• 検索結果がありません。

明治における華僑発生の経済的要因

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "明治における華僑発生の経済的要因"

Copied!
24
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

' 明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因 五 〇

・三 は   し   が   き     漢 の 武 帝 が 儒 教 を 国 家 正 統 の 学 と 定 め た 時 (前 一 三 〇 年 ご ろ ) か ら 、 お よ そ 二 千 年 に わ た り 、 漢 民 族 は 儒 教 倫 理 に 培 わ れ   て き た 。 儒 教 倫 理 の 社 会 的 側 面 は 、 祖 孫 承 伝 の 家 族 主 義 を 基 調 と し 、 そ の 経 済 的 側 面 は 、 農 業 生 産 を も っ て 経 世 済 民 の 基 ㌧   盤 と す る こ と は 、 周 知 の と お り で あ る 。 こ れ ら の 社 会 ・ 経 済 的 理 念 よ り す れ ば 、  ﹁ 地 大 物 博 ﹂ の 中 華 の 地 に 根 を お ろ し た   漢 民 族 は 、 . こ の 国 土 に 永 久 的 に 居 住 し 、 誠 意 ・ 正 心 ・ 修 身 ・ 斉 家 ・ 治 国 ・ 平 天 下 、 (漱 孝 副 ) も っ て 王 道 楽 土 の 実 現 を 期 す る 。                                                                                                 き た                   よ ろ こ   . か く て 、 ﹁ ﹁ 近 き 者 説 べ ば 、 遠 き 者 は 来 る ﹂ (鎌 蝋 二子 路 ) の で あ り 、 ﹁ 遠 人 服 せ ざ れ ば 、 則 ち 文 徳 を 修 め て こ れ を 来 す 。 既 に し   て こ れ を 来 せ ば 則 ち こ れ を 安 ん ず ﹂ (購 編 ダ 炸 ) る の で あ る 。 ゆ え に 、 東 夷 西 戎 南 蛮 北 独 の 四 夷 が 、 中 華 の 文 化 を 慕 い 来 れ ば   拒 む こ と な べ 、 ま た 、 去 渇 者 は 敢 え て 追 わ な い の で あ る 。 (瓢 詳 )                                                 、   ・ と こ ろ が (   ﹁ 華 僑 ﹂ な る も の は 、 中 華 の 民 に し て 海 外 に 僑 居 す る 者 で あ り 、 中 国 の 国 土 か ら 外 国 領 土 に 移 住 し た 中 国 人                     (ユ )   な い し そ の 子 孫 で あ る 。 儒 教 ・ 王 道 の 理 念 よ り す れ ば 、 理 解 に 苦 し む 存 在 で な け れ ば な ら な い 。 し か も 、 二 〇 世 紀 の 今 日                     (2 )   世 界 各 地 に 一 千 八 百 万 の 多 き を 数 え 、 そ の 上 、 東 南 ア ジ ア 等 に 於 い て 、 牢 固 た る 経 済 力 を 備 え て い る 。     こ の 、   ﹁ 華 僑 ﹂ 発 展 の 過 程 を 究 明 す る こ と は 、 現 在 の 華 僑 、 な い し ア ジ ア 、 な い し 世 界 を 認 識 し 、 そ の 将 来 を 考 察 す る

(2)

9 O 上 で 、 重 要 な 意 味 を 有 す る こ と と 言 わ ね ば な る ま い 。 z1 )  ) 世界の華僑人 口とその分布  根     (単位千人)    崖 根 岸 信 ﹁華 僑 裸 記 ﹂ 一 九 四 二 年 、 総 説 、 華 僑 の 意 義 参 照 。 華僑人 口 3,799 歌710 3,388 2,996   282   110 2,750 1,427 1,116   400   260   161   116   53   49   47   29'   22   14 (96.4%) 17,354' 265 74 ,24 24 21 15 12 (2.7%)     488 20 11 (0.3%)     49 '23 (0.3%)     48 50 (0.3%)     60 分 区 イ ソ ア ヤ ク バ ア ル ム マ ヤ オ ソ ド 本 ス 鮮 ︻ ア

"錺

サ脚

・窟

タ ホ マ ー イ シ 南 ビ カ マ フ イ 日 ラ 南 ブ サ ア ジ ア 計 ア 層 ジ ア カ ダ バ [ カ ド ル リ ー イ ダ ジ   ナ   ル マ ニ メ   ユ   ヤ リ ラ ア カ キ ベ ジ ト ブ 南 北 ア メ リカ計 オ ー ス ト ラ リ ァ ニ ユ ー ジ ラ ソ ド オ セ ブ ニ ァ 計 モ ー リ シ ア ス ア プ リ 均 計 イ  ギ   リ ス ヨ ー・ロ ッ ノく  言十 南 北 ア メ リ カ オ セ ア ニ ア .ア フ リ カ ッ パ. ヨ : ロ 世   界 計1    (100.0%       17,999 華 僑経済年鑑編 輯委 員会 「華僑経 済 年鑑」1967年版,華 僑人 口1万 人 以下の分は省略した 。 '                       (1 )   漢 民 族 の 海 外 進 出 の 歴 史 を 遡 れ ば 、 あ る い は 、 漢 武 の 使 者 を 南 洋 に 派 す る こ と が 見 え 、 あ る い は 、 唐 ・ 宋 時 代 に 、 中 国 ・ 南 洋 間 の 通 商 ・ 朝 貢 が 盛 ん に 行 わ れ た こ と 、 中 国 政 府 の 使 節 が 南 洋 に 往 来 し た こ と 、 僧 侶 の 渡 印 す る 者 が 多 く 、 南 洋 移 住 の 端 緒 を 用 い た こ と 、 な ど が 知 ら れ る 。 宋 の 遺 民 が 海 外 に 活 路 を 求 め た こ と も 、 移 民 促 進 の 一 契 機 と な っ た こ と で あ 、ろ う 。 ﹂モ ン ゴ ル の 征 服 王 朝 元 は 、 欧 亜 に ま た が る 広 大 な 領 土 を 保 持 し た が 、 十 三 世 紀 末 に 、 チ ャ ム. パ ・ ・ ア ン ナ ン ・ ジ ャ ワ に 兵 を 進 め た 。 遠 征 は 失 敗 に 帰 し た が 、 兵 士 の 一 部 が 現 地 に 土 着 し た よ う で あ る 。     .   こ の よ う に 、 元 代 以 前 に お い て も 、  ﹁ 華 僑 ﹂ の 先 駆 的 形 態 が 見 受 け ら れ る け れ ど も 、 そ れ が 本 格 的 に 進 出 を 始 め た の は 明 代 か ら で あ る と せ ら れ る 。 だ が 、 明 代 と 言 っ て も 三 百 年 の 長 き に わ た る 。 ( 一 三 六 八 一 一 六 六 一 年 ) そ の 町 、  ﹁ 華 僑 ﹂ に つ い て も 、 消 長 ゼ 盛 衰 の あ る こ と は 、 む し ろ 当 然 と い え よ う っ .           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                    .             五 一

(3)

、 明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因 ' 五 二 ¶   明 の 太 祖 は 、 民 族 意 識 が 強 ぐ 、 外 国 人 を 厚 遇 し た 元 朝 の 政 策 に 反 し 、 国 粋 主 義 ・ 鎖 国 主 義 を 採 っ た 。 明 史 食 貨 志 ﹁ 市 舶 ﹂ の 条 に よ る と 、 海 外 諸 国 の 入 貢 す る 者 に は 、 方 物 を 附 載 し て 中 国 と 貿 易 す る を 許 し 、 市 舶 司 を 設 け 、 握 拳 の 官 を 置 い て 管 理 さ せ た 。 し か し 、 そ れ は 衷 情 を 通 じ ( 姦 商 を 抑 え ﹁ 下 海 通 蕃 の 禁 令 ﹂ を し て 施 す と こ ろ 有 ら し め 、 因 っ て も っ て そ の 蹴 璽 を 消 す 一 南 方 の 治 案 確 保 す る 1 所 以 で あ ・ た 。 宋 ・ 元 時 代 に 倣 ・ て ﹁ 市 舶 司 ﹂ を 設 置 し た け れ ど も 、 嘗 ・ て の よ う に 、 徴 税 と か 渡 航 免 許 の 事 務 を 管 掌 す る こ と は な く 、 た だ 、 朝 貢 貿 易 を 復 活 し た に す ぎ な い 。 布 掘 司 に つ い て は 、                                                                         シヤ                                                                             ム                                                                     チ ヤ ム パ       寧 波 ・ 泉 州 ・ 底 州 に 設 く つ 寧 波 は 日 本 忙 通 じ 、 泉 州 は 琉 球 に 通 じ 、 広 州 は 占 城 . 遅 羅 。 西 洋 諸 国 に 通 ず 。 琉 球 . 占 城 諸 国 は 皆 恭 順 に     し て 、 そ の 、 時 に 至 レ て 入 貢 す る に 任 す 。 惟 だ 、 日 本 は 叛 服 常 な ら ず 。 故 に 独 り そ の 期 を 限 り て 十 年 と 為 し 、 人 数 を 二 百 と 為 し 、 舟 を                                                                                       す な わ   ま     二 艘 と 為 す 。 金 葉 の 勘 合 表 文 を 以 っ て 験 と 為 し 、 以 っ て 詐 偽 侵 軟 を 防 ぐ 。 後 、 市 舶 司 、 暫 く 罷 む 。 輯 ち 獲 た 、 瀕 海 の 居 民 及 び 守 備 の 将     卒 の 私 か に 海 外 諸 国 に 通 ず る を 厳 禁 す 。 と 食 貨 志 に 記 さ れ て い る 。 太 祖 の 鎖 国 主 義 ・ 消 極 主 義 が 顕 現 せ ら れ て い る の で あ る が 、 し か も な お 、 瀕 海 居 民 等 の 海 外 私 . 通 の 事 実 の 存 在 を 、 そ の 紙 背 に 読 み 取 る こ と が で き る 。     成 和 永 楽 の 初 め に 、 西 洋 刺 泥 国 の 回 回 が 来 朝 し 、 胡 椒 を 附 載 し て 民 と 互 市 し た 際 に ( 有 司 が 之 に 税 せ ん と 進 言 し た と こ ろ 、 帝 は 、   ﹁ 夷 人 義 を 慕 う て 遠 く 来 る 。 乃 ち 其 の 利 を 侵 す も 得 る 所 幾 何 ぞ 。 ` 而 し て 大 体 を 鶴 辱 す る こ と 多 か ら ん ﹂ と て 許 さ な か っ た 、 と 食 貨 志 に 見 え る 。 綽 々 然 と し て 余 裕 有 る 中 国 元 首 の 面 目 を 示 し て い る 。 永 楽 三 年 ( 一 四 〇 五 年 ) に は 、 詰 番 ﹂ の 貢 使 が 益 く 多 く な っ た の で 、   ﹁ 駅 ﹂ を 福 建 ・ 漸 江 ・ 広 東 の 三 市 舶 司 に 置 い て 、 そ の 接 遇 に 当 ら せ て い る 。 さ ら に 、 交 阯 に も 市 舶 握 拳 司 を 設 け て い る 。 朱 紐 列 伝 (軌 ) に は 、 ﹁ 開 祖 初 め 制 を 定 む る や 、 片 板 も 入 海 を 許 さ ず 。 承 平 久 し く し て 、 好 名 麟 出 入 す ﹂ と あ り ・・ ま た 外 国 列 伝 五 (一 喜 = 仏 斉 の 委 見 る に 、 三 仏 斉 凸 楚 は 、 ﹁黄 の 流 寓 す る 者 、 住 直 し                                                                                                 う か て 起 ち て 之 に 拠 る 。 梁 道 明 な る 者 あ り 。 広 州 南 海 県 の 人 。 久 し く 其 の 国 に 居 る 。 閾 ・ 越 の 軍 民 、 海 に 涯 び 之 に 従 う 者 数 千

(4)

家 。 道 明 を 推 し て 首 と 為 し 、 一 方 に 雄 視 す 。 L と あ る 。 そ し て 、 永 楽 三 年 に 、 成 和 が 行 人 課 勝 受 等 を 派 遣 し て 、 道 明 を 招 請 し て い る 記 事 が あ る と こ ろ が ら 見 る と 、 旧 溶 す な わ ち ス マ ト ラ の パ レ ソ バ ソ 地 方 に 、 永 楽 初 年 日 一 五 世 紀 初 頭 に 、   ﹁ 華 僑 ﹂ の 根 拠 地 が 作 ら れ て い た こ と が 明 ら か で あ る 。 さ ら に 、 同 じ 外 国 列 伝 の 瓜 畦 の 条 に も 、   ﹁ そ の 国 に ﹃ 新 村 ﹄ あ り 、 最 も 饒 富 を 称 す 。 中 華 お よ び 諸 藩 の 商 舶 そ の 地 に 輻 輳 し 、 宝 貨 填 溢 す 。 そ の 村 主 は 即 ち 広 東 の 人 な り 。 永 楽 九 年 、 自 ら 使 を 遣 わ し 、 方 物 を 表 貢 す 。 ﹂ と あ る 。   こ れ ら に よ っ て 見 れ ば 、 太 祖 の 鎖 国 主 義 は 、 事 実 上 崩 れ 去 り 、 密 出 国 者 が 集 団 釣 に 渡 航 す る 風 潮 の 萌 芽 が 認 め ら れ る の で あ る o                                                          こ の よ う な 状 勢 の 下 に 、 成 和 は 鄭 和 を し て 西 征 せ し め た 。 西 征 は 、 永 楽 三 年 ( 一 四 〇 五 年 ) か ら 宣 徳 八 年 ( 一 四 二 三 年 ) ま で 、 二 十 九 年 の 間 、 七 回 に 分 っ て 行 な わ れ た 。 そ の 第 一 回 に つ い て み れ ば 、 士 卒 二 万 七 千 余 、 六 十 二 隻 の 船 艦 を も っ て 航                             パ レ ン バ ン し 、 占 城 ー ボ ル ネ オ ー 東 ジ ㍗ ワ ー 旧 港 ー マ ラ ッ カ 海 峡 ー セ イ ロ ン ー カ リ カ ッ ト を 巡 回 し た 。 か れ の 西 征 は 、 実 質 的 に は 官 業 貿 易 で あ っ た 、 と す る 説 も あ る が 、 他 方 、 ジ ャ ワ ・ ス マ ト ラ ・ シ ャ ム ・ マ ラ ッ カ 等 所 在 の 華 僑 に 対 し て 、 鼓 舞 激 励 を 与 、見 た と い う 、 精 神 的 影 響 を 看 過 す る こ と は で き な い 。 と 同 時 に 、 永 楽 初 年 に お い て 、 南 洋 各 地 に 華 僑 の 進 出 著 る し い も の が あ っ た こ と が 証 明 せ ら れ る わ け で あ る 。   武 宗 の 時 う ( 一 五 〇 六 一 二 一 年 ) 礼 部 の 議 と し て 、 つ ぎ の よ ゲ に 言 う 。 (鹸 籏 聴 条 )     市 舶 の 職 は 進 貢 の 方 物 を 司 る 。 そ れ 汎 海 の 客 商 及 び 風 泊 の 蕃 船 は 、 教 旨 に 載 す る 所 の 例 に 非 ず 。 當 に 預 る べ か ら ず 。, と 。 市 舶 司 の 所 管 業 務 に 関 す る 見 解 が 述 べ ら れ て い る が 、 当 時 、 進 貢 以 外 に 、 客 商 ・ 蕃 船 の 往 来 が か な り 盛 ん に 行 わ れ て い た こ と が 推 察 で き る 。 . 世 宗 嘉 靖 の 時 代 ( 一 五 二 二 i 六 六 年 ) に 入 る と 、 倭 寇 が 登 場 し 、 ・ 中 国 沿 海 の 豪 商 緒 締 た ち が こ れ に 加 担 す る ・ 嘉 靖 末 年 に           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 咽                             .                  五 三

(5)

、 ﹂    、           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                                 五 四                                       (3 ) は 、 倭 寇 が 大 い に 福 建 ・ 広 東 を 掠 め た と い う 。     禅 宗 万 暦 中 ( 一 五 七 三 一 一 六 一 九 年 ) に は 、     、復 た 福 建 の 互 市 を 通 じ 、 惟 だ 硝 黄 を 市 す る を 禁 ず 。 す で に し て 両 市 舶 司 (福 建 ・ 漸 江 ) 悉 く 復 し 、 中 宮 を 以 っ て 職 を 領 せ し む る こ と   も と   故 の 如 し と 見 え る 。 (融 獺 志 )                ・                      、    、                      ・   こ の 間 、 隆 慶 元 年 ( 一 五 六 七 年 ) に は 、 明 初 以 来 の 海 禁 が 解 か れ 、 中 国 人 の 東 西 洋 へ の 出 航 が 許 さ れ た 。 万 暦 二 十 年 に い                                                                                     (4 ) た り 、 朝 鮮 の 役 起 り 、 倭 警 生 じ て 海 禁 令 に 戻 っ た が 、 万 暦 二 十 二 年 、 再 び 海 禁 を 解 い た よ う で あ る 。   明 末 に お け る 華 僑 の 進 出 に 重 大 な 影 響 を 有 す る 歴 史 事 実 と し て 、 西 欧 人 の 渡 来 を 逸 す る こ と は で き な い 。 ポ ル ト ガ ル 人 は マ ラ ッ カ を 拠 点 と し て 東 洋 各 地 と の 通 商 を 進 め た が 、 一 五 = ハ 年 、 つ い に 広 州 ・ 寧 波 ・ 潭 州 等 に 到 達 し て 通 商 を 求 め 、               マ カ オ 一 五 五 六 年 に は 澳 門 に 根 拠 地 を 確 保 し た 。 以 来 、 明 末 に い た る 一 世 紀 間 、 澳 門 は 半 国 唯 一 の 公 認 貿 易 港 と し て 繁 栄 ず る 。 . こ こ に ま た 、 中 国 人 の 私 通 下 番 -密 渡 航 の う え に 大 き な 刺 戟 を 与 え た こ と は 、 ・多 言 を 要 し な い で あ ろ う 。   フ ィ リ ピ ン   呂 宋 へ は 、 福 建 人 の 商 人 が 多 く 渡 来 し 、 往 々 に し て 永 久 的 に 居 住 し た 。 そ こ へ 、 イ ス パ ニ ア 人 が 侵 入 し 、 穆 宗 隆 慶 五 年 ( M 五 七 } 年 ) フ ィ リ ピ ン 諸 島 を 占 領 し 、 マ ニ ラ 政 庁 を 建 て た 。 そ の 後 、 華 僑 が し ば し ば 大 量 段 数 を 蒙 っ た こ 乏 は 、 史 上 に か く れ も な い 。 そ の う ち 、 明 代 に 限 っ て み て も 、                  ,   一   モ ル ッ カ λ 遠 征 事 件           一 五 九 三 年                   黛   2   張 娩 事 件   二 万 五 千 人 虐 殺       一 六 〇 二 年   3   カ ラ .ソ バ 事 件   二 万 三 千 人       一 六 三 九 年   4    華 僑 異 鮒 動 事 件                         一 山 ハ 山 ハ O 年

(6)

  5   鄭 成 功 招 諭 事 件               一 六 六 二 年                                 (5 ) な ど 、 五 指 を 嘱 す る 事 件 が 挙 げ ら れ る 。 こ の 事 実 は 、 明 末 以 前 に お い て 、 フ ィ リ ピ ン へ の 華 僑 の 大 量 進 出 の 事 実 が 存 在 し た こ と を 裏 書 き す る も の で あ る 。 、 福 建 ・ 広 東 な ど 沿 海 住 民 が 、 嘉 靖 ・ 万 暦 の 百 年 の 間 に 、 南 洋 一 帯 に 進 出 ・ 発 展 し た こ と は 、 腓 上 の ほ か 、 明 史 外 国 伝 の                                             ボ ル ネ オ     マ ラ ッ カ       ス  マ  ト ラ 安 南 . 琉 球 . 呂 宋 . 占 城 . 遅 羅 . 瓜 畦 ・ 三 仏 斉 ・ 淳 泥 ・ 満 刺 加 ・ 蘇 門 答 刺 な ど の 条 々 に お い て 、 こ の 時 期 に 属 す る 記 事 が 比 較 的 多 く 見 受 け ら れ る こ と か ら も 、 推 察 に 難 く な い 。                     .    、   と こ ろ で 、 古 来 、 儒 教 倫 理 に 陶 冶 せ ら れ た 中 華 の 民 が 、 祖 先 墳 墓 の 地 を 棄 て て 、 敢 え て 化 外 南 蛮 の 地 へ 大 量 に 移 住 せ ざ る を 得 な か っ た こ と に つ い て は 、 相 当 の 理 由 ・ 原 咽 が な け れ ば な ら な い 。 し か も 、 そ れ が 、 な ぜ 明 朝 末 期 、 嘉 靖 ・ 万 暦 の 時 点 に 集 中 的 に 現 出 し た か は 、 興 味 深 い 問 題 と い わ ね ば な ら な い 。   成 田 節 男 氏 は 、 こ の 点 に 関 し て 、     要 す る に 嘉 靖 . 万 暦 は 明 代 を 通 じ て 沿 岸 住 民 の 私 通 下 番 が 最 も 盛 ん な 時 代 で あ っ て 、 其 の 盛 ん な 原 因 は 倭 寇 の 襲 来 覧 欧 人 の 渡 航 と い   ふ 外 部 的 な 刺 戟 の 中 に 求 め ら れ た が 、 猶 こ の 他 明 の 国 内 事 情 が 重 要 な 原 因 を 為 し て み た こ と は 言 ふ ま で も な い 。 筆 者 は こ の 時 代 の 国 内   事 情 が 漢 人 の 海 外 発 展 に 及 ぼ し た 影 響 に 就 い て 考 究 す る 余 裕 を も た な か っ た こ と を 告 白 し て 置 き 度 い 。                お   と 述 べ て お ら れ る 。   鄭 和 . 倭 寇 . 西 欧 人 な ど に よ り 惹 起 さ れ た 外 部 的 要 因 の ほ か に 、 明 末 華 僑 盛 行 の 原 因 の 一 つ と し て 、 わ れ わ れ は 、 明 代 に お け る 造 船 お よ び 航 海 に 関 す る 技 術 の 発 達 を 措 摘 し な け れ ば な ら な い で あ ろ う 。 か の 鄭 和 の 西 征 に 当 っ て も 、                                                              大 船 を 造 る 。 修 ( な が さ ) 四 十 四 丈 、 広 さ 十 八 丈 の 者 、 六 十 二 (矧 棚 物 一 ㏄ 熟 ハ 朋 ) と あ る 。 こ れ に よ っ て 将 士 卒 二 万 七 千 八 百 人 を 運 ん だ 、 と い う 。 実 に 、 南 海 に お け る 大 量 輸 送 の 嚆 矢 と も 言 う べ く 、 こ の           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因 ・                                              五 五

(7)

            明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                                   五 六                                                                                              ビ   造 船 技 術 な ら び に 航 海 技 術 の 発 達 が な け れ ば 、 華 僑 の 集 団 的 進 出 は 実 現 し な か っ た と 考 え ら れ る 。                       、   外 部 的 刺 戟 お よ び 造 船 技 術 発 達 の 二 要 件 が 充 九 さ れ て も 、 な お 、 中 国 人 の 海 外 流 出 は じ ゅ う ぶ ん に は 行 な わ れ な か っ た ' で あ ろ う 。 そ れ が 本 格 的 に 盛 行 す る た め に は 、 中 国 本 土 に お け る 社 会 的 ・ 経 済 的 な 圧 迫 な い し 強 制 一 ℃ 器 ωω 9 ① 一 の 存 在 が 必 要 で あ る 、 と 私 ば 考 え る 。 成 田 氏 の い わ ゆ る 国 内 事 情 で あ る 。   次 姉 以 下 に お い て 、 嘉 靖 ・ 万 暦 時 代 を 中 心 に 、 ・国 内 事 情 と く に 経 済 事 情 を 分 析 検 討 し て 、 明 代 に お け る 華 僑 盛 行 の 経 済 的 要 因 の 究 明 に 充 て た い と 思 う 。 (( 21 )) ( 3 ) ( 4 ) ( 5 ) ( 6 ) ( 7 ) ( 8 ) 手 長 傳 ﹁ 中 国 殖 民 史 ﹂ 一 九 三 六 年 、 成 田 節 男 ﹁ 華 僑 史 ﹂ 一 九 四 一 年 な ど 参 照 。 明 史 巻 三 〇 四 、 列 伝 一 九 二 、 鄭 和 の 条 に い わ く 。   成 和 疑 恵 帝 亡 海 外 欲 蹤 跡 之   且 欲 耀 兵 異 域   示 中 国 富 強 ' と 。 明 史 巻 三 二 一二 、 列 伝 二 一 〇 、 外 国 三 、 日 本 の 条 参 照 。 和 田 清 編 ﹁ 明 史 食 貨 志 訳 註 ﹂ 一 九 五 七 年 、 九 〇 七 頁 。 成 田 節 男 、 前 掲 書 、 各 論 第 三 章 、 比 律 賓 の 華 僑 参 照 。 成 田 節 男 、 前 掲 書 、 一 一 〇 頁 。                , 明 史 、 鄭 和 伝 。 李 長 徳 ﹁ 中 国 殖 民 史 ﹂ 一 二 一 頁 参 照 。 こ の こ と に つ い て 、 奥 平 定 世 教 授 の 指 教 に 負 う と こ ろ 多 し 。 =                                                                ま ず 、 明 代 の 経 済 を 概 観 す る こ と か ら 始 め る こ と と す る 。   明 初 は 概 ね 元 の 制 度 を 浴 用 し た 。 幣 制 に お ,い て は 、 銭 法 通 ぜ ず し て 紗 を 用 い 、 民 間 の 、 銀 を も っ て 交 易 す る こ と を 禁 じ た 。 生 産 面 で は 、 農 業 を 振 興 し 、 開 墾 を 奨 励 す る と と も に 、 屯 旺 を 開 き 、 ま た 、 中 塩 の 法 に よ り 、 辺 境 軍 隊 の 給 与 を 行 な い ・ 中 央 財 政 に 負 担 が か か ら な い よ う 配 慮 し た 。 か く て 、 財 政 に も 、 庶 民 の 生 活 に も 余 裕 が 生 じ 、 軍 隊 も 足 り 、 い わ ゆ る

(8)

百 姓 充 実 ・ 府 蔵 術 溢 の 状 況 を 呈 し た . 太 祖 か ら 仁 宗 に い た る 明 初 半 世 紀 の 経 済 ・ 財 政 は こ の よ う な 、 安 定 を 得 た 状 態 で あ っ た 。   そ の 後 、 豪 強 の 兼 併 -大 土 地 所 有 の 進 行 に よ り 、 屯 田 の 制 は 破 れ 、 財 政 官 僚 の 塩 法 改 悪 な ど か ら 、 辺 境 軍 隊 の 給 与 を 中 央 財 政 に 仰 ぐ こ と に な っ た が 、 輸 送 ・ 倉 庫 の 機 能 も 円 滑 を 欠 く よ う に な っ た 。 そ の 他 の 原 因 も あ っ て 、 財 政 支 出 は 膨 脹 し 、 財 政 的 困 難 に 陥 っ た 。   万 暦 以 後 は 、 増 税 あ い つ ぎ 、 国 家 財 政 と 帝 室 財 政 の 別 も 乱 れ 、 ま た 宦 官 の 拾 頭 、 苛 斂 誅 求 が 加 わ る 。 庶 民 拡 ま じ め に 農 業 生 産 に 励 む こ と を 止 め 、 工 商 業 等 に 走 る 者 多 く 、 田 土 荒 廃 、 蓄 積 空 乏 と い う 、 末 期 的 症 状 を 呈 す る 。   以 上 が 明 一 代 の 経 済 概 況 で あ る 。                                              コ     明 代 の 社 会 経 済 組 織 を み る に 、 そ の 基 本 は 里 ・ 甲 制 で あ る 。 太 祖 は ﹁賦 役 黄 冊 ﹂ を 偏 し 、 一 一 〇 戸 噛 一 里 と し 、 う ち 一 〇 戸 を 長 と し ・ 一 〇 〇 戸 を 十 甲 に 分 っ た 。 鰥 寡 孤 独 の 者 は 晴 零 (糊 撒 触 獣 ) と し た 。 僧 ・ 道 に は 度 牒 を 給 し 、 田 有 る 者 は 庶 民 同 様 に 冊 に 偏 し 、 田 無 き 者 は 崎 零 と し た 。 十 年 毎 に 有 司 は そ の 冊 を 更 定 し 税 循 の 基 本 台 帳 と し た 。 後 、 黄 冊 は 形 骸 化 し 、 ﹂ 有 司 は 別 に ﹁ 白 冊 ﹂ を 作 っ て 税 榴 の 基 準 と し た 。 庶 民 は 原 則 と し て 、 居 住 も 職 業 も 固 定 せ ら れ た 。 逃 戸 や 流 民 に は 手 厚 い 撫 養 の 策 を 講 じ 、 さ ら に 、 孤 貧 救 恤 、 貧 民 埋 葬 、 義 家 、 養 老 、 遭 難 兵 民 の 救 恤 な ど 一 連 の 社 会 輻 祉 的 措 置 に よ っ て 補 完 し 民 生 安 定 に 努 め た の で あ る 。 明 代 の 戸 。 に つ い て は ・ 信 ず べ き 資 料 を 欠 く 遡 w 嬰 代 を 通 じ 、 お お む ね 停 滞 的 で あ ・ た と い え よ う 。 周 枕 の 言 に 豪 門 に 投 筒 し 、 或 い は 匠 を 冒 し て 両 京 に 窟 れ 、 或 い は 引 を 冒 し て 四 方 に 質 す る に 、 家 を 挙 ザ て 舟 居 し 、 踪 跡 す べ く も 臭 し ﹂ ど あ っ て 、 戸 口 異 動 の 状 況 を う か が う こ と が で き る 。                                                 い し   戸 口 の 社 会 的 移 動 の 一 つ と し て 見 逃 し 得 な い の は ﹁ 移 徙 ﹂ で あ る 。 食 貨 志 は 、   ﹁ 朝 廷 の 移 す 所 の 民 を 移 徙 と 曰 う ﹂ と 規           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                                 五 七

(9)

          明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                                 五 八 定 し て い る 。 太 租 は 、 漸 江 ・ 南 京 付 近 の 富 民 一 万 四 千 戸 を 京 師 に 移 さ せ た 。 成 和 も 富 民 三 千 戸 を 北 京 に 附 籍 し て 、 宛 ・ 大 二 県 の 廟 長 に 充 て 、 な お 本 籍 の 徭 役 に 応 ぜ し め た 。 宣 徳 の 間 に は 、 逃 ぐ る 者 は 辺 軍 に 充 て 馬 官 司 ・ 鄭 里 に し て 隠 匿 す る 者                                                           ロ    お く は 処 罰 七 た 。 と こ ろ が 、 弘 治 五 年 ( 一 四 九 二 年 ) に は 、   ﹁ 在 逃 の 富 戸 を 解 る こ と を 免 じ 、 毎 戸 銀 三 両 を 徴 し 、 庶 民 に 与 え て                                                                 し よ う 役 を 助 け ﹂ さ せ た 。 さ ら に 、 嘉 靖 中 に 、   ﹁ 減 じ て 二 両 と な し 、 以 っ て 辺 餉 に 充 て ﹂ た と い う 。 か ぐ て 、 立 法 当 初 の 社 会 政 策 的 意 義 は 失 わ れ 、 明 末 禍 乱 の 一 原 因 と も な る の で あ る 。   戸 口 に つ い で 、 経 済 生 法 の 重 要 な 与 件 で あ る ﹁ 土 地 制 度 ﹂ に つ い て 見 よ 触 帖 .   明 代 の 官 田 に は 、 宋 . 元 時 代 か ら 引 き 継 い だ も の の ほ か 、 還 官 田 、 没 官 田 、 断 入 官 田 、 学 田 ﹂ 皇 荘 、 牧 馬 草 場 、 城 端 苜 蓿 地 、 牲 地 、 園 陵 境 地 、 公 占 隙 地 、 諸 王 ・ 公 主 ・ 勲 戚 頃 大 臣 ・ 内 監 ・ 寺 観 の 賜 乞 せ る 荘 田 、 百 官 の 験 田 、 辺 臣 の 養 廉 田 、 軍 ・ 民 商 の 屯 田 な ど が あ る 。 こ れ ら の 官 田 以 外 は 、 す な わ ち 民 田 で あ る 。   太 祖 は 、 戸 部 に 命 じ て 天 下 の 土 田 を 調 査 さ せ た と こ ろ 、 両 漸 の 富 民 が 徭 役 を 忌 避 し 、 土 地 の 名 儀 を 他 戸 に 寄 せ る 者 が 多 か っ た 。 そ こ で ﹁ 魚 鱗 図 冊 ﹂ な る 土 地 台 帳 を 作 成 さ せ た 。 戸 口 に つ い て の ﹁ 賦 役 黄 冊 ﹂ と 共 に 、 緯 と な り 経 と な っ て 財 政 の 基 礎 資 料 と せ ら れ た わ け ℃ あ る 。 田 政 に お い て も 、 明 初 に は 社 会 政 策 的 配 慮 が う か が わ れ る が 、 時 を 経 る に つ れ て 忘 却 せ ら れ 、 む し ろ 財 政 収 入 第 一 主 義 へ と 傾 い て い く 。 た と え ば 、 宣 徳 の 間 に 、 墾 荒 田 の 永 く 免 税 し て い た も の や 、 低 湿 地 や 塩 気 を 含 む 不 毛 地 な ど を 新 た に 課 税 対 象 に し た り 、 田 地 測 量 の 単 位 を 混 雑 さ せ る な ど 、 苛 斂 誅 求 に 類 す る 事 例 が 多 く 見 ら れ る 。 他 方 洪 武 二 十 六 年 の 調 査 に よ る 土 田 、 . 八 百 五 十 万 頃 に 対 し 、 弘 治 十 五 年 ( 一 五 〇 二 年 ) の そ れ は 、 四 百 二 十 二 万 頃 に 過 ぎ                                                             か く と う ず 、 官 田 は 民 田 の 七 分 の 一 を 占 め る 、 と い う 。 こ-の こ と に 関 し て 、 窪 稻 の 言 が あ る 。 い わ く 、                 い た                                                                                         ノ   , ・誤 載 よ り 弘 治 に 起 る 百 四 十 年 、 天 下 の 額 田 E に 強 半 を 減 ず 。 而 し て 湖 広 、 河 南 、 広 東 は 失 額 尤 も 多 し 。 王 府 に 擾 給 ( 下 賜 y す る に 非

(10)

/   ず ん ば 則 ち 猜 民 に 欺 隠 せ ら る 。 広 東 に は 藩 府 な し 。 欺 隠 に 非 ず ん ば 即 ち 冠 賊 に 委 棄 せ し な り 。                                                                               ド と 。 耕 地 が 百 余 年 間 に 半 減 し た と は 考 え ら れ な い 。 課 税 対 象 と し て 政 府 に 把 握 せ ら れ る 面 積 が 半 減 し た の で あ ろ う か ら 、 財 政 の 規 模 に 変 化 が な か っ た と し て も 、 一 定 面 積 当 ゆ の 庶 民 の 負 担 は 倍 加 し た こ と に な る 。 な お 、 広 東 に つ い て 倭 寇 の 影 響 が 見 受 け ら れ る こ と に 注 目 し て お こ う 。                                                                       お お む   其 の 後 、 福 建 の 諸 州 県 で は 、 経 ・ 緯 二 冊 を 作 り 、 そ の 法 頗 る 詳 か で あ っ た が 、 率 ね 地 を も っ て 主 と 為 し 、 田 多 き 者 は 猶 お 其 の 手 を 上 下 す る (融 魏 ま ) を 得 た 、 と あ る 。   万 暦 六 年 ( 一 五 七 七 年 ) 大 学 士 張 居 正 の 意 見 に よ り 田 畝 の 丈 量 を 行 な い 、 総 計 田 麩 七 百 一 万 頃 を 得 た 。 七 十 五 年 前 σ 弘 治 の 時 に 比 べ 、 約 七 〇 % 増 で あ る 。 し か し 、 把 捉 面 積 の 増 加 に 重 点 が お か れ た た め 、 有 司 が 規 定 よ り 短 い 尺 度 で 測 量 し た り 苛 税 を 課 し て 架 空 の 税 糧 に 充 て た り 、 悪 虐 な 行 為 が 多 く 出 た と い う 。                       (5 )   つ ぎ に 荘 田 に つ い て 見 よ う 。   太 祖 は 、 創 業 の 功 績 に よ り 公 侯 丞 相 、 親 王 、 武 臣 、 百 膚 、 さ ら に 指 揮 、 陣 没 者 な ど に 公 田 を 賜 与 し た 。 勲 臣 の 荘 田 、 多               お か                                                                                                                                               に く 威 に よ り 禁 を 拝 し 、 戎 講 の 効 も な い の で 、 公 侯 の 賜 田 を 官 に 帰 さ し め 、 歳 禄 を 与 え る こ と と し た 。                 き つ せ い   仁 ・ 宣 の 頃 .か ら 乞 請 が 多 く な り 、 英 宗 の 時 に は 、 諸 王 、 外 戚 、 中 宮 ら が 所 在 に 官 私 田 を 占 有 し ハ あ る い は 虚 偽 に よ り 民                                       ふ ん え い                                                 あ 田 を 奪 う 者 が 頻 出 し た 。 権 貴 ・ 宗 室 の 荘 田 ・ 墳 螢 あ る い は 賜 い 、 あ る い は 請 う も の 勝 げ て 計 う べ か ら ざ る 状 態 で あ っ た 。 皇 室 自 身 も 荘 田 を 多 く 所 有 す る よ う に な っ た 。 皇 荘 と 称 す る 。 か く て 、 荘 田 郡 県 に 遍 べ 、 武 宗 の 頃 、 皇 荘 三 百 余 処 に い た り 、 諸 王 、 外 戚 の 求 請 し 、 及 び 民 田 を 奪 う 者 、 算 無 き に い た っ た 。   世 宗 は 皇 荘 の 害 を 認 め て 改 革 し よ う と し た が 、 宦 官 や 外 戚 に 阻 ま れ た 。 し か し 、 公 主 、 国 公 の 荘 田 は 、 世 遠 き 者 は 什 の 三 を 存 す る こ と と 定 め 距 。 穆 宗 も 、 世 次 逓 減 の 限 を 定 め 、 勲 臣 億 五 世 、 田 二 百 頃 を 限 り と し 、 外 戚 は 七 百 頃 か ら 七 十 頃 ま           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因       、 ' .   ,             五 九

(11)

          盟 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                            -  六 〇                         、              .  .    ,                                                                    、 で に 制 限 し た 。         ら い よ                                                                                            ,                              こ よ う     し え き    り ん し ょ く .禅 宗 は 甕 予 修 に 過 ぎ 、 求 め て 獲 ざ る 無 き 状 態 で あ っ た 。 王 府 の 官 や 宦 官 は 、 地 を 丈 し て 税 を 徴 し 、 雇 養 ・ 厩 役 の 凛 食 、 万 を 以 っ て 計 り 、 漁 敏 の 惨 毒 は 聞 く に 忍 び ず 、 駕 帖 も て 民 を 捕 え 、 荘 佃 を 格 殺 し 、 所 在 騒 然 と な っ た 。 こ の よ う に 、 明 の 中 葉 以 後 臆 、 荘 田 が 民 業 を 侵 奪 し 、 つ い に 国 家 と 運 命 を 共 に す る こ と と な る 。                       、 序 文 参 照 。 ( 1 ) ( 2 ) ( 3 ) 明 史 巻 七 十 七 、 食 貨 一 同 戸 口 の 条 参 照 。 明 代 の 戸 口 諮     醤 箔 聾 謡 劉 誘 劇 司 醐 6 一 圏 翻 一 ω O しゅ = 2 ﹂ 田 。。 9 U 一 〇 . O 認 ● o。 ロ O ・ ρ 一 一 ◎Q . 心 お H ρ 0 卜o 一 誌 ω ① 口 ① ρ 切 ホ . o。 這 ㎝ ω ' 蕊 一 層 一 ㎝ Q。 ① P O ㊤ N oo 切 ∈島 ( 4 )   ( 乞 ) に 同 じ 田 制 の 条 参 照 。 ( 5 ) 同 荘 田 の 条 参 照 。 資 料   明 史 巻 七 七 、 志 第 五 三 、 食 貨 一 。 三                                                本 節 は 、 明 の 賦 役 の 法 を 中 心 に 吟 味 を 進 め る 。 明 初 の 税 制 は 両 税 法 を 踏 襲 し た 。 .賦 は 十 分 の 一 と し 、 役 は 田 の 面 積 を 基 準 と し て 夫 を 出 さ せ た 。 課 税 台 帳 と し て ﹁ 黄 冊 ﹂ が 用 い ら れ た 、 両 税 は 、 た と え ば 洪 武 の 時 、 夏 税 を 米 ・ 麦 ・ 銭 ・ 紗 ・ 絹                                                                           ほ ふ で 納 め さ せ 、 秋 糧 を 米 ・ 銭 ・ 鋤 ・ 絹 で 納 め さ せ た 。 洪 武 三 十 年 ( ; 一九 七 年 ) 陳 西 で 適 賦 ( 滞 納 ) が 累 積 し て 民 が 苦 し ん だ 。 太 祖 は 、 二 十 八 年 以 前 の 天 下 の 通 賦 は 皆 、 土 の 産 す る 所 に 任 せ て 、 米 ・ 絹 ・ 綿 花 ・ 金 ・ 銀 雪 の 物 で 代 納 す る こ と を 許 し た 。 そ の 時 、 戸 部 で は 換 算 率 と し て 、     紗 一 錠 ( 五 貫 ) " 米 一 石 '

(12)

棉 苧 綿 絹 鍛 金 花 布 布 一 一 一 一 一 一 匹 両 両 斤 疋 匹 と 上 申 し た と こ ろ 、     金 一 ・両     銀 一 両     紗 二 貫 五 百 と 、 金 ・ 銀 お よ び 紗 の 換 算 率 を 倍 に し 、 等 は 合 計 二 千 余 万 で あ っ た が 、 、し 、 然 る 後 に 中 央 へ 報 告 す る 、   英 宗 の 正 統 年 間 ( 一 四 三 六 一 四 九 年 )     米 ・ 麦 一 石     米 ・ 麦 四 石 の 比 率 で 、 ・ 江 南 の 米 ・ 麦 四 百 余 万 石 を 、   つ ぎ に 税 率 に つ い て 見 よ う 。           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因 H 米 十 石 1一 米 二 石 瞳 米 一 石 二 斗 一1 米 一 石 H 米 七 斗 時 米 二 斗       ・              . 太 祖 は 、  ﹁ 適 賦 を 折 収 す る は 民 国 を 蘇 わ し め ん と 欲 す れ ば な り ﹂ と て 、 11 米 二 十 石 H 米 四 石       '          .                  , 11 米 一 石                   他 は 上 申 通 り と し た 。 か く て 、 天 下 の 本 色 (米 ﹂ 麦 ) の 税 糧 は 三 千 余 万 石 、 続 ・ 紗           中 央 . 地 方 の 財 政 は 蓄 積 豊 か で 、 凶 作 に 際 会 し て も 、 有 司 は 、 ま ず 備 蓄 の 粟 を 発 し て 振 貸           と い う 風 で あ っ た 。               に は 、 11 銀 二 銭 五 分 、 す な わ ち ・ .                                          . 11 銀 ・一 両                   銀 百 万 両 に 折 し て 中 央 に 送 り 、  ﹁ 金 花 銀 ﹂ と 称 し た 。           太 祖 は                                                                 六 一

(13)

覧 ! 凹 代 に 牡 け る 華 暦 発 生 の 経 済 的 要 因 と し た 没 重. 民 官 官 聾   田 田 田 田 畝 当 り 同 同 同 五 升 三 合 三 升 三 合 八 升 五 合 五 勺 一 斗 二 升 , ' 六 二 、 ・   宣 宗 の 時 ( 一 四 二 六 ⊥ 二 五 年 ) 広 西 布 政 使 周 幹 の 奏 に                               ・        、                                                         も     諸 府 の 民 多 く 逃 亡 す 。 ⋮ ⋮ 重 賦 の 致 す 所 な り 。 ⋮ ⋮ 民 田 の 租 は 旧 と 、 畝 ご と に 五 升 な り 。 小 民 、 富 民 の 田 を 佃 種 す れ ば 、 畝 ご と に 私   租 一 石 を 輸 す 。 後 、 事 故 に 因 り 官 に 入 る に 、 軌 ち 私 租 の 例 の 如 く 尽 く 之 を 取 る 。 十 分 に 八 を 取 る も 民 猶 お 堪 え ず 。 況 ん や 尽 く 取 る お                                                                                             お よ                    コ                             だ い   や 。 尽 く 取 れ ば 則 ち 民 必 ら ず 凍 餅 せ ん 。 ⋮ ⋮ 仁 和 、 海 事 、 毘 山 は 、 海 水 、 官 民 の 田 千 九 百 余 興 を 陥 る 。 今 に 逮 ぶ こ と 十 有 余 年 、 猶 お 其   の 租 を 徴 す 。 L ⋮ と あ り 、 当 時 の 税 率 の 荷 重 な こ と 、 賦 課 方 法 の 酷 薄 な こ と を 物 語 っ て い る 。 宣 徳 五 年 ( 一 四 三 〇 年 y に は 、 官 田 の 租 を 十 分 の 二 な い し 十 分 の 三 を 軽 減 し た α そ の 後 も 、 再 々 租 賦 の 軽 減 を 計 っ た が 、 有 司 に 壅 蔽 せ ら れ て い る 。 ・   正 統 元 年 ( 一 四 三 六 年 ) に は 、 蘇 ・ 松 ・ 漸 江 等 の 官 田 は 、 民 田 に 準 じ て 起 科 す る よ う 大 巾 の 減 税 を 実 施 し た こ と が 見 ら れ る 。   嘉 靖 二 年 ( 一 五 二 二 年 ) 御 史 黎 貫 の 言 は 、 よ く 当 時 の 財 政 の 大 体 を 述 べ て い る 。 曰 く 、                                                       か     国 初 、 夏 秋 の 二 税 、 麦 は 四 百 七 十 余 万 石 に し て 今 は 九 萬 を 少 き 、 米 は 二 千 四 百 七 十 余 万 石 に し て 今 は 二 百 五 十 余 万 を 少 く 。 而 し て 、   宗 室 の 藩 、 官 吏 の 冗 、 内 官 の 衆 、 軍 士 の 増 、 悉 く 給 を 其 の 中 に 取 る 。 と 。 歳 入 の 激 減 と 対 蹠 的 な 歳 出 の 膨 脹 、 ま た そ の 膨 脹 の 原 因 を 適 確 に 指 摘 し て い る 。   こ の こ ろ 、 天 下 の 歳 入 は 二 百 万 両 余 で あ っ た 。 旧 制 で は 歳 入 の 七 分 を 経 常 費 に 、 三 分 を 予 備 費 と し た 。 世 宗 の 中 年 以 降 、

(14)

● 北 虜 南 俵 の 変 多 く 、 軍 事 費 が 増 大 し 、 加 う る に 土 木 ・ 祷 杞 が 夥 し く て 、 幣 蔵 が 贋 端 し た 。 戸 部 は 百 計 し て 財 を 生 じ 、 寺 田 の 変 売 や 軍 罪 の 収 賄 ま で 行 な っ た が 、 な お 不 足 を 告 げ た 。 嘉 靖 三 十 年 ( 一 五 五 一 年 ) に は 、 歳 出 五 九 五 万 に 上 っ た の で 、 南 畿 ・ 漸 江 等 の 賦 百 二 十 万 を 増 徴 -加 派 す る こ と と し た 。 以 後 、 毎 年 三 百 万 な い し 五 百 万 の 歳 出 が 続 く の で あ る 。 他 方 、 歳 入 面 で は 、 各 地 方 と も 事 多 く 、 二 百 万 の 歳 入 額 が 三 分 の 一 も 欠 け る 状 態 で あ っ た 。 し か も 馬 こ の 頃 、 東 南 諸 君 は 倭 寇 を 被 り 、 南 畿 ・ 新 鉱 閲 は 顎 外 の 繰 上 げ 徴 収 が 行 な わ れ た 。   隆 慶 ・ 万 暦 の 時 代 ( 一 五 六 七 1 = ハ ニ ○ 年 ) に は 、 額 を 増 す こ と 既 に 故 の 如 く 、 税 ・ 役 が つ ぎ つ ぎ に 科 派 さ れ た 。 徴 収 を 忌 避 す る 手 段 も 益 く 巧 み に な っ た 。 こ こ で 、 一 条 鞭 法 が 採 用 さ れ 、 万 暦 九 年 ( 一 五 八 ○ 年 ) に ・ 毛 の 完 全 実 施 を み 焼 ㌍ 賦 ・ 役 の 各 条 項 が 一 本 化 さ れ 、 銀 で 納 め さ せ る こ と に な っ た の で あ る 。   そ の 後 、 踵 を 接 し て 三 大 征 (寧 夏 の 乱 、 朝 鮮 の 役 、 播 州 の 乱 ) あ り 、 加 派 が 行 わ れ た 。   万 暦 四 十 六 年 ( 一 六 一 九 年 ) に は 、 清 と の 戦 端 開 か れ 、 遼 東 の 軍 事 費 の た め 三 百 万 を 要 し た 。 時 に 、 内 帑 充 穢 せ る も 、 神 宗 は お し み て 発 す る を 肯 ん ぜ ず 、 戸 部 は 、 畝 ご と に 九 萱 、 総 額 五 百 二 十 万 を 増 徴 し た 。                               し ん し ゅ く     天 啓 元 年 ( 一 六 二 一 年 ) 絵 事 中 甑 淑 の 言 に 、     遼 餉 の 加 派 は 、 不 均 を 致 し 易 し 。 蓋 し 、 天 下 の 戸 口 に は 、 戸 口 の 銀 あ り 、 人 丁 に は 人 丁 の 銀 あ り 、 田 土 に は 田 土 の 銀 有 り 。 有 司 の 徴   収 す る や 、 総 じ て 銀 額 を 曰 う 。 銀 を 按 じ て 派 を 加 う れ ば 則 ち 、 其 の 数 は 漏 れ ざ る も 、 東 西 南 北 の 民 、 甘 苦 同 じ か ら ず ⋮ ⋮ 小 民 の 最 も 苦   し む 所 の 者 は 、 ﹃ 魚 田 之 糧 、 無 米 之 丁 ﹄ な り つ 田 は 宮 室 に 鬻 ぎ 、 産 去 り て 糧 存 し 、 し か も 猶 お 、 丁 賦 を 輸 す ⋮ ⋮ と あ る 。 一 条 鞭 法 に も 地 方 に よ り 負 担 の 公 平 を 欠 く 面 の あ る こ と 、 と く に 加 派 に お い て そ 0 弊 害 が 大 き い こ と 、 富 者 は 賦 税 を 免 れ 、 小 民 に 負 担 が 加 重 せ ら れ る こ と な ど が 指 摘 せ ら れ て い る 。   崇 禎 三 年 ( 一 六 二 九 年 ) 清 軍 が 入 関 す る と 、 田 鼠 の 増 徴 が 行 わ れ た 。 同 八 年 に は 、 宙 戸 (仕 官 の 家 ) お よ び 民 の 糧 十 両 以 上           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                                 六 三

(15)

' 、 ,           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                             '                  六 四 の 者 を 対 象 と し て 、 田 鼠 十 分 の 一 の 増 徴 が 行 な わ れ 、 ﹁ 助 餉 ﹂ と 名 付 け た 。 同 十 年 に は 、 均 輸 法 ( 加 派 の 軍 餉 を 均 等 に 割 当 て る 方 法 ) が 行 な わ れ 、 同 十 二 年 に は ﹁ 練 餉 銀 ﹂ ( 辺 浜 訓 練 の た め の 軍 餉 ) の 加 派 が 行 わ れ る 等 、 財 政 収 入 確 保 の た め に は 、 手 段 を 選 ば ぬ 傾 向 が 見 ら れ る よ う に な つ .た 。                                                                                  ヨ     役 法 に つ い て は 、 紙 数 の 都 合 も あ り 、 嘉 靖 ・ 万 暦 の 頃 に 焦 点 を あ て て 吟 味 す る こ と と し よ う 。   明 初 は 、 役 法 に つ い て も 農 民 を 苦 し め な い よ う 、 負 担 の 公 平 を 期 す る よ う 、 種 々 配 慮 せ ら れ た 。 時 代 が 下 る に 従 い 、 官 庁 の 使 役 、 駅 伝 の 夫 馬 な ど 里 甲 の 負 担 が 加 重 せ ら れ 、 大 工 の 営 繕 、 祠 官 の 祝 薩 な ど 賞 用 繁 溢 し 、 中 葉 以 降 は 里 甲 銀 、 均 揺 は 歳 額 鴇 ぎ る こ と と な る ・ 里 甲 正 役 の 外 ・ 糧 長 、 解 戸 ・ 馬 船 頭 ・ 舘 夫 ・ 掻 候 弓 兵 ・ 鶴 舞 門 禁 、 岡 斗 の 如 き 常 役 、 研 薪 、 拾 柴 、 修 河 、 修 倉 、 運 料 、 接 逓 、 姑 、 舗 、 隔 、 浅 夫 な ど 種 々 の 名 目 の 役 が 歳 ご と に 増 益 し た 。 一 条 鞭 法 の 施 行 で 、 均 衙 、 里 甲 は 無 く な っ た が 、 糧 長 、 里 長 な ど 、 .名 目 は 罷 ん で 実 質 的 に は 存 続 し 、 施 行 後 十 余 年 に し て 規 制 は 頓 に 乱 れ た 。 軍 ・ 匠 ・ 竈 戸 の 役 の よ う に 永 久 充 当 の 役 も あ っ た 。 陵 戸 、 園 戸 、 海 戸 、 廟 戸 、 旛 夫 、 庫 役 な ど は 瑣 末 に し て 計 ふ る に 勝 え な い 。 , 世 宗 は 営 建 最 も 繁 し い 。 そ の 十 五 年 以 前 は 節 倹 に 努 め た が 、 な お 六 ・ 七 百 万 の 経 費 を 要 し た 。 そ の 後 は 宮 殿 、 工 場 等 の 営 繕 に 十 数 倍 の 費 用 を 要 し 、 献 助 、 開 納 等 の 法 を 行 な い 、 民 を 労 し 財 を 耗 す こ と 甚 し か っ た 。   万 暦 以 後 は 営 建 ・ 織 造 は 経 制 に す ぐ る こ と 数 倍 、 加 う る に 征 調 、 開 採 を 以 っ て し 、 ﹁ 民 は 少 し も 休 む を 得 ず 。 閹 人 政 を 乱 る に 造 び 、 建 地 、 営 墳 は 僣 越 等 し き も の な く 、 功 徳 の 私 桐 は 天 下 に 遍 く 、 民 力 を 琿 残 す る こ ど 久 し い も の が あ っ 允 。   (1 )   明 史 巻 七 十 八 、 食 貨 二 、 賦 役 の 条 参 照 。   (2 )  和 田 清 籟 ﹁明 史 食 貨 志 訳 註 ﹂ 二 一 四 頁 、 注 四 〇 九 参 照 。                   .          、        ,  ' .   (3 )   注 (1 ) に 同 じ 。

(16)

四   い ま ま で は 主 と し て 現 物 経 済 の 面 に つ い て 観 察 吟 味 を 進 め て ぎ た の で 、 本 節 で は 食 貨 志 銭 紗 の 短 を 主 た る 史 料 と し て 、 明 代 に 齢 け る 貨 幣 政 策 、 貨 幣 事 情 の 変 遷 を め ぐ る 諸 問 題 を と り あ げ 、 明 代 と く に 明 末 に 華 僑 が 本 格 的 に 進 出 し た こ と の 経 済 的 要 因 の 探 究 の 作 業 を 一 ま ず 結 ぶ こ と と し た い 。     .        ' . ﹁                      .    、   元 の 時 代 は 終 始 ﹁ 紗 ﹂ を 用 b 、   ﹁ 銭 ﹂ は 殆 ん ど 廃 れ 、 た て ま え と し て は 、  ﹁ 紗 本 位 ﹂ の 通 貨 体 制 を 採 鉱 尋 。   明 の 太 祖 は 、 元 と は 対 蹠 的 に ﹁ 銭 ﹂ を 本 位 と す べ く 、  ﹁ 大 中 通 宝 銭 ﹂ と か ﹁ 洪 武 通 宝 籖 ﹂ な ど を 鋳 造 し 、 流 通 さ せ た 。 と こ ぢ が 、 原 料 の 銅 が 不 足 し た の で 、 私 鋳 銭 を 廃 銅 と し て 官 に 送 ら せ た り 、 有 司 を し て 民 に 責 め て 銅 を 供 出 さ せ た り し た                                                             な が 、 な お 不 じ ゅ う ぶ ん で あ っ た 。 一 方 、 歯 質 は 元 代 に ﹁ 紗 ﹂ の 流 通 に 習 れ 、   ﹁ 銭 ﹂ の 使 用 を 不 便 と し た の で 、 つ い に 、 洪 武 七 年 ( 一 三 七 四 年 ) に ﹁ 宝 紗 握 拳 司 ﹂ を 設 け 、 翌 年 、  ﹁ 大 明 宝 紗 ﹂ .を 発 行 し 距 。 こ の 時 の 交 換 比 価 は 、     紗 一 貫     11 銭 千 文   11 銀 一 両     紗 四 貫 `   11 黄 金 一 両 と し た 。 民 間 に お い て 金 . 銀 . 物 貰 を 媒 介 物 と し て 交 易 す る こ と を 禁 じ 、 金 ・ 銀 は 紗 に 易 え る こ と を 許 し た 。 ﹁ 大 明 宝 紗 ﹂ は 額 面 が 一 貫 か ら 百 文 ま で 六 種 類 で あ っ た の で 、 後 に ﹁ 小 銭 ﹂ を 鋳 造 し て 、 紗 と 兼 用 せ し め た 。 小 額 取 引 に は 銭 を 専 用 さ せ 、 商 税 は 銭 三 紗 七 の 割 合 で 謙 収 さ せ た 。 十 三 年 に は ﹁ 倒 紗 の 法 ﹂ を 施 行 し 、 昏 紗 (久 し く 用 い 昏 乱 レ た 妙 ) を 新 紗 に 引 換 え さ せ た 。 辺 境 軍 士 の 月 給 に 紗 を 用 い 、 各 塩 湯 の 労 賃 も 紗 で 支 給 し た 。 十 八 年 に は 、 天 下 有 司 の 官 の 禄 米 を 紗 で 支 給 し た が 、 こ の 時 の 比 価 は                                                                     、     紗 二 貫 五 百 " 米 一 石 .           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                                 六 五                     、

(17)

9           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                             '                  六 六 で あ っ た 。 二 十 二 年 に は 、 額 面 十 文 か ら 五 十 文 ま で の ﹁ 小 紗 ﹂ を 造 っ た 。 二 十 四 年 の 条 に 、     権 税 の 官 吏 に 諭 し ・ 凡 そ 健 し て 字 貫 の 弁 ず べ き も の 有 れ ば ・ 燗 蓼 問 わ ず 睡 収 受 し ℃ 京 に 讐 し め 、 霧 と 偽 充 と を な す 者 あ れ   ば 、 之 を 罪 す 。 と あ り 、 十 三 年 の ﹁ 倒 紗 の 法 ﹂ を 補 完 す る 形 で 、 違 反 者 の 処 罰 ま で 規 程 し て い る 。 こ の こ と は ﹁ 倒 紗 ﹂ が 円 滑 に 実 施 さ れ ﹂ ず 、 そ の 弊 害 が 顕 著 に な っ た こ と を 物 語 る も の と い え よ う . 二 十 五 年 に は 、  ﹁ 宝 紗 行 用 庫 ﹂ を 東 市 に 設 け 、 紗 三 万 錠 を 鈔 本 と し て 旧 紗 の 倒 取 を 励 行 さ せ た ほ か 、 令 し て ﹁ 大 明 宝 紗 ﹂ と 歴 代 の 銭 と を 兼 ね て 行 な い 、 比 価 を     紗 一 貫     11 銭 千 文           . 9                               ♂ と 定 め て い る 。 歴 代 の 銭 と い え ば 、 宋 ・ 元 代 に 鋳 造 さ れ た 銭 を 指 す も の と 思 わ れ る が 、 民 族 政 権 の 威 令 を 庵 っ て し て も ﹁ 洪 武 通 宝 籖 ﹂ や ﹁ 大 明 宝 紗 ﹂ ' の 専 用 流 通 を 徹 底 さ せ る こ と は 出 来 な か っ た と 見 え る 。 果 せ る か な 、 食 貨 志 に   時 に 両 漸 、 江 西 、 閲 、 広 の 民 、 銭 を 重 ん じ 紗 を 軽 ん じ 、     一銭 一 山ハ ○ 文 、 " 紗 一 貫   に 折 す る 者 あ り 、 是 れ に 由 り 物 価 翔 貴 し 、 銭 法 益 ≧ 壊 れ て 行 わ れ ず と の 記 事 が 見 ら れ る 。 三 十 年 に は 、 さ ら に 、   ﹁ 交 易 に 金 ・ 銀 を 用 う る の 禁 ﹂ を 更 新 し て い る 。 民 間 経 済 界 が 政 府 の ﹁ 紗 . 銭 ﹂ 通 貨 政 策 に 適 応 せ ず 、 反 撥 の 空 気 が 出 は じ め た こ と が 推 察 さ れ る 。   成 和 永 楽 の 代 ( 一 四 〇 三 ⊥ 二 四 年 ) に 入 っ て か ら も 、 あ る い は ﹁ 犯 す 者 、 姦 悪 を 以 っ て 論 じ ﹂ 、 あ る い は ﹁ 犯 す 者 、 死 を 免 じ 、 家 を 徒 し て 興 州 に 成 せ し む ﹂ 等 、 禁 令 が 相 い つ い で い る 。   ﹁ 砂 書 ﹂ 問 題 が 長 期 化 し 、 重 大 化 す る に つ れ て 、 廟 堂 に お い て も こ の こ と が 論 議 せ ら れ る わ け で 、 都 御 史 陳 瑛 の つ ぎ の 意 見 具 申 な ど は 、   ﹁ 砂 書 ﹂ 、問 題 の 本 質 に 迫 る も の と 言 、X よ う . か 。 す な わ ち 、

(18)

    こ の ご ケ                                             は な は     此 歳 、 妙 法 の 通 ぜ ざ る は 、 皆 、 朝 廷 紗 を 出 す こ と 太 だ 多 く し て 、 収 斂 す る に 法 無 く 、 以 っ て 物 重 く 紗 軽 き を 致 す に 縁 る ひ                           (3 ) と 。 ま さ に ﹁ 紗 の 弊 は 多 に 在 り ﹂ で あ る 。 か く て ﹁ 戸 口 食 塩 の 法 ﹂ が 実 施 せ ら れ る 。 官 民 に 塩 を 配 給 し 、 代 価 を 紗 で 納 め                                                                               と も さ せ る の で あ る 。 永 楽 七 年 に は 、 北 京 に ﹁ 珪 砂 提 挙 司 ﹂ を 置 き 、   ﹁ 税 糧 、 課 程 、 臓 罰 は 倶 に 紗 を 折 収 せ し め ﹂ 鋤 価 維 持 対 策 を 講 じ る が 、 紗 の 比 価 は                                                                                 '     米 一 石    11 砂 三 十 貫 で あ っ た と い う か ら 、 洪 武 十 八 年 の 比 価 と 対 照 す れ ば 、 二 十 五 年 間 に 紗 価 は 十 二 分 の 一 に 下 落 し た こ と に な る 。 年 平 均 約 十 一 % (複 利 ) の 割 合 で 紗 価 が 低 落 し 、 物 価 が 騰 貴 し た こ と に な る 。 こ の 後 も 、 イ ン フ レ 対 策 が つ ぎ つ ぎ に 実 施 せ ら れ る           つ い が 、   ﹁ 民 、 卒 に 鋤 を 軽 ん じ ﹂ 宣 徳 初 年 ( 一 四 二 六 年 ご ろ ) に は 、     米 一 石    11 紗 五 十 貫 と な る 。 そ こ で ま た 、 鋤 価 対 策 と し て 、 諸 税 公 課 の 増 徴 等 の 施 策 が 実 施 せ ら れ る 。   英 宗 の 時 代 (正 統 、 一 四 三 六 一 四 九 年 ) に 、 政 府 の 通 貨 施 策 に 倣 新 し い 局 面 が 開 か れ る 。 賦 を 収 め る に 米 麦 を 銀 に 折 せ し め た こ と 、 こ れ で あ る 。 諸 税 公 課 に つ い て も 、 鋤 を 細 れ る の を 減 じ て 、 米 ・ 銀 ・ 銭 を も っ て 紗 に 代 え さ せ た 。 紗 ・ 銭 兼 用 の 基 本 方 針 を 崩 し 、 銀 を 用 い る の 禁 を 弛 め た の で あ る 。 銭 が 小 額 取 引 に 用 い ら れ る こ と に 変 り は な い の で あ る か ら 、 大 口 取                                                    る                                                                                                           と ど こ お 引 に 銀 を 用 い ん と す る 経 済 界 の 要 請 に 屈 服 し た こ と に な る 。 さ す が に 、 官 俸 に は 紗 を 用 い た が 、 い か ん せ ん 、   ﹁ 紗 は 甕 り て 行 わ れ ず ﹂ と い う 事 態 で あ っ た 。 憲 宗 ( 一 四 六 五 i 八 七 年 ) の 頃 、 歳 出 入 に 銭 ・ 紗 を 兼 ね 行 わ せ よ ケ と し た が 、     紗 一 貫     " 銭 一 文 に さ え 値 せ ず 、 と い う 状 態 で あ っ た 。 し か も 諸 税 公 課 の 徴 収 に は     紗 一 貫     H 銀 二 分 五 厘           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因       .              、                          六 七

(19)

          明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                                 六 八 の 法 定 比 価 で 、 銀 を 納 め さ せ た の で あ る か ら 、 実 質 的 に は 、 諸 税 公 課 を 二 十 五 倍 に 増 徴 し た わ け で あ る 。 食 貨 志 に ﹁ 民 以 っ て 大 い に 困 し む ﹂ と あ る の も 尤 も で あ る 。   武 宗 の 時 代 (正 徳 、 一 五 〇 六 ⊥ 二 年 ) に は 、 官 俸 も 銭 一 銀 九 の 割 合 で 支 給 し て い る 。   世 宗 の 時 代 (嘉 靖 、 一 五 二 二 一 六 六 年 ) に 入 る と 、 紗 は 久 し く 行 わ れ ず 、 銭 も ま た 大 い に 塞 っ て い た が 、 諸 税 公 課 の 徴 収 に 当 っ て 、     紗 一 貫   " 銀 三 萱     銭 七 文     u 銀 一 分 の 比 価 と し 、 大 い に ﹁ 嘉 端 銭 ﹂ を 鋳 造 し た 。 こ の 銭 は 良 質 で あ っ た が 、   ﹁ 良 質 の 銅 貨 を 鋳 造 す れ ば 銅 の 不 足 に 苦 し む は 支 那 銭 幣 史 上 の 常 例 ﹂ と 穂 積 文 雄 博 ま  一・ わ れ る と 舞 ・ た ち ま ち ・ 民 ・ 銭 少 な き を ・ 心う る こ と と な る ・ そ ・ で ・ 奮 い は                                                                                 と か 内 庫 の 新 旧 銭 を 発 し て 俸 糧 を 折 給 し 、 あ る い は 歴 代 の 銭 を 通 行 せ し め 、 あ る い は 新 旧 の 銭 を 鎖 す 者 、 銅 を 以 っ て 像 ・ 器 を 造 る 者 を 盗 鋳 と 同 罪 に す る な ど 、 百 方 手 段 を 講 じ る 。 し か し 、 こ の よ う な 事 態 と な っ て は 、  ﹁ 影 の 形 に 添 う 如 儒 げ 私 錐 銭 が 横 行 す る 。 政 府 の 通 貨 対 策 も 宜 し き を 得 な い 。 た と え ば 、 官 俸 を 支 給 す る の に 、 銭 の 新 ・ 旧 、 美 ・ 悪 を 論 ぜ ず 、 悉 く 、 銭 七 文 11 銀 一 分   の 比 価 で 折 算 さ せ る 。 諸 く の 俸 銭 を も っ て 市 場 す る 者 も ま た 、 悉 く こ の 比 価 で 押 し 通 す 、 と い う 風 で 、 ﹁ 民 亦 た 騒 然 た り ﹂ と い う こ と に な る 。 た ま た ま 、 前 節 に も 見 た よ う に 、 北 虜 南 倭 の 侵 入 あ り 、  ﹁ 四 方 の 流 民 、 食 に 京 師 に 就 く も の 、 死 す る 者 、 相 い 枕 籍 す ﹂ と い う 状 態 で あ っ た が 、 論 者 は ﹁ 銭 法 通 ぜ ざ る こ と 然 ら し む る な り ﹂ と 評 し た と い う o   と 竜 か く 、 各 種 の 銭 が 混 在 通 用 し た の で 、 政 府 は 、     嘉 靖 銭 七 文         11 銀 一 分

(20)

    洪 武 銭 等 十 文       11 銀 一 分                             `  -    前 代 の 銭 三 十 文     11 銀 一 分 の 比 価 と 定 め た 。 ﹁ こ れ に 対 し 、 民 間 で は 競 う て 嘉 靖 銭 を 私 鋳 し 、 官 銭 と 並 び 行 な わ れ た と あ る 。 後 、 戸 部 の 議 に よ り 、                                                                                         し た が ﹁ 銭 法 の 甕 濡 す る は 、 徴 税 に あ た り 、 銭 七 文 11 銀 一 分   の 比 価 を 適 用 し た か ら で あ る 。 準 折 は 民 の 便 に 聴 い 、 必 ら ず し も                             し ば ら 文 数 を 定 め ず 。 課 税 お よ び 官 俸 は 且 く 倶 に 銀 を 用 い る ﹂ こ と と し た 。 か く し て 、 つ い に 鋳 銭 を 停 止 し 、 銀 本 位 の 通 貨 体 制 が 確 立 す る 。 税 課 は 専 ら 銀 を 徴 し た 。 民 間 で は 制 銭 が 流 通 し 、 私 鋳 は 相 変 ら ず 行 わ れ た 。 以 上 が 世 宗 嘉 靖 時 代 の 通 貨 事 情 で あ る 。 .   穆 宗 の 隆 慶 時 代 。 ( 一 五 六 七 -七 二 年 ) 初 め 銭 法 が 行 わ れ な か っ た が 、 課 税 に 銀 三 両 以 下 に は 銃 を 収 め 、 民 間 の 交 易 に は 一 銭 以 下 の 小 額 取 引 は 専 ら 銭 を 用 い た 。     銭 八 文     11 銀 一 分 の 比 価 と し た 。 宝 紗 は 百 年 来 殆 ん ど 用 い ら れ ず 俸 糧 の み は 一 部 を 鋤 で 支 給 し た 。 隆 慶 四 年 、 新 鋳 の 銭 を 京 官 の 俸 に 充 て た 。 銭 法 は 相 変 ら ず 朝 令 暮 改 的 で 、 庶 民 の 信 認 を ま す ま す 失 う に 至 っ た 。   禅 宗 の 万 暦 年 間 、 ( 一 五 七 三 -一 六 一 九 年 ) 万 暦 通 宝 を 鋳 造 し て 天 下 に 流 通 せ し め 、 俸 糧 は 銀 ・ 銭 兼 給 と し た 。 新 銭 は 漢 武                                   せ ん の 五 錬 鉄 を 基 準 と し 、 金 青 銭 、 火 漆 銭 、 鍍 辺 銭 と 称 し た 。 時 に 、 戸 部 の 言 に 、     初 め 鋳 し 時 、 金 背 の + 文 は 墾 分 に 馨 る 敵 今 ・ 蒼 の 金 背 五 文 ・ 嘉 靖 の 魯 四 文 は 、 各 ・ 墾 分 量 実 火 漆 ・ 錠 辺 も 亦 た ぞ                                     たヒ   の 如 し 。 僅 か に 十 年 を 購 え る に 、 し か も 軽 重 蛍 に 相 半 ば す る の み な ら ず 、 銭 重 く し て 物 価 騰 題 す 。 宜 し く 庫 貯 を 発 し て 以 っ て 其 の 直 を   平 か に す べ し 。 と あ る ゆ こ の と き ・ 王 府 は 皆 ・ 私 鋳 を 行 ヴ た が ・ 吏 は 敢 え て 讃 か な い 。 南 北 の 宝 源 局 で 制 銭 を 鋳 造 し た が ・ 北 銭 は 南 銭 に           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                               六 九

(21)

'             明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                        一       七 〇   く ら    ロ   視 べ て 、 直 を 昂 く す る こ と 三 分 の 一 、 南 鋳 は お お む ね 軽 薄 で あ っ た が 、 吝 く そ の 旧 に 循 い 、 並 び 行 な わ れ た と い う 。     天 啓 ・ 崇 禎 時 代 ( = ハ 一 二 ー 四 四 年 ) の 通 貨 事 情 に つ い て は 、 取 り 立 て て 言 う 程 の こ と も な い の で 、 こ こ に は 省 略 す る 。     以 上 を も っ て 明 代 の 貨 幣 政 策 、 貨 幣 事 情 を 概 観 し 、 問 題 点 を 吟 味 し た の で あ る が 、 一 つ 疑 問 の 点 が 残 っ て い る 。 そ れ は 穂 積 文 雄 博 士 が つ と に 萌 袋 幣 致 L に お い て 問 題 点 と し て 指 摘 せ ら れ て い る と こ ろ で あ ・ 乾 前 記 万 暦 通 宝 の 価 値 の 変   動 に 関 す る こ と で あ る 。       銭 重 而 物 価 騰 踊   の 一 句 が そ れ で 、 こ の 七 字 は 忽 せ に 看 過 で き な い 意 味 を 含 ん で い る と 思 う 。   ﹁ 明 史 食 貨 志 訳 註 ﹂ は 、         金 背 銭 の 市 場 に 於 け る 価 値 が 高 ま っ た の は 、 私 銭 ・ 偽 銭 に 対 し て 良 質 で あ っ た た め 隠 れ た こ と や 、 万 暦 十 年 の 地 方 鋳 銭 の 停 止 (禅 宗       実 録 万 暦 十 年 カ 月 辛 酉 の 条 を み よ ) な ど の 結 果 で あ ろ う 。                                         ・      ・   -と 解 説 し て い 魏 ㌍ こ れ で は ﹁ 銭 重 ﹂ の 説 明 に は な ろ う け れ ど も 、  ﹁ 銭 重 ﹂ と ﹁ 物 価 騰 踊 ﹂ の 二 現 象 が 同 時 並 行 的 に 顕 現 し   た こ と の 説 明 に は な ら な い 。 わ れ わ れ が 問 題 祝 す る の は 、 ま さ に そ の こ 直 な の で あ る 。     こ の 点 に 関 し て 、 私 は 一 つ の 推 理 を 試 み た い 。 ﹁ 銭 重 ﹂ お よ び ﹁ 物 価 騰 踊 ﹂ め 二 現 象 が 同 時 並 行 的 に 起 っ た と 前 提 す る 。 ,   二 現 象 を 惹 起 せ し め た 原 因 は 、 . ﹁ 銀 価 の 低 落 ﹂ で あ る 。 、 そ の ﹁ 銀 価 低 落 ﹂ の 原 因 は 、 明 末 に お け る ﹁ 洋 銀 ﹂ の 流 入 で あ る   と 結 論 す る の で あ る 。     明 史 食 貨 志 銭 紗 の 条 に は 記 載 が な い が 、 十 六 世 紀 以 降 、 ポ ル ド ガ ル 人 、 ス ペ イ ン 人 、 オ ラ ン ダ 人 等 が 来 航 し 、 中 国 貿 易                                                                        に 参 加 す る 。 そ れ に 随 い 、 ス ペ イ ン ド ル や メ キ シ コ ド ル な ど が 流 入 す る 。 そ れ が 、 あ る 程 渡 の 数 量 に 達 す る と 、 中 国 に お   け る 銀 の 価 値 に 影 響 し 、 そ の 価 値 を 低 下 さ せ る に い た る で あ ろ う 。                      り       小 竹 文 夫 教 授 の 研 究 に よ 煎 ば 、 ノ

(22)

    明 末 以 来 、 イ ス パ ニ ア の フ ィ リ ピ ン 貿 易 に 関 聯 し て 、 ま た 、 長 崎 貿 易 に よ っ て 日 本 か ら 、 支 那 へ 流 れ 込 ん だ 銀 が 各 ≧ 約 一 億 弗 と 推 定   さ れ る 。 ﹁支 那 社 会 を し て 明 末 以 来 漸 次 今 日 に 於 て 見 る が 如 き 銀 貨 国 た ら し め た 最 も 重 要 な 原 因 は 、 銀 鉱 開 採 よ 肪 も 寧 ろ 外 国 貿 易 の 結 果   で あ ? た 。 ( 要 約 ) と い う こ と で あ る 。 明 末 に 銀 価 が 低 落 し た こ と に つ い て は 、 小 竹 教 授 は 論 及 し て お ら れ な い が 、 加 藤 繁 著 ﹁ 支 那 経 済 史 概 説 ﹂ に よ れ ば 、 明 制 の 金 . 銀 比 価 は (添 節 の 初 め に 掲 げ た ﹁大 明 宝 紗 ﹂ の 対 金 ・ 銀 比 価 に よ っ て も 明 ら か な よ う に ) 四 対 一 で あ っ た 。 清 の 薩 元 塞 七 三 六 年 ) に は 、 そ れ が 九 対 一 で あ ・ た と い 寵 金 の 価 値 に 変 化 が な け れ ば ・ 銀 の 価 値 が 半 分 以 下 に 低 落 し た こ と に な る 。   も し 、 前 記 の よ う な 推 論 が 成 り 立 つ な ら ば 、 . 明 末 の 通 貨 -銀 を 本 位 ど す る 一 は 、 海 外 か ら の 銀 貨 流 入 に よ っ て 根 底 か ら 動 揺 し 、 経 済 生 活 に 新 た な 混 乱 ・ 破 壊 を も た ら し た こ と に な る 。   中 国 に お い て 、 つ と に 先 秦 の 時 代 か ら 、 市 場 価 格 の 変 動 を め ぐ っ て 、 大 規 模 な 富 の 流 動 ・ 移 転 が 行 な わ れ た こ と は 、 周                    知 の と こ ろ で あ る 。 明 代 に お い て も 、 た び 重 な る 貨 幣 制 度 の 変 改 と 、 そ れ に も と つ く 、 、 紗 と 銭 、 紗 と 銀 、 紗 と 金 、 紗 と 米 お よ び 銭 と 銀 、 な ど の 比 価 の 変 動 が 見 受 け ら れ る 。 こ の よ う な 、 貨 幣 相 互 間 -本 位 的 貨 幣 と 補 助 的 貨 幣 と の 間 一 な い し 貨 幣 と 物 貨 ど の 比 価 、 交 換 比 率 の 変 動 の 際 に は 、 つ ね に 情 報 網 の 中 心 に 近 く 位 置 を 占 め る も の 、 中 央 ・ 地 方 の 政 権 に 接 近 . 結 託 す る も の 、 な ど が 巨 利 を 収 め 、 一 般 庶 民 -老 百 姓 1 は つ ね に 損 害 を 蒙 り 、 富 を 剥 奪 さ れ る 破 目 に 陥 る こ と は 殆 ん ど 歴 史 上 の 常 例 と も 称 す べ き こ と で あ ろ う 。 そ し て 、 右 に 見 た 明 代 、 嘉 靖 ・ 万 暦 時 代 の 経 済 事 情 も ま た 、 こ の 常 例 か ら 免 れ る こ と は で き な か っ た 、 と 考 え ら れ る の で あ る 。   (1 )   明 史 巻 八 十 一 、 食 貨 五 、 銭 紗 の 条 。   (2 )   穂 積 文 雄 ﹁ 支 那 貨 幣 考 ﹂ 一 九 四 四 年 、 一 三 二 ・ 三 頁 。   ︹3 )   同 前 三 八 一 頁 、 丘 溶 の 貨 幣 思 想 。           明 代 に お け る 華 僑 発 生 の 経 済 的 要 因                                                   七 一

参照

関連したドキュメント

インベンションは、書き手自身がいかにして書くべき内容を発見するかということを問

 4 Barro and Lee 1993, Easterly and Levine 1997, Sachs and Warner 1997, Collier and Gunning 1997, 1999, Barro 1997, Easterly 2001, 2006, Collier 2008?.  5

(1)経済特別区による法の継受戦略

このように資本主義経済における競争の作用を二つに分けたうえで, 『資本

この小論の目的は,戦間期イギリスにおける経済政策形成に及ぼしたケイ

成績 在宅高齢者の生活満足度の特徴を検討した結果,身体的健康に関する満足度において顕著

業種 事業場規模 機械設備・有害物質の種 類起因物 災害の種類事故の型 建設業のみ 工事の種類 災害の種類 被害者数 発生要因物 発生要因人

(2011)