研究紀要
第49号
昭和52年3月
学生のための練成修養道場(手前)
(本誌138頁参!照)
日蓮聖人の﹁時﹂の意識⋮・⋮⋮・⋮・⋮⋮:。:⋮・⋮・⋮⋮:⋮⋮:⋮・⋮⋮町田是
崔︵岸冒︺︹︼眞丙陸と砕且Qぽい⋮⋮⋮:.:・・・⋮・⋮⋮⋮..⋮.:⋮⋮⋮..⋮・⋮⋮望月海l化城・五百弟子・法師品を中心としてI
第二十九回・日蓮宗教学研究大会紀要⋮⋮⋮⋮⋮.:⋮⋮⋮⋮:.⋮・⋮・⋮⋮:::⋮⋮・⋮⋮⋮⋮命︶ 伝教大師最澄の戒律・⋮⋮:⋮.::⋮・⋮・・⋮・:・⋮.::⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮望月不軽と上行⋮⋮⋮・⋮⋮:⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮・⋮・⋮⋮⋮⋮・⋮⋮中條
大唐西域記研究②.:⋮⋮・・・⋮⋮・⋮⋮・⋮⋮・・・⋮。::・・⋮・⋮⋮:.⋮・・⋮高橋堯昭︵”︶ 11烏丈那国の仏教を手がかりとして11︲日唱の身延除歴事件について⋮.:.:.⋮:⋮・⋮⋮⋮:。:⋮⋮⋮⋮・⋮:⋮林是晋︵宛︶
身延山における日蓮聖人⋮・⋮⋮・⋮⋮⋮⋮。:⋮・⋮⋮:.⋮⋮⋮⋮⋮:..:上田 11弘安元年の秋と冬11 学園蕊報・学園便り⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮・・・⋮:⋮⋮:⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮・⋮⋮⋮:。⋮⋮:⋮:.:⋮・⋮:.⋮⋮:。⋮︵顕︶編集後記
棲神第四十九号目次
本海暁 英秀 へへ 83 62 ーー 淑正 へへ I8 I 讐一 昌︵”︶一まえがき
日蓮聖人の御文書を拝読しますと、或るときは元気汪溢した情感の息吹にふれて生きる歓びを教えられ、又あるときは、慈愛あ ふれる人間愛にほだされて涙を誘われるのである。たとえば、開目紗の﹁日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及事な けれども、難を忍び慈悲すぐれたる事をそれをもいだきぬぺし⋮⋮﹂︵昭定逝五五九頁︶という、忍難慈勝に生きられた法華経色 皇ク ス .レリ ュタ︽ノ
読の感慨に面奉し、あるいは寺泊御密において﹁勧持品云有二諸無智人一悪口罵晋等言云。日蓮当二此の経文一。⋮⋮過去不軽品今勧 持品。令勧持晶過去不軽品也。令衝持喰未来風為二不軽品一。其暁廊蓮師臥蕊不軽菩薩⋮⋮﹂︵昭定遺五一四頁︶との不軽菩薩 の人間絶対礼拝行に徴しつつ、宝塔品六難九易の此経難持の﹁難持﹂の実践に自己の生命を賭した信の展開など、文脈から溢れで る情感にふれることは、まことに感動の一語につきるのである。 七五=一 、 、 、 、 まえがき 時の認識とは 人間省察の眼 末法衆生の救済日蓮聖人の﹁時﹂の意識
目 次 八六四三 、 、 、 、 時と人間 時に生きるとは 時を超克するとは むすび とき町田是正
(I )いま、右の精神医によって、﹁墓をつくる生物は人間だけだ﹂と、断定的に提言をされてゑると、そのコトバの意 味する大きさに改めて驚かされるのである。よしんぱ、﹁人間は墓をつくる生物だ﹂と提言されてみて、強烈な衝撃 ある精神科の医者は、その著書のなかで次のように述べている。 ○﹁⋮⋮基をつくる生物は人間だけである。この事実は非常に象徴的な意味をもっている⋮⋮﹂︵箱崎総一﹁脳の神話﹂・毎日新 また他の御文密に於ては﹁⋮⋮日蓮今生には貧窮下賎と生れ、鮪陀羅が家より出でたり。心こそすこし法華経を信じたる棟なれ ど、身は人身に似て畜身也:.⋮﹂︵佐渡御宙・六一四頁︶と云い、また﹁⋮⋮いたづらにくさん身を法華経の御故に捨てまいらせ ん事、あに石に金をかふるにあらずや⋮⋮﹂︵佐渡御勘気妙・五二頁︶と述懐されておられる。施陀羅が民として宿業を背負っ た生身の自覚、そして熾悔滅罪への菩薩道︵忍難慈勝︶を歩まねばならない厳しくも苦しい試練の覚悟を表明、さらには法華一乗 の信に生かされたことへの法悦など、そこには赤裸々な人間として、真実に生きることが出来た宗教者の歓喜の心傭があふれでて いる。切々として我々の胸にせまりきて法涙を襟じえないのである。 また建治二年身延山において認ためられた光日房御雷では、﹁⋮⋮父母のはかをもみよかしと、ふかくをもうゆへにいまに生国
夕γ
へはいたらねども、さすがこひしくて、吹風、立くもまでも、東のかたと申せば、庵をいでて身にふれ、庭に立てみるなり.:⋮﹂ ︵昭定逝二五五︶と、父母を慕い、郷愁をわきたたせている。余りにも人間的な一面、あるいは、弟子・檀那衆に与えられた慈 愛と教示にみちた御手紙の数々など、それは七百年の時間をとびこえて身近かに恩顔を拝する思いである。筆者のように宗学に素 養の無い者にしてその琴線にふれる思いがするのである。さて、宗祖の生涯について、従来色々な一言アンスをもって語られてき た。筆者が鐡仰するのに、その生涯は堪えに堪えた﹁願﹂倉巴と﹁祈﹂︵行︶の軌跡ではなかったか。末法の現実のなかで、無冠の 民・鮪陀羅が子として揮身こめての生きざまであったと思う。此処に、歴史的現実と対決しつつ主体的に生きた典型をみることが 出来るのである。歴史の渦中に生きる人間の志向︵目的︶が示唆されているのではなかろうか。この小論では、歴史と人間の関り について、宗祖の御生涯を範として、一つの試論を展開してみたいと思う。 聞社刊・一九九頁︶二時と人間
(2)人間だけである﹂と峰 人間が生きるとは、 中に次の一文がある。 をうけるのが筆者一人であったとしても、筆者はその衝撃のめくるめく想いを吐露せずにはおれない。 人間が﹁墓﹂をつくるということは、人間が死を理解できるということである。先史時代の埋葬の遺風のなかに、
︵過去︶︵現在︶︵未来︶
すでに死の観念の痕跡が認められている。さて、我念が死を理解するということは、昨日があり、今日があり、明日 ●●●● があるという、時の流れを理解できる能力を示していよう。この時の流れを理解できる能力、それはまさしく胸奥に 渦巻く底知れない不安・恐怖と斗っている事実を示しているのである。 ●●●● 人間は喜びと不安の交錯するとき。激しい感情のもつれからときめきをおぼえるとき・そこに﹁救われたい﹂との 願望がうまれます。それは生きることの苦・死に対する不安・恐怖から身を守りたいとする願望であろう。若しも ﹁死﹂の理解がなかったならば、地獄極楽の思想・欣求浄土の思想はうまれなかったであろう。﹁墓をつくる生物は ︵客観的実在としての時の内に被投されている人間︶ 人間だけである﹂とは、時の流れのなかにある人間、その人間の死と生の認識を示唆したものである。 ︵過現未︶ 人間が生きるとは、時間の流れを意識することであり、人間が死ぬことは時間の断絶ということである。法華経の ○﹁三界無安・猶如火宅・衆苦充満・甚可怖畏・常有生老・病死有患・如是等火・熾然不息﹂︵﹁法華経唇輸品﹂・坂本・岩本訳注 ﹁法華経﹂上巻・岩波文庫一九八頁︶ ︵娑婆!夫法︶ この法華経の文意は、我々の現実世界には幾多の苦悩がゑちあふれ、人々はさいなまれ、その業火は消えることが ないと云うのである。しかも先述してきた内容から明らかな如く、これらの業苦はすべて時間の流れと深い関りをも っている。その苦悩・不安が大きく深いほど、対応する時間の意味も強まるのである。 ○﹁諸行無常・是生減法・生滅滅巳・寂滅為楽﹂︵大般混梁経・聖行品十九︶ (3)︵賭行無常︶ 人間の生と死と共にある時間の意味を考えることも大事である。がしかし、我盈は生と死に関わる時間だけではな ︵過現未に流れる︶ く、その生死を超えた時間の考察も大切である。前者は客観的実在としての時間であり、後者は人間によって主体的 ︵創造的︶ に意識された時間である。即ち我全は、創造的に主体的に時間を把握する志向を有することが大事であり、それが本 来的に意味があるのではなかろうか。 すでに理解されたように、時間の意識は人間だけのものである。動物には時間の認識はない。あの屠殺場へと運搬 されていく動物には屠殺される恐怖はゑられない。即ち動物には時間を意識する能力はないのである。さて、時間は ︵椴械的時間︶ 静かに来たり、また静かに去ってゆく。しかし、その客観的時間のなかで、主体的に行動し意識された時間というの ︵窓志的︶ は、静かに過ぎ去る時間ではない。それこそ主体的に把握された時間なのである。 日蓮聖人は﹁開目紗﹂の中で次のようにのべられている。 ︿ログ ○﹁⋮⋮経文に我が身ふどうせり、御勘気をかほむれぱいよいよ悦を増すべし、﹂︵昭定逝五六○頁︶。﹁日蓮が流罪今生小苦な ればなげかしからず。後生には大楽をうぐぺければ大に悦し﹂︵昭定遺六○九頁︶ 右の宗祖の聖文は、我々の体験的常識からすれば奇異の感をうけるのである。我灸は他から危害を加えられ、精神 対ぽえる 的に肉体的に苦痛を体験するときは、その迫害から逃避しようとするであろう。 然るに宗祖は、御勘気を蒙むれば法悦を増すべし、と仰せられている。あの忍難弘教の一刹那一刹那が重要な意味 ︵湛えるとき︶ をもっていたことが理解されるのである。宗祖御自身、色読坤吟の時にこそ法悦歓喜があったのである。当にそれは、 客観的時間から創造的時間へと、揚棄される瞬間︵刹那︶の連続であったのではなかろうか。 つながり 宗祖の御生涯は、時と人との深い関係を示唆されている。断わるまでもないが、宗祖の﹁時﹂の意識は、時そのも (4)
余年であった。
三時の認識とは/
︽法然上人・源空著︶︵栄西上人・明庵著︶︵二九八年︶ 鎌倉新仏教の興起の時点を、﹁選択本願念仏集﹂と﹁興禅護国論﹂の両書が世にでた建久九年とすることには異論 二九○’一二○一−言二九’一二二二’一二三二’一二四九’一二六○’一二六一’一二六四’一二七五’一二はなかろう。この両書公刊以来、建久・建仁・承久・貞応・貞永・建長・文応・弘長・文永・建治・弘
七八’一二九二’一二九九l 安・永仁・正安に至る百年間は、まさに有為転変の世相で︵建久から正安に至る間、年号改暦三十四回に及ぶ︶ 同時にこの一世紀は鎌倉仏教にとっても意義の深い時代であった。 ︵二三三’一二一二︶︵二四一I言二五︶二一七三’一二六二︶︵一二︵︺Ul一二五三︶︵一二二二’一二八二︶︵一二三九’一二八九︶即ち法然・栄西・親鴬。道元・日蓮。一遍等々、各宗派の開祖
が命をかけて弘教と思索を深めていた時代である。そして同時に、有為転変・末法的危機が実感として受容された百 かって辻善之助博士は、﹁鎌倉仏教には二つの大きな流れがある。その一は旧仏教の復起で、一は新仏教の興起で ある。この二つの流れは何れも末法思想に淵源している﹂Q鯉雛型黙唖︶と述べられたが、鎌倉仏教のすべてが 末法思想と深い関りをもち、等しくそれを超克することを共通の課題としていた。 る。その把握された時間の持続が忍難弘教の六十一年であられたのである。 のの哲学的な思索を意図されたものではない。法華経色読の軌跡そのものが、主体的に創造されていった時間であ ※我国の末法当初の年次については文献によって差違がある。溌異記は五六五年説。末法灯明記は八九二年説。法相灯明記は一三 九二年説をとっているが、当時の職者の大方は、秘蔵宝論・扶桑略記にみえる﹁一○五二年病永承七年︶説を採っていた。この ﹁永承七年﹂説の出処は周密異記にあり、仏滅年を周穆王壬申五三年・前九四九年となし、正像各千年説をとったものである。 鎌倉仏教の展開は当に末法世相の只中でなされたわけである。 (5)日蓮聖人の時代認識、それは云うまでもなく法華経の弘教を使命とされた立場からのものである。 ○﹁時者弘二仏教一人必可し知し時⋮⋮不し知し時弘レ法無し益還堕二悪道一也。⋮⋮当世入二末法三百一十余年也。椛経念仏等時欺。法華 経時歎。能能可レ勘二時国一也﹂︵教機時国紗・昭定遺二四二頁︶ 〃 ○﹁夫仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。⋮⋮いかなる時にか法華経を説くきや。⋮⋮いかでか時機をしるべき。求云す ル こしも知事あるぺからざるか。答云仏眼をかって時機をかんがへよ﹂︵撰時抄・昭定遺一○○三、一○○五頁︶ 右に摘出した御文書の以外にも、﹁時﹂に言及された聖文は多く散見される。宗祖の﹁時﹂に対する認識は、自己 が生かされている現実の省察である。また同時に、法華経弘教者としての意識である。 日蓮聖人の﹁時﹂の認識に関する問題は、単に﹁時﹂そのものの認識にとどまるものではない。宗祖の時に対する 認識の問題は、思想・教学・人間性、更には宗教理念とも関わるものである。 宗祖は次のようにも述べておられる。 ○﹁滅後之中末法今時日蓮等為也⋮⋮﹂︵法華取要抄・定遺八一四頁︶ ○而に法華経の第五の巻勧持品の二十行の偶は日蓮だにも此国に生ずば、ほとをど世尊は大妄語の人⋮⋮﹂︵開目抄・定遺五五九 た。宗麺 えない。 鎌倉仏教の展開過程は、三期に分けて考えられている。第一期は法然・栄西の開拓者的段階、第二期は親驚・道元 の思想深化と充実の段階、第三期は元憲前後の危機の強まった段階で、宗祖はこの第三期の時代を活動の舞台とされ た。宗祖が末法意識に於て、とりわけて深い思念をされたことには、当時の緊張した歴史的背景のあることを見逃し ○﹁日蓮末法に出ずば仏は大妄語人、多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり.・・⋮﹂︵聖人御難事・定遺一六七三頁︶ 頁 曹
◇◇
(6)日蓮聖人の生涯は、忍難弘通とか捨身弘教、或は忍難慈勝であったと云われている。忍難を背負うた弘教は、末法な ●●●●● △ 〃 るが故にかせられた試練であろう。法華経第五巻二十行偶の色読は、末法弘教者の使命でなければならなかった。法 師・安楽両品に承られる﹁如来現在、猶多怨嫉、況滅度後﹂。.切世間、多怨難信﹂等の聖文は、末法弘教者に対 する耐難試煉を予言したものである。この予言は適中した。否、適中したのではなく、末法応現の行者として行動し 適中せしめたのである。能動的に時の中に生きられたのである。 宗祖がぷずから﹁日蓮﹂と名号された、その文字的根拠を法華経に求めたことは周知のところである。 ︵末法︶ 右のコト・︿は明らかに法華経行者の自覚の宣命であり、また象徴的に﹁時﹂に生きられた立場の表現である。 宗祖が法華一乗の絶対信に生き、その後五百歳広宣流布を悲願とされたことは周知のところである。実は捨身弘教 といわれる生涯が、とりもなおさず時に生きたことなのである。謂うなれば忍難弘教の生涯、それは﹁生きた時間﹂ の持続、創造的時間の連環であった。即ち、時間の持続とは歴史を生きたことなのである。法華経行者とは、真実を あか もって末法中を生きた証しでもある。 ※﹁時﹂と人の相関を理解するために、次の一文を掲げておこう。渡辺慧氏は﹁時間と自由﹂の中で、﹁⋮⋮平滑な時間は眠った 時間であり、危機は動く時間といえよう。⋮⋮人は危機に際会して二つの反応を示す、一は何かが起りそうだという予想であり、 もう一つは何かしなければならないとい当為感である。多くの場合この両者を同時に感じる。その二つの絡み合いは、一見矛盾 でありながら、ただ一つの人間の行動決定の機櫛の深底にいつも潜んでいる。前者は受動的時間観・後者は能動的時間観といっ てよいであろう﹂︵﹁思想﹂恥六○六昭和四十九年八月具己
四時に生きるとは/
(7)○﹁明かなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名く。日蓮又日月と 蓮華との如くなり﹂︵四条金吾女房御樗・昭定遺四八四頁︶ 惟うに、日輪と蓮華とに象徴される理想を胸に秘め、末法弘教者の道を歩むことを大願とされたのが﹁日蓮﹂の意 ︵如日月光明⋮︶︵如運蕊在水⋮︶たましぃ 味であろう。﹁日﹂と﹁蓮﹂の二字の中に、宗祖は生命を祈りこめたのではないか。末法の色読者の頭上にふりか かる迫害を覚悟すると同時に、その法難に遭遇することで、末法闇中に日輪と輝くことができ、末法濁世中に顛郁と 大白蓮の芳香を放ちうるという、法悦の歓喜をあふれさせているのである。 ︵建長五年四月二十八日開宗︶ 宗祖が﹁日蓮﹂と名号された時、そのときに、あれか.これか.という二者択一の絶対的岐路の巌頭に立ち、あえ て﹁我不愛身命﹂の苦斗と、﹁但惜無上道﹂の正法のために生きようとする、厳しい色読の道をえらびとられたので
て覇
ある。 日蓮聖人は自己の行動について、次のようなコト・︿で示されている。 ○﹁⋮⋮日蓮当二此経文一。⋮⋮日蓮読二此経文一⋮⋮過去不軽品今勧持品。今勧持品過去不軽品也.令禰持姪黍臥為恭軽品一。其 ︽しりニ ハメリワ ロク︽、クノ︽ノ
︽ハシル
時日蓮即可レ為二不軽菩薩一・⋮・・﹂全苛泊御書・二昭定遮五一四頁︶ 宗祖のコト・ハには、果して自己が法華経の色読者なるか、はては色読者に非ざるか、という自己に対する確かめが ︵折りの行︶ 承られる。不軽菩薩の絶対人間礼拝の姿に徴して、自己の行動軌跡を願り見、また省察している。右の寺泊御害の執 筆は文永八年十月である。既に伊豆・小松原・竜口断頭の値難の色読軌跡である。にも拘らずこの時点でなお冷厳な までに自己を見詰められる態度には、信と行の原点を見る思いがするのである。 先の寺泊御書の短い文脈中に、宗祖の悲願が揮身たたきこまれているのである。換言すれば、正法流布を使命とす (8)五人間省察の眼〆
装寸餓転げ倉くるしみもだ九あならめうめく
人間が自己の存在を意識することの契機は、その人間が悲哀、苦悶、襖悩、絶望、坤吟といった限界状況の世界によろこびはげしさいきいきいのち
投げだされたときであろう。また、歓喜と情熱と、躍動する生の息吹にふれたとき、燃える生命を意識するであろう。 サソゲ そして、この自己を厳しく問いみつめる契機は﹁餓悔﹂のときであると思う。 此処で日蓮聖人の要文を摘出し、その聖意を拝することにする。 ○﹁既に経文のごとく、悪口罵督刀杖瓦礫数数見摘出と説れて、かかるめに値候こそ法華経をよむには候らめと、いよいよ信心も おこり後生もたのもしく候・⋮⋮日蓮は日本国東夷東条安房国海辺の旛陀羅が子也。いたづらにくちん身を、法華経の御故に拾 まいらせん事あに石に金をかふるにあらずや⋮:.﹂︵佐度御勘気抄・昭定遺五一○頁︶ ○﹁何に況や日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ、浦陀羅が家より出でたり。心こそすこし法華経を信じたる禄なれども、身は人身 に似て畜身也。⋮⋮我今度の御勘気は世間の失一分もなし。偏に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし ⋮⋮﹂︵佐渡御密・昭定遺六一四頁︶ ○﹁⋮・・・此身を法華経にかうるは石に金をかえ、糞に米をかうるなり。⋮⋮法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末 法の始に﹄澗浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり。⋮⋮法華経のために身をすてん事ょ。くさきかうぺをはな れたれば沙に金をかへ石に珠をあきなへるがごとし⋮⋮﹂︵種々御振舞書・昭定選九六一・九六三︶ わたくしセンダヲ いま宗祖は告白︵餓悔︶されている。日蓮は東海の漁師の子として誕まれた宿業深き身である。ともすれば安房の 真砂のように波にもまれ、流され、或は路傍の小石同様に踏承捨てられ、懐かなく消え果てたであろう凡性の身であ る。ところが、此の身が釈尊出世の本懐たる法華経に遜遁することができた。この事は重科に沈む小石が金剛石へと が示唆されていると云えよう。 る行者の自覚と、正法弘教者︵ 正法弘教者の時代意識が展開されている。在世と末法という次元を超えて、正法流布者の在りよう (9)なり代った程に尊いことである。今生の法悦は言説に尽しがたいのである、とまことに意味の深い御文書である。 前掲の御文書を拝するとき、次のような聖意を汲承とることができよう。H、御自身を栴陀羅が子、宿業の重科を わたくし 背負った身、無冠の民であるとなしていること。口、日蓮が法華経を値遇聞法・色読できたことは、一眼の亀の浮木 みちのり の孔に遭遇するの醤にも似た千戦一遇の好機である。日、無冠の民・日蓮が忍難弘教の道程を歩むことは、石を黄金 に替える程に尊いことである、と。宗祖はどうして、これ程までに自己に厳しく、また赤裸々な姿をさらけるのであ かせけ鄙れ ろうか。それは当しく餓悔に身をふるわせたからではなかったか。餓悔とはこの自己が宿業と汚悪にまみれ在ること
ゆるしみとめた
を認め、自己の全てを投げだして忍恕を乞うことである。従って、自己の罪悪を告白しただけでは十分ではなく、そ をこと みえかざり こに真実があり、誇張と虚飾をかなぐり捨てるものがなければならない。宗祖の栴陀羅が民の宣言には、赤裸倉に生 きたいとする人間省察への深い認識があったのである。 先に摘出した佐渡御勘気紗などの要文は、明らかに宗祖の餓悔の意識を表明したものである。宗祖は他の御書に於 昭定週二五九頁 て﹁小罪なれども餓悔せざれぱ悪道をまぬがれず、大逆なれども餓悔すれば罪きえぬ﹂︵光日房御書︶、また﹁餓悔 ズ ツ 昭定遺二四八頁 なければ必地獄に堕くし﹂︵顕誘法紗︶とも申されている。そこには餓悔滅罪への祈りがこめられていよう。日蓮聖 人の餓悔とは、自己をして栴陀羅が子・宿業の重科に沈む身であると位置づけ、それがために宝塔品六難九易の忍難 ︵日蓮︶ に生きることが餓悔者であるとされたのである。我不受身命の色読の英姿は、そのままに餓悔滅罪の真実に生きられ た聖姿であったと云えよう。謂うなれば、宿業意識に我が身を沈めつつも、そこに餓悔することの意義を教示され、 宗教者として生きる尊厳性を示されたのではなかろうか。警人鼠橇蕊蕊蕊農謹人も溌驚韓螺窪。だがしかし、曹ば同時に仏篭人間なのである.
(〃)だからこそ、宗祖は菩提の覚知を求めて真筆に生きられたのである。煩悩的人間がみずからを餓悔し、真実に生きよ うとするところに人間存在の意義がある。餓悔に生きる人間とは、仏性の開顕をめざして、真筆に生きようとする祈 りの姿であらねばならない。餓悔に於て自己を新たになし、明日に向って新たに出発する契機でありたい。 ︵建長五年立教開害︶︵無となす︶ 日蓮聖人が法華経色読の道を自ら選択されたとき、自らを捨身する覚悟があった。自らを捨身するとは、餓悔道に 生きようとすることである。餓悔から法悦へ、法悦はまた餓悔へと、宗祖の生涯は融通無腰であった。この自己を法
︵拾身︶︵法華腿行者の自覚︶
華経の為に﹁無﹂とすることが、かえって宗教的歓喜をよび覚まされる存在であった。 ※宗祖の人間省察の眼は、鋭く深く、自己をみつめられ、同時に末法の我々に対して人間省察の在り方を示唆されている。自己を して旛陀羅が民として位置づけ、宿業滅罪の立場︵熾悔者の立場︶から省察されると同時に、過去世深重の誇法の徒であるとの 意識を通して更に重科に沈みつつ省察されるのである。これ程の宗教的実存が他にあろうか。因に本尊抄中に﹁仏出埋非レ蕊霊 ノノ ノノ スニノノクキノ
山八年諸人一。為二正像末人一也。又非し為二正像二千年人一・末法始為二如レ予者一也﹂︵昭定遺七一九頁︶と述べられているが、いま ﹁予が如き者﹂とは、当に三惑未断過去誇法者としての日蓮聖人御自身の俄悔の発心である。熾悔道の道程を確かな足どりで踏 み行く姿こそ、宗祖の英姿であると讃仰したいのである。六﹁時﹂を超克するとは/
テ ユルルーノノ︽チテヲ
○﹁日本風当世如来滅後二千二百一十余年。当二後五百歳一妙法蓮華経広宣流布之時刻也。是知レ時也而日本当世学者或勉二法華経一 ユシァハヘテノヲ§ノワハテワシムノヲハヘル二
一向行二称名念仏一或教二小乗戒律一蔑二叡山大僧一或立二教外一軽二法華正法一此等迷レ時者欺。.:。:﹂︵教機時国妙・昭定遺二四四頁︶ 日蓮聖人の﹁時﹂に対する意識、それは云うまでもなく法華経色読者としての立場のものである。その﹁時﹂とい︵歴史︶︵末法︶
うのは、断るまでもなく後五百歳末法斗課の﹁時﹂のことである。そして、その﹁時﹂は絶対に超克されるものでな ●oooooo︵正法︶ ければならないとされた。それは理屈ではなく信念であられたのである。末法なるが故に法華経が流布され、本未有 (血)︵済度︶ 然しながら、宗祖が末法なるが故に法華経︵正法︶が流布され、一切衆生が救済される時であるとされることは、 いささか奇異の感を受けるのである。即ち、教機時国紗の中に於て﹁後五百歳に当って妙法蓮華経広宣流布の時な り﹂と、仰せられていることは、矛盾した思考論理のように思われる。本来、末法思想とは、正像末三時の経過につ れて衰退下降を辿り、白法隠没して証果は得られないとするのである。だとすれば、第三末法時に﹁正法﹂が流布さ れることはあり得ないとするのが常識的な受容意識ではなかろうか。それにも拘らず、宗祖は﹁末法時を以って正法 主こと 流布の時﹂とされ、その弘教者こそ真実に生きる行者となり得るとされた。そのことは、正像末三時の経過を否定し た時間倒錯の思惟を示されているのではなかろうか。 宗祖は種々御振舞御書に於て次のように云うのである。 ○﹁在世は今にあり、今は在世なり﹂︵昭定遺九七一頁︶
︵仏在世︶︵末法︶︵空間︶
即ち﹁在世﹂と﹁今﹂という全く次元を異にする概念を同時点で認めようとしている。若し論理的な範鴫で表現す れば、異なった概念なり、次元の違う世界を同じ立場で把握することは、明らかに矛盾している。しかるに宗祖は、 この矛盾論理を超克して﹁今は在世なり﹂と述べられるのである。 宗祖は他の御文書に於て、更に明確に﹁末法を正となす﹂との論を展開される。それは畢生観心の書とされる本尊 紗・法華取要抄において強調されるのである。ノノ︽ルニ
ワシトテ ワ入ト レ︽アテフストノ
ユモテノワ ○﹁迩門十四品正宗八品一往見レ之以二二乗一為し正以二菩薩凡夫一為し傍○再往勘し之以二凡夫正像末一為し正。正像末三時之中以二末法始一 ︵衆生︶ 善の末法の劣機といえども救済されるものでなければならないとされた、極めて能動的・積極的な信念の展開なので ある。 (I2)︵現在︶︵過去︶︵時間的︶
さて、﹁末法為正﹂とは、末法である当代を正法の時代へと還元して、歴史的同質性を容認しようとするもので、 ながれ 明らかに時間の経過を否定する思惟であり、時間的・空間的な限界をのりこえる論理的構造を示唆していよう。然し︵正法︶︵当代︶アンテイノ・忍・︲
ながら、次元を異にする﹁在世﹂と﹁末法﹂を同質的・同時的に容認しようとすることは、明らかに二律背反的主張 ︵命題︶︵櫓利︶ であろう。我左の常識的見解からすれば、互に相い反する概念を同等の立場で認めることは矛盾論理である。にも拘 ●●●●● らず、宗祖はこの矛盾した思考論理をのりこえて、﹁末法を以って正となす﹂と強調してやまないのである。 日蓮聖人が﹁末法為正﹂と主張されるのは、真実に生きた宗教者であったが為である。謂うまでもなく、宗教の究 極の目標は人間の救済にある。畢覚するに、﹁末法為正﹂と主張される精神は、末法の劣機であろうとも救済されな 右の御文書のなかで、﹁正像末三時之中以二末法始一為二正中正一﹂︵本尊抄︶、また﹁以二末法一為し正⋮⋮﹂︵取要紗︶ とあって、明確に﹁末法為正﹂の理念を強調されている。実は﹁末法為正﹂という宗教理念は、宗祖の教学の支柱を ︵苦悩・不安︶ なすものであることは周知の所である。末法をいかに克服するか、その克服理念の追究にこそ教学のすべてが関わっ ているのである。 入力ノトチタ 為二正中正一。問日其証如何。謹旦法師曇︽、瞳縫者如来現缶濟参一怨嫉一況滅度後。宝塔品云令二法久住一乃至所し来化仏当レ知二此 ヤノガヤ ュクムワシテゼノしん二心
シルワシテスレパニテワストフス
意一等。勧持・安楽等可レ見し之。通門如し是。以二本門一論し之一向以二末法之初一為二正機一・⋮⋮本門序正流通倶以二末法之始一為し 詮。﹂︵観心本尊抄・昭定遺一巻七一四頁︶卜ユメハテノワストノハ
ナワスレハ ○﹁自二安楽行一勧持・提婆・宝塔・法師逆次読レ之以二滅後衆生一為し本。在世衆生傍也。以二滅後一論し之正法一千年。像法一千桑樗 也。以二末法患し喝末浅祭腓一日蓮為し正也。問日其証拠如何。答日況滅度後文是也。疑一胃蓮為し正正文如何。答日有諸無智ストテタ
テク ノ テクワスト ク︽ テクヒルカニニクシテスル 人悪口罵晋等及加刀杖者等云云問云自讃如何。答日喜余し身故難し堪自讃也﹂︵法華取要抄・昭定遺一巻八一三頁︶ (13)︵婆欝︶︵末
さて、﹁末法為正﹂と主張されるその精神的構造は、明らかに末法の現実を肯定しようとすることである。この娑 法当今︶ふとめる 婆世界を肯定すると云うことは、国土の常住・仏身の常住思想を背景として、娑婆世界がそのまま浄土となりうるこ とを容認する考え方である。即ち﹁娑婆即寂光﹂と表現されるコト・ハがこれに当る。宗祖がぷずから、国土と仏身の ︵永遠性︶ 常住思想を如実に示されたのは、周知の如く観心本尊抄の左記の要文である。テナリレノ
○﹁今本時娑婆世晃鱗二三災田面魂一常住浄轄仏既逼塞不し滅未鶏表し生。所化以同体。此即己心三千具星一顧低間也。⋮﹂︵昭 ノ 定遺七一二頁︶ し︽ノニシテニ ノニルワ 尚、御講聞溌︵日向記︶にも﹁所詮日蓮等類南無妙法蓮華掻鶏吟唱住処即寂光土可二心得一也。然此宝乗乗忽妙覚極果位至直至道 ノ ト ︵久遠本仏の開頚した時︶ いま﹁今、本時の娑婆世界は、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり﹂とは、明らかに末法当今娑婆の肯定でい主︵我常在此娑冥
あり、娑婆即寂光という国土の常住・正法の在世を当今に観る思想である。そして、宗祖がその思想の依拠を法華経寿 の主張は、人間救済への大良薬の提示なのである。よしんぱ今かりに、﹁末法為正﹂とは矛盾論理を揚棄した弁証的 ければならない、救済の大慈悲の掌中にあらねばならないとする、宗祖の絶対信の発露なのである。当に﹁末法為正﹂ ︵俄念・即念︶ 主張であると、思考の構造に立ち入ったとしても、宗祖の宗教を理解し讃仰したことにはならない。我盈は、宗祖が ︵拾身弘教︶ 末法劣機の救済を大願・悲願とされ、末法為正と強調してやまなかった、あの忍難弘教の色読の軌跡を学びとらねば ︵理念︶ ならない。﹁末法正機﹂とは明らかに二律背反的な主張ではあっても、その主張が確たる信念の発露であったことを いざな 認識すべきである。lそれは哲学の世界を超えた宗教の世界への誘い︵勧め︶であることに、深い想いをいたさねば ならない。 。r︽ワ 場云也﹂︵昭定遺二五六三頁︶◇◇
(I4)日蓮聖人が﹁末法為正﹂と主張されるその事は、宗祖の時の意識であり、末法を生きようとする時代観である。と 同時に、末法衆生の救済、末法の劣機であっても救いの掌中にあらねばならないとする悲願がこめられている。本宗 に於て常用されるコト・︿の﹁娑婆即寂光﹂・﹁即身成仏﹂のことである。末法の劣機と云えども、必ず此土に於て救 ︵本尊抄・昭定遺七一六頁︶ 済されるという﹁末法正機﹂の宣揚なのである。 宗祖は承ずから畢生の観心の書﹁本尊抄﹂に於て、救済への保証を与えられている。 ノ ノ︽ ・ノ二㎡入 ○﹁釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足。我等受一患雌五宝一自総蕊与礎因果功鎮﹂︵昭定遺七二頁︶ は﹁我実成仏已来、無量無辺、百千万億、那由他劫﹂織曄私嗜鐸輝垂恥法︶と本仏の永遠性を数値を以って示され、更に たものである。そしてまた、その思想的典拠を法華経中に求めておられることも周知のことであろう。即ち寿量品に また、﹁仏、既に過去にも減せず未来にも生ぜず﹂との要文は、明らかに仏身の常住・永遠なる仏の生命を肯定し 量品などに求めておられることは云うまでもなかろう。 世界。我此土安種.⋮⋮︶ ︵如来は三界をありのままに見るのである。︶︵それは生れず死なず︶︵壷化せず、生ぜず︶︵流転せ寺完成せず︶
は本仏の悠遠なる本質については、﹁如来如実知見、三界之相、無有生死、若退若出、亦無在世、
及滅度獄爽無雑錨“蝿燕ぃ蝿無蕊︵存禅嘘聖歌蝋ぱ存離職艶認“︶︵繍謡輪鰈・︶と明示されている。 宗祖が強調して止まない﹁末法を以って正となす﹂とは、時間的・空間的限界を超越した宗教的純粋時間の表現で あ2寿堂本仏・常住不滅の悠遠なる存在、そして無限なる生命を開顕した法華経の思想を背景として、絶対信を発 露したのである。末法為正とは宗教理念なのである。末法の衆生の生きる道を指針された行動の理念でもある。七末法衆生の救済
(お)○﹁天職埋翰識一法蕊鴦詠得二世誤欺。弱戦一一念三玉春侭邑一大慈謹五事戯蛮一此残禽蕊末代幼稚頚一﹂︵昭定遺七二○頁︶ ノ 確しかに末法の劣機ではあっても、必ず救いにあずかり得ると確証が与えられている。宗祖は﹁末代幼稚の頚に懸 さしめ給う﹂と、申されているが、その﹁頚に懸ける﹂とは、あの忍難慈勝の畔きの大慈悲が祈りこめられているの ではないか。末法劣機の頚に妙法五字の珠を懸けるためには、大慈大悲の大願なくしては懸からないのである。宗祖 レソ リ レソ は﹁妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入とはげむ計也。此則母の赤子の口に乳を入とはげむ慈悲也﹂ 愚率訟確嘩酔聯と、捨身弘教もって末法衆生の救済に適進されたのである。 さて、先に摘出した本尊抄の要文によれば、確かに末法劣機の救済について保証が与えられている。然し﹁いま﹁五 宇内袈此珠﹂とあるのは、我ゐが妙法五字を受持信行してこそはじめて、仏の大慈悲にあずかることができると云う ことである。﹁釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足。我等受持此五字自然譲与彼因果功徳﹂ともあって、確かに仏 果証乗の保証が、宗祖のおコト諺ハを以って与えられているのである。だが然し、その保証には条件が付せられている。 スレパノワ 即ち﹁自然に譲り与えたまう﹂とはあるけれども、厳しい条件が付せられている。即ち﹁我等受二持此五字一﹂とあっ て末法衆生の信行が強く要請されているのである。この要請は大事のことである。信行とは人間の主体的実践のこと であるo従って、宗祖が﹁自然譲与﹂といわれる意味は、文字通りに﹁他から譲り与えられる﹂という、他力本願のである。従って、宗祖が ことではないのである。 我盈は宗祖の申されるおコト壷ハを素直に聞くことにしたい。次に御文書を二・三摘出してみよう。 レハスルニ︽ワこ昌夕戈夢、シワメルニ︽ワカ二︽茨し︽ヲ ○﹁夫以療二治重病一栂二索良薬一救一莇逆誇一不し如二要法一所謂讃し時正像末。﹂︵曾谷入道殿許御密・昭定遺八九五頁︶ リ夕 ○﹁世末になれば人の智はあさく仏教はふかくなる事なり。例せば軽病は凡薬、重病には仙薬、弱人には強きかたうど有て扶るこ (I6)
八むすび
︵歴史観︶ 日蓮聖人の時代観・宗教理念は、周知のように﹁末法為正﹂という象徴的なコト・︿で表現されている。しかして大 事なことは、宗祖の﹁末法為正﹂の主張が、単に机上の理論に終るものではないと云うことである。末法の現実に生 きる我盈が、﹁末法を正となすべく﹂仏果を求めて色読に励まねばならぬことを教示しているのである。二十世紀後 半、この現実の中に在って、自己を拳つめ、自己を見失わない人間であらねばならぬことを、示唆されているのであ れなり﹂︵報恩抄・昭定遺一二四八頁︶ 末法の失本心劣機を救済する為には、凡薬では効能はなく、正法法華経の大良薬でなければならない。法華経には ﹁是好良薬・今留在此﹂と、末法失本心の為に大良薬が残し与えられている。劣機たる我食は、﹁柔和質直者﹂とな って、素直に心を開いて仏の呼びかけを聞こうとしなければならない。久遠本仏は過去から、未来に向って、常に我 為に呼びかけられている。その仏の教えを聞こうと思うならば、柔和質直者となることが大切である。 我稔は、宿業を背にした罪科深重の者たる認識に立ち、或は過去誇法の徒であるとの自覚に立ち、餓悔道を歩糸続 けるものでなければならない。末法の劣機たる我為は、一心欲見仏・不自惜身命と信行に徹したとき、仏の大良薬た ︵汝早改侶仰寸心州実栗一善︶ る救済にあずかりうるのである。我為は信仰の寸心を改めることが絶対に必要なのである。寸心の改めがなくしては ︵受持侭行︶ 仏の呼びかけを聞くことは出来ない。宗祖の救済観は、あくまでも我為の主体的な行動に重きがおかれている。 る。 ︵昭和団・皿・釦︶ (〃)あるから、この各品を同列に扱うことは問題があるところでもあるが、一応同列に扱うことにし、もしも第一類、第 二類成立の法華経の両者に際立った相違が認められるならば、それはその折に指摘をする所存でもある。 化城喰品は︵正・往古品、梵勺胃菌旨恩己昌ぐ閏薗︶は釈尊が富楼那℃胃箇等の五百人の下根の弟子を救うた めに過去の因縁を語ったものである。その中で大通智勝如来の十六王子として釈尊や阿弥陀仏等の前生を物語ってい るが、その中で十六王子の出家を次のように示している。 先号︵四十八号︶において、臂喰・信解・薬草瞼の各品における鈩邑冨目烏蝕と野呂骨凹についての考察をしたう 8 のであるが、今号においては、それに引続いて化城瞼・五百弟子授記・法師品等におけるそれについて考察を進めてα ︵1︶ 承よう。しかし、前二品が第一類成立の法華経であるのに対して、後者は第二類成立の法華経であるといわれるので
シ邑匡屋屋斤凰と閏煙99庁画
l化城・五百弟子・法師品を中心としてI
2 1望月海淑
。O● 蔚切且鼠四目満 ○四庁の恥閉山Hロ四毎画吋凹 十六王子らは童子であったが同一の野口呂冨によって家を出て出家者となり沙弥となった、と。正法華経が家 之信と訳出したものは、閏自習響野鼠昌届鼠にあたるのであるが、これを同一の信と訳出する時、それは十六王 ︵貝J︶ 子が全く心を一にして、同じ信を抱いたということを示すであろう。してみると正法華経の家之信という訳語は、十 六王子の立場がそれぞれちがっていたのではなくて、全く同一の信をもって出家したのだということになるであろ う。いいかえれば、信は一つということになると思われる。 ︵6︶ 大通智勝如来はこの十六王子らが冴画&鼠を生じたのを見、更に、彼等が仏の知見を志願し、深心に念ずるとの 言葉を知って、法華経を説かれたのであったが、この時、法華経を聞いた彼等は は ︵3︶ 十六国王太子以一象之信一出家為し道皆為二沙弥一。 と示されており、妙法華経にはない﹁以家之信﹂という一句がつけ加えられている。家之信とはどのようなことであ ろうか。十六王子は大通智勝如来の出家前の王子であったのだが、その父が如来となった今、十六王子の家の信とは この父なる如来への信なのか、その如来によって説かれた教えへの信なのであろうか。そこで、梵文法華経を見ると そこには次のように示されている。 蔚切且鼠四且洩冒目胃馨冒日胃呂目薗のぐ画8自習馨降四目冨乱畠胃圏目尉腎房凶日日画ぐ且詳馨切間ぐ① ︵4・︶ ○四庁の恥閉山Hロ四口画吋倒“ず彦口ぐぃ目 ︵2︶ 十六王子皆以一童子一出家而為二沙弥一 十六王子はまだ童子であったので、先ず沙弥となったというのは当然のことであるが、正法華経を見ると、そこに (I9)
そこでこれまでのところを整理すると、同じ十六王子に関する記述の中で、出家をして沙弥となった時にはい国? Q園の語が使用され、法華経を聞いて自ら得るところがあった時には且冨日一烏建が使われたということであり、前 者については正法華経は信と訳し、後者については妙法華経が信受・信解の訳をあて、正法華経は歓喜・得本志と意 訳をしているということである。そこで問題は法華経が吟画目園と且冨B烏建の語を使いわけたのは何故であっ たか、或はこの二つの語にはちがいがあるのか、という所に存することになる。 人が出家をするというのは、単に家を出ることではなくて、愛するもの、欲するものの一切を捨て去ることを意味 するから、そこでは異質の世界に入るための心の大転換がなければならない。その転換をおこさせるためのものは、 ︵9︶ 吟留鳥磯8号目鼻苗ぐ閏鳥協蔚8m且画綴降働目99画 となっており、声聞たちと十六の沙弥とが且冨自民盆するものとなった、ことを示している。すなわち、妙法華経 が信受といい信解といったもの、正法華経が歓喜といい得本志といったものは画昌︺冒烏感の一語を訳したものであ 華経は この箇所の正法華経は ︵8︶ 声聞歓喜。十六沙弥無数億百千嬢諸菩薩衆皆得二本志一。 となっており、妙法華経が信受・信解と訳したところのものを、 ︵7︶︲ 十六菩薩沙弥皆悉信受。声聞衆中亦有一宿解一 と、皆ことごとく信受し、声聞らも信解したとなされている。 ったことを知りうる。 歓喜、得本志と訳出している。これに対する梵文法 (20)
とあるから、その意は両経同様であるといえるであろう。而して梵文法華経は ︵週︶ 合国昌冒。。冒昌ごg景四ぐ画の厨昏幽隠薗夢9画目 と示しているから、ここで難信難解と訳されたものは@月l且寓目◎。旨の訳語であることが解るが、これは法師品 ︵皿︶ の中で仏が薬王菩薩にむかって、法華経は難信難解であるというところとは言葉を異にしている。 仏の教えを且冨日烏感したという心の安定であり、心がふっ切れたという状態への到達を意味するであろうo四号︲ のではなかろうか。これに対して信に入った後に、仏から法華経を聞き得た十六王子が得たものは、聞法者としての の出家に関して欝且号倒が使われている時、この語は、仏を信じ信頼しまかせ切ってしまう心のあり方を意味する 異質の世界Ⅱ仏の世界︵教え︶に対する絶対的な信がなければ行なわれうる筈のものではないと思われる。十六王子 ︵皿︶ 一目屋胃一がそこで使われる時、それはこのようなことを示そうとしたのではないかと一応は思われる。 して妙法華経は 化城喰品は十六王子が菩薩となり、やがてそれぞれが仏となることを示すが、それに続いて、声聞である人々も十 六王子らの法華経の説示を聞いて、順次に仏道に入るであろうことを示している。何故に順次であるのかの理由を示 であるからとしているが、 ︵哩︶ 如来之慧難し限難し計 ︵u︶ 如来智慧難し信難レ解 3 これについての正法華経の記述は (21)
何故に画昌]冒烏感に入ることが困難であるとせられたのか。梵文法華経はその辺のところを、沢山な人々は我々 ︵十六王子︶によって無上等正覚に導かされた。比丘らよ、彼等は今日声聞の地位に住しており無上等正覚に成熟せ しめられている。これが無上等正覚への順序である。それは何故か、比丘らよ、如来の智慧は実に國島︺冒具一しがた ︵蛎︶ いからである、とのべている。難信難解といわれた主人公らは声聞の地位におり、最高の覚りに到達するために訓錬 されつつあり、それが順序であるとされる時、︲それはまだ彼等が最高の仏の覚りに到達していないことを示してい る。そして、この順序が守られるのは仏の智慧が鼠冨目房昼し難いためだという時、この言葉はどうも単純に﹁信﹂ と訳されて済むものかどうか疑問があるように思われる。十六王子に関する記述の中では、十六王子が最初に吟画? 巳融をおこし、得るとこがあった時に四s二日烏註が使われていたが、両者の語の間にこのような相違があるかもし れないという一つの仮説を立ててみると、声聞たちは十六王子らがなった菩薩によって且冨日烏蝕の状態を得るた めに訓錬されつつあるということになるであろう。 この言葉に続いて仏は一仏乗においてのみあることを述べ、更に法華経を説くための条件として、 ︵焔︶ 若如来自知下浬薬時到。衆又清浄信解堅固。了二達空法一深入中禅定上。 と語っている。しかし、仏はこの世が乱れているために方便をもって浬薬を説いたのだとして、その時に説いた方便 の浬藥について、 ︵Ⅳ︶ 説二於浬薬一。是人若聞則便信受。 としている。これに対する正法華経には 若有二供養一以二清浄行一・信三楽妙言二趣子経典一。一心定意為二大禅思一。⋮⋮⋮如来減度時。若有二聞レ説歓喜信者一○ (22)
化城愉品の初めの部分で、大通智勝如来の三千塵点劫の説示に続いて、十六王子がこの仏に法輪を転じたまえと懇 請して偶を語っているが、その偶の末尾のところに、こう示されている。 文法華経を参証して見ると次のように記されている。 とあって、信解を信楽と訳し、信受を信と訳している。これらがどのような意味あいで使用されたのかについて、梵 樹”日冒国鳥秘ぐ農の凹日g①圃昏荷ggg昌局乱冨丙堅“の四目畠四目弾目目農8日目§鼠望畠冨農邑号営 o四℃胃秘Q四日ロ鼠昌凰昌凹Q医局目匡丙時一の畔幽昌曾目雷囚ロロ煙尉日画頃g一目園、薗昌旦置再凹口画ぐ画暮冒自画琶画Qロ昌幽口餌ぐ胃﹃昌一⋮ ︵四︶ 国凄碕画冨の冒口凰弓営肖9画粗蔚冨旦且冨目肩留目誌. すなわち、如来は完全な浬藥に入るべき時期を見きわめ、会衆が清浄で且寓目烏嘩が堅固で空法を理解し、禅定に ︵別︶ つとめ、大禅定にふけるのを知って⋮.:如来は且冨自民陣しているものが浬薬だと説く、というのだが、前者のJ 3 且寓目︹烏醸は衆生が一仏乗︵法華経︶を説くべき心の状態に立ち至ったことを示すために使用され、後者は声聞.2 く 縁覚が且冨目烏感している状態をそれが浬梁だと説いたのだ、というために使用されている。このことは、すでに 仏道を心がけている者が、仏から教えを聞くために到達しておかなければならない一つの心の状態を且冨日ロ胃一と 名付けたのではないかと思わせる。しかし、それでは且冨目鼻感はどのような心の状態をいおうとしたものである のか。
欲楽及修福宿命所行業
︵型︶ 世尊悉知已当し転一蕪上輪一 欲楽及修福 ︵岨︶ 仏思所し護。正法華経は o四吋望画昌。“旨四目曽冒ロ]O脚の脚別くい蔵冒画の一mg彦]駁色]四日己口刷ぐ画丙粋四日。“己巨ご]間口一 画Q匡目匡丙建司邑尉一O脚の色吋ぐ四℃吋画包口四日ロ尚画ぐぃ別8国画○四丙吋画ぐ四吋色目凹邑匡鼓雨冨耐属目涛二 として、行いと智慧と欲求と前生の行いによる功徳とをすべてあなたは知っている。一切の生命あるものの且匡目︲ 晨唾もあなたは知っているから、無上の法輪を転じたまえ、との意を示している。 妙法華経では且匡日匡胃一が且彦乱箇箇と一緒になって欲楽と訳され、正法華経は衆生の厄を脱すると意訳され ていると見てよかろうoもしもこれがゆるされるならば、ここでの且冨目巨胃一は楽うことであり、災厄から解脱す ることの意にとり扱われていることになる。しかし、災厄からの解脱は三界からの脱出と同じようなものであり、そ ︵型︶ れは法華経が目指す仏の境地と同一ではないといえるであろう。 このことについては更に、一仏乗においての承仏道に入る道であることを釈尊が語る段において再説されている。 すなわち、そこではこう示されている。 ︵顔︶ 知下其志二楽小法一深著中五欲上。為二是等一故説二於浬薬一。是人若聞則便信受。 これは二乗では決して成仏出来なくて、成仏の道は一仏乗だけであるが、衆生が劣っており五欲に著しているので、 勉脱一聚生厄一悉令
則為一転法輪最勝
普見二知黎庶心本
であり、梵文法華経は 最 心 勝 本 無所 等好 倫楽 ︵犯︶ 悉令レ至一天道一 (24)︵配︶ 其楽二下劣小乗行一者。則自亡失遠乎人種。不レ解二人本一為欲二所縛一。如来滅度時。若有レ聞レ説歓喜信者仏恩所護。 と、同じ内容のことを伝えている。梵文法華経もまた 目国冒目溺窟昌の画詳ぐ四目四目目ぐ園詳乱冨忌ず己︵湘奄目園日画冒蔦四目四函目日の冨目①の四目胃涛箇ぐ画の 冒警借画厨の冨口己29画召す冨秘蔚冒・画呂冒匡gg5. として、世界の衆生が堕落し、劣った楽しみ、愛欲の泥土に沈められているのを知って、彼等が、己二目烏感してい るのが浬藥であると語った、となしている。ここでは方便による浬藥を信受したという妙法華経に対して、彼等が 且冨日烏感したものは方便の浬藥だと順序が入れ変っているだけのことで、ここで彼等が且冨目鼻醸したものは釈 尊の本懐たる究極のものへの信ではないことは明白である、といえよう。 化城喰品における脅画&ず餌と且冨自民唾の二語は以上の箇所に使われただけであるが、以上、見て来たところ によると、農冨目鼻感の語はたとえ﹁信受﹂と訳されることがあったとしても、それは一つの心の境地であり、直 ちにひたすらに信ずるという宗教的な行動にそのまま結びつくものではなさそうに思われる。 華経もまた 五百弟子授記品︵正・授五百弟子決品、梵冒動8ずぽ涛曾徴gご騨画恩9℃目ぐ閏斤巴は釈尊が富楼那への授記を 語っているが、その中で釈尊が、偶を語るが、その冒頭の所で続けて且冨昌烏嘩が語られている。すなわち、 やむなく方便をもって浬梁を説いたのだが、衆生らはこの方便による浬藥をもって信受したというのであるが、正法 4 (25)
と語るが、正法華経もまた ︵犯︶ 下劣解廃志尚慢堕而当一漸漬皆成二仏道一 と同一の内容を語り、梵文法華経もまた 毒甘匙冨自民薗峰8百283局目眉目目扇82︾ず毒豊g感ず且昌農一 劣った且匡日一房昼の怠堕な彼等はすべて次第に仏となる、として両漢訳と全く同じ意向を示している。すなわちこ こでの且冨日一房陣は明らかに人々が仏を求めて歩むべき時のひたすらな心の行動のあり方を示すのではなくて、善 きにつけ悪しきにつけ、その時の心の状態そのものをさしているといえよう。 ︵犯︶ 知下衆楽二小法一而畏中於大智上是故諸菩薩作二声聞縁覚一 と妙法華経にはあり、正法華経には ︵羽︶ 此諸衆生脆劣僻廃故当下演一読微妙寂静一示中現声聞縁覚之乗上 とあり、衆生は小法を楽うものであり、劣り僻廃なものであると、指摘しており、梵文法華経の第二偶は、 冨旨匙冨目︵民薗一目画闇算箇意騨乱匡俄恩蔵息8閣目匡鳶風間昌二 ︵釦︶ 薗冨野鷲鼻”ず彦目ご目一gg−忠耳ぐ馨胃g稲冒す8匡昌8凰旦胃母国目三一 衆生が劣った呂冨昌一民屋にいるのを菩薩等は知って、声聞となり縁覚となり最高の乗物にのせ教示するとしている。 すなわち小法を楽うといい脆劣僻廃といわれたのは、劣った呂冨日︵烏鐵のことであることは明白である。 そして釈尊は更に言葉をついで、 ︵瓢︶ 錐二小欲僻怠一漸当レ令二作仏一 (26)
法師品︵正・薬王如来品、梵号胃日脚匡風9百︶は法華経の一句一偶でも聞いて一念随喜するものには、菩薩・ 声聞その他いかなる人でも授記を与えることが示され、そのために五種法師が説かれ行うことが強調されている。そ ︵認︶ のためこの品は今までの諸品とは質を意にしており、成立史の面からいって、化城嶮品、五百弟子授記品と同時に言 及すべきものではないとは思われるが、一応、資料の羅列の意味でここに列記しようと思う。 法華経の受持・読・諭・解説・書写を説く法師品は、そのような行い︵五種法師︶をする人は如来を肩にする人で あり、如来によって遣わされた人であることをのべ、更に偶がのべられている。そしてその後の長行の中において、 何故に法華経の五種法師が仏道を成ずるために重大な行いであるかについて釈尊は述べようとするが、その冒頭でこ これに対する正法華経は ︵妬︶ 最尊第一・普天率土所し不一信楽一。 であって、法華経はあまねく人含によって信じられ難いものであることを示すが、梵文法華経もまた、 ︵釘︶ 畠“日①厨号胃日四℃目望豐暑闇gmさ丙野弓厨ご目涛農の胃箇旨颪野呂骨号gご農 と、この法門は一切世間にうけ入れられず、一切世間に信じられないとして、全く同じ意を伝えている。 すなわち難信・不信楽と訳されたものは、画十の3呂冨という否定型であるが、法師品は更に言葉を続けて信ぜられ う語っている。 ︵妬︶ 此法華経最為一難し信難P解 5 (27)
と訳し、梵文法華経も ︵“︶ 胃画ご騨目房四目8s拙冒い国&嵐ワ巴画ヨヶ冨乱遇画建丙屋留置目ロ旨冒厨昌8頁g箇彦習四g冨昌8一 彼等には小国&颪の力、善根の力、誓願の力が内在されているであろうとして、降画&鼠は法華経の弘経者が保持 しなければならない心のあり方の一つとして示している。そして大信力を有するが故に、それは行いにあらわれて来 るが、そこの所を梵文法華経は、 ︵蛇︶ 旨﹄目四日Q房日日“己胃乱冒昌冨夢筒胃閉冒冨凰昌時笥冨の制野“&鼠冨遭目感乱8筥選目醸⋮⋮ として、仏滅度の後にこの法門を彼等は降画邑彦倒し、語るであろうとなしているが、この文章に関する正法華経は、 ︵蝿︶ 仏滅度後。若有レ信一庇正法典一者。 と訳され、妙法華経は先の大信力云々の文章の前で ︵“︶・ 如来滅後。其能書持読調供養為一他人一説者。 訳し、梵文法華経も ないのは、法華経が諸仏の秘要蔵にして、如来の現在ですら怨嫉多いものだから、減度の後では当然のことだとして ︵調︶ いる。しかし、それだからこそ法華経は説かれなければならないとして、この時に法華経を受持し読調する人は如来 と共に住する人で、如来によって頭をなでられるべき人だとしている。その理由は仏滅度の後に迫害多き法華経を説 く人は、大信力の所有者だからであった。すなわち、 ︵調︶ 是人有二大信力及志願力諸善根カー というのがそこのところだが、正法華経もまた というのがそこのところだが、 ︵鋤︶ 諸信力也。善本力。志願力。諸信力也。善本力。 (28)
と法華経の教えを聞くことも信受することもむづかしいことが説かれるが、 ︵卵︶ 是法難し得し遇信者亦難レ値 として、このような人は無上等正覚に近づく人だとせられている。これに対する正法華経は ︵卿︶ 菩薩所行共行し法者聴者。信楽来二入其中一・ となしている。これらに対する梵文法華経は、 ︵妃︶ 胃牙冒四ョ号閏自画口胃鼠冒日野弓曾昌吟昌乱8号目月冒国辱。:.: この法門を聞き、聞いて且置日巨丙感するものは、とあって、信解・信楽と訳された言葉は ることは明白である。しかして、衣座室の三軌を語り終った後の偶の冒頭では、 この法門を聞き、聞いて煙旦置目 ることは明白である。しかして、 ︵妬︶ と訳して、野呂目倒は意訳されている。 右三箇所の恥3回昌勧の使用例に見られるものは、法華経を説くために所持しておらなければならない心のあり方 であり、この心のあり方がある時に法華経の説示が可能であることを言及したものと理解されうるであろう。 法師品のこれらの吟且昏倒の使用例に続いて、且匡日︹貸感の使用が見られるが、それは前掲の文に引き統いたも ので、法華経を聞いて読調・書持等をするものは菩薩の道を行ずるものだといったすぐ後に、 ︵妬︶ 若見言若聞一是法華経一。聞巳信解受持者。 と、同様のことが説かれ、梵文法華経もまた
座員厨嘗。§:雪。ご“亀:昌目巨歸寓萱員厨顯︶
︵鯛︶ 是経難し得し聞信受者亦難 これに対する正法華経も、 且三目屋丙建の訳語であ (29)とあるが、これらに対する梵文法華経は、この法門の説示を排斥し捨て去ることはないであろうとなされており、 降画呂冨の語も呂営目巨丙建の語も使用されてはいない。 小国&颪の場合は、﹁この法門は一切世間に信じられない。﹂とし、﹁彼等には信力が内在されている﹂とし、﹁こ の法門を彼等は信じるであろう﹂として、法門というような絶対者をそのままに信じるという型で使われている。こ れに対して、且営日巨丙醸の場合は、﹁この法門を聞いて⋮⋮﹂といい、﹁この法門を聞くこと難く、鼠寓目烏感す ること難し﹂として、法門が何であるかを聞いた上で、そこに立脚してという型をとっていることである。 尚、漢訳二経によると最後の偶が語られる直前の長行の中で、 ︵記︶ 実に聞くことは得がたく、且冨自得房感することも得がたいと同様のことを語っており、且寓目民威の語が信受と訳 され信と訳されていることを示している。 そこで法師品における小国&颪と且冨日烏陣の二語の使われ方を比較して承ると、一つのちがいが見られるよ うに思われる。 以上、見て来たところによると、野且颪は化城嶮品で一度、法師品で三度使用されており、それを妙法華経は ﹁信﹂と訳し、正法華経は﹁信﹂と訳し法師品で一度だけ﹁信楽﹂と訳されている。且冨昌房屋は化城嶮品で四度、 聞レ法信受随順不し逆 ︵弱︶ 設使有し聞而不し楽者 6 (30)
五百弟子授記品で二度、法師品で二度の使用例で、妙法華経の訳語は﹁楽﹂﹁信解﹂﹁信受﹂﹁欲﹂であり、正法華 経は﹁楽﹂﹁本志﹂﹁信楽﹂﹁信﹂等の訳をなし、五百弟子授記品の場合のように意訳もなされており、このことは 脅回邑冨に比べて且冨日烏鐵の語は複雑な意味合いをもっていることを暗示するのかもしれない。 そして叉、これらに見られる野呂昌歓は仏或は経典に対する信を示すために使われているのであるが、それは方 ︵別︶ 便品の三止三請の中で舎利弗が語る言葉箇凰g畠画ぐ“89溌冒卦恥3。s圃遇目舜貝世尊が説いたものを信ずるで ありましょう︶というあり方に連がるものだと思われる。すなわち信脅且障融は、﹁信頼﹂することを意味し、師 と仰ぐ人の教えを聞き、その人の教え、行動、その人自身に信頼することで、その規範を自分の行動と結びつけ、そ ︵弱︶ れがそのまま実践徳目とされるようになる、といわれる所以であろう。 ︵弱︶ これに対する色目目一房匙は、心の自由な、完全な状態をさすのである、となされるように、それは信などによっ て得られる心の状態を意味するものと思われるので、時には心の到達点として信解と訳され、求めていた状態として 楽︵意向︶などと訳されるのであろう。 しかし、法華経がこの両者の言葉を果して意欲的に使いわけたかどうかについては、更に研究を続けなければなら ︵”︶ ない。 ︹註︺ ︵1︶布施活岳著法華経成立史・本田義英著法華経論参照。尚、布施博士は同書の中で、法華経の成立は少くとも四時期を経過せ るもので、第一期には第一類の偶頌先づ成立し、次いで其の長行の布桁を見たるは第二期であり、第三期は第二類の増補とな り、斯くして次第に流行するに及びて嘱累品巳下の増補となったのが即ち第四期である。︵p一三四︶と結論づけている。又 本田博士は法華経を二大別して原始分法華経と後分法華経とにわけている。五百弟子授記・法師の両品の正法華経はその前半 (31)
︵4︶冨吋冒本180、言い冨自号①・の晨詳本88 ︵5︶岩本裕訳。法華経は心あわせて信仰をもって︵中。59︶と訳し、松溺誠廉等訳。法華経は浄心によって︵212︶、と訳 し、南条・泉訳・新訳法華経は同じく信を以て︵205︶、と訳し、岡教遼訳・梵文和訳法華経は同じき信仰を以て︵318︶ ︵5︶岩本裕訳 し、南条・ ︵2︶大正九o25上
︵3︶″91下
と訳出して ︵6︶大正九・ ︵”f︶″ ︵負︾︶″ ︵Q︾︶澪①吋冒屯八 ︵加︶石上善応″
︵、︶大正九・25下︵胆︶″92中
︵過︶丙⑦﹃目18 ︵躯︶大正九・ワ︵Ⅳ︶″〃
︵咽︶大正九・Q| ︵四︶時⑦門口18 ︵卯︶岩本・7’ ︵皿︶大正九・ワ︵理︶″R
︵鯛︶丙①﹃ロ−6 j J 大正九・9 大正九・2 岩 本 ・ 7 1 18 ︵週︶寒の門口185葛胃四目“ずの90 ︵皿︶大正九・31中・101中雨靴国 は後に再説することになろう。 ︵過︶富3185・岩本訳69J、71、 ︵躯︶大正九・25下、”Jノ##
勺且nUFDヨヨ餌芹四目“ずのQ︾n︾ に妙法華経にない部分をつけ加えているが、これは後から付加したものだとは本田博士の指摘するところでもある。︵p二一 一ハ︶9 1
下
弄①吋冒cL︽己。上誤討画含側目“ず①︽UQ︾ 石上善応・仏典に現われたg“冨信の用例。印仏研究八’二p79.83参照。拙著・“曾冒烏盆と野“呂冨、棲神四 八号参照p103、!115 2 中 3 上″89下
1 , 7 3 、 6 25中 25上。91下、斎3180.亀煙厨回:①88 1, る 。 3 松涛・219 230法師品の難信難解は画野呂且冨昌冨の語になっているが、このことに関して 松涛訳218 (32)︵型︶梵文法華経には﹁わたくしどもは三界から逃れ出たことによって、さとりの境地を得たと思いましたが、わたくしどもは老 令のためにもう除しておりました。﹂岩本上p225、klO1、大正九、16上、80上 へへへへへへへへへ 474645444342414039 曹口ーーーーー画一 ︵詔︶法華経を仏滅後に説けば災集まるというのは、法華経が成立した時の状況を示すものと、成立史上ではうけとることが出来 るが、日蓮聖人の場合は、素直にこれをうけとめて、だから法華経を説くべき時だとなされた。たとえば開目抄には﹁当世、 法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん﹂︵590︶といわれて いる。ここに見られるのは、法華経に対する唯一絶対な信ひとすじの心であるといえる。 ︵弱︶大正九・25下