著者
福間 良明
雑誌名
関西学院大学先端社会研究所紀要 = Annual review
of the institute for advanced social research
号
12
ページ
81-85
発行年
2015-03-31
◆『戦後社会の変動と記憶』書評Ⅰ
◎「戦争と社会」への視角
福間 良明(立命館大学) 1.「戦争が生み出す社会」への問い 戦後 70 年が経過しようとしている。70 年と言えば、沖縄海洋博が開かれた時代に日露戦争を振 り返るようなものである。それほどの歳月が流れながらも、「戦争の記憶」をめぐる議論は尽きな い。むろん、そのことは有意義なものではあるが、戦争が社会をどのように再編成し、変容させて きたのか、という問いについての検討は、記憶研究に比べれば限られていたのかもしれない。 1990年代後半に提起された総力戦体制論は、こうした問いに向き合った数少ない、しかしなが ら、大きなインパクトを与えた研究であった。 本書『戦後社会の変動と記憶』は、それから 15 年余を経て、改めて「戦争が生み出した社会」 を問い直すものである。「戦争」をめぐる問題は、とかくイデオロギーが絡みやすいこともあり、 歴史学や政治学に比べれば、社会学のなかでの蓄積は限られていたように思う。政治的な旗幟とほ どよく距離をとりつつ、社会学の視座を用いながら「戦争が生み出した社会」を読み解く本書は、 今後、「戦争(の)社会学」が議論されるうえで、必ず参照すべきものであろう。 評者はかつて、共編著『戦争社会学の構想』(勉成出版、2013 年)の編集に関わったことがあ る。そのなかで扱うべきでありながら、叶わなかったテーマのひとつが、「戦争に伴う社会編成」 といったテーマであった。本書はその点に焦点を当てたものであり、社会学の「戦争」への向き合 目 次 「「叢書戦争が生みだす社会」序文」荻野昌弘 序 章 「「戦争が生みだす社会」研究の課題」荻野昌弘 第 1 章 「戦争と人口構造−高度経済成長の基盤としてのアジア・太平 洋戦争」石田淳 第 2 章 「軍が生みだした地方都市−三重県鈴鹿市の誕生と空間形成」 前田至剛 第 3 章 「敗戦国の都市空間を把握する−群馬県における軍用地の跡地 利用」今井信雄 第 4 章 「戦争と文化の制度化−アニメーションの誕生」雪村まゆみ 第 5 章 「「在米被爆者の語り」から−戦争が生みだす境界のはざまで」 池埜聡・中尾賀要子 第 6 章 「集団虐殺・レイプを受けたフィリピンの村のいま−フォトボ イスを通して境界を越えるこころみ」武田丈 第 7 章 「騰衝日中戦争遺跡・施設・メモリアルサイトと現代社会」李 永祥(村島健司訳) 終 章 「近代社会における平和」荻野昌弘 ◆『戦後社会の変動と記憶』 荻野昌弘編 新曜社 初版第 1 刷発行 2013 年 2 月 25 日い方を考える上で、示唆深いものである。 本書には、序章と終章を合わせて、9 本の論文が収められている。そのすべてを紹介することは 限られた紙幅のなかでは難しいので、評者の問題関心に重なるものを中心に、論評していきたい。 2.二つの境界と空間編成 序章「『戦争が生み出す社会』研究の課題」(荻野昌弘)は、本書全体に通じる視角を提示しよう とするものだが、そこでは「二つの境界」への着目がなされている。「国家とそれ以外」を分断す る境界と、「国家・植民地とそれ以外」をめぐるそれである。近代以前の社会においては、「先祖の 霊や敵対者を境界外の存在として表象することによる境界設定」がなされ、そこでは「境界の向こ う側にある世界を原則として排除」する。 これに対して近代国民国家では、「国家とそれ以外」を分かつ境界(国境)が人工的に設定され る。だが、近代国家の境界はそれにとどまらない。植民地を獲得してく中で、「宗主国と植民地と のあいだに支配関係に基づく境界」が設定されるとともに、「宗主国と植民地以外の地域とのあい だ」にも明確な境界線が設定される。それは、「いずれ植民地や勢力圏内に取り込まれるか、そう でなければ敵対する可能性がある境界外地域」である。 これら二つの境界が使い分けられるなかで、領土の拡張が志向され、そのことは、また新たに境 界の再設定の必要を生み出す。それは必然的に、暴力や戦争を生起する。 こうした指摘は、日本の近現代史を読み解くうえでも示唆深い。日本と植民地朝鮮とのあいだに は明確なヒエラルヒーが設定されつつ、朝鮮半島の領有は、ロシア(ソ連)の脅威によって正当化 される。その延長で「生命線としての満州」が見出されたわけだが、それは中国東北部に限らず、 華北地方、華中地方、そして中国全土にわたる戦争につながった。第一の境界の意識化が第二の境 界の設定につながり、そこで暴力や戦争が生起する。そのことは、さらなる第二の境界の拡張につ ながり、それが新たな暴力や戦争を生み出す。 また、戦争の遂行には必然的に工業化を伴う。戦時期日本でも、多くの人々が軍事関連の工場に 徴用されたことを考えれば、それは容易に理解できよう。そこでの大量の物資生産の必要性は、労 働力の不足を招き、それゆえに移民の受け入れが促進される。ことに、国境(第一の境界)と第二 の境界のはざまにある「他者」が労働力として雇用の対象とされる。世界大戦ではこれらの動員が 不可避となり、冷戦期においては、第二の境界の外側をいかに支配するかが、課題になった。 戦争は空間の(再)編成をも促すことになる。化学兵器や核兵器は人への暴力だけではなく、環 境自体を攻撃対象にするものでもある。それによって、人の生存は不可能になり、したがって「人 に対する暴力」と「事物に対する暴力」の区別が無効化する。 さらに戦争は空間の支配をめざすと同時に、戦争を通じてなされる空間の再編成は、社会のあり ようそれ自体を変質させる。軍隊の存在は、その地に道路・水道などのインフラ整備や病院の設 置、衛生管理、軍需産業の育成を不可避的に促すことになる。そして、戦後になっても、軍隊跡地 は広大であるだけに、大学や工場など広い敷地を必要とする施設を導き、それによって地域社会の ありようも変質する。
3.戦争・土地利用・都市形成 こうした視角との関連で評者にとって興味深かったのが、第 2 章「軍が生み出した地方都市── 三重県鈴鹿市の誕生と空間形成」(前田至剛)と第 3 章「敗戦国の都市空間を把握する──群馬県 における軍用地の跡地利用」(今井信雄)であった。 これらはいずれも、軍隊という存在が、どのように地域社会を創り出し、そのことが戦後のあり ようをどう規定してきたのかとい点に着目している。 たとえば、今日、鈴鹿市として成立している地域は、もともとは中心となる町村がなく、したが って、これらの地域を市として合併するうえでは、さまざまな力学や駆け引きが存在した。複数の 町村合併案が存在し、地域発展の主導権争いが展開された。にもかかわらず、これが一つの市とし て成立したのは、軍の強制力が大きかったという。 鈴鹿には、日中戦争勃発後、海軍工廠、海軍航空基地、陸軍第一航空軍教育隊、陸軍病院など、 さまざまな軍施設が造られた。これらの建設や用地買収を進める上で、一元的な地域行政組織が必 要とされたのであろうが、そのために軍は「合併に至る途上で顕在化した利害を調停する役割を担 うことで、政治的な中心にもなった」という。 これに対し、群馬県の場合は、やや状況が異なるようである。明治初期に陸軍歩兵第十五連隊お よび第二大隊(のちには第三大隊も)が置かれた。このことは、地域への人口流入と社会資本の整 備を促したという。もともと高崎市は腸チフスがしばしば発生する地であったが、それは市民だけ ではなく連隊にとっても大きな脅威であった。それもあって、1910 年、高崎市全域を給水区域と して、市人口 36,000 人と十五連隊の兵員 1,000 人に給水可能な水道設備が整備された。 1934年には、昭和天皇を迎えて群馬県を中心として陸軍特別演習が行われたが、このときに大 本営が置かれた前橋市や演習が行われた高崎市等において、県は特別予算を組み、道路舗装や橋梁 架設を行った。沼田市に岩本水力発電所が設置されたのも、軍事物資増産に十分な電力を補うこと が、その発端にあった。 これらはいずれも連隊の戦力保持を目的にするものではあったが、そのことが地域の社会資本整 備を促進していたのである。 軍隊の存在は、戦後社会の地域社会のあり方にも影響を与えた。広大な軍用地は入り組んだ土地 の所有形態を単純化するものであり、したがって、軍隊の廃止・撤退後には、工場や大学、大型病 院など、広い敷地を要する事業体を誘引することとなった。 また、群馬県には、陸海軍機を多く生産した中島飛行機の工場が置かれていたが、戦後は富士重 工業群馬製作所本工場となり、スバルブランドの乗用車を生産することになる。軍需工場の「平和 利用」と言うべきか。 鈴鹿市の場合、軍によって都市が作られたとはいえ、拠点地域、ひいては基地・工廠がゆるやか に分散していたため、特定地区への一極集中ではなく、三極が併存する地域構造が生まれた。それ は戦後にも引き継がれ、駅周辺への一極集中ではなく、自動車による各地点間移動が常態的な地域 形成がなされた。それに伴い、商業面においても、郊外商業施設の大型化・ロードサイド化を促し た。
4.都市形成の比較 戦時体制や軍隊による社会編成・空間編成とその戦後への波及といったテーマは、重要な論点で はありながら、これまであまり取り組まれてこなかったように思う。今後も社会学が正面から取り 組むべき主題であろう。評者としても得るところが大きかった。 ただ他方で、若干の疑問もないわけではない。鈴鹿市と群馬県の事例がそれぞれ別論文になって いるので、致し方ないが、鈴鹿と群馬の相違をどう考えるべきなのか。じつは、この両者を対比す るなかで見えてくるものがあるように思う。群馬には明治初期に連隊が設置され、相対的にゆるや かに軍事都市化していったとすれば、鈴鹿の場合は、総動員体制化が急速に進む中、遅れて軍隊が 進出した都市である。両者には、軍隊が創った都市という共通性がある一方、都市形成プロセスに おいては、さまざまな相違があったのではないだろうか。 また、鈴鹿市や群馬県がどのような範囲での代表性を持つのかという点も、重要な論点であるよ うに思う。戦前期の代表的な軍都としては、広島(第五師団)や熊本(第六師団)などがあげられ よう。これらは師団設置に伴い、都市化が進んだ地域である。他方で、東京(第一師団)や大阪 (第四師団)、名古屋(第三師団)などは、明治初期にはすでに大都市圏が成立していた。だとすれ ば、そこでは軍隊とその後の都市形成はどう関わったのか。広島や熊本、あるいは鈴鹿や群馬とど う類似し、どう相違していたのか。さらに言えば、師団(陸軍)による都市形成と、鎮守府(海 軍)によるそれとの間に、何らかの違いが見られたのかどうか。 むろん、これらは上記二論文で扱う必然性があるものではなく、あくまで評者が刺激を受けて想 起した問いでしかないが、今後、社会学のなかで考察されてもいいテーマではないだろうか。 また、これら二論文では資料として市史や自治体・企業の年史といった二次資料が多く用いられ ている。評者自身は、実証史学とも多少の縁があったためか、二次文献を多用することには、つい 心理的な抵抗を感じてしまう。だが、他方でこれらの論考で扱われた土地利用史の一次資料を集め ることが相当に困難であることも、十分に理解できる。大都市圏であればまだしも、地方において 公文書が整理されているところは、きわめて限られている。それだけに、二次文献を扱うことの限 界はあるのかもしれないが、逆にそれを扱うことの有効性のようなものも考えられるのではないだ ろうか。 歴史学とは別に社会学がこれらのテーマを扱うことは、ごく限られた地域史にとどまらず、もっ と大きな戦時−戦後の見取り図を引き出すことに資するものであろう。そこで、二次文献をいかに 生産的に用いていくのか、といったことも、今後の課題になるように思う。これを上記二章におい て、言及しておく必要は決してないが(そもそも主題が違うので)、社会学が史的資料にどう向き 合うのか、さらに言えば、史学とはどのように異なる知を編み出していくのかを考えるうえで、ほ んとうは重要な論点であるような気がする。 これ以外にも興味深い論考は少なくない。戦争遂行と敗戦が人口構造に与えた影響と、高度経済 成長期以降の社会構造について考察した第 1 章「戦争と人口構造──高度経済成長の基盤としての アジア・太平洋戦争」(石田淳)やアニメーションの制作体制の戦前−戦後の連続性を扱った第 4 章「戦争と文化の制度化──アニメーションの誕生」(雪村まゆみ)には、学ぶところも多かった。
5.戦場とヒエラルヒー ただ、論集全体を見渡してみると、ややまとまりを欠いた感は拭えない。たしかに序章・終章で は本書で扱おうとしている「戦争と社会」への見取り図が提示されており、それは今後のこの分野 の研究の進展において、きわめて意義深いものではある。だが、評者には本書全体がその視角で貫 かれているようには思わなかった。 むろん、これは論文集であり、したがって個々の書き手の問題関心が前面に出されるのは当然だ し、また論集とは本来、そうあるべきものではある。また、「引揚者の戦後」「米軍基地文化」とい った、一定の限られたテーマをもった他巻に比べれば、「戦後社会の変動と記憶」を掲げた本書は 総論的な位置づけを目指す巻であったように思われる。ただ、そのためなのか、評者にとっては、 ひとつのまとまりのある書物として評することに、いささか困難を感じたのも正直なところであ る。 とはいえ、ひとつの書物をまとめあげる編者の苦労が相当なものであることは、評者自身も経験 がないわけではないので、これはあくまでも外在的な「ないものねだり」でしかない。少なくと も、上述のような「戦争と社会」を問い直す視角(二つの境界、空間編成、土地利用史への着目な ど)は、今後のこの分野の研究を進展させるものであろう。本書終章には以下のような記述があ る。 戦争と平和の問題を考えるとき、何よりもまず、戦場となるのは、国家による統治が十分に 行き届いていない場所であり、しかもその場所が、人の移動を生み出していることを認識しな ければならない。こうした場所に生活していると、暴力の危険にさらされる可能性が高くな る。誰もが一様に平和を享受できるわけではないのである。これは、戦争の被害が差別問題で あることを意味する。 総動員体制は、人々を前線や工場へ動員し、生活物資の統制を来した点で、一面では社会の「平 準化」を導くものであった。だが、戦場に着目するのであれば、総動員体制下のさまざまなヒエラ ルヒーを見出すことができる。こうした今後の「戦争(の)社会学」のなかで掘り下げるべき視角 が、本書には提示されている。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――