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福祉国家論と日本における社会保障制度

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(1)福祉国家論と日本における社会保障制度 泉谷周三郎・妻泰権 The. Theories. of Welfare. SHUZABURO. State. and. IZUMIYA. the Social. RANG. and. Welfare. TEA. Policy. of Japan.. KWON.. l福祉国家像の変遷 1.福祉国家とは何か 福祉国家を論じようとするとき,最初に問題になるのは,福祉国家とは何かというこ とである。福祉国家とは,もともと「室困およびそれと結びついた諸悪を除去する手 段」(1)とみなされていた。それは新しい型の国家であって,これに先行した自由主義国 家とも異なるし,またこれと対抗する関係にある社会主義国家とも違ったものである。 福祉国家とは何かということを解明するためには,福祉国家の本質的な特徴に関してな んらかの合意がなければならないが,この合意に達することばきわめて難しい。福祉国 家の概念規定は,研究者の立場によって異なっているし,歴史的にも変化しうるもので あろう。したがって,独断的な概念規定を避けて客観性を保っためには,ごく簡単にで も福祉国家の研究史を回顧することが必要である。 福祉国家の歴史的起源をどこに求めるかという問題も容易に答えることができない。 というのは,国民の福祉をまったく無視した国家などはありえないし,また福祉国家の 概念はかなり多種多様なものを含みうるからである。. 18世紀後半の開明的専制君主フリー. ドリヒ大王の警察国家は,当時福祉国家(Wohlfahrtsstaat)と呼ばれていたが,そこ では重商主義的な富国強兵による国家の繁栄が福祉とみなされているだけで,国民一人 ひとりの生活の保障が重視されていないから,今日の福祉国家の起源とみなすことはで きない。. 福祉国家の歴史的起源は,. 19世紀後半のヨーロッパ諸国に見いだすことができる。こ. の時期は,資本主義が急速に発展して後期資本主義に転換しはじめたときであり,労働 災害,疾病,失業,老齢などの問題が社会的関心をひくほど発生しはじめていた。した がって,多くの社会福祉国家論は,この時期の政治・経済・社会に見られた構造変化の 特殊な局面に焦点をあてて,福祉国家の歴史的起源とみなしているように思われる。 福祉国家(Welfare. State)という言葉は,. State)という語に対抗して創出され,. 1930年代にナチスの療カ国家(Power. 1942年12月に「ペグァリッジの報告」が公刊さ. れてから広く用いられるようになったといわれている。(2)ペグァリッジの報告書は, 会保険および関連サービス』と題するとおり,全国民を対象とした「揺り背から墓場ま. 『社.

(2) 泉谷周三郎・妻泰権. 56. で」の生活保障を明確に表明したものであった。この報告書の核心的思想は,ベヴァリッ ジ自身によって,次のように要約されている。. 「ありとあらゆるときに,ありとあらゆる者に対して,自分自身と自分の家族にとっ ての最低生活費所得(asubsistenceincome)杏,権利として,すなわち,いかなる 形態の生計調査,いいかえれば,かれらがどれだけの生計手段をもっているかの調査 なしに,保障するための統一的不変的拠出保険」(3)という観念であった。 ここでの福祉国家とは, 「さしあたり社会保障制度を不可欠の一環として定着させた 現代国家ないし現代社会の体制を指すもの」(4'と言うことができるだろう. へクロは,世界史的パースペクティプから福祉国家の発展過程を,次のような四つの 時期に区分している。(5) 第1段階は「試行期」. (1870年代から1920年代まで)と呼ばれるもので,福祉国家の. 準備段階を意味している。この時期に福祉国家の基軸を構成する諸制度が萌芽的に現れ るが,原理や原則をめぐって議論が衝突し,原則的合意がえられず,そこから必然的に 不安定さが生じていた。 第2段階は,. 「統合期」 (1930年代から1940年代まで)と呼ばれるもので,福祉国家が. 成立した時期を意味している。大恐慌のもとで,資本主義観の転換がはじまり,ケイン ズ主義的経済政策の模索と試行,戦争がもたらした国民統合と戦後再建への構想などが 福祉国家の成立を促進した。しかしながら,福祉国家と称されたものは,自由主義と個 人主義,保守主義,社会主義などの多様な観念と利害の混合から成るものであった。 第3段階は,. 「膨脹期」 (1950年代から1960年代まで)と呼ばれるもので,予想外の経. 済成長のもとで,国家財政の公共部門が肥大化し,福祉国家が所得再配分国家としての 色調を濃くした時期である。経済成長がもたらしたいわゆる「豊かな社会」. (Theafflu-. ent. society)は,かつての耐乏生活という前提を浸蝕し,社会的ニーズが個別化される とともに普遍主義的観念を空洞化する傾向を強めた。また経済成長の持続は,福祉国家 の政治的意義を減じることになった。 第4段階は, 「再編期」 (1970年代以降)と呼ばれるもので,経済成長の鈍化によって. 福祉国家が「見直し」をせまられた時期を意味している。この時期における福祉国家の ジレンマは,初期の目標達成からほど遠く,将来の目標を追求しようとすれば過剰権力 を招くという・ことにあった。そこで政策当局は,財政経費の伸び率を抑制し,新しい計 画の創設をやめるなどの処置をとった。 へクロによる福祉国家発展の四つの区分は,経済的・政治的背景をふまえて,社会政 策の形態・内容・理念などの発展の特徴を要約しており,ある意味では常識的であるが, 広範な諸要因を的確に把握しており,卓越した区分とみなすことができる。 またウィレンスキーは,福祉国家が最低基準の所得保障だけでなく,最低基準の医療 保障,教育保障,住宅保障を含むとし,次のように定義している。 「福祉国家の本質は, 所得,栄養,健康,住宅,および教育の最低基準をあらゆる市民に対して,慈善として ではなく,政治的権利の一環として,政府が保障している点にある。」(6)との定義は,最 低基準論に立概して,所得,医療,住宅,教育などの保障を福祉国家の課題のなかに含.

(3) 福祉国家論と日本における社会保障制度. 57. めていることで注目される。. このように,福祉国家とは何かということに関して,研究者の立場によってさまざま であるが,福祉国家を「さしあたり社会保障を不可欠の一環として定着化させた現代国 家ないし現代社会の体制を指す」ものとみなしている点では共通しているd加藤栄一は, この定義に立脚しつつ,労働者の同権化と社会主義のインパクトと産業構造の重化学工 業化という三つの要素を加味して,次のように再定義している。 「福祉国家とは,労働者階級の政治的,社会的,経済的同権化を中核にして形成され, 全国民的な広義の社会保障制度を不可欠の構成要素とする,現代資本主義に特徴的な 国家と経済と社会の関係を表現する用語である。その生成の端緒は前世紀末のいわゆ る大不況期まで遡るが,福祉国家が飛躍的な発展の基礎を形成したのは,第一次世界 大戦から第二次世界大戦直後にいたる激動の30数年間においてであり,戦後の高度成 長期にそれは全面的に開花し,そして結実した。」(7) この定義は,第二次世界大戟申および戦後における勤労大衆の民主化要求,戦後社会 主義との対抗,産業構造の変化などを考慮に入れている点ですぐれているといえよう0 2.福祉国家の危機. 尭二次世界大戦後,先進諸国は若干の時間的違いや到達水準に差はあったが,一様に 福祉国家への道を歩んできた。戦後の福祉国家を理論的に支えたのがケインズとベヴァ リッジの理論であった。ケインズは,. 『自由放任の終葛』のなかで,レッセ・フエール. の神話を打破し,国家介入の必要性に関して,次のように述べている。 「自由放任の論拠とされてきた形而上学的原理ないし一般的原理は,これをことごと く一掃してしまおう。個々人が各自の経済活動において,永年の慣行によって公認 された『自然的自由』を所有しているというのは本当ではない。持てる者,あるい は取得せる者の永続的な権利を授与する『契約』など存在しない。世界は,私的利 益と社会的利益とがつねに一致するように,天上から統治されてはいない。」(I) 「国家のなすべきことでもっとも重要なのは,私的な諸個人がすでに遂行しつつあ るような活動に関係しているのではなく,個人の活動範囲外に属する諸機能や,国 家以外には誰ひとりとして実行することのないような諸決定に関係している。」(2) このように,ケインズは,自由放任主義に反対し,国家の経済への介入の必要性を強 調した。また先述したように,ペグァリッジは,国家による最低限度の生活保障を制度 として確立しようとした。第二次世界大戦後先進諸国における社会保障と福祉制度の確 立は,それぞれの国民に生活の安定と向上をもたらし,それが1960年代の高度経済成長 を促進する要因となった。経済の高度成長は,公共財政の税収を増大させ,これによっ て社会保障関係の公共支出の増大を可能にした。 しかしながら, 1970年代に入ると,世界経済は,ベトナム戦争によるアメリカの財政 赤字と対外赤字が主因となって,ドル不安,国際通貨体制の動揺に見舞われ,経済成長 の低迷と公共財政の危機のなかで,福祉国家を支える基盤が大きく崩れはじ如`福祉国 家の危機が認識されるにいたった。とりわけOECDが1980年10月に「1980年代の社会 政策に関する会議」を開催し,その報告書を『福祉国家の危機』として発表してから,.

(4) 58. 泉谷周三郎・妻泰権. 「福祉国家の危機」論は,社会科学の流行テーマの一つとなり,活発に論じられるよう になった。こうして戦後「ケインズ主義」という名によって展開されてきた市場経済へ の国家介入の諸形態の是非が問われることになった。 福祉国家の危機とは何か,それはなぜ生じたのかということに関しては,さまざまな 解釈がなされているが,この問題には立ちいらないことにして,先進諸国のこの危機へ の対応を考察することにしたい。この危機にたいする先進諸国の対応は,多種多様であ り,各国ごとに独自の対応をしたようにみえるが,それらの対応をいくつかのタイプに 分類することば可能である。対応の主要な方向として,スウェーデンにおいて典型的に 現れたネオ・コーポラティズム的再編と,イギリスにおいて典型的に現れた新自由主義 的・新保守主義的再編があげられる.`3'前者のタイプにはノルウェー,オランダ,ベル ギー,オーストリアなどが含まれ,後者のタイプには,アメリカのレ-ガニズムが含ま れる。. ネオ・コーポラティズムとは,重要な社会政策に関して,政府・使用者団体・労働組 合のそれぞれの代表者が協議し,これによって三者間の合意形成をはかるという意志決 定の方法のことである。ここでコーポラティズムとは,. 「政府・使用者団体・労働組合. のあいだの政治的交渉装置」を意味している。次にネオ・コーポラティズムは,重要な 政策を決定する方法であるとともに,決定された政策を実行するための方法でもある。 政府・使用者団体・労働組合の三者は,合意を実現するために責任をもって行動しなけ ればならない。たとえば,全国的な賃金の水準が合意されたならば,使用者団体は倒産 寸前の企業の経営者に対しても賃上げを要請し,労働組合は,業績のよい企業に対して も賃上げの自粛を説得しなければならないo. したがって,ネオ・コーポラティズム的再 編は,かつての政治システムにおける統治能力の喪失への対応であり,政治システムの 改編を直接の契機として,福祉国家の危機を乗り越えようとする試みとみなすことがで きる。. 福祉国家の再編のもう一つの方向は,イギリスに典型的に現れた新自由主義的・新保 守主義的再編である.. 1979年5月,サッチャーは,政権を担当するやいなや,. 「(1)個人. の労働意欲の増進, (2)国家の役割の縮小, (3)財政赤字縮小による民間部門の活動の余地 の拡大, (4)労働組合の力の抑制」`4'といった四つの原則に基づいて社会政策を進めるこ とを宣言したbそして公共支出を削減し,貨幣の供給量を管理してインフレを抑制しよ うとした。サッチャーリズムとは,政府の直接的な責任の範囲を限定し,インフレの抑 制と市場の機能の回復をなによりも優先的に追求しようとするものであった。 サッチャー首相は, 「小さな政府」'をめざして社会政策として「民営化」政策を進め た。だが,社会政策における「民営化」が必ずしも「小さな政府」を実現させたという ことはできない。というのは,サッチャー政権の成立以後も,一般の予想に反して社会 的支出は増加の一途をたどっており,福祉国家は廃棄されるどころか量的に拡大された からである。この事実をふまえて,サッチャーリズムも,結局従来の福祉国家の基本的 枠組を踏襲せざるをえなかった,と結論することはできない。武川正吾は,次のように 述べている。. 「新保守主義者は,福祉国家を不承不承受け入れたのではなく,ある一貫.

(5) 福祉国家論と日本における社会保障制度. 59. した意図の下に再編成したのである。社会政策に投入すべき資本の量は増大したが,そ れらの配分方法は以前とは大きく変化を遂げた。その意味で,福祉国家はサッチャー政 府の下で質的変化を遂げた」(5) 新自由主義的・新保守主義的再編は,ネオ・コーポラティズム的再編と同様に,政治 システムの改編を直接の契機として,福祉国家の危機を乗り越えようとする試みであっ た。. ところで,ネオ・コーポラティズムは,従来の福祉国家の理念を忠実に継承しようと しているが,新自由主義・新保守主義は,福祉国家の理念に批判的である。いずれにし ろ,福祉国家は,現代資本主義にとって不可欠な危機管理システムであり,これに代わ りうるシステムが見いだされない以上,今後も福祉国家は,量質の両面において新たな 観点から検討を加えられながら,危機管理システムとしての機能を果していくことであ ろう。 Ⅱ. 日本の社会保障制度の形成. 1.福祉政策の展開と時代区分 日本の社会保障の展開過程を把握しようとする際には,最初に時期区分を確定しなけ ればならない。この時期区分では,その中心をどこにおくか,どこから区分を始めるの かといった点が問題になる。また社会保障を制度史的に論ずる場合もあれば,経済の発 展と関連させて論ずる場合もあるし,時期区分の始点を戦前に求めるか,それとも戦後 に求めるかということも問題になる?多くの研究者は,戦後に重点をおいているが,戟 前にも既存のいくつかの制度があったことを考慮するならば,戦前のことも無視できな いであろう。. それでは,研究者による時代区分をいくつか見てみることにしよう。 まず大西秀典の区分(1)があげられる。彼は,国家体制の大きな変化に注目して,社会 保障の展開過程を,第二次大戦前(第Ⅰ期-第Ⅱ期)と第二次大戦後(第Ⅳ期-第Ⅶ期) の二つに大きくわけてとらえている。 Ⅰ.明治初年(1868年) 1920年代. -1910年代. Ⅱ. Ⅱ.. 1930年代-終戦(1945年). Ⅳ.終戦(1945年) Ⅴ.. -1950年代. 1960年代. Ⅵ..1970年代 Ⅶ. 1980年代以降 Ⅰ期とⅡ期は,社会保障制度の それぞれの区分は次のような基準にもとづいている。 中心である社会保険の発足をもって区分される。 Ⅱ期とⅡ期は,戦時体制下に社会保険 の整備・普及が急速に進んだ点で区分される。 Ⅳ期とⅤ期は,国民皆保険・国民皆年金 体制成立前と成立後の区分である。 Ⅴ期とⅥ期は,一方では国家政策の重点が経済成長 から福祉へと転換して社会保障政策の拡充が著しく進み,他方では高度経済成長時代か.

(6) 60. 泉′谷周、三郎・妻泰権. ら低経済成長時代へと社会保障政策の環境が大きく変わったということを基礎にして区 分される。 Ⅶ期は,戦後ほぼ一貫して続いてきた社会保障政策の拡大傾向が変化のきざ しを示しはじめた時期である。 大西のこのような区分は,日本の福祉政策の歴史的展開を明治初年まで遡ってとらえ, 社会保障制度の動向を重視している点に大きな特徴がみられる。. ∫. 次に,江見康一の区分を見てみよう。江見は「社会保障発展の年表」を付表として整 理している。`2'彼は明治・大正をそれぞれ一括し,第二次大戦前の昭和期を二分し,戟 後を,昭和20年前半,同後半というように整理している。これら福祉政策の先駆形態は 戟前にも見られるし,戦後の福祉政策においても戦前に成立した制度が存続しているも のもあるという点で,福祉政策の展開の長期動向を観察する上で便利である。江見康一 は,戦後,昭和20年代前半を社会保障の創設期とし, 念頭において区分している。. 20年後半以降を次のような特性を. Ⅰ.復興と自立期の社会保障(1950年代) Ⅱ.国民皆保険・皆年金体制の発足と普及(1960年代) Ⅲ.福祉充実と低成長下における調整(1970年代) Ⅳ.社会保障の抜本的見直しと高齢化社会への対応(1980年代) しかし日本における福祉国家は,実質的には戦後から出発した。従って社会保障制度 の本格的な展開は,第二次大戦後に始まる。研究者たちの時期区分のはとんどは,戦後 の展開過程に重点をおいているように見える。 平田富太郎は,これまでの社会保険の展開の過程を大きく三っに区分している。-3' Ⅰ.終戦直後から皆医療・皆年金が実施される昭和30年代終わりまで Ⅱ.昭和40年代に入り,高度成長につれて昭和48年の「福祉元年」と言われた「成長 から福祉へ」という合言葉が出る頃を中心とした社会保障の充実期というべき時期 まで. Ⅲ.昭和50年代の低成長から現在に至るまで,換言すれば,社会保障のいわば転換期 ・とも称されるべき時期 これらの時期区分は,制度的・史的展開による区分であると見ることができるだろう。 ところで横山和彦は,社会保障の時期区分を,制度的にではなく,日本経済の展開過 程に即して行っている.(4) Ⅰ.. 1945年から1954年まで,つまり,敗戦から神武景気まである。生活保護が中心で. あり,幾多の社会保障計画が提案された。提案の代表的なものは, 障制度審議会の「社会保障制度に関する勧告」である。. 1950年の社会保. Ⅱ.. 1955年から1973年までである.これは神武景気から石油危機までの高度成長期セ ある。国民皆保険・皆年金体制が実施され,医療保険を軸にに社会保障は充実した。. Ⅲ.. 1974年から現在までである。石油危機ではじまったこの時期は,安定成長路線を とっている。社会保障の中心が,年金保険に移りはじめ,社会保障の見直しが強要 されている。. 以上,日本の社会保障の展開過程におけるいくっかの時期区分を見てきたわけだが,.

(7) 61. 福祉国家論と日本における社会保障制度. 「1961年国民皆保険・層年金体制」 日本の福祉政策を考察する際にポイントとなるのは, の成立, 「福祉元年」 (1973年)を中心とする展開,それから低成長期においての「見直 し」などであろう。特に「見直し」は,. 1970年半ば以降西欧先進国における「福祉国家」. についての思想の大変動と無関係とはいえない。なぜなら,日本における福祉国家の批 判は,西欧において展開された福祉国家批判の理論をベースとして展開されているといっ てよいからである。(5). 2.国民皆保険・営年金体制の成立 今日の日本の社会保障制度の本格的な形成は,西欧にかなり遅れ,高度成長期に行わ れた。. 1961年のいわゆる国民健保険・国民皆年金体制の確立と,. 1973年のいわゆる福祉. 元年が二大階梯をなしている。(1) 1961年にスタートした国民皆保険・皆年金体制は,社会保障制度審議会の25年勧告 (「社会保障制度に関する勧告」)が意図した社会保障体系の一応の完了を意味する.そ れは国民全体をなんらかの保険制度でカバーするという適応面での「普遍化」を目指し たものである。それは,制度としては被傭者保険は分立した複数の職業集団を残したま まであり,被傭者保険以外を「国民」として包括することによって普遍主義に依拠しよ うとする皆保険・皆年金体制を外形的に整えたものである。(2) 日本における社会保障制度の展開は,少なくとも二つの動向に沿ってあとづけること ができると思われる.一つは今日総理府に設置されている社会保障制度審議会とその前 身組織でまとめられた提案や勧告の動向である。もう一つは,現実の制度の動きとその 基礎にある政府の考え方や政策の動向である。両者は相互に関連し合いながらそれぞれ の動向を形成しており,第一の動向を無視しては,日本における社会保障の展開を正し く理解することはできないであろう。(3) (The Social 1947年(昭和22年) 8月に来日した「アメリカ社会保障制度調査団」 SecurityMission)は,. 12月に報告書をGHQ. (連合国最高司令部)に提出した。それ. 7月に日本政府に示され,団長の名をとって「ウンデル報告」と呼 は翌23年(1948年) ばれる。この報告書は, 「日本国民の参考および,指導の書として提与されたもの」で あり,司令部が具体的提案を押しつけたわけではなかった。報告書には明確に「社会保 障実現の具体的方法ならびに計画は,日本の現状にてらし,かつまた日本の社会におい て最もこれに関係を持つ人々の立場において決定されるべきである」と書かれている。 260頁にもわたるものである。本文は二部 その全文は160頁,付表その他を合わせると, にわかれている.第一部は現行社会保険および生活保護法,公衆衛生などの分析と批判 にあてられ,第二部では「勧告」と題して日本経済の現実が許す範囲での社会保障計画 を描き出している。この報告書が関係者に与えた影響は大きく,特に司令部の勧告とい うので重視された。(4) 社会保障審議会は,ウンデル勧告の直接通産として誕生した。社会保障制度を確立す るためには,まず各種制度の整理統合が必要である.日本政府は「国会と行政機関に対 して社会保障に関する計画,政策並びに立法についての勧告をなすために,内閣と同地 位にあるべき特別諮問機関」を設置し,この要請に応じて, 1948年12月「社会保障制度.

(8) 62. 泉谷周三郎・妻泰権. 審議会設置法」を制定した。この審議会は,. 「社会保険による経済的保障の最も効果的. な方法につき,または社会保険とその関係事項に関する立法及び運営の大綱につき,研 究し,その結果を国会に提出する」ように内閣総理大臣に勧告した。(5'戦後日本におけ る厚生行政(社会保障行政)の歩みは,必ずしも期待通りのものではなかったが,'6'同 等議会は連合国総司令部からの要請に基づき1950年10月に「社会保障制度に関する勧告」 をまとめた。この勧告は,. 1946年11月に公布, 1947年5月に施行された憲法第25条の規 定から出発する。日本国憲法第25条は, (1)「すべての国民は健康で文化的な最低限度の 生活を営む権利を有する。」. (2)「国は,すべての生活部面について社会福祉,社会保障及. び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定している。これはすべて の国民には生存権があり,国家には生活保障の義務があるということを意味している。 社会保障制度審議会は,この憲法の理念と,当時の社会的事実の要請に応えるためには, 一日もはやく統一ある社会保障制度を確立しなくてはならないとしながら,それが「国 民の自主的責任の観念を害することがあってはならない。その意味においては,社会保 障の中心をなすものは自らをしてそれに必要な経費を拠出せしめるところの社会保障制 度でなければならない」`7'と述べている。しかし,社会保障制度審議会が即時全面的実 施を望んだ社会保障制度案は,基本的には無視された。 医療保険に関しては,戦時下に国民皆保険への動きがあり,それは職域保険と地域保 険とから構成されていた。しかしながらいずれの制度も敗戦の影響等により,戦前水準 への回復は容易ではなかった。とりわけ問題にされたのが無保険者の存在である。 年に初めて作成された厚生白書において厚生省は,総人口の約32%におよぶ医療保険未. 1956. 適用者(従業員常時5人未満事業所の従業員や国民健康保険を実施していない市町村住 氏)への医療保険の適用を「最初の,そして最大の課題」であると位置づけた.'8' 国民皆保険への途は1957年度から具体的日程にはいる.そのきっかト‖ま,政府管掌健 康保険の赤字であった。政府管掌健康保険は,. 1953年以降深刻な財政危機に直面してい た。この政府管掌健康保険の赤字問題を契機として,医療保険の根本的対策を確立する 議論が高まったのである。政府健保の財政危機の原因を分析し対策を提案するために厚 生省に設けられた「七人委員会」は,. 1955年10月に報告書を提出した。この報告書に基 づき厚生省は,健康保険改正案を作成し, 1956年2月第24回通常国会に提出した。この 改正案は通過しなかったものの,国会における健康保険の改正法案の審議は,社会保障 制度の発展を望む気運を生じた。(9) 国民健保の全国普及による国民皆保険体制確立に対する政治的具体的な動きは,. 1956. 年12月に成立した石橋内閣の社会保障政策に始まる。. 1957年度予算は,社会保障の充実 を三大重要政策の一つとし,次のような予算編成方針を閣議決定した。aO 「国民生活の安定と向上をはかるため,医療の国民皆保険の早期達成を目標として, 国民健康保険の普及を推進し,生活保護,失業対策,疾病その他の社会福祉対策の内容 を充実する。なお,老齢年金及び母子年金の創設を準備する。」 l. 国民健康保険の改正法案はいろいろ難航したがた,. 1958年12月,第31回通常国会に提 出され,ようやく成立した。新国民健康保険は1958年12月公布され, 1959年4月までに.

(9) 63. 福祉国家論と日本における社会保障制度. 国民健康保険を開始することとなった.こうして1959年4月から国民皆保険体制は発足 したのである.OV. 1945年11月のGⅢQ. 国民皆年金構想も,最初の動きは戦前にあったが,本格的には,. 覚書「恩給及び年金に関する件」への対応策にはじまる。国民年金新設による国民年金 体制のスタートまでの動向は,大きく三つの時期に区分される。 Ⅰ.. 1945年11月のGHQ覚書から1950年10月の社会保障制度審議会の「社会保障制度. に関する勧告」まで 1952年12月の社会保障制度審議会の「厚生年金保険,公務員の恩給,軍人恩給等 年金問題に関する意見書」で国民年金の必要性が唱えられてから1955年11.月の「社. Ⅱ.. 会保障5ケ年計画試案」立案まで Ⅲ.. 1956年4月の地方公共団体の「敬老年金」の発足から, 新設まで¢カ. 国民年金新設の動きは,. 1959年4月の国民年金の. 1956年いくつかの地方自治体で高齢者を対象として「敬老年. 金」が実施されたことに刺激をうけ,制定を要望していた段階から実現を積極的に探る ようになった。 1956年の最初の厚生自書は, 「当時の重要課題」として,医療保険未適 用者問題と並んで,社会的に-ンディキャップを負った人々(労働者,母子家庭,障害 者など)への福祉政策を挙げていた。またこの自書では早くも,急速に進行する人口高 齢化が指摘され,これに伴う老齢者の生活問題への長期的対応の必要性が述べられてい る。こうして1959年に国民年金法が成立し,無拠出の老齢・母子・障害福祉年金は同年 に施行され,拠出年金法は1961年4月1日から施行されることになり,国民皆年金が実 現することになった。. こうして1960年代初め,日本の社会保障制度は普遍主義を実現したわけであるが,そ れほ戦後発足した福祉政策の先駆的形態である既存の年金制度を再編・温存しつつ,無 保険者・無年金のための新たな制度の新設・付加によるものであった.83 3.. 「福祉元年期」の社会保障制度体系 ①. 「福祉元年期」の社会保障制度 日本政府は, 1973年度予算編成の際「福祉元年」とすると宣伝し,財政政策の一つに. 国民福祉の向上をとりあげた。そこで1973年度は,従来の高度成長一本槍の経済から, 社会保障を充実する転換への最初の年となるはずであった。`1) 「福祉元年」を支えた社会 保障の中核としては,次の三点をあげることができる。 1973年1月施行) Ⅰ.老人医療費支給制度(1972年の6月成立, これは70歳以上の老人で,被傭者医療保険の被扶養者または国民健康保険の被保 険者である者に対し,医療費の自己負担分を公費で肩替わり負担するものである。 要するに,老人が必要とする医療を容易に受けられるようにして,老人福祉の増進 をはかろうとしたものである。世間では,これを「老人医療の無料化」とよんで大. いに歓迎した。しかしこの制度は,有料の医療を前提としていた。医療費の七割を 医療保険が支払い,自己負担となっている残りの三割を患者が支払わず,公費が患 者にかわって支払うものであった。.

(10) 64. 泉谷周三郎・妻泰権. Ⅱ.健康保険を中心とした医療保険の改正 これは石油危機の直面の1973年9月成立, 10月施行された。主な内容は以下の通 ①家族給付を50%から70%に引き上げる。 ②分娩費最低保障額を本人・. りである。. 家族とも六万円にする。 る。. ③埋葬料の最低保障額を本人・家族とも三万円に引き上げ. ④三万円以上の家族療養費に対する高額医療費支給制度の創設。. ⑤標準報酬等. 級の最高を二十万円とし,最低を三万円に引き上げる。. ⑥国庫補助定率10%の新設。 ⑦保険料率引き上げと国庫補助金の上乗せを関連させた保険料率に弾力条項を設け る。. ⑧累積収支不定の棚上げと累積損失に対する一般会計からの補填を講じる。. Ⅱ.厚生年金保険を中核とした年金保険の改善 これは1973年9月成立, 11月施行の「五万円年金」の実現と,年金の実質価格を 維持するための物価スライド制の導入を内容としたものである。 1972年9月田中首 相は,全国知事会で「昭和48年を『年金の年』として,老後を託するに足る年金を 目指し,画期的な改善に努めたい」と述べ,年金保険にふさわしい広範な年金制度 の改善が実現された。けれども,. 「第一次石油危機」は,異常な消費者物価の騰貴. である「狂乱物価」をもたらし, 「年金をはじめとする社会保障制度を大きくゆさ ぶり, 『年金の年』を再び『年金にとって試練の年』にしてしまった」のである。 以上が「福祉元年」の支えた社会保障の中核であるが,さらに次の四点が「福祉元年」 の内容の充実に寄与した。 Ⅰ.国民年金の「10年年金」の給付開始(1971年4月より) 国民年金は25年間以上の加入期間を原則とする。国民年金は,老齢年金受給者を 早く出現させるために25年の受給資格期間右年齢に応じて最短10年から最長24年ま で,経過的短縮措置をとった。. 「10年年金」は老齢年金受給者の量的増大をはかっ. たという意味で,本格的年金時代の幕開けの先兵としての役割を果たそうとしたも のである。. Ⅱ.児童手当(1971年5月成立,. 1972年1月施行). この児童手当とは,西欧諸国でいう家族手当のことである。児童手当は「わが国 の社会保障制度のなかでいまだ実現をみなかった唯一の制度として,かねてよりそ の創設が懸案となっていた。当時わが国の社会保障は,その水準が国際水準に比べ 低位にあるはれ その内容においても,医療保険に偏し,相対的に所得保障部門が 立ち遅れている状況にあると言われた。それは年金保険制度の歴史が浅く未成熟な 段階にあることや社会保障制度の主要な対象である老齢層の割合が大きくないこと によるほか,社会保障制度の中でかなりの位置を占めるはずの児童手当制度が発足 していなかったことに基づいている。この児童手当の発足により,わが国の社会保 障の体系は一応の完成を見るに至った」`2'とみなされ,鳴り物入りで創設されたの である。この児童手当制度の発足により,日本の社会保障の体系は,先進諸国のよ うな社会保険,家族手当,公的扶助,それに社会福祉の四大要素からなる形の整っ た制度体系となったのである。 Ⅱ.雇用保険(1974年12月成立,. 1975年4月施行).

(11) 65. 福祉国家論と日本における社会保障制度. 雇用保険の改正に決定的な影響を与えた失業保険制度研究会の第一回会合が開か 「石油危機」に言 れたのは,石油危機直前の1973年5月であった。研究報告書は, 1973年12月に労働大. 及はしているが,基本的には,高度成長的視野でまとめられ,. 臣に提出された.これは高度経済成長の結果生じた若年労働力を*}山とした労働力 不足と,中高年労働者過剰問題に対する積極的雇用政策の一環としての制度改正で あった。. 第1表. 現代日本の社会保障. 社 会保険. 対象. 医療保険. 年金保険. 康保険 働者災害 (1922-27) 保険(1947) 般被田 雇用保険 1政府管掌 (1974-75) (労働基準.I 2組合管掌 <1947>) 国民健康保. (1954) 生年金基 (1965-66) 国民年金. 失業保険. FE7. 日雇労. 負. 雇用保険 船員保. (1?47). 弘立学 雇用保険 職員 林漁 団体職 ム. 労働災害. 家公. ヽ二吐血. ムノ、iE. 役職 方公 等. 雇用保険. 補償保険. 働者災害 保険. 日雇労働者 康保険 (1953-54). (同左). (1939-40) (同左). 働者災害 償保険. 乱立学校数 共済組合 (1953-54). 働者災害 償保険■. 家族 手当. 家公務員!く a(1951) 国家公務員ハ 国家公務 国家公務員ハ 済組合 退職手当 済組合(1958) (1953) 公共企業体 等共済組口 (1956)■ 方公務員5' 、職手当に 害補償q967) 方公務員 関する条伊 方公務員 (1953) ー済組合 ー済組合 (1962). l■童福祉法 (1947-48). (同左) (同左). 宿. l童 当. 林漁業団 員共済組口 (1958-59). (同左). TA959-. 子福祉法 (1964). 老人福祉法 (1963)■ ,別ー 扶 当 q9667). (同左). ヽ. 且97ト q95(》 2) 子保健 法 (1965「66). (同左). 国民年金(、 出制1959 非被備者. 社会福祉. 吐会福祉事 法(1951). 国民年金. 健康保険. 民健康保 (1958-59). 公的 扶助. 一旅. ♭身障害者. 及′一・策基本法 (1970) 死. 戟 汰. a89g) ・体障害者 一祉法 (1949⊥50) 日神薄弱者 一祉法 (1960). 1) 業者年金 (1970-71) 一重扶養手当 (1961-62).. (注)カツコ内に制度創設年と施行年をしめしたo雇用保険の(197卜75)は公布年が1974年, 施行年が1975であることを,労働者災害補償保険の(1947)は公布年と施行年とが同一 年であることを意味している.専売公社の業務災害補償に関する協約は1953年,電電公 社は1958年である. 出典) 『社会保障の現代的展開』P86.

(12) 66. 泉谷周三郎・妻泰権. rV.最終的な生活保障策である生活保護,特に,生活扶助の給付内容の改善 これらを内容とした「福祉元年」における社会保障は,高度経済成長が産み落と した一つのマイナス,社会的不公平を是正する政策として積極的に採用されたので ある。 「福祉元年」的観念では社会保障はプラス・シンボルであったということが. できよう。その制度体系を示すと,第1表のようになる。 ②. 「福祉元年」の必要性 日本の社会保障は「福祉元年」と呼ばれる1973年以降,福祉国家の確立を目指して展 開された。このような社会保障の充実は,どのような諸要因によってもたらされたので あろうか。まず,基本的要因は社会保障それ自体の中にあった。それは1973年までの給 付水準の低さである。これに,給付水準の低さから派生した要因でもある医療保険が主 眼とした対象(-生産年齢人口)と最大医療需要年齢層(-老年人口)とのミス・マッ チによる医療保険の不備の顕在化が加わる。さらには,医療保険,特に,政府管掌医療 保険の財政赤字の問題が付け加えられる。給付水準の低さ,制度のミス・マッチ,財政 赤字が重なり合って,高齢化社会の入口に立った1970年代はじめの国民生活に社会保障 が対応出来ないことが明白になったのであった。 1973年までの医療保障の制度体系は,. 1961年発足の国民皆保険体制の展開そのものの 中にあった。それは給付水準の格差と財政赤字の問題の二つであった。国民皆保険の実 施により被傭者は,負担と給付の面で三層に区分された。すなわち上層は恵まれた組合 管掌健康保険と各種共済組合の被保険者,中層は普通の政府管掌健康保険・船員保険の 被保険者,そして下層は,劣った国民健康保険の被保険者であった。ここに差別的な取 り扱いを内包した「タテ割りヨコ並び」とよばれる産業別・企業規模別・企業別国民皆 保険体制が確立したのである。この差別的体質は,年齢別給付水準を見た場合にも現れ るo年齢別給付水準は,二層に分けられる。上層は,生産年齢人口の中の被傭看である。 被傭者の給付率は, 100%とされていた。下層は,年少人口,老年人口,それに生産年 齢人口ではあるが被傭者でない自営業主と家族従業員,扶養家族などの非労働力人口で ある。これらの者に対する給付率は,. 50%であった。このように有病率の高い老年人口. の給付率は,低い水準に定められている。社会保障の給付水準は,保険の必要度に併せ て決定されるのが原則である。しかし日本の医療保険ではそうなっていない。この年齢 別給付水準の格差が,人口の高齢化の進行とともに,国民皆保険休制の欠陥として顕在 化したのであった。 1973年改正の基本的要因の第二点,医療保険,特に政府管掌健康保険の財政赤字は, 国民皆年金体制の発足による医療需要の顧在化,人口構成の老齢化の進展,医療技術の 進歩,分娩費引き上げ,療養の給付の期間制限の撤廃などの給付内容の向上,医療費改 定などの諸要因があいまって国民皆保険体制実施以降急速に悪化した。政府管掌健康保. 険の財政状況は,第2表で見るとおり,急速に累積赤字を増やしていった。政府管掌健 康保険の赤字は, 1970年12月になると, 1971年度予算編成に関連して食糧管理制度,国 鉄などと一緒に「三K赤字」と呼ばれ,制度の改善が各方面で議論されるようになっ たのである。財政の硬直が顕在化し,. 「三K赤字」の一つとして問題になった政府管掌.

(13) 福祉国家論と日本における社会保障制度. 第2義 年度 .1961 1964 1967 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976. 政府管掌健康保険収支状況(単位:億円). 備険料 国庫補 収入. 単年度 収支額. 8 5 225 225 225 225 611 1,357 1,920 2,376. .1,140 1,992 3,295 5,232 5,900 ー6,640 8,121 10L,862 12,878 14,937. 荏) 「累積収支不足額」欄の(. 67. 27. △325 △58 △383 △79. △600 △64 △456. 累積収支残ま 七は収支不足. 利子等. 290. 2 1. △68■ △84. △173 △1,099 .△1,785 △1,980. △115. △2,706. △126 △175. △2,945. △225. △3,626(△.456)荏) △4,194(△680) △5,017(△1,241). △256 .△312. △561. )内は,. △262. 1974年以降に新規発生分の再掲で. ある。. 出典)岸田俊輔編『図説 日本の財政』 1978年度版,東洋経済新報社, 年, 110頁, 『転換期の福祉国家(下)』 P14. 1978. 健康保険の赤字であるが,第一に,高度経済成長期であり,それにともなう租税の自然 増収が大きかったこと,第二に,社会保障関係費が一般会計予算の中に占める構成比が まだ低かったことなどによりそれ以上の財政問題とはならなかった。 年金保険にあっては年金額が絶対的に低かったこと,おりからの消費者物価の上昇に 対処するスライド制を欠いたことが問題となったのであった。これらの給付水準の低さ につながる諸問題には,制度を新設,改正して早急に対応しなければならなかったので ある。. 給付水準の低さ,高齢化の進行に対応できない社会保障を改正させた誘引としては, 経済的要因をあげることができる。. 1970年代に入ると高度経済成長の歪みが放置できな. い問題となってきた。高度経済成長を目標においた輸出志向の日本経済は,国内国外と も壁にぶつかり,厳しい経済情勢をまねいていた。 GNPの増大が窮極の目標という日 本経済は,公害問題を派生させ,経済の転換が求められるようになっていた。それに 「与野党伯仲」の兆しを示しはじめた政治的要因と「成長より福祉」 なし」という世論を受け止めなければならない政治状況が,. 「福祉なくして成長. 「福祉元年」をうみだした. 一つの力であった。 ‖. 「福祉元年型」財政支出. 1.社会福祉支出の拡大 まず,社会福祉全体の動向について確認しておきたい.図1は1965年以降の一般会計 歳出予算に対する社会保障予算の比率及びその年次別推移をみたものである。一般会計 歳出予算の中での社会保障予算は石油危機翌年からやや強い角度を描いて上昇に移り, 79年には22.4%と戦後のピークに達した。そして翌年80年に反転して下降傾向に入る. すなわち全体としては70年代は社会保障予算が増え続けた時期であった。社会保障予算.

(14) 68. 泉谷周三郎・妻泰権. r近金魚芳年蓬j各年.5EよウL7丘. +. P. 出 兵). 社 会 袖 祉 団1. 一般食打払tAt三. 占巾る7q含(形)Il.5 社会倖坪tI (性円)I.eO3. の. ZR. 代的. 国 家財. Il.2. ]=. 5,181. 1l.小3. 農. b. p. 20. と 社 会 偵l暮. 投. 18.5. 期. ]9.3. )8.9. 18.3. 予. 拝. ]8.I. 18.4. 18.2. )8.2. 83. 04. 8. 0). 39.282. 失井村辞井 保Ct31生 対策Jt. 社会像枚文. 社会書芸祉*. 生活保証交. 亀S. 典)・P 武. 木材. 8. 70. CO. 75. 政 幸覧J. P. 2. 社会. tO. 65. 田摺夫・梯生ぇ・今井庶人鎚 歯. ∼. 一ヽ▼. l. 出. 東京. 保 は 周 係 兜 内iR. 大学出版会 の. 紐措. の削減が始まるのは80年代に入ってからのことである。`l)内容的にももちろん大きな変 化を伴っている。すなわち,社会保障関係費総額に対する割合をみると,雇用が改善す るに従って失業対策費が急減(60年度の17%から86年度の3.2%に)し,保険衛生費も 保険の改善で減少(同じく14・9%から5・0%に)しており,生活保護費も半減(同じく 24.7%から11.3%に)している。これに対して老人福祉を含む社会福祉費が7.4%から20 1. %台へ割合としては高まっている。金額・割合とも増加が目立っのは,医療費を含む社 会保険費で,割合をみると60年度の36%から86年度には60.6%と半分以上を占めるに至っ.

(15) 福祉国家論と日本における社会保障制度 ている。. 69. (図2参照). 社会保障関係費の構成は,. 1965年度以来1973年度までの「高度成長期」の9年間14%. 台に固定されていた。それが「低成長期」に入ると上昇しはじめた。それは1973年の医 療保険・年金保険の改正,老人医療費支給制度の発足と「福祉優先」一によってもたらさ れたものである。. 1977年度にピークの20.0%を示し, 1976年度から1984年度まで1982年 度を除いて最大費目となっている.0 1985年度以降になると,国債費が最大費目となり, 社会保障関係費は第3位となった。. (第3表参照). こうした1970年代の社会保障の拡充は,第4表にみるように公費負担(国庫負担+也 方負担)のウエイトの増大でまかなわれてきたのであった。老人医療費支給制度は,全 額公費負担(国庫負担が3分の2,地方負担が3分の1)であり,社会保険は国庫負担 率を15%台(1961年度-1973年度平均)から20%台(1974年度-1982年度平均)へと上 昇させている。(2). だが,公費負担依存度は1980年度になると逆転現象がみられる。例えば,第4表にみ られるように,社会保険の国庫負担対前年度増加率は,. 1974年度の48.8%を頂点に以降. 逓減し,. 1979年度から激減している。国庫負担率は1979年度の21%を最高として,その 後やはり低下している。 国庫負担に頼れないのは,経済成長の鈍化に伴う租税収入の減少と,これを埋めあわ せる国債依存率に上限が存在するためである。赤字財政が,国庫負担のきりつめ,保険 料率の引き上げなど国民負担の増加へ切り替えを強要したのである。(3) 2.. 「福祉優先」政策の展開 1970年代に入ってからの予算編成を財政政策面からみると,次の三つの時期に区分す. ることができる。まず1971年度から1973年度までの3年間は,高度経済成長を前提とし た「総需要拡大」積極財政期といえよう。それに対して, 第3表 1976年度 社会保章. 各年度予算の主な歳出項目(単位:%). 1980年度. 1982年度 社会保章 地方財政 第1位 (19.8) (19.3) (19.4) 地方財政 地方財政 ` 社会保章 第2位 (16.2) (17.4) (18.3) 公共事業 公共事業 国債費 第3位 (14.5) (15.6) (15.8) 文数.科鞘振興 国債費 公共事業 第4痘 (12.5) (13.4) .I(12.2). 国債費 文教.秤報興文数.秤御 第5位 (¢.9) (10.6) (9.8) (備考). 1974年度と1975年度の2年間. 1983年度 社会保章 (18.1). 1985年度 国債費 (19.5) 地方財政. 一国債費 (16.3) (18.5) 地方財政L 社会保章 (15.2) (18.3) 公共事業 公共事業 (1.3.2). -(12.1). 文教.秤拘興文教.秤笥棋 (9.5) (9.2). 1)国債費の順位が上がった年度をそれぞれ掲げている。 2) ( )内は一般会計歳出全体に占める割合(当初予算ベース)0 3 ) 1985年皮の国債費10.2兆円のうち9.9兆円は利払費である。 出典) 『転換期の現代経済』 P213.

(16) 70. 泉谷周三郎・妻泰権 幕 4. 表. 社会保維切傷恩庫負担のは移 (坪払;訂7}-円. Sb'). 托.'】98・t勺乙姫11・T・1丁 II'.舛:むJ!艮mI.tI.I hとT・':I ;他生'&認允't'Jt壬払.a.・鮎r祉仝rll.抑比汁叶柑」比企帖陣u;・収研J3t仝.令年版上り作脱. 出 典・). q. 社 会 枚 策. の. 危. 機. と. 国. 民. 生 活J. p233. は,低経済成長に対応すべき「総需要抑制」財政期といえる。この2年間において社会 保障の「聖域視」化が確立し,. 「福祉優先」予算が編成されたのである。そうして1976. 年度から1979年度までは「内需拡大」積極期とよばれ,社会保障の「聖域視」に変化の 兆候がみられはじめ, 「景気優先・福祉圧縮」型予算へと変質していったのである。(1)そ れでは具体的にこの過程をみていこう。 「福祉元年」といわれる1973年度においては,国民福祉の向上を図るため年金制度の 拡充等社会保障の充実には特に配慮しており,社会保障関係費の総額は第5表にみるよ うに2兆1,145億円と昭和47年度当初予算に対して,. 4,731億円,. 28.8%の増加となって. いるが,これは過去10年間で最高となっており,その結果,一般会計予算総額に占める 構成比も14.8%に上昇している。(2) そこで1973年度社会保障予算編成の意図を社会保障諸制度の対前年度増加率に着目し ておってみよう。. (第6表参照)。社会保障制度の対前年度増加率に着目するのは,予算. 編成の意向をより直接的に表現していると考えられるからである。増加率がもっとも高 かったのは老人医療費の8.2倍である。ただし,老人医療費の増加率が非常に高率なの は,. 1973年1月から施行された老人医療支給制度が,. 1973年度予算において制度化した. こと,扶養義務者の所得制限を大幅に緩和したこと,それに新たに65歳から69歳の寝た きり老人を対象に加えたことなどによるためである。 2番目に増加率が高いのは,政府 管掌健康保険の2.2倍である。これは改正により給付費の10%定率国庫補助を行うこと.

(17) 71. 福祉国家論と日本における社会保障制度. 第. 5. 裏. 社 会 保満. 開. 保 栄. の. 粗 描. (首万円. %). 出典)財政調査会編『国の予算』各年度版,経済企画庁編『経済要覧』 (1987年版), 『転換期の福祉国家(下)』 P45. になったからである。. 3番目は,児童手当で,政府管掌健康保険よりほんの少し低い2.2. 倍である。児童手当は, 施さればじめたのである。. 1972年2月より5歳未満の児華を対象として3段階にわけて実 1973年度4月からは,. 10歳未満の児童を対象にした第2段階. に入り,受給者が前年度の130万人から203万2000人へ60%程度増加することが推測され ていたので,それに対応するためにこのような高率となってのである。 1973年度の予算で日本の社会保障政策は,ようやく,. 「福祉駄菓子琴」`3'とよばれてい. たこれまでの安上がり政策から脱出できた。社会保障の本命である医療保険,年金保険 が,ともかくも,真正面から予算づくりの土俵にあがったのである。 一般会計予算の中で社会保障関係費が,構成化,伸び率ともに拡大しはじめたのは, 1973年の医療保険,年金保険の改正が制度化し,予算の編成過程においても特別扱い「第一次石油危機」の渦中に編成作業に入っ 「聖域視」さればじめた1974年からであった。 た1974年度予算は,次のような予算編成の基本方針を決定してはじめられた。. 1974年度. の概算請求額については「各所管につき,それぞれ1973年度予算額に25%増に相当する 金額の範囲内とすること。ただし,国民福祉の向上に直結する施策に関わる予算で,上 記金額の限定に特により難しいものについては,当該限度を越えて要求することもやむ をえない」(4)ものとする。このような予算編成方針のもとに1974年度予算は,国民福祉 の向上に直結する施設を拡充するという観点から,その飛躍的増加が図られており,物.

(18) 72. 泉谷周三郎・妻泰権. 国. 1卦 亡.-亡..-LL3一朗▼一ー..■く.⊂)ーく.⊂)く.⊂)サー...■⊂⊃ 貞 I...1er3寸q⊃CY3一○q■_∩(コ⊃eY3NeY3亡つー.■ 一■..■ ≡野 I.tE,.. 岸 曇r... #. 島 :当. 農 :当. 一●f4一●●]n... く=⊃く.⊂) ⊂⊃亡.く=⊃N. 国由. ▼■■一. 髄. --if空. td堤 蘇 増-. Ea ▼一. 増-. ・. 一芸王n--'-=-≡;;一重. H.I.-喜一≡≡萱l_']'-. ●●一■●ー●●【●●. 蘇. I..■ーNL.r⊃Nく.⊂)亡-亡-I-一CX)く⊃CN†..一別. 七*(0〇卜-LLDCN▼...■▼...■T-i EEJ. -一.-●●●≡●己一 令8(⊂⊃くX⊃寸.ぐq▼...■▼-■▼--i. せ. eY?. ⊂=>の. I.-一. q>. ー●●●●一●●●. Eig. ▼....一. 帆. く亡lー†..一⊂bt.--くj⊃T..<t一寸CY3卜ーく.⊂)ey?. 昨,. I....1. LL30○▼-一の寸CY3寸寸ーー▼...■q⊃t--の. 管 宗品等等謁S!崇等掲宗等謁g3謁 ・R L].]{IL. #. l==. く⊃CO. JF?. 一=>く工) ⊂⊃ー 一. ⊂⊃ー. =当. ⊂⊃寸. E]. ⊂⊃. 響 唱. ⊂⊃L(>亡▼つく工)寸1∫⊃,寸⊂Dく.⊂)のーの糾. =●●.●●■. ▼...■,. ⊂⊃トのCY?ーーくj⊃く工>ののt.一寸亡▼つ. r苦E=LL'器ey'芸当.-'ciE='cyiLn'ei. 亡、勺ー■. ▼■..■. 鶴. 哨9鯨. 堤. 寸寸eq▼-一. .N. 一軒q⊃CO寸ー†..-<一朗†.一Tl1⊂X⊃CYつLDく.(⊃ー 寸OD⊂⊃ーく一⊃寸⊂⊃LDu'>CY3寸O5Cq⊂D 烏 eq亡勺CY3†..■▼-■■サリつくJ⊃ー-■NL【つ▼-■ ▼...■▼...■亡-響 Lr;i... 廿. 一≡●-..…←-●一. 匹. ⊂ーNー..■. 連出 ∃延. ー喜 一-I--●一 ≡-一-.. 1=⊃くpのC■勺L【つ▼.一N寸⊂D▼...■ー▼...1▼-■くエ). =n.壁-.-i-n'e'-)--一≡. 也 ∃廷 態eg 也-. 静. 堰. -≡望亮一_-_-喜 --. I.....■. -I-●ー--le≡-..'..-. 静. ー_≡_一章萱萱l-_S等萱. ■●●一一ー■一一●●-. 衣 I.一亡ーLLつ寸t.-T-■ー-一くコ〇▼-一寸閃くj⊃▼...■▼...■ 七q(の寸ぐ、qT,,-1功一 e勺. 萩 &. L寸-等dd『(i)鵬囲東児Q蕪灘収』 東壁C!T(些地政唾)『琳恥Q)囲』嬢朝樹霜宙轟(邸宅 桝蛮柵叶思皿出Y 蛮桝桝. 喜一-昌-I_萱-I----_.-. 弓E,.. -.-=-忘●一t一-●【 令n(I...■⊂⊃ー亡qN▼..-■▼.■ 寸T,-,1. 烏 <E. 0+dJ]. 道南Q糾堕監盤堕胡起. 塁亮__≡一望●一-喜【叶, 七*(. I-■. O寸Ntコ〇ーーのく.DN寸卜-I..一CY?. 1苦E=u'実寸巴ヨーヨ巴cyiu'L-D. I...■. r@=. 蔓≡---._-N裏-I.亮一【毒室 蚕照一聖昌一-x'-一章一芸'-I-;).ー. 響 慣. I-■. Cb. l=>L_r⊃寸亡一寸ーCY3▼...■LL?.寸CY3一寸 く=>L_(つぐ勺▼...■▼.■■T-,lt.-一. :当. く⊃の ⊂⊃▼■■■■. 騨 瑠. 亡..-. 丁.,EJ.. ・R. ⊂⊃くX⊃. =当. ⊂=)く工) ⊂⊃ー-■. #. ⊂コ. ]萱-ーE-表 一-一塁ー__一. 督. 堤. 紘. ⊂⊃eつ甘くJ⊃亡ーLJつ一=⊃▼..一○qey?く⊃LL?(=⊃. l害等w岩ーt3巴7-1コ巴q'N'G,' ・「.1.. 亜2i・穫. 琴. 静 `堪. ■寸 亡-. 貞gi'/. 也. 箸S:諾ocy,コ巴g3巴苫諾蒜岳盟コ のCbくエ)eY3COt-(⊃0くJ⊃ー†.一寸ーLL?eY?. =当. く⊃.亡q. 響 唱. ⊂⊃CX>q⊃q⊃tーーO?ーeY3⊂⊃NeQOb. I害ESり宍∞■g3式.<ココcy3'Ol'N' I....1. 鶴. '..一'寸一亡′⊃ev?eq■寸⊂bCy3Cy3寸亡-⊂⊃N⊂⊃ 「ナぐ勺tL-O?I..一e.一亡..-⊂⊃LL3く)○ーLL3く:亡)く.⊂) I-■亡qT.1e勺e勺寸▼.一CY3▼...■▼...■刑N寸. Q. 軸 醤 柵 柵. 堤 {□. ■壁. =当 CY?. 静 `堪. ⊂>q⊃ く=⊃寸. 一=⊃ー.■ y∼. 亡■..-. lヨ y∼. ∃廷. しr⊃. Eel 騨 瑠. ⊂⊃CY30〇のl_′つーのー町T..1ーL_rつL{>. ≡●一■-. 淋. =当. -一■→●-..一 ●t■-I. L.tE,J. -..壁----i.宗晃一..蔓完売 淋. 輔. ⊂⊃くコ⊃ (=⊃▼■■ I..■. ⊂⊃q⊃の⊂⊃く⊃■∫⊃⊂⊃亡.-く£)ーくp⊂⊃寸. くゎ. I...■†...一一. I..■一. ー-一. ∃旺 ま味. ・-..-≡..●i.--..=■ 寸e勺▼`ー■ I....1. E苦E=寸㌫寸e3ヨ.-1巴ヨcy3'r:<' ▼..■一 ≡.-..1●●ー-I-ー. ⊂⊃一寸寸.I...■ー∽⊂⊃寸Cby.-一q⊃の寸. I..一寸=CYDNObq⊃CYD,..一くエ)CY3ーLL5亡-. 叶,. <. ⊂>■_(つ. I-.L.lI. 薫萱一-n章;≡-__萎--_-;.-. ;:I---●●]-ー-【 叶, 却《e勺のCN▼一(=⊃▼...■亡、-I_′つLJDく£)I...■C勺†一 T-.1CY3e勺Cq. -U. 也 雌R 秦. 虫 桝. 桝. 田 也 く. 輔 十6. 淋1肘新盤盛盛領朝一糾弓糾1肘租耶餌場叫. 純一糾細く基盤盛≦帝】朝一糾琳弓糾琳租巧ー糾 桝. 港. 端蓋蓋≡諾 端喜蓋≡諾 也. く 榊. ー##妄賀せ1#堕4(. 1##.架台1光雄4(. 蒜.

(19) 73. 福祉国家論と日本における社会保障制度. 檎. 岸 静 響. 虫. 王=コ. JF?. 翠慣. .-●●●●●●■.ー. ⊂⊃のN⊂∋ーー一t--▼一▼.一(=Q寸._CY?-q⊃ eqT...<eqく㌣つT-,,lNノN†..■.T.一.▼一▼,,-1▼...■-. I-■1-/.I...1. fモ. a.... 華甲 OtL-. 岸 =当. ⊂⊃の. g東. く=⊃寸. く⊃.ー■`■ -⊂卜⊂bLDCY3ーL凸O3LDーtDqD⊂)CY?. 密 `堪. I....1 --●一-■-●●一●一. ⊂⊃co(コ⊃CY3くエ)ーの⊂⊃⊂⊃e勺NCyT>寸 く:⊃くj⊃eqeq†..■y.一. 亜転∃廷. 1I∼. 鶴 封.. 国 --一.--●----I. のー.■L(3く£ト⊂⊃LJつN▼一一▼-■L_fつLL30○▼..一CO. ≡●●一●--. 国 連星. ▼....一. ・i1:;. td-. ●≡.)......l≡●-n].. -cx)亡.-く.D⊂b,寸く工)LLつ⊂⊃T-.1Cb⊂⊃CY3LL3. ------_-■N喜巴巴喜一.-!亮 ●●=H-. ■ヽIヽ●ヽ■、■ヽJI'.R●ヽ■、一ヽ◆ー■、■、■、. 蛋,.寸一寸eつ⊂⊃⊂⊃e.コ▼-一のーCX)のLL?I..一 -●一-●●●一. 症 蘇 せ. 堤 I..5.. ≡_.≡_q-a:=.毒-. --●●■-●-. ≡;I-..--≡.一.--... 輔. ド(=>一朗亡つ▼...■▼-■ LD1,1p. (コ⊃Uつー(コ⊃▼ー■寸くエ〉l_Qeq亡′つー■▼...■▼...■▼,∼ ●●●●-●. 蘇. 淋. &. ey?TL. ⊂⊃∽. 主∃. 土∃⊂⊃CX>. g要. くコ⊃. lヨ tヨ I....」. ■lll.I-.. ⊂b T<. く⊃. I.I,1. 哩. のLJ5の▼...■ー■一. ●一. 欝 慣. ー-一■■-●_●●■. ●書芸冨表芸表芸=岩書芸3芸≠延 F書誌Lng3W畠.ヨ11コ巴∽寸寸 ∃鮮 の -. I.....■. ▼....一. 淋. ま昧. ≡≡--'''壬一--≧ー一-ー. T..-1Nく:亡)寸く`⊃t_r⊃LL3ーく⊃N⊂⊃く)〇寸0〇. 昌TlllLL3害3:詔等誤芸宗等己蒜ヨ㌫. e′°.寸Td.1O?l_Q'■■l_fつ一群くエ)一寸CY3寸くエ〉. a..,.. ・!J... -=--::..-=-.'=. ⊂⊃⊂>▼..一eQ†一ーCNl_QNNく=コのCY3く⊃. .-.賀 冒≡_-毒;=ー--ー粟lE;;≡一●王●E.--.-≡皇●一 ●、■.■ヽ■ヽ●ヽ■ヽ●、■、■.■、●.●,●、■、. 碑「. 柿,. 盟 -.-e:室賀≡_I.葺≡ ≡●一. 淋. 寸q>寸▼...■-T-'1. l.∫つぐ勺l=>寸T-..,lLL3く.⊂)一=⊃のCY?NET?eY? ぐ勺くコ〇一.rつCN▼...■▼..■T-.■. Eヨ. 亡′つ. (柵でC). 管. 寸.守一亡.-ーNO?寸tーq⊃T--1くpNLL3ー. 管. ーくコ⊃⊂⊃l_fつ寸LD別のLD.寸▼...■ーCb⊂⊃. 羊=ミ. -y--1NNTl寸刑<TleqN一. ・R. 潜 #. 岸 =当. ⊂>▼-1. く=⊃刑 I..一. 華甲 唱. 哨9株. ー1. 鶴 1計. 響 唱. -●●●一●. く⊃サー⊂⊃ー■e勺ー⊂⊃⊂Dl-r⊃CY3CY? ⊂⊃くエ〉.eqT,-,,lN-I-一. 連星 ∃延. * 輩 態東. E;. 己一I'.I.-一-q.'≡く.DN▼-1q⊃⊂bく=⊃ーLLD⊂DT,.,1⊂⊃「ナのL_{>. =当. -■●一●一コ■一●●-一. くb. 害悪LJDolL:>LL5ヨヨーヨ巴寸L[>寸. I....■. ∃延 ま昧. ▼....1. LL3のく=⊃く⊃⊂⊃T,1く.⊂)CNe勺のL_⊂I⊂⊃く⊃寸. --...芸…-.喜 ●、■ヽ■ヽ■ヽ●ヽ.■、■ー■、●、●、ー●、●、●、. L[.rlII. ー ●完● 一-一望.●-l-.).-.).■、●ヽ■ヽ-●ヽ●、k■、ーヽ■.I.●、■、■、. 軒 桝くヨ宗講ヨ芦窮岩篭T<t∼E:岳g3式暴 LL3くj⊃亡つeYつ.寸eY?I.一ー.ーのN亡つぐ勺 くX⊃一∫⊃eY?I...■-. ⊂⊃qD ⊂⊃の く=⊃▼■■■一 -⊂⊃ーLDNーLL?LDuつG>O5Lj?-也 I....一 l書芸o3㌫ヨSSよo'oiLLi.-1lcy3LL' ▼■.■. ≡-_萱勇…望-≡-----. 牡. eh'-一【≡-_el---ES莞.-..∋…. 桝く-.-_---≡E.完【-一撃. --. ■寸. =当 同 l∃ t≡t T.-1. ・ILltl-. 唱 ;描. ⊂⊃く1⊃. (=⊃⊂D O▼■■■ -⊂⊃ーq⊃く♪寸g>LJ?.OT-1e勺LL?y∼の. l■善吉u'岩W宍ヨ.<ヨ巴cy''LL5'寸 ▼...1. ま政. _ 賀--さ一-ー -'e'. I..i,.. 室--_-;-'-)---≡-----.I.;.. =.-.....-= 昨「 匂粥く」Dくエ)亡D寸O5寸L.fつO?a?e勺e勺亡つeY? ●●【. Ei]. ま政一糾糾盤盛盛胡胡1餌弓糾琳弓糾弓糾琳. ま映1糾桝盛盛塵朝潮細喝1糾1糾弓糾桝弓糾. 等1等dd『(i)搬囲岩躍Q搭載避』(堵召. lヨ 唱 亡ー I,s,J. 夜. -=>⊂⊃ 一=∋(=⊃ く=⊃N I.....■. I...■▼.-1▼-■▼■■Ny...■▼一▼,,1▼...■. 堰 辞. 堤 ・≡E.●'..表芸F.1-)--''望'-'衣 一!1:h-..----崇;.萱'g-' 額《 也E3. cN別の■_⊂)CY?C、.一CY?のくエ>▼...■亡勺LL5ーLL'>. 芸.-≡野. ⊂⊃⊂⊃. 岸 =当. くj⊃LL?.寸eq寸t.-l_QN寸⊂⊃eYつ⊂⊃CY3⊂⊃. 端蓋蓋≡諾 雄≡蓋≡諾 一女起聖ミ封#!輩媒. I.Jヨ.L.

(20) 泉谷周三郎・妾泰権. 74. 価の影響を受けやすい老人,心身障害者,母子世帯,生活保護世帯等に対する社会保障 その他福祉政策を拡充するものとした。`5'こうして,. 1974年度社会保障関係費の対前年 度増加率は,社会保障関係費史上最高の36.7%を示した。この結果,社会保障関係費は, 地方財政関係費用についで第二の予算項目となった。(6' 1975年度予算も前年度と同じ考え方で編成された。先ず, 1974年7月の1975年度概算 要求に関して太平大蔵大臣は,第一に「引き続き総需要抑制策を堅持」し,公共事業等 投資的経費については,極力要求規模の圧縮を図ること」`7'とし.,第二に「(昭和). 50年 度概算要求の上限については,これを従来どおり前年度予算額の25%増といたしたい」'8' と発言した。社会保障に関して「(昭和). 50年度においても,国民福祉の向上に直結す. る施策に関わる予算で前年度予算額の25%増という上限により難しいことについてはこ の限度を越えて要求することもやむをえないものとしているが,この趣旨は,社会保障 関係の経費のように前年度予算において国民福祉向上のための施策がとられたこととの 関係等から, 50年度において, 25%増の上限を越えぎるをえないものもありうると考え られるからであって,きわめて例外的な措置であることをご認識いただきたい」(9'と述 べたのである。. こうして社会保障優先・公共事業抑制という予算編成の基本方針は1973年度から1975 年産まで「聖域視」され続けていた。 1975年度予算において社会保障関係費は,はじめて地方財政関係費よりも四分の-多 第7表 秩. 租 実.額. 中央一般会計歳入決算(主要科目別) 公債および借入金. 対前年 構成比 度増加 率. その.他. (百万円%) 合p計 対前年. 実額. 構成比 実額. 構成比. 実額. 度増加. 率. 1973年度. 12,975,831. 77.4. 37.4. 1,766,200. 10.5. 2,019,947. 12.1. 16,761,978. 31.0. 1974. 14,609,406. 71.7. 12.6. 2,159,983. 10.6. 3,609,734. 17.7. 20,379,123. 21.6. 1975. 13,272,984. 61.8. △9.1. 5,280,516. 24.6. 2,919,916. 13.6. 21,473,416. 5.4. 1976. 15,122,396. 60.3. 13.9. 7,198,168. 2臥7. 2,755,453. ll.0. 25,076,017. 16.8. 1977. 16,644,916. 56.6. 10.1. 9,561,250. 32.8. 3,227,457. 10.6. 29,433,623. 17.4. 1978. 21,153,241. 60.6■. 27.1. 10,673,980. 30.6. 3,080,044. 8.8. 34,907,.265. 18.6. 1979. 22,884,803. 57.5. 8.2. 13,471,999. 33.9. 3,422,426. 8.6. 39,779,228. 14.0. 1980. 26,027,783. 59.1. 32.2. 3,-742,683. 8.7. 44,040,667. 10.7. 1981. 27,779,184. 58.6. _13.7 6.7. 14,170,201. 1982. 29,248,436. 60.9. 5.3. 12,899,886p. 27.2. 6,764,268. 14,044,746. 29.3. 4,708,098. 14.2. 47,443,338. 7.7. 9.8. 48,001,280. 1.2. 198?. 31,064,086. 60.1. 6.2. 13,486,340. 26.1. 7,102,479. 13.8. 51,652,905. 7.6. 1984. 33,573,815. 64.3.. 8.1. 12,781,320. 24.5. 5,828,250. ll.2. 52,183,385. 1985. 36,786,222. 68.1. 9.5. 12,307,998. 22.7. 4,898,342. 9.0. 53,992,562. ■1.0 3.4. 荏)その他は,印紙収入,官業および官有財産収入,その他の歳入,前年度剰余受入の合計。 出典) 1984年度までは武田隆夫・林建久・今井勝人編『日本財政要覧』 〔第3版〕東京大学出 版会, 1987年, 70頁より作成, 1985年度は『財政統計』 (1987年度)大蔵省, 1987年に よる, 『転換期の福祉国家(下)』 P50.

(21) 75. 福祉国家論と日本における社会保障制度. い最大項一目となった。これは, 1982年度予算にお.いて地方財政関係費に首位を譲り渡す まで7年間続いた。qO 1975年11月から始まった「石油危機不況」は1975年3月まで続き, 1974年度には租税収入の伸び率が低迷し,. 1975年度には,ついにマL4ナス9.1%の伸び (第7 率となってしまった。財政の硬直化が「永遠の課題」として再燃したのである。 表参照) 物価安定を最終目標とした「総需要抑制」策は,反面において景気の後退を招いてい たのであった。そこで1976年度予算では,財政政策の転換が問題になった。税収不足に 対応するために総合予算主義が採用された。社会保障予算は「社会保険料および受益者 負担の適正化を図るなど,既存の各種制度の合理化に務める」と社会保障予算の「聖域 視」に変化の兆しが見え始めた。. 1976年度予算は「景気優先・福祉圧縮」型予算となっ. た.尽力社会保障についても積極的に審議を行い発言してきた財政制度審議会は,. 1975年. 12月の昭和51年度予算編成に関する建議」の中で,次のように社会保障のあり方につい て提言している。それは,前年までの考え方と全く異なったものとなっている。 「社会保障については,真に必要とされる分野,階層等の適正な給付を確保するとい う原則を堅持することば言うまでもないが,他方,社会保障制度全体としての整合性, あるいは国・地方団体等の役割分担といった観点から各種制度の見直しを行い,社会保 険料および受益者負担の適正化により公正な費用負担の確保に努めるとともに,財政負 担の合理化を図るべきである」q勿 社会保障関係費は,対前年比,. 22.4%増,一般会計予算総額に占めるウェイトは19.8. %にまで上昇した.社会保障関係費は一般会計予算増加額の29%を占め,この比率はこ の期間では最大である。増加率が最も高かったということは, 端を示し,例えば失業対策費でいえば46%増となっている。. 1976年度予算の性格の一 (第6表参照) 1975年は完. 全失業者100万人を数え,完全失業率1.9%を記録した。そこで,. 1976年度予算の重要課. 題に雇用の安定が,景気の回復と並んだのであるoq9 1978年度予算の予算編成方針は,基本的にほ変わらなかった。この年度で1972年度以 来7年間続いてきた一般会計当初予算の伸びをこえる社会保障関係費の増大は終わりと なった。. 1979年度予算は「税収増に期待できず,公債増発も市場から制約を受けるよう. となる になったため,経常的な歳出の抑制合理化と税負担の引き上げが大きな課題」任申 中で編成された。増大してきた社会保障関係費用中の公費負担は,第8表に見るように,. 最大で37.6%を,これとは逆に逓減してきた保険料は最低の52.3%を示した。以降はと もに逆転する。. 1976年度予算J2#降1979年度予算までの四カ年の編成方針は,基本的に同じで,社会保 障優先という姿勢は,景気の着実な回復と財政の健全化の促進という二大課題の前に順 次過去のものとなっていた.一般会計予算の増加額に占める社会保障関係費の割合は, 20%前後に逓減し,相変わらず国民健康保険を中心とした老人医療費を加えた医療保険 などのウエイトが引き続き高かった。 (第6表参照) 以上,. 1970年代を中心に社会保障の展開を予算面で調べてみたが,. までの展開は,. 1973年から1979年. 1975年「福祉見直し論」の出現により一波乱を見せるかにみえたが,結.

(22) 76. 泉谷周三郎・妻泰権. 第8表社会保障関係総費用の推移(決算) 公_杏.負.担. 構成比. 実額 国庫 地方 小計 負担 負担. 運用. L保険料 莱.額. 構成 比. その. ・-収入.. 構成. (単位:百万円, ・実収入. %). 実支出. 嘩構. 比■、 ■成比 実額. 実額. 年度 1960. 209,479. 28.3. 22.7. 5.6. 479,072. 64.8. 6..3. 0.6. 739,805. 1961. 291,725. 30.3. 24.7. 5.6. 603,569. 62.6. 6.6. 0.5. 963,673. 704,297. 1962. 359,759. 30.6. 24.9. 5.7. 729,852. 62.0. 6.8. 0.5. 1,177,103. 871,550. 553,3.15. 1963. 457,293. 31.8. 25.8. 6.0. 876,884. 61.0. 6.8. 0.4. 1,438,458. 1,078,099. 1964. 577,394. 33.3. 24.6. 8.7. 1,030,482. 59▲4. 7.0. 0.3. 1,725,113. 1,349,950 1,625,552. 1965. 722,686. 32.9. 25.0. 7.9. 1,311,950. 59.8. 6.9. 0.3. 2■,194,409. 1966. 833,457. 31.9. 24.3. 7.6. 1,568,246. 60.2. 7.2. 0.6. 2,606,076. 1,891,908. 1967. 962,389. 31.4. 24.4. 7.0. 1,843,545. 60.1. 7.8. 0;6. 3,066,064. 2,175,179. ・3,623,357 4,287,496. 2,920,112. 1968. 1,128,042. 31.2. 24.1. 7.1. 2,169,029. 59.8. 8.3. 0.7. 1969. 1,299,711. 30.3. 23.2. 7.1. 2,579,907. 60.2. 8.8. 0.7. 1970. 1,584,380. 30.0. 22.7. 7.3. 3,183,889. 60.3. 9.0. 0.7. 5,278,179. 3,635,686. 1971. 1,842,877. 29.6. 22.3. 7.3. 3,752,689. 60.3. 9.4. 0.7. 6,224,614. 4,154,525. 2,534,774. 1972. 2,332,501. 31.2. 23.4. 7.8. 4,353,789. 58.2. 9.4. 1.2. 7,477,890. 5,176,119. 1973. 3,225,250. 33.6. 24.8. 8.8. 5,417,677. 56.4. 9.0. 1.0. 9,601,101. 6,592,872. 13,130,222. 1974. 4,382,703. 33.4. 25.7. 7.7. 7,489,195. 57.0. 8.6. 1.0. 1975. 5,765,560. 35.4. 27.3. 8.1. 8,961,202. 55.0. 8.5. 1.1. 1976. 6,748,345. 35.1. 27.4. 7.7. 10,546,837. 55.0. 8.7. 1.2. 19,185,944. 14,993,590. 1977. 8,146,180. 35.7. 8.1. 12,423,229. 54.5. 8.6. 1.2. 22,790,800. 17,510,107. 8.8. 13,952,948. 52.8. 8.7. 1.1. 26,413,841. 21,125,211. 8.7. 15,306,0鵬. 52.3. 9.0. 1.1. 29,267,859. 23,297,020. 16,285,110. 9,461,596 12,270,119. 1978. 9,875,171. 37.4. ・27.6 28.6. 1979. ll,.009,262. 37.6. 28.9. 1980. 12,033,834. 36.6. 28.1. 8.5. 17,344,883. 52.7. 9.6. 26,288,286. 12,953,719. 35.3. 27.2. 8.1. 19,630,385. 53.5. 10.2. ・1.1 1.0. 32,885,767. 1981. 36,.710,576. 29,.189,677. 1982. 13,474,843. 34.3. 26.9. 7.4. 20,945,480. 53.4. 10.9. 1.5. 39,259,567. 31,532,018. 注)公務負担-国庫負担+地方負担 試料)総理府社会保障制度審議会事務局編『社会保障統計年報』各年版。 出典) 『福祉国家5』 P43. 果としては「福祉元年」の基調を守り続けた。高度経済成長によりもたらされた所得格 差などの社会的不公平をEg庫負担の増大により是正することが,社会保障にも求められ, 社会保障はそれに応えるよう展開されたのである。この時期の国家財政は,まだ国庫負 担依存型の社会保障の展開を可能にし,それを支えた。晒 しかし,国庫負担の増大による社会保障の拡充は,負担と給付のアンバランスを生み 出した。政府の社会保障に関する基本姿勢は,. 1980年度予算編成に激変した。財政収支 悪化をまねいた原因としては,石油危機後の積極的財政運営とともに社会保障を一つの 原因として指摘されたのである。 日本の社会福祉政策において, 1961年の「国民皆保険・皆年金」が「高度経済成長型 社会保障」の出発点とみなすならば, 「福祉元年」 (1973年)は制度の内容面での充実, 社会全体への定着を図るための新しい出発だったといえる。それ以降国家の政策が経済 成長量視型から福祉重視型へと大きく転換し,社会的不公平などを国庫負担を増やして 是正するよう社会保障政策の拡充へ踏みだしていった。しかし,. 1973年の「第一次石油.

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