降轟育奇繍
秋田大学工学資源学部における物理教育の変遷に関する一考察
佐々木 厚,寺田 紀夫,谷口 智行
Development of Physics Education in Faculty of Engineering and Resource Science,Akita University
Atsushi SASAKI,Norio TERATA,an(1Tomoyuki TANIGUCHI
概 要
1949年(昭和24年)の秋田大学発足以来行われてきた秋田大学鉱山学部・工学資源学部の物理教育の 変遷について,日本における理科教育との関連,入試体制の変更との関連で,概観し考察した。また,
1998年の教養基礎教育の枠組み変更における教育効果について,授業情報をもとに検証した。その結果,
基礎物理学実験の枠組み設定においては安定した授業運営が実現されていること,入門物理学の導入は 高校物理非履修者等に対して一定の教育効果をあげていること,基礎物理学実験で導入したTeaching Assistant(TA)は,学生の学習の質的改善に役立っていること,TA導入の効果は学生の学習にとどま
らず多様であることが分かった。
1.はじめに
国立秋田大学は1949年(昭和24年)に発足した。
秋田師範学校,秋田女子師範学校,秋田青年師範 学校,秋田鉱山専門学校が母体となった。秋田鉱 山専門学校では「秋田鉱山大学」を視野に入れて 準備をしていたと言われるが,GHQのカーリー 女史の調整の下,複数の学部を持った大学(学芸 学部と鉱山学部)としてスタートした。鉱山学部 の理系教養基礎教育科目は,主に鉱山学部が準備 していた教官および技官によって進められたが,
これらの教官および技官は学芸学部(1967年,昭 和42年に教育学部へと学部名変更。その後1998年,
平成10年に教育文化学部へと改組)に移籍するこ とが条件付けられていた。実際の移籍は1952年
(昭和27年)に実施された。
1998年(平成10年)の秋田大学改組では,教養 基礎教育の担当について「全学出動方式」の考え 方を,また専門教育では「学部一貫教育」の考え 方を導入した。教育学部に所属していた複数の教 養基礎教育関連教官および技官が学部の壁を越え て移籍し,今日実施されている運営体制へと移行
した。鉱山学部と医学部(1970年,昭和45年発足)
の物理学担当スタッフは,教育学部においては
「物理学第一研究室」を構成していたが,この改 組において鉱山学部から名称変更した工学資源学 部の複数学科に分散して配置された。
このように鉱山学部は名称変更のみならず教育 体制を変えてきたが,この間,学生の質も変わっ てきていると思われる。最近の例を挙げると2004 年度からは小学校1,2年生で「理科」を習わな かった学生が入学しており,更に2006年度には新 しい指導要領の下で学習した学生が入学してく る。理系学部の物理教育もこれらに対処すること が求められる。このようなことは将来にわたって も起こるであろう。そのようなとき,過去の歴史 をふまえておくことが対処の指針を得ることに役 立つであろうと期待し,鉱山学部・工学資源学部 で行われた物理教育について振り返ることにする。
以下,第2章では秋田大学鉱山学部で行われた 戦後の物理教育を学習指導要領の変遷および入学 試験の枠組みの変遷を織り交ぜながら振り返り,
第3章では1998年度の秋田大学改組以降の理系学
部物理教育について教育効果の検証を試みる。第 4章で本論をまとめる。
2.戦後理科教育の変遷と秋田大学における理系 学部の物理教育
2−1 戦後理科教育の変遷
大学進学率(18歳人口に占める進学者の割合)
が10%を超えるのは新制大学発足後15年程たった 頃,即ち1960年頃である。高度経済成長政策が実 施され始めた頃であり,大学が象牙の塔から脱却 し社会に対して積極的に関わることが求められる ようになった。この当時は,第二次世界大戦終了 からあまり月日が経っていないことから,大学教 員の多くが旧制大学の教育を受けた人達であっ た。教育内容および方法はエリート養成的色彩を 強く持っていた。その後,大学における物理教育 は,大学の大衆化,大学に対する社会の要請の変 化,学校教育における教育内容や教育方法の変遷,
児童生徒を取り巻く社会的雰囲気の変化,入試制 度の改変等が絡んだ状況の中で,改訂を繰り返し ながら進められてきた。
日本における「学習指導要領」の歴史は1947年
(昭和22年)3月の,「学習指導要領(試案)」の公 表から始まった。この指導要領におけるキーワー
ドは「体験学習」と言われる。4月には6・3制 義務教育が開始された。1948年(昭和23年)には 新制高校教育が実施される。新制の高校卒業者は 1951年(昭和26年)に大学に進学したことになる。
この指導要領はその年,1951年(昭和26年)に改 訂され小・中・高とも同年に実施に移される。改 訂された指導要領で学んだ者は1954年(昭和29年)
に大学に進学する。
その後,1956年(昭和31年),また高校指導要 領が改訂,実施される。大学入試制度との関連も 含めると,おおむね次のような状況である。
1)高校では理科2科目を履修させる。
2)高校普通科では,1年で生物または地学を 選択させる。
3)2年と3年で化学と物理を履修させる。
4)国立大学の理系学部入試の理系科目の典型 的な例は,数学2科目,理科2科目。
5)国立大学は入試期日により一期校,二期校と 分かれており,両方を受験することができる。
このため,人材の分散状況が見られた。
この改訂は,高度経済成長政策実現のための理 工系学部増設ブームヘの準備であり,この教育を 受けた者は1959年(昭和34年)以降に大学に入っ てくる。しかしそれよりも前,1957年(昭和32年)
10月4日,ソ連が人工衛星スプートニクを打ち上 げることになった。このことは多くの国に衝撃を 与え,スプートニク・ショックと呼ばれた。やが て,生徒に科学の本質を教えることが可能である として「系統学習」というキーワードが浮上して
きた。
この流れの中で,1963年(昭和38年),高校指 導要領が改訂実施される。進学校では理科4科目
(1年で生物4単位,地学2単位。2年で物理B を3単位,化学Bを2単位。3年で物理Bを2単 位,化学Bを2単位)の教育プログラムが組まれ るようになる。この教育を受けた者は1966年度以 降に大学に入る。これら高校指導要領の改変は大 学入試問題にも影響を与えている。
1973年(昭和48年)には,また高校指導要領が 改訂実施される。これによって指導要領改訂がほ ぼ10年おきに実施される流れが定着した。この指 導要領は以下のような特徴を持っていた。
1)小学校から高校に至るまでレベルアップが 図られた。
2)小学校から集合,関数が導入された。
3)高校物理では,1960年頃まで大学で教えて いた程度の内容も盛られた。ただし物理に おいては微分積分,ベクトルは使用できない。
これらの教育を受けた者は1976年(昭和51年)
以降に大学に入ってくる。この指導要領は系統学 習方式による指導要領の構造化,高度化の極致で ある。この指導要領が実施されるよりも前から,
「落ちこぼれ」「七五三教育」がささやかれるよう になっていたが,一方で空前の医学部ブームも進 行していた。学校教育の現場では学力の二極化が 進行していたものと考えられる。そうした中にあ りながらも系統学習の強化により指導要領を高度 化していったのは,教育行政の慣性が大きく,方 針転換に時間がかかるせいもあろうが,同時に産 業界からの高度技術者養成圧力によるところもあ ったものと考えられる。これ以降の指導要領の改 訂では学力の二極化等に配慮し始めたこと,また
「学ぶ力」等の新しいキーワードを設定したこと により教育内容の精選へと歩み出すので,ここに
一86一
「極値(極致)」が出現したのであった。
2−2 理系学部基礎物理の内容
大学理系学部において専門のための基礎教育と して物理学の素養をどの程度身につけさせるべき かは,定まった枠組みはない。「Newton力学」と
「Maxwellの電磁気学」を合わせて古典力学と呼 ぶが,古典力学の教育においても,質点や剛体の 力学,流体力学,熱・統計学など個別の分野につ いてどの項目をどの程度教えるかは,専門分野に よって異なるであろうし,時代と共に変化するで あろう。量子力学について言えば,Von Neumam が1932年に「量子力学の数学的基礎」を出版した
ことにより確立したと考えられる。これにより物 質世界の諸現象について本質理解が可能な時代の 幕が開いた。しかし基礎教育の中に量子力学の教 育をどのように組み込むかについては,年々出版 される教科書から見ても分かるが,70年後の現時 点でも多くの教員によって試行が繰り返されてい
る。
第2次産業革命が始まって以来,科学的発見が 産業に応用されるまでの時間は次第に短くなって いく。物理学の世界では,19世紀・20世紀は発見 の世紀であった。大学の理系基礎教育として取り 上げたい項目は次第に増えていく。これらの項目 は,物理学の構造,社会の要請,教育課程の目標,
入学者の学力などにより規定され,試行錯誤を伴 いながら選択されていくであろう。ここでは,
1950年代から1970年代にかけて整備された典型的 な教科書である多田1〉による「物理学概論上,下」
から,掲載されている項目を紹介する。1998年
(平成10年)の改組まで,秋田大学理系学部の基 礎物理学の教科書として利用してきたものである。
「物理学概論上,下」の項目 1 質点と剛体の力学
点の運動学,運動の法則,簡単な運動,運 動方程式の積分,振動,中心力による運動,
相対運動,質点系の運動,剛体の運動学,
剛体の釣合と運動 H 変形する物体の力学
固体の弾性,流体の力学,表面張力 皿 熱学
熱平衡の状態,熱力学の第一法則,熱力学 の第二法則
V
w
波
波,波としての光,幾何光学 電磁気学
真空の中の静電場,誘電体の中の静電場,
磁気,定常電流,電流の磁気作用,電流が 磁場から受ける力,電磁誘導,Maxwel1の 方程式と電磁波,電気回路,エレクトロニ
クス 近代物理学
特殊相対性理論,量子論,統計力学,原子 核と素粒子
物質の階層構造および人類の産業活動の現状を 考えると,理系学部における専門のための共通基 礎としては統計力学までの範囲で設定するのが一 つの見方である。
2−3 鉱山学部における物理学
秋田大学鉱山学部は,1955年(昭和30年)に冶 金燃料学科を冶金学科,燃料学科に分離増設,
1959年(昭和34年)に鉱山電機学科を鉱山機械学 科,鉱山電気学科に分離増設し,理工系学部増設 の流れへと加わっていく。秋田大学の一般教育関 係履修案内資料によると,授業整備が落ち着いて きた1960年代後半以降における物理学の授業はお おむね次のようになっている。
1968年(昭和43年)当時の物理学
1)物理学1 通年 講義(2単位)および 演習(1単位),計3単位 2)物理学H 半期 実験 1単位 授業時間
講義・1回100分,通年30回 実験 1回160分,半期15回
1971年(昭和46年)当時の物理学
1)物理学 通年 講義(2単位)および演 習(1単位),計3単位
2)物理学実験 半期 実験 1単位 3)力 学 教育学部との合併授業による 専門科目
4)量子論 教育学部との合併授業による 専門科目
授業時間
講義 1回100分,通年30回
実験 1回160分,半期15回
なお,「力学」と「量子理論」は専門科目であ るが,内容的には基礎科目としても見ることがで きる。また,実験は50分を単位に3時限であるが,
10分の休み時間も加え160分で実施されている。
この頃までは,鉱山学部の物理学担当者が鉱山学 部から学芸学部(教育学部)に移ってきたという 色彩を色濃く残していた時代である。しかし一方 で「基礎教育科目」の整備が求められるようなる。
すなわちLiberal Artsとしての物理学と,理工系 諸科学を支える基礎科目としての物理学とを区別
して捉えること,それに対応した授業の整備が求 められるようになる。この流れの中で整備した結 果,1972年(昭和47年)のカリキュラムは次のよ
うに改訂されている。
1972年(昭和47年)の改訂 一般教育科目
1)物理学 通年 講義(2単位)および演 習(1単位),計3単位
2)物理学実験 半期 実験 1単位 基礎教育科目
3)基礎物理学 通年 講義4単位 授業時間
講義 1回100分,通年30回 実験 1回160分,半期15回
前述のように1973年(昭和48年),高校では高 度化の極致とも言える指導要領が実施されるが,
この時期の鉱山学部の物理学の講義内容はおおむ ね次のようになっていた。
1973年 昭和48年当時の講義内容 1)物理学
・質点と剛体の物理学(常微分方程式の取扱い の基礎を含む)
・変形する物体の力学(固体の弾性,流体の力 学,表面張力)
・熱学(Maxwel1分布を含む)
・波
2)基礎物理学
・電磁気学(真空中の電磁波を含む)
・統計物理学の基礎 ・前期量子論
・(教員によっては)特殊相対論
多田等の教科書に沿った内容となっていること が分かる。
2−4 共通一次試験の導入
共通一次試験実施に当たって,秋田大学はB日 程グループに入った。それまで二期校であったこ
とによる選択であった。第1回共通一次試験は 1979年(昭和54年)1月に行われた。この試験制 度により国立大学入試にマークシート方式が登場
した。さらに,受験産業によりコンピュータ処理 された情報が入試に多大な影響を与えるという時 代へと入っていく。共通一次試験の導入と直接連 動しているわけではないが,翌1980年(昭和55年),
鉱山学部の物理学関係授業の単位数見直しがあ り,次のように改められた。
1980年(昭和55年)の改訂
1)物理学 通年 講義 4単位 2)物理学実験 半期 実験 1単位 (14〜15テーマ)
3)基礎物理学 通年 講義 4単位 授業時間
講義 1回100分,通年30回 実験 1回160分,半期15回
入学生の学力変化を語るとき,客観的で比較可 能なデータを取得し,それに基づいた検討を展開 することが望ましい。そのためには大学生の学力 を規定する要因を抜き出す必要があるが,困難な 作業である。入試制度は重要な要因の一つであろ う。また,大学進学率も同様である。これら二つ は相まって,その学部を受験する母集団を変えて いく。1975年(昭和50年)頃から1990年(平成2 年)頃までは,大学および短大への進学率が30数 パーセントであり,安定に推移していた時代であ った。共通一次試験の導入にも,数値的には影響 されていない。
筆者のうちの一人,寺田による1984年(昭和59 年)から1990年(平成2年)にかけての基礎物理 学実験の時間内修了者の割合に関する観測があ る2)。それによると,1985年度〜1986年度を境に,
それまで時間内終了率が70%を超えていたもの が,年度と共に直線的に低下し,1990年度には約 30%まで低下している。この傾向は,鉱山学部お よび医学部とも一緒であり,数値まで含めて差が 見られない。
1985年度大学入学者は,現役生について言うと 1982年(昭和57年)の高校入学者である。1982年
一88一
(昭和57年)には高校指導要領改訂実施がなされ ている・この指導要領によって生じる状況はおお むね次の通りである。
1)「ゆとり」が叫ばれるようになる。
2)理科必修が6単位から4単位へ(理科1導
入)。
3)高校2年から理系,文系に分かれる方式。
4)物理H Bは理数系の生徒が履修。
一方,鉱山学部では,1987年(昭和62年)の分 離分割型共通一次試験の導入に当たり,入試の体 制を次のように変えている。
1987年(昭和62年)の入試変更 1)本学は後期重視型採用。
2)鉱山学部は共通1次試験の理科を1科目に 減少。
3)鉱山学部は個別試験では,物理と化学のい ずれか選択とする。
さらに,1990年(平成2年)には共通一次試験 を改組してセンター試験とし,アラカルト方式が 可能であるようになっている。基礎物理学実験の 時間内終了率の低下は,指導要領の変更および入 試の変更のどれか,あるいは両方ともが影響した
ものと考えられる。
関連する状況は物理学の講義にも現れた。1980 年代半ば,鉱山学部の物理学の講義においては,
流体力学のBerunoulliの定理までをこなすのがや っとという状況が発生した。物理学の一部を削減 し,基礎物理学では学科によっては熱力学と電磁 気学を取扱うことにした。これにより,1970年代 に基礎物理学で取り扱っていた近代物理学の内容 が削除されたことになる。
ところで医学部と鉱山学部では,入学試験の偏 差値に明らかな違いがある。しかし1980年代に両 方の学部に同様の事象が起きていたことからする と,寺田の観測にかかったのは,数値計算力の急 激な低下など,高校までの教育における,偏差値 にあらわれない「学習の質」の変化であったと考
えられる。
2−5 1990年代における物理学の授業
社会的な動きとして週5日制への移行が進む中 で,秋田大学は1991年(平成3年),授業におい
て完全週5日制実施に入った。それを期に講義時 間を従来の100分単位から90分単位に改めた。こ の措置により授業時間は10%削減された。物理学 実験は,学生の実験時間の現状を踏まえ,190分
に設定した。
一方秋田大学では,1991年(平成3年)の大学 設置基準の大綱化を受けて,1993年(平成5年)
より,それまでの一般教育および基礎教育を改め,
「総合基礎教育」とした。それまで,物理学は一 般教育科目に分類され,基礎物理学は基礎教育科 目に分類されていたが,科目区分がなくなったこ とを受けて,名称を基礎物理学と統一した。
1993年(平成5年)の改訂 1)物理の科目の名称変更
・基礎物理学1 通年 講義 4単位 ・基礎物理学H 通年 講義 4単位 ・基礎物理学実験 半期 2単位 内訳 物理学実験法 1単位
実験 1単位(12テーマ)
2)授業時問(1991年,平成3年に設定)
・講義 1回90分 ・実験 1回190分
このような変更の下に授業が進められていった が,授業進度で見ると,1990年代半ばには鉱山学 部の基礎物理学1で流体力学を取り扱うことが困 難になり,流体力学はオプションとして,可能な 場合は基礎物理学1で取り上げることになった。
1990年代にも指導要領は改訂される。まず,
1992年(平成4年)に小学校指導要領が改訂実施 される。その特徴は次の通りである。
1)小学校1,2年生で「理科」をなくした
(生活科を新設)。
2)それまでは理科は6年問で558時間あっもの が,420時間に削減された。
生活科の中に組み込まれたとは言え,時間数の
削減は大きい。板倉は,戦前の教育では理科以外
の教科でも物理的内容が教科書や教材として取り
上げられていたと指摘している3)。今日の学校教
育では,他の教科で物理的な事柄が取り上げられ
る例は,あまり見ない。この課程で学んだ者は
2004年度以降に大学に進学してきた。本論執筆中
の時点から見ると,この教育を受けた者は,現在
の2年生以下である。次いで1993年(平成5年),
中学校指導要領が改訂実施され,中学校数学から 集合が無くなる。1994年(平成6年)には,高校 指導要領が改訂実施される。この改訂では数学の 必修が15単位から12単位へと縮小されているのが 目につく。この教育を受けた者は1997年(平成9 年)に大学に入ってきた。その翌年,秋田大学は 全学にまたがる改組を行うことになった。
2−6 秋田大学における1998年改組と工学資源 学部の物理教育
第1章で触れたように,秋田大学は1998年(平 成10年),大幅な改組を行った。工学資源学部の 物理教育は次のように設定された。それまで「総 合基礎教育」と呼んでいたものを「教養基礎教育」
と改めた中での設定である。
1998年(平成10年)の設定 1)入門物理学を開設。
2)基礎物理学は1年次後期から始める。
3)基礎物理学1 半期 講義 2単位 ・質点の力学,必修
4)基礎物理学H 半期 講義 2単位 一部の学科を除いて選択。
次の2系統の授業を開設 ・電磁気学
・熱力学
5)0基礎物理学皿 半期 講義 2単位 一部の学科を除いて選択。
次の3系統の授業を開設。
・質点系および剛体の力学 ・熱力学
・波動,電磁気学の続き
6)物理学実験 8週 1単位(7テーマ)
7)基礎物理学実験および基礎物理学1に
Teaching Assistant(TA)をつける。
授業時間
・講義 1回90分 ・実験 1回190分
1973年(昭和48年)当時の内容と比べると,極 めて大幅な削減となっている。20世紀後半30年間 における大変化の一つであった。
2−7 21世紀になってからの物理学の授業 工学資源学部ではその後,教育体制を若干変更
していくことになる。まず,2000年(平成12年),
入試の方法を前期重視型に変更する。一方でこの 頃に入学者の臨時増募が終了する。そして,秋田 大学改組から4年が経過したことを受けてカリキ ュラムの見直しをして,2002年(平成14年),基 礎物理学の開設時期を一部変更した。それまで,
基礎物理学1が一律に後期から開講されていたも のを,学科によっては前期からの開講へと変更し た。半期に受講できる単位数に上限を設定したの も2002年度入学者からである。また,2003年度入 学者より修学年限の条件を,前半2学年を4年問 まで,後半2学年を4年問までとした。(それま では4学年を8年間まで,という条件であった。)
本学がこのような改革を行っている問,指導要 領の大幅改訂作業が進められ,2002年(平成14年)
の小・中学校実施,2003年(平成15年)高校実施 となっていく。この改訂の特徴は,極めて多くの 問題点を持っているが,理科(特に物理)に関連し た部分の中で重要な部分を取り上げると次の通り である。
1)小・中学校の教科の内容を30%削減する。
2)中学校理科から高校理科へと,内容の一部 を移動する。移動した主な項目は以下の通 り。力とバネの伸び,質量と重さ,力の合 成と分解,仕事と仕事率,自由落下運動,
水圧,浮力,水の加熱と熱量,比熱,交流 と直流,電気量,真空放電。
3)電磁気に関連した事項は物理1と物理1に 分散する。物理1では,「生活と電気」とい う形で取り上げる。
この指導要領で学んだ者は2006年に大学に進学 してくる。2006年には,前回指導要領改訂により 小学校1,2年の「理科」の廃止と,新しい指導 要領による一律30%削減の,両方の影響を受けた 学生達が大学の教室に現れる。今回の指導要領改 訂でも「自ら学ぶ力」や「問題解決能力」の酒養 が謳われているので,その点には期待したいが,
大学物理のカリキュラムは手直しが必要となる。
秋田大学工学資源学部では「基礎物理学担当者会 議」を設置しているが,担当者会議では次の点に ついてカリキュラム変更の提案をしている。
一90一
2005年(平成17年)における基礎物理学担当者会 議の提言は次の通りである。
1)これまでの力学を中心とした入門物理学に 加え,新たに電磁気学を中心にした入門物 理学を開設する。
2)基礎物理学H (電磁気学)の内容を,これ までの「電流の磁気作用まで」から,電流 の磁気作用は「可能ならば取り扱う」と変 える。
中学校理科の物理分野の内容の一部が高校理科 に移動したことを受け,高校の物理学1で電磁気 学を「身の回りの物理」的内容に設定し,量的取
り扱いを物理H(3年生)に配置している。電磁 気学は目に見えない事象を取り扱うことが多い。
学習内容を「具体操作を中心とした分野」と「抽 象操作を伴う分野」に分けたこと,あるいは「体 験学習的展開部分」と「系統学習的展開部分」に 分けたことは評価できる。しかし高校3年生とい
うのはセンター試験の関係もあり授業を展開でき るのは実質的に11月末までであり,多くの高校が 物理Hの内容をこなすのに苦慮している。秋田大 学が行った,高校教員と大学教員との話し合いの 場でも,高校教員側からそのような状況が伝えら れている。基礎物理学担当者会議による上記提案 は,このような事情に配慮したものである。
工学資源学部では入試の体制にも小変更を加え ている。2000年度入試(平成12年)では前期重視 型に変更し,2004年度入試(平成16年)ではセン ター試験理科を2科目に増やした。なおこれまで 取り上げなかったが,現時点では推薦1(センタ ー試験受験を課さないもの),推薦H (センター 試験を課すもの)およびAO入試の枠も設定して いて,多様な枠組みで入学してくるようになって いる。しかし定員としては従来の枠組みでの入学 者数が多数を占めている。
大学受験を巡る状況などによって変化する。それ ぞれの要因を分離してモニタするための数値指標 が存在するのかどうか,必ずしも明確でない。偏 差値は指標の一つであろうが,一つにすぎない。
60 50 パりの
ぷ
)30
〈ロ
巌20 10
ま イ つ ら ブ マ フ マ ののの
年 度
o
﹄Lミ匙噂ヒ噂噂
2002 2003 2DO4
3.秋田大学理系学部の物理教育の現状
本章では,1998年度における工学資源学部の物 理教育の改革結果について検討する。
3−1 入学者の変化
入学者の質は物理学の授業設定に直接的な影響 を与える。しかし入学者の質は,学習指導要領や
図1A学科における秋田県出身者の占める割合 の推移
図1に,鉱山学部(工学資源学部)A学科にお ける入学者について,秋田県出身者の割合の年度 推移を示した。入学者は80〜90名である。1990年 代前半に約50%であったものが2000年代には30%
台に落ちている。逆に東北以外の出身者が,30%
程度から40数%へと増加し,進学者の分布は,中 部地方以東が主であるが全国規模となっている。
また,1990年代前半に数名の入学者を送り込んで いた秋田県内進学校からの入学者が2000年代に入 るとほぼゼロになるという現象も起こっている。
この期間,18歳人口は186万人から150万人へと,
ほぼ直線的に減少している。しかし全国的に見る と大学と短大を合わせた進学率は約40%から約 50%へと増加している。すなわち18歳人口は36万 人程度減少したにもかかわらず進学者の数は75万 人と,ほぼ横ばいに推移している。図1はそうし た中での推移である。以上のことから,大学選択 における動機付けの変化が起こっているものと見
られる。
3−2 1980年代との比較
ここでは寺田による1980年代の観測との対比を 試みる。1998年度の改組において,基礎物理学実 験の学習目標を次のように設定した。
1)物理量の測定方法を体験し,器具や装置の 使い方に慣れる。
2)実験を通して基本的な法則について理解を 深める。
3)データ処理の基本的手法を身につける。
4)報告書の作成に慣れる。
学生においてもしばしば見られる現象である。大 学および短大への進学率が50%台となった今日の 大学では,帝国大学型教育が成り立つ場合もあろ うが,一方で唐木の指摘するような学生への教育 も求められる。また物理学にとどまらず学問の発 展は間断なく進んでいくものと考えられ,教育内 容の変更や指導方法の改善が否応なく求められて いく。学び方発見型あるいは問題解決型授業への 期待もあるが,それはある程度以上の学力を持ち,
しっかりした動機付けを持った集団では可能であ ろう。しかし大衆化した今日の日本の大学のすべ てのクラスで,社会が求める水準の大学教育とし て機能するとは限らない。
学校教育を巡っては「七五三現象」が指摘され て久しい。大野は,国立教育政策研究所が2002年 2月および3月に実施した学力調査の結果をもと に小中学生の学力について論じている6〉。それに よると小中学校理科(ただし生物分野を除く)に おける通過率(正答率と考えて良い)は確かに小 学校でおおむね70%台,中学校でおおむね50%台
である。
風間によって指摘された日本の児童生徒におけ る「智の営み離れ」は深刻である7)。物理教育に ついて言えば,板倉が指摘するように,日本人が 成長の過程で物理現象とどう関わり,どのように 知識を得ているのか,社会がそれをどのように支 えているのかが問われている。今後,理系学部の 物理教育を進めるに当たっては,常に,学生の学 力を点検する量的指標を持つよう努力することが 必要であろう。
最後に,本論により明らかになったことをまと
める。
1)1949年の発足以来,秋田大学鉱山学部・工 学資源学部の物理教育は,1960年代後半ま で,基礎物理学を開設するなど,整備が進 められた。
2)1980年代からは,物理学の教育内容の減量 化が進行していった。
3)このことは,学習指導要領の変遷,大学お よび短大への進学率の上昇,入学試験の体 制の変更等と関連しながら進行している。
4)1998年度における秋田大学改組時に工学資 源学部の物理教育も改組したが,以下の点
について,教育改善が実現している。
i)基礎物理学実験の枠組みは,受講生に適正 負荷を与えるなど,安定した授業運営を可 能とする設定となっていて,教育効果があ がっている。
ii)入門物理学は,高校物理非履修者および履 修が十分でない学生に対して教育効果をあ げている。
iii)基礎物理学実験においてTeaching Assistant (TA)を導入したことにより,教員,技術 職員およびTAによるTeam Teachingが 実現した。これにより学生の学習の質が向 上した。
iv)TAが学生に与える影響は,授業における 学習にとどまらず多様である。
謝辞
本論の作成は,本学発足以来の履修案内等の閲 覧の機会を与えられたことにより可能となったも のでした。教育文化学部学務係および学務部教務 課の皆様には心から御礼申し上げます。また,
1998年度の改革の効果の点検は,基礎物理学実験 担当者会議が長年蓄積した教育関連情報を利用さ せて頂いたことにより可能となったものでした。
ここに改めて感謝申し上げます。基礎物理学実験 におけるTAの運用においては,模擬授業も含め た研修制度を確立していることも,その実をあげ る上で基本的な役割を果たしています。研修制度 の確立は,菊池一志元技術職員の努力によるとこ ろが大であったことも,申し添えたいと思います。
また,本論を展開するに当たっては,秋田大学発 足以来鉱山学部の物理教育の整備拡充のために尽 力された故石川洋秋田大学名誉教授,故石塚博元 技官から伝えられた情報も活用しています。改め
て感謝申し上げたいと思います。
参考文献
1)多田政忠(編) 「新稿物理学概説上」,「新稿物理 学概説下」学術図書,1974年3月
2)寺田紀夫 「学生実験の終了状況について」物理教
育vol.39,No,3,1991,P.1613)板倉聖宣 「日本の物理教育一戦前と戦後一」日本物
理学会誌 voL51,No。1,1996,pp。49−534)浅野誠 「大学の授業を変える16章」 大月書店,
1994年1月
5)唐木宏「感想:マレーシア政府派遣対日留学生の教
育」 物理教育 vo1.53,No.3,2005,pp.235−2366)大野栄三 「小学生の学力は『下がった』か」,日 本物理学会誌 voL60,No.6,2005,pp.471−473
7)風間晴子 の危機」,
pp.4−16.