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智顗『法華文句』における信

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(1)

﹃法華文句﹄はその冒頭において、﹃法華玄義﹄が示す法華経の通題、晶の別目、経文の分節、消文四意、経文釈の 五をうけ、その中の消文四意について、列数・所以・引証・示相の四種釈があるとしているがその中で響喰品の傷、 並諸菩薩こをとりあげて、

沿

1

﹁ 若 人 有 宮 − 能 信 ニ 汝 所 説 − 則 為 レ 見 ν 亦 見 − − 於 汝 及比丘僧 ︻喧喧︼ 当 レ 知 随 ν 有 − − 所 閲 − 一 諦 心 観 察 。 於 − 一 信 心 中 − 得 レ 見 = 三 宝 − 。 閲 ν 是 法 見 レ 我 是 仏 宝 。 見 = 汝 等 一 是 僧 宝 。 海 淑 ( 59) としている。すなわち三宝とは仏・宝・僧であり、それは信心の中にて見らるとしているが、この注釈のもととなっ た妙法華経の言葉に相応する党文は ︽ 4 V 角 材 法 制 広

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面 白 ・ : ︵私によって説かれた最上︵の教え﹀を信ずるものは、 一 切 の 菩 薩 た ち を み る ﹀ となされているから、三宝を見る信は党文の宵包昏仰で表現される信であるということが出来る。 について﹃大智度論﹄の文を挙げた上で、 叉如是者信順之辞 o 信則所開之理念。順則師姿之道成。即第一義悉檀也︾ 智顕﹃法華文句﹄における信︿望月﹀ そ し て ﹁ 如 是 ﹂

(2)

智 樹 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ︿ 望 月 ︾ ︽ 6 v としている。この言葉は僧盛の﹃注維摩詰経﹄に同じものが見られ﹃文句﹄はこの番の言葉を引用したものと思われ る 。 た だ し 、 僧 惑 は 即 第 一 義 悉 檀 な り と は せ ず 、 経 無 − − 盛 約 − 。 非 ν 信 不 ν 伝 。 故 建 − − 一 マ 一 同 如 是 − と し て 、 信 が あ っ て 初 め て ︽ 7 v 伝えられるもので、その故にこそ如是で、如是の根幹には信がなければならないことを示している。﹃文句﹄が第一 義悉檀としたものも信があって初めて三宝にまみえることが出来ることをふまえているからであろう。 されば、観心釈の項において﹃法華文句﹄は、右備の響喰品の備を挙げ信に浅深あり見に権実ありて、信は則ち機 を論ず、見に権実ありて種々に分別すること同じからざるは即ち教を分別するなり、叉、法華の文を信ずれば則ち実 相の本を見る、若し身子の化を見れば則ち竜陀の本を見る、若し始成の釈尊を見たてまつるときは亦久成の先仏を見 た て ま つ る 等 と し て 、 ︽ 8 v 叉 聞 ν 心 信 無 レ 疑 。 覚 − − 此 信 心 明 浄 − 。 即 是 見 ν 仏 。 となして、信が見仏のあり方であることを明示している。これらにおいて示される信は、明らかに三宝に対する信で ( 60 ) あ る と い え よ う 。 ︹ 註 ︺ ハ 1 ﹀ 大 正 三 四 ・ 二 上 ﹁ 今 帖 レ 文 為 ν 四 。 一 列 数 ニ 所 以 三 引 証 四 示 相 。 ﹂ ハ 2 ﹀同九・一五中 ︵ 3 ﹀同三四・ニ中 ハ4 ﹀印色町・

8

ハ 5 ﹀ 大 正 三 四 ・ = 一 上

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中 ハ 6 ﹀同三八・三二八上

(3)

︵ 7 ﹀大正三四・三上

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中 ハ 8 ﹀ 同 同 ・ 三 下

2

方便口聞を注釈した﹃文句﹄は、冒頭の﹁爾時世尊安祥而起﹂の語について 繭 時 者 。 当 = 繭 之 時 − 也 。 仏 常 在 ν 何 故 言 レ 起 。 此 有 レ 所 ν 。 往 古 諸 仏 説 = 此 経 − 時 。 必 前 入 = 無 量 義 − 即 入 = 法 華 − 。 今 仏 亦 爾 。 此 示 − − 世 界 悉 檀 哀 従 レ 定 起 − 。 履 歴 法 縁 ニ 倶 審 諦 。 説 必 不 レ 謬 増 − − 長 物 信 − 。 此 示 − − 為 人 悉 一 極 哀 従 レ 定 札

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として、仏の説示は誤りあるものでなく、信を増長させるところから初まることを示している。このことは、仏の教 えは正法であることから正法に対する信を勧めることにねらいがあることを示していると思われる。 ( 61 ) すなわち方便品最初の傷の中における﹁諸仏語無異 この信を勧めるというあり方は、法華経理解の基本かもしれない。随所に勧信の語を見ることが出来る。 ︽ 2 ︾ 当生大信力﹂の語について、これは諸仏の化道 於仏所説法 同じきことを論じ、勧信したものであり、仏は既に如実の語をもって勧信したのであるから、何事か疑うことがあろ ︽ S V で あ る こ と を 示 し て い る 。 ぅ、疑に因って誘を起す者を防ぐための故に勧信すべきのみ、 しかし、この箇所の﹃妙法華経﹄に該当する党文法華経は

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・ v ハ 舎 利 弗 よ 、 普 逝 が 語 っ た も の に 信 解 を な せ ﹀ で あ り 、

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が使われている。信解について﹃法華玄義﹄は 智 錨 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ︵ 望 月 ﹀

(4)

智 崩 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ﹀ 随 信 行 位 者 。 入 − − 見 仏 − 之 名 也 非 = 自 智 力 − 。 滋 レ 他 生 ν 解 。 是 人 在 = 方 便 道 一 。 先 難 ν 有 レ 信 以 レ 未 レ 習 ν真 : ・ 明 − 一 信 解 位 − 者 。 即 是 信 行 人 。 入 = 修 道 一 転 名 = 信 解 人 − 也 。 鈍 根 滋 レ 信 進 発 − 一 真 解 − 。 故 名 = 信 札 一 見 信 不 ν レ 行 。 として、信あっても真を習わなければ信にして行ではないとし、信に湿って進んで真の解を発す、これが信解だとし ているから、信解とは信じたものに対して真の解がなければならないことを示している。してみると、仰向昌弘

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己 に 関するここの箇所で﹃文句﹄が勧信となしているのとはいささか差があるように思われる。そしてこの差の将来は、 ﹃ 文 句 ﹄ は こ れ に 先 だ っ て 、 ﹃ 妙 法 華 経 ﹄ ︽ 6 ︾ の﹁除諸菩薩衆信力堅固者﹂について、この句は﹁採=能入者−。即円教十信。故言=信力堅固者ことしているが、こ ︽ 7 ︾ の語句も党文法華経は

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巴をもって示しているところである。﹃法華文句﹄はこの信力を宵注品広信の力と 理 解 し た も の で 、

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島 区 自 ロ W 民であるとは考えなかったのであろう。信力には信解の意はあまりないので、奇異に思わ れる。ただ﹁仏既如実語勧民間すというから信は雲集してのものであることおりうる。 ︽ 9 v 方 便 品 の ﹁ 舎 利 弗 。 汝 等 当 同 一 心 信 = 解 受 = 一 持 仏 語 こ 以 下 の 文 に つ い て ﹃ 文 句 ﹄ は こ れ は 、 物 の 誘 心 を 止 む も の で 、 命 日 ザ 三あり、初めに釈迦の実説を勧信し、次に諸仏を勧信し、後に不虚を結成す、として仏の教法に対する信であること を示している o こ の 法 華 経 の 文 に 対 す る 党 文 は 、 即 時

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仲間凶﹃ b ・ 4 削W W 巴宮

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︵舎利弗よ、この仏陀の法を信ぜよ、私を信頼せよ﹀とされているから、勧信とせられた信は、身守 制 W

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ロ宮山を﹃妙法華経﹄が信力と決出したことに起因すると思われる。 向 日 仏 何 回 仰 の 信 で あ る 。 そ し て 、 備 中 の ﹁ 若 人 信 帰 仏 ﹂ 以 下 の 文 に ふ れ 、 これは長行の﹁汝等当信仏之所説﹂以下の文に かかわるもので、これは果・因を挙げて勧信したものだとし、 若人信−扇子如来不−−欺智者。伊私心清浄−。無明僅垢衆悪己断浄心中説。故是可レム吻 ( 62 )

(5)

とし、仏の心は清浄で、清浄の心で説くのであるから欺証することなく仏のすべての形、普顕すべてが、そこから出 て来るものである故に信ず可き道しかないことを明示している。尚、この若人信帰仏に関して党文は信に関する表現 を 使 用 し て は い な い 。 a u ︾ それ故に、方便品末の﹁汝等勿レ有レ疑﹂以下の備の注釈において﹃文句﹄は、 n u ︾ 初 一 行 半 。 勿 下 於 − − 可 ν 信 人 − 生 + 疑 。 次 又 汝 等 舎 利 下 一 行 。 勿 下 於 − 一 可 レ 信 法 − 起 + 疑 。 といい、仏は法王であるから虚説せず、方便は権仮であり、真実は妄ではない、法王の説く法を聞いて疑を生じては いけない、と説き、偏末は教信を頚したものだから、此の法を信ずべきだ、それが﹁自知当作仏﹂への道であると示 している。まさに仏・法に対する信を勧めたものだといえるであろう。しからば、勧められた信、信の対象等はどの ように表現されるのであろうか。 ( 63 ) 法 華 経 は 仏 と 舎 利 弗 と の 聞 の 三 止 三 請 を 語 り 、 舎 利 弗 が 信 宵 仰 向 日 仏 何 回 仰 を 強 調 す る こ と を 示 し て い る が 、 ﹃ 文 句 ﹄ は こ こでの信に関しては何も言及していない。そして、ここ以降の七品半は上中下三根人のために説いたものだとして、 それの説明が繰りひろげられている。信のあり方ではなく、説法の内容の展開に意がそそがれていたからであろう。 しかし、五千起去に関し﹃文句﹄は、当機のものでない五千人が座にあったから仏は三止したのだとし、真実のもの を聞かんとするあり方、結縁の人が大切だとし、大通智勝如来の昔、無量の衆生が心に疑を生じたが、後、世々に師 と供に生じて今は得度をした、この人々もそうだとし、 説 = 大 経 一 時 万 五 千 億 人 。 於 = 是 経 中 − 不 レ 生 − − 信 心 − 。 是 人 於 = 未 来 一 亦 当 レ 得 ν 信 としている。教えを聞いて信心を生じないものがあっても、結縁によって未来世には信を生じ得脱することを示して 智 鼠 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ︶

(6)

智 嶺 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ﹀ い る か ら 、 信 は 正 し き も の 、 悟りへの出発点としてとらえられていることを知りうる。 ﹃ 妙 法 華 経 ﹄ の し た が っ て 貧 ︾ ﹁汝等当信﹂について、虚妄なき法を勧信したもので、虚妄なき人は虚妄なき法を信ずるのだ、としている。ここで 示される﹃妙法華経﹄の信は発文では

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怠冨をもって語られているか知︾勧信とされる信はまさに

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監 冨 の 信 であろう o そしてそれは、掠レ偽敦信三実−の信であ匂 ︽ 却 V 一 実 を 信 . す る と は ど の よ う な こ と な の か 。 五 欲 の 中 の 煩 悩 濁 を 説 明 し た ﹃ 文 句 ﹄ は 、 疑 網 無 レ 信 不 レ 可

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実 と し 、 更に﹃妙法華経﹄の我が弟子で阿羅漢、昨支仏なりと謂うもので、仏は如来のみを教化する事を聞かず知らなければ 弟子に非ずという語をうけて、 掠 レ 偽 敦 ν 。 若 仏 弟 子 自 能 信 解 。 若 不 − − 信 解 − 非 − − 真 弟 子 − 。 亦 非 = 羅 漢 − 。 敦 = 宿 泊 時 衆 − 令 − − 信 受 親 − 。 就 ν 為 レ 二 。 初 掠 = ︻ 却 ︾ 真 偽 −

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− − − 探 叉 為 ν 二初若不 ν 開 不 ν 非 = 真 弟 子 − 。 次 閲 不 = 信 受 − 成 = 増 上 慢 一 。 ( 64) としているから、信は真につながるもので、仏にかかわるものとしてとらえられていることになる。そして信ぜざる 内

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は増上慢となる、ともなされるから、仏弟子たるの道は、法を信じ仏を信じて、そこから生ずるあり方しかないこと に な る で あ ろ う 。 す な わ ち 、 真 羅 漢 者 。 濁 除 根 利 知 レ 非 = 究 寛 − 信 = 於 究 寛 − 。 信 − − 真 是 法 一 未 − − 最 後 身 − 不 レ 起 = 上 慢 − 。 知 レ 非 − − 究 寛 − 信 − 一 於 究 克 − 。 即 信 − − 門 担 ︾ 理 一 − 。 無 − − 増 上 慢 − 即 成 − 一 行 了 。 信 則 信 ν 是 為 − − 教 了 。 是 仏 弟 子 則 人 一 也 。 といわれる。道は唯一のものしかない。 しかして﹃妙法華経﹄の﹁仏滅度後﹂以下を注釈して﹃文句﹄は、 若 仏 在 世 正 説 − − 此 経 − 。 不 レ 信 不 ν 受 非 − 一 真 羅 漢 − 成 − − 増 上 慢 、 若 仏 滅 後 方 得 − − 羅 漢 − 者 。 偏 執 2 経 − 不 ν 伊丹法一。聴 z

(7)

非 コ 増 上 慢 一 。 叉 仏 難 コ 入 滅 一 此 経 尚 在 不 レ 信 不 レ 受 。 応 = 是 上 慢 一 耶 。 即 得 − 一 関 除 − 。 仏 滅 度 後 難 レ 有 = 此 経 − 。 解 = 其 文 義 一 者 。 此 人 難 レ 遇 、 致 ν 令 = 羅 漢 不 レ 信 不 予 解 。 亦 聴 宮 一 許 非 − − 増 上 悦 司 とし、仏の在世、滅後にかかわらず法華経を信じ受けることが大切であることを強調している。これは仏 H H H 法華経 の立場の上に立つもので、法華経にこそ仏の全身ましますものであることをとらえ、その法華経に会うこと難く、会 い得るならば、それを信ずる道の唯一なるをふまえるからであろう。 尚、右の引用旬、更にその前の引用句において見られるように、 ﹃文句﹄は信解の語を示し、更に信・受・解の語 を 示 し て い る が 、 これは﹃妙法華経﹄が ﹁汝等当一心信解。受持仏語﹂と語っているものをうけたものだと思われ る 。 信 解 は 普 通 削

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島民に関する訳語であるが、党文法華経はここのところを、町包舎

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の三語をつかって示され、それらはそれぞれ、信、信頼、信順の意とされており、邑

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ロ W 己は使用されてはおらな ( 65) し、

﹃文句﹄の注釈は﹃妙法華経﹄の訳文によっていることは明白であるが、ただここでは不信、不受、不解を語る か ら 、 ﹃妙法華経﹄の信解を、信と解というこつのことに理解したようにも思われる。 ﹃ 文 句 ﹄ は 旧 師 の 理 解 を 挙 げ 、 ︽ M V 若 作 三 二 時 官 六 響 十 響 一 。 於 三 ニ 用 之 文 − 不 ν 。 於 = 四 人 信 解 − 希 離 。 是 所 レ 不 レ 用 。 ただ方便品末の偏末に近い注釈の中において、 とし、信解を理解に近い意に用いている。 更に方便品末の注釈で、仏は仏慧のための故に出でたまう、昔は障重くして機なく仏慧を説くことを得ざりしも、 今は機発すれば説時であるとし、 昔衆生根鈍智小 o 恐−其誘レ法夢一忠。故手是説時五今根利志大。岡必信解故仏歓勢 智 嶺 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ︾

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智 顕 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ﹀

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骨 と 回 し ー て と信解を使用している。ここでの信解については、﹃妙法華経﹄は﹁鈍根小智人 著相僑慢者 ︵今、表相の観念だけで、愚かで、無知 で、増上慢となったものは信じ難いであろう。しかし突に、菩薩たちは聞くであろう﹀としているから、それは信ず る こ と 町 。 円 注 目 M仰を意味するのが本来であろう。何故に信解としたのか、明白ではないが、信ずることとともに理解 することの意にもとらえていたのかもしれない。 ︽ 却 ﹀ ﹁能聴是法者﹂を注釈して、これは挙−−信受者難−たものだとして信受を語っている。 ︽ 却 ︾

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︵最高の法を聞いて信ずる衆生らはこの そ し て 、 こ こ で の 党 文 は 、 ように得がたい﹀であるから、この信受は信宵

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円 注 目 H酬をうけたものと思われる。 ( 66 ) ︹ 註 ︺ ︵ 1 ︶大正三四・四

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中 ︵ 2 ﹀ 同 九 ・ 六 上 ハ 3 ﹀同三四・四五上 ︵ 4 ﹀印刷丘町−

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︿ 5 ﹀大正三三・七二八上 J 中 ︿ 6 ﹀岡三四・四四下 ︵ 7 ︶ 印 刷 w a v

ω 同 ︿ 8 ﹀大正三四・四五上 ハ 9 ﹀ 同 九 ・ 七 下

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ハ 叩 ﹀ ︵ 日 ﹀ ︿

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﹀ ハ 勾 ﹀ ︵ 鈍 ︶ ︿

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︿ 部 ﹀ ︿ 幻 ﹀ ︵ 却 ﹀ ハ 鈎 ﹀ 同三四・五四上 印 刷 脚 色 何 回 ・ 品 h m 大 正 三 四 ・ 五 五 上 l 中 間 九 ・ 一

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中 同三四・六三上 岡 同 ・ 四 九 上 同 三 四 ・ 四 九 中 ﹁ 勧 下 信 無 = 虚 安 − 法 占 也 。 此 理 至 深 。 : : : 而 今 皆 妙 。 恐 二 物 生 P 故 勧 信 也 b 信 下 無 = 虚 妄 − 人 説 申 無 = 虚 妄 − 法 主 也 ﹂

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削 脚 色 F ・ ω 也 大 正 三 四 ・ 五 ニ 下 同 同 ・ 五 三 上 岡 岡 ・ 五 三 下 同 同 ・ 同 同 同 ・ 同 同 同 ・ 同 同 同 ・ 五 九 上 同 同 ・ 六 二 上 同 九 ・ 一

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上 印 刷 w a v ・ 朗 吋 大 正 三 四 ・ 六 二 下 J 六 三 上

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白色町・切∞ ( 61 ) 智 蹟 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ︾

(10)

智 鼠 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ︶

3

三車火宅の喰における車数について、 所 = 以 出 p経勿 ν = 人 語 、 ﹃ 文 句 ﹄ は とし、仏は戸聞のために四一諦の法を、縁覚のために十二因縁の法、菩陸のために六波羅蜜の法を説いたとし、華厳経、 十地経論、菩薩理洛経等の所説をあげて、過去の説示に批判を加えている。今は三車家四車家についての問題にはふ れないが、右の引用句を挙げたのは、経典に対する信というあり方が明白に示されているからである。したがって、 響喰を説き終った仏が、仏の出世の本意を説く段の偽を注釈した﹃文句﹄は、 仏 煩 = 其 響 − 則 明 = 不 虚 − 。 明 下 仏 本 意 。 即 欲 レ 説 レ 一 但 五 濁 不 レ 肯 − 一 信 受 − 。 故 説 − − 於 = 一 − 濁 障 既 除 還 説 三 大 一 即 称 申 本 心 主 也 ( 68 ) とし、仏の教えは信受すべきものであるにもかかわらず信受しないのは、五濁の悪世であるからに外ならないことを 示 し て い る 。 そ し て 、 若人小智下。第二七行明 τ 智 障 重 不 = 即 信 受 − 。 為 ν是方便開 ν 接 引 占 。 というから、小智の者もまた信受せざる道につながることになる。この小智については、右の引用文の直前において、 方便三乗所化の衆生は、皆これ昔日に結縁の仏子にして、亦皆同じく真如仏性あり、故に皆是菩薩というとあるとこ ろからすると、結縁の仏子たることを知らず、真如仏性のない人ということになり、 ハ 4 V 若愛欲﹂としているから、それは広大な心、如是にものを見ることの出来ない人の智ということであろう。してみる ﹃ 妙 法 華 経 ﹄ は ﹁ 若 人 小 智 深 と、信は如是になる正しい法を説く仏や法に対してのひたすらなものでなければならない。

(11)

我此法的以下を注釈した﹃文句﹄は、これ以下の六十五行の備は、 勧 信 流 通 。 信 者 信 = 仏 説 不 説 − 也 。 勧 者 勧 − − 可 通 不 可 通 − 。 有 = 此 二 義 一 言 − − 勧 信 − 。 ﹁ 汝 舎 利 弗 であるとして、仏の説示に対する信を勧めている。叉、説不説について、 明 τ 来 利 = 益 世 間 − 之 相 主 也 。 通 論 三 世 利 益 。 別 論 令 = 二 乗 入 信 − 。 阿 糾 駿 致 是 観 = 現 在 益 − 。 曽 見 者 。 観 = 過 去 普 − 為 説 也 。 信 レ 著 書 我 o 観 = 未 来 普 − 為 説 也 。 下 文 云 。 若 深 信 解 者 。 見 三 仏 常 住 − − 霊 鷲 − 即 其 義 ・ 町 とのべている。この箇所に関する﹃妙法華経﹄は、 ︽ 8 v 亦 見 − − 於 汝 乙 と な さ れ 、 この信について党文法華経は、倉山仰

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v ︵ 私 が 一 切 の 菩 薩 た ち を 見 る ﹀ と 宵 仰 向 田 内 容 仰 で 表 現 し て い る 。 ﹁ 若 人 有 = − 能 信 − − 汝 所 説 − 則為 ν 見 ν 我 説いた最勝︿のもの﹀を信ずる者は、 してみると、ここで示 ( 69) される入信、信汝における信は吟

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内 出 品 の 信 で あ ろ う 。 ﹃妙法華経﹄は右の句に引き続いて、﹁汝舎利弗尚於−

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経一以レ信得レ入 ︽

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随−−順此経−非=己智分乙と語り、党支法華経は、邑

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仲 自 由 W ω 吾首創出口

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円 四 百 件 。 一 一 ︵ 舎 利 弗 よ 、 汝 は 信解が堅い、他の声聞もまた堅い。彼等も私への信によって入るのであり、各自の智は見られない﹀と語っている。 ﹃妙法華経﹄では信の一語での表示であるが、発文法華経は堅い信解包

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信宵包島町仰の二語を使いわ 況余声聞 其余声聞 信 = 仏 語 故 − けている。信が仏への信として使われ、信解が舎利弗の体得している境地のあり方として使われている時、この両者 ﹁各自の勝手気偉な智慧﹂と訳している。勝手気 の聞には相異がみられる。そして、この各自の智を岩本裕博士は、 儲な智慧というのは、各自が自分でもっている智慧とか、自分に都合のよいようにものを判断する智慧とかのことで、 智 崩 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ︿ 望 月 ﹀

(12)

智 嵐 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ︿ 望 月 ﹀ ありのままにものを見る仏の智慈・般若同

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仰 と は 異 っ て い る 。 ﹃妙法華経﹄が信仏語故随順此経非己智分という 時、この信は般若にかわるもので、仏語をひたすらに信ずる信宵脳血島品のことである。このような信に対して、堅い 自 MV 信 解 削

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ω 片 側 ? を 、 体 得 し た 境 地 と す る な ら 、 そ れ が 深 信 解 と ﹃ 文 句 ﹄ に よ っ て 表 現 さ れ た も の と 思 わ れ る 。 ︽ M V 世 間 仏 種 ﹂ を う け た ﹃ 文 句 ﹄ は 、 きれば﹁若人不信 段誘此経 則断一切 今 経 明 = 小 善 成 仏 一 。 此 取 − − 縁 因 − 為 − − 仏 種 一 。 若 不 ν = 小 善 成 仏 − 。 即 断 = 世 間 仏 種 也 J 噌

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として、仏道への入口として信をとらえているのに対し、授記を得た舎利弗が仏に語った言葉、﹁雨時舎利弗白仏言﹂ 以 下 を 注 釈 し た ﹃ 文 句 ﹄ は 、 比一品正是響喰閲三顕一。信解明=中根得解す として、ここでの信解は中根人の得解であることを示し、体得した境地の意を説明することに使用している。 ( 10 ) ︹ 註 ︺ ︿1 ﹀大正三四・七一上 ハ 2 ﹀ 同 同 ・ 七 八 中 ハ 3 ﹀ 同 同 ・ 七 八 下 ハ 4 ﹀ 同 九 ・ 一 五 上 ハ 5 ﹀ 同 同 ・ 一 五 中 ハ 6 ﹀同三四・七八下 ハ 7 ﹀同同・七九上、大正蔵経では信故者我者となっているが、 信 汝 者 見 我 と 改 め た 。 ハ 8 ﹀ 同 九 ・ 一 五 中 ﹃ 妙 法 華 経 ﹄ は ﹁ 信 汝 所 説 則 為 見 我 ﹂ と 示 さ れ て い る の で 、

(13)

︿ 9 ﹀ 印 刷 丘 F ・ @ ω ハ叩︶大正九・一五中 ︿U ﹀印刷脚色町・由 ω ハロ﹀坂本幸男・岩本格訳注﹃法華経﹄上巻二

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九 ︿ U ﹀ 深 信 解 と い う 語 は 分 別 功 徳 品 に あ ら わ れ る が 、 党 文 法 華 経 は こ の 語 に あ た る 語 と し て 包

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立 を 挙 げ て い る 。 尚 、 詳 し く は 、 拙 著 ﹃ 法 華 経 に お け る 信 の 研 究 序 説 ﹄ 二 八 四

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二 八 五 巻 照 。 ︿M ﹀大正九・一五中 ハ

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同三四・七九上 ︿ 崎 ﹀ 同 九 ・ 一 二 中 ︵臼﹀同三四・六五下

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( 11 ) 信解品を注釈した﹃文句﹄は、嘉祥の﹃法華玄論﹄の三法を信解す、調く一往化、随逐化、畢覚化の文を引いた上 で、自説を展開しているが、その後において、 此 是 領 解 段 。 近 領 コ 火 宅 − 遠 領 − − 方 丸 一 v v として信解とは領解のことだとしている。これによると一仏乗の説示をしかと受けとめ領解することということにな る の で あ ろ う 。 しかして﹃文句﹄はこの領解といい切るのに先立ち、法華の座の前は峨豆の如しとし、 初 聞 − − 略 説 − 動 執 生 疑 。 広 間 = 五 仏 − 蒙 龍 宋 レ 暁 。 今 聞 = 響 喰 − 歓 喜 踊 躍 。 信 発 解 生 疑 去 理 明 。 歓 喜 是 世 界 。 信 生 是 為 人 。 疑 去 是 対 治 。 理 明 是 第 一 義 。 以 = 是 因 縁 一 故 名 − − 信 解 札 一 口 智 顕 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ︿ 望 月 ︾

(14)

智 顕 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ︾ としている。すなわち三車火宅の輸を聞くことによって喜びがおこり信が発し解が生ずるとしているが、これによる と信解を信と解にわけているように思われる。信解品の信解は党文法華経によると仰向田山富ロ W 誌であり、それは一語 であるのに、このように信と解にわけたのかは明らかではないが、仏の教えを信ずるには先ず歓喜があり、歓喜をお こすことによって信が生じ、信が確立した上で仏法を解する道が聞けると判断をし、信と解が相ついで倶に相まって 生じてくるとしたからであろうと思われる。 更 に ﹃ 文 句 ﹄ は 続 け て 、 票 = 小 大 教 − 。 初 草 レ 凡 成 ν 聖各有=次位、但小乗信行従 ν 聞生 ν 解。苦忍明発信則称レ行。法行歴レ法観察。苦忍明発法 則 称 レ 行 。 若 信 行 人 転 入 = 修 道 一 転 名 コ 信 解 − 。 : : : 中 根 之 人 間 レ 説 = 韓 国 喰 一 。 初 破 コ 疑 惑 − 入 = 大 乗 見 道 − 故 名 為 ν 信 。 進 入 = 大 乗 修 道 − 故 名 為 レ 解 。 ( 12 ) として信解品と名づくのだとしている。ここで考えられることは、小乗の信行は仏の教えの聞解によってはじめられ ることになり、そこから信が生じ、更に信行のあり方が修道となる時に信解となるということで、信と信解とには相 違があり、大乗の修道に入ることが信解だということであろう。してみると信解品を領解段となした一句は、仏の教 えを信じ、しかと受とめた上で教えに相違しない行いの道が展開することを意味するであろうから、領解は単なる理 解ではなく、仏の教えをそのままにとらえ歩みに展開をするところまでを意味していよう。 ﹃妙法華経﹄の﹁発一号、伐について﹃文句﹄は、発希有心とは近く響喰四番の説を聞き希有の心発する そ れ 故 、 を 叙 し た も の だ と し 、 心発故名 ν 之為 ν 信 。 以 レ 信 故 入 入 = 歓 喜 久 丸

(15)

とし、これが信解品といわれるゆえんだとしている。すなわち信解とは信によって入るもので、仏の教えたものと一 体となり得た歓喜の位だとなるであろうから、それは全く単なる理解ではなく、修道に結びつくものでなければなら ない。そして修道に結びつくが故に領解と称せられたのではなかろうか。 そして、長者窮子の喰を語る中で、法華経は我は年老い汝は小壮だ、汝は作す時、欺怠・瞭恨・怨言あることなし さ蕊くだりにおいて、これを注釈した﹃文句﹄は、 無 − − 五 過 − 者 。 得 − − 五 力 − 離 = 五 悪 法 − 也 。 得 − − 信 力 − 故 不 レ 欺 。 精 進 力 故 不 ν 怠。念力故不 ν践 畑 坐 言 、 定 力 故 不 レ 恨 。 懇 力 故 不 − − として、信・精進・念・定・慈の五カによって説明している。五力による信はもちろん宵包門出品であるから、信力を 円 9 v 得ているが故に歎ずという時、この信は仏・法等の絶対なるもの正なるものに対する信であることは言をまたない。 ( 73 ) しかしてこの﹃文句﹄は、長者の偉容に驚いて逃げ出した窮子のために、長者が密に二人の人を遣し導いたことにつ い て 、 益事大之後鹿苑説乙ニ。於レ小即信革レ凡成誌 としているから、信の対象は完全に絶対なるものに相対するものでもなく、仏・法から生み出される方便の説示に対 しでも使われるものとなるであろう。 ︽

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更に法華経は窮子が除糞をして二十年過ぎた後の事に関して、心相体信入出無難と語っているが、 ﹃ 文 句 ﹄ は 心 相 体信の故に家業を委せうるし、家業を諸じて悉く知見を備えているから大志を成就し、意志通泰の故に家業を付与出 ハ ロ ︾ 来、そこから歓喜が生ずるのだ、とし、相体信とは互に相い信ずるなり、菩薩のために大乗を説くも虚に非らず、こ 智 樹 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ﹀

(16)

智 顕 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ︵ 望 月 ﹀ n u v れ即ち子の父を信ずるなり、とし、父子が互に信じあうのが相体信だとしそれを仏と衆生との関係の中にあてはめて いる。これからみると、この相体信で示される信もまた仏・法に対する信であることが解る。 しかして、この相体信に関して、 於 − 一 我 等 前 一 説 − − 大 乗 法 − 。 亦 是 合 − − 出 入 無 難 − 。 以 − 一 方 便 力 − 出 弁 = 二 乗 − 。 門 店 ︾ 前 − 明 − 一 仏 慈 一 耶 。 以 − − 仏 智 力 − 入 明 = 実 相 − 。 若 不 − 一 体 信 − 堂 於 − 一 我 と し 、 更 に 、 円 筒 ︶ 過 レ 是 己 後 。 心 相 体 信 弾 詞 庇 斥 。 令 = 恥 レ 小 慕 p 。 蓋 仏 衣 遮 = 醜 随 一 恩 。 と﹁世尊大恩﹂についての説明の中で相体信を語っている。相体信せざれば仏態を明さんやといい、相体信し小を恥 じ大を慕わしめという時、この二箇所に見られる相体信の信は、仏懇・大︿乗﹀に入るためのものであろう。 ( 74 ) してみると、信解品の注釈における信と信解の場合、この二語においては意に相異があることは明白に思われる。 ︹ 註 ︺ ハ1 ︶大正三四・七九中 ︵2 ﹀ 同 同 ・ 七 九 下 ︿ 3 ︶ 同 同 ・ 同 ︵ 4 ﹀ 同 同 ・ 同 ︿ 5 ︶ 同 九 ・ 二 ハ 中 ︵ 6 ﹀ 同 三 四 ・ 八

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上 。 心 発 に 関 し て ﹃ 文 句 ﹄ に は ﹁ 中 担 之 人 間 ν 説 コ 聾 轍 − 。 初 破 二 疑 惑 − 入 = 大 乗 見 道 − 故 名 為 ν 信 。 進 入 三 大 乗 修 道 − 故 名 為 ν ﹂ ハ 大 正 三 四 ・ 七 九 下 ﹀ の 言 葉 が 見 ら れ る 。 ︿7 V 大正九・一七上

(17)

ハ 8 ︶ ︿ 9 ﹀ ハ 叩 ﹀ ︵

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︵ 臼 ﹀ ハ 臼 ﹀ ︵ M ﹀ ︿ 時 ︶ ︿ 時 ﹀ 大 正 三 四 ・ 八 五 下 ﹃ 文 句 ﹄ は 釈 法 師 品 の 中 で 、 同 九 ・ 一 七 上 同三四・八六中 岡 九 ・ 一 七 上 、 尚 、 党 文 法 華 経 は こ れ に つ い て 信 に 関 す る 記 述 を し て は い な い 。 岡三四・八六中 同 同 ・ 同 下 、 こ の 文 意 の 後 ﹁ 仏 知 = 此 等 見 思 巴 断 閲 必 不 ν 誘 無 漏 根 利 聞 徴 生 v 。 此 即 父 信 レ 子 也 ﹂ と つ け 加 え て い る 。 大 正 三 四 ・ 八 八 中 間 同 ・ 九

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中 ﹁ 信 則 信 レ 理 理 即 法 身 。 ﹂ 大 正 三 四 ・ ニ

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中 と し て い る 。

5

( 75 ) 安楽行品の末尾の﹁若後悪世中 如 エ 上 諸 功 札 口 ︾ を 注 釈 し て ﹃ 文 句 ﹄ は 、 一 切 不 ν 能 = 温 壌 、 ・ : : ・ 叉 信 根 於 = 如 来 − 。 発 = 菩 提 心 所 − 得 − − 浄 信 心 − 。 説 − − 是 第 一 法 − 是 人 得 = 大 利 − 信 根 者 。 於 三 ニ 宝 − 得 = 堅 固 信 − 。 と語っている。第一法とは法華経のことであるから、仏滅後の弘経の勧めを説いたのが法華経であるが、弘経のため は信根にはじまる五根を挙げて説いたと思われ る。信根とは三宝を信ずというのは、阿含経以来の各経典に脈々と流れる基本姿勢であった。その信あれば一切温壌 そ こ で ﹃ 文 句 ﹄ には弘経者の心根が定まっていなければならない。 すること能わずという時、その信は当然堅固信でなければならないが、ことさらに堅固信と称したのは仏滅後の弘経 ち という前提のためであろう。そして信根は浄信心を得るというのは、古くは﹃倶舎論﹄に見ることが出来る。すなわ 智 顕 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ︿ 望 月 ︶

(18)

も の・信 で 調 あ 心 ろ 澄 智 う 浄 顕

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そ 、 れ こ は の 三 説 宝 示 に を 対 う し け 堅 と 固 め な た る信で、清浄なる信で、それ故にこそ法華経の広経につき進むべきことを示したものと思われる。 そこで後地涌出品は地涌の菩薩を出現せしめて、虚空会の説法を展開するが、その中で仏は地涌の菩薩の質問に答 えて、この衆生等は 始 見 = 我 身 − 聞 = 我 所 説 − 。 即 皆 信 受 入 コ 如 来 懇 一 。 だとしている。これをうけた﹃文句﹄は、 今 於 − − 此 経 − 入 = 於 仏 慈 − 。 明 文 在 レ 放 不 レ 須 ν 也 。 として、仏惑に入る道は法華経に対する信受であることを明言している。しかして、ここでの信受は党文法華経によ ( 16) る と 、 ︽ 7 v

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︵実に善男子よ、私を見るだけ聞くだけで信解し、仏の智慧を理解し入っている﹀ であるから、信受と訳されたものは

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目 は 、 咋 釦 A E V 仰が三宝に対する信であるの ︽ 8 v に対し、信じたものにたいしゆるぎない心を向けるという確たる信といえると思われるから、ここでの言葉は、法華 華経の﹁聞己信解 経を信解し、その確たる境地から弘経への行いにつなげられて行くべきことを暗示していると思われる。それ故、法 我等随喜﹂について﹃文句﹄は、﹁所化人間己信行我等随喜﹂としたのであろう。 そして従地涌出品は弥勤の疑をのべているが、これについて﹃文句﹄は、 ﹁ 我 等 難 コ 復 信 予 仏 ﹂ よ り 以 下 は 説 示 を 請

(19)

う意を明したものだとし、 一 為 − − 現 在 − 。 我 難 ν レ 違 信 而 己 実 。 然 諸 菩 薩 下 。 第 二 為 コ 未 来 − 浅 行 喜 生 − 一 誹 誘 − 。 新 然 発 意 者 誘 堕 = 悪 道 − 。 不 退 者 。 雄 = 信 不 p 誘 不 ν 能 ν 増 ν 道 。 若 為 分 別 。 務 者 則 生 ν 信 。 信 者 則 増 レ 道 。 と、信が増道につながらなければならないことを明示している。党文法華経によると、ここで示される信は宵削丘一角田晶 ︽

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の こ と で あ る か ら 、 先 程 の 信 解 仰 向 田 区

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ロ W 広が使われた入仏慧よりは弱く、信をもって仏慧への道がはじまることを 示しているように思われる。 如来寿量品は冒頭で仏語への信を強調して﹁汝等当信解如来誠諦之翠民というが、これをうけた﹃文句﹄は、 広 開 ν 近 顕 ν 遠 文 為 ヒ 一 。 先 誠 信 次 正 答 。 仏 旨 論 ν 誠 衆 受 為 ν 信

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− − ・ 誠 是 忠 誠 一 諦 是 審 実 。 不 レ 欺 − − 於 物 − 言 則 論 レ 真 。 背 七 方 便 随 他 意 語 非 ν 告 = 誠 実 − 。 今 随 自 意 語 示 レ 之 以 ν 要 。 故 言 = 誠 一 諦 − 。 菩 薩 既 奉 − 一 誠 誠 一 不 = 敢 致 p 疑 。 開 必 取 レ 信 信 − − 受 誠 ︽M V 言 − 也 。 ( 71 ) ﹃妙法華経﹄は信解となっているのに、﹃文句﹄は信となしているのであるが、党文法華経は、

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仰と表現をしている。この場合側

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は接頭語であ と し て い る 。 来の直実の語を信用し、信じ、 り宵色色何回仰の意を強めようとしているのであるから、信と表現してきしっかえない。何故、﹃妙法華経﹄が信解と表 現したのかは解らないが、如来の誠諦之語、真実の語を信ぜよと如来が誠誠するのかであるから、それをそのまま信 ずるという型の方がよかろうと思われる。 ﹃文句﹄が菩麓は既に誠誠しているから疑わず聞かば必ず信を取るという ︽ M m v ︽ U V のは、そのあたりを押さえているからであろう。そして、﹁我以エ仏眼−。観=其信等諸根利鈍乙をうけた 法華経の 智 鼠 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ﹀

(20)

智 樹 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ﹀ ﹃ 文 句 ﹄ は 、 信等諸根者。信等五根。慧根即了因。余根即縁均 v としているから、これは信・勤・念・定・慈の五根のことで、信宵仰向凶島町仰は第一の出発点であり、懇に到達する歩 ︽

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みに結びつくべきものと阿含経からの流れの中にとらえられていることを知ることが出来る。 ︽ 却 ︾ 分 別 功 徳 品 の ﹁ 復 有 − − 八 世 界 。 徴 座 数 衆 生 − 皆 発 = 阿 縛 多 羅 三 貌 三 菩 提 心 こ を う け た ﹃ 文 句 ﹄ は 、 八世界発レ心者。六根清浄人。初冬子信位−鵠 としているが、天台﹃四教儀﹄によると十信には、別教の十信と円教の十信とがあり、別教の十信は信・念・精進・ 慧・定・不退・廻向・護法・戒・顕であるとして菩蕗の五十二位を展開している。しかして、この十信は﹃菩麗現瑞 本業経﹄に示されるもので、それによると、菩薩行は十住・十行・十廻向・十地・等覚と妙覚の四十二位を次第に展 ( 78 ) 関するものだとし、初住に入る前に十順名字あり菩薩は常に十心を行ずとして、 所 謂 信 心 念 心 精 進 心 懇 心 定 心 不 退 心 廻 向 心 護 心 戒 心 願 心 。 仏 子 。 修 − − 行 是 心 − 。 若 経 三 劫 二 劫 三 劫 − 。 乃 得 レ 入 エ 初 住 ︽

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位 中 一 。 とされている。すなわち﹃四教儀﹄引用の十信は、これをうけたものと思われるが、ここでは四十二位の前段階とし て の 初 発 心 住 と さ れ て い る 。 ﹃四教儀﹄はこの十信を四十二位に加えて五十二位としており、別教では五十二位を七 科にわけ、更にこれを凡・聖にわけで、凡の中の信を外凡とし住・行・向を内凡とし、他は因の等覚、果の妙覚の聖 であるとしている。すなわち外凡とせられた信が十信である。そして円教に関して﹃四教儀﹄は位次に八ありとし、 五品弟子・十信・十住・十行・十廻向・十地・等覚・妙覚を挙げ、五品弟子位は外凡の位で、これは別教の十信と同

(21)

じ 次 で 進 三 次

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位 即 に 是 つ 十 い 信

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て としているが、これは分別功徳品に関する前掲の﹃文句﹄の引用句と同じである。﹃四教儀﹄はこれについて、初信に ︽ M V 見惑を断じ真理を顕し、二信より七信に至って思惑を断じ尽し、八信より十信に至り界内外の盛沙の惑を断じ尽す、 としているから、前掲の﹃文句﹄の言葉も一切の惑を断じ尽したことが八世界の発心者と理解してよいであろう。 そ し て ﹃ 文 句 ﹄ は 、 一念信解・略解言趣・広為他説・深信観成の現在の四信、初随喜・読読・説法・兼行六度・正 行六度の滅後の五品を説いている。この中の一念信解は法華経の﹁閲=仏寿命長遠如 v 是。乃至能生三念信解−。所得 戸

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功 徳 無 レ 有 − − 限 量 亡 を う け た も の で あ る が 、 今 釈 三 念 信 解 − 者 。 調 随 − − 所 開 処 − 筋 商 開 明 。 随 ν 而 入 無 レ 有 − − 塁 擬 − 。 信 二 切 法 皆 是 仏 法 − 。 叉 信 三 仏 法 不 ν 三 切 ( 79) 法 − 。 不 レ 得 − 一 仏 法 − 不 レ 得 − 二 切 法 − 。 而 見 二 切 法 − 。 亦 − − 見 仏 法 − 即 ν 一 而 三 。 即 ν 三 而 一 。 亦 是 行 = 於 非 道 − 通 − − 達 仏 道 − 。 行 = 於 仏 道 − 通 − − 達 一 一 切 道 − 。 不 レ 得 − − 仏 道 一 切 道 − 。 而 通 エ 達 仏 道 一 切 道 一 0 ・ : : ・ 無 ν 疑 日 レ 信 。 明 了 日 レ 解 。 是 為 三 念 信 解 心 − 也 。 と﹃文句﹄は注釈している。すなわち、信解を信と解にわけで、無疑と明了に区別しており、これが倶になって働 ︻ 幻 ︾ きはじめて、若し坐して思惟すれば、思惟した所に随って諮然として閑語し三諦に通達することになるとしている。 そしてこのような信解を鉄輪位というのだと。 党文法華経によるとここのところは、

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智頭﹃法華文句﹄における信︿望月︶

(22)

智 崩 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ﹀ ︽ 却 V C 仲 間 ︼ 脚 色

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品写

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︵如来の寿命長遠の説示の法門が説かれている時に、衆生たちが一度でも心をおこし、信解を生じ、信をなしたと し よ う ﹀ となされているから、信解は信宵包−

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仰 と 信 解 仰 向 田 区 自 ロ W 民の両語で語られているから、﹃文句﹄の理解はこれと相 通じている。そして信解は、桜部建博士によると、対象をしっかり捉えてそれを理解し確認する心のはたらきを意味 す る と 考 え て 誤 り は な い で あ ろ う と し 、 州 脚 色

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2 日は一方で﹁︹何かに︺意を向ける傾向﹂を意味し、 ︽ 却 ︾ 惑せぬこと、確信﹂を意味する、とされているから、それは諮然と開悟し三諦に通達するという﹃文句﹄の意に通じ 他方で﹁疑 て い る 。 それ故に、信解

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出 品 目 ロ 宮 山 は 単 な る 理 解 で は な く 、 仏 道 の 全 て に 及 ぶ も の で な け れ ば な ら な い 。 し か し て 、 一 解 。 未 一 一 是 具 足 鉄 輪 、 乃 是 十 信 之 初 心 。 其 人 未 レ 得 = 六 根 清 浄 − 。 故 非 = 鉄 輪 正 位 一 物 ( 80) といわれるのもそのためであろう。 ここでの一解は鉄輪位にないので凡外の信で、 信解ではないことになるであろ ぅ 。 そ れ 故 に こ そ 、 願 我 於 − − 未 来 − 者 。 起 = 慈 悲 願 − 也 。 籍 − − 久 行 願 − 聞 ν 信 解 。 今 之 初 品 始 開 = 此 経 二 念 信 解 。 功 等 − − 久 行 − 。 亦 乃 過 ν 也 。 といわれる。すなわち、法華経を信じ、それをしっかりと理解し確信しゆるぎない心のあり方は、仏の境地を体得す るあり方なのであり、そこをもって絡然として開悟し三諦に通達といわれたのであろう。 し か し て 、 ﹃文句﹄は一念信解から始まる略言言趣、広為他説、深信観成と論をすすめて、初の二品は但だ信解で 未だ敷説しないから閲慈の位で、広為他説は他のために説くから思惑の位で、深信観成は上の三品を備え更に観行を

(23)

修することを加え、禅に入って態を用い想成じ相なり、有余の実報の両土の相貌を見るから修慈の位だとし、浅より ︿ 忽 ︾ 深 に ゆ き 六 根 清 浄 の 十 信 の 位 と な る と し て い る 。 信 は 慈 唱 側 四 国 一 仰 を め ざ す も の だ と い う あ り 方 は 、 すでに阿含経以来 の 経 典 に 見 ら れ た こ と で あ る が 、 ﹃文句﹄の理解もまた、その上に立っていることを認めうるであろうが、そここそ ゆるぎない境地だからであろう。 そして、滅後の五品に関して論述した﹃文句﹄は、 結 − − 此 五 口 問 − 。 前 三 人 是 閲 慈 位 。 兼 行 六 度 思 惑 位 。 正 行 六 度 是 修 慧 位 。 都 是 十 信 前 耳 。 或 云 。

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位 一 。 分 = 一 品 − 為 = 雨 心 − 。 五 品 即 十 信 心 。 即 是 鉄 輪 六 根 清 浄 位 也 。 初随喜品。是入=信心 と し て い る 。 ︹ 註 ︺ ハ 1 ︶大正九・三九下 ハ2 V 同三四・一二四中 ハ 3 ﹀拙著﹃法華経における信の研究序説﹄参照 ハ 4 ﹀大正二九・一七八中、﹀ Z E V R E m

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− M ハ 8 ﹀ 信 払 ﹃ 削 w V H H 信 解 脚 色 町 民 自 己 同 仲 間 に つ い て は 、 多 く の 学 者 に よ っ て 言 及 が な さ れ て い る 。 そ の 要 約 が 拙 著 ﹃ 法 華 経 に お け る 信 の 研 究 序 説 ﹄ に あ る 。 一

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十 六 ハ9 V 大正九・四

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− ω C M ハ却︶岡三四・一二五下 智 顕 ﹃ 法 華 文 句 ﹄ に お け る 信 ハ 望 月 ﹀ ( 81)

(24)

智顕﹃法華文句﹄における信︿望月﹀ ︵ U ︶ ハ ロ ︶ ハ 日 ︶ ハ M ︶ ︿ 日 ︶ ︿ 時 ︶ ︿ 口 ﹀ ︿ 施 ﹀ ︿ 印 ﹀ ︿ 初 ﹀ ︿ 幻 ﹀ ︿

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﹀ ︿ 鈍 ﹀ ︿ お ﹀ ︿ お ﹀ ︿ 幻 ﹀ ︵ 犯 ﹀ ハ 却 ﹀ ハ 初 ﹀ ︿ 釘 ﹀ ︿ 沼 ﹀ ハ お ﹀ 大 正 三 四 ・ 一 二 六 上 印 刷 丘 町 ・ ω

大正九・四二中 間三四・一二九中

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下 印 刷 w a v ・ ω H 旬 拙 著 ・ 前 掲 書 ・ 五 四 八

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五 五

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参 照 大正九・四二下、 ω ω S F ω

同三四・一三

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中 拙著・前掲書・二一、三五、四五、六七等参照 大正九・四四上 同三四・一三六下 同二四・一

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ニ 下 同四六・七七九中 同 同 ・ 七 七 九 中 J 下 問 九 ・ 四 四 下 同三四・二二七中

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下 同 同 ・ 一 三 七 下 印 刷 w a v ・ ω ω N 桜部建﹃仏教語の研究﹄三七

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= 一 八 大正三四・一三七下 同 同 ・ 同 同 同 ・ 一 三 七 下

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一 三 八 上 同 同 ・ = 二 八 中 ( 82)

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