龍谷大学悌教学研究室年報第11号 2001年 3月 1
法雲の
﹃
法
華
義
記
﹄
はじめに 光宅寺法雲の生涯と著作 五時教判と法雲による﹃法華経﹄の分科法 四 ﹁権実二智﹂にもとづく﹃法華経﹄解釈 五 ﹁教・人・因・果﹂による一乗解釈 ...L.. 1¥ 菩薩乗に対するご仏乗﹂解釈の特徴 七 結 ぴ + ヱ コ U 、 、 t 4 3 ロにおける一乗解釈
博士後期課程一回生はじめに
早川
貴司
﹃法華経﹄は大乗経典を代表する経典の一つであり、中 国において漢訳されると、他の経典では類を見ないほど多 くの注釈書が作られた。﹃法華経﹄には現存する漢訳には 三種類あり、第一には西晋の竺法護(二三九│二一二ハ)に よって訳された﹃正法華経﹄十巻(二八六年訳)である。第 二には挑秦の鳩摩羅什(三四四│四一二あるいは三五O
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四O
九)の﹃妙法蓮華経﹄七巻(のち八巻)である。第三 には惰の閤那幅多(五二三l
六O
五)と達摩笈多(
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六 一 九)によって共訳された﹃添品妙法蓮華経﹄七巻(六O
一 年訳)がある。第三訳の﹃添品妙法蓮華経﹄は、鳩摩羅什 訳の﹃妙法蓮華経﹄の増補版である。このように﹃法華経﹄の現存する漢訳には三種類あるの だが、中国においては鳩摩羅什訳の﹃妙法蓮華経﹄が最も 訳文が流麗であることから、もっぱらそれが流行して、多 くの﹃法華経﹄の注釈書はこの﹃妙法蓮華経﹄にもとづい て い る 。 そこで、この鳩摩緩什訳の﹃妙法蓮華経﹄に対する現存 する代表的な注釈書をあげると、最古のものでは、佐一道生 ( 三 五 五
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四 三 四 ) の ﹃ 妙 法 蓮 花 経 疏 ﹄ ( ﹃ 大 日 本 続 蔵 経 ﹄ 二 │ 乙 │ 一 一 一 一 一 │ 四 所 収 ) が あ る 。 道 生 は 鳩 摩 羅 什 の 門 下 生 で あり、闇提成仏説や頓悟説等によって、その独創的かつ透 徹した仏教理解を高く評価された人物である。道生の疏に 次 い で は 光 宅 寺 法 雲 ( 四 六 七 │ 五 二 九 ) の ﹃ 法 華 義 -記 ﹄ が あ る。ちなみに道生の﹃妙法蓮花経疏﹄と法雲の﹃法華義記﹄ は提婆達多品を含まなかった二十七品の﹃妙法蓮華経﹄の 注 釈 で あ る 。 次に三論宗の大成者嘉祥大師吉蔵(五四九│六二三)は ﹃ 法 華 玄 論 ﹄ 、 ﹃ 法 華 義 疏 ﹄ 、 ﹃ 法 華 遊 意 ﹄ 、 ﹃ 法 華 統 略 ﹄ 、 ﹃ 法 華論疏﹄など多くの﹃法華経﹄の注釈書を著わしている。 また、中国天台宗の大成者である天台大師智顕(五三八│ 五九七)は、﹃妙法蓮華経﹄の文々句々を因縁・約教・本 迩・観心の四釈によって解釈した、言わば﹃法華経﹄の随 文釈義による注釈である﹃法華文句﹄と、﹃妙法蓮華経﹄の 経題の五字を名・体・宗・用・教の五重玄義の視点から ﹃法華経﹄の思想を総合的に解釈した﹃法華玄義﹄がある。 もっともこの二著については智顕の親撰というよりは、弟 子の章安大師濯頂(五六一ーー六二三)が智顕の講説を筆録 して、後にそれを整理して筆を加えた部分もあると言われ ている。そして、中国法相宗の慈恩大師基(六三二│六八 一一)には、従来の﹃法華経﹄解釈の立場とは全く異なる、 一乗方便・三乗真実という立場から﹃法華経﹄を解釈した ﹃法華玄賛﹄がある。以上の人々は、中国仏教史上有名な 祖師達であり、それぞれの教学的、学問的立場から﹃法華 経﹄の研究に取り組んだのである。 さて本論文で取り扱う﹃法華経義記﹄(大正三三所収)を 著わした法雲は、南北朝期梁代の成実学派ないし浬架学派 の 代 表 的 人 物 で あ り 、 開 善 寺 智 蔵 ( 五 四 八 │ 五 一 一 一 一 ) 、 荘 厳 寺僧受(四六七│五二七)と並ぶ梁の三大法師の一人であっ た 。 法雲の﹃法華経﹄についての造詣について、吉蔵は﹃法 華玄論﹄巻第一の中で 光宅法華、嘗時濁歩。龍谷大学悌教学研究室年報第11号 2001年 3月 と評し、また智顕は﹃法華玄義﹄巻第一下において 今 古 諸 簿 、 世 以 一 一 光 宅 一 馬 レ 長 。 と評している。これらの評言は、法雲の法華教学が吉蔵、 智額以前の中国南北朝時代において傑出した地位を占める ものであったことを示唆している。そのため吉蔵や智顕は 法雲の法華経解釈を批判することによって自分たちの法華 教学を確立しようとした。しかし、法雲の法華教学が吉蔵 や智顕のそれにあたえた影響も決して少なくはない。この ような意味からでも法雲の法華教学は、中国における法華 教学展開の基点をなすものと言える。 法雲の﹃法華経﹄に関する著作は﹃法華義記﹄八巻とし て知られているが、これは法雲が﹃妙法蓮華経﹄について 講義したのを弟子が筆録した性格のものである。そして、 この﹃法華義記﹄は冒頭の部分において経題を解釈して経 典の思想の全体的特徴を明らかにし、その後で経文の文句 に随文釈義を施したものである。そこで本稿ではとくに、 法雲の法華教学の中でもっとも特色ある内容を明らかにし たい。その場合、法雲では﹁権実二智﹂に基づく一乗解釈 と﹁教・人・因・果﹂による一乗解釈の特色、並びに三乗 中の菩薩乗と﹃法華経﹄に説かれる一仏乗との関係につい ての問題が主要な課題として浮かび上がる。
3
光宅寺法雲の生涯と著作
法雲の伝記資料には、﹃唐高僧伝﹄巻第五に﹁法雲伝﹂が 記録されているほか、﹃梁高僧伝﹄(﹃高僧伝﹄)、﹃唐高僧 伝﹄(﹃続高僧伝﹄)、﹃仏祖統記﹄巻第三十七の中に他の 諸師との関連で記事が若干見られる。また吉蔵の﹃法華玄 論﹄巻第一に﹁講経縁起﹂が説かれており、その中で法雲 の﹃法華経﹄講義について言及されている箇所がある。こ こでは﹃唐高僧伝﹄巻第五の記事を中心資料として、他の 資料も参照して、法雲の生涯についてまず見ておく事にす る 。 法雲は宋の明帝泰始三年(四六七)に江蘇省宜興県に生 まれた。俗称を周氏と言い、晋の平西将軍、処の七世の子 孫である。母は呉氏であり、出産の時に雲気が部屋に満ち ていたのを見たところからこれにちなんで雲と名付けられ たが、七歳の時に定林寺僧印(四三五│四九九年)につい a 喧 て出家して名を法雲と改めた。僧印は、﹃梁高僧伝﹄巻第 八にその伝が掲載されているが、それによれば彼は塵山の 慧龍に﹃法華経﹄を学び、﹃法華経﹄を二百五十回も講義 R d した人であると伝えられている。また吉蔵の﹃法華玄論﹄ 巻第一によると、法雲は僧印の﹃法華経﹄の講義を聞いた 後に、定林寺の後ろの石澗(石の多い谷川)で石を積み上げて高座と聴衆とし、自ら石の高座に上って、僧印から聞 いたことを復唱した。僧印が密かに法雲の説くところを聞 いたところ、僧印の講義を一言も漏らさなかったと言われ
円 。
て い る 。 法雲はその後、僧印とともに荘厳寺に移り住み、僧成、 玄趣、宝亮(四四四│五O
九)の弟子となった。その学業は 僧宗(四三八│四九六)、僧達(四七五│四九五)から賞賛 された。また、宝亮は常に、自分の智慧は法雲に及ばず、司
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法雲は将来仏教の棟梁となるであろうと讃えた。 ﹃唐高僧伝﹄では、法雲の勉学ぶりを次のように描写し ている。彼は多くの師を歴訪し、経と、論を春夏秋冬聞き 回り、寒暑にも中止しなかった。講義の前後はもとより、 宵の口、真夜中にもかかわりなく、経文とその意味を繰り 返し述べた。常に復習して、.道路で経文の意味を思索する ときには目的地を通り過ぎて仕舞うほどであったと言われ 。 。 る。また長楽寺で法調の講義を聞いた法雲の感想が﹃唐高 僧伝﹄に記されており、その述懐は、法雲の学風を知る上 で重要になる。法雲は 震 日 一 天 子 之 都 、 衣 冠 之 富 、 動 静 威 儀 、 勿 レ 易 レ 属 也 。 前 後 法 師 或 有 レ 調 無 レ 義 、 或 有 レ 義 無 レ 詞 。 或 倶 有 -一 調 義 一 而 過 一 一 無 威 儀 一 。 今 日 法 坐 倶 己 閥 失 。 皆 由 二 習 皐 不 レ 優 、 未 v 臆 レ 講 也 。 と述べているが、意味としては﹁中国は天子の都であり、 官吏達が大勢いるため、立ち振舞や、礼儀にかなった行な いを気にせずになしてはならない。これまでの法師は、言 葉の表現力はあっても内容がなく、あるいは内容があって も言葉の表現力がなく、あるいは言葉の表現力も内容もあ るが、誤って礼儀にかなった立ち振る舞いがない。今日の 法座はどちらも欠けていた。みな習学がすぐれておらずま だ講義すべきでない事に原因がある。﹂という内容である。 つまり法雲は言葉の表現力と内容の両方を重視し、さらに 礼儀にかなった振る舞いを重視していたことが伺える。建 武四年(四九七)の夏、法雲が三十歳の時に妙音寺におい てはじめて﹃法華経﹄・﹃維摩経﹄の二経を講義した。聴衆 が海のごとく集まって堂に満ちた。また法雲の雄弁はすば らしく、舌鋒は鋭かった。当時の人は法雲を﹁作幻法師﹂ と呼び、彼のすばらしい経典の講義は、当時において抜き n u ん で て い た 。 梁朝が起こると、武帝(四六四│五四九)は大変法雲を 重んじたと言われる。天監二年(五O
一 二 ) 、 法 雲 は 多 く の 明 徳の﹃成実論﹄の注釈書を合撰し、四十科、四十二巻とし たと言うが、これは現存しない A 天 監 五 年 ( 五O
六 ) 、 法 雲龍谷大学悌教学研究室年報第11号 2001年 3月 が雨乞いのため華光殿において﹃勝室経﹄を講義すると、 その夜に大雪が降ったと言われていも ﹃唐高僧伝﹄によると、天監七年(五
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八 ) に ﹃ 注 大 品 ﹄ を作った。身分の高い朝臣たちが法雲にその﹃注大品﹄を 講義するように願ったが、病気を理由にして断ったところ、 武帝から更に勧められたため講義した。このあと武帝は法 q u 雲 を 家 僧 と し 、 光 宅 寺 の 主 と し た と 一 一 百F U
﹁ 光 宅 寺 法 雲 ﹂ と 呼ばれるようになったゆえんである。天監十年(五一一)武 帝は僧尼千四百四十八人を華林殿に招き、﹃断酒肉文﹄を 著わし、法雲に﹃浬架経﹄四相品に説かれる断肉について a 官 講義させも普通六年(五二五)、勅によって大僧正となり、 同泰寺で千僧会を設けた。その後病にかかったが、講説を 止めることなく、大通三年(五二九)三月二十七日、六十 k d 三歳で死去しも ﹃唐高僧伝﹄の法雲伝の末尾には、あるとき法雲がある 寺において﹃法華経﹄を講義したところ、たちまち飛雪の ように天華が空に満ち、堂内に敷き、また空に昇って落ち a u ず、講義が終るとたちまち消えたことが紹介されていも このような不思議な現象を起こしたことが、当時の人々が 法雲を﹁作幻法師﹂と呼んだことと関係していると考えら れる。また、同じく﹃唐高僧伝﹄の中には、法雲が﹃法 5 華経﹄の序品に出る日月灯明仏の時世に﹃法華経﹄を講義 守 a していたことがある僧が夢にみた話を紹介していもこれ らは法雲と﹃法華経﹄との密接な関係を物語るものであろ Fつ
。
このように法雲は梁の三大法師の一人として当時の仏教 界を担った人であり、武帝からの信任も厚かった。学問的 に は ﹃ 成 実 論 ﹄ 、 大 乗 ﹃ 浬 架 経 ﹄ 、 ﹃ 大 品 般 若 経 ﹄ 、 ﹃ 維 摩 経 ﹄ 、 ﹃法華経﹄をよく研究したが、とくに﹃法華経﹄によって 名声を博していたことが伝記資料から伺われる。 法雲の著作に関して﹃唐高僧伝﹄には 時諸名徳各撰一一成賞義疏一、雲乃経論合撰。 有 二 四 十 科 一 、 局 ニ 四 十 二 巻 一 01 白 ud 至 一 一 七 年 一 制 ニ 注 大 晶 一 。 と記すところから、﹃成実論﹄の注釈書である﹃成実義疏﹄ を四十科・四十二巻にまとめたものや、﹃大品般若経﹄の 注釈書である﹃注大品﹄があったことがわかる。 また﹃法華義記﹄の中では o 曲 解 雇 字 一 、 如 -一 大 浬 繋 義 記 所 v 述 も 分別之相、現斗一瀬浬架義記一 02と記すように﹃大浬柴義記﹄、﹃浬架義記﹄の著作が認めら れる。これらは大乗﹃浬架経﹄の注釈であろう。 このように法雲の著作にはいくつかが伝えられている が、法雲の著作で現存するものは、﹃法華義記﹄八巻のみ で あ る 。 この書は中国では智顕、吉蔵に引用、批判されて以来あ まり読まれなくなり、唐から宋にかけて散逸したらしく、 幸い日本に伝えられていたテキストを華厳宗の鳳漕(一六 五 九
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一 七 三 八 ) が 元 禄 九 年 ( 一 六 九 六 ) に 刊 行 し た も の が 、 現在われわれの手にする﹃法華義記﹄八巻である。 道遼の﹃法華疏記義決﹄巻第二には 光宅義疏有ニ二本一。一者三巻。即是草書。文略 義 広 。 二 者 八 巻 。 是 則 稿 -一 義 疏 一 02 と記されているように、法雲の法華経疏には三巻本と八 巻本があることが指摘されている。しかし現在は八巻本の ﹃法華義記﹄だけが知られるところで、三巻本の法華経疏 の有無については現在も明らかになっていない。 ﹃法華義記﹄という書名は、﹃大正新備大蔵経﹄第三十三 巻 所 収 の 底 本 に お い て も ﹃ 妙 法 蓮 華 経 義 記 ﹄ 、 ﹃ 法 華 義 疏 ﹄ 、 ﹃法華経疏﹄と様々な名前で呼ばれている。なお﹃東域伝 灯目録﹄の中では、﹃同(妙法蓮華経)疏﹄八巻という名称 q o で伝えられてお勺﹁義記﹂、﹁義疏﹂、﹁疏﹂のいずれが原 名であるのかについては今の所これを明確にすることがで きないが、本書は一般的には﹃法華義記﹄と呼ばれている ことから、筆者もそれに従って﹃法華義記﹄という名称を 用 い る こ と と す る 。 ﹁義記﹂という名は、浄影寺慧遠(五二三│五九二)の 経疏においても﹃維摩義記﹄(大正三八巻所収)、﹃大般浬 架経義記﹄(大正三七巻所収)と言うように広く使われてい る。﹃陪書﹄経籍志を参照すると、仏典以外の中国古典の 注 釈 書 と し て ﹁ 義 疏 ﹂ 、 ﹁ 義 記 ﹂ 、 ﹁ 統 略 ﹂ 、 ﹁ 文 句 義 ﹂ 、 ﹁ 文 句 a 唱 義疏﹂等が見られも以上の点から見ても﹁義記﹂という 名称も当時としては一般的なものであったと考えられる。 ﹃法華義記﹄は玄談の部分とその後は﹁如是我聞﹂から 経末までの随文釈義によって構成されており、玄談の部分 は大意と広釈と分科に分かれているが、大意においては仏 陀一代の説教中における法華経の位置と経題(﹃妙法蓮華 経﹄)の解釈、広釈においては因の三義と果の三義が明か されている。分科の部分においては因果双説が﹃法華経﹄ k d の正宗であることが力説されてい弘このような解釈方法 は、佐一道生の﹃妙法蓮花経疏﹄の頃から始まった玄談と分 科の方法をより巧妙に発達させたものと言える。龍谷大学悌教学研究室年報第11号2001年3月 惰代おいて智開不吉蔵は玄談と随文釈義を別々にして注 釈書を撰述しているが、玄談は﹃妙法蓮華経﹄の経題を解 釈することによって﹃法華経﹄の総合的思想の解釈を試み たものであり、智顕の﹃法華玄義﹄、吉蔵の﹃法華玄論﹄が この体裁をとっている。随文釈義は﹃法華経﹄の文々句々 を解釈する体裁をとったものである。智顕の﹃法華文句﹄、 吉蔵の﹃法華義疏﹄がこれに相当する。惰の時代は、玄談 の部分が異常発達を遂げた時代であり、玄談の部分がより 詳細な解釈されるにともない分量もより膨大なものとなっ たことから、玄談と随文釈義がそれぞれ独立してつくられ るようになったのであ弘
三五時教判と法雲による﹃法華経﹄の
分科法
7 法雲の﹃法華義記﹄の中には明白な教判については述べ られていない。知日顕の﹃法華玄義﹄巻十上、﹃法華玄論﹄巻 三によると、法雲は慧観等の南地の五時教判を用いたとさ 円 4 れ弘明白な形ではないが、﹃法華義記﹄には﹁五時﹂の 語が見られ、その他の所説からも彼がそうした五時教判を 用いたことが推察されヤ いま智顕の﹃法華玄義﹄巻十上に見られるいわゆる南三 北七の中の所地によって法雲の五時教判を示すと、 頓 華厳経 漸I
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有相教 無相教 抑揚教 同帰教 常住教 小乗の三蔵教(阿含経) 般若経 浄名・思益経 法華経 浬繋経 ー 不 定 勝重・金光明経 となる。法雲は﹃法華義記﹄の中で﹃法華経﹄を﹁万善同 。 日 帰﹂の教と規定弘、その一方では 法 華 経 所 レ 明 法 身 者 、 不 レ 同 一 一 常 住 一 J q A 此 則 関 -一 浬 架 前 路 一 、 作 ニ 常 住 之 由 漸 ︺ と述べる。つまり、﹃法華経﹄は仏身の常住を明かしてお らず、﹃浬架経﹄に劣ると見ていたのである。右の五時の 中でも﹃法華経﹄は第四時となっているように、この点が 後に智顕や吉蔵によって厳しく批判されたのである。法雲の分科法は三段・六段・二十四段の三重に細分して いく科文であ弘内容としては、一経をまず序・正宗・流 通の三段に整備し、この三段を各々二段に分けて計六段と し、さらにそれらを細分して二十四段とするものである。 そして二段に大別する時、前半﹁因義﹂・﹁閲三顕一﹂、後 半を﹁果義﹂・﹁関近顕遠﹂とした。このように、法雲が整 備して示した科段の基本的形、方便品から授学無学人記品 までを﹁三周説法﹂とする解釈形態はのちの智顕や吉蔵に も受け継がれていく。 智顕の﹃法華文句﹄では、﹃法華経﹄全体を序・正宗・流 通に三分段しているが、改めて序品から安楽行品までを迩 門、従地涌出品以降を本門とし、その上で本迩二門をそれ ぞれを、序・正宗・流通に分段している。一方吉蔵も﹃法 華義疏﹄の中で﹃法華経﹄全体を序・正宗・流通に三分段 している。このような点から、智顕・吉蔵も﹃法華経﹄を 分科するにあたって、法雲の分科法を踏襲していると言え る 。 法雲の科段については附録の図表にて示す。
四
﹁権実二智﹂にもとづく﹃法華経﹄解釈
まず、法雲が自らの立場で、﹃法華経﹄に説かれる一乗を どのように理解したかを﹃法華義記﹄の﹁方便口問釈﹂を中 心として考察する。﹁方便品釈﹂の冒頭には、この品以降が 経の正宗(﹃法華経﹄の中心思想)を明らかにする段落であ a 官 ることを述べた偽この品がなぜ実相品と名付けられず、 方便品と名付けられたかと言うことを問題にして、つぎの ように法雲は述べ、この品の解釈を簡潔に示している。 若従レ理立レ名者、臆 L 一 = 口 ニ 賓 相 品 一 、 不 レ 謄 レ 言 -一 方 便 品 一 。 只 今 日 此 経 正 顛 ニ 昔 日 三 乗 教 是 方 便 一 。 方 便 但 三 乗 教 。 賞 一 一 乎 昔 日 之 時 一 、 本 是 貫 教 不 レ 名 一 一 方 便 一 。 既 説 ニ 今 日 一 一 来 賓 相 之 理 一 、 此 則 形 ニ ー 穎 昔 三 乗 是 方 便 一 。 是 故 下 経 文 一 一 = 口 ニ 此 経 閲 方 便 門 示 員 実 相 一 。 是 則 説 一 一 今 日 因 果 員 賓 之 相 一 、 則 頴 一 一 昔 日 因 果 非 一 一 是 員 寅 一 。 今 此 品 従 一 一 所 願 一 受 レ 名 、 名 馬 一 一 方 便 一 。 お この文では、昔日の三乗教が方便であり、今日の一乗実 相の理を明示するのが﹃法華経﹄の意趣であるとし、それ を因果によって見ると、昔日の因果は真実ならざる方便で龍谷大学悌教学研究室年報第11号2001年3月 あり、その方便の教えによってこそ今日(﹃法華経﹄で)因 果の真実相が明らかになる故に、方便品と名付けられたの で あ る と す る 。 さらに、この文によれば三乗は方便であり、一乗が真実 であるとする。それは経文からも明白であるが、法雲の解 釈では、﹁一乗実相の理﹂という表現によって、一乗を﹁実 相の理﹂と捉え、また﹁今日の因果﹂、﹁昔日の因果﹂とい う表現によって、方便(三乗)と真実(一乗)との関係を因 果で見ることが基本となっていることがわかる。﹁実相の 理﹂とは実相を理と表現したものであ
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この﹁理﹂とい う概念は次のような﹁教﹂と相対して用いられている。す なわち 方便義者、是善巧之能。此如来方便智所レ説 教、諸レ教属レ門。貧相者、則是如来賓智所レ 説 之 理 。 39
とある。ここでは方便が、巧みな働きの意味を持ち、これ は如来の方便智によって説かれる教えであるとされるとさ れる。つまり、実相とは如来の実智によって説かれる理(真 理)を指し、それに対して仏が方便智をもって説いた教え が三乗であるとする。この﹃法華経﹄で一乗が説かれ、実 相の真理が明らかになるのが実智の働きであり、それ以前 (昔日)に三乗を三つの教えによって導くのが方便智の働き な の で あ る 。 以上のように、﹁方便口問釈﹂の冒頭において三乗・一乗 に関して仏の権智(引用文の方便智と同じ)と実智という 視点からの解釈と、因果論からの解釈が見られるが、﹁権 実二智﹂による一乗解釈をもう少し詳しく見ていきたい。 法雲はこの﹁権実二智﹂について﹁方便品釈﹂の中で次 の項目をもって詳しく論じている。 解 コ 蒋 名 義 一 第 悪 コ 明 鰻 相 一 第 明三名有ニ通別一第三 割一用有二興廃一第四 蒋 コ 舎 五 時 経 一 故 排 -三 智 不 同 一 第 十 勾 右のうち、今は一乗解釈に関係の深い第二の﹁体相を薮 03 明 す ﹂ J と第四の﹁用に興廃有るを明かす﹂を中心に取り上 げ た い 。 ﹁ 体 相 を 薮 明 す ﹂ と は 、 ﹁ 権 実 二 智 ﹂ の 体 相 ( 本 質 的 も の がら)を明白にすることを意味し、次のように示されてい る。まず権智については方 便 智 所 レ 照 之 境 、 凡 有 一 一 三 三 之 境 一 。 一 者 三 教 、 二者是三機、三者三人。照一一此三三之境一。嘗知 是 機 智 鰻 。 昔 日 有 一 一 三 人 一 、 人 有 二 三 人 一 、 人 有 一 一 三機一、三機感し三。是故如来権智既照二三三之 境 一 、 即 説 一 一 三 教 一 、 臆 ニ 三 機 一 化 二 三 人 一 是 故 将 一 一 此 三 三 之 境 一 、 検 斗 取 此 智 一 。 嘗 レ 知 昭 一 二 此 三 三 之 境一、是方便智之謹也 0 4 権智は、権仮の対境を照らす智であるが V ここではその 権仮の対境を﹁三三の境﹂と明かされている。内容は、三 教、三機、三人である。その内容に関して具体的な説明は ないが、三教は、声聞乗の教え(四諦)、縁覚乗の教え(十 二因縁)、菩薩乗の教え(六波羅蜜)を指すと見てよれ A 三 機とは三乗それぞれの教えを受ける素質能力を指し、三人 は声閥、縁覚、菩薩を指すのであろう。仏の権智は、声 聞乗、縁覚乗、菩薩乗の三乗の教えを説き、三機に応じ、 三人を教化する智であり、換言すればこの権智は三教、三 機、三人を照らし見る働きを持つのである。 一方、実智の対境は教一・理一・機一・人一の﹁四一の 境﹂であることが明かされている。すなわち、 賞 智 所 し 照 之 境 、 凡 有 二 四 種 一 。 一 者 教 一 、 者理一、三者機一、四者是人一。明=一如来之 智、照-一此四一之境一。此即是賓智。所レ言教 一 理 一 者 、 今 日 唱 判 明 因 無 一 一 異 趣 一 、 果 無 中 別 従 上 。 然員賓之義、其理莫レ二。然所詮之理既一、 能詮之教何容ニ是二一也。復言一一機一一者、法華 座 席 衆 者 、 有 b 感一二果一之機一也。人一者、 明 一 一 一 昔 日 聾 聞 縁 覚 等 人 皆 改 心 成 ニ 菩 薩 一 。 下 経 文 言ニ但化諸菩薩無聾聞弟子一。亦言、一人有二一 機 一 、 感 二 一 教 一 理 一 。 如 来 用 二 教 一 、 説 -二 理 一 臆二機一、化二人一也。是故如来智慧照此四 一之境、即是賓智之韓也 0 4 ここでの意味をみると、﹃法華経﹄の一乗は実智の照らす ﹁四一の境﹂である。その中でまず理一・教一とは、実智が 働いて真理(理一)を明らかにするのが一乗の教え(教一) である、という意味で、﹃法華経﹄では修行(因)が一乗の 理にかなう故に皆仏果に向かうと言うことになる。機一と は、﹃法華経﹄の会座にいた時の聴衆がすべて仏となる素質 能力が皆平等な一種となっている事を意味し、人一とは、 昔日の声聞や縁覚等の人々がみな心を改めて菩薩となる事 をあらわす。衆生の側から言えば仏果を実現することがで きる機を備えた菩薩が、唯一の教・理を受けとめ、仏の側
龍谷大学悌教学研究室年報第11号2001年3月 から言えば、唯一の教によって、唯一の理を説き、仏果を 実現出来る一機に応じて、菩薩を教化するのである。要す るにこのような働きをする仏の智を実智と言うのである。 先の権智の対境では﹁三三﹂が説かれ、いまの実智では ﹁四一﹂となり、﹁理﹂が付け加えられているのは、一乗こ そが普遍的真理であること示そうとする法雲の解釈が読み 取 れ る 。 ﹁用に興廃有るを明かす﹂とは、﹁権実二智﹂の働きに は﹁興廃﹂があることを明かすことを意味するが、ここで は権智と実智の興廃についてを述べたものである。これに 関して法雲は次のように述べている。 権智昔興、今廃。賓智今興、昔慶。何以知レ 之 。 昔 日 鹿 苑 説 一 一 三 乗 別 教 一 。 子 レ 時 唯 是 権 智 用 レ 事、賞智則廃。今日王城之説明一二因一果賓相 之 理 一 。 此 則 賓 智 興 一 一 於 今 日 一 、 機 智 廃 ニ 今 日 一 。 “
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ここでは、昔日において権智が働いている時には、実智 は働いていない状態であり、実智が働く時には権智が必要 なくなつことをあらわしている。つまり権智が働くとき、 権智の対境である三乗が別々の教(因)によって別々の果 を得るので、実智の対境である一乗は現れていない。しか し、今日﹃法華経﹄が説かれた時には実智が働きだし、そ の対境である一乗が現れるが、その時権智が無用となり、 一因一果が明らかとなる。このように、法雲は﹃法華経﹄ における三乗と一乗の関係を仏智の働き、つまり権知戸と実 智の働きという視点から解釈した。権智とは、三機を持っ た三人に三教を説く仏智であり、実智とは一機を持った一 人に対して、教一・理一である一乗を説く仏智である。 ﹁権実二智﹂は、浄影寺慧遠の﹃大乗義章﹄、慈思基の ﹃法華玄賛﹄にも見られることから、この概念は中国仏教 教学において重要な意味を持つものと言える。五
﹁ 教 ・ 人 ・ 因 ・ 果 ﹂ に よ る 一 乗 解 釈 前項において法雲が﹃法華義記﹄の中で教一・理一・機 一・人一によって一乗を解釈したことを明らかにしたが、 法雲は﹃法華義記﹄の﹁方便品釈﹂のなかで一乗を教一・ 人一・因一・果一のもう一つの﹁四一﹂によって解釈して い る 。 所以者何。諸偽世尊唯以一大事因縁故此下是 第 四 顕 レ 一 。 此 所 以 者 何 、 義 得 レ 鰐 一 一 上 関 レ 三 之 意 一 。 文 則 層 レ 下 。 顕 レ 一 、 虞 明 二 四 一 一 。 先 明 一 一果一一、二明ニ人一一、三明ニ因一一、四明二 教一一也。明二果一一者、即舎ニ昔日三果一、終 成 ニ 今 日 一 果 一 0 ・ ・ : ・ ・ 明 ニ 因 一 一 者 、 即 舎 一 一 昔 日 三乗人所レ行之行一只是一因、以封二偽果一。是 放 言 一 一 汝 等 所 行 是 菩 薩 道 一 。 必 ここでは法雲は一乗を﹁教・人・因・果﹂によって解釈 している。すなわち﹁因一・果一﹂と言うのは、因一とは 昔日﹃法華経﹄が説かれる前に三乗がそれぞれに修した行 が、今日の法華の会座では皆等しく一乗の仏果に向かう因 となることを言う。また果一とは、昔日の三乗の人々(声 聞・縁覚・菩薩)の得たそれぞれの果(阿羅漢果・無学果・ 仏果)恥今日﹃法華経﹄においてみる一仏果に帰一する ことである。そして法雲は、先に見た四一の境と﹁教・人・ 因・果﹂との関係について次のように述べる。 但今日教一、人一名字輿一一貫智所 b 照教一、人 一一名字問、明レ義意異也。此中明ニ因一、果 一一、輿ニ賞智所し照理了義同而名字異也 0 4 法雲は、四一の境の教一、人一と﹁教・人・因・果﹂の 中の教一、人一とは、名は同じだが意味は異なるとし、四 一の境の理一と﹁教・人・因・果﹂の因一と果一とは名は 異なるが意味は同じであるとしている。 まず﹁教・人・因・果﹂の教一について法雲は次のよう に 述 べ る 。 教 明
、
教
者 即 舎 一 一 昔 日 三 乗 別 教 一 成 ニ 今 日 ここでは﹁教・人・因・果﹂の教一というのは、昔日の 三乗の別々の教法(四諦・十二因縁・六波羅蜜)が統一さ れて、今日の一教となることを明かしたものであるとして い る 。 さらに法雲は、﹁教・人・因・果﹂の教一を四一の境の 教一と比較して次のように述べる。 此中教一輿賓智所レ照境教一亦不レ向。何以知レ 之。賓智所レ照教一者、直是照二法華経一教一。 今 此 中 言 ニ 教 一 一 者 、 昔 日 臆 二 三 機 一 故 有 一 一 三 教 一 。 三 教 非 ニ 是 一 一 。 三 教 遠 詮 ニ 今 日 一 理 一 故 、 舎 一 一 昔 0 3 三 教 一 終 成 一 一 今 一 教 -0 4 四一の境の教一は、﹃法華経﹄を照らす教一であり、実 智が働くことによって権智の対境である三教の別が消えて龍谷大学悌教学研究室年報第11号 2001年 3月 一教(一乗の教え)となる事を表わしたのに対して、﹁教・ 人・因・果﹂の教一は、三教が統一されて、今日の一教へ 帰着させることを表わした教一である。つまり、先の﹁四 一﹂の境では、昔の三乗と今の一乗との関係は﹁興廃﹂に よって対比されたのに対して、ここでの﹁四一﹂は昔の三 乗が今の一乗に統一されるという意味を表わすのである。 そして﹁教・人・因・果﹂の人一について法雲は次のよ うに述べる。 人 明 50人 者 即舎一一昔日三人一成ニ今日一菩薩 ここでは﹁教・人・因・果﹂の人一というのは、昔日の 三乗の人々(声聞・縁覚・菩薩)が統一されて、今日の一菩 薩人となることを明かしたものであるとしている。つまり 法華の会座では三乗の区別がなくなり、みな菩薩となる意 で あ る 。 さらに法雲は、﹁教・人・因・果﹂の人一を四一の境の 人一と対比して次のように述べる。 13 此 中 明 ニ 人 一 ¥ 輿 -一 貫 智 所 レ 照 境 人 一 不 レ 向 。 何 以 知レ之。賞智所 L 照 境 人 無 一 一 別 種 一 。 今 日 衆 生 一 乗 善機議、一機所レ成人以震ニ人一一。故徳諸菩薩 以局二境一。此中人一者、昔日三乗機一所レ成 遁 非 -一 是 一 一 、 局 一 一 三 機 善 所 レ 成 漫 是 一 善 理 一 一 。 故曾 -K 旦二人一終成一一今日一菩薩人一。但今日教 一人一名字輿ニ賓智所レ照教一人一一名字同明レ 義 意 異 也 。 5 四一の境に説かれる人一には別々の体があるわけではな く、権智の対境の三人が、今日﹃法華経﹄が説かれたこと によって実智が働き、それによって権智の対境としての三 人の別が消えて今日の人一となるのに対して、今の人一は 三乗の人々が、統一されて今日の一菩薩人となることを明 かす人一であるとしたのである。 また四一の境の理一と、今の四一の因て果一の関係に 対して法雲は次の様に述べる。 此 中 明 一 一 因 一 果 一 一 輿 一 一 貫 智 所 レ 照 理 一 一 義 同 而 名 字 異 也 。 5 法雲は﹃法華義記﹄の中で﹁教・人・因・果﹂の因て 果一が、四一の境の理一と同じであるとした。因一と言う のは、言わば仏となるための因であり、三乗の人々がそれ ぞれ行じている実践(四諦、十二因縁、六波羅蜜)のこと
であり、これらは全て仏果を得るための因となる事を表わ q o k d したものであり、果一とは、﹃法華経﹄が説かれた時は皆 三乗がそれぞれ等しく同じ一仏果を得ることができる事を 意味するものである。法雲は四一の境の中で一乗の側面と して教一と理一を挙げているが、その一乗の側面である理 一を因果を表すとしており、﹃法華義記﹄冒頭部分で一乗 を﹁一乗因果の大理﹂と表していることからも法雲が﹃法 華経﹄に説かれる一乗を因果論の視点から解釈していたこ とが伺え弘 ....L. /¥
菩薩乗に対するご仏乗﹂解釈の特徴
前項では﹁教・人・因・果﹂による一乗解釈について検 討を加えたが、中国において﹃法華経﹄が漢訳され、中国 の祖師たちによって解釈される上において三乗中の菩薩乗 と一仏乗との関係について様々な問題が起こったのだが、 本項では法雲が﹃法華義記﹄の中で三乗中の菩薩乗と一仏 乗の関係をどのように捉えていたかがについて検討を加え る。鳩摩羅什訳の﹃妙法蓮華経﹄の中では、 何 十 況 方 有 世 包 界 o 中 55 尚 鏑乗
という一文があるが、この中で示される﹁二﹂と﹁三﹂ が何を指すかが問題となるのだが、この一文に対して法雲 は﹃法華義記﹄の中で次のように解釈した。 十 方 悌 世 尚 無 三 一 一 来 一 。 何 況 有 レ 三 。 此 明 一 一 因 一 一 。 言 = 一 尚 摂 三 乗 一 者 、 言 = 一 尚 無 一 一 偏 行 六 度 菩 薩 乗 僻 c o 支 悌 乗 一 。 何 況 有 一 一 費 聞 莱 一 。 故 知 唯 是 一 偽 乗 0 5 法雲はコ一﹂に対して偏行六度の菩薩乗、僻支仏乗(縁 覚乗)、コニ﹂に対しては声聞乗を当てて解釈している。こ のような一文から法雲が三乗中の菩薩乗を偏行六度の菩薩 乗として捉え、更にこの偏行六度の菩薩乗をも方便として 見ていた事が伺える。 また法雲は、昔日の大乗を﹁因果論﹂の視点から次のよ う に 述 べ る 。 何 者 、 昔 日 偽 偏 行 ニ 六 度 一 馬 レ 因 、 感 一 一 有 馬 無 馬 二 種 果 一 。 若 論 ニ 無 局 果 一 。 只 断 二 分 段 結 使 -。 三 界 報 亡 局 -一 之 果 一 。 初 言 ニ 八 十 一 、 後 言 -一 七 百 阿 僧 祇 住 v 世 。 以 二 己 所 v 得 侍 コ 化 未 聞 一 。 小 小 益 物 、 作 一 一 有 馬 果 周 一 。 然 此 因 、 此 果 未 = 一 室 矯 二 極 之 美 一 。 稿 レ時 '
之 日 レ 食 0 5龍谷大学悌教学研究室年報第 11号2001年 3月 ここでは、昔日の大乗では六波羅蜜の修行を因とし、そ れによって実現される果を有為果と無為果に分けられてい るが、ここでは無為果とは修行(因)によって煩悩に断じて 得られる浬柴をあらわし、有為果とは無為果に基づく仏の 現実的な救済活動を意味しているようである。言わば昔日 の大乗の無為果は三界内の煩悩を断じて、分断の生死を滅 して浬架を得ることである。これに基づく有為果の作用は 八十歳、七百阿僧祇の問、世にとどまって衆生を救済する 働きを有為果の用としている。しかし、これらの因果はま だ究極的なものではないことから﹁負因島果﹂とされる。 そして法雲は﹃法華義記﹄の経題解釈において﹃妙法蓮華 経﹄の﹁妙法﹂について次のように解釈している。 今 言 一 一 妙 法 -者 、 妙 名 是 絶 レ 危 之 寄 。 語 レ 法 、 則 因
。 。
果 隻 談 。 5 15 ここでは﹁妙﹂とは急を絶するすばらしいものであると し、法とは因果の二法を表わしたものとしている。した がって法雲は、﹁妙法﹂、つまり﹃法華経﹄における﹁因果﹂ を﹁妙因妙果﹂として捉えていたことが伺える。 さらに﹃法華経﹄における﹁妙因妙果﹂について法雲は 次のように述べる。 今 日 明 レ 因 、 線 斗 括 蔦 善 一 、 局 一 一 同 錦 之 路 一 0 ・ ・ ・ ・ . 有二二種果一。断斗絶三界内外爾因二減斗除此彼 二報一、無馬果極。有馬果用者、種智一朗、 偽果斎明。理而推之。子レ時則廃下入ニ無鈴浬 繋一至中寂然之地上。但大悲之意不レ限、度レ人 之心無窮。近籍ニ神通之力一、遠由ニ大衆高行之 感 一 、 遂 能 延 一 一 金 剛 心 一 留 斗 住 於 世 一 、 書 命 無 窮 、 益 物 無 崖 。 : ・ ・ : 是 則 因 絶 一 一 衆 食 之 名 一 。 果 極 ニ 唯 精之極一。是故因果之爾法、倶稀局一一妙法一 05 ここでは﹃法華経﹄においては、万善が同帰(同じく仏果 に帰着する)の路となる事を妙因としており、それによっ て実現される妙果を、三界内外の煩悩を断じて、(三界内 の)分段の生死と不思議変易の生死を滅する事を無為果と して、仏が衆生を救済しようとする大悲が限りないため、 衆生が仏教における全ての修行によって、仏の応現を発動 させることによって、仏がついに神通力によって金剛心を 延長して衆生を救済する働きを有為果の用としている。こ の様に法雲は﹃法華義記﹄の経題解釈の中で昔日の大乗 (三乗中の菩薩乗)と﹃法華経﹄の一仏乗を優劣比較して、 ﹁因果論﹂の視点から﹃法華経﹄の一仏乗を宣揚し、さらには﹃法華経﹄の一仏乗を﹁万善同帰﹂の意味として捉え ていた形跡が伺えるのである。
七
結
び
以上、﹃法華義記﹄における法雲の一乗解釈の内容を考 察した。これまでの考察の要点を改めて整理して示して行 き た い 。 ①法雲は﹃法華義記﹄の﹁方便品釈﹂の中で﹃法華経﹄ の一乗を教一・理一・機一・人一の四一の境と教一・人 一・因一・果一の四一にもと。ついた二種の﹁四一﹂義に よって解釈している。 ②四一の境の中における教一と人一は実智の対境であ り、権智の対境である三教と三人は実智が働くことによっ て 消 え て ( 廃 ) 、 実 智 の 対 境 で あ る 教 一 ・ 人 一 と な る ( 興 ) 。 白 り このような興廃義による解釈は、﹁破三帰一﹂ 6 の観点に基 づ く 。 ③四一の境の中の教一・人一に対して﹁教・人・因・ 果﹂の教一・人一では三乗の人々(三人)、三乗の教法(三 教)そのものが否定されるのではなく、三人・三教はそれ ぞれ﹃法華経﹄が説かれたときには一乗の教法・今日の一 菩薩人へと高められ、教一・人一となることを表すのであ c o る。これは﹁会三帰一﹂の観点に基づいた解釈と言える。 ④四一の境の中で一乗を表しているとされる理一は﹁教・ 人・因・果﹂の中の因一・果一と同じ意味を持つとされ ているが、ここにおいて法雲が一乗を解釈するにあたって ﹁因果論﹂を重視していたことが﹁教・人・因・果﹂の一 乗 解 釈 か ら 伺 え る 。 ⑤法雲は﹃法華義記﹄の中で、三乗中の菩薩乗も方便と 捉え、さらに、﹃法華経﹄の一仏乗と昔日の大乗(三乗中の 菩薩乗)を﹁因果論﹂の視点から優劣比較して、﹃法華経﹄ の一仏乗を﹁万善同帰﹂の意味に解釈している。 法雲の﹃法華義記﹄の一乗解釈について検討を加えてき たのであるが、法雲は﹁権実二智﹂と﹁教・人・因・果﹂ によって﹃法華経﹄の一乗を解釈し、さらに昔日の大乗を ﹁魚因魚果﹂、﹃法華経﹄の一乗を﹁妙因妙果﹂という理解 によって、﹃法華経﹄の一乗を宣揚している。また﹃法華 義記﹄に見られる法雲の﹃法華経﹄の一乗を宣揚する立場 は陪代において天台智顕によって継承されている。智顕は ﹃法華玄義﹄巻第七上の中で法雲の﹁権実二智﹂に基づく 一乗解釈を批判している科、智顕もまた﹃法華文句﹄、﹃法 華玄義﹄の中で一乗を﹁教・行・人・理﹂の四義によって龍谷大学悌教学研究室年報第11号2001年3月 解釈している。智頻の﹁教・行・人・理﹂に基づく一乗解 釈は、法雲の﹁教・人・因・果﹂の一乗解釈の影響を受け ていたことが﹃法華文句﹄巻四上の中で確認でき弘この ような点から考えても法雲の﹃法華義記﹄が惰代の祖師に 与えた影響は大きいものであったと言うべきである。この 他にも法雲の﹃法華義記﹄が智顕・吉蔵の法華経疏に与え た影響や、﹁尽智・無生智﹂という独特の発想による﹁誓 喰品釈﹂の﹁索車義﹂についても考察を進めたいが、これ らは今後の研究の課題とすることにして本論文を締め括る こ と に す る 。
注記
17 -﹃法華玄論﹄巻第一、大正三四・三六三下 2﹃妙法蓮華経玄義﹄巻第一下、三三・六九一下 3 ﹃法華義記﹄巻第三の中に﹁今光宅法師解言。﹂(大正三三・六 O 三下)などと記されるように、﹃法華義記﹄は法雲が直接的に撰述 したものではなく、彼の﹃法華経﹄講義を弟子が筆録したもので あることがこの一文から知ることが出来る。 4﹃唐高僧伝﹄巻第五、大正五十・四六三下参照 5 ﹃梁高僧伝﹄巻第八、大正・三八 O 下参照 6 ﹃法華玄論﹄巻第一、大正三四・三六三下参照 7 ﹃唐高僧伝﹄巻第五、大正五十・四六三下参照 8 ﹃唐高僧伝﹄巻第五、大正五十・四六三下参照 9 ﹃唐高僧伝﹄巻第五、大正五十・四六三下 l l 四六四上 叩﹃唐高僧伝﹄巻第五、大正五十・四六四上参照 日﹃唐高僧伝﹄巻第五、﹁天監二年・:・・・後下急令申。時諸名徳各 撰 一 一 成 貫 義 疏 一 、 雲 乃 経 論 合 撰 。 有 二 四 十 科 一 、 馬 一 一 四 十 二 巻 一 。 ﹂ ( 大 正五十・四六四上)を参照 ロ﹃梁高僧伝﹄巻第十、保誌伝﹁天監五年冬早。零祭備至、而未レ降 b 雨 。 誌 忽 上 啓 云 、 誌 病 不 レ 差 、 就 レ 官 乞 レ 治 。 若 不 レ 啓 、 百 官 慮 レ 得 一 一 鞭 杖 一 。 願 於 一 一 華 光 殿 一 貫 一 勝 重 一 請 レ 雨 。 上 即 使 三 沙 門 法 雲 講 -一 勝 重 一 。 請 寛 、 夜 便 大 雪 。 ﹂ ( 大 正 五 0 ・ 三 九 四 下 ) を 参 照 ロ﹃唐高僧伝﹄巻第五、大正五十・四六四中参照 M ﹃仏祖統記﹄第三十七、大正四九・三四九中参照 時﹃唐高僧伝﹄巻第五、大正五十・四六四下参照 時﹃唐高僧伝﹄巻第五、大正五十・四六五上参照 げ﹃唐高僧伝﹄巻第五、大正五十・四六五上参照 時﹃唐高僧伝﹄巻第五、大正五十・四六四上 泊四﹃唐高僧伝﹄巻第五、大正五十・四六回中 却﹃法華義記﹄巻第一、大正三三・五七四上 幻﹃法華義記﹄巻第四、大正三三・六一九中 幻﹃法華疏記義決﹄巻第二、(﹃大日本仏教全書﹄九・一八二上) 幻﹃東域伝灯目録﹄大正五五・一一四八下参照 M 唐貌徴等撰﹃情書﹄第四冊(中華書局)、﹁経籍志﹂(九 O 三 │二
O 頁参照)お﹃法華義記﹄巻一、﹁因果讐説、是経正宗。﹂(大正三三・五七五 上 ) を 参 照 。 加横超慧日﹃中国仏教の研究第三﹄(法裁館・昭和五十四年刊)所 収 。 ﹁ 釈 経 史 考 ﹂ 参 照 。 幻﹃法華玄義﹄巻十、大正三三・八 O 一 上 │ 中 、 ﹃ 法 華 玄 論 ﹄ 巻 三 、 大正三四・三八二中 お﹃法華義記﹄﹁緯迦如来初謄一一此土¥乃欲下費コ倍長迷一、遠同申極 聖人但以ニ衆生宿殖善微、過去因弱一。致レ使下五濁障ニ於大機一、六 蔽掩中其慧眼上。又峨難長速、生死無際。是故不レ可=頓明一二乗因 果大理一。事不レ得レ己故、初詣一麗苑一開二三乗異因¥指ニ別馬趣 v 果。如レ是荏再至ニ於大口問明レ教度レ人、巷羅説レ法弘 v道、経レ 年歴レ歳、猶明二異因別果一、長ゴ養物機一。於レ是八部四衆、積 b 年 観レ聖。嚢日修レ福、遂令一一五濁障韓、大乗機動一。至ニ今王城¥ 始橋一一如来出世之意一。破ニ三乗定執之心一、閉コ揚莫二之教同開之 理 -。 子 レ 時 且 鹿 こ 権 於 往 日 一 、 談 -責 於 嘗 今 一 。 明 レ 因 則 収 ゴ 羅 高 善 一 、 以 局 ニ 一 因 一 、 語 レ 果 則 復 倍 ニ 上 敷 一 、 以 昇 一 極 果 一 。 ﹂ ( 大 正 三 三 ・ 五 七二下) ﹁ 但 随 二 根 性 一 、 有 二 五 時 差 別 一 。 ﹂ ( 五 七 四 下 ) ﹁ 解 樺 者 言 、 五 時 次 第 不 レ 無 -ニ 一
R
此 義 一 1。 . : . . : . 何 異 序 正 流 通 一 。 ﹂ ( 五 八 二 下 ) ﹁ 次 明 ニ 衆 経 所 レ 明 二 智 不 v同第五。衆経不レ問、凡有二五種一。一者 十二年前有相教所レ明二智、若照一一生老病死分断無常一者、名馬二権 智 一 、 若 照 二 利 那 無 常 一 名 馬 ニ 実 智 一 也 。 二 者 大 晶 所 レ 明 二 智 ・ ・ ・ ・ ・ ニ ニ 者 即 是 維 摩 鰹 所 レ 明 ニ 智 者 ・ : ・ ・ ・ 四 是 浬 繋 鰹 所 レ 明 二 智 者 : ・ ・ ・ ・ 五 者 就 一 一 此 法 華 所 レ 明 二 智 一 。 ﹂ ( 五 九 三 下l
五九四上)等を参照。 なお法雲が五時の教判に従っていた形跡に関しては、菅野博史氏 によって詳細な検討がなされている(菅野博史﹃中国法華思想の研 究﹄春秋社・平成六年刊。一五七│一六四頁参照)。 m m ﹃法華玄義﹄巻十上、大正三三・八 O 一 上l
中 参 照 。 初﹃法華義記﹄﹁綿コ括高善¥局一一同婦之路一。﹂(大正三三・五七二 下 ) 、 ﹁ 貫 一 高 善 一 明 ニ 間 関 一 、 開 レ 後 者 、 明 下 高 善 皆 二 成 悌 一 、 悌 書 命 長 遠 上 。 ﹂ ( 六 六 O 中 ) 等 を 参 照 。 担﹃法華義記﹄巻第五、大正三三・六二九上 幻﹃法華義記﹄巻第七、大正三三・六六 O 中 お法雲の分科に関しては、﹃法華義記﹄大正三三・五七四下 i │ 五七 六下、五九四上、六 O 一 上 、 六 O 二上、六二ニ中、六五一下、六 六六中、六七三上等に詳しく論じられている。 川純﹃法華義記﹄巻第二、﹁自レ此以下即是経之正宗。上来序説即寛、次 緋 -一 正 宗 一 。 ﹂ ( 大 正 三 三 ・ 五 九 二 上 ) を 参 照 。 お﹃法華義記﹄巻第二、大正三三・五九二上 お﹃法華義記﹄巻第二、﹁賞相者四一之中是理一。﹂(大正三三・五九 六 下 ) を 参 照 。 貯﹃法華義記﹄巻第一一、大正三三・五九二上 犯﹃法華義記﹄巻第二、大正三三・五九二中 知大正蔵本では﹁覆明﹂とあるが、﹁覆﹂はおおうの意味であるこ とから﹁覆明﹂という熟語は意味をなさない。菅野博史氏は﹃法龍谷大学悌教学研究室年報第11号 2001年 3月 華義記﹄巻第四において﹁憲明索車義﹂(六二 O 上)とあることか ら、﹁覆明﹂は﹁憲明﹂(明らかにするの意味)の誤写であると指摘 し、この部分を﹁販明﹂と読み変えている(﹃中国法華思想の研 究﹄二三三頁参照)。筆者もそれに従いこの部分を﹁憲明﹂と読む 事 と す る 。 州制﹃法華義記﹄巻第二、大正三三・五九二下│五九三上 M U ﹃ 法 華 義 記 ﹄ 巻 第 二 、 ﹁ 擢 智 者 、 此 従 レ 境 得 レ 名 ・ : ・ ・ ・ 然 智 二 照 偲 之 境 一 。 L ( 大正三三・五九二中)を参照。 必 ﹃ 法 華 義 記 ﹄ 巻 第 二 、 ﹁ 聾 闇 行 自 以 四 諦 聾 教 局 レ 種 。 即 是 道 -辛 口 生 一 厭ニ老病死義一。縁覚之人即是十二因縁教嬬レ種。菩薩即六度経教 馬 レ 程 。 ﹂ ( 大 正 三 三 ・ 五 九 六 下 ) を 参 照 。 。﹃法華義記﹄巻第二、大正三三・五九三上 “﹃法華義記﹄巻第二、大正三三・五九三下 必﹃法華義記﹄巻第二、大正三三・六 O 三 上 必﹃法華義記﹄巻第五﹁即合下上第三競共馳走、聾聞乗人聞こ悌説 法一、進入ニ無相行一、見諦思惟治道断結上也。是名聾間乗、是第四 階 、 即 合 = 王 四 階 評 得 出 火 宅 得 一 一 羅 漢 果 一 。 ﹂ ( 大 正 三 三 ・ 六 二 四 上 ) 、 ﹁ 此 即 合 τ第一心各勇鋭、縁覚乗人、聞二悌説法一生白外凡夫善根上 也。:・・:今慧従境受レ名呼レ慧局一一自然一也。是名醇支悌乗、 此即合=鷲四諦出火宅、謹二無畢果二﹂(六二四中)、﹁若有衆生、 此下是第三菩薩乗人。・・・・:求一切智、此下第三、即合下上競 共馳走、菩薩聞悌説法、進入二無相行一、見諦思惟治道断結上也。悌 智者即是三乗中館果也。﹂(六二四中)を参照。
1
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釘﹃法華義記﹄巻第三、大正三三・六 O 三 中 綿﹃法華義記﹄巻第三、大正三三・六 O 三 上 。﹃法華義記﹄巻第三、大正三三・六 O 三中 日﹃法華義記﹄巻第三、大正三三・六 O 三 上 日﹃法華義記﹄巻第三、大正三三・六 O 三 一 中 臼﹃法華義記﹄巻第三、大正三三・六 O 三 中 日 ﹃ 法 華 義 記 ﹄ 巻 第 二 、 ﹁ 昔 一 言 ニ 三 乗 別 行 各 有 τ所 レ 趣 、 言 ニ 聾 聞 乗 異 、 縁 覚 乗 異 、 菩 薩 乗 異 一 。 一 言 三 三 家 不 レ 得 ニ 互 通 一 。 而 今 三 乗 之 行 是 同 一 因、等是菩薩、皆同得二悌果二﹂(大正三三・五九四下)を参照。 M﹃法華義記﹄巻第一﹁樗迦如来初慮二此土一、乃欲下資コ悟長迷、遠 同 申 極 聖 よ 。 但 以 二 衆 生 宿 殖 善 微 、 過 去 因 弱 二 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 是 故 不 レ 可 -一 頓 明二一乗因果大理一。﹂(大正三三・五七二下)を参照。 日刊﹃妙法蓮華経﹄巻第一、大正九・七中 持﹃法華義記﹄巻第三、大正三三・六 O 四中 日﹃法華義記﹄巻第一、大正三三・五七二下 回﹃法華義記﹄巻第一、大正三三・五七二下 四﹃法華義記﹄巻第て大正三三・五七二下│五七三上ω
﹃ 法 華 義 記 ﹄ 巻 第 一 、 ﹁ 然 無 量 義 経 直 明 一 一 寓 善 成 悌 一 、 不 レ 言 ニ 無 二 無 三、破三帰一一興ニ法華一有レ異。﹂(大正三三・五八二申│下)を 参 照 。 倒﹃法華義記﹄巻第一、﹁但法華所レ明正言一歳二無三、曾三揖 ( 大 正 三 三 ・ 五 八 二 中 ) を 参 照 。 回﹃法華玄義﹄巻第七上、大正三三・七六三下参照 O L..63