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アラゴンの後期小説

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アラゴンの後期小説

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「アラゴンの後期小説」一晩年における深まり-序文一再読と再構成一

山 本 卓

アラゴンは晩年に差しかかってから、立て続けに『死刑執行』や『プラ ンシュまたは忘却』などの問題作を発表するO これらの作品は小説の問題 を根底から聞いなおすものであるO アラゴンの小説に対する洞察を小説そ のものの中に内包する形で提示しているからであるO また、こうした問題 作の執筆と同時にこの作家は、自己の過去の作品群に対する大量の自注を も書きはじめるO というのも、当時、最愛の妻エルザ・トリオレとアラゴ ン自身との小説作品を交互に差し連ねた作品集である『アラゴン・トリオ レ交差作品集』が刊行され、その自序にアラゴンの文章が付け加えられる ことになったからであるo

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年『交差作品集』刊行開始。

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年『死 刑執行j

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年『レ・コミュニスト

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改訂。

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年『ブランシュまたは 忘却

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刊行。)この作業の問、アラゴンは過去の自分の作品を言わば「再 読」するO そしてこの再読行為は、彼に自己の方法を対象化しつつ再構成 するという機会を与えることになるのだ。ダニエル・ブーヌーは、その著 書のなかで『プランシュまたは忘却』を評して、この小説が本質的に再構 成の手法を取っていると指摘しているO アラゴン自身の小説の方法論も (晩年の小説論である『冒頭の一句』とともに)上記の序文群の形で再構 成の手法のもとに明らかにされるO だが、アラゴンは小説の理論家ではな い。彼は飽くまでも実作者なのであるO したがって、その論理が整合性に 欠けていたり、用語の規定が暖昧であったりするのは止むを得ない。とり

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-66-わけ彼の言う「レアリスム

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の一語は世間一般で用いられている 通念を大幅に逸脱している。(もっとも、そうした「誤用」こそが実はア ラゴンの思索法のーあるいは詩作法の一原点ですらあるのだが。)そこで 我々凡人は、それこそ最展の引き倒しになりかねないことを承知の上で、 自分なりに理解のしやすい形にアラゴンの理論を「再構成」する必要が有 るのだ。以下の試みはそうした拙い通俗化の試みに過ぎない。またこの論 考は筆者自身にとっても本学文学部紀要に既に発表した「散乱する紙

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、 「言語の限界」、「人称の戯れjの「再構成」の試みでもあることをお断り しておくO 1.現実認識のための装置 アラゴンがその晩年に差しかかって自己の再読という行為と取り組んだ ことは上に述べた。ところでアラゴンの晩年は小説家としても『死刑執行

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や『プランシュまたは忘却』などの問題作を立て続けに生み出した実に豊 かな時期だ、った。そこでは詩と認識との驚異的な結合が見られ、言葉と思 考との幸運な結合が見られた。言わば詩が認識を助け、言葉が思考を生む プロセスが、アラゴンの晩年の作品の中で見事な開花を示していたのだ。 こうして新しい作品を発表しつつ、同時にアラゴンは過去の自作への自注 を作成する作業とも取り組む。『交差作品集』のために書かれた序文群が それで、あるO この時期に書かれた「序文群」でアラゴンが最も強調しているものは 「現実」の一語であるO 当時のアラゴンの小説についての主張の基本的な 部分は、常に「現実」という言葉が占めていた。彼にとって小説とは何よ りもまず「現実認識のための装置」なのだ。だがそうした彼の公式発言の 彼方に、必ずしも「現実の重視

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のみとは思われない要素が現れるO 現実 と虚構との相互作用も見え隠れし始めるO またそこには純粋な言葉の自己 増殖の快楽も出現するO そこでは人生(現実)と小説(虚構)とが作者に よって同一視されることすら有るのだ。こうした「虚構」の重視を見れば、 読者としても単純な「レアリスム」という言い回しをそのまま飲み込む訳

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-67-「文学部紀要」文教大学文学部第9-2号山本 卓 に は行 か な くな る 。 ア ラ ゴ ンの 「現 実 重 視 」 は ど うや ら単 な る図 式 的 な リ ア リズ ム な ど と は異 な る もの ら しい 。 で は ア ラ ゴ ンの現 実 と は何 な の か 。 そ れ は小 説 とは ど の よ う に関 わ る もの な の か 。 まず は 、 そ う した 疑 問 点 に 対 す る解 答 を求 め つ つ ア ラ ゴ ンの 後 期 小 説 の 問 題 点 を考 察 して い きた い 。 さて 、繰 り返 し に な る が小 説 家 ア ラ ゴ ンが 常 に重 要視 して いた キ イ ・ワ ー ドは 「現 実 」(ler6el)の 一 語 だ った 。 シ ュ ル レア リス ム の詩 人 か ら レ ア リス ム の 作 家 へ と転 向 した 後 の ア ラ ゴ ン は 「現 実 世 界 」(lemonder6el) の 連 作 を通 じて 自己 の現 実 認 識 を小 説 の 形 の も と に定 着 させ よ う と試 み る。 『バ ー ゼ ル の 鐘 』 『お 屋 敷 町 』 『屋 上 席 の 旅 行 者 た ち 』 『オ ー レ リア ン』 の 連 作 が そ れ で あ る。 そ して レア リス ム に 目覚 め た 後 の ア ラ ゴ ン は 、 レア リ ス ム へ の 転 向以 前 の 自分 自身 一 つ ま りシ ュ ル レア リス ト ・ア ラ ゴ ンー を回 想 しつ つ 、か つ て の 転 向 以 前 の 自作 『パ リの 農 夫 』 の 中 に さえ 「現 実 」 へ の 強 い 接 近 の萌 芽 が 見 られ た と して い る の で あ る 。例 え ば ア ラ ゴ ンは 『パ リ の 農 夫 』 を次 の よ う に 自 己評 価 して い る 。 「他 の シュ ル レア リス トた ち が 書 い た もの と こ の 本 と を比 較 して み れ ば、 そ れ が 現 実 の 中 に根 を張 っ て い る こ と、 そ の存 在 理 由が 描 写 に在 る の だ と い う こ とを認 め ね ば な らな い 。 シ ュ ル レ ア リス トた ち と私 との 問 の きつ な が 絶 た れ た時 に は 私 は気 付 か なか っ た の だが 、 そ の 権 利 を主 張 して い た の は 私 の 内 な る レア リス ム だ っ た の だ 。」(1) こ こで ア ラ ゴ ンの 考 え る レ ア リス ム は 外 的 現 実 を言 語 的 に描 写 し う る と い う意 味 で の写 実 主 義 と して の レア リス ム に傾 い て い る よ う に思 わ れ る 。 そ れ は ま だ後 期 小 説 に 関 して ア ラ ゴ ンが 用 い る 「推 測 的 レ ア リス ム 」 と は 水 準 が 異 な る もの の よ う だ。 と もあ れ 、 こ う語 る ア ラ ゴ ン に とっ て 、 以 後 「現 実 」 こそ が 最 も重 要 な課 題 とな る 。 そ して 連 作 「現 実 世 界 」 は 「そ こ で 生 きて 死 ぬ に値 す る現 実 の 世 界 へ の 入 り口」 と して位 置 付 け られ る こ と に な る の だ 。 つ ま り小 説 は 飽 くま で も現 実 認 識 の た め の 手 段 で あ り、 小 説 を媒 介 と して認 識 され る現 実 の 変 革 こそ が 至 上 の 価 値 を 持 つ もの と して 位 置付 け られ る こ と に な る の で あ る 。 一68一

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2.厂現 実 」 の 意 味 の 変 化 と こ ろで 現 実 認 識 の た め に小 説 が 存 在 す る とい う彼 の考 え方 が最 も赤 裸 々 に語 られ た の は 、 交 差 小 説 集 版 『バ ー ゼ ル の鐘 』 の た め に 作 者 自 身 に よ っ て 当 時 新 た に書 きお ろ され た 序 文 厂そ こ か ら全 て が 始 ま っ た 」(C'estla quetoutacommenc6.)に お い て だ 。 そ こで の ア ラ ゴ ンの小 説 観 を 一 言 で 要 約 して し ま う な らば 「小 説 は現 実 認 識 の た め に在 る 」 とい う こ とに な る。 だ が ア ラ ゴ ンの 後 期 小 説 を 問題 とす る た め に は 、 この 基 本 的 に して重 要 な 考 え方 を も うす こ し深 く理 解 して お く必 要 が有 る。 なに しろ作 者 に とっ て の 「現 実 」 の意 味 そ の もの が 後 期 に は 変 化 して い る よ う に思 われ る か ら だ 。 そ の た め に 以 下 で は 、 この 作 家 の 言 葉 を援 用 しつ つ そ う した思 考 の細 部 を詳 し くあ とづ け て み る こ と に し よ う。 上 述 した 『バ ー ゼ ル の鐘 』序 文 にお い て 、 ア ラ ゴ ン は 「小 説 とい う こ の 認 識 手 段 」(2)と い う言 葉 を用 い つ つ 小 説 と現 実 との 相 互 作 用 を 強 調 す る。 彼 に よれ ば 「小 説 と は現 実 をそ の 複 雑 さの まま に理解 す るため に人 間 に よっ て発 明 され た一 個 の 装 置 」(3)な の で あ る。 こ の 発 言 は 、 そ の ま ま小 説 に 関 す る彼 の 立 場 の 表 明 と受 け取 る こ とが で きる 。 だ が 、 そ の 定 義 を一 般 論 と して 受 け取 らな くて も良 い 。世 の 中 に 氾 濫 して い る小 説 の 中 に は 、 む し ろ現 実 を隠 蔽 し現 実 か ら逃 避 す る た め の 手 段 と して 作 られ て い るの で は な い か と思 わ せ る もの も少 な くない 。 ま た 、小 説 とは本 来 「反 現 実 の 世 界 」 を構 築 し よ う とす る 作 家 の 意 図 に基 づ く もの な の だ と考 え られ な い こ と も な い 。 も ち ろ ん ヴ ァ レ リー の 言 う よ う に 「文 学 の 目的 は 、 人 生 の 目的 と同 じ く、不 定 だ 」㈲ と考 え る こ と もで き る。 とす れ ば 小 説 の 目 的 も もち ろ ん多 様 な も の で あ っ て一 向 に構 わ な い は ず だ 。 しか し、 そ う した 態 度 に対 して ア ラ ゴ ンは次 の よ うな 言 葉 で 自分 自身 の態 度 を表 明 す る。 彼 は言 う。 「す べ て の小 説 が レア リス ム の もの な の で は ない 。 だ が 、す べ て の小 説 は、 そ れ に反 対 す る た め に で さ え、 在 るが ま まの 世 界 とい う もの を信 ず る こ と にす が っ て い る の だ 」(5)と 。 つ ま り、 あ る小 説 が 現 実 か ら離 脱 し、 純 粋 に虚 構 の 空 間 を成 立 させ よ う と試 み た と して も、逆 に そ れ は 、 そ う した現 一69一

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「文学部紀要」文教大学文学部第9-2号山本 卓 実 棄 却 を必 要 とす る 厂あ る 現 実 」 を映 し出す 鏡 と して 作 用 す る結 果 に な っ て し ま う の で あ る 。言 い換 えれ ば 、 現 実 か ら逃 避 しよ う とい う態 度 は 、 現 実 が 変 革 しえ ぬ とい う断 念 を逆 に映 し出 す もの に他 な ら ない のだ 。つ ま り、 現 実 を棄 却 して 、空 想 の 中 に 自 由 を見 出そ う とい う立 場 に 立 つ と して も、 否 定 す べ き現 実 の 存 在 そ の もの は否 定 で き な い こ と に な る の だ 。 そ こ で ア ラ ゴ ン は現 実 を 第 一 義 の もの と見 な して 、 そ れ と対 決 して い く姿 勢 こそ が 、 もの を書 く人 間 と して の 正 しい 選 択 だ と言 う の で あ る 。 こ の 主 張 は確 か に 正 しい 。 現 実 との 相 互 作 用 を無 視 して は 言 葉 そ の もの が 成 立 しな い の だ か ら。 マ ラ ル メ の 言 う唯 一 の 「書 物 」 とい う夢 想 は 美 しい 。 だ が そ れ が夢 想 に過 ぎぬ こ とは マ ル キ ス トの 立 場 に立 た な くと も 自明 の こ とで あ る 。現 実 の 過 剰 な ま で の 豊 か さ を前 に して 書 物 は余 りに も貧 しい の だ 。 3.過程 と して の書 く行 為 厂現 実 認 識 の た め の 手 段 と して の 小 説 」 とい う考 え は ア ラ ゴ ンの 重 要 な 概 念 だが 、 同 時 に 指摘 して お か ね ば な らな い の は彼 に と って は 、 もの を書 く とい う行 為 の プ ロ セ ス そ の もの も重 視 され る と い う点 で あ る 。 もの を書 く とい う行 為 の現 在 時 そ の もの が 、 こ の作 家 に取 って は 発 見 の 連 続 で な け れ ば な ら ない の だ 。例 え ば この 点 に 関 して彼 は次 の よ うな重 要 な発 言 を行 っ て い る 。 厂私 は これ か ら ど うな る の か 分 か っ て い る物 語 りを 一 度 も書 い た こ とが な い 。 も しそ うだ っ た ら書 く妨 げ に な っ た だ ろ う。 私 は 自分 の登 場 人 物 た ち が どの よ う に な る の か を 知 る た め に書 く作 家 た ち の 一 人 な の だ。 言 い 換 え れ ば 私 は読 者 が 読 む の と同 じよ うに して小 説 を 書 くの で あ る。 理 解 して欲 しい の だが 私 は 誰 が 殺 人 犯 なの か を知 ら ない の だ 。 そ して そ れ を 知 るた め に私 の 物 語 りを展 開 させ る の で あ る 。」(6) この 発 言 に端 的 に示 さ れ て い る よ う に 、 ア ラ ゴ ン に と っ て の 物 語 が 開示 す る現 実 とは 、 あ らか じめ 固 定 的 な視 点 か ら確 定 され て し ま っ て い る よ う な もの で は な く、言 わ ば流 動 的 な不 確 定 要 素 の 相 互 作 用 な の で あ る 。作 者 自身 す ら、 これ か ら自分 が 書 こ う と して い る もの が 、 ど うな るの か を知 ら な い の だ 。 自分 の 虚 構 が どの よ うな 現 実 を露 呈 させ るか を知 らな い の だ 。 一70一

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しか も、 こ の 発 言 で は 、 もの を書 く とい う行 為 の 過 程 、 つ ま りプ ロセ ス が 非 常 に重 要 な もの と して扱 わ れ て い る こ とに も注 意 しな け れ ば な る まい 。 彼 に と っ て重 要 な の は 「唯 一 の 」 固 定 的 な 厂現 実 」 の解 釈 を提 出 す る こ と な どで は決 して な く、 む し ろ虚 構 を介 在 させ つ つ 現 実 へ と向 か うべ き 、書 くとい う行 為 の 歩 み そ の もの が 問題 な の だ 。言 い 換 え れ ば 、彼 に と って は 「良 ぐ出 来 た 物 語 り」 を作 りあ げ る こ と よ りも、 もの を書 く行 為 を 通 じて の認 識 の 運 動 が 問 題 とな る の だ 。現 実 は 作 家 に よ る描 写 を待 っ て い る固 定 的 な もの な の で は な く、作 家 に よ る発 見 を待 っ て初 め て 開示 され る ひ とつ の認 識 の 結 果 な の で あ る 。 こ う して 小 説 の書 き始 め の 一行 で あ る 厂冒 頭 の一 句 」 か ら 、 ア ラ ゴ ンの 小 説 は、 言 わ ば新 しい発 見 の 連 続 とい う こ とに な る 。 なぜ な ら彼 は 、 自分 に と っ て さえ 未 だ未 知 の 物 語 り を書 い て い る の だ か らだ 。 この点 に関 して、 ダニ エ ル ・ブ ー ヌ ー は 、 ア ラ ゴ ンの小 説 を 「一 種 の 教 育 小 説 」 と定 義 しつ つ次 の よ う に 述 べ て い る 。 厂もの を書 く とい う こ とは 、 自 分 自 身 に何 事 か を説 明 す る こ とな の だ 。 だ が ,(『ブラ ンシュまたは忘却』 にお い て は)物 語 りの 一 貫 性 の 中 に 取 り込 まれ な け れ ば な ら な い は ず の 証 言 の数 々 が 、 ば らば ら に与 え られ て い る 。 この 小 説 は 、 再構 成 とい う形 式 で書 か れ て い る の だ 。 もの を書 く とい う こ と は 、知 る こ とで あ り、 試 行 錯 誤 に よ っ て 知 る こ とな の だ 。 そ こか ら数 多 い 「つ じつ ま の合 わ ぬ 点 」(anomalie)に つ い . て の尋 問 と 固執 とが 由来 す る。 つ ま り、 これ は教 育小 説 な の で あ る 。 実 際 に語 られ 、 感 じられ 、行 わ れ 、 ま た考 え られ た こ と を 、書 く こ と に よ っ て 定 着 す る の だ が 、 そ こか ら物 語 りに対 す る 作 者 の挑 発 と減 速 とが 生 じて く るの だ 。 で は 、 こ う した探 究 に よっ て 、 作 者 は何 を手 に入 れ るの だ ろ う 。 そ れ は 未 だ 知 られ ざ る こ と、少 な く と も、 未 だ言 葉 の水 準 に な らぬ こ と を 言 語 化 す る とい う こ とな の で あ る 。」ω そ れ は既 知 の 現 実 の記 述 行 為 で は な く、未 知 の 現 実 の 発 見 行 為 を意 味 す る の だ 。 こ う して 認 識 の た め の 小 説 は 、 もの を書 くとい う行 為 の プ ロ セ ス そ の も の を 、 つ ま りそ の過 程 を重 視 した もの とな って い く。 ア ラ ゴ ン は既 に 知 っ 一71一

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「文学部紀要

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文教大学文学部第ふ2号 山 本 卓 ていることを書き記すのではなく、書きつつ認識を深めると言うのであるO こうしたアラゴンの立場から、彼が決してありのままに現実を描けるなど と考えているのではないことはたやすく理解できるだろうo

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レアリスム」 という言葉から我々が、ややもすると連想しがちなのは、作品に先だって なんらかの描写されるべき現実なるものが既に存在し、それを言葉なりな んなりの道具を用いて写し取りさえすれば芸術が存在するといった通俗的 な模写理論なのだが、アラゴンのレアリスムはそんなものではない。それ はまさしく「岸辺なきレアリスム」であり、彼自身の言葉を借りれば「推 測的レアリスム jなのであるo

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レアリスムの小説

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で描かれる内容は決 して外的現実そのものではないのだ。 生「本当の嘘

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従って小説そのものは現実の模写と考えられているのではないという点 に注意しなければならない。確かに、あくまでも小説は現実認識のために 存在するO だが、それは「現実認識のための装置

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に過ぎないのであるO それは現実と等価ではない。アラゴンが小説を認識のための仮説として捉 えるという立場も、こうした考え方から発しているものなのだ。彼は、と りわけ後期作品においては、様々の文学作品に言及しつつ、(主人公に自 己を仮託しつつだが)自分自身の小説観を展開してきた。例えばルイス・ キャロルの「アリス

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に触れつつ次のような発言を行っているo

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アリス は子猫にチェスができるかとたずねるO …実はそこから、小説の技術にお ける偉大な教訓がわれわれに与えられるのだ。小説家とは、つまり子猫た ちにチェスができるかとたずねることを自然なことだと思う人間であるO こうしてアリスは子猫に言うo

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今からわたしたちでまねをして、なんと か鏡を通り抜けて、向こう側のお家へ入り込む方法があることにしましょ うね…』たちまちゲームは始まる、小説も同様に。

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(8) つまり、小説の原 理とは、やはり

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(嘘をつく)ということであり

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(発明す る、で、っちあげる)ということなのであるO ここでアラゴンが重視してい ることは、小説が仮定を立てるということなのだが、その仮定こそが想像

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-72-力を解放するための重要な鍵となっているのだ。そして、たとえ現実とい うものを認識するのが目的であるとしても、そのためには、こうした仮定 を立てていくことが必要不可欠なのだとアラゴンは言っているのだ。それ が、まさしく小説における「思考の方法」なのであるO 同様の意味のこと を、『ブランシュまたは忘却』の中では、主人公ゲフイエが次のように語っ ているo

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マリ・ノワールは仮説だ。仮説は、想像の出発点だ。マリ・ノ ワールという仮説は、私自身にプランシュを説明するという目的を持って いた。つまりプランシュを想像するという目的を。

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(9)別れた妻プランシュ を追想するためにマリ・ノワールという若い女性の物語を記述する老言語 学者ゲフイエの出発点もアリスの「ごっこ遊び」だったのだ。アラゴンの 言う

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本当の嘘をつく)という問題が、ここに、実にはっき りとした形で、語られているo

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嘘をつく

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とは仮定を立てることであり、 虚構という形式のもとに仮定を立てることなのだ。 もう一度繰り返しておこうO アラゴンの小説は基本的には認識のための 装置なのだ。その装置は現実とは何かを知るための道具として用いられる。 だが認識とは絶えず深まっていかねばならない一つのプロセスに他ならな い。ものを書くという行為の過程そのものが発見の連続にならなければな らないのだ。そのために作者自身すら「誰が殺人者なのかを知らない」と いう事態が生じることになるO 未だ未知の物事を言語化する作者にとって は、それは当然のことであるだろうO こうしてアラゴンはあらかじめの図 式に乗っ取った小説という考え方を排除するのだ。彼の小説は先のことが、 つまり結末がどのようなものになるのか判らぬままに書かれるのだ。だが、 そうしながら小説は小説にしかない利点を利用していく。つまり小説は嘘 を付くことを知っているのだ。アラゴンはそれを「仮定としての小説」

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という言葉でも呼んでいるO 仮定を立てつつ小説は 「誰が犯人なのかj を知ろうとするのであるO つまりフィクションの論理 展開のプロセスそのものが一つの「問題解決jの過程に他ならないのだ。 物語りは進行しつつ新たなデータを積み重ねていくのだが、それによって

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-73-「文学部紀要」文教大学文学部第9-2号山本 卓 作 者 は 自分 で も知 ら なか っ た 現 実 の 見 方 を 自分 の もの と してい くので あ る。 つ ま り小 説 もま た 一 つ の 認 識 論 に関 わ る もの な の だ 。 5.自 己へ の 視 線 小 説 を 「現 実 認 識 の た め の 装 置 」 とす る ア ラ ゴ ンの 考 え方 を検 討 して き た 。 で は 、 そ う した 認 識 装 置 と して の 小 説 が 適 用 され る べ き認 識 の 対 象 は 何 な の か 。 『バ ー ゼ ル の鐘 』 序 文 な どで ア ラ ゴ ンの 言 う よ う に そ れ は 厂現 実 」 の 一 語 で 了 解 して し ま う こ とが で き る もの な の か 。 い や 、我 々 が こ だ わ って み な け れ ば な ら な い の は実 は この 点 な の だ 。 なぜ な らア ラ ゴ ン の言 う 「現 実 」 は多 義 的 で あ り、 しか もこ の 点 に 関 して は小 説 家 ア ラ ゴ ン の前 期 と後 期 とで 大 き な変 化 が 見 られ る か らで あ る 。 こ こで は 「現 実 世 界 」 の ア ラ ゴ ンか ら後 期 小 説 の ア ラ ゴ ンへ とそ の 変 化 を辿 って み た い 。 まず 核 心 的 な 事 実 を か い つ ま ん で 語 って し まお う。 前 期 小 説 にお い て は 厂そ こ で生 きて 死 ぬ に値 す る 」 外 的 現 実 が ア ラ ゴ ンの 関 心 の 中 心 に有 っ た 。 だ が 後 期 小 説 に お い て は 、 ア ラ ゴ ンの 思 考 は外 部 世 界 へ の 関 心 か ら自 己 の 内 部 へ の 関心 へ と重 点 を移 動 させ て い き、 む しろ 自己 認 識 へ の 関 心 が そ の 中 心 とな る の で あ る 。連 作 「現 実 世 界 」 に お い て は ま さ し く外 的 な 厂現 実 世 界 」 が 言 わ ば正 統 的 な レア リス ム の 手 法 で 描 か れ て い た の に反 して 、後 期 の 小 説 で は 「現 実 世 界 」 連 作 に見 られ た よ う な外 界 の客 観 的 記 述 は次 第 に少 な く な り、個 人 の 内面 を記 述 す る 手 法 が 多 用 され る よ うに な っ て い くの だ 。つ ま りア ラ ゴ ン の前 期 小 説 か ら後 期 小 説 へ の 変 化 の 意 味 す る と ころ は 、外 界 か ら内面 へ とい う ア ラ ゴ ンの 関 心 の 対 象 の 変 化 な の だ 。 ア ラ ゴ ンの 小 説 が 前 期 か ら後 期 へ と どの よ うに 変 化 した か は 、 も ち ろ ん 詳 し く検 討 され る 必 要 が 有 る の だ が 、例 え ば後 期 作 品 に お け る顕 著 な変 化 の 一 つ に 「客 観 描 写 の稀 少 性 」 とで も名 付 け るべ き傾 向 が 有 る 。連 作 「現 実世 界 」 にお け る ア ラ ゴ ンの 描 写 は 、 そ の ほ とん ど全 て が 無 名 の(つ ま り 「私 」 と発 話 しな い 中 立 的 な 一 ニ ュ ー トラ ル な 一)話 者 に よ る 客 観 描 写 で 占 め られ て い た 。言 い 換 え れ ば そ れ は極 め て オ ー ソ ドッ クス な小 説 作 法 に 従 っ た小 説 の 記 述 だ っ た 。 もち ろ ん 時 に話 者 は オ ー レ リ ア ンな り カ トリー 一74一

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ヌ な りの 「心 理 」 の 中へ と介 入 して は い く。 だが そ れ も、 小 説 の方 法 と し て 考 え れ ば伝 統 的 な視 点 か らの描 写 な の だ 。 そ れ に よ っ て叙 述 が 虚 構 の 整i 合 性 を破 壊 して しま う よ う な こ とは全 く無 か っ た の だ 。 と ころ が ア ラ ゴ ン の後 期 作 品 で は 『死 刑 執 行 』 に お け る ア ル フ レ ッ ドや 『ブ ラ ン シ ュ ま た は 忘 却 』 に お け るゲ フ ィエ の よ うに 、一 人 称 の 語 り手 が 独 白 を続 け る形 式 が 多 用 され る よ う に な る 。 そ して 連作 厂現 実 世 界 」 に 見 られ た よ うな 中立 的 な 視 点 か らの い わ ゆ る 客 観 描 写 は影 をひ そ め る こ と に な る の で あ る。 また 、そ う した小 説 の 取 り扱 う素 材 の 変化 だ け で は な く 「現 実 世 界 」 の 連 作 と 『死 刑 執 行 』 を始 め とす る 後期 作 品 との 間 に は 、後 に 具体 的 に検 証 す る よ うな 明 らか な記 述 法 の変 化 も見 られ る 。 そ う した記 述 法 の 変 化 もア ラ ゴ ンの 関心 の 変 化 を裏 付 け して い る も の だ と言 う こ とが で き る。 彼 は現 実 世 界 に対 す る 関 心 を 捨 て た 訳 で は な い の だが 、 『死 刑 執 行 』 や 『ブ ラ ン シ ュ ま た は忘 却 』 な どの 後 期 小 説 に お い て は 、 自己 の 内 的現 実 に 対 す る 関 心 を よ り重 要 な もの と考 え る よ う にな っ て い くの で あ る 。 で は 、 こ う した 現 象 は何 に よ って 説 明 され るべ きな の だ ろ う か 。 そ れ を 以下 で は 具 体 的 な 例 を引 きつ つ考 えて い く必 要 が 有 る だ ろ う 。 6.推測 的 レア リス ム 連 作 「現 実 世 界 」 と 『死 刑 執 行 』 以 後 の後 期 小 説 との 問 に見 られ る上 述 の よ うな記 述 法 の 変 化 、 あ る い は構 成 や 視 点 ゐ 変 化 は何 を 意 味 して い る の か6そ こ に見 られ る の は ア ラ ゴ ンに お け る レア リス ム観 の根 底 的 な変 化 と い う問 題 な の だ 。 そ して レア リス ム観 の 変 化 は そ の ま ま作 者 の 問 題 意 識 の 変 化 を 意 味 して い る と考 え られ る。 「現 実 世 界 」 に お い て 見 ら れ た よ う な 古 い レア リス ム で は把 握 しえ な い何 物 か を 、後 期 小 説 に お け る ア ラ ゴ ンは 未 知 の テ ー マ と して 問 題 にせ ざる を得 な くな っ た の だ 。 そ こか ら こ う した 記 述 法 の変 化 も 由来 して い る の だ 。 レ ア リス ム は そ こ で は 「岸 辺 な き レア リス ム」 あ る い は 「推 測 的 レ ア リス ム」 とな っ て い くの で あ る 。 で は後 期 作 品 で は 、 な ぜ 客 観 描 写 が 影 を ひ そ め て しま っ た の か 。 『死 刑 執 行 』 や 『ブ ラ ン シ ュ また は 忘 却 』 の一 人称 の語 り手 た ち は、あ たか もジ ョ ー75一

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「文学部紀要」文教大学文学部第9-2号山本 卓 イス や ベ ケ ッ トの 主 人 公 で で もあ るか の よ う に際 限 もな い独 白 を繰 り返す 。 しか もそ の 語 りに は連 作 「現 実 世 界 」 に 見 られ た よ うな 物 語 りの論 理 的 整 合 性 を顧 み よ う と も しな い 逸 脱 へ の 意 志 と で もい っ た もの も見 られ る 。 そ こで は ア ラ ゴ ンは 整 合 的 で 首 尾 一 貫 した あ りき た りの物 語 か らの 逃 亡 を 目 指 して い る か の よ う に さ え 見 え るの だ 。 そ う した記 述 法 の 変 化 は作 者 に一 体 何 を与 え た の だ ろ うか 。作 者 は そ れ に よ って よ り大 きな 自由 を手 に入 れ る こ とが で きた の だ ろ う か 。 7.自 己像 を求 め て そ の 問 い に答 え る た め に は 後期 小 説 に お け る一 人 称 単 数 の 語 り手 が 作 者 ア ラ ゴ ン 自 身 の 面 影 を彷 彿 させ る 人 物 ば か りだ と い う事 実 に 注 目 しな けれ ば な ら な い だ ろ う。 ア ル フ レ ッ ド もゲ フ ィエ も言 わ ば 「ア ラ ゴ ン 自身 」 な の だ 。 つ ま り作 者 は 語 り手 に 自己 同 一 化 す る こ とで 自 ら虚 構 の 中へ と入 り 込 ん で行 こ う とす る の で あ る 。後 期 作 品 に お け る客 観 描 写 の稀 少 性 と比 例 して 、 この よ う に 一 人 称 単 数 の話 者 の 独 白 も増 え て い くの だ が 、 そ れ は 作 者 自身 が 虚 構 の 中へ と入 り込 も う とす る試 み の た め な の だ と考 え る こ とが で きる 。 そ う した独 白 形 式 の 多 用 は 自己 を虚 構 化 しつ つ 自己 を認 識 す る 試 み の現 れ な の だ 。 ア ラ ゴ ン は 厂現 実 世 界 」 に お い て 描 き切 れ な か っ た 自己 像 を、 こ う した 一 人 称 単 数 の 話 者 の 口 を借 りな が ら後 期 小 説 で探 究 し よ う とす る の で あ る。 で は 、 そ う した 作 者 の 態 度 の 変 化 は 小 説 の構 成 法 を ど り よ うに 変 化 させ て い る の か 。 こ こで 、連 作 「現 実 世 界 」 と後 期 作 品 の 間 に有 る構 成 法 の 変 化 ゐ 中心 に 有 る もの は何 な のか と問 うて み な け れ ば な らな い 。 「現 実 世 界 」 に 無 か っ た もの 、 そ して 後 期 小 説 の 中 に は存 在 す る もの は何 な の か と問 う て み な け れ ば な らな い の だ 。 『死 刑 執 行 』 に お け る ア ン トワ ー ヌ の 存 在 を こ こで 想 起 して み よ う。 彼 は 他 者 の存 在 と い う啓 示 の 重 大 さ の た め に 「鏡 の 中 の 自己 の 姿 」 を失 っ て し ま っ た 人 間 だ っ た 。 と こ ろで ア ン トワ ー ヌが 語 る 鏡 の 中 の 自己 の 姿 とは 連 作 「現 実 世 界 」 にお け る ア ラ ゴ ン 自身 の 自 己 像 とい う こ とに他 な ら な い で あ ろ う 。 そ こで は作 者 は他 者 に歩 み 寄 る余 り 一76一

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に 自 己 を放 棄 せ ざ る を得 な か っ た 。 そ こで は 「私 とは何 者 な の か」 とい う 問 い は抑 圧 され て い た 。 後期 小 説 に お い て再 度 把 握 しなお され な け れ ば な ら なか っ た の は 実 は この古 くて 新 しい 永 遠 の テ ー マ で あ る 「私 とは何 者 な の か 」 とい う問 い に対 す る ア ラ ゴ ンの 全 的 な 回答 の 試 み な の で あ る 。 ア ラ ゴ ンに と って シ ュ ル レ ア リ ス ム と訣 別 し レ ア リス ム の 陣 営 に移 る こ とは 重 大 な事 件 で あ っ た 。 そ して そ の 重 大 事 件 は 彼 の 最 愛 の 女 性 エ ル ザ の 存 在 の た め に 生 じた こ とで もあ っ た 。(レ ア リス ム と出 会 う こ とで)厂 ぼ く は世 界 を客 観 的 に見 た 、 つ ま り自分 の 色 を ま じえ な い で 。 もは や 世 界 を他 の見 方 で 見 る こ とは で きな い 。」㈹ 厂こ の 世 界 に は ぼ く 自 身 以 外 の 人 た ち が 存 在 して い る 。」㈲ そ こで 生 きて死 ぬ に値 す る 「現 実 世 界 」 の存 在 を認 め他 者 の 存 在 を承 認 して 、 か つ て の ナ ル シ シズ ム か ら脱 却 した ア ン トワ ー ヌ は 、 フ ジ ェ ー ル=エ ルザ に よ る現 実 の 啓 示 を上 の よ う に語 っ て い た 。つ ま り客 観 的 な堅 固 な 現 実 の世 界 の 存 在 を認 め る とい う こ と な の だ が 、 こ の 「客 観 的 」 とい う言 葉 は 一 体 何 を意 味 して い るの だ ろ うか 。 本 当 に 現 実 と は手 で触 れ る こ とが で きる具 体 的 な確 実 な もの な の だ ろ うか 。 こ こで 語 ら れ る の は 実 は 厂現 実 世 界 」 の 時 代 の ア ラ ゴ ン 自 身 に 当 て は め るべ き言 葉 で あ り、 現 実 を重 層 的 ・複 合 的 な もの と み な す 後 期 小 説1こは 当 て は ま ら ない 言 葉 なの で は なか ろ うか 。 後 に 連 作 「現 実 世 界 」 の試 み が 自 己放 棄 だ っ た と作 家 ア ン トワー ヌ(= ア ラ ゴ ン)は 告 白す る 。 他 者 を承 認 す る こ とで ア ン トワ ー ヌ が 世 界 を客 観 的 に 見 た とい う こ とは確 か に事 実 で は あ っ た 。 だ が 他 者 へ の 歩 み 寄 りは 彼 に とっ て 同 時 に 自 己消 却 と な っ て し ま っ た の だ 。 そ の事 実 は 彼 の 次 の よ う な言 葉 に も明 らか だ 。 厂この 基 本 的 な 教 訓(つ ま り他 者 の承 認)に よっ て 、 ぼ くは 自分 自身 に対 して そ れ ほ ど まで に 〔他 人 〕 に な っ て し ま っ た の で 、 もは や 鏡 の 中 の 自分 が 見 られ な くな っ て し ま っ た の で は な い か?」(12)し か も、 この ア ン トワ ー ヌ の 言 葉 の 中 の 「鏡 」 とい う単 語 をす べ て 「小 説 」 と置 き換 え て み る な らば 、 ア ラ ゴ ンの シ ユ ル レア リス ト時 代 の作 品 か ら レ ア リス ム 時 代 の 作 品へ の転 向 の 暗 喩 が 見 え て くるの だ 。 「ほ ぼ そ の こ ろ か 一77一

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「文学部紀要」文教大学文学部第9-2号山本 卓 ら 、 ぼ くは レア リス ム に転 向 した の だ」(13)と ア ラ ゴ ン=ア ン トワ ー ヌ は 『死 刑 執 行 』 の 中で 告 白 す る 。つ ま り 「ア ラ ゴ ンの 現 実 世 界 へ の 歩 み よ り」 が 、鏡 の 中 の 姿 を失 っ て し ま っ た男 の 暗 喩 なの だ 。鏡=小 説 は外 界 を映 し は じめ 、 そ れ と同 時 に 「私 」 の 内 面 は鏡 か ら は締 め 出 され て しま う に至 っ た の だ 。 そ して 自分 自 身 の 内 面 に とっ て鏡 の 役 を果 た さな くな っ て しま っ た 「現 実 世 界 」 の連 作 に 比 較 す れ ば 、後 期 小 説 は鏡 の 中 に 自 己 の 映 像 を取 り戻 す た め の(し か も無 数 に断 片 化 した 鏡 の 中で の)ア ラ ゴ ンの 試 み だ と 言 う こ とが で き る の で あ る。 鏡 と は す ぐれ て 自己 言 及 の 装 置 で あ り、内 面 へ と向 け られ た 視 線 の暗 喩 で もあ る 。 『死 刑 執 行 』 は言 わ ば 反 「現 実 世 界 」 な の で あ り、外 界 へ のみ 向 け られ た視 線 が 自己 の 内 面 へ と方 向 を転 換 す る 内 面 へ の 歩 み 寄 りな の だ 。 鏡 とは 自己 対 象 化 ・自 己言 及 の 装 置 な ので あ る。 鏡 の 写 し出 す像 は、 しか しな が ら現 実 を あ りの ま ま に写 し出 す もの で は な い 。 そ こ に は 必 然 的 に歪 曲 が付 き ま と うの だ 。 自己 と の対 話 の 装 置 で あ る 鏡 の イ メ ー ジ は ま さ し く 『死 刑 執 行 』 の 二 重 人 間 の イ メ ー ジ に相 応 しい 。 鏡 が な け れ ば 人 は 自分 の姿 を見 る こ とは で きな い 。 つ ま り鏡 が 無 け れ ば 自 己 認 識(自 己像 の形 成)は 成 立 しな い の だ 。 だ が 鏡 を見 て そ の 自 己像 を解 読 す る の は 、 主 体 た る 「私 」 で は ない の だ ろ うか 。 そ し て ま た 「私 」 は 「私 」 の像 を他 者 の 目で 見 る こ とが で き る の だ ろ うか 。 … 重 要 な 問 題 を は らむ 「鏡 」 の テ ー マ は 『死 刑 執 行 』 の 主 要 モ チ ー フ の一 つ で もあ るの だが 、 こ こで は そ う した 問 題 提 起 をす る に止 め て 、 「現 実 世 界 」 と後 期 作 品 との 相 違 点 に つ い て 、 さ らに い くつ か の 指 摘 を行 っ て お か ね ば な ら な い 。 8老 い の テ ー マ 前 期 小 説 にお い て外 界 に 向 け られ て い た視 線 が 、 後 期 小 説 にお い て は 内 面 に 向 け られ る よ う に な る の だ が 、'それ と同 時 に 主 人 公 の年 令 設 定 が 前 期 と後 期 で は 変 わ っ て くる 。一 言 で 言 っ て し ま うな らば 後 期 小 説 で は 主 人 公 も老 人 が 中 心 とな る の で あ る 。 「現 実 世 界 」 で は ア ル マ ン、 エ ドモ ン、オー レ リア ンな ど と若 者 が 中 心 だ っ た の だが 、後 期 は ア ン トワ ー ヌ や ゲ フ ィエ に見 られ る よ うに老 人 が 中心 とな るの だ 。登 場 人物 の タ イ プ も後 期 小 説 で 一78一

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は変 化 して きて い る 。 「現 実 世 界 」 にお け る ア ラ ゴ ンの 描 い た 人 物 像 は 、 そ の 中 心 人 物 に 限 っ て 言 え ば 、 い ず れ も青 春 群 像 とで も呼 べ る よ う な もの で あ っ た 。(も ち ろ ん 例 外 は有 る。 オ ー レ リ ア ンの終 章 に はす で に 「老 い 」 に対 す る視 点 が 現 れ て い る 。)ア ラ ゴ ンが 老 い の 問 題 を 正 面 か ら描 こ う と した の は 、 や は り 『死 刑 執 行 』 が 初 め て だ っ た の で は な い だ ろ うか 。 こ の 作 品 で は 、 パ ス テ ル ナ ー ク の い さ さか 謎 め い た 詩 句 の引 用 か ら物 語 りが始 め られ るの だが 、 こ こで は 中 心 的 テ ー マ と して 「老 い」 の 問 題 が 姿 を現 す の で あ る 。そ して 、 この 作 品 に 続 く 『ブ ラ ン シ ュ ま た は忘 却 』 で の 「老 い」 の 問題 の 重 要 さ は 、 こ こで 改 め て 指摘 す る まで もな い ほ どな の だ 。 いず れ に して も後 期 作 品 に この 「老 い 」 の テ ー マ を見 つ け て い く こ とは 当 然 で あ る と言 え る 。 テ ーマ と して の 「老 い」 は 重 要 な視 点 の 変 化 で もあ る の だ 。つ ま り 厂老 い 」 の テ ー マ とア ラ ゴ ンの レ ア リス ム観 の 変 質 との 間 に並 行 関係 は 無 い だ ろ うか と我 々 は 自問 しな けれ ば な らな い の で あ る。 そ して また後 期 作 品 の 「老 い 」 の テ ー マ は 、 ア ラ ゴ ン 自身 の 視 点 の 深 化 と して 肯 定 的 に 捉 え る こ との で き る 問題 で も あ る の だ 。 9.自我 像 の ゆ ら ぎ 後 期 小 説 に お い て 主 人 公 た ちが 老 い て い くの と同 時 に 、彼 らは性 格 的 に も前 期 小 説 の 人 物 像 に比 べ て 、よ り複 雑 な存 在 とな って い く。 そ れ を後 期 小 説 の 人 物 の 多 重 性 とで も呼 ぶ こ とが 出 来 る だ ろ う 。 「現 実 世 界 」 の 人 物 は誰 もが 固定 的 な性 格 と 自我 同一 性 と を持 っ て い た が 、 後 期 小 説 に お い て は 、 そ の 点 が 全 く違 っ て くる の だ 。前 期 の 小 説 に見 られ た よ う な素 朴 な レ ア リス ム は 、 もは や 見 られ な くな り、重 層 的 か つ 複 合 的 な 「推 測 的 な レ ア リス ム 」 が 用 い られ る よ うに な っ て い くの で あ る 。 か つ て の よ う な単 純 な レア リス ム で は 、 後 期 小 説 そ の ものが 成 立 しえ な い こ とに な って くるのだ 。 連 作 「現 実 世 界 」 に お け る登 場 人物 群 と 『死 刑 執 行 』 以 後 の小 説 の 登 場 人 物 群 と に は 、 そ れ で は どの よ う な違 吟 が 有 るの だ ろ うか 。 具 体 的 な例 を 挙 げ よ う。 例 え ば連 作 「現 実 世 界 」 の 第 一 作 に あ た る 『バ ー ゼ ル の 鐘 』 の 一79一

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「文学部紀要」文教大学文学部第9-2号山本 卓 デ ィ ア ー ヌ 、 カ トリ ー ヌ 、 ク ラ ラ は い ず れ も現 実 に ア ラ ゴ ンの周 囲 に存 在 した 人物 か ら 「借 用 」 され た 登 場 人物 た ち だ っ た 。彼 ら に は言 わ ば 生 の ま ま の素 材 を加 工 せ ず に使 っ た よ う な感 じが 有 る 。言 わ ば 彼 らは典型 なの だ。 だ が 典 型 を示 す こ とで 世 界 に明 確 な輪 郭 を与 え る こ と もで きる 。 ア ラ ゴ ン は な に よ り も まず 、 こ う した登 場 人 物 た ち が 現 実 世 界 に も存 在 す る こ と を 明 らか に確 信 して い た の で あ る。 そ れ を素 朴 な レ ア リス ム と呼 ぶ とす る な ら ば 『死 刑 執 行 』 以 後 の ア ラ ゴ ンが 作 り出 した 登 場 人物 た ち は 、全 く別 の 存 在 なの だ と言 わ な け れ ば な ら な い 。 ア ン トワー ヌ ・セ レー ブ ル や ジ ョフ ロ ワ ・ゲ フ ィエ は 、 も は や単 な るモ デ ル 的 造 形 で もな け れ ば 、作者 の単純 な確 信 に よっ て 「現 実 」 と平 行 しなが ら疑 い な しに存 在 し う る登 場 人物 で もな い か らで あ る 。 言 い 換 え れ ば 『死 刑 執 行 』 以 後 の登 場 人物 た ち は 、 む しろ作 者 が な に ご とか を確 信 で き な いが ゆ え に生 まれ て きた フ ィク テ ィ フ な存 在 な の だ 。 つ ま り彼 らは 言 わ ば 「虚 数 」 と して の 性 格 を持 っ て くるの で あ る 。 連 作 「現 実 世 界 」 の 人 物 た ちが 持 って い た 自我 同一 性 も、後 期 作 品 で は 分 断 され て しま う。登 場 人 物 の 描 写 に 関 して だ が 「現 実 世 界 」 の 登 場 人 物 た ちのidentit6は 後 期 小 説 の そ れ に比 べ れ ば 実 にゆ ら ぎの な い もの だ っ た 。 確 か に彼 ら も ま た物 語 りの 中 で 変 化 し生 成 す る人 物 た ち で は あ っ た 。境 遇 も変 化 す れ ば信 念 も変 化 す る存 在 で あ っ た 。 だ が 、 そ の 変 化 は 不 連 続 の も の で は な か っ た の だ 。彼 ら に は 、 そ う した変 化 を通 じて な お 登 場 人 物 の性 格 の 統 一 性 を保 持 させ る た め の 自己 同一 性 が有 り、 自我 の 連 続 性 が 有 っ た の で あ る 。 しか る に 後期 小 説 に お け る ア ル フ レ ッ ドや ゲ フ ィエ た ち は 、 そ う した 自 己 同 一 性 、 自我 の 連 続 性 を欠 い て い る 。 彼 らは 「忘 却 」 に 穴 を穿 た れ た 断 片 的 な 自我 しか 持 ち合 わ せ て い な い の だ 。彼 らの 自我 は 不 均 質 ・不 連 続 で あ り、確 た る 中 心 を欠 い て い る 。 だ か ら こ そ彼 らは他 へ の言 及 に よ っ て 自 己 の不 在 を埋 め よ う とす る の だ 。 『死 刑 執 行 』 の 終 章 の 割 れ た 鏡 が 象 徴 す る よ う に 、彼 らは 、 ほ と ん ど断 片 か ら成 立 して い る人 物 なの で あ る 。 一80一

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10.老 い の テ ー マ と レア リス ム の 深 化 だ か ら こ そ 、 そ こで 「老 い 」 の テ ー マ と レア リス ム の 変 質 との 問 に並 行 関 係 は ない だ ろ うか と問 うこ とが 可 能 な の だ 。確 か に 「老 い 」 は ア ラ ゴ ン に とっ て 若 い 頃 か らの 関 心 事 で あ っ た よ うに も見 え る 。例 え ば 、 ア ラ ゴ ン の シ ュ ル レア リス ム 時代 の作 品 で あ る 『イ レ ー ヌ』 に お け る話 者 の 厂欠 落」 は ほ とん どベ ケ ッ ト的 な もの だ と言 っ て も良 い だ ろ う。 だが ア ラ ゴ ンが 全 面 的 に 「老 い 」 の テ ー マ と取 り組 む の は 、 や は り 『死 刑 執 行 』 以 後 の 諸 作 品 にお い て な の だ と言 わ な け れ ば な らな い 。 なぜ な ら後 期 小 説 に お い て 初 め て ア ラ ゴ ン は 「老 い 」 を 自分 自 身 の 問 題 と して捉 え るか らで あ る。 そ れ は もは や 『イ レー ヌ 』 の 主 人公 に 見 られ る 設 定 と して の 「欠 落」 で はな い。 そ こ にお い て 初 め て 「老 い 」 の 問 題 が 作 者 に よ っ て 直 視 さ れ て い る と言 え る の だ 。 そ して レ ア リス ム の概 念 が ア ラ ゴ ン に とっ て 明 らか な変 化 を見 せ る の も この 時期 と一 致 して い る の で は な い の か と い う重 要 な 問 い も発 せ ら. れ な け れ ば な らな い の で あ る 。 しか も既 に述 べ た よ う に後 期 作 品 の 「老 い 」 の テ ー マ は 実 は 「老 い」 を 肯 定 的 な価 値 と して捉 え る こ とで もあ るの だ 。 ア ラ ゴ ン 自 身 の 「老 い 」 の 捉 え 方 とア ラ ゴ ン 自 身 の 「老 い 方 」 の 間 に は、 もち ろ ん あ る種 の ギ ャ ッ プ が 見 て とれ る 。言 い 換 え れ ば ア ン トワ ー ヌ や ゲ フ ィ エ は ア ラ ゴ ンに似 て は い な が ら別 の 人 物 な の だ 。 だ が 、 そ う して作 者 に良 く似 た 人 間 を虚 像 と し て 描 く こ と で作 者 は 鏡 の 戯 れ を通 して 自 己 の 老 い の姿 を認 識 す る こ とが 可 能 と な っ た の だ 。 そ して 後 期 作 品 に見 られ る 「老 い 」 に対 す る彼 の 抵抗 は、 そ の ま ま老 い を豊 か な も の と して逆 転 して い こ う とす る 意 志 的 態 度 の 遂 行 と見 て とれ な く も な い の だ 。 しか し小 説 の 中 に描 か れ た老 人 た ち も、 そ の 生 き方 の 激 し さは ア ラ ゴ ンに決 して 劣 る もの で は な い 。例 え ば ゲ フ ィエ で す ら逆 説 的 だ が 、敗 者 と して良 く生 き た と言 え る の で は な い だ ろ う か 。 老 い は確 か に 困難 な 障 害 と して立 ち 現 れ る 。 だ が 、 そ う した 困 難 の 内 に肯 定 的 な側 面 を見 て とる こ と もで きる は ず な の だ 。 そ こ に乗 り越 え るべ き対 象 を見 つ け る こ とが重 要 なの だ 。 さ もな け れ ば後 期 ア ラ ゴ ンの あ の 豊 か さ を 一81一

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「文学部紀要」文教大学文学部第9-2号山本 卓 解 明 す る こ とは で きな くな っ て し ま う はず だ か らだ 。 11.不 能 の 恋 愛 小 説 ア ラ ゴ ンの後 期 小 説 は内 面 へ の 沈 潜 を そ の特 徴 と して い る こ と、 そ れ は 自己 認 識 の た め の装 置 と して機 能 す る もの な の だ とい う こ と を今 ま で 見 て きた の だが 、 『死 刑 執 行 』 や 『ブ ラ ンシ ュ また は忘 却 』 な どの 後 期 作 品 は 、 老 人 を主 人 公 と しな が ら も実 は恋 愛 小 説 と して の構 造 を保 っ て い る作 品 で もあ っ た 。 ア ン トワー ヌ と ア ル フ レ ッ ドとは(同 一 人 物 の 内 面 にお け る二 面 性 を 、虚 構 の上 で 分 離 した分 身 で あ りな が ら)唯 一 の女 性 フ ジ ェ ー ル を 巡 って 互 い に対 立 しあ い 、 ゲ フ ィエ も唯 一 の女 性 ブ ラ ンシ ュ を求 め て 過 去 を回 想 す る の だ っ た 。 老 い の テ ー マ と恋 愛 の テ ー マ との こ う した共 存 に 、 あ るい は読 者 は戸 惑 うか も知 れ な い 。 だが ア ラ ゴ ン に とっ て 恋 愛 が 生 涯 を 通 じて の 重 要 な テ ー マ で あ り続 け た こ とは 、 詩 人 と して の彼 の 一 面 を見 れ ば言 う まで もな い だ ろ う。 そ れ で は ア ラ ゴ ンは 恋 愛 を どの よ う な もの と し て 考 えて い た の だ ろ うか 。彼 に よれ ば 恋 愛 とは或 る意 味 で は 恋 をす る男 の 意 識 の 鏡 な の だ 。 つ ま り恋 愛 の テ ー マ とは 、 実 は 自己 意 識 の 問 題 に他 な ら な い の で あ る 。 そ れ で は 認 識 装 置 と して の小 説 とい う考 え 方 と恋 愛 小 説 と い う構 造 と は どの よ う に結 合 す る もの な の か 。 恋 愛 は本 当 に 男 に 自分 に対 す る 自覚 と反 省 の念 を与 え て くれ る もの な の だ ろ うか 。後 期 小 説 に お け る 内 面 へ の 沈 潜 の 問 題 に も係 わ る こ の 重 要 な 問題 を以 下 で は考 え て い く こ と に し よ う。 恋 愛 と は情 熱 の産 物 で あ り、理 性 的 な判 断 を曇 らせ る もの な の だ と考 え る のが 一 般 的 な世 間 の 通 念 で は な い だ ろ うか 。 と こ ろが 恋 愛 と は 自 己 意 識 で あ り認 識 の問 題 な の だ と ア ラ ゴ ン は言 う。例 え ば 登 場 人物 の ロ を借 りて だが 彼 は 次 の よ うな 発 言 を行 っ て い る の だ 。 「小 説 は す べ て 恋 愛 小 説 で あ る 。新 しい 点 は 、近 代 的 な恋 愛 小 説 は意 識 で あ り、 また 運 命 の 成 就 で あ る こ とだ 。」(14)こ の 『死 刑 執 行 』 にお け る ア ン トワー ヌの言 葉 は 『ブ ラ ンシュ ま た は忘 却 』 に も そ の ま ま 当 て は ま る。 実 際 ゲ フ ィエ の 物 語 りは明 らか に 恋 愛 小 説 と して 読 み 取 る こ とが で き、 あ る い は そ の パ ロ デ ィー と して も読 一82一

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み 取 る こ とが で き る 。 だが そ れ は 言 わ ば欠 落 した恋 愛 小 説 で あ りイ ン ポ テ ン トな恋 愛 小 説 な の で あ る 。 なぜ な ら現 実 の ゲ フ ィ エ は 愛 す る妻 に 捨 て ら れ た孤 独 な老 人 に 過 ぎ な い の だ か ら。 ゲ フィエ にお け る若 さの欠 落や ゲ フィ エ の 愛 の 対 象 た る ブ ラ ンシ ュ の 欠 落 な どが 、 この 小 説 が 恋 愛 小 説 で あ る こ と を妨 げて い る よ う に思 わ れ る 。 だ が ゲ フ ィエ が 言 葉 と虚 構 と の生 成 に よ りそ の 欠 落(つ ま りブ ラ ンシ ュ の不 在)を 埋 め よ う とす る試 み こそ 、 この 物 語 りの 中 心 を な して い る行 為 な の だ 。 恋 愛 に必 要 な ポ テ ン シ ャ ル と して の 肉 体 と対 象 た る女 性 の 両 者 を 欠 い て い るの が ゲ フ ィエ の 場 合 だ 。彼 は 、 そ れ ゆ え に行 動 す る こ とが で きな い 。 た だ 認 識 す る の み な の だ 。 だが 、 そ れ が この 小 説 を 厂認 識 の 装 置 」 と して い る の だ。 つ ま り逆 説 的 な言 い 方 だ が 愛 の対 象 を欠 き、行 動 す る た め の 若 い 肉 体 を も欠 い た 主 人 公 だ か ら こそ ゲ フ ィエ は絶 えず 「恋 愛 と は何 か 」 と 自問 しつ づ け ね ば な らな くな るの で 南 る 。 そ う した無 限 の 自問 自答 の連 続 、 そ れ が ゲ フ ィエ の 場 合 な の だ 。 厂二 十 世 紀 にお い て は 、 恋 愛 は 小 説 の な か で 、 か つ て 宿 命 が ギ リ シ ア悲 劇 に 占 め て い た よ う な役 割 を持 っ て い る 。 ぼ くの恋 愛 、 つ ま り きみ は 、 ぼ くの 宿 命 な の だ 。」 ㈹ ギ リシ ア 悲 劇 にお け る 「運 命 」 の 役 割 を現 代 小 説 で 果 た して い る の が 「恋 愛 」 な の だ と ア ラ ゴ ン は言 う。 だ か らあ らゆ る小 説 は 恋 愛 小 説 な の だ と も言 う。 「恋 愛 至 上 主 義 」 に は違 い ない の だ が 、 そ の 恋 愛 は 決 し て 忘 我 と情 熱 の 恋 愛 で は な い の だ 。恋 をす る 者 は 自己 の 姿 が 見 え な くな る と良 く 言 わ れ るの だが 、 ア ラ ゴ ンの恋 愛 は む しろ鏡 と して作 用 す る も の で あ る 。 そ の恋 愛 は 自己 を忘 れ させ る もの な の で は な くて 自 己 を 意 識 させ る もの な の だ とい う点 に注 意 を払 っ て お きた い 。 そ れ に よ っ て抗 い よ う もな く彼 の 人 生 が 見 えて きて し ま う の だ 。 か つ て エ ル ザ に 恋 す る こ とで シ ュ ル レア リ ス ム と訣 別 し レア リス ムの 陣 営 に移 っ た ア ラ ゴ ンが ま さ し くそ うで あ っ た の と同様 に で あ る 。 で は この 恋 愛 とい う鏡 に写 る男 の 姿 は どの よ う な もの な の だ ろ うか 。 ア ラ ゴ ンの 小 説 に お い て は男 の愛 の対 象 で あ る 女 性 が 光 り輝 け ば輝 くほ ど、 一83一

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厂文学部紀要」文教大学文学 部第9-2号 山本 卓 反 対 に 愛 す る 男 の 立 場 は ま す ま す 低 い も の に な っ て い く 。 女 性 が 至 上 の 価 値 を 持 つ の に 反 して 、 男 は そ う した 女 性 の 美 に は 決 し て 到 達 で き な い 不 完 全 な 存 在 と して 描 か れ る の だ 。 男 は 美 を 前 に し て 自 己 を 恥 じ る 。 恋 愛 は ア ラ ゴ ン の 小 説 に お い て は 男 の 弱 点 を 写 し 出 す 鏡 と し て 作 用 す る の で あ る 。 つ ま り 、 愛 と は 男 の 限 界 の 鏡 な の だ 。 男 は 愛 す る 女 性 の 到 達 で き な い 美 し さ に 絶 望 す る 。 美 を 前 に し て の 自 分 の 醜 さ に 絶 望 す る 。 厂小 説 は す べ て 恋 愛 小 説 だ 」 と ア ラ ゴ ン は 言 う 。 だ が こ こ で 使 わ れ て い る 「恋 愛 小 説 」 と い う 言 葉 は 決 し て 甘 い メ ロ ドラ マ な ど を 意 味 して は い な い の だ 。 す で に 述 べ た よ う に 、 そ れ は 男 の 限 界 を 写 す 鏡 な の だ 。 愛 す る 女 性 の 美 が 男 に 自 己 の 限 界 を 思 い 知 ら せ て くれ る の で あ る 。 恋 愛 と い う鏡 が 映 し 出 し て くれ る 自分 は 老 い た 卑 小 な 存 在 な の だ 。 ど う し た ら 、 そ の 自 分 を い く ら か で も 対 象 へ と接 近 さ せ る こ と が で き る だ ろ う か?「 話 者 」 に と っ て そ の た め の 手 段 は 言 語 し か な い の だ 。 こ う し て 『死 刑 執 行 』 や 『ブ ラ ン シ ュ ま た は 忘 却 』 に お け る 話 者 の 果 て の な い 独 白 が 生 じ て く る こ と に な る 。 そ こ で 話 者 は 自 分 が 到 達 で き な い と こ ろ に い る 最 愛 の 女 性 を 語 り 、 ま た そ の 女 性 と比 べ て の 自分 の 現 状 の 卑 小 さ を 語 る こ と に な る の だ 。 言 わ ば 恋 愛 は 不 可 能 の 同 義 語 で あ り、 そ の 不 可 能 を 埋 め よ う と し て 話 者 の 言 葉 は 動 員 さ れ て い る か の よ う な の で あ る 。 注: (1)Aragon,LesclochesdeBale,Denoε1,1934;coll.<folio>, 1972,p.11. (2)Idem,p.13. (3)Idern,p.12. (4)ヴ ァ レ リ ー ・堀 口 大 學 訳 『文 学 論 』 角 川 文 庫,1955,p.87. (5)Aragon,LesclochesdeBale,Deno61,1934;coll.<folio>, 1972,p.12. (6)Aragon,Lesbeauxquartiers,De耳061,1936;co11.<folio>,1972, P.14. 一84一

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参照

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