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高度情報社会における市民像について

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No.36

明星大学社会学研究紀要

March 2016

《論 文》

高度情報社会における市民像について

天 野

第一章 問題設定

 文部科学省による、国立大学の改革が進めら れている。2015年6月8日付で出された、国立 大学法人の第3期中期目標・中期計画に関する 国立大学法人に対する文部科学大臣通知では、

教員養成系学部・大学院や人文社会科学系学 部・大学院について「組織の廃止や社会的要請 の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努 める」としている。これが原因となり、一時期、

「理系偏重」「文系廃止」の声が聞かれ、それに 対する批判が、多く出されることになった。大 学には地域や産業界のニーズにあわせた人材の 育成が求められているのに対し、人文社会科学 系においては専門性や進路との結びつきが見え

にくいというのがその理由ということだが、こ れが様々な議論を呼ぶことになったという。

 この大臣通知は、即戦力を有する人材を求め る産業界の意向を受けたものであるとの見方が あるが、産業界の求める人材像は、実はその対 極にあるらしい。経団連はかねてより、理系・

文系を問わず、基礎的な体力、道徳心に加え、

幅広い教養、課題発見・解決力、外国語による コミュニケーション能力、自らの考えや意見を 論理的に発信する力などは欠くことができない と訴えてきた。つまり、産業界は理系偏重・文 系軽視を求めたのではなく、理系文系を問わず、

今日のビジネス環境に対応できる、基本的な能 力を持った人材を育成してほしいと、要望して

いただけなのである。

 さらにいえば、今日における地球的規模の課 題を分野横断型の発想で解決できる人材が求め

られていることもあって、理工系専攻であって も、人文社会科学を含む幅広い分野の知識・教 養が必要であり、逆に人文社会科学系専攻であ っても、先端技術に深い関心を持って、理数系 の基礎的知識や技術の習得が必要となってい る。つまり、現代社会では文理の枠にとらわれ ず、柔軟な発想と知識・教養を用いて、様々な 分野・領域の人とアライアンスを組みながら問 題を解決していくことのできる、総合力を持っ た人材が求められるのであって、こうなってく ると、従来の文系・理系という分野の分け方こ そが問題にされるべき、ということであろう。

 小生はなるべくそうした活動に触れようと、

時間が許す限り教育改革や人材育成に関するシ ンポジウムに参加してきたが、実際に様々な大 学がそうした課題に取り組んでいる事例を多く 目にしてきた。子細に調べてみれば、まだまだ 試行錯誤の段階であり、十分な成果があがって いるところは少ないようにも思うが、学生達・

大学院生たちが既存の学問体系の枠を超えて、

現実的な課題に試行錯誤しながら取り組んでい る姿を見ると、彼らの将来に期待したくなるの

も事実である。

 さて、本学科での議論を振り返ってみれば、

この三月で退職される堤先生が、「よき市民を 育てる」という言葉に、並々ならぬこだわりを

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もち、会議の席でもたびたび発言されていた記 憶がある。この「よき市民」という言葉は、非 常に多くの大学の建学の精神や人材育成の目標 に見受けられるから、本学科もまたオーソドッ クスな文系型人材の育成を日指しているとも理 解できる。しかしながら、各大学のHPでは、「よ

き市民」という言葉は実に様々な文脈で用いら れていることから、市民という言葉が実に多様 な意味内容を含むものであることがわかる。

 だが、グローバル社会・高度情報社会・分野 横断型人材が求められる時代において、果たし て「よき市民」を育てることは、文系学部・大 学院に特異な目標といえるのだろうか。文系の 領域のみで、「よき市民」を育てることは可能 なのだろうか。そもそも「よき市民」とは何を 意味しているのだろうか。堤先生の退職記念と いうことで原稿を依頼されたことを奇貨とし て、本稿ではそのことについて検討し、高度情 報社会が目指すべき市民社会の在り方と、それ を実現していくべき市民の在り方についての考 察を試みたいと思う。

 本論ではまず、ニューヨークのロング・アイ ランド大学ブルックリン・キャンパスで教鞭を とったジョン・エーレンベルク氏と京都大学法 学部教授の河上倫逸氏、ハレ・ヴィッテンベル ク大学教授のマンフレート・リーデル氏の研究 に依拠して、古典古代及び近代における市民社 会および市民像の変化について考察する。ここ では、ヨーロッパ的な伝統と独立して現れた、

トクヴィルによる市民社会論も含めて、市民社 会に関する言説が歴史的にたどってきた経緯を 検討し、市民社会および市民について論じる際 のポイントが抽出される。次に、こうした論点 整理を基にして、金子郁容らの研究を依拠して 高度情報社会におる新しい市民社会の領域につ いて検討される。ここでは高度情報社会におい て初めて可能となったボランタリー経済を中心

に、金子らによる実証研究を基に目指すべき市 民社会の姿を検討した上で、2000年以降の日本 社会の変化を見据えながら、その理論的な展開 を図る。最後に、小生が2015年現在明星大学で 行っている様々な試みについて、高度情報社会 における市民像と関連させながら論じ、高度情 報社会の市民社会において求められる素養を備 えた市民の育成の意義と可能性を示すことにし

たい。

第二章 古典古代ギリシア・ローマの市民社会     論について

 現代の日本に暮らす我々は、市民社会という と何か非常に抽象的で、説明するのにいろいろ と考えてしまうものだが、古典古代の市民社会 は、具体的に示すことができるものだった。国 家といえばポリスであり、市民といえば戦士市 民。すなわち、重装歩兵としてポリスの防衛に 加わることが市民の条件だった。市民たるもの、

卑怯な振る舞いがあってはならず、死を恐れて はならず、誇りある存在でなければならない。

そうであればこそ、アテネでは、国の重要決定 には市民全員参加の権利がある民会での多数決 という形の、直接民主制が行われていたといえ

る。

 しかし注意しておかねばならないのは、この ころのギリシアの社会は貴族・平民・奴隷とい う構成であり、その中で「市民」は特別な身分 だったということである。さらに古代ギリシア においては、「市民」とは成年男子のみであった。

奴隷にはもちろんのこと、女性・在留外人には 参政権が認められていなかったのである。

第一節 プラトンの市民モデル

 ペロポネソス戦争を通してギリシアの政治哲 学が至った考えは、「共通善は公共的な討議に

よって見いだされ、公共的な活動によって実現

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高度情報社会における市民像について する」ということだった。そして哲学者プラト

ンは、道徳的共同体という包括的で公共的な生 活のための政治理論を初めて定式化する。彼は、

「合法的な旅力・権威・知は、それらが行使さ れる人々の幸福のためにのみ存在する。」「政治 的権力は、ポリスとその市民の幸福に奉仕する ために存在する。」そして、「市民社会は、国家 を組織する諸原理との関係においてのみ理解さ

れる。」とした。

 さて、プラトンにとっての最優先事項は国家 の統一を維持することだった。そのため彼は、

国家建設の目標を「国民の全体ができるだけ幸 福になること」としている。ただし、市民社会 は多様な個人から成り立っているので、これら の人々を統合するため、プラトンは自らの政 治・市民社会の理論の中心に、「自然的本性に 基づく社会的分業」を置いた。理性により社会 の各部分の性質がそれぞれふさわしい役割を果 たすように導き、各部分を全体の幸福に奉仕さ せること。それこそが彼の考える正義であった。

 しかし、一人一人の考え方そして生活様式は、

やはりそれぞれによって異なる。その人の属性 と置かれた条件により、人は異なった考え方、

そして生活様式を持つようになるからである。

そうした人々の全ての側面を統一することは事 実上不可能だ。アリストテレスはそう考えた。

そしてそれゆえ彼は、それらすべてに関連しそ れらを統合するための領域である政治を、諸領 域の中で最も包括的なものと考えたのである。

彼にとってポリスはすべての人間の目的の中で 最も完全で最上のものを目指すものであり、そ れゆえ、ポリスはすべての人間共同体の中で最

も包括的で至高のものだった。

第二節 アリストテレスの市民モデル

 アリストテレスは、市民社会が異質で多様性 に満ちたものであり、多様な市民たちの問には

55一 共通する唯一の超越的価値など存在しえない、

と考えた。その考察をもとに、彼は市民の要件 として、「自覚的な公共活動」と「道徳的な自 己決定」を置く。彼にとって市民性とは、善き 生活の探求を含む道徳的な概念であり、市民は 共同体全体の福利のために、自らの規則に従っ て生きなければならない。そして市民の目的は、

単に生きることではなく、「良く生きる」こと

とされた。

 市民はポリスにおける自由な人間であり、友 人や同僚とともに討議に参加し討議する人間で ある。公共的相互的活動に参加することによっ て、市民は道徳的に高められ、人格的に充足し ていくとされた。日々の労働から解放されてい る市民であればこそ、腐敗した物質的関心から 脱して自由に公共的問題に参加しうる。そして 奴隷は、主人を家庭労働から解放することによ って、主人の成長に貢献するものとされた。逆 に主人は、奴隷自身では獲得できない合理的思 考と道徳的指導を与えて、奴隷の成長に寄与す る。あらゆることが互いの果たす役割を認め合 い受け入れあう両者に依存するというのが、ア リストテレスの市民社会モデルであった。

第三節 市民モデルの社会背景

 古典古代の市民社会論を理解する際に重要な ことは、この時代には、経済事象が他の諸関係 から区別されておらず、経済が社会的組織形態 の中に「埋め込まれて」いたということである。

人々は、自分たちにとっての必需品を、市場制 度ではなく、宗教的・血縁的諸制度を通して入 手していた。経済の単位は「家庭」であり、生 産行為の全ては共同生活・生活維持のために行 われていて、余剰物はほとんど存在しなかった。

交換は村落においてだけ行われ、資本主義的な 市場は存在しなかった。それゆえ古典古代の市 民社会論は、市民社会を政治権力によって組織

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された共同社会とみなしていた。

 そうした彼らにとって、富の蓄積や市場経済 は、生産活動を道徳的目的と分離させる、由々 しきことだった。市場経済の発達は、それ以前 の道徳的秩序を破壊するだけでなく、社会の多 様性を増大させ、貧富の差の拡大をもたらし、

社会の腐敗をももたらす。そしてそれは、国家 の統一を危ういものにする。

 しかしアリストテレスは、そうした危険性を 認めた上でなお、私的利害の排除によってはい かなる公共的な目的も実現されないと確信して いた。ポリスは必然的に、多様な能力を持った 市民を求めるが、そのことが彼らをますます相 互依存させることになり、彼らの間での相互交 換が、より一層高度なよりよい生活を実現する

はずである。彼らの間で「共通善の実現」とい う価値観が分け持たれれば、善き公共生活を実 現できる。彼はそうした信念の下で、彼らの間 での社会的分業を正しくデザインし、人間活動 の一切の部分的諸領域を道徳的に成就させるた めに、政治学を理論化しようとしたのである。

第四節 ローマ時代の市民社会論

 さて、ローマ時代になると、少なくとも哲学 理論の上では、市民権は普遍化されていくこと

になる。後期ストア学派の人々は、市民社会が 孤立した原子から成り立っていて、原子の偶発 的な相互作用の共同体のためのいかなる自然的 な基礎も提供しないと考えた。すべての公共的 諸関係は全く「慣習的」なものであり、それは、

苦痛を和らげ幸福の障害となるものを取り除く 場合にのみ正当化されるというのである。こう して、ヘレニズムの市民社会は社会秩序の維持 が個人的幸福への私的な探求を活性化する際 の、一つの技術とのみ捉えられた。

 ただし、ストア派の凡ての思想家たちが、人 問は社会生活のために作られた理性的動物だと

いう考え方を持っていたことには、重要な意味 があった。この考え方にもとづけば、世界全体 が市民的共同体であり、市民的共同体において、

生きとし生けるものは、すべて理性によって構 成される調和的統一を分けもつことになるから である。彼らによって、人間一般は、理性的同 胞として扱われ、また、人為的な社会的障壁を 除去する普遍的な市民社会の共通の構成員にさ れることになった。これは市民から女性・奴 隷・子ども・在住の異邦人・アテネ外に住む 人々などを排除した、アリストテレスの考え方

とは全く異なっている。

 キケロにとっては、市民社会は文明を可能に する政治権力の組織であり、法はその基本的な 組織原理であった。プラトンの市民社会が社会 的分業に依存し、アリストテレスの市民社会が 多様な自然的道徳的能力によって構成されてい たとすれば、キケロの市民社会は、自然と調和 し、人間の歴史とは独立に存在し、宇宙を秩序 付ける正しき理性を共有する人間の、普遍的な 能力にもとつくものだった。彼は、私的利害と 私的判断の世界に固有なカオスは、理性の原理 に従って市民社会を組織することにより克服で きると考えたのであった。

第五節 ローマ時代の市民権の現実的な限界  さて、ローマの市民であるということは、対 内的には軍の編成の基礎であり、かつローマ市 民法の適用を受ける特権を持っているというこ とだった。これはつまり、自分の権利が侵害さ れたときに、裁判所に行って、自分の権利の保 護を求めることができることを意味していた。

しかしここで注意しておかねばならないのは、

ローマ法がローマ市民の法であり、言語・習俗 と一体化した法であったということである。従 ってローマ法は、ローマ市民の生活秩序に根差 し、ローマ人の言葉で記されていた。

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高度情報社会における市民像について  たとえばローマの法は「盗まれた樹木」を理

由とした訴訟を認めていたが、原告は規定され ている通りの問答形式に従って、訴訟を裁判所 に申し出る必要があった。この問答形式は、神 官の文庫の中に保管されており、この「秘密の 文言」は、市民だけに伝えられていたのである。

したがってローマ時代の裁判は、ラテン語を解 さない人々には用いられようがなかった。そう いう状況を変えるために、被解放奴隷の出自で あったグネウス・フビラウスは、この問答形式 を規定した雛形を盗み出し、公開する。非市民 が自らの権利を守れるよう、裁判に訴えられる ようにしようとしたのである。しかしながら、

多くの非市民にはそれが読めなかったし、さら には必要な知識や資力が欠けていたので、ロー マ市民の法の恩恵を受けられる人々の範囲は、

期待されたほどには拡大しなかった。

 つまり、キケロをはじめとする哲学者がいか に市民権の普遍化を論じ、帝国の拡大の結果市 民権が多くの人に与えられても、言語と習俗の 壁のために、市民権を行使できる人は大幅に限 定されていたのである。

第三章 近代の市民社会論について

 近代においては、市民社会はもはや、ローマ 時代のような「普遍的な共同社会」としてでは なく、私的財産・私的利害・政治的民主主義・

法治主義・繁栄を目指す経済秩序として理解さ れるようになる。貨幣を介した市場経済の拡大 によって、市民社会が、政治ではなく経済の関 係で理解されるようになったからである。近代 の思想家たちにとっては、人間社会の自然状態 をどう捉えるか、そして、家族・市民社会・国 家はどうあるべきかが、重要な問題となった。

フランス革命は、そうした思想家たちに大きな 衝撃を与えたが、その検証を経て、市民社会に ついての議論は大きく発展することになる

第一節 ロックの市民社会論

57一

 イギリスのジョン・ロックは、自由・労働・

交換・所有が自然状態において存在したと想定 し、それに基づいて、国家に先立って存在する 人間の活動領域から、市民社会のモデルを導き 出した。ロックによれば、私的占有が自然にお ける人間の権利であり、自然状態において人間 は完全に自由な状態であって、かつその権利を 行使できる完全に平等な状態にある。しかし、

「裁定者」がいない状況では、私的な利害にも とつく争いを調停できる者がいないため、利害 対立による敵意・悪意・暴力そして相互破壊を 招くことになる。それゆえ、個人が所有権を守

るためには、それぞれの持つ執行権を引き取り、

公正な裁判を実現できる国家及び市民社会を構 築することが必要である。これが、ロックの市 民社会論の根幹をなす考え方であった。

 ロックにとっては、市民社会と国家は、とも に所有権を擁護するために存在するものであ

り、これにより、文明は、私的利害に起因する 無政府状態を克服することができる。その際の ポイントは、共通の法・公平な裁判官・強制権 力であり、国家権力と法の支配があればこそ、

人々は個人的自由と相互的な安全の中で、私的 利害を追求することができる。ロックにとって、

それまでの市民社会論で重要視されていた「共 通善」は、まさに私的利害の保護そのものだっ た。こうして市民社会論の中心的な議題が、そ の経済的側面に移されることになる。ロックの 市民社会論は、私的利害を追求する諸個人が、

互いに殺しあうことなく競争し利害を追求でき る場として、市民社会の構想を提示したところ にあるといえよう。

 これは、古典古代の市民社会論からの、大き な変化であった。

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第二節 ファガーソンの市民社会論

 国家旅力と法の支配があったとしても、人々 の問の私的利害の衝突は、なくなるわけではな い。貧欲・無慈悲・無情が支配する市民社会は 経済的・政治的不平等そして恣意的な権力の行 使を生み、格差の拡大は社会的統合を危うくさ せるから、そんな社会が安定的に繁栄すること は難しい。そう考えたファガーソンは、社会的 紐帯に着目し、市民社会を内而的な道徳感情に 基礎づけることによって、恣意的な政治権力を 制限し、私的利害の衝突を緩和しようとした。

人間はとりわけ道徳的存在であり、親切心・相 互扶助・仁愛が人間の相互行為の特徴である。

人間には、他人の立場に身を置いてその人の目 で世界を眺める一般的能力、すなわち「同胞感 情」がある。これにより、人は他者の生活にか かわるだけでなく、市民社会との調停において 道徳的判断が可能となる。

 ファガーソンはロックと異なり、市民社会や 国家の契約を否定した。市民社会の繁栄と自由 が、経済的・政治的不平等と見合うものであっ たとしても、それは市民自身の意図的な決定の 結,果ではない。いかなる道徳的な進歩も人々の 利害関係に起因するものに過ぎず、そうした条 件の下での討議や合理性に期待しすぎることは 危険である。それにもかかわらず経済的繁栄が 実現されたとしたら、それは、市民社会に明示

されている諸規則と同程度に、市民に内面化さ れた道徳性と社会性があるからだ。ファガーソ

ンはそう考えた。

 ファガーソンが活躍した時代には、市民社会 はすでに、道徳的・市民生活の基盤というより も、むしろ富を生み出すメカニズムになりつつ あった。彼は市場主義全盛の始まりに立ち会い、

市場主義の原理が社会の隅々までいきわたる道 徳的共同体を予想した。彼は、「愛情の結びつき」

こそが永続的な社会生活の唯一の基盤であると 信じていたが、道徳的な結びつきでは市場の圧 力に抵抗できないことも認識していた。文明化

も行き過ぎると、私的利害と社会的分業によっ て人々が分断されてしまう。多くの人々が市民 社会を富の蓄積の場とみなすにつれ、公共性に は耐えがたい腐敗・独裁制・無関心など、様々 な社会問題が発生する。彼はそのことを憂慮し ていたのである。

第三節 アダム・スミスの市民社会論

 アダム・スミスの市民社会論は、重商主義の 破綻・市場の拡張・近代初期の大規模工業生産 の出現への注目から始まる。その過程でスミス は、国家とは別個に市場によって組織される私 的利害の領域という、近代的な市民社会概念を

提起した。

 スミスは社会的分業と道徳的改善を彼の市民 社会論に組み込むことで、市場が各人の能力を 交換によって結びつけ、それが生産を増大させ、

その結果社会全体が豊かになる。そして生産物 は、同じく市場を通した等価交換により、国民 の様々な階級の間に自然に分配されるとした。

 スミスによれば、いまや分業によって成立し 市場によって組織される市民社会は、自由な諸 個人の自発的な交換行為を完全に文明生活の実 態へと変容させる。私的利害を追求する諸個人 の相互行為は、市場のメカニズムによって、地 主・賃金労働者・資本家からなる新たな社会秩 序に転換される。旧来の社会的身分はスミスの 説明から消え、農業・製造業・貿易を中心に組 織される、近代的な三大社会階級に置き換えら れた。そしてスミスは、自己調整的な市場が経 済発展と繁栄の永久的な原動力であることを明 確にする。およそ人間である限り、「暮らしを より良いものにしよう」という願いがあり、こ の不満足は人間が生きている限り、永久に続く。

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高度情報社会における市民像について だとすれば、その思いは、道徳的・経済的進歩

の決定的な要因となる。こうして、人々は必要 性から交換するというスミスの最初の見解は、

出来るだけ多く獲得するという自然な欲求へと 展開することになる。スミスは市場主導の市民 社会論を展開し、共通善や道徳感情によらず、

その自動作用のみによって、私的利害の追及が 公共の利益の条件となることを示した。スミス は、意図せざる結果の論理によって、個人的動 機と社会全体にとっての結果を結びつけたので ある。その結果として各人の私的利害の追及が

「諸国民の富」をもたらし、市場が私的悪徳を 公共的特性として要約する。こうして、近代的 市民社会が誕生したのである。スミスの市民社 会の中心にある市場は、私的な選択によって相 互に結び付く独立した諸個人からなる、自己調 整的なネットワークだった。

 ただしスミスが、市場によってすべての社会 的障害が除去できるとは信じていなかったとい うことには、留意しておきたい。スミスは政府 に、三つの重要な任務を求めた。その一つは国 防であり、二つは公正厳格な司法制度であり、

三つは社会財を構築するための公共事業であ る。彼はまた、また、市民社会の矛盾をはらん だ論理が労働者を非人間化させ、社会的進歩の 条件を阻害することも、そして「進歩した文明 社会ではどこでも」労働者の堕落があることも 認識していた。彼はこうしたことについて、政 府が何か防止の労を取る必要があるとしてい る。但し、近代的経済関係と政治関係に適合す る十九世紀的市民社会論の登場には、フランス 革命という破壊的なプロセスと、工業生産とい

う新しい世界を待たねばならなかった。

第四節 カントの市民社会論

 カントは、スミスとは対極に、すべての人間 を結びつける本性的な道徳的義務観念によって

59一 市民社会を根拠づけようとした。人間は神によ

らずとも、自らの理性で何が正しいかを理解す ることができ、それ故に道徳的に自由といえる。

そして、私的利害がどれほど追及されるとして も、道徳的格率は人間的精神の本能的能力であ る。人は、自分たちの実際生活での道徳的関心 を他人に対する一連の自己立法的な義務として 表現し、他人も正当である以外の理由を持たな い明確な行為を必要とする。義務をこのように 理解することによって、他人を自己の私的利害 を満たす手段として扱う野蛮を克服できる。カ ントの市民社会は、道徳的共同体であった。カ ントは道徳を政治から導き出すのではなく、政 治を道徳に根拠づけようとした。そう、彼が目 指したのは、正義の政治だった。

 彼は、公共的審議と討論そして決定の完全な 基準だけが、普遍的妥当性に接近する道徳律の 内容を形成するとした。そして人々は普遍的な 同意を受けることができる道徳律にのみ服する という基本的権利を持っており、このことが公 共性を用意する。成人であることは「すべてに おいて理性を公的に使川する自由」を必要とし、

それによって他人を前提した生活ができる。カ ントが市民に求める条件は、厳格であった。

 その一方で、カントは人間の心に潜む「根本 悪」を絶えず意識していた。その上で彼は、自 然・感情・経験が道徳に資するのは、それらが 直接的欲望を超えた広い視野に統合される場合 のみだとした。公共性においてだけ、「理性の 法廷」が直接的経験の限定性を克服し、自由な 諸制度が啓蒙に奉仕し、そして思想を万人のも のにする。市民社会において、思想を普遍的な 観点から批判的に検討し公共的なものへと昇華 する場・システムそしてプロセスのことを、カ

ントは特に公共圏と呼んだのであった。

 彼の定言命法が市民社会の人々の道徳生活に

般的に適用されることになれば、市民はその

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維持を国家に要請することになる。市民社会は、

参加にもとづき他人の意思からの自由を保証す るが、自己中心的人間は自らの自由を乱用し、

その結果として市民社会は危機に陥る。これを 回避するためには、各人の自由の乱用を抑止し、

各人を普遍的な意志に服することを強要するよ うな権力が必要である。カントによれば、こう した自由と自律が市民の自己立法能力となる。

それによって彼ら自身が立法者となり、彼らは 国家を主体的に構成することになる。そしてこ うした国家では、機会の均等・選挙権・法の支 配・権力分立・立憲政治などが要請される、と

された。

 カントは定言命法から道徳的要請の政治的等 価物として、自由・平等・独立という原理を導 き出し、それをもとに市民社会を構想した。市 民社会は自由な公共圏を意味し、そこでこそ、

法治的共和国の諸制度を媒介して、個人性と普 遍性、敵対性と同胞性が調和できるとした。市 民社会は、彼にとって、社会において道徳性を 機能させるための、不可欠な要素だったのであ

る。

第五節 フランス革命と市民社会

 フランス革命は、市民社会と国家を、理性に 基づいて再編成できることを示した、歴史的な 社会実験だった。革命後の政治は、社会的・政 治的制度に諸個人の自由や利害を反映させる試 みであり、近代国家を経済過程から分離させる 試みであり、個人の解放に向けた試みであった。

それまでフランスを支配していたヒエラルヒー が破壊され、多くの中間集団が消滅し、第三身 分も廃止された。そして、全ての市民に「生ま れによる差別のない平等」が、宣言されたので ある。国家は共同体全体の代表・普遍的な価値 の担い手となり、直接市民に奉仕する存在とな

った。

 フランス革命は強固な中央集権制度の発展と 法の前の平等を促進したが、それは経済からの 政治の形式的分離をもたらし、近代の普遍国家 と特殊的市民を出現させ、その結果、実質的な 経済的・社会的不平等は拡大した。市民社会は、

政治的統制から自由となり、所有と利害の領域 として発展したが、その一方で、市場が政治的 平等を経済的不平等に転換したのであった。カ ント哲学を標膀するドイツの思想家にとって、

革命は自らの道徳的発展の白律的主体としての 人間の出現の宣言であった。フランス革命は、

ルターの告げた内面的自由を、自由な理性的活 動という形で具体化したと理解された。それゆ え人々は、革命当初は、理性の要請に従って世 界を再編すれば、自由を獲得することができる、

と期待したのであった。

第六節 ヘーゲルの市民社会論

 ヘーゲルもまた、フランス革命を新時代の夜 明けと捉えた。彼によれば、フランス革命の世 界史的重要性は、それが初めて、自由を社会と 国家の原理的・自覚的日的としたところにあ る。彼は、この革命により初めて、われわれが 自由の条件の下で理性にもとづき生活すること が可能となった、とまで評価したのであった。

 ヘーゲルは人間の生活圏を、家族・市民社 会・国家という、三つの領域に分けた。彼によ れば、これら三つの領域は、道徳的発展の異な った構造であり、自由の不可分離的な諸契機で ある。この中で特に市民社会は、家族という基 本的だが限定された倫理的契機の「否定態」で あった。家族が自制と統合によって構成される のに対して、市民社会は競争と特殊性における 倫理的生活である。私的利害を持った市民たち の行動は自分たちの欲望の充足のために、他人 を絶えず自分たちの目的の手段として扱おうと する。しかし、そのことが倫理的生活の諸条件

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}㌧Carch 2016 高度情報社会における市民像について を侵害するとしても、そこでの相互的利己性は

依然として倫理的共同体の基礎を形成できる と、ヘーゲルはいう。家族がその成員を共同性 によって統一するところであるのに対し、市民 社会ではその成員が差異性によって区分され る。そこでは諸個人は利己的にそして相互に道 具的にふるまわざるを得ないが、と同時に彼ら は、相互の必要を充足させざるを得ず、相互の 利害を促進せざるを得ず、そして永続的な社会 関係を築かざるを得ない。こうして「神の見え ざる手」は、利己性を啓蒙に向かわせ、エゴイ ストを自覚的な尊敬すべき市民社会の成員に転 換させる。そう、市民社会が倫理的生活の高次 な領域であるのは、家族生活を崩壊させる相違 性を調整でき、個人と競争によって刻印される 近代的独自性を創出するからであった。

 さて、経済人が活動し、私的利害によって組 織されることにより、中世的な特殊主義・特 権・不平等から解放された近代における市民社 会は、繁栄していくことになる。最初の段階で

は自らの私的利害のみを探求していた市民も、

国家から離反し社会関係の網の目を形成するに つれ、新しい社会関係に結びつけられていく。

こうして自給自足経済は終焉し、市場に組織さ れた市民社会が組織されていった。

 ただしヘーゲルは、市民社会の致命的欠陥に も気が付いていた。市民社会における欲望の無 限増殖は、過剰な富と過剰な貧困、すなわち不 平等を発生させることになる。そして、利己的 所有者たちがもたらすこの状態は、市民社会が

白ら解決することは不可能であり、その解決の ためには、より高次な倫理的なカテゴリーが、

市民社会の市場論理の外側に発見されなければ ならない。そのためにヘーゲルが要請したのが、

「国家」であった。

 ヘーゲルにとって国家は、市民社会の敵対性 を調停して、最も広い意味で人間の普遍的利害

61一 を包含するものであり、特殊利害を調和して歴 史における精神の歩みを完成させるものであっ た。ヘーゲルによれば、国家は市民社会の依存 性を相互依存性に転換することによって、人間

を救済する。国家の普遍性は、市民社会の個人 主義の倫理的可能性を完成させ、自律性を保証

し、自由を擁護する。こうして国家は、市民社 会の利己的個人を文明に適合させるものとされ た。私的利害に狂奔する市民社会の「ブルジョ ア的人間」を前にして、ヘーゲルの世界精神は、

結果的に、反動的なプロシアの官僚制に立ち至 ってしまったことになる。

第七節 マルクスの市民社会論

 マルクスは、国家を「欲望の体系」から切り 離そうとするヘーゲルの限界を発見し、ヘーゲ ル批判を唯物論的方向に推し進め、市民社会を 物質的過程において根拠づけた。分裂状態に置 かれた後進国ドイッでは、社会的「地位」が「品 性」と「学問」に取って代わり、官僚制は「す べての市民のための国法」への奉仕に代わり、

「党派闘争」の武器となりつつあった。恣意的 な検閲制度や経済統制の拡大により、国家は市 民社会から独立したとはいえず、現実の国家が ヘーゲルの規定した機能を果たしえないことは 明らかであった。そうであってみれば、今度は 市民社会自体が、民主化されなければならない。

これがマルクスの、重大な発見であった。私的 事象の政治からの分離は、市民社会から国家を 解放した。しかし、新たに解放された市民社会 は大きな限界があるものであって、マルクスに とっては民主化されたものとはいえなかったの である。こうしてマルクスは、市民社会自体を 民主的活動の対象に設定することになる。そし て「真に人間的な開放」の主体として彼が設定

したのが、プロレタリァートであった。

 マルクスは「資本論』において、ブルジョア

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的市民社会を徹底的に分析した。彼は、商品が 社会的諸過程を組み込み、市場が階級関係を創 出し編成する状況の下では、市場が賃労働・商 品生産と交換・利潤の最大化・資本蓄積の論理 によって展開するとした。市場は空前の全体化 能力を保持し、商品形態は市民社会の隅から隅 までも貫徹する。そして、資本は経済とともに 政治をも支配し、国家活動と密接に関係してい る。したがって、市民社会を民主化する一切の 努力は、国家権力の民主化を必要とする。こう して、労働者革命の究極的な成果は社会変革で あるが、その直接的な目的は国家権力の奪取と 行使、ということになる。彼は革命が進むにつ れて階級差別が消滅し、公的権力はその政治的 性格を失うとし、革命を通して、階級と階級の 上に立つ旧ブルジョア的市民社会に代わり、各 人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であ るような一つの協同体が現れる、とした。しか し、かつて存在した、そして今も存在する共産 主義国や社会主義国の現実を見れば、そのよう なことを達成することが極めて困難であること は、今更証明するまでもないことであろう。

第四章 近代の市民社会論の第三の系譜につい     て

 二章・三章で検討したとおり、前近代の市民 社会の理論家たちは、経済的事象を市民社会に 対する脅威として捉えていたため、商業と交易 は社会生活を結びつける紐帯を破壊するものと された。これに対して、近代の市民社会論は、

市場こそ市民社会そのものである、という理解 から出発し、展開する。その一方、多くの現代 市民社会理論の基準をなすトクヴィルの理論 は、市民社会を個人と国家のあいだに位置する 自主的団体とその活動の中間領域としてとらえ るものであった。そしてその源流は、モンテス キューによる「集権化する君主制に対する懸

念」、ルソーの「親密的で小規模な共和国の希 求」、パークの「フランス革命に対する批判」

にあった。

第一節 モンテスキューの市民社会論

 モンテスキューは、国家と社会が一体化して いたギリシア時代の、アリストテレスの理想を 実現することを目標として、市民社会論を構想

した。彼は統治形態を、古代の類型に倣って、

「共和国」「君主制」「専制」の三つに区分する。

このうち専制の下では、中央集権を分散化する 中間諸制度が存在せず、支配者と民衆の間に何 も存在しないから、すべての人間が国王の意志 の奴隷となり、恐怖と法なき強制によって支配 されることになる。専制君主はそれぞれの地域 の事情を知らず、どこでも同一の均一化した態 度で統治するから、人々の自由と地域の安定が 脅かされることになる。これに対して、思慮あ

る君主制は、中間団体の存在に依拠しており、

これら中間団体との間で富と権力が分散化され るから、地方的特権や社会的相違性が維持でき る。そして君主は、地域ごとに異なる複雑な市 民社会の事情に配慮することが政治全体を健全 にするために不可欠であることを理解し、彼ら によって課される権力の限定を受け入れること ができる。こうしてモンテスキューは、史上初 めて、市民社会の中心に中lll]諸団体を位置づけ たのであった。

 ただし彼の論理は、自由に奉仕する中間集団 の連合を組織することにより、共和制の徳と君 主制の権力とを結び付けて、内側からの腐敗と 外側からの征服に抗するために構築されたので あって、彼自身が民主主義者だったわけではな いことには、注意しておく必要がある。彼は、

出生や富、名誉などの点で優れた人々は、その 優れた能力を政治に反映させられるよう、その 他の人々よりも優遇されるべきと考えていた。

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March 2016

高度情報社会における市民像について 民主主義者たちの貴族制に対する敵意は、モン

テスキューの考える「自由」への脅威だった。

モンテスキューは中間集団を擁護したが、それ は彼ら優れた能力を持つ人々が、その意思を立 法に反映させるための基盤であって、彼にとっ ては、これを文化によって支え法によって守る ことが、自由を守るために必要だったのである。

 しかし、こうした中間集団論は、当時の社会 状況の下で、貴族の利益のみを利する結果とな った。このため、新たな市民社会論が構想され

ることになる。

第二節 ルソーの市民社会論

 ルソーはモンテスキューのように貴族を擁護 せず、その代わりに、社会的相互作用の緊密な 網の目にもとつくことによって自立を確保す る、道徳的な市民社会を構想した。ルソーの言 う社会的紐帯は、自然状態において人間が置か れている孤立を解決する共同体を形成するため に、本来自由であるはずの諸個人が、社会契約 を通じて自主的に共同体の権力に服することに よって成立する。彼はそれによってできる市民 社会が、道徳的秩序を備えたものになると考え た。「人間は自由なものとして生まれた、しか

しいたるところで鎖につながれている」とルソ

は言った。しかし人間は、社会契約を通して 市民社会を形成し、一般意思によって導かれた 法によって支配される共同体に所属することに より、全体の幸福を実現することができる。そ してそれこそが、個人のもっとも真実の目的を 実現することを可能にする。これがルソーの考

え方であった。

 但し、ルソーが道徳的基盤になると確信して いたものは、比較的小規模で・!ji.一的で・親密 な共同体にすぎなかった。しかし国家が大きく なればなるほど、市民社会が創出する利害が多 くなればなるほど、市民社会は危機に陥ること

63一 になる。私利私害をもっている市民たちからな る市民社会は、それだけ、分裂の脅威に晒され るからである。そして彼が道徳的基盤になると 考えた自由な公共的市民からなる市民社会は、

小規模で親密な共同体であるが、その道徳的力 は党派や中間団体とは相いれないものだった。

ルソーはそうした団体の独立性と文明性を、「一 般意思」という概念によって媒介させようとし たが、論理的な飛躍は明らかであった。

 彼の市民社会論には、いまだ多くの問題点が 残されていたことになる。

第三節 バークの市民社会論

 フランス革命を批判する立場から、中間集団 への注目を行ったのが、バークであった。

 バークはイギリスの名誉革命とフランス革命 を比較し、イギリス人が慣習と歴史の力を理解 した上で伝統的な慣習・実践・制度を尊重した のに対し、フランス革命は暴力革命であって、

市民社会の創造的な再生産能力への攻撃であ り、均一化・集権化・平等などというものは、

市民社会を支えるのではなく破壊するものだと 批判したのである。

 彼にとっては、市民社会はもともと、社会諸 集団間の相補的関係によって梼成されており、

その相互の適合性は深く歴史に根差している。

市民社会はそもそも不平等によって構成された ものであって、アンシャン・レジームの政治的 諸制度においては、安定・秩序・伝統・監修・

財産・宗教などが安定した市民社会の基盤を構 成していたが、パークによれば、それはフラン ス人にとって十分ふさわしい機構であって、こ うしたものこそ中間集団によって構成され擁護 されるべきだったのである。

 彼にかかっては、フランス革命は現実の不平 等を一層深刻にし、現存制度を抽象的なカテゴ リーによって強制的に置き換えようとする破滅

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的な行為であって、フランス人に多大な苦痛を もたらしただけのものであった。たとえ多くの 改革が必要であっても、アンシャン・レジーム の議会や法廷は、法に基づいて運営されていた のであり、フランスの中間諸団体は、慣習・伝 統・地域権力の名のもとに、市民社会を維持で

きたはずだからである。

 ルソーのいう「一般意思」が、プラトンの共 通善と同じく、きわめて抽象的で期待をはらん だ概念であり、その市民社会論に論理的な問題 が残されていたことへの着目。そしてフランス 革命後の、フランス国内の大きな政治的混乱と、

そうした混乱を抑えて革命を成し遂げたイギリ ス人への憧憬が、バークをしてアンシャン・レ ジームの擁護ともいえる市民社会論を唱えさせ た、ということであろうか。あるいは、当時の 社会において、それほどまでに大衆は獲猛で教 養がなく、理性的な判断も社会貢献もできない 存在とみなされていた、ということであろうか。

第四節 トクヴィルの市民社会論

 現代の市民社会論に大きな影響力を持つトク ヴィルは、本来は貴族主義者であり、当初は経 済的平等や社会的平等の危険性を重視すべきで あると考えていた。しかし、アメリカの現実を 理解するにつれ、彼は市民社会の理論を、個人

と国家を媒介する中間団体の領域として構築す る方向に舵を切った。

 フランス人のトクヴィルには、当時のアメリ カにおける「国家の脆弱性」が、実に衝撃的な ものに見えた。アメリカ人は、自らの住む町々 で、アテネの民主制と伝統的共和制を実践して いるように見えた。そしてアメリカ人は、あら ゆる世代、諸階層そして様々な性向からなる中 間集団を形成していた。それらの中間集団には 商業及び製造業に加えて、宗教、道徳をはじめ とした大小無数の団体が存在した。アメリカ人

は、娯楽を生み出し、神学校を創立し、ホテル を建造し、協会を設立し、書物を普及させ、遠 隔地まで宣教師を派遣するために、中問団体を 作っていたのである。これは、イギリスともフ ランスとも違う、アメリカ独特のものであった。

そう、アメリカ人は、自主的な中間集団によっ て市民の活動を刺激し、私的利害をコミュニテ ィの福祉と結びつけることに成功していたので ある。そしてトクヴィルは、こうした自主的諸 団体こそが、私的利害と共通善を統合すると考 えた。このようにして実現する無数の小事業こ そ、あらゆる政治権力がなしえない、民主的な 政治の実現形態ではないのか。それこそが彼の 市民社会論の、中心的問題だった。

 トクヴィルはアメリカにおいて、ヨーロッパ では実現しなかった市民社会の姿を見た。アメ リカでは、政治の責任は政治的領域に限定され、

市民社会は政治経済現象とは独立の自主的団体 に占められている。そこで市民社会は貴族制に 代わる「平等な人々による中間団体」を生み出

し、その過程において民主主義国家の脅威を緩 和していた。フランス人であるトクヴィルには、

アメリカ人が、「心の中で唯一の不動点のよう なものとしてあらわれている私的利害に正義の 観念を結びつける」という恐るべき偉業を成し 遂げているように見えた。トクヴィルの分析に よれば、平等・商業・民主主義という新しい状 況における自由・卓越・徳などの発見は、アメ リカ人が確立した様々な制度、すなわち、タウ ン・ミーティング・出版の自由・間接選挙・連 邦制度・独立裁判所・教会と国家の分離・様々 な独立的諸団体などに基づいていた。アメリカ 人たちは、平等主義的で普遍主義的な民主主義 国家を抑制する方法を、ヨーロッパに教えるこ とができるはずだ。トクヴィルはそこまで考え ていたのであった。

 こうしてトクヴィルにより、貴族によらない

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March 2016

高度情報社会における市民像について 中間集団に基づく市民社会論が確立したが、し

かし彼が市場を彼の体系から排除したことに は、注意しておく必要がある。それは彼が設定

したアメリカ的な諸階層の平等性という前提 が、経済事象に対する民主主義的批判を排除し たからである。しかし、このような前提は1830 年の時点でも当然問題があり、今日においては 猶更、大きな問題をはらんでいるといえよう。

第五章 高度情報社会の市民社会について  アダム・スミス流の市民社会が布場の失敗・

政府の失敗により破綻し、マルクス流の市民社 会が社会主義国・共産主義国の崩壊により失敗 し、また、トクヴィル流の市民社会が地域の権 力構造や経済格差の影響を受けるもので、彼が 前提とした条件自体が成り立たないとわかった 現在、我々は次の市民社会をどのように構想し、

それを担う市民をどのように育てていけばよい

のだろうか。

 エーレンベルクが『市民社会論一歴史的・批 判的考察一』を執筆した1999年から16年が過ぎ た今、日本はガルブレイスのいうところの「豊 かな社会」を実現したのち、福祉政策や公共事 業による財政赤字の拡大と、グローバル化や高 度情報化、新自由主義や男女平等参画など、さ

まざまな要因により、格差社会・女性の貧困・

子供の貧困などが問題とされるようになってい る。本章ではそのことを踏まえた上で古典古代 及び近世の市民社会論と、金子郁容らの研究を 参考にしながら、高度情報社会における市民社 会像および市民像のアウトラインについて論じ

ていきたい。

第一節 新しい市民社会を論じる際の要件とは  まずは、古典古代及び近代の市民社会論をも とに、市民社会を論じる際のポイントについて、

整理しておこう。

65一  古典古代のギリシアにおける市民社会は政治 的なものであり、経済は家族単位で社会の中に 組み込まれていたから貧富の差は少なく、国家

は都市と同一でその範囲は狭く、直接民主制が 実現していた。市民は文化・慣習・言語を同じ くし、その身分を持つものは有事に戦士として 闘うことが義務付けられていた。当時は貴族・

平民・奴隷の別があり、市民と認められるのは 家長のみだった。市民社会は「国家の統一」を 至上目的として論じられ、多様な市民による社 会的分業とともに、「共通善」の実現に向けて の努力が求められた。

 近代になると、市場経済の発展とともに市民 社会は経済的なものと理解されるようになり、

貧富の差の拡大と社会システムの安定性の両立 が問題とされたが、アダム・スミスの国富論は

「神の見えざる手」を設定することで、市場に おける個々人の利潤の追求が人々の生活を豊か にし、市場における交換が富を社会の隅々にま でいきわたらせるとした。市民社会が共有すべ

きものとして「一般意思」が設定され、市民同 士の討議を通した合意形成の場として「公共圏」

が設定されたが、市場社会は「欲望の体系」で あるから国家による管理が必要であるとか、階 級格差が拡大する市民社会自体を解放すべき、

などの主張がなされることになる。

 その一方、トクヴィルによって新天地アメリ カにおいては、市民自身が共通の関心に基づい て中間集団を形成し、社会問題の解決を行って いることが示される。しかしながら、こうした 主張は、現実に存在する経済格差を無視し、市 民すべてが平等に発言権を持つ討議が成立する

としたところに問題があり、格差の拡大した今 日では批判的な検詞が必要である。

 市民および市民社会という同じ言葉が示す内 容は、時代・地域をはじめとした、様々な条件

によって異なっている。また、市民そのものが

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