間隙を埋めている の が語り手の想像力なのではなか ろ. うか. こ の後の場面においても同じよう に Bartleby は ”prefernor を使っ て返事をするが, 語り手. の側の態度が変化して 行く. すると, 逆説的な意味で“pr f e eF は語り手の心的態度を表現している ことになると言えよう.“pr f Fを用 いることによっ て Bar l t ee eby は, 物事の最終的な判断を語り手 に委ねること に なり, その最終決定は迷いなが らも語り手が行うこと になるのである 従っ て 語 , . り手の「好みによる選択」( f )をBar l t e e r ence ebyの言葉が引き出すこと になる. 換言するならば, pr Bar l t eby は語り手の隠れた意志を照らし出すラ ンプの働きをして いると言うことが出来よう , Bar l t l eby が現れた当 初から語り手は,Bar t eby の柔和さに取りつかれて いる感があるが, それが 次第にはっ きりと感情の面に出て来るようになる 語り手は Ba l t r ebyの 「不思議な柔和さ」のため . 30.

(8) . ”Bar l t eby”にお ける 「生」 と 「死」. ) とい 76 ) させられる」 ( d i ) させられるだけでなく, 弱々 しく ( unmanned に 「無防備に ( sarmed l t r eby が事務所で寝起きをしているこ うこと が意識されてくるのである. この後ある日 曜日に, Ba 示す とが分かると, 語り手は強い同情を . feafee l ingofover‐poweringstinging melancholyseized me. Before imein myl i i Forthef rstt , ty lhad neverexperiencedaughtbuta notunpleasing・sadness. Thebondofacommonhumani ! i ibl anchol t y rres s now drew mei y to gloom. A fraternal mel f Adam. sons o. l Forbothland Bart eby were. (77). im ofinnate i ivenerwasthev ct Whatlsawthat [Sunday] morningpersuaded methatthescr i i h i twash b d d i d i lmstoh s notpan m;i i s oy sbody ;buthi ncurabl ed sorder andi . l mightgivea i llcould notreach fered hatsuf ssou soult , ,andh. ) ( 79. l t ここに描写されている 「私も Ba ebyもともにアダムの子供たちである」という認識は, 語り手の r l Bar t eby に対する単なる同情 を越えて, 精神的同胞意識の表れだと考えることも出来るであろう. l t 語り手にとっ て Ba r eby の問題は肉体よりも精神(魂)の問題なのである. その結果, 何もしない Ba l t r eby を首にはしなけれ ばならないが, 出来るだけの手助けをしようと考える. もし故郷に帰り l ) 一本出してくれ t t r e e たいのであればその費用も出す し, そこでさらに援助 が必要ならば 「手紙 ( l t ) と語り手は決心する. しかし Ba 79 r eby を追い出すことはう まくは ればきっ と返事を出そう」 ( h i 「 t s 行かない, 何か迷信的なもの が心に迫り, 私の目的を遂行するの を禁じ, この 孤独 な人間 ( ばわりされる よう ) ( 8 0 一 らば悪党呼 for lornest o f mank 言でも口にするな d i ) に辛疎な言葉を 」 n な奇妙な気がして, 語り手は強い 態度には出ることが出来ないのである. ina mentalway ) 影響を受 l そ の 一 方 で, 自 分 が Bart eby か ら 「す で に か な り な 程 度 精 神 的 に ( ” け」 (81)て い て prefe を無意識のうちに使っていることに, また他の使用人たちも その言葉を使. い出している ことに気付いて驚き, 断固とした処置を取ろう とする. しかし, その決心も例の ごと l t eby を追い払おうとは思うが, います ぐでは くすぐに暖昧なものになってしまう. どう しても Bar 「 l t と再び先送りにするのである d ) ( 8 2 ) r eby を採用 した t ない方が 賢明だ」 ( pru en . もともと Ba のは, 他の使用人たち が影響を受けて落ち着いてくれるようにという配慮か らであっ た. しかし, l t eby を置いたのかという疑問 が出て来る そうである ならばなぜ語り手は事務所の 自分の側に Bar l t であろう. それは, 語り手が Ba r eby を無意識の内にしろ自分の 心理空間の中に置きたかったから l t r eby が精神 ではないだろうか, その意味では, これは予想通りの喜 ぶべき事態のはずである. Ba 的な影響を他の書記たちだけでなく, 語り手にまで与えつつあるの だから. いや, 実は語り手に与 える影響の方が重要なのである. l Ba t r ebyの拒否はさ らに一切の筆写をしないという点に達するが, その理由を尋ねた語り手に対 l f ?” (82) と い う も の で あ っ た, 語 l する Bart eby の答えは ”Doyounotseethereasonforyourse l t ろうと考え, 同情する, 日が経っても Bar ebyが l t り手は Bar ebyの目を見て視力が落ちたのであ, 筆写をしないことから原因はそうではないことが明らかになる が, かと言っ て語り手にはその 理由. は理解できない. 語り手には 「見えない=分からない」 のである. この場面はこの作品の 中でも極 l t eby の場合 めて意味深い部分ではなかろうか. それは, 「見る」 ということの意味が語り手と Bar l t l l ingham が 指 摘 して い る よ う に, Bar eby に は で は異 な る よ う に 思 わ れる か ら で あ る, 例 え ば, Di. 1 0 ) Bar l eby は私的な空間 見えていることが語り手には見えていないという状況がありそうである( . t 31.

(9) . 池 田 志 郎. (居住空間でもある) である衝立て の奥で, 盲壁に向かっ て夢想 ( ies dead l lrever ) す る, 語 り ‐wa 手 に と っ て は 無 意 味 な ”dead l r l ‐wa に見えるものの, Ba t r eby にと・ っ ては有意味な壁, 必要な壁な l i f の で あ り, そ こ に “. を 見 い だ して い る の で あ る Gas lard は 夢 想 に 関 し て「も し家 の ton Bache .. もっ とも貴重な恩恵はなにかとたずねられたならば, 家が夢想をかくまい 夢みるひとを保護し , , われわれに安らか に夢みさせてくれることだと, わたく しはいう だろう …… 夢想には人間の深部 , n { )と述べているが こ を指示する価値がある. …… 夢想は自分の存在を直接にたのしむのである 」 , . l れ は Bart l eby に も当てはまるようである. Ba b は夢想すること t によっ て生きていると言える r ey のではないだろうか. さて, 語り手が Ba l t r eby に与えた仕事はそもそも法律に基づいて作成さ れた証書な どの筆写で ある, 従っ て, 有能な書記とは 「機械的に一 文字を複写する人 間ということになろう その意味で . は, 当初の Bar l t eby は語り手にとっ ては有能な書記であったと言うことが出来る, しかしながら, 文書の内容に関してはいっさい関知せず, 一言一句正確に複写 し, .照合し, またそれを繰り返すと いう, これほど非創造的な仕事があるであろうか. かと言っ て, 自分で独創的な法律文書を作り出 す こ と は も ち ろ ん 不 可 能 で あ る. こ の 「無 味 乾 燥 な 仕 事」 (adry huskysor iness tofbus )( 6 6 )を , Bart l l l l eby は しな く な る. あ る い は こ こ に, Bart eby は 作 者 Mel vi e の 分 身 で あ る と 考 え て, 作 者 の. 1 2 ) この作品が発表された 雑誌は読者を 芸術家としての誇りを読み込むことも出来るかもしれない( . 不愉快にさせることを嫌っ ていた, という調査結果があるということはすでに述べた これは作者 . にとっ ては, 自分の望む通りには作品を創造できない, という不本意なものであっ たろうと思われ る. 読者のために文字だけを書き写すような 「無意乾燥な仕事」 を Me l i l l v e は拒否したかったのか も知れない. ところで問題は, Bar l t eby が文字を筆写するという仕事をしなくなったことの意味であった. 結 論を先取り して言えば, それは Bart l i fe eby は 語 り 手 に と っ て は「生 の 使 い」 (onerrandsofl )( 99 ) をする人物 であると いう ことであろう. 人間が人 間であるための条件のひと つ はその 「人間性」 human ( i )にある, と言うことが出来るであろうが, 弁護士である語り手にそのことを気付かせる t y ” l の が Bart eby なのではなかろう か. 語り手の生活は ”the easiest way ofl i fei t sthe bes , という 信 条 に 表 れ て い る よ う に, た い し て 変 化 の な い 日々 の 繰 り 返 し で あ り ”metho定 と ”prudencざ を ,. 持っ た生き方であった, そこに Bar l t eby が出現し, 変化をもたらすことになる. 複写されねばなら ない法律文書 の山, 過剰なほ どの文字 (あるいは言葉) l t ebyの沈黙, この対 , それと対照的な Bar 立関係はさらに検討を必要とするが, 法律文書の意味するものは 芸術家の観点からすると全く個 , 性のないものに見えるであろう. 法が法を作り出し, 法が拡大再生産されて行く その中に人間の , 感情が入り込む隙はないように思われるからである つまり, 芸術家にとっ ては 法律文書は死文 , , と言うよりも 「死んだ文字」 ( deadletters) な の で あ る. Bart l eby の よ う に, そ の 「死 ん だ 文 字」 の間にいて法律文書 の筆写を拒むことは, 逆説的に 「生」 を主張していると言うことが出来るので は な か ろ う か.. この後の話の流れは, 語り手が事務所から出て行くよう に Bart l eby に 伝 え, 6 日の期限を与える が, それも拒否されるというようになる. それでも, とにかく最後の通告をして金を渡し 自分の , 手続きのすばらしさに自画自賛してかわいそうに思ったり, 不安になったりと, 動揺しながらも い ” ろ い ろ 憶 測 す る. 結 局 は Bar leby はそのままであ る こ と が 分 か る こ こ で 再 び ” t l l twasBart eby . .. ( 86 )という 、表現が繰り返される, さらに憶測を重ねるが, 事態は全く変化することはなく日が過ぎ る. その間に ”Edwardsonthe Wi lr や ”Pr i l i t tr を 読 ん で こ の 一 件 が 自 分 に 運 命 es eyon Necess づ けられたものと考えるようになり, Bar l t eby を容認してしまう程 になる. 32.

(10) . “Bar l t eby”にお ける 「生」 と 「死」. …. ln lpersecute you no more h ind your screen,thoughtl ; l Yes ;lshal eby ,stay t ere beh ,Bart l l f l i i t t l l t h t A r lk t t e n e a e h e e s e e r e l i f r e e as ; p now you a t n . short , ,lnever ee so pr va eas w e. i tstoenact t erpar i fe rsmayhavelof ; inatedpurposeof myl hepredes t tot , othe . lam content iodas you f i i thof l ld ‐ room forsuchper ce ioninth i shyouwi stofurn eby but my mi swor ss ,i ,Bart i in tto r ema may see f . (89). l t ところが, 何もしない Ba r ebyの存在 が仲間の弁護 士たちから不審がられる ようになると, どう l t しても Ba r eby を追い出さなけれ ばならなくなる. 「彼が出て行く気 がないなら, 私が出て いかね im, i )( 91 ) という結論に達し, 語り手は事 i l lnot qu th t me tqu ばな ら な い」 (Since he wi ,lmus 「 l i ) のよう な衝立が運 び出された )( 91 o o ahugef 務所を引き払う ことになる. 最後に 巨大な本」 ( l とき, 語り手は Ba t r ebyと離れがたい気持ちを抱 いていることが明らかにされる. ingf i l thin meupbraided me rom wi esometh lstoodinthe entry wat ching him a moment . , wh tin my mouth. lre‐entered, wi th my handin my pocket- - and - - and my hear dt k t h t’ ‘Good- bl by ing - - good l by ‐ t eby ;lam go ,and Godsome way ess you;an a e a, ,Bar l t rangetosay - - i tdroppeduponthef oor ingsomethinginh l i shand s ,andthen - - s pp . Buti i d f ( 9 1 ‐ 9 2 ) b l d t l ff ltore myse rom him whom lhad so onge o er o.. l t eby がさ らに強い影響を及ぼ し 言葉の面だけではなく, ついには語り手の精神的 な面にまで Bar 1 3 ) 先にも述べたように, Ba l t eby は語り手の側にその場 r てきている と言うことが出来るであろう( . 所を与えられたの だから, 実はこれは無意識の内にしろ語り手にとっ て期待されていたことでもあ ると考えられる.. heTombsに送られるまでその同じ場所に居座 る. その間語り手は l こ の 後 Bart eby は, 刑務所t ”ea l l l hemanyoual ude y 問い合わせを受けたり, 説得を頼まれたりする, 語り手 が答えるのは r ,t “ ” toi s no relation or apprentice of mine (92) lknow nothing about ei snothing to me--h 1 4 } し ” l eby の 説 得 も う ま く は 行 か な い( h im ( 92 ) ということの繰り返しばかりであり, また Bart . . i h l t t nぎ であるはずはない, その証拠に, 語 r eby が“no かし, 語り手に大き な影響を与えてきた Ba l t り手は Ba r eby に自分の家に来て一緒に住むよう に提案さえする し, 元の事務所の 家主の メ モを. 見てthe Tombs に Bartleby を 訪 ね る こ と も す る の で あ る, こ の Bartleby 訪 問 は,か つ て Bartleby l t r eby が語り手の事務所 という が広告に応募する 形で出現したとき と見事な対照をなす. 最初 Ba 閉ざされた 空間に外の世界から入っ て来たのに対して, 今度は語り手がメモをきっ かけとし て外部 l heTombs と い う Bart eby の い る 空 間 に 入 っ て 行 く か ら で あ る. つ ま から壁に囲まれ閉 ざされたt り, 立場が全く逆転 してしまっているのである, toftheyards laloneinthequi sfacetowardsahi gh tandingal etes Andsolfoundhim there,s ,hi t i l windows l i tsoftheiai laround l l rom thenarrow s eal wal ,lthoughtlsaw peerng ou ,f , whi im the eyes of murderers andthi eves upon h , (96). l t 刑務所内の芝の生えた中庭で Ba r eby は, やはり壁に面して立っ て夢想している, ところが語り手 の方は, その回りを取り囲 んでいるものとしては壁ではなく, 人間の 「目」 を意識していることに l t r eby の居るこの空間がただ単に壁に閉 ざされている 気を付けね ばならないであろう. これは, Ba 33.

(11) . 池 田 志 郎. というのではない, と語り手が気付いたことを表すものではなかろうか . また, この場所はそれほど酷 い場所でもないということを語り手が Ba l t r eby に告げる場面も, 語 り手の内面的な変化が明らかにされる部分であろう . And to you,th i l sshould notbeso vi e a place. Nothing reproachful attachesto you bybe ing here A d i n see, ti ink, Look,therei s notso sad a place as one mightth , sthesky andhere ,. i sthe grass .. (96). これは, 語り手が Ba l t r ebyの 「壁」の意味を徐々 に理解してきていることを示しているよう に思わ 「 「 れる. 空」 や 芝生の緑」 に気付くことはなんと人 間的なことであろうか( 1 5 ) これまで 使用人た . , ちをその機械的な勤勉さ故に意義があると考えていた語 り手の世界観 は Bar l t ebyの出現によっ て , 1 6 } Bar 全 く 逆 転 さ せ ら れ て し ま っ た の で あ る{ l t eby に と っ て の 「壁」 は, 夢 想 を 可 能 に し, 自 己 の .. 存在を確認することが出来る空間を作り出すものであったのだ その認識を語り手が獲得したこと . は, こ の 作 品 の 最 後 の 嘆 息 ”Ah Bart l ! Ah !“ (99) に も 明 白 に 表 現 さ れ て い る と 言 ty eby , ,humani え よ う.. Bart l eby に つ い て 語 る と い う こ と は 語 り 手 自 身 に つ い て 語 る こ と に な る, と こ れ ま で も 何 度 も 述. べてきた. その意味で, この作品は語り手が Bar l t eby を通して自分自身 について語る独白 であると 言う ことも出来る. Ba l t r eby という存在を光 源として, 語り手が照らし出さ れて来るの だから,. Bart l eby と 語 り 手 の 関 係 は 従 っ て, 同 じ も の の 裏 と 表 の 関 係 に あ る の で は な い だ ろ う か Bar leby t .. が語り手と全く対照的であることによっ て 語り手が照射さ れて来るのである ということはまた , , 同時に, 語り手によっ て Bar l t eby が浮き上がっ て来るということにもなる. この可逆反応の中で ”Bar l t ebず という作品が生成さ れて来るということになろう, これまで具体的に見てきたよう に, 語り手と Bar l t ebyの間にはいろいろな対照が あっ た ”the .. ” iest way of・ l i fe i eas t s the bes l t eby は 終 始 一 貫 し て . と い う 語 り 手 の 生 活 信 条 に 対 し て, Bar. “ ref l p erencぎ を 主 張 した. “preferenc が Ba t r eby の生活信条であったと言うことが出来よう. .そ れは実に強い自己主 張であり, それを主張し続 けることは周囲の人間たちとの間に乳機を生 じさせ る こ と に な ろ う. 従 っ て, Bar l t l i fe) を 送 っ た の で あ る Bar eby は 最 も 困 難 な 生 活 ( l t eby の 口 に .. ” する ”l would prefer nott o .,は, 拒否の言葉ではない, 自己肯定を意味する言葉なのである. そ ” の 行 き 着 く と こ ろ が the Tombず (墓) での死 ( dea h ) であろうとも, それは幸せな 「選択され t た一 生 ( l i f ) l e であり死であると言えよう. この Bar t eby の生き方を積極的な生と言うことが出来 る と す れ ば, 自 分 の ”pref erenc. を主張 しない語り手の生き方は消極的なも のだと言わなければな. ら な い の で は な か ろ う か. ま た, Bart l lrever i eby は “dead‐wal eぎ に し ば し ば 浸 る が, そ れ は 彼 に. とっ て壁は 「死んで」 はいないからであった 語り手が壁に 「生命」 ( l i f ) を認めることが出来る e . “ な よう に っ た とき に は, Bart l eby は す で に the Tomb の中にいたのである 従って 語り手 に . , と っ て の “dead” は Bart l l iving“ で あ り, ま た そ の 逆 も 真 な の で あ る こ う し て eby に と っ て は ” .. ,. dea hと1 i f t e はふたつの別個 の事柄ではなく, 同じものであることが確認される ことになる つま . り, ”dead lr“deadl terぎ な どの ”deaず は, 必 ず し も 「死」 の み を 表 面 的 に 表 す も の で は な ‐wa et. 34.

(12) . ’ ’に お ける 「生 と 「死」 ‘ ‘Bar l t eby 」. く, そこに 「生」 をも同時に表しているこ とになろう. l t さらに重要な対照は, 語り手の仕事と Ba r eby の関係である. 語り手は法律に沿っ て証明書な ど l ために, Ba t それが忙しくなり人手不足の とが仕事であるが r eby を雇うことになっ を作成するこ , l )が溢れている事務所で, 機械的に文字, 言葉を書き写す t t た. 当然の事ながら, そこは文字( e r s e l l b 与 t に t えられた仕事であ こ と が Bar eby は, 最初の内は 「機械的に」 筆写を ey った. しかし Bar するが, ついには何もしなくなる. 実は, この何もしないという行動が語り手に差し出された手紙. l iving l t ters” で は な く, Bar l )なの で あ る, そ れ は ”deadl ( eby と い う 「生 き て い る 手 紙」 ( ters et et ty) に 対 す る l l ) と いう こ と に な ろ う. な ぜ な ら ば, Bart ters eby に よ っ て 語 り 手 は 人 間 (humani et ” ‘ ‘ 作 後 5 9 ) ある い は t 惹 こ 品 最 に ( の の one vague repor 関 心 と 愛 情 を 起 さ せ ら れる か ら で あ る, ”rumor” ( ter l 99) と い う 形 で, Bar t eby が か つ て ワ シ ン ト ン の 配 達 不 能 郵 便 処 理 局 (Dead Let. f i of )で働いていたらしいという情報が伝わって来る. その真偽の程は明確ではない が, いかにも ce deadl ) t t Ba l e r s t e r eby に似つかわ しい噂である. 宛先不明の郵便 ( , それは生きるため, 望みを与 えるため, あるいは許しを与えるために差し出されたのかも知れないが, それを炎の中へと投 げ入 ikedead men?” ! doesi tnotsoundl ters l et れる こ とが Bart eby の 仕 事 で あ っ た と い う, ”Deadl l ter と い t eby=l et ters= men と い う こ と を 認 め た も の で あ り, Bar ( 99)と い う 語 り 手 の 感 想 は, l et. l t う関係を明らかにしてくれるのではなかろうか. 従 っ て, Ba r eby は「どんな小さな用件も拒否す l t eby は語り る」と語り手は考えていた が, それとは全く逆の意味が存在していたことになる. Bar 「 「 う大きな役割を果たしたのである 手に 人間」 と 生」 に目覚めさせるとい . l l l i l t さらにまた,さまざまな可能性を含む“Ba eから読者へと差し v r ebr という作品は,作者 Me 「 「 は生き続けることにな が読み続ける限り この 手紙 出された 手紙」 であり, それをわれわれ 」 , l る. Ba t ebyの死の姿勢が子宮の中の胎児のそれであり, またその足元には緑の 芝生が生えている r l t ことが, 生命の復活を暗示していると考えられることから, Bar ebyの死は生へとその意味を変え て行くことになる. そして, その変化の過程で, 読者の 「読み」 は新しい活力を帯 びて再び作品に l f i 生命力 ( ) を与えることになろう. e. 注 ingham, 朋8海沼β’ l l l l s sぬのて ( 1 ) この件に関して は, Wi am B. Di. iv 化すあれ ヱ853 856 (Athens : The Un . of ” “ f B l b i i L B i 丑 川 る また L t ま あ r 砂 z e とめて ) 4 9 に r a r e n i P 1 9 7 7 e a r s o α e Georg e w s y y a res s , , . n , , ,p , も 参考 した k 1 3 ‐ 2 に A h B 1 9 7 9 ) 7 d C l ( H M T h d o s Z”s n n r o n o : c am en c創始弱g e , . omas nge . , ,pp . , , o .. 2 ( ) あるいはここに, 自炊“のれ’ s誌への皮肉があるのかも知れない, 作者の名前を明記せず, 読者の気分を害しないよ l l i せなか ngham にその説明がある(2‐3頁) うな作品しか載 ったこの雑誌の方針については, Di . また, 作品中 i fl pl の” eased ,. l e [ 1 ] could relate divers histories,at which good-natured gentlemen mightsmi ,and ” という部分も参考になろう i l ( 5 9 ) l twe ep s ent menta s smi ou gh . , ” t ld i thanlnt l l l roduct onby Haro ( ) Herman Melvi e ebr in β”か 及ば〆 3 . wi ,s雌′〃 αれ〆 〇動け sわれら,ed , Bar. 示した, なお, ) 9 8 i 5 Beave nBooks r(Pengu ,1 . この版をテクストとして使用し, 引用部分の頁数は括弧に入れて 『 「 短編集1 5年)所収) 1 ( 国書刊行会 メルヴ ル中 ( 乙女たちの地獄 バートルビー ィ 日本語訳は杉浦銀策訳 』 」 , 98 を参考にしたが, 訳文には手を加えたところもある. 『英学論考』9(東京学芸大学, 1 9 77 ( 4 ) 牧野有通「壁に向かうイシマエル -- メルヴィ ルの『バートルビー』 --」 ( 上に位置づけている l byをイ シマエル・ヒーローの延長線 ‐ 46頁) はBar t 年)2 8 e , 42 2頁) 参考. hed t 7 sα“d D虜榔,7 ( 5 ) 7 2 e E”岬dope霞α qf A伽e“”“ 風解Z . および, テクストの注 ( “ ’ ‘ ’ 『 ” ‘ 大 l b ( 学 紀要 f B 甲南 i f h N T h A t t ra oro ar e y 』 文 学 編 45 (甲南 大 学, ( ) Taizo Tanimoto, e vocatons o t e ar 6 35.

(13) . 池 田 志 郎 1983年)1 59 ‐165頁)はこの可能性を指摘している, また, Di l l i 4 4頁) ngham は語り手を「誠実な人間ではない」( と して いる.. ( ) コートに関してはこの他にもう2箇所言及があるが, それはともに語り手が権威主義的に強い対応をしようとし 7 て「ボタンをかける」 ( 83 )という行動についてのものである. このような服装の記号論に関しては, 蓮賞重 , 90 彦 『監督 小津安二郎』 (筑摩書房, 19 85年) を参考にした, 『文学とアメリカ1』 (南雲堂 ( 8 ) この作品における反復については, 平石貴樹 「『バートルビー』 の反復の原理」 ( , 1 980年)63‐ 73頁) 参考. ( ) Leo Marx,”Me 9 l i l肥sparableofthe Wansrinse乙鯛“鑑 尺仰ぎ ),pp v ew,61(oct ;rpt .1953 .602-27 . in aのぜ迄砂 「 『 劫8 加緒粥加るを 1 生の使 ミ 0 0 および 森田孟 -- い ノ ートルビー 小考-- ( α疋 ; 口 元 為尺 E” ZEW17(大 p 』 」 , ,. . “pr ’ ’はつまり極く普通の 塚英文学会, 19 81年)83- 90頁)8 7頁にこの動詞についての言及がある. 後者は 「 f e e r “およびその類型が合計2 人間の行動の在り方といってよい」 と論じ, 作品中で” lwouldprefernott 2回使用 o . されていることを指摘している. l l i ( の Di 1 ngham,p .34 .. qo Gas l t d 1年)4 98 1頁) l l i onBache ar eL’臨めαc e(岩村行雄訳『空間の詩学』(思潮社,1 ngham ,乙αF鍔物”βd .また,Di ‘ ‘ “ は Bar l t 語 手 と り に て は f d t eby に と っ て の 壁 は ”f r という意味を与えている i eedom” t s a e ( 42 a n っ s e c u r y y , 頁) .. ‘. 0 2 ) Marx はこの作品を 「作家としての Me l l )」 ( 8 5頁) と考えている. vme自身の運命を扱うたとえ話 ( rab e pa Q 3 ) 牧野は 「この両者はたとえ物理的には分離していても, ある超世俗的な関係を成立させてしまっていることを意 味する」 ( 36頁) と述べている, Qの Di l l i l ngham は, 語り手がBa t r ebyに提示する五つの仕事は同心円をなし, 人との関係が段々大きくなることを. 指摘している ( 1‐ 4 42頁) . Q 5 ) Marx は刑務所の芝生に気付いたのは弁護士の方であることを指摘し,「もし,希望があるとすれば,それはBar t ‐ l 10 4頁) であると述べている. eby救済の希望ではなく, 弁護士救済に対する希望」 ( Q 6 ) こ こで改めて Turkey r sの二人の行動について考えてみると,二人がいかに人間的であるかが明らかにな ppe ,Ni ろう. 彼らは, 仕事ばかりする機械的な人間というのではなく, かと言って全く仕事の役に立たない動物という のでもない, 無意識の内にそれぞれ自分の意志を表現しようと努力し, ある種の調和を保っている人物たちでは な かろ う か. (本 学 助 手. 36. 岩見 沢 分校).

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参照

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