斎宮歴史博物館蔵伊勢物語図屏風について : 第百 二十一段を中心に
著者 木戸 久二子
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 13
ページ 47‑58
発行年 2002‑06‑23
URL http://hdl.handle.net/10076/6590
斎宮歴史博物館蔵伊勢物語図犀風について
第百二十一段を中心に
木戸久二子
はじめに
三重県多気郡明和町の国史跡斎宮跡に斎宮歴史博物館が開館 したのは、一九八九年十月のことである。館蔵の文献・美術資
料は百七十点余、本稿ではその中から、伊勢物語図屏風(以下、 「屏風」と略称する)を取り上げる。まずは、F館蔵資料目録』
(注こ中の記述を抜粋し、看誌についてまとめてみよう。
目録番号三十三、登銀番号百六十八、伊勢物語図屏風、紙
本署色六曲一双、江戸中期、縦一四大・〇センチ、横三六
六・〇センチ。平成二年三月三十日収蔵。
「金雲をなびかせた中に有名な場面を配したもの」で、「画
風には浮世絵のような平俗感があり、成立は18世紀まで下が
る可能性が高」く(注二)、「樹木や自然景観に狩野派的な技法
が見られ、人物は岩佐又兵衛にも少し似た面長な表現で描かれ るなど、土佐派的な保守性にこだわらないもの」だということ である(些ニ)。また、「各図の構図は嵯峨本に拠りながら、風 景と屋台を均衡よく配し、各図の界を金箔のすやり霞で区切っ て、画面全体が安定よくまとめられている」(注四)とも指摘さ れている。
『伊勢物語』全百二十玉章段のうち、右隻は第一段から第四 十五段までの中から十九章琴一十四場面、左隻は第四十九段か ら第百二十一段までの中から二十三幸壁一十四場面を選び、そ
れぞれ、右端から縦にほとんど段序通りに描かれている。
以下、措かれた章段と場面を、右隻から順を追って紹介して
いく。慶長十三年〓六〇八)に刊行され、以後の『伊勢物
語』絵に大きな影響を与えた嵯峨本(注五)との違いについて
は、適宜言及する。なお、本号巻頭に写真を掲載した。以下、
それを口絵と称する(写真は斎宮歴史博物館提供による)。
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右隻
右隻の右上から、第一扇は次の通りである(口絵参照)。
第一段(春日の里)室内に姉妹、章子縁に女房一人が座っ
ている。垣の外では、応対に出た女に昔男が歌を渡すとこ
ろ。昔男の後ろには童が控え、鹿が三頭見える。嵯峨本挿
絵に比較すると、壇が左により、昔男と女の位置が逆にな
っている。また、童と鹿一頭が描き足されている。 夢二段(ひじき藻)女のもとへ童がひじき藻を届ける易面。
画面左の室内に女と女房が座っている。賃子縁に女房が立
ち、箱を持った童は庭に立つ。しかし、箱の中にひじき藻
らしきものは見えない。壇の外には昔男と童、昔男に傘を
さしかける従者。嵯峨本ではひじき藻を受け取る女房・渡
す童ともに座っていて、昔男たちの姿はなく、画面奥の室
内の女はすでに手紙を手にして読んでいる。
第四段(西の対)章子縁に座った昔男が、高欄の上に乗り
出すようにして月を眺めている場面。庭に梅、空には月。
第二・三・四扇は、段序が少し前後する。第三・四扇の上端
に富士山を置き、第八段・九段の東下りと第十二段の武蔵野を
その下にまとめたためである。以下、段序を追って見ていく。
まず、第二扇は上から次の通りである。
第五段(関守)門前の敷物に座り、警戒しながら居眠りす
る家人二人と武士一人。画面奥の垣に崩れが見える。嵯峨 本とは左右が逆。また、嵯峨本では開いていた門が「屏 風」では閉まっている。 第六段(芥川)盗み出した女を背負って芥川のほとりまで やって来た昔男。男も女も幸せそうな顔をしている。 第七段(かへる浪)伊勢と尾張の境の海辺に立って浪を眺 める昔男。右袖で口元を覆っている。童と傘を持った白丁 がつき従う。嵯峨本では昔男は頬杖をついて座り、脱いだ 沓が見える。また、傍らに座るのは白丁ではない普通の従 者で、童はいない。 第二扇の一番下は第十四段になっているので、第三扇に移る。
第八段(浅間の嶽)煙の立つ浅間の嶽を眺める昔男。昔男
の後ろには馬と男三人。嵯峨本の昔男は馬に乗っている。
第九段の一(八橋)杜若の咲く三河国八橋へやって来た昔
男が、男二人とともに沢のほとりに座り、乾飯を食べて歌
を詠む場面。画面右に、嵯峨本にはない従者一人と童の顔
が見える。
第三扇下端は第十八段なので、先程の第二扇同様、後回しと
する。八橋の場面の左上、第三・四扇にわたって、
第九段の二(宇津の山)宇津の山中。山路を下りてきた知 り合いの修行者に偶然出会った昔男。後ろに男二人と零
嵯峨本では二人の男は描かれていない。
第四扇。
第九段の三(富士の山)「犀風」の第三・四扇上端に描か
れた富士の左下を馬で行く昔男の一行。昔男の前に大げさ
に驚く童、後ろに傘を持った白丁ら男三人。嵯峨本では左
後方を振り返るようにして富士を眺めているが、「屏風」
では左前方に望む構図になっている。
第九段の四(都鳥)隅田川の渡し舟に乗り、船頭に鳥の名 を尋ねる昔男の〓汀。右手をかざした昔男が壷前に、続
いて袖で顔を覆った僧侶、童、都鳥を指差す従者、船頭の
順。嵯峨本では童と従者の位置が逆。
第十二段(武蔵野)武蔵野の草むらに隠れる昔男と女。松
明と武器を持って迫り来る追っ手三人。女は袖で顔を覆っ
て泣いているらしい。男は慰め顔で女を気遣う。
第四扇の下端は第二十段なので、第十二段の後は第二扇下端 に戻ることになる。以下、第二主・四扇の下端は順に次の通
りである。
第十四段(くたかけ)室内の女、刀を担いだ童を連れて振
り返りながら帰っていく昔男を悲しげに見送るところ。画
面手前右の垣の上に雌雄の鶏、庭に狐が見える。嵯峨本で
は女は向こうを向いているし、昔男は振り返っ.ていない。
また、鶏は垣ではなく画面左奥の木の故に止まっている。
第十八段(白菊)章子縁に座った女が、庭先で菊を折る女
房を見ている場面。女の前には紙と硯箱が置かれている。
嵯峨本では女は室内におり、紙と硯箱もない。
第二十段(春のもみぢ)室内に女が座り、庭には紅葉の枝 を捧げる従者と受け取る侍女。嵯峨本では受け取る侍女は 見えず、沓脱ぎに座った童子が直接女に紅葉を渡そうとし ている。「屏風」の庭には嵯峨本には見えない桜の木が一 本あり、左側の第二十四段と場面を分けている。
第五扇。
第二十二段(千夜を一夜に)室内で寄り添う昔男と女。画 【面右の垣の上には雌雄の鶏。嵯峨本の絵は吹抜屋台である。
第二十三段の一(筒井筒)幼い男女が井筒の桁に手をかけ、
丈比べをして進んでいる場面。
第二十三段の二(河内越)琴を前に、外を眺めて物思いに
ふける女。昔男は前栽の茂みに潜んで女の様子をうかがう。
第二十三段の三(高安の女)家の中では女が自分で飯を盛
っており、女の前には召使い女が座る。昔男、その様子を
垣間見している。その昔男の背後に、彼に注目する男二人。
一人は昔男を指差している。この男二人は嵯峨本にはなく、
壇と昔男の位置のみ左右反転している。
第二十四段(梓弓)三年ぶりに昔男が帰り、門を叩く場面。
女は戸口に立っているが、嵯峨本の女は室内に座っている。
構図は左右が逆。
第六扇、つまり左端は次の通りである。 第二十七段(たらひの聖女房に水を注がせて手を洗う女
を、垣の外から扇を持った昔男がのぞく場面。嵯峨本では
男は左手前にある垣のこちら側にいるが、屏風では左奥に
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ある塩の向こう側にいるので、右半身と頭しか見えない。 軍一十九段(花の賀)桜の花の中、章子縁に座る男四人と 零高欄には下襲の裾がかかっている。嵯峨本より男一人
と童が多い。また、嵯峨本にはある月がr屏風」にはない。
第四十一段(紫)室内に女が座っていて、庭には伸子張が
つながれている。壇の外には頭に荷を乗せた物売りの女。
嵯峨本では、物売りの女以外の図は左右逆。
手四十五段(行く蛍)昔男、賛子縁に座って脇息に頬杖を
つき、庭の蛍を眺めている。男の表情は物思いにふけって
いるというよりは、退屈しているように見える。嵯峨本に
は脇息はなく、昔男は右膝を立てて頬杖をつく。第二十九
段同様、嵯峨本には描かれている月がない。
以上、右隻の絵は十九章段から選んだ二十四場面となる。第
八・九段の東下り、第十二段の武蔵野を第三・四扇上方にまと
めたため、いくらか華段順序が前後した。結果として、画面の
中央上方に風景画が集まり、それを取り囲む下方と両端に屋台
の場面が描かれることになった。
構図はほとんどが嵯峨本によっているが、従者や童など周辺
人物に時折、元禄風の者や小袖、妙な長袴の姿が見える。嵯峨
本との違いが大きいものとしては、第三段「ひじき藻」の場面
の、女の家の外で首尾を気にする様子の昔男と童、従者の姿が
ある。第二十三段「高安の女」の場面でも、垣間見している男
に興味を示す男二人が描かれている。
二
左隻
次に左隻を見る(口絵参照)。なお、第四十九段から左隻が
始まるというのは、嵯峨本の上冊・下冊の分け方と同じである。
第一扇。
第四十九段(初草)室内、凡帳の前に妹が座っている。昔
男は扇を持ち、縁近くに立つ。
第五十段(行く水)女が水辺に身を乗り出し、筆で流れる
水に数を書く場面。女の左側には、嵯峨本にはない硯箱が
描かれている。
手玉十一段(前栽の菊)昔男、庭の菊の前に立つ。その脇
に童。室内には紙と硯箱が見える。嵯峨本は左右が逆で、
紙と硯箱は見えない。
第六十段(花橘)室内に座る昔男の前の章子縁に、銚子を
持った主の男が座る。昔男は花橘の枝を持つ。本文に記さ
れている橘の実は見えない。画面奥の御簾の向こうに座っ
た女が透けて見え、画面手前の賛子縁に従者一人と童が控
えている。女の部屋から昔男のいる部屋に通じる襖は開い
ている。嵯峨本には従者と童はなく、女の前の御簾は巻き
上げられている。また、左右が反転し、昔男と主の位置は
さらに九十度回転していて、嵯峨本では横一文字だった章
子縁が鈎形に曲がり、奥行きのある構図になっている。
第二扇。
第六十三段(つくも髪)室内奥に座った昔男を、壇の外に 立った老女がのぞく場雫左側の門外からは、馬を連れた
三人の男と童がその様子をのぞいている。この男たちは嵯
峨本には描かれておらず、女が立つのも障子の前である。
第六十五段(顔)御手洗川の河原で祓をする場面。陰陽師
は紙を広げ、その後ろ、激物の上に昔男が座る。画面手前、
川の横に男二人、川に近い男は幣を持つ。昔男の横に従者
一人と童。御手洗川は、第一扇の第五十段「行く水」の水
とつながっている。嵯峨本には昔男と陰陽師の二人のみ。
第六十七段(花の林)山の木々の梢に降る雪を眺める昔男
の一行七人(うち一人は傘を持った白丁)。梢の雪はまるで
桜の花のように見える。嵯峨本では一行は三人。
第六十八段(住吉の浜)昔男が童を含む一行七人で住吉の
浜を行く場面。左手に鳥居と反橋、その奥に社撃二様が見
える。嵯峨本では一行は三人で、社殿はない。また、「住
吉」ということで、嵯峨本にも描かれている松の木が多い。
第三扇。
第六十九段(狩の使)昔男が寝所で眠れずにいると、童女
の案内で斎王が渡って来る場面。空には膿月が見える。嵯
峨本とは構図の左右が逆。
第七十一段(神の斎垣)神の斎垣が鳥居によって開かれ、
その前にたたずむ女。嵯峨本とは女の位置と向きが逆。 第七十八段(山科の宮)山科の御殿の庭に面した一室、禅 師の親王と男一人が室内に、箕子縁に男二人、庭に男三人 と童が座る。庭の速水には滝がある。嵯峨本には庭の男た ちは描かれていない。 第八十段(衰へたる家の藤)賛子縁に座った昔男、層で藤 の花を折っている従者に扇子を持った右手で指図する。室 内に紙と硯箱。嵯峨本では、手紙をつけた藤の枝を手にし た従者が、室内に座った昔男の前の章子縁に座っている図 で、「屏風」とは大きく異なる(口絵参照)。
第四扇。
薯八十一段(塩釜)河原院の一角。左大臣源融、親王、昔
男ら六人の男と童が塩釜にたとえられる庭を眺めている場
面。本文に記された菊の花と紅葉が見え、葉子縁は鈎形に
描かれている。嵯峨本では男は三人。
第八十こ段(渚の院)交野の渚の院、満開の桜の下に座っ
て酒を飲みつつ歌を詠む惟喬親王、昔男ら五人の男たち。
二人が鷹狩の鷹を持つ。嵯峨本とは川の位置が逆。
第八十三段(小野の雪)小野の惟喬親王のもとに正月の挨
拶に行こうとして、従者に傘をさしかけさせ、雪道を行く
昔男の一行四人(うち圭一人)。珍しく、嵯峨本より男が
一人少ない。
第八十七段の一(布引の滝)布引の滝を眺める昔男ら七人
の男たち(うち童と傘を持った白丁が一人ずつ)。嵯峨本で
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は童と自丁はおらず、一行は三人。
第八+七段の二 (芦屋の浜)芦屋の浜で漁火を見る昔男の
一行七人(うち童一人)。嵯峨本では男は三人。
第五扇。
第九十段(桜花)室内に座った昔男、手紙をつけた桜花の
枝を手に持つ。男の前の章子縁には童が座る(口絵参照)。
第九十五段(へだつる関)章子縁に立った昔男が、御簾越 しに室内の女に声をかけている場面。嵯峨本では御簾の横
から女が顔を出している。 ・第九+八段(梅の造り枝)室内中央に太政大臣が座り、そ
の横に二人の男。階の最上段に座った男、梅の造花の枝に
矩をつけて献上しようとする。画面手前の門外からのぞく
男一人。嵯峨本では横の男は一人で、梅の造り枝を持った
男は縁に座る。また、門外からのぞく男はいない。
貫首一段(あやしき藤の枝)室内奥の大きなかめに藤の花
がさしてある。六人の男たち(うち童一人)、座って歌を
詠む。嵯峨本では童はおらず、男は四人。
第六扇。
第盲犬段(龍田川)昔男の一行五人(うち童と傘を持った
白丁が一人ずつ)、龍田川のほとりで水面に浮かぶ紅葉を
見る。嵯峨本とは左右が逆。
手首七段(身を知る雨)室内に座った昔男と女、昔男は文
案を書いた紙を手に、女に指図して手紙を書かせている。 女の横に紙と硯箱。華子縁に女房(口絵参照)。 第百二十一段(梅壷)章子縁に座った昔男、袖をかぶって 雨を避けながら庭を去って行く男に声をかける。男を指す 昔男の右手には閉じた扇子。画面左下に梅。昔男の姿態は 第八十段の昔男のそれとほとんど同じである(口絵参照)。 以上、左隻はすべて章段順に描かれており、二十三章段から 合計二十四場面が選ばれている。嵯峨本と比較した際、童や傘 を持つ白丁など単純な周辺人物の描き足しは多いが、その中で 面白いのは第六十三段である。在五中将を垣間見るつくも髪の 女をさらに垣間見る男三人と童が措かれる。男三人は、『伊勢 物語』本文に登場する女の息子三人なのであろう。馬が見える のも、三男が 「馬の口をとりて」 (注六)母と逢ってくれるよう
に頼んだからだと思われる。I.ェりコ屏風」で馬が措かれるのは、
この部分以外は第八・九段、つまり、東下りの場面のみである。
屏風という形をとる以上は、色紙や冊子の挿絵と異なり、多
くの段で横長の構図にならざるを得ない。よって、庭や風景だ
けでなく邸内も広がりと奥行きを持って描かれることが多く、
嵯峨本では屋敷の一角としてrく」の字形に描かれる章子縁は、
「屏風」では鈎形や稲妻形に描かれている。また、場面を区切
るのは主にすやり霞であるが、松・桜などの木や垣で場面を分
ける部分もあるし、一つ屋根の下、蔀で分ける場合もある。
ところで、右隻の中央上方は第九段の東下り、左隻のそれは
第六十九段・狩の使の場面になっている。『伊勢物語』を代表
する両段をそれぞれの隻の中心に描いているわけである。さら
には、「屏風」に描かれている木は、嵯峨本に松が見える第
五・五十・六十八・八十七段に限らず松が多いのであるが、右
隻の右下と左隻の左下には梅の木、右隻の右上は鹿で左隻の左
上は紅葉、と二隻を並べた際のレイアウトにも気を配っている
様子がうかがえる。
三
嵯峨本との違い
「屏風」に描かれた場面は全部で四十八、一方、嵯峨本の挿
絵は四十九図である。「犀風」には嵯峨本に存在する第二段の
絵がなく、嵯峨本の第九十三・百十九・百二十五段の絵がそれ
ぞれ、第九十・百七・百二十一段の絵に入れ代わっている。嵯
峨本第二段の絵に関しては、歌とも物語の内容とも全く符合し
ないので、第「段後半の絵ではないかという見方がある(注
七)。「犀風」 の絵に選ばれなかった理由も、その辺りに求めら
れるのかもしれない。
差し替えられた三章段のうち、第九十三段は二条后物語の焼
き直しのような短い話で、著名な章段とは言えない。嵯峨本で
は伏した昔男が身をもたげて歌を書いている構図であり、あま
り動きのない絵が「屏風」 の画家に敬遠されたのだろうか。し
かし、代わりにとられた第九十段は絵に措かれた例自体がほと
んどなく、確認できたのは、ほぼ全章段に挿絵をつけている大 型奈良絵本の中尾家本のみである(注八)。それも、男が桜の 枝を女に渡そうとtている絵で、「屏風」とは関係がなさそう である。「屏風」 の第五扇は第九十段と九十五段が並んでいる
わけだが、両段は「さらば、明日、ものごしにても」(第九十
段)・「いかでものごしに対面して」(第九十五段)と、「ものご
し」の語が共通している。「屏風」の画家はこの「ものごし」
っながりで第九十段をここに置いたのだろうか。「犀風」第九
十段の構図は、嵯峨本第八十段のそれとよく似ている。「屏
風」の第八十段は先程説明したように嵯峨本と大きく異なり、
第百二十一段の昔男とそつくりなのである。「屏風」 の画家は、
独創性をかなり意識していたのではないだろうか。彼が単に嵯
峨本に従って描いているのではないことは明らかであろう。
一方、「屏風」がとらなかった三章段のうち第百十九・百二
十五段はそれぞれ、男の形見と臨終の場面である。この二つの
段は不吉だということで差し替えられたのではないかと推測で
きる。豪華な、いわゆる「嫁入り本」的な屏風であったと考え
られる七思う。
第百十九段の代わりに入った第百七段は、昔男が家にいる若
い女の歌を代読して藤原敏行をからかう話である。・この段を絵
に描いているのは、スペンサー・コレクションの小絵巻、大型
奈良絵本の中尾家本、チェスクー・ビーチィ本等、桃山時代前
後のものに集中している。第百七段が選ばれたのはどういうわ
けなのであろうか。「屏風」 の絵を見ても、昔男が女に指導し
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て手紙を書かせている構図で、それに加えて文箱らしきものを
手にした敏行が帰っていくところが措かれたスペンサー本絵巻、
逆に雨に濡れて敏行がやってくる場面を描いた中尾家本に比べ
ると、少々面白みに欠ける感じがするのである。ただ、この前
後の章段はほとんど短い本文に歌一首がついただけの形で絵画
化しやすいとは思えず、結局はある程度の長さと物番のある第
百七段に決められたのであろうと思われる。
章段の出入り以外の嵯峨本との違いとして、ぜひ触れておき
たい点が右隻に二つある。第三段の傘をさしかけられた昔男に
ついてと、第二十段・二十四段を分ける桜の木についてである。
第三段「ひじき藻」の場面には、女の家の外で首尾を気にす
る様子で立つ昔男、刀を手に持つ童、昔男に傘をさしかける従
者の三人の姿がある。これを見て思い出すのは、徳川美術館所
蔵の国宝源氏物語絵巻の「蓬生」である。荒れ果てた故常陸宮
邸の情景、惟光が馬の鞭で露を払いながら光源氏を先導する場
面で、光源氏には木の枝から落ちる露を避けようと傘がさしか
けられている。『伊勢物語』第三段の歌には「むぐらの宿に」
という句が入っているが、『源氏物語』「蓬生」巻本文のこの部
分直前にも、「朝日夕日をふせぐ蓬、葎の蔭に深う積もりて」
(注九)と「葎(むぐら)」 の語が見えるのである。もちろん、
「屏風」 の画家が源氏物語絵巻を直接見る機会があったとは考
えにくいが、その流れを汲む何らかの絵の存在を想定したい。
もう一点は、第二十段と第二十四段の場面を分ける一本の桜 の木についてである。第二十段は三月という設定であり、第二 十四段の歌の「梓弓」から「春」を導き出したためかとも考え たが、『伊勢物語』古注の二大流派である『和歌知顕集』と冷 泉家流古監は、単に女としか書かれていない第二十段と二十四 段の女を紀有常の娘とする。「屏風」にはとられていないが、
「あだなりと名にこそ立てれ桜花年にまれなる人も待ちけり」
と詠む第十七段の女も有常の娘とされている。『知顕集』が彼
女に付けた名は、「さくらに人まちえたる女」(注十)である。
「犀風」の画家は、中世の『伊勢物語』享受に見えるこの「紀
有常の娘物語」を知っていたのではないだろうか。古注の説に
直接よっていないにしても、冷泉家流古注における有常の娘像
に基づいて創作された謡曲「井筒」 の存在もある。『伊勢物
語』絵の中では、古体を残す小野家本絵巻がやはり第二十四段
の絵に桜の木を措いているのである。
四
第百二十一段
さて、最後に取り上げたいのは、嵯峨本の第百二十五段に代
わって描かれた第百二十一段の絵についてである。まず、『伊
勢物語』の第百二十一段本文を掲げてみよう。
むかし、男、梅壷より雨に滞れて人のまかりいづるを見て、
うぐひすの花を縫ふてふ笠もがな滞るめる人に着せて
かへさむ
返し、
うぐひすの花を縫ふてふ笠はいな思ひをつけよほして
かへさむ
雨に濡れて宮中の梅壷から退出する人に男が歌を詠みかけ、
それに対する返歌があるという詣である。本文では退出してき
た人が男なのか女なのか記していないが、現在の注釈書の多く
は女であることが自明のように解釈しているようである(注十
こ。ところが、屏風の第百二十一段の絵は、葉子縁から声を
かけているのが男なら、雨に濡れで庭を通って行くのも男なの
である。この章段の絵については美術関係の方からの言及はあ
るものの、見落とされてきた事実が存在する。以下、それを明
らかにしていきたい。
第百二十一段の絵を持つ『伊勢物語』絵を伊藤敏子氏により
時代順に挙げると、次のようになる。
小野家本給巻(室町後期)
大型絵入本 中尾家(室町未〜桃山)
紙本署色伊勢物語図絵 大英図書館(桃山)
大型絵入本 チェスクー・ピーティ図書館(桃山)
大型絵入本 スペンサー・コレクション(桃山〜江戸初期)
伊勢物語図屏風(桃山〜江戸初期、十七世紀)
伝宗達筆伊勢物語絵色紙(江戸前期)
この中で古体を残すのは小野家本絵巻で、中尾家本以下の絵
入本は、奈良絵本全盛期に独自な展開を見たものだという。 伊藤敏子氏の小野家本絵巻第百二十一段の絵に関する解説を 抜粋してみよう。
一ニー段は、ある男が梅壷(後宮の殿舎の一つ)より雨に
濡れて退出する人をみて、「うぐひすの花を縫ふてふ笠も
がな滞るめる人に着せてかへさむ」と詠みかけると、その
人は「うぐひすの花を縫ふてふ笠はいな思ひをつけよほし
てかへさむ」と返したとあるので、濡れて退出するのは勿
論女である。ところが小野家本の画面には、狩衣の袖を頭
にかざして、男が梅壷を行く姿が措かれている。画面の中
心人物を女から男へ写し変えるということは、小野家本が
古様を写し伝えているだけに、まずあり得ないと思われ、
おそらく祖本にはこの章段に絵がなかったと考えられる。
新しく画面を加えるとき、本文を充分に了解せず、男と女
を取り違えたままに、創作を加えたものと推測される。
(解説一一〇貢) (注十二) 「濡れて退出するのは勿論女」 であるはずだと言い切り、小
野家本を描いた画家が男と取り違えて創作してしまった、と解
釈している。ところが田口栄一氏は、「梅が植えてある庭を壷
折り姿の女、童子と共に衣の袖を頭に雨に滞れながら出てい
く。」(注十三)と、画面の人物を女と理解している。山根有三
氏も、「小野家本が梅壷より雨に濡れてまかりでる人を女性と
する(後略)」(注十四)と同じく女と見ている。これは一体、ど ぅいうことなのだろうか。図版で問題の絵を見ても、男なのか
‑55‑
女なのか判断に困る状況で、男女両説が存在するのも当然かと
思われるのである。なお、小野家本では声をかける人物の姿は
見えず、画面右に御簾が思わせぶりに描かれているのみである。
一方、大型絵本の中で唯一絵の確羅ができた中尾家本では、
庭にいるのは男、室内から声をかけるのは女となっている(絵
の中に女には二条の后、男には業平との注記がある)。十七世紀
の屏風でも、中尾家本と同様に退出するのが男で室内にいるの
が女である。ところが、宗達色紙になると、男が男に歌を詠み
かける図に変わっている。この色紙に関して伊藤敏子氏は、
退出する人を男とも、また女ともみる両説があるが、女と
みるのが妥当であるかしかし小野家本に退出する人を男と
して措いており、この画面にも男の姿が描かれている。
(解説一四八〜一四九頁)
と説明する。「濡れて退出するのは勿論女」と書いていた小野
家本の解説から、「退出する人を男とも、また女ともみる両説
がある」という言い方に変わっている。解説が書かれた時期に
よる不統一かとも思われるが、この退出する人が男か女かとい
う点については、古注釈の解釈が参考になる。
冷泉家流古注は、「男梅つぼより雨にぬれてとをるとは、左
京大夫源致也。」「寄よみてやるとは、業平也。」 (宮内庁書陵部
蔵『伊勢物語抄』)(注十五)と男同士の贈答ととっている。『和
歌知顕集』はどうかというと、残念ながら、第百二十一段を欠
いていて明らかでない。そこで、青陵部本巻末の「物語牛女共 事」を見たが、そこでも第百二十一段は抜けている。この「物 語牛女共事」に記載がないというのは、おそらくは、女ではな く男との歌の贈答であると『知顕集』も見ていたからであろう と思われる。
ちなみに、冷泉家流古注の解釈に何故「源致」
るのかというと、「うぐひすの花を縫ふてふ……」
にその原因が求められそうである。『古今集』巻第l・春上
(三六)の「鴬の花にぬふといふ梅花折りてかざさむおいかく
るやと」(注十大)の歌の作者は「東三条の左のおほいまうちぎ
み」とあるが、この「東三条の左のおほいまうちぎみ」とは源
常のことである。これを冷泉家流古注では第三十九段に実名が
登場する源至と結び付け、退出する人物を「源致」としたので
ある。至は第三十九段で「天の下の色好み」と書かれていて、
恋の歌の贈答を男同士でたわむれにする相手としてふさわしい
と見なされたのであろう。
古注の後の旧注では、『伊勢物吾愚見抄』(注十七)は「女の
返寄也」と明記しているが、『伊勢物語肖聞抄』(注十八)は 「むかし男、梅壷より、人のまかり出とは、誰にても、業平の
友なるべし」と、男であるとの見方を示している。その後の
『伊勢物語閑疑抄』や新注は男か女かという点については触れ
ていない。どうも現在の諸注と同じく、退出するのは言うまで
もなく女だ、と考えているようである。
第百二十一段の絵の、声をかける人と退出する人、童の有無
を表一に、古注釈の解釈を表二にまとめてみたっ
斎 博
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人虜風」に描かれた第百二±段の絵と共通する構図は宗達
色紙のみだが、「屏風」が宗達色紙から直接影響を受けたのか
どうかは何とも言えない。「屏風」の構図のほとんどは確かに 嵯峨本によっており、宗達色紙には嵯峨本になくて虜風」が
持つ第九十段と百七段の絵は存在しないのである。
右の表を見て明らかなのは、退出する人を男ととるのは何も
特殊なことではなかった、という事実である。小野家本絵巻の
場合、美術の専門家の退出する人に対する解釈が男説と女説に
分かれている点は先程確認したが、中尾家本以下、退出する人
は男で一敦している。むしろ不可解なのは、声をかける側を女
として措いた、中尾家本と十七世紀屏風の解釈である。舌注釈 には声をかける側を女とするものは見当たらないし、本文校異 を見ても、「男」と「人」の行動が逆転するような本文をとる ものは存在しない。あえて推測すれば、「男、梅壷より雨に濡 れて刃叫まかりいづるを見て」の部分で、「男が梅壷より雨に 濡れてまかりいづるを、刃」〓封「叫見て」のように解釈して しまったためだろうか。また、『伊勢物語』には、
むかし、宮のうちにて、ある御達の局の前を渡りけるに、
何のあたにか思ひけむ、「よしや草葉よ、ならむさが見
む」といふ。(後略)
【第lニ十一望
むかし、男、後涼殿のはさまを渡りければ、あるやむごと
なき人の御局より、忘れ草を「しのぶ草とやいふ」とて、
いださせたまへりければ、(後略)
【第百望
という話がある。宮中の殿舎から声をかけてくるのは女、とい
ぅ思い込みが画家にあったのか、あるいはその方が絵になる、
としてあえて女に変えたのか。もし小野家本絵巻のような絵を
参考にする機会があったとすれば、御簾の中から声をかけてく
るのは当然女、と考えてしまったかもしれない。
おわりに
以上、斎宮歴史博物館所蔵の伊勢物語図屏風について紹介し、
その嵯峨本との違いを中心に論じてきた。多くの『伊勢物語』
絵が嵯峨本の影響を強く受けた時代において、この屏風も決し
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