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社会制度としての貨幣

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Academic year: 2021

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(1)社会制度としての貨幣. 27. 社会制度としての貨幣 1) Money as a Social Institution 片 岡 浩 二 Ⅰ イントロダクション 経済のグローバル化の進展とコミュニケーション・インフォメーション・テクノロジー(以下 CIT)の 発展、とりわけ後者については、多くの経済的・社会的・文化的領域において国民国家の力を浸食してい ると一般に論じられている。そうした中で、CIT は文字通り、貨幣を変容させつつある。貨幣は、その担 い手として金属などの商品から紙券へ、そして今やヴァーチャルなものとなっている。トランスナショナ ルな資本主義とグローバルなe-コマースの進歩が CIT に基づいた新しい形態の貨幣を生み出しており、 それは貨幣の生産の国家による独占やコントロールに対する挑戦である、ということが一般に論じられて いる。例えば、銀行システムにおける電子的な移転、あるいは、 「電子財布(electronic purses) 」2)のよ うに、貨幣形態や貨幣移転の様式の変化は重要な意義を持つと考えられている。だが、われわれにとって、 このように喧伝される貨幣の新しさは、実際には、貨幣の本質的特徴を考慮する限り、全くの誤解である ことが分かる。脱物質化された貨幣の新しさについて語るのは、軽率な誇張だと言わざるをえない。とい うのも、16 世紀イタリアにおける銀行の帳簿貨幣(book money)は、一筆書くだけで時間と空間を移動 するとき、現在と同様にヴァーチャルだったと言えるからである。したがって、e-マネーやヴァーチャ ル・マネーを登場させたイノベーションを声高に叫ぶ議論は、貨幣の性質についての根本的な誤解に基づ くものが多い。貨幣の新しい形態に目が奪われるのは、貨幣とは何かという問いに対して、誤った仮説に 依拠して答えを提示してしまうためである。だが、この疑問に答えるのは、実際のところ、驚くほど困難 である3)。通常、主流派経済学(新古典派経済学)の教科書では、貨幣は交換の媒体というその機能によっ て定義されるのであり、その派生として、支払手段(支払貨幣) 、計算単位(計算貨幣) 、価値の貯蔵といっ た機能が定義される。主流派経済理論では、交換の媒体が最も重要な機能であり、他の機能は極言すれば それに比して重視されることはない。e-マネーやその帰結の最近の分析のほぼすべてはこれらの仮説に よって導かれているが、本稿で論じられるのは、それらが誤っているということである。モノとしての貨 幣がとる特定の形態――金属、紙、電子インパルス等――と、抽象的な価値の測定及びその担い手として の貨幣の一般的な属性とを混同する傾向がある。J. M. Keynes の『貨幣論』の冒頭で表現されているよ うに、 こうした特性は貨幣の発行者と使用者の間の社会的関係によって生み出される。本稿では、 この『貨 幣論』に依拠しながら、貨幣空間は、取引を行う経済主体間の交換から独立して存在する社会的・政治的 関係によって創造されるということを論じる。 『貨幣論』の第一部で、Keynes は、 われわれが「制度主義的」と呼びうるアプローチを発展させることで、 貨幣の性質について検討した。これは経済制度としての貨幣について異端派の豊富な研究を現在もなお鼓 舞し続けている(Aglietta et Cartelier, 1998; Smithin, 2000) 。われわれの目的は上記のような貨幣の性 質についての理論の妥当性を示すことである。いくつかの例外的な異端的研究は別にして、 (物々交換の 状況を打破すべく現れる)交換の媒体としての貨幣のプレ・ケインジアンのビジョンは、貨幣についての 理論領域を依然として支配し続けている。本稿でわれわれが示したいことは、貨幣制度の社会歴史的な理 論構築において『貨幣論』から基本的な概念的要素を取り出すことができるということである。 『貨幣論』 は、.

(2) 28. 片岡 浩二. 計算単位/支払手段としての貨幣の理論、また、近代に典型的な経済制度としての銀行貨幣の社会的生産 様式の分析に基づく貨幣的経済学の再構築にとって欠かすことのできない素材を含んでいるのである。 このような本稿の目的に基づきわれわれが行わねばならないのは、Keynes の研究に基づき、社会制度 としての貨幣の分析を深めることである。われわれは『貨幣論』の第一章で Keynes の研究の主たる関心 の一つが、この貨幣の制度的性質が計算単位と支払手段の間の関係として概念化される仕方であることを 論証するつもりである。貨幣のケインズ的定義は、貨幣の社会的客観性、すなわち、貨幣が支配する主観 的実践に対するその垂直性の強調によって、 制度の社会学的定義を提起させることになる。この客観性は、 理念的・形式的なモーメント(計算単位、すなわち、主観的実践の規範的・意味表示的な方向づけによる 社会関係の生産の一般原理)と、 それが行使する客観的なサンクションによって形式的な社会構造(計算・ 会計システム)を再生産する物質的・具体的なモーメント(支払貨幣)の間の緊張に存する。加えて、こ うした貨幣の客観性は、市場社会の自然的与件ではなく、歴史的な産物であり、社会における社会関係の 媒介の特殊な形態を課す政治的支配関係から生ずる。貨幣の力の国家の政治的支配力への従属は Keynes にとって次のことを意味する。貨幣形態は歴史的進化を経験するのであり、それは制度化のプロセスの対 象をなしている、ということである。1920 ~ 30 年代に練り上げられた Keynes の推論は、現代的意義を 有しているのであり、それは特に次のような理由からである。その推論によって貨幣は、単に経済的のみ ならず社会歴史的な存在として、すなわち、単なる私的な慣行(コンベンション)というよりもむしろ、 非常に広い社会構造に埋め込まれた制度として取り上げられるような学際的な概念空間を開くからであ る。それによって、貨幣の本質的に経済的な特徴や規定を見失うことなく、貨幣を社会学的現象とみなす ことができるものと考える。重要なのは、社会制度のより広い見地を通して貨幣制度を理解することであ り、近代的な経済構造の主要かつ創設的な媒介として貨幣の特性を説明することができなければならない。 要するに、貨幣の社会学と異端派貨幣的経済学との間での、一方を他方に融合させてしまうことなく、学 際的な分析や議論の空間の開示に貢献することが重要なのである。 貨幣の制度的性質についてのわれわれの分析は、 『貨幣論』第一章での Keynes の議論を継承しており、 最初の二つの節は、計算単位としての、次いで、支払手段としての、貨幣の形式的・論理的定義を対象 としている。すなわち、この二つの節では、Keynes の推論は、M. Weber らの社会学によって構築され た社会制度についてのより広い理論に直ちに遭遇する。次いで、計算単位の支払手段への関係について の問題が提起される。すなわち、Keynes にとって、その関係は、両者の対立ではなく、貨幣制度を構成 する二つの次元として把握されねばならない。この統一は、J. Cartelier らによって展開された貨幣鋳造 (monnayage) の概念の助けを借りて理解されるだろう。 『貨幣論』の第一章で、Keynes は、貨幣の形 式的定義だけに満足せず、複数の貨幣形態や貨幣システムの歴史的制度化、すなわち、経済と政治の関係 の空間で繰り広げられる制度化のより広い分析にそれを組み込んでいる。最終節は、それ以前の諸節を受 けて、現代の貨幣論の対立軸をより明確にするとともに、最初に提起した問題、すなわち、ヴァーチャル な貨幣のような脱物質化の傾向のもとでの非主権(私)的な貨幣の登場をどのような捉えるか、に対して 一定の解答を提示したい。. Ⅱ 貨幣の定義 経済学、またそれ以前の政治経済学は、貨幣をその機能によって定義する。 「貨幣とは貨幣が行うこと である」、と。大多数の経済学者にとって、貨幣は交換の媒体、計算単位および価値貯蔵(退蔵)手段で ある。だが、それに加えて、貨幣は商品交換の枠組みにおいて交換の媒体あるいは流通手段の役割をより よく果たす――非貨幣的な市場での交換よりも効率的である――かぎりにおいて計算単位および価値貯蔵.

(3) 29. 社会制度としての貨幣. の手段であるとみなされる。こうして、貨幣や貨幣的主体に対する市場や市場的主体の歴史的先在性、と りわけその論理的先行性が仮定されることになる。それゆえ、貨幣は「物々交換の寓話」という迂回―― その場合貨幣は、交換における欲求の二重の一致が提起するジレンマから市場的主体が免れることができ る慣行(コンベンション)に還元される――を経て概念化される。貨幣は市場の交換を促進するために存 在するのであり、経済主体が試行錯誤を経て個人間の実践の集合的媒介を得ることに成功するという意味 で、純粋に慣行的な存在となる。 われわれは交換の媒体としての貨幣の定義に計算単位としての(次いで支払手段として具現化される) 貨幣の定義を対置することができるのであり、これが『貨幣論』で Keynes によって採用された道である。 ・. ・. 「計算貨幣(money of account) 、すなわちそれによって債務や価格や一般的購買力を表示するものは、 貨幣理論の本源的概念である。 」 (Keynes, 1930, p. 2, 訳 3 頁) 貨幣は、このパースペクティブでは、何よりもまず、社会的諸関係を構築する量化の原理として定義さ れる。すなわち、価格の形成において現れるモノに対する社会的関係、また特に、貨幣的債務の存在にお いて現れる諸個人間の社会的関係を構築する量化の原理として定義される。共通の計算単位としての、ま た、量の地平における社会的諸関係の構築の原理としてのこの貨幣の定義は、現代の異端派の多くの研究 を刺激し続けているのであり、その主なものとして、アングロサクソン圏のポスト・ケインズ派における 内生的貨幣についての研究や社会制度としての貨幣についてのフランスのレギュラシオン派・貨幣的アプ ローチの研究がある4)。 次に、定義の第二のものとして、貨幣は既述のような計算空間において、支払手段として物質化される のであり、それは計算単位との関係においてのみ存在する。 「計算貨幣は、繰延支払いの契約である債務および売買契約の付け値である価格表とともに現れる。こ のような債務と価格表とは、それらが口頭で述べられていようとも、または焼いた煉瓦や紙の書類に記帳 することによって記録されようとも、計算貨幣によってしか表示されえない。/貨幣それ自体(money ・. ・. itself)は、債務契約および価格契約がその引渡しによって履行され、貯蓄された一般的購買力がその形 をとって保持されるものであって、その特質はその計算貨幣との関連に由来するのであるが、それは債務 と価格とが、まず第一に、計算貨幣によって表示されていなくてはならないからである。 」 (ibid., 訳同上) 「貨幣それ自体」は支払の手段である。あるモノが債務の生産の手段として、および商品取引の手段、 同様に、購買力の保存の手段として役立つ。Keynes にとって、支払貨幣の有効性は計算単位との関係に 存するのであり、物質化された貨幣として現れるモノの内在的な価値に存するのではない。同様に、古典 派や新古典派の著者たちが概念化するような交換手段の機能は、Keynes にとって全く二次的なものであ る。極言すれば、その機能は真に計算単位であることなく物々交換を容易にする対象を描き、また、それ は厳密に言えば近代的な経済に固有の貨幣的関係ではないような社会関係を描き出すことになる。 Keynes の見地は商品貨幣の理論とは正反対である。貨幣のそのような見地は、実際には、近代の初め から、また産業資本主義の生成期から生まれていた。18 Cの初めにおいて、大司教やイギリスの哲学者 George Berkeley にとって、紙幣に物質化される支払貨幣は金属片として現れる支払貨幣と全く同様に有 効であった。彼らにとって重要であるのは、この貨幣が他人の労働を支配することができるということ、 すなわち、貨幣の創造が賃金関係の再生産や社会的分業と構造的にしっかりと固定されていることであっ た。 Keynes にとって、支払貨幣は商品取引でその代償として受領される対象であり、計算単位で表現され る、あるいは表現できる債務を消滅させることが社会的に承認された能力を持つ対象である。支払貨幣は このように計算単位の物質的な表現であり、さらに、それは「サンクション」として振る舞うのであり、 なぜなら、支払の行為は「社会的計算単位」を回復させる(すなわち、債務の返済によって会計的バラン スを回復させる)からである。貨幣の社会的客観性は、かくして、交換価値として使用価値を等価におく.

(4) 30. 片岡 浩二. という働きを完全に凌駕し、それはむしろその「弁済能力」に存するのであり、第一の能力は、計算単位 として、債務や契約上の義務を表現する能力であり、社会関係を固有に経済的なものとして存在させる能 力である。次いで、第二の能力は、支払貨幣( 「貨幣それ自体」)として、支払の行為である社会的実践に おいて債務や契約上の義務を消滅させる能力である。 Keynes が『貨幣論』で貨幣に対して与えたこの定義は、社会制度としての貨幣の理論に不可欠な諸要 素を含んでいる。貨幣の客観性は、上記のような社会関係の清算の一般的原理であり、主観的実践を方向 づける理念的で形式的なモーメント(計算単位)と、それが行使する客観的なサンクションによって、形 式的な社会構造(計算・会計のシステム)を再生産する物質的で具体的なモーメント(支払貨幣)の間の 緊張に存する。 Keynes は貨幣のこの形式的な定義のみに満足せず、彼は貨幣の諸形態の、および貨幣システムの歴史 的な制度化のプロセスのより一般的な分析の中にそれを位置づける。そのプロセスとは、経済的なものと 政治的なものとの間の関係の空間に開いている制度化のプロセスである。 J. Ingham が嘆いているように、現代の社会学理論は、貨幣の社会理論の構築にほとんど貢献しなかっ ただけでなく、うわべだけの単なるベールとしての貨幣の経済理論を無批判的な仕方で採用したのである が、それはまた、逆説的に、このうわべだけのベールを近代的な世界に特有の制度の一つとすることに帰 着した5)。このプロセスを説明するために『貨幣論』の第一章で Keynes によって展開された貨幣の諸形 態や貨幣システムの類型学は、社会学の理論のこの根本的な空隙を埋めるのに必要であるだけでなく、そ れは社会制度としての貨幣の理論化への、また、モダニティの社会歴史的な発展の十全な理解への本質的 な貢献をなす。 貨幣制度は形式的には社会的媒介として定義され、それは価格あるいは債務として客観的に現れる量 によって示される社会関係の再生産をつかさどる。いずれにおいても、これらの関係は明白に支払の行 為を意味しており、それは社会関係の最終的な契機として、計算単位の量の社会的に正統な移転である。 Keynes にとって第一義的な概念である計算単位として、貨幣制度は、価格表として、また「承認された」 債務といった社会関係の表現の様式であり、それはこららの関係とともに現れる。 強調しておかねばならないのは、Keynes にとって、貨幣は価格表の構築の行為、そして債務の生産に おいて社会的に現れるということである。彼はこれらの二つのタイプの社会的実践を制度としての貨幣の 創造のベクトルとなす。社会学的には、計算単位としてのこの貨幣は、それがこれら二つのタイプの実践 ――債務や価格表の生産――に対して行使する社会的規制――実践の重要な方向付けとして現れる規制 ――によって再生産されるという意味で、社会的実践の客観的な媒介である。この方向付けは制度的であ り、なぜなら、それは抽象的で、形式的で、客観的であり、それが支配する基本的な実践の特殊で偶然的 な内実に外在的であり、そこでは前もって存在し、形にされたものであるからである(Keynes は「記述 description」としての計算単位について語っている) 。あるいは、社会関係の貨幣的表現という、この定 義の作業では、それがこのように形をとっている実践を媒介として、再生産され正統化されるのは媒介そ のもの(また、それが含むすべての制度的な上部構造)である。 貨幣はこのように制度的性質を有しており、というのも、その有効性は、正統な政治的・法的な構造に よって行使される明示的な条件付きサンクションの存在に依存している。要するに、貨幣は主権的構造を 持っているのである。 Keynes にとって、計算単位としての貨幣のこの政治的性質は、第一義的には債務や価格表の表現とし て現れる。彼にとって、それが意味しているのは、貨幣が契約であれ、所有であれ、法的義務であれ、法 的な媒介という手段でのみそれ自身存在するところの対象(価格表や債務)に関わり、それらを通しての み存在するがゆえに、貨幣が(広い意味で)政治的規制の対象をなす社会的実践の領域に属するというこ とである。これらの媒介がなければ、計算単位としての貨幣は何も表現するものがない。Keynes はさらに、.

(5) 社会制度としての貨幣. 31. 計算単位の政治的決定を強調する。彼にとって、その決定は適切な交換の媒体の選択から生ずる市場の慣 習では全くないのであり、 これは彼が「物々交換の時代」 (ibid., p.4, 訳 5 頁)と呼ぶものに属するのであっ て、貨幣の時代に属しない。 計算単位はこのように社会関係を統制するための共同体あるいは国家によって生み出された抽象であ り、この制度の生産における根本的な契機は価格表あるいは債務の形成にとっての媒介として役立ちうる 抽象的な単位の指示である。Keynes はその指定の際の一定の形態の下での計算単位の物質化の非重要性 を強調し、これは計算単位の最後の特徴であり、それは言語学の記号の恣意性に類似する仕方で、支払の 手段に対して恣意的である。それが意味するのは、社会的に正統な支払手段の指定は計算単位の確立のロ ジックと異なるロジックに属するということである。また、それが逆に意味しているのは、計算単位の永 続性が単に刻印された金属片や印刷された紙片の存在や名前を指示するのではなく、むしろ、価格の形成 や債務の生産であるところの社会的実践の制度的媒介として認められるそれ自身の能力を指示する。これ は「社会の慣習」に属すると同時に社会的主体と政治的統制機関の間の政治的・経済的力関係に属する問 題である。 Keynes における貨幣制度の第二の次元の分析に移る前に、われわれは計算単位としての貨幣のこの第 一義的な定義の貨幣制度の社会学にとっての帰結を提示したい。そのために、われわれは、古典、ここで は Weber と G. Simmel において、ケインズ派の理論に呼応する貨幣の性質についての社会学的ないくつ かの確認をくみ取ることにしよう。 . Ⅲ 貨幣の社会学的意味づけ 社会学の見地から、Weber が『経済と社会』 (1921-22)で強調しているように、計算単位は近代社会 における経済領域に固有の規範性を表現しているのであり、これは二つの補完的な仕方でそうなのであ る。計算単位は経済的行動を構成する規範の原理であり、これは、a)経済的諸関係は大きさあるいは 量として現れる関係として結ばれたり断ち切られたりすること、b)量化(量の間の形式的関係)の有効 性がこれらの諸関係の構築や再構築の様式として認められること、を有するノルムである。この規範性は 他者に対する関係において適用されるだけでなく、その行動の方向性をわくづける形式的原理として経済 主体という自分に対する関係において(これは計算単位の実践上の次元である)適用されねばならない。 Simmel が『貨幣の哲学』の第 5 章「個人的価値の貨幣等価物」で主張しているように、自分に対するこ の貨幣的関係は、同時に、他者(大文字の他者)に対する主体の近代に固有の関係の内面化にとっての決 定的な形態である。かくして、私的な計算は社会的計算の総計に付き合わせるなかでの一部としてしか存 在しないのであり、計算単位としての1は計算単位の全体量(N)としての全体の一部(1/N)として しか意味を持たない。計算単位が意味しているのは、私的な大きさが互いに通約可能だということである。 計算が表現されるところの単位は共通であり、経済的相互作用との関係ではア・プリオリである6)。 Keynes によれば、貨幣の第二の概念的契機は、何らかのものが支払手段として提示される――それに おいてあるいはそれによって計算単位が物質化されるもの――、すなわち、 「債務契約および価格契約が その引渡しによって履行され」 (Keynes, 1930, p.3 訳 3 頁)るものである。貨幣制度のこの第二の次元を 理解するためには、支払手段が計算単位との関係においてしか存在しないということが想起されるとして も、計算単位に対する支払手段の恣意性の原理から出発しなければならない。計算単位と支払手段の間の 統一性はこのように、一方が他方に溶け込みうることなく、二つの極の間の関係の総合的な統一である。 さらに、言語学的メタファーはこの考えを十分に例証するのであり、これは記号を構成する総合に類似す る総合であり、シニフィエとシニフィアンの統一である。この貨幣のケインズ的なビジョンは、貨幣の第.

(6) 32. 片岡 浩二. 一義的な概念が金属片に溶解された二つの極の媒介されない――未分化の――統一であると仮定されると きに貨幣経済につきまとってきたし、今もなおつきまとっている商品貨幣の「フェティシズム」からのが れることを可能にする。このフェティシズムは、ここでは、特殊な性格をとり、それは Keynes が暗黙的 であれ明示的であれ、批判する三つのテーゼの形態のもとで提示される。 Keynes にとって、貨幣制度は価格表や債務がそれによって表現される社会的媒介としての計算単位が 存在するやいなや存在するのであり、刻印された金属(硬貨)それ自体――どの商品が指定されるか―― は貨幣制度にとって主要なイノベーションではないのであり、それは計算単位の存在と一つあるいは複数 の支払手段の客観的な(共同体の、あるいは国家の)指定の結果でしかない。刻印された金属は、 したがっ て、貨幣の第一義的でオリジナルな表明ではない。政治経済学が貨幣の一般的な姿として貨幣商品がそう であるところのつかの間の姿を普遍的なものとして採用するのは、貨幣論の出発点としてこの歴史的表出 を採用することによってである。 次に、Keynes が明示的に批判する第二のテーゼは、貨幣が経済主体の交換を容易にするために経済主 体によって選ばれた商品だということであり、この商品は使用価値として、計算単位と流通手段の属性を 結びつける。ここで、彼の批判は、微妙である。なぜなら、それは異なる次元で展開されるからである。 Keynes は交換関係に内生的な貨幣という社会的形態の生産のすべての可能性を否定しており、支払手段 がとる形態を直接気にすることなく計算単位をア・プリオリに決定するのは「社会あるいは国家」であり、 次に単位に照応する「モノ」を決定するのがこの同じ機関である。だが、同時に、Keynes はア・ポスス テリオリに承認の対象をなす支払手段の非政治的生産の可能性を提示している。共同体あるいは政治に対 する経済主体の恣意性はしたがって、計算単位で表現される債務や価格に照応する支払手段の選択におい て発揮される。信用貨幣の社会的生産が可能であるのはまさにこの方法によってであり、これは Keynes によれば貨幣の歴史の発展に根本的な第二の制度的イノベーションである。彼の立場は、新しい支払手段 の生産における市場の恣意性に余地を残しながらも、いわゆるマルクス的な意味での一般的等価物の内生 的な生産に反する形で提示される。 第三に、またここでは、Keynes の批判はむしろ暗黙的あるいは、ケインズ的な議論から派生されうる 批判であると言える。彼の見地には、貨幣の現象に固有の進化の原理、ますます増大する抽象へと向かう モナド、は存在しない。だが、われわれがしばしば目にするのは、ほぼ避けがたい仕方で歴史的発展をつ かさどる原理として貨幣の抽象を提示する J. Bichot(1984)において貨幣現象のそのような目的論的ビ ジョンであり、これは同様に経済理論にも近代化の社会学理論にも(例えば、Giddens や Luhmann に おいてもこれに遭遇する)暗黙にあるビジョンである。Keynes にとって、貨幣はその出現から既に抽象 的な社会的形態であり、計算単位はそれが指示する具体的指示対象を超えた抽象の原理である。制度とし ての貨幣は、われわれが既にみたように、その社会的機能が社会的関係が組み込まれるところの文化的象 徴的および共同体的な規範の構造の(モノや他者に対する)社会的関係を「抽象化する」ことである限り で、必ず実践の抽象的な媒介である。したがって、Keynes にとって貨幣制度の漸進的な抽象化は存在せ ず、反対に、抽象的な計算単位とかかわる、支払手段としての「貨幣の諸形態」の歴史的なバリエーショ ンが存在するのであり、このバリエーションを越えて、計算単位の生産に加えて、貨幣的現象の歴史にお いて二つの大きな決定的イノベーションが存在する。1)支払手段としての信用貨幣の生産、および2) 公的な信用に基づく国家の貨幣、主権貨幣の発展である。これら二つのイノベーションは、したがって、 計算単位としての貨幣というよりも「貨幣それ自体」として、支払手段と関係しているが、その原理は同 じままである。全体として結びついたこれら二つのイノベーションは、社会学的視点から、貨幣制度の漸 進的抽象化を指示しているのではなく、その制度化のプロセス――社会制度としてのその発展の累積的・ 反省的な性格として定義される――のモダニティを構成する政治的・制度的再生産の様式への社会の進化 における歴史的断絶や不連続性を指示する。モダニティは制度化の能力によって、すなわち、制度の社会.

(7) 社会制度としての貨幣. 33. 的生産によってだけでなく、この制度化の能力の制度化によって特徴づけられる。それは一方では、相対 的な規範の自律性を享受するシステムへの社会の分化を意味し、他方では、国家によるこれら制度的シス テムの反省的な統合を意味する。. Ⅳ 貨幣鋳造と「貨幣それ自体」 こうしてわれわれは貨幣制度の第二の次元、 すなわち、支払貨幣――貨幣それ自体――という次元に入っ ているのだが、ネガティブには、計算単位との関係の Keynes におけるやや不明確な概念化の結果がそれ を示している。この点を明確にすることは、貨幣制度のこの次元の根本的に動態的な性格に光を当てるこ とを可能にする。 ケインズは次のように支払手段を定義する。 「その受け渡しによって、債務契約や価格契約が履行され るもの」 、すなわち、その「弁済能力」によって。Keynes にとって、計算単位に対応する決済の手段の 決定はまず第一に、政治的なモーメントに依存する。 貨幣のこの次元の分析はこうして社会的に正統な支払手段の生産様式を対象とすることになる。 Aglietta と Cartelier (1998) にならって、この様式を「貨幣鋳造 monnayage」と呼ぼう7)。われわれは ここで、この二人の著者によって展開された貨幣鋳造の理論を借りる。なぜなら、この理論は社会的生産 物としての支払貨幣の Keynes の分析をさらに追求し深めていると考えるからである。貨幣鋳造は貨幣の 社会的生産の様式を、すなわち、計算単位の支払手段への(シンボリックな)物質化を指示している。こ の生産様式があるタイプの社会から他のタイプの社会へと変化するとしても、この様式はそれでもやは り形式的な特徴を提示し、加えて、社会歴史的なバリエーションは類型学の対象をなし得る。Aglietta と Cartelier は市場における経済主体の行動の条件の形式的な分析に基づいて貨幣鋳造の一般的属性を規定 した。 「市場で行動できるためには、諸個人は(計算単位で表現された)ある一定額の支払手段をもっていな ければならない。この支払能力は市場開催期間中に実際に受け取られる収入に従属せず、予想される収入 にのみ従属している。…貨幣鋳造は、市場の開催前に諸個人がもつ支払手段へのアクセスの様式を示す総 称語である。この支払手段の自由な利用は諸個人をして市場のための生産の活動を行うことを可能にす る…。販売額はこの活動の妥当性を承認したりしなかったりする。」 (Aglietta et Cartelier, 1998, p. 136) したがって、貨幣鋳造は経済主体の行為を可能にする支払手段の社会的生産を指示している。これは市 場の交換の領域に先行した支払手段の生産と分配の様式である。それが意味しているのは、そのどれもが 社会的富に対する量化された権利である支払手段が市場の行動の結果ではなくその可能性の条件なのだと いうことである。 市場の交換に対する貨幣鋳造の先在な性格が意味しているのは、経済主体の行動のア・プリオリなコー ディネーションや一般均衡のアプローチが仮定しているような「裁定者」による経済主体の計画や期待の ア・プリオリな調和は存在しないということである。ケインズ的な言葉で言えば、貨幣鋳造は、市場の形 態の下で社会的富を保有することの主体の意思決定と貨幣鋳造を担当する機関によるこの意思決定の承認 との突き合わせから生ずる「将来への賭け」である8)。支払手段はこのように債権であり、それを獲得す る主体は社会の富に対するア・プリオリな権利を保持するが、その代償として、全体に対して負債を負う ことを受け入れる。 「それぞれの個人は他者に対して負う負債、市場が閉じる際に清算されねばならない負債を負うことでし か市場に介入できない。販売することができる前に、購買する能力をもっていなければならない。 」 (ibid.) 社会的富に対する権利の生産は、それによって支払手段という対象が計算単位で表現された債務や価格.

(8) 34. 片岡 浩二. に対する「弁済能力」を獲得できる制度化されたプロセスである。貨幣鋳造は市場のプロセスや金融諸関 係の有効な媒介を生み出す。支払手段の生産の能力はまた、特殊なタイプの社会的機関、すなわち近代的 な銀行によって正統な仕方で独占されるプロセスから生ずる。このように、支払手段の生産/分配の様々 な社会的様式やこの機能を果たす制度的な諸形態に基づいて支払システムの類型学を構築することができ る。Aglietta と Cartelier は次のような類型学を提案する。 「三つの大きなタイプの貨幣鋳造が認められるように思われる。それによれば、それらは(1)現在の 有形の富(信用の存在ない金属システムのケース) 、 (2)予想される有形の富(信用を伴う金属システム のケース)、 (3)予想される抽象的な富(資本の貨幣鋳造のシステムのケース)に基づく。」 (ibid.) 第一のタイプの貨幣鋳造は土台としての信用の支払手段の社会的生産に対する関係の不在によって他の 二つと対置される。このケースでは、貨幣の生産は商業的であれ、産業的であれ、経済的蓄積に固定され るのではなく、貴金属のストックの流動化に依存しており、それは社会歴史的な語では、 「商品」のストッ クではなく、「財宝」であり、支払手段の生産にための土台として役立つ。実際、信用の関係が正統な支 払手段を生成し得るような仕方で社会化されないシステムである。実際、この支払システムは、消費の領 域に関わる信用の関係が脆弱で不安定な正統性を享受する「高利貸しの」金融システムに対応している。 われわれが語の社会学的な意味で「伝統的なもの」として理解する、この貨幣鋳造の原理は、次のことを 意味する。 「金属の保有によってのみ諸個人は計算単位で測られた法定価格で流通する金貨である支払手段を獲得 することができる」 (ibid.) これに対し、タイプ(2)と(3)は資本主義経済に対応する近代的な支払システムであり、そこでは 信用は経済諸関係の中心的な媒介であり、貨幣鋳造の部分的あるいは完全な土台を構成する。 「信用のシステムでは、市場での諸個人の行為の能力を決定するのは資本額とその流動性である」(ibid.) Keynes において、彼の貨幣の諸形態の系譜の中に、貨幣制度の歴史的発展における大きな区切りの同 類の解読を再発見する。すでに強調されたように、Keynes にとって、貨幣的現象の発展を示す三つの主 要な社会的イノベーションは、計算単位、信用貨幣の発展および近代資本主義経済に特有の「代表貨幣」 の出現である。信用貨幣の発展はタイプ(1)の「高利貸しの」貨幣鋳造システムからタイプ(2)の厳 密な意味での銀行の貨幣鋳造への移行に対応する。われわれは、貨幣の系譜を異なる三つの期間に分ける ことを付け加えることで Keynes のオリジナルなシェーマを修正し、 次に、 20 世紀のはじめ以来優勢であっ たこれら二つの貨幣形態が存在していることを強調するために「国家貨幣」と「銀行貨幣」の次のシェー マの諸要素を統合した。貨幣のケインズ的な系譜は次の教訓を含む。 1.貨幣の制度化のプロセスは、異なるが一定の相互作用にある二つの枝に分かれるのであり、一方は、 国家によって刻印された「主権」貨幣であり、その枝は、われわれが「支払貨幣」として定義した貨 幣それ自体から、国家貨幣へと進む。他の枝は、その起源として、支払手段としての債務の承認の私 的な流通を有し、これは銀行貨幣の枝である。商品貨幣は Keynes によればこのプロセスにとって中 心的でもなければ根本的でもない。代表貨幣の外に現れる周辺的な概念である。 2.これら二つの枝の遭遇から、貨幣の本来的に近代的な形態が生まれるのであり、それは「代表貨幣」 であれ、 「通貨」であれ、常に私的な信用システムの公的な貨幣システムへの接合の産物である。こ の接合は、 貨幣・金融システムの公的な次元と私的な次元の間の階層化である。 これらの接合の外では、 これら二つの次元が存在し、互いに独立した仕方で機能する。したがって、「代表貨幣」の社会的生 産の前に、 一方が他方に真に接合されることなく、 信用貨幣と国家貨幣が存在する。これは例えば、 「国 王の」貨幣システムと支払手段としての為替手形の流通に基づく私的な金融システムが隣り合う中世 やルネサンスにおけるケースである。 3.われわれがこうした系譜に導入した三つの期間は、次のことを示す。a)国家の刻印された貨幣と私.

(9) 社会制度としての貨幣. 35. 的な銀行貨幣の遭遇である、代表貨幣は、貨幣的現象のモダニティを開始させる。b) 「通貨」は完 全に銀行化された貨幣システムの出現を示す。すなわち、支払手段の生産と流通が階層化された銀行 システムにはめ込まれているような、Keynes が提起する「太陽系」である。これら二つの切断のそ れぞれは、貨幣鋳造のルールのラディカルな変容を指示し、第一のケースでは、市場の富の貨幣鋳造 の出現であり、第二のケースでは、無形の資本の貨幣鋳造である。 「代表貨幣」と「通貨」を総合する二つの諸形態は、このように、ある貨幣鋳造のシステムから他のシ ステムへの移行を示す制度的変容の統合的・操作的原理である。競争的資本主義に固有の貨幣鋳造のシス テムの配置は、銀行信用の「主権貨幣」への接合を意味したのであり、これは本質的には、17 世紀の終 わりでのイングランド銀行の創造が達成したものである。20 世紀の最初の三つの間、この接合は新しい 基礎の上に再設立された。 主権貨幣に接合された銀行信用は商業優位の信用であり、それは商品流通にファ イナンスし、銀行間のシステムにおける産業生産物の市場の流通に対応する支払の統合から生ずる支払の 信用である。「通貨」は新しい形態の私的な銀行信用の接合から生まれ、商品流通の領域ではなく、金融 流通の新しい領域を指示する「資本」の信用である。われわれは Keynes が第 15 章で「産業」流通と「金 融」流通を区別している『貨幣論』の中にこれら二つの形態の分析を再発見することになろう。. Ⅴ 主流派貨幣理論の誤謬とその刷新に向けて それでは最後に、理論的かつ歴史的に主流派の貨幣理論の誤謬を改めて明確にするとともに、それを刷 新するためにはケインズ的な貨幣アプローチが不可欠であることを示し本稿を締め括ることにしよう。二 つの相対立する見地の違いをはっきりとさせるために、主流派の方を交換の媒体としての貨幣理論、ケイ ンズ派の方を信用としての貨幣理論というように両者を区別して描き出すことにしよう。 ⅰ)交換の媒体としての貨幣 最も一般的な意味で、主流派の経済分析における貨幣の理解は依然として貨幣の商品―交換理論の分析 構造に基づいたままである9)。ここでは、貨幣は交換可能な商品か、あるいは商品の直接的なシンボルと みなされ、それは交換の媒体として機能する。主流派経済理論では、経済の実物的な属性のみ――資本と 商品――が根本的な重要性を持つ。物々交換と貨幣的交換の間に分析上の差異は存在しない 10)。J.S. ミ ルの見地では、貨幣はわれわれがそれなしで行うことができることをより容易に行えるようにするだけで ある。古典派および新古典派経済分析では、貨幣の存在は物々交換の不効率の問題を解決する自生的進化 として説明される。合理的な経済主体からなる市場は、それ自身の問題を解決することができる。それは 自己均衡化し、自己修正する。その結果、貨幣は交換者の交換の選択結果を最適化(最大化)するために 交換者によって保有される最も交換可能な(流動的な)商品として始まった。貨幣はもっぱら、交換の媒 体とみなされる。分析的見地からは、いわば現代の経済におけるユーロと刑務所での交換の媒体としての タバコの使用との間には貨幣に関して本質的な差異は存在しない。 現代の世界における貨幣の漸進的な脱物質化はこの理論に対して困難を創造してきたのであり、ヴァー チャルなe-マネーの議論にみられるような最近の混乱の中にみてとれる。過去2世紀にわたって、商品 貨幣の「実物的な」価値の、あるいは市場交換における他の商品の「実物的」価値のシンボルあるいは表 象としての紙や信用の役割に関する経済理論におけるうわべでの果てしない論争が存在してきた。商品理 論にその知的な起源をもつ結果として、この概念的フレームワークは、貨幣素材によってとられる現実の 形態への没頭に帰着した。その結果、正統派経済理論は、一般に、貨幣の価値が貨幣と財の量の比率によっ.

(10) 36. 片岡 浩二. て決定されると主張してきた。おそらく理論の最後の完全な具現化は 20 世紀後半の「マネタリズム」の 中に見出されるであろう。だが、経済学の主流派は、貨幣とその量を、ストックを構成する、あるいは、 可変的な速度で流れる(flow)あるいは流通するモノとして概念化し続けている。e-マネーに関する最 近の論争はいわゆる脱物質化された貨幣を理解する際のこの困難の継続である。 しかしながら、この理論には多くの問題が存在し、それらは様々な仕方でモノとしての貨幣の概念と関 係している。計算貨幣の意義およびその起源の問題が最も重要である。上で明らかにしたように、計算貨 幣は複雑な経済活動の本質、すなわち価格表や債務契約を確立するのに必要なすべてである。しかしなが ら、貨幣の商品―交換理論は、計算貨幣の――すなわち、抽象的な価値の概念の――説明を提供すること ができない(Grierson, 1977;Ingham, 2000)。物々交換があいたい的な交換比率を確立することを超え て拡大することはきわめて困難である。もっともらしくないアド・ホックな仮定を想定することなく、合 意された計算貨幣がいかにして物々交換から自生的に出現しうるのかを見ることは難しいであろう。ノミ スマティストである Grierson が説明した(1977)ように、タバコは 16 世紀のヴァージニアで交換の媒 体として用いられたが、その価格が1ポンド3シリングで設定されたときにのみ貨幣となった。貨幣は商 品であるが、抽象的な計算貨幣に従って、それが商品となる前に貨幣として制定されねばならない。 第二に、貨幣的なるものの性質――計算貨幣の抽象的な性質――と交換の媒体の貨幣素材との同一視は カテゴリー・エラーを構成し、それは貨幣の形態が進化するとき性急で誤った結論へと導いてきた。貨幣 は支払約束に――すなわち、 「社会的関係」に――存する。これは数世紀にわたって無数の技術的に決定 された形態――粘土片、コイン、紙、帳簿、プラスチック・カード、電子データ――をとってきた。貴金 属を含めたこれらすべての形態の貨幣は、抽象的な計算貨幣で表現されるときにのみ貨幣となる。 第三に、現存する価値の交換のための媒体としての貨幣に与えられる分析上の優位性は資本主義システ ムにおけるその明白な役割から注意をそらせる。すべての貨幣と同様に、銀行信用貨幣は債権・債務の複 雑な組み合わせの社会的関係において創造される。だが、貨幣を構成する社会的関係は現代資本主義にお いて最も明白に現れる。ポスト・ケインズ派経済学者たちが論じるように、貸出が貨幣の預金――すなわ ち、貨幣―資本を形成する。 最後に明記すべきなのは、物々交換から商品貨幣へ、さらに脱物質化や信用貨幣の形態への仮構的進 化は歴史的記録によって確証されているわけではない、ということである(Innes, 1913, 1914;Aglietta and Orlean, 1998;Wray, 1999;Ingham, 2000) 。 新しい形態の貨幣についてのごく最近の推測のほとんどすべては、ある程度まで、この商品―交換理論 によって告げられる。グローバルな市場での経済主体は自ら彼ら自身の、おそらくより「効率的な」形態 の貨幣を創造することができると仮定される――「自由銀行学派」であるハイエクや経済的リベラルたち が常に主張してきたように。こうして、その誤謬に気づくことなく、現代貨幣の抽象性がことさらに強調 されることになるのである。 ⅱ)信用としての貨幣――財に対する請求権 この見地では、貨幣は、その特殊な形態あるいは実体にもかかわらず、常に財に対する名目的な請求権 である。それは社会的に構築された抽象的な価値――すなわち、Keynes が強調したように、計算貨幣で デノミネートされた購買力――である。例えば、カール大帝の計算貨幣での価値は決して鋳造されなかっ た(Einaudi, 1953(1936)) 。それは最初の「キャッシュレスな」ユーロであった。計算貨幣は何らかの物 質的な価値の標準とリンクされるだろう――だが、これは常に最初に市場によってではなく、権威的に確 立される 11)。この理論では、貨幣の創造において中心的な重要性を持つのは、貨幣の発行者と使用者の 間の社会的・政治的関係である。発行者は「記述 description」 (計算貨幣)およびいかなる形態の貨幣が.

(11) 社会制度としての貨幣. 37. 記述に対応するのかを確立する。 既に示してきたように、市場での行為の条件として支払手段の入手が不可欠であり、かつ主権的な階 層システムを前提とする限りで、あらゆる貨幣は債権・債務の社会的関係によって創造され維持される (Innes, 1914;Ingham, 2000;Aglietta et Orlean, 1998) 。貨幣の発行者は請求権(claims)あるいは信 用を発行し、貨幣の保有者は財の支払の義務が与えられる。これらの関係は貨幣空間――すなわち、非人 格的な交換が生ずる社会的領域――を創造する。この理論が論じるのは、そのような空間が、経済主体の 交換関係のみによっては構成され得ないという点で、社会的で政治的である、ということである。この社 会的に構築された空間は、市場よりも論理的に先行し、市場よりも歴史的に先行する。貨幣がなければ、 市場が存在しないのに対し、正統派経済理論は貨幣を便宜的な交換の媒体とみなし、それは前もって存在 する市場がより効率的に機能することを可能にする。貨幣の純粋に競争的な発行は名目的な計算貨幣の競 争を伴うだろう。しかしながら、その後に待ちうけているのは無政府性的な混乱だろう(Hoover, 1996; Ingham, 2000;Issing, 1999)。 市場における私的な貨幣がたとえ存在するとしても、二つの重要なポイントを心に留めねばならない。 第一に、完全に私的な貨幣が長期にわたってそれ自身の計算単位をうまく維持することができたケースは 存在しない。第二に、初期資本主義銀行貨幣あるいは私的な貨幣は、それが初期近代国家の公的な銀行と 交差し組織化されるまでは慢性的に不安定であった、ということである(Boyer-Xambeu, 1994) 。 以上二つの相対立する見地を描写したのであるが、主流派が描き出す世界とは異なり、取引を行う主体 は、彼ら自身随意に一般的に受容される貨幣を生産することができないということは、理論的にも歴史的 にも確認されるであろう。貨幣的交換は、交換一般とは違って、正統に貨幣を生産する当局という第三者 を必要とする。経済学主流派の根本的なエラーは、純粋な二者間の交換という一般的な概念化のもとに貨 幣的交換を包摂したことであったと言うことができるのである。 注 1)本稿の論理構成やアイデアの形成において、Aglietta and Orléan(1998)、Ingam (2002)、Pineault (2003) から多くの示唆を得たことを最初にことわっておきたい。 2)例えば、Solomon(1997)を参照。 3)Smithin (2000) における諸論文を参照されたい。 4)ここでは、主として、Wray (1990) の研究や Smithin (2000) 編の論文集のことを思い浮かべている。 フランス語圏の異端派の研究の主要な成果は、Aglietta and Olréan (1998) に集められている。また 同じ著者による他の著作(2002)も参照されたい。 5)この Ingham による貨幣の社会学的見地は例外をなしている。というのも、現代の社会学理論が貨 幣の社会理論の構築に貢献することが滅多になかっただけでなく、それに加えて、単なる虚構のベー ルとしての貨幣の経済理論を無批判的に採用した――もっとも、逆説的に、この虚構のベールを現代 世界に特有の制度の一つとしているのであるが――ためである(Ingham, 1998 を参照)。 6)Aglietta と Cartelier が強調しているように、それは経済レベルでは次のことを意味する。計算単位は、 支払を遂行するために物的な形態をとらなかったとしても、有効な媒介として存在しえたということ である。中世の時代のリーブル(livre)やスー (sou) がその例である(Aglietta and Orléan, 1998, p. 135) 。 7)この貨幣鋳造については、Cartelier (1996) も参照されたい。 8) ここから、支払手段の保有の動機の類型的分析のケインズにとっての重要性が生ずる。.

(12) 38. 片岡 浩二. 9)例えば、その代表的研究として、Kiyotaki and Wright (1989) や Ostroy and Starr (1990) を挙げる ことができる。 10)実物的な経済の概念の簡潔な説明として、Schumpeter(1994(1954), p. 227)参照。 11)ローマの没落後の鋳造の停止によって、――偉大なフランスの歴史家、ブロックの用語を用いれば ――ヨーロッパを横断して交換の媒体と計算貨幣の「切り離し」が生じた。カール大帝は布告によっ て、20:12:240 の比率でポンド、シリングおよびペンスで抽象的な計算貨幣を確立した(Einuadi, 1953(1936))。これらの価値は決して鋳造されず、後に、中世ヨーロッパにおける様々な銀のコイン の価値がそれらの金属の内実によってではなく、主権によって名目的に確立された。. 参考文献 Aglietta, M. and J. Cartelier [1998], Ordre monétaire des economies de marché, in M. Aglietta and A. Orléan (ed.) La monnaie souveraine. Aglietta, M. and A. Orlèan (ed.) [1998], La monnaie souveraine, Odile Jacob. Aglietta, M. and A. Orlèan [2002], La monnaie, entre violence et confiance, Odile Jacob. Bichot, J. [1984], Huit siècles de monétarisation, Economica. Boyer-Xambeu, M. T. et al. [1994], Private money and public currencies, M. E. Sharpe. Cartelier, J. [1996], La monnaie, Flammarion. Einaudi, L. [1936], The theory of imaginary money from Charlemagne to the French revolution, in F. C. Lane and J. C. Riemersma (ed. ), Enterprise and secular change, Allen and Unwin, 1953. Grierson, P. [1977], The origins of money, Athlone. Hoover, K. [1996], Some suggestions for complicating the theory of money, in S. Pressman (ed. ), Interactions in political economy, Routledge. Ingham, G. [1998], On the underdevelopment of the “sociology of money”, Acta Sociologica Vol. 41. Ingham, G. [2000], Babylonian madness : on the historical and sociological ogigins of money, in J. Smithin (ed. ), What is money ?. Ingham, G. [2002], New monetary spaces?, in The Future of Money, OECD. Innes, M. [1913], What is money?, Banking law journal, 30. Innes, M. [1914], The credit theory of money, Banking law journal, 31. Issing, O. [1999], Hayek-currency competition and European Monetary Union, Annual Hayek memorial lecture, 27, May, Institute of economic affairs. Keynes, J. M. [1930], A treatise on money, Macmillan.(小泉明・長澤惟恭訳『貨幣論』Ⅰ、ケインズ全 集 5 巻、東洋経済新報社 、1979 年) Kiyotaki, N. and R. Wright [1989], On money as a medium of exchange, Journal of political economy, vol. 97, no. 4. Ostroy J. and R. Starr [1990], The transaction role of money, in B. Friedman and F. Hahn (eds. ), Handbook of monetary economics, vol. 1, North Holland. Pineault, E. [2003], Pour une théorie de l’ institution monétaire : actualité du Treatise on money, L’actualité économique, vol. 79, no. 1-2, mars-juin. Simmel, G. [1900], Philosophie des Geldes, Suhrkamp, 1989. (居安正他訳『貨幣の哲学』ジンメル著 作集 2、白水社、1994 年).

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参照

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