Kobe Shoin Women’s University Repository
Title 逍遥における日記と書簡
Diaries and Letters Written by TSUBOUCHI Shoyo
Author(s) 青木 稔弥(AOKI Toshihiro)
Citation 文林(BUNRIN),No.29:41-57
Issue Date 1995
Resource Type Bulletin Paper / 紀要論文
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迫
遙
に
お
け
る
日
記
と
書
簡
青
木
稔
弥
迫 遙 にお け る 日記 と書 簡 一 個 の 人 間 の 伝 記 を 研 究 す る 上 で 、 最 も 基 礎 的 な 資 料 は 、 当 人 の 日 記 と 書 簡 だ ろ う 。 自 伝 や 、 本 人 、 も し く は 周 辺 マ の 人 々 の 回 想 的 文 章 も 頼 り に は な る が 、 後 年 の 価 値 基 準 が 入 り こ ん だ も の に な り が ち で 、 よ り 多 く フ ィ ル タ ー が か か っ た も の と い え る か ら で あ る 。 も と よ り 、 日 記 ・ 書 簡 と て 、 一 律 に 扱 う こ と が で き る 単 純 な も の ば か り で は な い 。 公 表 す る こ と を 前 提 に し た も の 、 極 あ て 私 的 な も の 、 そ の 中 間 に 位 置 す る も の な ど 、 種 々 多 様 な も の が あ り 、 伝 記 研 究 に 貢 献 す る 度 合 は 区 々 と 言 わ ね ば な る ま い 。 そ こ で 、 本 稿 で は 、 迫 遙 研 究 の 一 貫 と し て 、 彼 の 日 記 と 書 簡 に つ い て 、 整 理 と 、 そ の 問 題 点 の 指 摘 を 行 う こ と に し た い 。 ま ず 、 一 遣 遙 の 日 記 日 記 に つ い て だ が 、 ﹃ 坪 内 迫 遙 事 典 ﹄ (平 凡 社 86 ・ 5 ・ 22 ) の 山 本 二 郎 氏 執 筆 ﹁ 日 記 ﹂ の 項 に 、 以 下 の よ う に 一41一文林 二十 九号 あ る 。 迫 遙 に は 明 治 二 〇 年 ( 一 〇◎ o。 刈 ) 二 九 歳 の 時 か ら 昭 和 一 〇 年 ( お ω ㎝ ) 七 七 歳 で 没 す る ま で の 、 年 別 の 日 記 五 六 冊 と 日 記 抄 録 ﹁ 幾 む か し ﹂ ] 冊 と が 遺 さ れ 、 演 劇 博 物 館 に 所 蔵 さ れ て い る 。 (中 略 ) 活 字 化 さ れ た も の は 、 明 治 二 〇 年 八 月 の 関 西 旅 行 の 抄 録 が ﹃ 中 央 公 論 ﹄ ( 昭 30 ・ 9 ) に ﹁ 浪 花 芸 者 ﹂ と 題 し て 掲 載 さ れ て い る 。 そ れ 以 後 の 日 記 が 加 藤 長 治 筆 写 ・ 大 村 弘 毅 校 注 に よ り 、 ﹃ 坪 内 適 遙 細 襯 ﹂ に 逐 次 発 表 さ れ て お り 、 一 、 二 に 明 治 二 一 年 の ﹁ 再 遊 京 浪 マ マ 花 ﹂ 、 三 に 二 一二 年 の ﹁ 尤 も 不 得 意 の 時 代 ﹂ 、 四 に 三 一 ∼ 三 四 年 の ﹁東 北 巡 講 ・ 観 劇 ・ 越 後 行 ﹂ 、 五 に ﹁ 幾 む か し ﹂ 、 七 ∼ 九 に ﹁ 三 十 六 年 の 巻 ﹂ 、 一 〇 に コ ニ 十 七 年 の 巻 ﹂ が 収 め ら れ て い る 。 こ こ で 述 べ ら れ て い る の は 、 狭 い 意 味 で の ﹁ 日 記 ﹂ に つ い て で あ り 、 ﹁ 旅 日 記 ﹂ 、 即 ち 、 紀 行 文 の 類 の 大 半 は 省 略 さ れ て し ま っ て い る 。 ま た 、 十 年 近 く 前 の 段 階 の 記 述 で も あ る 。 稿 者 な り に 、 補 っ て 、 整 理 し て お く 必 要 が あ る と い う こ と で あ る 。 活 字 化 の 状 況 を 一 覧 で き る 形 で 示 し て お く こ と に す る 。 対 象 年 月 日 、 題 名 、 掲 載 文 献 の 順 で あ る 。 一42一 ① 明 5 . 2 . 11 ∼ 22 ・ 9 ・ 14 幾 む か し 1 迫 遙 自 選 日 記 抄 録 1 ﹃ 坪 内 迫 遙 飼 襯 ﹄ 第 五 集 (新 樹 社 74 ・ 5 ・ 20 ) ② 明 19 ・ 12 ・ 25 ∼ 20 ・ 1 ・ 1 旅 ご ろ も ﹁ 読 売 新 聞 ﹂ 第 三 六 = ∼ 三 六 一 九 号 (明 20 ・ 1 ・ 27 ∼ 2 ・ 5 ) ③ 明 20 . 8 . 2 ∼ 20 ・ 8 ・ 29 坪 内 迫 遙 ・ 若 き 日 の 日 記 -明 治 二 十 年 八 月 大 阪 名 古 屋 紀 行 ﹃ 演 劇 博 物 館 資 料 も の が た り ﹄ (早 稲 田 大 学 出 版 部 88 ・ 10 ・ 27 )
遙 に お け る 日記 と書 簡 ④ 明 20 ・ 8 ・ 3 ∼ 20 ・ 8 ・ 11 ⑤ 明 20 ・ 8 ・ 11 ( 抄 ) ⑥ 明 21 ・ 7 ・ 8 ⑦ 明 21 ・ 7 ・ 22 ∼ 21 ・ 8 ・ 19 ⑧ 明 21 ・ 8 ・ 19 ∼ 21 ・ 11 ・ 7 ⑨ 明 23 ・ 1 ・ 1 ∼ 23 ・ 5 ・ 9 ⑩ 明 23 ・ 1 ・ 11 ( 抄 ) ⑪ 明 25 ・ 6 ・ 15 ∼ 25 ・ 7 ・ 11 3 ・ 1 ) ⑫ 明 26 ・ 7 ・ 20 ∼ 26 ・ 7 ・ 21 ⑬ 明 31 ・ 5 ・ 29 ∼ 31 ・ 8 ・ 6 ⑭ 明 32 ・ 8 ・ 1 ∼ 32 ・ 8 ・ 12 ⑮ 明 32 ・ 9 ・ 3 ∼ 32 ・ 9 ・ 9 、 ⑯ 明 36 ・ 1 ・ 1 ∼ 36 ・ 7 ・ 30 ⑰ 明 36 ・ 8 ・ 1 ∼ 36 ・ 8 ・ 10 ⑱ 明 36 ・ 12 ・ 24 ∼ 37 ・ 1 ・ 2 昧 発 蔽 浪 花 芸 者 ﹁ 中 央 公 論 ﹂ 第 七 十 年 第 九 号 ( 55 ・ 9 ・ 1 ) 坪 内 士 行 ﹃ 坪 内 迫 遙 研 究 ﹄ ( 早 稲 田 大 学 出 版 部 53 ・ 9 ・ 15 ) 34 ∼ 37 頁 鹿 鳴 館 演 芸 矯 風 会 適 遙 ﹁ 回 憶 漫 談 其 二 ﹂ (﹁ 早 稲 田 文 学 ﹂ 脚 大 15 . 1 . 1 ) 再 遊 京 浪 花 ﹃ 坪 内 迫 遙 餌 襯 ﹄ 第 一 集 ( 69 ・ 9 ・ 30 ) 大 造 の 事 ﹃ 坪 内 迫 遙 鯉 ﹄ 第 二 集 ( 71 ・ 3 ・ 20 ) 明 治 廿 三 年 尤 も 不 得 意 の 時 代 ﹃ 坪 内 迫 遙 細 糊 ﹂ 第 三 集 ( 71 ・ 12 ・ 25 ) 明 治 廿 三 年 の 文 士 会 双 柿 曳 ﹁ 柿 の 箒 ﹂ ⇔ ( ﹁演 劇 博 物 館 ﹂ 第 四 号 昭 4 . 9 . 26 ) 磯 部 の 旅 寝 ・ 口 光 ・ 塩 原 坪 内 迫 遙 ﹁ 柿 の 落 葉 ﹂ 田 ( 雲 術 殿 ﹂ 第 六 巻 第 三 号 昭 11 . 帰 省 旅 行 同 右 東 北 巡 講 計 一 年 観 劇 ﹃ 坪 内 迫 蓬 鯉 ﹄ 第 四 集 ( 73 ・ 7 ・ 30 ) 明 治 計 二 年 越 後 行 同 右 33 ・ 3 ・ 11 、 34 ・ 4 ・ 3 、 34 ・ 6 明 治 三 十 二 年 同 右 ( 明 治 三 十 六 年 の 巻 ) ﹃ 坪 内 迫 遙 顯 ﹄ 第 七 ∼ 八 集 ( 77 ・ 3 ・ 25 ∼ 79 ・ 3 ・ 25 ) 三 十 六 年 松 島 行 ﹃ 坪 内 迫 遙 鯉 ﹂ 第 九 集 (80 ・ 3 ・ 25 ) 計 六 年 大 磯 同 右 一43一
文林 二十九号 ⑲ 明 37 ・ 1 ・ 1 ∼ 37 ・ 9 ・ 28 、 38 ・ 1 ・ 11 ∼ 38 ・ 1 ・ 18 明 治 三 十 七 年 三 十 八 年 ﹃ 坪 内 迫 遙 蜥 襯 ﹄ 第 十 、 十 三 集 ( 81 ・ 11 ・ 20 、 89 ・ 9 ・ 15 ) ⑳ 明 40 ・ 10 ・ 24 ∼ 40 ・ 11 ・ 2 四 十 年 十 月 ﹃ 坪 内 迫 遙 細 襯 ﹄ 第 十 三 集 ( 89 ・ 9 ・ 15 ) ⑳ 明 41 ・ 7 ・ 26 ∼ 41 ・ 8 ・ 2 温 泉 小 遊 -伊 香 保 -坪 内 迫 遙 ﹁ 柿 の 落 葉 ﹂ ⇔ ( ﹁芸 術 殿 ﹂ 第 五 巻 第 + 二 号 昭 10 ・ 12 ・ 1 ) ⑫ 明 42 ・ 5 ・ 14 ∼ 42 ・ 12 ・ 30 長 谷 川 遺 言 状 明 治 四 十 二 年 ﹃ 坪 内 迫 遙 醐 糊 ﹄ 第 十 四 集 (92 ・ 4 ・ 25 ) ⑳ 大 5 ・ 5 ・ 13 ∼ 5 ・ 6 ・ 18 温 泉 小 遊 -箱 根 盧 の 湯 坪 内 迫 遙 ﹁ 柿 の 落 葉 ﹂ 四 ( ﹁ 芸 術 殿 ﹂ 第 六 巻 第 一 号 昭 11 ・ 1 ・ 1 ) ⑳ 昭 9 ・ 1 ・ 1 ∼ 9 ・ 1 ・ 2 下 田 蓮 台 寺 ・ 湯 ケ 島 坪 内 迫 遙 ﹁ 柿 の 落 葉 ﹂ ㈲ ( ﹁ 芸 術 殿 ﹂ 第 六 巻 第 三 号 昭 11 ・ 3 ・ 1 ) 以 上 が 、 比 較 的 ま と ま っ た 形 で 活 字 翻 刻 さ れ た ﹁ 日 記 ﹂ の す べ て で あ る 。 も ち ろ ん 、 例 え ば 、 大 村 弘 毅 ﹁ 敗 軍 の 将 兵 を 語 ら ず ー 坪 内 迫 遙 と 長 谷 川 時 雨 ー ﹂ ( ﹃ 坪 内 迫 遙 餌 襯 ﹄ 第 十 集 ) が 大 正 二 年 五 月 二 十 五 日 、 六 月 十 三 日 の 条 を 抄 出 し て い る よ う な 類 の こ と は 他 に も 多 々 存 す る し 、 半 世 紀 以 上 前 の 評 伝 、 河 竹 繁 俊 ・ 柳 田 泉 ﹃ 坪 内 迫 遙 ﹂ (冨 山 房 39 ・ 5 ・ 28 ) は 、 当 時 は も と よ り 、 現 在 で も 未 翻 刻 で あ る 年 月 日 の ﹁ 日 記 ﹂ を 数 多 く 引 用 し て い る 。 ﹃ 坪 内 迫 遙 酬 襯 ﹄ 等 で の 活 字 翻 刻 の 継 続 と 、 そ の ] 日 も 早 い 大 成 が 心 待 ち に さ れ る と い う と こ ろ な の だ が 、 現 状 で も 、 上 手 に 活 用 す れ ば 、 成 果 44
迫 遙 にお け る 日記 と書 簡 は 十 分 に 期 待 で き る と 思 う 。 ① ∼ ⑳ の う ち 、 ② の み は 以 下 の よ う な 付 言 と と と も に 迫 遙 自 身 の 手 に よ っ て 発 表 さ れ て い る と い う 点 で 、 右 は 去 年 の 暮 よ り 今 年 一 月 の 初 旬 ま で の 旅 日 記 な り 面 白 く も 可 笑 く も 無 け れ ど 日 就 社 に 頼 み て 袋 に 掲 て も ら ふ 全 く 性 質 を 異 に し て い る と い う 見 方 も で き な く は な い が 、 ア ラ く と 書 け ど 力 め て 事 柄 を こ し ら へ ぬ 積 り 事 実 で あ る 代 り に を か し く な い 其 処 は 合 点 し て 貰 は ね ば な ら ぬ と も 述 べ て お り 、 一 応 、 ﹁ 事 実 ﹂ そ の も の に 基 づ い て い る と 考 え ら れ る の で 、 リ ス ト ア ッ プ し て お い た 。 拙 稿 ﹁ 自 伝 の 鼻 祖 た る の 栄 誉 を 求 め よ ー 迫 遙 に お け る ﹁ 自 伝 ﹂ と 小 説 1 ﹂ ( ﹁ 国 語 国 文 ﹂ 第 五 十 五 巻 第 十 二 号 86 ・ 12 ・ 25 ) 参 看 。 さ て 、 ① は 、 迫 遙 自 ら 抄 出 し た も の で 、 ﹁ 柿 の 箒 ﹂ ㈲ ( ﹁ 演 劇 博 物 館 ﹂ 第 六 号 昭 5 ・ 2 ・ 20 ) で 、 明 治 十 九 年 三 月 十 七 日 、 二 十 一 年 九 月 八 日 、 十 六 年 五 月 か ら 六 月 三 十 日 、 同 十 二 月 十 六 日 の 条 を と 、 次 々 に 引 用 し て い る 例 か ら す る と 、 回 想 の 料 に 公 開 す る 意 図 を 有 し て い た と も 察 せ ら れ る 。 後 年 の 迫 遙 自 身 の 取 捨 選 択 基 準 が あ る は ず な の で 、 取 り 扱 い に 注 意 を 要 す る と い う こ と で あ る 。 ③ 、 ④ 、 ⑤ は 、 翻 刻 者 が 違 う こ と に よ る 若 干 の 異 同 は あ る も の の 、 重 複 し て お り 、 ほ ぼ ③ で 用 は 足 り る と い っ て よ い の に 対 し 、 ⑨ 、 ⑩ は 、 時 代 的 に 重 複 す る に も 拘 ら ず 、 相 補 う 関 係 に あ る 。 ⑨ の 翻 刻 に ﹁ こ の 間 、 ニ ペ ー ジ 裂 き と ら れ て い る ﹂ に 該 当 す る の が ⑩ な の で あ る 。 補 う と い う こ と で い え ば 、 ⑥ は 、 ① で ﹁ 鹿 鳴 館 演 芸 矯 風 会 瞥 見 記 ( 略 ス ) ﹂ と さ れ た 、 そ の 、 ま さ に ﹁ 略 ﹂ さ れ た 部 分 で あ っ た 。 ⑦ は 、 序 文 が あ り 、 公 表 す る こ と も 一 度 は 考 え て い た ら し い 。 拙 稿 ﹁ ﹃ 新 小 説 ﹂ 以 前 ﹂ ( ﹁国 語 国 文 ﹂ 第 五 十 八 巻 第 二 号 一45一 山
文林 二十九号 89 ・ 2 ・ 25 ) 参 看 。 ⑧ と ⑪ ∼ ⑭ に つ い て は 、 特 に 、 解 説 の 必 要 は な い で あ ろ う が 、 ⑮ の 翻 刻 に は 疑 義 が あ る 。 冒 頭 部 分 を 引 用 す る 。 明 治 三 十 三 年 九 月 三 日 ハ マ マ 五 日 間 ふ り つ ゴ き た る 婬 森 の や う や く 晴 れ 来 る を ま ち か ね て 、 久 し き 前 よ り 催 し て 、 お と 、 ひ 己 に 立 つ ば か り な り し を け ふ ま で 延 し 、 鵠 沼 行 い よ く と 心 じ ら ひ す る う ち ふ と 思 ひ つ き て 大 造 を 前 田 秀 持 氏 が り 走 ら せ て い つ ぞ や 聞 き お き し 大 磯 の 宿 八 木 精 と い ふ 家 の 模 様 き か せ 其 の 返 事 を ま ち て 出 立 す 時 に 午 前 十 一 時 ○ 時 三 十 分 の 汽 車 に て 新 橋 を 発 し 二 時 五 十 分 ご ろ 大 磯 に 着 く 歩 し て 八 木 の 別 荘 に 到 る 、 こ の 翻 刻 は 、 加 藤 長 治 筆 写 ・ 大 村 弘 毅 校 注 に よ る も の だ が 、 そ の ﹁ 付 記 ﹂ に は 以 下 の よ う に あ る 。 表 紙 に は ﹁ 明 治 三 十 二 年 ﹂ と 朱 書 さ れ て い る が 、 三 十 三 年 お よ び 三 十 四 年 の 記 事 も 含 ま れ て い る 。 大 半 は 三 十 二 年 の 記 事 で 、 三 十 三 年 、 三 十 四 年 の 記 事 も 一 部 含 ま れ る と い う こ と ら し い の で 、 一 行 目 ﹁ 明 治 三 十 三 年 ﹂ は ﹁ 明 治 三 十 二 年 ﹂ の 単 純 な 誤 植 だ と 判 断 で き そ う な の だ が 、 ﹃ 坪 内 迫 遙 事 典 ﹄ の ﹁ 年 譜 ﹂ 明 治 33 年 ( お 8 ) 42 歳 の 項 に 九 月 三 日 夫 人 、 士 行 と と も に 大 磯 旅 行 。 一 〇 日 帰 京 。 ( 日 記 ) と あ り 、 こ の ⑮ の 九 月 九 日 の 条 に ﹁ 翌 朝 六 時 に た つ 準 備 を し ﹂ と あ る こ と と 符 合 し て い る こ と は 看 過 で き な い 。 元 の 日 記 帳 を 実 地 に 見 分 し な い う ち は 、 軽 率 な 判 断 は 差 し 控 え る べ き だ と い う こ と に な る か ら で あ る 。 一46一
遙 にお ける日記 と書簡 だ が 、 内 容 か ら 三 十 二 年 か 三 十 三 年 か は 判 明 す る の で あ る 。 ﹁ 五 日 間 ふ り つ ゴ き た る 婬 森 ﹂ に 注 目 す る こ と に し た い 。 官 報 の ﹁ 観 象 ﹂ 欄 ﹁ 全 国 気 象 ﹂ よ り 抜 粋 し て 、 当 時 の 東 京 地 方 の 天 気 を 以 下 に 示 す 。 ﹁ 前 日 午 後 十 時 ﹂ ﹁ 本 日 午 前 六 時 ﹂ ﹁ 本 日 午 後 二 時 ﹂ 、 掲 載 官 報 の 号 数 、 発 行 月 日 の 順 で あ る 。 ま ず 、 明 治 三 十 三 年 の 分 、 八 月 二 十 九 日 八 月 三 十 日 八 月 三 十 一 日 九 月 一 日 九 月 二 日 九 月 三 日 快 快 快 快 快 快 晴 晴 晴 晴 晴 晴 晴 曇 快晴 晴 晴 曇 晴 快晴 快晴 曇 晴 曇 (第 五 一 五 三 号 (第 五 一 五 五 号 (第 五 一 五 六 号 (第 五 一 五 八 号 (第 五 一 五 九 号 ( 同 九 月 四 日 ) 九 月 六 日 ) 九 月 七 日 ) 九 月 十 日 ) 九 月 十 一 日 ) 右 ) こ の 間 、 ﹁ 粍 ヲ 以 テ ニ 十 四 時 間 ノ 量 ヲ 示 ス ﹂ ﹁ 雨 量 ﹂ は 皆 無 で あ る 。 次 に 、 天 気 の 後 に 雨 量 を 付 し て の 三 十 二 年 の 分 、 八 月 二 十 九 日 八 月 三 十 日 八 月 三 十 一 日 九 月 一 日 九 月 二 日 九 月 三 日 雨 曇 雨 雨 雨 快 晴 曇 雨 雨 曇 雨 曇 晴 雨 晴 雨 曇 雨 ⊥ ノ、 一 ⊥ ノ、 六 九 二 ( 第 四 八 五 三 号 ( 第 四 八 五 五 号 ( 第 四 八 五 六 号 ( 第 四 八 五 七 号 ( 第 四 八 五 八 号 ( 同 九 月 二 日 ) 九 月 五 日 ) 九 月 六 日 ) 九 月 七 日 ) 九 月 八 日 ) 右 ) 一47一
文林 二十九号 明 治 三 十 三 年 が 晴 天 続 き と い っ て よ い の に 対 し 、 三 十 二 年 は 連 日 雨 で 、 九 月 三 日 に 到 り 、 漸 く 、 回 復 し 始 め た の で あ る 。 つ ま り 、 ﹁ 婬 森 ﹂ で あ っ た の は 明 治 三 十 二 年 で 、 そ れ は 、 明 治 33 年 の 項 に ﹁ 大 磯 旅 行 ﹂ と し た ﹃ 坪 内 迫 遙 事 典 ﹄ の ﹁ 年 譜 ﹂ が 明 治 32 年 ( 一 ゜。 ⑩ Φ ) 41 歳 の 項 で 以 下 の よ う に 記 し て い る こ と と 一 致 す る こ と で も あ っ た 。 九 月 夫 人 ・ 士 行 と 共 に 大 磯 ・ 国 府 津 に 遊 ぶ 。 ( 自 年 ) な お 、 ﹁ ○ 時 三 十 分 の 汽 車 に て 新 橋 を 発 し 二 時 五 十 分 ご ろ 大 磯 に 着 く ﹂ に つ い て は 、 よ り 正 確 に は 、 二 時 四 十 三 分 大 磯 発 と い う 列 車 ダ イ ヤ な の だ が 、 三 十 二 、 三 年 の 両 者 間 で の 異 同 は な い 。 残 る ⑯ ∼ ⑭ に つ い て は 特 筆 す べ き も の は な い が 、 た だ 、 ⑳ は 、 ﹃ 坪 内 迫 遙 事 典 ﹄ で は 完 全 に 忘 れ ら れ た 存 在 だ っ た よ う で 、 ﹁ 伊 香 保 ﹂ の 項 に ﹁ 迫 遙 の 伊 香 保 行 の 年 次 な ど は 未 詳 ﹂ と あ り 、 ﹁ 年 譜 ﹂ に も 未 記 載 で あ る 。 ■ 一 遣 遙 の 書 簡 ﹃ 坪 内 迫 遙 事 典 ﹄ の 林 京 平 氏 執 筆 ﹁ 書 簡 ﹂ の 項 に 、 以 下 の よ う に あ る 。 迫 遙 が 関 係 者 に あ て た 手 紙 ・ 葉 書 の 数 は お び た だ し い 数 に 上 る 。 こ れ ま で に 整 理 さ れ 活 字 化 し 、 註 を 加 え て 発 表 さ れ た 機 会 が 四 度 あ る 。 そ の 宛 先 は = 一= 名 、 = 四 〇 通 で あ る 。 第 一 回 目 は 、 迫 遙 没 後 昭 和 一 〇 年 ( 一 ㊤ ω 鋤 ) 九 月 雑 誌 ﹃ 芸 術 殿 ﹂ に ﹁ 迫 遙 先 生 書 翰 集 O ﹂ と し て 発 表 さ れ 、 以 下 順 次 翌 一 一 年 三 月 ま で 七 回 に わ た っ て 同 誌 上 に 連 載 さ れ た も の 。 計 一 〇 二 名 、 二 九 三 通 。 ( 中 略 ) 第 二 回 目 の 発 表 は 、 三 七 年 = 一月 ﹃ 蝉 稲 軸 図 書 館 紀 要 ﹂ 第 四 号 誌 上 に お け る も の 。 ( 中 略 ) 計 九 〇 通 で あ る 。 第 三 回 は 、 四 三 年 一 二 月 中 央 公 論 美 術 出 版 刊 ﹃ 一48一
迫 遙 に お け る 日記 と書 簡 餅 潮 醐 嘱 往 復 書 簡 ﹄ 。 柳 田 泉 ・ 長 島 健 共 編 ( 中 略 ) こ の 中 の 迫 遙 書 簡 は 早 稲 田 大 学 東 洋 美 術 陳 列 室 に 寄 託 さ れ て い る 会 津 蘭 所 蔵 の 三 一 二 通 で 、 年 月 未 詳 の も の 一 九 通 を 含 ん で い る 。 第 四 回 目 は 、 四 四 年 九 月 創 刊 の 迫 遙 協 会 編 ﹃ 坪 内 迫 遙 醐 襯 ﹄ の 第 一 集 か ら 五 九 年 二 月 の 第 = 集 ま で の 各 集 に 紹 介 さ れ た 全 = 二 回 分 、 三 二 名 あ て の 四 四 五 通 。 ま と ま っ た 形 で 見 ら れ る の は 、 = 二 一 名 、 = 四 〇 通 と い う こ と な の だ が 、 迫 遙 が 実 際 に 出 し た 書 簡 と い う こ と に な れ ば 、 現 在 、 稿 者 が 確 認 し て い る 範 囲 で も 、 二 一 〇 名 以 上 、 = 二 〇 〇 通 程 度 に は な る 。 こ れ だ け の 差 が 出 る の は 、 ﹃ 坪 内 迫 遙 事 典 ﹂ 刊 行 後 も 、 迫 遙 協 会 な ど の 手 に よ っ て 迫 遙 書 簡 の 活 字 化 が 進 行 し て い る と い う こ と も あ る が 、 諸 書 に 断 片 的 に 紹 介 さ れ て い る も の を 集 め て み た こ と 、 未 翻 刻 の ま ま 各 地 に 所 蔵 さ れ て い る も の を 、 極 め て 限 定 し た 範 囲 で は あ る も の の 、 把 握 し て い る こ と に よ る 。 そ の 全 体 像 に つ い て は 、 別 の 機 会 に 、 五 十 音 順 あ て 先 別 に 整 理 し た も の を 提 示 し よ う と 考 え て い る が 、 今 は 、 迫 遙 書 簡 に い か な る 性 格 の も の が あ る か を 、 未 翻 刻 、 未 紹 介 の も の 、 も し く は 、 そ れ に 準 じ る も の を 例 と し て 掲 げ な が ら 、 考 察 し た い と 思 う 。 ま ず 、 公 的 な 性 格 が 強 い も の 、 著 作 年 表 に 入 っ て し ま う も の が あ る 。 池 田 碧 丁 ﹃社 会 劇 雪 を 凌 き て ﹂ (実 業 之 日 本 社 大 13 ・ 4 ・ 10 ) に 、 高 田 早 苗 ﹁ 序 ﹂ と 巌 谷 小 波 の ﹁ 題 句 ﹂ 、 作 者 の ﹁ は し が き ﹂ に は さ ま れ て 拝 啓 嘗 て 紅 葉 館 に て 予 て 評 判 ば か り 承 り を り し 吉 住 家 元 直 伝 の 御 修 養 に 感 服 せ し め ら れ し 小 生 は 、 今 度 の 新 作 に よ つ て 第 二 の 感 服 を 経 験 す る の 幸 福 を 有 し 候 。 古 来 一 宗 一 道 の 開 祖 は 内 外 と も に 概 し て 多 能 多 芸 な る 習 ひ に 候 ふ が 、 然 る は 一 は 其 天 分 に も 由 る べ け れ ど 、 一 は 之 に よ つ て 衆 を ひ き ゐ ん の 善 巧 方 便 と も 存 ぜ ら れ 候 。 按 ふ に 貴 下 が 演 一49一
文林 二十九号 劇 全 盛 の 今 日 む か し な ら ば 或 は ロ バ 一 時 の 余 興 用 な ど に も 供 さ る べ き お 隠 し 芸 を 、 御 業 務 拡 張 に 御 利 用 と は 正 に 是 れ ] 言 ] 為 を も 萄 も せ ぬ 開 祖 上 人 式 の 御 経 営 と 先 以 て 其 熱 心 に 敬 意 を 表 し 候 。 も つ と も お 作 を 純 芸 術 的 に 厳 密 に 健 康 診 査 に 及 ぶ と き は 劇 の 本 来 目 的 よ り も 寧 ろ 其 副 作 用 を 主 眼 と 立 て 、 の 御 作 意 な れ ば 、 警 へ ば 簡 易 保 険 の 格 に て 普 通 保 険 並 の 純 芸 術 と し て 見 れ ば そ こ に 額 面 に 若 干 の 控 除 を 敢 て せ ざ る を 得 ざ る べ く 候 へ ど も 、 畢 寛 す れ ば 劇 が 小 生 の 専 門 だ け に 嘗 て 小 三 郎 直 伝 の 妙 声 楽 を 承 つ た 時 ほ ど に は 敬 意 の 全 額 を 支 払 ひ か ね 候 ふ 次 第 と 御 諒 察 成 し 下 さ れ た く 候 。 と は 申 せ ど う し て ー 中 々 黒 ツ ぽ い 御 脚 色 人 物 も 貴 賎 老 少 賢 愚 善 悪 赤 ッ つ ら あ り 。 青 ッ つ ら あ り 。 異 性 的 イ ン テ レ ス ト も 頗 る 豊 か に 粋 な 職 業 婦 人 あ り 、 う ぶ な 令 嬢 あ り 、 黒 白 い ろ く の 取 合 せ お も し ろ く 天 晴 鮮 か な る 御 手 際 と 申 て 決 し て 不 当 に あ ら ず 只 長 丁 場 過 ぎ た の が 疵 に 候 。 今 は 興 業 用 の 劇 す ら も 長 く て 三 幕 短 き は 一 幕 物 が は や り 候 。 若 し 此 五 幕 九 場 を 三 幕 五 六 場 に 御 割 愛 な さ れ 候 は ゴ 御 宣 伝 用 と し て は 成 功 普 通 保 険 附 と 存 じ 候 。 先 は 上 梓 の 御 都 合 も 可 有 之 と 存 じ 取 急 ぎ 当 坐 の 所 感 だ け 申 試 候 草 々 不 具 八 月 二 十 五 日 坪 内 迫 遙 池 田 碧 丁 様 と い う 迫 遙 の ﹁ 書 簡 ﹂ が 掲 載 さ れ て い る 。 ﹁ 五 幕 九 場 を 三 幕 五 六 場 に ﹂ ﹁ 割 愛 ﹂ し て は と の 忠 告 が 実 行 さ れ て い な い こ と 、 高 田 半 峰 の 序 文 が ﹁ 大 正 十 二 年 初 秋 ﹂ の も の で あ る こ と か ら 考 え て 、 大 正 十 二 年 八 月 二 十 五 日 の 書 簡 と い う こ と に な る だ ろ う 。 迫 遙 が 始 め か ら 、 山 崎 紫 紅 ﹃ な 、 つ 桔 梗 ﹄ (如 山 堂 書 店 明 39 ・ 9 ・ 18 ) の 時 の よ う に 、 ﹁ こ れ を 序 文 代 り に 此 の ま 、 御 つ か ひ な さ れ て よ ろ し く 候 ﹂ と の 気 持 で い た か ど う か は 判 然 と し な い が 、 書 簡 が そ の ま ま 序 文 と な っ 一50一
迫 遙 に お け る 日記 と書 簡 て い る 例 は 枚 挙 す る に 暇 は な い ほ ど で 、 ﹁ 拝 啓 ﹂ で 始 ま り 、 先 は 取 急 ぎ 当 座 の 所 見 の み を 申 上 候 。 早 々 不 具 で 結 ば れ る と い う 極 め て 類 似 し た 枠 組 を 持 つ ﹁ 書 翰 ﹂ さ え 存 在 す る 。 副 島 八 十 六 ﹃ 義 太 夫 新 論 ﹄ (東 京 堂 書 店 大 3 . 7 ・ 14 ) 所 収 で 、 ﹁ 義 太 夫 は 改 良 す べ か ら ず ﹂ と 題 さ れ て 、 ﹃ 迫 遙 選 集 ﹄ 第 十 一 巻 (春 陽 堂 昭 2 ・ 2 ・ 18 ) に 収 録 さ れ る も の だ が 、 元 々 は ﹁ 新 日 本 ﹂ 第 壼 巻 第 三 号 ( 明 44 ・ 6 ・ 1 ) の 副 島 八 十 六 ﹁ 義 太 夫 節 の 過 去 現 在 及 び 将 来 ﹂ ( 上 ) 冒 頭 掲 載 の ﹁ 坪 内 博 士 の 書 翰 ﹂ で あ っ た 。 同 じ く 公 表 が 予 期 さ れ る と は い っ て も 、 永 井 荷 風 ﹁ 雨 瀟 瀟 ﹂ ( ﹁新 小 説 ﹂ 第 二 十 六 年 第 三 巻 大 10 . 3 . 1 ) が 一 枚 は 往 復 葉 書 で 貴 下 の す き な 芸 者 と 料 理 屋 〆 切 ま で に 御 返 事 下 さ い 杯 と 例 の 無 礼 千 万 な 雑 誌 編 輯 者 の 文 言 。 と 記 す よ う な ケ ー ス で は 、 事 情 を 異 に す る だ ろ う 。 例 え ば 、 ﹁ 演 芸 倶 楽 部 ﹂ 第 武 巻 第 武 号 ( 大 2 ・ 2 . 1 ) 掲 載 の ﹁ 範 墜 芸 壇 印 象 記 ﹂ と い う ア ン ケ ー ト へ の ﹁ 坪 内 雄 蔵 ﹂ の 回 答 は 、 ﹁ あ り ま せ ん ﹂ と い う 題 で と ま 折 角 の お 尋 ね に 候 へ ど も 何 一 つ 記 憶 に 留 つ た や う な も の が あ り ま せ ん 。 と い う 、 ま こ と に 素 気 な い も の で あ っ た 。 一 応 の 礼 儀 と し て の 返 事 を 出 し た だ け の こ と で 、 こ の 種 の も の が 、 と も す む け れ ば 、 無 内 容 の も の と な る の は 至 極 当 然 の こ と だ ろ う 。 迫 遙 自 身 が 予 期 し な い 形 で 公 表 さ れ た も の も 、 当 然 の こ と な が ら 、 存 在 す る 。 例 え ば 、 伊 原 青 々 園 が ﹁ 差 支 は あ る ま い ﹂ と 判 断 し た ﹁ ﹃ 桐 一 葉 ﹄ の 初 演 時 代 ﹂ ( ﹁ 新 演 芸 ﹂ 第 四 巻 第 十 二 号 大 8 ・ 11 ・ 1 ) が 、 そ れ に 該 当 す る 。 ﹁ 桐 一 葉 ﹂ の 初 日 は た し か 明 治 三 十 七 年 二 月 廿 七 日 で あ つ た と 覚 え て 居 る 。 そ の 二 三 日 前 に 熱 海 か ら 帰 京 さ れ 一51一
文林 二十九号 あ く た 博 士 も 二 日 目 の 晦 日 に 始 め て 見 物 さ れ た 。 舞 台 の 出 来 栄 に つ い て 博 士 は 大 不 満 ら し か つ た が 、 そ の 翌 る 日 も 茶 つ を 屋 の 魚 十 ま で 出 張 し て 、 一 々 役 者 を 呼 ん で は 役 の 上 の 注 意 を 与 へ ら れ た さ う で あ る 。 博 士 は 其 等 の 事 を 私 へ 知 ら す つ も り で 手 紙 を 認 め ら れ た 所 へ 、 丁 度 私 が 訪 問 し た の で 其 の 手 紙 を 手 渡 し さ れ た 。 そ れ に は 今 の 歌 右 衛 門 や 仁 左 衛 門 に 博 士 の 初 対 面 さ れ た 印 象 が 書 い て あ る 。 今 ご ろ 発 表 し た 所 で 差 支 は あ る ま い と 思 ふ か ら 、 其 の 一 部 分 を 次 ぎ に 載 せ る 。 フ ォ ル ス ト イ ム プ レ ノ ア ヨ ン し ん こ ﹁ ⋮ : ・芝 翫 我 当 ら に は じ め て あ ひ た る 初 心 地 別 に 予 想 と 異 な つ た る 事 も な し 、 江 戸 ツ 子 ら し く て 真 個 イ ヤ ケ の な い は 猿 之 助 親 子 、 役 者 と し て は 一 寸 天 才 (尤 も 寺 島 た ち の ) の 影 見 ゆ る は 我 当 、 ロ ハ 無 理 も な け れ ど つ る ぎ お も む き 敵 地 に 只 一 騎 と い ふ 気 味 で 始 終 剣 を 按 じ て 風 声 鶴 嗅 に も 耳 そ ば だ て 目 を 怒 ら す る 趣 あ る は 気 の 毒 也 、 意 地 を 出 し て 兎 角 に ヒ ガ ム 趣 あ る は 一 方 は 彼 れ の 勝 気 を 鼓 舞 し て 芸 を 励 ま す べ け れ ど 一 方 に は そ の 芸 を い か つ く 、 せ せ こ ま し く す る 也 と 存 候 、 此 の 男 に も す こ し ユ ト リ を 与 へ て シ ン ミ リ と 芸 道 の 工 夫 を さ せ て 見 た し と 思 ひ 候 、 見 せ た い く が 先 に な る も 畢 寛 は 物 ほ し さ か ら 起 る こ と か と 存 候 が 賢 断 い か ゴ わ か り り こ う 高 麗 蔵 は さ し む か ひ で も う 少 し 話 し て 見 ね ば 分 か ね 候 、 イ ヤ ミ は な く 怜 倒 さ う に て 話 は 分 り さ う に 候 、 芝 翫 も は た 話 し か た に よ り て は 分 る 男 ら し く 候 、 ツ マ り わ る い が 傍 、 茅 ケ 崎 男 爵 同 様 、 祭 り あ げ て し ま ふ か ら 延 る 芸 で も ひ か た と し 乾 固 ま る 道 理 、 年 齢 か ら い ふ と ま だ 前 途 の あ る べ き 人 に 候 皆 が 思 つ た よ り は 真 地 目 に 聴 い て く れ 候 ゆ ゑ か 少 し は イ ヤ ア ナ 感 じ が 薄 ら ぎ 候 へ ど ロ バ今 の と こ ろ 再 覧 の 勇 気 生 す べ し や 否 や 覚 束 な く 候 一52一
迫 遙 に お け る 日記 と書 簡 迫 遙 青 々 園 君 此 の 手 紙 を 見 て も 博 士 の 満 足 さ れ な か つ た 事 は 分 る が 、 そ れ に も 拘 は ら ず 芝 居 は 大 当 り で あ つ た 。 そ し て 今 の 歌 つ 右 衛 門 と 仁 左 衛 門 と は 此 の ﹁ 桐 一 葉 ﹂ の 御 蔭 で 芸 の 上 に 新 し い 生 命 を 得 る 事 が 出 来 た の で あ る 。 著 作 権 に 対 す る 意 識 が 低 い 時 代 に あ っ て は 、 書 簡 文 範 の 類 に 収 録 さ れ る 際 も 、 迫 遙 自 身 の 意 向 が 尊 重 さ れ る 可 能 性 マ リ こ は 極 め て 低 い 。 宮 崎 晴 美 ﹃ 現 代 文 章 講 話 及 文 範 ﹄ ( 日 本 書 院 大 11 ・ 1 ・ 10 ) 所 収 の ﹁ 旧 作 を 乞 ひ 受 け し 礼 ﹂ 、 拝 啓 。 予 て 罪 ほ ろ ぼ し の た め 旧 悪 全 書 の 残 骸 も 候 は ば 取 納 め た く 、 二 つ に は あ さ ま し き も の 見 た き 親 馬 鹿 の 心 し よ く よ ご も ま じ り て 、 所 々 穴 ぐ り 候 へ ど も 一 本 も 無 之 、 早 稲 田 大 学 の 図 書 館 に す ら 稜 れ 果 て た る 怪 し き も の 唯 一 本 、 ほ と こ う も ほ と 思 ひ 絶 ち 候 折 柄 、 天 漢 君 を 経 て 御 つ か は し 、 御 厚 志 深 く 謝 し 奉 り 候 。 こ れ を 見 候 に つ け て も 、 尚 懲 り ず ま の ど う あ し 新 悪 全 書 お ひ お ひ か さ み 候 こ と 、 因 果 の 泥 足 さ て さ て ぬ き が た き も の と 歎 息 仕 候 。 御 欄 笑 御 欄 笑 。 先 は 御 礼 の み か く の こ と く に さ ふ ら ふ 如 斯 候 。 ま た 、 今 村 郁 郎 ﹃ 知 語 虻 日 常 書 翰 文 の 書 方 ﹄ (弘 文 社 昭 4 ・ 5 ・ 20 ) 所 収 の ﹁ 誌 の 交 換 を 乞 ふ ﹂ 、 拝 啓 仕 候 、 芳 書 を 贈 り 候 ひ し に 俗 事 に 追 は れ 居 候 ま 、 御 返 事 一 日 く と 遷 延 し 失 礼 の 罪 を 重 ね 今 更 に 申 訳 な く お ん し ぢ つ く へ ん 奉 存 候 、 さ て も 思 ひ が け な き 御 謙 譲 の 御 詞 重 々 御 な ぶ り に も や と 叔 然 と い た し 御 返 じ こ と に 困 入 申 候 、 何 卒 爾 後 な に は が た 御 懇 親 に 被 成 下 こ な た へ こ そ 御 高 諭 を 賜 り た く 奉 禧 候 。 浪 花 潟 不 相 替 御 発 行 の 儀 と 存 候 が 、 何 卒 早 稲 田 文 学 と 御 交 換 被 下 、 毎 号 御 送 附 相 願 度 奉 存 候 、 又 大 阪 文 芸 に は 御 関 係 無 之 候 哉 若 し お は し ま し 候 は ゴ 、 こ れ も 同 様 の 事 に 53一
文 林 二十九号 願 度 奉 存 候 、 勿 々 の 際 乱 筆 の 非 礼 あ は れ 御 海 容 被 下 度 候 。 頓 首 両 者 と も に 、 執 筆 年 月 日 、 あ て 先 名 の 記 載 は な い 。 そ の 意 味 で は 、 服 部 嘉 香 ﹃ 現 代 の 書 簡 ﹄ ( 誠 文 堂 昭 3 ・ 11 ・ 30 ) ハら が 、 ﹁ 歌 の 礼 (坪 内 迫 趨 ) ﹂ と い う 題 の 下 、 以 下 の よ う に 紹 介 し て い る の は 優 秀 な 部 類 と い っ て よ い の だ ろ う 。 お 便 り あ り が た う 。 ﹁ 早 文 ﹂ の お 作 百 首 面 白 く 拝 見 、 早 速 あ れ だ け 切 り と つ て ﹁ 双 柿 舎 帖 ﹂ の 中 へ 貼 り 込 み マ マ の ほ ま し た 。 こ ち ら も き の ふ は 雪 か ら 雨 、 大 分 寒 か つ た で し た が 、 け ふ は 快 晴 で 温 度 も ず つ と 上 り ま し た 。 先 は 御 返 事 か た ぐ 。 草 々 わ た く し の ﹁ 双 柿 舎 百 首 ﹂ ( ﹃ 早 稲 田 文 学 ﹄ 所 載 ) の 歌 に つ い て の お 手 紙 で あ る 。 双 柿 舎 と は 、 先 生 の 熱 海 の 別 荘 に 、 樹 齢 三 百 年 以 上 の 見 事 な 柿 の 木 が 並 び 立 つ て ゐ る の に 因 ん で 先 生 が 名 づ け ら れ た 舎 号 。 以 上 、 掲 げ て き た わ ず か な 例 か ら も 、 迫 遙 自 身 が 極 め て 私 的 な 書 簡 で あ る つ も り の も の が 、 や や も す れ ば 、 公 的 な も の と な っ て し ま う こ と が 判 明 す る 。 自 衛 的 な 対 応 が な さ れ た と し て も 何 の 不 思 議 も な い で あ ろ う 。 坪 内 迫 遙 氏 に は ペ ン 字 の 手 紙 が 多 い 。 や は り ﹁ 若 い 老 人 ﹂ で あ る わ け だ が 、 少 し 趣 意 が 違 つ て ゐ る 。 日 本 文 壇 の 唯 一 の 長 老 と し て 、 世 人 の 尊 崇 の 高 く 且 つ 深 い の は 当 然 だ が 、 同 時 に 先 生 の 筆 蹟 を 熱 望 す る 人 々 が 揮 毫 責 あ に す て も と る の も 当 然 で あ る 。 と こ ろ が 先 生 は な か な か 書 か れ な い 。 著 書 の 原 稿 な ど も 、 決 し て 散 逸 さ れ ず 、 必 ず 手 許 に 取 り 返 さ れ る ほ ど の 用 心 堅 固 で 、 落 城 覚 束 な い と 知 つ た 連 中 は 、 何 か 用 を こ し ら へ て は 先 生 に 手 紙 を 出 し 、 そ の 返 ま 事 と し て 送 ら れ た 巻 紙 に 毛 筆 の 妙 筆 を 額 に 表 装 し た り 、 筐 底 深 く 珍 蔵 し た り す る 。 先 生 は 、 い つ の 間 に か そ の 好 策 に 気 づ か れ た の で 、 以 後 、 殆 ど 絶 対 に 手 紙 に 毛 筆 を 用 ゐ ら れ な く な つ た の で あ る 。 大 抵 は 何 か の 絵 葉 書 に 、 ぺ 一54一
迫 遙 に お け る 日記 と書 簡 ン で 達 筆 で 書 か れ 、 署 名 も ﹁ ツ ボ ウ チ ﹂ ﹁ 坪 内 ﹂ ぐ ら ゐ 、 ﹁ 迫 遙 ﹂ や ﹁ 柿 翁 ﹂ は あ ま り 用 ゐ ら れ な い 。 一 種 の 正 当 防 衛 、 毒 を 制 す る で も な か ら う が 、 毒 に 対 し て は 不 本 意 な が ら 毒 を 用 ゐ ら れ る わ け だ 。 服 部 嘉 香 晶 書 簡 卓 上 便 覧 ﹄ (早 稲 田 大 学 出 版 部 昭 3 ・ 3 ・ 説 ) の ﹁ 第 五 + 八 章 ペ ン 習 字 の 要 領 ﹂ に 記 す と こ ろ だ が 、 河 竹 繁 俊 ﹁ 坪 内 迫 遙 の 講 義 ノ ー ト ﹂ ( ﹁ 綜 合 世 界 文 芸 ﹂ 16 坪 内 迫 遙 生 誕 百 年 記 念 号 昭 34 ・ 5 ・ 22 ) に 、 迫 遙 の 教 授 時 代 、 学 校 に 持 っ て こ ら れ た ノ ー ト は 、 わ た く し の 知 る 限 り で は 、 和 綴 の も の で 、 粗 末 な 罫 紙 を 五 十 枚 ず つ 綴 っ た 、 神 楽 坂 の 相 馬 屋 製 の も の で あ っ た 。 そ の ノ ー ト を 片 手 に 持 っ て 、 和 服 で 教 場 に は い っ て こ ら れ た も の だ 。 そ う し て そ れ は 達 筆 な 毛 筆 で 、 講 義 の 要 領 だ け を 、 ダ ッ シ を 引 い て は 書 か れ て い る も の だ っ た 。 大 学 ノ ー ト に ペ ン で メ モ を さ れ る よ う に な っ た の は 、 お そ ら く 昭 和 に は い っ て か ら で 、 特 に ﹃ シ ェ ー ク ス ピ ヤ 研 究 栞 ﹄ の た め の 研 究 手 控 が そ れ で あ っ た 。 多 分 大 正 十 二 年 の 関 東 大 震 災 ま で は 、 和 と じ の ノ ー ト に 毛 筆 ば か り だ っ た と 思 わ れ る 。 そ れ ま で は 手 紙 の 類 も 毛 筆 を 用 い て お ら れ た か ら で あ る 。 と あ る こ と か ら す れ ば 、 毛 筆 、 ペ ン の 別 と い う の は 、 時 代 の 影 響 も 確 か に 作 用 し て い る の だ ろ う 。 慎 重 な 取 り 扱 い が ハ む 必 要 と さ れ て い る と い う こ と で あ る 。 心 し て 、 こ れ か ら の 整 理 作 業 に 取 り 組 ん で い き た い と 考 え て い る 。 (1 ) 迫 遙 は ﹁ 柿 の 蕎 ﹂ の 第 一 回 (﹁ 演 劇 博 物 館 ﹂ 第 三 号 昭 4 ・ 7 ・ 7 ) で 以 下 の よ う に 述 べ て い る 。 当 人 自 身 の 追 憶 談 と て も 存 外 信 頼 の 出 来 ぬ こ と が 多 い 。 (中 略 ) 最 も 記 憶 が た し か で 、 や や 必 要 な 事 は 、 其 見 聞 し た 当 時 に 筆 録 し て お く の を 例 と せ ら れ る 春 城 翁 の 話 に す ら 、 ど う か す る と 間 ち が ひ が あ る く ら ゐ だ 。 自 分 の 日 記 に も 思 は ぬ 脱 落 が 一55一
文林 :・ 九1} あ つ て 11 に な ら ぬ と 故 鴎 外 が 何 か に 書 い て ゐ た 。 わ た し の な ぞ は 殊 に 遺 漏 が あ り 、 日 附 け が 曖 昧 に な つ た り し て ゐ る 。 書 い て お い た も の さ へ そ ん な だ 。 こ れ は 忙 し い 時 の 人 間 と し て は 免 れ な い こ と だ ら う 。 悉 く 書 を 信 ず れ ば 書 な き に 如 か ず 。 況 ん や 話 を や だ 。 座 談 の 筆 記 を や だ 。 ( 2 ) 例 え ば 、 伊 原 青 々 園 ﹃市 川 団 十 郎 ﹄ ( エ ッ ク ス 倶 楽 部 明 35 ・ 12 ・ 27 ) 、 山 本 九 馬 亭 ﹃ 浄 瑠 璃 通 解 ﹄ 第 二 篇 ( 博 文 館 明 36 ・ 10 ・ 17 )、 片 上 天 絃 ﹃ テ ニ ソ ン の 詩 ﹄ (隆 文 館 明 38 ・ 10 ・ 5 ) 、 佐 野 天 声 ﹃ 不 死 の 誓 ﹄ ( 金 尾 文 淵 堂 明 40 ・ 2 ・ 10 ) 、 杉 谷 代 水 ﹃聞 輔 功 と 罪 ﹂ (通 俗 教 育 会 明 41 ・ 1 ・ 18 )、 小 西 房 子 ﹃ お と つ れ ﹄ (小 西 ふ さ 刊 明 44 ・ 2 ・ 25 ) が そ れ で あ る 。 拙 稿 ﹁ 坪 内 迫 遙 著 作 年 表 稿 ﹂ 口 ∼ 四 (﹁ 文 林 ﹂ 25 ∼ 27 90 ・ 12 ・ 15 ∼ 93 ・ 3 ・ 20 ) 参 看 。 ( 3 ) 同 様 の 例 が 幸 田 露 伴 に も あ る 。 博 文 館 の 雑 誌 ﹁地 球 ﹂ が な し た ア ン ケ ー ト ﹁ 社 交 上 の 贈 答 品 を 廃 止 す る の 是 非 ﹂ へ の ﹁ 各 方 面 の 回 答 ⋮ ⋮ ( 其 一 ) ﹂ (第 二 巻 第 二 号 大 2 ・ 1 ・ 15 ) 掲 載 で 、 ﹁ 冠 婚 葬 祭 、 季 節 其 他 祝 儀 不 祝 儀 に 物 品 贈 答 を 廃 止 す る の 可 否 ﹂ に ﹁ 別 に 可 否 な し 。 ﹂ 、 ﹁ 若 し 廃 止 す る と せ ば 絶 対 に 廃 止 す べ き か 或 は 他 に 之 に 代 る 良 法 あ り や 、 あ ら ば 其 の 概 要 ﹂ に ﹁ ・ : ・ ﹂ 、 ﹁ 旧 慣 上 存 続 す べ き も の と せ ば 之 を し て 華 美 に 走 ら し め ぬ 方 法 ﹂ に ﹁ 別 に な し 。 ﹂ と の 回 答 で あ る 。 ( 4 ) 旦 局 直 爾 ﹃ 翻 雌 書 翰 大 辞 典 ﹂ ( 岡 本 偉 業 館 昭 11 ・ 2 ・ 20 ) に は 、 執 筆 年 月 日 も あ て 先 名 も な し で 、 ﹁御 凶 報 に 接 し ﹂ ﹁ 序 文 を 送 る ﹂ ﹁ 出 版 周 旋 を 依 頼 さ れ て ﹂ と 題 し て 、 迫 遙 書 簡 が ﹁参 考 文 例 ﹂ と し て 掲 げ ら れ て い る 。 そ の う ち 、 ﹁ 序 文 を 送 る ﹂ は ﹁ 御 著 の 序 、 別 封 の ご と く 認 め 申 候 。 こ れ に て 御 間 に 合 せ 下 さ れ 度 、 又 願 く ば 、 校 正 一 度 小 生 方 へ お 送 り 下 さ れ 度 候 。 草 々 ﹂ と い う も の で あ っ た 。 (5 ) 引 用 は 、 同 年 同 月 十 五 日 の ﹁ 再 版 印 刷 発 行 ﹂ に 依 る 。 一56一
遙 に お け る 日記 と書 簡 ( 6 ) 服 部 嘉 香 は 、 ﹁ 迫 遙 先 生 書 翰 集 ﹂ ㈱ ( ﹁芸 術 殿 ﹂ 第 六 巻 第 二 号 昭 11 ・ 2 ・ 1 ) で 、 現 存 す る ﹁ 服 部 嘉 香 氏 宛 書 翰 ﹂ 七 十 通 の う ち 八 通 を 紹 介 し て い る 。 ﹁ 昭 和 二 年 二 月 六 日 絵 葉 書 、 熱 海 よ り ﹂ が 一 致 す る も の だ が 、 若 干 の 異 同 が あ る 。 御 便 り あ り が た う 。 ﹁ 早 帰 じ の お 作 百 首 も 面 白 く 拝 見 、 早 速 あ れ だ け 切 り と つ て ﹁ 双 柿 色 幌 レ の 中 へ 貼 り 込 み ま し た 。 こ ち ら も き の ふ は 雪 か ら 雨 、 大 分 寒 か つ た の で し た が 、 け ふ は 快 晴 で ず つ と 温 度 も 上 り ま し た 。 先 は 御 返 事 か た ぐ 草 々 。 ( 註 ) 第 一 回 禍 祥 会 の 感 激 を 更 に ﹁ 双 柿 舎 百 首 ﹂ と 題 し て ﹃ 早 稲 田 文 学 ﹄ 二 月 号 に 発 表 し た も の に 対 す る お た よ り で 、 マ こ 表 書 は 、 前 同 様 。 御 署 名 は ﹁ イ ヅ ア タ ミ ツ ツ ボ ウ チ ﹂ と あ り ま す 。 葉 書 は 伊 豆 山 名 勝 の 一 。 ( 7 ) 昭 和 六 年 四 月 二 十 五 日 の 三 版 に 依 る 。 ( 8 ) ﹁文 庫 ﹂ 第 三 十 四 巻 第 二 号 (明 40 ・ 4 ・ 15 ) の ﹁ 六 号 活 字 ﹂ に 以 下 の よ う な 記 事 が あ る 。 57 坪 内 博 士 日 く 、 全 集 の 発 行 が 追 々 流 行 し 始 め た が 、 故 人 の 作 な ら な ん で も か ん で も 出 版 す る と い ふ の は 大 反 対 だ 。 私 の を 一 だ し て く れ る 人 が あ つ た ら 、 中 で よ い の を 撰 ん で 一 つ か 二 つ だ し て 貰 ひ た い 。 私 の は 大 抵 新 聞 雑 誌 の 為 め に 書 い た の だ か ら 、碌 な も の は あ り や し ま せ ん 。 撰 ん だ ら な く な る か も し れ な い 。 紅 葉 山 人 の や う に 手 紙 ま で 出 さ れ る の は 難 有 迷 惑 だ 。 筆 蹟 で も 旨 け れ ば 習 字 の 手 本 に な る だ ら う が 、 手 紙 の 文 章 に 名 文 が あ る 筈 が な い 。 付 記 本 稿 は 松 蔭 女 子 学 院 大 学 特 別 研 究 助 成 に よ る ﹁ 坪 内 迫 遙 書 簡 の 研 究 ﹂ の 一 部 で あ る 。